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大友證人 順序を追
つてお話申し上げます。
ちようど七月六日の午後の二時四十分と記憶いたしております。
高萩炭鉱の自動車の運轉手で鈴木昭次、同じく鈴木久この両名が、ただいま
高萩炭鉱の
鉱業所内において
重信常務と
柳澤所長、
尾島周司
坑長、これらが首に
なつた元從業員の花田富一郎ほか数十名に包囲されて、いやだというのに、むりに暴力を加えて強引に連れて行かれるような状況にあるから、ひ
とつ頼むというようなことを口頭で
高萩町
警察署へ申報いたして参
つたのであります。次いで午後の三時三十分と記憶いたしておりますが、
高萩炭鉱秋山坑の鈴木喜男ほか一名が、
尾島坑長が午後の三時ごろに花田富一郎に連合会の
事務所に連行されて行かれた。そうして室内に入れられてしま
つた。それから続いて四時十分ごろ鵜殿秀夫、吉川芳弘、この二名が、やはり
もと從業員である寺門虎三ほか十数名が午後三時四十分ごろに
柳澤所長、
重信常務の二名を連合会の
事務所に同様手段で連れて
行つて、そこに押し込められておるから、たいへんだ、こういうような申報がございました。私
どもといたしましてはこの申報等に眞を置くかどうかという点に疑問を持ちましたので、申報だけはまさしく不法逮捕、
不法監禁の
状態にあるように思われるのでありますが、それでは早計である。もつとひ
とつ愼重にその眞偽を確めなくちやならぬ、こういう考えから即時当署の來栖行雄巡査、小倉武夫巡査と
櫻井巡査、この三人を現場に出張させまして、捜査をさせたのであります。ところが間もなく帰
つて参りまして、その捜査の報告によりますと、連合会の
事務所に
行つてみましたところが、室内には
炭鉱の労組員が二十数名ほどおりまして、何者かを中に置いて、中心にして包囲しておるような
状態にある。しかし内部へ入るわけに行かぬ。内部に入るわけに行かぬけれ
ども、先ほどの申報と思い合せて、おそらく二名の
会社側が労組員に包囲されておるのじやないかというような想像はできた。さらに近
寄つてみますと、大きなどなり声も聞えたというので、これはいよいよ容易ならぬが、それだけではまた確証が出ないので、さらに
鉱業所員の事務室に参りまして、捜査をいたしたのであります。ところが当時経理課長の夏原喜三郎ほか数名の社員がおりまして、その社員の
人たちにいろいろ
事情を聞きましたところが、先ほど申しましたように三名の
会社員が強引に連合会の
事務所へ連れていかれた。しかもその
事務所内を見渡しましたところが、三名の
会社員の姿が見えないというので、初めて捜査の結果、先ほどの申報と合致するというのがはつきりわか
つた。それで一体だれが連れて
行つたのかという点について、夏原喜三郎ほか数名の
人たちに聞いてみましたところが、花田富一郎、寺門虎三、小野寺明ほか十数名の者であるということがわか
つたと、私の所へ口頭で報告があ
つたのであります。
警察は
もとより
労働運動に干渉はしないのでありますが、かかる不法行為がありといたしますならば、これは活安上看過し得ない見地から、
ちようど午後四時ごろと記憶しておりますが、
高萩地区
警察署長の笹島君に
警察電話で連絡をいたしまして、一應これが対策を
協議いたしたのであります。
ちようど午後四時三十分ごろと記憶しておりますが、
電話だけではだめだというので、私署員とともに地区署に参りまして、笹島署長と一應の
協議を遂げて、その状況を笹島署長から警備課に報告されたのであります。と同時に私は一朝事態の紛糾をした場合を考慮いたしまして、
高萩町公安委員会の参集を求めて、四時五十分ごろに公安委員会から應援要請をいたしたのであります。それで私と笹島署長との
協議の結果、これはあくまで
警察は受身で行こう。しかも愼重な態度で臨まなければならぬというところから、まずも
つて被害者の救出という点に重点を置きまして、
事件の紛糾を防止しよう、こういうことに相な
