○
説明員(
内野仙一郎君) 昨年の十二月一日でございましたか、
社会党の
参衆両院の方々からやはり
社会保障についての理念的なこと、少し具体的に申上げますと、
社会保障の基本問題についてお話せよというお話がございました。私伺いまして、一時間半ばかり喋らして頂いたのでありますが、そのときには
社会保障の基本問題と申しますと、皆樣方のお手許にも
國会図書館の方から配
つてございます資料の第一号でございましたか、第二号でございましたか、これの最初に書いてございますように、実に基本問題が多いのでございまして、詭弁を弄するようでありますが、基本問題を決めることが実に基本問題であるというようなことを申上げまして、私の見ました角度からする基本問題を、一時間半ばかりお話したのでございますが、本日はその席上私の拙いお話をお聽き下さ
つた方もお出で遊ばすように心得ますので、重複して申上げますのも甚だ何でございますが、又今日はお聽き下さらなか
つた方もございますと心得ますので、簡單に理念的なことを先ず二十分前後ぐらいお話さして頂きまして、それから各國におきまする
社会保障の実情、実際どんなふうにや
つておるかということについてお話申上げたいと思
つております。
理念的のことを申上げますと、
社会保障と申上げますることは、一口に言えば、先ず貧乏というものを如何に処理するか、
貧乏対策であるといえましよう。それで貧乏と申しますものが御存知のように
五つの眷族を持
つておるというようにいわれております。先ず第一が欠乏、艱苦と申しますか、結局がつがつするということでございますね。物を欲しがるということと、それから又病氣、疾病、それから又無知、知識、関係のことが欠けておるということでございます。例えば衞生知識が欠けておるとか何とかいう
意味でございます。無智、それから不潔、つまり汚いということ、それから又怠惰ということ、怠けるということ、この
五つの眷族と申しましようか、この
五つの要素から貧乏というものが、成
つておるというふうに傳えられておりまするから、この
五つのものをいかに縛り上げて処理するかというのが
社会保障であるとも申せましようし、少し角度を変えまして余り学問的でなく申上げることにいたしますれば、
マタイ傳でございましたか、
新約聖書の中にございます有名な
言葉がありますが、「すべて労する者、重荷を負う者は我に來れ、汝らを休ません」という
言葉がございます。それから又、佛法の方で申しますと、いわゆる
生老病死とい
つたようなこと、この外に遣棄防浪、遣棄は捨てられること、遣棄された、或いは放浪するということ、或いは失業するということ、人生における
レ・ミゼラブルな問題、更に又、これはかような席で申上げるのは甚で何でございまするが、有名な
社会小説に出て参りますし、
レ・ミゼラブルという
フランスのユーゴーの作がございますが、この序文の中にかような文句が出ております。
下層階級による男の失意、飢俄による女の堕落、暗黒による子供の萎縮、こうい
つた社会的窒息というものがなくなるまではこの
レ・ミゼラブルという本も無
意味な本ではないであろうというようなことが最初の序文に出ておりますが、この
言葉の中に出て参ります
社会的窒息、こうい
つた社会的窒息をこの世から、
社会から追放する手立てが
社会保障であるとも申されると思います。今申げました
社会的窒息、或いは又
社会的不安と申しましてもよろしいのでございますが、こうい
つたものは
御存じの通り、
人間の殆んど発生と共に出発しておりまして、
人間とは
切つても切れない仲にな
つているわけでございます。往時は、極く昔の頃はけものにより
人間が脅されてお
つた時代、それから又、
外人種の侵入から非常に脅されてお
つた時代、それから又
天災地変によ
つて人間が脅されてお
つた時代、かようなことを経て参りまして、現代におきましては、
人間自身が拵えあげておる
経済組織、その
経済組織から出発した
人間の生活不安、かようなものは今申上げましたように、アダムとイヴから現代に至るまで附きまとわれており、又將來もなかなかこれらのものが追放されるとは考えられないのでございます。この
社会的窒息と申しますか、
社会的不安というものを如何にして取除くかということにつきましては、
二つの途が昔から考えられておりました、その第一は、私
保險、プライヴート・インシユアランス、
生命保險とか或いは
損害保險というようなものでございまして、他は
