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1948-12-23 第4回国会 参議院 法務委員会 第12号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十三年十二月二十三日(木曜 日)   —————————————   本日の会議に付した事件檢察及び裁判運営等に関する調査  の件(昭和電工事件に関し証人の証  言あり)   —————————————    午後二時六分開会
  2. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それではこれより法務委員会を開きます。本日は檢察及び裁判運営等に関する調査をいたします。調査事件中、昭和電工事件についての証人を取調べることにいたします。    〔証人澤田喜道君着席〕
  3. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 澤田喜道さんでありますか。
  4. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) そうであります。
  5. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それでは証言をお願いする前に宣誓書の朗読をお願いいたします。    〔総員起立証人は次のように宣誓を行なつた〕    宣 誓 書  良心に從つて眞実を述べ、何事もかくさず、又、附加えないことを誓います。         証人 澤田 喜道
  6. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 御承知通り僞証の制裁がありますから……。あなたの学歴及び御経歴簡單一つお願いいたします。
  7. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 第一高等学校を経まして、東京帝大法学部昭和七年に卒業いたしました。昭和七年の六月に司法官試補に採用されまして、昭和八年の十二月に檢事に任官いたしました。爾來本年十月二十三日に依頼退官いたしますまで檢事をいたしまして、その間司法事務官といたしまして、司法省の刑事局に約一年半程おりました。任地は名古屋が振出しでありまして、名古屋三重縣の津、又名古屋、それから東京におりまして、その後又名古屋に参りまして、更に東京に戻つて今日に至つておる、こういうふうな経歴であります。退官いたしますときには最高檢察廳檢事事務取扱といたしまして、主として公安係仕事をいたしておりました。公安係と申しますのは労働関係事件を主にいたしまして、その外大衆犯罪を担当する係であります。最高檢察廳には昨年の十一月頃からこの十月に退官いたしますまで勤務いたしておりました。大体さような経歴でございます。
  8. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 御家族の御関係は……。
  9. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 家族只今父と、それから妻と、子供が四名おります。
  10. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 昭和二十二年頃の、失礼ですが、あなたの御資産状態は……。
  11. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 二十二年でございますか。
  12. 伊藤修

    委員長伊藤修君) はあ。
  13. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 二十二年の何月……。
  14. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 初め頃ですね。
  15. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 土地が私の名義のものが、瀧野川の……、本籍地田端でありますが、田端及び中里に約千坪足らずございまして、その外はあと動産であります。大体その程度であります。
  16. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 動産はどのくらいおありでしたか。
  17. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 動産と申しましても、これはほんの家財道具であります。
  18. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 御收入の点は……。
  19. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 收入はただの檢事といたしまして役所から貰う俸給だけであります。
  20. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 外に御收入はないのですか。
  21. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) ございません。
  22. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 著作とか何かは……。
  23. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 著作はあれはいつ頃でありましたか、昭和二十二年初め頃でございましたか、昨年の五月に新刑事訴訟法が、刑訴應急措置法がございまして、その警察から解説用といたしまして、これは警察用というものではございませんが、テキスト・ブックというような、犯罪ヒント手引というような、小さなパンフレットを昨年夏頃出版いたしました。
  24. 伊藤修

    委員長伊藤修君) その印税は入つておりますか。
  25. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 印税は貰つております。
  26. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 相当な額でありますか。
  27. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) いいえ、これは定價も安い関係でありまして、一万か二万位だと思つております。
  28. 伊藤修

    委員長伊藤修君) すると支出の方はどういうことになりますか。
  29. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 支出の方ですか。
  30. 伊藤修

    委員長伊藤修君) はあ、お暮し向きの方はどういうことになりますか。
  31. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) とんとんだと思つておりますが。
  32. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 月給でどんどんでやつてゆけるわけですね。
  33. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) そうであります。
  34. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 家族の方で病人とか何かありませんか。
  35. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 特に健康の弱いという者はございません。たまに風邪を引く程度のものでございますけれども。
  36. 伊藤修

    委員長伊藤修君) あなたが昭和電工事件につきましてですね、御関係になつておりますね。或いは又直接間接に関係されておる、そういうような事情を一つお述べを願います。
  37. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) その事件捜査関係でございますか。
  38. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 事件についてですね、どの程度関係になりましたかですね。そういうことについて一つお述べを願います。
  39. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) その点は、昭和電工事件捜査には、私は終始関係いたしておりません。事件の方の捜査には関係いたしておりません。ただ最高檢察廳次席檢事関係した始末書を以て上申いたしたのでありますが、その内容を申上げたいと思います。
  40. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それは後で伺います。
  41. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) その内容
  42. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 後でお伺いしますから。
  43. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) そういたしますと。
  44. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 事件関係の経過ですね、昭和電工事件についてあなたが関與せられた点。
  45. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) あの事件捜査でございますか。
  46. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 捜査とかその他御相談とかいろいろあるでしようから。
  47. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) これは全然私は捜査には関係しておりません。それから最高檢察廳におきまして、事件の内偵とか或いは指揮とか、こういう関係にも私は全然関與いたしておりません。この点は最高檢察廳におきましては、あの昭和電工事件につきましては、檢事次長次席檢事のお二人で極祕のうちに、御相談の上檢事を御指揮になつておると、私は拜承いたしております。
  48. 伊藤修

    委員長伊藤修君) そうすると、あなたは下級檢察官の人から、何か報告を受けることはありませんか。
  49. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 昭和電工事件についてはございません。
  50. 伊藤修

    委員長伊藤修君) あなたの当事件に対するところの関係は全然ないわけですね。
  51. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 全然ございません。
  52. 伊藤修

    委員長伊藤修君) そうすると昭和電工事件に対する知識というものは、新聞において知る程度ですね。
  53. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) そうであります。事件は本社の家宅捜査がありまして、そのまま関係者が引つ張られたと、こういう新聞報道によつて知るわけであります。
  54. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 事件内容というものは内部において、前以つて少しもお分りにならないわけですね。
  55. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 全然分りません。
  56. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 同僚檢事の人からお聞きになりませんか。
  57. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 同僚も恐らく知らないと思います。
  58. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 下級檢事からも。
  59. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 下級檢事からも聞いておりません。事件発展は聞いておりません。
  60. 伊藤修

    委員長伊藤修君) あなたは中野並助という人は御存じでございますか。
  61. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) よく承知しております。
  62. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それはいつ頃からのお知合いで、どういう関係ですか。
  63. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 中野並助氏は、御承知のように当時は東京檢事局裁判所檢事と申しておりましたが、そこの檢事正をしておりました。何年でありましたから、ちよつと正確な年数を覚えておりませんが、昭和十四、五年だつたかと思いますが、その頃東京檢事正をやつておりました。私はその部下としてお仕えしたわけであります。そういう関係で、その後ずつと今日まで御懇意を願つております。
  64. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 御親交の程度は。
  65. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 特別に……、上司下僚という関係以外にはございません。
  66. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 常に出入りをなさるわけですね。
  67. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) そういうことはいたしません。
  68. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 岸本義麿という者を御承知ですか。
  69. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 岸本義廣でございますね。
  70. 伊藤修

    委員長伊藤修君) その方は。
  71. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) よく存じております。この方は現在札幌高等檢察廳檢事長をしておられますが、昭和二十一年から二十二年頃まででありますか、東京檢事正をしておられました。私もその下の檢事として東京地方檢察廳檢事としてお仕えした関係でよく存じておるわけであります。
  72. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 札幌から上京なさるときには常に往き來していらつしやるというのですか。
  73. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 私は常に仕事を、檢事長については特に私は尊敬の念を拂つておりますので、御上京になられまして御都合がつきますれば、いろいろお目に掛かつてお話し、御指導を頂くと、こういうふうに心掛けております。
  74. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 國宗榮氏は。
  75. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 國宗榮氏も日頃岸本氏同樣に尊敬しておる先輩であります。いろいろの機会に御指導を頂くと、こういうふうになつております。
  76. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 高橋末雄という方は。
  77. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 高橋末雄というのは医学博士であります。これは東京都の職員であります。健康保險署のいま署長をしております。この人とは昭和二十一年の春頃から知合いになりました。この人は現在でも東京地方檢察廳職員の健康上のいろいろの相談に頂つておる人であります。私の知合いました頃から、やはり東京地方檢察廳職員のために親切いろいろ御世話下さつております。その外に自分の家庭で、子供の工合が惡いというようなときにも御足労を願つております。こういう関係であります。今でも懇意にいたしております。
  78. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 学校関係はありませんね。
  79. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) ありません。
  80. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 石井春朗というのは。
  81. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) これは私の一高時代の一年後輩の者であります。高等学校時代の、その頃からの知合いであります。
  82. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それから今日のあれは、再び途中で。
  83. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 学校時代に一高の寮に居りました。私も暫く寮に居りました。寮生活を暫く一緒にして居りました関係で、学校時代は附き合いをいたしておりましたが、その後は本年の一月頃でありますが、彼が私の所に訪ねて來るまでずつと音信が絶えておりました。そういう関係でございます。
  84. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 重政誠之ですか。
  85. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 重政誠之氏は御承知通り前の農林次官をいたしておつた人であります。この人とは昭和二十一年の春頃と思いますけれども、たしか岸本義廣氏か、或いは國宗氏か、どちらかの御紹介によつて初めて知つたと思います。
  86. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 日野原節三氏は。
  87. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 日野原節三氏は先程申しました石井と、それから只今建設省弘報課長をやつております藤公節夫というのが居ります。この二人の紹介によつて本年の春頃でありましたが、初めて相識つたわけであります。
  88. 伊藤修

    委員長伊藤修君) その他昭電社員で……。
  89. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 社員ですか。
  90. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 社員知つた連中がございますか。
  91. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 昭電社員では石井日野原の外には存じておりません。知つた者は一人もございません。
  92. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 先程ちよつとお述べになりそうななんでしたが、では曩に始末書としてお出しになりましたその事項を、最初からお述べを願いたいと思います。
  93. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) そのことの写しを持つておりますが、これを参考にして申上げていいですか。
  94. 伊藤修

