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1948-10-20 第3回国会 衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第7号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十三年十月二十日(水曜日)     午後一時五十三分開議  出席委員    委員長 武藤運十郎君    理事 鍛冶 良作君 理事 田中 角榮君    理事 辻  寛一君 理事 河井 榮藏君    理事 荊木 一久君 理事 石田 一松君       尾崎 末吉君    高橋 英吉君       明禮輝三郎君    渡邊 良夫君       足立 梅市君    佐竹 新市君       椎熊 三郎君    橋本 金一君       野本 品吉君    田中 健吉君       宇都宮則綱君    中村元治郎君       寺崎  覺君    徳田 球一君  委員外出席者   兵器処理に関する問題について出頭した証人                 東久邇稔彦君                 遠藤 三郎君                 津島 壽一君                 澁澤 敬三君                 長崎惣之助君                 次田大三郎君     ————————————— 本日の会議に付した事件  兵器処理に関する問題     —————————————
  2. 武藤運十郎

    武藤委員長 これより会議を開きます。徳田君。
  3. 徳田球一

    徳田委員 昨日の証人陳述につきまして動議を提出したいと思うのであります。昨日の証人椎名悦三郎君でありますが、これはまつたく事実を黙秘しておるのでありまして、これは証人証言に関する國会法律に違反するものと思うのであります。こういうことがたびたびありますと、委員会の権威を失墜するばかりでなく、今後事実を探究するにあたつて、非常な障害を來すと思うのであります。從いましてただちに委員会は彼の証言に対して調査し、これを告発することにしたいと思うのであります。
  4. 椎熊三郎

    椎熊委員 これは重大なことですが、今別な証人を眼前にして、そういう動議を出して告発するか告発しないかということをこの委員会がきめるべきではなくして、愼重にお取調べ願う関係から理事会に御相談願いたい。理事会において意見がまとまつたら、その後において本委員会に御報告願いたい。ただちに徳田君のような動議を軽卒に決定してしまうことは、將來に悪例を残すと考えます。
  5. 石田一松

    石田(一)委員 証人を偽証で告発するかどうかという重大問題は、少くともその証人のなした証言の事実と、黙秘しているという証拠とを速記録あたり調査いたしまして、それを文書によつて理事会または委員長のもとに提出して、これを檢討の結果取上げるかどうかをやるべきだと思います。こうしたところでただちに決定をしないで、それらの手続によつて取計らわれるようお願いいたします。
  6. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは御意見によりまして、明日の理事会及び委員会において十分に討議することにいたしたいと存じますが、御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  7. 武藤運十郎

    武藤委員長 ではさよう決します。  証人調べをいたします。本日御出頭証人東久邇稔彦さん、遠藤三郎さん、津島壽一さん、澁澤敬三さん、長崎惣之助さん、次田大三郎さんの六名ですね。本日御出頭を願いましたのは、かねて御承知通り兵器処理問題について当委員会調査の必要上証言を求めるためであります。  証言を求める前に、各証人に一言御注意申し上げます。昨年十二月二十三日公布になりました昭和二十二年法律第二百二十五号議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならないことになつております。宣誓または証言を拒むことのできるのは、一般の人については、証言証人または証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項、あるいはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するときに限られ、医師歯科医師、藥剤師、藥種商、産婆、弁護士、弁理士弁護人公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあつた者については、その職務上知つた事実であつて黙秘すべきものについて尋問を受けたときに限られております。右以外には何人も宣誓または証言を拒むことができないことになつておるのであります。なお証人が正当の理由なくして宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮、または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることになつておるのであります。一應このことを御承知になつていただきたいと思います。それでは法律の定めるところによりまして証人宣誓を求めます。お手もとに差上げてある宣誓書を御起立の上、朗読してください。東久邇さん、代表してお読みください。     〔証人東久邇稔彦君各証人を代表して宣誓
  8. 武藤運十郎

    武藤委員長 では御署名、同捺印を願います。     〔各証人宣誓書署名捺印
  9. 武藤運十郎

    武藤委員長 それではこういう順序でお話を伺います。東久邇さん、遠藤さん、津島さん、澁澤さん、長崎さん、次田さん。從いまして東久邇さん以外の諸君は恐縮ですがしばらく別室でお待ちを願いたいと存じます。  東久邇さんに伺います。あなたは鈴木貫太郎内閣のあとを受けて内閣総理大臣になられたようでありますけれども、いつからいつまで在任せられましたか。
  10. 東久邇稔彦

    東久邇證人 昭和二十年五月十七日に親任されました。
  11. 武藤運十郎

    武藤委員長 おやめになりましたのは……。
  12. 東久邇稔彦

    東久邇證人 昭和二十年十月九日。
  13. 武藤運十郎

    武藤委員長 それからその間しばらく陸軍大臣を兼任されたようでありますけれども、その期間はいつからいつまでですか。
  14. 東久邇稔彦

    東久邇證人 昭和二十年八月十七日から同じく二十三日まで。
  15. 武藤運十郎

    武藤委員長 皇族総理大臣になるということはわが國の歴史では明治以來初めてだと思うのですが、何か特別な理由がありましたのですか。
  16. 東久邇稔彦

    東久邇證人 私を総理大臣に任命した理由は私は知りません。その当時の内大臣及びいわゆる元老連中がきめたことと思います。皇族たる私を総理大臣に任命した理由は私は知りません。
  17. 武藤運十郎

    武藤委員長 八月十七日から八月二十三日まで陸軍大臣を兼任されました理由は……。
  18. 東久邇稔彦

    東久邇證人 当時私は大臣の任命については、近衞元の公爵と相談しておりました。それで大臣の選定について内地にいる人を選ぼうとしましたが、内地國土決戰で皆いきり立つているときでありましたから、これに関係のない人を選んだがいい。そうしてまた近く日本内地に帰つてくることのできる人を選んだ方がいいというので、下村大將を選びました。下村大將は一日、二日でもつてすぐ帰つてくるということでありましたから、私はその間空席にしておこうとしましたが、四囲の事情上どうしても陸軍大臣を必要としましたので、私が初めの予定は半日か、あるいは一日、二日の予定陸軍大臣を兼任したのであります。この理由で私は陸軍大臣になりました。
  19. 武藤運十郎

    武藤委員長 それからあなたの後では誰を陸軍大臣にしたのですか。
  20. 東久邇稔彦

    東久邇證人 初めから下村大將を陸軍大臣予定でありました。それで下村大將の帰京が遅れましたからして二十三日まで延びましたが、下村帰つて來たらすぐそれに後を頼みました。
  21. 武藤運十郎

    武藤委員長 そこで軍需物資兵器等に関する当時の事情を伺いたいのでありますけれども終戰前日昭和二十年八月十四日に鈴木内閣において軍その他の保有する軍需用保有物資資材緊急処分の件という閣議決定ができております。これは軍需保有物資を緊急に隠密裡処分をすべき旨の決定でありますけれども、この決定についてあなたは前内閣から何らかの引継ぎをお受けになつておりますか。
  22. 東久邇稔彦

    東久邇證人 私は全然引継ぎを受けておりません。
  23. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなたが陸軍大臣を兼任されておりました八月十七日ないし二十三日に前の内閣において決定されました閣議決定事項を実際に実施する趣旨命令陸軍大臣の名前によつて出ておるのでありますけれども、このことをあなたは陸軍大臣として御存じがありませんか。
  24. 東久邇稔彦

    東久邇證人 私はその当時治安維持と軍の秩序方面に專念しておりました関係上、事務的のことは一切陸軍次官に任しておりましたので、それを見たか見ないかは今覚えておりません。
  25. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは陸軍次官がそういう処置をしたかもしれないけれども、あなたは御存じがなかつたということになりますか。
  26. 東久邇稔彦

    東久邇證人 私が知らなかつたか、あるいは知つていたか、今記憶にはよくありません。     〔証人文書を渡す〕
  27. 武藤運十郎

    武藤委員長 お手もとに差上げましたものは、ただいま私が申し上げました八月十七日と八月二十三日附の陸軍大臣通牒であります。ごらんになりまして記憶がありましたら、喚び起してください。
  28. 東久邇稔彦

    東久邇證人 八月十七日は、ちようど午後に組閣されまして、それからごたごたしておりましたからして、夕方までにこういうものを見たか見ないかよく覚えておりません。しかしこういうことは言い得ます。私はただ一日あるいは半日の陸軍大臣であり、また陸軍次官が前から、阿南大將からの引継ぎ陸軍次官でありますので、事務的のことは全部お前さんに任すと言つて任したことは覚えております。しかしこの書類を見たか見ないか、今ちよつと記憶にありません。二十三日はちようど私が陸軍大臣をやめる日でありまして、そのときにこういう書類を私が見たか、見ないか、これもはつきり覚えておりません。ちようど十七日も、二十三日も移り変りのときでありまして、よく覚えておりません。
  29. 武藤運十郎

    武藤委員長 それではその次に伺いますが、兵器緊急処分というものを、八月二十八日になつて取消し命令を出しておるのです。このことについて御承知でありましたらば、なるべく詳しく述べてください。
  30. 東久邇稔彦

    東久邇證人 私には前の鈴木総理から申送りが全然ありませんでした。また私はこの八月十四日の指令について話を聽きませんでした。それで私は全然知りませんでした。ところが八月二十八日の朝閣議のときに、書記官長から進駐軍兵器軍需品を渡すのだが、すでに相当放出されているということを初めて聽きました。それでこれはたいへんだ、なぜそんなことをしたのかと閣議で尋ねましたならば、そのときの留任したところの二大臣から、前からの鈴木総理の最後の閣議で、十四日の指令が出ているはずだとそのときに初めて聽いたのであります。それで一体そういう書類があるのかと聽きました。そうしたら、今変つているかもしれませんが、当時の総務課に行けば書類があるかもしれないというので、総務課行つて書類を探してもらつたところが、やつと一枚ありました。その書類によつてつたということになりまして、これはたいへんだ、こういうことをやつてはいかぬ、すぐこれは取消せ、また今まで放出してやつた物資は、すぐ回收しろと大至急指令を出したのであります。
  31. 武藤運十郎

    武藤委員長 これは閣議を経てやつたわけですね。
  32. 東久邇稔彦

    東久邇證人 どれですか。
  33. 武藤運十郎

    武藤委員長 今のお話取消しは……。
  34. 東久邇稔彦

    東久邇證人 そうです。閣議の席上で初めて私が知つたわけです。それですぐ閣議にかけて取消しの……。
  35. 武藤運十郎

    武藤委員長 正式に閣議にかけて取消したわけですね。当時軍の使節として河邊中將一行マニラに行つておりまして、その一行連上軍意向をもたらして帰つてきたようでありますけれども、どういう意向をもたらしたのですか。兵器に関しては……。
  36. 東久邇稔彦

    東久邇證人 私はその閣議の前まではその翻訳を見ておりませんでした。閣議になつて初めて見せてもらいました。それで兵器進駐軍に渡すということを初めて知りました。
  37. 武藤運十郎

    武藤委員長 河邊中將のもたらした趣旨は、勝手に日本政府兵器その他の軍需物資処分してはならないという趣旨のものであつたので、さつき閣議決定取消してしまつたという話であります。その閣議決定取消し理由は、ある人に聽きますとそうではなくして、勝手に処分することはよくないのだからということを、政府部内において考えておつて、その結果自発的に取消し命令を出したのだ、河邊中將のもたらした連合軍意向とは別個なものだというふうに言う人と、また河邊中將のもたらした連上軍意向に基いて取消したのだと言う人と二通りあるのですけれども、実際においては、その間の事情はどういうことになつておるのですか。
  38. 東久邇稔彦

    東久邇證人 私は二十八日の朝初めてそれを知りまして、第一にはマニラから河邊中將が受取つてきた指令を読みまして、これは日本政府で勝手に放出してはいけないということを了解しました。それが第一、第二には日本政府で勝手に放出をすると弊害があるからやつてはいけないという二つ理由で即時中止さしたのであります。私の当時中止さした趣旨はその二つ理由であります。
  39. 武藤運十郎

    武藤委員長 それから九月二十四日になりまして、連合軍から連合軍最高司令官覚書というものが日本政府に交付されたようでありますけれども、その趣旨はどういうものでありましたか。
  40. 東久邇稔彦

    東久邇證人 これをもう一つつてお話します。九月の二十二日に書記官長が來まして、連合軍から、押收したところの兵器日本政府に返す。しかしそれは陸海軍に取扱わしてはいけない。ある一省を指定して取扱わせろと極秘でもつて言つてきました。それで私に、事務局所で相談の結果、内務省にきめるからそうしてもらいたいという話でありました。それで私は、これは私一存できめるわけにいかぬ、閣議にかけようということになりました。ところが、閣議にかけては時日がかかつて連合軍至急返事をしろというのに間に合わないから、ぜひこれは閣議にかけずにすぐきめてもらいたいということでありましたので、それを認可しました。そこで進駐軍内務省と直接交渉をすることになりまして、九月の二十四日の連合軍指令が出たのであります。この九月二十四日の指令でもつて日本にどれどれのものを返すということ及び内務省にそれをやらせるということを指令してきたのであります。
  41. 武藤運十郎

    武藤委員長 連合軍から返還せられました物資は、それでは内務省で扱うということになつたわけですか。
  42. 東久邇稔彦

    東久邇證人 連合軍の方からある一省を指定してそれにやらせろと言つてきたのでありますから、内閣では内務省を指定しまして、爾後内務省連合軍との直接交渉になつているはずであります。
  43. 武藤運十郎

    武藤委員長 内閣に当時内閣調査局内務省内務省調査局、それからなお特殊物件処理委員会というものができたようですけれども、こういうものについてあなたは御存じありませんか。
  44. 東久邇稔彦

    東久邇證人 二十四日以後そういう関係のことは全部内務省連合軍との直接交渉でありましたために、内閣の方は経ずにやつてつたように思います。しかし私が聞きましたところによると、内務省特殊物件処理委員会というものをつくろうという計画だけはありましたけれども実施は私の内閣のときにはやらずに、幣原内閣になつてからやられたように聞いております。私の内閣のときはただ計画だけで実施はやらなかつたように聞いております。
  45. 武藤運十郎

    武藤委員長 それからちよつと先にもどりまして、緊急処分をするという決定が前の内閣でなされておるということをお聞きになつて、それは大変だ、だからなめなければならぬということになつたそうでありますけれども、そのときにすでに放出せられた物資はどのくらいあつたか、またその放出済物資を回收したかどうか、したとすればどのくらい回收したか、そういうことについて御存じがありますか。またいかなる処置をとりましたか。
  46. 東久邇稔彦

    東久邇證人 それは聽いて見ましたけれどもわかりませんでした。あまりに全國に拡まりまして多いので、また陸海軍お互い機密々々を守つておりましたのでわかりませんでした。自然いくら放出されたか、いくら回收されたか、それも私のおる間ははつきりわかりませんでした。
  47. 武藤運十郎

    武藤委員長 昨日出頭せられたある証人の話によりますと、当時陸海軍海軍の油の保有量を知らない。また海軍陸軍の油の保有量を知らないというような実情であつたそうですが、そんな実情でありましたか。
  48. 東久邇稔彦

    東久邇證人 私の観察ではもつとひどかつたように思います。陸海軍はまつた——陸軍部内においてもお互いに知り合わなかつたように思つております。
  49. 武藤運十郎

    武藤委員長 諸君、何かお尋ねになることがありますか。
  50. 明禮輝三郎

    明禮委員 お尋ねいたします。終戰当時におきまして、種々なる作戰態勢が行われておつたようでありますが、その当時にどの地方に兵器が、特に軍需物資あるいは兵器がありましたということを大づかみに御承知でありましようか。
  51. 東久邇稔彦

    東久邇證人 お答えします。私はその年の四月の半ばごろに防衞司令官を辞退しまして爾後まつた軍隊の方に関係をもつておりませんために、私がよしてから日本内地二つ防衞地区に分れましたが、その後のことは私は一切承知しておりません。また私は知ろうとも思いませんでした。
  52. 明禮輝三郎

    明禮委員 ここに証人をお喚びいたしましたのは、主として兵器の問題でございますが、終戰当時において日本兵器は概算どのくらいあつたかということをもし御承知ではありませんでしようか。千五百万トンあつたとも言われ、あるいはもつと少ないとも言われ、現在は百二十八万トンで整理されておるのですが、私どもはこの点において大変な開きがありますのでお尋ねいたすのであります。
  53. 東久邇稔彦

    東久邇證人 お答えいたします。その当時はさつき申しました通り陸海軍だけでもお互い機密に隠し合つておりました。また陸軍部内でも関係者以外には話さないことになつておりました。まして私が四月半ば以後第一線を引きましてからは、全然知ることはできませんでしたからして、終戰当時にどのくらいあつたかは私よく知りません。当時の陸軍当局者お尋ねなつたらあるいはわかるかも知れません。
  54. 明禮輝三郎

    明禮委員 陸軍当局者でその当時のことを知つておる者とお考えになる人はどなたでありましようか。
  55. 東久邇稔彦

    東久邇證人 私は、当時の陸軍大臣及び軍務局長あたりが知つておるのじやないかと思います。当時は、その関係者以外は陸軍の者でもそういうことは知らさないことになつておりました。
  56. 明禮輝三郎

    明禮委員 それから一九四五年九月二十四日の連合軍からの先ほど委員長から質問がありました指令は、この特殊物件並びに兵器も含めて、これらをアメリカの連合軍関係者内務省の方へ拂下げられまして、この拂下げられました品物は全部國民経済建直しのために、あるいは國民生活救済のために使えということになつておるのでありますが、こういう問題についての、この覚書の徹底する方法はいかなる方法をおとりくださつたでありましようか。その点をお伺いいたします。
  57. 東久邇稔彦

    東久邇證人 お尋ねの要点をもう一度お願いします。
  58. 明禮輝三郎

    明禮委員 これは内務省連合軍から返されたものでありますが、内務省がこれを國民生活確保のために、あるいは生活救済のために使えということであつたのでありますが、今日兵器についてここに問題として取上げていますものは、この兵器が、たとえば拂下を受けた者がやみ賣りをしておる、あるいは、先ほど申しました通り、トン数においても一千万トン以上であつたというものが百二十八万トンで整理されておる。そういうふうな意味において非常に散ばつておるわけでありますから、こういうことがないようにこの指令が出たものだと思うのであります。そこでこの指令に即したその当時の手続が行われておらなければならないのではないかと思うのであります。そこで、その当時内閣の首班としていらつしやいました時分にどんなふうにお取扱いになつたものであろうかということであります。
  59. 東久邇稔彦

    東久邇證人 まず申し上げますが、兵器は全部日本に返してもらつたのではありません。ある一部は日本に返し、ある一部は連合軍の方にもつていくということでありました。だから兵器は全部日本へ返してもらつたのではありません。それをちよつと申し上げておきます。それから、その後の兵器及び軍需品の所在地の監視及び保存については、二十四日の指令にあつたと思いますが、どうですか。出ておりませんか。このことは、向うの軍隊で保存するとか、憲兵で保存するとか、何か書類に出ていたはずです。
  60. 明禮輝三郎

    明禮委員 私がお尋ねしておりますのは、この書類取扱方についてのおとりになつた御方針その他を聽いておるのでありまして、書類に書いたことを伺つておるのではございません。
  61. 東久邇稔彦

    東久邇證人 それでは、この書類内務省に直接きて、そうして、さつきお話いたしました通り内務省進駐軍でありましたから、私の方の内閣としては何もしておりません。それは内務省進駐軍の直接交渉であります。
  62. 明禮輝三郎

    明禮委員 その次にもう一つお伺いいたしますのは、先ほどお述べになりました八月十四日の閣議決定を八月の二十八日の閣議でお取消しなつた。しかしそのお取消しなつた当時の事情といたしましては、この兵器に属する部分も相当緊急処分がなされていたのではないかと思うのでありますが、この点について御承知はございませんでしようか。
  63. 東久邇稔彦