救貧、
救貧制度と申しますのは、
御存じのように、お金持の方々がお金を出しあ
つて貧乏人を救うとい
つたような、つまり一方的なものでございます。貰う方ではそれは権利ではなくて與えられた物をただ受取るとい
つた救貧、この
二つの方法が相当古くから歴史の上に現われて來ております。
保險の方は遠く
ボリヴィア時代から
ローマ時代を経て今日に至
つておるとか傳えられております。又
救貧の方も殆んど宗教或いは宗教の発祥と共に考えられ、又実行されて参
つたものでございますが、この
二つのものが各々発達をいたしまして、次のようなものになりました。第一には
社会保險というものに発達して参りました。即ち私
保險は
社会保險というものに発達して参りました。一方又、
救貧の方はどういうように発達して参りましたかといいますると、
社会事業、更に又、
社会扶助ソシアル・アッシスタンスというものに発達して参りました。これがどういうふうに
始つたかというのは、どういうのを言うのかと申しますと、
社会保險と申しますものは、
御存じのように
強制による
保險という
意味でございます。
保險には
任意保險と
強制保險の二種がございます。これを
社会保險と俗には称しておりまするが、本來の姿はやはり
強制保險なんでありまして、好むと好まざるとに拘わらず、
一定の職業に就いておる者というものは、この
保險に入らなければならない、
掛金を月給から差引かれてしもうという仕組み、つまり被
保險が
強制化されて
社会化されたものとも言えましよう。一方又、
救貧から発達して参りました
社会扶助はどういう発達を遂げたかと申しますると、
社会扶助と申しますものも、從前の
救貧と
違つて、これは
一つの受ける権利を與られたものである、例えば與えられた金額が少いならば、これは私の
最低生活を維持するに足りませんから、もう少し余計頂きたいということも言えるわけでありまするし、又取扱い、その他について不服のことがあれば然るべき係の方へ訴えて出て、それを審査して貰うことができるというふうにな
つて参りました。現在
アメリカにおきまする
社会扶助の大部分は皆この審査を
請求を求められるようにな
つております。かように次第に発達して参りましたこの被
保險、
社会保險の途、又もう
一つ、
救貧社会扶助の途、この
二つの途は、現在及び將來において如何に発達して行くかと申しますと、不思議なことには、この
二つの途は交叉しようとしておるのであります。もう少し具体的に申上げますると、
社会扶助の方が
社会保險的な
方向に向
つて進んでおり、一方又、
社会保險の方は
社会扶助的な
方向に向
つて進んでおるというのが現在及び將來の世界的な動きであるのであります。ここのところはちよつと黒板でもございますと図表を書いて御覽に入れますとよく御了解ができると思うのでございまするが、図表のない関係上、
一つの國の例を挙げて私お話いたしたいと思いまするが、
ニユージーランドという國がございます。これは
イギリスの自治領で、大きさは大体我が國と同じくらいでありますが、この
ニユージーランドにおきまする
社会扶助はどういうふうにな
つたかと申しますと、一般の
國民から
掛金を取る、全
國民からすべて
掛金を取る、但し、その取り方は
所得に比例して取る、例えば一ポンドの
所得のあるものならば、それに対して何割を取る、でありまするから、お金持ちの方は相当多額に取られることになりまするが、これは又後に明日でも多分
ニユージーランドのことを細かく申上げまする際にお話申上げます。つまり
掛金を取るとい
つた方向に進んでおる、と申しまするのは、元
來社会扶助は一
般國民の税金によ
つて賄われるべきものであるに拘わらず、これは税金以外に設けられた
掛金制度によ
つて運営されて行こうとする、
社会扶助というものは
社会保險という
方向に進んでおるという証左になると思うのであります。一方
社会保險の
制度は如何に
社会扶助の方に近付いて
行つてるかと申しますると、これも
一つの例を挙げて申しますると、
ソ連邦、
ソ連邦にも立派な
社会保障制度がございます。これにつきましても、明日
あたり各國の事情を申上げまするときにお話をいたそうと思いまするが、
ソ連邦におきましては、被
保險者……、
社会保險の專門語が出て恐縮でございますが、
保險に加入しておる者、これからは一文も
掛金は取らんのであります。つまり
事業主の
金額負担ということになるのでありまするが、
