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1949-08-01 第5回国会 衆議院 考査特別委員会 第29号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十四年八月一日(月曜日)     午前十一時九分開議  出席委員    委員長 鍛冶 良作君    理事 大橋 武夫君 理事 高木 松吉君    理事 神山 茂夫君       安部 俊吾君    井手 光治君       菅家 喜六君    塚原 俊郎君       永田  節君   橋本登美三郎君       吉武 惠市君    聽濤 克巳君       寺本  齋君    小林  進君       浦口 鉄男君  委員外出席者         証     人         (國家地方警察         福島縣本部警察         隊長)     新井  裕君         証     人         (福島縣内郷町         警察署長)   塩谷 重藏君         証     人         (議員)    土橋 一吉君         証     人         (郡山会議         長)      多田  暢君         証     人         (日本共産党福         島縣委員長)  竹内 七郎君     ————————————— 本日の会議に付した事件  平市をめぐる騒じよう事件に関する件     —————————————
  2. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 これより会議を開きます。  平市をめぐる騒擾事件について調査を進めます。早速証人より証言を求むることといたします。ただいまお見えになつている証人の方々は塩谷重職さん、新井裕さん、ただいまより平市騒擾事件について証言を求めることとなりますが、証言を求める前に、各証人に一言申し上げますが、昭和二十二年法律第二百二十五号議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならぬことと相なつております。  宣誓または証言を拒むことのできるのは、証言証人または証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係のあつた者及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するとき、及び医師歯科医師、薬剤師、薬種商、産婆、弁護士、弁理士弁護人公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあつた者がその職務上知つた事実であつて黙秘すべきものについて尋問を受けたときに限られておりまして、それ以外には証言を拒むことはできないことになつております。しかして、証人が正当の理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることとなつておるのであります。一應このことを御承知になつておいていただきたいと思います。  では法律の定めるところによりまして証人宣誓を求めます。御起立を願います。     〔証人新井裕一君各証人代表して宣誓〕     〔各証人宣誓書署名捺印
  3. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 証言を承る順序は新井さん、それから塩谷さんといたしますから、塩谷さんはしばらく元の控室にお帰りを願います。  新井裕さんですね。
  4. 新井裕

    新井證人 そうです。
  5. 鍛冶良作

  6. 新井裕

    新井證人 そうです。
  7. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 いつから警察隊長をおやりですか。
  8. 新井裕

    新井證人 三十二年の五月三日。
  9. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それからずつと今日まで及んでおられるのですね。
  10. 新井裕

    新井證人 そうです。
  11. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 去る六月三十日を境としまして、その前後にあなたの縣で、平、福島郡山若松その他福島近郊各地において騒擾事件が起つたようでありますが、その概要をまずお聞きしたいと思います。
  12. 新井裕

    新井證人 大体平事件がおもなようでありますから、平を中心にして申し上げたいと思いますが、六月三十日に平市警察署襲撃事件が起きました。その平市に参ります前に、内郷町及び湯本町の警察署相当人数をもつて襲撃をいたしております。そのうち最も深刻な事態に立至りましたのが平市署の襲撃事件でございます。その同じ日に、福島市におきましては、やはり朝來相当人数をもちまして、デモを行いまして、檢察廳、市警察署、及び縣会をおとずれまして、相当強引な交渉をしておつたようであります。また福島市に來た者の一隊が郡山に帰りまして、郡山市の警察署を深夜おと、ずれて、相当強引な交渉をしておつたようであります。また同じ日若松市におきまして、やはり三菱廣田工場関係者若松地区警察署を多入数をもつて被疑者釈放その他について交渉をしておつたようであります。たいへん長いので、なおお尋ねがあり事ましたら三三。
  13. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そこでこれらの事件に対して福島縣地区警察本部といたしまして、いかなる処置をおとりになりましたか。
  14. 新井裕

    新井證人 その六月三十日に起きました事件のうち、先ほど申し上げましたように、一番深刻な問題は平市署の事件であります。その前にほかの三市の事件に対して、どういう措置をしたかということをお答えとして、後に平市の事件に及びたいと思います。時間は前後いたしますが、事柄の性質上お許し願いたい。福島市の事件につきましては、福島縣は御承知のように公安條例が布かれておりまして、無許可デモを行うことは禁止せられておりますので、この福島市管内に起りました無許可デモに対して、解散を命ずるのが至当であるということを認めまして、福島市の署長にその旨を相談いたしました。福島市署におきましては、遅くなりましたが午後四時半ごろ、再び縣会から出てデモを行う場合に、これに解散を命じ四名を檢束いたしております。それから郡山市署をおとずれました者は、最初相当人数ただちに乱暴に署内に入りましたが、署長がその退去を要求して、代表者十名のみに限つて交渉を認める、こういうことで入ることを許して交渉をいたしております。これに対しましては平市に應援に出しました郡山市署の警察官を、郡山市署の署長相談いたしまして、ただちに郡山に帰るようにいたしました。それから若松事件は、若松中心とする各署から相当数應援を求めまして、それ。鎭圧に努めました。問題は平でありますが、平は朝來三回にわたつて市警察署当局とこれらの代表者交渉をいたしておりましたが、第一回及び第二回はいずれも交渉決裂というような形でありましたが、できるだけ平和的に交渉をしたい、大体平和的に解決できるであろうというような報告でありましたので、いずれもその署の措置にまかしておつたのでありますが、第三回目の交渉隊が入りますときに、代表者のみでなく、群衆が乱入いたしまして、その際に、これを制止した警察官相当負傷者が出ましたので、これに対してどういう措置をとるかということで相談があつたのでありますが、もう少し平和的に交渉して行きたい、こういう話でありましたので、なおその交渉にゆだねておつたのでありますが、六時ごろになりまして、彼らは刻々人数を増して、とうてい平和的に交渉し、解決するということは不可能である、こういう見通しがありましたので、ただちに平市近接各署に招集を命じ、また自治体警察署には應援を市の方から要請いたしたわけであります。しかし当時非常な豪雨でありまして、この應援には非常に手間取つたので、また暴徒の数が刻々と増して來るので、とうていその人数だけではこれを鎭圧できない、こういうことになりましたので、郡山地区警察署附近警察官相当数應援に出すと同時に、福島縣警察学校におりました者を数十名應援に派遣いたしました。さらに仙台管区警察学校に百名の應援を要請いたしたわけであります。たいへん抽象的でありますが、一應これで……。
  15. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そこでそれらの應援隊を平市に集めたのは、何時ごろ幾らほどの人数が集まりましたか。
  16. 新井裕

    新井證人 先ほどお話いたしましたように、当時近接内郷湯本警察署からはとうてい應援がもらえませんでしたので、遠い警察署からもらつた関係で、午後十一時ごろに大体七十名程度だつたと記憶いたしておりますが……。
  17. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それは、どこからですか。
  18. 新井裕

    新井證人 それは近接の署からですが、そのほか大部隊が到着いたしましたのは、朝の三時半ごろだつたと記憶しておりますが、これはもう少し資料をよく見ればわかるのです。
  19. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 どこからどのくらいですか。
  20. 新井裕

    新井證人 十時五十分に植田地区警察署から九人……。
  21. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 植田というのはどの辺にあるのですか。
  22. 新井裕

    新井證人 平のすくそばで、平の茨城縣境です。それから富岡から九時五十五分に二十一名、それから原ノ町から午後十一時四十分に十二名、中村地区警察署から翌日の零時半に十三名、久之浜から四名……。全部詳しく申し上げますか。
  23. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 大体でよろしゆうございます。
  24. 新井裕

    新井證人 植田町から大名、錦町から四名、勿來町から十名、これはいずれも十一時ごろ到着いたしております。それから中村町の警察署から十二名、やはり零時半に着いております。それから小高町から十一時四十分に五名、原ノ町から十一時四十分に九名、それから浪江町から十時十分に六名。その前に到着いたしましたのは、近接小名浜と四倉が八時中ごろまでに、合せて二十名ばかり来ております。それから郡山から参りましたのは、百九十六名で翌日の午前五時半であります。それから仙台管区から参りましたのが翌日の午前三時四十分に百名、縣の警察学校から参りましたのが六十名で、翌日の三時五十分、それから先ほどちよつと申し落しましたが、茨城縣から應援要請をいたしましたので、その部隊が五十名、やはり三時五十分に到着いたしております。大体以上でございます。
  25. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そこでそれらのものが應援に來るときに、途中でいろいろ妨げを受けたというようなことを聞いておりますが、その実情はいかがですか。
  26. 新井裕

    新井證人 仙台管区警察学校の生徒が仙台駅を出発する際に、鉄道の労働組合員と目せられる者が数十名、まず第一に乗車券を持つているかというようなことを聞き、これはあと拂いだということで、一應済んだのでありますが、今度、乗る場合には、増結いたしました車を内側から鍵をかけて乗せなかつた、さらに運轉手あとでおろされたのじやなくて、おりたということを言つておるそうでありますが、運轉手をおろしたかおりたか知しませんが、そういうことで若干遅れたようであります。さらに出発に際して、警察官の乘つている車に石を投げて一人の巡査が負傷しております。それが仙台駅の出発の際における妨害であります。それから同じ日に、小野新町という平から東に行つたところにございますが、ここから警察官が行く際に、列車がおらないにもかかわらず遮断機を下ろして、その運轉者に対して、お前はなぜ警察官を乗せて行くのかということを尋ね、これは少し時間が遅れただけでありましたが、そこで相当押し問答をした末、ようやく遮断機をあげた、この二件が妨害の顯著なものであります。
  27. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなた方の方でこの事件をどういうように見ておられたかを聞きたいのですが、まずこれらは一連関連ある計画性のものとごらんになりましたか、それとも各地における偶発的なものとごらんになりましたか。
  28. 新井裕

    新井證人 われわれから申し上げまするならば、これはいずれも計画的であつた各地事件とも計画的であつた。しかも相互の関連性がきわめて強いという感じを受けております。一例を申しますと、平の事件におきましては、平市近郊のみならず、相当遠くから呼びかけて人を集めておるようであります。しかも内郷湯本を予備的に襲撃してこれを牽制しておる。こういう手段をとり、また平市に警察が到着する前にすでに武器を持つてつたのを認めておる者もありますから、これらの点から言つて、きわめて計画的な暴力を考慮しておつたというふうにわれわれは考えております。それからまだ全般的に関連があつたかどうかということでありますが、福島において行われましたデモは、二十八日の日に郡山市会で大体をきめておつたのでありますが、これは郡山市会人たちが知事に陳情に行くという話でありましたが、符節を合せるがごとく、国鉄労働組合から二十九日と思われる日に、三十日の午前九時に集まれ、こういうようなビラを配つております。これもわれわれは入手いたしておりますが、これらから申しまして、きわめて関連性がある。しかもその要求事項が、應援を出すのはけしからぬとか、あるいは労働運動を彈圧するなといつたようなことで、きわめて関連性があるようにわれわれは思います。それからまた郡山署を襲いましたのは福島襲つた者帰つて、それが人を集めてやつておるのであります。これはもう明らかに関連性のあることは当然であり、ことに郡山署長に対して、平になぜ警察官を派遣したかということを詰問しておるのでありますから、これは完全に関連性があると思われます。若松はその前からやつておりましたけれども、やはり同じ日にこういうようなことを行つておるということは、一連関係をもつて、主作戦をどこに置くかは知りませんが、牽制作戰も兼ねたようなものだとわれわれは思います。
  29. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 仙台妨害もやはりそうですね。
  30. 新井裕

    新井證人 そうです。
  31. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そのほかに何か電話を傍受されたとか、そういうことがあつたのですか。そういうことはいかがでしよう。
  32. 新井裕

    新井證人 電話は明らかに傍受されておりました。事話を傍受しておつた関係は、平署に参りました暴徒のうちに警察側の情報と称して、刻々群衆に対して発表しておつたという事実から言いまして、これがまたわれわれの命令を下した時刻とあまり時間を隔らないうちにやつておるということからして、明らかに傍受されておると思いますが、最も顯著な例は、平に應援を出しまして、郡山が非常に手薄になりましたので、郡山警察官を帰そうという相談をしておつたのでありますが、これがただちに郡山労働組合の連中に傳わつて、平から郡山部隊帰つて来るそうだ、こういうことを通じておつた事実があります。これらからいたしまして、電話は完全に傍受されておるということは言えると思います。
  33. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そこでこの事件指導的に計画その他をやつてつた團体その他はどういうものでありましたか。
  34. 新井裕

    新井證人 平の事件につきましては、共産党の細胞が命をかけて警察と爭うという意味のビラ共産党の名前で掲げておりますから、おそらくこれは共産党員人たち指導しておつたものだと思います。またほかの地区におきましては労働組合人たち相当おりましたが、代表となつて交渉した人たちには共産党員が多かつたということは事実であります。それから郡山もしかり、若松もしかりであります。
  35. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そのほかでは全逓とか、國鉄とか朝連とか、そういうものはどうです。
  36. 新井裕

    新井證人 各地とも各労働組合から出ております。朝鮮連盟は平の署長交渉した者の代表者がちやんと出ております。そのほかの地区においても参加はしておりますが、指導的な役割をしておるかどうかということを断定するほどの材料はありません。
  37. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 これら共産党とそれからそういう各種の團体とはもちろんその前に通謀しておつたものと思われますが、そういうような事実は現われておりますか。
  38. 新井裕

    新井證人 私からお話するほどの材料はございません。
  39. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それからこの事件が発生する前後に共産党代議士渡部義通君がいろいろ演説をなし、または指導等役割を演じたとかいうような話がありますが、その事実はいかがですか。
  40. 新井裕

    新井證人 渡部代議士は二十九日の日に三菱廣田工場の爭議の應援のために若松に参りまして、署長に面会を要求しております。それから縣下各地をまわつておりますが、七月一日までは主として三菱廣田工場指導に当つてつたように聞いております。それから二日には白河で報告演説会、三日には郡山演説会、それから五日には川俣で演説会を開いております。六日には福島市で演説会を開いております。七日には中村町で演説会を開いております。八日には原ノ町、九日には平、十日には内郷小名浜湯本、再び十、二日には会津の若松演説会を開いております。十三日には喜多方で演説会を開いております。それだけでありまして、それ以上のことはわかりません。
  41. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 署長に面会したときどういう交渉をせられたのです。
  42. 新井裕

    新井證人 被疑者釈放要求をしたわけです。
  43. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 三菱廣田工場の労組で檢束されておつたものですか。
  44. 新井裕

    新井證人 そうです。
  45. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そのほか、若松事件が起るまでに何か演説をやつたことはありますか。
  46. 新井裕

    新井證人 公開で行つたものはそれだけでありまして、われわれはそれ以上知りませんが、ただ六月二十三日に渡部代議士福島議会報告演説会を開くということを相当大きく宣傳しておりましたが、どういう関係か知りませんが、二十三日には來られませんでした。その事実はありますが、それ以上のことはわれわれはわかりません。
  47. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 この事件で現在まで逮捕状を発した者は幾らくらいで、そして現在逮捕されておる者はどれくらいありますか。
  48. 新井裕

    新井證人 全部の集計はちよつととれないのでありますが、概数で令状を発したものは百七十人ほどいます。逮捕したものが百二十人ほどございまして、そのうちには釈放されたものもございます。
  49. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それらは、どういう被疑事件逮捕状を出しておりますか。
  50. 新井裕

    新井證人 平の関係住居侵入公安條例違反騒擾罪であります。
  51. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それから。
  52. 新井裕

    新井證人 それから福島において行われましたのは、住居侵入、それから福島の近所に伊達駅という駅がありますが、そこの駅長を脅迫した事件がありまして、暴力行為でやつております。それから廣田工場関係不法監禁、大体そういうことであります。今ちよつと申し落しましたが、福島管理部伊達駅の関係は六月三十日以後であります。福島管理部は七月四日、伊達駅が七月七日であります。
  53. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 その後の福島縣下における治安はいかがですか。
  54. 新井裕

    新井證人 現在は大体各地とも平静に帰しております。近い將來においてまたそのような事態が起るという緊迫した関係は今のところございません。
  55. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 この事件鎭圧その他について、軍政部から命令を受けたとか、それによつてあなた方が行動せられたというような事実がありましたか。
  56. 新井裕

    新井證人 われわれの方にはもちろん直接命令はありません。また平の事件についても命令を受けたということは聞いておりません。
  57. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 向うで自発的に調査したり何かしてはおるのですか。
  58. 新井裕

    新井證人 御承知のように軍政部はわれわれの行政に勧告を発したり、あるいは監視したりすることはありますから、今御発言のような事実はあると思います。
  59. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 この事件にかんがみまして、電話を傍受されたとか、妨害されたとかいうようなことは、はなはだ警察制度の上から遺憾なことだと思いますが、その他現行警察制度でこれではどうもいかぬと思われるような点はありませんでしたか。
  60. 新井裕

    新井證人 そういうことはわれわれが役人として申し上げるべきことではありませんが、個人としての意見でよろしゆうございますか。
  61. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ええ。
  62. 新井裕

    新井證人 個人として考えますことは、装備の点におきまして、早急に重点的に改善する方法もあり、またそういうことが望ましい、ことに機動力の問題であります。警察制度全体につきましては、どうも私から申し上げるのはさしさわりがありますのでお許し願いたいと思います。
  63. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そうですか、よろしゆうございます。この事件によつて縣民、ことにこの騒擾事件のあつた市民にとつてはたいへんな影響を與えたと考えますが、あなたはどうごらんになつておりますか。
  64. 新井裕

    新井證人 平附近におきましては、相当の不安が起つたことは事実であります。また郡山あるいは福島におきましても、相当の不安を與え、ああいうものが許されていいのだろうかというような氣運が強かつたように思いました。それからたいへんわれわれとして申訳ないことでありますが、警察はどうも信頼できない。われわれがいかに自由を守ろうとしても、警察すらあのようにやられるのでは、われわれは勇氣を出してやれないというような声を聞いております。これは私ども警察官としてはなはだ申訳ないことであり、現行制度のもとで許される限り全力をふるつて執行に從事して、再び信頼される警察になるようにしたい、こう思つております。
  65. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 暴動が廣く起つてから市民のうちで自発的に防禦する手段を講じておるとかということを聞いておりますが、その点はいかがです。
  66. 新井裕

    新井證人 これは平市附近がことに熱心でありまして、消防團中心として、自警團的なものをつくりたいというような要望もあり、そのほかの地区においても、もしそういうことが起つたら、こつちでもそういうことをしなければいけないというような動きになつておりますけれども、具体的には平市附近が最も熱心に推進されておるように聞いております。
  67. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 これは別にあなた方ので慫慂したとかいうようなことはない方でしような。
  68. 新井裕

    新井證人 私の方では全然慫慂も、勧奨もいたしません。
  69. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それからこういうものが起りますと、自発的にやられているからやむを得ないかもしれませんが、まま行き過ぎたり、常軌を逸したりするところがあるのですが、もしできたとすれば、そういうものに対するあなた方の方で相当訓練なり用意なりはありますか。
  70. 新井裕

    新井證人 先ほど私の方から勧奨した覚えはないと申しましたのは、一部誤りであります。それは警察官を招集しましたあと巡査のいないあとにおいては、消防團の自警的な取締りをしてほしい、こういうことはお願いをしておきました。そのほかに特別にそういう騒擾地区で、特に行つてくれということは申しませんでした。それから私どもとしては、何と申しましても、われわれ自身の義務なのでありますから、第一線はわれわれが引受ける。法律を知らないために、あるいはよく訓練されていないために間違いが起ることのないように、ことに実力を行使するような場合は、できるだけ限定的に考えたい、こういうふうに思つております。
  71. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ほかに何かお聞きになりますか。
  72. 高木松吉

    高木(松)委員 大体ただいまの証言でつかめたのですが、どうでしようか。証人はこの事件の全貌から見て、何かこの事件の裏に大きなものがあつて、糸でも引いているじやないかと思われるふしを考えられたことはありませんか。
  73. 新井裕

    新井證人 要するに平で檢挙せられた状況、人数その他を見てみますと、おれたちだけ煽動されてつかまつているなどということはばからしいことだというような声を一部の者があげているそうであります。その言から察しましても、これには相当計画的に煽動したものがあるという感じは受けております。
  74. 高木松吉

    高木(松)委員 具体的にその煽動したものがわかりませんか。言いかえれば、共産党あたりが特に指令を出してこういう問題を起したというような具体的事実をあなたの方で押えている点はありませんか。
  75. 新井裕

    新井證人 ただいまお尋ねがありましたが、いやしくも公党である共産党としてそう事いうことはないとは思いますけれども、今度の場合には福島縣における共産党員はきわめて職闘的であり、暴力的であつたというような感じを私どもつております。
  76. 高木松吉

    高木(松)委員 結果から申しますれば、何か特に警察方面のみをねらつて襲撃したというような一種の何か統制のとれた命令関係でもあつたように思われる節はありませんか。
  77. 新井裕

    新井證人 これは襲われた場所を見ればきわめて明瞭だと私は思います。
  78. 高木松吉

    高木(松)委員 なおこのきつかけをつくるために掛賣闘爭というようなものを展開されている事実はどうでしよう。
  79. 新井裕

    新井證人 掛賣闘争を一番活発にやりましたのは郡山市会であります。そのほかに全然ないわけではありませんが、それを中心として、このような具体的な大衆的な行動に移したという例はそうたくさんありません。
  80. 高木松吉

    高木(松)委員 最後に一点、先ほどの証人証言によると、今は平静に帰していると言うが、それは表面の問題だけであつて、各個人の不安状態は深刻だ、これを具体的に申し上げると、共産党は八月か九月に暴力革命を行う、その前衞戰として今回のいわゆる暴動を引起したのだというようなことを巷の人が深刻に信じて、心の中には大きな不安が包藏されているということを聞いているが、その点に対してはどうでしよう。
  81. 新井裕

    新井證人 事実を申し上げます。私どももそういう話は聞いております。またそういうものを相当深刻に信じておる人もおるようであります。一應平静にと申しましたのは、表面はそうなのでありますが、ただいま申し上げましたように、われわれが自由を守ろうとしても守れない、おつかなくて勇氣が出ない、こういうような氣持があることわれわれも認めております。
  82. 高木松吉

    高木(松)委員 そこでそういう不安状態を引起す原因となるのは共産党員の諸君の行動によつてそういう不安を引起しておるということを聞いておるが、その点はどうでしよう。何かあなたの手もとにはつきりした具体的の事実はありませんか。
  83. 新井裕

    新井證人 具体的事実で申し上げる段階には至つておりませんが、共産党かどうか知りません。共産党員の個々の行動については相当の恐怖を持つて來ており、われわれにそれに対する保護を求めて來ておる者もあります。
  84. 菅家喜六

    ○菅家委員 お尋ねいたしますが、今度の平事件をめぐつて若松郡山福島計画的の共産党暴徒が無届のデモをやつて警察署に押しかけ、面会を強要するというようなことがあつて、連日の委員会において各証人が一貫してこれは共産党が大きな意図のもとにやつておるということをはつきり申しております。なおここではつきりいたしておきたいのでありますが、他の証人も述べておりますが、縣下各地における共産党地区委員会における動向であります。七月三日に午後一時から四時まで福島において共産党地区委員会が開かれておる。そこにはアカハタの記者の本田、縣委員の阿部、丹野、小平、西岡、竹内、富田、鈴木、同じく鈴木信、服部實、三輪、石城の地区委員会を代表してその席に鈴木磐夫が來ておるようであります。東北地区委員会からは津川武一というものが臨んでいる。それから吉田峯夫、水谷某なるもの、計十八名が集まつて福島市において福島地方の委員会を開いておる、この委員会においての情報は、福島縣は全國で一番優位である。これをいかにして衝いて行くかについて討論をいたして結論を出している。二、三日様子を見て、地区内の様子によつてはこの運動を継続して行かなくちやならぬ、福島方部では警備が固いので入れない。郡山方部は現在の情勢ではもう一押しだ、平方部は完全に自信がついた。これは朝鮮人連盟と連繋を保てば自信がある。会津方面は猪苗代電産が入つて行けばきつとやれる。それに地区委員会は、現在のところは指導不能の状況だというようなことを述べ合つて、討論の結果は、平方部では暴力革命ができる。これは炭鉱労働者というものを煽動して行くならば、今度の平警察署襲撃によつて見てもわかるが、警察力の機動力というものは、福島縣はまことに薄い。三時間か四時間のうちに、縣内の警察官を平に集めることができなかつた。その人数、武器の所持、それらは平事件によつてはつきりして來たのであつて、平の常磐炭鉱地帯の労働者というものを煽動しておくならば、暴力革命が平で成功できるというようなことを述べておる。そうして被疑者は縣内に隠しておく。この福島郡山方部では國鉄が強いから、再びこれに立つてもらうことを要求しよう。それには鈴木氏を呼び出して、個人的に立ち上らせることの契約をとれ、農村では細胞組織を強力なものにして行くことにせなければならぬ、行動隊というものを一層活発にせよというようなことを、福島地区委員会において協議いたしております。その後において平の事件におけるところの犠牲者に対する援護の方法なども決議しておるようでありますが、この市の共産党地区委員会というものはひとり福島ばかりではない、若松市においても白河においても、平においても、各地共産党地区委員会において、ほぼこれと同様の委員会が開かれておるようであります。この共産党の、地区委員会の構成を見ますと、まさにこれは共産党が縣下一帯に一貫したるところの一つの方針のもとに四市に騒擾事件暴力、脅迫というようなことを行つたということは明白であると思うのでありますが、これは、七月三日福島市における地区委員会の情勢等は警察隊長の方に、そういうことの正確な何か情報が入つておることと思います。そのことを一應お尋ねしておきます。
  85. 新井裕

    新井證人 七月三日の……。
  86. 菅家喜六

    ○菅家委員 七月三日午後一時より四時までですね。
  87. 新井裕

    新井證人 そういう話は聞いたことがございましたが、われわれとしてはつきりしたことはわかりません。
  88. 菅家喜六

    ○菅家委員 集つたことは御承知ですね。
  89. 新井裕

    新井證人 集つたことは知つております。
  90. 菅家喜六

    ○菅家委員 各方部において地区委員会の開かれたことも御承知ですね。
  91. 新井裕

    新井證人 大体知つております。
  92. 菅家喜六

    ○菅家委員 特にこれらの情報はないでしようが、雙葉郡の龍田村繁岡という部落において、五人の共産党員が集つて、かなり過激なるところの指令に基くことを協議いたしておりますが、これは何か情報が入つておりますか。
  93. 新井裕

    新井證人 それは聞いております。
  94. 菅家喜六

    ○菅家委員 どういうことですか。
  95. 新井裕

    新井證人 近隣の小さい自治体警察署襲撃することをきめた情報であり、その小さい自治体警察署というのは具体的に申しますと小高町の警察署でありますが、この小高町の警察署員は小高町のうわさから小高町警察署をつぶしてしまおう、こういうような言動をしばしば受け、あまつさえ警察署の前の掲示板に自治体署をつぶせというビラを張つたことも知つておりますし、それらの点から小高町署としては相当警戒的な氣持でおるということは聞いております。
  96. 菅家喜六

    ○菅家委員 そうするとこの龍田における細胞の協議会においては、小警察署襲撃せよというようなことを協議しておる。その他にもつと何か協議した内容はなかつたでしようか。
  97. 新井裕

    新井證人 ちよつと今覚えておりません。
  98. 菅家喜六

    ○菅家委員 ここに出ておるのでは猪狩和夫というものが大体中心になつてつておるようでありますが、その猪狩なるものの行動その他は何かおわかりになつていませんか。
  99. 新井裕

    新井證人 猪狩何がしというものはその村の細胞の責任者であり、相当活発に動き、あるいは龍田村の役場に來て村長を呼び出して詰問するというような計画があつたということも聞いております。この計画それ自体はあまりそういうような煽動的なことはやらないがよかろうという村長の話や何かで、きわめて穏健にやつたという話でありますが、相当活発に動いておるということは聞いております。
  100. 菅家喜六

    ○菅家委員 それではその次に伺いますが、今度の事件を通してみますと、福島縣下における共産党の各細胞と地区委員会、これらが共同戰線で、連絡のもとで、一貫したる方法でやつたことはすべての証人の述べるところによつて、私は明らかになつて來たと思うのでありますが、さらに朝鮮人連盟と共産党関係というものがここに生まれて来ておると思う。福島縣内における朝鮮人の数は約六千人と聞いておるのでありますが、この濱街道、すなわち平方部における朝鮮人の状態と共産党の結びつきについて何か御調査があれば承りたい。
  101. 新井裕

    新井證人 これは平市署を襲撃いたしました朝鮮連盟共産党との関係は明らかであり、ことに平市署に行く前に朝鮮連盟の事務所に一應勢ぞろいした上で相当数が繰出しておるのでありますから、これは相当密接な関係があつたと思います。また福島におきましても、たとえば管理部の事件を見ますと、管理部長に会いに行つたの労働組合員だけでなくて朝鮮連盟の者も数名行つておる、これも明らかであります。以上を通じて大体その土地々々によつて状況は少しずつ違うところがあるようでありますが、共同的な歩調でやつてつたところが多いのであります。
  102. 菅家喜六

    ○菅家委員 さらに平の朝鮮連盟磐城支部というものの中心人物は、だれでございましようか。
  103. 新井裕

    新井證人 金逢琴。
  104. 菅家喜六

    ○菅家委員 これは共産党に入党しておるようですか。
  105. 新井裕

    新井證人 金明福というのが正式に委員になつておるのでありますが、金逢琴は正式に入党しておるかどうかはつきり今覚えておりません。
  106. 菅家喜六

    ○菅家委員 わかりました。大体朝鮮連盟の首脳部というものは共産党に入党しておる。しかもすべての証人証言によつても、朝鮮連盟というものと福島縣における共産党の各地区の者が絶えず連絡をとつておるということも、それらによつて明瞭であると思うのです。そこでお尋ねいたしますが、無届デモの取締りのことであります。福島市においても郡山市においてもいずれも福島縣下に行われましたデモというものはことごとく無届である。その証拠を委員長に提出いたしますが、これは夜間郡山において三日間市内のデモをやつた光景の写眞であります。これは無届でありますから、警察隊長はよく御承知のはすでありますが、この無届のデモというものが公安條例にただ指揮者だけしか処罰できないというような故をもつて、検挙が遅れておつたために郡山は三日間このデモに悩まされた。深更に当つて赤旗を持つて革命歌を歌つて市内を行進して歩く。そこの機関庫が汽笛を鳴らしたというような郡山の事実がありまして、市民は非常に不安の念に駆られて幾夜を過ごしたという事態があつた若松にいたしましても福島にいたしましても同じでありますが、この種の無届のデモに対して、公安條例は單に指揮者だけしか処罰できない。その指揮者は容易につかみ得ないというようなことで取締りが遅れるということになりますと治安上まことにゆゆしきことであると私は思うのでありますが、この無届デモの取締りに対する今後の方針はどういうようなことをお考えになつておりますか。お尋ねしたいのであります。
  107. 新井裕

    新井證人 お答えいたします。無届のデモにつきましては各自治体警察署当局も目下研究中であり、取締らないという結論を出したというふうには私も聞いておりません。ただ非常にむずかしいということは御指摘の通りである。なかなかその点は指導者は巧妙でありまして、たとえば縣会デモ隊が訪れたときに、代表者を出してくれと言つたら、これは代表者はいないのだ。おのおの自発的にやつたのだから……。こういうような答弁をしておるようであります。なかなかそういう点は巧妙でありますが、今後は事前によくそういうことの起らないように警告を発するということで、各地ともそういう場合には事前に警告を発し、それでやつた場合には指導者としてお前を追訴すると、こういうような警告を発して大体は行つておるようであります。
  108. 菅家喜六

    ○菅家委員 もう一つお尋ねしますが、郡山警察署員が平の襲撃事件應援に十一台のトラツクに乘つてつております。その帰りのトラツクを邀撃して、郡山駅前においてその通行を阻み、何ゆえに平の警察署應援に行つて來たかと言つて、檢問所のごときものをつくつて警察官に訊問をしております。その写眞も証拠として委員長に提出いたしますが、郡山地区委員の何がしなるものが、ちやんとこの写眞に明かに出ております。かくのごときことは共産党はよく警察が彈圧をするというけれども、むしろ共産党警察の方を彈圧というよりは脅迫しておる事実であると思うのであります。この郡山駅前において郡山応援隊を共産党が檢問した事情は詳しく御存じになつておらないか。むろん報告になつておると思います。
  109. 新井裕

    新井證人 聞いておりますが、その後の措置についてはまだ聞いておりません。
  110. 菅家喜六

    ○菅家委員 この処置は何らまだ講じておられないということですが、この事実はお聞きになつたでしよう。
  111. 新井裕

    新井證人 そのように聞いております。
  112. 菅家喜六

    ○菅家委員 委員長、この写眞は証拠として提出しておきます。  最後にもう一つ証人お尋ねいたしますが、福島縣内において、正式の共産党員の届出はいくたりぐらいありましようか。
  113. 新井裕

