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鮎澤公述人 中央
労働委員会の事務局長をしております
鮎澤巖でございます。
最初にお断りいたしますことは、もちろんそういうふうに御了解願
つておると思いますが、私はたまたま中央
労働委員会の事務局長であるので、今日申し上げますことはすべて私見でございます。中央
労働委員会に同じ問題をおかけになりますと、あそこは三者構成でありまして、それぞれの
立場からそれぞれ異つた御
意見がありますでしようし、
労働委員会全体としてどういう
考えであるかということになりますと、
一つのまとまつた
考えになりますか。多数と少数とにわかれますか。あるいはいろいろな
意見が対立するというようなことがあるのじやないかと思いますので、今日申し上げますことは全然私一個の私見であると御了解願います。
この
公共企業体労働関係法案は、これと密接な関連において
公務員法の
改正が行われる。それらはいずれも
日本の
民主化への最も重要な一連の立法としての
労働三法、なかんずく枢軸的な重要性を持
つております
労働組合法、労調法への修正である。こういうことは明らかなことであ
つて、そういうことからこの
法案に対しましては、形式的な
考え方と本質的に見て必ずしも一致しない
考え方とがある。両者をごつちやにしてはいけないので、その点を
はつきりわけながらまず
考えることが、問題を明らかにするゆえんだと思うのであります。形式的にと申しますことは、一昨日のこの
労働委員会の
公聽会の様子を、
新聞に
簡單に報道されたところを見ただけでよく存じませんが、
労働者側の
公述人の方々の御
発言は、いずれもこの
法案に全面的に
反対であるというようなことであつたように承知しております。そしてそれはよくわかることで、何ゆえかと申しますと、
労働組合法において與えられた、そのときにはまず無
制限に與えられた
権利、あるいは自由というものが、
公務員法においても、それからこの
公共企業体労働関係法におきましてもかなり
制限を受け、あるいは剥奪されておるような形に見えますので、すでに獲得した、與えられたる
権利を何ゆえにこの際剥奪され、あるいはそれがこうした
制限を受けるのであるか。そもそも憲法に保障されてあるところの
権利であり、さらにそれを確認するところの基本的な立法が、ここにこういう形で侵害されて行くということは、
反対である。こういうことであると思うのであります。それで形式から申しますと、やはり私もそういう
意味で、そういう形で、基本的な
権利の侵害ということであれば、これは好ましくないと
考えざるを得ない。ことに
労働組合法、労調法、基準法等の起草につきまして、私もその起草に
参加いたしたのでありますが、あれができましたときには
——実は憲法初め凡百の
法律、政令その他が出ることについては、われわれは常にある制約のもとに置かれて、そういうことが行われて來ているのであります。
日本はまだ完全なる自主性を回復しておらないために、それらの立法につきましても、政令を出すことにつきましても、その他政府がいろいろな措置をするについても、
関係方面の了解を得ておるのでありますから、
從つて最初の基本法たる
労働三法が出ましたときには、こういうものを出した限り、そしてそこにそれらの
権利を保障し自由を認めれば、どうしたことが結果するだろうということは、政府当局においてもあらかじめ承知しておらなければならなかつたはずである。それらの
権利の行使、あるいはその與えられたる自由の範囲内において行動したことから、その基本法を修正しなければならないものであるならば、それがこうした形で、突如やぶから棒のような形で、これらの
権利の
制限なりあるいは剥奪なりが行われるということは、ふに落ちない。そういうことから
労働組合側においては特にこれに対して全面的に極力
反対する。こういうことが理解できるのであり、そういう
意味で私も形式的には
反対する
立場は理解するし、それにやはり同情せざるを得ないということなのであります。しかし実質的に申しますと、われわれの置かれている客観的事態から言うと、昭和二十年の九月二日以後の
日本におけるわれわれは、こうした
客観情勢に置かれて、その事態においてやはり事実をまともに見なければならない。そういう
立場からこの
公共企業体労働関係法案につきましても、ただいま申し上げましたことを実質的に、本質的に
