○
尾崎行雄君
総理大臣にお尋ねいたしたく考えて
登壇しましたが、私の立場を御了解の上、お聞きを願いたい。私は、どの党派の味方でもなし、またどの党派の敵でもないのであります。在朝党も在野党も、私の眼中にはない。ただ
國家があるだけでございますから、
國家のためによいことをする人はみな味方、それに反して、
國家に有害であると私が信ずる仕事をするものは、みな敵なのでありまするから、どうぞ、そのつもりでお聞きを願いたい。從
つて、あるいは
内閣に氣に入らぬことも申しましよう。同時にまた、社会党や
民主党に氣に入らぬことを言うに違いございませんが、それは党派を憎み、かつ愛するためではなく、ただ國を生き返らせるために必要と考える結果からでありまするから、言うことは聞違
つておるかもしれませんが、その精神は
國家あるのみという点で、お聞きを願いたいのであります。(
拍手)
ところで、今私が一番知りたいのは、
解散ということが、
政府党にも、あるいは在野党にも、また世間
一般にも言われておるようでありまするが、全体だれが
解散をするのであるか、現在の
日本國において、
解散権を持
つておるものがどこにあるのか、ということが承りたいのである。
元の憲法でありますと、天皇陛下が主権を握
つておいでになるのでありますから、天皇陛下はむろん
解散権を持
つておる。從
つて、それにお仕えする
内閣も、天皇陛下のお許しをさえ得れば
解散ができるのでありまするが、今日は、主権はすでに天皇陛下のお手を離れて、人民に移
つておることは申すまでもない。しかして、人民の代表機関としては
國会であるが、
國会中のさらに尊きものは、憲法にも明記してある
通り衆議院である。そうすると、これを
解散する権能を持
つておるものは、
日本中にはないわけである。ただ残念なことは、いま
日本は独立権を失
つて、アメリカの占領下にありますから、もし、アメリカが、今の議会を不都合と考えて
解散するという政策をと
つたならば、これは占領中は、アメリカはむろん
解散をすることができましよう。そのほかに、どこをながめても、
日本の人民の代表機関たる、すなわち主権の代表機関たる衆議院を
解散し得る権能は、
日本國内どこにもないはずと私は考えておりまするが、
総理大臣も
解散ということを言われるようであるが、その権能はどこにあるのかということを承りたい。(
拍手)
また憲法の中には、
解散という言葉はところどころに見えておりまするけれ
ども、だれが
解散権を持
つておるかということは、私が見えない目をも
つて探す範囲においては、どこにもありません。
解散権の
説明がなければならぬが、
解散権の所有者のことは書いてない。それで
解散という言葉だけは使
つておる。ふしぎな書き方であります。すでに
解散という言葉を使う以上は、
解散権の所有者を明記しなければならぬが、憲法上どこにもないように見えます。これを承りたい。
世の中の人の中には、憲法第七條の三号か何かに衆議院の
解散という言葉があるのを見て、第七條の三号か何かで
解散権があると見ておるようでありまするが、これは驚くべき考えで、第七條は申すまでもなく、
政治には一切
関係のない事柄を十箇條並べただけであります。
日本國の憲法で、天皇陛下と
國民との間を
規定した一番大切なものは、私は第四條と見ておりまするが、第四條に、天皇陛下は、憲法その他に書いてあるところによ
つて、國事に関する行為を行う、それが第一項で、その次には、國政に関する権能なし、すなわち、
政治には一切
関係することは相ならぬぞと書いてある。(
拍手)從
つて、第七條に並べておる十箇條というのは、この第四條から出た國事に関する行為で、國政に
関係なきことばかりを、ずつと並べておるのである。その中に衆議院
解散という言葉があることは、実にふしぎ千万でありまするが、よく読んでみると、これは
解散ではない。だれかが
解散ときめたならば、それを公布するという
意味よりほかにとりようはございません。これをもし、ほんとうの
解散権と見るならば、わが憲法は、
民主政治の根本を破る、破壊するところの憲法であ
つて、第四條に書いてあることは、ほごであります。すなわち、憲法の根本が破れる。從
つて、
民主政治などということは、根底から破壊せらるることになります。これは子供が読んでもわかるはずであります。
あなた方は、私よりよくご
承知でありましようが、第七條には何と書いてありますか。
内閣の助言と承認を得て、天皇陛下はずつと第十項に至るまでの事柄を行う
義務がある。助言というのは、あたりまえの言葉で言えば指図という
意味であり、承認ということは、許す、許可ということだ。
内閣の指図と許可さえ得れば、天皇陛下は十箇條の事柄をしなければならぬ。これに対して、いやおうを仰せられることはできないように書いてあります。これが全体ふしぎな書き方でありまするが、ほんとうの
民主政治になりますると、そういうわけかと思います。
私
どもは、君主
政治の
もとに成長して、天皇陛下をば非常に尊ぶ癖がついておりますから、こんな書き方を見ると、ただただ驚くのほかはございませんので、元の
内閣よりも、もつと低い
内閣であります。
日本の元の
内閣は、
総理大臣以下一人残らず、天皇陛下のお許しを得なければ任免黜陟はできない。今度の憲法によると、臣民が天皇陛下にかわ
つて主権を持つ。その主権者が選んだ、比較的たつとい衆議院が指名する。参議院も指名するようでありまするが、両方が衝突したときには、むろん衆議院の決定に從うのであるから、実際は衆議院の指名である。衆議院が
総理大臣を指名しますると、あとの各大臣は、
総理大臣がか
つて任免することができるように書いてあります。同じ
内閣といえ
ども、先の
内閣と比べると、ほとんど比べものにならないほど、何と言いまするか、儀礼的には下等なものであります。つまり言えば、元は天皇陛下の御名による。一人残らず天皇陛下のお許しを得なければならぬ。今度はそうではなく、今まで奴隷同犠に扱われてお
つた臣民が選んだ衆議院が指名したものである。しかもそれは、
総理大臣一人である。あとの各大臣は、
総理大臣がか
つてに任免することができるのでありますから、名は同じであるけれ
ども、その実質に至りては、よほど低いものであるということは、どなたにもおわかりになるわけである。
それからもう一つは、先の、もつとたつとい、一人一人選任せられた
内閣ですらも、か
つてに衆議院を