    委員長伊藤修君) どうぞ。
  95. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 日野原社長と私とは先程申しましたように、石井春朗藤原節夫、二人の紹介によつて初めて会たつわけでありまして、それが確か本年の一月頃ではないかと記憶いたしております。それは石井藤原が私の所へ参りまして、藤原とは私まあたびたびその前にも会つておるのでありますが、石井がひよつこり参りまして、それでお前どうしておるというふうに私が聞きましたら、まあ戰時中は支那派遣軍に随分長いこと從軍しており、主計少佐まで行つたんだけれども、ああいうふうな終戰の結末になつた、それで最近帰つて來たんだ、先輩日野原社長に拾われてそこで働いておるんだと、こういうふうな話でありました。当時私は石井日野原社長の祕書をやつておると思いましたけれども、それも思い出すとそうでなくて、庶務の方の仕事をやつてま凍ということでありました。それは私の記憶違いでありますが、そうしてまあ一つうちの社長もなかなか人物だが、一遍社長中心一高会をやらないかと、こういうような話でありました。石井という人物は、学校時代からそう惡い男とは思つておりませんし、藤原はずつと長くから附き合つて、貴樣、おれという間柄で、藤原の人柄も変な男とはちつとも考えておりませんでした。両名の誘うがままに参りましたのが、最初がやはりその頃だと思います。杉並の小林の所で、日野原社長と私と石井藤原とこの四名で小さな一高会をやつたわけであります。これが日野原社長御馳走であるということは、もとから了承いたしておりました。その後でありますが、又石井が訪ねて参りまして、檢察廳内部にも一高の出身がおるんだが、この連中とも一つ一高会をやろうじやないかという、こういうふうな申出がありました。私も最初日野原社長に会いまして、相当太つ腹な男であるというふうな感想を持つておりました。まあいろいろ一高の先輩でもあるし、こういう方面の連中にいろいろのことを聞くということは、自分労働河数仕事をやつて行く上においても、何らかの参考になるだろうと、こういうふうな氣持もありました。それでまあ同じ一高出身で、私と比較的懇意にいたしておりますのが、現在東京地檢刑事部長をしております、当時は経済部長、今は刑事部長をしております山内檢事、それから地檢労働檢事をやつておりました勝田檢事、これがどうかという話を石井にいたしましたら、結構だというので、この二人を誘つてやはり小林の家で一高会を開いたわけであります。それからその次にやはり今の顔触れの外に、現在法務廳檢務局長をしております。当時は労働社会課長でありました高橋一郎氏、この人を誘つて加えて、やはり一高会小林方でやつております。私の始末店では、高橋一郎労働社会課長は二回行つたよう始末書では申しておりますけれども、後で考えますと、高橋課長は一回であつたように思います。そういうふうなわけで一高会という仕りは、最初石井藤原顔触れ、それが檢察廳関係では只今申しましたような顔触れで二回、こういう関係であります。  それで、日野原から結局御馳走になつておるということは、よく了承しておりました。その外私の個人的関係でありますが、本年の四月上旬であると思います。私の始末書では三月頃というように書いておりますが、書からよく考えますというと、四月になつてからで、上旬のように思いますが、私の留守の際に、私の家に米一斗と醤油一斗が届けられたのであります。私の家内もその時留守でありました。留守番の手傳い女が受取つたのであります。後で撲家内からそれを聞かされたのでありますが、これはまあ先輩後輩に対する好意であると、こういうふうに思いました。結局これはまあ日野原から届けて寄超したものであるということは了承いたしておりました。ただまあ私といたしましても、余り先輩好意に甘えるということは、どうも適当でないというふうな考えは持つておりましたが、何分嵩張つた物を返しにくいというふうな氣持もありまして、そのまま受取つてしまつておるという関係であります。日野原と私との関係は、以上の事実であるように記憶いたしております。
  96. 伊藤修

    委員長伊藤修君) その小林というのはどういう家ですか。
  97. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 小林というのは、当時は石井からまあ聞きましたが、最初にこれはまあ日野原の二号の家である。社長の二号の家であると、こういうふうに石井は申しておりました。
  98. 伊藤修

    委員長伊藤修君) そこは社長のお客様をするところですか、寮みたいにしておるんですか。
  99. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) まあそんなふうに私了解いたしました。
  100. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 妾宅ですか、どつちになつておるんですか。妾宅をそこをお客さんの接待所に使つておるわけですか、まあ料理屋でできないために。そういう意味ですかな。
  101. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 何と申しますか、まあ接待所に利用しておるというふうに観測されます。
  102. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 妾宅をね、妾宅が本來なんですね。
  103. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) そこのところは私もどうもはつきり分りませんですけれども……。
  104. 伊藤修

    委員長伊藤修君) あなた方がお出でになると、日野原の二号が出て來るわけですか。
  105. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) ええ、まあ女中なんかにちよつとものを持つて來させまして、それで簡單に挨拶して、後は引込んで、後で顔出すというふうなことはあまりございません。
  106. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 酒間の斡旋をするということはないですね。
  107. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 斡旋はいたしません。
  108. 伊藤修

    委員長伊藤修君) そこに藝人も呼ぶわけですね。
  109. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 藝人も呼ぶこともあると思います。
  110. 伊藤修

    委員長伊藤修君) その時に大体どんな話があつたのですか。
  111. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 日野原社長ボートの選手でありまして、一高時代にいわゆる大ちやんと称しておりますが、文科と理科とございますが、高等学校の一年の一学期の時に、組選と申しまして、私は文丙出身でありますが、文丙のクラスの一番ボートの先きつぽを漕いだのであります。そんな関係ボートの話が出たりいたしました。それから一高の寮歌——歌であります—寮歌の話、こういうふうなもの。それから日野原社長淺野總一郎氏の何か系統のような話をしておりました。淺野總一郎人物論というふうな話なんかを聞かされたことが、今記憶に残つております。そういうことで、その後の二回目か三回目の会合の時でありますが、一高の寮歌集なるものを石井が用意して参りまして、まあいずれも自分記憶に残つておる寮歌なんかを大声で、飲んで、歌つた、というような記憶がございます。
  112. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 昭電事件に関して話は出なかつたですか。
  113. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 全然話に出ませんでした。
  114. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 何かそれに似寄つた話は出ませんでしたか。
  115. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 全然出ませんでした。
  116. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 何か檢事局の模様とか、仕事状態とか、そういうようなことにも触れないですか。
  117. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) はあ、そういう話は全然出ません。
  118. 伊藤修

    委員長伊藤修君) そうすると、都合、合せて何回行かれたわけですか。
  119. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 後に述べます重政関係を除きまして……。
  120. 伊藤修

    委員長伊藤修君) まあ重政の分は除きまして……。
  121. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 三回。ぐらいの記憶であります。
  122. 伊藤修

    委員長伊藤修君) ここで伺つて置きたいのは、高橋会というのはどういう会ですか
  123. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 高橋会と申しますのは、私はその会合昭和二十一年の春頃初めて参加したわけでありますが、先程申しました高橋雄博士、元陸軍次官柴山四郎氏とか、或いは元農林次官重政誠之氏とか、それから朝日新聞丹波秀伯氏ですか、私その点はつきりいたしませんが、丹波秀伯という人がおります。それから当時大藏次官をやつておりました池田勇人氏、或いは中野並助氏、岸本義廣氏、こういうふうな人達にまあ健康上の相談相手になつておる方だそうでありますが、これは戰争中からそういう相談役になつてつたらしいのでありますが、この方々高橋博士中心にして、博士に対する謝恩と、こういう意味合いでまあ高橋博士の会というふうなことを時たま開いておる、こういうことでありまして、それで、まあ高橋博士に対する謝恩ではありますけれども、高橋博士という方もいろいろの社会情勢動きについて興味を持つておる方でありまして、そういうふうな会合においていろいろまあ世間の動きというふうなものをお互いに話合う、こういう意味合いも兼ねておるように私観測いたしておりました。それで、逐次こういう主になつておられた方々自分後輩をこの会合に入れまして、まあ後輩を適当に啓蒙して行こう、こういう意味合いがあつたのではないかと私観測しております。そんな関係で私も岸本氏に誘われたのか、或いは國宗氏に誘われたのか、その点はつきり覚えていないのでありますが、昭和二十一年の春頃にお前も一つこのメンバーに入れるから出て見ろと、こういうふうなお誘いがありまして、お願いいたします、ということで参加いたしたのであります。そういう関係で私は入りました。
  124. 伊藤修

    委員長伊藤修君) そうすると今の日野原の二号宅で開いた会合というものは高橋会ですか、一高会ですか、どちらですか。
  125. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) これは高橋会であります。
  126. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 全部……。
  127. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 高橋会のつもりでおりました。
  128. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 一高会ではないんですか。
  129. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 一高会ではございません。
  130. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 一高会というのはどういうんですか。先程おつしやつたようなメンバーでできたのですか、新らしく石井が話をしてからできたんですか。
  131. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) そうであります。
  132. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 一高会としては開いていないんですか。
  133. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 石井さんが入つたときの会合でありますか。
  134. 伊藤修

    委員長伊藤修君) ええ。
  135. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) そうであります。
  136. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それからその幾つかの会合高橋会一高会と二通りあるのじやないですか。
  137. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 二通りと申しますか、先程私が申上げました石井が入つて参りましたときの会合でございますね、石井藤原、私が参りまして以來の会合でありますが、これは一高会であります。
  138. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 外に第一回の日野原石井藤原、あなたと、それは昭和二十三年の一月頃ですか。
  139. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 一月頃だと思います。
  140. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それから第二回目は日野原石井藤原山之内勝田高橋、あなたと……。
  141. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 高橋というのは高橋一郎のことであります。高橋未雄とは違います。
  142. 伊藤修

    委員長伊藤修君) これだけのメンバーで開いたのが昭和二十三年の一月頃ですか。
  143. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) そうであります。尚その後記憶はつきり辿つて見ましたが、その一高会最後が本年四月の二十二日頃と思つております。それがこの小林方における飲食の最後であります。
  144. 伊藤修

    委員長伊藤修君) そのときは日野原石井藤原勝田山之内高橋、あなたですね。
  145. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) そうです。
  146. 伊藤修

    委員長伊藤修君) この高橋は……。
  147. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 高橋一郎であります。
  148. 伊藤修

    委員長伊藤修君) これはいずれも一高会でありますか。
  149. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 全部一高出身者であります。
  150. 伊藤修

    委員長伊藤修君) あなたが高橋会に入られましたのは二十年の春ですか。
  151. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 初めて入りましたのは二十一年であります。これはその最初会合小林のところじやないのでありまして……。
  152. 伊藤修

    委員長伊藤修君) これは何だか築地の新喜樂の方で……。
  153. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) これは新喜樂と書きましたけれども、その隣りのひさごでありましたか、あそこで会つたように私は思います。
  154. 伊藤修

    委員長伊藤修君) そのときは重政とそれから中野、國宗氏らですね、メンバーは…。
  155. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 丹波秀伯博士も來ておられましたし、柴山四郎氏も來ておられました。それから大藏次官池田勇人氏、その後輩と思われます正示啓次郎とか、前尾氏とか、こういうような大藏省自分下僚を連れて來ておりました。
  156. 伊藤修

    委員長伊藤修君) その次は二十一年の九月、これは就職を頼まれたのですね。
  157. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) この会合で初めて重政を知りまして、私の妻の從第が学校を卒業いたしまして、これを一つ使つて呉れないかといつて重政氏に依頼して、これは採用して頂いたわけであります。
  158. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 会合は二通りつたわけでありますね。
  159. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) そうです。
  160. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それでは重政との関係一つ……。
  161. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 重政氏は只今申しましたように、高橋博士中心とする会合昭和二十一年の春頃私参加いたしまして、その機会に初めて重政氏に紹介されたわけであります。そうしてその後料飲政令なども出ました関係で、飲む場所もありませんので、高橋博士中心とする会も暫くなかつたように思いますが、只今申しましたように二十一年九月に私の妻の從弟が学校を卒業いたしますので、これの就職を重政氏に頼んだわけでございます。私直接当時日本肥料の社長室を訪いまして依頼いたしました。それで高橋博士を通して重政氏に口添えを頼みました。そうしてその頃日本肥料に採用して貰いまして、現在肥料配給公團と変つておりますが、引続いて同人は勤務いたしておるわけでありますが、私は採用方を頼みまして以來、特に重政氏とは懇意に話をするようになつたわけでありますが、役所にも訪ねて参りますし、私も彼の事務所に遊びに行つたことも一遍ぐらいありました。そんな関係でおりましたが、これは今年の三月中旬で、私の始末書には四月中旬と書いておりますが、記憶をよく辿つて見ますと三月の中旬のように思います。これは重政氏か高橋博士かどちらかが私に話したんだと思つておりますが、中野の親爺と、こう私はいつております。中野の親爺とドクターは暫らく会わんから……、ドクターというのは高橋博士のことでありますが、この二人を囲んで久し振りに一杯やろうじやないかという話を重政氏から貰つたわけであります。私は直接重政氏に会つたら、國宗局長を通してかどうか存じませんが、それが重政氏からそういう申出でがあつたわけであります。それで重政氏の案内によつて私と國宗局長が連れられて行きましたのが杉並の小林方であります。当時は御承知のように料飲政令が出ておりまして、飲むところがありませんので、どこへ電政氏が連れて行くかと思つておりましたら、行き着いたのが小林方でありまして、それまではどこへ連れて行かれるのか分らん、行つて見まして小林方であるハハア、これは重政氏が元日本肥料の社長をしておつて、肥料の配給をやつておるし、昭和電工が肥料を作つておる、そういう関係重政氏は小林氏のところについて行つた、こう判定いたしました。それから高橋氏は当時旅行中であつたのでありまして遅れて参りました。中野氏も私達より先に着いておつた、こういうようなわけでありまして、結局顔触れは中野氏、高橋氏、國宗氏、日野原氏、それに私、こういう顔触れでその小林方で飲んだわけであります。これはたしか三月中旬頃のように記憶いたしております。
  162. 伊藤修

