○
中崎敏君
日本社会党を代表いたしまして、
内閣総理大臣並びに各閣僚に対し
質疑を試みんとするものでございます。
吉田内閣総理大臣の
施政演説を聞きましてこの
非常時局を突破するだけの
用意と
施策のないことにつきまして唖然たらざるをえなかつたわけでありますが、以下各項目にわたりまして、いささか
質疑を試みたいと思うのであります。
まず、
政界、
官界、
財界の
浄化についてお尋ねいたします。
吉田総理大臣は、
自分に非違があるならば
自分のからだを縛れということを言うております。しかしながら私は、
政界、
官界、
財界の
粛正をするならば、第一にまずみずから
自分のからだについて、十分にその
懸念があるかどうかということを
考えなければならぬと思うのであります。(
拍手)と
かく世間には
吉田首相自身についていろいろな批評のあることを承
つておるのであります。(
拍手)さらにまた、
炭鉱國管問題を中心とし、あるいはまた
昭和電工事件の場合におきましても、その疑獄は、この
吉田第一次
内閣のときに始ま
つているということが言われているのであります。さらにまた
繊維事件について
考えてみましても、某前大官にもまた大きなる
疑惑が存在しているということが言われているのであります。
わが
社会党は、
綱紀粛正のために、西尾君の
不祥事件に対しましては、除名をすることによ
つて罪を
天下に謝すとともに、さらにまた
党自体の
粛正を断行しているのであります。
民主自由党の中にも、前
幹事長のごときは、遂にこの
疑獄事件に関連いたしまして、一時はとらわれの身と
なつた事実があるのでありますが、わが
社会党の
行つた態度とは異にして、
吉田内閣組閣のときにおきまして、この
幹事長が出て來るまで
内閣の組織を延期する、この
内閣をつくる喜びをともに味わいたいというふうなことを告白しているという事実があるのであります。はたして、
かくのごとき心境をも
つてして、
政界の
浄化廓清ができるかどうかということについては、多大の
疑惑をさしはさむものであります。さらにまた、今回問題とな
つております
ところの
田中角榮君の逮捕の件につきまして、
首相は
法務政務次官という重要な
立場に
指名をしているわけでありますが、これに対して、はたして
首相はいかなる
責任を感じておられるかということを、お尋ねしたいものであります。
次にまた、
炭鉱國管は
天下を衝動する
ところの大きなる問題であるのにもかかわらず、いまだ遅々としてこれが進んでいないということは、われわれは
選挙を前にして、
党利党略のためにこの重要なる
官界の
粛正を実行しないのではないかというふうな氣持さえ持つものでありますが、
炭鉱國管の現在の調査の状況はどうであるか。さらに、総
選挙前においてこれを公にして、その黒白をはつきりさせる
ところの意向があるかどうかを、お尋ねしたいと思うのであります。
次に、
民主教育の
徹底についてお尋ねしたいと思うのであります。
民自党の言う
ところのいわゆる
自由主義というものは、アダム・スミスの言う
ところの
個人の
自由放任の
主義に立脚しておるものと思うのであります。
ところが、
個人の自由は遂に弱肉強食となり、いわば
個人を
立場とした
ところの自由であ
つて、
個人主義的な
立場に立
つておるのであります。わが
社会党の主張する
ところのいわゆる
社会主義は、自由というふうな、こだわつた
考えでなしに、さらに自由の上に
平等観念の上に立
つておるのであります。ある一部の人が、自己の利欲を満足させるがために、どこまでも強く主張し、か
つてな行いをやろうとするのが
自由主義であるわけであります。
ところが、
國民全体が相携えて行こうとする
ところの、いわゆる
平等観念の上に立
つておる
ところの、この
社会党の
主義をも
つてするのでなければ、眞の
民主主義の
確立はなし得ないと
考えておるのであります。
この点に関しまして、民主党では、いわゆる眞の
自由主義ではいけない、さらにこの
自由主義にある制限を加えて、
國家社会のために中道を歩む
ところの
考えをしなければならぬというふうな、いわゆる
修正資本主義というものが唱えられるようにな
つたのでありますが、
社会党は、さらにこれを一歩進めて、いわゆる
社会全体の上に立
つて社会全体の
利益を確保しようという
社会民主主義を唱えておるわけであります。これこそ眞の
民主主義であると
考えるのであります。しかるにもかかわらず、
自由党は依然として
保守反動の
考え方の上に立
つておるのでありまして、これをも
つてすれば、
國民全体の
利益の上に立つ
ところのいわゆる
社会民主主義の
確立はなし得ないのでありますが、はたして
吉田首相の言う
ところの
民主主義なるものは、わが
社会党の主張するような
社会民主主義のごときものを
意味するものかどうかを、お尋ねしたいと思うのであります。
吉田首相は、口を開けば
民主教育の
徹底と
言つておりますが、その行う
ところと言う
ところとは、まつたく雲泥の相違があるということを、われわれは認識しなければならないと思うのであります。
まず第三
國会におきまして、
施政の
演説をやるかどうかということについて問題とな
つて参りました。まず
施政方針の
演説をやるということは、
歴代内閣の
慣例である。さらにまた
吉田内閣は、
組閣以來、何ら
國民に対して
政見の発表をしていないのであります。いやしくも
非常時局に立
つて政見を担当するからには、いかなる
政策をも
つてこの
危機を突破し、さらに