    東久邇證人 私はさつきお話いたしました通り、事務的のことは全部その当時の次官に任しておきました。私は治安維持秩序維持に專念しておりました。それで兵器をどのくらい今お尋ねのようなことがあつたか、そういうこまかいことは私は知りません。
  64. 明禮輝三郎

    明禮委員 それでは次官はどなたでございましようか。
  65. 東久邇稔彦

    東久邇證人 若松中將であります。
  66. 明禮輝三郎

    明禮委員 それからもう一つ、八月の二十八日に停止をされましても、十月の初めくらいまでは復員軍人職業補導会というようなものには、この緊急処分をしてもよろしいというような達がありまして、そういう処分が行われているという事件福岡にあるのでありますが、そういうことについて御承知になつていることはありませんでしようか。
  67. 東久邇稔彦

    東久邇證人 今のは何日ですか。
  68. 明禮輝三郎

    明禮委員 八月の二十八日に緊急処分停止がされておりますが、緊急処分がされた後においても——九月一杯ですね。復員軍人職業補導会というようなものについては、やはり緊急放出をしてもよろしいというある方面の達があつて、それに基いて緊急処分が行われているのだという事案福岡の方にあるのでありますが、そのことについて御承知はありませんでしようか。
  69. 東久邇稔彦

    東久邇證人 その達というのはどこから出ておりますか。原文がありますか。
  70. 明禮輝三郎

    明禮委員 それはこういうことであります。福岡高等裁判所上告事件となつております復員軍人職業補導会原田弘という横領事件の中に第十六方面日隈後方参謀、あるいは参議長の内野という人々から話があつたというので復員軍人職業補導会原田弘拂下というか緊急処分を受けてそれを相当処置しておつた事実が明らかになりまして、その問題について横領罪を構成するかしないかという事案があるわけでありますが、これを取上げてみますと八月の二十八日に停止になつてからも、まだ緊急放出というのが行われておつたかのように思われるのであります。この点十六方面後方参謀日隈というのは……。(「総理大臣がそんなことについてわかるわけがないではないか」。「そんな末端のことがわかるか」)いや、そういう小さい事件お尋ねしているのではありません。私ども停止されているものが緊急放出されていることについて聽いておるのです。ほかの委員は黙つてください。私が発言中です。
  71. 東久邇稔彦

    東久邇證人 私はお尋ねのことは知つていることは何でも隠さずお話しますから、皆さんどんなことでも御遠慮なく、その代り私の知らないことは知らないと言います。殊に総理大臣をしましてこまかいことは知りませんから、私の知つていそうなことをお尋ねください。
  72. 明禮輝三郎

    明禮委員 私がお尋ねするのは、西部軍でこういうような緊急放出停止した後でも、復員軍人補導会には出してもいいという達をしておつたという事実があつたかどうかということをお尋ねしておる。
  73. 東久邇稔彦

    東久邇證人 それは西部軍参謀がやつたことは私よく知りませんな、そういうことは。
  74. 明禮輝三郎

    明禮委員 おわかりにならなければ……。
  75. 東久邇稔彦

    東久邇證人 それを御承知になりたければ、当時の西部軍あるいは陸軍省お尋ねなつたらわかると思います。下の方が勝手にやつたかもしれません。
  76. 明禮輝三郎

    明禮委員 それを承ればよろしい。
  77. 徳田球一

    徳田委員 八月十四日、すなわち二十年の八月十四日でありますが、このときはあなたはどういう職におありになりましたか。
  78. 東久邇稔彦

    東久邇證人 私は軍事参議官でありました。ほかには何も職業はもつておりませんでした。
  79. 徳田球一

    徳田委員 軍事参議官であられましたときに、八月十四日の閣議決定は非常に重要なる決定でありまして、軍関係にはすべてこれがわかつてつたはずでありますが、この八月十四日の閣議決定はおわかりにならないのでありますか。
  80. 東久邇稔彦

    東久邇證人 それはわれわれには達しがありませんでした。
  81. 徳田球一

    徳田委員 全然……。
  82. 東久邇稔彦

    東久邇證人 全然ありませんでした。その当時の軍関係者お尋ねになればわかりますが、われわれには全然知らせがありませんでした。
  83. 徳田球一

    徳田委員 しかしこの文書を見てみますと、これは軍全体に知らさねば処置のできないものであります。ちよつと読んでみますが「陸海軍は速かに國民生活安定の為に寄與し民心を把握し以て積極的に軍民離間の間隙を防止する為に軍保有資材及物資等に付隠密裡緊急処分処置す尚ほ陸海軍以外の政府所管物資等に付ても右に準ず」とこうなつておりますので、陸海軍では全部これを知らなければできない非常な重要な処分であると思いますが、これを御存じないというのは少し解せないように思いますけれども、どういうわけでありますか。
  84. 東久邇稔彦

    東久邇證人 それは当時の軍事参議官の機構を御研究になればわかると思います。当時の軍事参議官はつまり閑職であります。
  85. 徳田球一

    徳田委員 ただ飾り大名というわけですか。
  86. 東久邇稔彦

    東久邇證人 そういうわけです。それでそういう重要なことについて、軍事参議官は召集もされませねば相談も受けておりません。
  87. 徳田球一

    徳田委員 そうすると陸海軍の重要な地位にあります軍事参議官というものにも何等相談なく、單独にやつたものと推定していいでありましようか。
  88. 東久邇稔彦

    東久邇證人 そういうことは陸軍大臣大臣の職務でできることであつて、当時の制度であれば、軍事参議官会議に一々かけなくともできることであります。当時の制度をごらんになるとわかるだろうと思います。
  89. 徳田球一

    徳田委員 しからばお尋ね申しますが、この十七日に内閣を引受けられましたときに、いかなる問題を鈴木貫太郎大將からお引継ぎになられたでありましようか。
  90. 東久邇稔彦

    東久邇證人 そのときの引継の事項は三つであります。第一項勅選議員を二人、人の名を指してもよろしうございますが、二人の氏名を指してこれを勅選議員にしてくれ。それから私にはよくわかりませんが、枢密院のあるこまかい條項を改正すること。もう一つが恩赦であります。この三つだけが鈴木前総理から私に申送られた唯一のものであります。ほかのことは一切申送りはありませんでした。
  91. 徳田球一

    徳田委員 そうですか。しかしこの問題は非常に重大でありまして、軍の関係におきましてはこのことが引継ぎがなされず、これが実行されませんと、このときの事態を收拾するのに非常に困難であると思います。かかる重大な問題、しかもこの問題は後に至りまして國民全体に大きな影響を與えるものであり、かつ当時交戰中でありました連合軍との関係におきましても、最も重大な問題としてこの重大な事件が、後継内閣に何ら引継ぎのなかつたということにつきましては、何としてもこれは理解できないことであります。今引継ぎがなされたと言われますことはすべて些細のことでありまして、これこそは事務官に任せましても何ら差支えない。そういうものが引継ぎなされて、こういう重大なものが引継ぎをなされぬということは、これは日本政府の習慣でありますか。
  92. 東久邇稔彦

    東久邇證人 私も全然同感であります。二十八日に初めてそれを知りまして、実は何ゆえ私にこの重大なことを言つてくれなかつたのかと文句を言つたほどであります。それはあなたと全然同感であります。しかし遺憾ながらこのときに私には申送りがありませんでした。それが今までの日本政府のしきたりであつたかどうかは、私は二十年の八月十七日に大命を拜するまでは政治に関係しておりませんから、私はその点は知りません。
  93. 徳田球一

    徳田委員 それではお尋ね申しますが、この問題は閣議では決定したものの、実際の実行はすべてあなたの内閣のときにやられたことになつておる。これはこれまでの証人陳述によりますと大体そうであります。また時間の関係からしましてもそうなければならないことでありますが、この問題を実際に移すための最初の処置は、八月十七日陸軍大臣の達でありまして、陸機密第三百六十三号となつておる。これは陸軍大臣のお名前でやつておるのでありますから、あなたのおつしやるのではこの当時のことはすべて次官にお任せになつたと申しますけれども、こういう重大な機密決定してこれを公布するときにも、あなたのこれを認めるというサインなしにすべて陸軍次官でこういうことを処置していいことの機構になつておるのでしようか。
  94. 東久邇稔彦

    東久邇證人 それは機構になつておりません。しかし私は先もお話いたしました通り、つまり一日か二日かの陸軍大臣を兼ねておりましたのと、前からの陸軍大臣次官引継ぎましたのと、次に私は治安維持という方をおもにやつておりましたので、また私は代理でありましたけれども若松を実際の陸軍大臣の仕事をさすために、内閣閣議にまで出しておりましたので、まつたく信用してその人に大臣の仕事をやらしておりました。
  95. 徳田球一

    徳田委員 そうすると名目はあなたは陸軍大臣でありましても、実際は陸軍大臣ではなく、陸軍大臣代理は若松中將ということになりますか。
  96. 東久邇稔彦

    東久邇證人 代理という名前は使つておりませんけれども、実際の仕事は若松中將にやらしておりました。
  97. 徳田球一

    徳田委員 これは非常に遺憾でありまして、陸軍大臣の職にあられるあなたが見ないと見ようと、すべて陸軍大臣の名前においてやられておりますことは、あなたの直接の責任に当ると思うのであります。それは事情がどうであるにいたしましても、陸軍大臣というりつぱな職務にちやんと就いておられるのでありますから、この名前で、しかも國家に対し最も重大な影響を及ぼすかかる指令が出ますことにつきましては、責任はどうしてもあなたが負われなければならないということになりますが、そういうことをあなたは何ら目も通さず、何ら話も聽かれず、若松中將にやらせるということは、どうしても解せないことでありますが、それでもどうしてもそうでありますか。
  98. 東久邇稔彦

    東久邇證人 あとで聞きましたところによりますと、その十七日の指令というものは実施指令ではなくて準備の指令であります。実施指令は二十三日に出ております。私はあとで聞いたのでありますが、その当時は私は陸軍次官若松中將に全責任を負わしてやらしております。それで今私に責任があると言われれば、たしかにあるかもしれません。しかしその当時は私は治安維持秩序維持に專念しておりました関係上、そのことは全然若松次官にやらしたということを私はここで再び申します。
  99. 徳田球一

    徳田委員 治安維持並びに秩序維持に関しまして、この問題は非常に重大でありまして、この問題が起りました結果、非常に紛爭をきわめまして、殊に経済的な秩序はまつたく壊乱状態になつたのであります。こういうことにおきましてはあなたの職務上どうしてもこれは重大であると思われるのであります。そうすると実質上は治安維持並びに秩序維持におきましても、結局は並び大名になつたのではないかと思いますが、どうでしよう。
  100. 東久邇稔彦

    東久邇證人 そうかもしれません。御想像に任しておきます。私はあの時は全力を盡したつもりであります。また治安維持、その当時の進駐軍の無血進駐、それに全力を盡しておりましたが、今この平靜な世の中から考えると、あなたの言われる議論が立つかも知れません。当時の心境から言いますと、今にも軍隊が謀反をし、今にも宮城を乘つとり、あすにも愛宕山で籠城するという場合において、ほかのことを顧るひまがなかつた。それで全部陸軍次官に任して、私はその方に專念しておりましたが、今ここでこの靜かな世の中で考えると、あなたのおつしやることが成り達つかとも思います。
  101. 徳田球一

    徳田委員 そうすると陸軍内部及び海軍の主職論者の暴動に対して、これをなだめて鎭靜させるというだけのことに、あなたのお力を盡されたということになりますか。
  102. 東久邇稔彦

    東久邇證人 その当時はそれが一大事でありまして、今からお考えになると、あんなことがあつたためにそうお考えになるかもしれませんが……。
  103. 徳田球一

    徳田委員 ところで多田中將、この人は海軍次官でありますが、この方の証言によりますと、こういう処置、すなわち隠密裡にこの集積された物資を処理する、この処置をしたために、かかる主戰論者、すなわち暴動でも起しかねないような者を鎭めることができた。これはその点で非常に重要である。これは実際上その目的に使われておると思います。と申しますのは積極的に軍民離問の間隙を防止するために、と書いてありますが、これを要するに暴動が起る、あるいは官民の間に闘爭が起る。この間隙を與えないための防止、これをするためにやるのだ、こう言つております。また事実多中中將に対しましては何らわれわれは誘導することなく、自然の間にかれはこういうことをしたからこれは違法である、違法ではあつたけれども、こういうことによつて軍民の戰爭に対する興奮状態を次第々々に沈靜せしめるに非常に有効であつたということを言われております。從いましてあなたの職務とこの事件とは最も密接な関係がある。これを分離して考えることは非常に危險であると思いますが、そういう点についてまでも何らあなたにこういうことを引継もせず、また知らせもしなかつたということになつておりますか。
  104. 東久邇稔彦

    東久邇證人 私はさつきもたびたび申しました通り引継を受けておりませんでした。
  105. 徳田球一

    徳田委員 そうですか。それなら仕方がない。
  106. 東久邇稔彦

    東久邇證人 さつきも言いました通りたしかに関鍵だけは引継を受けまして、それを早速書記官長に書かせたわけでありますから、それは今もちやんと書記官長が記録にもつておるだろうと思います。
  107. 徳田球一

    徳田委員 実を申しますとこの二十三日までは下村大將は全然知らぬ。從つてこれはあなたに責任があるということを下村大將に言つておりますので、それであなたにお聽きするわけであります。自分の責任じやないと言われておる、これは東久邇大將が首相であつたから自分の責任ではないと言つておる。それでもう一つお尋ね申しますが、実はこの問題が起りましたときに阿南前陸軍大臣は高級副官に命令をいたしまして、当時所持しておつた各軍の機密文書、またこれには多く軍需品の原簿もありますが、こういうものを燒き捨ててしまえという命令が出たということを言うておる。こういうことに関しましてはあなたのお耳にはいつておりますか。
  108. 東久邇稔彦

    東久邇證人 聽いておりません。きのうの新聞で初めてそのことは知りました。
  109. 徳田球一

    徳田委員 これは陸海軍ともやつておりますので、これらのことはこの陸海軍の両方を総帥としておられます総理大臣がすべてお聽きになつておらなければならない非常に重大なことであります。でありますからこれはあなたの耳にはいつていると思いますが、これも全然はいつておらぬのでありますか。
  110. 東久邇稔彦

    東久邇證人 当時の総理大臣陸海軍に対しては何らの権力もありませんでした。それでありますから陸軍海軍のやつたことについては総理大臣としては何らの報告も受けませんし、総理大臣は何らの口も容れられない。つまり陸海軍は天皇におのおの直属しておつたのであります。それで私は総理大臣としては陸海軍に対しては何らの総帥権もなければ指導権もありません。
  111. 徳田球一

    徳田委員 しかしこれは政治的に重大な問題でありまして、なるほど軍事的な統帥権、命令権はないでしよう。しかしながらこういう問題は政治的の問題である。政治的の問題におきまして内閣総理大臣がこれらの問題を処理する。これに対して何らの報告をしないということになりますと政府は分裂することになります。一方では海軍政府、一方では陸軍政府ということになりまして、はなはだ全体の政治として混乱する状態でありますが、やはりそれでも……。
  112. 椎熊三郎

    椎熊委員 議論するところではない、委員長御注意願いたい。
  113. 徳田球一

    徳田委員 何が議論か、聽いているのだ。質問だよ。
  114. 東久邇稔彦

    東久邇證人 それではちよつと申しますが、今お話しのことが代々の内閣の一番苦しんだことと思います。陸軍陸軍で天皇に直接輔弼の任があります。海軍海軍で、直接輔弼の任があり、外務省は外務省、司法省は司法省おのおの独立して、今のような國務大臣でなくして省の大臣で天皇に直属しておりました。それで総理大臣としては何ら天皇に直属している仕事については口が出せなかつた。それで私どももつくづく困つた。今あなたのお話のようなことは今の憲法政治における内閣ではありませんでしようけれども、もとの憲法における内閣においては総理大臣の一番困つたところであります。そのように代々の総理大臣が困つている。私も実際それに困つた
  115. 徳田球一

    徳田委員 そこでお尋ねしますが、若松中將マニラから帰られまして、兵器並びに軍需品をすべて連合軍に引渡すようにということの報告はありましたそうですね。
  116. 東久邇稔彦

    東久邇證人 私は二十八日に初めて聞きました。
  117. 徳田球一

    徳田委員 その前に報告はなかつたのですか。
  118. 東久邇稔彦

    東久邇證人 その前のは帰つて來て私に報告がありましたが、それは進駐に対してどこの地域を引渡せとかいうことだけで、軍需品を引渡せとかいうことの報告は私は受取つておりません。その直後にあつた報告は、たとえば進駐軍が三浦半島に上陸するからどこを何日までに引渡せ、あるいは東京から向うはどこまで何日までに引渡せという報告を受けました。しかしその全部の、殊に兵器あるいは軍需品に関する報告は私は受けておりません。二十八日に初めて受取りました。
  119. 徳田球一

    徳田委員 すると二十八日以後これを引渡すことに対しましていかなる処置内閣決定されておりますか。引渡すことに関してです。この十四日の指令をやめるということは書類によつて明らかになつておりますが、これはこれとしてこの処理、この武器並びに軍需品をいかにして連合軍に渡すかということに対しまして、どういう処置内閣決定せられたか。
  120. 東久邇稔彦

    東久邇證人 それは今もお話しいたしました通り、まだ新憲法が出ておりませんから、そういうことは陸軍大臣海軍大信の責任であります。それで総理大臣とすればただ陸軍大臣海軍大臣に渡せということだけを命令して、あとは陸海軍大臣が責任をもつてやるのであります。それで私が直接口を出すことはありませんが、どうするのかと聽きましたら、陸軍は各軍司令官命令して渡す、海軍は各鎭守府司令長官、艦隊司令長官に命令して渡すということでありましたが、これはさつきも申しました通り、前の憲法の精神によれば総理大臣は口を出せないことであります。
  121. 徳田球一

    徳田委員 たつたそれだけですね。
  122. 東久邇稔彦

    東久邇證人 そうです。私が口を出したくても出せないようになつてつた
  123. 武藤運十郎

    武藤委員長 ほかにございませんか。——それでは済みました。
  124. 東久邇稔彦

    東久邇證人 まだ私の知つている範囲は何でもお答えしますから……。
  125. 徳田球一

    徳田委員 またいずれ(笑声)
  126. 武藤運十郎

    武藤委員長 御苦労さまでした。     —————————————
  127. 武藤運十郎

    武藤委員長 遠藤三郎さんですか。
  128. 遠藤三郎

    遠藤證人 はい。
  129. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは伺いますが、あなたは軍需省航空兵器総局長官をしておられたようでありますけれども、いつからいつまでですか。
  130. 遠藤三郎

    遠藤證人 軍需省創立当初から敗戰まで引続きやつておりました。歴年で申しますと昭和十八年十一月に開廰いたしまして、解散いたしましたのは昭和二十年八月二十六日、その間長官は私一人でございます。
  131. 武藤運十郎

    武藤委員長 終戰時における軍需物資の生産状況、保有状況、保有量、これは航空兵器だけについてあなたは御存じですね。
  132. 遠藤三郎

    遠藤證人 そうです。
  133. 武藤運十郎

    武藤委員長 それではひとつ航空兵器についてお話ください。
  134. 遠藤三郎

    遠藤證人 戰爭末期における飛行機の生産状況は、昭和二十年七月月産千機をやや超しております。正確に申しましようか、記録を持つておりますから。
  135. 武藤運十郎

    武藤委員長 ひとつメモをごらんになつて詳細にお答えください。
  136. 遠藤三郎

    遠藤證人 戰爭末期から逆に申しましよう。私が責任をもつて生産してから終りまでみんな控えておりますので、御入用なところだけ申します。七月一千三機、六月一千四百十五機、五月一千六百二十五機、四月一千八百十六機、三月一千九百三十五機、二月一千二百六十三機、その月は下つております。一月千九百四十三機、十二月二千二百四機、十一月二千四百五十七機、十月二千二百一機、九月二千三百七十七機、八月二千四百七十七機、七月二千四百五十一機、六月二千八百五十七機、五月二千三百十四機、四月二千二百九十六機、三月二千七百十一機、もうこの辺まででよろしゆうございますか——大体御参考になるように大づかみに申しますと、一番多く生産したのが十九年の七月で三千機弱、これが一番生産の多かつたときです。それからだんだん下つていきまして、終戰直前の七月に千機をちよつと超した千三機というところです。この生産機数と申しますのは檢査に合格して陸海軍にやつた数でございます。
  137. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは諸君、もう少しこまかく出してもらいますか。
  138. 徳田球一