    委員長伊藤修君) その席上での話はどんなでしたか。
  163. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) このときの話はやはり何にも仕事の話は、役所の私の職に関する話はございませんでしたが、中野の親爺が、相変らずあの人は酒が非常に好きな人でありますが、今日の酒は非常によいという取り止めのない話をしたように記憶しております。それから丁度その頃追放に関する政令のことが役所で、檢察廳で問題になつてつた。それでいわゆる選挙運動その他一切の政治活動というような追放に関する政令の用語が出ておりますが、その法律解釈が当時役所で問題になつたのであります。これは蝋山政道氏の言動に関する事柄でありましたが、結局もう一切の政治活動ということになつておるから追放者は言葉の上でも、言葉の使い方でも忽せにできない、そういうことが役所で問題になつた、そんな話を私なり國宗局長から話が出て、重政氏は追放令になつてつたのでありますから、半分棺桶に足を突つ込んだようなもので何も言えんというようなことが話に出たように思つております。
  164. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 外には何にも話はないのですか。
  165. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) あとは取り止めのないように記憶いたしております。
  166. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 國宗氏が外で中野会というふうにいつておりますが、これは別なんですか。
  167. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) それは知りません。いわゆる高橋博士中心とする会合とは別個の意味ですか。
  168. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それは別個の意味かこちらには分りません。
  169. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 私も今の会合には國宗氏と一緒に出ておりますが、そのときは中野の親爺を慰労しようという話が出ておつたわけであります。どういう意味で慰労するかは分りませんが、ドクターと中野の親爺と会わんからこの二人を囲んで一杯やろう、こういうような話でありました。そういう申入れがありましたので、親爺ということを國宗氏が重く見ますれば中野会というようになるかも知れません。
  170. 伊藤修

    委員長伊藤修君) そうするとあなたのおしつやるように最後会合はあなたは小林会合といつておるが、國宗氏は中野会といつておるが……。
  171. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 或いはそういうことかも知れません。
  172. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 同じものですね。
  173. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) そうだろうと思います。
  174. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 今一つ、この点で國宗氏はもう一回行つておるようなことを言つておるが……。
  175. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 私この始末書を出すときに当時記憶に浮んで参りませんので書きませんでしたが、あとからよく考えて見ますともう一遍この顔触れ会つたように思います。
  176. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 同じ月ですね。
  177. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 同じ月です。十日頃じやないかと思います。
  178. 伊藤修

    委員長伊藤修君) メンバーは……。
  179. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 二度目の会合最初の席上で話が出て二度目の会合が開かられた、こう思いますが、その際に近く札幌から岸本が出て來るから、岸本氏は高橋会メンバーであるから、岸本氏が出て來た機会にもう一遍やろうという話が出て、それが原因で岸本氏が二度目のときに加わつたと思います。どうもその点がはつきりしなかつたのですが、大体記憶を辿つて見ると、そういうような経緯だつたと思います。
  180. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 先きに始末書に書きました以外に今一回会つたとお聽きしてよいですか。
  181. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) さようです。
  182. 伊藤修

    委員長伊藤修君) そういう高橋会ですか、中野会ですか、そういう会に日野原はどうして出たのですか。
  183. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) これは先程も申しましたように、料飲政令が出まして飲む場所がございませんので、そこで重政氏は日野原氏とは肥料会社の関係で知合つておりますので、それで日野原氏が場所を提供された、こういう意味に理解しておりました。
  184. 伊藤修

    委員長伊藤修君) その費用は……。
  185. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 恐らく重政氏が負担したのではないかとこう思つておりました。
  186. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 誰が負担したか存じませんが。
  187. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 存じません。
  188. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 会費は要らんのでしよう。
  189. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 会費は要りません。最初に私が高橋会に参加したのは二十一年頃で、大体懐の暖い連中が会費を負担しておつたと理解しておりました。
  190. 伊藤修

    委員長伊藤修君) あなたは正式な会員ではないかも存じませんが、結局御馳走になるという立場だつたのですね。
  191. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 從來から高橋会はそういうような性質のように理解しておりました。
  192. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それは日野原から出たことは今、御承知ですか。
  193. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) その点は今以て何も聞かされておりません。
  194. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それは相当の費用なんでしよう、御覧になりましても……。
  195. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) そうであります。
  196. 伊藤修

    委員長伊藤修君) どのくらいのそれは会合費でしたか。
  197. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 料理屋なんかに出ますればやり一人前千円ぐらいの会費になると思います。
  198. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 今お聴きしたような事情でたびたび会合されたと思いますが、その席上で日野原なり重政なりが出て來て座談とはいえ、そういう会合を催して時を費したわけでしようが、何か目的があつたのかお考えになりませんでしたか。
  199. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 私はその点は誠に迂濶でありまして、その点誠に不要心のために私責任を感じまして、こういうふうに辞表を出しましてお許を願つたわけでありますが、全程申上げました一高会関係、これは先輩後輩御馳走する、こういう意味に軽く考えておりました。何らか意味があつて先輩後輩をだしに使うということは誠に想像も実はいたさなかつたわけであります。重政氏との関係は只今申しましたように昭和二十一年の春頃から、高橋会という何ら意味のない会合なのでありまして、たまたま飲む場所がないから小林氏宅を使つた。こういうふうに理解しておりました。そういうふうな点につきまして、私檢事をやつておりながら、世間の事情に通じない私の不明を実は後悔しておる次第であります。
  200. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 併しあなたは最初重政から日野原を紹介されたとき昭和電工の触資の問題とか、或いはその融資の問題について國会において、不当財産委員会において調べておるということは御存じだつたんでしよう。
  201. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) その点が私、誠はやはり迂濶なのでありまして、氣が附かなかつたのであります。
  202. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 相当新聞に当時も匂わしておつたんですから。
  203. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 私は、これは弁解がましくお聞きになるかも知れませんが、最高檢の労働係に昨年の十一月参りまして、労働係は、大分先輩檢事がもう一方おられるわけでありますが、実際に私労働係の仕事に没頭いたしまして、非常に多忙を極めておりまして、殆んど新聞なんかもゆつくり読む暇がなくて、情報を十分こなしまして、それについての対策を立てるというようなので、食堂なんかにも殆んど定刻に出られない。或いは外の方は早く帰られても私は遅くまで残つていなくちやならん、こんなようなふうに、非常に仕事に直接関係ない、役所の会議なんかでも出ろと言われましても、実はお断りして没頭しておつたという始末なのであります。そんな関係で、自分に直接、労働関係仕事関係のないものは成るべく御免蒙るというような心境でありましたので、氣が附かなかつたのであります。
  204. 伊藤修

    委員長伊藤修君) お忙しいことは御尤もですが、併し当時といたしまして、新聞で相当大きく取扱われておりますし、見出しも大きなものでありますから、朝新聞を御覧になるときに、そういうものは概念くらいはお知りになる実情にあるわけですがね。國宗氏あたりも、最初紹介されたときは、はつと思つてびつくりした、というようなことを言つておりますが、あなたもなはりさようなことはお氣附ではなかつたのですか。
  205. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) その点誠に私どうも迂濶でございまして、その点をよく注意しておりますれば、今回のようなことはなかつたと思つて、実は自分の不注意に後悔しておるような次第であります。
  206. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 要するに、あの人たちがあなたたちに接近いたしまして、いろいろな饗應をしたり、物品を供與するということは、何かあなたたちを利用するとか、聞き出そうとか、何か目的があつたに違いないんですからね。無意味にやつたわけじやないのでしよう。
  207. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 現在蓋をあけて見ますと、そうであつたと感ずるわけであります。
  208. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 蔭のからくり、相当のからくりが行われておつたらしいんですが、その点にお氣附にならんということは、大変、新聞に出ていない事項でも、檢察廳にお出でになりますから、相当そういうことは早耳で御了承のことと存じますがね。
  209. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 昭和電工のことは、檢察廳内部におきましても、殆んど関係者以外は極秘の扱いになつてつたように存じます。
  210. 伊藤修

    委員長伊藤修君) その高檢に昭和電工事件は付託しない、付託しないと言つていいか、或いは余り関與せしめないということは、そういうような関係があつてから殊更そういう取扱になつたのではないですか。
  211. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) その点は、私どもどうもよく存じませんが、高檢にあずけさせないということも、今日私共のこういうことが内部で問題になりました当時に、上司から伺つたようなわけでありまして、実はそういう経緯もこの事件が表に出ましてから知つたようなわけであります。
  212. 伊藤修

    委員長伊藤修君) で、ありまするから、その以前といたしましては、地檢、高檢、最高檢等共にその昭和電工事件については関心を持つてつたわけじやないのですか、その以前は……。
  213. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) それが、最高檢におきましては、恐らく外の檢事方々もそうだと思いますけれども、総長と次長のお二人が、極秘のうちに地檢の幹部の方を指揮しておつた、こういう関係ではないかと思います。
  214. 伊藤修

    委員長伊藤修君) そうすると、発端から、最初から高檢というものは除外されておつたとおつしやるのですか。
  215. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) その点私は高檢の関係はさつぱり存じません。先程も申しましたように、私事件関係に、全然初めから関係しておりませんので、今日も実は事件の推移を存じておりません。高檢が関與しておつたかどうか、その点はさつぱり今ここで申上げる知識がないのであります。
  216. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 何かあなたの役所へも出入しておりまするが、いろいろなことを聞き出すような素振りはなかつたのですか。
  217. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 誰からでありますか。
  218. 伊藤修

    委員長伊藤修君) これらの関係者がですね。
  219. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 私の始末書で申上げましたですけれども、石井が本年の五月の初めか中頃と思います。この点は日にちは分りませんが、恐らく五月に入つてからのように思いますが、昭和電工の川崎工場で何か肥料の横流をした、関係者が横流しをしたというふうな事件が、何か端緒を掴まれたらしいのであります。それで石井が私の所に参りまして、何か昭電の川崎工場のことが横浜の地檢で問題になつておるようだけれども、澤田さん檢察廳動き分らないかと、こういう質問が私の所に來てありました。それで実は私は全然その方面に関係しておりませんし、知識もありませんので、それは知らんと、それに君と俺とは一高の関係で附合つておるけれども、こういう事件のことで以て俺の所に來て貰つては困ると、こう言つてきつぱり実は石井に叱言を言つたわけです。石井は私より一年後輩であります。これからそういうことなら附合わんと、こう言つてやりました。そういう関係でそれ以後は全然私の所にはそういうようなことで以て來るということはございません。そうしてその後五月の末でありますか、御承知のように、本社に対する家宅捜索が行われる、それから一と月経ちまして日野原が引つ張られた、こういう関係になつております。だから事件関係で私の所に來ましたのは、五月の上旬頃、その一回であつたように思われます。
  220. 伊藤修

    委員長伊藤修君) これらの関係者があなたのお宅を訪問したことはございませんか。
  221. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) ございません。
  222. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 松岡松平は御関係ないですか。
  223. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 存じません。
  224. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 何かお尋ねございますか。
  225. 大野幸一