國民生活の安定をはかるかということを
國民の前に発表するのが、新しい
憲法政治における
根本の原理であり、さらにこれは、古い
憲法下におきましても、
日本の
憲法政治を通しての
慣例であ
つたのであります。この
慣例を破
つて、そうして独善的に、しかも
國会の決議を無視いたしまして、遂に
施政方針演説をやらないで
終つたのであります。
組閣方針演説をやるということは、
國民とともに
政治をやるということであります。さらに
國会を通して、
國会議員の
協力のもとにこの
時局を突破するということであります。それがなされなかつたという
ところに、実にわが
憲法の
運用の上において
一大汚点を印したものといわなければならぬのであります。
吉田総理大臣は、
施政方針演説をやらない
理由として、第三回
國会は
公務員法制定のために召集された
ところの
國会であるということを、
唯一の
理由としているのであります。
ところで、第三
國会におきましては、決して
公務員法だけが
審議されたわけではありませんで、そのほかいろいろと、直接
公務員法に関連のない
ところの
法律案が
審議されたことは、すでに皆さん御承知の通りであります。さらにまた、これと関連する
ところの
賃金ベースに関する
予算のごときも、ただ單に
賃金ベースだけの問題ではありませんで、
災害復旧の費用、あるいはまた
終戰処理費といたしまして、百二十億の
厖大なる
予算を含んでおるのであります。
國民は、この
終戰処理費がいかなる形において処理されるのか、さらにまた今後いかなる形において支出されるのか、ひとしくこれを知らんとしているのであります。これらの重大なる
予算が、
賃金ベースのほかに一括して提案されているでありますが、これらに対する何らの言明を聞き得ないということは、われわれのきわめて遺憾とする
ところであります。
さらにまた
民主自由党は、
野党のときにおきまして、
臨時國会召集の
理由といたしまして、
公務員法の
審議と同時に
取引高税の
審議を要求しているのであります。
ところで、第三
國会になりまして、しかも
吉田内閣において、この
取引高税を遂に提出することができなか
つたのであります。そのほか米の供出後の
自由販賣のごときも、この
内閣において、しかもこの端境期において、とうていこれがなし得ないということは、火を見るより明らかでありまするが、これらの点についてなし、得なかつたという
ところの
理由を
國民に廣く宣明する必要があるわけでありまして、これらもまた
國会を通じてなさるべきものであると信じて疑わないのであります。それに対しましても、ほおかむりの
手段に出まして、遂に
施政方針演説をやらなかつたということは、非立憲もはなはだしいということが言えるのであります。はたして、これによ
つて民主教育が
徹底し得るかどうかということについては、多大の疑問を有するものであります。これらの点につきまして、
施政方針演説をやらなかつたということは、わが
憲法史上における悪例であるということを、
吉田首相は認められるかどうかということを、ただいま申し上げましたような
理由を御承認の上で御答弁願いたいと思うのであります。
次に、
連立政権のあり方についてお尋ねいたします。
吉田首相は、
主義主張を異にしている
政党が
連立内閣をつくる場合においては、
國家再建を妨げるがゆえに、
片山内閣のときにおいても
民主自由党は入閣しなかつたということを言うておるのであります。
ところで、幣原
内閣、あるいはまた第一次
吉田内閣におきましても、同じように
主義主張を異にした
ところの
政党が
内閣を形づくつたことは明らかであります。その場合においては何らかのごときことに言及せずして、
片山内閣並びに
芦田内閣に対してのみ攻撃を加うるがごときは、理論の矛盾を來すものといわなければならぬのでありますけれども、さらにまた
片山内閣のことにおきましても、
民主自由党は
挙國政権を樹立することによ
つて危機突破をする必要があるということから、最初四
党政策協定をつくり、さらにまた各
大臣のいすの
割当まで決定したのであります。しかるにもかかわらず、ある事情に基いて、遂に四
党政策協定を破棄することによ
つて内閣に加わらなか
つたのでありまするが、これは
主義主張を異にする
ところの
連立政権が
國家の
再建を妨げるという
理由でなしに、ただ感情的の
理由に基いて
片山内閣に加入せなかつたということは、明らかなる事実であります。はたしてこれが事実であるとするならば、
吉田総理大臣が先日
國会において言明した
ところの、
主義主張を異にする
政党が
連立政権をつく
つても
國家の
再建を害するということとは、大いに異なることがあると言えるのであります。
吉田首相の言うがごとく、
主義主張を異にした
政党の
連立政権が
國家の
再建を阻害するという
考え方から、
吉田内閣は
單独内閣であります。
ところで、この
單独内閣において、二箇月間の今日まで、はたして何をなし得たかということを
考えてみたならば、やはりこれは一面において、
日本は
占領政策のもとにおいて、しかも
日本の
経済は、そう簡單に、單純にこれが克服し得ないということが、明らかに示されるものと思うのであります。現在画策中であるといわれる
ところのいわゆる
保守連立も、やはり
主義主張を異にした
ところの
政党であるわけでありまするが、これも、ただ單にいわゆる御都合
主義で行われているものと
考えなければならぬのでありまして、こういうふうな点から
考えてみましても、依然として現在の
段階において、