    新井證人 今大体千五百名くらいです。
  114. 菅家喜六

    ○菅家委員 新聞であるとか、宣傳ポスターには共産党は盛んにこの事件を契機として、縣内各所に集團的の入党者があつたというようなことを宣傳いたしておるのであります。昨日の福島民報を見ますと、勿來町の齋藤熊藏という人が、新聞社に声明書を発表しております。証人はこの声明書をごらんになりましたかどうですか、一應ここで読み上げてみます。「二十一日のアカハタを見て私は愕然とした。というのは私が勿來地区の親分で四百名の子分を引連れて共産党に入党するがごときでたらめを(あるいは錯覚してやつたのかわからないが)私の心境として発表されていたからである。私は親分でも子分でもなく單なる一寮の管理人であるし、過去において社会主義運動について研究したこともある。共産党がいかなるものであるかぐらい百も承知である。党員諸君と語り合つたことはあるが記事は全然でたらめである。そんなことはあり得るはずがなし、このことについても共産党の現在行い傳えられておることがでたらめもはなはだしく、アカハタの記事などを信用したらそれこそ大変である。(石城郡勿來町・佐藤熊藏)。こういう声明書が出ております。これは縣下各地にこの佐藤熊藏なる者のほか四百名という者が共産党に集團の入党をしておるというようなことを壁新聞その他に発表いたしておるのであります。この事実から見ましても共産党というものがいかにでたらめを書いて、またあるときは非常に党員の多いことを宣傳して効果を得ようとしていることを立証するものだと思うのであります。これによつてもアカハタであるとか、地方に張られている宣傳ビラなどがいかに虚偽なものが多いかということを立証できると思う。そこでお尋ねをしたいのは、この福島縣下各地の電柱に張られている宣傳文書であります。もしくは無届で各市に壁新聞なるものを非常に張り出しておる。まことに醜態きわまりないものである。郡山市においても無届で三箇所ぐらい壁新聞を張る場所をつくつております。しかもそれは人の私的生活をあばいたり、あらゆる事柄を書いてやつているものであります。これは出版法に照らしましても——あらゆる法規に照らして私は違法であると思いますが、これらに対する取締り——電氣会社は電柱に張ることを近く禁止するように言つておりましたが、それのみでなく治安の維持にあたられるところの当局としては、この縣内におけるはなはだしい違法なるところの文書宣傳戰をいかに取締られておるか。それらに対する証人の御意見を承りたいのであります。
  115. 新井裕

    新井證人 今お話がありましたが、何でも警察が取締るというようなことはわれわれはやりたくない、こう考えております。ただし内容が名誉を毀損したりするようなことがあつてその訴えがあれば、取調べもいたしますし、虚偽の宣傳をしておるということが明らかであり、また何らかの法に触れる場合には軽犯罪法その他で取締るということもできるだろうと思います。
  116. 菅家喜六

    ○菅家委員 もう一つ東京新聞、地方新聞における不法なるビラを張つておりまする写眞のつづりを私は証拠として委員長のもとに提出いたしたいと思います。
  117. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ちよつと申し上げますが、この自治警察署前の無届デモですが、これは六月三十日の晩ですか。
  118. 菅家喜六

    ○菅家委員 そうです。正確に言いますと一日の午前零時です。
  119. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 七月一日ですか。
  120. 菅家喜六

    ○菅家委員 そうです。
  121. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それからこれは七月五日ですか。
  122. 菅家喜六

    ○菅家委員 七月五日です。それは取締りに帰つて來たところを邀撃したところです。
  123. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それでは証人に伺いますが、平へは郡山の方から七月五日まで應援に行つてつたのですか。
  124. 新井裕

    新井證人 平へ行つてつた郡山部隊は二回にわけて帰つて來たのです。
  125. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 おそいのは五日までおつたのですね。
  126. 新井裕

    新井證人 おりました。
  127. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そうすると五日まで郡山に檢問所があつたとすればこれは重大なことだと思いますが、この写眞をごらんになつてこんなような事実は聞いておりませんか。
  128. 新井裕

    新井證人 聞いております。
  129. 菅家喜六

    ○菅家委員 東京の全部の新聞がその写眞を持つております。
  130. 高木松吉

    高木(松)委員 これは重大な点なんですが、主として平を中心にして聞きたいのだが、あの問題を惹起した主動性は平の地区共産党人たちがやつたと思うが、その点はどうですか。
  131. 新井裕

    新井證人 地区委員会の幹部はほとんど全部出ておりますから、これは指導者であることは間違いありません。
  132. 高木松吉

    高木(松)委員 そこでいつでも誤られて解釈されるのだが、朝鮮連盟が何かこれもまた独立して主領をなすがごとくに解釈されておるが、朝鮮連盟の幹部のほとんどが共産党に入党しておる関係上、これを引きずつてこういう問題に引き入れて行つたのじやないかという疑いをわれわれは持つのですが、この点はどうですか。共産党人たちが連盟の幹部であるがために連盟を引き入れてこの暴動行為に加担せしめた。言いかえれば主領は地区共産党員にあつてそれに引き入れられて連盟が行動したと見るべきものかどうか、この点に対してのあなたの観察はどうですか。
  133. 新井裕

    新井證人 どつちが主体かというわけですね。
  134. 高木松吉

    高木(松)委員 そうです。
  135. 新井裕

    新井證人 はつきりした点はよくわかりませんが、ただ二、三の朝鮮連盟人たちの方ではそういう話があつたけれども、またつまらないことをやられるのだろうから行かなかつた、こういうことを言つておる者は事実あります。それから御判断を願うほかないと思います。
  136. 高木松吉

    高木(松)委員 今少しわかりませんが、朝鮮連盟共産党員がおるために石城地区共産党員がこういう暴動を起した、そこへ朝鮮連盟人たちを引き入れて行つたということには見られませんか。
  137. 新井裕

    新井證人 言い切るほどまだはつきりした材料はありません。ただ今申しましたように朝鮮連盟にも相当出て來いという話があつたということは言つております。その場合にも連盟の人たちでそういうばかなことをしてもしようがないから行かなかつたということを言つておる人もあるようでありますから、それから言えばどつちが引きずつたかということは力の強さはおのずから推測できると思います。
  138. 高木松吉

    高木(松)委員 そこでその問題に対するあなたの観察を聞きたい、私はどうしても共産党の方に朝鮮連盟が引きずられて行つたと、いうように今日までの証人調べによりますと見られるのです。
  139. 新井裕

    新井證人 どうもその点は私の感じではむしろ両者が共同してやつたように思う。ただ朝鮮連盟の幹部というものは共産党員相当密接な連絡をとつてつたという意味においてお尋ねのような結論を見出されるならば別であります。これ以上に私の方ではつきりした材料はありません。
  140. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 菅家君この二日というのは七月二日ですか。二日午前零時十分ごろ地区に押し寄せた共産党というのは、七月二日郡山地区ですか。
  141. 菅家喜六

    ○菅家委員 そうです。
  142. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 七月二日にそういうことがあつたのですか。
  143. 新井裕

    新井證人 七月二日といつても午前零時ですから一日の晩だと思います。
  144. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 これは警察の前にすわり込み戦術をやつておるようですな。
  145. 菅家喜六

    ○菅家委員 そうです。
  146. 新井裕

    新井證人 これはわれわれもよく承知しております。
  147. 神山茂夫

    ○神山委員 先ほどの証言の中で、共産党の細胞が命をかけて、警察と闘うというビラを貼つておることから見て云々という証言がありました。あなたはそれから共産党は当然暴力革命をやるという結論を引出されておるのですが、この細胞はどこの細胞ですか。
  148. 新井裕

    新井證人 今お尋ねがありましたが、私は共産党としてそういうことをやつたかどうか、結論は下しません。ただ福島縣共産党員はそういう点においては、非常に暴力的な言動を好むものであるということを感じた。そういうことを申し上げたのであります。
  149. 神山茂夫

    ○神山委員 あなたはたしかにおつしやいました。細胞が命をかけて警察と闘うというビラを出したところがあるとおつしやいましたが、それはどこの細胞ですか。
  150. 新井裕

    新井證人 あなたの方でお調べになればわかると思いますが、磐崎村です。
  151. 神山茂夫

    ○神山委員 それはいつですか。
  152. 新井裕

    新井證人 三十日だつたと思います。
  153. 神山茂夫

    ○神山委員 何時ごろですか。——時間はわかりませんか。
  154. 新井裕

    新井證人 時間はわかりません。
  155. 神山茂夫

    ○神山委員 次に猪狩和夫なる人のいるところで出したという、警察をつぶせというビラ、これは菅家君の言つたことであなたは御存じないかもしれませんが、警察をつぶせというビラを見たことがありますか。
  156. 新井裕

    新井證人 これは先ほど申し上げましたように、小高町の署の掲示板に貼つたものを見ました。
  157. 神山茂夫

    ○神山委員 それではお尋ねいたしますけれども、吉田内閣をつぶせ、ぶつ倒せというビラを見たごとはありませんか。
  158. 新井裕

    新井證人 それは打倒せよ、という、のは見たが、ぶつつぶせというのは見たことがありません。
  159. 神山茂夫

    ○神山委員 あなたはいつごろから警察関係せられておりますか。
  160. 新井裕

    新井證人 私は五月の十二日……。
  161. 神山茂夫

    ○神山委員 その前です。
  162. 新井裕

    新井證人 そり前は二十年の九月からです。
  163. 神山茂夫

    ○神山委員 それ以前は警察関係はありませんか。
  164. 新井裕

    新井證人 ありません。
  165. 神山茂夫

    ○神山委員 平事件のことですが、先ほどあなたのお話の中ではみんな計画的だ。その証拠には朝連に集まつてつたではないか。あるいは行つたということを言われておるのです。朝連のすぐ隣りに國警の事務所か何かありましたが、その当時國警は何をしておりましたか。
  166. 新井裕

    新井證人 当日は国家警察は召集日で署長が訓辞しておつたそうです。
  167. 神山茂夫

    ○神山委員 それではさらにお尋ねいたしますが、國家警察では、地区警察に起つた問題をどういうふうに御覧になつて、どういう態度をとられたか。
  168. 新井裕

    新井證人 今のお話でありますが、國家警察はみな現場におもむき連絡しておつたようであります。
  169. 神山茂夫

    ○神山委員 それは何も調べなかつたわけでしよう。
  170. 新井裕

    新井證人 相談をしてともかく平和的に解決しようということで努力しておつた。、
  171. 神山茂夫

    ○神山委員 これは他の委員会の調査團もはつきり言われておりますが、國家警察は問題をまだ平和的に解決しようという可能性を認めておつたのではありませんか。
  172. 新井裕

    新井證人 その可能性を認めておつた時期、これは御承知のように、六時までどうにかして円満にかたづけようとして話をしておつたのであります。それがどうしても言うことを聞かないからやつたのであります。
  173. 神山茂夫

    ○神山委員 今の六時の話ですが、そのころは非常に豪雨だつたというように先ほどおつしやつておりますが……。
  174. 新井裕

    新井證人 そうです。
  175. 神山茂夫

    ○神山委員 その豪雨だつたことが——証人はすでに一方的だ、集つた人を暴徒といつておる、それはあなたの主観的考えだし、大橋君とも密接らしいので、これはよろしい。しかし雨だつた、豪雨だつたことが、今まであなたがおつしやるように、國警でも認めておつた平和的交渉の可能性があつたにもかかわらず、中に入れてくれということを言い出した直接の原因ではなかつたか。
  176. 新井裕

    新井證人 事実をもつてお答えいたします。何か奥歯にものの挾つたような大橋さんと何か関係があろうというようなことでありますが、このことについては大橋さんからは何の指示も受けておりません。  それから雨が降つたにもかかわらずなお應援に來ること自体が彼らの意図をよく語つておると思います。雨が降つてつてかさをさして集つて來ておる。もし雨が降つておるので中に入りたければ、むしろ來ない方がよいのです。そういうことは別に理由にならないと思います。
  177. 神山茂夫

    ○神山委員 それではもう一度聞きますが、矢郷の労働者がなぜこの問題について平まで行つたか。
  178. 新井裕

    新井證人 私はよく知りません。
  179. 神山茂夫

    ○神山委員 それではその点こういうことを聞いたことはありませんか、矢郷炭鉱の労働者諸君は長い間賃金遅配で悩んでおつた。四月以來は完全な欠配で困つてつた。そこへもつて來て今度は百二十七名の首切りが來た。そういう経過の中であの平から動員された諸君が労働争議に相当干渉しておる、そういうことがあつたからこそ矢郷から押しかけて來たのではありませんか。これはあなたは知りませんか。
  180. 新井裕

    新井證人 私はよく知りませんが、首切りのあつたのはよほど前のことで、接着した時期ではありません。地区内郷という警察署があるのに、平署まで來るのがよくわかりません。矢郷に参りましたのは平のみならず湯本も行つておる。
  181. 神山茂夫

    ○神山委員 湯本ももちろん來たのはこれはこの間他の証人言つておるのでありますが、湯本警察から相当彈圧されたということが述べられておる。それが関連してあなたも御承知のように、問題のきつかけになつたのは掲示板を撤回するとかしないとかいう問題でありますが、あの掲示板そのものにおいて、こういうふうな矢郷や湯本の問題まで取上げられていた。ことに警察の不当な行き方が取上げられていた。このことが一つの條件となつてつたからこそ平の警察署の前に、あなたの言う雨が降つても來ざるを得なかつたのではありませんか。どうですか。
  182. 新井裕

    新井證人 私の意見を申し上げろというわけですか。
  183. 神山茂夫

    ○神山委員 意見じやない。あなたが調べてみてそういう事実を見なかつたかと言つておるわけです。
  184. 新井裕

    新井證人 それは矢郷の人がなぜ來たかという原因は何かということですか。
  185. 神山茂夫

    ○神山委員 遠因だよ。
  186. 新井裕

    新井證人 遠因ということになるとわれわれ申し上げるのはどうかと思いますので、差控えたいと思いますが。
  187. 神山茂夫

    ○神山委員 それはあなたとしては言いにくいと思う。吉田内閣の政治的破綻だね。経済政策の結果だ。こういう原因があるからこそ、先ほどからあなたが言つておるように平市の問題が起り、さらに福島でも問題が起り、郡山でも問題が起るというような大きな遠因ができておると思うのだ。そこであなたにお尋ねしたいと思うのは、ただ郡山の場合にしましても、市会で主食の掛賣りその他の要求を一應議決しておる。これは御承知でしよう。
  188. 新井裕

    新井證人 私が申し上げられないと申しましたのは、それらこそ國会側に認定しでいただくことであり、われわれがそういうことを一々容喙することは出過ぎたことだと思いますので、先ほど警察制度の改革についてお前の意見はないかということを言われたときにお断りしたのと同じ意味であります。
  189. 神山茂夫

    ○神山委員 あなたが言えぬと言うならば聞く必要はない。ただいまの郡山の主食掛賣りという議決はこれは御承知ですか。
  190. 新井裕

    新井證人 それは二十八日の郡山市会の議決は知つております。
  191. 神山茂夫

    ○神山委員 それから矢郷の場合には、六月三日にやはり主食の掛賣りの問題があつて、六月の八日にひつくり返されておる。これを知つておりますか。
  192. 新井裕

    新井證人 日にちはよく知つておりませんが、ただ内郷の町会の問題として聞いておりますことは、議決の場合に相当多数傍聴に行き、ことに否決した場合に、否決した労働組合側の町会議員三名を呼び出して相当脅迫的な行為をしたので、また議決がひつくり返つたという程度の報告を聞いております。それ以外のことは聞いておりません。
  193. 神山茂夫

    ○神山委員 いやあなたの方には一方的な報告ばかり行つておるのは職務上当然だと思う。問題なのは今聞いた郡山の場合もそうだ。内郷の場合も矢郷の要求中心になつておる。さらに福島縣会に出された要求の中にも主食の掛賣りの問題が出ておる。こういうふうな事実を見ます場合、現在労働者及び市民の生活が非常に窮迫して主食も買えないということが共通の原因になつていないか。こういう点をあなたはどう思いますか。
  194. 新井裕

    新井證人 そういうことは一連の先ほどお話したと同じようなことで、私は政治家でありませんから、それは國会の方でおきめを願いたい。
  195. 神山茂夫

    ○神山委員 それではよろしい。  次にお尋ねいたしますが、警察の彈圧反対、労働爭議に関する干渉反対という要求福島縣会の場合に出ておる。これは知つておりますか。
  196. 新井裕

    新井證人 知つております。
  197. 神山茂夫

    ○神山委員 そこで問題なのは、どうしてこういう要求が出て来たかということなんですが、この点についてのあなたのお考えは、どうですか。
  198. 新井裕

    新井證人 われわれは六月三十日に接着した時期において労働運動の弾圧を特に取上げて來たのは、われわれに対する牽制工作だとわれわれは見ております。
  199. 神山茂夫

    ○神山委員 それではあなたにお尋ねいたしますが、主作戰だとか牽制作戰だとかあなたは軍事的な言葉を使つていらつしやるのですが、あなたは前に何か軍隊に関係したことがありますか。
  200. 新井裕

    新井證人 そういうことでありましたら、私は三箇月兵隊に行つただけであります。
  201. 神山茂夫

    ○神山委員 平の事件は六月の二十七日に一應妥結しておるということをあなたは知つておりますか。
  202. 新井裕

    新井證人 交渉は妥結しないからこそ三十日まで交渉したのであります。
  203. 神山茂夫

    ○神山委員 そうじやない。二十七日妥結したのをあとになつてぶり返しているからこそ、三十日問題が起つている。しかしあなたがそう言わざるを得ないのならば、そこで問題なのは、あなたは先ほどから共産党計画的な行為だ、こういうふうに一方的に必ずしも言つていないようで、相互に関連があるということを言つているが、それが統一的な党の指導ではなくして、むしろ福島における特殊的な事件として言つておられるわけですが、私は福島における特殊的な事件だということを立証するためには、二十七日に一應妥結した問題がなぜ三十日まで引延ばされたか。われわれから言えば、あなたではないにしろ、もつと上の方にこの時期を狙つて、こういうふうな挑発をした者がいる。こういうことを言わざるを得ない。福島縣会が三十日に開かれるということはすでに六月半ごろにきまつていることであつて、また廣田工場における山口君たちを引張つたのは二十九日に起つたことであつて、これまた共産党がしたことではない。從つて事件を三十日を中心に集約的に持つて來た者があるとすれば、隊長は知らないかもしれないが、あなたに命令したもつと上の者に責任がある。從つて陽動作戰とか牽制作戰とかちやんちやらおかしい言葉は、当然民自党の諸君が檢察廰側がちようだいすべきであつて、わが党は関係がないということをはつきりしておかなければならぬ。殊にあなたに言わなければならないことは、すでに凶器を持つて来たということを言つているが、いかなる凶器を持つていたか。
  204. 新井裕

    新井證人 凶器は混棒、石等であります。それから上から計画的に挑発したというお話ですが、われわれはそういうものに全然指示も受けておりませんし、もしそういうことであるならば、われわれも十分用意があつたはずであり、全然その用意をどこもいたしておりませんから、そのようなことは一方的な判断であなたも言われたのだろうと思います。それから私は計画的だとか何とか予断しているというお話でありますが、もう一箇月過ぎておりまして、捜査の経過から考えてそういうふうに判断したのであります。初めから予断したわけではありません。
  205. 神山茂夫

    ○神山委員 要するに確固たる証拠と今そこらでほえておりますが、これは非常に重要な問題なので、現にあなたが両鈴木君、まだ実際の責任者が逮捕されていない。こういうふうな状況の中で、先ほどあなたのお話になつたようにつまらないことをしたとか、おれたちが責任を負わされたというような氣持になつている人がいる。そういう人たちの陳述が中心になつてあなた方の判断になつている。眞相はずつと將來の歴史の審判をまたなければわからないことであつて、あなたがすぐそういうことを隊長として言うことは早や過ぎると思う。從つてあなたのお話は予断に基いているというふうに言われてもしかたがないということを言つているわけだ。そこで聞きたいのでありますが、平の警察になぜこういうふうな問題がたくさん集中的に起つたかという根源に平の警察に対するいろいろな不正や疑惑事件があつたということをあなたは御承知ないですか。
  206. 新井裕

    新井證人 平市の警察署には不正があるというようなうわさがあり、それはもう処断を受けて、何ら不正がないということは明らかであります。たくさんあつたようなお話でありますが、去年の八月にあつただけで、それ以上私は聞いておりません。
  207. 神山茂夫

    ○神山委員 八月にあつたのは何ですか。
  208. 新井裕

    新井證人 これは列車取締上に関する問題です。
  209. 神山茂夫

    ○神山委員 あの六百万円の……。
  210. 新井裕

    新井證人 六百万円だか何だか私は知りませんが……。
  211. 神山茂夫

    ○神山委員 私の方には、あなたにここで一々言うのもおかしいような資料がたくさんあるので、それを言うと、すぐ民自党の諸君は、おれたちの悪口をばらすと言いますが、事実だから言います。たとえばあの六百万円の問題の場合に、國警も関連している、國警は十五万円、それから自治警察は十五万円、(「ゆでだことは……」)ゆでだこは自治警察かやつた。こういうような点を一々上げればきりのない話ですが、こういうようなことが平の警察に対する市民の間の不信の原因になつていなかつたか。
  212. 新井裕

    新井證人 私はなつていなかつたと思います。
  213. 神山茂夫

    ○神山委員 そこで今度凶器の問題に返しますが、あなたも棒の話をしているけれども、その棒をどうして持つてつたかということをあなたはお聞きになつておりますか。どういう方法で……。
  214. 新井裕

    新井證人 それはどういう意味ですか。
  215. 神山茂夫

    ○神山委員 こういうことですよ。あなたは計画的に棍棒や何かを持つていたと言うのですが、それならどういう方法で持つていたかというのです。
  216. 新井裕

    新井證人 持つていた方法ですか。それは手に持つていた者もあるし、隠し持つた者もあつたかも知れません。
  217. 神山茂夫

    ○神山委員 今私が言つたようなことは、あなたは聞いておりませんか。
  218. 新井裕

    新井證人 まだ聞いておりません。
  219. 神山茂夫

    ○神山委員 今度石ですが、石を大分投げたらしい、八十幾つ投げたというのだが、しかしその石は、あなたのお話のように初めから持つてつたものか、現場で拾つたものか……。
  220. 新井裕

    新井證人 持つてつたものもありますし、現場のものもあつたろう事と思います。
  221. 神山茂夫

    ○神山委員 それで問題なのは、現場で、あまりの警察のやり方のひどいのに石を投げた、これはおかみさんたちがやつたという話を私は聞いている。それから棍棒の場合も、特別に隠したり何かして持つてつたのではなくて、ただ警察官の方からの暴行を防ぐために持つてつたと聞いておりますが、一番初めに警察側が手を出したことをあなたは知つておりますか。平市の事件の場合は、警察側が先に棍棒で頭をなぐつたり何かしたことを知つておりますか。
  222. 新井裕

    新井證人 その点は全然事実と反しております。表門におつた金田警部補は警棒を持つておりません。素手で、両手で通るなと制止したところが、引き込まれてぶんなぐられたのであります。
  223. 神山茂夫

    ○神山委員 あなたのおつしやるは何時ですか。
  224. 新井裕

    新井證人 大体三時から三時半までの間で、正確な時間は結局よくわからないようです。
  225. 神山茂夫

    ○神山委員 その時間の正確でないということは、これはこういう事件にはあり來りのことですが、それと同じように、どちらが先に手を出したかということもはつきりしていない。われわれは金田が先に手を出したということを聞いている、署長もそう言つておる、あなたにもそういう報告が行つておるに違いないし、そこに行つた諸君は、先に警官によつて梶棒でなぐられて、頭の上にこぶができたというようなことを……。
  226. 新井裕

    新井證人 これはきわめて事実が明白でありまして、写眞もはつきりあります。制止したとき一應とまつたのですが、そこへ應援隊のトラックが参りまして、何だ何だというわけで押しかけて、そして強引に押し込んだというのが事実であります。それ以外のことは全部事実と反することだと思います。
  227. 神山茂夫

    ○神山委員 事実と違うと言うのは、それはあなたの立場から言うことです。  それから、先ほどあなたは平の町では市民が非常に共産党をこわがつている、こういうふうにおつしやつた。それはあなた方にはそういう情報があるだろうし、またそういう空氣があるのも事実だが、一方ではどうです、何のためにあそこに六百人の警察官事件後も止めておかなければならないか、それを聞きたい。
  228. 新井裕

    新井證人 六百名の警察官云々の問題にお答えいたします。日にちははつきり覚えておりませんが、一週間かそこらで全部減らして、今は、はつきりした数字は覚えておりませんが、三分の一ぐらいの勢力しかおりません。
  229. 神山茂夫

    ○神山委員 三分の一というと三百ですね。
  230. 新井裕

    新井證人 大体その程度だと思います。
  231. 神山茂夫

    ○神山委員 一番多かつたときにはどのくらいおりましたか。
  232. 新井裕

    新井證人 一番多くて六百名です。
  233. 神山茂夫

    ○神山委員 まさにその六百名こそが、トラックに乘つたり集團的に横行するので、そのことが平の市民の恐怖の対象になつたのであつて……。
  234. 新井裕

    新井證人 お答えします。六月三十日の夕方に、共産党とおぼしき者——共産党員であるかどうかしるしがついておらないからわかりませんが、それが、これから戰爭が始まるから戸を締めて寝ろと言われておどかされた市民があるのであります。しかもこれらの証人に立つた者に対して、また脅迫がましい行為を行つているのが現実であります。これらのことから考えて、ただいまのお話は、ただ一方的な事実だと思います。立場はどうか知りませんが、それはすべて事実であります。
  235. 神山茂夫

    ○神山委員 そこでお尋ねしますが、そういふうな場合に、あなたは先ほど消防団と協力して治安を維持しているというようなことをおつしやいましたが、それはどういう根拠からそういうことをおつしやるのですか。
  236. 新井裕

    新井證人 それは消防組織法第二十四條に基いてやる、こういうことです。
  237. 神山茂夫

    ○神山委員 そのくらいのことは知つております。そこでお聞きしますが、こういふうな打合せはどういう形でおやりになつたのですか。
  238. 新井裕

    新井證人 平の場合は、よく聞いておりませんが、自発的に集まつて相談したというふうに聞いております。
  239. 神山茂夫

    ○神山委員 平の場合はそれでよいとして、あなた方、すなわち隊長さんの立場として、あなたが今言われたことを各管内の消防團その他に徹底させるためには、どういう方法でおやりになりましたか。
  240. 新井裕

    新井證人 これは本部からの通牒に基いて、いつでしたか忘れましたが、どういうふうに援助を求めるか、こういう通牒が参りましたから、それに基いてやらせているだけであります。
  241. 神山茂夫

    ○神山委員 どういう方法で打合されましたか。
  242. 新井裕

    新井證人 それは各地で千差万別の方法でやつているようであります。
  243. 神山茂夫

    ○神山委員 今の二十四條が正しい解釈でないというわれわれの見解は、これは消防長官や國警の長官に申入れてあり、また最高檢察廰にも申入れてあつて、將來これに対して独自の対策をとりますが、七月十三日及び十四日に土湯温泉でこういう打合せの会議をやつたことはありませんか。
  244. 新井裕

    新井證人 私は聞いておりません。
  245. 神山茂夫

    ○神山委員 こういう事実がわれわれの方には上つているのですが、この土湯温泉における会議はどういう会議ですか。
  246. 新井裕

    新井證人 管内消防圃の市町村関係者、それから……。
  247. 神山茂夫

    ○神山委員 管内というのは縣内のことですか。
  248. 新井裕

    新井證人 そうです。
  249. 神山茂夫

    ○神山委員 それは事実でないと思います。福島署がやつたのです。これはあなたの直接の関係でないから御存じないでしようが、しかしこういう事実があれば、それでなくとも、私がさつきから言つておる警察とその背後にあるボス的勢力との関係が問題になつてつて、いろいろ誤解を生む一つの動機になると思うのです。これはあなたは直接関連がないにしても、こういう事実が將來ないように、あなた方の場合には特に注意してもらいたい。  それから、平事件の費用はどういうふうになつておりますか。
  250. 新井裕

    新井證人 平署の費用は平市でかかつたものは私ども知りません。國家警察でかかつたものは国警でもらうことにしております。
  251. 神山茂夫

    ○神山委員 この点についてはこまかいことはたくさんぼくの方にデーターがあるけれども、このくらいにしておきまして、今もそこで言つておりますが、共産党がばくち打ち、暴徒という者を三百円で雇つて使つたという事実が何かありますか。
  252. 新井裕

    新井證人 私はそういううわさは聞いておりますが、事実はまだよく知りません。ただ平市の暴力團の親方に共産党の責任者がお礼に言つたりなんかしたことは事実であります。これははなはだわれわれとしてもおかしなことだと思います。
  253. 神山茂夫

    ○神山委員 そのお礼に行つたのはいつですか。
  254. 新井裕

    新井證人 日にちははつきり覚えておりませんが、最近のことです。
  255. 神山茂夫

    ○神山委員 それはこの間から、委員会で問題になつておるのですが、七月十八日ないし十九日のことであります。お礼に行つたのではなくしてそれは党の政策、その他を説明に行つたわけであります。この委員会は頭のいい人がおりますから、あなたは賢明にも最近のこととおつしやつたのだが、それが六月三十日の前にあつた。従つてこれは暴徒共産党が組んでおつて下つぱを雇つたと言うが、隊長としてのあなたに聞きたいが、事実は調べになつて出ておりませんね。
  256. 新井裕

    新井證人 出ておりません。
  257. 神山茂夫

    ○神山委員 それから今度は八月に暴力革命があるということを巷であなたはお聞きになつていると言われておりますが、共産党員、あるいはその他どういう人がこれを言つておるのですか。
  258. 新井裕

    新井證人 これは私のところに参りました國鉄労働組合の今闘爭中の共産党員の幹部であります梅津五郎という男が参りまして、九月には革命政府ができるから法律の適用は早く人民政府に適するようにおやりになつたらいかがですかという話がありましたので、私は失礼だとは思いましたけれども、あなたのお話は暴力團の殺し文句と同じじやないか、そういうことはおやめになつたらどうかと注意したことがあります。
  259. 神山茂夫

    ○神山委員 その梅津という人は共産党員ですか。
  260. 新井裕

    新井證人 そうです。
  261. 神山茂夫

    ○神山委員 もつとほかに例があつたら教えていただきたい。ひとつ遠慮なく言つてください。     〔発言する君、離席する者多く、議場騒然〕
  262. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 静粛に願います。着席してください。
  263. 神山茂夫

    ○神山委員 それから先ほど菅家委員が七月三日の地区委員会のことを盛んに聞いておりましたが、これは地区委員会なのか、地方委員会なのか別個の問題なので、これはこの前にも委員長に証拠の提出を求めたのでありますが、これとは一應別に証人としてこの問題をどこからお聞きになつたか、これをひとつお尋ねします。
  264. 新井裕

    新井證人 そういううわさを聞いただけで的確な事実を知りません。
  265. 神山茂夫

    ○神山委員 先ほどもあなたのお話を聞いておると、八月革命の点について梅津某という名前も出ましたが、一般にこういうふうなことを言つておるのは、私たちの知つておるところでは民主自由党の廣川幹事長が一番これを宣傳しておつて全國の新聞に書立てている。わが共産党は八月に暴力革命をやるなんてばかな指令をしておらない。こういうことをあなた知つておりますか。
  266. 新井裕

    新井證人 どういうことですか。
  267. 神山茂夫

    ○神山委員 共産党の中央部が暴力革命云々という指令を出したということをあなた知つておりますか。
  268. 新井裕

    新井證人 知りません。
  269. 神山茂夫

    ○神山委員 それじや福島縣の党員の中にあなたのおつしやるような荒つぽいのがいたかも知れないが、しかしこの人たちがこういう八月革命の指令に從つて云々ということをあなたは知つておりますか。
  270. 新井裕

    新井證人 そういうことを私のところへ堂々と言つて來る以上は、相当の責任者でありますから、そういうことは信じておつたんだろうと認めます。
  271. 神山茂夫

    ○神山委員 それから先ほどあなたのお話の中で、自分たちは煽動されて捕まつてしまつてばからしい、こういうふうに言つたという人がおるそうですが、たれでしようか。
  272. 新井裕

    新井證人 そういうことを申し上げると、またいろいろ調査に支障がありますから勘弁願いたい。
  273. 神山茂夫

    ○神山委員 これは普通民自党の諸君だつた証言拒否だと言つて怒るところだが、しかし僕は善意に解釈して答えられないのは職務上の関係だと思つてこれ以上追究いたしませぬが、將來適当な形でお尋ねすることがあるかもしれませぬ。それは現地に調査團が行きますからその場合に保留しておきますが、それで先ほどからあなたのおつしやつておる、警察がやられたのだから自分たちが自由を守るためにはある場合には自警團が必要だというようなことを言つた人がおるとおつしやるが、それはたれでしよう。
  274. 新井裕

    新井證人 的確にたれというふうに覚えておりませんが、二、三の人から聞きました。
  275. 神山茂夫

    ○神山委員 どういう人ですか。輿論というのは非常に大事なんですがね。
  276. 新井裕

    新井證人 はつきり今名前を覚えておりません。
  277. 神山茂夫

    ○神山委員 覚えてなければ仕方ないが、序でにこれも覚えてないでしようが、共産党の動きがおつかなくてあなたのところに保護を求めに來たという人は、名前が言えなければどういう種類の人か、たとえば労働者か、普通の市民か、給料取りか、銀行とか、家を持つている人とか、工場長とか、こういうふうにわけて……。
  278. 新井裕

