○
只野委員 岩沢次官におもにお聞きしたいと思います。
本
年度の
災害に対する
國庫の
補助その他については、とても十分だということができませんので、これはおそらく去年も今年も來年もというように、要するに不徹底に終りがちであるということを感じております。それで私はこのように
中央政府の力が不十分であ
つて、しかも
災害復旧を完璧にすることができないという場合に、
予算面の問題だけを
取扱つてそれで頭を悩ましてみたところで、
國民の
災害による窮迫というものは、少しも解決されて行かないのであります。それで私は、あるいは本日の
委員会の
見当からはずれていることを
お尋ねするようなことになるかもしれませんが、それに付随した問題として私の方から
一つの意見を申し上げて、
当局のお
考えをお聞きしたい、こう思うのであります。要点だけを申し上げます。
それは現在の
治山治水の根本問題に入
つて來ることなのですが、
治山治水の
欠陷というものは、結局
河川管理の
方式に非常に不合理な点が多い。その
一つは
河川管理のやり方が
複雜多岐である。もう
一つはこれは
中央のことだけ言うてはいけません、
地方のことも言わなければなりませんが、現在の
政府機構の上から來る当然の結果だとは思いますけれ
ども、
中央依存の弊風がはげしいために、
民力の
活用ということがほとんど
考えられておりません。これは非常に遺憾なことであります。私
ども研究が足りませんから、そう思い切
つたことは言えませんけれ
ども、
徳川時代の藩政のときの
治山治水は、かえ
つてよく
行つてお
つたのではないか。それは
民力の
活用ということが実によく
考えられておるようであります。それで私は、
河川管理の
方式の改善と、
民力活用の
方式を新しく
考えることによ
つて、今日の
予算面の不足を補う大きな力にな
つて來る、こういうふうに思うのであります。それでこれは私のほんとうの
考えにすぎないのでありますが、まず
河川管理の一元化として考うべきことは、
河川自体の管理の一元化を
考えねばならぬことで、具体的に申しますと、いわゆる直轄
河川というものをむやみに多くしない、直轄
河川を嚴選する。そうして
政府の取扱う直轄
河川というのは大
河川にきま
つておりますから、その大
河川を必ずしもみな総括的に直轄
河川にするような愚をしないで、ほんとうに重大な
河川に対しては國家が全力をささげてそれを完璧なものにする。そのかわり中小
河川その他については、管理権を思い切
つて地方に委讓してしまうという
方式を、大所高所から立てて行かなければならぬのではないか。ただその場合に
考えられることは、單純に
地方委讓とい
つても、いわゆる投げ放しにするということを
考えるのではなくしてそういう場合の
河川管理方針にについて私は
一つの具体的な案をも
つておりますが、それは專属の
河川改修の
委員会というようなものでも設けて、それに対しては特別な技能を持
つている経驗のある人、あるいは今日でいうならば、
府縣知事とかそうい
つたような責任のある地位にある者が、その
委員会の構成メンバーにな
つているというふうにして、その
河川管理の
方式をその
地方々々に適應したような立案のできるようにする。
中央政府の企画課で專門家が
考えた画一的のものではなく、その土地々々に適應して、その土地土地にほんとうに歴史的な因縁をも
つた河川管理の
方式が立
つたならば、非常に住民の喜ぶ
河川管理ができるのではないか。
それからそれに伴
つて委員会があるならば、
改修事務局というようなものを置いて、それにはほんとうの技術者がお
つて、絶えず
河川の
改修、あるいは維持保全ということをや
つて行く、こう
なつたならば必ずうまく行くのではないか。それからもう
一つは、これは
河川管理の一番非常急変の場合に備える問題でありますが、水防關係であります。今日の水防関係というのは、警察権が知事の手から離れている。しかも國家警察、
地方警察と分れて、警察自体は知事の管理権から離れて独自な立場で行くのでありますが、水防関係のようなものは、やはり國家の制度の上においても、縣知事その他と十分なる協力機関としての性能を発揮するように、これは制度化す必要があるのではないか。水防という点においてはそうい
つたようなことを
考えておりますので、
河川管理に関して行政機構をわれわれはもう一度再檢討する必要があるというふうに
考えております。
それから次に
考えられることは
民力の
活用であります。この
民力の
活用ということは実に大きな問題だと思います。今日のように
予算が
災害の何分の一も出ていかないような、あるいは今年の
部分はちつとも
予算がないとい
つたようなことで、
民力の
活用の
方式を
考えなか
つたならば、
國民がのたれ死にをする。そうして
民力活用ということをするためにはどういうふうにするかというと、結局は
地方自治体に対する
河川管理の権限の大幅な委讓を思い切
つてやる必要があるのではないか、これは実際の例として私は宮城縣の水害地の者で、ほんとうに困り果てている農民の声を聞いているのですが、たとえば、今年
河川の
堤防が
——決壞した。決壞したのでそれを修復するが、同じ程度の修復ではまたやられてしまう。來年もまた明後年も、こわれるたびに
堤防を築くというような現状にな
つている。それをもつと幅を拡げるとか、ここをこう直せばこの次は決壞しないということが
はつきりわか
つている。わかついるけれ
ども、
復旧工事ならば
府縣知事の権限で無
條件でできるが、それが
河川工事になると