主義主張を異にした
ところの
政党といえども、ひとしく
國家の
経済を
再建するという大乘的の見地に立つならば、やはり必要も認めなければならぬということが言えるのであります。
以上のような
意味におきまして、私たちは、ただ
單独内閣が
時局を拾収する上において最善のものであるということは理論的には認めますが、現在の
段階において、そうした
ところの理想が容易に実現するものではないということも、
吉田首相みずから認識していることと
考えるのであります。
次に、
憲政の
常道について尋ねてみたいと思うのであります。
片山内閣から
芦田内閣に移りましたときに、
民自党の諸君は、いわゆる
政権たらいまわしだと
言つてこれを非難いたしました。はたしてそうであるならば、幣原
内閣から
吉田第一次
内閣に移つたときには、
政権たらいまわしでなかつたかどうかということを、尋ねてみたいものであります。さらにまた、
白票を投じたということにつきましても、いかにもこれが非立憲的であるかのごとき言辞を弄しておるのでありまするが、これに対しましても、われわれは、きわめて冷静に、あらゆる
立場を
考慮の上においてなしたものであります。
憲政の
常道というものは、はたしてどういうものであるか。すなわち、
反対党の第一党に
政権を渡すことが
憲政の
常道であるかどうかということを、靜かに
考えてみなければならぬのであります。これは、今までの
日本の
憲法史の上においても、あらゆる
政権が
野党第一党に渡されておるという
慣例は何ら見出し得なか
つたのであります。新しい
憲法に基きますと、
國会の多数によ
つて選出された者が
内閣の
首班となるのでありまして、はたしてしからば、
野党第一党である
ところの
民主自由党が、
國会の多数を制し得るだけの
政策を持ち、しかも眞に
國会の
運用の上において、われわれの
協力を得るだけの
政策であり得たかということを、みずから反省しなければならぬのであります。われわれは、
保守反動の
政党をも
つてしては、とうていこの
時局を乗り切り得ないという
ところの
見通しの上に立
つて、しかも、その
保守反動の
代表的存在は、当時の総裁である
ところの
吉田氏であるということを認めましたがゆえに、この人に対する
ところの
指名はとうていなし得ないという観点に立ちまして、遂に
白票を投じたわけであります。
片山内閣並びに
芦田内閣は、あらゆる努力をして
経済突破のために盡して参
つたのでありまするが、遺憾ながら、
政界の
腐敗防止の
意味におきまして、
不祥事件の
責任を負うて遂に辞職したからには、再びまた
内閣を組織することは当を得ないと
考えたわけであります。さらにまた、はたしてそうであるからとい
つて、
保守反動である
ところの
吉田氏に
首班の
指名をすることは、われわれの
観念が許さないということによ
つて、ここに
白票を投ずるよりほかに
方法はなかつたということを、明らかにしておきたいと思うのであります。
次に、
経済財政一般についてお尋ねしたいと思うのでありまするが、
日本経済は、現在興亡の岐路に立
つておるのであります。
國民は、
日本の
経済が今後いかなる
方向に進みつつあるのか、さらに
國民の
生活はどういうようになるのかということについて、深い関心と
懸念を持
つておるのであります。
片山内閣の当時におきましては、いわゆる
経済白書を発表いたしました。
日本経済財政のあるがままの姿を率直に公表することによ
つて國民の
協力を得たのでありまするが、
吉田内閣におきましても、やはり同じように、
産業経済の実態に即した
ところの
経済白書のごときものを公表することによ
つて國民の
協力を得る
ところの
用意があるかどうかということについて、お尋ねしたいと思うのであります。
次に、
來年度の
予算は実に
厖大なものを予想されるのでありまするが、その
予算の
見通しについてお尋ねしたいと思うのであります。
物價も
相当にでこぼこの
状態にあるのでありまするし、
経済も
相当に困難なる事態に置かれておるのでありまして、さらに今後
予算編成の上におきましては、酒、
タバコ、
汽車賃あるいは
郵便料金の
値上げを再びやられるようなことがあるのかどうか。新しい
予算編成の上において、さらにこの新
物價改訂の上にこれらの
予算が編成されるのかどうかというふうなことについて、答弁を煩わしたいと思うのであります。
さらにまた、
補正予算におきまして四百十億の
水割り所得税を計上しておるのでありまするが、それでなくとも
國民は、
租税の
負担に耐えかねて、これ以上の
負担がかかるからには、とうてい納税をなし得ないというふうな、
怨嗟の声が至る
ところに起
つておるのであります。これに加うるに、さらに四百十億の
厖大なる
租税が、しかも
水割り形において課せられる場合においては、とうていこれでは
國民が
負担に耐え得ないというふうに
考えられるのでありますが、はたして
政府は、これに対して円満に
徴税がなし得ると
考えておられるかということについて、質問したいと思うのであります。
今回の
補正予算における
租税収入のほとんど大
部分は、いわゆる
大衆課税の形において
勤労大衆に課せられるものであります。ことに
配給タバコの
値上げのごとき、ひとしくその日の
生活に困
つておる
勤労大衆に対する大きな
負担とな
つて現われて参るのであります。さらにまた、
租税の徴收の上におきましても、いわゆる天くだり的な
徴税の
方法として、
國民ひとしくこれに対して
怨嗟の声を放
