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1948-12-13 第4回国会 衆議院 文部委員会 第6号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十三年十二月十三日(月曜日)     午後二時五分開議  出席委員    委員長 圓谷 光衞君    理事 松本 七郎君 理事 伊藤 恭一君    理事 久保 猛夫君       古賀喜太郎君    水谷  昇君       山名 義芳君    渡邊 良夫君       受田 新吉君    高津 正道君       田淵 実夫君    松本 淳造君       西山冨佐太君    黒岩 重治君  出席政府委員         文部事務官   日高第四郎君  委員外出席者         文部事務官   柴田 政次君         專  門  員 武藤 智雄君 十二月十二日  委員大島多藏君辞任につき、その補欠として唐  木田藤五郎君が議長指名委員に選任された。 同月十三日  委員唐木田藤五郎辞任につき、その補欠とし  て大島多藏君が議長指名委員に選任された。     ――――――――――――― 十二月十二日  藝術大学邦樂科設置請願松本淳造君外四  名紹介)(第九六号)  教育予算増額に関する請願外二件(石川金次郎  君紹介)(第一〇一号)  著作権保護に関する請願圓谷光衞紹介)  (第一二九号) 同月十三日  観光関係出版物用紙割当請願圓谷光衞君  紹介)(第一四〇号) の審査を本委員会に付託された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件   請願  一 教育予算増額に関する請願外十六件(石川    金次郎紹介)(第二七号)  二 山形市立科学研究所における超短波研究費    國庫補助請願海野三朗紹介)(第五    三号)  三 教育金融金庫設置請願黒岩重治君紹    介)(第五四号)   日程追加  一 藝術大学邦樂科設置請願松本淳造君    外四名紹介)(第九六号)  二 教育予算増額に関する請願外二件(石川金    次郎君紹介)(第一〇一号)  三 著作権保護に関する請願圓谷光衞君紹    介)(第一二九号)   陳情書  一 ザビエル來訪四百年記念式典に対し國庫補    助の陳情書(    第二六号)  二 教育予算増額に関する陳情書外一件    (第二    九号)  三 縣教育委員会委員選考費全額國庫負担の陳    情書(第三〇    号)     ―――――――――――――
  2. 圓谷光衞

    圓谷委員長 これより開会いたします。  本日の日程請願三件と陳情書三件となつておりますが、昨十二日本委員会に付託されました請願三件の日程追加をいたしたいと考えます。  それでは藝術大学邦樂科設置請願を議題といたします。紹介議員説明をお願いいたします。
  3. 松本淳造

    松本(淳)委員 藝術大学邦樂科設置してほしいという請願でありますが、これは各委員とも御承知でありますように、学制改革に伴いましていよいよ今度藝術大学ができるわけでありますが、その藝術大学の一学科として、ぜひとも邦樂科設置してもらいたい。こういう意味であります。ところがこの問題は本年の六月当時からの問題でありまして、現に六月七日に東京音樂学校から文部省に提出されました藝術大学音樂部案によりますると、この邦樂科設置が除外されて、主として洋樂專門的なものになる案のように思つておるのであります。從つてそうなつて参りますと、昭和十一年來音樂学校設置されましたこの邦樂科が、今度はなくなるということになりますので、すでに百六十数名の卒業生を出し、現在四十数名の学生を持つておりますこの邦樂科にとりましては、相当重大なる問題であるということによりまして、邦樂科教授全部の諸君在学生諸君が、ぜひともこの際邦樂科設置してもらうようにという強い要求を、今日まで数十回、本委員会にも請願に参つておるようなわけであります。そうしてその都度その立場において説明を加えておるわけでありますが、たまたま音樂学校校長は、邦樂はその性質として近い將來に自然消滅すべきものであつて発展性がない。邦樂としての理論的根拠が見出されない。こういう理由のもとに、依然として邦樂科設置を除外されているようであります。