○竹中
公述人 私は財團法人
金融経済研究所研究員として
金融財政を研究いたしております竹中久七であります。本日
公述人として
日本銀行法の
改正について
意見を述べろという御指示でございまして、以下私の考えておることを述べさしていただきます。
まず私は今回の
日本銀行法の
改正に対しては反対をいたすものであります。その反対の理由といたしましては、次の四つの点をまず初めに指摘いたしたいと思います。第一は現実の具体的な
金融財政の事情に即しない
中央銀行制度の
改正である。この点は本案の提案の理由どぶつかるわけであります。第二には、官僚と大
独占資本のからみ合いが必然的に起すところの腐敗を防止するという考慮がなされていない。第三には、この
制度を実際に運用する場合における、いろいろな必要な考慮があまり拂われていないので、この文字の上から見ますと、大体最近の南鮮、フイリピンあるいはオーストリアの
中央銀行制度というものの
制度的な輸入、あるいは形式的な模倣ということを非常に彷彿とさせる。この点がかなり疑問がある。第四には、
法案の成文化が非常に杜撰である。そのためにこういう
法案ではいろいろと実施の上において支障ができる。この四つの点であります。以下この四つの点について逐次できるだけ具体的に御説明申し上げたいと思います。
御承知のように
日本の
金融財政の実情は、
金融と財政がからみ合
つて不可分であります。提案理由の説明によりますと、昭和二十三年度までは
日本財政は均衝がとれてない赤字の財政だ、赤字の予算が組まれている、その赤字補填のために通貨の増発が行われ、
金融はいつも財政のしりぬぐいをやらされていた、ところが二十四年度からは一般会計も特別会計も均衡のとれた健全な予算が組まれた、もう
金融のしりぬぐいの必要がなく
なつた、そこで
金融と財政は二つにはつきりとわかれた、そこで
日本銀行も純
金融的な非政治的な
中央銀行としてできるだけすつきりとしたものにする、
政策委員会というのは大体そうした役割のものであるというような意味のことが、提案の理由の説明の中で述べられております。しかしこの解釈は実際の
金融財政の様子と大分違
つているんじやないかと思います。なぜならば、まず今年の予算における均衡財政ということ、これは中央財政の場合だけを見たときには、なるほど均衡財政です。しかしながら中央財政の均衡をむりにとつたために、地方財政は未曽有の不均衡にな
つております。この地方財政の破綻ということは何で起つたか、具体的に申しますと、見返り資金が計上される。そうしてそれのために輸入補給金が計上される。その輸入補給金の計上によ
つて地方配付金や公共事業費とか、あるいは失業対策費とか、あるいは六・三制とか、地方の財政に
関係の深いそういう項目がどんどん食い込まれた。そこで削減された。この地方財政の破綻はすでに地方の
金融、地方
産業の崩壊とからみ合
つて現に非常に大きな問題にな
つております。こういう点で
金融と財政は離れておりません。
また次に、均衡がとれているはずの中央財政におきましても、依然として收支のずれという点があります。これは納税と
政府支拂いのずればかりではない。今度の予算の中心的な問題にな
つております米國対日援助見返り資金特別会計に繰入れるべき貿易特別会計の黒字が、一年の間に逐次につくり出されて行くものでありますから、資金の需要が年度初めにいる場合に金詰りが生じて來る。そこで見返り資金へ資貿特別会計から繰入れる、この繰入れの点ですでにずれが出ている。
政府支拂いがとまるとまた
金融もとまるという状態であります。それゆえにこそすでに
日本銀行がつなぎ資金の問題を大きく取上げている。また最近の第十八回の融資斡旋
委員会で決定した大口資金需要を見ても、貿易
関係が非常に多いのであります。また
金融財政当局の方たちの各所における講演を開きましても、今度の予算においては財政では非常に引締めるけれども、
金融でこれを調節する、ゆるめるから心配はいらないということをしばしば述べております。こういう意味でやはり当局でも暗々裡にこの
金融と財政というものはからみ合
つているものだということを認められていると解釈すべきではないかと思います。
それから今年の予算が数字的には收支の予算の均衡ということがとられておりますが、これをもう少し具体的に見ますと、歳入面で大衆の拂う重税が激増している。その反面で歳出面では人民のためのいろいろな厚生的な支出は大幅に減せられている。そういうところに均衡が、ただ形式的、数字的にできているにすぎない。これを裏返して申しますと、歳入面ではもつととれる大口の脱税が見逃されている。歳出面では
独占資本への支出が増大している。こうなると質的に見て不均衡きわまる財政である。大衆の犠牲は非常に大きい。その反面で大資本の收奪がひどいということが当然出て來るわけであります。これに対してはいろいろと問題がすでに起
つております。先ほどからも問題になりました階級鬪爭という形が起
つている。それに対して中央