    新井證人 先ほど私の言い方がまずかつたので、あるいは誤解を招いたかもしれませんが、保護を求めるというのは一般的な声としてそういうふうに言つて來たので、個々の者がおれは非常に脅迫されておるから保護してくれ、こういう意味の要求ではございません。おれは自由を守りたいのだが守れないということと同じ声であります。
  279. 神山茂夫

    ○神山委員 まだはつきり言えない声なんですね。
  280. 新井裕

    新井證人 そうです。
  281. 神山茂夫

    ○神山委員 もう一つお尋ねしますが、あなたは國警の隊長として相当いろんなことに関係していらつしやるわけですが、平では暴力革命が起るということを言つたと先ほど菅家君が言つておりますが、こういうことをお調べの中に出て来たことがありますか。
  282. 新井裕

    新井證人 捜査の中でそういうことが出て来たか、どうかは聞いておりません。
  283. 神山茂夫

    ○神山委員 この点はこの前の委員会でも明らかになつたのでありますが、参考までに申し上げますが、この委員会で菅家君の報告は鈴木磐夫君がつるはしでぶち込んで山の中へでも、どこへでも放り込んでしまえ、こう言つたというが、これは他の人によつてそういうことはないと言われておる。この事実から見ましても共産党が平で暴力革命をやろうと考えていない。この話で七月三日にありました平におけるああいう大事件の直後に、暴力革命をやるなどということを考える人はいましようか。
  284. 新井裕

    新井證人 どうもそういう一般的な問題で私の警察隊長としての立場から——あたかも一般縣民の立場からのようでありますが、そういうことでもお答えしなければいけないのでしようか。
  285. 神山茂夫

    ○神山委員 それではもう一つ言つておきたいのですが、この事件の捜査全体をあなた方が今後本格的にやる場合にぜひ御考慮願いたいのは、平事件にしろ、福島事件にしろ、郡山事件にしろ、これらはことごとく民主自由党の政策の結果生じたものである。これはよくお調べになりますと事件のほんとうの責任者がだれかということがよくわかりますから注意を願いたいと思います。
  286. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 さようなことを認められたことがありますか。——さつきの凶器ですが、毎日グラフの八月一日号の六ページですが、市署が集められたものの写眞がある、こういうものが集められたことを御承知ですか。
  287. 新井裕

    新井證人 知つております。
  288. 大橋武夫

    ○大橋委員 ます第一にお伺いしたいのは、今度の事件で市の警察、その他町村の自治警察、それから國警を含めてこの事件のために概算どのくらいの費用がかかつたのでしようか。
  289. 新井裕

    新井證人 これは今はつきり……。
  290. 大橋武夫

    ○大橋委員 今後もかかるでしようが。
  291. 新井裕

    新井證人 はつきり覚えておりませんが平市だけですか。
  292. 大橋武夫

    ○大橋委員 全部です。
  293. 新井裕

    新井證人 もしきちようめんに旅費あるいは超過勤務手当というものを計算すれば、一應われわれの概算では千二百万円。
  294. 大橋武夫

    ○大橋委員 そうすると憎むべき共産党のこの陰謀を鎮圧するためにわれわれ全人民は千二百万円の金を負担しなければならないということが明らかになりました。それからもう一つ土橋代議士がこの問題に関連いたしまして平市附近に滞在しておられたそうですが、その時の行動がわかつておるものがありましたらお示しを願いたいと思います。
  295. 新井裕

    新井證人 それは私どもの方にはよくわかつておりませんが、いずれ内郷署長もきよう來ておるそうでありますから、お聞きになればわかります。六月二十一日に内郷へ來ておるようであります。二十三日に集團入党式をやつて内郷町で演説会をやり、演説会終了後壽という炭坑で入党式をやつております。二十四日に好間という村で街頭演説をやつております。二十五日に平市で街頭演説をやつております。その後の状況はわれわれわかりませんが、表に現われたのはそれだけであります。
  296. 大橋武夫

    ○大橋委員 それから警察電話共産党員によつて傍受されたとか、あるいは盗聽されたというふうな事実がございましようか。
  297. 新井裕

    新井證人 先ほど申しました。
  298. 大橋武夫

    ○大橋委員 それならばよろしゆうございます。
  299. 浦口鉄男

    ○浦口委員 簡単にお尋ねします。ここに証人においでになつた福島地檢の檢事正の安西さんがおつしやつておるのですが、逮捕状を出した人数は百十二名、檢挙人数八十三名、未逮捕が二十九名となつておりますが、その未逮捕二十九名はなぜ未逮捕であるかという大体の事情をお聞かせ願えるものならばお聞かせ願います。
  300. 新井裕

    新井證人 結局逃走中でわからないのです。
  301. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 済みました。御苦労さまでした。この際三十分間休憩します。     午後一時六分休憩      ————◇—————     午後一時五十六分開議
  302. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 休憩前に引続き、会議を開きます。  塩谷重藏さんですね。
  303. 塩谷重藏

    塩谷證人 はい、そうであります。
  304. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたは福島縣内郷警察署長ですか。
  305. 塩谷重藏

    塩谷證人 そうであります。
  306. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 いつからですか。
  307. 塩谷重藏

    塩谷證人 昭和二十二年の二月からです。
  308. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 六月下旬に平市をめぐつていろいろ騒擾があつたようでありますが、まず六月二十七日に、あなたの方から平市警察署應援を出されたことがありますか。
  309. 塩谷重藏

    塩谷證人 あります。
  310. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 どういうことで應援を出されたのですか。
  311. 塩谷重藏

    塩谷證人 六月二十七日は平駅前にあります掲示板の問題で、党員の人たち及び労働者の人たちがたくさん集まつて平の警察署に押し寄せておりまして、収拾がつかないから、もしも事故でもできると困る。それで警戒をしたいから應援せいということを平の公安委員会の意を体して平市警察署長から應援の要請がありました。
  312. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それで何人やつて、どういうことになりましたか。
  313. 塩谷重藏

    塩谷證人 午後四時半ごろ長谷川部長以下九名の署員を應援に派遣いたしました。
  314. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それで向うへ行つてどういうことになりましたか。
  315. 塩谷重藏

    塩谷證人 向うへ行きましたところが、内郷の方から行つておりました労働組合人たちに、内郷の者は何で甲に應援なんかに來るのだ、さつさと帰れ、こう言われました。それから間もなく押し寄せた群衆が引揚げたので帰つて参りました。
  316. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 群衆から帰れと言われて帰つたのですか。
  317. 塩谷重藏

    塩谷證人 いや、それは群衆解散したからであります。帰れと群衆から言われましたけれども、うしろの方から警察署に入りまして、警察署で待機をいたしておりました。
  318. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 警察署に入つてつた、その日あなたの警察へも押し寄せて來たそうですな。
  319. 塩谷重藏

    塩谷證人 参りました。
  320. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 どういうことを言つて來たのですか。
  321. 塩谷重藏

    塩谷證人 午後八時三十分ごろでありますが、平に應援を出したことがけしからぬという抗議に参つております。
  322. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それだけですか。
  323. 塩谷重藏

    塩谷證人 それともう一つは、矢郷炭鉱の労働爭議を彈圧することはけしからぬ、謝罪しろ、こういうようなことを言つておりました。
  324. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そこでどういうことになりましたか。
  325. 塩谷重藏

    塩谷證人 その日は、その際私はいなかつたのであります。在署したのは渡邊富保巡査部長以下八名ばかり在署いたしました。
  326. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それで……。
  327. 塩谷重藏

    塩谷證人 抗議とそれから脅迫的な言辞をしやべりまして、九時十分ごろ引揚げております。
  328. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それはどういう人々が参りましたか。
  329. 塩谷重藏

    塩谷證人 これはその日の宿直の責任者である渡邊部長から聞いたのでありますが、矢郷炭鉱の労働組合副組合長である松木佐吉、それから共産党内郷町の委員長をしております鈴木磐夫、それから常盤炭鉱の労働組合の副組合長である党員の熊田豊吉、これらがおもな者であります。
  330. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 どれだけほど参りましたか。
  331. 塩谷重藏

    塩谷證人 平からの引揚部隊、平から帰つて來た者が約八十名であります。それから矢郷炭鉱の山元の方からおりて来た者が約四十名合計百二十名くらいと思います。
  332. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それで警察へ入つて何か暴行脅迫でもやりましたか。
  333. 塩谷重藏

    塩谷證人 警察の方では積極的にそれを阻止するとか取締りをするという態度に出ておりませんので、一方的に騒いで帰つたわけでありますが、その際土足で机の上に上つた者が十名くらいあつたと思います。それから脅迫的な言辞といたしましては熊田豊吉が——ちよつとメモを見たいと思いますが……。
  334. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 よろしゆうございます。
  335. 塩谷重藏

    塩谷證人 脅迫的な言辞といたしましては、終戰のときがわかるか、お前ら今にどうなるかわからないぞ、こういうようなことを言つております。それからきようは皆興奮していないからいいが、これが興奮したらお前らは半殺しだ、よく覚えている、これに対してその他大勢の者から、半殺しどころか皆殺しだ、こういうようなことを言つております。その他聞くにたえないような罵詈讒謗を極めて引揚げたわけであります。
  336. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 公安委員の高萩桂次郎さんの宅へも行つて何かやつたそうですね。
  337. 塩谷重藏

    塩谷證人 やはり八時三十分かないし四十分ごろかと思いますが、高萩公安委員長の家に五名ほどの者が参りまして、ちようど表門が閉つておりましたので、そのうちの一名は門を乘り越えて入つて、門を開いて、他の四名はかりの者とともに邸宅内に入りまして、公安委員長いたか、公安委員長この家を出ろ、こういうようなことを言いまして、住宅の中には入りませんでしたが、いないと言つたので、それで引揚げたようであります。
  338. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ところが二十九日にもまたそれへ押しかけた者があるそうですね。二十九日には來なかつたのですか。
  339. 塩谷重藏

    塩谷證人 二十九日には参つていないようであります。
  340. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 押し寄せぬでも何か話しにでも來た人があるのではないですか。そういうこともありませんか。あなたの不在のときに、松木佐吉と鈴木磐夫が来て何か談じ込んで行つたようなことがあるのですが、そういうことは聞いておりませんか。
  341. 塩谷重藏

    塩谷證人 はあ聞いております。
  342. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 その実情を。
  343. 塩谷重藏

    塩谷證人 日にちは忘れましたが、來た事実は次席から聞いております。
  344. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それでどういうことを言つて來ましたか。
  345. 塩谷重藏

    塩谷證人 労働運動を彈圧することはけしからぬという抗議をしたのです。
  346. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それだけですか。
  347. 塩谷重藏

    塩谷證人 あとはよく覚えておりません。
  348. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それから三十日には相当来たようですが、三十日の何時ごろどれだけの者が押し寄せて参りました
  349. 塩谷重藏

    塩谷證人 三十日には午後二時五分ごろ約百五十名の者が押寄せて参りました。
  350. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 どういう者が指導者になつて來ましたか。
  351. 塩谷重藏

    塩谷證人 日野定利、鈴木岩雄、鈴木光雄、松木佐吉、熊田豊吉、佐々木由、これらの者が、主脳部となつて押寄せたのであります。
  352. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 どういうことを言つて來ましたか。
  353. 塩谷重藏

    塩谷證人 この前來たときに署長はいなかつたがどこにいたか——二十七日のことであります——それに対して私は、菅本公安委員の宅に打合せに行つてつた、こう返事をいたしました。それから労働運動をどうして彈圧するかというような抗議がありました。私は労働運動には介入しない方針である、しかしこれに伴う越規行為があればこれを取締る、こう申しました。そのとき、きよう署員を集めておるのは、どういうわけだ、こう聞きました。それに対して私は定例の召集日で打合せのため集めておると回答しました。そうすると組合の者は、署員を集めたのは平に應援するためだろう、この前も平に出したが、われわれの税金で立つておる自治警察をなぜほかの町に出すのだ。きようは平に應援にやらないと約束をしろ、こう言いました。そこで私は、現在の状態では應援にはやらない、こう申しましたところ、約束だけではだめだ。この前も彈圧しないと言いながら労働運動を彈圧しておる。一札書け、こういうようなことを言いました。それから、ここで書けない、そういうものは書く必要もないというわけで拒否いたしましたところ、いろいろ押問答がありました。そのあとで、書かなければ武装を解除しろ、拳銃と警棒をここに集めろ、こういうことを言つております。書くか、武装解除するか、どつちかということで詰め寄つております。そうしておるうちに氏名不詳の者が大勢ぐずぐずしておるなら留置場にたたき込んでしまえ、こういうことを言いました。またからめ手の方から書け、書いて協力して行けば人民政府ができたときには使つてやる、こういうふうなことも言つておりました。書けないのならば表に出て、大衆に声明をしろ、こういうことも言つております。その際表の方では、やつちまえ、のしてしまえなどいろいろ罵詈讒謗がありましたが、三時近くになつたので、約束の時間が三時だから帰る、引上げるが、きようは平に應援は確かに出さないなということを念を押して引上げて行きました。以上であります。
  354. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それから、その群集はどこへ行つたのですか。
  355. 塩谷重藏

    塩谷證人 全部平に向いました。
  356. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そうすると平に行く前にあなたの所をおどかして、そうして平に應援に行かないようにしておつたものなんですね。
  357. 塩谷重藏

    塩谷證人 そう思います。
  358. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたの方はその日はやはり平に事が起ることを予知して、何か実際は準備でもしておつたのですか。それともそういうことはなかつたのですか。
  359. 塩谷重藏

    塩谷證人 そういうふうな危険は大体感じておりました。しかしその日は月末の日でありまして、月に三回の署員を召集していろいろ訓示をしたり講習をしたりする日でありますので、それをかねて警戒の形で集つてつたわけであります。
  360. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたの方はどれだけの人数がおつて、どういう装備があるのですか。
  361. 塩谷重藏

    塩谷證人 警察の定員は三十八名でありますが、ただいま警部補一名欠員でありまして、現在員三十七名であります。その三十七名のうち六月三十日の日は警察学校に再教育に出しておる者の交替の時期でありまして、四人学校に出しておりますが、交替でありますので倍数の八人がいなかつたわけであります。
  362. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そうすると三十九名だつたのですね。
  363. 塩谷重藏

    塩谷證人 そのほかに親が危篤で帰つていた者もありました。病氣欠席しておる者もありました。二十六人いたかと思います。
  364. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 防備力としてはどんなものがあるのですか。
  365. 塩谷重藏

    塩谷證人 拳銃は一挺であります。警棒は全部にわたる、だけあります。
  366. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それだけですね。
  367. 塩谷重藏

    塩谷證人 機動力としてはオート三輪車一台だけであります。あとは自轉車が十五台ばかりあります。
  368. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ところがその日、あなたの方の古口巡査部長が群衆から暴行を受けたというのですが、それはどういうことから起つたのですか。
  369. 塩谷重藏

    塩谷證人 それは二時三十分ごろでありますが、私のところに押しよせておりました幹部の者その他二十数名が署長室に入つてつたのでありますが、その際現在の状態では私は應援は出さないと申しました。ところがその言葉尻をつかみまして、それではどういう状態になつた應援にやるのだ、非常事態になれば出すのか、こういうことを言つております。その際一人の者が、古口部長は非常事態になれば内閣総理大臣のもとに一元化されて活動する、こういうことを言つて來たが、古口部長を呼んで説明させろというようなことを群衆の中から言つて來たわけです。それで私、は古口部長に説明させるまでもないというわけで、呼ばないでいたのであります。それで、二階で訓示講習の態勢でおつたわけですが、群衆の四、五名のものは三階に上りまして、古口部長を署長室に連れて來たわけであります。そしてこの前言つた非常事態のことについて説明してみろと言つた。古口部長というのは私の方の警備主任をさせております。この野郎は一番よくねえ野郎だ、会社さ行つてはいいことを言い、組合さ來てはいいことを言い、スパイだ、最もけしからぬやつだ、表に出て皆に謝罪をしろというわけで、二、三名のものに無理に押されるような形で表に出たのであります。それから約三十分間にわたりまして、約二、三十名の群衆に取り囲まれまして、謝罪しろというわけでこづかれたりうしろの方から蹴られたりしたわけであります。
  370. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 これはやはり先ほど言われたああいう連中が首謀者となつてそういうことをやつたのですか、日野とか鈴木とか。
  371. 塩谷重藏

    塩谷證人 大体そう思つております。
  372. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そのとき二階から写眞を撮つたら、その写眞を撮つたものを妨害するために何か暴れ込んだそうですが、そういうこともありましたか。
  373. 塩谷重藏

    塩谷證人 ありました。
  374. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それでとられてしまつたのですか、どうですか。
  375. 塩谷重藏

    塩谷證人 二時四十分ごろと覚えておりますが、古口部長が表にこづき出されて、こづかれたり謝罪しろと言つて詰問され、もまれている状況を二階にその当時おつた署員が、その被害の状況を記録しようとして写眞を撮影したのでありますが、写眞を撮つた者は藤田という巡査と中塚いう巡査の二人であります。その写眞を撮るところを認めた女の組合員が、二階で写眞を撮つていると一人叫んだところが、けしからぬというわけで約三十名の者が二階に上つて参りまして、今写眞をとつたのはどの野郎だというわけで、中塚という巡査はこづかれたり、左の脛を蹴飛ばされて擦過傷を生じました。
  376. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ここに写眞がありますが、七号と書いたもの、これはそのときしの古口巡査部長が外で暴行を受けておるところの写眞だと聞いておるのですが、そうですか。
  377. 塩谷重藏

    塩谷證人 相違ありません。
  378. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 これはもつと前がひどかつたので、少しは中へ入つて少くなつたのだという人もあるが……。
  379. 塩谷重藏

    塩谷證人 それは、ときどき雨が強くなつたり弱くなつたりしておりました。雨が強いときには中へ入り弱くなると、また先の方へこずき出す……。
  380. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 これは割に少いときですね。
  381. 塩谷重藏

    塩谷證人 そうであります。それから藤田という巡査も写眞をとつたのでありますが、これは写眞機の巻取りのぐあいが惡くなつたものですから、鑑識の主任の三瓶という巡査部長に、写眞機を直してもらうために渡したのであります。で、三瓶という巡査部長はすぐに暗室に入りまして、巻取りのぐあいを直していたのでありますが、そのとき藤田巡査は青いシャツを着ておりましたので、あの青いシャツを着ておるのがとつたのだという群衆の方から証言がありまして、貴様写眞をどこさやつた。とりはしない。ぐあいが惡いので今下で直している。こう言つたところが約五、六名の群衆が写眞の暗室へ行きまして、その戸をあけたのであります。ちようど写眞機を開いているところを戸をあけられたので感光してしまつてその写眞はだめになつてしまつた。それでも群衆はその写眞を見せろと言う。見せまいとしたところが、写眞機までとられそうになつたので、写眞機は三瓶部長が一生懸命抑えて、この通りとつていないのだと見せたところが、そのフイルムだけを強奪してそのフイルムは半分にちぎれて、あとの半分は群衆が持つてつたのであります。
  382. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それから内郷町の町会で、主食掛賣りのことですいぶん騒ぎを起したそうですが、そのときに町会議員が三人それに賛成するように誓約書か何か書かされたということがありましたか。
  383. 塩谷重藏

    塩谷證人 あります。これはその誓約を書かされた日だけのことを申し上げてもわかりませんので、ちよつとその前後の関係を簡單に申し上げたいと思います。六月二日でありますが、矢郷炭坑の労働組合長の渡邊仙一郎ほか組合員、それから党員の鈴事磐夫、これら約百名、ばかりが役場に参りまして、われわれは職を首になつて飯が食えなくなつた。これをどうしてくれる。すみやかに町会を開いて配給主食の掛賣りを認めさせろ。それから生活保護法による保護をしろ、食えないから保護をしろ。それからいろいろこれから別な事業もやつて行かなければならないので、生活資金の融通をあつせんしろ、こういうような三つの項目でありました。これは強制的でありますが、助役はそれでは速急に町会を開いて相談をするということを回答したのであります。それから六月三日に緊急臨時町会が開催されたのであります。このときも矢郷、壽の労働組合員、党員など二百名ぐらいが議場に押しかけて参りました。傍聽席からはみ出してしまつて、議席のうしろに全部ぎつしらと群衆に理まつたという状況であります。盛んに罵詈讒謗しておつたようであります。その際の議会の多数の意見といたしましては、矢郷の問題は現在爭議中のものである。その爭議中のものに対してその一方を自治体が救済援助するということは妥当でない。爭議が終結して、その結果生じた失業者に対しては失業対策をもつて救済をし、働くことのできないからだの不自由な者に対しては生活保護法で救済して行く。これが自治体としては正しい行き方だという結論になりまして、この生活保護法による保護、それから生活資金の融通、これは否決になつたのでありまして、それから配給、主食の問題は、これは役場の問題ではなく食糧営團の問題だということになつて、結局否決されたのであります。ところが否決されると群衆はいきりたちまして、そんなばかなことがあるか、再審議をしろ、こういうようなことを言いまして町会議員である熊田豊治も採決の公正を要求しましたところ、群衆もそれに呼應してやり直せということでどなりました。そのときはすでに一部の議員が議場を去つておりまして、この再審議を議長も制止したのでありますが、群衆の方では圧力を加えまして再議をしろということで、採決のような形になつたのであります。その結果は八対八であつたのでありますが、同数であるにもかかわらず傍聴人らは「多数決。々々々」こういうことを叫びまして、議場騒然となりまして議長の採決もために誤つて、その多数決を確認したというような状況になつております。
  384. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 議長が確認したのですか。
  385. 塩谷重藏

    塩谷證人 議長が確認させられたわけであります。  それから六月八日でありますが、町長としましては一つの議題につきまして二つの結論をつくつてもらつたので、執行当局としては執行ができないし、また一旦採決したものを、そのあとで再議をしておることは議事規則の違反であるので、これを再び議題に載せて再議をするために町会を招集したのであります。この日も三日と同じような意見でありまして再議採決の結果は十四対四でこれを否決しております。  なお資金の融通の面については実情を調査して見ようという附帯條件が出ましたので、その日に山元に調査に行つたはずであります。その調査に行つた結果を町会の協議会に出してこれを審議するわけであつたのであります。その日どりは六月九日でありましたが、この日は議員の定数に達しないで流会になつております。それが次の日に延びて六月十日の町会の協議会を持つたわけであります。八日、九日、十日もそれぞれ約二百名の群衆が議場に押しかけております。
  386. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 わかりました。そこで先ほどから言われた人々は政党には主として、どういうところに属しておる人でしたか。日野、鈴木両名、松木、熊田、佐々木というのは……。
  387. 塩谷重藏

    塩谷證人 確実に調べたことでないのでよくわかりませんが、自分も共産党だと称しておりますし、世間でも共産党であるといつておる。
  388. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 全部ですか。
  389. 塩谷重藏

    塩谷證人 今名前を申し上げました全部であります。
  390. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 朝鮮連盟相当加わつておりましたようですが、あなたの方はそういう事実はありましたか。
  391. 塩谷重藏

    塩谷證人 朝鮮連盟の加わつたのを私が認め、たのは三十日の日だけのようであります。
  392. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 その朝鮮人は主にどこにおる者で、どういう党派に属しておる者ですか。
  393. 塩谷重藏

    塩谷證人 内郷町に居住している成人男子約五十名であります。系統的には共産党の方についておるということを言われております。
  394. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたの方の町の者ですか。
  395. 塩谷重藏

    塩谷證人 そうであります。
  396. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 一説ではあなたの方のは南朝鮮の者が多い、おとなしい者が多いという説もあるのでありますが、どつちが本当です事か。
  397. 塩谷重藏

    塩谷證人 南朝鮮の者のあるのは湯本町です。湯本町に建國青年同盟の二十名くらいの南朝鮮の者がおります。
  398. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 わかりました。そこで土橋代議士はその前後あなたの地方に來ていろいろ活躍しておつたという話がありますが、その実情を聞かしてもらいたい。
  399. 塩谷重藏

    塩谷證人 六月二十一日の午後五時ごろの列車だと思います。内郷町に参りまして相談があつたようでありますが、その結果これは山の爭議で六月十三日から矢郷本坑のわきと内郷町役場裏の二箇所で各二名の者がハンストをやつてつたのであります。そのハンストはその日の夕刻中止されました。その日は夜壽炭鉱の青年会館で講演会がありました。議会報告演説会こういう名前のようでありました。その講演会のあとで矢郷炭坑の者四十名、壽炭鉱の者三名、合計四十三名の集團入党式があつたようであります。それから六月二十二日、この日は町内二、三箇所で街頭演説を行いました。それからその二十二日夜は内町小学校で演説会がありました。その際も三十三名の入党式がありました。私の町に滞在したのは二十一、二十二の二日であります。二十二日には湯本町に行つたと覚えております。
  400. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それからいつまでおりました。平とかその他その辺へ。——よくわかりませんか。
  401. 塩谷重藏

    塩谷證人 二十五日ごろまでのことだけで、その後ははつきりわかりません。
  402. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 二十三日湯本へ行つてその後はどうなりましたか。
  403. 塩谷重藏

    塩谷證人 私は見たわけではないのでありまして、湯本から好間村、平の方へ参りました。
  404. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 二十五日までおつたのですね。
  405. 塩谷重藏

    塩谷證人 そのころまでいたという話を聞いております。
  406. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 演説をやつた内容とか、それから指導方法とかいうものはわかつておりませんか。どういうことを指導しておつたか、わかつておることだけをお聞きしたい。
  407. 塩谷重藏

    塩谷證人 名目は議会報告演説会、こういうような名前でありまして、相当議会の状況を報告するのには長い時間をとつたようでありますが、そのほか記憶にあるところでは、炭鉱地帯でありますのでメリット制実施に伴う小炭鉱の崩壊、全部が倒れてしまう。これは反動吉田内閣の賣國的行為である。われわれが民族産業を防衛をするのには、どうしても人民政府を樹立しなければだめだというようなことが大体の要旨のようであります。
  408. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そこでこういう事件があつたらあなたの方の近所の者は相当不安を感じておりはせなかつたかと思いますが、その実情はどうですか。
  409. 塩谷重藏

    塩谷證人 警察群衆にやり込められている状況をまのあたり町民は見まして、警察がこんなに弱いことではその後に来るものがおもんぱかられる。警察が骨抜きになつたあとはわれわれはどんなことをされるかわからない。こういうようなことで檢挙が始まる前というものは、非常に不安動揺いたした状況を見ております。それから六月二十七日に押し寄せた際には、これから警察を人民裁判にかけるからみんな集まれというようなことを言うておりました。それに対しては町民は非常に畏怖の感を抱いたと思います。なおその日でありますが、これはあとでトリツクだということがわかつたのでありますが、仲間の者を私のところの次席の平田警部補に仕立てまして、警察署襲撃したデモ行進をやりながら、一部の者がその仲間の者を手どり足どりしてひつぱりながら、次席というのはお前か、平田というのはきさまか、けしからぬやつだ、組合に行つてこれから謝罪しろと、こういうようなことを言いながら、——これは芝居でありますけれども言つて町を歩いておりました者があります。これは、ほんとうに平田という警部補がやられたのだと思いまして、非常に町では恐怖した事実がありました。
  410. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 事実においてどうです。どうにも方法のないものでしたか。
  411. 塩谷重藏

    塩谷證人 相手は大勢でありまして、しかも日本の法律というものは多数の暴力によつてつくつた法律である。その法律が多数のわれわれが間違つているというときには当然そんな法律は守る必要はないんだ。違法もくそもあるか、こういうような考え方からやつて來ますので、警察といたしましても取締りなり、あるいはそれを抑制なりしなくてはならないことはわかつておるのでありますけれども、多勢に不勢でいかんともすることができなかつたのでありまして、それで早く警備態勢をつくつてもらうように國家警察の縣の本部の方には情報を出して再三要請をして参つたのであります。
  412. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ほかに何かありますか。
  413. 高木松吉

    高木(松)委員 一点だけ聞きます。デモ隊びくびくやつておるようですが、届出してやつていますか。
  414. 塩谷重藏

    塩谷證人 六月十六日にデモをやるというときには届出を出しましたので、そのときは公安委員会の決議によつてこれを許可しております。しかしその日は雨が降りましたので、デモは中止になつております。そのほかには六月の八日、それから六月の二十七日、六月の三十日の三回にわたつてデモをやつておりますが、これは許可の申請もしておりませんし、許可になつておりません。
  415. 高木松吉

    高木(松)委員 許可されずにやつたのですね。それから矢郷炭鉱で野草を食つてつて、ほとんど栄養失調になつておるというようなことを言つておるが、われわれの調べるところによると、主食の配給は完全に受けておるようだが、その点に対してはどうでしよう。
  416. 塩谷重藏

    塩谷證人 主食だけは命の綱でありますので、会社側としても配給いたしております。
  417. 高木松吉

    高木(松)委員 野草を食つておるというようなことはどうです。ふきの葉だとか……。
  418. 塩谷重藏

    塩谷證人 山に行けば野草でも、栽培したのよりかえつておいしいものもありますので、あるいは野草を食わないとは言うことはできません。
  419. 高木松吉

    高木(松)委員 それから矢郷炭鉱に仮処分を行われたこと御承知ですか。
  420. 塩谷重藏

    塩谷證人 わかつております。
  421. 高木松吉

    高木(松)委員 それならそれを詳細に述べてください。
  422. 塩谷重藏

    塩谷證人 それは三十日に、会社は人員整理による山の再建計画を実施に移しまして、百四十三名の解雇を通告しております。この解雇された百四十三名の者は引続き仕事をしておりまして、会社としては解雇した者に対する配番はしなかつたのでありますが、結局解雇されない者と一緒の組をつくつて、働き高は解雇されない者の働き高にしてやつていたようであります。
  423. 高木松吉

    高木(松)委員 それに対して入坑禁止の仮処分をやられて、その仮処分の執行をしたことがありましようか。
  424. 塩谷重藏

    塩谷證人 六月の八日に、会社側の申請に基いて解雇者の立入り禁止の仮処分が、平の裁判所で受理になりましたので、六月の九日にこの表示その他の執行が行われました。
  425. 高木松吉

    高木(松)委員 そのとき、あなたの方でいわゆる警備か何かについたことがあるでしようか。
  426. 塩谷重藏

    塩谷證人 はい。
  427. 高木松吉

    高木(松)委員 その詳細をひとつ……。
  428. 塩谷重藏

    塩谷證人 六月九日までは会社側は、組合が会社の解雇を認めないで、会社の業務命令を排除してやつていることについても、一應の警告はしましたが、九日の日からは会社としても完全な業務管理をするという腹をきめて、この解雇者の入坑を拒否するというはつきりした態度に出て参りました。それから組合の方としましてはそれを強引に押し切つて、入坑作業をするという決定を職場大会でいたしましたので、勢いこの日は会社側と組合との衝突のおそれがありましたので、これに対して警戒の意味で警備員を配置いたしました。その警備員は自署員二十名、それから平地区、自治、各十名、湯本町十名の、三十名の応援をしてもらつて、合計五十名で警備に当りましたが、何らその日は事故もなかつたので警備を解除した次第であります。
  429. 高木松吉

    高木(松)委員 それから先ほどちよつとあなたから返事を伺つたのだが、八月か九月に人民政府が暴力革命によつてできるというようなことを、はつきりとここに来ている人たちの中から聞いておりますか。
  430. 塩谷重藏

    塩谷證人 三十日には鈴木磐夫が言つております。
  431. 高木松吉

    高木(松)委員 そういうことを所々方々で言いふらしている事実は御承知ですか。
  432. 塩谷重藏

    塩谷證人 そのほかには六月二十二日と覚えておりますが、アカハタの本部特派員と称しておりましたが、名前を忘れましたが、森とか何とかおつしやいました。
  433. 高木松吉

    高木(松)委員 それは何と言つておりましたか。
  434. 塩谷重藏

    塩谷證人 それは、ここ数日來情勢は非常な進展をしている、われわれ人民大衆の手に政権がまわつて來ることを署長は知つているか、こういうようなことを言うておりました。それからこの際に先の方が署長に山をかけたのでありますが、國家警察の者は非常に討論会や何か開いてわれわれのことをよく認識してくれる。自治の方はさつぱり勉強しないようだが、ここの警察ではわれわれの方を認識するような動きがあるのか、こういうふうなことも言つております。
  435. 高木松吉

    高木(松)委員 そこであなたは平事件に対して相当の面に直接、間接に関係しているようです。その面から見て今回の平事件というものは計画的に行われたものであるということを認めるわけには参りませんか。あなたの感じでよろしゆうございます。
  436. 塩谷重藏

    塩谷證人 それはもちろん計画的に進められたものと判断いたします。
  437. 高木松吉

    高木(松)委員 その計画のもととなつて主役をつとめているものは共産党の石城地区人たちだという、ことを認められませんか。
  438. 塩谷重藏

    塩谷證人 もちろんその人たちが大きな役目をはたしているように私は考えます。
  439. 高木松吉

    高木(松)委員 そこでいま一つ、あなたの管内のようだからお尋ねしますが、壽炭鉱、矢郷炭鉄という炭鉱がほかの炭鉱と違つて、どういうわけでこの炭鉱のみが深刻な労働爭議を起し、経営が困難になつて行くのか。その点についてあなたの観察はどうです。
  440. 塩谷重藏