つておるのでありまするが、
政府は
租税の
徴収の上において、さらにその
徴税の
方法あるいは
徴税の機構について、一段の
考慮を拂われる
考えがあるかどうか。さらに、民主的な
方法によりまして、いわゆるその
協力機関を設けまして、この件について公平なる判断をなし得るかどうか。
異議の
申立てについても、迅速的確に、しかも適正
に、これらの
機関の御意見を聞いて、これを実行する
考えがあるかどうかということについて、具体的な方策を示していただきたいと
考えるのであります。
ただいまのように、
追加予算によ
つて実に
厖大なる
租税の
徴収がなされなければならぬのでありまするが、本年末から來春にかけて、再びまた
租税の
更生決定がされることになろうと
考えるのであります。このときを契機として、いわゆる
税金闘争が猛烈にな
つて参るのでありまして、一部の勢力をこれによ
つて跳梁跋扈せしめるようなことがないとも限らないのであります。
政府は、
徴税の上におきましても万全を期しまして、公正なる
割当、さらに適正なる取立という
方向において努力されんことを望む次第であります。
次に、
來年度の
予算に対処するがために、
政府は
名目財産税を設置する
考えがあるかどうか、ということについて尋ねてみたいと
考えるのであります。すなわち
租税の大
部分は、いわゆる
勤労大衆に対して、しかもそれが過重なる
負担の形において現われておるのでありまするが、
終戰以來、いわゆる
経済の妙な混雜に乘じまして、一部のには不当なる利得をしておる者もある。さらに大口の
利得者、さらに
脱税等によりまして、富の均衡は著しく失われておる現状にあるのであります。
政府は、この際
名目財産税のごとき、
財産の
実体に触れないで、しかも
財産に対して軽度の
税金を課することによ
つて、
財産並びに
所得の所在を確実に調査し、そうしていわゆる
所得税の
補完税として、税制の上において万全を期する
ところのお
考えがあるかどうかということについて、尋ねてみたいと
考えるのであります。
一部の論者は、
名目財産税を設けることによ
つて再び
換物傾向を生じ、やがてはまた
インフレ助長の原因となるであろうということを、
唯一の
反対理由としておるようであります。われわれもまた、いわゆる
換物傾向の
助長によりまして、
インフレ助長を望むものではもちろんありません。けれども、やはり
換物傾向の現れわれて参ります度合いは、今までのごとく
食生活のきわめて不安定な、さらに
國民生活の不安固なときにおきましては、この
傾向はきわめて濃厚でありまするが、漸次
インフレも終息の
方向に進みつつあり、さらに
食生活の面におきましても、あるいは物資の面におきましても、漸次増加の一途をたどり、さらにまた
通貨も漸次その信用をとりもどしまして、そうして
預金も漸次増強の形に進みつつあるのであります。
かくのごときどきにおきましては、その
施策よろしきを得まするならば、
換物傾向もあえて恐るるには足りないというふうな
状態になるのではないかと
考えるのであります。
ことに、この際注意せなければならぬことは、まずたとい新円の
措置がありましても、あるいはまた新
円措置に付随いたしまして
預金の一時的の
措置をするにいたしましても、新円の
措置をすることによ
つて自分の
財産は決して減るものでないということを
國民に普及
徹底せしむる必要があるのであります。あるいは一部に
考えられておりまするように、
通貨の
措置をするならば、それだけ
自分の
財産が減るがごとき錯覚を起しておる
ところに、いたずらに
換物傾向を
助長するおそれがあるのでありますが、これは眞に
経済の
実体を把握しない
ところにその誤解があるわけでありまして、
政府は、この面に十分の力をいたし、
経済知識普及の上において、さらに
貨幣通貨に対する
ところの正しき認識を得せしめることによ
つて、
換物傾向は著しく緩和せしむることができると信ずるのであります。
かくのごとき
予備工作を十二分に施した上においてこの
名目財産税を設けることによ
つて一面
財源の
不足を補い、さらに富の分配を公平にすることによ
つて社会政策の目的を達し得る、いわば一石二鳥の
手段となるのではないかと
考えておるのであります。
次に、
來年度予算に対処するために、
政府はあらゆる
経済社会政策実行の上に、さらに
予算の
不足を補う上において、
薪税を設けられるお
考えがあるかどうか、ということについて質問したいと思うのであります。
次に、
取引高税について質問したいと思うのであります。これはしばしば問題とな
つておりまするが、これについて、いささか私見を述べながら
政府の所信を尋ねてみたいと思うのであります。
民主自由党は、
野党のときにおきまして、
取引高税に反対しております。そのときにおきまして、
財源を
用意して、そうして
修正案をすでに出しておるのであります。
ところが、今日
自分が
政権をと
つて、しかも第三
國会に
取引高税撤廃を提出すべきことをみずから要求したのにもかかわらず、ついに
取引高税の
撤廃をなし得なか
つたのであります。
泉山大藏大臣は、
藏相就任早々、
取引高税の
撤廃は、あれは
野党のときに言うたので、
自分が
政権を
とつたときには、またそれは違うのだ、というふうなことを言うたということが
新聞に明らかにな
つておるのであります。もし、そうであるとするならば、
民主自由党と
泉山大藏大臣との間には、
責任観念の上において著しき差異があるということが言えるのであります。さらにまた、先日