    徳田委員 これはあとでどれだけかかつたかを推定する材料にもなりますから……。
  139. 武藤運十郎

    武藤委員長 それではお手控えのものを出してください。
  140. 徳田球一

    徳田委員 未合格品も出してください。
  141. 遠藤三郎

    遠藤證人 それはわかりません。未合格品は報告がありませんから……。しかし非合格品と申しましても、全部スクラツプにするのでなくて、その次にまわして悪いところを直してやりますから、この合格した飛行機の数をつかんでおられますとよかろうと思います。  それで御承知通り飛行機が足らぬということでやつておりますから、でき上つた飛行機は保有しておりません。でき上つた飛行機はみな陸海軍にやつてしまうのでありまして、保有しておるものは、さつきちよつと徳田さんがお聽きになつた不合格のために残つたのを、これから直してやるとか、仕掛品が残つておるわけであります。
  142. 武藤運十郎

    武藤委員長 ここに保有状況ということを申し上げましたのは、あなたのお手もとにストツクしてあるものという意味でなくして、当時日本における飛行機の数を伺つておるわけです。
  143. 遠藤三郎

    遠藤證人 航空兵器総局関係としては、今申しましたようにでき上つたものは待ちかねておる陸海軍で持つていきますから、保有量というものは未完成のものしかないわけです。
  144. 武藤運十郎

    武藤委員長 その当時陸海軍がどのくらい飛行機を保有しておつたということはわからないのですか。
  145. 遠藤三郎

    遠藤證人 それは私はむしろ新聞で見て驚いたのです。進駐軍に渡した。飛行機の数が一万数千機あつたという記事を見て、実はあまりにたくさんあるので驚きました。その当時、実はたくさんあるということはわかつてつたのです。陸軍がたくさんあるということはわかつてつたのです。陸海軍がたくさん持つてつたにもかかわらず使つておらぬ、なぜ使つておらぬかというと油がなかつた、それから搭乘員の養成が不十分であつたが、一番の大きな原因は油が足らなかつた。それを陸海軍としては本土決戰に備えるためにこしらえた飛行機を内地に隠しておいて、いよいよ敵が本土に上陸するとき使おうというわけで油を節約する関係上、ごらんの通りB二九が飛んで來ても追つかけなかつたほど飛ばさなかつた、そのために飛行機の保有量は非常に殖えておりまして、各飛行機生産工場の近くにある飛行場は飛行機で充滿して、敵のB二九に爆撃されるおそれがあるというので、いな、山中にまで疎開飛行場を陸海軍でおつくりになつて、そこにもつてつて隠しておく、百姓家の庭にまでもつてつて、カモフラージして隠しておくというようなわけですから飛行機はたくさんあつた。しかしこれは航空兵器総局の手から離れて陸海軍の手に移つた飛行機です。
  146. 武藤運十郎

    武藤委員長 陸海軍の手に移つた後における状況は、当時あなたの方ではわからなかつたですか。
  147. 遠藤三郎

    遠藤證人 大体想像しておりました。
  148. 武藤運十郎

    武藤委員長 どんどん消耗していくから、結局どのくらいあるかということはわからなかつたわけですか。
  149. 遠藤三郎

    遠藤證人 はつきりした数字はわからないわけですけれども、大体のところはつつておりますから想像をしておりまして、一万機内外はあるはずだと思つておりましたところが、終戰後新聞に敵側に渡した飛行機が一万数千機と出ておりましたから、ずいぶんあつたなあという感じをもつておりました。一つは航空機工業に從事しておつた連中がよく努力してくれたという感謝の念さえ起りました。
  150. 武藤運十郎

    武藤委員長 終戰直後において飛行機などについても、軍需物資を併せて緊急放出処分といいますか、閣議決定によつて放出がなされたようでありますけれども、飛行機はどういうことになつたのですか。
  151. 遠藤三郎

    遠藤證人 八月十五日の午前だと記憶しております。私の部下の課長が陸軍省からへんな命令みたいなものをもらつてまいりました。見ると飛行機を燒却破棄すべしというようなことが書いてある。それで私はこれはけしからん、戰に敗けても、そう卑屈なことをしてはいかん、いやしくも世界の列強を相手にした日本が、戰に敗けたからというて大國民の襟度を失つてはいかぬ。そんな命令は誤りだと思うから、わしは実行できぬというて、ことさら混乱を避けるために、生産を続行すべしという命令を出しまして、すぐ陸軍省に行つて、その命令を追及したところが、大臣命令ではもちろんない。大臣はその朝亡くなつておられる。下僚の出したものらしいということがわかりましたから、次官以下に注意を喚起いたしまして、帰つてきて、依然生産を続行すべしという命令を出しつ放しにして、十五日を過ごしました。それは少し無謀のようでありますけれども、その日参謀総長を訪ねまして、どういう降伏であるかと聽きました。それは私の生産に関係があるから聽きましたけれども、もちろんポツダム宣言を受諾したのであるから、表向きは無條降伏だが、決してそうじやない、条件はある。ポツダム宣言の條件が條件であつて、われわれはそれに服從するが、連合軍側もまたそのポツダム宣言を実行する責任がある。だからもしも一方的にポツダム宣言を強要して、彼等がそのポツダム宣言の実行をやらぬならば、排撃するということを明確に言われました。その台所を掌つているわれわれといたしましては、生産を続行するのが至当である。敵側が日本に來まして、こういうふうにせよという指令の出るまでは、やはり生産を続行するのがほんとうであるし、一面陸軍省の下僚が出したと思われる飛行機を燒却すべしなんて、こういう命令をすぐ出したりしたならば、非常な混乱状態に陥るおそれがありましたので、それを是正するためには強く反対の方をいう必要があるので、生産を続行すべしという命令を出しました。それから生産を中止せよというたのは十七日です。十六日に私は一同を集めて訓示いたしまして、激昂し、自暴自棄になりつつあるやつを抑えてから、十七日に初めて生産中止の命令を出しました。それで私のその当時の考えはありのままを敵側に提供する。敗けた以上は爼上の鯉のごとく大國民たるの態度を持すべきであるという考えのもとに、私はすべてをやつておりましたので、その当時のことは、今ここで申し上げるのじやない。情報局総裁に頼みまして、日本全國の新聞にも出してもらいました。そのときの感情をここで言わせていただきますと、空氣がわかると思いますから、ちよつと読んで見ます。そのときの挨拶文です。「航空兵器総局が新設せられましてから茲に一年有九ケ月、其の間長官の要職を汚し不敏菲才各位の御期待に副ひ得ず逐に事茲に到りましたことは誠に申訳なく衷心よりお詑び申上ぐる次第であります。  然しながら今日迄に於ける各位の御業績を顧みまするのに極めて困難なる事情がありましたにも拘らず、開戰当初飛行機の月産陸海軍を合し僅に五百機程度に過ぎなかつたものが昨年六月には將に三千機を突破せんとし本年七月激化せる空爆下幾多の被害あり、且急速に疎開を実施しつつの作業でありましたにも拘らず、尚且千機を越ゆる生産を持続せられたのでありまして、之は全く各位の異常なる御努力の結果であり、其の御功績は違とするに足り、必ずや青史に謳はるものと信じ、茲に謹んで御礼を申上ぐるものであります。殊に職場に敢闘殉職せられました幾多の英霊並びに其の御家族に対しましては心よりなる敬弔の誠を捧ぐるものであります。  然るに、今や其の御努力も水泡に帰し営々辛苦築き上げられました工場も或は壊れ或は燒け幸にして災害より免れたるものも其の大部分は他の平和産業に轉換するの余儀なきに到り、神風手拭を凛々しく鉢巻せられた動員の学徒、挺身の女子、應徴の戰士其の他の從業員諸君も夫々帰郷又は轉業せられ総局及航空工業会は解散するの運命に立ち到りましたことは誠に感慨無量であります。  然しながら靜かに考へまするのに國軍の形態は時と共に変化するものと思います。皇軍に於きましても陸海軍の形態は日露戰爭若くは前欧州大戰を契機として一應終末を告げ、今次の大戰は空軍一本で実施せらるべきものであつた様に思われます。而もその空軍さえも何れは骨董品たるの存在になる時が來ないと誰が断言し得るでありませうか。斯く考へて参りますると軍隊の形は時世の進運に伴い変化すべきは当然でありまして、唯茲に絶対不変であるべきは我國の眞姿即ち國民皆兵の神武其のものであります。  國民の一人々々の胸の中にしつかりと神武=兇器ならざる兵、戈を止める武=を備へましたならば必ずしも形の上の軍隊はなくとも宜しいものと思われます。古語にも「徳を以て勝つものは栄へ力を以て勝ものは亡ぶ」とあります。」  これを私は言いたかつたのであります。  「從つて今回形の上では戰敗の結果敵側から強いられて武装を解除するように見えまして、光輝あるわが陸海軍が解消し、飛行機の生産も停止するに至りますことは寔に断腸の思禁じ得ぬのでありまするが、皇國の眞姿と世界の將來とを考えまするとき、天皇陛下の御命令に依り全世界に魁して形の上の武装を解かれますることは寧ろ吾等凡人の解し得ざる驚畏すべき御先見=神の御告げとさへ拜察せらるるのであります。」ほかにまだありますけれども必要がないからやめます。
  152. 武藤運十郎

    武藤委員長 そのくらいでよろしゆうございます。
  153. 遠藤三郎

    遠藤證人 この混乱を避ける意味で、十六日に一同を集めて訓辞し、地方におる航空関係の人に情報局総裁を通じて新聞に発表していただきまして、できる限り正しく敗戰の事務を処理したいと思つてつておりました。
  154. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうしますと、八月十四日鈴木内閣のころに、すでに終戰の前日ですね、陸海軍の保有する軍事用保有物資等は緊急に放出処分をしてしまえという決定ができまして、さらに十七日のその準備的な命令陸軍大臣の名前で出ております。それから二十三日にその実施命令というような趣旨のものが同じく出ておるのでありますけれども、そういう一連の緊急放出処分決定ないし命令というようなものは、あなたは御存じはなかつたですか。
  155. 遠藤三郎

    遠藤證人 十四日のそういう決定は私のところへは來ておりません。また陸海軍大臣は航空兵器総局の官制上、軍事上必要なことは指揮命令すると書いてありますけれども、そのことは軍事上やはり関係あるようでありましたけれども大臣がまさに自刄の覚悟なんかしておつて、ごたごたしておつた際で、あるいは軍需大臣の方がお取次ぎくださらなかつたのかどうか、私に直接命令が來ておりませんでした。下僚がへんな燒却破棄すべしという書いたものをもつてきたのを見たのです。
  156. 武藤運十郎

    武藤委員長 その燒却命令というものを書いてきたのですか、持つてきたというのは、この決定を聞き傳えてきたのではありませんか。
  157. 遠藤三郎

    遠藤證人 起案したものをもつてきたように思います。十四日に実は私豊田軍需大臣から降伏に決定したという御聖断が下つたと聽きまして、私は非常に不思議に思つてつたのでございます。御聖断によつて降伏ということになると、これは輔弼の責任はどこにあるのか、輔弼の責任者がなくて、御聖断によつてのみ降伏ということになれば、おそらく降伏後國民が塗炭の苦しみに陥ることを予期しなければならぬ。その際にお恨み申し上げる者は天皇陛下だけになる。輔弼の責任はだれにあるのかと私食つてかかつたのです。
  158. 武藤運十郎

    武藤委員長 ちよつと待つてください。あなたは緊急処分決定とか命令とかいうものをお知りになつたのはいつですか。
  159. 遠藤三郎

    遠藤證人 知りません。
  160. 武藤運十郎

    武藤委員長 全然お聽きになつておりませんか。
  161. 遠藤三郎

    遠藤證人 私反対命令を出しておつたものですし、そういう破棄すべきものではないという信念をもつてつたものですから……。
  162. 武藤運十郎

    武藤委員長 当時の政府の方向と反対のことをやつておられたようでありますけれども、知らなかつたのですね。
  163. 遠藤三郎

    遠藤證人 そうでありますけれども私は総帥の責任者として、参謀総長がさつき申したように敵がポツダム宣言を実行せず、無法なことをやるなら反撃するのだ、その台所を受けもつものは生産を続行するのがあたりまえだという考えのもとに……。
  164. 武藤運十郎

    武藤委員長 それで八月二十八日になつて今まで放出をすることにきめたけれどもそれは取消しにしようという閣議決定東久邇内閣のときにできて、通達されたようでありますけれども、そのことも知らないわけですか。
  165. 遠藤三郎

    遠藤證人 そのときは航空兵器総局長官をやめらせられて、二十六日に航空兵器総局というものは解散させられた。名は商工省の嘱託というのですが、どう考えても職務のある嘱託じやなくて、急に祿から離れると氣の毒だから、嘱託という名目でしばらく俸給をやるという意味合いにしか考えられなかつたのは、局長会議があつても呼んでいただけない。
  166. 武藤運十郎

    武藤委員長 二十六日解散ですか。
  167. 遠藤三郎

    遠藤證人 二十六日正式の解散で、解散ということは終戰直後すぐ話があつた。そこで二十六日には商工省にちよつと鞍替してしまつたのですから事実的な解散というのはその前からあつたわけです。
  168. 武藤運十郎

    武藤委員長 きのう出て來られた証人の話によると、軍需品等については航空兵器以外のものでも航空兵器総局にやらしたらよいというので、その処置をとつて、資材なんかあなたの方にやらしておるということですが。
  169. 遠藤三郎

    遠藤證人 それはアルミニウムだけです。
  170. 武藤運十郎

    武藤委員長 アルミニウムだけですか。
  171. 遠藤三郎

    遠藤證人 アルミニウムは軽金属局というのが軍需省にあつたのです、そこに中西少將でしたか、局長をやつておりましたが、アルミニウムの生産が非常に上らない、殊にボーキサイドがビンタン島から船がやられて來なくなつた、どうしても日本内地でアルミニウムをこしらえなければならぬ、そこで伊豆の明礬石なんかからアルミニウムをつくるのだが、その仕事がどうも軽金属長官の力ではできそうもない、航空兵器総局の力が強いから、その下に入れてやらせようじやないかということになつて、責任を私に負わされました。それはアルミニウムだけです。そうしてアルミニウムはその当時航空機以外にはほとんど使いませんで、全部私の方で頂戴するのですから、使う者がこしらえたらよかろうというので、責任を轉嫁させられたのが、日記を見ればわかりますけれども、たいてい終戰の年の五月か六月ころだつたのでなかろうかと思います。しかし実際はものにならずに終戰になつてしまいまして、アルミニウムは伊豆の明礬石でこしらえ得ませんでした。
  172. 武藤運十郎

    武藤委員長 何かお聽きになることが諸君ございますか。
  173. 明禮輝三郎

    明禮委員 ちよつと一点だけ伺います。先ほどお話になつてつたと思いますが、終戰当時陸海軍が持つてつた飛行機は一万数千機というが、どのくらいあつたのでしようか。
  174. 遠藤三郎

    遠藤證人 それは新聞で見て一万数千機というのを記憶しておるので、私の見当ではやはり一万機内外はある、しかしもちろんこれは練習機のような小さいものも入れて、一万数千機はあるはずだ、こう心得えております。
  175. 明禮輝三郎

    明禮委員 それは内地だけではない、外地の方も入れてですか。
  176. 遠藤三郎

    遠藤證人 外地はほとんどありませんでした。
  177. 明禮輝三郎

    明禮委員 一万機くらいですね。
  178. 遠藤三郎

    遠藤證人 一万機内外、こう大づかみにしております。
  179. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 先ほどこの十四日の閣議決定は知らなかつたからというお話でしたが、なおそのときのお話では、十六日に生産を止めて解体する命令を出したとおつしやるが。
  180. 遠藤三郎

    遠藤證人 解体命令は出しません。生産を中止せいという命令を出した。
  181. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 いずれにいたしましてもあなた独自に出されるのでないから、どこから……。
  182. 遠藤三郎

    遠藤證人 それは上司から聞きました。軍需大臣か、陸海軍大臣か、これははつきりしませんが、もう反撃することはないから、参謀総長かもしれませんが、反撃するような機会も來ぬからということを聞きましたので、そこで生産を中止すべしという命令を十七日に出しております。
  183. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 陸軍でも海軍でも、なお軍需省からも出ておると思いますが、それはやはり一致したる命令でなかつたですか。     〔委員長退席、河井委員長代理著席〕 ただ中止するだけではなくて、軍需工業はこれを中止すると同時に今までの仕掛に対してはどういうことをするとか、補償はどうしてやるとかいうことは……。
  184. 遠藤三郎

    遠藤證人 補償のごときはその当時どうなりますか、混沌たるものでございました。國家がはたして補償すべきか。戰さに敗けてしまつたから、だれも彼も破産だということになるのか、混沌としてそう明確に補償の問題なんかはきまつていなかつた記憶しております。これは常識的に今から考えてもその通りだと思う。あの混沌したとき、軍需会社の損失の補償ということは明確に言えないと思います。
  185. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 それではなおこういうことがありませんでしたか。材料その他は現有工場に無償保管轉換する。なお不用なものがあれば有償拂下をする。こういうようなことを大体おおまかなことでありますが、命令を出しておられませんか。
  186. 遠藤三郎