    塩谷證人 矢郷炭鉱の場合でありますが、これは山そのものといたしましても昭和二十二年の九月に水が出まして、十二月いつばい約三箇月間ほとんど出炭いたしておりません。それから二十三年の八月にまたまた出水いたしまして、本鉱と大谷鉱が水にとられて、これも三箇月ばかり採炭不能に陥つております。そういうような山でありますが、ここの労働組合はもと全石炭に属しておつたのでありますが、今年の四月ごろからは炭連に入つたと言われておりますが、幹部は全部共産党だと自分も言つております。この山は昨年中——それ以前からもストライキがたいへんにはやりまして、波状ストとか、ピストン・ストとかいうのでストライキをやつておりまして、出水によつて炭が掘れない上に、ストライキによつて出炭の能率を阻害いたしまして、昨年の一月以降の出炭の状況を見ましても、毎月の目標は二千六百トン前後の割当があるわけでありますが、その目標を達成したのは、昨年度は一、二、三の三箇月、本年度は三、四の二箇月だけでありまして、常盤地区の炭鉱がいずれもみな目標を突破しているというときに、この矢郷炭鉱だけはそういうような状況で、出水とストライキというようなものがたたつて炭鉱能力が落ちているわけであります。また一面そういうように出炭があがりませんので、炭價の中から人件費の受持つ割合というものも非常に多いようでありまして、常盤地区の平均が五〇%ないし五五%であるのに対して、矢郷炭鉱は六五%というように人件費が高率になつていることなども経営が困難になつた理由でないかと存じます。
  441. 高木松吉

    高木(松)委員 それはこういう意味に承つてよろしゆうございますか、出水のためにうまく行かなかつたのみならず、労働組合指導たち共産党人たちで必要以上の労働爭議を重ねているために、遂に経営が成り立たないというような事情に相なつて深刻な問題をひき起したと承つてよろしゆうございますね。
  442. 塩谷重藏

    塩谷證人 昨年あるいはそれ以前からごく最近までの労働者の低級な者の頭といたしましてはストライキをやつていた方が金になるというのが実情でありまして、いきおい働くよりもストライキをやつて條件をよくして行くというような行き方はどこでもとられたようであります。
  443. 神山茂夫

    ○神山委員 八代一郎というのを御承知ですか。
  444. 塩谷重藏

    塩谷證人 わかつております。
  445. 神山茂夫

    ○神山委員 その人は前どこの鉱山にいたですか。
  446. 塩谷重藏

    塩谷證人 前身はよくわかりません。
  447. 神山茂夫

    ○神山委員 あなたの所に大橋という次席がいましたか。
  448. 塩谷重藏

    塩谷證人 昨年の十月までおりました。
  449. 神山茂夫

    ○神山委員 この人はどこかに轉出しておりますが、どこに行きましたか。
  450. 塩谷重藏

    塩谷證人 猪苗代地区警察署に行つております。
  451. 神山茂夫

    ○神山委員 どういう理由でかわつてつたのでしよう。
  452. 塩谷重藏

    塩谷證人 大変酒が好きでありまして、酒を飲むために事故を起しておりまして、本人もいずらいことと思いまして轉出させました。
  453. 神山茂夫

    ○神山委員 町会議長の菅本君と喧嘩したことがあるそうですが、
  454. 塩谷重藏

    塩谷證人 あります。
  455. 神山茂夫

    ○神山委員 どういうわけでやつたのですか。
  456. 塩谷重藏

    塩谷證人 それは昨年の九月二日と覚えておりますが、大橋が昨年の八月十八日と思いますが酔つ拂つて来て署長に悪口雑言をいたしまして、署長にその際硯箱などをぶつけまして……。
  457. 神山茂夫

    ○神山委員 あなたにですか。
  458. 塩谷重藏

    塩谷證人 そうであります。それを菅本議長が、すぐ前に住宅があり、事情がわかつていたものですから、警察署の地鎮祭の際にたしなめたのでありますが、酔つ拂つてつたものでありますから、なにつというのでなぐりつけたのであります。
  459. 神山茂夫

    ○神山委員 あなたの所で暴力團狩をやられましたね。
  460. 塩谷重藏

    塩谷證人 やりました。
  461. 神山茂夫

    ○神山委員 どのくらいつかまえましたか。
  462. 塩谷重藏

    塩谷證人 毎日の仕事が暴力團狩でありまして、炭鉱の特殊地帯でありまして、昨年の二月自治警察署がその発足の当時はどこの分れ道に行つてもどこの橋のたもとに行つても選炭場に行つても、劇場の前でも駅前でも、いれすみをした者が三人四人と白晝いないことはなかつたのであります。それが白晝恐喝や暴行を働き、強盗まがいのようなことをやつておりましたが、これが約二箇月かかりまして四月の花どきまでには大体整理いたしましたので、その際檢挙したおもなる事件というのは大体恐喝、暴行、そういうようなものでありまして、送つた事件の大部分が暴力行為であります。
  463. 神山茂夫

    ○神山委員 そのとき、この大橋という巡査は積極的にやつたという話を聞いておりますか。
  464. 塩谷重藏

    塩谷證人 大橋警部補は非常に仕事がまじめでありまして、酒を飲んだときの脱線さえなければ非常に將來性のある男であります。酒を飲むとどうも別人になつてしまうので、本來ならば懲戒免職させるのだが、反省させるために自治警察の方には行くところがないので、國家警察の方でとつてもらいたいといつて推薦いたしまして、むりに猪苗代地区警察署にとつてもらつたわけです。
  465. 神山茂夫

    ○神山委員 今年の五月に火事がありましたか。
  466. 塩谷重藏

    塩谷證人 ありました。
  467. 神山茂夫

    ○神山委員 そのとき大分火事どろが出たそうですが。
  468. 塩谷重藏

    塩谷證人 火事場泥棒が目にあまるぼどあつたということは聞いておりません。
  469. 神山茂夫

    ○神山委員 そのときにあなたの方ではどのくらい動員なされましたか。
  470. 塩谷重藏

    塩谷證人 署員は手配のできる限り全部現場にまわしました。
  471. 神山茂夫

    ○神山委員 それもは何人ぐらい動員なさつたのですか。
  472. 塩谷重藏

    塩谷證人 特に電話がないところは別でありますが、電話のあるところにいた者は全部出ておりますから、二十名ぐらいは出ておると思います。そのほかに烈風中でありまして、自分の警察署の力と、自分の町の消防力だけでは足りないと思いまして、平に應援を要請いたしまして、自動車ポンプ三台、警察署員も應援いただきまして、あのときは平の自治から約十名、湯本の方から自動車ポンプ一台、警察署員約十名が應援に來てくれました。
  473. 神山茂夫

    ○神山委員 そのときにあなたとしては手落ちがなかつたわけですね。
  474. 塩谷重藏

    塩谷證人 私としては最善を盡したつもりであります。
  475. 神山茂夫

    ○神山委員 それから矢郷の労働者諸君の檢挙の状態ですが、最近における檢挙の模様についてちよつとお話願いたい。
  476. 塩谷重藏

    塩谷證人 頭数でありますか。
  477. 神山茂夫

    ○神山委員 やり方だよ。
  478. 塩谷重藏

    塩谷證人 檢挙のやり方は、平の市警察署に捜査本部を設けまして、すべては平の捜査本部においてやつておりますが、その間令状を発行された者で捜査本部の者が來てもそのときいなくて、たまたま自分のところの署員が見まわつたときいたと事いうようなのは自分の署員で逮捕しております。
  479. 神山茂夫

    ○神山委員 全体としては捜査本部の指図でやつておりますか。
  480. 塩谷重藏

    塩谷證人 捜査本部ができてからその指図でやつております。
  481. 神山茂夫

    ○神山委員 そうしますとあの事件後、相当数警察官を動員して、部落をとりかこんだり、家の中に入つて非常に乱暴なことをしておるらしいが、それは直接あなたに関係はないのだね。
  482. 塩谷重藏

    塩谷證人 私の指揮した部隊はありません。
  483. 神山茂夫

    ○神山委員 それで六月八日、九日の場合には相当数動員されておるのですが、あの仮処分を行う前に、六月三日に平地方裁判所の志村判事が、共産党石城地区委員会及び矢郷炭鉱労働組合代表者に対して、仮処分の執行に対しては口頭弁論を聞くとはつきり確約されていたという事実をお聞きになつたことはありませんか。
  484. 塩谷重藏

    塩谷證人 聞いたことありません。
  485. 神山茂夫

    ○神山委員 それじやこれも聞かないと思うのだが、志村判事は確約を飜えしたが、これは至上命令であるからやむを得ずやつた。こういうふうに答えておるが、これもむろん知りませんね。
  486. 塩谷重藏

    塩谷證人 その辺の事情はよくわかりません。
  487. 神山茂夫

    ○神山委員 六月九日の場合はあなた方がこういうふうな経過がある点を知らないで、一方的に仮処分の執行を申しつけられたということが、矢郷労働者の生活状態が窮迫しておる。これと相まうて労働者の間に大きな反感を植えつけたと、こうあなたは思いませんか。
  488. 塩谷重藏

    塩谷證人 六月九日の警備配置は、どこまでも警戒のための警備配置で、積極的な実力行動とか、そのほかの態度は警察としてはとつておりません。
  489. 神山茂夫

    ○神山委員 八日の日は……。
  490. 塩谷重藏

    塩谷證人 八日の日ももちろんとつておりません。八日の日はあべこべに古口部長が役場で労働組合の者約二、三十名にこずきまわされて詰問されております。
  491. 神山茂夫

    ○神山委員 話は前後しますが、古口部長としては先ほど古口部長をとつちめたときにも出ておるように、労働者の前に行けばうまいことを言い、会社へ行けばうまいことを言つて、しかも六月八日のような場合には、出て來て山の入口にふさがつておる。こういうふうなことがあるために、古口部長に対して特に一般炭鉱労働者の不満というか、怒りというものが集まつたということをあなた考えられませんか。
  492. 塩谷重藏

    塩谷證人 警察としてはそういうふうな彈圧的なこと、積極的なことは命じておりませんのでやつてないと思います。
  493. 神山茂夫

    ○神山委員 命じていないとあなたは先ほどから言つておるが、古口部長そのものがいろいろな場合に出て來て労働者のいろんな要求を押える先鋒になつたことはあなた認めませんか。
  494. 塩谷重藏

    塩谷證人 古口部長はいわゆる警戒の対象になる対象は視察してはおりますけれども、警備の対策は別な者が立てておりまして、特に一方でなでておいて向う脛を蹴つ飛ばすということは私としてはとりたくないので、情報をいただく方は専門にほんとうに内情を伺つて、その人たちの立場になつて考えさせる者を充てておるつもりであります。
  495. 神山茂夫

    ○神山委員 ところがあなたは主観的にまじめにやつておられようとも、先ほど私の聞いた大橋警部補の異動の場合、これと菅本君との関係、最後にその裏につながる公安委員、ざらにある場合には炭鉱の労務係、こういうふうなものが一連になつておる。大橋君が轉勤になつた理由の一つは、彼が暴力團狩りを積極的にやり過ぎたことだという声さえも一部にある。また古口巡査部長があまりに日頃からそういう点では行過ぎなことをやつておる、ことに炭鉱労働者に対してそういうふうなことがあつたことが、六月二十七日の場合、さらに三十日の場合あなたのところへ押しかけて來る原因であつたし、古口部長が特にみんなから狙われる原因じやなかつたか、あなたは今になればそういう点冷静に考えることができないか。
  496. 塩谷重藏

    塩谷證人 そんな事実は絶対にありません。かつての部下をそうけなしたくはありませんけれども、そう言われるならば一應説明します。大橋という男は非常に仕事はまじめであり、しかも積極的にやりますけれども、酒の癖の悪かつた男で、とかく大きな方角について間違いを時々します。こういうことでありまして、大体彼の経歴というのは、朝鮮で巡査を二年半ばかりやりまして、それが終戰で引揚げて参りまして、本縣で巡査を約一年やつて巡査部長になつたのでありますが、巡査部長になつたのは朝鮮の実歴を加えても三年六箇月くらいであります。それが巡査部長を五箇月ばかりやりまして、二十三年二月に自治警察が分離したときに一躍警部補になつたのであります。四年そこそこで警部補になつたために、文才はあつて仕事をまとめる上においては一應の才能はありましたけれども、ほんとうの警察の行き方というものをまだのみ込んでいないために、ときどき失敗などを起しておりまして、これは本人の將來のためにも、もう一階級下げてじつくり自分のことを反省して見て將來の大成をなすのが本人のためだとこう思つて轉勤をさしたわけであります。
  497. 神山茂夫

    ○神山委員 それは平の場合にも六百万円の使い込み問題だとか、つまらないことだがゆでだこ事件みたいなものがあつて、日本の警察に対する信頼がない。あなたのところの場合にも、私は大橋君を支持するかしないかという問題じやなく、こういう問題の中にも警察の内部における問題がいろいろ関連しているのじやないか、ことに炭鉱労働者があなたのところに押しかけて來るについては、今までの警察の行為に一つの大きな行き過ぎがあつたのじやないか、このことを私は聞きたかつた。しかしそれはそれでいいですが、ここの山ではいつごろから賃金が遅配になつておりますか。
  498. 塩谷重藏

    塩谷證人 今年の四月以降の遅配があると思います。
  499. 神山茂夫

    ○神山委員 欠配はありませんか。
  500. 塩谷重藏

    塩谷證人 大体約百万円くらいの決済未済分がありまして、そのうち三十万円は七月の三十日に支拂いまして、あとの残りは近日中に支拂うと会社側は言つております。
  501. 神山茂夫

    ○神山委員 七月にお拂いになつたのだから、事件の当初は欠配に悩んでおつたということはあなたもお認めになりますか。
  502. 塩谷重藏

    塩谷證人 全部ではありませんので、中には借り越しのものもあります。働かないで配給だけ受けておりますれば赤字になつておりますので、そういうような者もあるために相当計算があふれておること、それから資金の面に行き詰つて遅れたのだと思います。
  503. 神山茂夫

    ○神山委員 先ほどあなたは労働者は低級だと言われましたが、今でもそう思つていらつしやいますか。
  504. 塩谷重藏

    塩谷證人 全部について申し上げたわけではありません。矢郷、壽の場合について申し上げたつもりでおります。
  505. 神山茂夫

    ○神山委員 矢郷、壽は低級だというわけですね。
  506. 塩谷重藏

    塩谷證人 全部ではありません。大体矢郷、壽の今度の事件に持つて來るまでの動き方を見ますと、一番向う見ずな力の強いというか、狂信的に団結していたのは家庭婦人でありまして、これは組合の者か党の者かわかりませんが相当指導したものと見えて、最初から警察を敵として参つたのでありまして、警察としてはそういうようなものに対して闘うために相手にするのが本務でありませんので、大局的に見てあしらわないで來たのであります。なんぼでものぼせて最後には警察は一人では巡回もできないというような状況になつて來ました。女だてらにだれそれ巡査が夜などは逃げて行くから石をぶつけろというようなことを言つております。それから女だてらに警察が巡回をするあとにぞろぞろついて参りまして、警察をけ飛ばす眞似をしたり、つばを吐きかけたり、なぐる眞似などをしておりました。これらは相当力を入れて訓練したものと私は認めるのであります。
  507. 神山茂夫

    ○神山委員 何が彼女をそうさせたか。
  508. 塩谷重藏

    塩谷證人 それについてもう一つ申し上げます。
  509. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 なるべく簡単に願います。
  510. 塩谷重藏

    塩谷證人 この爭議の最中に矢郷の労組員の山本武太といいますが、山本武太がこれはずつと前から胸部疾患の経歴がございまして、昨年の二月ごろからはそれがカリエスに悪化いたしまして二回ほど入院して手術しております。今年になつても二月に再手術をいたしました。それがこの五月末ごろになりまして頭痛嘔吐をもよほしまして早速診断を受けたのでありますが、その症状からしてこれは結核性の腦膜炎だと医者は診断をしております。それがこの六月十三日の午後一時についになくなつたのでありますが、これを取上げまして警察は彈圧をして山本を殺した、警察の彈圧によつて頭が悪くなつて死んだ、あるいはまた首切りによつてシヨツクを起して死んだ、こういうようなことを組合員によく徹底させまして、どこの講義に行つた場合でも組合員のたれかが必ずしやべつており、講義をしております。
  511. 神山茂夫

    ○神山委員 あなたが山本武太この人の死についてこういうふうにおつしやつて、それはあなたの見解を述べていると思うが私の質問に答えていない、私の質問した点は、どういうわけで日本の遅れた婦人労働者が、今までの考え方から言えば一番えらいお巡りさんだ、そのお巡りさんに対してあなたの言うような数々の暴言を吐いたり失礼するようなことになつたか、それは生活の不安と夫そのものの首が切られている、こういう社会客観情勢等があつたからここで立ち上らざるを得ないではないか、そういう点あなたは認めらたか。
  512. 塩谷重藏

    塩谷證人 もちろん労働者なりその家族といたしますれば、首を切られたことはきわめて重大な問題であります。そのことによつて激昂したことも認めております。しかし一部あくどく宣傳をするために、それがよけいに気違いじみて動いている、ということを認めております。
  513. 神山茂夫

    ○神山委員 さらにそれではあなたに御質問するが、十三日の日に四名の人がハンストやつている、これは御存じですか。
  514. 塩谷重藏

    塩谷證人 わかつております。
  515. 神山茂夫

    ○神山委員 どういうわけでハンストをやつたのでありますか。
  516. 塩谷重藏

    塩谷證人 民族産業防衛のためにわれわれは死をもつて闘うということも一應理由のようであります。そのほかには吉田反動内閣を倒すためにわれわれは抗議をするのだ、このハンストによつてわれわれの團結は固くなつて、やがて民主人民政府ができるのだ、これらはいわゆる反動吉田内閣打倒、首切り反対、民主人民政府樹立、こういうようなスローガンを大きく掲げているところから私はそう察します。     〔「ハンストは共産党がやらせておるのだ」と呼び、その他発言する者多し〕
  517. 神山茂夫

    ○神山委員 今そこいらで吉武君がハンストの問題についてやじつていて、まるで共産党がやらせるように言つておりますが、これは間違いだ。御承知のように土橋君が行つて止めている。現に國会において炭労の諸君がストライキをやつたときも私は止めに行つている。從つてハンストの問題でなくて、そこに掲げている要求が大事だ。それで主食の掛賣りという要求が出てくる根拠は当然あなたとしてもわかるでしよう。
  518. 塩谷重藏

    塩谷證人 主食は掛賣りということを言わないでも、その当時会社といたしましては生産していないのだから、生産するまでは労働賃金を拂わないのであるが、主食だけは配給してやらなくてはならない、こういうような考え方から、今日でも主食だけは賃金を拂わないおわびのような形で配給しております。
  519. 神山茂夫

    ○神山委員 会社の苦労はわかりますが、労働者が主食の掛賣りを求めるのは、結局それが今会社の負担になつている。それを町会の決議その他でこれができるかできないかは別として、労働者がそういうふうな方向に持つて來て一應決定されたのが六月三日ではなかつたか。その六月三日のことについては、あなたの今の話によると、きめ方にいろいろな問題があるようでありますが、先日來た証人、社会党の加藤君がある程度まで三日は多数決であつたことを認めておる。それを八日の日にひつくり返している。それはほかでもない菅本君……(「違う」と呼びその他発言する者多し)この菅本という人はどういう人か。
  520. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 三日の決議の状況はさつき言つたのです。君はちよつと違う……。
  521. 神山茂夫

    ○神山委員 菅本とは何者だと聞いているのだ。
  522. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 菅本が、三日の日に多数で決議されたものをひつくり返したと言うから騒がしいのだ。そうではなくて八日に再決議したのだから——菅本という人は八日にいたのですか。
  523. 塩谷重藏

    塩谷證人 おりました。
  524. 神山茂夫

    ○神山委員 だからその菅本という人はどんな人かと聞いているのだ。
  525. 塩谷重藏

    塩谷證人 この人は考え方としては社会民主的な頭を持つている人であります。
  526. 神山茂夫

    ○神山委員 問題なのは、この菅本氏に関連していろいろな調査要求や何か出ておりますね。
  527. 塩谷重藏

    塩谷證人 出ております。
  528. 神山茂夫

    ○神山委員 あなたも御承知ですね。
  529. 塩谷重藏

    塩谷證人 はい。
  530. 神山茂夫

    ○神山委員 問題なのは、あなたはこの調査の要求に対して、不正の事実がないということを前提として調べるというようなことをおつしやつておりますが、そうですか。
  531. 塩谷重藏

    塩谷證人 目下捜査中でありまして、捜査をしてみなければその責任はどこにおちつくかわかりません。
  532. 神山茂夫

    ○神山委員 それならいいのです。それならあなたが署長として当然な答なのだが、しかし調査員があなたに会つたときには、不正の事実がないということを前提として調べるというふうなことを言われたとあるから、これは問題だと思つて……。
  533. 塩谷重藏

    塩谷證人 そんなことを言つた覚えはありません。
  534. 神山茂夫

    ○神山委員 それがなければ、さらに聞きたい。さつきあなたは六月二十二日にハタの本部から大分來たというのですが、それはハタの本物ですか。
  535. 塩谷重藏

    塩谷證人 本物かにせ物かわかりませんが、私には森祥三という名刺を出して行きました。
  536. 神山茂夫

    ○神山委員 そこで証人お尋ねしますが、先ほどあなたは鈴木君の言つたことや、それから今の森祥三の話を引かれたわけですが、森の場合に言つていることは何もすぐ暴力革命どうこうということを言つているわけじやない。鈴木君の場合にしましても、あなたの初めのお話の中では暴力革命をやるということは言つていないにかかわらず、高木委員の誘導尋問にあなたもつい、さようでありますと言われたために、速記録の中には暴力革命をやるということが入つている。この点は、あなたが事実に基いて、暴力革命という言葉を聞いたか聞かないか、この点をはつきりしてください。
  537. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 いや、聞いたか聞かぬかだけ言われればいいのです。
  538. 塩谷重藏

    塩谷證人 言葉でははつきり言つたことは覚えておりません。
  539. 井手光治

    ○井手委員 内郷町会で主食の掛賣りを議決するということについて、何か事務的なそういう起案かなんか見たことがありますか。
  540. 塩谷重藏

    塩谷證人 文面は忘れましたが、あとの再決議のときにはちよつと見ました。
  541. 井手光治

    ○井手委員 それについては主食の掛賣りをすることを議決するという意味の議決ですか、どういう意味の議決ですか。
  542. 塩谷重藏

    塩谷證人 主食の掛賣りを役場が認めろというような趣旨です。
  543. 井手光治

    ○井手委員 これは私がどうして聞くかというと、主食の掛賣りという問題をめぐつて、全國の地方議会にそういつたふうなデモ隊を派遣して、あるいは町会議長あるいは村会議長、あるいは縣会議長各方面に全部それを申し入れているのです。そこで私があなたにお伺いするのは、こういうことをかりに町会が議決しても、それは町会とか地方議会の権限外のことであつて、もし議決するとすれば、主食の掛賣りをするということを國会に対して要望するとか、あるいは主務省に対して陳情するとか請願するとかいうことしか議決できないはずだ。それは向うもよく知つている。あの共産党の諸君も地方地方の実情はよく知つておるはずだ。知つておりながらその議決を故意に議決させようというきわめて非合法的な一つの運動が全國的に展開されております。だから私はそういうことを伺つておりますが、もしそういう議決を町会でしても、それは不法であつて、問題の効力を生じたことにはならない。そこであなたは警察署長として、そういう議決があるかどうかについて十分今後氣をつけていただきたい。もしそういうことがあつても権限外のことであつて、町会が万一そんなことを議決しても効力がない。ただ請願、陳情についてはそういうことを地方議会が議決して、その要旨を政府機関なりその要路に陳情することはできる。そういうわけですから、そういうことでひとつ彼らに脅かされないようにやつてください。  それからもう一つ伺つておきたいのは、生活保護法を適用するということも、やはり同じような意味においての運動が行われておるのですが、これは警察に対して生活保護法を適用しろとか、あるいは町村長に対して生活保護法を適用しろとかいうようなことは、これもやはり法律の定める、生活保護法の定めるところによるのであつて、そういうことを直接行動をとつてみて、もそれはどうにもならぬ。つまり民生委員が炭鉱労働者なら炭鉱労働者の賃金支給の状況、あるいは家族の状況、あるいはいろいろな財産の状況とか生活の実態を調査して、必要があれば当然民生委員の登録によつて初めて生活保護法の適用がなされるわけだ。そういうことを案外警察や地方の町村長なんかは知らずにおつて、(「知つておる」と呼ぶ者あり)知つておるのだが、そういう主食の掛賣りについての不法な議決をするとか、あるいは生活保護法を適用するとかなんとか具体的な問題で、そういうデモ隊のあなたに対する申入れがあつたかどうか、これをひとつ伺つておきたい。
  544. 塩谷重藏

    塩谷證人 その点については私は直接申入れがあつたことはありません。この主食の掛賣りの問題に対しても、役場は最初からうがつた観察をいたしておりまして、これは役場として動くべきではない、うかつに動いたら、それでは町長も一緒に地方事務所へ行つてくれ、今度は地方事務所へ行けば、縣まで一緒に行つてくれ、縣まで行つてくれれば当局へまで一緒に行つてくれ、こういうことになる、これはこの際しつかり考えてやらなければならないということを役場の理事たちは考えておりまして、これは切り離した問題であります。  それから生活保護法の問題も、なるほどこれは困つておる者を救つてやることは、われわれ憲法の保障するところでありまして、これもその保護機関として民生委員があるのでありまして、さつそくそれを民生委員会の調査に移しまして、民生委員会は総動員でこの爭議発生以來実情を調査しているような状況であります。それが何回にもわたつて調査いたしまして、ほんとうに救済を要する者の結論が最近まとまりつつあると思うのでありますが、それによると実際救済しなければならぬ者は、最初の話よりも意外に少なかつたというようなことを言つております。
  545. 井手光治

    ○井手委員 そこで結論的に伺いたいのは、あなたは警察署長の立場において、そういう法律に定めてあるようなことまでも、合法的手続をとることなく、非合法な手段手続その他によつて、そういうことを関係当局に強要しておるということを、こういう具体的な事例に徴してあなたは認めておられるのですか、その点はどうですか。
  546. 塩谷重藏

    塩谷證人 そういうような筋通いなことを大勢の圧力で動かそうとしておる事実は認めております。
  547. 井手光治

    ○井手委員 認めておる、それでけつこうです。
  548. 大橋武夫

    ○大橋委員 一つだけ確めておきたい点は、矢郷炭鉱の労働組合員が最近に草を食べておる。藤の花とか、おおばことか、すかんぽというものを食べておるそうですけれども、こういう草は、先ほどあなたもちよつとなかなかおいしいものがあると言われたのでありますが、そのおいしいものの中に入つていますか。
  549. 塩谷重藏

    塩谷證人 入つていません。
  550. 大橋武夫

    ○大橋委員 こういうものはふだん食べるものですか、食べないものですか。
  551. 塩谷重藏

    塩谷證人 ふだん食べておりません。
  552. 大橋武夫

    ○大橋委員 これを食つた人がありますか。食べておるという事実はあなたは聞いておられませんか。
  553. 塩谷重藏

    塩谷證人 草を食つてわれわれは闘つておるのだということは口々に言つておりますが、実際それを食つておるのを見たことはありません。
  554. 大橋武夫

    ○大橋委員 よくわかじました。それからもう一つ、ハンストをやつた人は、これは共産党員ですか。
  555. 塩谷重藏

    塩谷證人 そう言われております。
  556. 大橋武夫

    ○大橋委員 その人たちは土橋代議士が來てとめたので、ハンストをやめたのですね。そうでしよう。
  557. 塩谷重藏

    塩谷證人 とめたかどうかはわかりませんが、おいでになつた日にとまつたので……。
  558. 大橋武夫

    ○大橋委員 さつき神山君の話によると、共産党がとめたのでハンストをやめたということだが、これはしかし土橋代議士が行つた日にやめたのですね。だからおそらくその結果とまつたのでしよう。あなたはどうですか、この共産党がとめてとまつたところを見ると、これはやはり共産党ではあるし、上からやれと言われればやるし、とめられてとまつたところを見ると、やはり共産党がやれと言つて始めたのではないか、こう思うのが普通ですが、あなたは、どうお思いになりますか。やはりこのハンストは自分かつてにやり出したとお思いになりますか。それともやはり共産党命令でやつたのだから、共産党命令でやめた、こういうふうに思われますか、どちらでありますか。
  559. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 いや、わかればいいし、わからなければいい。
  560. 塩谷重藏

    塩谷證人 土橋代議士が町に來られてから相当活発になつたことは認めておりますが、その間にどういうさしずがあつたとか、どういう相談があつたとかいうことは私は知りません。
  561. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 では御苦労でした。済みました。     —————————————
  562. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 お待たせしました。ただいまお見えになつておる証人の方々は竹内七郎さん、土橋一吉さん、多田暢さん。ただいまより平市をめぐる騒擾事件について証言を求めることになりますが、証言を求める前に、各証人に一言申し上げますが、昭和二十二年法律第二百二十五号議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならぬことと相なつております。  宣誓または証言を拒むことのできるのは、証言証人または証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係のあつた者及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するとき、及び医師、歯科、医師、薬剤師、薬種商、産婆、弁護士、弁理士弁護人公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあつた者がその職務上知つた事実であつて黙秘すべきものについて尋問を受けたときに限られておりまして、それ以外には証言を拒むことはできないことになつております。しかして、証人が正当の理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることとなつておるのであります。一應このことを御承知になつておいていただきたいと思います。  では法律の定めるところによびまして証人宣誓を求めます。御起立を願います。土橋さんひとつ代表して読んでください。     〔証人土橋一吉君各証人代表して宣誓
  563. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 署名捺印を願います。     〔各証人宣誓書署名捺印
  564. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 証言を承る順序は土橋さん、それから多田さん、竹内さんの順序で承ることにいたしますから、土橋さん以外の方はもう一度恐れ入りますが、元の控室でお休み願います。     —————————————
  565. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 土橋さん。
  566. 土橋一吉

    ○土橋證人 当時のノートなどを持つておりますが、それを見てもよろしゆうございますか。
  567. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 必要があればメモをごらんになつてけつこうです。  それから答弁はこちらから質問した範囲にとどめていただきたいと思います。  平市をめぐる騒擾事件は六月の下旬から起つたようでありますが、あなたは六月二十二日ごろから内郷町を初めあの地方においでになつたということですが、そういう事実はありませんか。
  568. 土橋一吉

    ○土橋證人 その通りであります。     〔大橋委員「二十一日だろう。」と呼ぶ〕
  569. 土橋一吉

    ○土橋證人 ただいま大橋委員の御質問がありましたので。私は二十一日の日に、夕刻四時ごろだと記憶しておりますが、内郷町に参りました。
  570. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そこであなたは二十一日から幾日まで、主としてどういうことをおやりになつたのですか。
  571. 土橋一吉

    ○土橋證人 石城郡は私の第三の郷里でありまするので、特に老母と老父とがおります関係上、國会議員として登院いたしましてからは最初の國会報告でありますので、特にその前から全逓なり各諸君の國会報告の御要望が切にありましたので、私は國会議員として國会報告に参りました。
  572. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 これはあなたの選挙区じやないのですね。
  573. 土橋一吉

    ○土橋證人 私の選挙区は東京都第七区ですが、私の家内が石城郡の出身でありますから。
  574. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 矢郷炭坑にはその前から爭議が起つてつたのですが、その爭議を指導されたようなことはありますか。
  575. 土橋一吉

    ○土橋證人 私は今申し上げるように、参りまして、そうして現状が非常に悲惨な状態にあることを身をもつて見て参りました。從つて労働組合の皆さん方にも善処方を要望したわけであります。
  576. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それから矢郷炭坑に関連してのようですが、内郷町にもその前から主食の掛賣要求だとか生活保護の要求だとかいうことがあつたそうですが、それらについてはあなたは直接関係はなかつたわけでしようね。
  577. 土橋一吉

    ○土橋證人 ただいま御質問になつた点は、実はそういう計画とかそういう内容については存じません。当地に参りまして始めてわが党の町会議員その他労働組合の諸君からその内容を聞きました。
  578. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そうするとあなたは國会報告演説が主だつたのですか。
  579. 土橋一吉

    ○土橋證人 その通りであります。
  580. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そのときに共産党地区委員会か何かを開かれたことはありませんか。
  581. 土橋一吉

    ○土橋證人 地区委員会は私が参つたとき開いたかどうか私は存じません。私は内郷町へ参りまして、内郷町の諸君とお話申し上げたのであります。早速当時の状況を申しますと、東京を二十一日の十一時の汽車で立つております。そうして夕刻の確か四時ごろだと記憶しておりますが、とりあえず内郷町の諸君の出迎えを受けまして大体一般の状況を聞きました。概略聞きまして、当時労働組合出身なりその他の諸君の話を聞きますと、矢郷炭坑の出身の労働者がハンガー・ストライキに入つているという状況を聞いたのであります。それで私は、そういうハンガー・ストライキはかつてこの國会中にもその場所であつたことがありますが、そういうことは非常に人道的な問題でありまするので、ただちにこれはやめてもらわなければならないということを申し上げて、当時ちようど四時過ぎておりましたので、役場の方に、敬意を表するために一應伺つたのでありますが、役場の方はほとんどおられません。それで私は役場の前で、前日以來確か雨が降つてつたと記憶しておりますが、非常に重症のような状態になつておる二人のハンガー・ストライキをやつておる人に対しまして、國会の大体の内容なり、あるいはそういうことは御自分の生命を危くするゆえんである、ぜひともやめていただきたいということをるる申し上げまして、当時の状況を聞きますると、二人ほど、合計四名が、やめないというかたい決意であつたそうでありますが、私は切にお願いをしまして、一應本人たちは了解せられた、こういう内容であります。
  582. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それからあなたは何か矢郷炭坑に行かれてから矢郷炭坑の労働組合が二つに割れたということを聞いたが、その事実は御存じですか。
  583. 土橋一吉

