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1948-10-19 第3回国会 衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第6号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十三年十月十九日(火曜日)     午後二時十二分会議  出席委員    委員長 武藤運十郎君    理事 鍛冶 良作君 理事 田中 角榮君    理事 辻  寛一君 理事 荊木 一久君    理事 石田 一松君       尾崎 末吉君    明禮輝三郎君       渡邊 良夫君    足立 梅市君       前田 種男君    椎熊 三郎君       宇都宮則綱君    中村元治郎君       寺崎  覺君    徳田 球一君  委員外出席者         兵器処理に関す         る問題について         出頭した証人  多田 武雄君                 椎名悦三郎君                 中島知久平君     ————————————— 本日の会議に付した事件  兵器処理に関する問題     —————————————
  2. 武藤運十郎

    武藤委員長 これより会議を開きます。  証人調べをいたします。本日御出頭の証人多田武雄さん、椎名悦三郎さん、中島知久平さん、津島壽一さん、遠藤三郎さん、五名ですね。本日御出頭願いましたのは、御承知通り委員会において目下調査中の兵器処理の問題につきまして、証言を求めるためにおいでを願つた次第であります。  証言を求める前に各証人に一言御注意を申し上げます。昨年十二月二十三日公布になました昭和二十二年法律第二百二十五号議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならぬことになつております。宣誓または証言を拒むことのできるのは、一般の人については、証言証人または証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項、あるいはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するときに限られ、医師歯科医師、藥剤師、藥種商、産婆、弁護士、弁理士弁護人公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあつた者については、その職務上知つた事実であつて、黙祕すべきものについて尋問を受けたときに限られております。右以外には何人も宣誓または証言を拒むことができないことになつておるのであります。なお証人が正当の理由なくして宣誓または証言を拒んだきは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をたきは、三月以上十年以下の懲役に処せられることになつておるのであります。一應このことを御承知になつておいていただきたい上思います。それでは法律の定めるところによりまして証人宣誓を求めます。お手もとに差上げてある宣誓書を御起立の上御朗読ださ。それでは多田さん、ひとつ代表してお読みを願います。     〔証人多田武雄君各証人を代表して宣誓
  3. 武藤運十郎

    武藤委員長 では御署名、御捺印を願います。     〔各証人宣誓書署名捺印
  4. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは順序といたしまして多田さん、椎名さん、中島さん、津島さん、遠藤さんの順序でお伺いいたしますから、多田さん以外の諸君は御迷惑ながら、もうしばらく別室でお待ちを願いたいと存じます。  それでは多田さんにお伺いいたします。あなたは鈴木内閣、その次にできました東久邇内閣、この内閣海軍次官をいたしておりましたか。
  5. 多田武雄

    多田証人 さようであります。
  6. 武藤運十郎

    武藤委員長 それぞれの期間はいつからいつまでですか。
  7. 多田武雄

    多田証人 終戰前からその年の十一月二十日までです。
  8. 武藤運十郎

    武藤委員長 終戰当時における海軍関係軍需物資ですね。これの生産状況あるいは保有状況保有量、そういうものについて、なるべく詳しくあなたの御記憶のある限りを話していただきたい。
  9. 多田武雄

    多田証人 どうも数字記憶しておりませんから、数字的にお答えすることは今ちよつとできませんが、ただそれはお調べになるとろでお調べになればわかるようになつていると思いますが……。
  10. 武藤運十郎

    武藤委員長 わかるころは概略を述べていただきまして、なおどういうところでわかるというふうにお答えになればよろしいと思います。
  11. 多田武雄

    多田証人 もと海軍省の記録あるいは進駐軍に提出しました報告書、あるいは内務省に移管されたときの書類、そういうものは残つていると思います。
  12. 武藤運十郎

    武藤委員長 数量以外について、さきに私がお尋ねしましたことを話してください。
  13. 多田武雄

    多田証人 数量は今記憶しておりません。
  14. 武藤運十郎

    武藤委員長 数量以外に海軍でいわゆる軍需物資生産をさせておつたろう思うのですが、それからその後の保有等についてあなたは知つておられるでしよう。
  15. 多田武雄

    多田証人 それは終戰後でございますか。
  16. 武藤運十郎

    武藤委員長 終戰当時どんな状態であつたか。
  17. 多田武雄

    多田証人 海軍肩体生産をしておつたものもあります。それから……。
  18. 武藤運十郎

    武藤委員長 それから民間の工場にやらせたものもある……。
  19. 多田武雄

    多田証人 民間会社にやらしたものもあります。それから軍需省の方で担当してやつたものもあります。
  20. 武藤運十郎

    武藤委員長 よほどあつただろうと思うのですが、なおその後何年くらい戰争をやつても間に合うくらいのものがあつたのですか。
  21. 多田武雄

    多田証人 いや、それはほんの一少部分のものについては相当のストツクを持つてつたものもあつたろうと思いますが、足らなくて生産がおつつかなくて困つてつた状態ですから、莫大なストツクがあつたものは量的にはないと思います。
  22. 武藤運十郎

    武藤委員長 しかしそのころ本土抗戰とか焦土作戰とかいつて大分呼号しておつたのだから、相当いろいろなものを蓄わえて準備があつたわけではないのですか。
  23. 多田武雄

    多田証人 それは当時の物動計画をお調べになればわかることでありまして、現われないで海軍だけで持つてつたストツクはないはずであります。
  24. 武藤運十郎

    武藤委員長 八月十四日に軍その他の保有する軍需用保有物資資材緊急処分の件という閣議決定がありますけれども、あなたはぞれに参與しておりましたか。
  25. 多田武雄

    多田証人 当時海軍次官でおつたのですが、関與というと、閣議決定ですか。
  26. 武藤運十郎

    武藤委員長 相談を受けておりますか。
  27. 多田武雄

    多田証人 おりません。
  28. 武藤運十郎

    武藤委員長 その後話を聽いておりますか。
  29. 多田武雄

    多田証人 決定後に承知しました。
  30. 武藤運十郎

    武藤委員長 その決定というのはどいうふうですか、概略を述べてください。
  31. 多田武雄

    多田証人 文句は記憶しておりませんが……。
  32. 武藤運十郎

    武藤委員長 内容だけでよろしい。
  33. 多田武雄

    多田証人 いよいよこれで終戰になる、それで軍部で持つておる軍需品をこの際民生をうるおす目的で他省に移管するとか、あるいは民間國体拂下げる、そういう処分をしろ、すべきであるという決定つた記憶しております。
  34. 武藤運十郎

    武藤委員長 そしてそれをどんなふうに実施いたしまたか
  35. 多田武雄

    多田証人 それによつて海軍大臣命令部内一般処分命令が出されたわけであります。
  36. 武藤運十郎

    武藤委員長 それはいつごろですか、命令が出されたのは……。
  37. 多田武雄

    多田証人 それは終戰の日か翌日か、日にちははつきりしておりませんがたしか閣議決定は十四日ではなかつたかと思います。
  38. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうです十四日です。
  39. 多田武雄

    多田証人 ですからその翌日か、その翌々日だつたろうと思います。
  40. 武藤運十郎

    武藤委員長 十七日ごろではありませんか。
  41. 多田武雄

    多田証人 日にちははつきり記憶しておりません。とにかく直後です。
  42. 武藤運十郎

    武藤委員長 直後ですね。命令を出して実行したのですか。
  43. 多田武雄

    多田証人 実行しつつあつたわけであります。実行されたものもあります。
  44. 武藤運十郎

    武藤委員長 その後これは取消したということでありますけれども、どういう事情取消しましたか。
  45. 多田武雄

    多田証人 いよいよそういう命令で実行に移してみましたところが御承知通り当時のいろいろの原因からいわゆる混乱状態を呈しましたので、これではいけない。一たんこれはやめた方がよかろうという意見海軍省に起つてつたのでありますが、たまたまその取消しをやろうではないかという相談をしておつたときに、マニラに行きました使節が帰つてきまして、これは一切相ならぬという進駐軍方針がはつきりいたしまして、それによつてあらためて取消が出されたわけであります
  46. 武藤運十郎

    武藤委員長 マニラ行つた使節というのは河邊中將ですか。
  47. 多田武雄

    多田証人 河邊中將以下数名でございます。
  48. 武藤運十郎

    武藤委員長 向うの意向がわかつて初めて取消しをし、処分中止したというわけではないので、その前からこれはいけないから中止をしよう、取消しをしようかということになつてつたのですか。
  49. 多田武雄

    多田証人 海軍省ではそういう意見がありました。他の省については今存じておりません。
  50. 武藤運十郎

    武藤委員長 何か陸軍の方で連絡をとつてそういう話をしたとか、あるいは閣議または次官会議でそういう話をしたということはないのですか。
  51. 多田武雄

    多田証人 私の記憶ではなかつたと思います。
  52. 武藤運十郎

    武藤委員長 ただ海軍部内でそんなふうに考えておつたというだけですね。
  53. 多田武雄

    多田証人 さようでございます。
  54. 武藤運十郎

    武藤委員長 実際の処分中止をしたのは、やはり河邊中將が帰つてきてからやつたわけで、その前にはしなかつたわけですね
  55. 多田武雄

    多田証人 さようでございます。
  56. 武藤運十郎

    武藤委員長 たまたまあなたの方の考えておつたことと、河邊中将のもたらした先方の意向とが合致してそこで取消した……。
  57. 多田武雄

    多田証人 取消しましたのは、またあらためての閣議によつて取消されたわけであります。
  58. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうするとやはりそういうことに基いて閣議として取消したわけですか。
  59. 多田武雄

    多田証人 閣議の方は、進駐軍意向がはつきりしたためであつたと思います。
  60. 武藤運十郎

    武藤委員長 閣議の方で取消し決定をしたのは、河邊中将以下使節が帰つてきて、連合軍の方の意向を傳えたので、それに基いて閣議決定をしたということになりますね。
  61. 多田武雄

    多田証人 私はそう考えております。
  62. 武藤運十郎

    武藤委員長 取消したのはいつごろだか御存じですか。
  63. 多田武雄

    多田証人 八月の末だつたと思います。
  64. 武藤運十郎

    武藤委員長 二十八日ごろじやないですか。
  65. 多田武雄

    多田証人 そのころだつたと思います
  66. 武藤運十郎

    武藤委員長 先ほどあなたのお話で、緊急処分をしたらば非常な混乱を生じて困つたというのですけれども、どういう事情になつたわけですか、具体的に申しますと
  67. 多田武雄

    多田証人 少し附加えることになつて、余分になるかもしれませんが、とにかく、ポツダム宣言を受諾した降、伏をした、それから連合軍が速急に日本占領にやつてくる当時の状況から考えまして占領軍日本軍衝突を避けたいという気持が一番強かつたと思います。それがためには、そういう衝突のおそれのあるような部隊をなるべく早く解体しなければならぬ。それからそれに使用されるようなおそれのある武器はなるべく処分をしなければいかぬという考えが先に立つてつたのであります。そういういわばあせつたきらいが非常に濃厚であつたために、これが混乱を來した大きな原因になつておると思います。それで、はなはだ遺憾千万ではありましたが、一部には御承知のような混乱を來し、あるいは不正なことも起つたという状況でありました
  68. 武藤運十郎

    武藤委員長 運び出したものなどももとへ戻すというような処置もありましたか。
  69. 多田武雄

    多田証人 それも一部分はできたように報告を受けましたが、最初閣議決定によつて放出されました物資の何割かはつきり記憶しておりませんが、ごく一部分しか戻つてこなかつたよう記憶しております。
  70. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなたの方のさきに行われた緊急処分命令処分された量は全体の保有量のどのくらいであつて、返つてきたのはどのくらい、残つたのはどのくらいであるというような概略見当はないのですか。
  71. 多田武雄

    多田証人 何万トンとか、相当な数量つたと思いますが、放出されたものの数量記憶いたしませんが、戻つてきた方は二割にも及ばなかつたりじやないかと思います。
  72. 武藤運十郎

    武藤委員長 終戰当時残つてつた数量の、完成品、未完成品あるいは資材等のどのくらいの割合が緊急処分されたか、見当はつきませんか。
  73. 多田武雄

    多田証人 そういうお尋ねですと、今のお答えしたのがちよつと見当が違うかもしれませんが、艦船兵器の方は最初閣議決定によつて処分されたものはほとんどないと思います。民間に放出されたものは、主として食糧衣料関係がおもだつたと思います。これも軍の方針としましては、大体当時可能ならば三月分もストツクを持つていたかつたのですけれども、とうてい実情がしませんで、せいぜい一月分ぐらいしか余裕がなかつたのじやないかと思つております。そのうちの大部分ということはないと思います。ほんの一部分つたと思います。なぜかと申しますと、まだ軍隊がその当時ほとんどそのまま残つてつたのでありますから、それらの生存のために保有しておらねばいかぬのでありまして、そう洗いざらいに放出するわけにはいかぬのであります。
  74. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうしてその放出したものの概略二割ぐらいが返つたかと思うというのですね。
  75. 多田武雄

    多田証人 大体の見当で二割以内だつたように思います。
  76. 武藤運十郎

    武藤委員長 半分くらい放出したのですか。
  77. 多田武雄

    多田証人 いや、そんなにたくさんは放出されなかつたと思います。
  78. 武藤運十郎

    武藤委員長 放出されたのはごくわずかですか。
  79. 多田武雄

    多田証人 ごくわずかだと思います。
  80. 武藤運十郎

    武藤委員長 九月二十四日になつて連合軍から覚書が與えられたようですけれども、そういうことがありましたか。
  81. 多田武雄

    多田証人 たしかそれは軍需物資施設等内務省に移管せよという指令じやなかつたかと思います。
  82. 武藤運十郎

    武藤委員長 それを受けてあなた方政府ではどういう処置をとりしましたか。
  83. 多田武雄

    多田証人 その前から、大体そういう方向——どうせ海軍というものはなくなるから、他省に移管するということは見当がついておつたので、その前からいろいろな移管すべき物資調査に着手しておつたよう記憶しております。いよいよそういう指令が出まして後に、移管する手続の書類を調製するために、非常に繁忙をきわめた記憶残つております。
  84. 武藤運十郎

    武藤委員長 一旦兵器連合軍で接収をしまして、それを今度は日本政府に返すことになつたようでありますけれども、そのことに関してあなたは何か関係したことはあるのですか。
  85. 多田武雄

    多田証人 その進駐軍で管理する物とそれ以外の物の処分については海軍自体でそれを命ぜられたことはありません。
  86. 武藤運十郎

    武藤委員長 特殊物件処理委員会というのができたことは御存じありませんか。
  87. 多田武雄

    多田証人 それはたしか兵器以外のものの処理をする委員会じやなかつたかと思います。
  88. 武藤運十郎

    武藤委員長 兵器については、どういうふうにしようかということは、閣議できまらなかつたのですか。
  89. 多田武雄

    多田証人 それはなかつたと思います。
  90. 武藤運十郎

    武藤委員長 何かお尋ねになることがございますか。
  91. 明禮輝三郎

    明禮委員 廃兵器連合軍の方へ引渡しをいたしますには、リストをつくつて出したわけでございますが、これは陸軍でも海軍でも同じだと思いますが、海軍としてはこれはどこでおやりになつたのでありましようか。
  92. 多田武雄

    多田証人 当時の軍務局つたと思います。
  93. 明禮輝三郎

    明禮委員 軍務局ですか。
  94. 多田武雄

    多田証人 はい。しかし軍務局自体で全部調製はできないのです。やはり鎭守府だとか艦政本部航空本部その他の方から資料をとつて、つまり軍務局と申したのは、結局そのまとめ役になつたわけです。
  95. 明禮輝三郎

    明禮委員 そうすると結局軍務局長の責任でありますね。この問題についてのリストを提出いたしたのは……。
  96. 多田武雄

    多田証人 そうお考えになつてよかろうと思います。
  97. 明禮輝三郎

    明禮委員 そこであなたは次官としてお知りになつているかどうかわかりませんが、こういうふうにリストを拝見いたしますと、連合軍の方へ引渡しましたときの欄には、物品の引渡し品名というのずつとありまして、そしてそれについての数量のないものが相当多いのであります。それから今度これは連合軍の方から実際引渡しを受けたものについては、数字がちやんと書いてあるようでありますが、こういう点はあなたは御承知ありませんか。またこの点はどういうわけでこういうふうになつているのでしようか。
  98. 多田武雄

    多田証人 引渡した品物の数量がはいつてないというのですか。
  99. 明禮輝三郎

    明禮委員 そうです。ないものがある。たとえば戰車のごときものは、司令部の方に引渡す戰車の分については「戰車」と品名は書いてありますが、その下に数量が書いてありません。それから引渡しを受けた方ものには数量がはいつております。この点はどういうふうになつておるのでありましようか。
  100. 多田武雄

    多田証人 その提出の書類自体については、私はよく記憶しておりませんけれども、おそらく連合國軍に提出するのを急いだ関係で、調査未済のものはあとで出すようにでもなつてつたんじやないでしようか。それは期間を限られますと、この書類以外にもずいぶん当時はやかましく要求された調査事項がたくさんあつたのですが、徹夜しても間に合わぬような調査もあつたのです。そういう関係で、間に合わなかつたのも確かにあつたと思います。
  101. 明禮輝三郎

    明禮委員 リスト数量は普通わかつているわけでありますが、リスト数量を、実際あるものを燒いてしまつたというような点からして、ここに載せることができなくなつてしまつたようなものがあるわけではありませんでしようか。
  102. 多田武雄

    多田証人 それは今申しましたように、書類は燒いていないために、現物に当つてみなければいかぬというので、てまどるわけです。それで間に合わなかつたのではないかと思います。
  103. 明禮輝三郎

    明禮委員 それから先ほど委員長から質問された点ですが、二十年八月十四日の閣議決定によりますと、あなたのお話通り兵器は除外してあります。しかしながら、除外はしてありますけれども、実際において緊急放出の中の兵器というものがどの範囲であるかということは、なかなかむずかしいので、兵器ブロツクに属するものでも、たとえばガソリンのようなものとか、馬具といつたようなものは、相当ある方面緊急放出になつたものがあつたのではないかと思いますが、その点はいかがですか。
  104. 多田武雄

    多田証人 兵器というものは、御承知かもしれませんが、海軍では、兵器簿というのがありまして、予算から割り出して、兵器簿数字を記入して、今年度の兵器処理要領はこれだぞというふうに、各所轄ごと兵器簿というものは持つているわけです。ですから兵器の種類というものは、きわめてはつきりしております。
  105. 明禮輝三郎

    明禮委員 それが、今日言われているところの兵器は、兵器範囲に関する規定ができておりまして、たとえば飛行機に使つてつたガソリンのようなもの、あるいは原材料でも二〇%以上加工したものは兵器取扱いを受けておるわけです。そういう面から言いますと、どうも緊急放出というものは、普通は食糧とか衣類とかいうようなものが主として行われたものでありますけれども、実際において、行われたものの中には、ガソリン、あるいは馬具、あるいは原材料を一〇%なり二〇%加工したようなものも、やはり部面部面によつて放出されておる事実があると思うのでありますが、この点につきましてはいかがでありますか。
  106. 多田武雄

    多田証人 具体的なことは存じません。ただ今申し上げました兵器簿に記載してあります海軍でいう兵器の中には、常識考えてこれが兵器かといつたようなものがあるのです。兵器というと、何か大砲を撃つたり、魚雷を発射したりする方に直接関係のあるもののように、常識では思うのですが、そうでなくして、経理上の必要からあるいは予算運用関係もあつたでしよう、常識考えられないようなものが兵器となつているのがあつたのです。しかしそれがために、これは兵器でないといつて放出されたかどうか、どうも私は記憶しておりません。
  107. 明禮輝三郎

    明禮委員 大体において、一々具体的にあなたは御調査になつておりませんでしようけれども、今申し上げましたように、兵器というものが、陸軍海軍兵器簿でなく、攻撃的な武器ということ以外に廣く持つておりますから、そういうものも、やはり緊急放出物資として出ておる事実がある。これはなぜそういうことを申すかといいますと、大体兵器というものはどのくらいあつたかあなたは概数的に御承知でしようか。一千五百万トンあるともいわれているし、五百万トンだともいわれているし、現在兵器として処理されたものは、実は百二十八万トンであります。これにおいて数量が今日あると目されているものとたいへん減つているのであります。
  108. 多田武雄

