○
海野参考人 本日お
呼出しがありまして、
選挙制度に関する私の
意見を述べろという
お話でございますが、先刻
東京都
選挙管理委員会委員長松崎君の
意見の御開陳がございまして、同じ仕事をいたしておりますために、大体申し上げることが同じ傾向にあるように存じます。で、まことにお聞き苦しく、かつ私のは
松崎さんのようにきちんと体系が立ちかねておるところもありますから、何とぞその点は御容赦を願
つておきたいと存じます。
本日の課題は
二院制度についてというのが筋であります。それから第二には
選出の
方法について、これにおそらくは
投票の
方法及び
当選者の
確定等に関する問題であると理解いたします。第三が
選挙の
公営について、第四がその他
現行の
選挙制度に対する
批判、こういうことにな
つておりますので、この順序に從いまして、私の
考え方を申し述べたいと存じますが、多少重複するような点も出て来るかと存じますから、その点もひ
とつ御容赦を願
つておきたいと存じます。
端的に課題に入りまして、緒論的なことは省略いたします。
二院制度に関する問題といたしましては、現に
憲法の
規定がございますので、
憲法の
規定の改廃については論及いたしませんで、この
制度を
規定の事実として
考え方を述べてみたいと思います。
國会を
一院制にするか
二院制にするかということについては、新
憲法制定の際に、
臨事法制調査会においても
相当議論はかわされたところでありまして、それぞれの
議論が
論議を盡された結果、ともかくもこの際
二院制度で
議会を構成して行くという結論に到着したことと存じますが、本來の理論を一貫するということになりますれば、
國権の
最高機関であり、國のただ
一つの
立法機関として、また国政の
重要案件を
審議するところでありますから、直接の
民主主義政治の視点から申しますれば、
國会の
代表は二つはないはずであ
つて、
公選によるものがただ
一つで足りるという、純理面的に申しますならば、さような結論が出るのではないかと思います。
從つてこの主張をされる方があります。だが
一院の形式にのみ依存することになりますと、地域的の問題、もしくは職域と申しましようか、
職能ということになりますと、多少
議論が出ても参ります。職域とかあるいは
学識経驗とかいう面についてはどうであろうかという考慮すべき点が出て来る。そういう方面から
國民の
代表を出すということを
一つの観点から見ますと、多少
一院制だけで押し通すことについてに疑問が出て来る。廣く
國民の各
階層の
代表を網羅して行くということについては、
一院制だけで行きますと十分にその
目的を達することができるかどうかということについてはやはり疑問が残
つて来る。またその権能の点から見まして
國政上の
重要案件を
審議するということに愼重を要するものであ
つて、
審議の愼重性というような観点から考えますと、必ずしも
一院制によ
つて絶対多数にのみこの
基準を置くことになりますと、場合により
一院の
独善的傾向の問題が起る、また
議院運営上における議案の
審議の愼重という点、いわゆる復審的な
審議という点において
一院制は
二院制に比較しまして短所があると言われてもいたしかたがないというふうに考えまして、それでおそらくこの
二院制を採用されたものでないかと私は愚考いたす次第であります。かように
規定の事実として
二院制を採用いたしたといたしますと、次に來る問題はこの
二院制中
参議院の組織及び
選出方法をどういうふうにしたらよいかということであります。
参議院の組織につきましては
國会を全
國民の
各種の
階層の
代表によ
つて構成する建前から、
衆議院を
地域代表制としたのに対して、
参議院はでき得る限りこれと異
つた階層から
代表を出すべきものであ
つて、
年齢等も異ならしめておりますし、また
職能的の色彩を持つ人の
代表、
学識経驗者群とでも申しましようか、こういう群の
代表を出すべきであるというふうに考えられます。新
憲法におきましては
両院議員の直接
公選制を
原則としておると思われますので、
参議院議員の
選出方法の決定はなかなか困難であると存じます。
現行法におきましては
議員数はおよそ
衆議院の三分の二という趣旨で二百五十名とし、うち百五十名は
都道府縣を單位とする
地方選出議員、百名は全國を
