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原虎一君 これは非常に大事な問題であります。実際問題といたしまして……。第二の
解釈は、これは正しいと思うのであります。要するに千人の所へ百人の
組合、二百人の
組合、五百人の
組合、これが
ばらばらに
交渉するということは、
交渉の
相手方ともにこれは時間的な損失もありますし、
労働者側から言えば、
使用者側から利用され、又はうまく操られるという隙を與えることになるのでありますが、これは分りますが、
憲法のこの二十
八條に基く「
勤労者の
團結する
権利及び
團体交渉その他の
團体行動をする
権利は、「これを保障する」という点から
考えて、この
憲法の
條章から承けて來ても、
ばらばらにあるものを、
代表者を選ぶという
権利を認めることは差支えないのであります。併しそれが
團体交渉だということにはならないのであります。逆に今度
使用者側から
考えても、
代表者を選んだものとの
交渉はするが、その
組織がないのでありますから、
代表者が責任を持
つてその実行に当るということにはならない。そういうことを認めるために、
組織團体行動というものを、
憲法が保障して、
團結の
権利、即ち
組織するということと、その
組織の上に立つ
團体交渉というものが、私は
憲法の二十
八條の
精神じやないかと思う。
代表者を
選挙するという
権利は
團体交渉権じやない、それから行きますと、貴方の考は成る程
代表者を
選挙して、その
代表者が
政府との折衝を計るという
権利は成る程
オープン・シヨツプだから自由に認めてやるのだというお
考え方は、何か非常に公平なようでありますけれども、
組織を持つことと、
團結することと、その
團結した上で、やはり
代表者を選んで
交渉するということは、これは
憲法の二十
八條の
精神とは凡そ遠い。或る
意味では反するのじやないか。從業員を
ばらばらにして置いてもいいのだという、獎励になることであります。このことを私は申しましたので、第二の貴方の御
意見の方は、私も同様に賛成できますが、
團体交渉権というものは、
局長が言われるようなものでないと思います。
政府というものは、
労働組合法というものの
精神をお
考えにな
つて、この
法案は
労働組合法の
精神を承けておるのでありますから、
労働組合は
日本民主化の基礎、基盤たるための
労働者組織という大きな役割を、これは法の上で、立法の
精神の上に盛られておるのです。それを承けて來た
法律である以上は、この
ばらばらになるということは、何か公平に見て、そう獎励しなければならないという結果が來るような
扱い方はよくない。これは明かに
一つお
考えを願いたい。だから、極端に言いますれば、千名の中の百名が
團体組織をして
交渉をする。それと
協約を結ぶことは
團体協約であります。その
協約が全般に及ぶかどうかということは、それは私は疑問でありますけれども、異論がいろいろありましようけれども、
團体協約を結ぶ、それを獎励するという、それを承けて來た
法律である以上は、
ばらばらになるということを何か、公平に見てそう獎励しなければならんような結果が來るような
扱い方は、私はよくない。
精神から言いますれば、どうもこれは余りに公平ぶるために、逆に
組織を壊すという、
組織することを獎励しない結果を來す。逆に壊す結果になるという
精神を含んでおる。でありますから、これは
分裂政策法だというところが出て來るのであります。その
分裂政策法であるというものを、理論的に論駁されて、私の承服するものを持
つておられればいいのでありますが、それがないとするならば、甚だ遺憾であります。