○説明員(野村琢民君) 私は函館援護局の野村であります。昨
日本廳の方に事務打合せに参
つたのでありますが、またまた本日
委員会があるから、殊に函館援護局に
関係のあることであるが故に出席したらどうか、こういうことでありまして、午前中に
埴原さんの
お話を伺
つたのであります。このことにつきまして、私共の方は、函館に本年五月以來入りました船は約八十隻であります。
引揚者は十一万近くにな
つておるかと
考えております。船の入るたびに座談会を開きまして、いろいろ
向うの
状況を聞き取
つておるわけであります。その聞き取りました範囲内のことを占今より申上げたいと存ずるのでありますが、この話は何月何日誰から聞いたか、いろいろそう細かいことを聞かれましても、これは総括的のことを申上げるのでありまして、一々責任を通らされるというようなことは困りますから、この点は予め御了承を願いたいと
考えます。
本日の
埴原さんの
新聞の記事のことでありますが、これは本年の十一月過ぎの
引揚は來春まで延ばしたいという者が非常に残留者の中に多いというように
お話にな
つてお
つたように聞いております。この点につきまして、座談会その他によりまして聞き及びました点を申上げまするならば、
樺太より
引揚げて参りまする方々のすべては、後に残
つております者が非常に氣の毒でありますが故に、一日も早く
引揚を促進させて貰いたい、これは殆んどの方々の要望でありまするし、又十一月過ぎのいわゆる冬季間の
引揚は非常に困難であるというようなことは余り承
つておりません。すべての者はただ祖國
日本に帰りたが
つておる。一足でも
日本の土を踏んだならば、これはもう倒れても差支ないんだ、死んでも差支ないんだ、是非一日も早く
日本に
引揚げさせて貰いたいということは、恐らく
向うの汽車が出る際、或いは又その部落を皆さんが立
つて來る際に後に残りまする方のが異口同音に
言つておることのように聞いております。私の出て参ります前日にも徳壽丸という最後の船が入
つております。その方の方々の情報も聞き及んだのでありまするが、これらも異口同音にそのように申しております。それで十一月最後の冬季間の
引揚を
樺太に残
つておられます方々が希望をしておらぬというようなことは、私の座談会に出席いたしました範囲内では全然聞いておりません。それに関連いたしまして申上げたいことは、先程
埴原さんの
お話の中に、いろいろ物が豊富にな
つて來た、而もそれが自由に買える、こういうことがあ
つたように聞き及びました。この点でありまするが、成る程
向うは自由になりまして、物は出たようにも聞いておりまするが、これは買うにいたしましても金がないということであります。金がないと申しますることは、これは働きましてもなかなか賃金の支拂をして貰えんということです。而も毎月決ま
つた給料を貰
つておりまするという人は、大体私の聞き及んだ範囲内におきましては、小学校の教員程度の者でありまして、その以外の人は殆んど貰
つておりません。貰うにいたしましても、或る月は千円貰
つたかと思いますると、翌月は百円にな
つたというようなことも往々にしてあります。殊に沢山の
家族を抱えておられる方々は、僅か百円や二百円の金では絶対暮せんわけであります。少くとも一人七、八百円の金が要るのじやないか、これは私よく分りませんが、そういうことを申しております。結局食えんということであります。このようなことで、それから今の食糧事情の方に移りまするが、食糧の方は非常によくな
つたのは先程
埴原さんが申されておりまするが、私の聞き及んだ範囲においては大体黒パンであります。黒パンを貰う、而もその黒パンは働く者のみのこれは配給されております。
家族の者には配給されていない地方が多いのであります。或る地方におきまして、
家族の者に配給される所も極く少数あります。併し大半は
家族に対しては配給されておりません。ただ食糧問題で非常によか
つたという方面は千島の択捉であります。この地点は非常に食糧が沢山にあ
つた、又
向うに駐屯しておりまする進駐軍ですが、この方々が非常によくや
つて呉れたらしい、食糧には困らなか
つた、而も
引揚の際におきましては、十五日と言いますか、半月分の食糧を與えた、そうして賃金もすべて拂いまして、そうして送
つて寄越したこれは
樺太まで送
つて寄越したのであります。その地区は非常によか
つたのであります。その地区以外では余り聞いたことはありません。今申上げました通りとにかく
樺太地区は大体に黒パンを全部食べておられる。いろいろバターとか肉とかいう話もあ
つたようでありますが、私の聞き及んだ範囲内におきましては、そうしたことはまだ聞いておりません。そこから農民諸子が非常に
生活程度がよくな
つておるというようなことも申されてお
つたようでありまするが、私共の聞き及んでおります範囲内におきましては、この農民諸子は供出が全部ありまして、殆んどが供分の方に取られてしまう、残るものは極く少量の穀物である、これで食い繋いでおる、賃金は貰えんということですから、これ又
生活が困るという結果になるわけです。それから物が自由にな
つたということでありまするが、これも私の聞き及んでおります範囲内におきましては、或る一定のものはここへ持
つて來るのだ、そうしてこれを賣出すわけです。そうすると
ソ連人も
日本人も全部列を作
つて買わなければいかん、こういう地区が非常に多いのでありまして、それがために
日本人は並んでおりましても、これを引出されてしまう。それがために買えなくな
つてしまうわけであります。この
状態が非常に多か
つたように聞いております。私の申上げておりますのは、先程申しました通り、
向うの
引揚の方々から聞いたことを申上げたのですから、どうぞこの点は御了承を願いたいと思います。
それから食糧問題でいろいろ申しておられたようでありますが、惠須取地区と申しますと、北の方であります。この地区あたりに
引揚げて参りました方ので六月、七月、この頃非常に雨が降
つております。それがために非常に困難をいたしておりますし、惠須取地区の波止場まで出て來ます。出て來まるが、そこに宿舍は全然ございません。さうして雨に叩かれる、その間は多いのは三十日ぐらいですが、それを全部宿舍のない所でテントも貰えないというような所に置かれまして何日もおる。そこでこれは雨風に遭うことは当然でありますが、
子供がそれで非常に
病氣をするというようなことを沢山聞いております。さう船が來たというときには炭積船であります。その大半は炭積船でありまして、その上に置かれるわけでありまして船の中に入れて貰えない。併し船内に入れた貰
つた者も一部あ
つたようでありますが、大半炭の上に置かれて、
荷物は雨が降りましてもテントを貸して貰えなか
つた。それがために私共の方に
引揚げて帰りました者の中、雨期、雨い多い時は大半
荷物に全部雨が通りまして、
荷物を持ち切れないぐらいの重さにな
つております。而もそれを乾かすような時もありませんで、そのまま発
つて行
つたというような氣の毒な方も多か
つたわけであります。
それから
樺太残留者の声であるということをここに謳
つておるようでありますが、
樺太は大体において交通を余り許しておらんようであります。それがために
引揚げて來られた方々で、その部落のことは大半分りますが、その以外のことは絶対に分らんと、かように申しておりますので、ここに謳
つておりまする大半の方々が
引揚を希望しておらんというようなことは、よく分らんことではないかと、かように想像されるわけであります。
いろいろ私共聞いておるのでありますが、この
新聞記事のことにつきまして、ほんの概略を申上げまして御参考に供したいとかように
考えておるわけでありまして、これはどこまでも
引揚者から聞いたことでありまして、私の責任と申されましても
ちよつと困りますから、この点は御了承を願います。