解散するなどということはできない。
内閣全部が
解散したいと考えても、天皇陛下のお許しがなければできない。現に、そういうことは明治年間にあ
つたと思います。ところが、今度の憲法によりますると、
内閣が決定さえすれば、天皇陛下は、どんなに惡い決定でも、いやおうなしに、第七條に書いてある等のことは行わなければならぬことにな
つております。実に恐れ多いことで、どうして帝國臣民にこんな文字が使えたかと思います。ありていに申しますると、天皇陛下は、ただ
内閣のさしず
通りに、いろいろなことをするだけで、
内閣のさしずには、一切そむくこと相ならぬという
意味であります。まあ、恐ろしい書き方であります。ほんとうの
民主主義というものは、そういうものではありましようけれ
ども、私のごとく君主
政治になれた者、私のみならず、先祖代々二千年の間君主
政治になれた者がこれを思うと、ただ驚くほかはございません。あの天皇陛下は
内閣の小使同様である、
内閣がさしずすることには、一切そむくこと相ならぬ、さしず
通りに行わなければならぬという
意味よりほかに解しようはないと私は思いまするが、
総理大臣も、やはりさように解釈なさるかいなやを、はつきり承
つておきたい。
それのみならず、國事に関する事柄と、國政敷に対して権能なしという第四條を見ますると、第七條に書いたものは、國政には一切
関係ないはずのものであります。また、一々調べてみれば、衆議院
解散という言葉のほかは、一つも國政に
関係したものはございません。しかるに、衆議院
解散という言葉がある。
ゆえに私は、これは
解散そのものではない。
解散の公布である。布告することである。
内閣がか
つてにつく
つた政令、あるいは衆議院その他で
決議した
法律ですらも、天皇陛下は、第七條第一項によ
つて公布するというお役目を持
つている。全体
政令のごとき、あんな下等な令を天皇陛下の御名で公布する必要はないと思いまするけれ
ども、実に書き方の不都合が、今度の憲法にはいくらでもあるのであります。
これも私は、むりとは申しません。神武建國以來、御同様、先祖代々夢にも見たことのないほどの大敗北に至
つて、
國家が無條件降伏をした以上は、帝國軍民たるものは、みなほとんど喪心
状態、頭がすつかりくずれてしまうということは、私は人類当然のことと思います。
ゆえに、もうほとんど人間の脳髄がなくな
つてしま
つたような際に、唐突の際に書いた憲法でありまするから、こんな不都合な書き方をしたということがあ
つても、私はしいてとがめません。むりではない。二千年間夢にも見なか
つたこの國難に遭遇して、発狂人同様になるのは、むしろ人間味が多少ある結果と見て、私はとがめない。決してむりではないと、内心やはり、さすがに古來天皇陛下をたつとんで來た人民の子孫であるというふうに感じます。
諸君はどうごらんになるか、これを承りたいが、ことに
総理大臣に承りたい。あれは、どうしても
政治に
関係することとは見られない。ことに憲法にこんな書き方をしたといことは驚くべきことであります。
今日は、欠点はあえて言う必要はございません。
解散という大問題だけを承ればよいのであるが、いささか、すべての書き方が間違
つておるということの一、二の例をあげれば、第七條の第二項には憲法
改正とあるが、これも私は驚いた。憲法
改正ということが、天皇のお仕事の第一に書いてある。驚くべきことであ
つて、そんなことが書かるべきはずはないのみならず、書いたところで、できるはずのものではございません。憲法の
改正という大
事件、それらをよく見ると、憲法
改正ではない。
法律や
政令と一緒にできた憲法を公布するという、一番しまいの公布という宇にかかるために書いておる。それらは、なぜ憲法
改正と書かないで、
改正憲法、改訂した憲法、改訂憲法と書かないのであるか。憲法
改正と書けば、憲法を
改正することになる。改訂憲法とすれば、ほかの機関で改訂した憲法を公布するということに読めますけれ
ども、憲法
改正の公布、そんな公布ができるかできないかを
総理大臣に承りたい。私はできないと思います。天皇陛下に憲法を
改正する権能があろうはずはない。権能のないものを公布するということにはならないのである。こんな子供にでもわかるものを、あたりまえに書き得ないという連中が、あの憲法をつく
つたのである。それは喪心
状態で、むりはない。
私の感じを申しますと、憲法でも
法律でも、文字などどう書いたところが、それは役に立たないものである。文字の末に拘泥して、とやかく言うのは、それは弁護士か何か、ただ
法律だけを知
つて、正しい道理を知らない者は、それでよろしいが、眞に天地間の正しき道理を知る者は、文学の末よりか、その精神骨髄に重きを置かなければならぬというものであります。正しい道理を知らない者に、ろくな憲法の書けるはずはない。また書いたところが、文字の末に拘泥するようなことでは、眞の立憲國にはならないと思
つておりました。からだが老衰して弱いから、憲法
会議に一切出ませんでした。これは私の欠点で、まことに申訳ないけれ
ども、よく書いたところが、だめである。前の憲法などは、ずいぶん文字上からいえば、今日見る新憲法からは、比べものにならないほどよく整
つた憲法であります。それも、その
運用が惡か
つたために、
日本は現在憲法上の
手続きによ
つて亡國
状態に陷
つて、今日占領下におります。決して憲法にそむいてや
つたのではない。憲法の文字
通りに働いて、逐に戰爭に敗北し、無條件降参をいたして、今日独立権を失
つて、占領下におるに至
つたのである。
こういう実例を見る以上は、新憲法に、文字などに幾らよく書いたところが、実行が惡ければ何の役にも立たぬということが、私の根本観念である。病氣がよくても、私は欠席がちであ
つたかもしれませんが、このことは、將來憲法を
運用する上において、御同様によく考えなければならぬが、ことに
総理大臣たる者は、この点においては特に力を用いなければならぬ。これに対しては、どういうお考えがあるか、文字に重きを置くか。
運用に重きを置くか。文字などに拘泥すれば、もう憲法は大半無効になります。
運用でなければならぬ。
この証拠は、世界中のまず一番よい立憲國は、多分イギリスでございましようが、イギリスには、文字に書いた憲法はない、みな
運用だけで憲法ができておるのである。それが一番いいのである。文字などには、ずいぶんイタリアでもドイツでも、幾らもりつぱに書いてありまするけれ
ども、あの