それによりまして、この校長の御意見と、邦樂科教授側あるいは学生側諸君との意見の食い違いを來しまして、日本音樂学校におきましては、先般來相当の摩擦を來しておるように伺つておるのであります。すでに一昨々日は教授全部が辞表を出しまして、あくまで自分たちの目的を貫徹したい。あくまで邦樂科設置すべきである。それには自分たち教授としてその地位を持ちたいがゆえに、それを主張するというふうに思われてははなはだ困るから、むしろこの際自分たちはその職責を一應辞任した上で、あくまで邦樂科設置について努力すべきであるという見地から、辞表をとりまとめて出した。その出しました日に代表者が議会に参りまして、私もこれに会い、辞表を出すのはまだ早いではないかという話もしておつたわけでありますけれども、とにかくそこまで問題は紛糾して参つておるようなわけであります。  そこで校長側廃止論につきましても、それは論拠が全然ないとは私は思いません。現に「世界」という雜誌発表しておられまする、前衆議院文化委員長小川半次君に対する反駁的な議論校長の御意見も私は読み、またいろいろな面から校長の御意見をも研究してみたのでありまして、あながち全部校長の言われることが独断であり、非常に非理論的であるとは考えません。聞くべきところが相当あるとは私も思うのであります。思うのでありますが、しかし日本音樂將來自滅すべきものであるという見通し、從つて日本音樂発展性はないという決定的な結論、並びに日本音樂に何ら音樂理論がないという決定的なこの御意見に対しては、私はまだそれほど決定的な理論づけをする段階に來つておるのではない。必ずしも日本音樂が近い將來に自滅するとは私は考えられないし、発展性がないとも思わない。他の洋樂の部面に比べますと、かなり発展性において遅れておることは認めるのでありますけれども、しかし將來、今日以後どんな天才が出て、日本音樂をして発展させるかもわかりません。從つて同時に邦樂についての基礎的な理論研究が、全然なされないとも私は考えないのであります。これは新聞の発表するところでありまして、直接私が聞いたわけではありませんからわかりませんが、先般正倉院に保管されておりまする、奈良朝時代の笛についての樂符の研究が、発表されておつたのでありますが、その音符が偶然にも洋樂音符と、その基礎を一つにするということが発表されております。これは非常におもしろい発見であると私は考えるのでありまして、こういう点からさらに檢討を加えるならば、必ずしも日本音樂それ自身が自滅すべき必然性を、自分自身に持つておるというようなことを、ここで結論的に出すということは非常に危險ではないか。こういうことも私は考えておるのであります。なるほど校長の御意見もさることではありますけれども、やはりこの際は新しくできまする藝術大学邦樂科を、せつかく今まで持つておるのでありますから、これをやはり並置せしめて、さらにこれに対して非常な、何と申しましようか、一大決意をもつて研究を願うという方向へ持つて行く方が、むしろ必要ではないか。回避するよりもむしろ置いて、よりこれを鞭撻して研究せしめることが、日本民族にとつて必要ではないか。こういうふうに私は逆な見方をいたしておるわけであります。同時に今は洋樂万能時代でありますが、しかしいかなる民族にとりましても、自分民族音樂が最高の研究対象にされていないというような民族では、きわめてさびしいことでありまして、たとい学生は三人でも五人でもかまいませんから、眞劍日本民族の本來の民族独自の音樂研究する、あるいは勉強するという設備は、國としてはどうしても置いておくべきである。こういうふうに私は考えておるのであります。從つてその面におきましてこの藝術大学設置実行委員会という、邦樂科関係諸君を中心といたします稀音家淨観君以下、その他の諸君のこの請願書と私の見解とは一致いたしますので、ここに取上げまして本委員会請願をいたすような次第でございます。  聞くところによりますれば、参議院あたりでも眞劍にこの問題をお考え願つているようにも、聞いているのでありますし、同時に、かねがね夏以來しばしば陳情に参りましたこの邦樂家諸君の熱烈な陳情を、お聞きたまわりました本委員会委員各位におかれましても、必ずしもまつこうから御反対の方がおありになるとも、私は考えていないのでありますから、できますならばこの際、他のいろんな理由もあるとは思いますが、やはりなるべく藝術大学邦樂科設置させて、そうして民族音樂発展を期待したい。かように考えまして本請願を提出したような次第であります。何とぞ委員長初め各委員の御賛成をお願いいたす次第であります。
  4. 圓谷光衞