つたのであります。それでそのために一應警告を発しておく必要があるんじやないかということになりまして、午後の五時二十分ごろと記憶いたしておりますが、当
警察署の宮田警部補、鈴木部長、來栖巡査の三名を連合会の
事務所に派遣いたして警告せしめたのであります。と同時に、警告と相前後いたしまして、
高萩町の旅館をいたしておりまする兼子辰雄という四十になる方が、色をなして
警察に入
つて参りました。この方がたまたま
高萩炭鉱事務所に所用があ
つて行きましたところが、
重信重役外二名が、労組員に暴力で連れて行かれたが、その状況は第三者といたしまして実際に見ておられなか
つたと切歯扼腕しながら私
どもに訴えたのでありまして、犯行いよいよ明確なることを私
どもは確認いたしたような次第でございます。ところが午後の五時三十分ごろと記憶いたしておりますが、茨城民政部から、高浜
炭鉱の
重信常務が監禁されているというが、いまだそのままにな
つているかどうかということを地区の笹島署長に
電話で問合せがあ
つたのでございます。同署長は、現在署員を派遣しておると回答いたしましたところが、今から三十分ぐらいに再び連絡せよという
電話で一應は了承されたのであります。次に、先に警告に出しておきました
人たちが、
ちようど午後の五時四十分ごろ帰
つて参りまして、警告の結果を私
どもに報告にな
つたのであります。その結果を申し上げますと、連合会
事務所の玄関に入
つて連合会長の
中島豊に面会を求めた。ところが同人を先頭として、左右及び後方に約十名くらいの労組員が宮田警部補に向い、そこで應答が交されたわけであります。その應答を申し上げますと、宮田警部補が、
会社側五名が今ここにいるかどうか、こういう問いに対しまして、
中島は今
交渉中だと答えたのであります。次に三名がここに來ることについて承諾して來たかどうかという問いには、承諾して來たと答えたそうであります。次に腕や背中を押してむりに連れて來たのは事実かという問いは、それは
会社側の話だろう、われわれは首を切られてけさからめしも食わない、そのくらいにやられるのは当然だという返答であ
つたそうであります。次にさような不法なやり方でなく、円満に
交渉を持
つてはどうかという問いには、
会社側は
交渉に應じない。われわれは具体的に首切りの
理由を述べないから、それを聞くために連れて來た、さように答えたそうであります。次に現在の境遇や
事情は話を聞いて同情するが、その行為は不法行為で、きみ
たちが
交渉するのにもかえ
つて都合が悪くなるから、今日は帰
つて、
あとで
交渉を持
つてはどうかという問いには、
警察は
労働争議に干渉するのか、かような返答であ
つたそうであります。次に合法的な
交渉には絶対に干渉しないが、不法行為があればそれは切離して取締りをすると申した。ところがそれに対する答えは、
警察の不当彈圧反対だ。
警察はわれわれの
生活を保障するか、御祭は東京でわれわれの同志を殺しているではないかというような返答であ
つたそうであります。次に穏かなやり方で
交渉するように、連れて來た
方法も、またここへ來たのも、時間的に見ても不法行為だから、今釈放してあらためて
交渉するようにまた念をおしておきましたところが、人のことだからそう言うのだろう。円満に
交渉するから帰
つてくれというので、その警告もがえんぜずして口々に罵声、怒号をやるので、やむなく連絡として、先に來栖巡査を帰署せしめたのであります。ところが宮田警部補は、不法行為の不可なる旨をさらに説得いたしましたが、帰れ帰れの怒号一点張りのためにとうとう帰
つて來た。こういう状況の報告が私と笹島両署長にあ
つたのであります。さらに宮田警部補の報告を聞きますと、当時
事務所内には、表側八畳の間に三十名くらい、裏側の部屋に男女約三十名ぐらいがおりまして、玄関先を立ちふさがれている
関係上、内部の詳細は不明でありましたが、被害者は裏側にいるかのようであ
つた。そのとき居合せた者は
高山慶太郎、
中島豊、小野寺明、古内欣五、こういう
人たちであ
つたとつけ加えて報告があ
つたのであります。それで第一回の警告員が帰