政府は、階級鬪爭を未然に押えるために公務員法の
改正をやつたり、労働法規の
改正をやつたり、あるいは地方権力では公安條例を
出してこれを押えつけようとする。またその押えるための刑務所費や警察費、税金をとるための收税費はどんどん厖大化している。これはかのドイツあたりに見られたフアシズムの
政策をほうふつさせるものであ
つて、このような一種のフアシズム予算が常に
金融と財政を不可避的に結びつける契約になるのであります。
第四には、今度一般会社に計上されました八百三十三億という輸入補給金
——もちろん輸入補給金はこれだけではなく、塩の專賣に関するものがありますが、大体この八百三十三億というものがどういうことになるかというと、
金融的に申しますれば、やはりこれは為替ダンピングのための一つの予算という解釈ができるわけであります。こういう対外的な為替ダンピング
政策に対して、当然これとからみ合
つて來る対内的なインフレ
政策を切り離すことはできない。そういう意味で、財政でいくら締めても
金融でゆるまらざるを得ないという必然的なものがあります。もちろんこの場合に、
政府ではインフレではない、デイス・インフレだと言われますが、デイス・インフレというのは結局
コントロールド・インフレで、小きざみにしたインフレですから、今までのような手離しのだれでももうかるというインフレではなく、ごく一部の
独占資本だけがもうかるというインフレでもあります。このデイス・インフレはどういう調節の方法でやるかと申しますと、補給金でインフレを調節して行くということになると思います。
第五に、今年の資本計画を見ましても、見返り資金の資金計画に占める比重は質的にも量的にも厖大であります。ここでは
金融面で資金が不足しているものを財政面でカバーしているということにな
つているのであります。
第六には、見返り資金による國債、復金債の償還、あるいは建設公債の引受け、これも
金融を財政でカバーするという現象だと思います。こういうふうに、
金融と財政とは、実際にな二十四年度においてもますます不可分なものにな
つて行く。それを機械的に切り離すという前提のもとに
中央銀行の
制度を
改正する。これは結果において改惡だと思います。こういう実情がまず改められて後、初めて今回のごとき
改正案が現実性をも
つて登場し得るのではないかと思います。なお右のように
金融と財政が依然としてからみ合
つておる限り、この
金融というものは当然常に政治的な意味を帶びて参ります。そこでこの
ポリシー・
ボードはいわゆるポリチカル・
ボードにな
つてしまうわけでありまして、決していわゆるノン・ポリチカル・
ボードではない。さらにこの
改正案におきまして特に重要なことは、
政策委員会、
ポリシー・
ボードが行うべく與えられた
権限の中で、公開市場操作、いわゆるオープン・マーケット・オペレーション、これがあります。このオープン・マーケツト・オペレーシヨンは、具体的に申しますと見返り資金によ
つて運営される。その結果
日本の
金融を締めたりゆるめたりすることはこの見返り資金でやられる。御承知の通り見返り資金なるものは連合國最高司令官の監督下で使われるものであります。そうしますと、この場合に
金融統制に関しても
政策委員会と連合國最高司令官との間の
意見が衝突する場合が出來ると思います。これをどう処理するか、この点の規定がこれにはありません。こういう
意見の衝突などというものは決してないとは断言できないと思います。なぜかというと、
日本はいかに占領下にあ
つても、守らねばならない最後の一線というものがあると思います。ではそういう場合に一体どうすればいいか。この規定がなければ
政策委員会は円滑な運轉ができない。そうなるとこの
政策委員会は何をやるかというと、財界の長老が居眠りをやるという場所にな
つてしまう。いわゆるスリーピング・
ボードになる。そればかりでなく、今回の
日銀法改正ということは、先ほどからしばしば触れられましたように、
金融業法へのスプリング・
ボードになるのではないかと思う。そうでなければ
改正の意味がほとんどなくな
つてしまう。
金融業法へのスプリング・
ボードとしての
ポリシー・
ボードでなければ、
金融業法をまたあらためて制定する場合に、今度の
日銀法の
改正をまた根底からやり直すということになる。これは非常にむだなことではないかと思う。そしてその限りにおいてどうしても反対せざるを得ない。それならば
金融業法へのスプリング・
ボードとしての
ポリシー・
ボードは具体的にどういう考慮が拂われなければならないかと申しますと、現在すでに外國の保險会社が進
出して來ている、外國の
銀行が預金を開始している、あるいは興銀の外債引受
機関としての
機能が復活しつつある。こういうことと関連して、見返り資金によるオープンマーケツト・オペレーションの問題を考えて、そういう具体町な意味を十分にくんで、その中でこの
改正が行われねばならないのではないか。そうでなければやはりスプリング・