    ○大野幸一君 会食する場合、事件のことは言いませんが、日野原の方から、昭和電工は肥料の日本一の重大会社であるから非常に國家的の会社であるという説明を受けられたということはないでしようか。
  226. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) そういう説明もなかつたように思います。昭和電工の話、会社の話は余りなかつたように思います。
  227. 大野幸一

    ○大野幸一君 余りなかつたというようなことでなく、全然なかつたのか、そこをあなたも檢事をおやりになつてつたのですから、そこを曖昧にしないで下さい。余りなかつたというと、少しは出たというように感じられますね。
  228. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 私の言い方が惡うございました。
  229. 大野幸一

    ○大野幸一君 会社がいわゆる國で重大なる会社である、國のために非常に必要なる会社であるという説明は、重政若しくは石井若しくは日野原本人からあつたように思われるのですがね。
  230. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) なかつたように思います。
  231. 大野幸一

    ○大野幸一君 そこで中野会というのと、それから高橋会というのは、一つのことを言うのですね。
  232. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) どうも私中野会という顔触れが分らないのでありますけれども、恐らく國宗氏が中野会と言うておりますのは、私が先程申しました高橋博士中心とした会の延長を言つておるのではないかと思います。
  233. 大野幸一

    ○大野幸一君 そうすると、当時高橋さんという人と中野さんという人が集まつて、そういう会をやつていたのだが、当時はそういう名称はなかつたのでしよう。
  234. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 特別に高橋会とか中野会とか、そういう名前は初めからございません。
  235. 大野幸一

    ○大野幸一君 いつからできたのですか、この問題が起きてからできたのですか。
  236. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) できました最初は、要するに高橋博士中心にする会合と、こういうふうに私は聞いておつたのです。
  237. 大野幸一

    ○大野幸一君 私の言うのは、中心にする会合だけれども、中野会とか高橋会とかいうものは、当時は何らそんな名称はなくて、こういう事件が起きて後に高橋会だとか中野会だとかいうことを言うのでしよう。
  238. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) そうだと思います。
  239. 大野幸一

    ○大野幸一君 それから岸本さんが一度宴会に出席したときに、あなたはおいでになつたことありますね。
  240. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) はい。
  241. 大野幸一

    ○大野幸一君 そのときに岸本さんが日野原に、酒に酔つた後、昭和電工は不都合である、お前は國賊であるというように食つて掛かられたということを言つておる人がありますがそんなことはありませんか。
  242. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) それはですね、大部酔つておりまして、私は又中野並助氏とテーブルを囲んで飲んでおりましたが、その後席が乱れまして、それで二、三人が小さなグループを作りまして、それで話合つていた。私はその中野並助氏と話しておつたように思いますので、そういうようなことがあつたということは、私さつぱり氣が附きませんでした。
  243. 大野幸一

    ○大野幸一君 何時まで氣で附かなかつたのですか。
  244. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 只今になつて承るわけであります。
  245. 大野幸一

    ○大野幸一君 岸本氏と合つた後、あなたはもう一回合つておるわけですか、もう一回会合があつたわけですか。
  246. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) いいえ。
  247. 大野幸一

    ○大野幸一君 もう一回会合があつたのでしよう。
  248. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) どこででございますか……。
  249. 大野幸一

    ○大野幸一君 大体一高会というのは日野原石井藤原山之内というのは……。
  250. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 岸本氏が來ましたのは三月の下旬ではないかと思います。その後一高会が四月の二十二日にあつた、私が出た一番最後であつたと思います。
  251. 大野幸一

    ○大野幸一君 そのときに日野原氏が加わつておるわけでありますね。
  252. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) はあ、そうであります。
  253. 大野幸一

    ○大野幸一君 この北海道の檢事長が、当時その昭和電工問題があつて、そうして、こういうことを知つていたわけですね。岸本というのは、その頃あなたの耳に昭和電工の噂が入つていないというのは少し受け取れないじやないか、という氣がしますが……。
  254. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) その岸本檢事長は御承知と思いますが、檢察部内の重要な問題につきましては、何らかの会合の際に、檢事総長、或いは檢事長、それから檢事だけの集りで極秘の中に、いろいろな重要な問題についてのお話はあつたと思います。併しそういういわゆる檢察部内の最高幹部の方々の間でお話になることが、我々下僚檢事のところにまで必ずしも入るわけじやないのであります。
  255. 大野幸一

    ○大野幸一君 下僚の耳に入れないならば宴会の席で、お前は昭和電工の國賊的の仕事をやつておる、こういう話が受け取れないのです、下僚のあなたに言わないで宴会の席上でこういうことをなし得るという、それ程の程度の秘密なのですか。
  256. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) それは、岸本氏がそういうお話をなすつたか私は存じません。なすつたとしましてもどういう心境でお話をなすつたか、その点、私といたしましては何とも申しかねるのであります。
  257. 大野幸一

    ○大野幸一君 とにかくその岸本氏と後でもう一度あなたはそれが最後でなく、もう一度後に宴会を開かれたのですね。
  258. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 一高会であります。
  259. 大野幸一

    ○大野幸一君 そこで一高会という名前ならば、もつと一高の同窓生とか同級生、こういう人が大勢寄つて來なければならないのに特にここに檢察廳に務めておる人を集めたということに対してあなたは何ら不審に思わなかつたのですか。
  260. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) これが只今になつて見ますと誠に不用意であつたとこう考えるわけであります。当時といたしましては一高の先輩で、相当な大会社の社長で、実業界にも経驗もある、こういう連中の謦咳に接するということはやはり檢察廳の一部におりましても社会を廣く見るこういう場合に役立つのではないかと、かように軽く考えたのは私としては不用意であつたと思います。
  261. 大野幸一

    ○大野幸一君 昭和電工を、新聞日野原氏が問題になつておるということはいつお知りになりましたか。
  262. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) これは新聞でなくして、四月の下旬頃であつたと思います。これは私の始末書に書いて出しましたけれども最高檢の食堂で地檢の馬場欠席が何か昭和電工を内偵中であると思わせるような口吻のことを言われました。私も丁度食堂におりました。それではつと、こう思つたわけであります。これはとにかく事件としてものになるかならんか知れないけれども、とにかく地檢が内偵中の関係者と会後解触するということはこれはもう檢事として手を切らなければいかんとこう考えたものでありますから、そこでそれ以後はきつぱりと石井に來るなというて接触を断つたわけです。
  263. 大野幸一

    ○大野幸一君 小林さんという家は幾間あつてどのくらいの邸宅ですか。
  264. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 二階が二間であります。私の知つている限りでは……、それから下に洋間が玄関の側にあつたと思います。それからその外にはやはり日本間が二間くらいあるのじやないかとこう思つております。下の方は存じません。いつも二階だけで集つておりましたものですから……。
  265. 大野幸一

    ○大野幸一君 あなたが退職されるまでの経緯ですね、それを御説明願います。
  266. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 只今私が申上げましたような飲食の関係、こういうふうな点は誠に不用意であつた、こういうふうに、事件がああいうふうな発展の過程を辿つて振り返つて見ますと誠に不用意であつたということを痛感いたしたわけであります。それに私は先程來申上げましたように、最高檢察廳におきましては事務取扱いといたしまして主として労働係りの事件を担当しておりましたので外の事件には実は沒頭する余地は殆んどございませんでしたし、又昭和電工事件には終始全然内容について関與いたしておりませんが、併し地檢ではやはり最高檢察廳職員の一人といたしまして昭和電工事件の席に関與しておるのじやないか、こういうふうな誤解を持たれるのが先ず当然であろうとこう考えまして、むしろそういうふうな後でいろいろ公判になりましてからでも澤田がおつたがために事件のことについてどうこうというふうなことが言われましては、これは檢察廳のために誠に相済まん、こういうように考えましたものでそれで私始末書を出しで間もなく退官願を出しまして、そこでお聞届け頂いた、こういうわけであります。
  267. 大野幸一

    ○大野幸一君 そうすると上司から別にあなたに対して詰問的の問合せというようなものは全然なかつたのですか。
  268. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 詰問的のことはございません。ただ事情を取調べを受れましてそれでその際申上げましたことを書面に認めて提出したわけであります。
  269. 大野幸一

    ○大野幸一君 それから私これを参考のために聽きますけれども、檢察廳ではたまに疲れたときに劇務の後というものは特にどこからか正式な配給を受けて酒宴を催されるわけですね。
  270. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) あります。
  271. 大野幸一

    ○大野幸一君 それは月に何回ぐらいありますか。
  272. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 月に何回ということはなかつたと思います。これはもう特に檢察廳は予算も少うございますし、月に何回と決まつた会合は実際上は不可能であります。
  273. 大野幸一

    ○大野幸一君 ときによれば非常に多くビールとかウイスキーというものが飲み切れない程その席に出て來るというようなことがあるということを聞いたのですがそういうことはありませんか。
  274. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 私は外の檢察廳のことは存じませんが、最近一ケ年勤務しておりますが、最高檢察廳のことだけについてはそういうことは絶対ありません。
  275. 大野幸一

    ○大野幸一君 そういうことはあり得ないのですね。
  276. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) あり得ないことだと思います。殊にウイスキーなんて見たことがございません。
  277. 大野幸一

    ○大野幸一君 それから中野並助という者が弁護士になられたのはいつ頃からですか。
  278. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) どうもその点は私はつきり存じておりませんがもう一年はやつておられるのじやないかと思いますが……。
  279. 大野幸一

    ○大野幸一君 それでこの人が弁護士としてあなたの方へ事件関係でお出でになつたこともあるのでしようね。
  280. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 私自身は事件のことで中野さんと交渉を持つたことは一回もございません。
  281. 大野幸一

    ○大野幸一君 あなたお酒を召上るんですか。
  282. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 好であります。
  283. 大野幸一

    ○大野幸一君 どのくらい……。
  284. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) そうでございますね……、氣分がよければ三合くらいは参ります。
  285. 大野幸一

    ○大野幸一君 どうも有難うございました。
  286. 岡部常

    ○岡部常君 お罷めになりましてから何かしておられますか。
  287. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 特にこれという決まつたことはいたしてません。
  288. 岡部常

    ○岡部常君 大分になりますか、退官してから。
  289. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 十月二十三日に退官いたしました。
  290. 岡部常

    ○岡部常君 今後どうなさるつもりですか。
  291. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 弁護士会に入れて頂けますれば弁護士をやりたいと思つておりますが、いろいろ弁護士会でも我々のやりました事情がはつきりいたしませんために……。私も当分謹慎をいたしまして、そうしてこの自然に事情が分つて、御了解頂けましたならば始めたいと、こういうつもりで只今は謹慎しておる次第であります。
  292. 岡部常

    ○岡部常君 今まで承りました事情だけでは、責任を感じてお罷めになつたと言いますが、どうもその仕末書だけの関係では普通のやり方から見ると少し潔癖過ぎると言いますか、そういうような感じもいたします。その点はどういうふうに……。どなたかから慫慂されたのですか。
  293. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) そういうようなことはございません。
  294. 岡部常

    ○岡部常君 全然ないですか。
  295. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) ただ私はですね、こういうことを言うて呉れる人もあります。行政官なら問題にならんと、こういうものの言い方をして呉れる方もあるのでありますけれども、併しそれらの意見のどうこうは別といたしまして、檢察廳というものはとにかくこれだけの疑惑を受けましたならば、これはもう誠に檢事として、何と申しますか、檢察廳のために一点でも疑のあるようなことをしてはならん、こういうふうに考えるのが正しくないかと、かように考えましたもので、私退官願を出しましたわけであります。
  296. 岡部常