つて参りましたので、これは事態きわめて容易ではない。しかしあくまでもわれわれは自主的な解決を要望する。それには
自分たちがここで今すぐさま檢挙するというよりかもう一回警告を発して、そうして事態を紛糾させないような措置をとろうじやないかというような
協議をいたしたのでございます。それで第一回の状況を笹島署長からやはり警備課に報告をいたしまして、その後において両署長が保護者の救出方についてまたまた
協議いたしたのであります。それでもし再び警告をいたしましてもあえて聞かないような場合には、やむなく檢挙せなければならない、こういうようなところで午後五時五十分と記憶いたしておりますが、さらに先ほど申しました三名の警告員を現場へ派遣いたしたのであります。すると午後六時十分ごろに警告員が帰
つて参りました。その報告は、連合会
事務所の玄関内に入
つて中島豊に面会した。ところが約十名ぐらいの労組員が居並んでおりましたので、即時釈放してくれというようなことを説きましたところが、
中川清松は、お前らのピストルは何ら恐ろしくない。自治
警察の欠点はつかんでいるからやつつけてしまうなどと、脅迫がましく應酬して來た。これではとうてい釈放される見込みがないというので、宮田警部補は
中島豊に対して、この行為は不法逮捕監禁罪になるから即時釈放方を警告すると言渡しましたところが
中川は、力で來るなら力でやると怒号し、一齊に罵声を浴びせかけられたので、やむなく宮田警部補が帰
つて参りまして、その状況を両署長に報告されたのでございます。それで、これはいよいよしかたがない、被害者救出は強制手段に訴えるよりほかしかたがない、かような
協議をいたしておりましたところが、
ちようど七時二十分ごろと記憶いたしております。先ほど申しました花田富一郎ほか二名が所長室に入
つて参りまして、
警察は
労働争議に干渉するな。彈圧反対、こういう抗議をいたして参
つたのであります。ところがその話をしておる最中に、約四十名ぐらいの労組員が、赤旗を先頭に表玄関から乱入いたして参りまして騒ぎ立てた。それで私
ども署員に中へ入
つては困るというので制止させた。同時に、警告員をしてこういうばかな話ではしようがないではないか、何に
警察へ押しかけて來たのかというので、この三名をして制止せしめたのであります。その制止をしているやさき、
ちようど午後の七時三十分ごろと記憶いたしております。茨城
軍政部の
MPブルナー軍曹が
ジープで來て、署長室に入
つて参りまして、鈴木部長がまだ監禁されておるかという問いでございましたので、笹島署長は、まだ釈放されていないと答えましたところが、
MPは両署長現場に案内しろ、かような命令を受けましたので、両署長は
ジープに同乘して、現場たる連合会
事務所に参
つたのであります。
ちようど午後の七時四十分ごろと記憶いたしておりますが、労組
事務所前に
ジープを横づけいたしまして、両署長は中へ入
つておれ、かような話でありますので、私
どもジ—プの中に乘
つておりましたところが、
MPが通訳を帶同して
事務所内に入
つて行つたのであります。その際も労組員の
人たちをかき分けて中へ入
つて行つて被害者の救出に努力せられておる様子であ
つたのでありますが、なかなか救出ができない
状態にあ
つたのであります。私
どもべんべんとして自動車の中に乘
つておるというわけにも行きませんので、笹島署長と自動車の中で
協議いたしました。署員を連れて來てこの傾向を排除しなければならないというので、私は一應地区署に引き返しまして、署員の應援を求めたのであります。そうして現場へ私がもど
つて來ましたところが、
ジープは依然として玄関前におりまして、被害者は救出できない
状態でございました。この抵抗が非常にはなはだしいので、署員もまだなかなか來ないというような状況でありましたので、また私すぐさま本署へもどりましたところが、途中で署員約四十名ぐらいに会いました。その署員を引具して
事務所に戻りましたところが、そのときには
ジープは、すでに東側の廣場に事務室の窓ガラスをバツクにいたしまして入