中央の方からの許可がなければならない。その許可がないのにや
つてしまうと
予算が出て來ない、こういうので
地方政府は非常に困
つている。これは何としても國家として根本的に考慮しなければならぬ問題だと思います。
そういう場合には、もし今日の行政機構の根本改革が非常にむずかしいとするならば、ある地区に限
つて適当な措置をと
つて、そこだけこういうふうにやれというような、手取り早い
方式をくふうしてやる必要があるのではないか。こういうふうにすれば
府縣知事の権限がある程度拡大強化されて、そのことによる自由裁量が迅速に水害の困難を避け得るであろう、こういうふうに
考えるのであります。
それからもう
一つ、さつき
天野代議士からの御発言にもあ
つたように思いますが、
地方自治体の
河川改修に対する権限というか、自治体の管理としてや
つて行くためには、そこに当然起
つて來るのは起債の問題であります。
農民自身が金を出して、そうして農民自身が
河川を管理して行くというふうなところまで徹底すれば、
民力活用の根本的なものにな
つて來る。これは私の村の連中も私によく訴えて來るのですが、今年の米の分がとれないと思
つてそれを全部
河川の方へまわしたならば、絶対に
堤防などは決壞しないようになる。こう
言つておるのですが、これはおそらく全國の
災害地の農民の声だろうと思う。今年の米がとれないと思
つて河川の方をがつちりきめれば、來年から毎年豊作だ。そうすると、とれないことにして、ということは、要するにとれた米を
河川の方に思い切
つて出すということである。そういう場合に市町村に起債を大幅に許して、十分にその土地において消化し切れるだけのものを起債させて、そうしてや
つたならば、
國庫補助にすべて依存するという弊風がおのずからなくな
つて來る。これはそのことのために國家が怠けてもよろしいという
意味のことを言うのではない。ただそういうことによ
つて、國家がどうしてもできないところを人民自身の手でや
つていけるように、便宜を與えることがやはり政治家だ、こういうふうに思うのであります。そういうような形において、私は
治山治水というものが今の不足を
相当に補い、あるいはまた思わざる成果をあげて解決することができるのではないかと思うのであります。
それから第三番目には
國庫補助の問題であります。これは決して
國民の労働力を酷使せよというふうな
意味の
考えから出るのではなくして、
國庫補助というものは、どうしても
國民自身の手で補うことのできないものに対する
中央政府の強力なる援助でありますから、その
中央政府の強力なる援助はあくまで重点的に、そうして完璧なものに仕上げて行く、そのためにはこの
部分は今年はできないぞ、そのかわりこつちの方はがつちりやるぞと
言つて、片つ端からきめて行けば、その分は一年や二年は恨みます。恨まれても、
政府としては
國庫補助の性格から完全なものを仕上げる。そうして順繰りに重点的にきめて行
つたならば、そのかわり向うの
利益をこうむ
つた分からよけい税金をと
つて、こうむらない方へまわして行くというふうなことはあたりまえの話である。そういうふうなことが大切で、総括的にすべてやるというふうな
國庫補助の形式は、結局國家の
資金というものをスポイルしてしまう。
これは非常に考慮すべき問題ではないか。このような弊風が非常に多い。それがこの
中央政府に
陳情に來る
一つの大きい原因である。
從つて地方分権的にや
つて、そうして
地方の
府縣知事に権限を委讓してやれば、その弊風はずつと少くなると思うのであります。そうなればわれわれとしても安んじて國家の
補助に対する信頼が出て來る。こういう
考えをもつのであります。
以上が
民力活用に関する私の
一つの
考え方でありますが、こうい
つたようなことをするために、現行法規を改正することが困難であるかどうか。あるいはこれがやり得ることであるかどうか、そういうことを一應お聞きしたいと思います。
それからこれは非常に大きな問題になりますが、
河川の総合開発計画、これは結局今の日本の國情では、日本の
資金というものは絶対的に足りないと思います。
從つて河川の総合開発のためには、外資導入ということが必然に起
つてくるのではないか。むしろ今日、前内閣においても
考えられた外資導入問題のごときは、この國土計画的な面に費されることが大きな
意味をもつ、
從つて外資導入をするかどうか、そういう計画を
考えておるかどうか、それをお聞きしたいと思うのでありますが、ただそうい
つたような外資導入をするならば、
民力の
活用ということが具体化されなければ、外資導入はいたずらに日本の國を植民地化してしまうが、
民力活用が完全に行われ態勢ができて外資導入するのなら、日本の國は植民地化さない。この区別だけは
はつきりつけて行かなければならぬと思うのでありますが、そういうことに対する
当局のお
考えをお聞きしたいと思います。
それから現在の本
年度の
災害、そういうものに対する
國庫の
補助、そうい
つたようなことに関しては、いろいろこれから承
つて、檢討して行きたいと思いますが、以上が私が
治山治水を
考えた場合に、この形式をも
つて行かなければ、どうもうまく行かないのではないか、
予算が足りない、足りないということだけに終始してお
つたのでは、いつまでた
つても日本の
治山治水はできないのである。その
予算の足りない面を補うために、こうい
つたものを並行させてくふうする必要があるのではないか、こう
考えたのであります。
以上はなはだ雜駁な話でありますが、
お尋ねいたします。