考えたいと思います。しかしたといわが
日本がそういう客観的事態に置かれているにせよ、こういう重大な
法案につきましては、願わくばこういう形でこれを出すのでなく、
日本が終戰以來朝夜と
つて來ておるところの措置、あるいは常に守
つているところの
原則というものは
日本の
民主化ということなのである。それであるならば、どうかその線に沿うて、それを徹底的に実現すべく、こういう
法律につきましては政府の少数の人が
考えるということでなくして、もつと根本的に
考えて、根本的にこれを取扱う。と申しますことは、もつと具体的に言うと、
公務員法についてもそうであるし、この
公共企業体関係法につきましても、イギリスで多年
行つてりつぱな成績をあげつつあるローヤル・コミツシヨンというような
方式で、や
つてもらうようなことはできなかつたか。数日前
新聞で見、ラジオでも
ちよつと聞きましたが、参議院では
労働委員会の功罪を問うてそうして今まで行き過ぎたことや、あるいはいいことをや
つているかということを調べてどうかするというような案があるとか、あるいはそういうようなことが実行されようとしているということでありますが、それにしても、これにしても、実はそつちをつつき、こつちをつつき、部分的に改めるというようなことである。そうでなく、もうすでに
労働関係三法というものが施行されて二年になり、ないしは三年になるわけであります。三年間実施の上、こういう点がこう改めらるべき点ではなかろうかということについては、少数の人でなく、大がかりに、たとえば國会において任命された権威者を連ねて、
日本の
産業の各分野について代表者を、
経営者側からも
労働者側からも、中立的
立場にいる人も、各
産業について、ということは、水
産業、
石炭採掘業、製造工業、輸出
関係というようなことで、
公聽会も開くであろう。文献による統計資料等によるところの調べもするであろう。実地踏査もするであろう。そうして大いに議論を鬪わせて、世論を沸き立たせて、いろんな面を愼重に、全國民がそれを傾聽しながら、その
意見を出す機会を與えながらや
つて、そうしてみんなが納得行くような形の修正案というものを出して行く。それには二、三箇月ではできないと思う。少くとも六箇月くらいの時は要するであろうが、そういうことをやつたらやりがいがあることであ
つて、そこで初めて民主的と言うことができるであろう。そうすると、天降りというようなことでなく、全國民の納得において、全國民が自分らはどういうことをしている。これからはどういうことが結果するであろうということを十分承知の上でやるという、そういうことでや
つてもらいたかつた。しかしこれもわが
日本の今日置かれている
現状から
考えると、それは少し野心的な、実行のできないようなことを望んでいるのであります。
少し前置きが長くな
つて済みませんでしたが、この
法案について
考えてみますと、これは先刻來申し上げますように、これと密接な関連がありますから、
公務員法について述べることをお許し願いたいのでありますが、あれと比較しますと、いろんな点においてはるかにすぐれた
法案であるということができるであろう。というのは、
公務員法の場合は公務員に対して、たとえば爭議行為をしてはならぬ。すれば三箇年の懲役あるいは十万円の罰金を科するというようなことをも
つて脅迫し、威赫し、これをおどかして、そうして公務員も当然持つであろうところのいろいろな希望なり不満なりというようなものを取扱
つて、それを処理すべきところの調停、あつせん、仲裁の機関については、ほとんど何らあの
法案の中に表われておらないで、ただ罰則というチヤプターがあ
つて、それが長々と、こまかく恐ろしい、その他の國にはまず類例を見ない、わずかにナチス・ドイツ、あるいはフアシヨのイタリアにおいて見られたであろうような、また
日本の治安維持法あたりに見られたであろうような、そしてそのほかには民主主義を実行しようとしており、またあるいはしておる國については、まず聞いたことのないであろうような、可酷な刑罰をも
つて罰すれば、それで問題が処理できるかのごとくにな
つておる。そういうことから、私は残念ながらあの
法案には
反対せざるを得ないということを申したのであります。それと比較いたしますと、この
公共企業体労働関係法案は、これはりつぱに苦情処理の機関が見てあり、調停機関もあり、仲裁機関もある。そしてそういうふうなことがほとんど中核をなしておるというような点において、これははるかにすぐれたものであ