選挙区とする全
國選出議員としておりますが、この全國区にして、しかも
單記投票法を採用する
制度は、
候補者の
選択、
選挙運動、
選出人物等に関しまして多くの
不合理性が伴
つておることは、いなむことができないのであります、そこでこの
不合理性を幾らかでも補うという
意味において、
ブロツク制を採用したらどうかという問題が考えられるのでありますが、この
ブロツクをいかに定めるか、そしてまた
ブロツクとしての共通の具体的の利害があるかどうか、あるいはまた
補欠選挙等における大縣と小縣との利害の
調節等なお多くの難点があります。また全國区による
比例代表制としますれば、
参議院の
職能学識経驗者としての、
政党よりも個人の識見ないし
職能性を重んずべき
性格より、
妥当性を欠くきらいがあるまた
衆議院との振合いにおきまして、
衆議院を小
選挙区制にして
参議院を
都道府縣別制一本とするという
意見もありますが、
地域代表制にのみ偏しまして、
職能をひとしくする群あるいは学者、いわゆる
学識者層あるいは
経驗家別等の
代表を含むことが非常に困難になります。
参議院の
存在價値が先ほど申しましたようなところにあるとするならば、これがくずれて行くというきらいがあると思うのであります。以上のほか、新
憲法の
選挙された
議員いう
規定を廣義に解釈して見まして、諸
外國の
制度にならいまして、
間接選挙として
職能、学識、
経驗代表等を出すべきであるとの論もありますが、
憲法の直接
公選の建前より問題があると考えます。結局全國区の
選挙は、これは私個人の
意見でございますが、まだただ一回だけ行われただけでありまして、いわば試驗期であると考えます。いろいろの御
意見がありまして、これを変更すべきだという有力なる
意見があり、またその
意見に非常に
合理性のあるところもありますけれども、ただこの一回の全國区
選挙によ
つて、まだ
弊害が具体的にどれだけ起きて來たかということについて、
二院制度の
参議院の價値等について、はなはだしい支障が起つたかどうかということについては、まだその
程度には達しておらないものではないだろうか。
從つてもう少しこれを見送
つて、十分に檢討して行くことの方が、この際妥当ではないかと考ておる次第であります。
次に
参議院の
権限につきましては、
二院制たる
性格上、
衆議院と同一の
権限を必要としないということは当然のことであります。また
党派的色彩の
稀薄性ということが
参議院については考えられる。並びに
審議の
方法において合理的にこれを進めるというようなことが、先刻來申し上げますように、
参議院に対しては要求されておりますので、その
性格から考えてみまして、
参議院が
現実政治への参加と申しましようか、行政府への直接
かかわりと申しましようか、具体的に申し上げるならば、
政務官等に
かかわりを持つというようなことについては、むしろない方がいいというふうに私は考えるのでございます。この点につきしましては、それぞれ各位の御
経驗上から考えてみまして
相当御
議論があると存じますが、ただいま申し上げるように
参議院を
性格的に考えてみまして
政務官等におなりにならないことの方が、
参議院の特色を維持することの
可能性が多いというふうに私は考える次第であります。
次に
選出方法について申し上げたいと存じます。この
選出方法につきましては、これは
一般選挙の
選出方法の問題であります。
投票の
方法がまず第一に考えられるのであります。
各種の
選挙を通じまして、
投票の
方法について改善すべき
事項は少くないのであります。そのうちで最も重要な
事項の二、三を述べてみたいと存じます。
まず最初に考えられますのは
記号式の
投票の問題であります。現在
各種の
選挙はすべて
投票の
白書主義をと
つておるのでありますが、これは事実上
選挙権の
制限とまで申すのは少し言い過ぎるかもしれせんが、無筆の者には
選挙権を與えられないという結果に相なるのであります。その数がはたしてどれだけであるかどうかということにつきましては、十分な
調査資料がございませんが、年齢の六十才もしくは七十才以上の者のうちには、
相当数にこの種類に属する人々があるのではないかと考えられるのであります。また
白書主義から起
つて來ます