泉山大藏大臣は
取引高税を
撤廃する
ところの
根本にはかわりはないということを言うておるのであります。
ところで、
來年度における
取引高税の
予定額は四百億以上になるのでありまするが、この四百億に上る
ところの
厖大なる
税金にかわるべき
財源を何に求めようとするかということについて尋ねたいと思うのであります。
本日の
新聞によりますと、
民主自由党は、
手形税を設けて、手形に対して一%程度の
税金をかけるということを言うておるのであります。わが
社会党におきましても、か
つては手形、小切手等に対して軽度の
税金をかけるということを主張したものもあ
つたのでありまするが、しかしこれは、これがために信用を阻害する
ところの弊害がいかにも大である。ようやく
通貨の信用をとりもどし、そうして取引も、手形、小切手によ
つて相当流通し、ようやく信用取引の流通秩序が
確立されるその緒についたときにおきまして、手形に対する課税をするということは、はたして信用
助長の上において、さらに
國民経済向上の上において大きな弊害を流すものではないかということに思いをいたしたがゆえに、
社会党といたしましては、現在これを断念しているのであります。すなわち、物の生産第一
主義を唱えている
ところの
民主自由党において、そのたての反面をなす
ところの信用の上に著しき障害を來すならば、物の生産の上においても大きな障害を來すべきことは火を見るよりも明らかでありまして、金融界において育つた
ところの
泉山大藏大臣が、はたしてこの説に賛成するかどうか。しかも金融界全般として、さらに
経済界全般として、はたして
かくのごとき
主義に賛成をするかどうかということについて、多大の疑問を持
つておるのでありまするが、この点に対しまして、
泉山大藏大臣の明快な答弁を要求するものであります。
社会党といたしましても、
取引高税がいかにも悪税であるということは、とくに百も承知のことであります。それにもかかわらず、
日本の
経済財政の実情が、この
取引高税によ
つてまかなわれるよりほか道がないという
ところの現実に即して、これをやむなく承認して参
つたのでありますが、できることならばこれを
撤廃したいということは、腹一ぱいであります。
ところで、先ほどから申し上げましたように、できないことを、いかにもできるがごとく、
國民を欺瞞するということは、
責任のある
政治家として、しかも
責任のある
政党として、なすべきことではないのであります。わが
社会党は、
取引高税の改廃を主張
して参りたいと思うのであります。
しからば、いかにして
取引高税を改廃するかと申しますると、まず第一に、
取引高税は、取引の個々の場合において、しかもあらゆる
段階に
税金が課せられるがために、取引の円滑を害するということにおいて非常な不都合な点がありますので、むしろこれを物品税のごとく、いわゆる生産に対する課税、いわゆるメーカーに対する課税あるいは原料・製品課税というふうな形においてこれを改むべきではないかというふうにも
考えておるのでありますが、さしあたりパーマネント、あるいはまた塩十物、種苗、大衆食堂における食事料、こういうふうなものに対しましては、むしろこれを免除することによ
つて大衆に対してはできる限りこれを課税せないというふうな
方向に進むべきものだと思うのであります。先般の大藏
委員会におきましても、この方針を決定して参
つたのでありまして、当時
民主自由党の委員の諸君も、これに賛成しておられたのであります。
民主自由党といたしましては、
取引高税の
撤廃を公約しておる建前上、こうした一部的な修正は、いかにも
民主自由党が
取引高税の
撤廃をやらないというふうに
考えられ、それが來るべき
選挙に惡影響を及ぼすというふうな
党利党略の
考え方から、これを実行されないというふうに、われわれは耳にしておるのでありますが、むしろこの際、最も手軽になし得る
ところの、ただいまのようなことだけでも、まず改正する必要があると思うのでありますが、大藏
大臣はどういうふうに
考えておられるか、この点について答弁をお願いしたいと思うのであります。
次に、地方財政に関する問題につきまして、一言尋ねたいと思うのであります。近時、地方の
負担も漸次その極度に達しまして、現在地方の財政は窮乏のどん底に追われておるのであります。
政府は、今後この地方の窮乏を救うために、いかなる
施策を施さんとするか。今までのごとく、依然として配付税中心で行こうとするのか、あるいはさらに地方に新しい
ところの
財源を與えることによ
つて地方財政の
確立を期そうとしておるか、これらの点について答弁を願いたいと思うのであります。中央と地方との財政を適正に調整するということが刻下の急務であると
考えておるのでありますが、この点についていかに
考えておられるか、お尋ねしたいと思うのであります。
次に、企業の三原則について申し上げてみたいと思うのであります。企業の三原則でありまする、いわゆる價格差補給金は出さない、
物價を引上げない、赤字融資をしないということであります。
経済のきわめて混乱しておるときにおきまして、この三つの原則を嚴格に適用することは、きわめて困難ではあるのでありますが、
泉山大藏大臣は、これに対して、企業の三原則は固く守るということをしばしば言明しておるのであります。
ところで、この價格差補給金は、今回の
補正予算の中に、百十億の價格差補給金と、さらにまた二十五億の船舶運営会に対する補給金、都合百三十五億円の價格差補給金が計上されているわけでありますが、これは