つて、ただ罰すれば事が解決するという
考え方であるところの
公務員法とは、大いにその線を異にするわけであります。であるが、このままで通るということであれば、私はいろいろな懸念を抱いております。そこここを直していただき、あるいは根本的な点を修正していただきませんと、せつかくこれを通す際に、
労働側では全面的に
反対であるという際に、かりに國会が通過いたしますと、
労働側の支持なしにできたものは、無精卵のようなもので、幾らあつためてもひよこが出て來ないで、腐
つてしまう。
法律をつく
つても死文になる。それを強行しようとすれば、かえ
つて混乱を招くようなことになるから、この
労働関係においては、何と
言つても
労働組合の支持なしには、その
法律は
法律的には効果があるかもしれませぬけれ
ども、政治的に、あるいは道義的に、その成果を得ることはできないで失敗であります。この失敗をあらかじめ覚悟しながらやることはも
つてのほかで、そういうことは断じてしないという
意味で
——決して
労働側なり
労働関係当事者の関心を買うとか、鼻息をうかがうというようなことでなくて、その行つた立法措置が効果を上げるためには、無精卵のようなことであ
つてはならない。必ずそこから芽ばえて、花が咲いて、実がなるというような形の立法でなければならない。そこに
労働側からの協力、支持を得るというようなことのためには、いろいろな点の修正が必要であると思うのであります。そういう点につきましては、もうすでに前の
公述人の方からいろいろ御
意見もございまして、それをあるいは私繰返すことになるかと存じますので、その点お許しを願いたいと思うのであります。
第五條のところに「職員は、組合に加入しなかつたことをも
つていかなる不利益な取扱も受けない。」ということが書いてある点につきましては、先刻どなたかからの御注意もありました。これはタフト・ハートレー法にこういつた文句があるし、それからアメリカの立法令にもあると思いますが、國際
労働機関の九箇條の基本指導
原則の中に、
労働者の團結権ということがうた
つてあるにもかかわらず、これを國際條約にするために、何回も何回も過去四半世紀の間努めて、とうとう條約ができなかつた理由はなぜであるかというと、使用者側から、組合をつくる
権利のほかに、組合に入らない
権利が自由として認められなければならないということを主張して、それが非常なしのぎを削
つて爭われた点で、そのためにとうとう國際條約ができておらなかつたようなことなのであります。これは取扱いによ
つては、あるいは使用者側の態度によ
つてはめんどうでなかつたであろうが、そういう歴史的事実を振りかえ
つて見ますと、これはなくてもいいだろう。私はしいてじやまだとは申しませんが、なくてもいいだろう。飾りにいいだろうが、そういう飾りがあるためにかえ
つて通らないということであれば、むしろと
つてしまつた方がよくはないかと
考えております。
根本的な点と申しましたのは、第二條であります。この席で私が申しますことについては、これを起草した
委員会のところで、一度私は
発言の機会がありながら、その折りに申さなかつたことをお詑びしておきますが、重要な点をミスしてその機会を失
つておつた。この第二條の「この
法律において「
公共企業体」とは、左に掲げるものをいう。」とあ
つて、その
一つは
日本國有
鉄道、もう
一つは
日本專賣公社である。この國有
鉄道と專賣公社とを
一つにして、この
法律の中で同じ型にはめて取扱うというところには、むりがある、あるいは思想の混乱がある、と申しては失礼でありますが、こういうことで通そうとするのは惜しいことだと思います。と申しますのは、
鉄道は、これは明らかに公益事業であ
つて、
鉄道がとまつたりいたしますと、多数の人がただちに迷惑することである。そこで罷業その他の爭議行為がないように、それを禁ずるということまでこの中には提案されているわけでありますが、專賣の方については、たとえばタバコとか、塩とか、しようのうというようなことであると、タバコを召しあがる方は、タバコは絶対に欠くべからざるものであ
つて、タバコが來なく
なつたら非常に困るとお
考えになることは、よくわかります。しかしタバコの製造が一週間とまつたり、あるいは二週間とまつたりしても、ストツクもあるであろう。汽車がとまつたということとはわけが違う。
そもそもタバコの製造とか塩の專賣を
國家がやることに
なつた動機を
