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中原委員 もとより組合の分裂を策し、組合の育成を妨げるというようなことが表面に現われたら、これは一大事なのであります。そういうことが平氣で
法律の上に書かれるようになりましたら、もう
日本は田中反動内閣時代に逆轉いたします。一應現われております文字の限りにおいては、なるほどりつぱであるのでありますが、しかし個個の面を
せんさくして参りますと、なかなかそうではない。巧みにその背後に隠されたものがうかがわれることを遺憾といたすのであります。ただいまのお
言葉にもございましたように、組合というよりも、労組の一人々々が訓練された、労組の一人々々が自覚した
りつぱな結合体としての
労働組合を期待しておる。もちろん異存のないところでありますが、その初めから、組合員としての自覚がみんなに把握されて行くということは望み薄であります。すなわち疊の上の遊泳術でありまして、やはり一應川の中に飛び込まなければ、水を泳ぐ訓練はむずかしいのであります。それと同じように、まず
労働者が組合員としての組織の中に織り込まれてこそ、初めて
労働者的な自覚と訓練がその中で育ち上げられて行くわけであります。從いまして
ほんとうに
労働者の
労働組合への結集ということが、歴史的に意義深いものであるということを認めるのならば、
労働者に組合員たることの義務を負わしめてもよろしいと私は思うのであります。それは決して一人々々の人権を
拘束することではない。正しい目的のために組織ずけて参りまするということは、むしろそのことこそ望ましいことでありまして、
労働者が組合に組織されて、訓練されて行くという過程をとらしめるというような導きを、考慮すべきではなかろうかと私は考えるのであります。
從つてこの問題がさらに
関係して参りますが、第四條と第十一條ですか、いわゆるオープン・シヨツプ制の現われが出て参ります。こういう取
扱い方というものは、実際には
労働者がばらばらに分解して行くという、
一つの過程をとらしめる可能制が多分にあることを見のがすわけには参らぬのであります。ことにこの條文によりますと、たとえば四條の例をと
つて申しますれば、職員は
労働組合その他の團体を結成し、もしくは結成せずと、わざわざ
労働組合を結成せずというような文字が平氣で使われ、されにこれに加入し、もしくは加入しないことができる。なるほど一面考えようでは、個人の自由を尊重しておるかのごとき説明もあるいは可能であるかもしれま
せんけれども、その意図するところは、ただいま繰返し申しますように、
労働組合というものを考える考え方が、まつたく違うのではないかという疑念を私は多分に持つのであります。これは單に私一人がそのことを氣ずかう、あるいはこのことを賛成しがたいと申すのではなくて、いやしくもわが
日本の
民主化を熱情を込めて切願しておる者に、一貫する
一つの認識ではなかろうかと私は思うのであります。
從つてこれは問題がさらに飛躍したのではなくて、前の爭議権拒否の問題と関連があり、また
調停、仲裁とも関連があるのでありますが、こうしたまつたく矛盾した考え方が、この
法律案の中に織り込まれておるということは、何としても私は了承できない。いわんや自由を尊び、そして國民の基本人権を最も熱情込めて見守
つて行こうとする
労働大臣ならば、私は確かにこの点については、私どもの
意見と感を同じうなさるはずだと思うのであります。お立場から、あくまでこの問題を弁解づけ、理論づけて、
一つの合目的的な線に持
つて行こうとなさるのでありましようが、しかしながら憲法の九十七條に「この憲法が
日本國民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であ
つて、」とうたわれておる。しかもその自由獲得の努力の成果は、その間にあらゆる犠牲が織り込まれ、その血の犠牲をつづり上げて獲得いたした
一つの基本的人権である。
從つてその基本的人権は、
日本國民に対して、現在もまた將來も、これは侵すことのできない
一つの特権として、権利として信託されておるというように、たしかうた
つてあると私は記憶いたしまするが、そういうことがもし單なる空文でないというなら、またいわなければならぬが、そうでありまするならば、私はこの第十七條の一片の法文をも
つて、基本的なそれらの憲法の保障
せんとする條項をくつがえしてしまうという取
扱い方をも
つて、まつたく
デモクラテイツクな、実に
りつぱな法律案であるというふうな御説明の内容となさることは、あまりにも矛盾していはしないか、あるいはリベラリストとしてみずから自負を持つ
大臣とせられては、
良心的にはなはだ苦しい点があるのではないかと私は思うのでありまして、本
委員会は少くともわんとうに虚心担懷、この
法律案を
りつぱなものにするための討議が、なされなければならないし、
委員もまたそのつもりでこの
委員会で取扱
つておるつもりでありますから、また当局においても、そのような心構えで臨まるべきものであ
つて、あくまでこの原案を弁護づけるという
態度に、物事を曲げてまで押し進められることは、いかがかと思うのであります。從いましてこれらの諸点についての一應のお考え方を承
つておきたいと思います。さらにもう
一つあとに問題が残
つておりますけれども、一應そのことについての御見解を承りまして、あとの
意見に触れてみたいと思います。