御存じのように
國家資本主義でありますところの
ソ連邦には
事業主というものはないのであります、一九二七年前後までは
事業主も多少あ
つたかのごとくに傳えられておりまするが、
段々減つて参りまして
國家自身が
事業主でありますから、國の財源によ
つて賄なう、これを角度を換えて見ますというと
給付を受ける者はただである、國が結局支給するということが即ち
言葉を替えて言いますと非常に
給付から発達して來た
社会扶助というのに似ておるというようなわけで、この
社会保險と
社会扶助は各々交叉した
方向に進んでおるのでありまして、この交叉しておる点を捉えて
一つの組立てられたものが
社会保障であるとも言えると思うのでございます。かようなわけで、
社会保障の要素は結局
社会保險と
社会扶助とこの
二つから組立てられておるということが言えましよう。
社会保障の定義と申しますのは、只今も私がお話いたしました中に織込んでおるわけでございますが、諸学者の学問的に言
つておられますのをちよつと簡單に二、三申上げますとかようなことになります。
社会の各員が曝されておるところの
一定の危險に対して適当な
組織機関、オルガンですが、機関を以て
社会が設営するところの
保障である。とこうまあ言えますし、又これは
末高信教授の御説でありますが、
國民に対して
原因と如何を問わず
救護策を……、これの生活を護ることであ
つて、
從つて國民に対して
一定の
所得を
保障されておる、
一定生活水準の維持よ擁護せんとするものである。学問的に申上げますればかような定義が下されるわけでございまするが、又
社会保障と申しますものは、次のような背景がなければ
意味がないとも言われております。即ちその背景の主なるものは次のような
五つのものがあると言われております。雇傭、エンプロイメント、雇傭を促進して、その雇傭を高いレべルにおいて維持すること、それから次は
國民所得のより均等なる分配及び増大えの考慮がなされなければならないこと、これから衣料及び住宅の
改善方策が考えられなければならないこと、衣料というものは無料で支給され、而も
衣料内容は高度に高いレべルを保たなければならないということ、一般的及び
職業的教育の機会というものが、チヤンス、機会が拡げられなければならない、とい
つた五つの背景の上に組立られたものでなければならない、まあ一言にして言いますれば國が、
國民がすべての機能を挙げて
社会不安にぶつか
つて行くということが
社会保障であるとも言えましよう。以上のようなことは、先日大体
社会保險に関しまする理論と申しますか、要素と申しますか、こうい
つたことの解説の時に参議院の若干の方々にお聽き願
つたことでございます。理念の方面のことはこの程度に止めて置きまして、
御存じのような、我が國も
社会保障というものを採上げなければならなくな
つたわけでございます。この採上げなければならなくな
つたわけには三つの
原因があると考えられます。第一にはこの
社会保障への途ということはもう世界的な
動向である、好むと好まずとに拘わらず
民主主義を標榜する國々がとらなければならない
世界的動向であると言うことができるのであります。即ち今次の欧州大戰、
太平洋戰爭におきまして
勝つた側の國々は皆これ
社会保障への途を推進或いは実行しておる國々ばかりでありまして、
イギリス、
アメリカ、
ソ連邦、デンマーク、ニュージーランド、スエーデン、ベルギー、オランダ、チェッコスロバキヤ、キリシヤ、とい
つたような國、及び南方諸國、ペルーとか、アルゼンチン、その他殆んど
社会保險から
社会保障へ切換えて参
つており、中には又切換えを完成したところもあるのでございます。かような次第でありまするので世界的な
動向であると言えるのでありまして、
日本だけがこれを顧みないでいるということはあり得ないことであります。これは参考までに申上げるのでございまするが、
ドイツは
御存じのごとくに世界におきまする
社会保險というものの
創始國でありまして、一八八三年でございましたか
疾病保險、
日本で申せば
健康保險というものを打樹てまして、その後
社会保險というものを漸次改善推進して参りまして、部面も殖やしいろいろの改善が行われて完全な
社会保險が行われたのであります。これは
ドイツが自分で誇示しているばかりでなく世界の学者実際家も認めておるところでありまして、
社会保險に関する限り
ドイツは最高の発達を遂げてお
