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委員長(
草葉隆圓君)
速記を始めて。ナホトカよりの
引揚者の私刑事
件報告書が参りましたから朗読いたします。
ナホトカよりの
引揚者の私刑事件について
一、日時
昭和二十三年十一月二日
自午後五時頃
至翌午前九時三十分頃の間
二、場所 舞鶴引揚援護局第三、第四、第五寮及びその周辺
三、加害者 埼玉縣兒玉郡原道村道同六二〇
針谷豊次 当二十六年
外五名
四、被害者 北海道石狩郡遠別村五三
高橋利夫 当二十五年
外三十八名
五、事件発生までの
経過
1 ナホトカよりの
引揚者は英彦丸、惠山丸、高砂丸に乘船ナホトカを出港するや、曾て抑留中苛酷な作業を強制し、民主運動を強要した民主
委員、青年行動隊員等に極度の反感を持つ一部のものは機会を捉えて報復せんとして船中において計画した模樣であるが、航海中は事故なく英彦丸は十一月一日、惠山丸、高砂丸は十一月二日舞鶴に入港した。
2 英彦丸の
引揚者は第二、第三寮に收容されたが、二日午後五時頃
引揚者間において、前記のような理由で寮の内外において些細な暴行事件が二、三発生し、整理員はこれが防止に
努力していたところ
3 その頃高砂丸の上陸が開始せられ、第四、第五寮に收容しつつあ
つたが、その中に民主
委員青年行動隊員であ
つた被害者等を発見したので大挙して暴行するに至
つたものである。
六、事件の概要
1 午後七時頃民主
委員青年行動隊員に反感を持つ第二、第三寮の收容者約二千名は、大挙第五寮に押しかけようとしたので整理員は全力を挙げてこれが防止に当り、午後七時四十分頃一應解散させた。
2 併し第三、第四寮内外においては、尚些細な暴行事件が各所に発生しつつあ
つたので引續きこれが防止に当
つていた。
3 その整理員の隙に乘じ、一旦解散した前記第二、第三寮の二千名は再度第五寮に押寄せ、内五、六百名は寮の内部に侵入階上階下において前記極左分子を捕えて暴行を加え(手挙、足蹴等)入院加療を要するもの二十名隔離保護を要するもの十九名
合計 三十九名
に対し傷害を與えたのである。
七、警察
処置
1 事件発生と同時に舞鶴市警察局では舞鶴市警察職員並びに東署員を動員し局長以下五十五名が現場に到り、事件の鎭圧と犯人捜査に着手した。
2 從來この種事件の加害者の
措置は現地リーガル・セクシヨンにおいて直接
取扱つていたが、今回は加害者の
措置は日本警察において
措置するよう指示があ
つたので、警察独自の
処置を取ることとし、翌午前九時三十分までには平靜に復することができた。
3 捜査の結果加害者六名を檢挙し五名を傷害罪として、一名を暴行罪として書類のみ送檢した。
4 被害者の
処置としては重傷者は國立舞鶴病院並びに援護局檢疫病院に入院せしめ、軽傷のものは援護局保護室に收容
手当を加えた結果入院者も十一月十九日を最後に全部退院それぞれ帰國した。
八、この種事件の
取扱その他について。本事件処理は舞鶴市東警察署において実施した。從來この種事件は発生したこともあるがその程度はいずれも小規模でいわゆる
引揚者間の喧嘩程度で加害者の
処置等も現地LSにおてい直接
処置した來たものであるが、今回の事件の発生原因等を研究して見ると次のようなことが挙げられる。
1
引揚者中に共産党の幹部教育を受けた民生
委員、青年行動隊員が多数いたこと。
2 抑留中作業、
給與等について苛酷な
取扱をした通訳が担当多数帰還したこと。
3 これらのものから直接圧迫を受けた
引揚者が同時に多数帰還し、一時に收容されたこと。
4 收容人員が從來と比し多か
つたこと。
九、参考事項。
引揚者の上陸に際しては乘船者名簿と対照しておるので船中で死亡、或いは事故があれば少くとも上陸の際は発見できるもので、曾てこの種事件で船中で行方不明にな
つた事例はない。
以上であります。それでは本日はこれにて散会いたします。
午後二時四十五分散会
出席者は左の
通り。
委員長 草葉 隆圓君
理事
三木 治朗君
岡元 義人君
星野 芳樹君
委員
天田 勝正君
淺岡 信夫君
池田宇右衞門君
水久保甚作君
穗積眞六郎君
矢野 酉雄君
千田 正君
委員外議員
地方行政
委員長 岡本 愛祐君
政府委員
外務
政務次官 近藤 鶴代君
外務
事務官
(管理局長) 倭島 英二君
厚生
政務次官 團 伊能君
厚生
事務官
(引揚
援護廳援
護局長) 田邊 繁雄君
説明員
大藏
事務官
(銀行局特殊金
融
課長) 磯田 好祐君
大藏
事務官
(
給與局第四課
長) 慶徳 庄意君
厚生
事務官
(引揚
援護廳業
務
課長) 岡林 諄吉君