弊害としては書きそこないというようなこともございますし、他事を記載しておるというようなことにわたりますので、
相当数の
無効投票を生ずることを免れ得ないのでありまして、これは各位が
選挙に際しまして、しばしば御
経驗にな
つておるところと考えます。そこで
記式投票すなわち
候補者の
氏名をあらかじめ
投票用紙に印刷しておいて、
選挙人に
投票しようと思う
候補者に
一定の記号をつけさせる
方法によ
つて以上の
欠陷を回避して行くことはどうだろうか、つまり
投票しやすいように
改正すべきであろうと私は考えますが、これもいろいろの点においてすぐかようにすべきかどうかについて問題がたくさん残されておる。
記号式投票の
方法にはいろいろのものがございますが、最も普通に行われておるのは、
一定の條件に適合する
政党ごとにその公認にかかる
候補者の
氏名を印刷いたして、それ以外の
政党政派の
候補者や無所属の
候補者については、同一の
投票用紙に空欄を設けておいて、これに白書させる
方法もありましよう。しかしわが國の現状がかかる
政党の
範囲を定めて
基準を置く、そうして
投票用紙に
候補者の
氏名を印刷するというようなことが、この
政党の現状から
一つ考えましてどうであるかということについては、やはり疑問が残るというふうに考えられます。なおこの
記号式の
投票用紙を印刷するという点から見まして、立
候補の締切期日を繰上げる必要もできて来るというようないろいろの問題が含まれますので、この点はにわかには結論を申し上げかねますけれども、漸次
記号式投票方法に移行するような考えのもとに、すべての組立を持
つて行くことの方が適合しておるのではないかというふうに考えます。それから不在者
投票は從來通り
白書主義によ
つてもさしつかえないようにする必要があること等も、十分考慮を拂わなければならないのであります。
現行の
白書主義よりはむしろ効率的であり、ことに遅れておる
政党的
選挙の体制を馴致して行くという点におきましては、先ほど申しますように漸次この方向に向わせることの方が
政党政治の発達に奇與する結果に相なるのではないかと考えておる次第であります。
次に不在者の
投票について申し上げてみたいと存じます。この不在者の理由になりますことがだんだん拡大されて、旅行先帶在地の市区町村、または病院、自宅等においても
投票し得ることに
なつたのでありまするが、船員については從來の船長が不在者
投票管理者となる
制度が廃止されました。そのかわり上陸地の市区町村役場に出向かなければならないことに
なつたのであります。むしろ不便と
なつたという非難が少くないのと、病院または自宅等においてする不在
投票については、情実や買收の危險が少くないという非難もございます。また郵送の
方法について改善の要望を聞くことが
相当にございます。これらに十分に檢討して、採用すべきものはこれを採用し、一は
選挙人の便宜をはかり、かつ
選挙の公正の確保に努めなければならないと考える次第であります。
その次に
選出方法について問題になりますのは比例
代表の問題であろうと存じます。この点については学者、
経驗者から今まで十分
論議されておるところでありますが、この
制度につきましては結論的に申し上げますと、非常に計算
方法に関して時日を要する。それから
選挙区の大小
関係等がありますので、
從つてこれはにわかにこれ
一つで比例
代表が現状に適するというようなことには参らないように私は考えるのであります。
それから次に
選出の
方法として考えられますのは、立
候補制度であります。第一に立
候補制度については、
政党の公認ということを法定化すること、法律をも
つてこれを取扱うことという点であります。立
候補制度につきましても届出を必ず推薦制とし、かつ供託物、すなわち物的担保にかえまして
一定の
選挙人の連署、すなわち人的担保をも
つてすべしという
意見や、濫立
防止のために供託物の價格を引上げ、あるいは
選挙公報を発行のため届出の
機関を短縮すべし等の
意見があります。その他に
政党政治の発達ないしこれを促進するために、事実上言われておる
候補者の
政党による公認制を法定化することが考えられるのであります。これは
候補者の予選
制度とも
関係を持つ重要な問題でありまして、
記号式投票制度を採用するときは
政党公認の
方法を法定化することが適当であろうと思います。しかし現在の