ボードがスリーピング・
ボードにな
つてしまうのではないかと思います。
しかしもちろんこの場合にこの点は注意しなければならないと思います。
ポリシー・
ボードというのは、見返り資金を全面的に扱ういわゆるクレジツト・
コントロール・
ボードではない。これは別に
大藏省なり安本なりに今連絡
委員会があるようであります。これは將來また
委員会制度になると思いますが、とにかくそれではない。しかしそれにしても少くとも見返り資金の運用
機関の一部になるということだけははつきりしていることです。これだけは決定的な事実でありますから、その点をはつきりすると、今度の
日銀法改正というものがいかに大地から足が宙に浮いているかということがつかみ得ると思います。
次に第二の反対理由について申し上げます。今度の
政策委員会の構成を見ますと、
日銀、大藏、安本並びに
金融、
産業各界の代表七名よりな
つております。これはよく考えてみると、あの腐敗のはなはだしかつた復金問題を起した復金
委員会と非常に似ておりまして、ここでは官僚と
独占資本との癒着結合体としか考えられません。よく言われる
言葉の
國家独占資本というもののシンボルじやないか、しかもそれが主として扱うものは何かというと見返り資金である。この見返り資金は復金の資金と同じように
日本の人民大衆の血と涙と汗の税金が主たるものであります。これは決してただ
アメリカからもらつたというものではない。なぜならば
アメリカの対日援助というものは、一九四八年の
アメリカの対外援助法の百十五節に出ておりますような意味での贈與ではない。この贈與というものはポスト・アンラ、戰後に行われた救済、それからストツプ・ギヤツプ、これは昨年の四月に行われたマーシヤル・
プランの臨時的なもの、それにその後できた
経済協力局の資金であるECA資金、これがいわゆる贈與分に相当する。これに相当するものではない。これはいずれわれわれが返さなければならないものなのです。そしてまた
從來貿易資金の会計を見ましてもわかります通り、過去において
日本では約十一億ドル近くの援助を受けておりましても、貿易資金は赤字だらけであつた。これはなぜかというと、一種の補給金的な、價格調整費的な役割に使われていたために、援助を受けていながら黒字にならないで、逆に赤字になる。ところがこの赤字が今年からなぜ消えたかというと、輸入補給金を一般会計にあらためて計上して、それが貿易特別会計に入れられる。また貿易資金をさらに追加する。こういうことによ
つて貿易特別会計の勘定に黒字が出た。それを見返り資金に持
つて行く。そうしますと、この見返り資金は明らかに大衆に税金から生れて來ておるのであります。このような貴重な金を一部の官僚、
独占資本がか
つてに運用してはよろしくないというふうに考えます。この
改正朝の第十三條の二を見ますと、こういうふうに書いてございます。「
金融政策ヲ
國民経済ノ要請ニ適合スル如ク作成シ」とあります。ところがこの
國民経済の要請ということを具体的に討議し決定する
機関がない以上は、これは当然一部の
委員がか
つてに運用するということにな
つて参ります。そこで必然的に発生する腐敗という問題、これに対する考慮が抜けておると指摘せざるを得ないと思う。このように、このままでは
ポリシー・
ボードというものに対して大衆は背を向けざるを得ない。
信用を統制する
機関が
信用がないということは、これは致命的なことだと思います。そこでもしこの欠陥をでういうふうに捕つたらよいだろうかということを考えてみますと、この
國民経済の要請事項を具体的に討議決定するところの、これは私がちよつと思い浮かべた名前でありますが、最高
経済会議というようなものをつく
つて、ここで決定をしたことをやる。それでこの最高
経済会議というものは、これは社会一般から人材を集めて形式して行くというふうにしたらよいではないか。またこのような最高
経済会議があれば、
政策委員会の
國家独占資本主義的な性格というものはある程度中和できると思います。なおいろいろな方の
意見によりますと、
政策委員会そのものの中に民主代表を入れたらどうかというふうな御
意見もありますが、これは少し形式的な考えじやないかと思います。たとえて言うなら、一人か二人の
労働組合の代表、
金融財政のことがよくわからない方がこの中にぽつこり入
つて、この
ポリシー・
ボードにおいて何の活動ができるか。しかもこの
ポリシー・
ボードの構造から見ますと、下の事務局がない。結局
日銀に依存するわけです。そうしますとこの
日銀の事務局は、結局
日銀総裁の命を奉じて動かざるを得ない。そうするとそれの反対の
意見の
人々の仕事はほとんど順調に運ばない。こういう意味で実質的に考えて、
政策委員会の中に民主代表を入れるということは、むしろ少し考え方が抽象的過ぎやしないかというふうに私は考えております。
次に第三の反対理由について御説明申し上げます。今度の
日銀法改正、いわゆる
政策委員会の設置ということは、あまりにも南鮮、フイリピン、オーストリアの