    ○岡部常君 よく分りました。それからもう一点伺いたいことは先程お答になりました、この昭和電工の関係がよく分るようになつて、これは現職の檢事がそういう者と交渉を持つてはいけないと、はつとされたと、こう申されましたが、これは四月の下旬と承りましたが、それは当時大体何日頃でありますか。
  297. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) それは私が最後に飲んだ四月の二十二日でございます。
  298. 岡部常

    ○岡部常君 二十五日に最後だと……。
  299. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 二十二日です。なぜ二日かと申しますと、四月二十二日は御承知東京の日本タイプライターの三田工場の生産管理の事件がありまして、大分騒ぎまして、勝田檢事がその取締のために現場に出張いたしましたわけであります。それで四月二十二日でございます。そうして勝田檢事が少し遅れまして、帰つて來るのを待つてつたということが記憶にあります。それで四月二十二日とはつきり申上げたのであります。
  300. 岡部常

    ○岡部常君 そうですか、あなたが二十五日とおつしやつたようですから。
  301. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 二十二日でございます。
  302. 岡部常

    ○岡部常君 そうすると後には何か昭和電工関係、つまり中野会とか、高橋会とかいうものの誘い掛けはなかつたわけですか。
  303. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 誘い掛れはございませんでした。
  304. 岡部常

    ○岡部常君 あなたがお罷めになろうというとき、その間の事情と一致するわけですね。
  305. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それは随分離れております。
  306. 岡部常

    ○岡部常君 いや澤田さんがお罷めになるというのは、ずつと後でありますから……。
  307. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 澤田さんがそういうお罷めになるということはずつと後の話です。澤田さんがそういう会合の出られなくなつたのは、ちよつとあなたがいけないと思つた日から誘い掛けを受けなくなつたのですか。
  308. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 四月二十二日が最後であります。その後何もございませんでしたが、五月の初めになりまして、馬場次席檢事の言葉によりまして、内禎中であるということを知りまして、これはいかんと思いまして、その後全然接触していません。
  309. 岡部常

    ○岡部常君 その後は誘い掛けはありませんね。
  310. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 來るなと石井に言いました。
  311. 岡部常

    ○岡部常君 積極的にもう來るなと……、分りました。
  312. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 最期に一つつて置きたいのは、先程もお話がありましたが、石井を通じて日野原から贈られたものは、先程おつしやつたような、お米、醤油、それ以外にはないのですか。
  313. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) そういうように私、家内から報告を受ております。
  314. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それ以外にないですね、金品なんかも……。
  315. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) ございません、そういうものはございません。
  316. 松井道夫

    ○松井道夫君 これは大体分つたと思うのですが、結局あなたがね、昭和電工関係の人たちから今年の三月以降でも、五回よばれた、それから米一斗と、醤油一斗も貰つたということになるのですか、現在としてはそういつた関係者が何かあなた方を利用したとか、ためにしたいという考えで入つてそういうことをしたのだろうかというようにお考えになつておられますか。
  317. 澤田喜道

    証人澤田喜道君) 只今そういうふうに考えます。そういう意図を以てやつたものであつたということを只今は氣が附きました。
  318. 伊藤修

    委員長伊藤修君) どうも有難うございました。    〔証人窪谷朝之君着席〕
  319. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 窪谷朝之さんですね。
  320. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) そうでございます。
  321. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 今日証人として御出頭願いましたのですが、証言をお願いする前に宣誓書を御朗読して、宣誓して頂きます。    〔総員起立証人は次のように宣誓を行なつた〕    宣誓書  良心に從つて、眞実を述べ、何事もかくさず、又、何事をつけ加えないことを誓います。         証人 窪谷 朝之
  322. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 御承知通り僞証の制裁がありますから……。あなたの学歴と御経歴簡單にお述べ願います。
  323. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 私の本籍地は茨城縣行方郡八代村字島須十九番地です。出生地は長野縣上伊那郡東箕輪村字南小河内。学校は、中学は私立京北中学を卒業して、高等学校は四高です。帝大は京都でありまして、大正十二年に卒業しております。その後直ぐに司法省へ入りまして今年の十月二日退官するまで檢事として勤務しておりました。その間東京に在職したのが約二十二年で、他は名古屋に一回、それから横浜に二年余り在勤いたしました。現在は無職であります。
  324. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 最後のお勤めは……。
  325. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 最後東京高等檢察廳次席檢事を約一年しておりました。
  326. 伊藤修

    委員長伊藤修君) あなたの昨年の初め頃の御資産の状態はどんなものだつたでしようか。
  327. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) ちよつと簡單に申しますと、私は養子に行きました関係で、戰災前まではその当時の二、三十万の資産はあつたと思います。戰災で家作を焼いたりしましたが、併し土地がまだ残つておりますので、その土地その他自分の戰災地のところへ建てたバラツクがまあ資産というわけでございます。
  328. 伊藤修

    委員長伊藤修君) すると御收入は俸給と……。
  329. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 收入は今家作も残つていますから、家賃と地代と俸給で……。
  330. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 家賃、地代はどのくらいですか。
  331. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) これは僅かでほんの知れたものです。
  332. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 税金ぐらいのものですか。
  333. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) ええ税金ぐらいです。
  334. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 暮し向きの方の支出はそれで償つているわけですか。
  335. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 戰災後は大分「たけのこ」生活をしました。書画骨董を賣つたり衣料を賣りまして……。
  336. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 御家族は御病人がおありになるそうですが……。
  337. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 家内が丁度戰爭中疎開先で無理をしたために寝込みまして、これが脊髄カリエスだつていうことが分りませんで、田舎で間違つた治療をしたために長引きまして、満三年寝込んだままであります。
  338. 伊藤修

    委員長伊藤修君) ずつと引続いておやすみになつておるのですね。
  339. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) はあ。
  340. 伊藤修

    委員長伊藤修君) いまだに……。
  341. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 今も寝ております。
  342. 伊藤修

    委員長伊藤修君) その外には御病人はないのですね。
  343. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) ありません。
  344. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 家族の数は……。
  345. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 子供が三人おります。それから夫婦と、今附添が一人おります。六人家族です。
  346. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 附添というのは雇人ですね。
  347. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) そうでございます。國から知り合いを頼んで來ております。まあ女中というのでもなく病氣中だけ臨時に頼んであります。
  348. 伊藤修

    委員長伊藤修君) あなたが昭和電工事件について何か御関係になりましたですか、職務上の……。
  349. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 職務上は、高等檢察廳ですから、捜査の方に直接関係はありませんが、会議に際に報告を受けることがありました。最初の頃その会議に列席しておりました。
  350. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 最初の頃というと、いつ頃のことですか。
  351. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 六月……メモを見てよろしうございますか。
  352. 伊藤修

    委員長伊藤修君) どうぞ。
  353. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 六月二十三日に日野原社長が收容されていますが、その前の二十二日の会議と、その前に一回ぐらい会議がありましたが、二回ぐらい相談に與つております。その後は高等に会議に列席しないようになつたのです。というのは、地檢に特別捜査本部ができまして、機密が漏洩するといけないということで、地檢だけで捜査をしておりました。高檢の指揮は除かれておりました。その関係で私は日野原が收容されてからは全然事件内容を知らないのであります。
  354. 伊藤修

    委員長伊藤修君) すると会議があつたのは六月中ですか、その二回というのは……。
  355. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) ええ、そうです。六月中です。
  356. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それはどの程度の会議なんですか。
  357. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) これは当時はまだ昭和電工は目鼻が附きませんので、外の会議の序でに、あの事件はどうだというようなことを誰が聞くとなしにまた発言しまして、出たのでありまして、その昭和電工の会議としてあつたわけじやないのです。
  358. 伊藤修

    委員長伊藤修君) まあ附随的な事項といたしましても、どの程度の会議なんですか。
  359. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) そうですね、昭和電工はどうなんだろうとか、あの事件はどういう事件であろうかというような、まだ漠としたものでありました。
  360. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 捜査をどの程度やるとか、誰を引つ張るというところまで行つていないのですか。
  361. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 行つていないのです。ただこういう点がありました。昭和電工事件についてはなかなか目鼻が附かない、檢事局が本当にやる氣でおるのかどうかということで世間で非常に問題にされておる、何とかして眞相を早く究めないと、世論がうるさいから、何とか捜査方法はなかろうかというようなことでありました。尚その際、昭和電工事件は民主自由党が不当財産委員会に審査の要求をしておる関係から、これは民主党関係の事合であつて、民自党に関係がないという話が出ました。そこで私は民自党関係の者は昭和電工に関連がないもの、こう信じておりました。
  362. 伊藤修

    委員長伊藤修君) その会合というのは六月の初めですか。
  363. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 多分そうだと思います。
  364. 伊藤修

    委員長伊藤修君) その五月以前にはないのですか。
  365. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 五月以前には、私が会議に出たときにはありませんでしたが……。
  366. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 部内で噂するとか、話合うということもなかつたのですか。
  367. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 部内ではまだ昭和電工事件は帳簿を押收して調べておるが、複雑で、金の行き先がはつきりしないで困るというので難航をしておるということだけは、噂が出ました。
  368. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それはいつ頃のことですか。
  369. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) それは帳簿を押收してからですから、やはり五月の末か六月の上旬でありました。
  370. 伊藤修

    委員長伊藤修君) そうすると遡つてあなたが昭和電工という事件があるということを御認識になつたのはいつ頃からですか。
  371. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) それは警視廳で捜査をしておるということを聞いたのは、本年の初め頃であつたと思いますが……。
  372. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 一月頃ですか。
  373. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) はあ。
  374. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それは新聞ですか、職務上ですか。
  375. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) それは新聞とそれから役所の内部の話とであります。
  376. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 職務上でそういうことを知悉したわけですね。
  377. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) はあ。
  378. 伊藤修

    委員長伊藤修君) あなたと松下權八との関係は、いつ頃から生じておるわけですか。
  379. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 昭和十二年頃と記憶しますが、私が当時東京地檢指導部長をしておりました頃、同僚の部屋に遊びに行つたときに紹介されて知り合いになりました。
  380. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それから以來ずつと交際しておるわけですね。
  381. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) それから以來本年の三月頃までは、役所で月に一遍、二た月に一遍ぐらい時々訪問して來るので、面接しておつただけであります。家庭訪問をするようななつたのは、今年の三月末頃と思います。
  382. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それから松岡松平とは…。
  383. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 松岡氏とは、本年の二月頃役所で松下氏に紹介されて名刺を交換しただけでありまして。一緒に会食したのは五月十二、三日頃であります。
  384. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それ一回だけですね。
  385. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) その後会食した……。
  386. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 後で又お尋ねしますが、数回会食した……。
  387. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) その後、数回でございます。
  388. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 重政誠之とは……。
  389. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 重政氏と始めて会つたのは、本年の五月二十一日頃であります。
  390. 伊藤修

    委員長伊藤修君) どういう関係ですか。
  391. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) これは五月の上旬頃でしたが、松下氏が私の部屋に訪ねて來て申しますには、あなたも高檢の次席という重要な地位に就しているから、今までのように役所の人ばかりと交際していないで、政治的な視野を拡めるためには、たまには部外の相当の財界人とか、政界人と交際する必要があると思うが、ついては松岡氏があなたに面会したいということを言つている、こういうことで、松岡氏が最初に私に交際を求めて來た、その交際が済んだ後、数日経つてから、重政氏が同じようなことを言つて、私の交際を求めて來たのです。
  392. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それから数回飲食を共にした……。
  393. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) ええ、そうです。
  394. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 大野伴睦とは……。
  395. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 大野氏とは、二回目に松岡氏に会つたときに、五反田の或る大きな邸宅に面会するとき、後から突然入つて來て、紹介されたのであります。一回だけです。
  396. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 一回ですね。
  397. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) そうです。
  398. 伊藤修