つたと言えるのでございますが、その末期におきましてはそろそろ
社会保障への途というものが世界中に唱えられてお
つたに拘わらず
ドイツはこれに耳を藉そうとしなか
つたのであります。
社会保險というものは各部分が独立して各々その特色を活かしながら進んでおる
社会保險の本來の姿があるのである、これを統一して
社会保障と
社会扶助を一緒くたにして
社会保障とい
つたようなものにまで推進することは好ましくないということを
ドイツの学者が言
つておりました。さようなわけで
ドイツ法系の
社会保險は、
御存じのように我が國も
ドイツ法系の
社会保險の影響を非常に受けておりまして、早い話が
厚生年金のごときは私も多少タッチいたしましたが、
ドイツの
労働者年金保險法の飜訳の近いものであ
つたのじやないかと思いますが、さような
ドイツ臭のあ
つたものが、この際復帰せられなければならない状態にな
つて來たのであります。なぜかと申しますると、
ドイツの
社会保險と申しまするものの底を流れておるものにはどうも
富國強兵型と申しましようか、戰爭型というようなものがちらほらと見えるのでございます。
ビスマルクが
社会保險を打樹てましたときはこれは
瀬川博士の歴史の本、その他の歴史の本を御覽にな
つても分ると思いますが、世界的な
重大事件でありまして、相相もう四、五百ページの本にでもなりますれば必ず相当大きな項目が載せてあるくらい
社会保險の樹立というものは大きな問題であ
つたのでありますが、その当時の
ビスマルクの心境と申しましようか、
ビスマルクというものを研究してみますると、
フランスのために一敗血に塗れて何とかして復讐せねば、それには
國民を打
つて一丸とした
富國強兵策を講じなければならん、同志が対立しておるようなことでは國が強くならない、戰爭には強くなれない、それには
社会保險が最も適切であろう、かような低
流理念も
加つてビスマルクは考慮したのではないかと、これは私の個人の
考え方でございますが、考えております。又このことはヒットラーの最も盛んであ
つたナチス時代におきましても、
社会保險というものを戰爭に調整するということアレンジするということに異常の努力を拂いまして
ナチスがあれ程に欧洲を席巻し得たのも
社会保險という裏附けがあ
つたのだと考えられます。健康を保つこと、又
最低生活を保つことにおいて
社会保險が如何に強力に働いたかということは遺憾ながらこれを認めなければならないのであります。かようなわけで
ドイツの型の
社会保險の中にはどうも
富國強兵という
考え方が流れておるような氣がしていけないのであります。今日丸で樣相の
変つた民主主義にな
つた日本はこうい
つた富國強兵型のアイディアが多少でも織込まれておるものは採上げるべきではない、寧ろ
英米型の
社会保險の
考え方、すなわち貧乏というものを如何に処理し、除こうかという点から出発した
社会保險、
從つて社会保障、これらのものを我が國は受け入れなければならないのではないかと思われるのであります。有名な著書に
貧乏線というのがありますが、
イギリスの
フロントリーという方が書かれた本でありますが、皆樣方もお読みにな
つたであろうと思うのでありますが、この本など開いて見ましても、余り
理論面は書いてなくて、
フロントリーが或る小さな町で各貧乏な家庭を訪問しまして、昨晩の食所はどんなものを食べておりましたか、そういうようなことをそこの主婦に尋ねて、そのお婆さんは昨晩はバタも切れておりましたので、ヘットを少し黒パンにぬ
つて食べました。それでお父さんの帰りは遅か
つたですかというような、俗な
言葉で申しますならば
人情話で初ま
つておるというようなところから段々に入
つて行つて而もその本全体は貧乏というものを如何に処理するかどうかというようなことについては統計、数字その他があ
つて非常に入念克明に書かれており、貧乏というものに対する眞面目な努力というものが非常に認められるのであります。かような
貧乏線というような態度が
英米型の今日の
社会保障制度への
考え方を齎らしたものだと思いまするとき、我々どうしても
社会保障というものを
ドイツ型の
社会保險から拔け出て、
英米型の
社会保障に進むことは
民主主義日本の進まなければならん途だと思
つておるのであります。
大分横道に外れましたが、結局
世界的動向である。それから第二番目にはどうもこの
社会保險局の
人間といたしまて、