中央銀行あるいは
政策委員会というような
制度ににている。そういうふうなものの形式的な模倣、
制度的な輸入じやないかというふうに疑わしめられるものがあるのであります。ところが
日本の
金融財政の実情というものはそれらの國とは大分違
つております。ことに見返り資金の問題については、それらの國とは具体的にかなり違います。その限りにおいてそういう
制度的な輸入、あるいは形式的な模倣というだけでは、あまりにこの運用についての考慮が拂われていないじやないかというふうな
疑いをはさまざるを得ないのであります。そこで私はもつと
日本の独特のものとして、これを創意していただきたい、自主的に考えていただきたい。ことに
日本の見返り資金というものは、
日本一國だけで五億三千万ドルという厖大なものであります。この厖大なものは世界どこの國にもいまだか
つてありません。一九四八年末現在では、英、佛、伊、トリエスト、ギリシヤ、オーストリア、六箇國合計しても、わずかに六億七千二百万ドルしか決定されていない。こういう意味で
日本の
金融財政において見返り資金の占める位置というものは、外國の場合よりもはるかに強烈な刺戟力を持
つておるものだと言わざるを得ないのであります。
日本よりはるかに少い額しか計上していない見返り資金を設定した國でさえ、しかもその交渉相手は
経済協力局という非軍政的な
機関であります。しかも対等の援助双務協定というものが、
アメリカの対外援助法の百十五條の規定によ
つてつくられている。それでも援助設定國から受ける制約というものはかなり強いので大分困
つている。こういう実情を私どもはよく考えてみると、よほどこれは
政府がしつかりしていただかないと
日本の自主性、独立性というものがぐらつきはしないか。もちろん占領下にあ
つて自主性が頭からないというふうにお考えになるのは、これは少し奴隷的な考え方じやないかと思います。こうした点で何もそんなにあわててこの
日銀法の
改正をやらないで、むしろ各國の見返り資金の状態、それに伴
つていろいろと起
つている
中央銀行制度の運用の実情、これを十分実地に視察していただいて、調査していただいて、そうして
日本に最も適当だという点をつかんで、それを案に入れてつくり上げていただきたいと思います。そういう意味でできるだけ朝鮮なり、あるいはフイリピンなり、できればオーストリアまで行
つて見ていただきたい。あるいはフランスでもけつこう、イギリスでもけつこうだと思います。ただ私どもは外國雜誌やあるいは電報で見る程度では、非常にこの感じがわかりません。そういう意味でむしろ
國会の方にどんどん視察していただいて、そうして実際にどうやつたらいいかということを十分に具体的に研究していただいて、それからその審議をやり、また
政府もこの案をつくり直すというようにしていただきたいと思います。
最後に第四の反対理由を述べますと、これはすでに他の
公述人の
方々が
公述せられておりましたように、今度の
改正法案はかなりずさんなものであるということを指摘しなければなりません。これは拙速的な飜案をやつたんじやないかという推定がくだされるわけでありますが、どうもそれではちよつと困るのではないか、もつと愼重にや
つていただきたい。それですでにいろいろと他の
公述人の方が御指摘に
なつた点をこめて、さらに私は次の点を追加しておきたいと思います。
それは第十三條の二のところで、「通貨
信用ノ調節」というような
言葉を使
つております。ところが第十三條の三の方では「
信用ノ調整」というふうに、非常に用語が不統一にな
つております。大体通貨という問題の調節あるいは調げということ、これをやる
権限がはたしてこの
政策委員会にあるかどうか、いわゆる通貨対策審議会というものと、これとどういう
関係があるのか。ここいらが非常にあいまいではないか。
それから次に十三條の三の第七項に
金融業者並びに証券業者への貸付云々ということが書いてありますが、これで行きますと
産業へのつなぎ資金の問題は
政策委員会では触れられないということになりはしないか。これはもちろんほかの項目で非常に解釈を廣げて、その中へこめてしまえば逃げられることがあるかもしれないけれども、こういう大事な問題はむしろはつきり書いておいた方がいいのではないか。
それからこの第十三條の三の第一項にあります。「第二章ニ規定スル職員」これは高級の職員であります。たしか
日銀の参與以上だと思いますが、こういう職員のことは書いてあるけれども、これは
日銀のそれ以下の方がその下の仕事をやられるのだと思いますが、これの身分がちつともわからない。こんなふうにこまかく突けばいくらでも疑問が出て参ります。こういうふうな点ももつと十分練
つていただきたい。そういう意味で、これはあまりに拙速、間に合せ主義でつくられた案である。もつと愼重に調査して、その結果この
法案を
出し直していただいた方がよいのだと私は思います。以上が私の反対理由であります。私の
公述はこれで終ります。(拍手)