○
脇村証人 そうしますと、もう少しその間の経過を後日までさかのぼりまして、最後にその点をもう一度お尋ねいただきたいと思います。自分自身もそれらの点につきましては
從來考えてない点もあるかと思いますので、もう少し時日の経過を私に申し上げさせていただいて、その上で最後に御質問願いたいと思います。
それが二十七日でございます。二十八日に株主総会があ
つたようであります。それはその後新聞で私は
承知いたしております。
それから次の木曜日は三日でございますが、三日は休みで懇談会は開かれませんでした。それから四月十日に懇談会が開かれました。さらに引続いて四月の第三木曜日に懇談会が開かれてお
つたのでありますが、四月の十日の懇談会には、すでに
昭和電工におきまして社長の更迭に引続いていろいろな重役の更迭問題が起
つてきた、そのために社内が紛爭しているというふうな新聞記事が出たのであります。四月十日の懇談会の席上で、一体あの経過はどういうことにな
つて起
つたのかという議論がまた出たわけでございます。そしてそれにつきまして、
從來の三月二十八日に至るまでの一應の経過、それから三月二十八日の株主総会後四月十日に至るまでの経過、この二つがその席上で食事をしながら報告が行われたわけであります。その間のいきさつは大体今日までに新聞その他ですでに述べられている点でありますから、私からあらためて申し上げるまでもないと思います。そしてそれによ
つて起りました議論は、実は三月二十八日に選任された日野原という人は、われわれが選んだ人ではなしに、G・H・Qから示された條件に基いて興業銀行の栗栖氏がG・H・Qからの指図があ
つたからとい
つて持株
整理委員会に
笹山委員長を尋ねて持参したリストのなかの一人なのであります。どうして三人がそこに選ばれたかと申しますと、化学工業に経験のある人、社長としての経験のある人、年が若いという條件に基いて選択された候補者のうちの一人だ
つたのです。そうしてその候補者とはだれであるかと聴きますと日野原、保土ケ谷化学の磯村、信越化学の今井という三人がリストにな
つてG・H・Qの方へ示された、こういう話をわれわれはその席上で初めて聽いたのであります。これに対して
美濃部亮吉君はそのリスト実に杜撰なものだということを言下に彼は申しました。どうしてかと聽きますと、その中の今井という人は、
美濃部亮吉君の知
つている人か、あるいは遠い親戚の人らしゆうございますが、化学工業には経験があるが、追放に該当してやめた人だ、そういうふうな意見がその際ただちに開陳されましてそれから四月上旬から十日の経過につきましてまた一應詳しく説明がございましたが、どうも大量の人を
会社からやめさすということは、実は持株
整理委員会としても意外である。こういうふうな話でありました。またこういうことが一体できるのかどうかということがその際問題にな
つたのであります。結局そのリストに出ている日野原という人はどういうふうな人なのか、われわれが今まで聞いたことのない人だがということになりますと、実はだれもあまりよく知らないのだというふうな話がその席上で出たのであります。どうも知らない人が社長にな
つて、それがいろいろなことをするということにな
つてくると、はなはだ心もとないし、それから、特にそのリスト自体がたいへん杜撰だという
美濃部君の攻撃がありまして、これはわれわれとしてはよく考えなければならない問題だということにな
つてその懇談会は散会をしたわけであります。それで私は末弘中央労働
委員会の会長並びに桂君に会いまして、
会社が多数の人を免職したらしいが、それが
司令部の
意向だということにおいてやられたのではないかと思いますが、そういうことは可能であるかどうかということを聽いてみたのです。私は、末弘中央労働
委員会の会長とは、船員労働中央
委員会の
委員を私がしておる関係でときどき会うものですから、聽いたのでありますが、そうしますと、その二人の方の考えは、團体協約がある場合にそういうことはなかなか問題が起るだろう、もし中央労働
委員会に、あるいはしかるべき労働
委員会に提訴ということにな
つてくるならば、どうもそういうふうな解雇のしかたは正当とは考えられないというふうな大体のお二人の意見でございましたから、私はただちにそのことを
整理委員会の事務当局に申しました。解雇の点について労働
委員会の意見をたたいてみたが、どうも少し間違
つているようだから、この際は十分注意をしてそういう問題を処理するようにあなた方から注意をするように、私は場合によ
つたら日野原氏に会
つてもいいから、ということを申しましたが、日野原氏が出てまいりませんで、総務
部長という人が出てきまして、私は
植村部長と二人で会
つて、一應その
意向を傳えておいたのであります。それから、四月十七日の四月第三木曜日の懇談会の日になりまして、大藏省の理財局の次長の伊原隆氏から、どうも新聞に
昭和電工の乗取問題というふうなことが出るし、財界至るところでそういう話を聞くが、
眞相はどうだ、ということでありましたから、どうも私にもよくわからないので、一遍あなたも
委員会へ来て話を直接聽いてくださいと申したのであります。それで伊原氏が同日午後私との約束があ
つたものですから懇談会に來まして、食事をしながら、
昭和電工事件は一体どういういきさつですか、ということでまた話をむし返しまして、大体
從來われわれが聞いてお
つたような話を繰返されたのでありますが、その結果、どうもこの問題についてはわれわれとしては若干納得がいかない、これは
委員会がや
つたのでありますか、あるいは
委員会の以外の方、あるいは
委員会の人にしても、その人が個人でや
つたことでありますか、ということがその席上で初めて問題にな
つたのであります。そうしますと、これは
委員会がや
つたことでありまして、
委員会として責任があるのだという意見が事務当局から出まして、われわれも大体そういうふうないきさつにな
つているものだ