    多田証人 ただいまおつしやいました最初の大きな数字大砲だとか、魚雷だとか、発射管だとか、陸上砲台だとか、艦船は含んでおらないと思いますが、そういつた進駐軍が最後まで管理しておつた破壞したとか処分したというものの方が、トン数からいつたら多いと思います。
  109. 明禮輝三郎

    明禮委員 進駐軍が破壞したものでも、兵器として兵器処理委員会が收用するのには別に変りはないのでありますが、どういう意味ですか。
  110. 多田武雄

    多田証人 兵器処理委員会がどのくらいの範囲兵器を受持つたか、壞したか存じませんが、この大砲だとか、陸上砲台だとか、そういうものは去年の暮くらいまでは進駐軍が自分で管理しておつたのではないでしようか。
  111. 明禮輝三郎

    明禮委員 管理したものもあるかもしれませんが、かりにしておつても一應兵器に属するものは兵器処理委員会で整理しておりますから、その整理した結果が百二十八万トンということになつて出てきておるわけであります。今われわれが考えても、一千五百万トンははたしてあるかどうかということはわからぬが、いずれにしても百二十八万トンだということはあまりに少いように思う。そこであなた方海軍におかれまして、その辺に通じておられる方々は、これがどのくらいあるものとお考えか、あるいはこれはどのくらいあるかわかりませんけれども、今ここにいわれておる兵器——これは少し廣い意味になるけれども、そういうものが緊急方出で相当流されたというような面がありはしないか、その点を伺つておるわけであります。
  112. 多田武雄

    多田証人 その点はないと思います。あの短期間にそういうような兵器まで手をつけて放出したということはあり得なかつたと思います。
  113. 明禮輝三郎

    明禮委員 それからもう一つは、八月二十八日に緊急放出を停止したというのでありますが、これは九月二日ごろまでに大体停止されておるわけですね。ところが復員軍人職業補導会には緊急放出をしてもよいというような何か取扱いがあつたのではありませんか。その点どうですか。
  114. 多田武雄

    多田証人 いや、そういう規定は何もありません。
  115. 明禮輝三郎

    明禮委員 規定はありませんが、そういう取扱いをなされたことがありはしませんか。
  116. 多田武雄

    多田証人 それは厚生省に移つたのはいつだつたか存じませんが、復員者帰還者ため食糧だとか冬の毛布だとか、そういうものをある程度持つておらなくちやいけないのです。そういうものがいつの時期でしたか海軍の手を離れて、そういう機関に移つたときがあつたように思いますが、そのことを言われるのじやないでしようか。
  117. 明禮輝三郎

    明禮委員 これは特殊物件全般にわたることですが、つまり停止するということは、あらゆる部面についての緊急放出を停止しておるのですね。それにもかかわらず復員軍人のあるブロツクに対しては緊急放出をしてもよいというような、たとえば九州方面でしたら西部軍とかいうようなところでそういう指令をしたことがありはしないか。
  118. 多田武雄

    多田証人 いや、それはないと思います。西部軍海軍ではありませんけれども、海軍ではそういうことはないと思います。但し内務省に移管された後に、復員軍人援護ため内務省大藏省進駐軍全部の了解を経て、復員援護の特別の團体にある資材をやつたということはあると思います。
  119. 明禮輝三郎

    明禮委員 今お尋ねしたのは、八月二十八日に指令が出て九月二日ごろまでに停止されたというのでありますが、十月一杯までやつたというのが事実ですがその点はどうですか。
  120. 多田武雄

    多田証人 十月ごろはもう内務省移つたのじやないでしたか。
  121. 明禮輝三郎

    明禮委員 八月二十四日の閣議決定に基く緊急放出というのと、普通の内務省拂下げをしておるのとは別でありましよう。
  122. 多田武雄

    多田証人 その間に施設の移管とかいうことは準備する。この学校は何に充てる、この病院はどこに移管して使うかとか、この航空隊はどうする、そういつた相談があつたの記憶しております。これはしかし一つ一つねらい打ちに処分していくわけにいかぬ問題でして、國全体の問題として厖大な表をつくつたの記憶しております。これは施設についてです。この施設をどこへやるということについて、海軍の管理を離れても、海軍が一番よく知つてつたわけですから、そういう案を海軍で立てたのを記憶しております。
  123. 明禮輝三郎

    明禮委員 それは内務省ためにやつたわけですね。
  124. 多田武雄

    多田証人 そういうわけです。
  125. 明禮輝三郎

    明禮委員 それはそれといたしまして、艦艇のことですが、終戰当時においてわが國が持つておりました艦艇、軍艦その他小さいところまで何隻ぐらい残つておりましたか。
  126. 多田武雄

    多田証人 形だけ残つてつたものを入れると相当な数ありましたろうが、実際海上輸送に使えたのは三十隻くらいじやなかつたかと思います。それは帰還者の輸送、それから機雷の掃海——これはやはり海軍の手でやつてつたのですから、それに使つた船は動けるものはほとんど使つたはずであります
  127. 明禮輝三郎

    明禮委員 あなたのおつしやる三十隻というのは單に自由に活動のできる船であつて、多少けがをしておつても、いわゆる連合軍からこの艦艇は解撤すべきものだと命令されておるものは、もつとたくさんあつたのじやないですか。
  128. 多田武雄

    多田証人 それはそうです。
  129. 明禮輝三郎

    明禮委員 それはどのくらいありましたか。
  130. 多田武雄

    多田証人 百万トン以上というか、内外というか、そのくらいの見当じやないかと思います。その点はどうも記憶がはつきりしておりません。
  131. 明禮輝三郎

    明禮委員 何隻ということはわかりませんか。
  132. 多田武雄

    多田証人 隻数は記憶しておりません。しかし当時かあるいはその後議会等にも報告されたのじやないかと思います。
  133. 明禮輝三郎

    明禮委員 これはやはり連合軍から引渡されて、連合軍からさらに日本に返して、そうして國民経済立て直し、あるいは國民の生活救済のために、こわしたものを使つてもよいという趣旨で解撤しておるのではないかと思いますが、この点については御承知になつておりませんか。
  134. 多田武雄

    多田証人 兵器でございますか。
  135. 明禮輝三郎

    明禮委員 いや、艦艇です。
  136. 多田武雄

    多田証人 艦艇の使用方針については、連合軍の指示は私の在任中にはなかつたと思います。
  137. 明禮輝三郎

    明禮委員 解撤の指令を出して、各業者に解撤を命じております。この点はおわかりになりませんか。
  138. 多田武雄

    多田証人 存じません。
  139. 明禮輝三郎

    明禮委員 とにかくたくさんな船が各停泊地に皆泊めてありますね。その当時のリストはあつたわけでございますね。
  140. 多田武雄

    多田証人 あつたと思います。
  141. 明禮輝三郎

    明禮委員 それはどこにありますか。
  142. 多田武雄

    多田証人 それもやはり海軍省のあとにあるのではないでしようか。
  143. 明禮輝三郎

    明禮委員 復員局でございますか。
  144. 多田武雄

    多田証人 そうです。
  145. 明禮輝三郎

    明禮委員 あまり詳しくおわかりになりませんね。
  146. 多田武雄

    多田証人 わかりませんが、その当時のリストは多分残つているのではないかと思います。
  147. 徳田球一

    ○徳田委員 八月十四日の閣議決定を先ほど御存じと言われましたが、これは主として目的は軍と民とを離間する間隙を防止するということになつているのではないのですか。
  148. 多田武雄

    多田証人 そこまでつつこんだ考えじやなかつたと思います。今初めてそういうことを伺いますが……。
  149. 徳田球一

    ○徳田委員 ここにこういうことが書いてある。「陸海軍は、速かに國民生活安定のために寄與し、民心を把握しもつて積極的に軍民離間の間隙を防止するために、」目的はここなんです。海軍陸軍もこの無謀な戰爭をしました結果、終戰後になりますと人民から非常に恨みを買い、かついろいろの襲撃を受けたりなんかするに違いない。だから民心を把握して、軍民の離間を防止するために、この間隙を來たさないためにやれというのではないのですか。こう書いてありますが……。
  150. 多田武雄

    多田証人 私はそれは初めて伺いました。
  151. 徳田球一

    ○徳田委員 しかし閣議決定しましても、この閣議を実行するのはあなた方であります。
  152. 多田武雄

    多田証人 私は記憶になくなつたのかしれませんが、そういう印象は当時受けておらなかつたと思います。
  153. 徳田球一

    ○徳田委員 重大な問題はここにあるのです。そのために今度は「軍所有資材及び物資等につき隠密裡に緊急処分方措置す」と書いてある。
  154. 多田武雄

    多田証人 それが閣議決定でございますか。
  155. 徳田球一

    ○徳田委員 八月十四日の閣議決定。これはこの書類には二度出ておりますが……。
  156. 多田武雄

    多田証人 隠密などということは私は全然知りません。
  157. 徳田球一

    ○徳田委員 どうもそうじやなさそうに思えますが。
  158. 多田武雄

    多田証人 いや、そういう意味じやありません。そういう意味で責任逃れとかなんとかいうことで申し上げておるのではなくて、それは閣議決定の文句でしようか。
  159. 徳田球一

    ○徳田委員 文句です。
  160. 多田武雄

    多田証人 それでは私の記憶違いです。
  161. 徳田球一

    ○徳田委員 あなたの方の責任云々は別としましても、もし責任を負うとすれば、これは閣議決定をした大臣が責任を負うのであつて、あなたは事務官でありますから何も責任を負うことはないと思いますけれども、しかしこういうことが隠密裡にやれ、軍民の間を離間しないようにしろ、ここに目的があるとなりますと、國有物資、國有財産を不当に処分するということになるだろうと思う。要するに軍本位だから、軍が民に敵意を買わないようにというので、隠密裡に、緊急に措置しろ、こうなつておりますから、この際はこれはどんどんくれてやる、どんどん措置して軍の恩を賣つておけ。そうしないとあとがたいへんだから、ここのところをうまくすぱつとやれというところに私は目的があると思う。
  162. 多田武雄

    多田証人 いや、その閣議決定は、おつしやられて私の記憶違いと思いますが、海軍海軍大臣の名前で一般に出した命令には隠密などという言葉はありません。それははつきり申し上げます。
  163. 徳田球一

    ○徳田委員 しかし陸軍ではこれに対しましてちやんと陸機密第三六三号として別紙の通り云々というのを皆出しておりますが……。
  164. 多田武雄

    多田証人 海軍のものをひとつお取寄せください。非常に残念なことでありますが、海軍はそういうようなことを出した覚えはございません。
  165. 徳田球一

    ○徳田委員 海軍にもこれはありますか。これはひとつ委員部で書いておいてください。
  166. 多田武雄

    多田証人 海軍にはそういろ隠密裡にというような命令を出したことはありません。これははつきり申し上げておきます。
  167. 徳田球一

    ○徳田委員 これは非常に重大なことであります。これが非常に惡いことをしてもよろしい、盛んにやれということを煽動したように私には思えます。
  168. 多田武雄

    多田証人 海軍ではそういう命令を出しておりませんから御了解を願います。
  169. 徳田球一

    ○徳田委員 だがこういうことが書いてあります。軍管理工場及び監督工場の管理を直ちに解除す。これは戰時中は軍が管理しておつたのではありませんか。この管理していた工場をすべて直ちに管理を解除す。この場合製品、牟製品及び原材料の保管は差当り生産者に一任すとなつております。そうするとこれは陸軍の——海軍もそうでありますが、こういう管理工場はたくさんあつたと思いますが、どのくらいありましたか。
  170. 多田武雄

    多田証人 何百何千かはつきり記憶しておりませんが……。
  171. 徳田球一

    ○徳田委員 これは皆將校を出して管理しておつたわけでありましよう。
  172. 多田武雄

    多田証人 出しております。
  173. 徳田球一

    ○徳田委員 管理工場のリストはありますか。
  174. 多田武雄

    多田証人 それはどこかにあると思いますが、しかし燒いたのかもしれません。それは國会でお調べになればわかる問題だと思います。
  175. 徳田球一

    ○徳田委員 燒くのは不当だと思いますが……。
  176. 多田武雄

    多田証人 実際申しますと燒き過ぎたのです。燒かぬでいいものまで燒いております。
  177. 徳田球一

    ○徳田委員 この燒くということについてお尋ねしますが、だれの命令で燒いたのですか。
  178. 多田武雄

    多田証人 それはたしか書類の名前は海軍次官つたと思います。
  179. 徳田球一

    ○徳田委員 そうすると、燒けと言われたのはあなただつたわけですね。
  180. 多田武雄

    多田証人 海軍方針は私の名前で出したということになります。
  181. 徳田球一

    ○徳田委員 大臣が出したのではなくてて、あなたがお出しになつたのですな。
  182. 多田武雄

    多田証人 確かにそうだと思いますが……。
  183. 徳田球一

    ○徳田委員 そこのところをはつきりしてください。
  184. 多田武雄

    多田証人 それははつきり私の名前と承知していただいて結構です。
  185. 徳田球一

    ○徳田委員 陸軍の方は陸軍大臣の高級副官が出したと言つておりますが、海軍の方ではあなたがお出しになつた
  186. 多田武雄

    多田証人 海軍では首席副官の名前でそういうことは出しません。事の性質から私の名前で出したと私は思つておりますので、そうお考えくださつていいと思います。
  187. 徳田球一

    ○徳田委員 どういう種類のものを燒けという命令を出されたのですか。
  188. 多田武雄

    多田証人 内容の文句ははつきり知りませんが、一口に言いますと当時の海軍の極祕書類といいますか、それ以上の機密のものに軍機というものがありまして、それらの祕密の書類は燒けという趣旨だつたと思います。
  189. 徳田球一

    ○徳田委員 軍機密と言うのですか。
  190. 多田武雄

    多田証人 海軍では軍機書類、極祕書類、それから祕密書類、こういうふうにわけております。
  191. 徳田球一

    ○徳田委員 極祕以上を燒けというのでありますか。
  192. 多田武雄

    多田証人 極祕以上だと思いますが、祕密のものまで便乗して燒いたところもあつたようです。
  193. 徳田球一

    ○徳田委員 その極祕以上の中にはたとえば艦艇の種類、数量、それから軍需品の原簿、管理工場の原簿、そういうものは皆極祕のうちにはいつているのですか。
  194. 多田武雄

    多田証人 今おつしやつたうちには極祕でないものもありますが、各部隊部隊で実行したものですから、書類の一々の名前は命令には出していないわけです。概括的なことで出しているわけですから、その部隊自体の解釈で燒き方が違つてつたのでしよう。
  195. 徳田球一

    ○徳田委員 その文書はありますか。
  196. 多田武雄

    多田証人 今残つているかどうかはつきり申し上げられません。
  197. 徳田球一

    ○徳田委員 どこで調べればわかりますか。
  198. 多田武雄

    多田証人 調べれば結局海軍省のあとしかないと思います。
  199. 徳田球一

    ○徳田委員 そうすると第二復員局ですか。
  200. 多田武雄

    多田証人 厚生省だと聞いております。
  201. 徳田球一

    ○徳田委員 厚生省は引揚援護の方ではないのですか。陸海軍の残務整理は厚生省でやつておるのですか。
  202. 多田武雄

    多田証人 人の関係は厚生省で、艦船等の関係は運輸省です。しかしそういう資料はたしか厚生省に資料課というのを設けてやつているように思います。
  203. 徳田球一

    ○徳田委員 それならこつちから書類をとつてみましよう。そうしないとこれは大変なことができておりますから……。  沼津附近でありますが砂糖の隠匿物資がありまして、これは海軍省関係でありましたが、これを調べましたらそれの原簿が皆燒けている。だからもともといくらあつたということがわからない。あとから帳簿をこしらえたので、合法的に処置してよいようなものだけ帳簿をこしらえた。もとこれだけあつたというふうにできておりまして、あとで盗んだものは皆切捨てられている。だから原簿を燒いたということは非常に私は國民に対し、また國家に対して罪惡だと思います。これをやりましたために、あとの犯罪の捜査にも、またこの隠退蔵物資の収拾のことにつきましてもまつたく手がつけられなくなりまして、この委員会ではもう一年なんぼというものまつたくこれに手こずつたのです。
  204. 多田武雄

    多田証人 ちようどよい機会ですから申し上げておきます。私はそういう資格者ではありませんけれども、終戰直後の混乱状態に対してはいつでも世間に対して相済まなかつたと遺憾の氣持でおります。ただそこでひとつ考え願いたいのは、結局あわててやつたわけですが、あわててやつた結果、進駐軍との衝突も來さずにすんだということも併せてひとつ御考慮を願いたいと思います。この混乱を來した点についてはもう終戰直後から海軍をやめましても、まことに遺憾に思つているところであります。
  205. 徳田球一

    ○徳田委員 そうするとひらたく言いますとこういう物のやりとりに皆熱中して、進駐軍のことも忘れてしまうような状態になつたというわけですか。燒いたために相当物を獲得してもよいわけになるものだから、その方に熱中して……。
  206. 多田武雄

    多田証人 結果からそういうふうに利用した人があつたかもしれませんが、そんな意味で燒いたわけではないと思います。
  207. 徳田球一

    ○徳田委員 進駐軍との摩擦云々というのは、進駐軍のことも忘れて自分の方でそういうものを早く処置してうまく……。
  208. 多田武雄

    多田証人 燒いたことが進駐軍との衝突という意味で申し上げたのではありません。復員を急いだとか、危險な兵器処理を急いだとか、横須賀とか鹿兒島方面は眞先に進駐軍がやつて來るだろうという氣持で非常にあわてて解体したわけです。そういう点から混乱を來して、つまり物と人との関係ですね、その間に御承知のような不正も起つた。しかしこれはついでに申し上げますが、その不正を摘発するためには、海軍省自体といたしまして終戰後軍人の死亡者なんかあるはずがないときに法務官を増員した。二年現役の主計官がおりましたが、その主計官を半強制的に法務官に採用して、この摘発に極力努力したわけであります。
  209. 徳田球一

    ○徳田委員 それではその摘発によつてどれくらいの効果があがつておりますか。
  210. 多田武雄

    多田証人 海軍省として司法省に移す前の件数で千件くらいあつたと思います。
  211. 徳田球一

    ○徳田委員 実は下村元陸軍大臣のあれでは七百件ばかり陸軍では処置した、それで戻つてきたのは三割ないし六割と言われますが、あなたの方ではもつとたくさん処置しているのに、どうも戻つてきているのはわりに少いように思いますが……。
  212. 多田武雄

    多田証人 それは今申したように、法務官を殖やしまして、法務官を強制的に採用して増員して極力しらみつぶしにやつたわけですから、ごく小さなものまであげておる関係じやないかと思います。
  213. 徳田球一

    ○徳田委員 それではもう少し進めまして、この工場の管理を解除しまして、製品、半製品、原料、材料の保管をさしあたり生産者に任しておりますが、この任して後に損害賠償だのいろいろのことをやらなければならなかつたはずですが、そういう点をどういうふうになされましたか。
  214. 多田武雄

    多田証人 その点は当時の政府としても非常に大きな問題だつたように思いますが、これは海軍自体としては何ら手が出なかつた
  215. 徳田球一

    ○徳田委員 海軍は何もやつてない……。
  216. 多田武雄

    多田証人 やつておりません。
  217. 徳田球一

    ○徳田委員 そうじやないんじやないですか。この製品だの半製品だのをみな受取つた勘定にして、海軍省からどんどん金を向うへ出しておるんじやないですか。
  218. 多田武雄

    多田証人 それは当時の政府の方針に從つて大藏省の認めたものは出しておるだろうと思います。海軍自体で勝手に出したものはありません。
  219. 徳田球一

    ○徳田委員 これは海軍の経理部なんかへ聽けばちやんとわかるんじやないでしようか。
  220. 多田武雄

    多田証人 経理関係は前の経理関係の……。
  221. 徳田球一

    ○徳田委員 経理局長は何とおつしやる人ですか。
  222. 多田武雄

    多田証人 当時山本という主計中將です。山本丑之助。
  223. 徳田球一

    ○徳田委員 この人に聽けば大体わかりますね。
  224. 多田武雄

    多田証人 わかると思います。
  225. 徳田球一

    ○徳田委員 これは実は私の方ではほかに調べようがなかつたものですから、日本銀行の発行高を調べたのです。そうすると八月中だけで四百何十億と出ておるのです。これは要するに跡始末でどんどん金を出したために日本銀行の発行高をぐんとあけなければならなかつたんじやないですか。それで巷間では大体五百億の金を、ほとんど材料は向うに置いておいてそのまま放出したということを言われておるのです。
  226. 多田武雄