政党の実情から考えてみまして、現実的には
相当困難性が伴うということを認めざるを得ない次第であります。
それから
選出の
方法につきまして、公務員の立
候補禁止の問題でございます。なお現在國家公務員中、一般職にある者は、現職のまま
公選の公職の
候補者となることができないのでありますが、
衆議院議員選挙法第六十七條の五項にな
つておると思いますが、同
規定においては、さらに廣く
衆議院議員と兼職できない國または
公共團体の公務員は、退職しない限り立
候補の届出ができないこととされております。この
規定は、
参議院議員、
地方公共團体の
議会の
議員、及び長その他これに準ずる者の立
候補を不当に
防止し、抑制するきらいがありまして、適当でないところがあるのではないか。またその
範囲も明確を欠いております。どういう
範囲内でこれが
規定されておるかということは、はつきりいたしませんので、この間の
選挙に際してもいろいろの
議論が起つたような次第であります。むしろこの
制度を廃止するか、さもなくば公務員の
範囲を明確に
規定するということが必要であろうと考える次第であります。
次に
選出方法についての問題として繰上げ当選の問題、いわゆる繰上げ補充につい考えてみる必要があると思うのであります。繰上げ補充は、各
選挙法とも
原則として当選人の当選辞退期間内、すなわち当選告知後十日以内に限られておりますが、
費用超過訴訟や
選挙犯罪の判決が、このような短期間に確定することは言うまでもなく絶対にありません。
從つて繰上げ補充の
制度は有名無実のそしりを免れないと思うのであります。もともと繰上げ補充は補欠
選挙施行の煩を避ける便宜的な
制度でありますが、しかし論理上にも十分に支持し得られる理由がありますし、また今日のように多くの
選挙が行われることとな
つては、補欠
選挙の施行に要する
経費も莫大であります。御承知のように、先般兵庫縣において八木君の補欠
選挙が行われました際に、ただ一人の
参議院議員を
選出するために千五百万円以上の
経費を要したという事実がございますので、これらの点から考えてみて、よほど考慮を要する点であると思うのであります。そこで國または
地方公共團体の財政上の
負担能力から考え、決して好ましいことではないのでありまして、むしろ繰上げ補充の期間を、たとえば一年間に延長することも考えられます。実際こういうふうにいたしましたならば、必要に適合するようになるのではなかろうか。但し
地方公共團体の長の
選挙については、次点者すなわち反対者との激烈な、かつ深刻な手段によ
つて行われる長期の競争の延長とでも申しましようか、問題がからんで來まして、これがためにかえ
つて当選の不安定の情況を長く継続するという点が考えられますので、この点には私は賛成ができないように考えるのであります。
さらに第三の課題であります
選挙の
公営について申し上げてみたいと存じます。
選挙運動の基本の
原則をどうするか。最近の
選挙法改正の中心題目として、
選挙運動の
方法をどうするかということでありますが、昭和二十一年の総
選挙は自由
選挙であつたのでありますが、二十二年は再び
制限が加えられまして、さらに今年一月の総
選挙には
公営を主として
選挙を行うということに重点がおかれました。
從つて公営の効果をできるだけ発揮せしめるという点から考えてみて、
相当嚴重な
制限が行われたのであります。いわゆる
制限選挙的な色彩を非常に濃厚にした。これに
公営の効果をあげるという点においては、一方において自由
選挙を幾分強く制約しなければならないというやむを得ない結果が出て来た。
選挙運動は自由を
原則とすべきか、これを
制限して
公営を本則とすべきかについては、だれもこれは自由を
原則とすべきであるということについては異論はございません。ただ自由に放任する結果は、いたずらに競争が過激とな
つて、非常な多額の
選挙費用を要する結果、いわゆる金権
候補とでも申しましようか、そういう方面の人が非常に、
選挙がやりやすくな
つて、著しくその方面の人のみが進出して來るというおそれがございます。すなわち一方における
選挙の公正の
原則を害するおそれがあります。かつ
政治の
腐敗を招くおそれがありますので、
選挙運動制限は、ある
意味においては
候補者相互の協定なのであります。決して私はこれは取締るとか