    委員長伊藤修君) あなたは先きに上司の人に仕末書をお出しになりましたね。
  399. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) はあ。
  400. 伊藤修

    委員長伊藤修君) その仕末書に基いて事実を一つお述べ願いたいと思います。昭電関係に関する……。
  401. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 初めからずつと今までの知合になつたことから、皆申しますかしら……。昭電関係のことですか。
  402. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 松下權八氏との関係をずつと……。
  403. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) はあ。私が松下氏と知合になつたのは昭和十二年頃のことで、東京地方檢事局指導部長時代に、同僚岸本檢事から紹介されたのであります。同人とはその後一年を通して四、五回くらいいつも檢事局で面会しました。松下氏は旧政友会の院外團員であつて、いわゆる右翼の属し、童顔で元氣旺盛、明朗闊達、相当雄弁でありましたし、殊に政界の動きに関する斬新な情報を齎らす面白い人物と思つておりました。それ故いつも面会を求められたその都度、拒むことなく面接したのであります。昭和十八年秋、私が横浜の上席檢事に轉任しましてから、同氏は横浜へは來ませんでしたが、昭和十一年三月私が大審院檢事になつて、上京してから、再び役所に面接しに來ました。その回数も三ヶ月に一回ぐらいの程度でありました。以上約十年の間、同人は私に対して二、三件の外は、一般刑事事件について陳情方を依頼することもなかつたので、感心な人物だと思つておりました。却つてその都度、政界のニュースを私に知らして呉れるので、重宝な男として交際しました。宣その間他から別に惡評を聞かなかつたので、安心して交際しました。併し彼とはその間一度も酒席を共にしておりませんし、私宅へ訪れて來たこともありませんでした。ところが、本年三月頃から私の自宅を訪問するようになりました。その動機は、松下氏が私と役所で話しているときに、同人から家族に変りはないかと尋ねられたので、私は妻が三年越し脊髄カリエスで寢込んでおると言いますと、同人は自分家内は長女を生んでから三十年間心臓が惡くて殆んど寢ているという話がありました。そこで私は、それでは自分の妻はまだ一年生だねと冗談を言うと、それでは一度病氣見舞に伺いましよう、こう言つたのであります。その後間もなく、私の出勤しておる間に、同人が留守宅を鯉を一尾持つて病氣見舞に來たのであります。そのとき娘が玄関に出ると、「權八です」と大きな声で言うので、魚屋と間違えたというぐらいで、愉快な男だと家族も感じて、好感を持つてこれを迎え、当日はまあ雨天で、わざわざ五反田から自轉車で濡れて來たというような状態であつたので、氣の毒に思つて、玄関先でウイスキーを接待して、そのまま帰つたということを後で聞きました。これが動機で彼が私の家を覚えて、來るようになつたのであります。その後、日曜になると、主として午前中、私の家を訪ねるようになりました。当時私は庭先で農耕をするのを常としていたので、彼が訪ねて來ると、農耕を止めて談笑し、彼の過去における政界の経驗談を聞くのを樂しみにして、大概晝食を共にし、その時は酒かビールを出して、近所から肴も取り、いわゆる上客として待遇して來たのであります。私の妻は、同人がやはり同人の妻の病弱に悩んだ経驗から、同情して慰めに來て呉れるものと感謝し、又私は男として肝胆相照すものを感じて、氣持よく私を訪問するものとこう思つて應待し、まあ互に酒を飲みながら談笑したのであります。彼がいつも來ますときは、私の家の拂壇の前に礼拜するのを常としておりましたので、信仰深い男と思つておりました。又その間彼が得意で話すのは、十四歳のときから板垣退助の玄関番をした話、親孝行をした話、自分も親に可愛がられた話、細君の三十年間の病床を看護した労苦の模樣等を語るのを常としました。又松下氏は本年三月から九月十七日檢挙せられるまでの間凡そ十数回訪ねて來ました。私としては彼が私を相手に一杯やるのを樂しみにして來るものと思つて、これを迎え、彼は又藝が秀でておるので、いつも病妻の慰問をして呉れというようなことを頼むのを樂しみにしたのであります。その間、松下氏から病氣見舞として、鯉の外に、五月二十六日頃醤油一樽を貰いました。同人は醤油の製造会社をしておるので、奥さんの調味料にお困りだろうからと言つて呉れたもので、同人の好意を受けて置いたのであります。  次に七月十二日頃松下氏から冷藏庫を送り届けられました、これの事情を申しますと、七月の上旬頃、同人が病氣見舞に來たときに、ビールを出して御馳走しました、同人からは、これを冷藏庫で冷してやるとうまいうまいですねと言い出したので妻がお互いに戰災に遭つた者は時期が來ると燒かれた品物のことを想い出すものですね、こうして寢ていると陽が射し込めば簾を掛けようと思つても燒かれたことに氣が附くし、段々暑くなると冷藏庫も燒かれたことに氣が附きますと話したところ、松下は冷藏庫なら、自分の工場の近くにこれを製造しておる工場があつて、私の顔で行けば品物も手に入りますと言いました、併し妻はああそうですかと返事しただけで別に氣に止めなかつたのでありますが、七月十一日に松下から妻に電話で冷藏庫を今日お届けしますという知らせがあつて、その翌十二日、私の不在中品物が届けられました、私は帰宅後、妻からその話を聞いてこの前來たときに自宅附近で格安なものでできると言つてつた話を想い出したが、注文もせんのに届けるのは、或いは御中元のつもりかも知れんが、これに対してどんな物を返していいか分らないので返礼するのも大変だしと言つて、こんな重い物をはるばる小石川から五反田へ送り返すというのも大変だし、返せば親しく交際しておる松下に対して却つて感情を害する虞れがあるから一層のことこれを買取ることにしようと妻と相談をしたのであります。その後丁度役所へ松下氏が來たので、あの冷藏庫は幾らかと尋ねますと、あれはいいですよ。いつも御馳走になつておるからと手を振りました、併し私は、あれはこちらで返礼することもできんからこういうことにする、代金は幾らかと問い詰めました、するとそれでは値段を調べて置きますと言つて、帰りました、その後同人に会つたとき、又その催促をしました、すると同人は、あれは会社の者にやらしたのでまだ聞いていないから調べて置くと言い、その後、役所の應接間で三回目に会つたときに又代金を幾らかと問いますと、同人はまあいいですよお世話になつていますからと代金を言い出さないので、それでは当方では品物を送り返すからと言いますと、同人も、実はあれは附近の懇意な製造工場で中古品を塗り直した物で、顔で安く貰つたから、原價計算で四百八十二円ですと言いました。そこで私は安いなとは思つたが常々馳走もしておるので感謝して探して呉れたものと思い、先方の行爲を余り無下にするのもと思い、そのまま五百円釣りを取らずに支拂つたのであります。そのとき妻も心配しておる話しをしたので次に私方へ來たときに別紙写しのような受取書を妻の枕元に行つて渡し、先日お役所で先生から冷藏庫の代を確かに受取りましたと、こう言つて出したのであります。妻は、まあ三年も病床にあつて、市價を知らず、自分終戰後役所に往復するのみで、家具屋、デパート等に行つたこともないため時價に疎く普通に買えばもつと高いとは思いましたが、同人の言うままに好意を受けてそのままにしたのであります。その後聞くところによりますと、五千円以上もするものであつたということで、私の認識不足であつたということを恐縮しておるわけであります。その次に七月十九日頃、私の不在中に松下氏が病氣見舞に來て、鰻一折を頂きました、妻はこれに対して、別表に書いてあるように接待し、私はこれを帰宅後聞いて、松下が私の妻が土用鰻を食べなかつたのに対してわざわざ遠方から届けて呉れたと思つて、心から感謝した次第であります。最後に見舞品を貰つたのは九月十二日松下が帰つたときで、罐詰十個を頂きましたので、從來通り御馳走して帰しました。まあ右の外に彼は、ここに書いてありませんが、私の近所の護國寺に子供の墓があるというので、墓詣りにときどき來た序でに私の所に來ました。そんな関係で手ぶらで数回立寄つたこともありますが、大抵食事をさして帰したのであります。この交際中松下氏から昭和電工事件についての質問めいたことは少しも出ません。況んや本件の問題になつておる揉み消しというようなことを依頼するような話なども全然出なかつたので、今回の檢挙に及んで愕然として驚いた次第であります。ましてや彼松下が檢事等の名前を冒用して重政氏等から金銭を詐取しておるというようなことは余りにも事の以外に驚くの外ありません。私はただ最近の社会情勢を知る一つの方法として、現社会における相当信用ある財界、政界の一、二の知己を得たら職務上非常に便宜であろうという念願から松下氏の勧告に應じて交際を始めたのみであります。今になつて考えますと、世間知らずの檢事を誘致して、私の地位を利用すべく準備工作に出たものではないか、こう考えるわけであります。若し松下氏が私に対して昭和電工事件に関する言動に及べば、私の今までの態度と性格からこれを警戒し、決して部外の人と交際しないことは明かでありますから、かような氣持があつたとしても打明けもしなかつたと思います。私としてもあの当時少しでも昭和電工事件の匂いがすれば無論かような人々を敢て交際するわけもなく、却つてこれを警戒するのは当然であつたのであります。尚松下氏が重政氏から金銭を入手しておるというようなことも夢想もしなかつたのであります。
  404. 伊藤修

    委員長伊藤修君) そこでお訊ねして置きますが、昭和二十三年の三月頃お宅で松下と会食なさいましたね。それから五月の十二日頃勝田、松岡、松下とあなたと会食なすつた、それから五月二十一日に五反田で、どこの家ですか分りませんが、松岡と重政と大野伴睦と松下、それからあなたと会食された。
  405. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) はい。
  406. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それから五月二十六日に松岡の宅で、松岡、重政、松下とあなた、それから同日ですか、あなたの宅で今度は松下と会食されておりますね。
  407. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) はい。
  408. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 六月四日に重政の宅であなたと重政、松岡、松下、六月十三日にやはりあなたの宅で松岡、松下とあなたと、六月十六日にあなたの宅で重政、松下とあなた、六月二十二日に前同樣会食なさつておりますね。それから品物としては鯉一尾の場合と、それから醤油一斗の場合と、西瓜を持つて來た時が一回と、それからお酒を一升持つて來た、それから又次にお酒を一升持つて來て白米を五升ですか、それから何かシュウマイとかなんとか手土産を持つて來た、それから冷藏庫、それから鰻を一折とか、罐詰を十組ですか、十個ですか。
  409. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 十個です。
  410. 伊藤修