経済の三原則に反するのではないかということを尋ねてみたいと思うのであります。すでにこの原則が破れ、次から次へと、こうして價格差補給金を新しく
予算に計上することによ
つて、この
経済三原則の一つを破るのではないかということについて
懸念を持つものでありますが、これについて、今後の
見通しをお尋ねしたいと思うのであります。
次に
物價対策について申し上げて見たいと思うのであります。すなわち、今回
配給タバコは
値上げされまして、
物價の引上げをせないということの
経済三原則の一つも、またここに破られておるのであります。さらに
來年度の
予算の編成の上において、
汽車賃、
郵便料金、酒、
タバコ等が大幅に
値上げされるのではないかということを
懸念しておるのでありますが、この点についても、大藏
大臣の明確なる答弁を願いたいと思うのであります。
次に、
物價体系についてお尋ねをしてみたいと思うのであります。すなわち
泉山大藏大臣は、賃金の安定の伴ない
ところの
物價の改訂は失敗に帰したいということを言うております。
ところで、私の見る
ところによりますと、
物價体系の
確立によりまして、第一次
吉田内閣のときにおいて、しどろもどろと
なつた
ところの
物價政策というものが
確立され、生産増強の態勢がようやくここにでき上りまして、今日のごとき
インフレ安定の
傾向にまで進みつつある基礎をつく
つたのは、一にかか
つて、こうした
ところの
物價体系の
確立よろしきを得たという
ところに存するのでありまして、これをも
つて決して私は失敗に帰したとは
考えていないのであります。こういう
意味におきまして、賃金の安定はもちろん必要ではありますが、必ずしも賃金の安定を絶対條件としなくても、
物價体系よろしきを得るならば、やがては流通秩序も
確立せられ、物の生産も漸次増加せられ、これによ
つて勤労大衆の
生活も安定し、ここにまた賃金の安定も期し得られるのではないかというふうに
考えておるのでありまして、こういう
意味におきまして、
泉山大藏大臣といささか所信を異にするものでありますが、この点について、さらに
泉山大藏大臣の所信を承りたいと思うのであります。
泉山大藏大臣は、
物價を引上げせないと
言つておりますけれども、その後の情勢を
考えてみますと、漸次物資も増産されまして、物によ
つては、むしろ公定價格を下まわ
つておるものもあります。さらにまた、公定價格では配給されるが、むしろそれによ
つて十分の利潤をかち得ておるものもあります。言いかえれば、不当の利潤を得ておるものもあるのであります。さらにまた、
物價に著しきでこぼこがあるわけでありまして、物によ
つては、むしろ公定價格の引下げの必要のあるものもあるのであります。こういうふうなことを総合的に
考えてみますならば、むしろこの際
物價を再檢討する必要があるのではないかとさえ
考えておるものであります。
さらにまた今後外國為替のいわゆる一本建になるというふうなことが氣構えられておるときにおきまして、國内における物資需給の点のみから割出された價格
政策の上において
は、この際思い切
つてこの体系を改訂する必要があるのではないかと思うのであります。すなわち、今後為が一ドルかりに二百七十円に定められるとするならば、
日本の輸出は深刻なる打撃を受けるのであります。すなわち、かりに一ドル二百七十円と仮定するならば、
日本の輸出品の六割ないし七割は遂に輸出できない
状態に追いやられるであろうと
考えられるのであります。さらにまた、これが一ドル三百五十円に換算されることになりますならば、
日本の輸出品の約四割方が遂に輸出不能に陥るのではないかというふうに
考えられるのであります。われわれは、
日本の
経済の自立を
考えるがゆえに、
吉田首相の言うごとく、生産の増強はもちろん、輸出に重点を置かなければならなぬということになるのでありますが、これに対しましては、この際國内の
物價の体系を輸出に適合するがごとく、さらに一本建の為替ができるためには、これらの対策を十分に打立てる必要があると思うのでありますが。こういうふうな
意味におきまして、むしろこの際、
物價は全面的に再檢討の
段階に入
つておるのではないかと
考えておりますが、この点について大藏
大臣の答弁を求めるものであります。
次に私は、この輸出入貿易を円滑にするがために、管理貿易のもとにおきまして、いわゆる輸出入商品のプール制を行
つてはどうかということを提案したいと思うのでありますが、この点についての大藏
大臣の答弁を求めたいと思います。
次に、
経済三原則の一つである赤字融資をしないという点について、所見を述べながら答弁を求めたいと思うのであります。
泉山大藏大臣は、融資の
責任を明確にするために復興金融金庫を改組するという
考え方を持
つておるようでありますが、私たちも、もちろん、今日まで復興金融金庫はいわゆる
國策のために利用されていたがために、遂に復金
インフレを起し、さらにまた忌まわしい
疑獄事件まで起すに至つたわけでありますが、いわゆる
國策のために復興金融金庫を使わないで、復金の
経済性、さらに自主制を
確立することによ
つて、採算の合わない事業に対しては金を貸し出さない、さらにまた、それは復金自体の判断によ
つて、いたずらに
政治的に命令を下すことによ
つてこの融資を使わないという
方向に進べきものと
考えておるのであります。この点について
泉山大藏大臣の答弁をお願いしたいと思うのであります。
さらにまた大藏