社会保險のことをとやかく申すのは心苦しいのでありますが、新聞、雜誌、書物で見るところから察しまするのに、
社会保險というものは誠に不評判である、評判が惡か
つた、昨年の改正で各
社会保險部門も非常に改善せられたのではありましたが、その
直前あたりにおける新聞の
投書欄その他を見まするというと、
健康保險はお医者さんが
差別待遇をする、
厚生年金は僅かな
年金しか呉れないでこれでは
最低生活はとても維持できない、その他喧々囂々たる非難の声の方が多か
つたのであります。而も又
社会保險における横の連絡がとれておらない、
標準報酬等級のごときもどうもばらばらである、こういうことは面白くないというような世間の評判が大変惡くな
つて、何とかしてここで
社会保險を統合するなり、或いは又
社会保障という別のより大きなものにまで伸展しなければならないという立場に追い込まれてお
つたということでございます。これが二番目の理由。最後にはこれは最も直接の
原因でありますが、昨年の七月の十五日に
マツクアーサー元帥から我が政府に当時の
芦田総理大臣に対しまして、
アメリカ社会保障調査團の
報告書が手交されたのであります。これは大体
日本の
社会保障を如何に組立つべきかということについての
アメリカの專門家の意見を集めたものでありますが、この
勧告書が手交され、この線に
沿つて我が國は
社会保障を樹立しなければならない、決して命令ではありませんが、命令と解されるようなものを
受取つたであります。かような三つの
原因から、どうしても
社会保障というものを
日本は眞面目に研究樹立しなければならないということにな
つたわけでございます。
この記会にちよつと今申上げました
米國社会保障調査團の
勧告書と申しますものの
内容及びその性格について簡單に御説明を申上げ、又昨年の十二月の上旬にやはりもう
一つ勧告書が出たのでございます。それは
アメリカの
医師学会、
日本で申しましたら
医師会と申しまするようなものが、やはり
日本の
社会保險及び社会保障研究に参りまして、その結果
一つの結論を出しましたものを
マツクアーサーに提出したわけであります。それを
マツクアーサーが
日本側に手交したわけでございまし、これもやはり
一つの
勧告書でありまするが、かようにして
二つの
勧告書を
日本側が受取ることにな
つたのであります。それで第一の
勧告書と、第二の
勧告書には、これは皆樣お読み下さいますと分りまするが、多少の
矛盾撞着がないでもないのでありまして、これを我々が如何に受入れるかという点について、少しこの
二つの
勧告書の
内容をお話し申上げたいと思います。
最初の
マツクアーサーから
総理大臣宛に手交されましたものは、我々の解釈ではこれは極く正式なものでありまして、我が國の過去における
社会保險の実績というものが細かに分析、解説されておりまして、恐らく我が國、或いは
アメリカ以外の諸國を見ましても、成程
日本の
社会保險というものはかようなものであ
つたかということが掴み得るように書いてあります。統計、数字、その他非常に研究して、正確なものが載
つております。それからそれには
勧告が附いておりまして、現在の
社会保險を如何なる
方向に向
つて推進して、
社会保障を組立つべきかということについて第二部に謳
つてあるのでありますが、これによりまして大体現在ありまする
日本の各種の
社会保險、
強制社会保險ですが、
健康保險、
厚生年金保險、
失業保險、
労働者災害保險、
船員保險、こうい
つた強制による
社会保險は、その
内容が
長期給付であらうと
短期給付であらうと、これを一本の
制度にコンソリデート、統合しなければならないということであります。一方又一
般國民に対する、すべての
國民をも加入せしめるという
意味の
社会保險は、現在行われておりまする
國民健康保險、これは
御存じのように
農山漁村の一般の人々、つまり
自営者と申しまするから
強制保險に入らない
人たち、つまり雇われていない
人たち、こういう者を対象として、任意に設立された
組合で以て健康を保持して行こうという
組合でありますが、こうい
つたすのを
市町村運営の下に、從前より以上に適確に運営して行くというザゼスションを受けております。つまり
日本の取敢えずの組立てらるべき
社会保障と申しまするものは、今ありまする
社会保險を統合して一本にした
制度と、もう
一つは
國民健康保險を強化したものとこの二本の上に組立てらるべきであるということを