    圓谷委員長 政府側説明を求めます。
  5. 日高第四郎

    日高政府委員 ただいまお話のございました邦樂の問題につきましては、学校長小宮豊隆氏から本委員会委員の皆様に対して、邦樂の問題についてという表題で、十月か十一月ごろの雜誌世界」に発表いたしました論文を拔き刷りにいたしまして、お目にかけてあるはずだと存じております。この問題は非常に微妙な問題でありまして、私ども門外漢が勝手に結論を下すということには、非常な危險を伴いますので、私どももいろいろな陳情議論を聞きながら、愼重に事を処したいというふうに考えておつたのでありますが、ただ私ども日本音樂については、ずぶしろうとでありましてよくわかりませんし、西洋音樂についても聞きかじりでありまして、大した理解もございませんので、いずれを正しいとか、いずれを正しくないとかということは、簡單に言えないと思つているのでありますが、私の見ましたところでは、小宮氏は日本音樂に対しては相当理解もあり、また造詣もある方のように存じております。これはうわさでありますから確実ではありませんけれども、若い時分に娘義太夫に凝つたことがあるとか、それから御本人は相当自信を持つた長唄のお師匠さん格の人であるというようなことも聞いたことがあります。これはむろんしろうとですから、あるいは專門家から見たらなつていないのかもしれませんけれども、しかし人のうわさによりますと、こういうものをかなり長いことやつておられるという話を聞いておりますし、また旧劇批評等にも長いこと携わつておりますので、從つて旧劇に含まれている日本音樂等についても、十分な鑑賞も理解も持つておられるようであります。日本音樂並びに一般日本藝術秘傳研究とか、あるいは勘の研究とかというようなことについても、独自の見解を持つておられるのでありまして、そういう点では決して單なるずぶしろうとと見るわけに行かない点もあるかと、私ども思つているのであります。六月に藝術大学音樂部についての案を持つて見えましたときに、先ほど申しました邦樂の問題というような論議の一端を、私どもは聞かされたのでありまして、それについては、なるほどとうなずけるところもありましたので、学校側の計画が特に不穏当でない限りは、文部省としてはすなおに受ける態度をとつておりましたので、これも比較的すなおに受取つておいたのであります。ただ私どもとしては多少不案内の点もありますので、私の友人の音樂理論家等につきましても、小宮氏の言つた趣旨を述べまして聞いてみたのでありますが、宮小さんの言われることは理論がないとは言えない。根拠は十分にあると思うというような意見も聞いておりましたので、私どもも幾分安心して受取つてつたわけであります。その後邦樂科卒業生たち文部省へ参りまして、邦樂が度外視されたことは遺憾にたえないということでいろいろ議論がありました。私は邦樂科学生及び卒業生が、邦樂の問題について熱意を持つて來ることはもつともであるけれども、しかしそのことについては教授諸君がもつと教授会でもつて十分な発言をして、学校長参考に資するようにする必要があるのではないか、ということを申したのであります。一方小宮校長にも会いまして、学校側意見というものは、できるだけ教授諸君意見を総合したものとして、さしつかえない限りデモクラチツク結論を進められるように、お勧めいたしておいたわけであります。その後今年の秋に小宮校長が不慮のけがをいたしまして、一月ほど学校を休んでおりましたので、その後の樣子は聞いておりませんが、数日前に音樂学校邦樂科先生方が來られまして、小宮校長自分たちとは、邦樂の問題について意見が相いれないからして、自分たちはやめて初志を貫徹するつもりである、というお話があつたわけであります。私どもとしてはどういういきさつがあつて、こういう事態に立ち至つたかにつきましては、学校側の報告をまだ聞いておりませんので、決定的な判断を申し上げることはできないのでありますけれども、ともかく現在おります生徒諸君をどういうふうに処置するかということについては、学校側責任がございますし、文部省責任を感じますので、なるべくならばこのことが穏当に運ぶようにいたしたいと考えているわけであります。ただ藝術大学の構想の中に日本音樂が全然ないわけではないのでありまして、私どもの知つている限りにおきましては、音樂研究所というものを設けて、日本音樂調査研究をすると同時に、校長の話によりますと、その中で教育的なコースも設けていいのであるということを言つてつたのであります。私はここに両者意見一致点があるのではないかと思いまして、その点を両者で十分檢討してもらうように実は頼んであるのでありますが、その結果をまだ聞くに至つておりません。今後もこの点については十分考慮いたしまして、一般人たちの十分な支持を得たような方向に進めたいと、考えているわけであります。ただ先ほどお話のありましたような、日本音樂は自滅の必然性を持つているとか、あるいは発展性がないとかいうことは、どういう所で小宮校長が言つたか存じませんけれども、私が聞きましたところでは、このままのやり方では発展性がないのだ。それで一應西洋音樂理論を学んで、新しい精神をもつて日本音樂を立て直さなければならない。民族音樂というような、民族の血を現わすような音樂が、日本將來には期待されなければならないのだけれども、それを生み出すためには、一應從來の傳統的な方針を改めて、新しい方針で出発し直さなければならないということを、小宮校長が私に申していたことははつきり記憶しておりますし、小宮校長もおそらくそういうふうに考えているのではないかと考えるのであります。私は音樂のことはよくわかりませんので、自分がいくらか教育を受けました方面で思うのでありますが、たとえば哲学をやるのに、ヨーロツパの哲学を十分学んで、その組織研究の方法を身につけて、日本人としての新しい哲学を立てることが、本格的の修業であるというようなことを、われわれの教わりました西田博士などはよく言つておられましたので、あるいは小宮校長意図もそういうところにあるのではないかと思います。こういう点で小宮校長日本音樂を愛惜する心がないとか、あるいは自滅すべきものであるから、もう大学教育の内容にはならないのだというふうには、おそらく言つていないのではないかと私は推察するのであります。小宮校長は、自分はこのことについては十分考えて苦慮した上のことであるから、もし機会があるならば國会議員の前でも、自分意見を述べさしてもらいたいということを、私には二、三度申したことがございますが、そういう機会簡單には得られないから、あなたの主張を何か書きものにでもして、お目にかけたらどうかということを申したのが、この邦樂問題という論文が皆樣のお手に届いたかと思いますが、そのきつかけだと思うのであります。この問題は局外者あるいは專門でない者が、專門のことにつきましてほかの観点から簡單結論を下すことは、相当むずかしいのでありまして、文部省としましてもいろいろ見解を持つている人もありまして、どういうふうに裁決いたすのが適当であるかには、苦慮いたしておるのでありますけれども、常識的に申しまして、事の決定デモクラチツクに運んで、すべてとは行かなくても多数の人の支持を得るような解決点に、到達いたしたいと考えている次第であります。  なお今度の辞職の問題につきましては、学校長の方からはつきりした情報を得ておりませんので、それをよく聞きました上で善処いたしたいと存じております。
  6. 松本淳造