制限を加えるとかいう外力的な観点のみから考えないで、
候補者各自の協定の方面も
相当にあるというふうに考えます。たとえて申しますならば、スポーツのルールも同様なものである。フエア・プレーで行こうという点において各自が協定をして行くという点から考えますと、自由の
制限だというふうにのみ見なくてもいいのでありまして、幾分かはその点において自由を制約するという結果になりましても、これまた
選挙という
一つの部分社会における福祉の維持のために、やむを得ないのだという理論的構成も成立つのではないかというふうに考える次第であります。
選挙運動の
公営は、主として
選挙運動の
経費を軽減して、
選挙運動の機会均等を保持しようというところにあります。これが根本のねらいであることは申し上げるまでもありません。しかし
選挙の自由の
原則は先ほど申しますように蹂躙し、また
憲法で保障された
國民の言論、その他表現の自由に反するということのない限度において、行わるべきでありまして、この交叉点をどこに求めるかということが非常に困難な問題でございます。本年度の
選挙において、
特例法十九條の中に、
選挙運動のために云々、その他一切の文書を頒布してはならないという
規定がございます中に、
新聞紙を含むか含まないかということについて、非常な
議論の起りましたことは、各位の御承知の通りであります。その時分に考えてみまして、特定の
候補者のために、特定の
政党のために、あの有力な武器である
新聞紙が、一方的にこれを支持する、場合によ
つては
投票依頼の文字まで書いていいかどうかということについては、非常な
議論のあつたところでありますが、
新聞紙の公器性、
新聞のみずから持
つている尊嚴から考えてみて、これをあの條項に当てはめなくてもいいことであろうというふうな解釈を
とつたことは、御承知の通りでございます。ただいかに
新聞の公器性を尊重し、自主的にその欠陥のないようにというふうなことを考えましても、言論の自由、表現の自由も、また自由権の乱用の
範囲にわたつた場合においては、これはやはり
制限を加える必要が当然に起
つて来ると私は考える次第であります。
そこでもう
一つ考えなければならないことは、
選挙運動を自由にして、一方において
公営選挙を十分に発揮さして行こうという点については、
公営でありますから、その
負担は結局
國民の
負担となることでありまして、先般行われた総
選挙において七億七千五百万円の
費用を使いましたが、なお足らないで、地方の財政について非常なめいわくをかけておるというような結果に相な
つておりまして、いまだにこの問題も十分なる解決を見たとまでは申し上げかねる状況にあります。七億七千五百万円ではとうてい足りません。この点につきましては、
議員各位にいろいろ衷情を訴えまして、お願いをいたしたことは、まことに私どもとしましては恐縮いたしておる次第でありますけれども、いかにしても多数の職員を時間外に働かしめる。その他資材の点につきましても、非常な騰貴を來しておるというような点がございますので、
選挙公営ということに伴う
國民負担の過重という点において、やはり考えなければなりませんので、ある
程度に限度をやはり求むべきではないかと考える次第であります。このような見地から、私は
選挙運動についてはでき得る限り自由にするとともに、他面
選挙費用の増額に伴う
選挙の
弊害、ひいては
政治の
腐敗を避けるために、
選挙の本質と
憲法上の
原則に違反せず、かつ國及び
地方公共團体の財政から考えて、合理的と認められる限度において
選挙公営を強化すべきであると考える次第であります。まことに抽象論的になりますけれども、これは時間をかけますと、私どもがこの間
選挙費用を、各
都道府縣に分割するにあたりまして、非常な科学的
基準に基いて計算をいたして、
都道府縣に分割をいたしたのでありますが、この点についても各位にご
参考までに申し上げる機会を私に得たいと考えておるのでありまして、ある
程度こういう
選挙費用の分割を、いかなる
基準によるべきかということを法律に盛り込む必要までありはしないかというふうに考えられる
程度にこの
費用の問題は、非常に
重要性があると考える次第であります。
次に自由
選挙運動とでも申しましようか、その方面について一言申し上げてみたいと思います。私は