    遠藤證人 出しておらず、また航空工業は陸海軍の工場と関係が少し違うので、それを御説明申し上げるとよくおわかりくださるだろうと思います。御承知通り航空兵器総局というのはまつたくの新世帶でありまして、財産は一つもない。陸海軍の航空本部から両総務部長を寄せて、ただ陸海軍を形の上で寄合世帶させた。鍋釜さげた新世帶よりももつと貧弱な、人間だけ集まつたので、廰舎もなければ机も椅子もないという存在なんです。それで飛行機の生産を担任しましてもそれに使う資材は一つもない。昭和十九年度の物動計画では陸軍海軍とで取り合いしておるものですから、航空にどれだけ資材をやるという計画さへできない。物資動員計画で航空兵器にはアルミニウムをこれだけやる。鋼鉄はこれだけやるという采配を振る者は一人もいない。それで軍需省の総動員局では陸海軍に航空をまとめたものを差上げる。だから航空の方で陸海軍からもらつてくれ、私には陸海軍からもらつてくれということになつた。ところが海軍にもらいに行くと、陸軍の出しつ振りを見ないうちは出せない。陸軍に行けば海軍がどれだけ出すかきまらないうちは出せない。たくさん資材を出して飛行機を少くもらつたのでは損だというのです。そういうわけでまつたく仕事ができないものですから、そういうことであるならばこつちで勝手にやるぞというので尻をまくつて仕事を開始したのですが、航空兵器総局は資材がないからもらつてつてつた。二十年度になるとどうやらこうやらわくをもらつて、航空兵器に使う資材はこれだけのわくをやろうということになつたけれども、実際にはそのわくは空手形なのです。鋼鉄はどれだけできる予定だから、そのうちこれだけ航空機にやるという空手形をもらつて、その空手形を中島飛行機製作所にはこれだけの切符を切つてやる。三菱にはこれだけの切符をやる。川西にはこれだけの切符をやる。そうすると中島、三菱、川西はその切符をもらつて八幡製鉄所に行つて鋼鉄をもらつてくるわけです。ところがそこへ行つて予定通りはできていない。海軍ではこういうものをつくらなければならないからとれない。陸軍もこれだけつくらなければならないから残らないというわけで、もつて來れない。だから空手形を発行しただけです。それでも飛行機をつくらなければならないものですから陸海軍に頭を下げてもらつてくる。そしていわゆる仕掛品をつくるのですが、いつでも足らない足らないで、やれ鋼鉄がそろうと銅が足らない。銅があつたと思うとニツケルが足らないというようなわけで、足らないづくめだつた。そういう状態ですから財産はないのです。從つて工場の仕掛品をどうせいとかこうせいとかいうことは、航空兵器総局としてはほんとうの貧弱な世帶でございますし、大した問題にはならない。仕掛品の数量はどれだけかというとこれは非常にむつかしい問題で、專門家でさへわからなかつた。というのは三箇月前に準備すべきものか、二箇月前に準備すればいいか、一箇月前に準備すればいいものかは各品物によつて皆違う。そうして私は大づかみにつかんでおるのは一・四半期毎に生産命令を出しておりますから、大体において一・四半期分は準備してかかるべきものだと思つておりましたから、今資材のおおまかなことは申し上げ得ると思います。というのは七月に生産したのは千三機と申しました。ところが一機の平均資材の重量は大体四トンないし五トン、これで千機つくるとすれば、仕掛品が一箇月に流れるものとすれば四、五千トンあれば仕掛品はできておるわけです。二箇月前から千機準備しなければならないことになると、あれは八月半ばころにやめたのですから、それから先二箇月分は準備できておるわけで、終戰当時四、五千トンの二倍一万トンもしくは八千トンくらいのものが仕掛品として残つておれば上乘だ、こう想像できるわけなんです。しかしこれは私が大まかなところをつかんでの想像でありまして、どこにどれだけあるかということは個々を調べぬことにはとうていいかぬのであります。その大まかな——月産百機ずつ三箇月に三百機つくれと申しましても、さつき申したように、空切符しか発行しておりませんから、はたして資材がはいつておるかどうかということはわからぬわけです。從つて補償問題なんか具体化すためには、一々それを施ベたあとでなければ、どうせいとかこうせいとかいうことは言えないわけです。
  187. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 大体わかりました。補償のことは下請にやらしておつた場合、あなたの言われたのは直接工場の場合ですが、そこで、昨日も聽いたのですが、でき上ればでき上つたものは陸海軍へお渡しになるが、半製品で残つておるものもあるし、またほんの仕掛だけで残つておるものもあるし、原料として残つておるものもあつたろう。この始末をどうしたかということです。
  188. 遠藤三郎

    遠藤證人 それが結局四千トンか五千トンもしくは一万トン内外あつたかもしれません。しかしそれは各工場によつてみな違うのですから、どうするというようなことは具体的に命令し得ないのです。それで、私が二十六日に長官をやめて、整理部というものが商工省にできまして整理部でやることになつた。整理部でどうやられたかは整理部長にお聽きせぬと、私嘱託として残つてはおりましたけれども、そういう枢機に参画する資格はございませんでした。
  189. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そうすると、こう聽いてよろしうございますか。あなたの生産をやめろという命令は、未完成品なり、またほんの仕掛なりを現状のままで維持せいということですか。
  190. 遠藤三郎

    遠藤證人 そうです。現状維持で、そのままそつくり停止せい、一切隠したりしては相ならぬ、拂下ももちろんしてはいかぬ。書類のごときも一切燒くことはいかぬという命令です。これは笑いものになつてつておりますけれども陸海軍に十四日の晩に行きましたときには、國家のだびを見るがごとく蒙々として三宅坂から煙の上つておるのを見て涙を催しましたが、私のところでも燒きかけましたから、燒くことは相ならぬ、一切保存せい、しかしまつたく不必要な品物は物資不足の折柄再製することは許すという命令を出して燒却を禁じましたが、遺憾ながらその当時の人心は、自暴自棄といいますか、再製なんてもつてのほかだというわけで大分燒いてしまつたのですが。
  191. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 くどいようですが、もう一遍あらためて聽きます。陸海軍の方では、前諸号に伴う経費的事務は左に準拠する。こう書いてある。軍需品並びに原材料及び軍需生産施設の拂下は原則として有償とする。但し地方官廰等に対するものは無償保管轉換することを得る。また、有償拂下代金はただちに全額支拂を要せず。現に締結中の契約の整理については左による。——これは契約がないからよろしいですが、こういうような拂下げせいとか、材料は轉換せいとかいう命令は出しておられませんね。
  192. 遠藤三郎

    遠藤證人 出しておりません。そうしてまた、出すべきものは、航空兵器総局としては、官の工場というものは、中島を軍需工廠にしたのと川西を軍需工廠にしたのと二つしかない。あとはみな株式会社ですから、材料は自分のものなんです。航空兵器総局のものは何もないのです。
  193. 徳田球一

    徳田委員 航空総局が直営していた工場がありますね。
  194. 遠藤三郎

    遠藤證人 中島と川西です。
  195. 徳田球一

    徳田委員 この中島と川西がもつておりました終戰時の資材がどれだけあつたかということについて、あんたの方にお控えがありますか。
  196. 遠藤三郎

    遠藤證人 ありません。その調べたのは整理部ができてから調べましたので、私直接調べておりません。
  197. 徳田球一

    徳田委員 何も調べてないのですか。
  198. 遠藤三郎

    遠藤證人 調べてありません。
  199. 徳田球一

    徳田委員 それから第一軍需工廠、これは富士産業のいわゆる中島ですが、これに工廠から拂下げた物資というのが出ておりますが、これはあんたのときには全然手を触れてなかつたのですか。
  200. 遠藤三郎

    遠藤證人 現状維持を命じて私は自分の職を下りましたから……。     〔河井委員長代理退席、委員長着席〕
  201. 徳田球一

    徳田委員 これには全然関係しておりませんか。
  202. 遠藤三郎

    遠藤證人 関係しておりません。
  203. 徳田球一

    徳田委員 そうするとこれは全部整理部の……。
  204. 遠藤三郎

    遠藤證人 整理部の仕事です。
  205. 徳田球一

    徳田委員 もう一つお尋ねしておきたい。十四日の閣議決定されましてから、十七日に陸軍大臣が陸機密第三百六十三号というのを出しまして、軍需品、軍需工場等の処理に関する件達となつておりますが、これは全然あなたの手に届かないのですか。
  206. 遠藤三郎

    遠藤證人 私の方には來ておらなかつたと思います。陸達でございまして、陸達は軍需省には來ぬがほんとうです。何か大事なことは通報するでしようけれども、達しとして権力をもつた命令的には來ないわけです。
  207. 徳田球一

    徳田委員 そうですか。きのうの椎名悦三郎君の証言によりますと、そのときの航空総局というのは、何でも軍需省にはいたにはいたけれども、ただそれは形だけいたのであつて、私らの方とは全然関係がないのだ、それは全部陸海軍省が直接指揮してやつていたので、自分の方には全然わからぬ、だから軍需的のものはただ切符をやつたりするうわべだけのことをやつたので、すべてはあんたがやつたのだ、こういうふうに言つております。そうするとこういう達が、軍需大臣からあんたは別ものになつているのだから、あんたは陸軍の方でありますから、陸軍省から來ないというとどうしても動きがとれないと思いますが、どうですか。
  208. 遠藤三郎

    遠藤證人 そうなんです。いわゆる官制上、作戰に関係することは陸海軍大臣直接監督指揮するということがあるものですし、それと編成上軍需省に官房があるのに、航空兵器総局が軍需省の中にありながら、そこに官房がある。結局玄関が二つある。そうされたゆえんは防牒上、軍事機密のことを取扱うから、平役人には軍事機密を見せられぬというようなセクシヨナリズムから、軍人だけ集まつている航空兵器総局に官房を設けて、その玄関口から來ておつた。ところがその当時の陸海軍の混乱振りはひどいもので、おそらくそういうような達しは軍需省の関門を通らぬでも、航空兵器総局の関門を通してこなければならないでしようが、もう連絡がない。
  209. 徳田球一

    徳田委員 何もないのですね。從つて二十三日に出しております今読みました達の実行の細目でありますが、この細目もあんたのところには何も來ておらんのですか。
  210. 遠藤三郎

    遠藤證人 もうほとんど戰爭に敗けてしまつてから陸海軍からは航空兵器総局には命令はきておりません。向うも忙がしくてわからぬでしようし、椎名さんの言われたのも一面の眞理でありまして、はれものに触るようにしておられましたし、私は努めて次官大臣には報告するようにしておりましたけれども、私は不慣れでありますし、忙がしいし、報告漏れもありますから、椎名さんがわかつておらぬのは無理もない。私でさえわかつておらぬ。
  211. 徳田球一

    徳田委員 そうするともう一つお尋ねしますが、この航空総局が直接管理していた工廠のほかに航空機を補作する軍需工廠、指定工場というのがあつたはずだが、これはどこどこであるということはおわかりになつておりませんか。
  212. 遠藤三郎

    遠藤證人 指定工場まで言いますと、何万と数える。大体の数は私議会で説明するために書いたのがありましたが、とてもお話にならぬほど数が多い。とにかく從業員がきのう中島知久平さんが百九十五万とか言うておられましたが、あの神風手拭をおわけするとき、航空兵器の生産に從事しておる人におわけすると言つたら二百三十万おわけして足りなかつた。その中には少し臭いするくらい関係したものも、欲しいために関係したと言われる人もあつたかもしれませんけれども、とにかく二百三十万の從事員がおるほどたくさんあるのですから、とても指定工場の数なんか拾い上げることはできません。またその当時の経済状況から見て、航空の仕事をしておると言わぬと、いわゆる航空優先で資材がはいつてこない。ですからだれも彼も実際やつておらぬでも航空関係の仕事をやつておりますと言つてつて、それが皆指定工場を願つてくる。
  213. 徳田球一

    徳田委員 山師にずいぶん利用されたわけですな。
  214. 遠藤三郎

    遠藤證人 相当利用されたかわかりません。
  215. 徳田球一

    徳田委員 このリストか何か残つておるのでしようか。
  216. 遠藤三郎

    遠藤證人 残つておりません。すつかり讓つてしまいまして、私の手許には自分のメモしかありません。
  217. 徳田球一

    徳田委員 そうするとこれは整理部に聽けばわかるわけですね。
  218. 遠藤三郎

    遠藤證人 指定工場はおわかりだろうと思いますけれども、それもどうですかね。ちよつと待つてください、概略の数は書いてありますから——これも飛行機生産の数と一緒に調べて書いてお上げします。
  219. 徳田球一

    徳田委員 これは非常に重大なことで、実を申しますと、こういう資材や半製品やいろいろのものがみんなアルミニウムの兵器の解体と一緒になつて処置せられて、これが非常に莫大な横流れがあると私ら見ておりますから、その当時の実体を押えてみたいと思う。そうしませんとあとの仕事ができませんから、日本再建のために非常に大事なことでありますからどうかひとつ……。
  220. 遠藤三郎

    遠藤證人 アルミニウムはその当時私が扱い得るのが一番多いときで年に二十万トン、それはスクラツプも何もみんな集めてです。生産するやつはそんなにない、十二、三万トンしかなかつた。解体したやつ、殷れてしまつた飛行機、削り屑も再製するというようなことで、十九年度は二十一万トンとして計画しました。終戰当時なんかそんなにありやしません。先も申しましたように、鉄から何から全部集めても、大づかみに言つて低いところで四千トン、多くて一万トンくらいは仕掛品としてあつたんじやなかろうか、これは想像です。生産機数から推算して……しかしそのうちの大部分はおのおの会社の品物である。官のものとなつておるのは、結局中島を軍需工廠にしましたものと、川西も軍需工廠にしましたけれども、これはまだ滑り出しをしておりませんでした。なつたばかりですから、生産も何もしていない。中島一つと言つていいくらいです。
  221. 徳田球一

    徳田委員 しかし陸海軍の直接の飛行機製作所があつたのじやないですか。
  222. 遠藤三郎

    遠藤證人 少しありました。これは微々たるもので、お話になりません。九牛の一毛です。立川にも一つつた
  223. 徳田球一

    徳田委員 この民間の所有しておる資材でありますが、これは一面から言いますと、戰時金融金庫が金を貸しておるので、実際は政府が債権者で、名義だけは民間会社のものであつたかもしらぬけれども、実際上は政府のものであつたのじやないですか。
  224. 遠藤三郎

    遠藤證人 そういうわけです。
  225. 徳田球一

    徳田委員 そうすると全体として実質上は政府のものであつたということになります。そこで問題を提起したいのですが、こういう政府のもの、債権をもつておる政府のもの、こういう軍需品の跡始末については、何らあなたは協議にあづかつておらぬのですか。
  226. 遠藤三郎

    遠藤證人 私は非常に重要視したのです。これは航空兵器総局だけでやることはできない、國家的にやらなければならぬということで、私は生産中止命令を出しただけで、一言も言つておらぬ。これは一陸軍、一海軍個々にやるべきでなくて、國家としてやるべき重大問題である、そう思つておるものですから、もしも十七日や十六日などに閣議決定などひよつと出たりすれば、少し軽卒過ぎるくらいに思つておりますから、積極的にどうしたか聽いておりません。
  227. 徳田球一

    徳田委員 跡始末は全然おわかりになりませんか。
  228. 遠藤三郎

    遠藤證人 わかりません。
  229. 徳田球一

    徳田委員 もう一つお聽きしておきたい。この陸海軍のもつてつた工廠ですね。これはあなたの場合には二つの航空工廠だけですけれども、大体借りたものですからなんですが、そのほかのもので大阪造兵廠だとか、あるいは横須賀の鎭守府の工廠だとか、この工廠が終戰後そこに工作機械や、それぞれのものを置いておくとどうなるかわからぬ。これは官有だから取上げられるかもしらぬからというので、そこにあつた工作機械をどんどん民間の方へ持つてつたことはないですか。それは聞きませんか。
  230. 遠藤三郎

    遠藤證人 聞きませんでした。私はほかの問題で精一ぱいでございまして、とても人のことまで聞こうともせず、聞きませんでした。
  231. 徳田球一

    徳田委員 それからもう一つお尋ねしたい。これは航空機にも関係があると思いますが、実際は製作はしたけれども、これが輸送ができない、軍隊に渡すことは事実できない。ところがもう製作はしてあるけれども、渡さなけれが金が來ないという場合に、航空をやつておる会社が預り書を出して、そうして金を拂つたということはありませんか。
  232. 遠藤三郎

    遠藤證人 そういうことも私存じません。これは存じませんと言うては長官としてまことに申訳ないですけれども承知かどうかしりませんが、私は純然たる軍令畑の男でございまして、私のようなものが航空生産に行つたというのは不思議なんだ。不思議というよりは、私の使命は陸海軍の摩擦の潤滑油として連れていかれたので、ほんとうの素人なんです。けれども長官になつた以上は勉強してこれだけのことをおしやべりしましたが、とてもそういう技術的のことはお話するだけの頭はないですから、御勘弁を願います。
  233. 徳田球一

    徳田委員 支拂方面のことはたれが知つているのですか。
  234. 遠藤三郎

    遠藤證人 航空兵器の支拂のことは太田輝という第四経理局長が知つております。
  235. 徳田球一

    徳田委員 この支拂にずいぶん疑いがある。いろいろ投書もありますから、相当つておきませんと……。
  236. 遠藤三郎

    遠藤證人 そうでしよう。とにかく國費の大部分が航空兵器総局で使つたようなかつこうになりますから、私の記憶では陸海軍合して年額二百億を越しておるんじやないかと思います。それだけの額をもらつているにもかかわらず、はなはだ不敏なる長官はそれをどういうふうに支拂つたかちつとも存じませんで、戰に勝つことばかり考えておりました。
  237. 徳田球一

    徳田委員 あなたは武弁の御出身ですからやむを得ませんが、最後の跡始末が三年経つてもつかないで、不思議に思つている。
  238. 遠藤三郎

    遠藤證人 ぜひ抉つていただきたいと思います。さつき言うたように、私はまじめな考えで、國家再建は正しい基礎の上に立てにやならぬ。虚偽、不正は一掃した上に立てていただかなければならぬ。こう念願しておりますから、あなた方御苦労さんですけれども、私もこの使命の重大なのに感激して來たのです。それでなければ、私百姓しておりまして、この麦蒔きの忙しいときに二日間つぶすのは惜しいですから、出て來ぬと処罰されるのが恐ろしくて來たのではない。
  239. 徳田球一

    徳田委員 こちらも感激してやりますから……。
  240. 武藤運十郎

    武藤委員長 もうほかにございませんか。——それでは御苦労さんでした。     —————————————
  241. 武藤運十郎

    武藤委員長 津島壽一さんですか。
  242. 津島壽一

    津島證人 さようでございます。
  243. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなたは東久邇内閣の大藏大臣をしておられましたが、いつからいつまでですか。
  244. 津島壽一

    津島證人 お答えいたします。昭和二十年の八月十七日から同年の十月九日退官いたしました。
  245. 武藤運十郎

    武藤委員長 大臣に御就任なさる前にはどういう官職におられましたか。
  246. 津島壽一

    津島證人 内閣顧問をいたしました。鈴木内閣当時であります。
  247. 武藤運十郎

    武藤委員長 その前は……。
  248. 津島壽一

    津島證人 その前は小磯内閣の大藏大臣を約四十日ばかり勤めました。
  249. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなたが大藏大臣をしておられる当時、軍需用保有物資緊急処分がなされたようでありますけれども、その状況を御存じですか。
  250. 津島壽一

    津島證人 ただいまのお尋ねは明瞭に理解できませんが、私が大藏大臣に就任いたしました後に、軍需物資緊急処分が行われたか、こういうお尋ねでございますね。
  251. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうです。
  252. 津島壽一

    津島證人 これは同年の八月の下旬だつたと思いするが、東久邇内閣におきまして、同年の八月十四日の鈴木内閣における閣議決定を廃止するという、閣議の提案がございましたことを記憶しております。その廃止される関係は、軍需物資緊急処分に関する件という八月十四日附の閣議決定でありました。それを廃止する件を閣議決定したことを記憶いたしております。
  253. 武藤運十郎

    武藤委員長 それはどういうわけで放出する決定がなされ、それが取消される決定がなされたのですか。
  254. 津島壽一

    津島證人 その八月十四日の閣議決定がどういう事情でありましたかは、もちろん私も関係ありませんので、存知いたしておりません。八月下旬のその閣議決定を取消す、廃止するという閣議決定は、私の記憶いたしておるところによりますと、当時終戰の関係で、マニラの方に政府の代表が参りまして、持つてまいりました文書の中に、軍需物資の保有に関する案があつたというわけで、そういつた閣議決定を廃止することが必要であり適当である、こういう説明があつた。その案件だつた記憶します。
  255. 武藤運十郎

    武藤委員長 緊急法律処分決定されてから、取消しのなされるまで間があつたようですけれども、その間における放出物資の回收その他適宜処置というものは、どういうふうになされたか御存じですか。
  256. 津島壽一

    津島證人 全然私は関知いたしませんで聞いておりません。卒直に申しますと、その廃止の閣議案が出たときに、そういつた十四日の閣議決定があつたということを、参考書類で見たわけでございまして、どの程度にその間に緊急処分が行われたかということについても、当時は承知しておりません。
  257. 武藤運十郎

    武藤委員長 取消し閣議が協議された際に、何がどのくらい放出されたとか、あるいはこれはどういうふうに回收をしなければならないとか、そういうふうな善後処置については、閣議の席上話は出ませんでしたか。
  258. 津島壽一

    津島證人 お答えいたします。閣議の席上では、私の記憶が誤りなければ、そういつた善後策についての協議はありません。
  259. 武藤運十郎

    武藤委員長 軍需物資についての民間工場との契約破棄、解除等について、損害賠償を拂うとか何とかいうことについては、あなたの方は関知しておりませんか。
  260. 津島壽一

    津島證人 お答えいたします。大藏大臣のところには、そういう問題をもつてきた者はございません。また閣議等でそういう問題を提示されたということも記憶いたしておりません。
  261. 武藤運十郎