通り運用ができないで、ドイツもイタリアも、ほとんど暴政——全体主義などと言
つておりまするけれ
ども、これは秦の始皇帝や北條や何かがや
つたところの暴力主義で、立憲国ではないのであります。あんないい憲法ができてお
つてすらも、
運用その道を誤れば、秦の始皇や北條や足利時代と同じ
状態に陷
つて、ムソリーニやヒトラーの支配を受けるというようになるのであります。
日本もその
通り。
運用を愼まなければならぬ。
総理大臣たる者は、ここに最も重きを置かなければならぬと思うが、この点において、やはり世間の
法律学者か何かのように、文字に拘泥して
運用に軽きを置くやいなやということも、はつきりお答え願いたい。
運用に重きを置くならば、第七條にあるところの衆議院の
解散などということは、もう公布のことであ
つて、ほんとうの
解散には寸毫の
関係もないものと、今日はつきりお答え願わなければならぬ。
まだどうも、世の中に
解散論を唱える人は、第七條によるような人が大分あるようでありますが、私は驚いております。あたりまえな頭をも
つて第七條を読めば、これが衆議院の
解散であるなどということは、絶対に理解はできないはずであります。(
拍手)しかるに、世間全体がこれをそう思うように、眞の
解散と理解するように見えましたから、私は老衰の結果発狂したと感じたのである。どうも生きがいのないからだであるから、いつ死んでもさしつかえないけれ
ども、氣違いにな
つて死んでは実に残念だと思いますると、夜も寝られません。三晩ばかり寝ずに考えたけれ
ども、どうしても私の発狂ではない。第七條の読み方は私が正しということを今日も思
つておる。そうすると、世の中がみな——あの七條をも
つて解散ができると思う人が、世間に、
日本中大部分のようであるが、みな発狂したと見るよりほかに見方はありません。(
拍手)私一人が発狂したのではない。全國大多数の者が発狂したと見なければならぬ。そんなことは、私はりくつはそう見えても、どうもそう思えぬのであります。世の中には私などよりも学問の多い人、天性のいい人が幾らでもある。それがみな発狂してしまうということは、人間世界にあり得べからざることであるが、各博士の
議論や何かを見ても、どうしても発狂しなければ、あんな
議論はできないはずと私には論断できるのである。これをどうぞ公平にお考え願いたい。むろん、ほんとうに学問をした者は、憲法第七條は衆議院の
解散ではない。衆議院
解散の公布である。
政令と同じく官報のかわりに公布するだけのことであるということに理解する者も少しはある。しかし、全部そう理解しなければならぬはずのものである。
すでに第七條が
解散の根拠とならなければ、
総理大臣などは、
解散などという言葉が使えるはずはないが、その次の第六十九條を、たしか根拠とすることでありましよう。これもよく読んで伺いたいのである。第六十九條というのは、元來からいうと、私は、わが憲法にあんな箇條を設けたということを國辱と考えております。あんなことは、小学校の子供にでも教えるべきことで、一
通り成長した人間には、あんなことは、言
つて聞かせると、みなわかるはずのものである。何と書いてある。衆議院で不信任をしたとき、あるいは
政府が出した信任案が否決せられたときには、
解散がされない限り総辞職しなければならぬ。——わかり切
つておるじやありませんか。ここに
解散という言葉が聞違
つておる。
解散のしてのない
解散——だれが
解散権を持
つておるかということをどこにも書かないで
解散という言葉を使うということは、まあ驚き入
つたる書き方でありまするが、それにしても辞職しなければならぬ。——何ということであります。主権がすでに人民に移
つて、その人民の代表機関の衆議院が選挙して指名した
総理のつく
つた内閣、それが不信任に出会
つたときには言う必要はない、辞職するよりほかに、あたりまえならば道はありません、氣違いでなければ……。何か方法がありますか。主人から雇われた人間が、主人の氣に入らぬという、貴様が惡いとい
つたときに、おいとまを請うよりほかに、あなた方どこか行くべき道がありますか。どこにもありません。
一軒の家であると國であるとで大層違うということで、御了解に苦しむ人があるかもしれないが、会社にたとえてごらんなさい。会社の主人は、多分株主でありましよう。株主が選んで重役であるとか、重役が選んで社長であるとか頭取とかいうものをきめると、表向きは頭取か社長が一番上のものでありますが、重役から選ばれた社長や頭取は、氣に入らぬときは重役を放逐することができますか。ずいぶん会社などにも、わからぬ人間が——賄賂をつか
つたり、と
つたりする会社も大層あるくらいだから、わからぬ人間が幾らもありましようけれ
ども、まさか重役
会議で選んだ頭取や社長が、自分が氣に入らぬからとい
つて、重役を全部放逐して、株主に向
つて重役を選び直せなどという
規定のある会社は、おそらくは世界中になかろうと思う。
日本にもなかろう。これをあると言うならば、どうぞお示しを願いたい。今の衆議院と
内閣との
関係は、ここの重役と社長との
関係であります。かりに
内閣を大層たつといものと見たところが、重役が選んできめた社長や頭取と同じものである。その重役が氣に入らないから不信任とい
つたときには、社長なり頭取なりは、辞職するよりほかに、人間社会には行くべき道はないはずである。
内閣もそれと同じことである。どうも人間社会、普通どこでも行われることが、今の
日本人にはわからぬようであります。
解散論などを唱える者——もつとも、失礼ながら
解散論は、
内閣の人が唱えるのみならず。民間の人も唱えるようである。社会党の人も唱える。
民主党の人も唱える。新聞記者などは、ほとんど全部唱える。驚き入
つたる社会であります。(
拍手)しかし、これは勝手に唱えてもよろしい。けれ
ども、実権を握ろうとして現在その局に当
つておる
政府の者が、即時
解散とか何とか言うに至
つては、これは驚かざるを得ない。どういう場合に唱えても驚くのであります。その局に当るほどの
責任者が、
解散できようはずがないではありませんか。ただ旧憲法に慣れて、天皇陛下の主権の
もとに政局を担
つた官僚育ちの人間が、この習慣が骨髄に徹して、今でも忘れずに唱えるのは、あえてとがめませんけれ
ども、その人が、すでに官僚社会を脱して政党の首領とな
つた以上は、そんなことは、おくびにも出せるはずはないのであります。ところが、現在出しておるようである。この根拠を承りたい。