選挙運動については、いわゆるフリー・エレクシヨンの原理を貫徹したいというようには思うのでありますが、何らの
制限を設けず、ただその
費用の最高額だけを法定してはどうかというように考える
考え方が
一つあると思うのです、ややこういうところに線が引かれて来るのではないか、
選挙費用の最高額を法定化して――現在でも法定化をある
程度までしておりますが、これを各方面からこの最高額について、実質的最高額、形式的の最高額でなく、よく各位の御
意見等によりまして、御
経驗等によ
つて、まる公でなく、ほんとうの金額がおよそどこに線を引くべきか、そうしてこれを維持するためには
相当の法律的のつつかい棒を立てて、どうしてもこの法定額というものは維持させるという
方法を
とつたらというふうに考えるのです。つまり
一定のグレンツにおいては、きわめて自由にする。そのグレンツを越えたときは当選等をただちに無効にするとか、その他の
方法によ
つてこれを強化して行くことは考えられるのではないかと思います。そうして自由
選挙のいわゆる
選挙運動の自由といううちに、もつとも考えらるべきものは、申し上げるまでもなく言論、文書、図画について最小限度の
制限を設けるのほかは、
制限を撤廃してしま
つていいのじやないかということがまず考えられます。
次に事前運動、
戸別訪問という問題が近來大分各方面で
論議されておるところでありますが、これもある
程度まで自由を認めてはどうか、個人ないし
政党の行
つておる
選挙運動の
制限は、すべてこれを撤廃してしま
つて、自由にするかわりに、國家の行う
選挙運動の保障、すなわち
選挙公営は実質本位に今度はかえ
つて來る。最も効果ある
方法に集中的に
公営を行う。たとえば
立会演説会、先ほど
松崎管理
委員長が言われた点が、この点においては非常に妥当の点が多かつたと思います。
候補者、運動員等に対する無賃乗車券の発行の点、無料郵便の数を
相当数にふやして行くということを考えまして、金銭と時間に余裕のない
候補者にも便宜を與えることによ
つて、
相当に機会均等の結果を持ち來させることはどうかというふうに考えられる次第であります。
選挙運動の
制限の緩和ということについて一番問題となりますのは、先ほども申し上げましたように事前運動と
戸別訪問の問題だと思います。事前運動は禁ぜられておるにもかかわらず、從來行われておりまして、その違反の認定はきわめて困難であります。
選挙区の培養という言葉がございますが、
議員その他
当選者の日常活動の実体はいわゆる
政治活動でありますが、これはただちに事前運動に繋がるものであります。今後もますます
政党ないし労働組合等の日常活動が活発となる趨勢にあります。これは禁圧は決してできない問題であると考えられます。また各
政党ともこの点について十分なる活動があ
つてこそ
國民の
政治意識というものについて啓発される結果と相なると思うのであります。この点はその方面から考えますと、事前運動ということを禁圧するというような結果、かえ
つてこの方面の運動を不自由にするという結果が生じまして、おもしろくない傾向だと考えられます。個人の
候補者に対しましても、その日常の
選挙運動を禁止すべきいわれは実はないと思うのであります。実際理論上の根拠として、
選挙運動を事前にや
つてはいけないのだという事前運動の禁止の理由は、はつきり、理論的には認められておらない。買收とかその他悪質の
選挙運動が禁止処分さるべきはもちろんでありますが、そこでどこが悪質であるか、どれが処罰の対象になるべきかということについては、
相当技術的にむずかしい問題が出て來るとは思いますが、どうもそれらの難点と、ただいま申し上げましたような特徴とを比較してみますと、どうも事前運動を特に禁止しなければならない理由に乏しくなるというふうに考える次第であります。結局はこういう問題は、一般
國民の人々がいわゆる
民主主義政治下において、主権は
國民にあるんだ、そうして自分は
國民の一人であるという自覚にま
つて良識の発達をとげまして、かかる問題については進歩発達せしめるという方向に向わしむる
一つの試練の機会を與えるものとして、事前運動等については、できるだけ自由にする方向に向わしむることの方がよいのではないかと考えられる次第であります。
戸別訪問の問題につきましては、これは非常にどうもやかましい問題にな