    委員長伊藤修君) こういう関係ですね。
  411. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) はあ。
  412. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 以上の中で現われて來る松岡との関係簡單におつしやつて頂きたいのです。それから重政との関係も。
  413. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) この手控の外に簡單に纏めたのを申上げます。松岡氏とは以前にも本年二月中、松下氏の紹介で役所で名刺を交換したことがございましたが、五月十二、三日頃右の約束に基きまして、というのは私のところへ会いに來るということでありましたから、松下氏の案内で役所へ参りまして名刺を交換して、その後に本年五月上旬頃、先程申したように私が高檢の次席として内部の者とばかり交際していないで、是非政治的視野を廣めるために部外のものとも交際した方がよかろうというふうに勧められまして、又私としても当時いわゆる高檢の次席はつんぼ棧敷で一向世の中が分りません。殊に最近の社会情勢が激変している、政界の動きや財界の情勢が分らないので、自分でも誰か一つ知己を得たい、こういうふうに思つていた矢先でありましたから、これを引受けて彼に会うことを承知しました。そこで五月十二日頃、松下氏の案内で三田の或る家に案内されて行きました。その時松下氏は、これは松岡氏の妾宅であるからということで安心して行きました。そこで会食して帰る時に階下を通りますと、奥の方に座敷があつて、非常に客が賑つておりましたので、或いは裏口営業ではないかという不安があつたので、その後会つた時に松下氏にあそこは料飲違反になりませんかということを言いますと、いやあそこは妾宅だから大丈夫だ、併しあのようなところへ案内されては迷惑だといつて文句を言つて置きました。するとその次に案内されたのが五反田の高台にある家でありまして、その時はこれはバイヤーの接待所で公認になつているところだから心配ない、こういうことで案内されて行つたのであります。三回目に松岡氏と会つたのは五月二十六日頃のことで、私が外のところで飲食することはどうも面白くないと申したので、それではこれから自宅にしようということになりまして私は松岡方へ招待されて行つたのであります。その時に私は御馳走になつたから今度はお返しを私の家でやりましようと言つて約束いたしました。その約束に基いて、松岡氏と松下氏が來たのが六月十三日であります。以上が松岡氏との関係であります。
  414. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それから重政氏との関係を……。
  415. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 次に重政氏との関係を申上げますと、本年五月十二日頃、私が松岡氏と初めて会食した後数日を経て、松下が自分の所へ來て、元農林次官重政氏が是非あなたを紹介して呉れと言つておるが來て呉れるかと申しました。私は前から同人の令息二人共又私の男の子二人の通学しておるところの武藏野高校の生徒であるということを名簿で知つておりましたし、又農林次官時代に有名な今物であるので、かような人物と懇親になることは將來檢察の上から無駄ではなかろうと考えまして、松下氏の勧めに從つて面会することを承諾しました。五月二十六日頃、私は松下氏に案内せられまして、五反田の先程のバイヤーの接待所という所へ案内されて行つて、初めて同人と名刺を交換して挨拶をしたのであります。その後重政氏とは松岡氏の自宅へ招待されて行つたときに二度目に面会し、三度目が六月四日頃で、私と松下氏とが一緒に招かれて行つたのであります。第四回目は、私が今度は御馳走になつたからお返しをすると言つて、私の家へ招いたときでありまして、その日は六月十六日であります。それがお互いに会食したときの顛末であります。
  416. 伊藤修

    委員長伊藤修君) その会食の間に昭和電工の事件についていろいろ話があつたのではないですか。
  417. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 松下氏は右の交際中昭和電工について何の質問めいて話もありません。まして事件の揉み消しを依頼するような言動を少しも見受けませんでした。又松岡、松下氏も一言も触れなかつたので、今度の檢挙せられた新聞記事を見て初めて私は驚いたような次第でありますが、重政氏は私が同人方へ招待せられたときに、帰ろうとするとき、私に向つて日野原社長自分の親友なので心配しておるということを漏らしました。これは世間並みの友人として儀礼的なものであると軽く考えていたのと、当時昭和電工事件は民自党が衆議院不当財産取引委員会に対して審査要求をしておる関係から、民主党の事件であつて、民主自由党に属する重政氏は全然無関係とのみ信じ切つていたので、重政氏自身が、この渦中の人であるということは夢にも考えなかつたのであります。次に六月二十二日の夜九時過ぎ頃松下氏から電話がありまして、私がおるかどうかを確かめて、これから伺いますということでありました。待つておりますと、松下氏が重政氏を同道して來ました。その時、実は廣島からよい酒が届いたので、なくならないうちに一緒に飲もうと思つて急にやつて來た。こう言つて一升罎を下げて來たので、私の方で有り合せの肴を出してそこで会食したのであります。その座談中に同人から、昭和電工事件の見通しはどうか、今後社長の取調べは住宅でできぬものかどうかという質問が出ました。私は同日の最高檢察廳における首悩部会議に例席して明朝日野原社長を逮捕するということを聞いて知つていたので、公私を混淆してはならんという固い信念の下に、当時の新聞紙上に掲載された程度の返事をして置きました。又住宅にするという問題についてはこれは一線の檢事正次席檢事の考えでやるのです。高檢としてはどうすることもできないことだ、駄目だと断つて置きました。当時私が知つていた機密はこの逮捕状が出るという問題だけでありました。その当時の昭和電工事件捜査はまだ目鼻が附いておりません。社長を收容してから後に漸く眞相が分つたような次第でありまして、私としてはこの逮捕状の点は絶対に打明けなかつたのであります。その証拠としては、翌朝私が役所へ行きますと松下氏が訪ねて來まして。今朝逮捕状が出ましたと言つて知らせに來たのであります。
  418. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 大野氏と一緒になつた時は話が出なかつたですか。
  419. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) ええ、この時は初対面ですから、互いに國がどこだというようなことを話合つただけで、お互いにまだ氣心も知れませんし、雜談も余り出ないし……。
  420. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 急に今まで疎遠になつていた人が……松下權八ですか、あなたに近づきになつて、飲み食い共にするようになつたり、それから松岡だとか、重政とか、大野とか、こういう者が段々接近して來るということに不思議はなかつたですか。
  421. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 当時私としてはそういうわけで余りにどうも最近の社会情勢に暗いものですから、会議に出ましても余りどうも発言する材料がないので心細く思つてつた矢先ですから、誰かよい知己を得たいというので、こつちも心が動いたわけでありまして、別に不思議には思われなかつたのです。殊に民自党関係だから……。
  422. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 政党の関係は御説のようではありましようが、併し重政氏のごときは肥料という関係があつて日野原との繋がりがあるというくらいなことは、お話の中でも知つていらつしやるでしようし、知り得べき状態じやないですか。
  423. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) それは全然知らなかつたのです。これを知つておれば私も警戒したのですが。
  424. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 肥料をやつてるということは御存じですからね。
  425. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 肥料をやつてることは、私を案内して行くときに自動車の中で話があつたのです。で、肥料にかけては自分がオーソリティーであるということを自慢したとき初めて知つたようなわけで、全く私が余りにも社会の人と交際を全然しなかつたので、そういうことさえ知らんで……。
  426. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 五十一万円という金が出てですね、それで彼はあなたと接近してですね、揉み消しをしようと計つたわけですからね、相当の努力を、事前に持ち込んで努力したように窺われるのですがね。その間においてあなたが全然昭和電工事件というものを御存じなければともかくも、すでに前から知識があるのですから、何か変に思われる筋合があるのじやないでしようか。
  427. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) それは私が全く彼等を信じてあり、まさかそういう方面へ私を引き出して利用するというようには考えられなかつたのです。それに松下とは長い交際もありますし……。
  428. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 長い交際と雖も、あなたの供述から見ても、從來は役所にしか來なかつた人が急に家庭に出入し、而も飲食を共にするようなところまで運んで來て、それで又その以外の人を次々と紹介して來る……。
  429. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 併し全くその時分は昭和電工事件はまだ捜査しておりませんし…。
  430. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 捜査はしておりませんけれども、それが將來事件になり得べき性質のものであると思うから彼らは予防線を張つて、事前にあなたの方へ渡りを付けよう。若しくは情報を得よう、何らかの便宜を得よう。こういう考えからそういう伏線せ張つてつたのですね、だから逮捕せられるまでにあなたの方に相当の働き掛けをしたんじやないかというふうにも考えられますが……。
  431. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 時期が相当早いですから、そう思われないです。
  432. 伊藤修

    委員長伊藤修君) あれだけの金を松下はどこへばら撒いたのでしよう。
  433. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) それが私も全然想像が付かないのです。そんな惡いことをする人間とは思わないのです。何しろ拂壇へ行つてしよつちゆう礼拜するし、もうすつかりどうも信用し切つていたですから……。
  434. 伊藤修

    委員長伊藤修君) あなたの氣持を捉えようとしていろいろな行爲をするのでしようけれども、相当に資金を持つて、あなたの係りみたいにして專念に取り入つているわけですからな。
  435. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) で、これは顛末書にも書いてありますように、彼が逮捕される瞬間まで、彼が惡いことをしたとは思わんから、君に対して逮捕状が出ておるのかね、と言つて念を押したくらいですから、そのくらいこつちは信用し切つていたのです。
  436. 伊藤修

    委員長伊藤修君) すつかり利用されたわけですね。
  437. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) そうなんです。
  438. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 松下があなたを利用して五十一万円儲けたのですか。
  439. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) そういうわけじやないですね、起訴事実ははつきりしておりませんが、公判がない中に私から言うのはどうかと思いますけれども、聞くところによりますと、彼が他の檢事を熱海へ連れて行つて泊めるとか、数名泊めるとか、又他の昭和電工の主任檢事、或いはその同僚を箱根へ行つて泊めるとか……、その次には江ノ島へ行つてこういう名儀で重政から金を出している、私にやるとか何とかいう名前が出ているのじやないのです。
  440. 伊藤修

    委員長伊藤修君) そうでないけれども、重政はあなたと近ずきがある。若しくは少くともあなたという名前を指さんにしても、高檢なり最高檢なり地檢なりに相当の顔を持つておる、いわゆる顔が利くということを賣り物にしておる、それであなたと親しいことも重政にも見せなければならないし、又関係者にも見せておる。又関係者としても金を出しておる以上は、あなたの顔を見なくては承知しないですね。金を出すのですから……。だからあなたから何か有難たい言葉を頂かんというと、金を喜んで支出しない筈ですが……。
  441. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) それはやはり松下が何か尤もらしいことを言うたんじやないかと思います。それで詐欺になつておると思いますが……。
  442. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それが一回か二回ならあなたとしてもそういうことに利用されることもあるでしようけれども、職掌柄このように長い間数回に亘つてなさつておるのであつて、それにお氣附きにならないというのはちよつと……。
  443. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) まだ時期が早いし、私はそんな惡い奴と思わんものですから安心してして、ただ附き合つてつたのですが、やはり私のことを考えて、少し政治的視野を拡めたらよかろうと言つて呉れたから、そういう不爲めなことになるとは無論考えなかつた
  444. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 政治的視野を拡める意味において、あなたの方から、そういう者に対する檢察廳の考へ方なり、行動なりを探り出そうということも思いやられますね。
  445. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 昭和電工に関係があるということは、全く想像しなかつたのですからね。
  446. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 話しておるうちには、目的はそこにあるのですから、彼らの目的は……、何か引つ張り出そうというので……。
  447. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 今になると、そういうふうに考えられるのでありますけれども、その当時は氣附かなかつた
  448. 伊藤修

    委員長伊藤修君) あなたが、お述べになるような簡單なことで、彼らが承知したかどうかということも疑われるわけです。もつと深くあなたの方へ、いろいろなことを聽きやしなかつたかと考えられる。
  449. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) まだ時期がそこまで行つてないのですから、捜査が……。
  450. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 捜査は行つていないが、六月二十二日にすでに逮捕状が出て…。
  451. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) そのときは、社長を收容して見たが、ただ五万円の贈收賄しかない。
  452. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 彼らは、社長を收容したという段階に入ることが、一番最惡の事態ですからね。
  453. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) そうですね。
  454. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 誰でも引つ張られるまでは非常に心配するでしよう。揉み消しというのは、それまでのことですね。
  455. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) そういう……。
  456. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 引つ張られてから揉み消しをいうのでなく、引つ張られるまでの間に、了解を得て揉み消そうという努力をしたんでしようと思いますが。
  457. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 要するに、私の頭では、民自党で摘発しておる。それが揉み消しするということは逆ですから、想像しないのです。
  458. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 何かお尋ねは……。
  459. 大野幸一

    ○大野幸一君 あなたは、重政が民自党だということを、どういうところから……。
  460. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) それは松下氏が今パージになつておるが、これが解ければ、民自党の総務になる人だということを話しておりました、それで知つております。
  461. 大野幸一