    ○土橋證人 私が参つてからそのような話は聞いておりませんです。帰るときに何か民主化運動的な方々が入党したいという考えを持つておられるようだという話はちよつと聞きましたが、私は今申し上げたように、そこでいろいろお話を申し上げて、そしてすぐ——矢郷炭坑の労働組合は山元にあります。山元の労働組合へ行きまして、いろいろな事情をお聞きいたしました。そうして労働組合委員長から親しく内容を聞きまして、あなたの方のハンガー・ストライキを、私は今おやめ願つた。山口の方の人にも私はお願いしたいと思うというので、労働組合の諸君の先導によりまして、山口の、ちようど坑道に入るところだと思います。そこでやはり二名、この方心は内郷町よりもつとひどい状態で、ほとんど口がきけない状態にまでなつてつた。期間はたしか一週間くらいだつたと記憶しておりますが、山元でハンガー・ストライキをやつておられまして、私がこういうことをやつても効果はない。從つてこれはやはり労働組合としては正当な方法でお闘いになるのが至当である。こう申し上げて、切にお願いして、やはり二名の方々もハンガー・ストライキをやめられました。
  584. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 まあ大したことはない。それから平にはおいでになりましたか。
  585. 土橋一吉

    ○土橋證人 参りました。
  586. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 何日においでになりました。
  587. 土橋一吉

    ○土橋證人 二十一日の日はそういう状態で、國会報告会等をやつております。二十二日もほとんど各炭鉱をまわりまして、たしか六回程度街頭演説をやつております。二十三日の日にもやはり常磐炭鉱方面の郵便局なりそういうところへ参りまして、國会報告をやつております。二十四日の日にもやつておりますが、ちようど二十四日の日は古河の好間炭坑におきまして演説会をいたしまして、そして共産党の同店の、たしか木村君だと記憶しておりますが、その家で一泊とめていただきまして、そして平の町ではたしか労働組合の幹部代表市民の皆さん方を集めまして、お話を午前中たしか二時ごろまでやつたと記憶しております。さらにそれが終りましてから、初めて平地区委員会の方へ参りまして、晝食をとつたはずです。
  588. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 何日です。
  589. 土橋一吉

    ○土橋證人 二十五日です。その晝食をとりましてから、当時私の家内の出身の村の方が、キヤンデーの何か電力をまわしてもらいたいということで話しに來て、私は相当疲れておりましたので、その方については福島の方に御連絡願つて、商工局の出張所に対して御連絡するということで、飯を食う前にそういつた話がありました。飯を食べてから三時ごろだつたと記憶しておりますが、すぐ郵便局に行きまして、そして全逓の平郵便局及び同地方の全逓の幹部諸君に対しまして、國会報告をいたしまして、それが終りましてから夕食時分になりまして、組合の幹部諸君約十名くらいだつたと記憶しておりますが、特に電報局の設置、電気通信省関係の機構に関しまして、私は詳しく質問をいたし、そしていろいろ内容を聞き、特に郵政関係につきまして聞き、私はその日には、來訪するとともに、局長にも敬意を表して挨拶を申し上げ、それからすぐにそこで飯を食うと追い出てられるようにして、労働会館の会場へ、夜の大演説会に臨んだのであります。それはやはり國会報告でありまして、時刻はたしか暗くなつておりましたから、八時ころだと記憶しております。それから約二時間くらいの間、民主自由党吉田内閣の政策、特に予算面を通じ、労働法規を通じ、定員法の制定について不当な点、特にそれが財界なりあるいは労働階級に及ぼす影響、そういうものをるる國会報告をいたしまして、後座談会を、たしか三十分間程度だろうと考えておりますが、あるいは四十分あつたかもしれませんが、行つて、終りましたのがたしか十一時半ごろだつたと思います。
  590. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 どういう人と座談会をやりました。
  591. 土橋一吉

    ○土橋證人 それは傍聽者の、特に共産党に関してお考えを持つている人、あるいは特に座談会を聞きたいという人は会場のそのままで、汽車の便とか、いろいろな関係で早くお帰りになる方はお帰り願いまして、そして特に共産党に対して御質問のある方々、そういう方々に対して座談会を同じ会場でやりました。
  592. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 別に地区委員会とか、そういう形じやないのですか。
  593. 土橋一吉

    ○土橋證人 國会議員土橋一吉に対しての御質問なり、議会内における共産党に対する御質問なりです。それが終りまして、たしか十二時過ぎだと思いますが、一應地区委員会に引揚げたのでありますが、先日以來のあれで私の母にも会つておりませんし、電報を打つたり、電話をかけたり連絡しておりましたが、湯本にその晩の一時過ぎに成田屋という宿屋に引揚げて帰つております。
  594. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そのときは平において問題になつた壁新聞の掲示板についての問題はお聞きになりましたか。
  595. 土橋一吉

    ○土橋證人 そのときには委員長からこういう事態で壁新聞を撤去せよというお話があつたということは聞いておりました。
  596. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それに対していわゆる戰法なり戰術なりを協議せられたことはありませんか。
  597. 土橋一吉

    ○土橋證人 そういうことは全然ございません。そういうことは私の性格から申し上げても、また壁新聞の問題についても、一應警察側許可を願つて許可せられた事項であるから、よく内容を話し合つた上で善処せられんことを要望しておきました。
  598. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それでいつお帰りになつたのですか。
  599. 土橋一吉

    ○土橋證人 これが二十五日の日で夜分の十二時半から一時ごろだつたと記憶しておりますが、特に明日母親も田舎から出て来るという知らせがありまして、來ているといううわさもありました。それで成田屋に帰りまして、成田屋には一時半から二時ごろだつたと記憶しておりますが、その晩はそこにとめていただきまして、そして母親からも連絡がありました。私の義兄も義弟もおります。そういう親類が湯本には二軒あります。朝ちようどその前の平でとまりましたときに、朝連の方からぜひ朝連の諸君なり近所の人に講演をしてもらいたいというので、翌る日の朝食は宿で食べないで朝連の事務所のたしか委員長さんの金さんとかいう方の家で朝食をよばれまして、そして私の母親も聞いておりました。近所のおかみさんも聞いておりました。朝連の諸君が四十名ほどおつたと思いますが、狭い三階の室で國会報告をいたしました。そして母親の方ももう終つただろう。兄貴の家に來たらどうかという話があつたのですが、ちようど日曜日でございまして、常盤炭鉱労働者の大会があの山手の方の会館でありましたので、そこにただちに私は参りまして、その朝連が終りましたのが時刻にしまして約十二時ごろだつたと記憶しております。それからすぐ常盤炭坑の第六回臨時大会だつたと記憶しておりますが、そこに参りまして労働者諸君の團結を要望しましてあいさつを十五分程度行つたと思います。そして北海道から引揚げて來ておりました私の兄貴の渡邊松吉という家に二十六日の日曜のたしか二時半から三時ごろ引上げております。そこで晝食をよばれまして、そしてよもやま話を母親といたしまして、二十六日の夜の最終の十二時二十何分かの汽車で私は東京に帰つております。
  600. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ところが翌日の二十七日から平警察並びに内郷警察でたいへんな騒擾が起つたのですが、これはいつお知りになりましたか。
  601. 土橋一吉

    ○土橋證人 その事件の内容につきまして、私はたしか内閣委員をかつてしておりましたので、松江の方へちようど私三十日の夜立ちまして、松江の島根新聞で見たと私は思つております。
  602. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ところが今あなたの歩かれたところ、そこの労働組合、炭鉱労働者、朝連の人々、それらの者がこぞつてこの平事件関係しておるのですが、あなたおいでになつたときにこれに対して何らかの指示なり戰術なり相談があつたろうと想像しておる人が多い、実際そうじやありませんか。
  603. 土橋一吉

    ○土橋證人 ただいまの委員長の御質問でありますが、そういうように結果から見まして何か知らぬが一方的にそのような判断をせられることは私は非常に迷惑でありまして、私が申し上げたいことはそのような会合にも私は出ておりませんし、私は國会議員として特にいろいろな國会報告の御要望のあつた点をやつておりましたので、そのような会合にはほとんど出ておりませんし、もし時間が許されればプログラムのお話を申し上げるが、そのような会合をゆつくりするひまがありません、もう珍らしい國会議員が來たというのであつちこつちひつぱりまわされてほとんど疲れている状態でありますので、私はそのようなことは松江で寝耳に水のような氣持で初めて聞いたわけであります。
  604. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ことにあなたは全逓にえらい関係深いようですが、全逓の諸君も各地において非常に活發に動いたようですが、全逓の諸君の特色として家族会議、家族大会ということを諸所で開いておるそうでありますが、全逓には何かそういう戰術、闘爭方針でもありますか。
  605. 土橋一吉

    ○土橋證人 それはやはり通信の復興ということを中心にして、全逓が家族の方々の理解を得、御協力を得なければならないということは、私が委員長当時にもそういう決議が行われておりますので、それが全國的にやはり行われているものと考えておるものであります。私が平の郵便局に参つた当時家族会議のかの字も言つておりません。私は全無失念しておりましたから申しておりません。
  606. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それからこの事件の発端には、あなた方内郷へ行つてもお聞きになつたと思いますが、いわゆる農民、市民と共同闘爭を起す。そうして村会から町会等をもとにして起してそれからやるということで行つているのですが、それについては炭労の第二回定期全國大会の決議でそういうことを指示している、そういうことですがこれは御承知ありませんか。
  607. 土橋一吉

    ○土橋證人 炭労第三回定期全國大会がどういう決定をしたかは存じません。
  608. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 先ほどお聞きするのを忘れましたが、矢郷は全炭鉱に属しておりますか日鉱に属しておりますか。
  609. 土橋一吉

    ○土橋證人 矢郷炭鉱は私は炭労傘下じやないかと考えておりますが、これはこの前全炭労とが合同いたしまして今日私は炭労という労働組合で活動されておるように考えております。
  610. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなた二十六日に出られたときに、その炭労第三回定期全國大会というものは何か……。
  611. 土橋一吉

    ○土橋證人 それは炭労傘下における常磐炭鉱労働組合の大会であつたのでありますが、この大会の前後にも私は事務所にはおじやましておりますし、また國会報告の断片的な質問等に対しても参りましたことがあるのであります。それは二十三日の朝私は内郷町から湯本に参りましたときに、炭労を訪問して幹部の方においさつを申し上げた、そうしてその日の好間炭鉱の演説会を終りましたから、また労組の幹部諸君と懇談会を持つておりますが、この懇談会はやはり政策的な問題についてのいろいろな打合せ、政策といいましても國会内におけるいろいろな方針、あるいはわれわれの考えておる線、あるいは社会党の線、民主自由党の労働行政に対する考えというようなものに対して討論をやつております。
  612. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなた二十六日に常磐炭鉱に行かれたときに、今あなたが私に言つた炭労の第二回定期全國大会の決議に基いて労組の基本態度として一、地元町村会を動かして農民、市民と共同闘爭を組織せよ 二、中小炭鉱を犠牲とする集中生産方式には絶対反対である。この方式で闘うべきものだという指示を與えられたと言つておる者がおるのですが、その事実はいかがですか。
  613. 土橋一吉

    ○土橋證人 私は今申し上げるようにそのような内容はおよそ労働運動をおやりになつている方はどなたも幹部として常識として知つておる事項であります。私はただその日はあいさつを申し上げただけで、共産党の土橋にあいさつをさすかどうかということでも会場の空氣はかならずしも満場一致でやれというようなことではなかつたのであります。ただ皆さんに諮つたところ、とにかく五分程度やつてくれと言つた方もありまして、その中にはいやもつとやれという意見を出した人もあり、大体十分程度というお話であつたと記憶しておりますが、私は中をとりまして十五分程度簡單に御あいさつを申し上げてすぐ退場しております。ですから今委員長が仰せのような決議があつたかどうか私は……。
  614. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 決議というよりかあなたがそういう指示を……。
  615. 土橋一吉

    ○土橋證人 私はそのようなさしでがましいことを労働組合に申しておりません。特に当時論議されておりました内容は、会社側が一方的に出しました労働協約の改訂の原案について組合側が自主的な態度で交渉するか、それともそういうようなものは全部やめてそうして積極的に労働組合團体交渉の過程において労働協約を出して闘うかという論議が白熱をしていたときであります。從つて私はそのようなレポなり書いたりしたことは一つもしておりませんので、どうか御安心願いたいと思います。
  616. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それから地方へ行きますと、いわゆる地域産業防衛闘爭というものが至るところで言われて、これが強化しておるのですが、これはあなた方の党の基本方針に基くものですか、どうですか。
  617. 土橋一吉

    ○土橋證人 これはわが党におきましては郷土の産業を防衛しなければならぬということを申しておりますが、しかしそういうことの内容については日本産別会議なりその他進歩的な、また覚醒せられておる労働組合では常にそういうふうに主張されておるように私は拝見しております。
  618. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それからこれがさらに発展しまして、地方権力と人民大衆の指導下において、中央権力への圧力とするいわゆる権力闘爭に持つて行こうという指示があると聞いておるのですが、この点はいかがですか。
  619. 土橋一吉

    ○土橋證人 わが党ではそのようなことは申しておりません。また私は地方の権力を乘取つて、中央権力に圧力を加えるということは一回も申したことはございません。
  620. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それからあなたとちようど相前後して、北の方へ渡部代議士が行つておりますが、これは御承知でしたか。
  621. 土橋一吉

    ○土橋證人 私は全然存じません。私は渡部君が行かれたことは、あとでこの考査委員会の問題で初めて知つたので、渡部君が行かれたかどうか全然知りません。
  622. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ではこれでやめます。高木君。
  623. 高木松吉

    高木(松)委員 先ほど土橋さんのお話の入遠野まではバスがおりますね。バスを利用して入遠野まであなたおいでにならなかつたのですか。
  624. 土橋一吉

    ○土橋證人 ただいまの御質問でありまするが、私はやはり向うへ着きましてちようどその日にも電話連絡をもつて、入遠野の郵便局の裏でありますからすぐ母親に出向くように要請しておきました。
  625. 高木松吉

    高木(松)委員 そこでその石城地区にあなたがおいでになる間、鈴木光雄という人に会いませんでしたか。
  626. 土橋一吉

    ○土橋證人 石城地区へ参つてから——私はたしかあの地区委員長さんだと記憶しておりますが、その前には全然知りません。私は党に入つて日が浅いので存じません。
  627. 高木松吉

    高木(松)委員 行つてお会いになりましたか。
  628. 土橋一吉

    ○土橋證人 その前にもたしか会つておると思いますが、二十五日の日にこの方が委員長だからというので正式に私に紹介されまして飯を食べるときに私は承知しました。
  629. 高木松吉

    高木(松)委員 それから矢郷に行か、れたときに鈴木磐夫君にお会いになりませんでしたか。
  630. 土橋一吉

    ○土橋證人 私は今持つて鈴木磐夫君の顔がよくわかりませんが、どういう方だつたか今記憶を呼び起しております。鈴木磐夫君については詳しくは存じません。
  631. 高木松吉

    高木(松)委員 あそこの松木弘君に会いませんでしたか。
  632. 土橋一吉

    ○土橋證人 松木君には会つております。
  633. 高木松吉

    高木(松)委員 それから古いあなたの方の党員で日野定利という人を知つておりますか。
  634. 土橋一吉

    ○土橋證人 日野君は私が出迎えられて、初めて本人から名乘りを上げられまして、そのときが初対面であります。
  635. 高木松吉

    高木(松)委員 竹内七郎君にも会いましたか。
  636. 土橋一吉

    ○土橋證人 竹内七郎君には会いません。
  637. 高木松吉

    高木(松)委員 金明福君に会いませんでしたか。
  638. 土橋一吉

    ○土橋證人 金明福君は私は新聞で拝見しておりますが、あの湯本に朝鮮人連盟の支部がございますが、そこの委員長さんか何か……。
  639. 高木松吉

    高木(松)委員 それは金逢琴ですね。
  640. 土橋一吉

    ○土橋證人 それ以外の方は会つたかもわかりませんが、存じておりません。
  641. 高木松吉

    高木(松)委員 それから常磐炭鉱で佐々木というあなたの方の党員の方にお会いになりませんでしたか。
  642. 土橋一吉

    ○土橋證人 この方は私記憶にありません。
  643. 高木松吉

    高木(松)委員 それから朴重根という方にお会いになりましたか。
  644. 土橋一吉

    ○土橋證人 よく知つております。
  645. 高木松吉

    高木(松)委員 どこでお会いになりましたか。
  646. 土橋一吉

    ○土橋證人 申し上げます。二十三日の日に常磐労働組合で私あいさつ申し上げて、湯本の郵便局にあいさつに訪問いたしました。ここは局舎を新築しましたが、前もつて私は非常な関心を持つてつたのであります。非常に狭隘であるということで仙台逓信局の方へさらに強い要請をしなければならぬということを申し上げた。その次は磐崎炭鉱の方へ参つております。その次は磐崎炭鉱の東社宅の方——ただいまのは南社宅の方で國会報告演説会をやつております。午後東側の方の、橋を渡りまして池の方に近い方でやはり街頭演説をやつております。
  647. 高木松吉

    高木(松)委員 いやそれはわかつておりますが……。
  648. 土橋一吉

    ○土橋證人 その事情をお話ししないとわからないのであります。それから好間炭鉱労働組合の方へ参りまして敬意を表して、そこでまた演説会をやつております。それから常磐炭鉱労働組合の、先ほど申しました幹部諸君の会合に臨んでおります。そうしてその晩に湯本の労働会館で夜の國会報告演説会をやつております。そのときから朴さんが私の世話をして、成田屋で一切世話をしてくれました。こういうような関係です。
  649. 高木松吉

    高木(松)委員 それから好間の木村一章にお目にかかりましたか。
  650. 土橋一吉

    ○土橋證人 私好間炭鉱に参りましたのはちようど二十四日の日であります。先ほど申し上げたように、湯本で非常にからだのぐあいを悪くいたしまして、今日は午前中はひとつ休ましてくれということでありましたが、好間炭鉱で、たつてのお願いでありまして、夕刻の五町ごろ自動車で私は好間炭鉱へ参りまして、そこで出迎えを受けました。この方はたしか太つておる方と思います。そうしてこの方のうちで夕飯は食べないで、夕飯を終つてからと記憶しておりますが、七時ごろから好間炭鉱の講堂で演説会をやりまして、十一時ごろに終りまして、このうちに泊つております。
  651. 高木松吉

    高木(松)委員 それから鈴木要平さんにお会いになつておりますか。
  652. 土橋一吉

    ○土橋證人 鈴木要平さんは私は存じません。
  653. 高木松吉

    高木(松)委員 平地方では、あなたの來られるのを六月の十七、十八日ころから宣傳されておつたようですが、その事実はどうですか。
  654. 土橋一吉

    ○土橋證人 それは存じません。ただ六月三日ごろに行くかもわからないという電話連絡か何かしたはずであります。
  655. 高木松吉

    高木(松)委員 演説会の張紙が、あなたの行かれる前に……。
  656. 土橋一吉

    ○土橋證人 それはあなたの大間違いです。六月三日ごろに行くだろうということは……。
  657. 高木松吉

    高木(松)委員 そうじやなく今度行つたときに、二十一日前にビラが張つてつたように聞いておるのですが……。
  658. 土橋一吉

    ○土橋證人 そんなことはございません。私が行くのを、議員團で、それじや行つて來たらいいだろうという話が出ましたのは二十日でありますから、そういうビラが出るようなことはありません。
  659. 高木松吉

    高木(松)委員 そこで石城地区共産党の同志の皆さんから、特にあなたは要請されて行つたんじやありませんか。
  660. 土橋一吉

    ○土橋證人 今申し上げるように、小名浜、平郵便局、それから石城地方の同志からもかねがねお話がありましたので参りました。
  661. 高木松吉

    高木(松)委員 結局あなたの党の方方の要請に應じて、あなたが行つたということを了承してよろしゆうございますか。
  662. 土橋一吉

    ○土橋證人 まあさように了承願つてもよいと思います。
  663. 高木松吉

    高木(松)委員 そこで今度の問題に対して、地方の人たちは疑いを持つておるのだが、先ほど本橋さんからそれを否定されているから、これ以上お尋ねいたしませんが、一般の石城地区の方々は、あなたを特にお呼びして、指令を受けて、今度の問題を起したというような評判がもつぱらですが、これは事実と違いますか。
  664. 土橋一吉

    ○土橋證人 それは全然ためにする宣傳でありまして、私はそのようなことにつきましては関知しておりません。
  665. 高木松吉

    高木(松)委員 先ほどおつしやつたように、第三の故郷だから特に行つたというのが主ですか。共産党の同志の方々から要請せられて行つたというのが主ですか。
  666. 土橋一吉

    ○土橋證人 それは両々……。
  667. 高木松吉

    高木(松)委員 ついでだから、入遠野の……。
  668. 土橋一吉

    ○土橋證人 そうです。北海道の兄貴が長く鉄道に勤めておりまして、これがちようど一箇月前ですが、退職いたしました。調べますと強要の退職でありまして、それでやめまして、私の義弟が入る家にとりあえず入れてもらつたというようなことがありまして、平の兄貴に初めての面会であります。それで私はその姉とは特に去年会つておりますので、そういう関係で両方兼ねて参つたのであります。
  669. 菅家喜六

    ○菅家委員 大体委員長からのお尋ねも済んでおりますが、もう一つ今高木委員から申し述べましたことで、大体福島縣では、平事件中心として四市に騒擾事件が起きています。それで郡山、会津、福島方面は、共産党渡部代議士指導した。渡部君はやはり会津出身でありまして、家族が若松におられるので、たえず若松に帰られる。急行列車で私も一緒になつて、白河へきようは演説会に行くというので、私が郡山その他その辺で大分やかましい事件が起きているようだが、と聞くと、いや続々としてこういう事件が起きるというようなことを汽車の窓口で言つた。大体一般の縣民の考えていることは、若松に家族がおられる渡部共産党代議士が、郡山方面を指導された。廣田事件にしても、渡部君が陣頭に立つて若松警察署に犯人を引渡せという交渉に行つておられる。その関係からでありましようか、とにかく若松事件郡山福島に起きた事件は、渡部代議士指導しておる。それと同じように、今承れば、証人の御親戚が入遠野においでになるということでおいでになつたそうであります。やはりそれに関連して、巧みに親戚のあるというようなことで、最もカモフラージするところの代議士の方をして、共産党が現にこれらの指導をされたというふうに考えておる。そこで時間的のずれなどというものは、これは旅行してわれわれも感ずるところでありますが、先ほど証人が述べられた時間が、われわれの調査したものと非常に開きがあるように考えられる。そこでお尋ねしたいのは、二十五日に二時ごろまで講演をされておるが、晝飯後に講演されておりますか。二十五日のことをもう一度……。
  670. 土橋一吉

    ○土橋證人 よくお聞き取り願いたい。この日はちようど今申し上げたように、二十四日の好間炭鉱においての講演会が終りまして、この日は木村君の家にとまつたところが、南京虫で夜寝られなかつた。そういう関係で朝特におそく起きまして、多分十一時ごろであつたと記憶しますが、バスに、好間三等局、今の特定局の前から乘りました。これは三十五日でありますが、十一時ごろ乘つたと記憶しておりますが、乘りまして、すぐ労働組合懇談会がちようどあの会館でありまして、ここの席上には國鉄の同志諸君が非常に多くお見えになり、その他全逓あるいは他の労働組合の方々もお見えになつておつなようでありますし、市民も一、二入つているようでありました。ここで懇談会を開きまして、多少最初に演説も申し上げて、國会のいろいろな質問應答をいたしました。それが終りましてから、社会党の松井代議士も來ておられまして、労働組合にもごあいさつ申し上げ、松井君ともお話をいたしまして、地区委員会に入りましたのはたしか一時半から二時ごろであつたと記憶しております。平地区委員会はあの釜屋の裏の方にありまして、私も初めて参りましたが、地区委員会で晝飯をよばれました。そのときに、ちようど労働組合の懇談会の席上、私のいなかの同じ村の塩屋の屋号で櫛田さんという方がお見えになつていて、おかしいところで私の演説を聞いているものだと思つて党へ帰つたところが、あとから追いかけて来て、アイスキヤンデーの許可のことで、実は同じように申請しておつたが、私の方につかないで隣の家についた、これについてどうしたらいいかというので、その方のお話をしておりまして、やつと御飯のしたくができたようでありますので、私は御飯をよばれたのが二時過ぎておつたと思います。そこで私は休みたいというように考えておりましたが、全逓から來てくれというので、たしか三時か三時半ころであつたと記憶いたしますが、全逓の二階の当直部屋へ参りました。そこには平地区の全逓の組合員及び近郷からも來ておつたようであります。それは小名浜なりあるいはその他の近くからもお見えになつてつたようであります。私が二十一日の日に参つたことはすぐ電話か何かで連絡があつたのでございましよう。そこで約三時間くらいお話しいたしまして、そして五時近くだつたと記憶しております、ほぼ暗くなりかかるころと思いますが、平郵便局の組合の部屋で夕食をよばれました。その前に平の局長に敬意を表しに伺いまして、おじやましておりますということを申し上げまして、局長と郵政機構についていろいろお話をいたしました。この局長は南方方町か中支方面からお帰りになつた、元の軍属の関係でおられた方であります。それが終りましたのが、今申し上げたように、たしか五時半か六時ごろと記憶いたしますが、そこで飯をよばれて幹部諸君と、電報局、工事局の関係、それから郵政関係の機構等について、今度かわりましたのでそれについて図面等を書いてもらいまして、内容を、特に電報局でありながら局長がいないわけで、これは設備課長と業務課長というものにわかれまして頭がいない、その上に管理所というものがある、そういうような図面を書いて、機構がおかしいということを話していたところが、夜の会場の、さつき話しました組合の労働会館に來てくれというお話がありましたので、そこへたしか暗くなつてから参りました。七時過ぎておつたと考えます。それでその日は約二時間くらい演説会をやりまして、それが終りましてから三十分か四十分と記憶いたしますが、最終の汽車もなくなりますのでぼつぼつお帰りになる方もありまして、約百名くらいの方と記憶しておりますが、さらに詳しく國会の質問や共産党に対する質問がそこで行われたのであります。
  671. 菅家喜六

    ○菅家委員 全逓でお話になつて、大体五時か六時の間で暗くなつたとおつしやいましたが……。
  672. 土橋一吉

    ○土橋證人 暗くなる前でございます。
  673. 菅家喜六

    ○菅家委員 五時半や六時では平では暗くなりません。やはり八時ぐらいにならないと暗くなりません。演説会においでになつて、開会の辞は鈴木光雄君が述べておりますか。
  674. 土橋一吉

    ○土橋證人 その通りであります。
  675. 菅家喜六

    ○菅家委員 約十分述べておりまして、その次に石城郡のこれはあなたお会いになつておりますが、内郷の日野という人が矢郷炭鉱の問題をその後に述べておりますね。
  676. 土橋一吉

    ○土橋證人 その通りです。
  677. 菅家喜六

    ○菅家委員 それからあなたの番になりまして、大体正確と思いますが、七時二十五分より御発言になつておりますね。そうして大体九時二十五分か二十七分、多少時間はずれますが……。
  678. 土橋一吉

    ○土橋證人 私がやりましたのは、とつぷり暮れましたのですから、どうしても八時過ぎでありましよう。日野さんが内郷町の町政の内容について、特に地方議会のいろいろな内容を御報告なさつたので、相当時間がかかつておると思います。一時間ぐらいかかつたと思います。
  679. 菅家喜六

    ○菅家委員 日野君ですか。二十分ぐらいですよ。私の子供が行つてそれを聞いていたんです。
  680. 土橋一吉

    ○土橋證人 私は暗くなつてから言つておる。
  681. 菅家喜六

    ○菅家委員 これは録音もありますから、間違いありません。一分、二分の違いはありましようが……。
  682. 土橋一吉

    ○土橋證人 大体あなたの仰せになつたその前後、だということです。
  683. 菅家喜六

    ○菅家委員 終られたのは九時二十五分から七分の間に終られた。その後に座談会を、先ほどお話になつておるようにその場所でおやりになりましたね。それは百名とおつしやつていましたが、大体百名というところであろうと思いますが正確に申しますと、八十九名になつております。そこに全逓の平支部の電話局の交換手の人が十二名出ておられましたが、お目につきませんでしたか。
  684. 土橋一吉

    ○土橋證人 そういうことはわかりませんです。私は今申しましたように、どの方が電話局かどの方がどうとかはわかりません。
  685. 菅家喜六

    ○菅家委員 しかし女の人が出ておりましたのは……。
  686. 土橋一吉

    ○土橋證人 前の列の方に二、三名女の方がおつた
  687. 菅家喜六

    ○菅家委員 前の列の方に四人、中ぐらいに七人、右側の方に一名、合計十三名おりまして、あなたのところへ行つてあいさつをしておつたようでありますが、そういう御記憶はありませんか。
  688. 土橋一吉

    ○土橋證人 あいさつは私は受けておらないように思います。
  689. 菅家喜六

    ○菅家委員 それでは私の方の調査が間違いだろうと思います。全逓の交換手の人で中ごろにいた方が立つてあなたにあいさつをしておられたようでありますが、それはまあ数の多いことですから、お忘れになつたかもしれませんが、そこでこの座談会が終られて、それからどこへおまわりになりましたか。
  690. 土橋一吉

    ○土橋證人 座談会が終りましてから、これは今申し上げましたように、十一時過ぎで、十二時近かつたかと私は記憶しておりますが、地区委員会に一應引揚げまして、地区委員会から朝連の成田屋旅館の世話をしてくださつた朴重根氏がぜひ明日は湯本に寄つて、もう一回朝連の演説会で國会報告をしてくれという要請もありましたし、母親ももう湯本に來ておるという状況もありましたので、私はぜひ今夜はひとつ湯本へ帰していただきたいということを言つて、たしか自動車で十一時半から十二時ごろであつたと記憶しておりますが、成田屋へ帰つたのであります。
  691. 菅家喜六

    ○菅家委員 時間的のことは大分違いますが……。
  692. 土橋一吉

    ○土橋證人 間違いありません。私は自分で自分の経過を申し上げるのですから、間違いありません。
  693. 菅家喜六

    ○菅家委員 地区委員会においでになつたのは、十一時二十分にならないうちですね。
  694. 土橋一吉

    ○土橋證人 そういうふうに何か計画的におつしやると私はちよつと困るのですが、私の申し上げるのは八時からやりまして、大体十時か十時半に終つたと思つております。それから懇談会を開くようにしたと記憶いたします。それが十一時ちよつと過ぎたか十一時前後だと記憶しております。それから会場の仕度をされるのを見て、それからすぐ地区委員会に引揚げまして、それから十二時前だつたと思いますが、私はほとんど部屋へ上つておりません。
  695. 菅家喜六

    ○菅家委員 それはどこの部屋ですか。——地区委員会の部屋にお入りになりましたか。
  696. 土橋一吉

    ○土橋證人 入つておりません。入口のところでくつをはいたまま自動車を呼んでくださつたというので、私はすぐ帰つたのであります。
  697. 菅家喜六

    ○菅家委員 お上りにならなかつた。——それだけでお会いになつた事実はございませんか。
  698. 土橋一吉

    ○土橋證人 ございません。ただ地区の人が二、三おりました。婦人の方もおつたし、地区の責任者が一人おつたようですが、会つておりません。
  699. 菅家喜六

    ○菅家委員 そして地区の座談会におりました全逓の人たちが二人そこへ行つておりまして、あなたに会いたいということを申しておりますが、それは間違いじやありませんか。
  700. 土橋一吉

    ○土橋證人 私は全逓の婦人の方ということは聞いておりませんし、何にも聞いておりません。そこには今申し上げるように、一人の婦人の方がおりました。それからもう一人相当年をとつた方がおりました。ただそこではお茶も飲まないで、五分間かそこらだと記憶しておりますが、自動車を呼んでくださいまして、私はすぐ湯本へ参つたのであります。
  701. 菅家喜六

    ○菅家委員 湯本へ何時ごろ着きましたか。
  702. 土橋一吉

    ○土橋證人 着きましたのは、十三時半ごろじやなかつたかと記憶しております。
  703. 菅家喜六

    ○菅家委員 もつと遅かつたようですね。一時半ごろじやないですか。
  704. 土橋一吉

    ○土橋證人 今申し上げた時間関係から言つて、あの間は自動車で二十分か三十分ですから、十二時前後に平を出ましたので、十二時半か一時前ごろに着いたのであります。
  705. 菅家喜六

    ○菅家委員 自動車か來るまでの間上へ上つて、別室でどなたかにお会いになりませんか。
  706. 土橋一吉

    ○土橋證人 全然会つておりません。
  707. 菅家喜六

    ○菅家委員 そこ今は東北地方の委員会の津川、竹内というものがあなたに名刺を出して、座談会が終つた後にお会いになりませんか。
  708. 土橋一吉

    ○土橋證人 これは新聞なんかでも見ておりますが、会つたかどうか、名刺もいただいていないと思いますが、津川さんという方も私はよく存じないのです。
  709. 菅家喜六