    武藤委員長 かなり多くの支拂が当時なされているようでありますけれども、その支拂についての処置がどんなふうに行われたかということは御存じありませんか。
  262. 津島壽一

    津島證人 お答えいたします前に、その支拂という意味はどういつた目的に対する支拂が多かつたというのでしようか。
  263. 武藤運十郎

    武藤委員長 主として兵器ですね。兵器についての契約があつて、完成品、未完成品等について代金の支拂がなされた、そのことについてあなたは御存じでありますか。
  264. 津島壽一

    津島證人 これは終戰後の全体の支拂の問題に関係があると思いますが、その中には一般会計の支拂もありましよう。また臨時軍事費から出る、すなわち兵器の代金のときは、その予算の中から出るものと承知いたしておりますが、業者から相当多額の金が出たのは事実でございます。ただ刻々毎日の状況が大藏大臣に報告がないのでございます。いわんや臨時軍事費に関する限りは、大体予算一本できめておりまして、陸海軍の両省別にはなつておりますが、大藏省としては予備金関係以外は大体軍の予算として軍の経理当局において各地方支出官に任してその経理をするという建前でございまして、会計法の建前から言つても支出官の責任においてやる、こういうことになつておるのでありまして、その後いろいろ軍の支拂が多いと言い、また一般の会計の支拂も相当終戰後あつたようでありますが、全体を通じて見ますと、当時私の得ております情報から申し上げますと、政府の八月中の支拂の超過は前月に比してはそう多くなかつた。もちろん臨軍費においては約二、三十億の前月に比しての支出増加はあつたようであります。大体そういうような程度であつた記憶します。
  265. 武藤運十郎

    武藤委員長 何かお尋ねになることがございますか。
  266. 徳田球一

    徳田委員 臨時軍事費の支出は全然大藏省には関係ないのですか。
  267. 津島壽一

    津島證人 全然ないということを申し上げたわけではありません。実際経理を担当するものは陸海軍の経理当局制ある。なお予算をつけかえるというような事務は大藏省が財政の管理者として三箇月分にまとめて何億円をやるとか、あるいはまた公債を発行する時分に、その財源としてどのくらい経費がかかつておるかということを、ここで随時必要なだけの公債を発行して、その経費財源を賄つていく、こういうことになつておりますから、全然関係ないということのないのは当然のことであります。
  268. 徳田球一

    徳田委員 そうすると、支拂に対してはどれだけ支拂つたというような報告もないのですか。
  269. 津島壽一

    津島證人 毎日の支拂は、これは遠隔の地でありまして、現地の状況等はなかなかわかりません。いわんや海外にまで軍隊は行つておるわけであります。でありますけれども、大体日本銀行の帳簿において各軍の支出官がこれだけの小切手を出して支拂をしたというもとは結局日本銀行にまいりましたから、日本銀行の帳簿を繰れば、どのくらい臨軍費が出たかということは、大藏大臣としては始終國庫の監督官が見ておるわけでありますから、わからないということはないのであります。
  270. 徳田球一

    徳田委員 そうしますと八月から十月までの間に陸軍省海軍省、軍需省でどのくらいの支出をしたかということはおわかりになるだろうと思いますが、どうですか。
  271. 津島壽一

    津島證人 それは私は八月あるいは九月は在職中でありまして十月はおりません。しかして今日兵器処理の問題について何か問合わせがある、こういうことでありますから八月の臨時軍事費がどのくらい出たかということを空で申し上げてその計数が間違つていると非常に困りますが、大体私の記憶だけ申し上げます。間違つたらあとで訂正いたします。大体臨軍費はこれらの陸海軍あるいは航空兵器総局において過去の実績は七月、六月、六十四、五億円ずつ毎月出たように思います。八月はそれが三十億か二十五億増して約九十億になつたと思います。九月はそれより著しく減つておそらくその半分以下ではないかと記憶しております。
  272. 徳田球一

    徳田委員 四十五億ですか。
  273. 津島壽一

    津島證人 大体そのくらいではないか、今は計数を用意して参つておりませんから、四十二、三億ではないかと記憶しております。十月は私三、四日勤めたわけでありまして、正確なことを申し上げる資格もないし、大体そういう状況であつた記憶します。
  274. 徳田球一

    徳田委員 よほど記憶が違つているように思われますね。これは時事新報に大体掲出されたものですが、八月には百二十一億、九月には二十九億、十月には七億三千いくらで、これは大体出しているようでありますから、合計しまして百五十七億出しております。
  275. 津島壽一

    津島證人 実はそういう計数のこまかいことを何もメモなしにお問合わせになつて責任をとることははなはだ困ると思います。三年前のことをその委員がこまかくどこかの帳簿を調べてこられてこれが間違つておるがどうかと言われても、非常にこれは困難なことだと思います。
  276. 徳田球一

    徳田委員 責任を追及するわけではない。
  277. 津島壽一

    津島證人 あなたの計数は時事新報でありますね。大藏省にお聽きになれば今大藏大臣は言わなくても、現在の大藏当局は帳面を持つております。日銀に行つてだれか呼出してこれをお聽きになつた方が早いと思います。
  278. 徳田球一

    徳田委員 早い遅いは別です。ただこれだけ出ているかどうかを聽いているだけなんです。
  279. 津島壽一

    津島證人 との当時のお問合わせをなさるなら正確な計数をここに出していただいてやりませんと、三年も前のことを記憶するのは困難です。ただ私は大体の観念を言つているのです。臨軍費の支出として七月ころは六十四、五億円出ていると記憶している。当時の私の聽いたところでは八月中はこれに三十億くらい増したと思つております。
  280. 徳田球一

    徳田委員 それでよいのですよ。だから私の方で調べたところでは、これだけ出ているということだけをつけただけであつて、あなた責任をもちなさい、あなたの言うのはうそだといつているわけではない。ただ問題はこれだけ明らかにしておくというだけの話です。そこでこれから発展しますからどうぞひとつ。こういうような臨時軍事費の支出が何の原因でこれが出ているかということを御存じないのですか。
  281. 津島壽一

    津島證人 それはどの月の分でありますか。八月の分でありますか。
  282. 徳田球一

    徳田委員 これは大体終戰後のものですから八、九、十月分ですね。
  283. 津島壽一

    津島證人 終戰後大体軍事費というものは七十億円程度毎月所要があるという建前で計算されたと思います。でありますから八月においても大体ずつといけば七十億は出る計算だろうと思います。しかるに一挙に軍需の生産を止めて從來のすでに完納した兵器であるとか各種のものがまた支拂を翌月に延ばしたものが相当つたと思います。そのためにおそらく二、三十億は終戰後にそれらの生産というか支拂のために要つたのじやないかと思います。
  284. 徳田球一

    徳田委員 そこが大事なのです。
  285. 津島壽一

    津島證人 第二はもつと大きい。これは内容を申し上げませんと計数を言うのは非常に危險だと思いますが、これらの軍事費関係で支拂うべき人件費、解雇手当、何十万という人に退職手当というものが出たわけです。それもその月限りの事柄として考慮に入れなければならぬ。こう思います。
  286. 徳田球一

    徳田委員 そこが大事なのです。ところでこういう支拂、退職金は別でありますが、製品及び半製品の支拂に対しましては、大体政府が製品を引取られておられるのでしようか。
  287. 津島壽一

    津島證人 それはその当時の経理当局にお聽きいただきますと、私は軍の経理当局のやつておるところまで、とうてい戰後の非常に多忙なときには見ておりませんから……。
  288. 徳田球一

    徳田委員 おわかりにならぬのですね。
  289. 津島壽一

    津島證人 わからぬというにじやないです。正確なことは申し上げられないのです。
  290. 徳田球一

    徳田委員 方針としてはどうです。
  291. 津島壽一

    津島證人 方針として軍の当局において支拂うことについては、もつとも嚴重に險査せい。大藏省としてはなるべく終戰後支出を抑えることが非常に大事なことです。こういう建前で事務当局間にはもつとも密接な連絡をはかろう。こういうことでございます。
  292. 徳田球一

    徳田委員 方針としてはそういう製品を引取るのですか、引取らないのですか。製品代として拂つてあるのですから、その残つておる向うにある製品並びに半製品は、政府が引取つておるか、引取つておらぬかということです。
  293. 津島壽一

    津島證人 私の申しましたのはすでに納めたその兵器その他の軍需品の代價の支拂について言つたのです。まだ未完成のものは引取らなかつたと思います。
  294. 徳田球一

    徳田委員 そうすると支拂はしておらぬのですか。
  295. 津島壽一

    津島證人 と思います。これはその当時の事情、大分前のことですから、正確にお答えすることは避けたいと思います。
  296. 徳田球一

    徳田委員 大体そういう支拂や大きな書類に関しましてはすべて閣議にかかり、もしくは大藏省なら大藏省で省議で大体御方針を決定してでないと支拂はできないはずでありますが、そういう閣議、省起の決定はありませんか、こういうものに対する……。
  297. 津島壽一

    津島證人 閣議ではなかつたように思います。
  298. 徳田球一

    徳田委員 省議では……。
  299. 津島壽一

    津島證人 省議でもそういうことは出なかつたよう記憶いたします。
  300. 徳田球一

    徳田委員 と言いますと、これは日銀の発行高でありますが、八月十五日から末までの間に百三十七億増大しておるのですが、この増大しておるのと、臨時軍事費の支出、増加支出してものとでそう大きく開きがなく合致しておりますが、ここで問題があるわけなのです。こういう日銀の発行高がぐんと増して、たつた半月で百三十七億も増しておるわけなのであります。この原因はどこにあるのですか。
  301. 津島壽一

    津島證人 今の計数も私はほんとうの計数をもつて來ておりませんから、ちよつと逆にお伺いしたいのですが、八月十五日の発行高はいくらになつておりますか。
  302. 徳田球一

    徳田委員 八月十五日の発行高は二百八十七億になつております。少し切上げておりますが、大体二百八十七億になつております。二百八十六億何千万円となつておりますけれども、四捨五入して二百八十七億になつております。
  303. 津島壽一

    津島證人 八月末は……。
  304. 徳田球一

    徳田委員 八月末は四百二十三億、その間の大体の開きが百三十七億です。
  305. 津島壽一

    津島證人 計数のことで議論してはなはだ不本意ですが、私当時の記憶で八月十五日の現在高に対して、八月三十一日の日本銀行の現在高は、百十四億増した。大体そのくらいに記憶しております。一億くらい違うかわかりません。百三十億お増しになつたという計数は、それは二十億違つてもいいといお話でしようが、もちろんそういうこまかい計数で……。
  306. 徳田球一

    徳田委員 大体でいいです。これは政治ですから——政治は会計ではありませんから大体でいいですが、こういうふうに増大しておる原因はどこにあるのですか。
  307. 津島壽一

    津島證人 これは非常にむずかしいことで、学者の間においても、実際家においても、なぜ増加したかということについてはいろいろ意見があると思うのです。これは軍事費がその当時九十億出たと思いますが、それによつて通貨がこれだけ膨脹しておるというその原因……、ただ計数が單純に符合するものであるかという違いがあるのです。  私在任中この兌換券の状況を調べたところによると、十五日ごろからあるいは八月中と言つてもよろしゆうございますが、七月末から計算すれば一月であります。委員のおつしやつたのはおそらく七月末からだと思いますが、約百三十億出ておると思います。その原因は終戰後日本銀行が各金融機関に対して非常な貸出しをした。日本銀行の貸出し増は終戰後から二週間の間に約六十億増しております。これは各銀行において相当手もとを用意した関係になつておるが、銀行は戰後の不安で相当取付がある。取付という言葉はひどいが、預金の引出しが終戰直後二、三十億は出たという状態でありまして、各銀行は日本銀行から金を借りて、銀行の手もとに置く金は発行高であります。從つて六十四億あまりが日本銀行が金融機関に貸した金です。これは資金に入れたものももちろんある。銀行にあつても発行高です。しかして政府関係においてはどうであるか。臨軍費は九十億と言い百億とも言い、ずいぶん出たが、ほかの收入もあつたのです。結局臨軍費を入れて、國家全体の歳計で預金部に金を入れても國庫の收入になるのです。政府関係の支拂高は八月にわずかに三十七、八億円だつたと思います。     〔委員長退席、鍛冶委員長代理着席〕  從つて終戰後における百億何がしの八月中の膨脹は、政府の支出の原因というよりも、民間資金の需要が厖大であつて日本銀行の貸出しの増加ということがより大きい原因であつたということが、当時よく見た計数において私は記憶しております。もし臨軍費の支出がなかつたらもつと通貨は減つてつただろう、こういうことになると思います。
  308. 徳田球一

    徳田委員 そこでもう一つお聽きしたいのですが、終戰になりまして軍需生産を停止したために、当時軍需工場として指定されていたものが厖大な数に上りましたが、この厖大な数に上つた工場が全部停止した、そして新しく出直すわけでありますが、この出直すまでの間には相当期間があつたろうと思います。そういう関係上これらに対する政府の補償、これは大藏家としては一文も出しておりませんか。
  309. 津島壽一

    津島證人 軍需工場が停止されましてすでに補償すべき約束のある金額が相当つたのです。疎開のために経費を使つた命令で設営をした、あるいは戰災にかかつたものの保險金の補償であるとか各種の補償があつたのです。しかし少くとも私の在任当時は、それらの補償については一文も出したことはございません。
  310. 徳田球一

    徳田委員 一文もない……。
  311. 津島壽一

    津島證人 大藏大臣として……。
  312. 徳田球一

    徳田委員 それからもう一つお尋ねしますが、この軍需工場からの支拂の要求は、すベて現品を受取つた上でなければ支拂はできないのですか。それとも現品は受取らなくても支拂はできますか。
  313. 津島壽一

    津島證人 どういう意味でしようか。軍需工場に政府が注文したものが現品を明取らない前にもいくらか支拂をするかということですか。
  314. 徳田球一

    徳田委員 そうです。
  315. 津島壽一

    津島證人 これはやはり経理の当局の專門家にお聽きになつた方が正確かと思いますが、私はただ御参考に申し上げます。ある場合には特殊の物件については——軍艦であるとかいうものは前金拂注文をいたします。何割かの前金を拂う。まだ品物は受取つておりません。そういつた意味における前金拂であるとか、いろいろ品物を受取る前にやることが会計法上認められたものが相当あります。これは軍需品についても一般の支拂についてもあり得るわけであります。そういつたものをどの程度実地に活用しておるかは、会計官の責任においてやります。
  316. 徳田球一

    徳田委員 そうすると終戰当時物資を受取らずに相当の支拂がなされておつたわけですね。
  317. 津島壽一

    津島證人 かくのごとく物資を受取らないで前金を支出したものは、全部前金拂を返すべき処置を講ぜよということにいたしております。
  318. 徳田球一

    徳田委員 前金拂を全部返す……。
  319. 津島壽一

    津島證人 そうです。返した結果は知りません。
  320. 徳田球一

    徳田委員 方針はそうですね。
  321. 津島壽一

    津島證人 そうです。
  322. 徳田球一

    徳田委員 もう一つお聽きしますが、政府の持つてつた工作機械その他の物資が民間に終戰後どんどん拂下、もしくは拂下という名義はなくても、どんどんここに流入したということはありませんか。
  323. 津島壽一

    津島證人 それは私は想像でありまするが、緊急処分の件を閣議決定された以後、私にも閣僚としてそれを廃止するということにした間においてどんな処置が講ぜられたか、私としては直接関係しておりませんから存じませんが、そういうような場合においてはあり得ることだと思います。これは私は事実をつかんでおりませんから何とも申しませんが、実際にその時の者にお問いくださるならば委員会としてはもつと正確な事実が把握できると思います。
  324. 徳田球一

    徳田委員 最終にお聽きしたい。あなたは終戰後、職をやめられました後にも大藏省にお出入りしたことはありますか。
  325. 津島壽一

    津島證人 絶対にないとは申しません。
  326. 徳田球一

    徳田委員 相当出入りなさつたのですか。
  327. 津島壽一

    津島證人 私は自分の私用のために出入りしたことがございます。
  328. 徳田球一

    徳田委員 何か大藏省の、表面上はともかくとして、実際上は嘱託だとか顧問だとかいうふうなことをなさつたことはないのですね。
  329. 津島壽一

    津島證人 絶対にありません。
  330. 徳田球一

    徳田委員 大藏省からタバコその他の配給を月三十箇ずつ受けておるという話がありますが、これは光並びにきんしでありまして、そのことは大藏省の職員から報道がありますが、こういうことはありませんか。
  331. 津島壽一

    津島證人 私は配給をくれたのかどうか知りません。全然私はそういうことを知りませんが、どういう趣旨のものでしようか。
  332. 徳田球一

    徳田委員 これは特配となつております。特配受領者の名前は相当たくさん出ておりまして、あなたもその一人になつております。
  333. 津島壽一

    津島證人 委員長、私は兵器処理関係について、今日証人として出頭せよという御喚問があつたのですか、こういうことについて一々答弁をしていいものでしようか。
  334. 徳田球一

    徳田委員 それは答弁しなければならぬことになつております。
  335. 津島壽一

    津島證人 宣誓して答弁するのですか。
  336. 徳田球一

    徳田委員 毎月三十箇ずつあなたの方に特配しておるという事実がありますということを言つておりますが……。
  337. 津島壽一

    津島證人 それは承知しておりません。
  338. 徳田球一

    徳田委員 全然ないのですか。
  339. 津島壽一

    津島證人 特配とか何とかいう名前はどういうのですか、わかりません。委員長ちよつと伺います。私が宣誓したのは証人として喚問された兵器処理に関しての証言を聽きたい、こういうことで宣誓したのです。この宣誓は非常に神聖なものです。ところが特配はどうだつたかとか、私は全然知りません。それに対して責任ある尋問を受けるのですか。
  340. 徳田球一

    徳田委員 尋問じやない。こういう関連したものはすべて聽いてよいことになつております。関連したものは必ずしも兵器だけではない。
  341. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員長代理 お答えしますが、関連したものは聽いてよいことになつております。あなたが先ほど宣誓のとき読み上げられたと思いますが、犯罪に関係あるとか恥辱になるとかというものであれば証言を拒絶されて差支えありません。但しその代りそういうものであることの疏明は必要であります。
  342. 津島壽一

    津島證人 私は今の話は承知しておりません。
  343. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員長代理 全然ないのですね。
  344. 津島壽一

    津島證人 全然承知しておりません。
  345. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員長代理 ほかにありませんか——それでは済みました。     —————————————
  346. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員長代理 澁澤さん、あなたは幣原内閣の大藏大臣であつたと思いますが、何年何月から何年何月まで大藏大臣でしたか。
  347. 澁澤敬三

    澁澤證人 昭和二十年の十月九日に就任しました、二十一年の五月二十二日の退官しました。
  348. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員長代理 昭和二十年九月二十四日附で連合軍最高司令官から覚書が來まして、それに基いて日本政府へ返還せられた軍需物資についてあなたとしては國有資産となるべきものをどういう取扱いをせられたか、大体において御説明を願いたいと思います。
  349. 澁澤敬三

    澁澤證人 幣原内閣になりましてから前内閣特殊物件処理委員会という一つのこれは官制によらないものができて來まして、これはたしか内務省に主としてさせておつたので、その中の不動産の関係だけが大藏省に財産として來るべきものであるという関係からその中に大藏省の國有財産備品として出ておりました。そうしてそれを引受けたということになつております。
  350. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員長代理 不動産だけですね、土地、建物……。
  351. 澁澤敬三

    澁澤證人 その他のものは除いております。
  352. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員長代理 そうすると工場の機械や何かは……。
  353. 澁澤敬三

    澁澤證人 中の機械や何かはタツチいたしません。不動産と建物だけです。
  354. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員長代理 工場施設でも不動産はあなたのところですね。
  355. 澁澤敬三

    澁澤證人 そうです。
  356. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員長代理 軍艦とか素材とか廃兵器関係については……。
  357. 澁澤敬三