考えてみますと、これは他の國においては民主主義的な動機から、それが人民のためになる、人民によ
つてなされる、人民の
企業であるというような、いわゆるデモクラテイツクな
考え方から、そういうことを
公共体あるいは政府がやることもありましようが、少くとも
日本においてこういう事業を政府がやるように
なつた動機が、はたして民主的なものであつたかどうかといいますと、沿革的に
考えて、私はこの点誤
つているかもしれませんが、必ずしもそうでなかつた。國民が必要とするからでなくて、そうやればもうかるからであ
つて、政府の財源としてそういうふうなことをやるという
意味であつた。その点は最ももうけて、少数の人が私利を営む、少数の人のみ利益するというのでなくて、やがて國民全般の役に立つところの形において、お金が使われるかもしれません。だが
鉄道の國有にしても、塩の專賣にしても、タバコにしても、これはもうかるからや
つたのである。その点は同じくコレクテイヴイズムの行き方であ
つても、これは早く言えば、
國家資本主義的な動機で、沿革的にはそういうものであつた。そうするとその面においては、公益事業とは、同じく
公共企業であ
つても、その
内容的に取扱いが違わなければならない。そこに雇われている
從業員は、公益事業に雇われているものと同じく
制限を受けることの必要がないし、同じく
制限を受けることは正しくないというふうに
考えられるのであります。
先刻
委員長から野村先生に御
質問のあつた点に触れて参りますが、政府が公務員を雇う場合、あるいは
公共企業体が
從業員を雇う場合、政府、あるいは
公共企業体にしてもそうでありますが、
二つの性格があると思う。そこに雇われている側の公務員なり、あるいは
公共企業体の
從業員についても、やはり
二つの性格がある。この点を
はつきりしておきませんと、
労働法をつくる際に間違いが生ずる。この
法案の中にも現われているのじやないかと思われます。このスタートにおいてそれを
はつきりさせることが必要である。と申しますのは、政府でありますと、政府は支配者として
行政権、司法権その他檢察権等を行使する。あるいはその
責任を担当する支配者としての性格があると同時に、
公共的事業を行うというようなことで多数の人間の労務を使う。すなわち使用者あるいは
経営者としての性格がある。雇われておる者にしても、公務員についても、なるほど一面において政府の役人として、つまり公務員
——パブリツク・サービスという形において多数の人の必要とするサービスを提供するので、それは行使、司法その他の面の支配者としての性格を受けておるものであるが、もう
一つは今公務員といつたサービスをやることであ
つて、ことにこれが
公共企業体になりますと、あるいは政府のや
つておる事業となりますと、雇われておる者はやはり適性な
労働條件を要求する
権利があり、それを要求しなければ彼らは
能率的な適当なサービスを行うことができないのでありますから、
言葉をかえれば
労働者としての性格が公務員にもあり、
國家公共事業における
從業員にもある。そういうことで
権力者であるからとい
つて、政府があるいは
公共企業体が多くの人の利益になることをするんだからということで、單に
権力関係においてその公務員なり
從業員を押えつけるということはできない。そうしてはならない。つまり
労働関係ということは身分
関係でなく、上下の
関係、支配的
権力関係でなくて、対等の
関係において
團体交渉権というようなことも行われて、その
権利が保障され、確保されるというふうな仕組みが必要であると思う。この
公共事業においてはそういうことが必要なのである。そうや
つて考えて行きますと、國有
鉄道の場合と專賣その他のむしろ
私企業的な、あるいは少くとも営利事業としての性格を持つものについては取扱いを別にして、もし國有
鉄道のような公益事業においての罷業を禁ずるということが必要であるならば、これを禁ずるということがはたしていいことであるかどうかということについては、また第二段の議論がありますが、公益事業たる性格あるゆえをも
つて罷業を禁ずるということであるならば、この專賣公社という面においては同じ
制限が加えられることは、その
從業員に対して氣の毒であ
つて——それは氣の毒というのではなくて正しくないというふうに
考えられますので、これはわけて別の條項として取扱うことが必要であろうというように存じます。その点を修正されることをお勧めしたい思うのです。
第十七條については先ほ
ども御
意見がございました。私も