    松本(淳)委員 ただいま日高局長からきわめて明快な御答弁をいただきまして、感謝している次第であります。ただそれにつけ加えて私の言い落したところを、一言述べさしていただきたいと思いますが、小宮校長の言葉の問題について、日高局長お話の中に、小宮校長は相当研究の結果であるから、近い將來日本音樂が自滅すべきものであると、簡單にはあるいは言つていないのではないか。ただ日本音樂が今のままの姿におるのでは自滅するのである。こういうような御意見であろうというふうに、御理解くだすつたのでありますが、この点は私も同感でありまして、先ほど申し上げましたように、小宮校長の御意見の中には相当聞くべき点もあることは、私もこれを同感しておるのであります。同時に日本音樂が近い將來に自滅するという議論の前提は、やはり私もこのままではどうにもならないのではないか。新しい方向方針理論を見出さなければ、いけないのではないかということは全然同感であります。同感でありますがゆえに、今のようなままでは自滅するからして、自滅しないように日本民族音樂をさらに発展させるためには、それに携わる者が現在のままのような家元制であるとか、あるいは徒弟的関係における研究のような形ではなしに、大学講座を設けてその講座に学ばせ、そうしてただ音樂のみならず、廣い一般知識及び教養をその大学講座によつて受けることにより、その人が相当の教養人となり知識人となるのでありますから、その教養ある人が新しい日本音樂を取扱うという姿にもつて行くことが必要である。であるから、このままの形ではいけませんから、ぜひ大学講座を設け、そこで徹底的に勉強してもらう。教養を高めてもらう。そういう意味においても大学設置することが必要である。この際逆に邦樂をやめるということはいけない。こういうふうに私は考えておるのでありまして、その点もどうぞ文部省としても、さらにひとつお骨折りを願いたいと考えるのであります。  それからもう一つ日高さんがお骨折り願つたという話でありますが、小宮校長からの御意見書というようなものを、まだ私はいただいておらない。同僚の田淵議員もまだ見ておらぬと言つておりますが、私もまだ拜見しておりません。今後でもよろしゆうございますから、もしございましたならば、委員長において御配付をお骨折り願いたいと考えておるのであります。あわせてこれは小宮校長の御意見として先ほども触れておきましたが、岩波書店発行の「世界」という雜誌に、この問題を小宮さんが署名入りで御発表になつているのを私は拜見して、大体校長の御意見はわかつておるのでありますが、しかしその御発表態度と申しましようか、文章というようなものを伺いますときに、そのあて名は衆議院文化委員長小川半次君に対する半公開的な文章でございまして、それは小川半次君に半公開的にあてられている文章でありますけれども、問題は衆議院文化委員会にあてての御意見のように、私は大体において通読したわけであります。今は文化委員会ではございませんで、文部委員会でございますけれども小宮校長衆議院がこういう問題に触れられることは、自分には納得できないというような表現があるのであります。言いかえれば衆議院がかような問題に容喙いたしますことは、出過ぎであるというようには書いてはおられませんけれども、とる人によつてはそういうふうにとられる表現文章があるのでありまして、それらは私はなはだ遺憾に存ずるのでありまして、校長自身においてはさような考えかもしれませんが、しかし音樂といえども日本教育の一要素でありまして、特に民族に関する教育の点におきましては、衆議院における文部委員会、あるいは文化委員会がこれにタツチして惡いということはないのであります。むしろ委員会は積極的にこれにタツチすべきであるとさえ私は考えておるのでありまして、その小宮校長の御態度に対しましても、多少の不満を持つておるのであります。それは別といたしまして、小宮校長意見というものを、刷物がありましたならば、委員長において御配付くださるようにお願いしたいと思うのであります。以上をもちまして私の請願の要旨の説明を終りたいと思います。
  7. 日高第四郎

    日高政府委員 ただいまお話になりました拔き刷りというのは、実は小宮校長がたしか今年の九月の終りでしたか、十月の初めに自動車事故で腕を折りまして入院いたしましたときに、学校事務官文部省の方へ参りまして、この拔き刷りをぜひ前の文教委員会、今度の文部委員会の方にお配り願いたいということを言つて來たのであります。それで私ども文部省の係の者から國会の係に申しまして、差し上げてあると考えておるのでありますが、偶然ここへ持つて参りましたので、参考のために、お急ぎのことと思いますから置いて参りますので、御一読願いたいと思うのであります。  それから今松本委員からお話のありましたことは、私もちよつと聞いておるのでありますが、小川委員音樂学校に行かれて、ぜひ置いたらどうかというようなお話であつた。しかしそれは一方聞きの判断ではないか。できるならば自分にも発言機会を與えていただきたい。重大な問題の決定のときに一方だけの材料理非曲直決定されては困る。もしやるのだつた音樂学校長に出て來いと言つていただければ、自分は出て行つて自分の所見も申し上げる。こういう意味言つたのでありまして、文教委員会やあるいは文化委員会が、藝術の問題を取上げてはならないのだという趣意ではないように、私は聞いておりますし、また小宮校長もおそらくそういう意図だと存じております。その点はもし誤解がありましたならば、解いていただきたいと思うのでありますが、そういう意味だと存じております。  それからもう一つ先ほど申されました家元徒弟制というようなことにつきましては、私も小宮校長からも聞いておりまして、今までのやり方は小さいときから練習々々でテクニツクを重んじてやつて行く。そうして理論や何かでなしに、勘でやつて行くというようなことが、新しい大学教育の過程に入れるのにはむりである。こういう点で自分たち考えているのだ。それから日本音樂のいろいろな材料十分調査もしなければならないのだけれども十分調査ができてない。それだから初めには邦樂研究所という名前をつけておつたのであるが、そこへ入れてその邦樂の基本的な研究をする。そうして研究をした者を優秀な人たちにも紹介し、また優秀な研究員あるいは教授を置いておいて、そこで教育の面もやるのだということを、小宮校長は私の方に申していたのでありますが、具体的な案にはその教育面はつきり出ておりませんので、これはその教育面を重んじているということが、具体的に表面に出ておらないのではないか。もう少し邦樂先生たちが要望するように、教育面もつかさどるのだということがはつきりわかるように、組織をお考えになつたらどうか。そういうふうに私どもとしては言つてあるのでありまして、初めから東京音樂学校というものを、まるで大根や菜つぱのように切捨ててしまうつもりでしたら、私どもはたといしろうとであつても、異議を申したろうと思うのでありますけれども先ほど申したように、小宮校長日本音樂を軽蔑もしくは無視しておるというのではなくして、愛惜してそれを育てたい。そうして、ことに私に申しましたのは、ただテクニツクを学んで演奏家になるのではなしに、作曲をして日本音樂の進展をはかりたいということを、洋樂の方面でも小宮校長は始終申しておつたのであります。それは音樂学校校長としては、一つの識見であろうと、私は思つておるのでありまして、ただ西洋人のやつた音樂をまねして、やつと演奏ができるというようなものでなしに、その生命をつかんで日本音樂をさらに打立てるというような面に力を注ぎたい。そのためには作曲が必要だ。作曲の要素としての日本音樂というものは十分取入れなければならないけれども、それの調査もろくにできていない。だから調査研究もし、あわせてそこに選科生のような形、あるいは卒業した後に入る從來の專攻科というようなものがありますが、そういうところに優秀な人を入れて、西洋音樂理論日本音樂調査研究をよく紹介した上で、発展させようという理念も持つておるように私は聞いておるのであります。しかし小宮さんは教授たちと議論をするときに、小宮さんは学者でありますし、音樂家たちは口は下手でありますから、おそらく議論したらちよつと歯が立たないのではないかと思うのであります。そういう点でしろうとの前でくろうとが十分議論をするようには、ちよつと小宮さんの前で言えないような点もあるので、そこで多少のわだかまりがあるのではないかという、これは私の主観的な想像でありますけれども、そういうことも感じたことがあります。そういう意味でなるべくこういうことは、教授諸君と十分打合せをして、デモクラチツクに事を決定していただきたいのだという希望を述べてあつたわけであります。どうぞその点御了承置き願いたいと思います。
  8. 松本七郎