あの第六十九條などというものを根拠にして
解散を唱えるなどということは、驚くべきことである。あれは根拠になりません。あんなつまらぬことを憲法に掲げたということが、実は後世の笑いものであります。現在でも、世界の少しわかる者は、みな笑
つておるだろうと思います。あんなばかげた條というものはありません。あれは無規すべき條であります。衆議院から選ばれた者が、不信任の
決議を受けて辞職しなければならぬということは、ばか、氣違いには言うて聞かせる必要はあるが、普通の常識のある者には、だれにも言うて聞かせる必要はございません。みな知
つております。現に会社でも、重役が選んだ社長は、重役の信任を失えば必ず退くであろう。あのわけのわからぬ下等の会社ですることが、
日本帝國の国家でできないなどということは、
國家はどうも、会社などよりか、よほど下等なものと見るよりほかに、見方はないのであります。こんなことについても、われわれにわかるように、どうぞ御
説明を願いたい。(
拍手)
民間でも、第六十九條でやはり
解散ができると思
つておる人が大分あるようであるが、
政府も、第六十九條で
解散することが都合がいいと考えている人もあるようである。これも実におかしいのです。あれでむりに
解散するとしますと、どうなります。結果を考えてごらんなさい。ただ
政府と議会との
関係を——第七條で
解散ができないとすれば、第六十九條で
解散するときには、議会から不信任案を出すか、あるいは
政府が信任案を出して、それが否決されたときでなければ、第六十九條は適用はできますまい。そうすると、
政府が望んで
解散しようとするときには、多分信任案を出すでありましよう。民間の方では、無益に
解散を求むることは、道理にも合わぬのみならず、実際に不
利益であるから、不信任案を出さぬでしよう。また出す必要はない。少数の
政府に向
つて不信任案を出す必要はない。自分の氣に入らぬ議案を否決すれば、もう
政府は動くことはできませんから、不信任案などという必要は少しもない。
政府が大切とする議案のうち、國のために惡いというものがあると考えたら、否決してしまえば、
政府はもうどうすることもできません。それで辞職するよりほかに、しかたがありません。だから、在野党の頭が狂わざる以上は、あの條によ
つて不信任案は決して出しません。出す必要はないのであります。そんなばかなことをする必要はない。氣に入らぬ
政府の大切な議案を否決さえすれば、もう
政府は辞職するよりほかにないのですから……。
そうすると、あれを利用しようとすれば、
政府の方では小知惠を使
つて、
解散したいために、信任をせよという議案を出しましよう。このときになると、在野党は少し困るかもしれません。(笑声)いやな
政府を信任するということは迷惑なことです。さりとて不信任と、その信任案を否決すれば、あの條によ
つて解散する。
解散すべき理由のないのに
解散するということは、
國家のためにも、自分たちにも惡いことであるから、これを避けるべき方法を施すのが
國民たるの
義務であります。どうしたら避けられるか。信任案を出したらば、ただ
政府全体としては信任をするという投票をして一向さしつかえない。自分たちが多数で野に下
つているときには、それでは
良心がとがめますけれ
ども、現在片山
内閣も
芦田内閣も辞職して去
つたのである。ほかに野には、どうしても
内閣をつくる資格のある者がないのであります。自分たちがつくることができないという以上は、敵であろうが何であろうが、これにつくらせるよりほかに、國を愛する——國ということが眼中にある以上は、それにつくらせるほかは、しかたかございません。
世界に、
内閣のなくてよろしいという國は、いにしえも今もない。しかして、在野の両大
政治家である片山君、芦田君などは、ともに
責任を負うて退いて、他にたれも代り手がない。吉田君は、幸いにして老躯をいとわず、
責任をと
つてつく
つてくれている。その点は、
國家のためにはまことに——党の
事情からいえば残念かもしれぬが、
國家のためには、ありがたいことであります。たれもつくり手がなか
つたならば実に困る。私は、吉田君とはあまり縁故もない。一度お目にかか
つたくらいで、知りません。また主義方針も違うかもしれませんけれ
ども、あのときに
内閣をつく
つてくれたということだけは感謝しております。芦田片山両君は、できないとい
つて退いた。ほかにつくり手はない。
國家には
内閣が絶対必要である。そのときに、少数であ
つて、
政治はきわめて困難、ことに無條件降伏の非常にむずかしいときにあた
つて、万難を排してその
責任をと
つたということは、私は感謝しております。しかも少数党である。すぐいじめられるということも覚悟の上で立
つたということは、まことに犠牲的精神に私は感じております。(笑声)そのくらいでありますから、芦田派の人も、片山派の人も、自分たちがつくれぬ以上は、
政府が信任投票を求めたときには、しかたがない、信任するという投票を入れるのが、あたりまえであります。それを入れなければ、
内閣がいらないということである。
内閣がいらないと明言する人は、あたりまえの言葉で言えば、非
國民ということになります。
國民ではない。
國家を無視する者でなければ、
内閣はいらないという投票はできないはずのものであります。だから、
政府が今の場合において信任案を出したならば、
吉田内閣を信任せずとも、自分がつくれぬ以上は、必ず信任の投票を入れます。だから、社会党も
民主党も、
政府が出したら信任投票をお入れになるべきはずのものと信じております。それを入れたならば、第六十九條で
解散はできますまい。信任案が否決されれば、あの惡い、間違
つた條項によ
つて、むりに
解散はできましよう。文字の上からは……。精神から言
つたならば、できるはずのものではありませんけれ
ども、道理も精神もわからぬ
内閣ならば
解散できましよう。しかしながら、在野党が、自分がつくれぬ以上はしかたがない。敵にしかるべくやらせるほかは、しかたがない。いやでも、
國家のためにはそうしなければならないというならば、信任投票を入れるのです。これを
良心やましいと思う人は、まだ
良心の使い方を知らない人である。当然である。
イギリスあたりでも、多数党がやむを得ず辞職するときには、必ず
反対党の首領を奏請して、これに
内閣をつくらせたらよかろうと言
つて、
責任をと