大臣は、赤字金融はこれを行わないが、金融には彈力性を持たせると言うでおわけであります。赤字金融を行わないということと、金融に彈力性を持たせるということには、おのずからそこに大きな矛盾があるのであります。いわゆる金融の彈力性という言葉の中に隠れて、そして放漫な貸出しをしたのが、いわば石橋財政であ
つたのであります。石橋放漫財政がいかに
日本の財政
経済を荼したかということは、
國民周知の事実でありますが、
泉山大藏大臣も、再びこの石橋前大藏
大臣の二の舞を踏まんとするのではないかということについて、疑念をさしはさむものであります。すなわち、今後金融の円滑化をはかるがためには、
政府はできる限り
預金の増強に全力を注ぐべきものであります。増加した
預金をも
つてこれを産業資金に振り向けることが、眞に健全金融を守るゆえんであるのでありますが、現在
政府としては、この
預金増強のためにいかなる手を打つのか、現在いかなる
施策を講じつつあるのかというこについて、尋ねてみたいと思うのであります。
さらに、中小工業者に対する
ところの金融に対しましては、でき得る限り増強された
ところの
預金をも
つて、これを優先的に貸し出すということが必要であるのであります。もちろん、これらの資金というものは、
國家経済の全体に対しまする
ところの資金に比べれば、きわめて微々たるものであるのでありますが、これに対して、でき得る限りそのわくを廣げて、中小工業優先の
方向にこの金融を推し進めるべきものではないかというふうに
考えているのであります。こういう
意味におきまして、むしろ今後復金の行き方というものは、大きな産業に対する赤字融資あるいは價格差補給の
意味を持つた
ところの融資をするよりも、むしろ中小工業中心の金融
機関として進むべきものであります。これがために使うべき融資というものは、比較的少額で済むのではないかというふうに
考えられるのであります。こういうふうな
方向に進む
考えがあるかどうか。さらにまた中小工業者に対しましては、特別の金融
機関を設けることによりまして、一面融資の円滑化、適正化をはかるとともに、さらに信用保証制度の
確立によりまして、信用資力の乏しい
ところのこれら中小工業者擁護の対策を講ぜられる
考えがあるかどうか、尋ねてみたいと思うのであります。
次に労働対策についてお尋ねしたいと思うのであります。すなわち
政府は、労働の生産性を高揚し、健全なる労働組合の
助長を促すと言うております。まつたくその
考え方には同感であります。
ところで、いかなる具体的な
方法をも
つてこれをなすのであるか、労働者に対する正しき理解を持たない
ところのこの
吉田反動
内閣によ
つて、はたして適正なる労働
政策が
確立し得るやいなやについては、多大の疑問を有するものであります。以下、少しく労働
政策の具体的な問題について尋ねてみたいと思うのであります。
現在、石炭、電産、海員ストその他の労働爭議は、あたかも燎原の火ごとく、次から次へと燃え盛
つているのであります。これに対しまして、
政府は何ら打つべき手を打たない。むしろぼう然自失、そのなすべきすべを知らないといつた方が適切ではないかと
考えられるのであります。
政府は、すみやかにこれらに対しまして適正なる方途を講じ、一日もすみやかにこのストをやめ、そうして
経済再建の上に努力を拂うべきものと
考えるのであります。すなわち
政府は、これらに対して、いたずらに不親切な態度をも
つてすることが、むしろこれらの爭議に対して、より以上その炎を燃やすという結果にな
つているのであります。これについては、あらゆる努力を拂い、適正なる方途を講じて、一日もすみやかにこの爭議の終熄をはかることによ
つて、石炭の増産、さらに電力の適正なる供給、あるいは海員ストの停止によ
つて船舶運営のすみやかなる
ところの改善をなすべきものと
考えるのであります。
政府は、ストに対しまして、融資を停止することによ
つて彈圧しようというふうな心構えがあるということが傳えられておるのでありまするが、この点、はたして事実であるかどうか。たとえば石炭のごとく、
日本経済再建の上に絶対に必要な
ところの、この目標の生産額が、いたずらに融資を停止することによ
つて増産ができないというふうな場合におきましては、
民主自由党の主張しておる
ところの生産第一
主義も、遂にはその目的を達し得ないと
考えられるのでありまして、融資の停止によりましてストを彈圧するというごとき
手段は決してとるべきものでないと
考えておるが、
政府はこれに対していかに
考えておるか。さらに、これらのスト産業に対して融資を停止するとしても、これら関連産業に対して直接大きなる打撃が波及するわけでありまするが、これらに対していかなる手を打とうとするのか、それらの点について質問してみたいと思うのであります。
さらにまた
政府は、いわゆる高能率、高賃金と
言つておるのであります。これは、まつたく私たちも同感でありまするが、現在のごとく、いたずらな賃金のくぎづけには、決して賛成するものではないのであります。現在労働大衆は、その日の
生活にも困るというふうな
状態に追いやられておるのでありまするが、これらの人々に対して、いたずらに賃金のくぎづけによ
つて、そうして
生活を脅威するがごときは、とるべき
手段ではないのでありまして、むしろ私は、労働者の最低
生活を保障する
ところの賃金と、しかもこれに能率給を加味した
ところの賃金
政策、すなわち最低
生活を保障する
ところの賃金スライド制を設けるの
用意があるかどうかということについて尋ねたいと思うのであります。
さらに、官吏の給與ベースについて一言尋ねたいと思います。人事