    ○菅家委員 あなたに名刺を出して、座談会の終つた後に自動車が來る間に、東北地方委員会の津川、竹内とそれから、青田宗雄という人が行つておりますが、これはその場に來ておらなかつたので、水谷某なる人と津川、竹内がそこであなたに十分間会つているというのですが……。
  710. 土橋一吉

    ○土橋證人 今申し上げるように……。
  711. 菅家喜六

    ○菅家委員 自動車の來るまで、あなたは五分とおつしやるが、こちらの方の調査の間違いかもしれませんが、私の方の調査によると、自動車が來るまでいろいろの方と会われた…そこでお尋ねしたいことは、なぜ津川、竹内氏がそこへ行つたか。その前に福島の東北地区委員会が開かれている。そういうことからあなたに疑いがかかるわけであります。福島で東北地方の委員会を開いておりまして、その後にまた福島の地方委員会を開いて、いろいろな共産党の指令に基く協議をしている。これが平におりましたので、東北地方の地区の連合会の決議と福島地区委員会の決議をもたらして平に行つた。そこで津川なるものが自動車で行く前に別室へ上つてあなたに会われたということから考えると、私どもは何かそこにおいて、やはり渡部代議士廣田工場の陣頭に立つて指揮をされているから、また郡山福島事件にも指導されたという世評——あなたがそこへおいでになつたけれども、巧みにカモフラージユして、短い時間のうちにこれらの人々と会つて何らかの指示をされたんじやないか、こういう疑いを持つわけであります。
  712. 土橋一吉

    ○土橋證人 そういうふうに事件を御自分で御推測されますと、それはいかようにもなりますが、私は今申し上げるように、宣誓もしておりますし、天地神明に誓いまして、別室等においてどなたとも会談いたしておりません。上り口で自動車が來るのを待つておりまして、お茶もいただかないで、早々にして資金カンパのお話なんかも出たと思いますが、私もきようはたいへん疲れましたというようなお話をして、何も津川さんと特に今あなたが仰せになるような、何かこつそり会つたというようなことは全然ございませルので、この点ははつきり申し上げます。
  713. 菅家喜六

    ○菅家委員 それははつきり御答弁になつておりますから、それに間違いないと思いますので、そういう点は速記にもはつきり載つていることと思います。ただ私どもは荒唐無稽なことをつくりあげてあなたに言つているのではありません。時間といい、人数といい、人の名前といい、私は架空のものをもつて、いやしくも同僚である國会議員にそういうことはできないのであります。私どももこれには根拠のある事実に基いて、そして疑いの点を明らかにしたいという趣意から、この内容をもう少しお尋ねしたいと思います。決して架空なる事実をもつて、まつたく根拠のない、ただ何時ごろというのでなく、時間的にも大体その見当をはつきり申し上げておるのでありますから、その点はどうぞ御了承を願いたいと思います。
  714. 土橋一吉

    ○土橋證人 津川さんはよく存じあげていないのです。今あなたが仰せられるような密室において何か——そういうことは全然ございません。
  715. 菅家喜六

    ○菅家委員 あなたは知つてなくても私どもの考えることは津川君の方からこの水谷某なる者と福島において決議した東北連合会の地区委員会決議、それから地方委員会の決議をあなたに報告しているのじやないかというふうにとることは、決して荒唐無稽なお尋ねではないと思います。
  716. 土橋一吉

    ○土橋證人 全然私はそんな報告は受けておりません。当時秋田かどつかで東北の地連の大会があるということは聞いて承つておりました。
  717. 菅家喜六

    ○菅家委員 それから次に朝鮮連盟の事務所においでになつたのは何日の何時ごろですか。
  718. 土橋一吉

    ○土橋證人 これはちようど一席ぶつてくれという朴重根さんの切なるお願いがあつて、それでは平が終つたら來ましようということでちようど二十三日の日に出ておるわけです。そうしまして二十六日の——今申し上げた、あなたのお話があつてから終りまして、自動車でたしか十二時ごろだつたと記憶しておりますが、成田屋に帰りまして、そこで休みまして翌二十六日の日曜の——私は朝寝坊でありますから九時ごろだと記憶しておりますが、あるいは十時ごろかもしれません。ぜひ來てやつてくれというお話がありまして、朝食はこちらでとつてもらいたいという話がありまして、始めたのは十時ごろだと記憶しておりますが、あるいは十一時ごろから始つたかもしれません。とにかく朝食をおそく食べました。そこには私の母も來ておりました。近所のおかみさんも來ておりました。近所の主人らしい方も來ておりました。こちらに朝連の方、こちらに市民が來られまして、約一時間半くらい國会報告をした。
  719. 菅家喜六

    ○菅家委員 どの部屋で食事を……。十一時ごろからお上りになつたようですが、お母さんのおいでになる部屋と、一般の人がこられた部屋と、あなたとは別なようですが。
  720. 土橋一吉

    ○土橋證人 私が朝食をよばれましたのはうしろの應接間のようになつている部屋です。朝食の終つたときに御主人さんがお帰りになつた。私は初対面のあいさつとして朴重根さんに非常におせわになつたということを感謝の意を表しまして、奥さんは日本の方のようですが、いろいろもてなしがありまして、そうして会場に上がつた。非常にみすぼらしい外観の階段を上つて参りまして、会場は二十五、六疊敷と思いますが、その低い天井のところで約時一間半か二時間くらい國会報告と質問などをやりました。
  721. 菅家喜六

    ○菅家委員 その主人公が帰つてこられない前に應接室で鈴木光雄君、竹内七郎君、津川君にお会いになりましたか。
  722. 土橋一吉

    ○土橋證人 全然会つておりません。朴重根さんからお迎えがあつて……。
  723. 菅家喜六

    ○菅家委員 食事をされるときにだれか來られませんか。あなたお一人ですか。
  724. 土橋一吉

    ○土橋證人 私と奥さんと……。朴重根さんは会場の世話をしておりました。だれもおりません。私の母親が來ておりまして……。
  725. 菅家喜六

    ○菅家委員 別室におられたようですね。
  726. 土橋一吉

    ○土橋證人 入つておりません。そこでは奥さんと私で、子供さんが熱を出して寝ておりました。奥さんは看病しながら私に御飯を進めまして、私一人でもくもくと食べておりました。
  727. 菅家喜六

    ○菅家委員 そこでなぜそういうことをお尋ねするかと申しますと……。
  728. 土橋一吉

    ○土橋證人 私が申し上げることはほんとうのことを申し上げておるのですから、よくお聞き願いたい。
  729. 菅家喜六

    ○菅家委員 宣誓されておるのですからうそは申されませんが、そこに食い違いがあるので、私どもの調査によるとあなたがしばらくぶりでお帰りになるというのでたずねてこられた年とつたお母さんまで、そこに入れられないでそこでお上りになつた。そこで私の方がはつきり申し上げられないが、その事実が竹内君であるか、鈴木君であるか、津川君であるかわからないけれども、そこに一人入られたことだけは間違いない、私の方の調査に載つておるのです。それはあるいはその家の人かもしれません。名前をはつきり申し上げられないから……。これが行つたとはお尋ねできない。けれどもあなたは今だれも入られなかつたとお話しになるけれども、食事をされたのは奥さんとその朝鮮人とあなただけでもなかつたようです。食事を注文されたのも三人分ではございません。五人分が注文されております。そこで私どもは疑念に思うことは、あなたの一番大事なお母さん、しばらくぶりに遠方からたずねて來られたというのであなたを朝鮮の方が待遇するというならば、あなたの一番喜ぶことは、あなたのお母さんを御ちそうすることがあなたの一番喜ばれることだ。そこで一番大事なあなたのお母さんをその席に入れないでおつたという事実から私は判定して、これはなるほどだれかたずねて行つたという話がほんとうでないかと考えるのは少しもむりな推測でも何でもないと思う。それでお膳を注文したのは三人分でなく五人分が注文になつておるが、あなたは三人しか入つておられないというところに私が疑問の念を持つということも……。
  730. 土橋一吉

    ○土橋證人 もう一回その当時の状況を詳しく申し上げますからお聞き取りください。その日は前晩がおそくて私はたしか九時ごろに起きたと思いますが、とにかくぜひ來てもらいたいという話があつて、ぼくはいつも朝ひげをそります。ひげをそつて相当時間もかかつたようであります。そうして朴重根さんがお迎いに來てくださいまして、私は歩いて参りました。ちようどそのとき母親は來ておりません。朝連の事務所の方へすぐ上ろうとしたら、朝飯を食つてくださいというので、朴重根さんの應接間に一應通されました。私は初対面のあいさつをして、そうして朴重根さんが会場のせわなんかしておられると、奥さんが一人分の御飯を出されました。五人分なんかそういうことは承知しません。私一人分だけ出ました。卵二つが出ました、卵焼が出ました。はつきり申し上げます、御飯のお鉢がそつちにありまして、來客をよぶような状態ではなかつた。子供さんが熱を出して寝ておるので氷枕で冷やして非常に奥さんは忙がしい状態で、だんな様もおられないで忙がしい状態で、私がもくもくと御飯を食べておるだけでだれも來ておりません。それで私が御飯を終りまして急がされるようにしてこちらの方に出ましてから事務所へ上りまして、そうして演説をしようというときに、たしか日野さんがお見えになつた。私知つておりますが、内郷町の町政内容ということで日野さんは二十分くらい内郷町の町政を報告されておりました。私がその後でやつたと記憶しております。私が前にやつて日野さんが後か、ちよつとそのところわかりませんが、そのとき母親が階段のところに來て一緒になつて聞いておることを覚えております。
  731. 菅家喜六

    ○菅家委員 料理は二品だけではございません。しかし料理の注文先まで言つてもあなたのところには……。
  732. 土橋一吉

    ○土橋證人 卵二つと卵焼とが出て、それから酢のものかなんか出たようですけれども、そんなに……。
  733. 菅家喜六

    ○菅家委員 あと追加ありませんか、それだけですか。
  734. 土橋一吉

    ○土橋證人 そのときの内容は、卵二つと卵焼と照焼か何かしらんが、そういうものがあつたけれども、私は魚を食いませんので、それたけいただいて、それ以上たくさん料理はございませんでした。
  735. 菅家喜六

    ○菅家委員 だんだん出て來るようだが……。
  736. 土橋一吉

    ○土橋證人 あなたからお聞きくださいますと、品目をおつしやれば私も思い出しますからかまいません。どうぞ。
  737. 菅家喜六

    ○菅家委員 それははつきりしておられない。先ほどは卵と卵焼だけだつたとおつしやつたのだが、料理の種類がはつきりしていないということに承知してよろしいですか。
  738. 土橋一吉

    ○土橋證人 それ以外のものが多少あつたかどうか、たしか卵焼と卵二つ出たことは記憶しております。
  739. 菅家喜六

    ○菅家委員 それはあなた一人で召し上られたと言われるが、ちようどその時間に朝鮮人連盟から料理屋にちやんと五人前の注文があるのです。
  740. 土橋一吉

    ○土橋證人 私はそんなことは全然知りません。
  741. 菅家喜六

    ○菅家委員 そう言うならばその点はそれでけつこうですが、もう一つそうすると日野さんの行かれたのはその食事をされているところに行かれたのじやありませんか。
  742. 土橋一吉

    ○土橋委員 いや日野さんがお見えになつたのは二階に上つて私が一席ぶつてから日野さんがお見えになつたはずです。それでその日は今申し上げるように、日野さんが炭鉱労働組合に案内されまして、日野さんが私の義兄の家まで來てくださり、そこで私の姉が晝飯を差上げまして、たしか二時半ごろでありましたか、食べられて、そこで私が通りまでお送り申し上げた。
  743. 菅家喜六

    ○菅家委員 これは演説会の内容のことになりますが、その日いろいろ雄弁をふるわれておるようですが、國鉄買收事件國鉄從業員の首切り、私の方で録音と速記を持つておりますが、第四番目に憲法違反と労働組合法という中で、東京都の公安條例反対デモに際して、不法にこれを取締り、圧迫し、しかも橋本金二を殺してしまつた殺人事件である。これは丸の内署長及び警視総監の責任である。この殺人の場合参加した者のうち六十二名が拘引された。社会党はその責任者を追究するどころか、かえつてその非を詫び、六十二人の釈放を懇請した。実にだらしのないことである。もつとも社会党は今分裂の危機に際して、片山はのんびり外遊しておる状態である。こう述べられて、かかる警察の圧迫、取締り、労働運動に対する彈圧、しかも人を殺している。かかる暴虐なる措置に対しては暴力をもつてこれに対抗するほかはないのだということを演説されたという速記がある。
  744. 土橋一吉

    ○土橋證人 それは録音でもおとりくださればわかりますが、暴力をもつて対抗するというようなことは一言も申しておりません。どうぞ録音をとつてあるならばかけていたたきたい。そういう不見識なことは國会議員として一言半句も申しておりません。
  745. 菅家喜六

    ○菅家委員 あなたがおつしやらないと言われるならばそれ以上は追究しません。それではこれだけにしておきます。
  746. 神山茂夫

    ○神山委員 私は先ほど土橋君の言われたように、われわれとしては別に質問する氣はない、早く議事進行をしろという申し入れがあつたのでありますが、菅家君がああいうわけのわからぬことをおつしやるので、どうしても質問して問題を明らかにしておかなければならぬことになります。二十九日の本委員会において、菅家君がこういう質問をしておるのですが、その点を土橋君にお尋ねします。警察署の隣りに集まつておる、その点について何か情報がありませんか、こう聞いているのです。その次に、これは速記の通りでありますが、そこに土橋代議士を囲んで朝鮮人連盟の二階に二、三十人集まつておる。その中に全逓平支部の交換手が二人行つておる。この集まつたという事実は何かありませんか。情報はありませんか、なかつたらなかつたでよろしい。こう聞いておるのでありますが、これに対して本田証人は、朝鮮人連盟は私の方の隣りではなく、地区警察署の隣りです。この中にすでに尋問者があまり大したことを知つていないということがわかるのですが、私がお尋ねするのは、土橋君は朝鮮人連盟の二階で、全逓の交換手二人を含んだ二、三十人とお話になつたことがありますか。これを聞きたいのです。
  747. 土橋一吉

    ○土橋證人 それはどこの朝鮮人連盟ですか。
  748. 神山茂夫

    ○神山委員 平です。
  749. 土橋一吉

    ○土橋證人 私は平でなく湯本の朝鮮人連盟の二階に上りました。平は全然知りません。
  750. 神山茂夫

    ○神山委員 それからもう一つお尋ねしたいのですが、やはり菅家君の質問なのですが、その座談会が終つて土橋代議士を中心として、そこに全逓の平支部の電話交換手の若い女が二人参加している。こういうことはありましたか。
  751. 土橋一吉

    ○土橋證人 そういう会合は持つたことはございません。ただ郵拠局で夕飯をよばれて、組合の幹部諸君、そこの中にたしか二名婦人組合員がおられたのを記憶しております。
  752. 神山茂夫

    ○神山委員 そうしますとあとは事実を聞く必要もないようですが、速記の通りですが、警察電話、それから福島郡山若松電話の連絡を知らせるという協議をしておる。あなたはこういう協議をされたことはありますか。
  753. 土橋一吉

    ○土橋證人 全然存じません。若松がどうか、郡山がどうかということについて、何も知つておりません。
  754. 神山茂夫

    ○神山委員 これは本委員会において平事件その他を調べます場合に、電話の盗聽が行われたということ、あるいは傍受が行われたということがいつも論議の中心になつておるのでありまして、國警の証人及び市警の木田署長も、どちらも、客観的にはそういうことが言えるが、事実がないかどうかは知らないと言つておるのです。それを菅家君が親切に事実があるようにこういうことを言つておられるわけであります。
  755. 土橋一吉

    ○土橋證人 私は少くとも全逓四十万のかつて委員長でありまして、國会議員でありますので、盗聽をせよとか、そういう不見識なことはただの一回も申したことはありませんことをはつきり申し上げておきます。
  756. 神山茂夫

    ○神山委員 それではもう一つ申し上げますが、あなたも共産党にお入りになつているわけですが、菅家君もこういうことを言つておる、なかなか共産党は巧みですからタツチすることはできないがこういう指令が出ているらしい。それは五、六というのは何だかわからないのですが、共産党の指令だから秘密でしよう、サオ、これは政治書記局だそうですが、あなたにお尋ねいたしますが共産党に政治書記局というものがありますか。
  757. 土橋一吉

    ○土橋證人 私の知つている限りそういうものはないと思います。
  758. 神山茂夫

    ○神山委員 略号のことはどうでもいいが、サオという電報の略号のないことは御承知だと思います。
  759. 土橋一吉

    ○土橋證人 全然存じておりません。
  760. 神山茂夫

    ○神山委員 カンカンというのは中央委員会のことらしい、こういうことをお聞きになつたことはないか。
  761. 土橋一吉

    ○土橋證人 今初耳であります、全然知りません。
  762. 神山茂夫

    ○神山委員 それではあなたは國会議員團に属しておりますので党の中央部の指令は御存じだと思います。こういう指令があつたことを御承知ですか、全日本の党員及び労働組合指令のうち(国鉄に関する指令)それから二、各個別撃破戰法執行等に移行徹底を期せ、その運動方法をずつと並べてあります。その上に必要な部分は家庭を訪問して——これが先ほどの家族会議の出ている一つの原因でありますが、家庭を訪問して当局の陰謀を過大に宣傳せよ、八月攻勢に備えて心を新たに備えよ、現在はもとより今後の党員は一日も早く親族と何らの関係ないようにして置け、秘密党員を特に獲得せよ、國家の大物の行動について、常に監視して行動隊を配置して、いつでも指令の完遂ができるようにすべし、この指令が五月八日に出ておるそうであります。こんなさしずは党の中央部からお受けになつたことはありますか。
  763. 土橋一吉

    ○土橋證人 全然そういうようなものは受けておりませんし、今初耳であります。
  764. 神山茂夫

    ○神山委員 私も党の中央におりますが、こういう指令は初耳で存じませんのでお尋ねしたのであります。
  765. 土橋一吉

    ○土橋證人 全然存じませんか。
  766. 神山茂夫

    ○神山委員 大体菅家君の持つている証拠力はこういうものによつて明らかなことでありますので、これ以上お尋ねすることはありません、私はこの程度で打切りたいと思います。
  767. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 済みました、御苦労さまでした。     —————————————
  768. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 多田暢さんですね。
  769. 多田暢

    ○多田證人 はい。
  770. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたは郡山会議長をおやりのようですが、いつからおやりになつておりますか。
  771. 多田暢

    ○多田證人 昭和二十二年五月三十日選任を受けまして目下在任中であります。
  772. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたは市会議長として共産党地区委員代表、国鉄労組代表地区労連代表、電産また全逓の代表などから主食掛賣運動その他について陳情もしくは要請を受けられたことがありますか。
  773. 多田暢

    ○多田證人 受けたことがございます。
  774. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 いつ、またどういう状態でありましたか。
  775. 多田暢

    ○多田證人 自分の覚えの日記その他を持参して参つておりますが、それを見ながらお答え申し上げようと思います。
  776. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 よろしゆうございます。
  777. 多田暢

    ○多田證人 あいにく手前の日記に市の議会の前に自宅で受けた覚書がございましたが、日記に明記いたしておりません。
  778. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 覚えだけ……。
  779. 多田暢

    ○多田證人 六月二十七日、八日が市の議会でありますので、その議会の二日か三日前と覚えております。それは國鉄工機部の職員の大会の決議の名と、決議をもたらしました結果において会議の決議の文のように努力を乞うという要請をつけまして書類を自宅に持つて参りました。
  780. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたの。
  781. 多田暢

    ○多田證人 はい。
  782. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 どういう内容のものでありますか。
  783. 多田暢

    ○多田證人 その内容は、要点は首切り反対、それから、主食の掛賣りを認めよ。失業対策の適当なる方法を講じよ。大体において、以上のような項目でありますが、内容は吉田内閣打倒というような文字が書いてありましたが、私はその内容等を読み上げて審議をするならお断りする。但しあとの項目については多少考慮の要があると思うから、あとの項目だけを取上げて陳情の形式で議会にかけることは承知する、かような條件をつけましてその決議文と陳情書を受理いたしました。
  784. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 どういう人とどういう人が参りました。
  785. 多田暢

    ○多田證人 代表者ばかりでありまして別に氏名等は確かめておりません。
  786. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 何か労連の代表というのが來たことはないのですか。
  787. 多田暢

    ○多田證人 通称工磯部の労組の代表というのです。
  788. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それは國鉄でしよう。
  789. 多田暢

    ○多田證人 ええ国鉄でございます。
  790. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それから六月二十八日開会の郡山市会に傍聽者が多数押しかけて來たそうでありますが。
  791. 多田暢

    ○多田證人 それは二十七日と八日であります。
  792. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 七日から承りましよう。
  793. 多田暢

    ○多田證人 七日に議会は午後一時が定刻でありますので、午後一時にただいま委員長お示しのようないわゆる郡山地区の労働團体その他が先ほど申し上げたような大体相似ました項目の要求をおさめた陳情等を議長室に持参いたしまして、一々それに應答いたしました。先ほど申し上げたような趣旨でこれを受領いたしております。定刻より遅れまして開会をいたしましたが、当日は福島縣で自治体としまして扱いました初めての例の定員法の條例の上程がございました。これを市役所の職員組合等からも陳情等がございましたので、議会開会になりまする四、五日前に市当局と職員組合との話合いができまして、いわゆる出血なしに手を引くという話合いになつておりまして、これはさほど議会として上程しろというような要求等がなく済みましたが、これらを多少應援するというような意氣込みも見えたようでありますが、約三百名ほどの傍聽者が一ぱいになりまして、多数押しかけられたのであります。
  794. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それであなたの方へ持つて来た陳情書を議会にかけろというのですか。
  795. 多田暢

    ○多田證人 そうでございます。
  796. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それで傍聽しておつたわけですね。
  797. 多田暢

    ○多田證人 さようでございます。
  798. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そこで、どうなりましたか。
  799. 多田暢

    ○多田證人 大体先ほど申し上げましたように、共産党郡山地区委員会というのが一通、それから地区の労連の陳情等もございましたが、その内容等が先ほど申し上げましたようなことがあつたために避けまして、それと傍聽人の顔触れ等を察知いたしますと、何かしらどうも当日の会議相当に紛糾するんじやないかというような予感を持たせられました。私の方の副議長が渡邊文と申しますが、三菱電機の郡山工場の職員でありまして、渡邊副議長と協議をいたしまして、その前に副議長の案と見えまして、いろいろ紛糾するような内容を持つた陳情書は承りおくという程度にしようじやないか、そうしまして郡山市の産業復興の会議を設置すること、主食の掛け賣りを実現するための処置という二項目を副議長の二十九番の渡邊君の発案で全員の賛成の署名をとりましたのを提出して参つたのであります。最初の日程を変更いたしまして、上程をいたしたのであります。そうしましてあとのいろいろな文句の書いてありましたのは、承りおくということで採択をいたしました。
  800. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それは陳情書として採択したのですね。
  801. 多田暢

    ○多田證人 さようでございます。
  802. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 産業復興……。
  803. 多田暢

    ○多田證人 産業復興会議の設置です。
  804. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それから主食の掛け賣りをどうするのですか。
  805. 多田暢

    ○多田證人 実現するための処置をとる……。
  806. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それは二十七日ですな。
  807. 多田暢

    ○多田證人 二十七日でございます。
  808. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それでその日は終りましたか。
  809. 多田暢

    ○多田證人 その日の模様を申し上げましよう。今申し上げました陳情等はさように変更いたしたのでありますが、その日の当初から——その日は実は前の定例の市会である議員より発案されました、私どもも長いこと、四年目の選挙に当選いたしました際に、記念撮影をしておつたのであります。二十二年の当初には、いろいろな事情でできなかつた。六月定例市会に写すということに約束いたしておりました。私の名前をもつて各議員に通達をいたしておきましたので、それを市長提案といたしまして、その準備にかかつたのであります。そのころから傍聽席騒然として、さようななまぬるいことはなかろうというような罵詈雜言がございまして、それはそのままにいたしまして、予定の通り記念撮影は終りました。その後先ほど申し上げました経済復興会議とか商工会議というようなことにつきまして、各職場から私の方には七名ほど、つまり三菱とか國鉄とか全逓とかいうふうに、各職場々々から選出をされました議員がございまして、その議員がいずれも今申し上げましたような趣旨の市長に対する質問、陳情に対する説明等を加えまして、非常な傍聽席の声援、拍手等がありました。それに対しまして市長及びその他の列席委員、事務当局の答弁は非常に罵詈を受けたようなかつこうで進行いたしておつたのであります。その際に特に険惡だというような感じを持ちましたので、要望もありましたので、労組の地区代表共産党郡山地区代表、この二名に本会議を一時休業いたしまして、君たちは本会議に思う存分陳情し給えということで陳情させました。こういたしまして会議のすみやかな進行をはかつたわけであります。結局はそれはむだで終りました。いろいろと先ほど申し上げましたようなかつこうで議場が非常に騒然としまして、議事を進行することがなかなか困難で、再三静粛なることを促したのですが、どうしても聞き入れない、しまいには私個人への暴言、公然と議案に対する可否の意見等を出しまして、まことに容易でないと考えましたものですから退場を命ずるということの注意を再三促しました。そういたしましてだんだん議事を進行して参りましたが、午後の六時ごろかと思いますが、私の方に共産党に党籍を有しておりまする十八番という議員がおりますが、その十八番が登壇するに及びまして、さらに一層猛烈なる傍聽席から應援がありました。あまりに騒々しさに私はたえかねて、十八番に注意と協力を求めた。それは先ほどから何時間もかように議事が議長としての宣告が一般に徹底しないほどやかましいから、十八番の友人がたくさん來ているらしい、ぜひともひとつ十八番も議場の静粛のために協力を願いたいということを十八番に話をいたしましたのですが、その際の十八番からは、あえて暴言や何かをやつているのじやない、生活のために騒いでいるので、議長はそんなに紳経質にならなくてもいいじやないかというようなことでありましたために、かえつてそれに拍手を送る、騒ぎの方が大きくなりまして、私の注意と協力を求めたのがかえつてあだになりまして、私としましても多少心外に思いましたので、一時休憩を宣告いたしました。あるいは自治法の命ずるところによつて最後の手段をしようとも考えておりましたが、しかしそれは穏当を欠くと考えましたし、またこれでは議事進行は不能だと考え、散会するよりほかないと思いまして、開会後すぐに散会を宣告した次第であります、その散会の宣告が突然であつたということで、それが適当か不適当かということで騒ぎが出ましたが、私はさしつかえないと思いまして、そのまま議長室に引揚げて参りました。私が議長室に引揚げましたあとは、議場内は傍聽人のためにし占領されたがごとき観で、囂々たる騒ぎ、そこへ一、二の議員が出て何か言つてつた模様であります。議事録の写しの一部を持つてつておりますが、大体今申し上げたようなことで、十八番その他のいわゆる労組代表の議員が一、二とりしずめるために何か発言しておつたように書いてございます。そういたしましていろいろ別な議員を通じまして再開を私に迫つて参りましたが、私はこれを拒否いたしました。副議長も心配をして参りましたけれども、どうしてもできないということでそのまま押し切りました。そうして帰宅をいたそうと考えて玄関前に参りましたところが、スクラムを組みましてどうしても私の帰宅を許さない。そこで裏口に廻りますと、裏口にもスクラムを組んでいて帰えさない。やむを得ず議長室にもどりまして、話があるなら議長室に來てくれということで再三議員を使わして呼びにやつたのですが、一人も議長室に現われません。だんだんに夜もふけて参りましたのでやむを得ず警察電話をかけまして、三名の警察官の護衞をもつて帰宅をいたしたような次第であるというのが当日の大体の状態であります。
  810. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それから次の日は何かありましたか。
  811. 多田暢

    ○多田證人 次の日もやはり同様でありまして、二日目は議場整理のためにいろいろ考究してみたのですが、開会いたしまして、傍聽席をながめましたところ、私服の警察官の姿が七、八人見えました。今日はそれならば最後の場合は考えなくてはならないということで、前日同様別に傍聽の制限等をいたさずに議事の進行をいたしておりました。今度はよほど考えたとみえまして、最初のうちは前日のごとくではなかつたのであります。だんだんに議事が進行しておしまいになるに從つて傍聽人がふえて來ました。これは二十七日の前日、私が退席をいたしましてからどうもこれはろくな議題ではないとか、リコールだとか何とかいうようなことで、あすも傍聽にやつて来て監視するという決議をやつていたそうでありまして、そういう関係から二十八日も相当ふえて來まして五時過ぎには一ばいになりまして、やはり騒然たるものがあつたのでありますが、毎日散会もしておられませんし、今日は私としては多少耳の穴をふさいでも議事だけは終了したいと考えたのであります。そして夜の九時過ぎだと思いますが、議題は全部議決いたしまして閉会を宣したのであります。
  812. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そうすると議事のできなかつたのは二十七日だけでありますね。
  813. 多田暢

    ○多田證人 さようでございます。
  814. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 二十八日にもさらにそのほかに妨害でもありましたか。
  815. 多田暢

    ○多田證人 前日同様相当騒々しかつたのですが、五時までは前日よりはいくらか静かであつたと記憶しております。
  816. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 二十八日にそれが済んでから、さらに傍聽人が市長に面会して主食の掛賣りの問題その他を強要したということがありましたか。
  817. 多田暢

    ○多田證人 それは議事録の一部で知つたことと、それからその晩の十時半ごろ、助役から私の自宅に電話がありまして承知いたしました。それは労組選出の市会議員五、六名が代表ということで市長に面会を申込んで來たが、しまいには大勢傍聽人が押しかけて來て市長室が一ぱいになつた。そしてとうとう市長も主食掛賣運動のお先棒をかつぐようなところに追い込まれたということでありました。
  818. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それは二十八日ですね。
  819. 多田暢

    ○多田證人 そうです。
  820. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 どういうことをやることをきめたのですか。
  821. 多田暢

    ○多田證人 先ほど申しましたように市会で産業復興の会議と、主食の掛賣りの採択を見ております。そこでそれを早急にやれ、しかも明後三十日には縣議会が開催されるので、これに対して市長として強力に要求してくれ、こういうことであつたそうです。
  822. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それは確約させられたわけですね。
  823. 多田暢

    ○多田證人 さようでございます。
  824. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そこへ來た人は先ほど聞いたように共産党地区委員会その他ですが、人間としてはどういう人がおつたかわかりませんか。
  825. 多田暢

    ○多田證人 今度は私の日記になりますが、大勢の人で、ほとんどどれがどれだか顔がわからなかつたようであります。ただたまに共産党が何か会合を開いているときに私どもに面会を求めに來たことがあるということから、そのうちの一部、いわゆる共産党員であるという人の一部の顔ははつきり認識された。從つて全部が共産党員であるということは言明の限りではございません。ただ共産党らしき者が大勢スクラムを組んでなかなか出られなかつたと書いてあります。
  826. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それからさらにデモでもやりましたか。
  827. 多田暢

    ○多田證人 デモは先ほど申しました市役所の玄関の前であつた。二十七日は市廰内部であつたあと会議後のでき事でございます。三十日と思つております。二十九日には何も書いてありませんから。
  828. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 二十七日、二十八日は市会から出て町を練り歩くようなことはなかつたのですか。
  829. 多田暢

    ○多田證人 それはなかつたように思います。ほかのところはわかりません。私の耳には入つておりませんから。
  830. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 では三十日ですか。
  831. 多田暢

    ○多田證人 三十日は縣議会があつた日ですが、その帰えりに夜遅く、何か平市の警察署の問題で、警察官應援を依頼して、受けたとか受けないとかの問題で、ちようど郡山は駅前が割合に繁華街になつているのですが、その駅前の家はあまり夜寝られなかつたという報告を受けておりますから、よほどやかましく騒いだのだと思います。
  832. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ところで二十七日か、平で計画的の騒擾が起つたが、この点はいつお知りになりましたか。
  833. 多田暢

    ○多田證人 それは夜遅くで、駅前の市民諸君が迷惑をこうむつたということをその翌日知りました。その原因の何たるかは、今委員長のお話にありました平警察署應援の問題だつたということで、それを私は知つたのです。
  834. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 二十七日に起つたのですが、それはお知りにならなかつたですか。
  835. 多田暢

    ○多田證人 二十七日に起きたことは知りません。それからもう一点、二十八日は十八番の発言はなるたけ私はとり合わない。もうほとんど二十七日は、ここにたくさん地元で発行しております新聞紙等を参考に持つて來ておりますが、ほとんど共産党一人舞台じやないかというふうにいろいろやゆされたりなんかした記事が出ております。それで二十八日にはかような関係上私は十八番の発言に対してはある程度差控えなければ、先日同様なことになつていけないというので、最後に至りまして二、三回発言を求めたのでありますが、これを許さなかつたという事実がございます。その際に、よしそれなら実力行使だということを一言はいております。
  836. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 十八番は何という人ですか。
  837. 多田暢

    ○多田證人 十八番は植村鶴吉という共産党員です。市会の……。
  838. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ちよつと新聞を貸してください。「郡山市会揉む、傍聽の共産党員騒ぐ」それから二十九日の新聞「定数條例可決」これですな。  そうして三十日に市長が縣会へそれで行かれたのですね。
  839. 多田暢