つて退きます。
内閣は一日も欠くべからざるものであるから、あたりまえの人間の住んでおる所では、みな同様である。信任案が出たならば、か
つてに、いやでも信任の投票を入れなさい。それなら、
解散はできないではないか。そうしたら、第七條でもできない。第六十九條でもできない。だれが考えても、どうするでありましようか。今
解散とい
つても、何をして
解散するか。それをはつきり私のごとく頭の狂
つた人間にもわかるようにお答え願いたい。
それから、さらに一歩進めば——なるたけ簡單にお話いたしたいと思いまするが、実はこの問題は、
解散ということは新憲法の根底を破壊する、同時に
民主主義を根こそぎほごにする問題でありますから、どうぞ時間が少しおそくな
つても、お忍びを願いたい。
解散ということが、一たび
内閣でか
つてにできるということになりますれば、もう
民主主義などというものは根本から破れます。新憲法はほごになります。役人がか
つてに
解散する。これも立憲
政治になれて、選挙の何たるかを知
つておる國ならば、ほごにはなりませんが、残念ながら、わが
國民は、まだ立憲
政治の教育が足りません。從
つて、投票の入れ方も知りません。
投票の入れ方は、私が言うのは失礼でございまするけれ
ども、実際知らないと感じておるから、
諸君の口を経て選挙民に教えていただきたいのは、なぜ投票を入れるか。政権を握
つた者は、文化の低いところにおいては、どこでも全國人民を奴隷のごとく考えて、その人のからだと財産をか
つてに使
つて、
政府がわがままをするのが、古今東西、世界中の習慣であります。それでは、からだと財産を持
つておる者が困るから、
政府にわがままをさせないために、投票をも
つて総代を選ぶ。議員というのは、御同様のからだと財産を
保護する番人であります。
ゆえに、この理由がわか
つたところでは、イギリスあたりでは、同じ人間でも、在野のときに、りつぱに議員に選ばれた者が、
内閣の大臣になりますると、生命財産の
保護人が、今度は人民の生命財産をどれだけかむりに使いたいという方の
政府側、すなわち
保護される方の
反対の側に立ちまするから、道理に基いて、イギリスでは、そういう人は、ただちに議員を辞して、選挙民に向
つて、監督せられる方の身分とな
つた、すなわち大臣とな
つたが、やはりお前たちは自分を信用して、お前たちのからだと財産の番人に使
つてくれるかということを問うのであります。そうすると、そのときには、必ず投票が減ります。私の知
つた範囲においては、そのときに落選した大臣もあります。
日本は、まだま
つたく投票の入れ方を知らない。むりはございません。ま
つたく、その方の教育はされぬのですから、從
つて大臣にでもなりますると、選挙民は喜んで投票をふやします。イギリスでは必ず減る。現に私も、大臣のときに選挙に臨んだことがありますが、大層ふえました。私の選挙区は、明治二十三年以來、ほんとうのことを学んだ。書物で学び、イギリスにおいて実見した
通りのことを手本として、ほんとうの選挙民になることをずつと教えて、今日では三代目にな
つております。それでも、まだわかりません。であるから、
日本全國の選挙民が、投票の入れ方のわからぬなどということは、私は怪しまぬ。私の教え方も惡いのでありましようけれ
ども、三代教えてもわかりません。現に、この間の戰爭中には、むちやくちやに、東條その他世の者が、全
國民のからだと財産を取上げて、この敗北すべき戰爭に連れ込んで、私はそれに、ずつと終始
反対してお
つたのであります。そうすると、この前の、敗戰前の総選挙においては、私はほとんど落選いたしそうになりまして、しりから二番目で、ようやく当選した。そのくらいわからぬ人間であります。三代教えても、そうでありますから、教えない全國の選挙民は、まるきりだめであります。だから、これに対して
解散などしたところが、投票の入れ方を知らないものであるから、何の効能もないことは、はつきり、わか
つております。
その証拠は、
諸君に対してお話するのは、はなはだ失礼でありますけれ
ども、
國家のため爭うべからざる事実でありますから、私はあえてお話をいたす。どうぞ、忍んでお聞きを願いたい。敗戰後、前古未曽有の國難を招いた。これは選挙民が招いたのであります。近衛以下東條に至るまで罪人となりて、今裁判を受けた者、あんな者に投票を入れなければ、こんなばかげた世の中はできないのであります。それはみな、選挙民があれらを助けて投票を入れた。私を落選せしめんとするまで
反対して彼らを助けたから、この敗北を招き、この降参を招いた。この事実を認めて教えなければならぬ。その結果がまた現われております。
敗北後、二回総選挙があ
つたようです。一回ごとに惡くなります。はなはだ失礼でありますが、私は五十何年間議会にお
つて、今日現在ほど下等な議員のおることはなか
つたと思います。(
拍手)はなはだ失礼な申分でありますけれ
ども、事実はそうである。また、この議会ほど、たくさん議員から罪人を出したこともないのである。むりはございません。從來の男ばかりの選挙民ですらも、大体投票の入れ方を知らない。全國選挙民の三分の二は知らないのである。いわんや、最近の総選挙においては——その前からでありますか、女に選挙権を與え、ま
つたく無教育な——中には、りつばな御婦人もありますけれ
ども、大体からいえば、男よりかなお
政治の教育は欠けておる。しかも、みな選挙権を與えて、にわかに選挙民を倍にしたのであるから、投票の入れ方がわからぬということは、むりでも何でもない、あたりまえのことであります。その結果が実際に現われて、選挙ごとに議員の品位は低下いたします。これも事実に現われております。
六十年近くの間に、私
どもの若い時分には、ずいぶん乱暴な人間が多か
つたけれ
ども、まだ、議会で乱暴をして除名せられた議員は、一人もなか
つたようであります。そんなものが続々出て來る。これから総選挙をすればするほど惡くなります。どれだけ惡くなるか、私はわかりません。ただ今日では、どうか惡くならぬようにしたいというために、ここに老躯をひつさげて、にくまれ口をたたいておるのであります。(
拍手)どうぞ、それだけは御
承知を願いたい。
解散ということは、議員を惡くするためにはなりますけれ
ども、よくするためには一切なりません。
それから、これが第四か第五番目の質問でありますが、
解散をするには目的がなければならぬ。選挙民が投票によ