——それは、最初申し上げました
通り、三月二十八日の株主総会において、われわれがも
つておる株主権の行使においてそれが行われたということから考えて、そういうふうにな
つておるのではなかろうか、しかし、これは、先ほども申し上げました
通り、四月十日の懇談会の話からみまして、実はわれわれの責任をもつべき日野原氏が適当な人であるかどうかということについては、われわれは日野原氏をよく知
つているとは言えないわけでございましてリストそのものが杜撰だということにな
つておるのでありますが、これはわれわれとしてはよほど研究しなければならない問題だと考えたのであります。それから約一週間ないし十日ほどの間は、私は自分の責任におきまして、各方面からの情報を集めました。これは大体化学工業に関係のあるもの、それから政府当局の人々から得た情報と、日野原氏の同級の人を探しまして、その人から聽いた情報、この三つのコースから得た情報によ
つて判断をいたしまして、日野原氏という人は私の見たところでは非常に事業熱のある人である。また今までに若干の
会社に関係もあるし、それから
昭和電工にはいるまでに日本水産という
会社を引受けて、その
会社を引受けるときに相当興業銀行と密接な連絡がある人だというふうなことも初めて私にわかりました。結論としましては、私の得た情報から見ますと、今までにこの人は自分の
会社を経営したことがある。しかしいろいろな観点から見て、この人には二つの欠点がある。その一つは大
企業を経営するという経験がま
つたくない、第二はこの人の性格に対して、親類その他の人々は非常な危険を感じておる。しかもその危険は單に日野原氏個人ではなしに、日野原氏がつけておる周囲の人に相当危険な人がおる。
從つて親類の人々は日野原氏の事業に援助していない。こういう話でございました。むろん化学工業の先輩の人々は、日野原氏の化学工業における経驗は、日まだ浅くして何らこれを尊重するには足りないというふうな情報でございました。
從つて私といたしましては、
昭和電工のごとき非常に大きな
会社の
仕事をやり、しかもその
仕事を國家の金を使
つてやる場合に、その人に独裁的に
仕事をお任せして、われわれは安心しおるということは危険ではなかろうかと考えまして、
整理委員会の懇談会の席上で、どうも自分の得た情報を総合してみると、われわれとしては日野原氏に
昭和電工の経営を簡單に任しておくわけにはいかぬのではないか、もしもこのままにしておくならば、相当われわれとしては危險を冒すことになるのではないか、こう私は自分の見るところを申したのであります。後日聽きますと、私はこういうことをしておけばたいへんなことが起ると言
つたそうで、そこまでは私自身としては
記憶しておりませんが、そういうふうなことを申したということであります。ただそれだけでは、すでに約一箇月前に社長にな
つておるわけでございますし、しかもわれわれの方から大体頼んで入れた形にな
つておりますから、今さらこれをどうするわけにもいかないわけであります。そこで一体私としましては、われわれが今後の保障ということを考えたときに、どういう方法がとり得るかを研究し、また示された今までの條件において、われわれがどこに誤りを犯しておるかということを考えてみたのであります。そうしますと、G・H・Qが示されたというこの三條件に対しては、日野原氏は確かに当
つておるのであります。しかしその三條件に当
つておる人がわれわれとして信頼できないというふうな
事情がどこから発生しておるかということを、もう一度根本につつこんで考えてみたのであります。G・H・Qの示しました三條件というのは、アメリカの株式
会社において大体
從來考えられた例であります。しかしアメリカの株式
会社におきましても、私が多年研究した結果によりますと、大体社長というのは五十歳以上、六十に近いのが普通であります。重役は、普通の取締役は大体四十歳、五十歳であり、社長と重役との間に十年の差があるのがアメリカの大多数の株式
会社から得た結論でございます。しかしアメリカにおきましてはしばしば若い社長によ
つて大
企業が成功した例はあります。その例をこの際ここにわれわれとしては示されている。若い人で、社長の経験があり、しかも化学工業に経驗のあるという人、アメリカにおいてはこれは例外的に成功した原則である。この例外的に成功した原則が何ゆえにアメリカにおいて成功したか。しかも大
企業においてそういう條件が達成したのは、何ゆえそれができたかという
原因を考えてみますと、たとえばわれわれが最近知
つております例では、戰時中に國務長官になりましたあのステチニアスが年齢三十歳前後で社長として相当の成績をあげ得ましたのは、U・Sスチールの重役として多年の経驗をもち、また財界において何人もその人の意見に信頼をおくというようなりつぱな重役團を備えたとき、初めて若いステチニアスという社長が成功をかち得たわけであります。そういう例外的な、また特殊なりつぱな條件を備えた場合においてのみ達成する條件をわれわれに示された。その條件はアメリカのような重役團をも
つたときにおいてのみ初めて成功し得る條件である。今若い社長が大
会社にはいりしかも
從來からあ
つた重役を全部追い出して、自分の意のままになる重役のみを寄せ集めて大
会社の経営を引受けたとき、その重役が、その社長が誤りを犯さないという保障は何人といえども当然考うべき問題だと私は考えたのであります。そこで私としてなし得ることは、
委員会に対して
昭和電工の重役團を至急強化して、財界の何人が見ても、この人の言うことならば間違いないという人を
昭和電工に送りこんで、若い社長に誤りなきを期することが社長のためでもあり、われわれのためでもあり、また
昭和電工のためになるのではないかということを考えて、そういう意見を
委員会に申し出たのであります。これが大体三月末から四月の終りにかけての私の知
つている社長交迭の経過、それに対して私が考えたいきさつであります。