    松本(七)委員 小宮校長が提出された藝術大学の案を決定するには、どういう機関でやられたか、おわかりですか。
  9. 日高第四郎

    日高政府委員 これは一般学校と同じように、持つて來ましたものをそれぞれの学校側から説明を聞きまして、文部省として特に不穏当でない限りは、それを承認するような決定の仕方をいたしております。
  10. 松本七郎

    松本(七)委員 私のお伺いしたいのは、小宮校長文部省に案を出された。その文部省に出された案を音樂学校できめるわけでしよう。そのときに邦樂科人たちも参加して会議を開いてやつたものかどうか。そういう事情がおわかりでしたら……。
  11. 日高第四郎

    日高政府委員 それは十分には突きとめていないのでありますが、これは間違つておるかもしれませんけれども、何でも音樂学校でも洋樂教授たちと邦樂教授たちとの間には、相当意見の相違があるらしいのです。それでそれを一つにして話をするということは氣まずいというふうな考えを、校長としては持つていたのではないか。それで洋樂のことについては洋樂教授たちと相談し、邦樂のことについては邦樂教授たちと論議をしまして、その二つを合わせて自分でつくつたというふうに聞いております。ただ私どもが聞きますと、そこがどこまで論議されたのかはつきりわかりませんのと、それから小宮校長のふだんの主張なのでありますが、專門学校における教授会大学における教授会とは違つて決定機関ではないのである。これは校長を補佐する補佐機関であり、また諮問機関であるのだ。それであるからして自分はこのことについては、できるだけ教授たちの意見は聞いたけれども、最後の責任自分が負うのだ。こういうお話であつたのであります。私としては、あるいはそれはそうかもしれないけれども決定機関でないにしても、できるだけ決定機関に準ずるように、多くの人たち意見を聞いてほしい。その方が今の教育行政の上においてはより適切ではないかということも、私見ながら申したことがあるのであります。ところが校長としては、実は邦樂の問題については、自分校長になるときにすでに邦樂洋樂との間に十分な融合点がないので、ややもすれば教授たちの間に意見の対立が起りやすいので、これを一般に集めて論議をさせると、教授たちの仲間割れを引起すおそれがある。それでこのことについては自分は両方の側からいろいろ意見を聞いたけれども自分の独自の判断でこのことを決定する。それによつて教授たちの間の、藝術家たちの間の感情のもつれを避けたいと思うのだ。こういうような点も非常に苦慮したあげく言われたことがあります。あるいはそういうことがあるのであろうということを、私は推察いたしたのであります。しかしそういう形式を通してどういう手続や順序を経て、こういうものに到達したかは、詳しくは突きとめておりません。
  12. 圓谷光衞

    圓谷委員長 私一つお伺いしたいのですが、先ほど松本委員から意見が述べられたときにも、小宮校長邦樂発展させるために、非常な理想を持つているというのであるから、邦樂科を置いてこそ、ほんとうにその研究ができるのだということを考えるのですが、これを置かないで、小宮さんがいないのだから、あなたに聞いてもわからないのですが、置かないということはおかしいということが一つ。  それからもう一つは、昔から三千年わが民族発展というものは、音樂がなくては生きられないのです。生活にゆとりを與え、情操の陶冶の上において非常にあずかつて力がある。それで一朝一夕にできて來たものでない。日本音樂先ほどあなたがおつしやつた通り、確かに勘で行く特徴があると思うのです。これは日本人のすばらしい直覚力が発達している優秀さだと思うのです。こういう点から見て、音樂学校長できめた案を、文部省は最後の決定権をお持ちになつていると思うのですが、それはどういうところで決定されますか。またわれわれ國民の代表である衆議院文部委員会、あるいは参議院の文部委員会においてこれが採択されて、國民の輿論として行く場合においては、文部省は相当の考慮を拂つて行かれるか。この決定権は單に学校長意見一つを取上げて決定されるものであるかどうか。そこのところを一つお伺いしたい。
  13. 日高第四郎