つてきめることのできる目的がなければならぬ。現在
政府にお
つて解散を唱える人は、
解散の目的は何であるか。あるいは自分の党派をふやすというようなことを考えておる人があるが、これが聞違
つておる。現に立憲
政治の眞意をわきまえたときには、
政府にお
つて解散すれば、その数は必ず減ります。人民の生命と財産を使う方の仲間ですから、むりに使われてはいやというのが人間の心情であるから、
政府に立
つて解散すれば、必ず減る。
日本人はわからぬから、まだ封建時代の野蛮
思想が支配しておりますから、自分の命と財産をむだに使われる方に、ありがたが
つて投票をいたします。それは人民が惡いのであ
つて、
政府は何が目的であるか。何か
國家的目的がなければならぬ。もし目的があるならば、
解散を唱える前に、こういう仕事をするということを、第一番にわかりやすく
説明しなければならない。
それは好んですべきものを、いやいやながらや
つているようであります。そうすると目的はないのである。しいて私は批判すれば、自分の党派がふえることが目的ではないかと思います。それは下等な選挙人を相手にして、
政府にいる間に
解散すれば、必ずふえます。私は、それを予言して誤らぬと思います。そうすれば、
内閣をつく
つたものが、何か口実を設けて
解散する。野に下らぬ前に、
政府にいる間に
解散すれば、必ず幾ばくかふえる。辞職をするにしても、仲間をふやしてから辞職した方が得であるというくらいの下等な考えで、退職する前に
解散する。新たに就職する者も、そういうふうに
解散する。
解散に次ぐに
解散をも
つてする。そのたびごとに、議員の程度はだんだん低下する。
これは
政治上のことでありますが、
解散を一度すれば、全國でどれくらいむだな金を使うかわかりません。世間の人に聞くと、およそ選挙に百万円はるだろうと言う。そうすると、千人候補者が立ちますと、百万、千万、一億、十億—十億くらいは、選挙入費だけで金がむだにいりましよう。それから、およそそれに近いだけは、今度は選挙人の方からも損をします。一日どうしても家業を休むだろうと思います。その間には、遠方から來た者は、途中で飲み食いもしましようし、くつも破れるし、着物も惡くなる。一回の選挙に、全國の選挙人が道で消費するものは、たいへんな金であります。その間は生産は休む。消費はふえる。その上に候補者が十億円くらい使う。これは、たいてい腐敗、買收、飲み食い等の賄賂的性質を持
つたものが多い。あるいは、それでなくても、少くとも風俗を悪くする方の側に使われます。そうすると、何らの目的もない総選挙に、風俗壊乱、人民を悪くするために、候補者の方だけで十億という金を使い、全國選挙人は一日家業を休んで、生産を休んで、消費をふやす、これらは、
経済上、職業上どれだけ害をなすか、私にはわかりません。その道のあなた方がお考えにな
つたら、すぐわかりましようが、一回の総選挙というものには、必ず何十億というものが悪い方にばかり使われる。從
つて、生産は減ります。さなきだに食糧も足らないで、アメリカあたりから食糧などをもら
つて食
つているという世の中は、実に残念なことであります。
そういう不都合なことをして、なお
政府が、何らか今度は、選挙の腐敗せぬように役人に取締らせるなどと言
つている。それができるか、できないか、考えてごらんなさい。それができれば、こんな無條件降伏などはいたしません。これまでは、大分役人に取締らせる方法、選挙國営などということを言
つて、多少そのまねをや
つたことはありませんが、私の経験によれば、役人には絶対取締ることはできない。取締ることができないのみならず、惡事を働くことは驚くべきものであります。戰争中の選挙などでも、
演説会場も出版も縣廳で取締る。それから蓄音器な
ども取締る。それがために、正しいことを私には言わせなか
つたのであります。はなはだしきに至
つては、イタリアにヒントを育ては心得違いをしておる。現に天皇の陛下の皇子は、軍閥あたりがうじ虫のごとく言
つておるイギリスに留学遊ばされたではないかと言
つたら、そういうようなことを、みな縣廳の者が取締
つておる。驚くべきもので、これらの役人に選挙を正しくするなどということは、絶対にできません。そんな証拠は、私は大分持
つておりますから、御入用ならば、いつでもお目にかけます。
縣廳の役人などというものは——裁判官までもだめである。現に選挙中に、私を選挙のじやまになるというので、不敬罪というような、ばかな名義をつけて牢に入れました。裁判官までもだめである。こんな者に選挙を
粛正させるとか何とかいう考えがあるならば、非常な間違いであるということを、
総理は一應お考えを願いたい。聞けば
総理自身も、この役人
どものために、憲兵隊かなんかにひつぱられたということを聞いておりますから、
総理も、役人がどのくらいのものであるかということは、実驗上多少御存じであろうと思います。
それから、最も大切な
解散の目的であります。何が目的であるか。自分の党をふやすなどということは、これは党利党益あるを知
つて、
國家あることを忘れた人の言うことである。
解散は党利党益のためにするものではない。
國家的必要がなければならぬ。その必要は、前の選挙のときに夢にも思わなか
つた恐ろしい大
事件、
國家の安危盛衰に
関係するほどの大
事件が突然起
つた。そのときには総選挙をしなければならぬということはできます。從
つて、その選挙人から選ばれた御同様は、どうしていいかわかりませんから、そのときには、もう一度選挙人の意向を聞こうという考えは、
良心ある議員なら当然起るわけであります。そういうときには
解散の必要はないのである。御同様が総辞職をすればいいのである。総辞職すれば総選挙が行われます。
解散などという不正なことをする必要はない。総辞職をすればいい。
けれ
ども、そんな問題は起りません。ことに
日本の議員は、た
つた四年の任期であるから、四年のうちに何度も選挙をし直さなければならぬという問題は、今まで私が五十何年の経験によれば、一度も起
つたことはございません。今後も起る氣づかいはございません。ただ一つ起るかと思うのは——これは当分できますまいが、私の唱える世界連邦というものが、欧米人などにも理解ができて、これができるときに、國というものを廃しなければなりません。世界連合が発達して、いよいよ世界連邦をつくろうということがまとま
つたときには、
日本は、
