○渡部委員
文部省としては
助言もしくは
指導というような形でなしたとしても、その結果が実際問題として
地方の
学校当局の
学校管理行政の上に非常に重大な影響を持つということは当然だと思うのです。現に
文部省はそういう監督的、統制的な
意味を持たないということを言明して発せられておるところの次官通牒、局長通牒というようなものが、非常に大きい統制的なあるいは命令的な
意味さえも持
つておることがあるわけであります。そういう点がこの法律の中で制約されるというような形で現われていないならば、やはり依然として
文部省の監督統制権というようなものが強力に働くものと見なければならぬと思うのであります。しかしその点は一應別としましても、たとえば
管理局の
仕事の中に
教科書の檢定というようなことが含まれておる。
教科書は言うまでもなく若い
國民の物の
考え方、あるいは思想の上にと
つて非常に重大な役割を持つものであ
つて、強くいえば決定的な役割さえも持
つているものであります。ところが現にこの
教科書というものは民主的な方法の檢定によ
つてなされるというふうなことが多年來言われておることは明らかであります。ところがこの
教科書の檢定について非常に不都合なことが行われておる。たとえばこの前民主的な方法による檢定があるというので、多くの專門的な
科学者たちがそれぞれ協力していろいろな
教科書を檢定のために差出した。その
一つとして私は歴史の
教科書をあげたものですが、これは
日本における最も若いりつぱな
科学者たちが共同の討論をした結果に基いて共同執筆をして、非常に綿密な
科学的な
教科書としてつくり上げられて檢定のために提出されました。ところが
文部当局は、歴史の
教科書は今年は檢定しないというような形でこれを無視して、やはり依然として
文部省の
教科書を教えることを実行されておる。ところが文部書の歴史の
教科書なるものは「くにのあゆみ」であるが、この「くにのあゆみ」は私は歴史家の立場から
責任を持
つて申し上げますが、非常にでたらめな歴史の
教科書である。そのでたらめな点は無数あるのであ
つて、この「くにのあゆみ」がいかにでたらめであり、非
科学的であるかということは、すでに多くの
科学者の中から、專門家の中から、まだ民主的な團体の中からこれの廃止運動が起きて、
文部当局も遂にこれを
教科書として用いることを禁止するという
方向に向わざるを得なかつたことは、御自身
はつきり認識されておることと存じます。それのみでなくて「民主主義」という
高等学校の
教科書、これについても一部分はまつたく非
科学的なものである。たとえばフランス革命に関するような部分は非常に非
科学的で、現在の学問からいえば問題にならない性質の記事にな
つておる。それからまた、たとえば先般來いわれておるように、共産主義に対してはまつたく事実に反して、理論を無視したデマゴークにすぎないようなものが書かれておる。
文部省が
責任を負
つてなしたところの「くにのあゆみ」にせよ、「民主主義」という
教科書にせよ、このような性質のものであるとするならば、
文部省が今後
教科書の檢定権を持
つておるということは、
日本の
科学の発展にと
つて、
日本の
教育の將來にと
つて、きわめて重大な障害を來すものである。これは
日本の
科学をひん曲げてしまい、正しい
科学的な物の
考え方を兒童から奪
つてしまい、そうして兒童の將來の民主主義を
建設して行かなければならないいろいろな知識なり性格なりを破壞してしまう結果になるという点で重大な問題であると思うのであります。こういう重大な問題を
管理局の
事務の中に置くということは、だれが
考えても不当でなければならない。少くとも
文部省を預かる人々の頭が、ほんとうに
科学的なものにかえられ、ほんとうに民主的なものにかえられて行くのでなければ、こういう
仕事を
文部省がなすところの力もなければ、権利もないとわれわれは断ぜざるを得ないわけです。しかるにこういう檢定をここに
規定されておるということは、
文部省が意図しておるといわれるこの
設置法案の根本的な
精神と矛盾する結果になると思う。この点について
当局はどういうふうにお
考えになりますか。