    澁澤證人 兵器関係は大藏省としては全然ありません。
  358. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員長代理 なお終戰の当時軍需工場に対して生産中止の命令が出まして、その結果軍需工場への発註の契約をすべて解除したのでありますが、その解除に伴つてなされたことががつとあなたのときまで残つてつたと思いますが、特にその中で仕事の中途の買入れに対する補償金のことはどういうようになつてつたか、承つておきたいと思います。
  359. 澁澤敬三

    澁澤證人 あのときの記憶ではそういう意味での補償という問題は起つておりません。財政的には何ら処置しておりません。予算関係には上つておりません。特にそのためにこうするとかああするというようなことはなかつたのです。ただ臨軍費として最初に私がまだ日銀におりました当時に終戰直後に金が出たのであります。これは私の記憶しておりますところによりますと八月の十六日から八月の終りまでに約百三十億の通貨が発行されました。その中の約二十億は民間の取付であります。それからあと三十億くらいはそういうことがなくても毎月その時分増加しておつた普通の金額であります。それ以外が軍需省、その他航空本部とか陸海軍が臨軍費としてとりつけてもつてつたお金である。
  360. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員長代理 予算面では臨軍費でありますが、実質に拂つたのはその補償金であります。
  361. 澁澤敬三

    澁澤證人 そうではありません、その内容については私はよく存じませんが、大部分は退職手当が多かつたと思います。そうしてその退職手当をインフレーシヨンを起してはいけないというのでほとんど千円以上のものは皆定期預金に振り替えた。これは十一月になつて司令部からの命令によつて没收されました。從つて全部無効になつてしまいました。
  362. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員長代理 それは八月中ですか。
  363. 澁澤敬三

    澁澤證人 八月中であります。
  364. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員長代理 九月はどうですか。
  365. 澁澤敬三

    澁澤證人 九月は、私所管ではありませんからよく記憶しておりませんが、たしかそのころになつて仕掛品とか、あるいはある会社が相当政府から受取るべき金をもつてつたのに、それが來ないためにその下請その他がしまつてしまう、そのために特殊の小切手制度を発行して集中決済のやり方をやつた。それは前内閣時代に津島大藏大臣が御計画になつてつたのを踏襲した。それでその差額を拂おうとしたものをこれも総司令部からの命令で相ならんということになつて、結局そういう意味の補償は一文も出さないことになつた。
  366. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員長代理 そういう契約解除に伴ういろいろの補償とか、あとの支拂並びに物に関係なければなんですが、中に入ついている物をどうするか、不動産でもよろしゆうございますが、そういうふうなことについて前内閣からあなたに対して引継ぎが何かあつたのですか。
  367. 澁澤敬三

    澁澤證人 特別の指示は何もありません。
  368. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員長代理 大体九月二十四日の、この覚書に基いてやることがずつと残つてつたと思いますが、そこで九月二十四日から、あなた方十月九日におやりになつたのですからほんの緒についただけですが、それらについては……。
  369. 澁澤敬三

    澁澤證人 それについて記憶しておりますのは、十月の内閣ができてすぐでありますが、特殊物件処理委員会閣議でもつてつくるということが決定されたことを記憶しております。
  370. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員長代理 そのときはすでに処理委員会はできておつたのでしよう。
  371. 澁澤敬三

    澁澤證人 できております。それに対してはわれわれ出たこともありませんし、全然知らない。ただこういう方針とするということを決定したことは覚えております。
  372. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員長代理 何かこまかいことをそれについて、物はどうするとか、金はどうするとか覚えありませんか。
  373. 澁澤敬三

    澁澤證人 むしろ金の問題はそれには触れていなくて、こういう特殊物件をどういうふうに処理するかということを調査研究することが一つ。それから各地に分散されているので各地方に任せるために中央においてその大綱を決定するということが閣議できまつたわけであります。実際の小さな問題については何ら触れておりません。
  374. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員長代理 その一つとして兵器処理委員会というものができましたが、これに対してあなたは御関係なさつたり、また御承知のことがありましたらお述べを願いたい。
  375. 澁澤敬三

    澁澤證人 あれは特殊物件処理委員会の中でそういうものができたようでございます。そのできたということはむしろ耳にしたという程度でありまして、閣議にも何にもかかつておりませんし、われわれは全然その点の運用については何ら知識をもつておりません。
  376. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員長代理 何か内務大臣つたと思いますが、大藏大臣に稟議をしてきめたものがあつたと思いますが……。
  377. 澁澤敬三

    澁澤證人 それはたしか兵器処理をするときに損をするかもしれないから、それを補償しろということだつたと思いますが、それはしないと言つて大藏省は断つてしまいました。それで一應了承したのでありますが、そうするといろいろな費用がかかる、それをすぐに國庫に入れるべきものを延ばしてくれということが、たしか内務大臣からの書面で來て、それは差支えない。予算関係はすぐに收入の分だけで支出にならないので、そのままにしてよろしいということはあつたことはありました。
  378. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員長代理 これは閣議できまつたことではなく、内務大臣とあなたとの間で……。
  379. 澁澤敬三

    澁澤證人 はあ、そうです。
  380. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員長代理 ほかに何か聽くことがありますか。
  381. 徳田球一

    徳田委員 中央特殊物件処理委員会ができておりますが、これに大藏省からは國有財産部長、同部下務課長、官房文書課長という三人が出ておりますが、これは御承知でありますか。
  382. 澁澤敬三

    澁澤證人 知つております。
  383. 徳田球一

    徳田委員 これは中央特殊物件処理委員会が実際上國の財産を処理しなければならない関係上、大藏省から行つてつたわけなんですか。
  384. 澁澤敬三

    澁澤證人 その点あれはたしか私のときでなくできたのでありますが、総司令部の指令によつて全部内務省へそれを委託されたわけであります。そのときにもともと國有の土地、不動産というものは大藏省で処理しておりましたので、その部分だけはぜひ大藏省に任せるようにという意味で委員会に人がはいつたということであります。
  385. 徳田球一

    徳田委員 それだけですか。
  386. 澁澤敬三

    澁澤證人 それだけです。
  387. 徳田球一

    徳田委員 陸海軍が所有しておりました各種土地並びに建物、建物の施設等は直接、特殊物件とは別に大藏省に移管したのではないですか。
  388. 澁澤敬三

    澁澤證人 直接と申しますと——処理委員会において大藏省の方へこの問題だけは移管したのであります。
  389. 徳田球一

    徳田委員 移管してあるのですか。そうすると特殊物件というものとは別に出ておるのではないですか。
  390. 澁澤敬三

    澁澤證人 あれはたしか津島大藏大臣のときに國有財産部というものができて、その方へ移つてつたと思います。
  391. 徳田球一

    徳田委員 その方に直接きておるのですか、特殊物件とは別に。この特殊物件というものは主として移動のできるものを処置するためにやつたのではないですか。
  392. 澁澤敬三

    澁澤證人 その点ははつきり存じませんが、全部のものを含めておつたと思います。初めの考え方は、その中の不動産だけは大藏省の方で引受けたというかつこうであります。
  393. 徳田球一

    徳田委員 特殊物件の中で……。
  394. 澁澤敬三

    澁澤證人 と私は了解します。
  395. 徳田球一

    徳田委員 もしはずれておれば、あとになつてこれははずれたわけですね。
  396. 澁澤敬三

    澁澤證人 初めから別になつてはいないと思います。
  397. 徳田球一

    徳田委員 それからこの軍港だとか、海軍の工廠だとか、これらの土地及び施設でありますが、このうち占領せられておる部分もありますね。また占領を解除せられておる部分もある。この占領を解除せられておる部分は、この特殊物件処理委員会でやつてつたのですか。たとえば佐世保でありますとS・S・K事件、御承知でありましようが、なかなか有名な事件で、今すでに火が燃えておるわけであります。大分重役も監獄に出張しておられる。ああいうものはこの特殊物件処理委員会処置したのか、それとも大藏省が直接処理したのかというのを聽きたいのです。
  398. 澁澤敬三

    澁澤證人 最初のうちはそういうものに対して、一應そういうものを処理していた陸海軍の方までたしかそのために雇入れてやりましたから、おそらく直接やつたかもしれません。
  399. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員長代理 それは大事なことですが、さつきおつしやつたが、兵器処理というものは特殊物件処理委員会の一部としてやつておりましたか。
  400. 澁澤敬三

    澁澤證人 そうのようです。
  401. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員長代理 そうするともとは内務省所管にあつたものですか。そこで不動産はやはり内務省の所管で、大藏省が取扱う一部ですか。それとも全然離れて大藏省へ來てしまつたものですか。
  402. 澁澤敬三

    澁澤證人 不動産は大藏省に來たと私は記憶しております。
  403. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員長代理 一應内務省へ返還されておるのを大藏省へ引渡したのですか。
  404. 澁澤敬三

    澁澤證人 一應そういう命令が出たのですから、そういうふうになつて、それを大藏省の方へ不動産に関する限り分離したと思います。
  405. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員長代理 兵器処理委員会とは全然違いますね。
  406. 澁澤敬三

    澁澤證人 全然違います。
  407. 徳田球一

    徳田委員 佐世保のごとき場合は大藏省が直接管理していて、名義はどうにしましても、実質上は大藏省とこの会社の間に契約ができているのではないですか。
  408. 澁澤敬三

    澁澤證人 初めのうちのいきさつについては、私は記憶しておりませんが、その後に至りましては國有財産局が直接にそういう問題を担当してやつておるようであります。そうして適当な人に対して貸付けたり、あるいは賣つたりしておるようであります。
  409. 徳田球一

    徳田委員 それから艦船はどこの所管になつておりますか。
  410. 澁澤敬三

    澁澤證人 これは全然私は記憶もなければ、まつたく知識がありません。艦船に関する限りは……。
  411. 徳田球一

    徳田委員 兵器処理委員会とは別だと思いますが……。
  412. 澁澤敬三

    澁澤證人 私は別じやないかと思いますが、どこまでが兵器だということもよく存じませんが、当時大藏省は何らタツチしなかつたのでありますから、どこでどうしたかはつきり存じません。
  413. 徳田球一

    徳田委員 軍港の施設などのごときはどうですか。
  414. 澁澤敬三

    澁澤證人 軍港の中の施設は、不動産だけはたしか大藏省に移管したと思います。
  415. 徳田球一

    徳田委員 機械は……。
  416. 澁澤敬三

    澁澤證人 機械類は全然はいつておりません。
  417. 徳田球一

    徳田委員 施設類がぎつちり工場の中にちやんとついていても、バイトとか何とか移動するものは別としまして、大きな機械、起重機とか、そういうものは別ですか。
  418. 澁澤敬三

    澁澤證人 それは特にあとで賠償問題が起つて、その方で押えられてしまつたと思いますから、大体が移動禁止になりました。しかし保存されるということの命令は受けたけれども……。
  419. 徳田球一

    徳田委員 しかしその保存だの移動だの、そういうものが大藏省の管理であるか、あるいは内務省特殊物件の管理であるか、これは非常に大事なことなんです。これは押えられておりましても、実際は貸しておるのがたくさんある。この貸借関係がどこにあるかということを明瞭にしませんと、なかなか困難な問題が生じまして、それでS・S・K事件どもつておるわけであります。そこで明確にしておきたいのですが、こういうものは一体大藏省の所管にあつたのか、それとも内務省の所管であつたのか、どつちかひとつ……。
  420. 澁澤敬三

    澁澤證人 私は内務省の所管だと思います。あるいは記憶が違つておるかもしれませんが……。
  421. 徳田球一

    徳田委員 実は内務省の所管ではないようですよ。
  422. 澁澤敬三

    澁澤證人 そうですか。
  423. 徳田球一

    徳田委員 いくら調べてもわからぬ。大藏省の所管らしいけれども、大体大藏省はそれと契約も何もせず、実際は会社がどんどん使つて、いろいろ問題を起しているのです。國有財産というものはそこまではいるかどうかということが問題なんですね。内務省はそういうことは知らないものだから、何でもかでもほつたらかしてある。そこははつきりしませんでしようか。少し思い出していただきたいですが……。
  424. 澁澤敬三

    澁澤證人 そこは私もはつきりいたしません。
  425. 徳田球一

    徳田委員 それならこの質問はそれくらいにしておきますが、もう少しお尋ねしたいのです。この特殊物件を処理することに対しまして、閣議で特別の決定がなされておるでしようか。
  426. 澁澤敬三

    澁澤證人 それについては要綱みたいなものが決定されたのであります。
  427. 徳田球一

    徳田委員 要綱ができるこの閣議決定の日は、いつごろでしようか。
  428. 澁澤敬三

    澁澤證人 組閣すぐであります。確か十月の十九日じやないかと思います。
  429. 徳田球一

    徳田委員 これに基きましてこの兵器処理委員会もこの中にあつたはずでありますが、兵器処理委員会に関しては、閣議では何ら決定がないのですか。
  430. 澁澤敬三

    澁澤證人 何もありません。
  431. 徳田球一

    徳田委員 そうするとこれらの兵器処理委員会の問題は非常に重大な問題でありますが、それらの契約はすべて内務省が何ら閣議決定もなしにやつたわけなのですか。
  432. 澁澤敬三

    澁澤證人 そういう問題はむしろ商工省の方の問題だつたと思います。寄合世帯でやつてつたのですから、特殊物件というものは、相談するために各省の全部が寄つていろいろ方針なり何なりを研究しておつたようであります。はつきりまだきまらぬうちにどうしたかは、私も詳しいことは何にも知らないのでありますが。
  433. 徳田球一

    徳田委員 そうしてそれは何も決定せずに、いい加減に下僚がやつてつたというわけになりますね。いい加減という言葉は除きましても、下僚が、実際に責任のある國務大臣がちやんと判を押さないでも何でも、下だけでやつてつたということになりますね。
  434. 澁澤敬三

    澁澤證人 そう言えましよう。
  435. 徳田球一

    徳田委員 そうするとこれは大体違法ということになるのです。
  436. 澁澤敬三

    澁澤證人 閣議特殊物件委員会というものは確かにその要綱を決定したことは覚えております。それ以下の細目につきましては任したということに考えられます。委員会が考えてやつたということに……。ですから全然その点について御相談はないと思います。
  437. 徳田球一

    徳田委員 大体これは國の財産でありますから、所管のいろいろの関係はありましようけれども、大藏省としてはこの問題にちよつと、國の財産のことに関して特別な発言がなければならないものだと思いますけれども、そういう御発言は全然ないのですか。
  438. 澁澤敬三

    澁澤證人 その当時の考え方としましては、むろんこれが不正に流れるとか、あるいは現在問題を起しているような退藏になるというようなことを、私は予想をしなかつたのでありまして、きわめてはつきりいくというふうに考えておつた
  439. 徳田球一

    徳田委員 それで大藏省としては何ら発言もなさらなかつたのですか。
  440. 澁澤敬三

    澁澤證人 大藏省としましては不動産に対してだけ、はつきり申し出たのであります。他の物件については何ら発言はしません。
  441. 徳田球一

    徳田委員 兵器のことにも何ら発言しませんか。
  442. 澁澤敬三

    澁澤證人 兵器の問題は元來知識もないから何もしなかつた
  443. 徳田球一

    徳田委員 では最終にお尋ねしたい。八月十四日の閣議決定、これには隠密裡に早く処理しろということがありまして、非常に問題になるものでありますが、これは御承知通り憲法違反でもあるし、法律上も違反です。いわばこれはどろぼうを將励していると言われても、ちよつと返事のできないような仕様になつておりますが、幣原内閣のときになりましてから、これらの処置に関して、特別な何か閣議決定なり何なり、処置はとられておりませんでしようか。
  444. 澁澤敬三

    澁澤證人 それにつきましては、前内閣時代にそれを廃止したということは聞いておりますが、そのことも、実は最近私はそういう閣議決定があつたことを知つたのであります。まつたく知らなかつたのであります。
  445. 徳田球一

    徳田委員 実は二十八日ですね。これは廃止する、それでやつたものを戻せということになつておりますけれども、しかし実際の期間は非常に短くて、実際の処置はやつておらぬと思います。大体野放しにしてある、野放しにしてある状態を幣原内閣のときに、これを引継ぎまして、幣原内閣がこの問題に関して特別な処置をやはりすべきであつたと思いますけれども、そういう処置は全然してないわけですか。
  446. 澁澤敬三

    澁澤證人 特殊物件の処理委員会というものが、一應そういう研究をしてするのだと、われわれ了解しておつたのでありますが、それに対して特別な発言はしたことはございません。
  447. 徳田球一

    徳田委員 実は特殊物件の処理はみな持ち去られたあとのものだけなんです。これは小さい事情のことは別でありますが、リストなんかめちやくちやで、今調べてみるとリストに載つている以上のものがたくさんあつた。だから幣原内閣としては單にあの特殊物件だけでなしに、特別にああいう閣議決定が出てすべてのことをやつた。そのあと始末はもつと大掛りにやるべき性質のものであつたと思いますが、そういうことは全然なすつておりませんか。
  448. 澁澤敬三

    澁澤證人 しておりません。
  449. 明禮輝三郎

    明禮委員 先ほど兵器処理のことで金のはいらないということは仕方がない。金を出すということはできないからはいらないという程度で、赤字をあとから埋めるとかいうようなふうに、二十一年一月二十二日商工省経理部長、内務省調査部長、この人達から「兵器処理委員会の推進育成並に経営に関する件」というので、通牒が出ております。それによりますとあなたの言われておつたようなものでありますが、この一番お終いに「兵器処理による收入をもつてその支出を償わしめ、赤字を出さざるごとく運営せしめつつあり」というようなことを書いて、経費に関する件の通達が出ておりますが、これについては当時大藏大臣として御関與なすつていらつしやると思いますが、いかがでありますか。
  450. 澁澤敬三

    澁澤證人 その点につきましては私は全然関與しておりません。そういう話は主計局などに予算の関係で補償とか、あるいは足りなかつたときにどうするかという話はあつたようでありますが、そういうことはなかろうというので、拒否したに過ぎないのであります。それについては何ら聽きません。
  451. 明禮輝三郎

    明禮委員 その当時兵器を処理するについて、赤字が出るのだというようなことはないという見込みで拒否したというのですか。
  452. 澁澤敬三

    澁澤證人 そういうことは聽いております。
  453. 明禮輝三郎

    明禮委員 これによりますと、おしまいの方に「追つて」と書いて「兵器処理委員会の経費に関する件及び賣却物件の價格決定方針については大藏省、内務省と協議の上、別紙の通り決定しおるに付念の為参考添付す」とこう書いてありますから、大藏省と相談をしたということにはなつているようですね。大藏大臣がお知りにならぬということは、どういう関係なんですか。
  454. 澁澤敬三

    澁澤證人 その点につきましては私はまつた記憶がありません。
  455. 明禮輝三郎

    明禮委員 そうするとたれがやつたということになりますか。
  456. 澁澤敬三

    澁澤證人 國有財産部長がこれに対して何かやつてつたかも知れません。
  457. 明禮輝三郎

    明禮委員 その國有財産部長だけで、こういうことをやれるのでありますか。こういう大きな何百億というような問題について、この当時から今あなたの言われるような意味でしたら、そういつたプール計算といいますが、赤字をあとから埋めればいいというようなことで、大まかに兵器処理委員会に任せてしまつたという事実が、今日の大きな禍根を残しているわけですが、この点についてはどんなものでしようか、そういう部長ぐらいの人がやつているのでありますか、実際はどういうことになつていたのですか。
  458. 澁澤敬三

    澁澤證人 その点のいきさつにつきましては、私はほとんど聽いておりません。
  459. 明禮輝三郎

    明禮委員 責任はやはりあなたの所にあるんですね。
  460. 澁澤敬三

    澁澤證人 ございましようが、そのことに対する知識がまるでなかつた
  461. 明禮輝三郎

    明禮委員 つまり兵器というものがどれくらいあるやら、その経費は実際にどれだけになるやら、よくわからないで、こういうことをやつたということになりますか。
  462. 澁澤敬三