    多田証人 たしか補償を停止するまでに拂つたものはあつたでしよう。その額じやないかと思います。
  227. 徳田球一

    ○徳田委員 それが大体五百億……。
  228. 多田武雄

    多田証人 私ちよつと金の高は知りませんが、そういう事実はあつたと思います。停止するまでの間に。
  229. 徳田球一

    ○徳田委員 実は発行高が非常に殖えておるんですよ。これは非常に注目すべき事実だものですから、それの根拠がどこにあるかを知りたいのです。
  230. 多田武雄

    多田証人 それは大蔵省の方にたしかにありましよう。
  231. 徳田球一

    ○徳田委員 それから軍作業廳、殊に海軍いろいろの作業廳のものは適宜運輸省関係の工機工場、いわゆる運輸省の鉄道の工機部というものがあります。これに移しておるだろうと思いますが、そういうことはどうでしようか。
  232. 多田武雄

    多田証人 運輸省に何を移したかとおつしやるわけですか。
  233. 徳田球一

    ○徳田委員 軍作業廳のもののうち設備を工機部に移しておるのがあるでしよう。
  234. 多田武雄

    多田証人 それはたしか施設本部関係のものですね。ひらたく言えば土建のようなものですね。施設関係のものはたしか運輸省に移したと思つております。
  235. 徳田球一

    ○徳田委員 民間にも移しているのがないでしようか。
  236. 多田武雄

    多田証人 民間に移したのは内務省に移つてからじやありませんでしようか。
  237. 徳田球一

    ○徳田委員 実は八月十四日の閣議決定には「軍作業廳の民需生産設備たり得るものは之を適宜運輸省関係の工機工場その他民間工場に轉換す」こうなつております。実際上にどれだけどこへどう移したかということは、先ほどあなたの御証言の中に、莫大なリストをこしらえてこれをどこへ、これをどこへというようになされたというお話がありましたが、これはこの閣議決定によつたのではないでしようか。
  238. 多田武雄

    多田証人 それとの関係記憶しておりませんが……。
  239. 徳田球一

    ○徳田委員 その書類はどこにありましようか。
  240. 多田武雄

    多田証人 案ですか。
  241. 徳田球一

    ○徳田委員 そうです。
  242. 多田武雄

    多田証人 案は内務省にもやつてあると思いますし、今の資料課で持つておりますかどうですか
  243. 徳田球一

    ○徳田委員 そこを調べてみればどこの施設はどこへという大体の案がわかりますね。
  244. 多田武雄

    多田証人 おわかりになると思います
  245. 徳田球一

    ○徳田委員 それから「軍需生産は之を直ちに停止し工場所有の原材料を以て民需物資生産に当らしむ」こう書いてありますが、これは軍の所有しておりまする材料であると理解しますが、これを「民需物資生産に当らしむ」、そういうことになりますと、それぞれの会社に向つてこれで何を生産しろというような命令を発せなければならないと思いますが、こういうことをなされた事実はありますか。
  246. 多田武雄

    多田証人 それは海軍に全然関係はありません。資材軍需省が実際のものは持つてつたと思います。軍需省に移して、いろいろな原料、材料は軍需省が持つてつた。会社のものはその後商工省に移つたはずです。
  247. 徳田球一

    ○徳田委員 これは海軍には全然関係がない。
  248. 多田武雄

    多田証人 ありません。
  249. 徳田球一

    ○徳田委員 それからたとえば海軍の持つておりました呉の鎭守府とか横須賀の鎮守府とか佐世保の鎮守府とかいうものを民間工場に引渡しておりますが、こういう処理海軍がやられたのですか。
  250. 多田武雄

    多田証人 それは進駐軍に渡したのでして海軍自体でやつたはずはありません。進駐軍に占領されたのです。
  251. 徳田球一

    ○徳田委員 占領もされておりますけれども、その一部では民間自体で使つておるものもたくさんありますが……。
  252. 多田武雄

    多田証人 それはほとんど後のことだろうと思います。
  253. 徳田球一

    ○徳田委員 海軍では全然関係がない。
  254. 多田武雄

    多田証人 関係ありません。
  255. 徳田球一

    ○徳田委員 それから陸軍ではこの処置に関してこまかい達を出してありますが、海軍でもこういうものはみな出してあるはずですね。
  256. 多田武雄

    多田証人 その処置に関する細目でございますか。
  257. 徳田球一

    ○徳田委員 ええ
  258. 多田武雄

    多田証人 それは出した覚えはありません。
  259. 徳田球一

    ○徳田委員 これは「軍需品、軍需工場等の処理に関する件達」というので、八月十七日に陸軍大臣の名前で出ておりますが、これは海軍で出ておりませんか。
  260. 多田武雄

    多田証人 出てないと思います。
  261. 徳田球一

    ○徳田委員 出ていない、それはおかしい。
  262. 多田武雄

    多田証人 それは私の記憶違いかもしれません。あるいは艦政本部とか、施設本部とか、そういう会社に直接関係のある所轄をして、そういう指令を出さしたということはあるかもしれませんが、海軍省は直接その会社には関係ないのです。
  263. 徳田球一

    ○徳田委員 そうすると海軍省では全然出しておらぬのですね。
  264. 多田武雄

    多田証人 いや、記憶違いであるかもしれません。大きな方針は出しておるかもしれません。会社に直接ということになると艦政本部とか航空本部とかです。今のは陸軍大臣の達でございますか。
  265. 徳田球一

    ○徳田委員 そうです。ですからこれと同様なものが海軍大臣からも出ておるのではありませんか。
  266. 多田武雄

    多田証人 そんな詳細にまとまつたものを海軍省からは出した記憶はありません。出してないと思います。
  267. 徳田球一

    ○徳田委員 そうなると海軍では八月十四日の閣議決定はいつ実行なされましたか。
  268. 多田武雄

    多田証人 さつきも委員長にもはつきり日にちを申し上げられませんでしたが、翌日か翌々日です。
  269. 徳田球一

    ○徳田委員 そうすると十五日か十六日ですね、そうして実施したのは即時実施したのですね。
  270. 多田武雄

    多田証人 電報でやつておりますから即時各部隊では実施しておつたと思います。
  271. 徳田球一

    ○徳田委員 電報の寫しなんかありませんか。
  272. 多田武雄

    多田証人 書類については実際私の立場からはつきり申し上げられません。資料課をお調べになればあるかないかわかるのです。
  273. 徳田球一

    ○徳田委員 大体ある見込みですか。
  274. 多田武雄

    多田証人 あると思いますが、どうでしようか。
  275. 徳田球一

    ○徳田委員 これは陸軍のは実に綿密に書いてあります。
  276. 多田武雄

    多田証人 多田があるはずだと言つてつたと言われてもちよつと困るのです。残つておるか残つておらないか私は知らないのです。
  277. 徳田球一

    ○徳田委員 陸軍がこんなに綿密に出しておるというのに、海軍はルーズだということになれば、海軍関係の隠退藏物資その他の不正が陸軍以上に深刻にあつたという感じがしますが……。
  278. 多田武雄

    多田証人 それは軍需省におもにやつてもらつてつたのと、海軍自体でやつてつたのと、もう一つ陸軍と違うのは、軍隊を全部解体できなかつた。軍人をやめなければいかぬというのに危険な掃海までやらさなければいかぬというような関係で、ある程度現役と言うとおかしいが、海軍が現存しておつた当時の状態で続いておつた者が相当あるわけです。その点は陸軍と違うと思います。それだからといつて、あまり海軍がラフだから不正が多かつたという結論は出さないでいただきたい。
  279. 徳田球一

    ○徳田委員 そうすると海軍の方は陸軍ほど綿密に事をしなくともいいだけに、ある程度持続しなくともいいだけの処置をしなくともいいようになつてつたというわけですね。
  280. 多田武雄

    多田証人 とにかく概括的に申しますと、終戰後のいろいろな事務を戰爭中よりもむしろ忙しかつた者が多かつたくらいに跡始末に非常に骨折したわけです。これは余談でありますが、次官会議のいつでしたか、終戰にもなつたから勤務時間を規定通り——当時四時でしたか五時でしたか、それで全部切り上げるようにしようじやないかという話が出た。そのときに私は実は反対したのです。それは今いろいろな進駐軍からの注文とか跡始末に忙しくて、戰をしておるときより忙しい人間がたくさんおるのに、そういうことを次官会議決定されたら困るというので取止めたくらいです。これは余談でありますが怠けておつたわけでありませんからどうぞ……。
  281. 徳田球一

    ○徳田委員 いや、決してそういうふうに考えておりません。あまり勤勉でありすぎて、かえつて事を誤つたところもあろうと思いますから、そういうふうには考えておりません。ところで問題は進駐軍武器というか、兵器というか、こういう種類の軍需品は全部引渡さなければならなかつたはずでありますが、こういうもののリストをこしらえてこれを海軍省の方に全部集めておられましようかどうでしようか。
  282. 多田武雄

    多田証人 集めて進駐軍に渡したものと、事後寫しの報告を受けたものと、現場で進駐軍の部隊にやつたのちに海軍省に送つて來たものも事務的にはあると思います。だから海軍省に全部まとまつてからごつそり進駐軍にやつたというわけじやありません。
  283. 徳田球一

    ○徳田委員 しかしこれは集めてやつたものと、あとから補充したものと、併せて全部現在のところから見れば引渡しリストはあるわけですね。
  284. 多田武雄

    多田証人 それはあると思います。
  285. 徳田球一

    ○徳田委員 これは資料部に聽けばわかるわけですね。
  286. 多田武雄

    多田証人 資料部にお聽きになればわかると思います。
  287. 徳田球一

    ○徳田委員 そうするとこのリストは一方進駐軍におやりになるとともに、一方内務省並びに地方官廳にお渡しになつているんじやないですか。
  288. 多田武雄

    多田証人 いやその当時は兵器関係で、内務省その他の省にそういうリストを出すところまで行つておらなかつたと思います。
  289. 徳田球一

    ○徳田委員 軍需品はどうです。
  290. 多田武雄

    多田証人 それは先ほど申しましたように準備を進めておつたと思いますが、全部一遍にリストができて、ある日を限つてきつちり内務省に移管手続を済ましたというわけじやなかつたと思います。
  291. 徳田球一

    ○徳田委員 日は限らないでもリストができ次第すべて内務省に渡して、それで内務省がこの跡始末をする参考のために使用したわけじやないですか。
  292. 多田武雄

    多田証人 兵器以外はそうだと思います。
  293. 徳田球一

    ○徳田委員 兵器はどうでした。
  294. 多田武雄

    多田証人 兵器内務省に渡しておらぬと思います。
  295. 徳田球一

    ○徳田委員 そうすると大藏省の方ですか。
  296. 多田武雄

    多田証人 大藏省もないでしよう。進駐軍に移管しただけだろうと思います。
  297. 徳田球一

    ○徳田委員 実を申しますと、艦船は國有財産で大藏省の國有財産課で扱いまして、業者と契約を結んだりして、このリストがないと契約が結べないために、大藏省内務省かどつちかに送つておりませんと、リストなしでは実際仕事はできないと思いますが、そういうことはしておらぬのですか。
  298. 多田武雄

    多田証人 それはあとの処分の問題じやありませんですか。
  299. 徳田球一

    ○徳田委員 それは処分ですけれども、引渡しリストを持つておりませんと大藏省ではこれを民間と契約するときに現場へ行つて一々調べリストをこしらえてからやるというのでは到底できない仕事なんで、それで陸軍省の方はリストを渡したと言いますがね。海軍省はそういうリスト関係官廳に渡しておらぬとすれば、非常に過ちを生じておると思いますが。
  300. 多田武雄

    多田証人 それはずつとあとに、いよいよ進駐軍から兵器処分するように、一遍進駐軍が保存したのを、これはおれの方では要らぬから処分しろというふうになつたころからはあるいはそういう手続になつたかもしれませんが、私は記憶しておりません。
  301. 徳田球一

    ○徳田委員 そこのところは判明しておりませんね。
  302. 多田武雄

    多田証人 はあ。私がおつた時分にはそういう手続をした覚えはありません。
  303. 徳田球一

    ○徳田委員 そこで最後にもう一つお聽きしたい。兵器処理しますときに兵器処理委員会特殊物件処理委員会とかいうものができましたが、このできたときに海軍省からもこれに参加しておると思われますが、これはどなたが参加されましたか。
  304. 多田武雄

    多田証人 兵器処理委員会は参考人として実際物を知つておりますから海軍からも出ておつただろうと思いますが、委員のメンバーにはどうであつたか私記憶がありません。
  305. 徳田球一

    ○徳田委員 陸軍では皆はいつたと言つておりますがね。
  306. 多田武雄

    多田証人 私はつきり記憶しないで相済みませんが、私の記憶より記録をお調べ願つた方がいいと思います。
  307. 徳田球一

    ○徳田委員 はいつているはずですが、覚えておらぬでしようか。こういうような人事はあなたの所管じやないでしようか。第二次の兵器処理特別委員会の構成の中にもはいつておりますね。海軍省軍務局軍務第一課長というものがはいつております。それから復員局で中央特殊物件処理委員会の構成の中に、復員廳第二復員局、これは総務部長と同部総務課長が出るということになつておりますが……。
  308. 多田武雄

    多田証人 私はその時分のことを存じません。
  309. 徳田球一

    ○徳田委員 名前も御存じありませんか。
  310. 多田武雄

    多田証人 私の時代のあとでございますからお答えいたしかねます。
  311. 徳田球一

    ○徳田委員 幣原内閣海軍次官はどなたですか。
  312. 多田武雄

    多田証人 最初の間は私です。
  313. 徳田球一

    ○徳田委員 いつごろまでですか。
  314. 多田武雄

    多田証人 十一月二十日まで。
  315. 徳田球一

    ○徳田委員 それから復員廳になりましてからは第二復員局の局長はたれですか。
  316. 多田武雄

    多田証人 それは最初は三戸中將であります。
  317. 徳田球一

    ○徳田委員 この方をお喚びすればわかるわけですね。
  318. 多田武雄

    多田証人 わかるだろうと思います。
  319. 徳田球一

    ○徳田委員 これで私は終ります。
  320. 武藤運十郎

    武藤委員長 ほかにどなたかございませんか
  321. 石田一松

    ○石田(一)委員 ちよつと簡単にお尋ねいたしたいのですが、今徳田君のお聽きになつた中に、あなたが責任をもつて出したとお考えになつても結構ですとおつしやつた書類の燒却命令の出た極祕の書類というものは、あなたが命令をお出しになるときに具体的に言えば何と何に燒却命令をお出しになつたか。
  322. 多田武雄

    多田証人 当時の考えですから今から考えると間違つてつた点もあるが、連合國軍に見られてはまずいものを燒けという趣旨が多かつたのであります。
  323. 石田一松

    ○石田(一)委員 連合軍に見られては都合が悪いというのは、まだその当時あなた方の考えでは、日本に今後とも陸海軍というものを置くことを許されるというような考えもとに、そうした機密の燒却を命令なすつたのですか。
  324. 多田武雄

    多田証人 そうはつきりした考えはもちませんでしたけれども、軍隊というものが全然なくなるというところまでははつきり考えておらなかつた。少くとも國内警備のために、治安維持のためには若干の軍隊は認められるだろうというくらいの甘い考えを事実もつておりました。
  325. 石田一松

    ○石田(一)委員 そうすると燒却命令をお出しになつだ極祕の書類、軍機書類というものは具体的にはいわゆる管理工場であるとか、兵器の未完成品であるとかいうものの、いわゆる原簿の極祕の書類というか、そういうことは御想像がなかつたですか。
  326. 多田武雄

    多田証人 そういう意味は全然ありません。何か悪いことをするために隠してやるという趣旨は全然ありません。
  327. 石田一松

    ○石田(一)委員 要するに今度の戰爭当初から終戰に至るまでの、世界に公表することをはばかる分の、いわゆる会議の記録であるとか、あるいはそれまでに発せられた命令の写しであるとか、そういうものを燒却しろと御命令なすつた、こういうことに了解してよろしいですか。
  328. 多田武雄

    多田証人 そういう趣旨でございます。
  329. 石田一松

    ○石田(一)委員 もう一つお伺いしたい。これは御存じないかもしれませんが、現在あなたの知つていらつしやる範囲で、元海軍の軍人で終戰後海軍のの元軍需工場であつた会社の重役であるとか、あるいは何とかという者に現在なつて、いらつしやる方を御存じありませんか。
  330. 多田武雄

    多田証人 戰前ですか。
  331. 石田一松

    ○石田(一)委員 いや、戰後です。
  332. 多田武雄

    多田証人 戰後はないと思いますが、知りません。それに就いている人があるということを知りません。おそらくないと思います。
  333. 徳田球一

    ○徳田委員 もう一遍お聽きしたいのですが、特殊物件のことは昭和二十年十月十九日に閣議決定しておりまして、まだあなだが海軍次官であられるときのものではないかと思いますが、どうですか。
  334. 多田武雄

    多田証人 いや、さつき申しましたのは、委員の構成は記憶がありません。参考人か、委員か知りませんが、関係者は出ておつたと思いますから申し上げたのであります。出てはおつたと思いますが、委員の構成についてははつきり記憶がありません。
  335. 徳田球一

    ○徳田委員 しかしあんたのすぐ下に働いておられる保科善四郎中將ですか、少将ですか、この方が軍務局長としてちやんと出ておるのです、この書類によりますと。あなたが覚えがないということはないだろうと思います。
  336. 多田武雄

    多田証人 その通りにお考えになつてよいかもしれませんが、私は実際に忘れております。
  337. 徳田球一

    ○徳田委員 まだそういうお歳でもないだろうと思いますが、まだ官吏には海軍省軍務局第三課長吉田英三という方が出ておりますがね。もう少しあつさりしたらどうですか。
  338. 多田武雄

    多田証人 何もそれを知つておるか、知らぬかで私が責任をどうとかいうことはないのですから……。まつた記憶がないことは申し上げないんで、書き物の通りに間違いないと思います。
  339. 徳田球一

    ○徳田委員 どうも海軍の方は保科善四郎氏も昨日出てこられたのですけれども、何も知らぬ何も知らぬというとうべんが多くて実際弱つているんです。そうすると、どうも非常に信頼の度を薄めますからね。
  340. 多田武雄

    多田証人 実際委員方が熱心にやつておられる立場から考えると、知らぬのはけしからぬとお考えになるがもしれませんが、実際に三年も経つて忘れてますよ。
  341. 徳田球一

    ○徳田委員 そうですかな。しかしあのときはずいぶんあなた方も苦労して天下をとるつもりでやつたんだから、なかなかあのときの記憶は去らぬだろうと思うんだけれども。まあ、あとで残念至極というところでいろいろ処置したことは、実に印象深いことだろうと思うのですけれども……。あなたは次官になられる前に、小磯内閣当時から米内大臣のもと軍務局長をずつとやつておられたのでありますか。
  342. 多田武雄

    多田証人 そうであります。
  343. 徳田球一

    ○徳田委員 そうすると、終戰前から終戰前後のことは全部御存じのはずだと思いますけれども。
  344. 多田武雄

    多田証人 私は責任をとれと言われれば責任はとりますが、事実忘れておるものがたくさんあります。
  345. 徳田球一

    ○徳田委員 困つたな。そういう方がみんな忘れたんじや、どうも調べようがない。書類は燒いているわ、あんたは忘れてるわ、それではみんな空白になつてしまいます。
  346. 多田武雄

    多田証人 書類を燒き過ぎたことは悪かつたと思います。実際燒き過ぎした。
  347. 徳田球一

    ○徳田委員 このときの状態についてみんなお忘れになつたとなると、これは聽きようも何もなくて困るのですでけれど、そう全部忘れたわけではないでしよう。
  348. 多田武雄

    多田証人 しかし書き物でお調べになればわかることが大部分じやないですか。
  349. 徳田球一

    ○徳田委員 いや、実は書き物ではわからない部分があるんですよ。終戰前後のことは書き物には載つてない特殊なあれがありますからね。そう申しますと、こういう閣議決定は実際からいくと違憲じやないですか。隠密裡にやれとか何とか、国有財産ですと何といつても国有財産の処理に対しては法律がありますから、その法律によらなければならないはずのものを、法律にも何もよらずして、勝手にやるという閣議決定をしているわけでありますから、こういう閣議決定をあなた方があとに知つてその実行方にあたつて何らの疑義を存せず、この仕事をやつておられるのですね。実はこのことにあるのですよ。この書類だけではわからぬというところは……。
  350. 多田武雄