    ○多田證人 市長は翌日の会議が終りまして、二十九日に出福の要件があつたのでございまして、二十九日と三十日と両日出福いたしました。二十九日に参りましてかねてからの要件を果しましたあとに、今の主食掛賣りの話を縣のだれか私聞きませんが、話したそうです。それは縣だけの力では解決できないというようなあいさつを受けて帰つて來たということでございました。
  840. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 三十日には郡山の、あなた方の方へ押しかけた連中が縣議会へも行つたそうですが、そのデモ隊にひつばられて行つたという話があつたのでありますが、そういうことはないのですか。
  841. 多田暢

    ○多田證人 ここは少しデリケートだと思うのですが、三十日にも同様に知事が仲裁に入つておる。仲裁という言葉が穏当かどうかわかりませんが、知事が調停に入つております郡山市のある一つの大きな仕事がございます。三十日がその調印になる日だ。市長はそのためにどうしても出福しなければならぬはずだつたのでございます。
  842. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 一緒に連れられて行つたけれども……。
  843. 多田暢

    ○多田證人 同じ汽車で、汽車は七時半の列車、あとは十時半ごろになりますので、それで参りますと、正午になります。それでどうしても陳情、お願等の場合は大概七時半の列車で行きますので、一緒に乗つてつた模様であります。福島市につきましてからは、別行動になつたようであります。
  844. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 赤旗を先頭にして行くから、そんな者に連れられて行つてはいけないというので逃げちやつた、隱れたということですが……。
  845. 多田暢

    ○多田證人 そういうかつこうではあつたらしい。
  846. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それから、主食掛賣りの問題がここでずいぶん問題になるのですが、それならば、あなた方がその掛賣りの実現をするような処置をとると言つたのは、それはどういうことですか。
  847. 多田暢

    ○多田證人 できないと思つております。
  848. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 できないことを、陳情としてでも採決になるということは、どういうわけですか。
  849. 多田暢

    ○多田證人 しかし議長としましては、大勢の議員で署名をして諮つた場合は、それを採決して、可決されればこれを可決するのはあたりまえであります。
  850. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたの方で署名した者が大勢おつたですか。
  851. 多田暢

    ○多田證人 はい。
  852. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 福島でもそういうことがあつたようですが……。
  853. 多田暢

    ○多田證人 從いましてただいま市議会としまして、考えておりますことは、郡山市は工場都市でありますので、工場都市という建前から、多くの工場が閉鎖その他の状態になることは、市の繁栄を妨げるものと考えておりますので、産業復興会議というのでは、ちよつと語呂がおかしいから、郡山市の産業振興対策を協議するという会名で何とか具体案をつくろうじやないかということで、目下その準備中でございます。
  854. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そこで承けたいのは、今二十七日のことは御承知にならなかつたとおつしやいますが、それがもとで平市ではとうとう三十日は爆発したのですが、これらの事件は平を第一といたしまして、その次にはあなたのところ、それから福島若松、それに平の近所の小さいところでも二、三箇所やつておるのですが、こういうふうに一齊に蜂起して起つたことについて、あなた方の方と、これらのものと一連関連があるかどうか研究されたことがありますか。
  855. 多田暢

    ○多田證人 研究という御質問ですが、まだ研究という程度には至つておりません。但しいわゆる十八番の植村君の実力行使という一つの発言と、それから議会の傍聽の当初から二日間にわたつて終始した模様、それから郡山市の應援警察官を途中の小野新町か何かその附近で、どういうことをやつたか私存じませんが、何かうわさも出ておるようであります。こういつた点やその他をあわせ考えまして、関連があるのじやないかというふうには考えております。
  856. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 これらの運動の最終の目的はいかなるものであるとごらんになりましたか。
  857. 多田暢

    ○多田證人 そこまでまだ研究はいたしておりません。
  858. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 平市警察を襲つておりますね。
  859. 多田暢

    ○多田證人 もちろん那山も署には参つておりまして、何かガラスがこわされたように聞いておりますが、この際の、市の署長でなくて、國家、いわゆる地区署長の話を聞きますと、拳銃が少かつたのだそうですが、但しその場合持つてつた拳銃は二挺であつた、この二挺の拳銃を署長のわきにはべらしておつた、拳銃の武装を解除しろという声の方が一番大きかつたそうですが……。
  860. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 郡山で……。
  861. 多田暢

    ○多田證人 はい。しかし遂にそれだけは守つた。しかし結局私どもの方の署が割方無事で済んだのは、この二挺の拳銃の力ではないかということを私ども地区署長が私に述懐をいたしております。     〔委員長証人に写眞を示す〕
  862. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 これは六月三十日の晩というか七月一日の午前零時の自治警察署前で無届でデモをして行つた写眞だというのですが、こういう事実は御承知でしようか。
  863. 多田暢

    ○多田證人 これは警察署前の風景でしようか。
  864. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そうです。
  865. 多田暢

    ○多田證人 警察署前の風景は私存じません。但し日東紡績が平市の應援警察官を派遣するためにトラツクを貸したということに端を発して、約六、七百名の徒党を組んで日東紡におもむいて、交渉ができたのかできないのか存じませんが、門を破壊してなだれ込んで、その帰途市長公舎及び私の宅を訪れたということであつたそうでありますが、午前の零時近くになりまして、私は小刀をさしまして自分だけは用意をしておつたのでありますが、ののしりあつた言葉だけで隊を整えて参りました。その帰途署へそつくり寄つて、ただいま申し上げましたような地区署長の述懐ということになつております。
  866. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 さらにその翌日の二日の午前零時十分ごろにもやはり地区警察署へ押し寄せた、こういうことなんですが、そのときの写眞だというのですが、こういう事実はございましたか。それは警察署前でいわゆるすわり込み戰術をやつておる……。
  867. 多田暢

    ○多田證人 この実況を私は参りませんから見たとは証言申し上げられません。しかし各新聞記者諸君その他この騒ぎを見て聞いていた多くの市民から、この事実のあることを承つております。
  868. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 さらに七月五日の午後十時半ごろ平へ應援に行つていた警官が郡山へもどつて來ましたところ、郡山駅前においてこれをとめて、いわゆる檢問をやつてつたという事実があるのですが、こういうことも御承知ですか。
  869. 多田暢

    ○多田證人 いずれも私は現場へ出ませんので、見たとは申し上げられません。但しこれも前証言で話したと同様、多くの見た市民あるいは新聞社等より承つております。
  870. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 かようにずつと二十七日以來そうやつて騒ぎますと、これは郡山市民にたいへんなシヨツクを與えたことと思いますが、この点はいかがですか。
  871. 多田暢

    ○多田證人 それは非常なシヨツクを受けました。どだい私自身が二晩家を留守にいたしました。私これは第一回だと思いましたが、引揚げの帰還列車をお迎えするときに、何か帰還者をまじえて話をし、大いに歌などがあつたあと、今の植村君が発案で、これから市長公舎、議長宅へ行くという決議をしたそうであります。その決議を聞いておりました私の友人その他が非常に心配いたしまして、自宅に通報をもたらしました。この晩は私夜明けに帰つて参りました。どうも結局いて万が一の場合はまずいことだし、つまらぬからというような忠告を受けまして、暫時自宅の席をはずしたという事実があるわけでございます。その後越えて、橘という小学校がございますが、そこに共産党の代議士の渡部さんという方ですが、私お会いもいたしておりませんし、また演説会にも参つておりませんが、何か演説会報告会があつたようです。
  872. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それは何日ですか。
  873. 多田暢

    ○多田證人 それは書いてありませんし、何日ですか記憶がありません。
  874. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 大体……。
  875. 多田暢

    ○多田證人 大体は引揚げの第一日日の翌日の晩ではなかつたかと思いますが、そうでなければ翌々日でございます。
  876. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 二日か三日ですか。
  877. 多田暢

    ○多田證人 最初の引揚げが何日でしたか、それが委員長さんの方で何かによつておわかりでしたら何ですが、その点は私明確でありませんので申し上げられません。その会のあと、つまり橘小学校で……。
  878. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ここには二日夕刻郷土入りとなつておるがね。
  879. 多田暢

    ○多田證人 そうですが、三日かもしれません。それでその橘校の演説会も——橘校というのは私の自宅に近い。近いから、從つて何かその方で別な決議などあつて、決議文手交というようなかつこうでまた自宅に持ち帰られることも迷惑ではないかというような忠言がたくさんありまして、その晩私どうも夜出歩くのはどうかと思つたのですが、やはり夜自宅をあけたという実情でございます。かようなわけで、この二十七日の市の会議を契機としまして、約一週間は非常な市内の不安を買いましたことは、これは間違いありません。從いまして駅前の町内のごときは、自衞團でもつくるよりほかない、いわゆる警察力があまりに弱いのではないかというようなことで、かような話合いをしておることも私聞いております。
  880. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それでは大体終りました。何かお聞きになりますか。——神山君。
  881. 神山茂夫

    ○神山委員 先ほどの証言の中で、郡山市に産業復興会議、まあ名前はあなたの方では産業振興会議の方にしたがいいというふうに思われるらしいのですが、こういうふうなものが一應市会で採択されるようになるのには、どういうふうな事情があつたのでしようか。
  882. 多田暢

    ○多田證人 ただいまの御質問は、先ほど委員長にもちよつと私見を申し上げたと思つておりますが、郡山市は工業都市でございまして、工場等が縮小することは市の繁栄上どういうものかという考えから、この点は考慮すべきものではないか、こういう考えで今準備中であります。
  883. 神山茂夫

    ○神山委員 郡山市の人口のうちの半分近くが工業によつて生活しておることは、私たちも知つておるのでありますが、工場の状態、特に木材工場が苦しくなつて來ておるのは、大体いつごろからでしようか。
  884. 多田暢

    ○多田證人 工場にもいろいろございますが、おおむね工場等が容易でなくなつたと目されますいわゆる金融方面の情報とか、そういつたことから考えますと、本年に入つてからではないかと考えます。
  885. 神山茂夫

    ○神山委員 吉田内閣ができてから以來というわけですね。——そこで特に保土谷化学などはあなたのところでは大きな工場に属するのですが、ここで賃金の遅拂いなどがあるということは、もちろん議長さん御承知でしようね。
  886. 多田暢

    ○多田證人 賃金が遅延しておるということは、うわさに聞いております。
  887. 神山茂夫

    ○神山委員 これは朝日の地方版事や、福島民報にも出ていたそうでありますが、あなたも先ほどから新聞を引いておられますので、当然お読みになつたことと思いますが、郡山市では主食をそのまま受取れない人が相当つたというふうに聞いておるのですが、そういう事実はありませんか。
  888. 多田暢

    ○多田證人 相当多数あるとは聞いておりません。ただ今申し上げましたように、俸給の遅延を見ておるところで難儀をしておるといううわさは聞いたことがございます。
  889. 神山茂夫

    ○神山委員 それではこれは朝日の地方版やその他が少し大げさに書いたということになるのでしようかね。
  890. 多田暢

    ○多田證人 新聞批判は私はでき得ませんから、あとは御想像願うよりほかございません。
  891. 神山茂夫

    ○神山委員 こういう客観的な事実があつたからこそ、郡山の産業復興会議の設置が一應問題になり、今度は産業復興の博覽会の設置を請願などしていらつしやいますが、一方ではそういう産業復興が大事になつて來る。第二には主食の掛賣りの問題が、先ほどからも委員長言つておりますように、権限がどこにあるか、それがすぐ可能かどうか別として、一應市会で取上げられ、また一應承認されるというふうになつたのではないのでしようか。
  892. 多田暢

    ○多田證人 お答え申しますが、一應はただいまの御質問の趣旨は織り込んでおると考えます。ただ先ほど委員長さんに対しまして証言をいたしましたように、当日私の手元に提出されました陳情案がたくさんございましたが、その陳情の内容等で会議がごたごたすることは避けたいということで、急遽副議長の妥協案——といえばおかしいのですが、別に妥協案でもないのですが、適切なる案件を出しましたので、議会としては、この二つのことならば採択をすることもいいんじやないかということでやつた次第であります。
  893. 神山茂夫

    ○神山委員 二十八日にこれが一應可決されまして、先ほどのお話ですと、その二十八日にすぐこの決議に基いて市長と労働組合及び共産党その他の代表が会つたというようにおつしやいましたが、これは二十八日に間違いありませんか。
  894. 多田暢

    ○多田證人 二十八日の会議終了後です。
  895. 神山茂夫

    ○神山委員 そのとき会つたときには、一應ゆつくりそれは懇談しようということだけが申し合されて、二十九日に一應結論がまとまつて、市長も縣会に行こうというようになつたのではありませんか。
  896. 多田暢

    ○多田證人 そうじやございません。二十八日で、明後日三十日に出縣の用があるから、それじや一緒にしようという答弁を市長がしたということを助役から私は承つておるので、ただ二十九日は市長が福島に参りましたので、その結果の報告会か何かが行われたらしいようです。
  897. 神山茂夫

    ○神山委員 それは二十八日でけつこうです。二十八日にこういう話があつて、三十日に市長が福島にいらつしやつたわけですね。
  898. 多田暢

    ○多田證人 そうです。
  899. 神山茂夫

    ○神山委員 そこで問題なんですが、市長が一應労働組合その他の團体人たちと話合つて、行こうと言われたにもかかわらず、あとでは、自分は強制されたと言つておるのでありますが、この本間という市長さんはいつも自分の言つたことをきちんとやる人なんですか。ときどきはひつくり返える人なんですか。
  900. 多田暢

    ○多田證人 どうも市長個人の問題になつて参りますから……。
  901. 神山茂夫

    ○神山委員 それは今度の事件を評價するのにやはり関連があるのです。今度の公安委員の後任をきめる問題についても、一部の新聞記者諸君が、市長が急轉した、ひつくり返つたということを言つておるように、この本間市長はときどき自分で言つたことをひつくり返すようなことがあるんじやないですかね。山口公安委員にきまることについて、初め自分で押すつもりであつた菅さんの案をひつ込めて山口案に同調しておるというようなことも聞くのですが……。
  902. 多田暢

    ○多田證人 その点は市長としての心境ですが、大勢やむを得ずとして考慮して出したものと考えます。
  903. 神山茂夫

    ○神山委員 それでいいのです。そこで三十日に、民主的な議会や労働組合側の約束であつたところの、その日は歌を歌わない、デモも組まないというふうな約束で行つたにもかかわらず、市長自身が約束を破つておる。そうしてあとになつて強制されたというふうなことを言つておるから、この問題は大事なんです。あなたはその点についてこういう事実をお聞きになつておりませんか。
  904. 多田暢

    ○多田證人 一ぺん聞いております。それは、市長は秘書課長を帯同して参つたそうですが、市長と同道した議員及びその他の代表は、國鉄福島管理部の前に赤い旗を立てた場所があつて、そこへ大勢固まつて、そうして大勢の姿で出発する、かようなかつこうであつたので、自分としてはそれは穏当を欠く、こう考えたので別行動をとつた、かように私に報告いたしております。
  905. 神山茂夫

    ○神山委員 いずれにせよ、自分の都合のいいときには大勢に順應するというのがこの市長の特徴であるので、今度の場合でも何を言つているかわからないということだけは明らかなのですが、さてその次に今度は議長さんとして聞きたいのですが、あなたに暴言を吐いたといいますが、どういう暴言を吐いたのでしようか。
  906. 多田暢

    ○多田證人 それはたくさんで、一々覚えておりませんが、無能呼ばわりの言葉がたくさんございます。これは私みずからののしられたことですから、発表することもよろしいようですけれども、数多くの罵詈雜言があつたので、一々内容等をここで申し上げることは差控えたいと存じます。
  907. 神山茂夫

    ○神山委員 それは一應私としては聞きたかつたのですが、しかしどういう暴言を吐いたかということの中に、やはり政治的な問題もあつたのではないかと……。
  908. 多田暢

    ○多田證人 それでは一、二申し上げます。先ほど委員長の方に差上げた新聞をちよつと……。最初証言申し上げました写眞の件がございましたが、お聞きおきだと思いますが、この際すでに空氣が險惡で、私に対するののしりがあつたものですから、それで一体傍聽人は傍聽人取締規則というものは知つておるだらう、最近はあまりやかましいことをやつておらぬが、しかしきみたちが一体民主々々と言うならば、議会には秩序というものがあるのだ、秩序を守らない民主がどこにあるかということで、私はこれに一矢を報いましたところが、これは郡山の方言だと思いますが、かすかたれ、こういうことを言うのです。これはなまいき言うなというふうにもとれますし、くだらぬことを言うなというふうにもとれますが、かような言葉等で應酬がありまして、もちろんばかやろうもございましたし、さつさとひつ込めよ、議長などさつさと退席しろ、議事法を知つておるのかというような事柄はもちろんでございますし、しまいには少しくおはずかしい話ですが、傍聽人と議長との應酬があるというようなかつこうまで発展をいたしたのであります。非常に私といたしましては不愉快な、まつたく場合によつてはその氏名あるいは写眞でもあつたならば、とつておいて司法的処置もとりたい、こう思うことがたび重なつてつたことを申し上げておきます。
  909. 神山茂夫

    ○神山委員 今司法的処置という話が出たので思い出したのですが、あなた自身に関連して司法的問題はありませんか。
  910. 多田暢

    ○多田證人 ありません。
  911. 神山茂夫

    ○神山委員 ひとつお尋ねいたしますが、あなたは前に戰争中にひもろぎ会、皇道一新会、まことむすび会、古事記研究会、日本ろうそう全等の福島縣の支部長をやつておられて、このことが市会の反対派から告発されておることはありません。
  912. 多田暢

    ○多田證人 ありません。
  913. 神山茂夫

    ○神山委員 それではもう一つお尋ねいたしますが、あなたは渡辺議員のことを御承知でありますか。
  914. 多田暢

    ○多田證人 渡辺だれですか。
  915. 神山茂夫

    ○神山委員 秋藏。
  916. 多田暢

    ○多田證人 ございます。
  917. 神山茂夫

    ○神山委員 その人の事件は御承知ですか。
  918. 多田暢

    ○多田證人 最近聞きましてわかつております。
  919. 神山茂夫

    ○神山委員 どういう事件ですか。
  920. 多田暢

    ○多田證人 これは新聞等にも出ております。ある一つの事件によりまして、それを本人が最近その事実なることを知つたために、一身上の都合を理由として辞職の願を提出して來ておりますので、私はこれを了として受領し、辞職を許可いたしました。
  921. 神山茂夫

    ○神山委員 その事件の内容はどういうことですか。
  922. 多田暢

    ○多田證人 これは食糧の統制違反であります。
  923. 神山茂夫

    ○神山委員 どういう統制違反ですか。
  924. 多田暢

    ○多田證人 そういう内容まで申し上げる必要はないと思います。私は市会の議長といたしまして、市会議員の個人のことにわたつてまで発言いたしたくございません。
  925. 神山茂夫

    ○神山委員 これは地方新聞に出ておることなんで、私は当然発言をされる責任があると思うのです。
  926. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたが言うならいいけれども、議長として議員の恥辱に帰することは言いたくないというのですから……。
  927. 神山茂夫

    ○神山委員 渡辺秋藏は執行猶予中のからだでありながら、三年以上議員の職にとどまつてつて、しかも歳費その他のものをとつておる。こういうことが問題になつておるのに、この事実をあなたが知つていながら、この秋藏氏をかばつておるという点について告発するというようなことが福島民報に出ておりますが、こういう事実についてあなたの関係はどうなりますか。
  928. 多田暢

    ○多田證人 関係は何もございません。
  929. 神山茂夫

    ○神山委員 その秋藏という人はあなたの子分だというふうに新聞に書いてありますが。
  930. 多田暢

    ○多田證人 新聞の見解だと思います。
  931. 神山茂夫

    ○神山委員 そこであなたが暴言をはかれたとか、郡山の言葉でなまいきだとかいうような言葉を言われる背景のうちにひとつこの渡辺秋藏の問題——これはあとから出て來ておりますけれども、日ごろからあなたのやり方に対する民主的な議員諸君及び労働組合代表者の間に不満があつたからこそ特にそういうことになつたのではありませんか。
  932. 多田暢

    ○多田證人 お答えいたします。私みずからのことですから、私みずからの信用の問題ですから、弁解めいておかしいのですが、御質問が御質問ですからお答えをいたしておきます。私はなまいきを言うわけでもありませんし、うぬぼれるわけではございませんが、共産党の植村君の際にも今回の問題は別ですが、私の議長としての処置に対してはさほど不愉快ではなかつたのではないか、かように考えております。一應お答え申し上げます。
  933. 神山茂夫

    ○神山委員 ただその点をなぜ言わなければならないかというと、あなたは二十八日の会議を運営されるにあたつて、植村君すなわち十八番の発言を禁止したということをあなた自身ここで証言されておる。從つてあなたが少数派を代表する、あるいは共産党代表する植村君の発言を禁止されることは、新聞に書かれることを氣がねしてやられたのかもしれませんが、議長として公正なる処置と今も思つておられますか。
  934. 多田暢

    ○多田證人 新聞に書かれている記事というようなことは、まるきり関係はございますまい。
  935. 神山茂夫

    ○神山委員 いや、それはあなたが新聞にも共産党は発言しておるとおつしやつて、その証拠として新聞をお出しになつたからお尋ねしているのです。
  936. 多田暢

    ○多田證人 今のお尋ねは前後なさつていらつしやるのじやないでしようか。それは二十七日から八日の議会の模様を申し上げるべく新聞を参考としていいかということをお尋ね申し上げて、よろしいとおつしやるから私はこれを参考にしたのです。しかし今のお問いのごとく、新聞にどうこうあるから私の議長としての措置が誤つていたというような御質問は少し見当が違うんじやないかと思います。
  937. 神山茂夫

    ○神山委員 いや、私の言つておるのはあなたは二十七日にその発言を知つて、二十八日の発言を押えるという例を新聞を例として率直に示されたから、私は議長としてこういう議員の発言を制限することは、どうかということを言つておる。
  938. 多田暢

    ○多田證人 先ほど申し上げましたように、先日と同じようなことを繰返すことを避けるために、私は発言を遠慮願つてつたのであります。
  939. 神山茂夫

    ○神山委員 それはあなたの趣旨はわかります。そのことをみずから考えてみて、あなたはその点何とも言えませんか。
  940. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 今になつて間違つたことをしたと思わぬかというのです。
  941. 多田暢

    ○多田證人 思いません。議長として当然の処置と考えます。
  942. 神山茂夫

    ○神山委員 議長として当然の処置とあなたがお考えになるのはあなたの自由でありますが、私たちとしては少数派の発言を制限したことを議長として当然の権限とおつしやるあなたの見解は非常に偏つていたということを言つておきたい。  それでもう一ぺんお尋ねしますが、あなたは先ほど私が言つた團体に、全然関係がありませんか。
  943. 多田暢

    ○多田證人 日本ろうそうには関係がありました。
  944. 神山茂夫

    ○神山委員 それ以外には関係ありませんか。
  945. 多田暢

    ○多田證人 ございません。
  946. 神山茂夫

    ○神山委員 責任を持つておつしやるわけですね。
  947. 多田暢

    ○多田證人 もちろんです。
  948. 菅家喜六

    ○菅家委員 ただいま神山委員からまるきり眞相から遠ざかつた、でたらめの質問がございました。私質問はやらないと思つてつたのでありますが、一應この眞相を記録にとどめて置かなければならない。それは今神山君の質問しておることは、郡山市会のいわゆる十八番議員植村鶴吉なんぞの報告である。この植村というのは郡山の工機部に勤めておつた人間でありまして、共産党員です。これは一番惡質の共産党員で、郡山ではだれも相手にしない。ところがその当時は工機部は共産党が多くて市会議員に当選したのであります。ところがその後二回三回選挙をやつていますが、工磯部は絶対反対になつて、植村なる者は工磯部の委員長であつたが、委員長を二回とも落ちております。これを見ても植村なる者は工機部からも党員からも信用がないという事実を立証しておるものであると思う、最近は國鉄は民同が多くなりまして、共産党はほとんどつぶれてしまいました。この決戰投票は明かな数字が出ておるのであります。かくのごとき植村議員の報告を眞実だと思つて、事情を知らないで、聞いておることは大体間違つておる。私証人お尋ねしたいのであるが、市長が掛賣のことについて福島に行つたのは、共産党の教唆によつて、当時これは市長などが行つて縣廰に陳情してもできないことなんだ。けれども先日來からの市会の空氣がまことに險惡であつて、今や郡山始まつて以來の騒擾である、この状況では夜中にも押しかけられる、朝にも押しかけられる。このような状態はうるさいから、脅迫によつて市長は行つておる。そこで市長は脅迫によつてつたけれども福島に着いてみると管理部の前に大勢集まつて赤旗を立てて、革命歌を歌いながら無届けのデモ行進をした、市長が途中から逃げてしまつた、これが眞相なんです。これをはつきりあなたはここで証言された方がいい。これが事実であろうと思う。この点をはつきり御証言願いたいと思います。
  949. 多田暢

    ○多田證人 ただいま御質問の通りであります。
  950. 菅家喜六

    ○菅家委員 それから大体渡邊秋藏君などの問題を引合いに出したが、これはごく二、三日後に起きた問題だ。これは郡山会議員で多田市会議長と同じ派の人である。植村君も多田証人が議長になるときは議長に投票されておるはずである。今まで同調しておつた議長擁護派である植村一派が、途中から節をかえて議長の攻撃に出ておつたという事実がありますかいかがでありますか。私は、眞相を一番知つておる。あなたが市会議長になるとき植村君などは同調したのではないか、この点いかがですか。
  951. 多田暢

    ○多田證人 お説の通り植村君は私のために貴重なる一票を投票していただいております。
  952. 菅家喜六

    ○菅家委員 市会の記録を見れば明らかになつておるじやないか。
  953. 多田暢

    ○多田證人 それとただいまお尋ねの中に植村君一派というお話がありましたが、おそらくは今日の市会の情勢から見ますと、植村君だけは別でありまして、いわゆる副議長の派と称する他の——今回全逓から出ました酒江君が公務員法の兼職禁止でやめましたが、それを除きました議員はいわゆる副議長派であつて、副議長は自分の同志とともに決して議長のとることに一回も反対の行動はとつておりません。
  954. 菅家喜六

    ○菅家委員 もう一つはつきりしておきますが一体郡山事件というのは掛賣りとか何かから起きた問題ではない。福島縣事件は平事件中心として、各警察署襲撃しておるのは、いわゆる共産党の一貫したるところの権力闘爭であり、確約闘争ということを彼らがやつておるのであつて、渡邊秋藏君の事件とは何ら関係なく起きた事件である。平に應援に行つた警察官をなぜ應援に來たかといつて警察に押しかけて行つて暴動を働いた、牽制策だ、それに間違いないと思うがどうですか。
  955. 多田暢

    ○多田證人 研究はいたしておりませんが、そのような感じを受けておると先ほど証言申し上げた通りであります。
  956. 菅家喜六

    ○菅家委員 先ほど証人は二十七日から二十九日、三十日、一日、二日における郡山の一般情勢は一通りは述べられたのであります。先ほどあなたの家の前を通つて、日東紡績に四、五百名の者が押し込んで、あの門を破つて中へ入り深更に騒いだ。その帰途は証人の家の前を通つて警察署へ行つておるのは写眞証憑にある通りで、その晩は郡山市民はどんな感じを持つてつたか。一週間毎晩々々無届けのデモ、革命歌を歌つて赤旗を先にして市内をねり歩いた。市民のこの一週間の感じ、不肖私もおつた郡山市全般というものは、どうなつて行くか、警察力が少い、警察へ押しかけても五、六人の警官がおるくらいなもので、石を投げる、あらん限りの個人攻撃の話をして歩く。至るところに無届で見るにたえないところのビラがはつてある。こういう状況を見たときに郡山市民は一週間非常な不安の念にかられたということは証人はよく御承知のはずでありますが、その点はいかがでありますか。
  957. 多田暢

    ○多田證人 先ほども申しました通り、約一週間、私は八日か、七日よりは少しよけいではないかと思いますが、市民の不安は相当なものがあつたと先ほど証言申し上げました。
  958. 菅家喜六

    ○菅家委員 もう一つお尋ねしますが、郡山自治警察署から平に應援のために自家用車組合に交渉しまして、急場の話なのでトラツクを十台借りた、この貸した家にことごとく徒党を組んで共産党員が脅迫に行つておる事実がありますが、その話は聞いておりますか。具体的に言えば、渡邊組、高橋組、渡邊食糧自動車その他佐久間自動車、これらのうちのどこかに脅迫に行つて、お前たち警察に自動車を貸しているのは、何か惡いことをやつているからだろう、十月にはわれわれの政府ができるから、そのときはお前たちの営業はやめさせると言つて、十人ぐらいの徒党を組んで脅迫をしておるのであります。そういう事実をあなたは聞いておりますか。
  959. 多田暢

    ○多田證人 そういう事実も聞いております。ただどこにどういう程度のおどし文句を言つているかは、私は明確にはわかりませんが、少くとも今御質問のような趣旨で、貸しつけて文句を食つたという嘆きを言つている貸人がたくさんある。
  960. 菅家喜六

    ○菅家委員 もう一つお尋ねいたします。これは実にひどいことをやつている。五、六百名の者が日東紡績から帰つて來て警察に押し寄せたときに、新聞社の人が写眞をとるためにマグネシウムをたいたところが、今マグネシウムをたいたのはだれだ、その主任はだれだと言つて共産党の佐久間、植村が騒ぎ立てた。そうして福島民報支社の前に來てデモをやつている。夜中に子供が泣き叫ぶようなデモをやつたという事実を聞いておりますか。
  961. 多田暢

    ○多田證人 聞いております。福島民報社郡山支社長の三田吟汀氏より直接に聞きました。三田支社長が憤然と家から出ようとしたときに、娘さんが、「とうちやん、あぶない。今が我慢のしどころです」と言つて泣き騒いでとめるので、とうとう出なかつたが、あまりに、ひどい、こういうことでは言論の自由も何もないということは、三田君自身がはつきりと私に答えております。
  962. 菅家喜六

    ○菅家委員 市会共産党員が騒いで議事の妨害をやつたときに、私は郡山署から商工会議所に至らんとして四つ角の所に來たのであります。そうすると共産党の者が、四つ角の大道のまん中にあぐらをかいて、昔農家で吸つてつたきせるといいますか、それをすぱすぱ吸いながら、吉田内閣をぶち倒せ、警察を彈圧せよ、警察官をぶち殺せというようなことを言つて演説をしておつた。私はそこを通ろうと思つたが、自動車や何かがそこを通れない。そこで商工会議所まで歩きましたところが、郵便局のところで徒党を組んで、革命歌を歌つたりなんかしておりました。そういうようなことが二、三回続いたと私は聞いておりますが、証人はそういうことをお聞きになりませんか。
  963. 多田暢

    ○多田證人 聞いておりますし、私も三箇所ほど、市内の要所々々に手わけをして、五人ないし十人、大勢の場合はただいま御質問のようなことで、それらこちらの要所々々に、晝間及び夜間何かデモの街頭演説会を開いておつた……。
  964. 菅家喜六

    ○菅家委員 もうこれで郡山事件のことははつきりいたしました。市会において暴力を振つて市会をこわし、そうして警察署に押しかけて、一週間以上にわたつて郡山市民を不安の念に陥れた、いわゆる共産党の恐怖戰術を福島縣に一貫してやつたという、これで本事件は明瞭になつていると思いますから、これ以上の質問は打切ります。
  965. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それでは済みました。御苦労さんでした。     —————————————
  966. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 竹内七郎さんですね。
  967. 竹内七郎

    ○竹内證人 はい。
  968. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたの今の住所はどこですか。
  969. 竹内七郎

    ○竹内證人 仙台市北三番町二十五番地であります。
  970. 鍛冶良作

  971. 竹内七郎

    ○竹内證人 今度縣委員長になりました。
  972. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 仙台におつてもなれるのですか。
  973. 竹内七郎

    ○竹内證人 そういうことになつたのです。
  974. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 いつからですか。
  975. 竹内七郎

    ○竹内證人 七月四日の日に届けてあります。
  976. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 その前は。
  977. 竹内七郎

    ○竹内證人 その前はただの縣委員です。
  978. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 六月三十日の縣議会へ福島縣労働組合の諸君が國体行動で押しかけたそうですが、これにはあなたおいでになりましたか。
  979. 竹内七郎

    ○竹内證人 労働組合の諸君とは私どもは一緒ではありません。ただし共産党の縣委員会もこれは六月十三日に縣の臨時議会が開かれましたときも、共産党は陳情書を出しております。陳情書というのは、つまり縣会の方では陳情書でないと受付けられないというお話なので、事務局と打合せの上陳情書を出しております。また六月三十日にも重ねて陳情書を出したわけであります。
  980. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたもその陳情書を出した團体の一つとして行かれた、こういうわけですね。
  981. 竹内七郎

    ○竹内證人 そうです。共産党團体でありますから、團体の一つとして行つております。しかしこれは別にみんな一緒に行つたのではありません。共産党共産党だけで行つたのです。
  982. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 どういう團体がおりましたか。
  983. 竹内七郎

    ○竹内證人 私どもの参りましたときは縣会前の各派交渉会が始まる直前でありまして、陳情書を出して、大竹縣会議長と簡單に話を済ましてわれわれは帰つた。次の日の七月一日に、もう一度行つて会議長と副議長に会いまして、われわれの出した陳情書の趣旨をよく説明をしました。大竹議長並びに蓮沼副議長も共産党の言うことはもつともであるということを言われております。
  984. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 今三十日のことを聞いておるのですが、あなた方のいわゆる友誼團体と申しますか、それはどういう團体を主としておりましたか。
  985. 竹内七郎