    ○大野幸一君 そうすると、昭和電工事件は民主党を攻撃するために、そういうために不当財産委員会でもやるし、そういう線に沿つて來るものである、こう考えていらつしやつた……。
  462. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) そういうふうに初めの頃は、檢事局の会議に誰言うとなしに言つてつた。それで私は、そうかなあと思い込んでしまつた。まさかこういうふうに……。
  463. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 檢事局の態度というものは、民自党が民主党を叩く、こういうような考え方ですか。
  464. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 初めは、そういうのじやないかという噂がありまして、それからそれは初めの頃ですが、私はそういうものかなと思つておりました。
  465. 岩木哲夫

    ○岩木哲夫君 噂というのは、檢事局内の噂ですか、それとも外部の噂ですか。
  466. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 檢事局の一人、二人の者でしたが、初めの頃新聞に出た当時であります。
  467. 岩木哲夫

    ○岩木哲夫君 そうすると、民自党が民主党を叩くという、そういう噂があつたということは、大体そういう方向に皆さんの氣持があつたということを証明するわけですか。
  468. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 大体ではなく、二、三の人が、そうらしいということを言つたので、そうなか、摘発する以上は、相手方にするのだからそうじやないかと思うのです。
  469. 岩木哲夫

    ○岩木哲夫君 その当時、この事件に対する実際の指揮権者というものは、地檢でありますか、最高檢察廳でありますか。
  470. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 今もそうですが、事件をやるときには皆、最高檢察廳なり、地檢、高檢、それから最高檢、の幹部、それら主任檢事が集まりして、会議を開いてやります。重要な問題については、だから一人、二人の発言があつたからといつて、全体の意見ではない。
  471. 岩木哲夫

    ○岩木哲夫君 先の証人の意見によれば、昭和電工の問題は、檢事総長が絶対権と申しますか、概ね采配しておつて、他の介入というか、意見というものは認められない、実際分らないといつたような話がありましたが、あなたもそう思いますか。
  472. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 私の名前が、恐らく出たから、それで私を高檢がオミツトになつたと、こう思つておりました。
  473. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 先程のあなたの供述からいいますと、日野原が勾引される当時まで、あなた達も相談に與ずかつておりましたわけですね、あなた達の問題が起つてからオミツトされたのですね。
  474. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) そうらしいのです。
  475. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 本当でしよう。
  476. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) その後彼らが次々と檢挙されて、私はびつくりしました。そうして選りに選つて、四人とも金を取つたり、物を取つておるということになると、これは私の立場上、この席におることはできない。
  477. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 箱根の温泉場へ行つた人がありますか。
  478. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) それは、ないというのです。その捜査は私やりませんが、ないのです。
  479. 伊藤修

    委員長伊藤修君) あるのじやないですか。
  480. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) ないのです。ないから先になるのです。松下が……。
  481. 大野幸一

    ○大野幸一君 これは相手が惡かつたから、こういうことになつたのでしようが、檢事さんの幹部になればなる程、私的の交際から相当飲食を共にする人は多いわけでしよう。
  482. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) ええ。
  483. 大野幸一

    ○大野幸一君 それで部内ではどうですか。あなたは、今となつては野に下られたのですから、氣軽におなりになつたのでしようが、部内ではこういうことに、勘として思われていないか、というのは、福井縣事総長は民自党に好意を持つとか、民自党系の会だとか、こういうのは、檢事の勘として受けておりませんか。
  484. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) そういうことは、受けておりませんね。
  485. 大野幸一

    ○大野幸一君 世間からは。
  486. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 世界からは、そういうデマが飛んでおるということを、総長自身が非常に迷惑がつておりましたから、ないと思います。
  487. 大野幸一

    ○大野幸一君 そこで石炭國管と、昭和電工と、併行してやれなかつた事情が、何かあるのでしようか。
  488. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) そうではありません。やつぱり糸口が早く出た方が、早くなるのです。
  489. 大野幸一

    ○大野幸一君 一方は民自党が民主党を叩たこうというのが、この昭和電工の問題、それなれば糸口が早く出すも出さないもない、むしろ炭鉱の方も、糸口が出るまで両方併行してやれば、両方から糸口が見附かるでしようが、そういう措置は一体ないのでしようか。
  490. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) それは、やはり檢事の手の都合もありますし、今檢事が不足で困つとおりますから、宣その主任檢事の能力にもよりますから。
  491. 大野幸一

    ○大野幸一君 その点、今第一線で働く檢事の能力というものは非常に、昔から言えば低くなつておる、そう考えますか。
  492. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) そういうことを聞きますが、どうですか。
  493. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 只今大野さんがお訊ねになつた点、例えばどうもごたごたして政変が、政界がごたごたしそうなときに、芦田さんを引つ張つたり、或いは西尾さんを引つ張つたりして、政変をそれによつて確定付けるというようなことが、殊更に行われておるやに、世間に傳えられておりますが、それからいわゆる本件に関係されますところの檢察官の考え方が、先程あなたがおつしやつたように、民自党が民主党を叩くという考え方が、頭の中にあつて、そういう行動に出られるのじやないのですか。
  494. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) そうでないと思う。
  495. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 現れて來る事実は、そういうふうに考えられます。だから檢事総長は自由党だから駄目だなんという噂があるのじやないのですか。
  496. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) どうもそれは人の見方ですから……。
  497. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 檢事局一体にそういう考えがあるのじやありませんか。
  498. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 檢事は今非常にやりにくいのです。
  499. 伊藤修

    委員長伊藤修君) やりにくいけれども、どうも公平を欠いておるようですね。
  500. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) まあ公平を欠かなくても色眼鏡で見られますから非常に檢事は辛いです。
  501. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 吉田さんの場合は召喚もせず、吉田さんの方へ行つて調べる、そんならば芦田さんの場合もこつちで行つて調べたらいいじやないか。こういう議論も立つ。どうも取扱が二樣になつているのですね。
  502. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) これはどうも……。
  503. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 吉田さんの場合のみわざわざ出向いて調べるというのは……。
  504. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) これはやはり事件内容にもよりましような。
  505. 伊藤修

    委員長伊藤修君) いや、同じ事件を取扱われる上において……。
  506. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 事件内容によつて、收容しなければ分らん場合と、自宅で証人として調べる場合もありましようし、それはどうもいえないと思います。
  507. 岩木哲夫

    ○岩木哲夫君 先程あなたが、これは民自党が民主党を叩くのだということを部内の二、三の檢事、その他からも聞いたり、大体そういう空氣であつた自分も推定されるというお話がありましたが、そうすると、今のお話では、そんなことは迷惑だというようなお話もありましたが、併し福井檢事総長が民自党員ではないのであろうが民自党に非常に好意を持つてつて、むしろ党員に等しい、乃至はそれ以上例えば法務廳総裁の候補にも二度も三度も上つたということは事実だろうと思うのですがね、そういう観点から檢事総長或いは次長というようなものが、或いは日野原に出入りされて関係された松下、大野伴睦、松下氏も民自党の人、そういう人と檢事各位が親交を温めておつた、期せずしてかどうか分りませんが、そういう関係があつたといつたようなことは否めない事実だと思うのですが、そういう点で……。
  508. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) それはもう私は要するに知己を得ればいいので、各派各党の者と成るべく多く接したいという希望はあつたのですが、たまたま松下からそういう紹介があつたものですから、そういうことになつたのですけれども、私は社会党の人でも、民主党の人でも立派な人物であれば交際をして見たい、こういう考えでおつた、いの一番にやつたところこういう失敗になつたわけであります。
  509. 大野幸一

    ○大野幸一君 檢事局内部で元は派閥がある。例えば平沼系とか、塩野系とかいうものが相当あつた。現在でも例えば馬場系だとか、こういうようなものがあるというようなことをいうのだが、檢事局の派閥、派閥というと惡いが、氣心が合つた者が相談してやる、氣心の合わないものは高檢と雖もオミツトするということをやつているのですか、どうですか。
  510. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) それはないと思いますね、私は、この間新聞で何か文化派とか、実力派とかがあるとかどうとかいう記事が出たが、一体誰がどつちの派に來るのだか、内部の人が笑つておるくらいで全然派閥的なあれはないのです。
  511. 大野幸一

    ○大野幸一君 例えば昭和電工の日野原がやられるという噂が四月二十日以前に岸本檢事長は知つてつたわけですがね、知つていたことがある……。
  512. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 二十日以前に。
  513. 大野幸一

    ○大野幸一君 二十日以前にね。
  514. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) はあ。
  515. 大野幸一

    ○大野幸一君 あなた方は知らないのですか。
  516. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 全然知らないのであります。私がその会議に出たのは六月二十二日ですから。
  517. 大野幸一

    ○大野幸一君 どうして北清道の檢事長がそれを知つてつたでしようか。
  518. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) それはおかしいですね、それはよく分らんです。
  519. 大野幸一

    ○大野幸一君 檢事総長が、一人の檢事長には言う、一人の檢事長には言わないということがあるのですか、これはどうも誤解があり得るのですが…。
  520. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 最高幹部の話合いですから、私、次席で一人前になつておりませんから分りません。
  521. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 仕事は大体次席が取扱われるのじやありませんか。
  522. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 会議には出ますけれども、日野原の話は四月頃にはなかつたですね。
  523. 岩木哲夫

    ○岩木哲夫君 昭電の実際の指揮はどなかだやつておられたのですか。
  524. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 直接にはやはり……。
  525. 岩木哲夫

    ○岩木哲夫君 地檢檢事正と次席ですか。
  526. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 地檢が……、そうして報告が最高檢の首脳部会議へ來るわけであります。
  527. 岩木哲夫

    ○岩木哲夫君 先程の証人においては、檢事総長及び次長が実際の采配を振つてつた、こういうことを確言しておるのですが……。
  528. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) いや、これは実際の采配というか……。
  529. 岩木哲夫

    ○岩木哲夫君 例えば日野原を逮捕するとか、松下をどうするとかといつたことについての……。
  530. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) その決定は最高首脳部会議で会議して決定するわけであります。
  531. 岩木哲夫

    ○岩木哲夫君 原案といいますか、指導的役割は。
  532. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) やはりそれは直接の捜査主任檢事の意見を尊重するわけであります。
  533. 岩木哲夫

    ○岩木哲夫君 主任檢事の代弁者は地檢檢事正ですか。
  534. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) そうです、代弁者は。又は次席です、地檢の。
  535. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 地檢檢事正はオミツトされておるのじやありませんか、馬場次席がやつてるのじやありませんか、事実は。
  536. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) 何か差支でもあつていないときはあれですが、オミツトはされません。
  537. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 檢事総長と次席と馬場檢事が三役としてやつてるのじやありませんか。
  538. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) そんなことはありません。
  539. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 檢事正はオミツトされておるようですよ。
  540. 窪谷朝之

    証人(窪谷朝之君) そんなことはありません。
  541. 伊藤修

    委員長伊藤修君) そうですか、どうも有難うございました。國宗氏は病氣で出頭できません。相当の理由がありますから、これは本人の欠席届を承認することにいたしたいと思います。それから櫻井元檢事は送達ができませんでしたから改めていたします。  本日はこれを以て散会いたします。明日午前十時から開会いたします。    午後四時二十八分散会  出席者は左の通り。    委員長     伊藤  修君    理事            岡部  常君    委員            大野 幸一君            齋  武雄君           大野木秀次郎君            遠山 丙市君            岩木 哲夫君            深川タマヱ君            來馬 琢道君            松井 道夫君            松村眞一郎君   証人    元東京高等檢察    廳檢事     澤田 喜道君    元東京高等檢察    廳次席檢事   窪谷 朝之君