    多田証人 海軍は隠密裡という言葉は決して使つておりませんから、私は当時の印象は残つておりません。
  351. 徳田球一

    ○徳田委員 しかし隠密裡でなくても、こういう國民國の所有ですから、國の所有を何も法律にもよらず、ただ一片の閣議決定拂下げるとか、引渡すという処置をすることはできないと思いますがね。
  352. 多田武雄

    多田証人 今から考えてもおかしいですね。隠密に、だれに隠密にするかわからぬ。隠密というのは意味をなさぬと思う。
  353. 徳田球一

    ○徳田委員 隠密というのは仲間同士でこつそりやるということでありませんか。
  354. 多田武雄

    多田証人 そういうことに隠密という字を使つたらとんでもないことです
  355. 徳田球一

    ○徳田委員 公式に國有財産の処置をするときに、公式の手続をとらずして違法にやれということではないか。
  356. 多田武雄

    多田証人 そんなことはないと思います。
  357. 徳田球一

    ○徳田委員 しかし書いてあります。見てごらんなさい。
  358. 多田武雄

    多田証人 それは私はわかりません。
  359. 徳田球一

    ○徳田委員 だから書類だけではわからぬ。要するにそのときの当事者にこれは一体どういうわけかと聽かないとわからないことがあるのでないか、だからここでの隠密裡というのはそういう意味でのことなんですよ。
  360. 多田武雄

    多田証人 私はそう思いません。そんなことはできるはずはない。
  361. 徳田球一

    ○徳田委員 しかしそうするとこのときの閣議の大臣というものはよほど惡党ですな。さもなければさつぱりわけのわからぬ人間ですね。できないことをやれというのですから、どうもそれをあなた方受取られて、これを実行せられたのだから、どうもこれがわからぬというあれはないと思う。印象は三年経つても、十年経つても、死ぬまでこのことを忘れられないと思うが、きわめて違法のことですから、きわめて特徴的なことで、普通の事務をとるというのと全然違つた性質のもので、これはよほど大事なことで忘れられないと思う。
  362. 多田武雄

    多田証人 私は海軍のことを当時の次官としてのお答えしかできませんが、その点をお調べになるなら、海軍大臣が出した命令をひとつ調べを願いたい。
  363. 徳田球一

    ○徳田委員 海軍大臣がどうも不幸なことに死んでおられます。米内さんが亡くなられておるので、その次のあなたが責任者ですから、あなた以外に今立証する人がないですよ。
  364. 多田武雄

    多田証人 いやその書類をお調べになると隠密という言葉があつたかなかつたか……。
  365. 徳田球一

    ○徳田委員 そこですか、それならいずれ東久邇総理大臣も出てこられますから、これは陸海軍を通じての責任者でありましようから、その方にひとつ十分お聽きしましよう。
  366. 武藤運十郎

    武藤委員長 ほかにございませんか。それでは済みました。御苦労さまでした。
  367. 武藤運十郎

    武藤委員長 椎名悦三郎さんでか。
  368. 椎名悦三郎

    椎名証人 はい。
  369. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは伺いますが、あなたは鈴木内閣及び東久邇内閣のときに、軍需次官あるいは商工次官をしておられましたね。
  370. 椎名悦三郎

    椎名証人 はい。
  371. 武藤運十郎

    武藤委員長 いつからいつまで軍需次官で、いつからいつまで商工次官でありますか。起立してお答えください。
  372. 椎名悦三郎

    椎名証人 鈴木内閣成立後に豊田貞次郎氏が軍需大臣になりましたときに商工次官になつたのですが、あれはいつでしたか、ちよつとはつきり覚えておりません。
  373. 武藤運十郎

    武藤委員長 昭和二十年四月ごろではございませんか。
  374. 椎名悦三郎

    椎名証人 そのころだつたでしようね。
  375. 武藤運十郎

    武藤委員長 豊田貞次郎氏は鈴木貫太郎内閣の軍需大臣ですか、商工大臣ですか。
  376. 椎名悦三郎

    椎名証人 軍需大臣です。
  377. 武藤運十郎

    武藤委員長 そのときは商工大臣はないのですか。
  378. 椎名悦三郎

    椎名証人 商工大臣はありません。
  379. 武藤運十郎

    武藤委員長 豊田氏が軍需大臣に就任せられたのが、昭和二十年の四月七日のようですね。
  380. 椎名悦三郎

    椎名証人 その後間もなくです。
  381. 武藤運十郎

    武藤委員長 その後間もなく、少し後れて四月の十日ですね、それでは。
  382. 椎名悦三郎

    椎名証人 はい。
  383. 武藤運十郎

    武藤委員長 それからずつと軍需次官をしておられて軍需省がなくなつて商工省になりましたのは……。
  384. 椎名悦三郎

    椎名証人 八月の二十七、八日ごろですね。
  385. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうすると、東久邇内閣ができてから変つたわけですか。東久邇内閣ができた当時は……。
  386. 椎名悦三郎

    椎名証人 できた後に、間もなく変りました。軍需省が消滅して商工省が新しくできたわけです。
  387. 武藤運十郎

    武藤委員長 なるほど。そうすると、その東久邇内閣の商工大臣は中島知久平氏ですね。
  388. 椎名悦三郎

    椎名証人 そうです。
  389. 武藤運十郎

    武藤委員長 その下であなたがやはり今度は商工次官という名前で次官をしておる。
  390. 椎名悦三郎

    椎名証人 ええ。
  391. 武藤運十郎

    武藤委員長 仕事はずつと軍需省から商工省へ、そつくり引継いだわけですか。
  392. 椎名悦三郎

    椎名証人 軍需省そのまま全部引継いだということにはならぬでしよう。ということは、初めに商工省が廃止されて軍需省になりますときに、陸海軍の仕事も軍需省にはいるし、企画院の権限の、ある部分軍需省に移管されましたから、從つてもとの商工省の性格に返つた、こういうことになります。
  393. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうすると、終戰当時における軍需物資生産状況保有状況、あるいは保有量等について、あなたの知つておらるる限りを述べてもらいたい。
  394. 椎名悦三郎

    椎名証人 生産状況はきわめて不振であつたよう記憶いたします。ということは、いろいろな敵襲によつて被害を受け、計画が片つぱしから齟齬したというわけで、すでにサイパン失陥後においては、非常に低調になり、終戰直前はきわめて低調であつた記憶しております。それから軍需物資と言われますが、いわゆる軍需物資の中には、廣義、狭義と二つにわけて考えることができると私は思つております。廣義のやつは民間工場所有のものであつても、國家総動員法の対象になつて、統制上この製品はどこへまわせ、この原材料はどの方面にまわせというような指導、統制をやつてつたものも、廣義においては軍需物資と言われております。しかし終戰と同時にそれは一應解除されております。それで所有者が自分のものとして処理することになつたのでありますが、いわゆる狭義の軍需物資ですね。これは陸海軍所有のものが大部分であつて軍需省においては陸海軍の臨時軍事費の一部を航空兵器総局に移管しておりまして、その移管された部分において軍需省航空兵器総局が民間から買い上げる、そして飛行機をつくるために準備材料と卑して保有しておつたというようなものが軍需省所管においては、いわゆる狭義の軍需物資は、そういう範囲においてもつてつたと思いますが、私はその点に関しては、軍需省の構成上これに直接触れない立場であつたので私はどういう程度、どういう数量のものがあつたかということは、まつたく知らぬのです。
  395. 武藤運十郎

    武藤委員長 概略は……。
  396. 椎名悦三郎

    椎名証人 概略もわかりません。これは航空兵器総局長官であつた遠藤三郎氏が見えておりますから、後刻あるいは同氏から詳しくお聽きになる方が正確と思いますが、私は直接管轄しておりませんので、不正確な数字を申し上げることは控えておきます。
  397. 武藤運十郎

    武藤委員長 軍需物資について終戰後に——八月十四日に閣議決定をもつて、軍その他の保有する軍需用保有物資資材緊急処分の件、そういうものがきまりましたのですけれども、御存じですね。
  398. 椎名悦三郎

    椎名証人 ごくおぼろげに記憶しております。
  399. 武藤運十郎

    武藤委員長 大体の内容は……。
  400. 椎名悦三郎

    椎名証人 それは軍所有の物資を戰爭目的に動員しておつたのが、終戰になつた以後においてはもはや軍が保有する必要がない。これを民間に有効に使わせることが、今後の國のためであるといつたよう考えもとに、そういう事柄が決定したのではないかと考えておりました。
  401. 武藤運十郎

    武藤委員長 その閣議決定に基いて、またさらに陸軍大臣または海軍大臣名をもつて達を出して、実際の処置方法を指示したようですけれども、あなたはそういうことには関係をせられなかつたのですか。
  402. 椎名悦三郎

    椎名証人 そのこともあまり覚えておりませんし、むちろん関係しておりません。
  403. 武藤運十郎

    武藤委員長 しておらないのですか、忘れたのですか。
  404. 椎名悦三郎

    椎名証人 いや関係しておりません。
  405. 武藤運十郎

    武藤委員長 それではその緊急処分の問題が、後に閣議を経て取消になつたことは、御存じありませんか。
  406. 椎名悦三郎

    椎名証人 それも記憶しております。それはその後占領軍意向等がわかつて、それを勝手に処分しちやいかんというような意向がわかつたので急にそれを取消したというような点を記憶しております。
  407. 武藤運十郎

    武藤委員長 連合軍意向が判明いたしましたのは、河邊中将一行の軍使節マニラからこちらへ帰つてきて、初めてわかつたわけですか。
  408. 椎名悦三郎

    椎名証人 そういうふうに記憶しております。
  409. 武藤運十郎

    武藤委員長 その前にこういう緊急処分の方法はよろしくないから、これは取消さなければならないということが、政府の内部で話が出ておつたわけではないのですか。
  410. 椎名悦三郎

    椎名証人 それは聞いておりません。
  411. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは取消にしたのは、やはり先方の意向がはつきりして、それによつて取消の命令を出したというように伺つてよろしいわけですね。
  412. 椎名悦三郎

    椎名証人 そう私は記憶しております。
  413. 武藤運十郎

    武藤委員長 九月の二十四日になりまして、連合軍から最高司令官の覚書というものが公布されたようでありますけれども、御存じでありますか。
  414. 椎名悦三郎

    椎名証人 それはその当時私は存じませんでした。
  415. 武藤運十郎

    武藤委員長 いつ御存じになりましたか。
  416. 椎名悦三郎

    椎名証人 事後において聞いて知つたわけです。最高司令官の覚書というような、そういう詳しい話は私は覚えておりませんが、とにかくG・H・Qの方から指示があつたというような、まあごく常識的な表現で聞いたような氣がします。
  417. 武藤運十郎

    武藤委員長 それに対して日本政府がいかなる処置をとることにしたか、そういうことについてはあなたは御存じありませんか。
  418. 椎名悦三郎

    椎名証人 それも事後において私は知つたのですが、内閣の方に電話か何かで、これはひとつ日本の方に返すから、この措置を一体どうするか、緊急にお前の方で決定して、すぐ返事しろというようなことで、各省に相談する間もなく、ほとんど内閣の方で便宜やつた。きわめて便宜の手続で軍司令部の方に通知したというように聞いております。
  419. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなたは当時次官をしておられたのだから、もう少しよく知つておるわけではないですか。
  420. 椎名悦三郎

    椎名証人 どうもあの当時の情勢で軍所有の物資ということでもあつたし、あまり終戰後軍需省の方に相談しなければきまらないという問題でもなかつたようですから、自然軍需次官の耳にはいらずにそういう措置が行われたように私は思うのです。
  421. 武藤運十郎

    武藤委員長 商工省関係の所管物資というのは、何と何ですか。
  422. 椎名悦三郎

    椎名証人 それは鉱工業全般にわたりますが、所管物資ですか。つまり行政の対象になるものですね。
  423. 武藤運十郎

    武藤委員長 当時なつてつたものです。
  424. 椎名悦三郎

    椎名証人 ただいまとほとんど違いありません。鉱工業全般の物資が商工省の行政の対象になるわけです。
  425. 武藤運十郎

    武藤委員長 その物資緊急放出またはその禁止等につきましては、あなたは直接の所管官職として、もう少し詳しく知つておられるわけではありませんか。
  426. 椎名悦三郎

    椎名証人 その軍放出物資取扱いの問題については、その程度しか知りません。
  427. 武藤運十郎

    武藤委員長 内閣特殊物件処理委員会というようなものをつくつたことを御存じありませんか。
  428. 椎名悦三郎

    椎名証人 それは私がやめてからです。
  429. 武藤運十郎

    武藤委員長 おやめになつたのは、昭和二十年の十月十二日でありますか。
  430. 椎名悦三郎

    椎名証人 そうであります。辞令を頂戴した目的はそうであります。
  431. 武藤運十郎

    武藤委員長 実際やめたのは……。
  432. 椎名悦三郎

    椎名証人 実際やめたのはそれよりも四、五日前、実際やめたといいますか、ちようど東久邇宮内閣が瓦解しまして、当時の商工大臣が中島知久平氏であります。次の内閣には遺憾ながら次官としてはやめたいからということで、形式上は小笠原大臣のところで辞表を受理されたわけでありますが、実際に職を去つたのは四、五日前で、特殊物件処理委員会のごくまだ案にもならない程度のことはあつたように思われますけれども、それもはつきり記憶しておりません。
  433. 武藤運十郎

    武藤委員長 連合軍からそれでは返還を受けた廃兵器などについてどういろ処置をするかというようなことについては、あなたの在任中は問題にならなかつたのですか。
  434. 椎名悦三郎

    椎名証人 問題にならなかつたのです。
  435. 武藤運十郎

    武藤委員長 特殊物件処理要綱というものが閣議できまつております。それが確定したのはあとの内閣のようですけれども、大体草案はあなたがおられるころにきまつたのではないですか。御存じありませんか。
  436. 椎名悦三郎

    椎名証人 どうも記憶にございません。
  437. 徳田球一

    ○徳田委員 最初軍需省の所管でありますが、航空兵器総局というのは軍需省管下にあるのじやないですか。
  438. 椎名悦三郎

    椎名証人 軍需省の内部機構であります。
  439. 徳田球一

    ○徳田委員 そうすると、あなたがここの総局長官をやはり指揮しておられるのではないですか。
  440. 椎名悦三郎

    椎名証人 そういうわけにいかなかつたのです。
  441. 徳田球一

    ○徳田委員 それではあなた、機構上怠慢じやないですか。
  442. 椎名悦三郎

    椎名証人 怠慢じやないのです。そういう建前です。
  443. 徳田球一

    ○徳田委員 それなら軍需省次官が局長の方の管理をしなければ何のためにあるか。
  444. 椎名悦三郎

    椎名証人 それは軍需省をつくるときは、陸軍海軍で同じ軍需品をせり合う。それから飛行機をつくるのでも、ほかのものをつくるのでも、同じものをつくるのにいろいろ方式が違う。從つて民間のこれにあたる企業家は非常に迷惑するといつたようなこともありますし、とにかく総合して軍需生産をやることが最も能率的であるというようなことから、軍需省設置案というものが数年前から盛んに論議されたのです。論議されましたけれども、でき上つたものは、われわれが期待したような渾然一体をなすような軍需省でなかつたことはかねがね非常に遺憾に思つておりました。それで航空兵器総局は御承知通り、現役軍人がほとんど大多数を占めておりました。現役軍人に対する指揮命令権、監督権、人事権はもてない。ただちようどよろいの上に衣を着たようなかつこうで、衣をいくら押えてみたつて、よろいはその通りぴんぴんしている。一應は軍需省の職員ということになつておりますけれども、轉任であるとか、あるいは信賞必罰といつたことは、陸軍陸軍の人事局が、海軍海軍の人事局がこれを掌握しているというようなかつこうで、この点いろいろ複雑なのです。
  445. 徳田球一

    ○徳田委員 それはまあそうであつたろう。それは事情がそうであつて、そのために敗けたのでしようけれども、とにかく軍需生産そのものに関しては、航空兵器総局もすべて軍需省の一環として、指揮はしなくもその中にどういうことが行われて、どれだけの物資使つてどうしたということはみな御承知じやないですか。
  446. 椎名悦三郎

    椎名証人 どうもはなはだ不肖でその点は存じておりません。
  447. 徳田球一

    ○徳田委員 知らないですか。
  448. 椎名悦三郎

    椎名証人 それは別に弁解するわけではありませんが、知ろうと思つても知ることができなかつた部面があるのです。
  449. 徳田球一

    ○徳田委員 そうすると、形式上は軍需省の中で仕事をしているけれども、実質上は陸海軍省がおのおの角つき合いしてやつてつたということになりますか。
  450. 椎名悦三郎

    椎名証人 それは私は全部は肯定しませんけれども、航空兵器総局以外の局においては、これは先に申し上げたように、國家総動員法によつて、あるいは鉱山、その他の工場を軍需工場といつたような指定をして、そうしてお前のところへいつもそれだけの切符をやつた。それによつて生産したものはこつちへやれ、あつちへやれ、あるいは労務管理はこうしろといつたような監督権と申しますか、指揮権と申しますか、いわゆる統制は相当に徹底的にやつたわけです。
  451. 徳田球一

    ○徳田委員 そうすると、それは生産の全面にわたつてつてつたわけですね。
  452. 椎名悦三郎

    椎名証人 それによつてできた生産品は陸海軍の方に、あるいは航空兵器総局の方に、兵器生産の方にまわつておりました。ただ行政の対象ではなくて、それを今度わがものとして、戰爭行為遂行のために必要なる兵器その他の万端の物資の所有関係は軍需大臣、次官の権限になかつたのです。
  453. 徳田球一

    ○徳田委員 そうすると、資材だけしかあれしないというわけですか。
  454. 椎名悦三郎

    椎名証人 まあ追いまわしです。命令し追いまわしするだけです。
  455. 徳田球一

    ○徳田委員 しかし資材関係はわかつているでしよう。
  456. 椎名悦三郎

    椎名証人 数量的には大体わかります。
  457. 徳田球一

    ○徳田委員 兵器になる前、飛行機だとか、軍艦とか何とかになる前は、あなたの方でみな処置しなければならぬ。
  458. 椎名悦三郎

    椎名証人 そうです。いわゆる物動計画を私のところでとりとめて、それはわかります。
  459. 徳田球一

    ○徳田委員 そうすると兵器になつた部分云々は別としまして、それになるまでの全生産にわたつて軍需省が、行政酌にはあなたが全部これを統轄しておつたわけですね。
  460. 椎名悦三郎

    椎名証人 各省がみな生産あるいは軍需品——農林省は軍需物資の一部をつくつてつた、商工省もそれをつくりつつ行政の対象にしておつた。いろいろの方面でつくつた物を集めまして、物及び人、それに対する一つの國家計画というものがあつた。それをとりまとめては、当時軍需省の総動員局においてこれを統轄しておりました。
  461. 徳田球一

    ○徳田委員 全体のアウト・ラインは全部わかつておるのですね。
  462. 椎名悦三郎

    椎名証人 物動計画に載せられる範囲のものについてその当時はわかつてつた……。
  463. 徳田球一

    ○徳田委員 そうすると終戰当時すでに蓄積されておつた軍需品並びに軍需品になるべき資材数量は大体わかつておるのではないですか。
  464. 椎名悦三郎

    椎名証人 それはどうもわかりませんね。
  465. 徳田球一

    ○徳田委員 それがわからなければ、指揮も何もできやせんではないですか。何のために指揮するのですか。
  466. 椎名悦三郎

    椎名証人 軍需品として陸海軍の所有になつたものは、それはわかりませんよ。
  467. 徳田球一

    ○徳田委員 陸海軍の所有になつても、あとはあなた方これをどんどん戰爭ができるように蓄積して進行さしていかなければならぬのだから、いくらあるかわからないようでは、こつちの指揮はできないじやないですか。
  468. 椎名悦三郎

    椎名証人 それがわからなかつたのです。
  469. 徳田球一

    ○徳田委員 そんなめくらめつぽうなことはない。
  470. 椎名悦三郎

    椎名証人 いや、めくらめつぽうではないのです。実際わからないのです。私の記憶によりますと、陸海軍がお互いに、海軍陸軍の油の保有量陸軍海軍の油の保有量というものを終戰のごく直前まで知らなかつた。そういうようなもので、陸軍の保有資材、たとえば鉄は何トン、鉛は何トン、銅は何トン、それから兵器の半製品、あるいは備品、そういうものはわかりません。
  471. 徳田球一