日本國という國を廃して世界連邦中の一州になるかならぬかという問題が起る。これが起ると、どうしても御同様は、総辞職するか、みずから
解散をするかして、選挙人の意見を聞かなければなりません。そんなことは絶対に起る氣づかいはないと思います。
また、その
解散の目的というものは、白か黒か、た
つた二つより投票の入れ方がないというものでなければならない。目的が幾つもあ
つては、投票の入れ方はできません。幾つもあれば、幾つにもわかれてしまう。そうすると、
解散前と同じく小党分立、
内閣すらできぬという
状態になります。だから、どうしても右か左か、白か黒かという問題である。
日本という國名を廃して、世界中の國に入るか入らぬか。これならば、どつちかへ投票を入れます。今
内閣などが唱えておるような、問題を三つも四つも出して、どうして投票の入れ方があるか。投票は一票よりない。白か黒かしか入れ方がない。幾つも投票がなくて問題がある。それならば、投票は四分五裂する。その結果は、前選挙と同じく幾つにもわかれましよう。やはり
日本では、四つか五つの團体にわかれましよう。それは私党である。政党と言
つておりますけれ
ども、どこから見ても、あれは政党ではありません、みな私党である。
國家よりか自分の党に重きを置く團体であります。だから、私党がまた四つも五つもできる。どうするのであるか。
内閣はやはり、お互いに讓り合うよりほかにできない。讓り合えば、主義方針などというものは、ほとんどうそになります。前に三党連合
内閣ができた実例をごらんなさい。三党寄
つて内閣をつくりますと、主義方針をもし三つも
つておるならば、三つのうち二つ讓らなければ
内閣はできません。二つ讓れば、三党合して一つの
内閣ができる。讓り合
つて六つの主義方針を捨てなければ
内閣はできません。現に片山
内閣でも
芦田内閣でも、主義を捨てて何も行わなか
つたということは事実に現われておるから、あなた方も覚えておるに違いない。絶対できません。だから、政党
内閣などというものは、ま
つたくうそである。それを、世間のわからぬ者が寄
つてたか
つて、
内閣は第一党につくらせるのが憲政の常道だなどと、ばかけたことを言う。そんな常道が、世界どこにあるか。一党でも二党でも、一番國のためになる者につくらせることが、國を愛する者の道である。過半数であるならば、それで
内閣をつくらせなければならぬ。一党であろうが二党であろうが、過半数を得なければ自分の主義を行うことができない。そういうときには、一番いい人を選んで、みな助け合い讓り合
つて國家のために働くのが人間たるの道である。
それ
ゆえに、私は前から、今日
日本が生き死にの境に立
つておるときには、もう党派というものは、しばらくの間みな解いて、挙國一致とな
つて、お互いに讓り合い助け合わなければならぬと
勧告した。それをしなければ
日本が生き返ることはむずかしい。そのときには、どういうわけか、一人も
反対しなか
つた。私は、これほど
諸君が理解力があるとは思わなか
つたと、大層喜んでお
つた。ところが、あとから見ると、総起立はしたけれ
ども、一つも行われなか
つた。驚くべき
諸君である。立
つただけである。何のために立
つたかわかりません。その結果が現われて何もできない。
敗北三年、何をしましたか。
公務員法じやとか何とか、どうしても將來廃さなければならぬものをこしらえた。あんな
法律をつくることは屈辱であります。あんなものは
民主主義の弊害であります。欧米くらいの文化程度でも、まだほんとうの
民主主義は行われません。しかして労働者が、頭数が比較的多い。それで、一回の選挙にあの労働者の関心を失うと、何百万票という損失がありますから、大統領にも
総理大臣にもなれぬ。あなた方も賛成した人があるでしようから、これを笑
つておるのは実に遺憾であります。無礼でありますけれ
ども、眞理である以上は、しかたがない。
どうしても、やがては同盟罷業などというものは厳禁しなければならぬはずのものである。ことに、共産主義とか社会主義の人は、ほんとうを言うと、これを禁止する方の先頭に立たなければならぬはずのものである。社会主義とか共産主義とかいうのは、なるたけ大勢の人に幸福を與えて同じようにすることが結局の到着点である。ところが、労働者は多数であるけれ
ども、
一般公衆から比べれば少数である。今、その比較的少数の労働者十万人が百万人を團結させていばりますと、鉄道の運行
もとめる。電報の配達
もとめる。それがために迷惑するものは労働者の何倍あるか、そろばんをはじいて見ればすぐわかる。少数の
利益のために多数に損害を與えるという、これほどの罪惡はないのであります。ほんとうに考えれば、だれにもわかりましよう。
それを、マルクスあたりが小りくつを言
つて、労働者は多数である、資本家は少い、多数の
利益のために少数の資本家をいじめるなどという、つまらぬりくつを言うと、そんなりくつに感心して騒いでいる者が世界中に幾らかある。
日本には、ことに多い、そろばんをはじいてごらんなさい。なるほど資本家と労働者を比べると、多くの場合においては労働者が多い。しかし、資本家が何か仕事をしてもうけるというのには、資本家と
関係のない公衆に
利益を與えるからもうかる。公衆に損害を與えてもうけるという仕事は、世界どこを見てもどろぼうか、すりよりほかにありません。このくらいのことはわかると思います。だから、労働者が自分の
待遇をよくするために同盟罷業をするということは、表向きは資本家が敵でありますけれ
ども、事実は、資本家の仕事によ
つて利益を得ている全体の公衆を敵にすることになる。すなわち、少数の労働者が大多数の公衆に迷惑を與えることである。現に鉄道が罷業をすると、どれだけ迷惑をしますか。罷業をする鉄道從業員は、たかが知れている。これによ
つて物を運んで
利益を得る者は從業員の何十倍とあるが、これが皆迷惑をこうむ
つている。
こういうことは、ヨーロツパにおいては、わか
つております。わか
つた一端として、これを制限するために、
民主主義の本家であるところのアメリカでも、間違いを正すためにタフト・ハートレー法などというものをつく
つた。ところが今度の大統領は、これを廃止するという約束をした。フランスでは、罷業を退治するために軍隊を出して、大分銃殺しました。結局はそうなる。軍隊を出さなければならぬことになる。罪惡であります。そろばんではじいて見れは、すぐわかります。自分たちの
利益を得るとか、何人迷惑するとかいうことは、もうすぐわかります。それがわからぬ