つておりました。車内には
重信、
柳澤、
尾島の三名が救出されており、笹島署長が同乘して保護してお
つた。こういう状況であ
つたのであります。救出の状況につきましては、私当時
ちよつとあけましたのでわか
つておりません。
それから署長とともに現場へかけつけましたところが、労組員の数がだんだん増して参りまして、約三百名くらいが
ジープをとり囲んでスクラムを組み、
ジープの進行を妨害しておるのでございました。しかのみならず
ジープにとりすが
つて逆行の態勢にある、こういう者が数名ございました。はなはだしきは
ジープのバムパーに腰をかけている者が二名、それから
MPに迫
つておる者が七名ばかり。いよいよ妨害がはなはだしき
状態になりましたので、私は署員とともにこの妨害排除に努めたのであります。ところが署員が
ジープを進行させようとする、労組員があべこべにバツクさせようとしましたために、
ジープのタイヤが自然どろの中に埋ま
つて動かなくな
つてしま
つたのであります。ところがブルナー軍曹が、右手に拳銃を擬して、上空に腕を伸ばして威嚇発砲をいたしたのであります。ところがバムパーに腰をかけておりました一名がシャツを脱ぎまして、さあ殺せというので殺氣立
つて参
つたのであります。それで妨害者
たちははなはだ氣勢が上
つて、ジーブの前に約十七、八名くらいが横臥または仰向けに寢て、
ジープの進行を妨げたのであります。さらにまた二名の
組合員のうち
中川が一名入
つておりますが、連合会
事務所の屋根
——ひさしの屋根に上りまして、瓦をはぎと
つて、妨害排除に努めておる
警察官めがけて投げつけたのであります。これを現認いたしまして、そういうことをしては困る、早くとめてくれということでとめさしたのでありますが、不幸にして三名ほどの
警察官が瓦の破片によ
つて負傷いたしておるのでございます。ところが、二名のうち一名が、
中川を制止いたしまして、そんなことをするなというのでとめたのでございます。しかし妨害者の数は増す一方でありますし、スクラムを組み、インター歌を高唱しながら、抵抗が熾烈化して参りましたので、これは少々の
警察官ではとうてい排除困難であると考えたのでありますが、應援を要請いたしました
警官はまだ到着いたしていなか
つたのであります。それで先ほど申し上げましたように、
ジープのタイヤが土へ埋ま
つてしま
つたのでどうすることもできないから、
MPはシヤベルを取り出して、ていねいにそのタイヤを掘り始めたのであります。全部タイヤを掘
つて進行しえる状況にはなりましたが、妨害があり、さらにまた
ジープの前に寢ておりますので、これを進行させれば、前方に寢ている労組員をひき殺しでしまうというような状況にありますので、遺憾ながら自動車の進行ができない状況であります。約一時間ほどひまど
つておりますうちに、
軍政部のタイソン
司令官ほか三名の下僚が現場に到着したのであります。私
どもはわかりませんが、何か
MPと話合
つて約二十分ぐらい経
つたころと思います。
ちようど午後八時三十分ごろに連合会長の
中島豊は
事務所の窓際から
ジープのスペアーに片足をかけまして、われわれ
労働者が
会社側と團体
交渉中に、官憲の彈圧によ
つてかくも惨めな状況を呈したことを町民はなんと見るか。われわれ
労働者は圧迫を受けた日を永久に忘れるな。しかも第三者のこんな大きな靴で
——このときには両手を拡げてこういうかつこうを示したのであります。靴で踏みにじられたことはしごく残念だ、日本人のことは日本人同士で処理したい、今日は残念だが涙をのんで解散しようじやないか。大要かような演説をしましたために、
ジープの前に寢ておりました妨害者が、上体を起しかけたのであります。ところが反対に起きるなと制止する者もありまして、なかなか前方があかないのでありまするが、
MPはそのときをねら
つてジープを進行さして、三名の被害者を救出いたしたのであります。私もその車の
あとを追
つてジープに同乘し、地区の
警察署に救出して参
つたのであります。