勧告しておるのであります。これは
制度の在り方についての
勧告でありますが、その外はこうい
つた以外の
社会保障に関する仕事は厚生省において
取扱つた方が適当であるということが謳
つてございますことと、昨年十二月か議会を通りました
社会保障制度委員会でございましたか……、
審議会でございますか、
内閣同列の、強力なる政府に
勧告することも可能であるところの、而も
國会議員をも含めた強力な
審議会を作らなければならんということ、それから又、我が國で今まで非常に欠けてお
つたところの被
保險者の声というものを反映せしめた
審査請求制度というものを確立しなければならんということ
あたりが、大体主な
勧告であります。この
勧告の
内容につきまして実際にすでに実施しておるものがあるのであります。最後に申しました人民の声を反映しなければならないという
審査請求制度と申しまするものは、すでに一昨年末
あたりから
レフェリー制度と申しまするものが全國的に確立いたしまして、
レフェリーと申しまするというと挙鬪の試合に出て來ますあの
レフェリーと同じ
言葉でありますが、
アメリカではこの
レフェリーという
言葉を使
つております。我々には余りぴんと來ませんが、又この
審査請求制度の係官のことを
イギリスではアムパイヤーと読んでおります。いずれにしましても簡易にお互いに言うことを
聞合つててきぱきと処理して行こうというものが主眼であります。かようなものが
日本の
社会保險の各部門にできておりまして、不服の者はどんどん愬える、誤
つた決定を受けた者はこれを是正して貰うことができるようにな
つておるのであります。又御承知のように
國民健保險は昨年の改正によ
つて市町村に運営させるという
方向に切替えまして、從前は
組合を設立してその
組合がや
つて行こうというのでありましたが、それでは弱いからというので、
市町村の
國民健康保險というものに切替えましたから、この
勧告書のある部分はすでに実行済であるとも言えるのでございます。それから先程申上げましたこの
勧告書の性格でございまするが、この性格その他につきましては、
アメリカの方でも余り言
つておりませんし、我が國の方面では勿論余り説がないのでございまして、その性格如何というものを私共随分疑問に思
つてお
つたのでありまするが、最近私九州の方へP・H・Wの
國民健康保險の係をしておりまする人と一緒に旅行しましたが、その講演の中でかような
言葉が出ておりましたので、まあこの性格を掴む
一つの参考になると思うのであります。その講演の中で……、この
勧告書の中で言
つております
言葉は次のようなものでありました。それはこの
勧告書は
日本國民に対して指導と参考になるであろう、それからこの
勧告書は法律でもなければ規則でもない、而もこれを押付けるものではない、これは
日本がこれから
社会保障を組立てて行くのに対して直面するであろういろいろな困難な諸問題を如何に解釈し、如何に解決して行くかということに対する米國における專門学者の意見を集めて編集しておるところのものである、かように言
つておるのでありますから、
意味の……精神に從
つて御解釈願いたいと思います。それから先程もちよつと申上げました第二回目の
勧告と申しますのは、この性格は甚だはつきりしておらんのでありますが、どうも私の推測いたしまするところ、或いはP・H・Wから片言隻語を聞いておりますところを総合いたしますると、この前に出した
勧告書というものは
社会保障の医療の組織をいわゆる政府側のお医者樣なり技官なりの方々が組立てた案である、それだけでは甚だワン・ザイド・ゲームに終る虞れがあるから一方的であるから、これは業者であるところのお医者樣の御意見も尊重しなければならないという趣旨から
アメリカの
勧告團を、
調査團を
アメリカのお医者側の
調査團を、開業医側の
調査團を
日本に呼んでその
人たちの意見を聞いて置こうという
意味からではなか
つたのであろうか、又その
内容におきましても言いたいと思うことを一應言わせようと、從
つてその今度出ました第二回の
勧告書におきましては、第一回の
勧告書に書いてありまする
社会保障の医療組織については少しく反駁しておるところもあり、氣の入らないと明らかに言
つておるところもありまして第一回に出ました
勧告書は皆樣方のお手許に
行つておりまする非常に厖大な裏附のあるものでページ数にいたしますと、
