○只野
委員 大臣に、お尋ねになりますか、希望になりますか、私は
宮城縣の
災害地出身の代議士ですが、
東北地方の
水害の
状況というものは、よほど拔本塞源的な
計画を立てなければ処理ができないと思
つております。ことに
宮城縣の
災害は、ほとんどあそこは
河川も網のようにな
つておりまして、よほど
計画をうまくしなければ、今後何十年も続かぬだろう、こう思
つております。それで私はこの
水害対策あるいは治山
治水の根本問題として考えているのは、結局は徹底した
地方分権の政治をしなければ、治山
治水はうまく行かぬ。だが今の段階において、徹底した
地方分権をやろうということは非常にめんどうなことである。それで、私は今日の段階において考え得る道が二
通りある、こう思
つたのです。その
一つは
河川管理の一元化であります。もう
一つは民力の活用、つまりその
河川流域の民力の活用、この二つの面から考えて行
つたならば、今日の制度機構のもとにおいてもある
程度やれるだろう。その第一の
河川管理の一元化というのは、私の方の
災害地の陳情團やなんかからよく來ておりますが、よその方も同じだろうと思いますが、たとえばある
一つの
河川が破壊された、その場合に、その
河川を修復をするには、ほんとうは
堤防の位置をかえて、
もつと川幅を廣くして、しつかりしたものをつくろうと思
つても、
復旧工事ならば許されるが、位置をかえるというようなことになれば、いろいろな手続があ
つてそれはできないのだ、そういう関係上、この次に大水が來ればまたぶつこわれるということがわかりながら、
復旧工事で終らねばならぬ。こういう
状態が非常に多いのであります。これは中央
政府が思う存分の
補助が出せるならば、管理権を
地方が握
つており、
地方が一々許可を願
つて來たとき許してやるという方式もいいけれども、場合によ
つては
補助もできない。それなのに
河川を動かしたりすることだけはやかましく禁じておる。こういうことであればいつまでた
つても
河川の修復ということはできない。そこで私は、
河川管理の一元化ということは、
もつと具体的に言えば、中央
政府は思い切
つて地方政府に、これらの
河川に関しては修復あるいは位置をかえるというようなことはお前の方でか
つてにや
つてもいいというように、ある
程度の大幅の権限委讓をや
つてくれる。そういうことをしたなれば、非常急変の今日の
水害に対して十分に効果をあげるのじやないか。こういうふうに考えておる。それからもう
一つ河川管理の一元化として考えねばならぬことは、これは北上川とか阿武隈川などの場合がよい例になると思いますが、一本の
河川を二つも三つもの縣にまたが
つて管理をする場合に、その二つの縣の間の連絡機関が不十分であれば、結局中央
政府だけの手でなければそれが
処置できないということにな
つてくる。そこで大きな
河川に関する限りは、ことにそれが二縣、三縣にまたがるような
河川に対しては、その
河川管理に関する地元民の間における
一つの協同体あるいは組合のような何らかのものをこしらえて、それを制度化して、そういうことによ
つて河川というものは強く強化されていくのじやないか。
河川の管理の一元化は、地理的一元化と、行政法的な意味における一元化と、両面が必要じやないか、こう考えております。
それから第二番目の民力の活用ということですが、これは先ほども
益谷大臣のお話がありました
通りに、
補助金額というものが思う存分い
つていないという
現状においては、民力の活用ということをくふうすることは実に大切である。それは実は私の村は
宮城縣で一番の
災害地ですが、私の村が、何とも
処置ない。縣廳でも何ともできない。
政府からも
補助金がこない。しかし実際ある
程度徹底的の
工事をするには二千万円の
事業費がいる。その二千万円の
事業費を何としてももらう道がないので、しかたなしに一反歩から米何升ずつか出すということにして、村議会において二千万円出そうということを決議した。これは、民力が、いよいよやり切れないとなれば、やはり土地に住んでおる人というものは生きる力によ
つて最後の苦しい努力を発揮してくる。それは民力が死ぬるか生きるかというときにはやはり力を発揮する。その力を何とか
國家が制度的に考えて、そういうような方式によ
つて、この
河川修復とか荒土の修理とか、そういうことのできるような便法を與えてや
つた方がいいじやないか。それは決してそのことのために中央
政府が樂をするというのではない。手が及ばないから、民力活用の形式をくふうしてや
つて、國民の方で納得してやるのであ
つたならば、それで一日も早くそれは成功するのじやないか。ただ單に諸帳簿の判こつきのことのために、あるいは役所の管理権の権限の爭いなどをするようなことは、もちろん今の段階ですからないとは思いますけれども、そういうことのために万一にも國民がみずからの力で処理しようというのを阻害するようなことがあれば、これはよろしくないことだと思う。そういう意味において、國民は自分のためですからやりますから、その民力活用を
もつと合理的に制度的に
政府も議会も研究して行くことが大切じやないか。こういうことを考えておるのであります。それにつきまして今ただちに御返事をいただこうというわけではありませんが、私の所見の一端を申し上げて、治山
治水の根本策としての御参考にしたい。こう思うわけでございます。