委員会の提案によりますると、官吏の給與ベースを六千三百七円としておるのでありまするが、
政府の今回
補正予算に盛りました
ところの案によりますると、五千三百円とな
つておるのであります。すなわち人事
委員会におきましては、官吏の最低
生活を保障する上において、さらに民間産業の
賃金ベースを
考慮に入れて、六千三百七円は絶対的に必要なる線であるということを主張しておるのでありまするが、
政府は、
経済財政の点を
考慮して五千三百円を計上したということを言うております。
ところで私は、ここに
政府に尋ねたいことは、人事
委員会の提案と
政府の提案とは、
國会に提出する前において十分の協議打合せをして、一致した
ところの点において
國会に提案すべきではなかつたか。
政府は、これがためにもあらゆる手を打つたかどうか。今後においてさらに打つべき手があるかないか。これらの点について、
政府の意見をただしたいと思うのであります。
社会党は、官公吏の給與ベースを六千六百円と主張して参
つておるのであります。
ところで、これに対しましてわれわれは、今後
予算の修正の形においてわが党の主張を貫徹すべく努力するわけでありまするが、少なくとも、この
政府の二つの異
なつたる案が
國会に提案されるということは、きわめて好ましくないわけでありまして、
政府は、この点の調整にいかなる
責任を持つか、これをいかにせんとするかということについて、明確なる答弁を促したいと思うのであります。
次に、企業の合理化について尋ねたいと思うのであります。
泉山大藏大臣は、企業みずからの自覚と努力によ
つて企業を合理化すべしということを言うておられるのであります。
ところで、
経済の三原則によ
つて明らかなことく、すなわち
物價は
政府が一方的に決定しておるのであります。いかに
経済の実態において
物價の引上げを望んでも、
政府がこの三原則のもとに
物價の引上げまかりならぬということを言うておるからには、これに対して赤字を融資するか、さらにまた價格差の補給をなすのでなければ、とうていその企業は立ち行かないのであります。しかるにもかかわらず、
政府は企業みずからの自覚と努力によ
つて企業を合理化しなければならぬということを
言つておるのでありまするが、ここに一つの矛盾があるということを感ぜざるを得ないのであります。どこまでも
政府は、これに対して一つの指導的な方策を樹立することによ
つて、民間の企業の合理化が円滑に、しかも適正に進められるように指導すべきであると
考えるが、
政府はどういうふうに
考えるか。
さらに、企業の合理化によりまして人員の整理は不可避なこととな
つて参りまするが、これに対して
政府は、その失業者に対する何らの具体策を持ち合せていないのであります。すなわち、大幅の企業の合理化、人員の整理が
民自党の持論であるといいながら、これに対して何ら適当な具体策、すなわち失業対策に対して適当な具体策を持ち合せないということは、いたずらに
党利党略のために
國民を欺瞞するにすぎないと
考えるのであります。さらに岩本國務相が、先般本
会議において声明しました
ところのいわゆる私見なるものは、これは閣議の決定を経たものではなく、來るべき総
選挙を前に、宣傳の具に供したものにすぎないと
考えておるのでありまするが、少なくとも、もう一段と誠意をも
つて、これら失業者に対する
ところの適当なる
施策を講ぜられるように、さらにまた、これについていかなる具体策を持
つておらるるかを、あらためて質問したいと思うのであります。
次に生産対策であります。すなわち、
民主自由党は生産第一
主義を主張しておりまするが、これが実際におきましては、そう口で唱えるがごとく、生産は簡單に向上するものではないのであります。あらゆる努力、あらゆる
施策を傾け、さらに労働者全体の
協力を得て、そうして初めて生産はここにその実を結ぶものであります。すなわち、そういう
意味におきまして、あらゆる
施策をここに傾け盡さなければならないのであります。これについて、少なくとも
民主自由党は、どういう点に重点を置いて生産第一
主義を実行しようとするか、さらに
政府は、これをどういう
方向に進めて行こうとしておるのであるかということについて、具体的に説明していただきたいと思うのであります。 今後の生産のあり方というものは、ただいたずらに量の増産のみではありません。量より質へ進まんとするのが現在の
段階であるのでありまして、いたずらに粗製濫造することによ
つて國家の貴重な物資を濫費することは、この際嚴に愼むべきものであります。量より質への轉換の方策として、
政府はいかなる
施策を施そうとしておるのであるか。さらにまた、重点生産と重点配給とをこの際
徹底することによ
つて、比較的
國民生活に関係の薄い
ところの物の生産は極力抑制しなければならないと
考えておるが、
政府は、この点についていかに
考えておるか。さらにまた、
日本の
経済の
再建、物の生産のためには、たとえば食糧、さらに繊維というふうな
國民生活に欠くべからざるものを確保することによ
つて國民の
生活の安定も期し得られるとともに、さらにやみも漸次下向きになる。物の生産が漸次ふえることによ
つて秩序の
確立をなすことができると思うのでありますが、食糧あるいは繊維の配給増加の点について、
政府はいかなる具体策を
考えておるか。物の生産のためには、これらの点について最も重点を置くことが必要であると
考えるが、
政府の所見ははたしてどうかというとについてお尋ねしたいと思うのであります。