    ○徳田委員 するとどうして総動員法を扱いますか。
  472. 椎名悦三郎

    椎名証人 いやそのはいるまでの生産を駆り立てて、そして毎四半期にどれぐらい生産ができるか、從つて軍にどれくらい、民生にどれくらいといつたような、一年の生産計画と、その生産の配分計画、これを称じていわゆる物動計画と言うのです。だから、そのでき上つた物を蓄積した量、あるいはそれを消耗した量というものは、これはわからぬのです。
  473. 徳田球一

    ○徳田委員 しかしそんなことをすると、こうなりはしませんか。たとえば、一方では米がうんとなくなつている、それだのに、そつちの方には米をやらずに、米のたくさんある方にどんどん米をやるということになりはしませんか。向うの保有量がわかつて、消費量も大体わかつて、それに対処してあなたの方は生産のそれぞれの量を決定して、そして動員をかけて、これに合うようにしていかなければならぬ。そうしないと戰爭はできるはずがないんだから、そういう言い方は少しむちやじやないですか。
  474. 椎名悦三郎

    椎名証人 私はこれからどうだと言うのではない。
  475. 徳田球一

    ○徳田委員 これからどうだと言うのではないけれども、そのときの実際でも、そういうばかげたことはないじやないですか。何も知らずに、ただ動員して、ただ物をつくつて、これを民需にいくら、これを軍需にいくらというだけならば、小学校の子供でもやる。何もあなた高給をもらつて軍需次官として大きくがんばつている必要はちよつともありはせぬ。
  476. 椎名悦三郎

    椎名証人 いや、事実を申し上げているのです。
  477. 徳田球一

    ○徳田委員 同じ事実でも、そういう子供らしいことが、少くとも大戰爭をしている國の高級の機関の中に、そういうことが起つたということはだれだつて信じますか。それではわれわれは、あなた方が、ここへ來て証言して、一定の瞬間いい加減なことを言つて、めんどくさいことを言われれば知らぬ知らぬでいれば逃れられるから、それだけやればいいというふうに聞えます。
  478. 椎名悦三郎

    椎名証人 そんなことはありません。
  479. 徳田球一

    ○徳田委員 不合理だからさ。不合理でなければだれも何とも思いませんよ。あなた方が不合理なことばかり言うからそう思えると言うのです。思わざるを得ないじやないですか。戰爭は負けたから、もつとよけいにそのときの実情を話して、そして日本再建のために盡すべき途を今から見出さねばならない。それを君らは、知らぬ知らぬ、あれはどうのこうのと言つていたのでは、どうして國を再建することができるか。何を聽いても知らぬ存ぜぬ、いやそんなことはなかつた、ああのこうのと言つてごねていたのでは、再建はできはせぬ。だからもつと私はあなたに誠実に言つてもらいたい。それくらいの数量はどこを調べればどうわかるというくらいのことはわからぬはずはないじやないのですか。ただ知らぬ存ぜぬでは事は済まぬと思う。どうですか、それで済みますか。どうだつたのですか。何も知らなかつたのですか。
  480. 椎名悦三郎

    椎名証人 やらぬことはないのですが……。
  481. 徳田球一

    ○徳田委員 じや何をやつたかひとつ言うてください。少なくともあなたは軍需次官として、商工次官として勤めた以上、この國会が現在は主権をにぎつているのだから、主権の機関にそういうことを放言することは許されないと思う。だから一体何をやつたのか、言うてください。やつたことについて調べなければこつちは仕事はできぬのです。日本再建のために最も重要なことを今調べているのです。だから何をやつたか言うてください。
  482. 椎名悦三郎

    椎名証人 やつたことを言えと言われましても、ちよつと秩序立てて申し上げなくてはどうものみこみがどうかと思うのですが。
  483. 徳田球一

    ○徳田委員 だから秩序立てて言いなさいよ。私は何も秩序立てないで漫談せよとは言いはせぬ。
  484. 椎名悦三郎

    椎名証人 それじや私は私の頭を少し整頓して申し上げましよう。とにかく、あなたの聽かんと欲せられる軍需保有量の問題については、遺憾ながら権限上知ることができなかつた。それがよかつたか悪かつたかは、批判の問題は残ります。私自身ももちろん意見はある。意見があればこそ、その当時純正なる意味においで軍需省の創設を提唱した一人であります。しかしながら事実はそうならなかつた。それで、総力戰をやる体制としてはなはだ遺憾であるというような氣持は私はもつてつた。しかしながらそれを知る権限も何もなかつたということを未だに残念に思つております。
  485. 徳田球一

    ○徳田委員 しかし、陸海軍省に聽けば、とにかく自分らがもつていた軍部の保有量はわかるけれども、その背後に軍需省がちやんとあつて軍需省から一々支給せられるので、背後のもつとたくさんな軍需品に対する総括的なことはわれわれはわからぬ、これは軍需省に聽けばわかるのだ、と言うておる。だから、あなた方としては、製品になつて海軍に渡したものはわからないとしても、少くとも渡すべきものはわかつておるべきはずである。
  486. 椎名悦三郎

    椎名証人 それは、戰爭が始まつて以来の年々の物動計画、これは立つてつたのです。それで、生産計画、生産に必要なる資材をどういうふうにこれを配分するか、できたものを、陸海軍需にいくら、あるいは民需にいくら、あるいは文化その他の方面にいくらといつたような計画はあつたのです。今度はそれを実行してみて、そうして計画の八割とか七割五分であるとか、それはあります。
  487. 徳田球一

    ○徳田委員 それはどこを調べればありますか。
  488. 椎名悦三郎

    椎名証人 それは別に燒いたわけじやない。どこかにあるだろうと思います。
  489. 徳田球一

    ○徳田委員 どこかじやわからぬ。
  490. 椎名悦三郎

    椎名証人 それは私に聽いたつてわからぬのです。とにかく終戰のときに相当書類を廃棄しておるし、その後も私らやめてから三年になりますから、なかなか、その当時の人間が今どこにいるか始終連絡をとつておるわけでもありませんから。ただその当時の書類だけは探せばどこかにあると思います。
  491. 徳田球一

    ○徳田委員 それならちよつとお聽きしますが、軍需省から商工省にかわりましたときに、軍需省の行政事務の所管は一体どこになつたのですか。
  492. 椎名悦三郎

    椎名証人 軍需省の廃止とともに、もとの商工省が軍需省にすつぽり吸收されたのですから、吸收されたものだけは商工省としてさらに復活したわけです。それから企画院の事務の一部をもつてつた。これは、戰爭遂行のための國家総動員法の関係の総括事務なんですが、これは敗戰と同時に要らないものになつた。どこへももつて行き場のないもので、要らないものです。あとは、航空兵器総局の若干の残務整理は残りました。
  493. 徳田球一

    ○徳田委員 それはどこにありましたか。
  494. 椎名悦三郎

    椎名証人 それは、商工省なるときに、整理部というものをつくつて、航空兵器総局のもとの将校がやつてつたりです。それを嘱託にしまして、そして実際の整理事務を協力してもらいました。
  495. 徳田球一

    ○徳田委員 それは商工省ですか。
  496. 椎名悦三郎

    椎名証人 商工省です。今ではその整理部というものの機構がなくなりまして、ごく少し総務局の一部くらいに仕事が残つておりますかな。あらかた片がついたと思います。
  497. 徳田球一

    ○徳田委員 東久邇内閣時代に内閣調査局というのができましたが、この調査局というのは、もとの企画院のものを大体ここに吸收しているのではないですか。
  498. 椎名悦三郎

    椎名証人 いやそうじやありますまい。
  499. 徳田球一

    ○徳田委員 書類や何かはどうしましたか。調査局の方に行つたのではないのですか。
  500. 椎名悦三郎

    椎名証人 いや企画院というものは戰爭を……。
  501. 徳田球一

    ○徳田委員 それはそうでしよう。しかしあなたも御承知でしよう。戰爭の始まる前に、企画院ではなかつたが、調査局というようなものが内閣にあつたのです。これは戰爭の準備のためでもあつたろうけれども、やはり國全体に対する生産消費その他の計画を立てるためにあつたのでしよう。この調査局が、戰後の復興のために、今度は東久邇内閣のときに大体復興したのではないですか。長崎惣之助君がなつているのですから、大体そういう見当でなければ長崎君は役に立たぬ男だ。大体そういう見当でやつているはずだ。だから企画院の書類その他の計画の跡始末は、大体調査局がやつていなければ無意味だと思いますが、いかがです。
  502. 椎名悦三郎

    椎名証人 その点は私はつきりいたしません。
  503. 徳田球一

    ○徳田委員 もつとあつさり、大体それくらいの見当というように……。
  504. 椎名悦三郎

    椎名証人 私が引受けてもそうじやないかもしれませんから、長崎君にお聽きになつたらわかると思います。
  505. 徳田球一

    ○徳田委員 それは長崎君に聽くけれども、しかしあなたに聽いておいて長崎君に聽くのと、あなたは全然知らぬというので長崎君に聽くのとは、大分味が違うのです。
  506. 椎名悦三郎

    椎名証人 どうもそこは確かに申し上げられません。
  507. 徳田球一

    ○徳田委員 それではこのことを聽いてみたいのです。八月十四日にさつき委員長から言われました「軍需用保有物資資材緊急処分の件」というのがありますが、この処置の方法の一つの例示として「軍管理工場の管理を直ちに解除する、此の場合製品、半製品及原材料の保管は差当り生産者に一任す」というのがありますが、この軍管理工場というのは軍需省がやつてつたのじやないですか。
  508. 椎名悦三郎

    椎名証人 軍需省が所管しておりまして、地方に軍管理局がありまして、地方の軍管理局が実際の当面の監督指導に当つております。
  509. 徳田球一

    ○徳田委員 そうすると、軍管理工場というのは、あなたの指揮のもとにあつたわけですね。
  510. 椎名悦三郎

    椎名証人 私の指揮というのは少し……。
  511. 徳田球一

    ○徳田委員 軍需省の指揮のもとにあつたわけですね。
  512. 椎名悦三郎

    椎名証人 そうです。
  513. 徳田球一

    ○徳田委員 その管理を解除するとなつておりますが、この解除したときに、この管理に属する一切の生産品、製品になつているもの、半製品及び政府から渡している原材料等は、このときに調査してありますか。
  514. 椎名悦三郎

    椎名証人 その政府から渡すといういわゆる官給品ですね。その文章の文言はそういうものを言つているわけじやないだろうと思います。軍需工場として指定して、若干特権もある、特権もあるが、かような義務を遂行しろというふうに義務を課しておりますから、この義務を解除したということであつて、政府所有の、たとえば原材料を若干渡してあつた、そういうものをただくれてやるという意味ではないと思います。
  515. 徳田球一

    ○徳田委員 製品についてはどうですか。製品か半製品とか原材料とかいうのは、軍需省はちやんとわかつているのではないでしようか。
  516. 椎名悦三郎

    椎名証人 それは非常に厖大なものでありまして、その当時どれくらいのものになつているのか、おそらく調べがないと思います。
  517. 徳田球一

    ○徳田委員 しかしそういうものを調べておらなければ、総動員法で統制して軍需物資をつくるということはできないじやないですか。毎月々々どれだけ原材料を渡されてどれだけ製品ができて、どれだけ半製品で、次はいくら要るということがちやんと出てこなければ、調整事務はできないと思います。
  518. 椎名悦三郎

    椎名証人 その当時はわかりまして、もう集計する必要はないから解除するというそのとたんに、わからなくなつたと思います。
  519. 徳田球一

    ○徳田委員 みな捨ててしまつたのですか。
  520. 椎名悦三郎

    椎名証人 捨てたわけではない。軍需工場のもともと所有ですから。
  521. 徳田球一

    ○徳田委員 しかしあなたはそうおつしやいますけれども、もともと所有でもあなたの統制しているものだから、根本をやつて、ちやんとリンクしてやつたはずだからそれがわからぬというのでは済まないと思いますね。それなら軍需省は何をやつてつたか、わけがわからぬ。
  522. 椎名悦三郎

    椎名証人 職事目的に動員しておつたので、戰爭の目的がなくなつたから、いつまでも義務づけておく必要がないから、それで解除する。
  523. 徳田球一

    ○徳田委員 それはわかるのです。その戰爭の終末まではわかるけれども、済んだとたんにどれだけあつたかということがわかるような仕組になつていなければ、大よそでも仕事はできないと思う。そういうものはわからぬですか。
  524. 椎名悦三郎

    椎名証人 今からではもうわかるまいと思います。
  525. 徳田球一

    ○徳田委員 その当時わかつているかどうかというのです。
  526. 椎名悦三郎

    椎名証人 その当時は、たとえば飛行機関係なら飛行機関係、あるいは海軍なら艦本であるとか、あるいは陸軍の経本であるとか、その他部隊々かちみなひもがついておりましたから、そこらあたりは非常にきびしいものでありまして、ちよつとでも延滯すると催促が來るというように、ものが非常に窮屈で、督促がきびしかつたように思われます。
  527. 徳田球一

    ○徳田委員 そうすると軍需省は何しておつたか。管理工場の内容も何もわからぬでは、軍需省は何をしておつたか。
  528. 椎名悦三郎

    椎名証人 それは資材ですね。鉱山の関係とか、あるいは製錬会社の関係であるとか、化学製品の根本の資材部門、そういつたようなものについては、その当時所管々々で、大体において月別の生産なんか押えておつたから、それはわかつています。
  529. 徳田球一

    ○徳田委員 その書類は商工省にあるわけですか。
  530. 椎名悦三郎

    椎名証人 その当時のものが今残つているかどうか、これはちよつとここで明言はできません。
  531. 徳田球一

    ○徳田委員 それではもつと聽きますが、この工場の管理を解除して、保管は生産者に一任すると言つておりますが、保管だけでなしに、民需品にこれを轉換するということになつていますね。
  532. 椎名悦三郎

    椎名証人 それは軍需会社ですか。
  533. 徳田球一

    ○徳田委員 軍管理工場です。だから軍需会社に違いないでしよう。
  534. 椎名悦三郎

    椎名証人 軍需会社の中にも、特別の軍管理工場という、陸軍管理工場、海軍管理工場というものがあつて、それは特別に軍との間に監督、被監督の関係に立つた工場のことを言つておるわけですね。
  535. 徳田球一

    ○徳田委員 そうすると、軍管理工場というのは、軍需省とは全然別ですか。
  536. 椎名悦三郎

    椎名証人 軍需省関係においては、軍需会社法というものができておつて、軍需会社に指定されたものです。ところが軍管理というのは、特に特別のひもがくつついているのです。
  537. 徳田球一

    ○徳田委員 その方はあなたの方で全然わからぬのですか。
  538. 椎名悦三郎

    椎名証人 そうです。軍管理工場に対する軍の命令というものは、こつちは関係しないのですから。
  539. 徳田球一

    ○徳田委員 そうすると、それに対して、あなたの方から材料や何かやつているのも、全然わからぬのですか。
  540. 椎名悦三郎

    椎名証人 軍の特別に育成している工場の特別の事項については、それはわかりません。
  541. 徳田球一

    ○徳田委員 そうすると、そのほかの指定軍需工場というものは、あなたの方の所管でありますか。
  542. 椎名悦三郎

    椎名証人 軍需会社法による軍需会社の事業場、工場ですね。それについては私の方は全般的に監督しております。
  543. 徳田球一

    ○徳田委員 そうすると、これは終戰のときにはどうなさいましたか。
  544. 椎名悦三郎

    椎名証人 軍需物資供給のために特別の監督行政をやつてつたのですから、終戰と同時にその必要がなくなつたから、当然解除したわけです。
  545. 徳田球一

    ○徳田委員 それに対して命令か何か出しておりますか。
  546. 椎名悦三郎

    椎名証人 それはちよつとはつきり記憶しておりませんけれども、当然のことですから、何か出ておつたと思います。
  547. 徳田球一

    ○徳田委員 しかし、そんなことを言いますけれども、戰時金融金庫というのがありますね。この戰時金融金庫は、この指定されておる工場でない限り、金融をしないはずです。ですからほんとうからいえば、各軍需工場、軍管理工場といえども、なるほど所有者は所有者に違いないけれども、それはみな戰時金融金庫の債権と見合つているもので、実際上はみな監督しておるものです。だから注文しておるいろいろの製品、半製品、これはみんな金融金庫の債権と見合つておるものだ。
  548. 椎名悦三郎

    椎名証人 金融金庫の融通したものは、その後ごく特殊の部門でしよう。ほとんど軍需会社に指定を受けましたから……。
  549. 徳田球一

    ○徳田委員 けれどもああいう厖大な金融をやつていたでしよう。
  550. 椎名悦三郎

    椎名証人 個々の工場に万辺なくやるというよりも、金融金庫というのは相当大口が多かつたのじやないかと思います。
  551. 徳田球一

    ○徳田委員 それはあなたよほど実情を知らないね。あなたは次官をしていても何にも知らぬ。われわれが知つている範囲でも、たいがいは金をいい加減にもらつて、それをめちやめちやに使つて、いい加減なことをしたのを相当みんな知つておりますよ。それで戰時中に大やみをやつて、みんないい加減なことをしたはずである。今大やみをやつておる連中は、たいがいこれらから轉化した者だ。みんな調べてわかつておるんですよ。あなたはその当時の当事者なのだから、そういう諸関係についてはもつともつと詳しいことを知つておられるはずだ。それを聽きたいのです。だからその終戰当時状態、軍管理工場にしろ、軍需指定工場にしろ、その状態を聽きたい。この製品、半製品、原料品の後始末について聽きたい。それはあなた方が始末したに違いないのだ。
  552. 椎名悦三郎

    椎名証人 私の考えでは、あの当時——結果においては非常に逆になつたようですが、今まで軍の御用命を承つて、あれやれこれやれで、欲しいものがあつたら主原料でも原料でもどんどん軍の方からやつた。ところが終戰によつてもう注文もなくなつた。そこで一体製品、半製品はどうなるのかというようなことで、工場々々については、あの当時はむしろ非常に同情的な意見が多かつたように思われますね。ところがその後相当の月日がたつに從つて、問題が逆になつてまいりましたけれども、軍管理工場にしろ、軍需会社の工場、事業場にしろ、終戰当時においては、これは氣の毒だというような意見の方が私らの仲間では多かつたのです。
  553. 徳田球一

    ○徳田委員 だからその同情的な態度が、終戰後これらの工場をどう処置したかということを聽きたいのです。あなたもたいがい知つておられるだろうから、私はあなたの口から聽きたかつたのだけれども、こういうことなのです。軍需品の製品及び半製品になつておるものを政府が引取らぬという法はないというので、これを向うに任しておきながら、実際は引取らなくも、引取つた勘定にして金を渡しておるのじやないですか。
  554. 椎名悦三郎

    椎名証人 そういう問題については、私は全然知らないのです。
  555. 徳田球一

    ○徳田委員 知らぬといつたつて、軍の連中に聽けば、私は知らぬ、これは軍需省が知つておるといつている。
  556. 椎名悦三郎

    椎名証人 いろいろうわさも聽きましたけれども、少くとも私は知る機会がなかつた
  557. 徳田球一

    ○徳田委員 そうするとあなたはどうするのですか、おつ放すのですか、何も処置しなかつたのですか。
  558. 椎名悦三郎

    椎名証人 三年もたちますから大部記憶も薄らいでおりますけれども、その当時東久邇内閣成立後に、軍需省を十日か二週間くらいの間に元の商工省に返すというようなわけで、そういう大世帯を轉換するのに相当忙しい思いをしておりまして、末端のそういう工場のものを一体どうするこうするといつたような問題については、実は私日常タツチするいとまがなかつたのです。
  559. 徳田球一

    ○徳田委員 しかしいとまがないと言つたつて、その方が大事なんであつて、商工省の事務をどうするというようなことは小使だつてできる。そういう大事な、基本的な政策こそあなたの頭に浮び、処置すべきことであつて、商工省にいすをいくつ並べてどうするというようなことは、あなたのするべきことじやないですか。
  560. 椎名悦三郎

    椎名証人 そんなことはないです。ただ軍管理工場あるいは軍需会社法による、つまり軍需物資生産しておつた企業に対する善後措置というものは、ただ目先の問題で、処理すべき問題としてはあまりに大きかつた問題だと私は思つてるんです。
  561. 徳田球一