    ○竹内證人 六月三十日に福島縣会に行つていたのは福島縣労働組合会議が行つてつた。それから國鉄や全逓の組合が行つてつたと思います。
  986. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 朝連は……。
  987. 竹内七郎

    ○竹内證人 朝連は行つてなかつたと思います。
  988. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたは最高指揮者になつて押し寄せたという人もあるが、どうです。
  989. 竹内七郎

    ○竹内證人 そういう事実はありません。
  990. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 最高指揮者はだれだつたかね。
  991. 竹内七郎

    ○竹内證人 最高指揮者というのは私はわかりません。それは労働組合がそれぞれの組織をもつて労働組合の機関の決議で行つておるのですから、私としては最高指揮者とか何とかいう事実はないと思います。
  992. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それでは順を追つて聞きますが、縣議会に対して要求したものは相当つたそうですが、主食掛賣即時実施の動議を提出せよ、こういうことを要求したというのですが、これはどうです。
  993. 竹内七郎

    ○竹内證人 共産党要求したものは十項目ばかりあつたけれども、その中には主食の掛賣も入つておるが、しかし即日実施しろということは共産党言つておりません。七月一日に話したときにも、これは各派交渉会でもよく話合いをして縣会として十分取上げてもらいたい。縣会には残念ながら共産党の縣会議員はおらないから、できれば議長がとりはからつて各派の方々とわれわれは十分に話合つてもよろしい。こういうことを申し上げた。それに対しまして大竹議長もそういう機会を持つてゆつくり話ができればそういうこともできようというようなことも漏らしたと記憶しております。
  994. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ところがそんなことは縣会の問題でなくて國会で言うなら別だが、ここでそんなこと言つたとていかぬといつて拒否されたんじやないですか。三十日は……。
  995. 竹内七郎

    ○竹内證人 いや、三十日の日はそんなにこまかいことまで話すところまで行かなかつた。それは十三日に行つたときもこちらから出した項目の中には、これは縣会としては片がつかぬという問題もあります。そういう問題もその数の中には含んでおつたと思います。しかし全面的にこれは全部拒否するというようなことはなかつた
  996. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 いや、主食の掛賣の点だ。拒否された。ところが議場に入らぬ先にそれで大騒ぎをして喚声をあげておつたというのですが、それはどうですか。
  997. 竹内七郎

    ○竹内證人 そういうことは私は知りません。
  998. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それからさらに縣会の傍聽席を労働組合の諸君が占領してしまつたそうですね。
  999. 竹内七郎

    ○竹内證人 占領したという言葉はどういう意味か知りませんけれども労働組合の諸君も傍聽席に入つてつたことは事実だと思います。それからそのほかの傍聽人の方もお入りになつてつたことも事実であります。ですから占領したというのは委員長はどういう意味でおつしやつたのかわかりませんけれども、私は占領したというふうには感じないのであります。
  1000. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それではあらためて聞きましよう。傍聽席に労働組合員が充満しておつたのだが、それはどうですか。
  1001. 竹内七郎

    ○竹内證人 充満したと言つても比較的多数おつたことは事実であります。それは充満しておつてほかの人が入れないというような意味ではないと思います。
  1002. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 傍聽席から議場へ赤旗を下げたそうですね。
  1003. 竹内七郎

    ○竹内證人 そういうことは聞いております。
  1004. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたは行つてつたのではないですか。
  1005. 竹内七郎

    ○竹内證人 私は縣会議長さんに会つて、議場へ入らないで帰つたのです。
  1006. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それからそういう旗を下げられては困るというので、議長はこれを取除くように要求したが、頑としてこれに應じなかつたという事実は聞いておりますか。
  1007. 竹内七郎

    ○竹内證人 聞いております。
  1008. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 どういうわけで應じなかつたのですか。
  1009. 竹内七郎

    ○竹内證人 それはわかりません。
  1010. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 六月三十日を境としまして福島、平、郡山若松、その地平の近郊等においてたいへんな紛爭が起つたようですが、これらに対してあなたはどういう指図をしたとか何とかいう事実はありませんか。
  1011. 竹内七郎

    ○竹内證人 今日呼ばれた中にも平市をめぐる事件について聞きたい。こういう御要求でありましたけれども、ただいま御質問になりましたのでその点について申し上げたいと思います。ただいまの御質問によりますと平とか、福島とか、その他にいろいろな問題が起つた。それに対してどういう指揮をしたか、こういうお話でありましたけれども、指揮命令をしたということはわれわれにはありません。なぜならば六月三十日にああいう事件が起つたということはわれわれが予期しておつたものでないことなのです。なぜならばそれ以前の状態から言つてちようど國鉄には首切りが迫つて來ておる、そして國鉄労働組合の諸君もこれに対して中央の指令もあり、いろいろやつてつた。また平においても矢郷炭鉱から始まつて六月末日においては、石炭も配炭公團が発送指図書も切れないというような事態になつてつた。こういうことは事実であろうと思う。そしてそこではもう國鉄ばかりでなく、あるいは炭鉱ばかりでなく、縣内の中小企業にもたくさんの首切りとか工場閉鎖とか、あるいはそれ以前の中小企業の懇談会において、中小企業者の諸君の働いておるところから言いますと、どういう企業も、非常に困つてつたのは事実であろうと思う。これに対してわれわれは……。     〔発言する者あり〕
  1012. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 簡単にしてください。
  1013. 竹内七郎

    ○竹内證人 そういう状態にあります。單に國鉄労働組合とか、石炭の労働組合の諸君が、私も労働組合の出身でありますけれども、單にストライキをやればそういうことだけで問題は解決できるのではないということ、現有の政治的な吉田内閣のやり方がこういう状態をつくり出しておるのであるということはずつと前からわれわれは宣傳して來ておるのであります。しかしながら六月三十日に各地においてこういう問題が起つた、そうするとこれはその後のいろいろな新聞やその他においてこれは共産党が起したのだろうということを言つておる。しかし私はこれは逆だと思う。なぜならば六月三十日に平で起つた問題というものは、一体何で起つたか。これはわれわれは電話で聞いた情報で六月二十六、七日ごろです。ちようど壁新聞の問題が問題になつて、そうしてこれは替地を見つけて移轉するまで待つてくれるということに話合いがきまつたということを聞いておる。ところが六月三十日に急にまたこれを取去れ、こういうことは共産党計画したのではないのであります。またたとえば若松においてその騒ぎが起つたということも新聞は言つておる。しかしこれはなぜそういうことが起つたのかということになれば、六月二十九日に三菱の労働組合委員長を不当にも逮捕しておる。この不当であるということは、その後におい事て檢事局の檢事も、判事も、これはおれの方に関係はないのだ、警察署長釈放してよいのだということを言つておるにもかかわらず、警察署長釈放しなかつたという話も聞いておる。從つてこういう事態の起つたのは、決してわれわれがこういうことを計画して起したのではない。明らかにこれは私の判断によれば、國鉄労働組合の首切りは、大体六月初めに行われる模様であつたということを新聞も報じた。それがいろいろの都合で遅れたと思うのでありますが、大体当時の新聞も六月末ないし七月の初めに行われるであろうというような報道をしておる。ところが……(「演説じやない、事実を聞くのだ」)事実を述べております。こういう状態において六月三十日にこの官憲の挑発によつて、馘首の問題が起つたということは明らかに労働組合、特に國鉄組合の首切りによる労働者の挑発、こういうようなことが……。     〔発言する者多し〕
  1014. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 私の言うことを聞き給え。なるべくこらえておるが、こつちの言つたことを答えればよい。君はこれらの事件に対して指導されたことがあるかないか。ないならないと言えばよい。われわれが指導せんでも、こういう事情があるから自然に起つたというのですか。
  1015. 竹内七郎

    ○竹内證人 その通りであります。それが起らざるを得ない状態があつたから起つた
  1016. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それなら今そこでも声が出たが、それは福島縣だけの実情じやなくして日本全体なんだ。何ゆえ六月三十日を中心にして福島縣だけで起つたか。
  1017. 竹内七郎

    ○竹内證人 それは福島縣だけで起つたのじやなくして、どこでもやはり首切り問題が問題になつておる。なぜ六月三十日に起つたかというと、平の警察署が六月三十日にそれを撤去せよと命令したから起つた
  1018. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 一九四九年七月一日付の日本共産党東北支部委員会、日本共産党福島縣委員会、これで出された声明書はあなたが出したものですか。
  1019. 竹内七郎

    ○竹内證人 東北地方委員会と福島縣委員会で共同して出した。
  1020. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたは指導せぬと言うが、福島縣十万の労働者、共同して立てというのは、どういうのですか。
  1021. 竹内七郎

    ○竹内證人 それは当然です。
  1022. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 君は指導せぬと言うが、それは指導じやないか。
  1023. 明禮輝三郎

    ○明禮事務局長 でたらめ言うな。     〔発言する者あり〕
  1024. 神山茂夫

    ○神山委員 事務局長は何を言うのだ。
  1025. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 事務局長は私に対する助言や資料を提出する程度ならさしつかえないと思います。それ以上のことがあれば私から注意します。(発言する者多く、議場騒然)目にあまることがあれば私に言つてください。私の責任において処理する。
  1026. 神山茂夫

    ○神山委員 議事進行について——私は何も大きな声を出すために言うのじやないけれども証人証人の立場からものを言つておるのに、事務局長がそばから失礼なことを発言をする、ふざけるなとは何だ。そうでなくても、本考査委員会は民自党の私物化したと世間で言つておる。明禮君は党籍を離脱しておるにもかかわらず、なお民自党の色が非常に濃い。こういうときであるから、明禮君自身としても大いに注意すべきまさにそのときにあたつて、不謹愼にもどなるということは、もつてのほかである。將來は特に注意をしてもらいたい。
  1027. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 もう一ぺんあらためて聞くが、これはあなたが出されたのですね。間違いありませんね。
  1028. 竹内七郎

    ○竹内證人 東北地方委員会と福島縣委員会が共同して出したものです。
  1029. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたが関係して出されたのでしよう。
  1030. 竹内七郎

    ○竹内證人 そうです。
  1031. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 これをどうしてあなたが指導せぬと言われるのですか。
  1032. 竹内七郎

    ○竹内證人 そういうものを出せばすぐ指導になるとおつしやるのですか。
  1033. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 この通りここに書いてある。福島縣十万の組織労働者は農民、市民とともに、今や平市において、郡山市において、若松市において、福島市において、英雄的闘爭を開始した。薪炭代金の未拂い、繭價の暴落、重税に悩む全縣民の運命は、これら労働者諸君の双肩にかかつている。われらは今こそ全人民とともに次の要求をもつて徹底的に闘うことを誓うと書いてある。こういうものをあなたの方で出しておつて、これらに対する指導でないとあなたは言われるのですか。
  1034. 竹内七郎

    ○竹内證人 それを指導と言われるならば、すべてが指導ではないですか。
  1035. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 だから指導じやないと言うのですね。われわれはこういうものを出したけれども、これによつて動いておる者はおらぬ。だから自発的だ。こういうんですね。
  1036. 竹内七郎

    ○竹内證人 それはもちろんです。もちろん共産党が言つたからといつて、それに納得しなければみな動きやしない。
  1037. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ここに書いてあるように、あなた方はこうやつて、農民、市民とともに闘う、このようなことを始終言つておられるのですが、若松の三菱の工場では、いわゆる産業防衞闘爭ということをよく使われておりますが、これはあなたの方で始終そういうことを言われるのですか。
  1038. 竹内七郎

    ○竹内證人 産業を防衞するということは共産党では常に訴えております。なぜならば……。
  1039. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 私の問うたことだけ答えてくれたまえ。
  1040. 竹内七郎

    ○竹内證人 そういうことを常に言つております。
  1041. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それがここに書いてあるように、農民、市民とともに各地においてやるというので、さらに地域産業防衞闘爭という言葉も使つておいでになりますが……。
  1042. 竹内七郎

    ○竹内證人 地域産業防衞というような言葉は特に使つた記憶はありませんけれども、われわれは共産党福島縣委員会として、特に福島縣の問題をわれわれは考えている。現実にこれは縣の経済部長も言つておりますように、福島縣の産業の九五%は中小企業だ。この中小企業のほとんどは、やはり國鉄とか、石炭とか、電産とか、大体こういう産業の仕事を受持つてつている。ところが石炭は御承知のようにつぶれかかつている。
  1043. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そういう大きなことでなく、こつちの問うておることだけについて……。
  1044. 竹内七郎

    ○竹内證人 それを言わなければやはり……。
  1045. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そういう言葉を使つておるかどうかということです。
  1046. 竹内七郎

    ○竹内證人 福島縣の産業を守らなければならぬということは言つております。
  1047. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それからここに書いてあるように、われらは今こそ全市民とともに次の要求をもつて、徹底的に闘うことを誓う、こういうのだが、これはだれを相手にして闘うのだ。
  1048. 竹内七郎

    ○竹内證人 吉田内閣であります。
  1049. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ここに吉田内閣という言葉はあるけれども、これを持つてつたのはどこに持つてつた。実際のあなた方の行動は吉田内閣を相手にしているんじやないでしよう。もつと言えば、まず福島縣廰へ行かれて、縣議会に行かれたね。そうでしよう。それからどこへ行きました。
  1050. 竹内七郎

    ○竹内證人 それから先はまだ行つておりません。
  1051. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 警察はどうだ。
  1052. 竹内七郎

    ○竹内證人 警察にも抗議しました。たとえば六月三十日に縣会に行つた労働者諸君が、縣会が終つてから三々五々帰つてつたその途中、停車場の方に帰る連中が帰つて行くのを、警察官が行つてとつつかまえた。その話を聞いて私も、それはおかしいと言つて警察署に談判に行きました。そのときは労働組合の諸君ただ五人で行つた。そこでどういうわけで、四人の人をつかまえたかということを私は事情を、署長がおらないので、次長に聞いた。ところが、この次長は公安條例違反の嫌疑であるというふうに答えた。ところが、いろいろ話をして、まアそんなことを言つて郡山から來ているんでもあるし、帰してやつてもらいたいということを言つたところが、一通り調べてからきよう中に帰しましよう。こういうことで三時間か四時間調べられて出て來た者の話を聞くと、公安條例のこの字も出ておらない。まるで別なことを調べている。こういうことは明らかに、まるで問題を起すために人間をつかまえて……。
  1053. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 いや、あなた方は闘爭の対象を警察に持つてつているか、ということを、聞いているんだよ。
  1054. 竹内七郎

    ○竹内證人 警察が向うから、やつて來れば、そういう不当なことをすれば、やはり警察官はそういうことをやめてもらいたいということを言わざるを得ない。言うのは当然である。
  1055. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 わかつた。もう一つ聞きましよう。先ほどからあなたは関連性がないと言われるが、こういつた平とか郡山とか福島とか、こういう警察に押し寄せて行つた、これもみなあなた方の指導はもちろんないし、各地において自然発生的に起つた、こう言われますか。
  1056. 竹内七郎

    ○竹内證人 自然発生であるか指導性があつたのか、こういうふうに機械的に二者択一の聞き方をするのは、事実を言うのに間違いが生ずると思う。なぜならば、共産党がどういうことを主張しておるかということはあなた方もよく委員長初め御承知だと思う。われわれは官憲が無法な彈圧をすることに対しては常に反対するという態度をとつている。
  1057. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そうでないんだよ。平とか郡山とかいう問題を言つているんだよ。
  1058. 竹内七郎

    ○竹内證人 ですから、こういうふうな事態が起つたということは、先ほども申し上げましたように、六月三十日の日に平の警察署長は、一ぺん日延べしたものをもう一ぺん繰返してこれをとれ、とらなければ実力でこつちでとつ拂うというようなことを言つた。そういうようりなことをやつている。向うがそんなことを言わなければそんな問題は起らない。それから若松において起つた問題は……。
  1059. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それはさつきからみな聞いている。そこでそれらに一連関連性があるように思うが、そうでなくしてあなたは自然発生だと言われるから、それではあなた方がこれに関連的な指導はしなかつたのかと、それを聞いている。
  1060. 竹内七郎

    ○竹内證人 一連関連性があるとすれば、こういう彈圧を下して來た官憲の側に関連性があると思う。
  1061. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 そんなことを聞いておらぬ。
  1062. 竹内七郎

    ○竹内證人 共産党の政策によつて貫かれていても、それは当然だ。
  1063. 鍛冶良作

  1064. 竹内七郎

    ○竹内證人 それは関連性があると言えば、あるでしよう。
  1065. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ある?関連性があるのだね。そこで、その関連はあなた方の指導によつてつたんですか。
  1066. 竹内七郎

    ○竹内證人 共産党がどういう態度を持つているかということは先ほど申し上げた通りでありまして……。
  1067. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 君は地区委員長であるから、どういうことかくらいは知つているはずだ。
  1068. 竹内七郎

    ○竹内證人 委員長さんのおつしやる意味は指導をしたというのか、どういう意味かよくわからぬ。
  1069. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 関連性があるかと言えば、関連性のある福島縣委員長として福島縣全体にわたつて関連性ある指導をされたかどうかということを聞いている。
  1070. 竹内七郎

    ○竹内證人 共産党は終始一貫官憲の暴力に対して闘う。産業防衞のために闘う、こういうことは終始一貫指導している。
  1071. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 わかりました。それでは最後にもう一つ聞くが、平に應援に來ようとするのに仙台から警察学校の生徒が出ようとした、これを妨害したというのであるが、これは諸君の指令によつてやはり全体で動いたのか。
  1072. 竹内七郎

    ○竹内證人 そういう事実があつたことをあとから聞いたのであります。
  1073. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 だれがそういうことを知らしたか、あなたは知りませんか。
  1074. 竹内七郎

    ○竹内證人 わかりません。
  1075. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたは福島縣委員長であるし、仙台におられるからわかりそうなものであるが、わかりませんね。間違いありませんね。それから郡山からいよいよ出ようとなつたときに、平に押し寄せて行つたそうですが、これはどうですか。
  1076. 竹内七郎

    ○竹内證人 それは押しかけて行つたということもあとから報告を受けております。
  1077. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 平に行つたということは要するに平事件関連する関連性を意味しているのですが、あなたは知らんですか。
  1078. 竹内七郎

    ○竹内證人 郡山のはあとから聞いた報告によつて知つたんです。平の警察署に何百人も人が集まつて、平に行くんだということを言つたそうです。そこで郡山に彈圧に行くのはけしからんと……。
  1079. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 あなたはそういうことを指導しておらぬと言うんだね。それではよろしい。
  1080. 大橋武夫

    ○大橋委員 証人は東北地方委員会の委員でいらつしやいますか。
  1081. 竹内七郎

    ○竹内證人 東北地方党会議が先月の末秋田で行われましたが、私は出席しなかつたが、しかしその席上で私が地方委員になつたということは承知しております。
  1082. 大橋武夫

    ○大橋委員 まだ委員会に出席されたことは一度もありませんか。
  1083. 竹内七郎

    ○竹内證人 一度もありません。
  1084. 大橋武夫

    ○大橋委員 前から福島縣委員でいらつしやいますか。
  1085. 竹内七郎

    ○竹内證人 本年の四月の半ばごろ福島縣地方委員会がありましたときに、私は福島縣委員に選ばれたのであります。
  1086. 大橋武夫

    ○大橋委員 すると、委員は縣の党会議で選任するわけですか。
  1087. 竹内七郎

    ○竹内證人 そうです。
  1088. 大橋武夫

    ○大橋委員 それは選挙でやるわけですか。
  1089. 竹内七郎

    ○竹内證人 そのときは選挙ではなかつた。選考委員があがつて、そういうふうにきまつた
  1090. 大橋武夫

    ○大橋委員 福島縣委員会の委員は幾人ですか。定数は……。
  1091. 竹内七郎

    ○竹内證人 十人であります。党の規約できまつております。
  1092. 大橋武夫

    ○大橋委員 その中で委員長は互選ですか。
  1093. 竹内七郎

    ○竹内證人 そうです。
  1094. 大橋武夫

    ○大橋委員 その互選によつてあなたが七月四日におなりになつた
  1095. 竹内七郎

    ○竹内證人 そうであります。
  1096. 大橋武夫

    ○大橋委員 その前はどなたが……。
  1097. 竹内七郎

    ○竹内證人 橋本君であります。
  1098. 大橋武夫

    ○大橋委員 その地区委員の十名ですね、橋木さんも今やはり十名の中に入つておられますが、任期というものがありますか。
  1099. 竹内七郎

    ○竹内證人 次の縣党会の開かれるまではそのまま……。
  1100. 大橋武夫

    ○大橋委員 現在委員の十名はどういう方がなつているか。
  1101. 竹内七郎

    ○竹内證人 これはもう届けておると思います。團体規正令によつてですね。まあ私が入つております。それから橋本節治君が入つております。それから富田良吾君。それで三人。それから遠藤雄三君。それから丹野金吾君。
  1102. 大橋武夫

    ○大橋委員 ついでにその所属國体がわかりますか。
  1103. 竹内七郎

    ○竹内證人 今まで申し上げた中には別段……。あ、丹野金吾君はたしか借家人同盟に入つてつたと思います。それから西岡慶三郎も入つている。それから服部実君。
  1104. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それは何國体ですか。
  1105. 竹内七郎

    ○竹内證人 この人は農民組合です。そそれから平田良衞君。これは開拓の方にも関係しております。それから北上國衞君。
  1106. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 國鉄から誰か入つていないのですか。
  1107. 竹内七郎

    ○竹内證人 國鉄の人は入つておりません。あとは……。
  1108. 大橋武夫

    ○大橋委員 それではあとでまた思い出したときでけつこうです。それでその下に福島縣地区委員会が幾つありますか。
  1109. 竹内七郎

    ○竹内證人 六つあります。
  1110. 大橋武夫

    ○大橋委員 それはどこどこになつておりますか。
  1111. 竹内七郎

    ○竹内證人 それは福島郡山、白河、会津、相双とそれから石城です。
  1112. 大橋武夫

    ○大橋委員 その各委員会の委員の定数はどうなつておりますか。
  1113. 竹内七郎

    ○竹内證人 委員の定数は党の規約によつてきまつておりますから十名と思います。
  1114. 大橋武夫

    ○大橋委員 どこも十名ですか。
  1115. 竹内七郎

    ○竹内證人 ええ、そうです。
  1116. 大橋武夫

    ○大橋委員 その十名は全部届出になりておりますか。
  1117. 竹内七郎

    ○竹内證人 なつております。
  1118. 大橋武夫

    ○大橋委員 私の伺いたいのはこれだけであります。
  1119. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 ほかにありませんか。
  1120. 菅家喜六

    ○菅家委員 証人にお聞きしますが、七月の十日の日に証人は西白河郡の好間村においでになつたようですね。
  1121. 竹内七郎

    ○竹内證人 参りました。
  1122. 菅家喜六

    ○菅家委員 それはあなたと丹野金吾さんほか六十名くらいが集まつておられますか。
  1123. 竹内七郎

    ○竹内證人 さあ、六十名はいたかどうかわかりませんけれども、白河地区会議が開かれたので、そこへ出席しました。
  1124. 菅家喜六

    ○菅家委員 そこで役員改選をされた後に、闘爭方針等の御協議があつたようですが、その内容はどんなことでしたか。
  1125. 竹内七郎

    ○竹内證人 そう大してかわつたことはやつておりませんが、やはり七月十日に第一次の國鉄労働組合の首切りが終つて、第二次の首切りが始まろうという状態であつたと思います。國鉄の石城の方では六月三十日の問題から石城の方には多勢の警官諸君が集まつて、そうして連日どうも労働者の方へ彈圧が下つておる、こういう状態であつたと思うのです。
  1126. 菅家喜六

    ○菅家委員 それでけつこうです。
  1127. 竹内七郎

    ○竹内證人 そういう状態のもとで——まずどういう政策をきめたかというお問いでありますから申し上げようと思つたのです。それと同時にやはりこれはどこでも言われるのでありますけれども、農村の方の問題が非常に大きい。これはたしかあなた菅家さんだつたと思うのですが、私が申し上げるまでもなく縣内の情勢についてはよく御存じだと思うのですけれども、さらに申し上げますならば、特に福島縣の特産物、——特産物と言いまするか非常に大きな産物であります薪炭関係におきましては、非常に代金の支拂いが遅れておる。これば民友新報、民報という地方の新聞などにも大きく取上げられています。そうしてたとえば好間村のようなところでは毎月の米を買う金がないということで大騒ぎをしておる。それで協同組合あたりから内拂い、仮拂いというようなものをもらつてようやくその日をしのいでおる。これは東白河においても同様である。從つてこういう諸君の生活を守るためにわれわれは闘わなければならぬ。單に労働者の首切りという問題だけが現在の問題ではないということ。そこで共産党はこういう逼迫した状態のもとでこの農民諸君、労働者諸君の要求のために献身的に闘わねばならないということをわれわれは決定したはずであります。
  1128. 菅家喜六

    ○菅家委員 わかりました。七月三日の日に福島市において、あなたの方で福島地方委員会をお開きになつておりますね。
  1129. 竹内七郎

    ○竹内證人 七月三日の日に縣委員会をやることになつてつたので少し集つたのでありますが、正直のところ縣委員会は成立しなかつたのであります。來ない人が大分ありまして正式に成立しなかつたのであります。
  1130. 菅家喜六

    ○菅家委員 それでただ話合いをしたわけですか。
  1131. 竹内七郎

    ○竹内證人 話合いをした程度であります。
  1132. 菅家喜六

    ○菅家委員 平方面の問題の討議に参加されておるようでありますが、そういうことはありませんか。
  1133. 竹内七郎

    ○竹内證人 平の問題につきましては……。
  1134. 菅家喜六

    ○菅家委員 長くなるとあなたも御迷惑だと思うし皆様も御迷惑だと思うので具体的にお聞きしたい。鈴木磐夫君は平方面には暴力革命ができる、炭鉱夫を煽動しておれば簡單にできるというようなことを主張したことがありましたかありませんか。それだけでけつこうです。
  1135. 竹内七郎

    ○竹内證人 そういうことは聞いておりません。特に平問題については当時私が……。
  1136. 菅家喜六

    ○菅家委員 あるかないかでけつこうです。
  1137. 竹内七郎

    ○竹内證人 ありません。
  1138. 菅家喜六

    ○菅家委員 それから平事件被疑者は縣内にかくまつて置くこと。それから郡山本部では國鉄が非常に強いので、鈴木信君を呼び出して、個人に対して起ち上ることの確約をとるというような話合いはありませんでしたか。
  1139. 竹内七郎

    ○竹内證人 そういう話合いはいたしておりません。
  1140. 菅家喜六

    ○菅家委員 それから福島本部はかたいのでただいま手が入らない。郡山本部は現在の情勢ではもう一押しだ。平本部は炭鉱地帯の労働者に手をかけておれば完全に自信がある。會津本部は猪苗代電産に入つて行けばやれるんだというような、項目を限つてのお話合いはありませんでしたか。
  1141. 竹内七郎

    ○竹内證人 そういう話合は別段記憶はありません。
  1142. 菅家喜六

    ○菅家委員 そこへは服部貴君が出ておりますね。
  1143. 竹内七郎

    ○竹内證人 來ておりました。
  1144. 菅家喜六

    ○菅家委員 それから丹野君がこの発言をいたしておるように私の方の調査には出ておるのでありますが、丹野君はそういう発言をなさらなかつたですか。
  1145. 竹内七郎

    ○竹内證人 その日は縣委員会はただいま申しましたように正式に成立しておりませんので、だれがどういう発言をしたかという記憶は、あまり明瞭ではありませんけれども、特に丹野氏が何か特別に発言をしたような記憶もないのであります。
  1146. 菅家喜六

    ○菅家委員 それでけつこうです。
  1147. 高木松吉

    高木(松)委員 三つの問題を聞きたいのですが、鈴木光雄君は石城地区委員でしよう。
  1148. 竹内七郎

    ○竹内證人 委員長になつてつた
  1149. 高木松吉

    高木(松)委員 鈴木磐夫君は。
  1150. 竹内七郎

    ○竹内證人 多分地区委員に入つていたと思います。
  1151. 高木松吉

    高木(松)委員 松木弘君は。
  1152. 竹内七郎

    ○竹内證人 ちよつと私は石城の方はよく知らないので、くまなく覚えておらないのですが、松木という人は地区委員になつておらなかつたように記憶しておるのであります。
  1153. 高木松吉

    高木(松)委員 日野定利君は。
  1154. 竹内七郎

    ○竹内證人 日野君は地区委員になつておらなかつたと思います。
  1155. 高木松吉

    高木(松)委員 金明福君はどうだね。
  1156. 竹内七郎

    ○竹内證人 これも入つておらなかつたと思います。
  1157. 高木松吉

    高木(松)委員 金逢琴君は。
  1158. 竹内七郎

    ○竹内證人 朝鮮の方は地区委員の中にいなかつたように思います。私はあまりはつきりしておらないのですが……。
  1159. 高木松吉

    高木(松)委員 常磐の佐々木君は。
  1160. 竹内七郎

    ○竹内證人 それもどんな人か私わかりません。
  1161. 高木松吉

    高木(松)委員 朴重根君は。
  1162. 竹内七郎

    ○竹内證人 それも入つておらないと思います。
  1163. 高木松吉

    高木(松)委員 木村一章君はどうです。
  1164. 竹内七郎

    ○竹内證人 なつておらないと思います。
  1165. 高木松吉

    高木(松)委員 鈴木要平君は。
  1166. 竹内七郎

    ○竹内證人 どんな人か記憶がありません。
  1167. 高木松吉

    高木(松)委員 それでは二人だけわかつたが、石城地区でだれだれがあなたは委員として今記憶がありますか。
  1168. 竹内七郎

    ○竹内證人 私は選挙区の関係もあつてあまり石城の方へ行つたことはないものですから……。
  1169. 高木松吉

    高木(松)委員 相双の方はどうですか。
  1170. 竹内七郎

    ○竹内證人 相双の方も……。浜の方はあまり知りません。
  1171. 高木松吉

    高木(松)委員 相双の委員長はだれですか。
  1172. 竹内七郎

    ○竹内證人 小島信吉君がなつていたと思います。これはもと俳優をやつておられた方で最近文化方面の仕事をするということで仙台の方で文化活動の方をやつて参もらおうじやないかという話が出て何かかわるということになつてつたはずでまだ行つたかどうか聞いておりません。
  1173. 高木松吉

    高木(松)委員 そこでほかに地区委員で相双の方はあなたは知つておる人はありませんか。
  1174. 竹内七郎

    ○竹内證人 地区委員で知つておるのは佐藤義教君というのが多分おるはずです。
  1175. 高木松吉

    高木(松)委員 ほかにありませんか。知つておる人は。
  1176. 竹内七郎

    ○竹内證人 私今思い出せません。
  1177. 高木松吉

    高木(松)委員 今度の事件関係して調べられたり逮捕されたりしておる人で知つておる人はありませんか、逮捕状の出ておる人、逮捕された人、あなたの方に表が出ておつたらお知らせ願いたいと思います。
  1178. 竹内七郎

    ○竹内證人 だれとだれに逮捕状が出でおるか明瞭にわからないのですが、相双の方は私は逮捕状の出ておる人はなかつたのじやないか、新聞で見ておる程度ですからあまりはつきりしないのです。
  1179. 高木松吉

    高木(松)委員 福島地区委員長としてはおかるのではないか。
  1180. 竹内七郎

    ○竹内證人 ぼくも委員長になつたのは先ほど申し上げたように、最近そんなことになつたのでありまして、よその地区をこまかくまだこれから歩いてみようと思つておるところでありますから、そういうこまかい点について人的に知らないということはまことに遺憾でありますが、御了承願いたい。
  1181. 神山茂夫

    ○神山委員 ここに來た証人の中で特に官廰側や警察側縣会側の人が共通に言うことは共産党暴力革命をやるというふうなことを共産党員らしい者とかあるいは若い共産党員が言つたというふうな証言が大分あるのです。それで私お尋ねしたいのは党の中央部ではもちろん暴力革命ということを指令したことはないのはあなたも御承知の通りです。中央委員会の方でこういうことを指示されたことはありませんか。
  1182. 竹内七郎

    ○竹内證人 地方委員会としても縣委員会としてもそういう指導をしたりあるいはそういう意見を出したりあるいはそういう表現を用いたことはありません。またそういうことができるとも考えておりません。
  1183. 神山茂夫

    ○神山委員 またそれに関連して共産党が一番暴力革命をやるというふうに言いふらしておるのはどういう人か御承知ありませんか。たとえば民自党の廣川弘禪とか御存じありませんか。
  1184. 竹内七郎

    ○竹内證人 これは暴力革命でやるのだということは新聞でよく書いてあります。この新聞というのが非常に奇妙きてれつなんでありまして、たとえば福島民報のごときは何でも二十日の朝だつたと思うのですが、國鉄の組合の諸君がひつばられた、このひつばられたことについてどこの新聞も知らないのに民報だけは知つておる、朝つぱら五時ごろ写眞までとりに行つておる、われわれから見れば官憲とうまく連絡がついておる、こう見られるところでこういう宣傳をじやんじやんやつておるということは明らかに……。
  1185. 鍛冶良作

    鍛冶委員長 それでは済みました。  本日はこれにて散会いたします。明日も十時半から開会いたします。     午後七時二十四分散会