日本人は、まだいいことだと思
つている。
罷業の権利、そんな、どろぼうをする権利などというものが世界にあろうはずがない。給料を返して、仕事を突然休んでも、道徳上においては惡事である。いわんや、給料を取りながら仕事を休む。こつそり休めば窃盗であり、公に休めば強盗である。このくらいのことは、わかりそうなものである。それがわからない。それがために、実に氣の毒なことは、地方を歩いて見ますと、よい青年が、今あの仲間に入
つて罷業の先頭を切
つている。これは、どちらかというと、半わかりであるけれ
ども、多少頭がよくて、わか
つている。それ以下の人間にはわかりませんから、ただ昔
通りの奴隷
生活をしております。罷業をするやつは半わかり、マルクスばりの間違
つたりくつの片足を聞いて感心をしておる連中が罷業仲間に入
つている。勇氣のないやつ、軽薄なやつは、免職するとか何とか、しかられるとやめます。ところが、勇氣もあり、粘着力もあり、一番いい青年は免職されて、何でも聞かない者は、罪人嫌疑で牢に入
つておる。それは長野縣や北海道にたくさんある。実に氣の毒だ。これが労働者の中では一番いい人間で、知識的にもよく、勇氣もあり、
思想も高い、そういうような人が、みんな罪人になる。これは
國家が惡い。あんな
法律をつく
つた御同様が悪いのであります。実に申訳ない。
まだ、よほどありますけれ
ども、まずこれで、その片足だけは申し述べましたから、できるならば、
総理大臣のこれに対するはつきりしたお答えを願いたい。
それと、選挙の結果をごらんなさい。私は予言して置きます。少しはふえましよう。人民が
民主主義を理解しておるならば、減るべきはずだのに、
日本人は、まだ理解せぬ者がある。ただ役人はありがたいという官尊民卑の奴隷根性が強いから、少しは殖えましよう。何十人殖えるかしれませんが、ただ一党で過半数になるまでには、多分なるまいと思う。それでは役に立たぬでしよう。少し殖えても少数、殖えなくても少数、二票やそこら殖えても、
政治のできないという点においては同じことであるから、これに対してどういうお答えがあるのか承りたい。
まだいろいろあります。ことにお考えを願いたいのは、中華民國との比較です。中國が非常な窮境に陷
つて、内輪げんかをしている。共産党で満足に國ができるかというと、また内輪もめをしたり何かしている。顧みて
日本を見ると、私は中國より、なお現在の
日本は見苦しく感じます。中國が内輪げんかをしておりますけれ
ども、中國は独立國でや
つておる。
日本は占領下の
もとに、中國人と同じように、幾つも党をつく
つて内輪げんかをしておる。占領下においても、中國人と同じことを、こちらは
議論でけんかをしている。國ということを眼中に置かない。
日本の現在は、けんかなどのできる現在ではありません。それが政権の爭いをしている。驚くことである。せめては独立でもした後ならば、政権の爭いくらいは、慰みに、愛國心の少い人はしてもいいが、占領下において、党利党略のためにけんかをしているというに至
つては、ほんとうに中國より惡い行動であります。中國は独立國でや
つておる。
日本は占領地のあわれなありさまにお
つて兄弟げんかをしている。これらのことについても、
総理大臣はどうお答えにな
つているか。これは正式の質問ではありませんけれ
ども、
國家の指導者として、
総理大臣として、
國民を指導するだけの言葉がなければならぬはずだと思うから、ことのついでに、お聞きしたいと思う。
まだお尋ねしたいことは大分ありますけれ
ども、時間がないそうでありますから、私は今日は、これでおいとまをいたします。どうぞ、ほんとうにお考えを願いたい。私は決してだれの味方でもなく、だれの敵でもない。吉田君を攻撃するために聞いているのではない。ただ
日本のために、
日本の立憲
政治を生かしたいために聞いておる。今
解散などすれば、もう立憲
政治は根本からくずれる。どういうふうにしてくずれるかということも、ほぼわか
つている。それは、
内閣に
解散権を與えますと——吉田君は、そういうことはしますまいけれ
ども、他日罪惡の素質ある人が
総理大臣になり、金
もとり、暴力も振う、
解散に次ぐに
解散をも
つてすれば、北條、足利の天下をつくることはすぐできる。憲法の明文という間違
つた解釈をも
つてして、憲法の明文を踏んで北條、足利になることはできる。それになれるように、全
国民はもちろん、新聞記者な
ども、今日聞いている。実に恐ろしい。そんな人が出るかもしれない。
今アメリカ軍が引揚げれば、
日本は元亀、大正の世になる。今日は、まだ三人、五人組の強盗が働いておりますが、アメリカ軍が引揚げれば、十人組、百人組、千人組、万人組、十万人組の強盗ができます。必ずできます。見ていてごらんなさい。この間も現に大阪の朝鮮人が團結して兵庫と大阪であばれると、もう兵庫縣廳も大阪府廳も降参してしま
つて、朝鮮人の言うなりにな
つたことは、あなた方の方がよく御
承知だ。司令部の兵隊が行
つてようやく取押えた。お
つてすらこの
通り。引揚げれば、もうすぐ五万、十万の強盗ができる。それができたら、どうするか。この議事堂を乗取り、警視廳を乗取り、強盗が定着して号令をしたら、あなたはどうなさる。秀吉が家康に降参し、蜂須賀小六に降参したように、皆平身低頭して、どうぞ私もお仲間入りさせてくださいということになるだろうと思う。実に残念だ。それが遠いことではない。アメリカ軍がいつ引揚げるかしらぬが、引揚げれば、すぐできる。お
つてすらの強盗だ。必ず來る。朝鮮人が少し團結してや
つても兵庫縣廳や大阪府廳はもう降参してしまう。
これらのことも、どうぞ自分のためであり、同胞全体のためであるから、私のごとき不評判な人間の言うこととせず、道理上冷静に考えていただきたい。私は、國が少しでもよくなり、一日も早く生き返ることができれば、もう自分一身としては何も求めることはありません。名誉もいらぬ。財産もいらぬ。地位はむろんいらぬ。與えられても、その地位を守ることはできません。衆議院議員すらできないからと、私は二回目の総選挙のときに強く言
つて、絶対に出ぬと言
つたのであります。ただ選挙区の人が、三代の交わりがあるからと、むりに私を選挙して、嘆願して來るから、いやいやながら受けたのであります。ただ國のためにという何もなりたいことはないのであるから、どうぞあなた方も、尾崎の言うことと聞かずに、ただ道理と数理だけを努めてお聞きあらんことを願います。(
拍手)