    ○徳田委員 それはそうです。だからどうしたかと言うのです。
  562. 椎名悦三郎

    椎名証人 だからどうしたとおつしやつても、十月の初旬で私は辞めてしまつたものですから、これの後始末についてはまだ結論は出なかつたのです。
  563. 徳田球一

    ○徳田委員 それで何もしなかつたのですね。
  564. 椎名悦三郎

    椎名証人 何もしないことはないです。
  565. 徳田球一

    ○徳田委員 それじやどうしたのです。したことだけを言えばいいんです。しないことまで聽こうというのじやない。
  566. 椎名悦三郎

    椎名証人 少くとも軍需省に関する限りは、航空兵器総局がもつともその問題に当面しておつた……。
  567. 徳田球一

    ○徳田委員 その方はいいです。あなたの所管しておつたものはどうしたかと言うのです。航空兵器総局とかよけいなことはいいです。
  568. 椎名悦三郎

    椎名証人 それは軍需省解消の後においては、どうしても商工省に措置機関をつくつてこれを始末しなければならぬということで、整理簿をつくりまして研究しておつたのです。
  569. 徳田球一

    ○徳田委員 それじや何もしなかつたのですね。
  570. 椎名悦三郎

    椎名証人 何もしないことはありません。スタートは切つたが結論を得なかつたというわけです。
  571. 徳田球一

    ○徳田委員 ほんとうの実行はしなかつたのですね。
  572. 椎名悦三郎

    椎名証人 在任中にはそれだけのことをするいとまがありませんでした。
  573. 徳田球一

    ○徳田委員 何もしないのですね、アクシヨンとしては。
  574. 椎名悦三郎

    椎名証人 しないというと……。
  575. 徳田球一

    ○徳田委員 研究したり準備しておつたけれども、実際上の処置はしなかつたのですね。
  576. 椎名悦三郎

    椎名証人 やり始めたところで…。
  577. 徳田球一

    ○徳田委員 やり始めたというと、どんなことをやつたんですか。
  578. 椎名悦三郎

    椎名証人 それは抽象的にやり始めたということは申し上げられますけれども、どんなことをやつたということは、私実際に処理したわけではありませんから……。
  579. 徳田球一

    ○徳田委員 だけれども大綱はきめてるでしよう。どういうふうにやれということはあなたが命令するんだから。
  580. 椎名悦三郎

    椎名証人 私の記憶によりますと、四課くらいつくりまして、総括が一課、それから軍需品に関する契約関係の後始末をしなければならぬ、その所管の課がたしか一課あつたと思います。それから第一軍需工廠、第二軍需工廠がありました、その軍需工廠の整理を專門にする一課があつたと思います。
  581. 徳田球一

    ○徳田委員 それだけですが。これが何したんですか。これは役所のことなんですが、それからどういう仕事をやつたかと言うのです。
  582. 椎名悦三郎

    椎名証人 それらの課がですか。それから三年たちますので、その処理状況については、これは商工省によつて調べるほかはありません。
  583. 徳田球一

    ○徳田委員 いや、あなたのおられた当時どういうことをせられたか。
  584. 椎名悦三郎

    椎名証人 そういう機構のもとに整理問題のスタートを切つただけで、その実績は私の在任中つかむことはできなかつたのです。
  585. 徳田球一

    ○徳田委員 だからこういうことを私は聽きたいのです。三菱重工業なら三菱重工業に整理の一定の方向のもとにたとえば金をいくらやつて、製品は受取つてどうした。こういう具体的のことをやられたかどうか。
  586. 椎名悦三郎

    椎名証人 それは結局事後に整理部においてやつたのです。やりましたけれども私はここで申し上げるほど記憶しておりません。
  587. 徳田球一

    ○徳田委員 そうすると実際はやつたのですね。その大綱はどうです。どういう方針処理するかというその大綱だけ、あなたは忘れられるはずはない、大事なことですよ。
  588. 椎名悦三郎

    椎名証人 私のときはその大綱はきまらなかつたと思います。それはお調べになつたらわかります。
  589. 徳田球一

    ○徳田委員 調べればわかりましようが、あなたは言う責任がある。國会は主権者である。主権者に対して問われるときに、そういうことは調べればわかるのだと言うだけでは済まない。あなたは何と宣誓したか。
  590. 椎名悦三郎

    椎名証人 それは存じません。
  591. 徳田球一

    ○徳田委員 全然知らないのですね。終戰のときの八月、日本銀行の発行高は約四百五六十億膨脹している。  この膨脹している原因軍需品の跡始末にある。われわれも監嶽から十月十日に出て來ましたが、その当時の労働者諸君の状態から見ましても、軍需工場がどんどん金を放出して、いくらかのものをやつて失業しても少しは食える状態にあつた。労働者諸君に食糧品、衣料、いろいろのものをやつている。これはいい加減なものをやつてあとは自分が隠匿した事実があるのですよ。だからこういうことに対して軍需省がいかなる処置をしたか。五百億になんなんとする金が膨脹するに対しては、軍需省処置いかん、大蔵省の処置いかんでこれはできているのであつて、あの当時この発行高を増大せしむる原因はほかにはないのです。ですからそういう点についてあなたが日本再建のために誠意をもつてお話してくだされれば、何も罪を問うとか何とか言うのではない。いかなる事態がここに発生したかがわかれば、國会としてはこれに対する処置ができる。そうすれば再建の基礎が固つていく。商工次官としてあなたは非常に有名な人で才能のある人だというので軍需次官になつた人です。私は監獄にいてよく知つている。そういう人がこういうことを知らぬ存ぜぬ、忘れたというのでは私は済まぬと思う。正確な数字をあげてどうというのではない。大体の輪廓で、あの当時こういう状態で、こういうことをしたのだ、これが今こういう禍根を残しているから、どこを突いてどうやれば再建の目的を達することができる、そういう点もあなたは指摘する義務があると私は思います。それを知らぬ存ぜぬと言われるならこれ以上は問いません。しかしあなたの地位としてはそれだけのことは言うべきである。國会に対してそれだけのことは証人として堂々証言なさるべきだと思います。まあ知らなければしかたがない。
  592. 明禮輝三郎

    明禮委員 終戰当時にあなたの方の所管において飛行機がどのくらい製造能力があつたかということはわかりますか。
  593. 椎名悦三郎

    椎名証人 ちよつと記憶しておりません。
  594. 明禮輝三郎

    明禮委員 大体ですよ。あの当時どのくらいできるということはよく言つてつた。一箇月何台とか一年に何台とか……。
  595. 椎名悦三郎

    椎名証人 私どもが聞いておるのは、そういうぱつとした数字ではなくて、航空兵器総局の方から時々報告がありましたけれども、たとえば練習機あるいは爆撃機あるいは戰鬪機であるとか、そうしてその車体はまだできないが、エンジンはできたといつたような專門的なことを聽いておつただけですから……。
  596. 明禮輝三郎

    明禮委員 それを言つてください。
  597. 椎名悦三郎

    椎名証人 どうもそれがはつきりしません。ただ漠然と年二万機ぐらいのベースにおいて大体目標に近づいたというようなことを、終戰のしばらく前ぐらいに報告があつたように聽いておりますけれども、しかしこれは私は責任をもつてその数字を申し上げるわけにはまいりませんが……。
  598. 明禮輝三郎

    明禮委員 いやそれで結構です。大体二万機ぐらいですね。
  599. 椎名悦三郎

    椎名証人 年生産二万機のベースにおいて……。
  600. 明禮輝三郎

    明禮委員 年二万というのは少し少いのではないですか。
  601. 椎名悦三郎

    椎名証人 多々益〃弁ず——もつとつくりたいというような氣持はあつたでしようが……。
  602. 明禮輝三郎

    明禮委員 もう少しできるような話がありはしなかつたのですか。実際ぼくらが世の中で聞いておつたのは一箇月三千機とが四千機と聞いておつた
  603. 椎名悦三郎

    椎名証人 そんなこともちよつとあつたかもしれませんが……。
  604. 明禮輝三郎

    明禮委員 戰車の方はわかりますか。
  605. 椎名悦三郎

    椎名証人 これはわかりません。
  606. 明禮輝三郎

    明禮委員 終戰当時においてこういつた兵器がどのくらい残つてつたか、たとえば飛行機がどのくらいあつたということはわかりませんか。
  607. 椎名悦三郎

    椎名証人 わかりません。
  608. 明禮輝三郎

    明禮委員 およそわかりそうなものじやありませんか。そのことは実際よく言つてつたように思いますが……。
  609. 椎名悦三郎

    椎名証人 いやそれはわかりません。航空兵器総局の方から生産について聽いたことは聽いたですが、しかし戰闘行為に消耗してまだどのくらい残つておるということは、その当時は軍の統帥上の機密と称して、一般の者には知ることはできなかつたのです。
  610. 明禮輝三郎

    明禮委員 けれどもあなた方が知ることができないはずはない。
  611. 椎名悦三郎

    椎名証人 それがまことにお恥しいことですが、私は知らなかつた
  612. 明禮輝三郎

    明禮委員 飛行機は消耗品だから毎日壞れたり落ちたりするから、五台、十台、百台は違うかもしれないが、終戰当時日本の飛行機がどのくらいあつたということは、あなた方はいくらぼつとしておつてもわからなければならない。
  613. 椎名悦三郎

    椎名証人 いやそれはわかりません。おそらく今死んでなくなられましたけれども、鈴木貫太郎内閣総理大臣でもそういう報告は受けておらなかつたと思う。
  614. 明禮輝三郎

    明禮委員 正確なことはわからぬにしても、軍需省だとか商工省の担任の者には飛行機ぐらいのことはわかつてもいいと思いますが、わからぬということですか。
  615. 椎名悦三郎

    椎名証人 正直に申し上げますがかりませんでした。
  616. 武藤運十郎

    武藤委員長 ほかにございませんか。  最後にあなたは今どこでどういう仕事をしておられますか。
  617. 椎名悦三郎

    椎名証人 郷里の会社に関係しております。
  618. 武藤運十郎

    武藤委員長 どういう会社に。
  619. 椎名悦三郎

    椎名証人 東北毛織株式会社。
  620. 武藤運十郎

    武藤委員長 この会社はいつできましたか。
  621. 椎名悦三郎

    椎名証人 昭和十三年だそうです。
  622. 武藤運十郎

    武藤委員長 名前は変つていませんか。
  623. 椎名悦三郎

    椎名証人 変つております。もとは東北振興繊維工業株式会社。
  624. 武藤運十郎

    武藤委員長 戰爭当時は何をしておつて、今は何をしているのですか。
  625. 椎名悦三郎

    椎名証人 もとは東北振興、ただいまの東北興業の子会社として創立されまして、屑繭の繊維から民間の生地などつくつている。一方においでは陸軍製絨所の下請工場といたしまして、あそこの下請の仕事をしておつたそうです。
  626. 武藤運十郎

    武藤委員長 終戰後今日に至るまではどういう仕事をしておられますか。
  627. 椎名悦三郎

    椎名証人 終戰後一般の毛布や何かをつくつております。
  628. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなたが会社に出たのはいつですか。
  629. 椎名悦三郎

    椎名証人 昨年の十一月です。
  630. 武藤運十郎

    武藤委員長 どういう地位ですか。
  631. 椎名悦三郎

    椎名証人 社長です。
  632. 武藤運十郎

    武藤委員長 前の社長はだれです。
  633. 椎名悦三郎

    椎名証人 ちよつと度忘れいたしました……。東興理事の安田。
  634. 武藤運十郎

    武藤委員長 安田なんという……
  635. 椎名悦三郎

    椎名証人 ちよつと名前は忘れました。
  636. 武藤運十郎

    武藤委員長 それからあなたのほかに軍関係ではいつている人、あるいは当時商工省関係ではいつている人は……。
  637. 椎名悦三郎

    椎名証人 今年影木という尉官がはいりました。
  638. 武藤運十郎

    武藤委員長 これはあなたが入れたわけですか。
  639. 椎名悦三郎

    椎名証人 私が入れたというわけでありませんけれども……。
  640. 武藤運十郎

    武藤委員長 よろしゆうございます。それでは恐入りますがちよつとあちらで控えて待つていてください。     —————————————
  641. 武藤運十郎

    武藤委員長 中島知久平さんですね。
  642. 中島知久平

    中島証人 ええ。
  643. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなたは東久邇内閣の商工大臣をいたしましたか。
  644. 中島知久平

    中島証人 やりました。
  645. 武藤運十郎

    武藤委員長 いつからいつまでですか。
  646. 中島知久平

    中島証人 商工大臣になつたのは八月の十八日と記憶しております。十六日かな、十六日と記憶しております。初めは軍需大臣で入閣しました。
  647. 武藤運十郎

    武藤委員長 一番最初は軍需大臣という官制があつて、軍需大臣で入閣されてそれから……。
  648. 中島知久平

    中島証人 八月の十六日か十八日に軍需省を廃止いたしまして商工省を新設したわけです。そうして商工省の大臣にあらためて就任したわけです。
  649. 武藤運十郎

    武藤委員長 それから東久邇内閣の柱冠まで……。
  650. 中島知久平

    中島証人 それから東久邇内閣の総辞職が十月の五日でした。次の幣原内閣の成立が十月の九日でしたから、九日まで在任したわけです。
  651. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうしますと、商工大臣として終戰当時における軍需物資につきましてはどういうふうな引継を受けられたわけですか。
  652. 中島知久平

    中島証人 別にこれといつて引継があつたわけではありませんでしたが、こういう事実はありました。鈴木内閣の終りごろにおいて、終戰になつたため鈴木内閣軍需品生産を停止し、また軍関係の保有物資を急速に適宜処分すべしというような閣議決定指令が出ておつたことをわれわれはあとで知りまして、またその当時それがためにいろいろ軍関係物資や何かがあまり國民が見ておもしろくない方向に動いているということを聞きましたし、また連合軍の方でもそういうものを動かさないことを望むような話がありましたので、八月二十七日ころと思いますが、閣議においで鈴木内閣閣議決定事項取消しまして、軍保有物資その他を現状のままに保管することを発令したことがあります。
  653. 武藤運十郎

    武藤委員長 連合軍の方でも物資処分を好まない意向であるというのは、河邊中将一行が軍使としてマニラから帰つて來られて、そのもたらした報告に基いてそのことがわかつたわけですか。
  654. 中島知久平

    中島証人 そうです。
  655. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうしますと、この鈴木内閣当時発せられた閣議決定に基く命令を取消すことになりましたのは、もつぱら連合軍意向に基いたわけでありますか。
  656. 中島知久平

    中島証人 もつぱらではありません。その閣議に載せる前に、どうもこれは何とかしなくてはならぬという考えがありまして、連合軍の方からそういう意想がなくともこれを取止める考えはもつてつたわけです。
  657. 武藤運十郎

    武藤委員長 ではたまたま連合軍意向もわかり、日本政府としても同様な考えをもつてつたので、併せてそういう結果になつたということでありますか。
  658. 中島知久平

    中島証人 そうです。
  659. 武藤運十郎

    武藤委員長 九月の二十四日になりまして、連合軍最高司令官覚え書が公布されたようでありますけれども、これに対して日本政府、特にあなたの扱つておられた商工省はいかなる処置をしましたか。
  660. 中島知久平

    中島証人 それは連合軍から軍保有の物件を日本政府に返還するという覚書でありまして、その当時内閣官房におきまして連合軍と折衝の結果、軍保有物件はとにかく全國に散乱しておることでありますから、懸の機関をもつておる内務省がこれを受領し、かつ保管し、またこれを処理することが一番適当というようなことに、連合軍との間に折衝の結果決定したことがあります。從つてその返還物件については商工省としては別にこれという処置をとる余地はなかつたわけです。
  661. 武藤運十郎

    武藤委員長 当時閣議をもつて特殊物件処理要綱というものをつくつたことはありませんか。
  662. 中島知久平

    中島証人 それはわれわれの内閣の時にはありません。幣原内閣になつてから後で傳え聞いておるのですが、おそらく十月の十九日ころと思いますが、大体その処理の根本方針閣議において決定して、その要綱ができたはずです。
  663. 武藤運十郎

    武藤委員長 でき上つたのは幣原内閣でありますが、大体の草案は東久邇内閣当時ではありませんか。
  664. 中島知久平

    中島証人 そうではありませんでした。別に閣議にはそういうことは触れておりませんでした。その軍保有物件の返還の覚書があつてから、まだそれを受領することになかなか容易でない状態であつたので、そこまでまだ考えの及ばぬうちに、覚書が出てから約十日くらいの間に東久邇内閣は総辞職しましたからして、そういう暇はありませんでした。
  665. 武藤運十郎

    武藤委員長 それではこの覚書に対しては、東久邇内閣はこれということは何もしておらなかつたということになるわけですか。
  666. 中島知久平

    中島証人 この覚書に対してはまず受領保管に任じたわけです。それからその処理について方針決定してやつていくはずであつたけれども、その時間がなかつたというのが私の記憶にあるところであります。
  667. 武藤運十郎

    武藤委員長 軍需工場というものがあつたようでありますけれども、それらの多くの工場への軍からの契約、そういうものについての処置はどういうふうになさつたのですか。
  668. 中島知久平

    中島証人 いろいろありますが、大体鈴木内閣の末期において、多分八月の十六日と思いますが、大体十七日に命令が公式に発せられたようでありますが、軍需品生産をただちに停止すること、それから徴用工であるとか、あるいは学生の志願者であるとかいうものをただちに解放すること、その他、これはただ一般の軍需工場と軍需省のもつてつた直営の軍需工廠というものがあつたのです。それらについて多少は変つておるところもあると思いますが、要するに今までの管理統制は一切これを撤廃するというような意味鈴木内閣から発令したと記憶しております。
  669. 武藤運十郎

    武藤委員長 それは大体一般的なことのようでありますけれども、何かあなたが先ほどいろいろあるというようなことであつたのですが、各工場別に……。
  670. 中島知久平

    中島証人 いろいろあるというのは、軍需省の直営いたしておる軍需工蔽と民間の軍需工場があるということを申し上げたわけです。
  671. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは今お話のは大体民間の場合ですか。
  672. 中島知久平

    中島証人 その軍需品生産の停止を命じ、徴用工とかその他の者を解放する等のことは民間の方に当てはまることであり、軍需工廠の方については少し変つたことが多少あるようです。その変つたことというのは、軍需工廠というのは軍需省が直営し、軍需省がいろいろ施設をしておつたのでありますから、それらの施設をいかにするか、また資材をいかにするかというようなことを軍需省のものとして別の項目がはいつてつたわけです。その当時は鈴木内閣指令では、たとえば軍需工廠について、ただいま申し上げたこと以外に、官の施設した設備は——官というのは軍需省施設したものですね。それから機械類等は無償でこれを——軍需工廠というものの元々の成立ちが民間の会社を一應軍需省が借り上げてやつたものでありますから、その元の会社に無償で拂下げる。資材のごときものは適宜これを処理すべしというようなこともはいつてつたのであります。しかしわれわれが内閣にはいりましてからそれはどうもおもしろくないというので、十月一日だと思いますが、官の施設したところの設備機械等はこれを官有とする。從つてその保管はこの会社においてやつてもらうが、保管費は別に官から出すということを言うてありまして、鈴木内閣指令取消したわけであります。それから資材は適宜に処理すべしということであつたのですけれども、これはやはり帳簿價格をもつて、元の会社が欲するならばそれに譲るといこことを申し傳えたはずであります。
  673. 武藤運十郎

    武藤委員長 軍管理の民間一般工場における製品、未完成品、材料等の処置はどういうようにしたのですか。
  674. 中島知久平

    中島証人 それはその当時の法規等にいろいろ準拠いたしまして、軍需省が注文して兵器として受けたものに対しての未拂金があるわけですが、それは支拂う。それから半成品あるいは仕掛品等については、そのうちその軍需工場で利用し得るものもあるし、利用し得ないものもあるのですから、それらはよく調査した上で、適当の支拂をすべきものならばするという方針でやつたわけです。しかし後においていろいろと変りまして、次の議会でいろいろの法律も出まして、補償すべきものは補償の全額を税として取上げるというわけでありますから、事実は拂わないことになり、また八月十五日以後に支拂つたものは、たといそれ以前に納めた製品の代金であつてもこれは返環させるというようなことになつたのであります。われわれの時代にはまだそれまでの法規もございませんから、その当時存在した法規によつて処理する方針で進んでいつたわけです。
  675. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなたの時代において代金を支拂つたもの、あるいは仕掛品に対して代金を支拂つたもの、そういうものがあるのですか。
  676. 中島知久平