ちようど治安警察法第十七條ということを思い出しておつたところで、もしこの
法律がこの形で通
つて、この十七條に見る禁止規定があるということでありますと、英語にしますと、それはフエーマスではなくて、ノートリアスという
言葉になるんだそうです。不名誉なることにおいて有名なる形になるであろう。これはかりに
鉄道にしましても禁じなければならないだろうか。自省にまつことができないだろうか。これにつきましては私はこれをおやめくださいとか、おやめにならなければならないと申すのでなくて、これは國会で十分に御審議の際に、両当事者において十分な反省がこの際必要だと思うのです。それで公正な、あるいは冷嚴なる判断を下す。第三者としての國会は今までの事態にかんがみ、
労働運動なりあるいは
企業者側における教養、心構え、経驗、そういう人たちがどの
程度懸命にこういう問題を処理して
行つてくれるだろうかといつたようなことから、こういう立法が必要かどうかということをお
考えの上、なるべくならば罰則主義でなくて納得の形において行うようにいたしたいと思う。罰せられるから、こわいからやめるというのではなくして、自分らが要求したが、そうしてそれを調停機関にかけてみたが、第三者の
意見でよくない、われわれの言うことは現在の
日本の経済事情から、あるいはこの
企業におけるフアイナンスの
状態から許されないことであるそうだ。そうするとそのときに涙をのんで、十の要求のうちに七つしか通らなければ、それで忍ぼうじやないかという自省の形にする。それ以上やろうとするときには罷業に訴えて、そうして打撃を加えたい。苦痛を與えたい。それによ
つて勝つんだとか、また使用者側にしても、われわれの要求を
労働側がいれない。そうしてある爭議行為に訴えた。それではそれを牢屋に三年入れたらいいとか、十万円の罰金にすればいいとかいうようなわけで問題が解決するのだというような
考え方は、
労働法においては実に古い。それは時代遅れの
考え方であ
つて、やはり今後の行き方は罰則主義ではなくして、納得主義という
言葉がありますかどうですか、両当事者においてどちらも納得が行かない場合には、第三者の仲裁というようなことでそれを決する。そうして罷業行為等には入ることは必要がない。
從つて罰則も必要がないというようなことにしたい。これはたいへん理想主義的なことを
言つて、
日本の現実には適しないとお
考えの方があるならば、私はそれでもひとつ試みてみたい。と申しますことは、この
公共企業等におきましては、公務員についても、民主主義國のアメリカですら、一九四〇年の統計を見ると、千百十六件の公務員のストライキがレコードされておるくらいで、あれだけの制度をも
つてすらやはり罷業がある。それは好ましくない。それをやめさせようじやないかというので罰則をも
つて臨むかというと、そうではなくて、やはりどこまでも両者の間で折衝を重ねて、そうして両者の間の折衝がデツド・ロツクに達した際には、第三者の判断によ
つてそれを解決して行く。この
公共企業体や公務員の
関係においては、そういう形で行くことが最も望ましいのであ
つて、願わくはできることならば、この罰則ということは除いていただきたいと思うのであります。少くとも專賣
関係においてはこれは苛酷であ
つて賛成できないということであります。先刻どなたか、これについて罰則が規定してない。
公務員法には先刻來申しましたように、三年以下の懲役や十万円の罰金なんということがあるが、それのバランスにおいてこちらにも罰則を入れたらどうかというような
お話がありましたが、私は
反対である。罰則を入れない方がいい。ちやんと罰則がございます。第十八條を見ますと、「一切の
権利を失い、且つ、解雇される」、首をきられて衣食の道を絶たれるのでありますから、これだけの罰則があつたらたくさんだ。それ以上の罰則は必要がない。その上に三年も牢屋にたたき込まれるというようなことはも
つてのほかだ。そもそも
労働三法ができましたときのことを顧みてみましても、あの当時の
考え方は当時の連合諸國の
考え方、世界諸國の
考え方を反映しておると思う。
日本においては過去において非常に專制君主的に、あるいは彈圧あるいはいろいろな非民主的なことによ
つて、
日本が大きなあやまちを演じて諸外國に迷惑を及ぼしておる。それが政治的にそうであるように、経済的にもそうであつた。すなわち
産業労働関係においては、ソーシアル・ダンピングというようなことで、
日本の製品が世界のマーケツトに流れて行つたが、非常に劣惡な