つて参
つておりますが、皆さんのうち古いお方は、それぞれこの点については御
経驗もありますし、私も時分の
選挙ではございませんけれども、三回ばかり
戸別訪問を先輩の
選挙でも
つてしきりとやつた
経驗がありまして、いかに
選挙というものが
候補者にと
つて苦しいものであるか。運動者側にと
つて苦しいものであるかという点については、
相当経驗があります。いわゆる
國民の
代表である議院のデイグニテーの問題も考えられますけれども、しかし近來そういう点については、あまり考えない方がいいのじやないか。やはり一人々々の
有権者に対してできるだけ接触していわゆる
選挙の機会において、
國民が
國政に直接参與するのだという意識を持たしめるという理想論的
考え方から申しますれば、
戸別訪問必ずしも理論的にとめる必要はない。ただこれに伴う
弊害といたしまして、買收の機会を多からしめるというようなことを申すのでありますが、この点についても
選挙運動即違反というようなことを、まず念頭に置いて
選挙の立法をすること自体がもう一ぺん考え直していい点であるのではないかと私は考えるのであります。いつまでもいつまでも危い危いという
考え方でも
つて立法をや
つて行きますと、その結果は決してよい結果はございません。私ども法律家といたしまして、しばしばその点については刑事、民事を通じまして、人の行為をかくしたならば、かような不都合が起る。かくしたならばかように治安が乱れるといつたようなことのために、嚴重なる法律をつくればつくるほど、かえ
つて反対的方向に社会の動向が向うということについては
経驗をいたしておるところでありまして、
選挙法につきましてもこの点はお互いが立派な一個の人格を備えた
國民であるのだ。
政治の力を自分が持
つておるのだということを自覚せしめることに重点を置いたならば、
戸別訪問必ずしもそう臆病にならなくともよいと考える。ただ
候補者諸君が、この
戸別訪問ということについて、課せられる肉体的の非常な
負担ということについても考えねばなりませんけれども、
選挙区域の問題あるいは交通
機関の発達等にかんがみまして、この点につきましても、必ずしも耐えざる
負担になるかどうかについてはそう一概に言い切れないと私は考えるのであります。
從つて傾向といたしましては、
戸別訪問もある
程度の制約を加えつつ開放して行くということの方が望ましいものであると考えている次第であります。
次に
選挙公営の点でありますが、もうこの点につきましては、ほぼ私の申し上げたいことを申し上げ盡したような感がありますので、ごく省略をいたします。
公営の問題としまして基本的に考えられることは、
選挙民に対する
公営選挙運動の徹底ということと、各
候補者に対する公平及び
経費の節減、この三つの観点からなるべく効果的に合理的にこれをや
つていくことが必要である。
從つて張紙の印刷または配布、街頭演説会の設備の
公営等のことも考えられます。立会演説のことは先ほど申し上げましたから繰返して申し上げませんが、ただいま申し上げますような点がさらに考えられる点であると存じます。
費用が許すならば街頭演説に対してもマイクロフォンその他のものを
公営にして、
一定の場所において各
候補者が自由にこれを使い得るような
程度にまで発達せしめたならどうかという点も考えられます。ただしこれも
費用等の
関係で、ある
程度制限のあることは申し上げるまでもありません。
第四点としてその他
現行選挙制度に対する一般的
批判の点でありますが、これにつきましては先ほど
松崎管理
委員長からも
お話が出ましたが、それはまことに適当な御
意見のように考えられますので、私の申し上げますことは、いささか蛇足を加える結果と相成るかと思いますが、一言申し述べたいと思います。
選挙法の統一の問題でございますが、新
憲法施行後において
民主主義政治の原理によりまして、行政
機関の構成員の直接
公選の
制度は著しく増加いたして参りました。現在
両院議員を初め、
地方公共團体の
議員及び長、教育
委員、
農地委員、農業調整
委員、さらに土地改良法によります土地改良区
議会の
議員等将來ますます増加いたす傾向をたど
つておるのであります。これら直接
公選による公職にある者はもちろん、公安
委員等
一定の公職者に対しましては御承知のようにリコールの