    中島証人  あると思います。
  677. 武藤運十郎

    武藤委員長 法規に基くというのは大体どんな形ですか。
  678. 中島知久平

    中島証人  その当時は総動員法その他ありましたが、結局戰爭のために損害をかけないという一つの建前があつた。であるから軍需工場その他に対しての激励というか、こういうような設備をかけてやれ、またおよそこのくらいの兵器をいつまでにつくれ、またそれがために必要な金は貸す強制融資というのもありました。そうして強制的というか、政府が鞭撻して軍需品をつくらしたわけですが、しかしそれに対しては民間の工場は相当躊躇したのであります。しかし戰争はどんな結果になつても必ず損害をかけぬから、うんとやれということでやつてつたわけで、それはやはり法規によつてつてつたわけです。從つて終戰直後はその方針がまだ現存しておりましたから、その方針に則つて処理する方向をとつてつたわけです。
  679. 武藤運十郎

    武藤委員長 実際においても処理したわけですね。
  680. 中島知久平

    中島証人  処理しました。しかしどのくらいしたかわかりませんが、商工省におけるものは航空兵器総局というのがありまして、そこが一切そういうことはやつてつたのです。終戰後軍需省を廃しましたけれども、そこに整理部どういうものを置きまして、その当時軍需省におつたおも立つた者がおらぬとどういう結果になつておるか一向わかりませんから、それらのおも立つた者を嘱託として理整部に参加させまして間違いのないように進めたわけですが、その詳細なることは私は今記憶がありません。遠藤三郎君はその当時の航空兵器総局の長官でありましたから、遠藤三郎君にお聽きになつたならば私よりもつと詳しくわかるだろうと思います。
  681. 武藤運十郎

    武藤委員長 金を拂えば品物を引取るということが当然だと思うのですが、金を拂つて品物をそのままにしておるというものもありませんか。
  682. 中島知久平

    中島証人  さあ、はたして製品以外のものにどれだけの金を拂つたか拂わなかつたかということはよく記憶がありません。
  683. 武藤運十郎

    武藤委員長 これはたれに聽けばわかりますか。
  684. 中島知久平

    中島証人 大体遠藤三郎君がわかつておると思いますが、もしも遠藤君において詳しくわからぬ場合には、その当時の整理部長に聽かれたならばわかるだろうと思います。商工省整理部です。
  685. 徳田球一

    ○徳田委員 何という人ですか。
  686. 中島知久平

    中島証人  東久邇内閣のときの整理部長は山田英三という方です。しかし幣原内閣になつてその整理部長は退任しました。幣原内閣の整理部長は名を記憶しておりません。
  687. 武藤運十郎

    武藤委員長 何かお聽きになることはありませんか。
  688. 明禮輝三郎

    明禮委員 ただいまの八月十四日の閣議決定に基いて緊急処分が行われたのですが、非常に弊害があるからこれを二十七、八日ごろ停止されたというお話でありました。これについては河邊中將が帰られたからということもあるが、そうでなくとも非常に不條理だからやめたとお考えになつておるように思うのですが、そのときは私どもの方で今調査しておるのは兵器であります。証人兵器はよく御存じだろうと思いますが、兵器ブロツクに属しておるようなものがたくさんやはり緊急放出されておるような事実があつたからではなかつたでしようか。その点お伺いいたします。
  689. 中島知久平

    中島証人  兵器はなかつたろうと思恥います。
  690. 明禮輝三郎

    明禮委員 陸軍とか海軍における兵器ということはきわめて狭義に解釈しておるようですが、今ここに取上げられておる兵器処理委員会においてやつております兵器というのは、兵器並びにその附属品あるいは原材料でも二〇%の加工をしてあるものはやはりこれを兵器として包含されておるものでありますから、そういつたようなもの、あるいは飛行機のガゾリンとか、馬具というようないろいろなものがやはり廣い意味において兵器として取上げられておる。そういうものも所々においてなくなつてつたのではないかと思われるのでありますが、その点はいかがでありますか。
  691. 中島知久平

    中島証人  ガソリンなどはなくなつてつたと思います。その当時返還物資に含まれたものは、まず食糧、衣料医薬及びそれの材料、それから運搬に必要なるもの、これは馬のようなものから自動車等、とにかくそういう物件が軍に集結しておりまして、それが非常に多かつたようです。その物件の中には戰車大砲、あるいは弾丸、飛行機、あるいは軍艦のようなものもはいつておるわけですが、われわれがその当時これはどうもこのままにしてはてはよくないと思つたのは、食糧であるとか衣料であるとか、一般民需用に振向け得るところの返還物資がたくさんあつちこつちに運ばれたり、自由にその地区々々において押下げたりしておつたわけです。それはどうもおもしろくないというのが、これを鈴木内閣命令を取消すおもなる動機であつたのでありますが、その中にあなたのおつしやるようにガソリン兵器の一部だというならば、そのガソリンもおそらく食糧やなんかと同じようにあつちこつち動いたということは確実と思います。
  692. 明禮輝三郎

    明禮委員 一九四五年の九月二十四日の覚書によりますと、兵器並びに軍艦というようなもの総て連合軍に一應納めまして、そうして連合軍からこれを内務省に返す。しかも内務省は國民経済の発達並びに國民生活の救済にのみこれを使えという指令であります。これによつてあなたの方では、九月の二十四日に出ておる指令で、十月九日までいらつしやつたのでありますから相当の期間がありましたので、あなたといたしましてはこれに対する適当なる処置が蓮ばれたものであると私は考えますが、先ほどはあまり期間がなかつたとおつしやいまするけれども、相当期間があつたと思いますが、この点はいかがでありますか。
  693. 中島知久平

    中島証人  それは二十四日に返環の覚書が來まして、その返還物資をいかに取扱うかということについて連合軍司令部協議の結果、内務省がそれを受領し保管しまた処理に任ずるということにきまつたわけです。ただちに内務省は各地方機関を動員してその受領に当つたわけであります。とにかくあれだけのものですからして、そうふろしき包で持運ぶようなわけにはませんから、これは十日くらいの間にはまだ完全に受領もできなかつたろうと思いますが、それて受領保管の進めておつたのですが、それならばそれをどう処理するかというところまはいかないうちに東久邇内閣は総辞職もしたわけであります。そのときに商工大臣としてどういうことをしたかとうお尋ねのようですが、それは内務大臣がそのことに当ることに連合軍との間に話合いがつきましたから、そのことについては商工大臣は直接動きませんでした。
  694. 明禮輝三郎

    明禮委員 ところが、ただいままでここに証人として内務省の方々も喚んだのでありますが、皆内務省も責任を負わぬとは申しませんようでありますが、殊に兵器のごときものはほとんど商工省においてなされた。これはあなたは御関係にならなかつたかどうか知りませんが、解体兵器等の処理機構に関する件、こういうようなものができた特殊物件処理委員会は九月三十日ごろできておつたが、これにはあなたは御関係があつたはずです。その後これは十一月になつておりますけれども今まで喚び出した人々によるとこれはやはり九月のうちにできておつたということを皆言つておる。解体兵器等の処理機構に関してこういうことはすべてあなた方の方でお膳立をなすつたような次第であると思われる。でありまするから内務省の所管であることはもちろんでありますけれども、商工省もまたこれに対して処理機構など皆内務省と商工省と連名でこれは発表された。こういう意味においてやはり商工省が実際は仕事をなすつたものではないか思うのでありますが、この点いかがでありますか。
  695. 中島知久平

    中島証人  返還物資のことにつきましてはただいま申し上げましたように、まだ東久邇内閣がその処理方針をかれこれ決定する段にまで至つておらなかつた。それがいよいよ閣議決定事項としてその方針が決つたのは十月十九日と思つております。それは幣原内閣のときの閣議であります。その方針に則つて中央特殊物件処理委員会というものが設置されましたのが、私の調査によりますと十月三十一日になつている。それからその中央特殊物件処理があるというので、十一月五日に兵器があるというので、十月五日に兵器処理委員会というものを中央物件処理委員会が設置することに決議したわけであります。そういうような順序でありますから、われわれの内閣のときにはその処理要綱を閣議でしたというようなことは記憶はありません。
  696. 明禮輝三郎

    明禮委員 この解体兵器処理機構の件は別といたしましても、先ほど申しました通り、九月二十四日の覚書に基きまして、物の処理ということはなかなか用意ではないのでありますから、ただちにこれがどうなつたということは私どもも考えませんが、ただし物の処理をなさるのについてこの覚書に基いて各地方々々においてどういう処理をさせるかという方針をお定めになつたことはあろうと思うのでありますが、この覚書に基いてどういうように皆処理していくかということ……。
  697. 中島知久平

    中島証人  それは私ども閣議に上つた記憶がありません。ただあなたが今商工省が兵器処理関係しておらないはずはないとおつしやられたことは、兵器処理委員会が設置されまして、その兵器を破壞し、あるいは熔解するものは熔解する。また熔解、破壞しなくてもそのまま使える部分もあるというものはやはり日本の民需生産に有効に使うということが前提となつておりますから、商工省は各民間生産工場を管理しておる関係からいかにしたらそれを有効に使えるか、どういうところにそれを分配したらいいかということについては、やはり商工省が参與しなければうまくいかないわけですから、兵器処理委員会でやることを、やはり内務省と商工省とでいろいろと協議してやつてつたことは事実であります。
  698. 明禮輝三郎

    明禮委員 それでわかりました。そこで協議されていろいろやりましたこのメモランダムに対していかなる処置をなすべきか、あるいは物の処理をやらせるについても、実は今日兵器処理についてのたくさんな欠陷が出ておることはもうあなたも新聞で御承知であろうと思います。ラジオその他すべて報道されておるところであります。これによつてわかりますように、この兵器処理が非常にまずかつたために犯罪人ができたのみならず横流しをたくさんしている者がある。一向國民経済のためにとか、あるいはその生活を救済するような部面には使われていなかなかつたという点があるのみならず、中は横領、窃盗、いろいろな問題が起つた。こういう点からいたしまして私どもはこのメモランダムにつての指示方針というものをいかなる角度において当局が取扱われたか、それを伺いたいのであります
  699. 中島知久平

    中島証人  それはまことに遺憾の話でありまして、私は東久邇内閣が終ると、ただちに戰犯容疑者として長い間監禁生活でありまして、世間との交通もできず、詳しいことは存じませんでしたから、はなはだ御質問に対して詳しいことはお答えし離いかもしれませんが、われわれの知つている範囲において何かこの委員会の参考になり、またそういう不正を矯正するために参考になることは進んで協力したい考えでおります。だから決して自分の責任を回避するとか、あるいはここで答弁をあいまいにするというようなことは毛頭ありません。しかしながらただいま申し上げます通り兵器処理方針というものは十月十九日頃閣議決定して、ようやくその要綱がきまつたわけでありまして、それに基いて中央物件処理委員会及び兵器処理委員会というのができて、それらがこれを運営していつたわけであります。その運営の半ばにおいていろいろとことができたようになつて、まことに國家のために遺憾に思つておりますが、ただいま申し述べるような次第でありまして、どうしてそういうようなことが起きたかについては、詳しくここで私から申し上げる知識をもちませんです。     〔委員長退席、鍛冶委員長代理着席〕
  700. 明禮輝三郎

    明禮委員 そうすると、結果から申しますと、特殊物件処理委員会とか、解体兵器のすべての処理委員会とか、あとからできる機構にこれを任せてやらせたということで、あなたの在任中にはこれに対しては特にこの指令に対する部面においては、何も方針をお定めにならなかつたということでありますね。
  701. 中島知久平

    中島証人  そうです。方針としてはその返還物資を内務大臣がこれを受領し、保管し、それから先にこの処理方針決定する方針でありましたが、まだ受領が済まないうちに、われわれは退任したような次第でありますから、そこまで日にちがなかつたわけであります。
  702. 明禮輝三郎

    明禮委員 わかりました。そこでもう一つ、あなたは特に飛行機なんかについての專門家でありますから、伺つてみたいのでありますが、終戰当時日本軍における飛行機の現在数といいますか、大体どのくらいの台数があつたか、おわかりになりませんでしようか。
  703. 中島知久平

    中島証人  私も飛行機では大いに自負しておる一人でありますが、当時私は民間におつでその方面に直接関係いたしておらないために、なかなか極祕でありまして、実数を聽くことはなかなかむずかしかつたのですな。おそらく軍人でも特殊の者以外にはむずかしかつたろうと思います。ただその当時噂です。噂ですから御参考にされちや困りますが、あの当時は正規の飛行機の生産は一時控えまして、上陸作戰に備えるために非常に簡單な一遍飛んでぶつかればよいというような簡單なものを各所でつくり始めたのですね。それは発動機その他の使えなくなつたようなものを引つぱり出して、ほんの飛行機の形をしたものをつくり出して、飛び上ればよい、そうしてそれはただちに向うの上陸舟艇にぶつかるというよなものであつたと思う。そういうものをかき集めると五千台くらいあつたという噂は聽いております。しかしこれは責任の地位にないのですから、噂であつて、実質がどうであつたが知りません。それは航空兵器総局の長官がよく御承知だと思いますな。
  704. 明禮輝三郎

    明禮委員 それから終戰当時生産能力というものは一箇月大体どのくらいおありでしようか。
  705. 中島知久平

    中島証人  それが今言うように極祕で、何人にも知らされなかつたのです。
  706. 明禮輝三郎

    明禮委員 商工大臣くらいだつたらおわかりでしようか。
  707. 中島知久平

    中島証人  商工大臣になつたときは終戰で、あとですからはつきりしたこともなかつたですが。
  708. 明禮輝三郎

    明禮委員 それから九月に、今の緊急方針を停止されましても、復員軍人補導会というようなのにはやはり十月くらい、九月いつぱいくらいは物資緊急放出してないような何か命令を出したことがありはしませんでしよう
  709. 中島知久平

    中島証人  それはどこでですか。
  710. 明禮輝三郎

    明禮委員 九州方面西部軍が出たということを言つておりますが。
  711. 中島知久平

    中島証人 そういうことがあるかもしれませんが、しかし私は責任をもつて答えられません。
  712. 明禮輝三郎

    明禮委員 あるかもしれない。聞いたことがあるという程度ですか。
  713. 中島知久平

    中島証人 聞いたこと——とにかくあの当時は急速に軍需物資を適宜処理しようということになつたために、かなり混乱したのですね。そうして混乱したがために、あれを取消して、保管せよと命令を出したのですけれども、その混乱の極に達したものをああいうときにただちに正規の方に全國を取戻すということは困難ですから、常識から考えて、地区々々においてあるいは何か行われたかしれんと想像するわけです。
  714. 明禮輝三郎

    明禮委員 わかりました。
  715. 徳田球一

    ○徳田委員 中島さんは商工大臣になられる前はやはり中島飛行機株式会社を——現在これは冨士産業となつておりますが、これを主宰せられておつたわけでありますか。
  716. 中島知久平

    中島証人 おりませんでした
  717. 徳田球一

    ○徳田委員 それは弟さんですか。
  718. 中島知久平

    中島証人 私は昭和六年ごろ飛行機をやめまして、あとは社長は弟でしたが、事実はいろいろ軍からたくさんの人が來ておりまして、会議制をやつてつたわけです。
  719. 徳田球一

    ○徳田委員 しかし大体の様子はわかつてつたんじやないですか、中島飛行機の……。
  720. 中島知久平

    中島証人 それは株主でございましたから、こまかいことはわかりませんが、大体の数字はわかつておりました。
  721. 徳田球一

    ○徳田委員 この中島飛行機株式会社は、昭和二十年四月一日に第一軍需工廠となつておりますね。
  722. 中島知久平

    中島証人 そうです。
  723. 徳田球一

    ○徳田委員 これは軍需省の直轄と申しますか。直営と申しますか、そういう工廠になつておりますね。
  724. 中島知久平

    中島証人  そうです。
  725. 徳田球一

    ○徳田委員 この借上金は全部——買上げと言いますか、借上げの金は全部佛つたのですか。
  726. 中島知久平

    中島証人  貸賃は一銭もとらない。ただです。
  727. 徳田球一

    ○徳田委員 貸賃はただで、支払いは何も受けておらないわけですか。
  728. 中島知久平

    中島証人  こういうことになつておるのですね。設備、機械、工場、建物、土地はただ借りるわけです。それでそこにある資材、半製品等は、軍需省が勝手に使うのですから、帳簿價格で軍需省がこれを買い受ける。それから、そこに使われておつた約二十八万かの人がおりましたが、それはそのまま軍需省の人に轉換をさせられたわけです。
  729. 徳田球一

    ○徳田委員 そうするとこの材料等の棚下し資産をどれだけに買つたのですか。
  730. 中島知久平

    中島証人 さあ、そう詳しいことは存じませんが、その当時資材とか道具類が、六億かそこらあると思います。
  731. 徳田球一

    ○徳田委員 六億ですね。
  732. 中島知久平

    中島証人 そうです。
  733. 徳田球一

    ○徳田委員 そうすると、この六億という金は終戰前にみんな受取られたのですか。
  734. 中島知久平

    中島証人 受取らないのです。
  735. 徳田球一

    ○徳田委員 受取らない前に終戰…。
  736. 中島知久平

    中島証人 いくらか受取つたろうと思いますが、わずか受取つたうちに終戰になつて、遂に大部分は受取らなかつたでしよう。そのうちに八月十五日以後の軍事費の支拂はまかりならぬということになりましたから、前に受取つたものもこれを返し、受取らないものは零になつております。
  737. 徳田球一

    ○徳田委員 それで八月の二十六日に工廠は廃止されて、原会社にこれを返したわけですか
  738. 中島知久平

    中島証人  八月十六日でしよう。
  739. 徳田球一

    ○徳田委員 十六日に廃止されたのですか。
  740. 中島知久平

    中島証人  ええ。
  741. 徳田球一

    ○徳田委員 これには八月二十六日とある。十四日に閣議決定されて、十七日にこれを実行するため指令が出て……。
  742. 中島知久平

    中島証人  軍需大臣から、軍需工廠をやめる、そうしてその建物、機会等は、もとの会社に返す……。
  743. 徳田球一

    ○徳田委員 これは八月十六日ですか。
  744. 中島知久平

    中島証人  十七日と記憶しております。
  745. 徳田球一

    ○徳田委員 八月十七日もとに返す。そうすると、買上げはしたが、その支拂はしないで、この工廠が持つておる物資いわゆる借りてない物資、これはどうなんですか。
  746. 中島知久平

    中島証人 借りてないというと……。
  747. 徳田球一

    ○徳田委員 いや土地だの建物だけは政府が借りておりますね。これはただで返すのでそれでおしまいになるけれども、そうじやなしに、買上げておるものです。政府が買上げたんでしよう。
  748. 中島知久平

    中島証人  買上げたものは政府が使つたわけですね。
  749. 徳田球一

    ○徳田委員 材料を使つた、その代金は拂わなければならぬ。
  750. 中島知久平

    中島証人 拂い切れないわけです。
  751. 徳田球一

    ○徳田委員 あとでまたもどして…。
  752. 中島知久平

    中島証人 だから零になつた
  753. 徳田球一

    ○徳田委員 そうするとそこに残つておる材料はどうなります。
  754. 中島知久平

    中島証人 残つておる材料はさつき申し上げたように、八月十七日の軍需大臣の指令では適宜処理すべしということだつたんですが、われわれが内閣にはいつてから、それはよろしくないとのことで、その残つた材料は、帳簿價格をもつてその会社に譲り渡すということになつたのです。
  755. 徳田球一

    ○徳田委員 そうすると、前のものはただとられて、あとのものは帳簿價格で拂下げるということになりますと、大分損しておるわけですね。
  756. 中島知久平

    中島証人 二重になるわけですね。そこでそれは今まだ解決が済んでおるまいと思いますが、また見解によつては、その資材もともと買うと言つて、まだ買つてないものを返すのだから、別にその代金を拂う義務はないし、とる権利もないじやないかということで、今もんでいるところです。
  757. 徳田球一

    ○徳田委員 ところで、拂下げ数量というものは、ちやんと帳簿價格に載つて、金になつておるのは十四億五千六百四十八万八千四百六十六円ということになつておりますね。たいへん莫大なものです。十四億五千万円ということになつておりますが、これはどうしたのですか。
  758. 中島知久平

    中島証人 あなたのさつきの御質問が、資材ということだつたから、資材は六億から七億の間です。ただその間に飛行機で製品となつて軍に納めたものもありますが、明日は製品になるというのがたくさんあるわけです。ちようど生産が最近の式でもつて、流れ作業でやつておりますから、何十分に一台ずつできておるわけですね。そうすると、できかかつているものがたくさんあるわけですね。それは資材ではない。半製品であるから、それらはまた評價したわけです。そういうものを入れると、十四、五億円になつたと思いますね。
  759. 徳田球一