    日高政府委員 あとの方の問題からお答えいたしますが、これは学校長意見だけできめるということは、筋が立たないと思います。もちろん文部省意見もこれに参画しなければならないと思います。そうしてそれに決定しましたことについては、無論世間からの批判もありましようし、また特に國会文部委員会等からの御批判もあろうかと思うのであります。その点文部省責任があると私は考えております。ただ発展のためには、置いた方がいいということは、從來のようなコースで置くのではなくて、調査所あるいは研究所というようなものの中に、一ぺん貯水池のように流し込んで、そこで新しく出発し直すことが必要だということを、小宮校長は私に申しております。それには專門家としての意見でもありますから、相当根拠があるのではないかと思つておりまして、そうしてそのことについては実は私の友人の二、三の音樂研究者あるいは理論家にも、話を聞いたのでありますが、それは必要だということを言つております。私はこれはもう小宮校長とは全然関係のないことでありますが、音樂発展には、それを目に見えるようにして、これを記録にとどめておくということが非常に必要なんで、たとえば数字が算用数字ができたために非常に発展したと同じように、樂譜によつて、耳で聞いたものを耳から耳ではなしに、目に移して、比較的客観的な記録にとどめて、またそれを耳に移して行く。そういう過程によつて西洋の音樂は長足の進歩をした。日本人のあれにもそういうものがあるに違いない。しかるに日本音樂においては師匠から弟子、師匠から弟子というように、耳から耳移しの教育の方法であるから、弟子は師匠のやつた業績の上に出発するのではなしに、師匠から教わつたものを、祕傳とか何とか言つてわずかの弟子に教えられたものを、それをまた主観的に理解して、また主観的に傳えるという点で流派が多くなつて、十分な発展ができなかつたのだということを私の友人から聞いております。そういう意味日本音樂が西洋の樂譜にとつて保存されるように、日本音樂についても科学的な、理論的な研究を十分にした上で、これを大成して行くというような方向に出直さなければならないのだというふうに、私の聞きました友人の音樂理論家は言つております。こういう意味小宮校長としては相当苦慮しているのだろう、しかしそういうやり方は傳統的な日本音樂人たちには、十分には理解されていないのじやないか。こういうようなことを私の友人が言つたのでございます。なるほどそういうこともあるかと思つて私は聞いていたわけであります。
  14. 圓谷光衞

    圓谷委員長 小宮校長に一度ここにおいでいただいて、いつかの機会意見を聞くことにしてはいかがでしようか。
  15. 松本七郎

    松本(七)委員 すでに文教委員会では邦樂科の生徒の陳情を聞きました。大体「世界」だとかああいう雜誌発表された小宮校長意見、それから日高局長を通して大体の意向はわかりますけれども先ほど私から質問いたしましたように、案を出したときにどういうふうなやり方をやつたか。そういうところに大分むりがあるような氣がする。どうしてもこれは委員長のおつしやるように小宮校長、それから邦樂科の関係者にも一度來てもらつて両者の言うことを十分聞いてみる必要があると思います。  ただもう一点日高局長を通じて確かめておきたいのは、音樂はりつぱにあるのだ。邦樂というものは音樂として存在しているが、それを今すぐ学部として発展させて行くためには、その基礎がまだない。基礎のないものを学部としてやるのはむりがあるから、一應研究所をつくつて、そこで基礎固めをやろう。そうして將來学部にまで持つて行くように努力しよう。こういう意向のように察せられるのですが、そういうふうに解してよろしいでしようか。
  16. 日高第四郎

    日高政府委員 私が聞きましたのは今申したようなふうに聞いておるのであります。そしてその上に教育機関としてもそれを活用するのだというふうに聞いております。その教育機関としても活用し、音樂理論的な研究もするのだとするならば、それは專門家としては多少根拠があつて、やるのじやないかと推察しておるわけであります。
  17. 松本淳造

    松本(淳)委員 松本七郎委員の御発言のように、やはり一度田辺さんその他関係の人に來てもらつて説明してもらうということが必要だと思いますから、よろしくおとりはからい願います。
  18. 圓谷光衞

    圓谷委員長 さようとりはからいます。     —————————————
  19. 圓谷光衞

    圓谷委員長 それでは次の議題、教育予算増額に関する請願外二件、同じく外十六件の請願を一括上程いたします。石川金次郎紹介田淵委員
  20. 田淵実夫

    田淵委員 本請願教育予算増額に関する請願であります、請願者は岩手縣一ノ関市岩井昭二という方であります。地方行政関係もしくは教育関係の方のように思うのでありますが、職名が明記してありません。紹介議員石川金次郎君でありますが、石川金次郎君が欠席されておりますので、私がかわつて説明いたします。  この請願教育予算の國庫負担を中心として、國庫からの援助を希望しておるのであります。この予算費目については、ここに要求額は各細目をわかつて請願書の中に述べております。小学校教育費、小学校建築費、中学校教育費、中学校建築費、設備費、整地費、新制高等学校費、定時制高等学校費、盲聾唖学校費、私立学校費、幼稚園費、直轄大学高專給與費、科学研究調査費、災害戰災復旧費、その他となつております。この費目の立て方並びにそれぞれの要求額に対しては、なおわれわれとしても檢討の余地があると思いますが、総じて一千九百八十二億九千九十万八千円を國庫において負担してほしいとの請願であります。ひとりこの請願のみならず、教育予算増額に関するところの請願は、実に汗牛充棟と申してもあえて過言でないほどの請願が出て來た実情にかんがみまして、合せて請願者の氣持をおくみとりくださいまして、可及的にこの要求額に近いところの教育予算を計上して、これを國庫負担とされるべく御協力が願いたいと思うのであります。以上をもちまして請願説明といたします。
  21. 日高第四郎