    澁澤證人 どのくらいあるかわからない。その後のリストや何かについて私はまつたく知らなかつたのでありまして……。
  463. 明禮輝三郎

    明禮委員 リストが多い少いは別といたしまして、大藏省として、これはやはり結局國有財産になるものですから、その出入については大いに財政面からこれを生かさねばならぬわれだつたと思うのです。
  464. 澁澤敬三

    澁澤證人 さようでございます。
  465. 明禮輝三郎

    明禮委員 そうするとこういつたようなものが、その当時できましたことが非常に今日の禍根を残しているのみならず、契約書なんかを内務省がやりましたのも大藏省、内務省協議の上と、こう書いてあるところを見ると、一應そういうことについては研究されたものではないかと思われるのでありますが、そうしたらその当時だれがやつたということになるが……。
  466. 澁澤敬三

    澁澤證人 主として私は國有財産部長がそういう問題を当面やつたことだと思います。
  467. 明禮輝三郎

    明禮委員 國有財産部長はだれですか。
  468. 澁澤敬三

    澁澤證人 加藤八郎君だつたと思います。その前に舟山君がおりました。
  469. 明禮輝三郎

    明禮委員 舟山さんというのは今おる人ですか。
  470. 澁澤敬三

    澁澤證人 今おられます。
  471. 明禮輝三郎

    明禮委員 あの人が……。
  472. 澁澤敬三

    澁澤證人 はあ第二回になると思います。
  473. 明禮輝三郎

    明禮委員 そうすると加藤八郎という人が主としてやつたということになりますね。
  474. 澁澤敬三

    澁澤證人 はあ。
  475. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員長代理 それでは済みました。  津島証人から先ほどの証言で訂正したいところがあるという申出がありますので、それを承ります。津島さん。
  476. 津島壽一

    津島證人 はなはだ御迷惑でございましようが、一言補足をしておきたいと思います。  最後に特配のタバコのことについて御質問があつたのでありますが、私の答弁に絶対にない。こういうようなことがもしあつたらお取消しを願いたいと思います。今御質問のような意味において絶対にないという意味でございまして、     〔鍛冶委員長代理退席、武藤委員長着席〕 特配のタバコが絶対になかつたかということについては十分調査いたします。絶対にないということは私はその点は申しかねる。こういう意味において訂正いたします。
  477. 武藤運十郎

    武藤委員長 徳田君よろしゆうございますか。
  478. 徳田球一

    徳田委員 よろしゆうございます。     —————————————
  479. 武藤運十郎

    武藤委員長 長崎惣之助さんですね。
  480. 長崎惣之助

    長崎證人 そうです。
  481. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなたの内閣調査局長官在任期間はいつからいつまでですか。
  482. 長崎惣之助

    長崎證人 私は二十年の九月初めから、十月に東久邇内閣がやめるまでですから、約一箇月です。
  483. 武藤運十郎

    武藤委員長 二十年九月の初めから二十年十月初めまで約一箇月間。
  484. 長崎惣之助

    長崎證人 そうです。
  485. 武藤運十郎

    武藤委員長 内閣調査局というのはどういう必要から生れて、またどういうことを所管いたしますか。
  486. 長崎惣之助

    長崎證人 私は調査局ができましてしばらく経つてからなつたのですが、ただいま記憶しておるところによると各省の事務の調整、連絡ということが仕事であつたのです。
  487. 武藤運十郎

    武藤委員長 各省間の事務の調整ないし連絡ということが目的であつた
  488. 長崎惣之助

    長崎證人 そうです。
  489. 武藤運十郎

    武藤委員長 調査局官制の第一條、内閣調査局内閣総理大臣の管理に属し戰後経営に関する重要事項調査及び企画並びに戰後経営に関する各省事務の調整統一に関する事務を司る。こういうのではないですか。
  490. 長崎惣之助

    長崎證人 はつきり官制を私今記憶いたしておりませんが、官制に書いてございましたらそれに間違いないと思います。
  491. 武藤運十郎

    武藤委員長 それは大事なことであつて、ただ單に何でもかんでも各省事務の調整統一ではないのであつて、私の読んだようなことについて調整統一ということもあなたの方の仕事であるということになるのでありませんか。
  492. 長崎惣之助

    長崎證人 そうです。
  493. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは昭和二十年の六十二十四日付連合軍から日本政府に交付された覚書、すなわち日本軍より受領または受領予定の軍事品資材及び装備に関する件という問題について、あなたは何か関與されたことがありますか。
  494. 長崎惣之助

    長崎證人 その当時のことを私の記憶いたしておりますことをたどつて申し上げますが、ただいま委員長からお話がありましたように、九月の二十四日であつかた、日ははつきり私記憶いたしておりませんが、九月の末に終戰連絡事務局の方から連合軍が自分の手に收めた日本軍の軍需品ですが、そういうものを返すかもしれぬ、返してくれるかもしれぬというような話が傳わつてまいりました、同時にその保管方について日本政府が何か責任のあるものを設けてやれというふうなことを言つてきたように覚えております。そこでこれは非常に重要な仕事でもございますが、同時に各省にも緊密な関係がございます。どうこれを処理するかということで、各省間にいろいろの意見があつて、結局やはり先ほど申し上げました、各省の重要事務の連絡調整と申しまするか、統一と申しまするか、そういうふうな関係調査局がひとつ取まとめをしてくれぬかというような申合せ的なものが、たしか次官会議ではなかつたかと思いますが、そのときに出まして、その結果私のとつております職務がそういうものであつた関係上、特殊物件処理委員というものができる曉においては委員長になつて、そして各省からの申出なりを処理する場合にどういうふうなことでやつたらいいかとりますとめをしてくれ、そういう意味で特殊物件処理委員会ができたと私は記憶しております。それができましたのはたしか十月の初めではなかつたかと思います。けれども私はもう十月のこれもはつきりいつだつたか忘れましたが、六日か五日ころではなかつたかと思いますが、東久邇内閣が辞めることになりまして、私もむろん辞表を出したので、その期間が委員会ができて一週間となかつたかと思います。そういうような事情であつたと私は記憶しております。
  495. 武藤運十郎

    武藤委員長 今お話特殊物件処理委員会は十月の五日ごろに次官会議できまつたのではないですか。
  496. 長崎惣之助

    長崎證人 それが次官会議があつたろうと思います。ほかに別に各省の官吏が集まつてきてやつた、特に招集した覚えはありませんから、おそらく次官会議でそういうことをきめたのではないかと思います。
  497. 武藤運十郎

    武藤委員長 閣議ではないですね。
  498. 長崎惣之助

    長崎證人 閣議ではございません。
  499. 武藤運十郎

    武藤委員長 十月十九日になりまして、これはあなたがお辞めになつてからだと思いますが、特殊物件処分大綱という閣議決定があるのです。そうするとその原案の起案当時はあなたは御存じありませんか。
  500. 長崎惣之助

    長崎證人 四日に委員会ができたとすると、私が辞表を出したのは六日であつたと思う。その間にそういう案をつくつたか、それは非常にはつきりしないです。
  501. 武藤運十郎

    武藤委員長 よく覚えておらないですか。
  502. 長崎惣之助

    長崎證人 覚えておりません。
  503. 武藤運十郎

    武藤委員長 特殊物件処分大綱というものができて、それから処理委員会ができるのが順序ではないかと思うのですが、特殊物件処理委員会というのが先にできたのですね。
  504. 長崎惣之助

    長崎證人 そうです。
  505. 武藤運十郎

    武藤委員長 その前に何か基準はなかつたのですね。委員会をつくるという閣議決定とか何とか。
  506. 長崎惣之助

    長崎證人 いや何もありません。ただ、今申し上げましたように、私の記憶では、連合軍はつきり返すのだと言つたのであるかどうか知りませんが、終戰連絡事務局から、どうもそういうふうな話がある、そうなつてくると各省関係からいろいろの問題が起るだろう、それにはやはり委員会を設けて、そこで総合的に考えていかないとばらばらになつてぐあいが悪いのじやないだろうかという話だつたと私は記憶いたします。
  507. 武藤運十郎

    武藤委員長 何かお尋ねになることがございますか。
  508. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 今のお話だとちよつと事情が違うと思いますが、そういう話ももちろんあつたろうと思いますが、二十四日には嚴然たる覚書がきているのですから、そうすれば來るだろうじやない、この通りやれということになるのだが、それについては確実なる方法をあなたのところでとられなければならぬと思いますが、その点覚えありませんか。その覚書ちよつと見せてあげてください。
  509. 長崎惣之助

    長崎證人 これを拜見いたしますと、文書になつておるのですが、私の記憶が非常に不明瞭な結果そういうように考えたのだろうと思いますが、九月二十四日にはつきりきておりますから、むろんその指令に基いてそれから活動を開始したことと思います。この特殊物件処分大綱の案というものは、これも日づけが閣議決定が十月十九日でありますが、括弧の中に、昭和二十年十月五日とあります。これがどういう意味でありますか。委員会あたりで審議するときに、日づけをよく役所の例で書きます。しかしそのときにきまらない場合があつたり、いろいろしますので、おそらく、この案を印刷して審議しようとしておつたんだろうと思います。この案を今拝見して思い出してきますことは、なるほど、地方において処方させるものと、それから中央において処分するものというようなことを区分したように思います。なお、戰災者であるかと引揚者に優先的にそれに必要なものは有償でやれ、場合によつては無償でもいいというふうなことを話し合つたよう記憶いたします。
  510. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 要するに、先ほどからのお話をしますと、返還されるとすれば、その返還されたものを受入れる態勢をつくらなければならぬというので、委員会をつくつてあなたが委員会になられた。こう私ども解釈するのですが、そこで、まず内務省へ返つたようですが、内務省へやればよろしいとか、どこが受ければいいとか、こういうことは、どういうことできまつたか、覚えがありませんか。
  511. 長崎惣之助

    長崎證人 その点については、私の記憶では、どこでこれを受入れるというかどういうかしりませんが、とにかく、返してきますと、一番大人なことはそれを保管しなければならぬ、簡單に申しますと番をしなければならぬ、それではほかの役所でやるといつても、ほかにやるところがないじやないか、やはり、警察力をもつておると申しますか、それに都合のいいところでやつてもらわなくちやならぬのじやなしかというふうな話が出たと思います。
  512. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そうするとそのとき、それじやこれをどう処分すればいいとか、そこまでいつておらなかつたのですね。
  513. 長崎惣之助

    長崎證人 そこまでいつておりませんでした。
  514. 徳田球一

    徳田委員 内閣調査局というのは元の企画院の仕事を大体引継いだのじやないのですか。
  515. 長崎惣之助

    長崎證人 その点はもう終戰後は企画院の仕事というものはないので……。御承知のように私がやめましてからほとんどまた一箇月くらいで調査局は廃止になつたはずです。
  516. 徳田球一

    徳田委員 そうかもしれませんけれども、大体官制の目的から言いましても、ただ連絡じやなくて、戰後の計画やいろいろのものを調査する。敗戰によつていろいろ壊れた現状を調査する。そうしてこれを戰後の再建に資するためにいろいろ調査するというのが主目的じやないのですか。
  517. 長崎惣之助

    長崎證人 それは官制には今読んでいただいたことが書いてあると思われます。しかし私が実際やつておりましたことはそういうことではなくて、むしろ主として各省の事務の連絡をはかつて、円滑にいくということに主力が置かれてあつたのであります。
  518. 徳田球一

    徳田委員 それは無意味じやないですか。それは次官会議でやるのだから……。次官という事務屋が集まつて連絡をしていろいろやるのだから、何も調査局というものがなくても……。
  519. 長崎惣之助

    長崎證人 むろんあの官制はそういうことに進み得ることにはなつております。しかし私が実際やつておりましたことは、まだそこまで進んでなかつたということを申し上げます。
  520. 徳田球一

    徳田委員 実は聽きたいのは、戰後にみんなばらばらになりまして全体の状態がわかつておらぬのです。たとえば兵器はどれだけあつたとか、特殊物件はどうだとか、軍需品の集積の跡始末はどうだとか、量はどうだということがさつぱりわからんのです。今まで大分証人を喚びましたけれども大臣はたいがい雛壇に乘つている何も知らない並び大名みたいなことばかり言うているし、それから各省のそれぞれの人を喚ぶと、おれのところではそういうことはわからぬと言うし、みんなへんちきりんなんですよ。要するに企画院がこれをやつていたので、おれの方は知らぬとか、こんなことばかり言うのです。だからして、大体企画院をあなたの方で引受けておれば、残務処理でも何でも企画院でやつた一切の仕事を調査局で引継いでいるのじやないか。引継いでおれば、終戰当時——終戰までは企画院があつたわけですから、終戰当時の総括的な全体の物資の問題、いろいろの問題がわかつているのじやないか。これを聽きたいのですが、どうですか。
  521. 長崎惣之助

    長崎證人 それは遺憾ながら私にはわかりません。
  522. 徳田球一

    徳田委員 企画院が廃止されて、そのまま企画院のもつていた書類も何も放つたらかしですか。燒いたのですか。
  523. 長崎惣之助

    長崎證人 どうなつておりましたか、それは先ほども申し上げましたように、おつしやるように企画院が廃止になつてすぐであつたかどうかしりませんが、調査局ができました。できて何日か経つてから私が行つたものですから、その間の事情がどうなつているか……。
  524. 徳田球一

    徳田委員 しかし何日か経つてつてもあなたは局長なんですから、何日か前のことでも、これはどうなつたかということはあなたは調べて知つておられるはずです。
  525. 長崎惣之助

    長崎證人 徳田さんの仰せですが、怠慢じやないかというお叱りを受ければそれまでのことですが、何しろ私一箇月しかおらぬものですから。
  526. 徳田球一

    徳田委員 実際何を聽いても、みんな何とかかとかいつては知らぬ知らぬ、どうもそれでは困ると思う。今後日本を再建するにあたつて、あなた方この事実をちやんと明らかにして、これはこうだつたのだ、ここを調べればわかるということを言つてくださることが義務じやないかと思いますが、そういうことでは日本の前の官吏はみんなふぬけばかりおつたということになる。それはあなた方の恥辱でもあると思うのだがどうですか。実際のことを一つ……。
  527. 長崎惣之助

    長崎證人 実際と言つて宣誓にも申し上げた通り、必要なことなら申し上げるのですが、実際わからないのです。
  528. 徳田球一

    徳田委員 内閣調査局調査官に毛里英於菟という人がいらつしやいましたね。
  529. 長崎惣之助

    長崎證人 おりました。
  530. 徳田球一

    徳田委員 美濃部洋次さんという方もいましたね。
  531. 徳田球一

    徳田委員 おりました。
  532. 徳田球一

    徳田委員 この人たちは企画院からずつときた人じやないですか。企画院で主要な仕事をやつていた人じやないですか。
  533. 長崎惣之助

    長崎證人 たしかそうでございますな。
  534. 徳田球一

    徳田委員 そういう人が調査官になつておりますね。これはどういうわけですか。
  535. 長崎惣之助

    長崎證人 その辺はどうも……。
  536. 徳田球一

    徳田委員 だから私は企画院を大体継いだんじやないかと言うのですよ。この人たちは企画院の相当上の方で何とか部長で相当幅を利かしたんでしよう。
  537. 長崎惣之助

    長崎證人 それは私幅を利かしたかどうかわかりませんが、とにかく私一箇月の在任中に、ほんとうはおつしやるようにあらゆる数字なり、大きなことでもいいから、日本というものをどういう方向に、どうあつたか、またどんな程度になつてつたかということを知らなければならなかつたと思います。ところが在任わずか一箇月でありまして、遺憾ながらとてもそこまで手がまわらなかつたのであります。
  538. 徳田球一

    徳田委員 実はこの二十年八月十四日の軍その他の保有する軍需用保有物資、資材の緊急処分の件という有名なそうして最も恥辱とすべき閣議決定がなされておるのですが、御存じですね。鈴木貫太郎内閣のときになされておりますね。おわかりですね。これを起案した男は毛里英於莵君ですよ。こういう特殊な任務をもつたこういう人があなたの調査局に引継いでおる以上は、これはあなたの言われるようなものじやないと思うですがね。あなたの言われるような何するのだかわけのわからぬぼつとしたものであるという理屈がないと言うのだ。ちやんと企画院を引受けたに違いない。引受けたなら引受けたと言いなさいよ。言えば調べるのだから、調査局の内情を……。
  539. 長崎惣之助

    長崎證人 これは徳田さんの仰せでございますけれども、私は私の経驗したことだけを申し上げておるので、それ以上に官制の本質がどうとか、どういうことをしなくてはならなかつたのだということを申し上げておるのでないので、私の実際やりましたことを何も飾らずに申し上げたわけです。あなたにお前はけしからん役人だつたと、一箇月もやつてつてそんなことわからなかつたか、こう叱られればそれはしようがない。
  540. 徳田球一

    徳田委員 私は叱る役目じやない。事実をつかむのが役目なんですから、そういう毛里君や美濃部君がいて、これが企画院を引継いでないとするならはおかしいと言うので、実際企画院の跡始末を何にも引受けてないのですか。
  541. 長崎惣之助

    長崎證人 企画院の跡始末は私は引受けておりません。
  542. 徳田球一

    徳田委員 何にもないですな。
  543. 長崎惣之助

    長崎證人 何にもないと申しましても、調査官が前の企画院の人だつたと言えば……。
  544. 徳田球一

    徳田委員 そんなことは別です。ここで読まれておる官制から言つても、企画院のものを引継がなければこの官制の目的を達せられない。それでこのメンバーから言つても企画院のものを引受けるべき性質のものです。こういうメンバーがくる以上は、あなたは企画院のものはちつとも引受けてはおらぬ、何にも知らぬ存ぜぬでは私は済まぬというのですよ。
  545. 長崎惣之助

    長崎證人 それは総動員計画のようなことは私はなつていなかつたと思います。
  546. 徳田球一

    徳田委員 いや、総動員計画は戰爭が済んでおるのにやつてもどうにもならぬ。しかし企画院は戰爭中総動員計画はやつたでしよう。ここに企画院でやつた書類も残つているし、資材もみんな残つているのですよ。日本の経済やいろいろなものを再建するために、この資材は必要なんです。それはそのときは戰爭の目的だつたろうけれども、それが終つてしまえば、歴史というものは発展するので止るわけではないのですから、発展するのに対してこれが必要だというので、この新しい條件に應じて企画院の仕事を調査局の仕事に移して、目的を変更してやつていると見なければならない官制があるのです。そうしてこういう人間がいるというのです。だからそうではなかつたがというのですよ。そうではないと言われればそれまでですけれども……。
  547. 長崎惣之助

    長崎證人 その点は私企画院を引受けてやるのだというふうに言われたことは事実ないのです。あなたが三段論法的な論法でまいりますと、どうもそうらしく思われるのですが……。
  548. 徳田球一

    徳田委員 歴史的発展の意味から、そういうふうにあなたが言われるのは腑におちぬのです。しかもこれは企画院でやつた仕事を、企画院の目的ではないけれども、新しい目的のためにこの資料等もちつとも引継いではおらぬのですね。引継いでおればここでわかるのですよ。
  549. 長崎惣之助

    長崎證人 引継いでおつたか、私よく記憶いたしておりませんが、だんだん今のお話で少し記憶が起きてきましたが、日本再建のために將來どういうふうにもつていかなければならぬだろうかというようなことは、今後よく調べて、いろいろな資料を綴つて各省大臣なり、あるいは総理大臣なりの参考になるようなものをつくらなければならぬというようなお話はありました。
  550. 徳田球一

    徳田委員 いや、つくるのには資料は企画院にあるのだ。そうでしよう。企画院はそういう資料をつくる武器庫なんだから、戰爭する武器であつたが、今度は平和のための武器に代つているのです。その武器庫をあなた方引受けなかつたのですか。引受けなければそれでよいのです。
  551. 長崎惣之助

    長崎證人 内容的にどうしたか……。
  552. 徳田球一

    徳田委員 どうもそういうのでは困るね。まあよろしゆうございます。それで特殊物件処理委員会の規程は十月四日の次官会議にこれができまして、それであなたが引受けられたわけですね。委員長は……。
  553. 長崎惣之助

