○
滿尾委員 私も御
質問申し上げたいのであります。ただいま
本多國務相の御
説明によりますと、
運輸大臣が今後強力なる
地方自治
團体の
監督権を持つと仰せられました。
内容を端的に伺
つてみますると、いわゆる処分の取消しさえもというような
お話でありまするが、私はかような
程度の
監督権では、内閣の諸公はまだまだ事態の真相をよくおわかりにな
つておらないのじやないかと思います。なぜかと申しますと、
道監の
仕事は大体末端の
配給機構であります。直接人民に接触しておる窓口官廳なのであります。
從つて扱いまする
仕事の分量は非常に多いし、また
一つ一つの
仕事は、どちらかと申せばこまかな
配給が非常に多い。決して大きな
昭和電工みたいな会社に、
資材を一ぺんにどかつとやるような
性格の
仕事ではない。極端に申しますれば、自動車の自家用を持
つておる人に、一年にタイヤが一本
行つたり、行かなか
つたりする。そのかわりその自家用を持
つている人が何万人とおる。大きなトラック会社などで、一年に何十本か何百本か行くなんというのは、どちらかというと少い方でありまして、ほんとうに大衆に対する
仕事で働きかけておるわけでありまして、その
一つ一つの処分について、
運輸大臣が処分の変更をすると申しましても、さようなことは二階からの目藥でありまして、とても末端に浸透するものではない。
從つて私が、かりに
本多國務相のお
考えの線に沿うてものを
考えてみましても、
運輸大臣事の処分権というものはもとより必要でありまするけれ
ども、そんな
程度のことをも
つて、中央官廳、主務官廳が、
地方自治体のこの面の
仕事に対して、十分な
監督ができるなどとお
考えになりましては、ここにたいへんな錯誤を生じて、人民にたいへんな迷惑がかかる。どうしてもその
監督権というものは、私はその
業務を担当している
公吏に対する徹底的な人事権を主務官職が握る以外には、有効適切な
監督はできないと思います。その線に沿うてお
考えになるならば、ぜひそこまで明確に御
規定を願わなければ、私は今回の
行政整理は一大失敗を演ずるおそれがある、かように
考える次第で、私が
道監の制度を実質的に多少残したいと申しまするゆえんのものは、決して日本の公共
團体を尊重せぬという
意味ではない。尊重して参りたい。しかしながら今日のわが國の自活
團体の
仕事は、いろいろいいところもありますが、私の見る角度は、
事務能力の角度からで、その角度から見ましたときに、理想論と実態とは、非常に遊離している。もちろん
地方團体へ持
つて参りますことの反対の一部の
理由には、いわゆる
地方ボスというものの勢力、アンデユウ・インフルエンアスというものに影響されて、公正を欠くということもないではないと思いますが、それが主たる
理由ではない。われわれが一番心配いたしますのは、
地方團体の
事務能力いかんという問題です。前会も申し上げました
通り、今日のわが國の自動車行政、陸運行政というものは、
関係筋の嚴重な
監督を受けておる。しかもその重要
資材たるや、アメリカの恩恵に仰いでおる。
從つてそのような線に持
つて行かなければ、その重要
資材の確保すらも、非常な困難を感ずる。
從つてその行政の基盤はま
つたく統計の上に立
つて、それこそ向うの実証主義の上に、今日の行政が築かれておるのである。
從つて運輸大臣といたしましては、この末端の
機構に対して必要なる統計を、必要なる時間以内に確実に把握しなければ、その業績は絶対に低下するのであります。この
意味におきまして、私は
地方團体の現在の
事務能力の点から、実に深甚なる憂いを抱くのであります。内閣の諸公は、はたして今日までのわが國の
地方團体が、これらのいわゆる
事務能力の点において、國の要求に対してこたえるだけの実態を備えておるかということを、冷静に御反省にならなければ、私は今回のことによ
つて、民主自由党内閣は、深刻なる不満を人民の間に巻き起すようになるのではないかということを、心配しておるのであります。要するにこの
道監の
関係の一連の行政
機構が、
行政整理全体としての波をかぶることは、毛頭私
どもとして異存はない。しかしながら今回のように、いろいろお立場上もあり、政治上の面子の問題もありましようが、これを一應やめて、いわゆる
分室という換骨奪胎の方向に行かれたことは、私
どもも内々わかるのであります。そこまでとやかく申し上げるわけではございませんが、
分室をお認めになる以上は、この事柄の実態からいたしまして、私はどうしても、
相当廣
範囲にお認めになる必要がある。
都道府縣全部と言
つては少し言い過ぎかもしれないが、ほとんどそれに近い
程度において、
分室の分布をお
考えにならなければ、たいへんなことになる。なぜかと申しますと、この
道監の
関係の陸運の行政
事務というものは、各縣にみなある。もちろん大きな縣もあり、小さな縣もあり、
仕事の分量に多少の違いはありますが、隣の縣に
分室があ
つて、こつちの縣には
分室がない。私はそれでは
関係の縣民というものは絶対に満足しないと思う。かようなむりな政策をとりましたならば、怨嗟の声がちまたに満つと言
つても、あえて過言ではなかろうと思う。これは絶対に、その
分室を置かれざりしところの縣民を、納得させる何ものもない。これがもし大衆を直接扱わない窓口官廳でないようなもの、高等裁判所みたいな観念的な存在でありますれば、これは九州
地方に
一つとか、四國に
一つとかあることも、たいへんけつこうだと思いますが、これはほんとうの末端の消費者、陸運
業務に直接携わ
つておる個々の人民を相手にしておる窓口官聽でありますから、ちよつと隣の縣までひとつ走りさせるということは、とんでもないことでありまして、
行政整理というものは、究極は個々の國民の利益に合致することをも
つて目的としなければならない。個々の人民に端的な形において、不便、不利益をもたらす
行政整理というものは、とんでもないことになる、かように
考えておる次第であります。この
道監の
仕事を管掌しておりました役所は、ほんとうに大衆を直接に扱
つておる窓口官廳である特質、また日本の陸運行政というものが、どうしても短期間に能率的に、統計をつかんで、その実証主義の上に組み立てられて行くのでなければ——実証主義的な行政ができなければ、わが國の陸運というものは、ま
つたく後退する。車はまわらな、くなるという今日の
実情をよくお
考えいただきまして、私は
地方陸運局かでき、またその
分室ができます大体のからくりまで、換骨奪胎せられましたことにつきましては毛頭異存はございませんが、その分布状態等につきましては、人民の不便を十分に御考慮いただくというふうにお願いしたいのであります。