    日高政府委員 ただいまの請願は私どもにとりましては非常な鞭撻でありまして、もしこれの幾部分でも國会の方で御承認いただいて、文教予算をふやしていただければこの上ない喜びであります。私どもといたしましては第九十議会で、政治における教育の優先ということが決議されまして、文部省におります者としては非常に心強く喜んだのでありますけれども、その後実際政治においては、これはむりもないことだと思いますが、義務教育の面でもろくなことができないのでありまして、一旦閣議で決定したものでも、水害がありますと流れてしまいますし、労働攻勢があるとふつ飛んでしまうというような状況を続けておりまして、政治における教育の優先どころか、政治においては教育は一番あとまわしになつておるような観がありまして、その点はなはだ残念に思つておるのであります。しかし日本の現在置かれております政治的條件や、あるいは経済的條件ということを考えますと、これはあまり理想的なことを言つてもできないのでありまして、こういう面で私どもといたしましては、それほど理想的なことを今願うことは、必ずしも一般國民が承認するとは考えておりませんので、ただ全予算のうちの相当部分を教育にまわしていただけば、非常に日本教育の復興のために、また日本將來のためにいいのではないか、というふうに考えておる次第であります。実際経済や財政の方面を担当しております政府の職員たちの感じを申しますと、食うや食わずの中で大学をつくつたり、あるいは義務教育を延長したりするということは、無謀ではないかというようなことをしばしば申すのでありまして、これには一應もつともだと思われる節もないわけではございませんけれども、しかしながら食うや食わずの中でも義務教育を延長し、日本の文化を高めるために高等教育機関を充実してこそ、敗れた日本でも再び立ち上る意氣込みがあるのであるというふうに、私ども理解しておるのでありまして、こういう面でも財務当局あるいは安本等の意見とは少し隔たりがありまして、むりをしてもあとから來る被教育者のためには、今の人間は苦しんでもいい教育をしなければ、日本をりつぱに復興させることはできないという確信を持つておりますので、ここに掲げられましたように千九百八十二億というような厖大な予算が、教育費のためにさかれるというようなことは、私は考えることができないのでありますけれども、しかしこれの三分の一でも四分の一でも、相当な額にのぼりますので、そういう面において特に文教委員の皆樣の御支援を得て、文教予算に幾らかでも余裕のとれるようにしていただければ、この上ない幸いだと存じております。
  22. 田淵実夫

    田淵委員 同一趣旨の請願がなお岩手縣東磐井郡の佐藤俊並びに岩手縣岩手郡の多田健二狼外数氏の姓名をもつてなされております。よろしく御配慮をわずらわしたいと思います。     —————————————
  23. 圓谷光衞

    圓谷委員長 日程第三、著作権保護に関する請願。文書表第一二九号。  現行の著作権法はその評價方法に関して特別の規定を設けていませんので、著作者が死亡の場合、この評價は当該著作の印税が、遺族等にどれだけの影響をもたらすであろうか。こういうことを予想することによつて行われるものでありますから、当該著作の種類、性質その他種々の事情によつて、その予想される印税額が著しく異なることを考えなければなりません。今日の流行作家必ずしも明日の流行作家ではないのでありまして、著作物も財産権の一種でありまする以上、これに課税することには何らの問題はありませんが、その評價方法に関して現行法が何ら特別な考慮を拂つていないことは、すこぶる遺憾としなければなりません。現に作家の相続人に課せられる相続税の課税價格中に算入された著作権の評價額に関して、きわめて不当な課税をされて、相続人の異議が申し立てられているものも二、三にとどまらないのであります。かかる不当な結果が出ないように合理的措置を講じていただきたいというのが、請願の趣旨であります。
  24. 柴田政次

    ○柴田説明員 それでは文部省意見を申し上げます。この問題は著作権の相続税という問題でございまして、どちらかと申しますれば大藏省の関係事項になります。文部省としても著作権の立場からいろいろな意見を持つておりますが、著作権一つの財産権としてそれは相続されるものでありますから、それに相続税を賦課するということは当然だと思われるのでありますが、それが無体財産であるために、その評價査定が非常に困難でありまして、世上菊池寛あるいは徳田秋聲等の相続税で問題になつているのは、この評價査定の点であると思われるのであります。たとえば著作権は刊行されない場合、財産としての機能は発揮しないという議論がありまして、それに相続税を賦課するのはおかしいではないか。こういうようなことがあげられますが、その相続税を賦課する場合に、將來いかなるものが刊行されるかということを檢討して、選抜査定するのが本当ではないかと思います。また著作刊行物については源泉課税とか綜合課税があるから、著作権相続税は不当であるといういろいろな世上の意見がございますが、これは他の有体財産と同じでありまして、この点は不当ではないと思われます。結局相続税の問題はその評價査定が非常に困難な点でありまして、査定機関を官民合同で何か設けて、その標準をきめたらどうかと思うのが私たちの氣持でございます。著作権は御承知のように死後三十年たちますと、権利が消滅いたしまして公有になりますから、その点等を考慮に入れまして相続税というようなものについて、いろいろな考慮を加えてもいいのではないかと考えます。大藏省ないしは民間の権威者、有識者というようなものを集めました一つの査定機関を設けて、公正に評價査定する行き方を、私たちとしては考えたいと思つております。
  25. 松本七郎