    長崎證人 それはこれを見ますと調査局長官がそうなることになつております。私が引受けるわけです。
  554. 徳田球一

    徳田委員 引受けたでしよう。
  555. 長崎惣之助

    長崎證人 そうです。
  556. 徳田球一

    徳田委員 これからあなたのやめるまでの間にこの特殊物件処理委員会というのは何をなさつたのですか。
  557. 長崎惣之助

    長崎證人 私は四日にできて五日、六日と三日しかないので何にもいたしません。
  558. 徳田球一

    徳田委員 九日じやないですか。
  559. 長崎惣之助

    長崎證人 辞表を出したのは六日だと思います。あとの内閣のじやまをするでもないですから、その間お守りをしていただけです。
  560. 明禮輝三郎

    明禮委員 さつき読まれた一九四四年九月二十四日の指令、この指令は重大な指令でありますから、その指令に基いて、あなたが特殊物件——兵器も含んだものです。そういうものについての取扱いについて一定の方針を内務省調査局としてはおきめにならなければならなかつたはずなんですが、先ほどのあなたの証言はわからなかつた。これは今日に至つて内務省はどういう態度をとつたかということをはつきりした人が一人もないのですが、今日ここまできますと、とにかくあなたが九月の初めから十月の九日までおられた以上は、その取扱いはあなたがなさつて、どういう方針かをきめて去られたものだと思う。そのメモランダムについての処置をどういうふうにあなたはせられたのですか。
  561. 長崎惣之助

    長崎證人 私は内務省調査局長ではないのでございます。
  562. 明禮輝三郎

    明禮委員 内閣としてはあまり関係がないわけですね。
  563. 長崎惣之助

    長崎證人 内閣調査局長官として次官会議の申合せのようなものができた。特殊物件処理委員会委員長というのは、結局各省の——占領軍にとられましたけれども、事実はやはり各省各省に所管の関係がございますから、返されますと、たとえば食糧ならば農林省関係に相談しなくちやならぬとか……。
  564. 明禮輝三郎

    明禮委員 私はいろいろな物品のことを聽いているのではない。その指令五十三号は、内務省に返された物品の取扱にの方針について、指令五十三号によつて物品を処理するときにどういうふうに物品は処理しろ、たとえば國民経済に使えということだから、そういうふうに使わなければならぬというように通達されるのに、その指令とともに物品の処理がいかなければならぬ。そこであなたは内閣調査局長官としてこれに関與されなかつたのですか。
  565. 長崎惣之助

    長崎證人 実際問題は私は関與しておりません。
  566. 武藤運十郎

    武藤委員長 ほかにありませんか——では済みました。     —————————————
  567. 武藤運十郎

    武藤委員長 お伺いいたしますが、あなたは幣原内閣当時の國務大臣であり、内閣書記官長内閣調査局長官、そういう役目でありましたか。
  568. 次田六三郎

    ○次田證人 さようでございます。
  569. 武藤運十郎

    武藤委員長 いつからいつまででありますか。
  570. 次田六三郎

    ○次田證人 幣原内閣ができましたのは、たしか十月の十一日でございますか、それから調査局長官の方は、十一月の二十二日に調査局が廃せられましたから、そのときに廃官になりました。それから國務大臣書記官長をやめましたのは、翌年の一月十一日か十二日だと思います。
  571. 武藤運十郎

    武藤委員長 それから中央特殊物件処理委員会委員長でありましたか。
  572. 次田六三郎

    ○次田證人 さようでございます。それは調査局長官在任中……。
  573. 武藤運十郎

    武藤委員長 乗務するわけですか。当然そうなるわけですな。
  574. 次田六三郎

    ○次田證人 さようでございます。
  575. 武藤運十郎

    武藤委員長 内閣調査局というのはどういう目的でつくられ、どういう仕事をするものであり、実際においていたしておりましたか。
  576. 次田六三郎

    ○次田證人 調査局は各省の関係の調整が第一であります。第二に物價の問題、統制の問題、それから各省に属しておるが、重要政策を調査する、そういうことをやつておりました。
  577. 武藤運十郎

    武藤委員長 調査局には調査官というものがおるのですか。
  578. 次田六三郎

    ○次田證人 さようでございます。
  579. 武藤運十郎

    武藤委員長 幾人くらいおりますか。
  580. 次田六三郎

    ○次田證人 私がまいりましたときには、正確な数は覚えませんが、三十人くらいいたんじやないかと思います。
  581. 武藤運十郎

    武藤委員長 三十人の調査官が、何か部門をつくつて、部門別にでも仕事をしておつたわけですか。
  582. 次田六三郎

    ○次田證人 さようでございます。五部にわかれておりました。
  583. 武藤運十郎

    武藤委員長 どんなふうにですか。
  584. 次田六三郎

    ○次田證人 第一が各省の問題を調整する、第二が物動の申しますか、物資をどういうふうにわけるか、それから物價の問題を第二部で取扱つておりました。統制の問題、技術の問題について技術部というのが一つございましたが、これは結局調査局というものが、その前にありましたいろいろな役所を廃せらるるときに、技術課を背負いこんだというようなかつこうで、技術課の調査官が十何人もおりましたので、人のために部を設けたというような形で、技術部では大したことはしていなかつたと思います。
  585. 武藤運十郎

    武藤委員長 昭和二十年の九月二十四日附で、連合軍から日本政府に対する覚書というものが交付されたのでありますけれども、それについてあなたの方では、何か引継ぎのようなものを前内閣から受けましたか。
  586. 次田六三郎

    ○次田證人 それにつきましては前の内閣調査局長官から引継ぎを受けました。そういうものがあつたということ、並びにそういうものを取扱うために、特殊物件処理委員会というものが設けられておる。調査局長官が当然その委員長になるのだという引継ぎを受けました。
  587. 武藤運十郎

    武藤委員長 二十年十月十九日に特殊物件処分大綱というのが閣議決定できめられておるのですけれども、そのことについて何かあなたの方へお話がありましたか。
  588. 次田六三郎

    ○次田證人 私が事務引継を受けましたときに、その閣議決定の原案ができておりました。それはすでに委員会でそれをこしらえていたもののようです。
  589. 武藤運十郎

  590. 次田六三郎

    ○次田證人 さようでございます。その案を私調べて見まして、まあこの際はこれよりほかしかたがないだろうと考えまして、十九日の閣議に提出して閣議決定を経たわけであります。
  591. 武藤運十郎

    武藤委員長 この処分大綱においては廃兵器の処理も含んでおつたわけでありますか。それとも廃兵器は別に処理するというのですか。
  592. 次田六三郎

    ○次田證人 廃兵器もその中にはいつてつたものと思うのですが、ただ廃兵器の問題は、それから後に問題となつてきたのであつて、そのときには向うから引渡しを受くるものは全部その処分大綱で処理の方針をきめた、こういうふうに記憶しております。
  593. 武藤運十郎

    武藤委員長 廃兵器について、十一月の初めに解体兵器等の処理機構に関する件というのは中央特殊物件処理委員会に附議決定されておるようでありますけれども、それはどういういきさつですか。
  594. 次田六三郎

    ○次田證人 それは実は私はつきりした記憶がないのであります。まずその委員会の性質から申し上げなければならぬと思うのですが、これは官制でこしらえられたものでもなく、閣議決定で決せられたものでもなく、次官会議か何かで、各省に関係しておるから、それを各省で個々に折衝しておつてはめんどうだから、調査局で取りまとめてもらいたい。前申し上げました通り調査局には各省の間の調整をはかる職務をもつておりましたものですから、從つて調査局が中心になつて、それを取りまとめる、その取りまとめる便宜上委員会をつくりまして、調査局長官が委員長という名義をもつたわけなのであります。それで私実は委員会に出席した記憶がないのであります。私その委員長をしております間に、何度委員会が開かれたか、記憶もないのでありますが、ただ十月の末ごろ兵器処理、廃兵器をどう処理するかということについて関係省の間で協議しておる。そうしてそれはとうてい役所の力で処置することはできないから、組合のようなものを民間業者につくらして、それで処理させたがよかろうということに今話がまとまりつつありますということを、どの調査官から聽いたかよく記憶いたしませんけれども、そういう話を聽いた記憶はあります。それを聽きまして私は、そうであるか、なおよく研究しておいてもらいたい、自分はそれをどうしようという案をもつていないという答をした記憶はあります。多分その前後にそういうことを委員会決定したのではないかと思います。委員会にはもちろん調査官が私の代理で出席いたしたから、私の考えはその調査官が述べたであろうと思います。
  595. 武藤運十郎

    武藤委員長 廃兵器の処理について内務省と商工省の権限といいますか、責任の分担といいますか、その関係はどういうふうになつているのですか。
  596. 次田六三郎

    ○次田證人 そのことはどういうふうになつておりましたか、私承知しませんでしたが、私は原則としては廃兵器に限らず特殊物件は動産は内務省、不動産は大藏省でやるというふうになつてつた。但し廃兵器の場合は商工省、そのほかの品物の場合はあるいは厚生省の関係することもありましようし、農林省に関係することもありましようし、ほかの省に関係した場合にはそのほかの省と相談してやつていく、こういうふうにやつてつた記憶しております。ですからどの点まで内務省がやり、どの点まで商工省がやるのかということは、はつきりきまつたものがあつたかどうか承知いたしませんが、私の想像ではそういうものはなかつたのではないかと思います。
  597. 武藤運十郎

    武藤委員長 その後兵器についと日鉄、日本鋼管というような五社を選定して兵器処理委員会ができたようですけれども、このいきさつを御存じですか。
  598. 次田六三郎

    ○次田證人 それは存じません。おそらく私の調査局長官をやめた後の話だろうと思います。
  599. 武藤運十郎

    武藤委員長 何かお尋ねがありますか。徳田君。
  600. 徳田球一

    徳田委員 最初にお尋ねしたいのは、この調査局というのは大体もと企画院から総合計画局に変つて、その次に調査局が目的は違いますけれども大体の事務なり資料なりそういうものは引継いだのではないのですか。
  601. 次田六三郎

    ○次田證人 そうだと思います。
  602. 徳田球一

    徳田委員 そうですね。よくはつきりしてきた。
  603. 次田六三郎

    ○次田證人 この調査局ができましたのは私就任前でありまして、どういういきさつでそうなつたかということは知りません。書類だけは引継いだと思います。
  604. 徳田球一

    徳田委員 今実はあなたの前任者であられる長崎惣之助君を喚びましたが、まつたくどうもわけがわからぬのでありまして、今お聽きしたわけですが、大体そうでしよう。大体の構成からいいましても……。
  605. 次田六三郎

    ○次田證人 私そうだと心得えております。從つて技術家なんかはそういう役所にはいつた人が調査官となつてまいつたということと思います。
  606. 徳田球一

    徳田委員 そうすると調査局では戰爭中及び終戰後の全体の経済計画その他のものの資料は大体調査局で扱つていたわけですか。みな引継いだわけですか。
  607. 次田六三郎

    ○次田證人 そうだろうと思います。私、どういうものを引継いだかということは知りませんけれども、とにかく企画院等からずつときて少くとも人間は調査局に引継いだ。書類も來ただろうと思います。
  608. 徳田球一

    徳田委員 よくわかりました。それからその調査局がやめられまして後にこの調査局のそれらの事務、資料はどこに引継いでおりますか。
  609. 次田六三郎

    ○次田證人 その調査局の仕事は大体において内閣の参事官室と思います。内閣調査局を廃してあとに内閣にたしか参事官室といつたと思いますが、それを置きましてそこで引継いだのです。書類はやはりそこに移つたと思います。
  610. 徳田球一

    徳田委員 そうするとこれから安本に移るべき性質のものですね。
  611. 次田六三郎

    ○次田證人 それは私の退官後のことでございまして、安本がどういうふうにしてできたかということは私少しも存じません。
  612. 徳田球一

    徳田委員 よくわかりました。それから十月十九日にできております特殊物件処分大綱というのは、これは閣議決定でありますが、これに從つて実際上この特殊物件処理委員会があなたの在任中なされた仕事の大綱はどんなものでしよう。
  613. 次田六三郎

    ○次田證人 私記憶がないのであります。私がその間委員長をしておりましたのは、それから後ちようど一月ほどであります。その一月ほどの間に一体委員会が何回開かれたのかどうかということも記憶しておりません。しかし今の兵器処理に関する話は聞きましたが、もし委員長お話のごとく十一月の初めに兵器処理に関する定めができたといたしますれば、それはその当時委員会を開いてきめたであろうと想像いたします。調査官が私にその話をしたのは、その委員会の前であつたかあとであつたか、私記憶しておりません。
  614. 徳田球一

    徳田委員 想像だけではちよつと困りますので、あなたの代理で実際的の委員長の事務を取扱われた人は何とおつしやつたのでしようか。
  615. 次田六三郎

    ○次田證人 吉武調査官だと思います。
  616. 徳田球一

    徳田委員 吉武何といいますか。
  617. 次田六三郎

    ○次田證人 ちよつと名前は記憶ありませんが。
  618. 徳田球一

    徳田委員 後の労働次官なつた方ですか。
  619. 次田六三郎

    ○次田證人 そうだと思います。吉武調査官か、田邊調査官。
  620. 徳田球一

    徳田委員 この方々が主としてあなたの代理をなさつておるのですか。
  621. 次田六三郎

    ○次田證人 その委員会においては私の代理として出ていたろうと思います。
  622. 徳田球一

    徳田委員 この人たちを喚べばそのときの仕事はわかりますか。
  623. 次田六三郎

    ○次田證人 それはわかると思います。
  624. 明禮輝三郎

    明禮委員 解体兵器等の処理機構に関する件というのは兵器処理についてのいわゆる憲法だと言われておりますが、これが非常に欠陷の多いまずいものができておるのですか、しかしこれは今のあなたが長官であつて委員長であつても、吉武、田邊という人が出て言つたという、何かこれをつくるときに詳細なる説明はあつたわけじやないでしようか。
  625. 次田六三郎

    ○次田證人 説明は私の記憶しておるところでは、兵器を廃棄して屑鉄にしてという連合軍の方からの話によつてやらなければならぬけれども、國は今そういうことを処理する手をもつていないから、國の力じやとてもできない。よつてそういう機械、機具、人間等を備えておる民間業者の能力のあるものにやらした方がいいと思う。そうしてこれはその当時の説明によりますと、とてももうからぬ仕事だ、引合わぬ仕事だ。山の中にある大砲をひつぱつてき、海の中にある銃器を引き揚げて、それを屑鉄にしてというのであるから、金ばかりかかつてとても引合せぬ仕事であるというので、民間の者がそれを引受けてくれるかどうかわからぬが、しかし引受けてさえくれればそれにやらした方がいいと思う。そういう筋道でもつて話を纒めようと思うがどんなものかということは聞いたように思うのです。
  626. 明禮輝三郎

    明禮委員 そこでその話の結果五大会社、今問題になつておる五大会社を兵器処理委員会のメムバーにしたという事情のところはわかりませんか。
  627. 次田六三郎

    ○次田證人 それはおそらく私が調査局長官をやめた後のことであろうと思います。それが具体化しましたのは私の承知しておるところではどういう方針でやるかということをきめたのに過ぎないと思います。
  628. 明禮輝三郎

    明禮委員 どうも今日この條項の中で一番問題になるところは、このときには五社の名前もちやんとこれに掲げたのでありまして、これから後だという話ですが、解体兵器等の処理機構に関する件をその日にきめたときに、すでに日本鋼管、日本製鉄、古河電氣、住友金属、神戸製鋼が書いてあります。
  629. 次田六三郎

    ○次田證人 そうですか。
  630. 明禮輝三郎

    明禮委員 ちよつと話が違いますね。そしてこの中で一番問題になるのは收支問題をプール計算にするということ、それから損失補償については政府において予算的措置を講ずることというようなことが書いてある。一体こういうことをやつてそのときの責任者を聽きたいのです。だれが一体やつたのですか。
  631. 次田六三郎

    ○次田證人 その予算的措置を講ずるということは、大藏省が承知しなかつたのではないかと思います。
  632. 明禮輝三郎

    明禮委員 きよう元大藏大臣に聽くと承知しなかつたと言つておりますけれども、そういうことをこれに書いてあるのです。どこまで行つても皆各証人ここに出てもらいますけれども、皆あなたじやないかと言うとあれだと言う。あれじやないかと言うとまたあれだと言す。堂々まわりをしておる。たとえば今の特殊物件の何でもあなたの方では前に原案ができておるのを、特殊物件処理要綱としてやつたということだけれども、先に見えた証人長崎さんは、私は何もしないと言つた。だれがやつたのか原稿も何もこしらえないで、ただ一箇月ぐらいだから何もやらないと言つてつて、あとで見るとちやんとできておつたものがある。
  633. 次田六三郎

    ○次田證人 それは私は控室に持つておりますが、私が引受けた事務引書継にその案は載つております。しかし責任は閣議決定をした幣原内閣にある。つまりきめたのは十五月の十九日にきめたのに相違ありません。それは長崎さんは委員会できめても、委員会でその場合効果を生ずるのではないから、閣議決定で効果を生ずるのですから、それは幣原内閣の責任です。
  634. 徳田球一

    徳田委員 それはそうですけれども、何もなかつた、何もこしらえなかつたと言うのですから……。
  635. 明禮輝三郎

    明禮委員 とにかくあなたが今特殊物件処理委員会委員長としておられた時分に吉武とか田邊とかいう人にやらしたとしても、こういうものがちやんとできているのです。そうするとこれは今あなたは五社なんかあとからできたのだと言つても、あとからできたものにこう書いてある。
  636. 次田六三郎

    ○次田證人 もし書いてありますれば、できておつたでしよう。私の記憶違いです。
  637. 明禮輝三郎

    明禮委員 そうしてこの中にはプール計算とか、損失は予算的措置を講ずるということを書いてあるのですからね。こういうことをどなたがやつたかという、そのやつた事長を聽きたい。あなたは実際これに関係なさつたのじやないのですか。
  638. 次田六三郎

    ○次田證人 それは私が委員長をしておつたに相違ないのですから、まるで関係ないとは申しません。事情はそうでしようが……。
  639. 明禮輝三郎

    明禮委員 吉武、田邊のどちらがやつたのか、喚んで聽いてみますがね。どつちみちあなたは責任を負わなければなりなせんね。
  640. 次田六三郎

    ○次田證人 委員長としては責任があります。
  641. 明禮輝三郎

    明禮委員 責任を負つていただくのですね。吉武、田邊に聽きますけれども……。
  642. 次田六三郎

    ○次田證人 私は、委員会できまつたことは、それは委員会できめたのですし、それが効果を生ずるのには、さらにもう一遍手続を要するわけだと思います。たとえば廃兵器処分するというならば、五社と契約をしたろうと思います。五社と性約をするのは一体どの大臣がしたか知りませんけれども、その大臣が責任を負うて契約をしたのだ、案をこしらえることについては私ども責任があると思います。
  643. 明禮輝三郎

    明禮委員 あなたはいつまでおられたのですか。
  644. 次田六三郎

    ○次田證人 十一月二十二日まで。
  645. 明禮輝三郎

    明禮委員 するとこれは十一月十二日にできて内務省調査部長がみなまわしておるのです。あなたの在任中ですね。
  646. 次田六三郎

    ○次田證人 そうです。もし日にちがそれに相違なければ私の在任中です。
  647. 明禮輝三郎

    明禮委員 とにかくあなたのところに解体兵器処理機構に関する件については責任があるのじやないかと思われますから、一應そのことを含んでお尋ねを止めます。
  648. 次田六三郎

    ○次田證人 ちよつと附け加えてお答えいたします。前に申しました通りに十月十九日の閣議決定については私どもも責任があります。これははつきりいたしておきます。それから第二の兵器処理の問題はそういう案をつくつた。それについては私どもは責任がある。それだけ申し上げます。
  649. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは済みました。御苦労さんでした。  本日にこれにて散会いたします。     午後六時五分散会