日本の本にいたしますと、確か三百ページか四百ページになりましたが、字引然たる本でありますが、この二番目の開業医の出しました
勧告書は
日本語に印刷いたしますと、十数ページぐらいパンフツト級のものでございまして、
内容の裏附も数字等も一字も載
つておりません。單に
日本の全体主義的な傾向というものを非常に非難しておりますことと、医療の組織というものは
民主主義的
方向に組立てられるという点についてのみ我々が賛成するんだとい
つたようなことが軽く書いてあります。さようなわけで而もこれは
マツクアーサー元帥から総理大臣に手交されたものではなくてP・H・Wの局長であられるサムスさんから
マツクアーサー元帥に差出しまして
マツクアーサー元帥から
日本の関係者側という
言葉を使
つてあ
つたかどうか知りませんが、関係者側に配るものであるというところから勿論厚生省も頂きましたが、
日本医師会等にもまあ貰
つておりますわけで関係者に結局配
つた勧告書と申しますま昼
報告書なのでございますわけで関係者に結局配
つた勧告書と申しまするか
報告書なのでございます。從いまして、保健局といたしましてはどちらかと言えば参考になる
勧告として受取
つておるとい
つたような程度ではないかと思
つております。さようなわけでありまするので、二番目の
勧告書と申しまするものは、これは我が國の医療関係者並びにこれが組織しておる團体とい
つたようなものにと
つては非常に参考となるのではないかと思
つております。最後に申落しましたが、
アメリカから受けましたる
勧告書は、今申上げましたような性格及び
内容を持
つておるものでありまするが、私が世界各國の、各國と申しましても深く見たわけではございませんが、私も本の上で見ましたもので、或いは大使館とか渉外関係、
日本にありますところのものを尋ねた知識に過ぎないのでありますが、そうい
つたものを見ますると
社会保障として最も完成された姿のものを、
日本に
勧告しておるものではなくて、大体において現在
アメリカにおいて行われておる
社会保障、これも明日当り
アメリカの
社会保障を御説明いたしますときにお話いたしまするが、比較的未発達の状態にある
社会保障の第一段階と申しましようか、そうい
つた程度の
社会保障を
日本で実施してはどうか、計画してはどうかというようなことを
勧告しているものと解釈いたします。これは
イギリスのような完成した
制度を持
つておりまする國から見ましたならば、非常に程度の低いものであるかも知れませんが、
勧告書に明らかに書いてございまするが、
日本のような敗戰、而も経済的に非常に困難にな
つておる國が組立てる
社会保障制度としては遺憾ながら急に
イギリスのような完成したものにピヨンと飛び上るということはでき得ない、從
つて第一歩、第一段的な
社会保障から段々に進んで行かなければならんという
意味から、
アメリカは大体我が國に対しても、自分の國の
社会保障制度、いまだ完成しておらない
社会保障制度の、この程度で行
つたらどうかということを
勧告したのではないかと思
つております。或る
意味において
日本の経済状態というものを非常に考慮された親切な
勧告であるとも言えるわけでありまするが、これはまあ私共
社会保障に首を突込んでおる者から見ますと理論的には甚だ食い足らないと言いますか残念に感ずるところがあるのでありますが、これは
イギリスの大使館でも言
つておられますように、我が國の今日あるは結局今まで三十年という
社会保險の歴史が除々に発達して、初めて今日の完成した姿があるのであ
つて、一朝一夕に決してできたものではないということを盛んに言
つておりますから、そういう
意味から申しますならば、
日本では
健康保險が僅か二十年の歴史がありますが、その他の
失業保險とか、労災とか、或いは
厚生年金のごときは、短い年月しかないのでありますから、少くとも
イギリスのごとき三十年の歴史を持つ完成して脱皮した
社会保障というものを、急にこれをそのまま受入れるということはやはり不可能なことではないかと思われますので、やはり
アメリカの
勧告しておりまする程度のものが非常に適当なのではないかと考えられます。
以上大体
社会保障の基本的な理念の若干と、今回我が國が受取りました
勧告書についての説明をよつと申上げました。五分間ばかり休まして頂きまして、現在世界の注目の的にな
つております
イギリスの
社会保障の
内容を、持
つて参りました写眞、その他を御覧願いながら御説明したいと思います。