    松本(七)委員 この問題について從來大藏省と交渉されたことはございますか。
  26. 柴田政次

    ○柴田説明員 いまだ交渉して会議を開いたことはないのでございます。
  27. 松本淳造

    松本(淳)委員 この請願の趣旨は非常に重要だと、実は前からそう思うのです。それで、ときどき問題を起して新聞をにぎわしておるのですが、相続税として取扱うということに実はだれも異存はないと思うのですけれども、実際刊行されないものに対して、見込税として相当額を課税して行くという危險性が実際にあるのです。そうしますと、かつて非常に人氣作家であつた人が、時代の客観的情勢、あるいはまた読者層の変化の結果から、非常に賣れつ子であつた作者のものが賣れないということも実際にあるのです。これは私二十年くらい前に、文士時代の経驗があるからよくわかつているのですが、そういう関係で相続税としてはやむを得ないのですけれども、見込税として大藏省がぽかつとやつて取立てるという方法は、ちよつとむりだと思います。やはりそれは何か著作関係の諸君と、大藏あるいは文部関係の諸君と、合同委員会というような、ただいまの文部省お話のようなものを設けて、そこで妥当な結論を出すという道が一番いいと思います。今の松本委員からの御質問に対して、文部当局はまだ具体的にはそういうお話をしたことはないというお話でありましたが、これは文部当局としても、ひとつまじめにそういう話を進めてみられてはどうか。われわれもそういう氣持を持つておるのでありますから、ひとつまじめに進めてみられてはどうかと、実はこういうふうに考えているわけであります。こんなことを言うと何だが釈迦に説法でありますけれども日本も文化國家とか平和國家とか、口だけは大いに看板を掲げているのですが、映画の入場税にしても、あるいは印税に対する課税にしても、それから著作権に対する課税にしても、世界の比率を私はこまかくは調べておりませんけれども、かなり日本は高過ぎると思う。そこでやはりこういう一つの文化的なものに対しては、それの收入というものに全部かけるということは、一應妥当性はあるけれども、文化國家を建設するという面から、ある意味の奨励的な面から、課税の面についても多少の、手心と言つては語弊がありますけれども、考慮する余地があつていいと考える。それがないと、実際にいい作品も生れて來ないし、エロ・グロ万能の状態だけになつて行くような形になるのでありますから、やはり相当余裕を與えて、いい作者及びその著作を優遇してやる。それには妥当な評價をして行く。ぜひ先ほど文部当局の御説明のようなことを具体化して行つてもらいたい。これを私は希望としてつけ加えておきたいと思うのです。
  28. 圓谷光衞

    圓谷委員長 これで紹介者と政府の説明が終りましたが、他に何か御質疑がありますか——ございませんければ、ただいま審査をいたしました日程第三までの追加請願と、昨日審査いたしました三件、以上六件の請願中議会の会議に付するを要するものと、採択して内閣に送付するを適当と認めるものを、区別して報告いたしたいと思います。  それではこれより採決いたします。
  29. 松本七郎

    松本(七)委員 動議を提出いたします。すなわち日程の第一、第二、第三及び追加日程の第二、第三の請願は議院の会議に付することを要するものとして採択し、内閣に送付せられんことを望みます。
  30. 圓谷光衞

    圓谷委員長 ただいまの松本七郎君の動議に御異議ありませんか。
  31. 圓谷光衞

    圓谷委員長 御異議なしと認めます。よつてさよう決します。     —————————————
  32. 圓谷光衞

    圓谷委員長 次に陳情書日程第一より第三までを議題といたします。     〔書記朗読〕  一、ザビエル來訪四百年記念式典行事に対して國庫補助陳情書   聖フランシスコ、ザビエル師來訪四百年を期し、明春五月下旬、世界各地よりの巡礼者三千名が長崎に來遊することになつたが、これは本縣が二十六聖人殉教の聖地たるに因るものであつて、その記念式典もまた同聖地において施行さるることになつておる。この行事は本縣としては空前の盛事であつて、目下全縣官民一致協力して、西坂公園の建設、二十六聖人記念碑の建立、壞損建築物の復旧、道路河川の修掃など受入態勢の完備に努めている状況であるが、地方財政窮迫の現状において、その費用の全額を縣内においてのみ負担することは、到底耐え切れないものがある。政府におかれては本行事が國際情誼を厚うし、人類平和の確立に資するところ多大なることに思いをいたされ、相当大巾の補助をせられるようここに本縣議会の議決により意見書を提出する。   昭和二十三年十一月十二日     長崎縣議会議長 岡本直行    衆議院議長松岡駒吉殿  二、教育予算増額に関する陳情書外一件  三、縣教育委員会選考費全額國庫負担の陳情書
  33. 圓谷光衞

    圓谷委員長 二と三は題目だけで内容が大体了知されますので、陳情の内容は朗読しなくてもよいと思います。それでは以上三件の陳情書を一括して議題といたします。この陳情書の趣旨は了承するにとどめたいと考えますが、御異議ございませんか。
  34. 圓谷光衞

    圓谷委員長 御異議なしと認めます。ではさように決定いたします。  本日はこれにて散会いたします。     午後三時二十五分散会