    ○徳田委員 いや、ちよつお考え違いだと思うのであります。六億いくらというのは、これはあなたの方から政府に渡したもの……。
  760. 中島知久平

    中島証人 そう。
  761. 徳田球一

    ○徳田委員 こつちの方の十四億いくらというものは、終戰後政府からあなた方が帳簿價格で引取つたものだということになつておりますが……。
  762. 中島知久平

    中島証人 それは数字が違うだろうと思う。何でも残つた資材その他を四億八千万円かで引取つてくれということが、商工省から富士産業に要求だと思つております。しかしはたしてそれだけありや否やということも、立会いの上で調査するとか、しないとか言つている間に、今のように、もとつたことになつてつたものは政府は拂わないことになつた。それで材料の金はまたとられることになるから、二重なるにわけですね。そこで材料は、軍需工廠をやめたために、もとの会社へ返したというとにしたらば、別にその金は拂わなくともよいのではないか、金をとつてないのですから……ということに折衝しておるのが、もうそれは済んだか、私も今関係しておりませんから、折衝中でしよう。ですから十四億ということはないはずと私は記憶しておりますが……。
  763. 徳田球一

    ○徳田委員 これは商工省からの提出した文書ですがね。それでは、帳簿價格で、もうすでに下げたとなつております。
  764. 中島知久平

    中島証人 十四億ね。
  765. 徳田球一

    ○徳田委員 ええ。第一軍需工廠から富士産業株式会社に拂下げた物品の工廠別数量並びに價格となつております。
  766. 中島知久平

    中島証人 それは私は少し多過ぎると思いますが、とにかく長い間戰犯容疑者として浮世から隔たつておりましたし、また今は財閥追放者として、もこの会社とは連絡もできない状態にありますから、記録があるなら記録の方が事実かもしれません。ただ私の記憶としては、少し多過ぎるように思います。
  767. 徳田球一

    ○徳田委員 ところでその辺はよいといたしまして、このできかかりの製品並びに半製品でありますが、いわゆる材料には使えないもの、そうした物資は指定された軍需工場及び工廠、こういうものから政府は買上げたことになつているのですか。買上げることになつたのですか。
  768. 中島知久平

    中島証人 軍需工廠ですか。
  769. 徳田球一

    ○徳田委員 軍需工廠も一般民間工場からも……。
  770. 中島知久平

    中島証人  軍需工廠はそういうことはありません。自分のもので自分がつくつてつたのですから、すたつたものは捨てちやつたわけです。使える資材を会社に買わんかということであつて、それが四億いくらと思いますが、そういうような製品とか、仕掛品とかで捨てたものは、分算すればあるいは十四億になるかもれません。
  771. 徳田球一

    ○徳田委員 あなたの商工大臣であられましたときには、そういう軍需工廠の製品、半製品はどういうふうな処理をなさいましたか。
  772. 中島知久平

    中島証人 さつき申し上げましたように、前軍需大臣が閣議決定の結果をやつたんでしようが、八月十七日にさつき申し上げたような指令が出ているわけです。つまり資材は適宜に処理してよろしい。官の施設したもの、官が軍需工廠になつてからの機械等は無償で拂下げる。しかし私どもが内閣にはいりましてから、それはどうも公正でないという見地から、官の施設したものは官のものにする。前軍需大臣のやつたことは取消して、それはその会社が保管してくれ、資材の方はやはりその会社に帳簿價格でもつて譲渡するということに変えたわけです。
  773. 徳田球一

    ○徳田委員 そこはよくわかつております。
  774. 中島知久平

    中島証人  資材以外のものは…
  775. 徳田球一

    ○徳田委員 半製品、製品これをどうなさつたか……。
  776. 中島知久平

    中島証人  これは軍需工廠が自分でやつてつたものですから、そういうものは自分が捨てたわけです
  777. 徳田球一

    ○徳田委員 捨てたわけですか。
  778. 中島知久平

    中島証人 大部分の機械とか飛行機は、形になりかけておつたものは今のように連合軍が押えましたから、兵器処理委員会の方でつぶして適当に処理しております。
  779. 徳田球一

    ○徳田委員 これはみんな兵器処理委員会に行つたのですか。
  780. 中島知久平

    中島証人 そうです。みな行つたというわけではないでしようが、兵器のかつこうになつたものは行つたはずです。
  781. 徳田球一

    ○徳田委員 そこで実を申しますと、あなたに御迷惑かもしれませんが、太田で有名な隠退藏物資摘発事件というのがありまして、この事件が起つたのは、要するにこの材料や半製品、製品その他施設のもを隠退藏したということになつているのではないですか。
  782. 中島知久平

    中島証人 詳しいことは知りませんが、これはこういうようなことが眞相に近いのではないかと思います。とにかく中島飛行機という飛行機生産機関が、アメリカにおける作戰上これを壞せばもう戰争には勝てるというような気分があつたのです。向うあたりのいろいろのラジオ等を聽いてもそうであります。B二九が日本に飛んで來られるようになつてからは、ほとんど爆撃目標を中島飛行機においたわけです。各地の工場が何回爆撃されたか、私今記憶がありませんが、相当の爆撃を受け、また被害があつたわけです。そこで軍の方、軍需省と言うていいか、その当時の監督官あたりの命令によつて、とにかくこれを急速に、できるだけ多数の所に少しずつ疎開しろということで、疎開したわけです。小泉、太田というのが二つありますが、大体あすこに疎開したものは、二千数百箇所になつておるわけです。それは多少あつちこつち壞れても一度に失わないように、小さく分割された。これを爆撃の間において大勢の者がわかれて、あちらの倉庫、あちらの物置を借りて運んだわけですが、その中には爆撃のときに死んでしまつた者もある。一回に八十名ずつくらい死にました。だからある小さい倉庫にあるものを預けても、その人が死んでしまつたためにあとの人にはわからなかつたというような所もあるわけです。そこであとでそういう所を書き出したわけですが、資材はおよそこれ、合計これだけとやつてみたが、中にははいつておらぬ所もある。たれも知らぬというのもある。もつとも終戰後大勢の者を軍需省はみな解雇しましたから、ごく少数の者が残つておる。そこへもつてつて爆撃によつて死んだというようなことで、わからぬ所がある。預けてある倉庫には物ははいつておるが、だれも知らずに帳簿に載つておらぬというものもあるわけです。それらが調べた結果、これは隠退藏であるというようことになつたものも相当あるようです。相当長い間檢事が多数動員して調べたのですが、その結果どういう結末になつたか知りませんが、大したことはなかつたのじやないかと、今私は想像しております。こういうような情勢があつたのです
  783. 徳田球一

    ○徳田委員 國の直営の所にもこういうのがあつたわけですか。ほかの所でもこういうふうにして実際上帳簿にも何にわからなくなつておるようなもの、すなわち國が直接どこにいくら資材があり、どこにどうあるかというようなことを実際上握つておらぬ所、そうしてこの管理が非常に粗慢になつていた所がたくさんあつたのじやないでしようか
  784. 中島知久平

    中島証人 普通一般民間工場は、その当時資材がこれだけあるということになると、この資材は軍の兵器ために使う資材であつて、これは民間用にはあまり轉換できないといようなことを申し出せば、それはその当時の價格で補償を受ける可能性があつたのですから、普通の民間会社ではそういうふうなことはあまりなかつたかと思います。むしろ十のものを十一、二くらいに大きく言つたところがあるかも知れません。
  785. 徳田球一

    ○徳田委員 ところでこういう点はどうでしようよか。軍需工場として指定されておる工場が、終戰になりまして製品及び半製品を政府が買上げたことにして、これに代金をどんどん拂つておるという事実はありませんか。
  786. 中島知久平

    中島証人  軍需工場ですか。
  787. 徳田球一

    ○徳田委員 指定されておる民間の軍需工場です。これは指定工場がたくさんあつたはずです。
  788. 中島知久平

    中島証人  工廠と工場と間違うといけませんから……。
  789. 徳田球一

    ○徳田委員 工廠じやない民間の工場で軍需工場して指定されておるところがたくさんあつたと思います。その工場で軍需品をこしらえておる製品または製品になつておるところがたくさんあつたに違いない。これを政府が引取らなければならなかつたはずです。引取らねば相手方が損しますから製品、半製品を引取つたのでしよう。
  790. 中島知久平

    中島証人  引取りまでいつておらなかつたろうと思います。
  791. 徳田球一

    ○徳田委員 そうすると、これに対する支拂はどうなつておりますか。
  792. 中島知久平

    中島証人  支拂はさつき申し上げたように、整理部というものがよく調査いたしまして、その資材のうちその工場で轉換し得るものがいくら、絶対に轉換し得ないものがいくらというようなことを調査して、その轉換し得ないところのものは相当の補償の意味で金を拂うという方針で臨んでおつたことは事実です。このうちには小さいものはそういうことを受けたものもありましようが、なかなかそれがうまく進まぬうちに、ついにそういうものに対する代金は佛つても返還すべきものであるということがきまり、補償は全部一〇〇%税金として取立てられることになりましたから     〔鍛冶委員長代理退席、委員長着席〕 その前に多少そういうものもあつたろうと思いますが、それはあとで取上げられることなるわけですから……。
  793. 徳田球一

    ○徳田委員 あなたのおつしやるのは資材でありますが、製品並びに半製品はどうでしよう。
  794. 中島知久平

    中島証人  それも同じことです
  795. 徳田球一

    ○徳田委員 そうしますと終戰後におきまして製品、半製品及び資材のことに関しては、政府では全然支拂をしなかつたということになりますね。
  796. 中島知久平

    中島証人  いや、したものもあろうと思います
  797. 徳田球一

    ○徳田委員 それはごく少数ですか。
  798. 中島知久平

    中島証人  どのくらいのパーセンテージになつておりますか、それは私には今答えるだけのあれがありませんが、兵器総局の長官もしくはその当時の整理部長にお質しになれば、ある程度御希望に副うような結論が得られるかと存じます。
  799. 徳田球一

    ○徳田委員 実は八月にはいりましてから日本銀行の発行高が非常にたくさん上つております、四百五、六十億上つておる。これは一体どういうわけでしようか。あなたは内閣に列しておられたのでありますから、この間の事情を相当御承知であると思いますが、こういう日銀の発行高がぐんぐん上るということはどこが原因したでしようか。
  800. 中島知久平

    中島証人  さあ、はつきり申し上げる確信がありませんが、その当時の大藏大臣であつた津島君が控えておりますから、津島君にお聽きになれば……。
  801. 徳田球一

    ○徳田委員 それは控えておりますけれども、しかしあなたにお聽きして、それから津島君に聽く方が味がよい。ただ一人だけですと、なかなか証言というものは、一方証言でありましてぐあいが悪い。こつちとしては眞相をつかむのに傍証がたくさんあるほどよいのですから、それであなたにお聽きしておわかりになれば……。
  802. 中島知久平

    中島証人  そういうようなものを補償するために使われた金もその中には相当含まれているだろうと思いますが。
  803. 徳田球一

    ○徳田委員 実はこういうことを実際工場などに私たちが行きましても工場主からは聽きませんが、工員などからよく聽きます。それは終戰前後に莫大な支拂いを受けた。製品並びに半製品を大体製品と見て支拂いを受けた。まあ戰争が済んで、向うさまが來てからではたいへんだから、來てもらわないうちにどんどん拂つておかないとたいへんだというので、非常に莫大な金を拂われた。莫大な金が佛われている。そのために会社としては厖大な儲けをした。その上資材は大体投り放しで、自分らがとつたためにたくさんな隠退藏物資ができておるということを聽きますが、あなたの今おつしやる御証言ではそういう事実の起るべき余地がないと思いますがどうでしよう。
  804. 中島知久平

    中島証人  余地がないということは保証できません。
  805. 徳田球一

    ○徳田委員 そうすると、相当そういうことができ得る余地はあつたわけですね。
  806. 中島知久平

    中島証人  その当時はとにかくあなた方も御存じないですかな。
  807. 徳田球一

    ○徳田委員 私は監獄から十月十日に出てきたのでから、正確でないかもしれませんが、なかなか監獄というものは味なもので、へいを隔てていろいろの情報が來る。そこでわれわれの感じたところでは相当その間に大きな不正が行われておる。これが今日本の再建のためには非常な妨げになつておるのです。この間の事情がはつきりいたしますと、この不当財産取引委員会としましては、これらの処置をどんどんすれば日本再建のために非常に有利だと思いまして、この間の事情をぜひ明らかにしたいと思つておるのですが、どうか責任の問題は別にしましても、民族のためにひとつその間の事情を、できる限り詳しくお話いただきたいと思います。
  808. 中島知久平

    中島証人  私は決して隠しておりません。さつき申し上げた通り、かなり他の證人よりも私の証言が詳し過ぎてポイントに……。
  809. 徳田球一

    ○徳田委員 それは御信頼するに値いするから特に申し上げるわけでありまして、ぜひその間の事情を少しお話しいただきたいと思います
  810. 中島知久平

    中島証人  とにかく終戰後三箇年を経た今日において、ここで遅くまでも皆さんにお骨折りを願わなければならぬようなことが相当日時経つた後においてもあちこちに起つておるというほどに、民心が廃頽したわけであります。殊に終戰直後は言語に絶するくらいに、ある一部においては日本人として顰蹙するようなことがあちこちで起つたのであります。この兵器処理委員会というものはずつと後に起つたことでありますが、それでもこの通りであります。だからその当時において少しも不正なことが行われなかつた、だれもそんな人間は日本におらなかつたということを私がここで証言することは間違いだと思います。だからたくさんの軍需会社の中にはいろいろのことをもくろんでやつたものもあるでしよう。そういうことをなるべく避ける意味において整理部その他は全力を盡したのでしようけれども、なかなか中にはあなたの心配されたようなことがなかつたということを断言し得ないだろうと思います。この程度申し上げる以外に、ちよつと常識では申し上げかねますな。
  811. 徳田球一

    ○徳田委員 しかしそこに軍人が非常に大きく関係しておるのではないかと思いますが、これはどうでしようか。実際民間の工場におきましても、すべて軍人が付き添いでやつておりましたので、軍人が指示すればその間のいろいろの操作はできるのでありまして、これらの軍人と結托して莫大な不正が行われたという、こういう点はどうですか。
  812. 中島知久平

    中島証人  それは私よりもあなた方が明るいのではないですか。あなたははいつてつても出てきたが、私は中に入れられたのですから……(笑声)。だからあなたの方が知つておられる……。
  813. 徳田球一

    ○徳田委員 私が出る前に行われて——あなたの方は大体行われた後に向うに行かれましたので……(笑声)あなたがまだ東久邇内閣におられる当時そういうことがあり得たという感じはありませんか。
  814. 中島知久平

    中島証人  まだそこまでいつたかいかないか、とにかくわれわれが直接に感じたことは、さつき申し上げたように鈴木内閣の最後の命令として、軍需物資は急速に適宜処理すべしというようなことが——軍需物資というよりも軍保有物資ですね、そういう命令が出たのでありますから、その当時各所におつた軍隊あるいは軍に関するいろいろの機関におつた人は、急速にそれを実行することが最も國家に対する奉仕と考えたのであります。從つて今から考えてみれば無理なことがあつたろうとは想像します。
  815. 徳田球一

    ○徳田委員 もう一つ最後にお尋ねしたいのですが、軍の方ではあの当時持つていたいろいろの書類、帳簿だの何だのをどんどん燒却しろという祕密命令を発したそうです。これはあなた方閣議ではあるいは御存じないかもしれませんが、大概陸軍陸軍大臣が命令をしまして、そして高級副官が命令を出した、それから海軍の方は海軍次官から命令を出したとい証言がありましたが、軍需省、そのあとを引受けられた商工省では、軍需関係の会社に、こういう帳簿は燒いてしまえ、書類は燒いてしまえ、燒却しなければいかぬとい祕密命令を出されたことはないでしようか。
  816. 中島知久平

    中島証人  それはわれわれの時代になつてはありません。
  817. 徳田球一

    ○徳田委員 それが鈴木内閣の時代にあつたことはお聞きになりませんでしたか。
  818. 中島知久平

    中島証人  われわれが就任していた当時はどこの官廳も到る処で火は燃えていました。しかし軍需会社で帳簿を燒いたというようなことは、命令が出たことも知りませんが、燒いたものはごくわずかだろうと思います。たとえば第一軍需工廠としてあつたもと中島飛行機、それは帳簿は燒きませんでした。ただ爆撃のために失つたものはやむを得ませんが、自分の手で燒いたということはありませんで、極力保管に任じたものですから、今でもその帳簿は嚴存しております。
  819. 石田一松

    ○石田(一)委員 これは兵器処理の問題とは観点が外れるのですが、非常にこの委員会も関心をもつておることですが、あなたは長年日本の政界にいらしつたので、終戰後政党に政党資金か、あるいは選挙運動のために特定の候補者に政治献金をなすつたことはございませんでしようか。
  820. 中島知久平

    中島証人  ありません。それは突如として戰犯容疑者として指定されましてから、身体の自由はもちろんもちませんでしたが、一切の財産を差押えられた。ですからそういうことはやる余地はありませんでした。またやる意思もなかつた
  821. 石田一松

    ○石田(一)委員 それでは現在ももちろんそういう方面関係も何もない。献金もない。こういうわけですか。
  822. 中島知久平

    中島証人  献金もありませんし、候補者なんかに出したこともありません。
  823. 石田一松

    ○石田(一)委員 もう一遍聽きますが、あなたのところへ何とかしてもらえないかと言つて、候補者なんかで行つた者もないですか。
  824. 中島知久平

    中島証人  そうですね。一、二來たことはありますが、私はその当時候補に立つことはよくないということをで説諭して帰したことはあります。
  825. 石田一松

    ○石田(一)委員 それはあなたがまだ戰犯容疑者の決定を見ない前の問題ですね。
  826. 中島知久平

    中島証人  戰犯容疑者に決定せぬ前です。
  827. 石田一松

    ○石田(一)委員 そうすると昭和二十一年の総選挙のことですか。
  828. 中島知久平

    中島証人  昭和二十一年のときは私は戰犯で自由を失つておりました。だから、その前にそんなことを言つてきた者も一、二あつたような氣がします。
  829. 石田一松

    ○石田(一)委員 選挙がまだあるかないか未確定のときですか。
  830. 中島知久平

    中島証人  ええ。
  831. 武藤運十郎

    武藤委員長 ほかにありませんか。     〔「なし」と呼ぶ者あり〕
  832. 中島知久平

    中島証人  それから、さつきちよつと徳田さんの質問中に、あとで誤解があるといけないからちよつと訂正しておきますが、中島飛行機に関係してはおらなかつたかということでありました。これは関係しておらないということを申し上げておきます。それはこういう意味です。昭和六年ごろ私は飛行機から去つたのですが、それは、飛行機をやつておる者が政治に関係してはいかぬということの内規がありまして、偶然故郷で選挙されまして、それを辞退できなくなつたものですから、それじや飛行機の方をやめようというわけでやめたわけです。その後中島飛行機株式会社というものが設立された。それまで株式会社でなかつた。その後ずつと離れておつたのですが、中島飛行機が軍需省から接収された。これはその当時の多少強制的なものであつたわけです。それで、中島飛行機の工場、それからその存在するすべての物、人員等もみな軍需省に行つたわけです。だから中島飛行機というものは実質的に軍需工廠に変つてしまつたわけです。しかし中島飛行機株式会社という名前は残つておるのです。空つぽのものが。これを整理しなければならぬので、その当時中島飛行機におつたすべての幹部、弟の社長初めみな軍需省へ行つてしまいましたから、この空つぽのものをどうするのかということで、一時私にそれならばその空つぽを預かつてくれぬかと言うてこられたので、その間四箇月ばかりその空つぽを預かつてつたことがあります。しかし実質的には中島飛行機ではない。ただ名前だけのからつぽである。しかし見方によると中島飛行機株式会社の社長ということになつておりますから、中島は少し証言を僞つたというよな疑を受けるといけませんから、それをここで明瞭にしておきます。
  833. 武藤運十郎

    武藤委員長 では御苦労さまでした。  この際諸君にお諮りいたしますが、あとに二人、遠藤三郎君、津島壽一君が残つておりますけれども、この両名とも明日に一括して延ばして、明日は正一時からやるということでいかがですか。     〔「異議なし」呼ぶ者あり〕
  834. 武藤運十郎

    武藤委員長 本日はこれにて散会いたします。     午後六時二十八分散会