労働條件によ
つて日本はや
つておつたんだ。なぜああいう劣等品を出すような
労働條件があり得たか。それは
労働組合を禁じたからだ。
労働者が
ちよつとでも何か動き始めると、治警法第十七條というようなもので発動されて、つかま
つて暗いところにいつまでも放り込まれておつたというようなことであつた。そういうことがあ
つたのであります。
日本に進んだしつかりした
労働組合法というものができて、
労働組合が活発に活動して
日本の
産業を健全化する。そうして民主的に
日本の
産業が
運営されるということにすれば、世界は
日本からの脅威から免れることができるだろう、こういう
考え方があ
つたのであります。私二十年ほど國際
労働機関
関係におりまして、
日本がああした非難を受けるごとに実にはずかしい思いをしておつた。先般サンフランシスコに開かれました國際
労働会議において、
日本から三者構成におけるオブザーバーをこの次の会合に出せる決議案が出たのです。そうしますと
日本が國際
関係に復帰できる第一のオフイシアルな機会というものは、國際
労働会議において與えられる。この次の会議には
日本から政府、
経営者、
労働者側からの代表がオブザーバーとして各國の代表と樽俎折衝することができる。そういう機会が與えられる。そのときには
日本にはしつかりした
労働法があり、そしてそれは彈圧的なものじやなくて、自由な
労働組合運動があ
つて、そして
労働者の権威というものが保たれており、適正な
労働條件のもとに彼らはおるのだ、少くともこういうレツテル
——レツテルという
言葉は非常に誤解を招きやすいのでありますが、そういうことが正面から保証されて行くのでなければならない。それが一種のパスポートで、そういうことで國際会議に復帰して行くことができる。そういう
立場からどうかなるべく彈圧といつたようなにおいのする
法律は、お通しにならぬようにお願いしたいと思う。第十九條のところに苦情処理の機関がこしらえてあります。これは少し
簡單すぎる。これはもう少し
考えておいていただきたいと思うのですが、たとえば
公共企業体の代表者二名と職員の代表二名とをも
つて構成する苦情処理協同調整会議というものができるが、まとまらなかつた場合にはどうなるかということの規定がここにない。これはこのままにしておきますとこの苦情処理がすぐに調停機関に
行つて、調停機関がすぐに今度は仲裁というふうにさつと流れて
行つてしまう。そうするとせつかくできた苦情処理の機関の役割をなさなくな
つて行くので、ダムをつくるようなかつこうで、起る苦情の九割方まではそこで処理ができてしまう、ある
程度そこでためることができる。というのは、やはり苦情処理でまとまらなかつたら、インパーシヤル・アブソリユート・アンパイアあるいはレフエリーというようなかつこうのものにかけて、その人の決定でどんどんさばいて行くことができるというように、調停もそんなことで、すべてが調停機関から仲裁機関に
行つてしまうということにしない
段階をつく
つて、各
段階的にそれが相当権威的に取扱われるというようにされることがよくはないか。外國ではそういう規定があつたりして、それがうまく
行つておるようなことをたまたま読んだり見たりしております。
それから第三十六條のところに仲裁
委員会についてももう少し詳細に、こまかな納得の行くような、不満を感じさせないような規定がほしいと思うのですが、「仲裁
委員会は、本法第五條及び第十七條違反事件について決定を行う。」これはどういうことかよくわからないのですが、その次の第二項に「仲裁
委員会が第五條違反の行為があると決定したときは、その
公共企業体に対しその行為の取消を命ずることができる。」ということであ
つて、十七條違反事件について決定を行うこの仲裁
委員会についても、これは少し
簡單すぎるから、もう少し不安を感じさせないようなかつこうのことがほしい。國会でこれだけの権威者を集められて、皆さんが御審議におなりにな
つてできましたものを、
日本の全
労働者が非常な期待をも
つてあるいは懸念をも
つて、これを監視しているわけであります。でありますから何かくだらないようなことをたくさん申し上げましたが、念には念を入れて嚴密に親切に立法をしていただきたい。少くとも罰則主義というようなかつこうでなくて、みなが納得してこの立法に大きな信頼をかけることができるような形にお改めを願いたい。そういう條件のもとにおいて私はこれを
賛成いたします。