制度が認められております。この人民
投票制とでも申しましようか、このことは
地方公共團体の
議会及び條例制定改廃の賛否にも適用されております。さらに新
憲法による最高裁判所裁判官の
國民審査の問題、
憲法改正に対する
國民投票、その他先般
議会を通過いたしました一の
地方公共團体のみに適用される
特別法に対する当該
公共團体の住民の
投票等
各種選挙のほかにこれとほぼ同様の手続を要する
各種のリコール及び
国民投票が盛んに行われる結果と
なつたのでございまして、これら一連の
選挙法規は
衆議院議員選挙法を基本としまして、それぞれの
選挙の特質に應じまして特殊の
規定を設けておるのであります。
從つて立法技術の
関係上非常に準用條文が多くな
つておりまして、私どものように法律いじりをいたしている者にとりましてもすこぶる難解であり、まことにやつかいな
法規だと言われております。
從つてこういう難解な法律のために誤りを犯す者もまた非常に多く、誤りなきを期するためには非常な努力をしなければならない。世人からあるいはこの
選挙法規に適用する取締り当局と
選挙管理
関係の係とか、公務員のための法律である。
有権者、
候補者、一般運動員のためにする法律ではないとまで非難を受ける場合があるのであります。そこでこういう難解な
法規を單一法に統一すべきであるという要望が近來非常に強くな
つて参
つております。むしろ專門家方面からこの要望が出て来ているのであります。
選挙法規の統一化によ
つて選挙事務の
執行機関のみならず、
候補者、
選挙民の便益を促進するものであるならば、この單一化の可否いかんは十分に考慮して行かなければならぬ問題であると思うのであります。まず統一すべき
選挙の種類の
範囲でありますが、普通
選挙制をと
つている
國会議員、
地方公共團体及び教育
委員の
選挙は統一化し得られる。
農地委員、農業調査
委員の
選挙はもともと臨時的なものでありまして、またこれらを加えるときは統一法をかえ
つて複雑にいたしますので、簡明を期するゆえんではございませんから これは統一
法規中に加えることは困難なことだと考えられます。さらに
国民投票、今の最高裁判所の裁判官に対する
国民投票及びリコール等一般住民の
投票、一般成年者によるものでありまして、
投票とか開票の手続を同じくするために統一も不可能ではないと考えられます。
次に
選挙法規に規程すべき
事項でありますが、
選挙の全体は
選挙人に関する部分と、
候補者及び
選挙運動者に関する部分と、
選挙事務の管理及び取締
機関に関する部分の三者に大別をすることができると思います。この中に
選挙人に関する部分と、
選挙事務の管理及び取締
機関に関する部分を合しまして、すなわち
選挙人名簿、
投票、開票、
選挙会及び争訟も手続、それに所要の罰則や補足的規程をも
つて、
投票法とも言うべきものを制定して、これに
国民投票、一般
投票の
規定をも加えることも考えられる。また
候補者及び
選挙運動者に関する部分に、
選挙公営を含めまして、
政治資金規正法をも考慮いたしまして、
選挙運動法とも言うべきものを制定していくことも考えられる次第であります。米英両國のいわゆる
腐敗行為防止法として知られております法律は、この
選挙運動法に該当するものではないと考える次第であります。
次に
選挙施行に要する
経費の点でございます。これも先刻一應触れた点でありますが、現在国
会議長の
選挙の施行に要する
経費は、国庫において
負担をしまして、
地方公共團体の
選挙。施行に要する
経費は、当該
地方公共團体が
負担することにな
つております。またこれが
地方財政法の建前でもあります。ところが現実には國庫予算の
関係や府縣の財政の窮乏から、國の
選挙については
都道府縣及び市町村、
都道府縣の
選挙については市町村に
相当の財政上の
負担をせしめておる実情でありまして、
從つて法律上
選挙の施行に要する
経費の
基準を定めまして、紛乱することを避けまして、必要な
経費を補償して
地方公共團体に迷惑をかけないようにすべきであると考える次第であります。
以上はなはだまとまりませんが、大体課せられました題目について、一應
意見を開陳いたした次第でありますが、これはどうぞ
海野個人の
意見であることをつけ加えて申し上げ、私の話を終りたいと思います。