○姫井伊介君
片山総理大臣の施政
方針演説に対しまして、
労働問題、税制問題並びに予算に関しまして、緑風会の一員といたしまして質問をいたします。
第一は、
労働問題と産業
生産形態についてでありますが、我が國の
労働者が長い間資本主義と軍國主義と封建的観念の重圧の下に苦しみ來つたことは申すまでもありません。終戰後
民主主義の大鉈によ
つてこの重圧の重石は微塵に粉碎されました。
労働者は驚いて起ち上りました。喜んで起ち上りました。併しそこには恐るべき
インフレーシヨンの嵐が巻き起
つておりました。これに伴う生活難の怒濤が押し寄せて参りました。
人間として目醒めましたところの
労働者は、生活権並びに
労働権確保のために協力團結いたしまして、この嵐、この大波を衝いて、それを乘り越えるために、鬪爭に次ぐに鬪爭という
一つの手段方法を以て前進して参つたのであります。これが今日までの樣相でありまして、私はそれは自然の姿と
考えるのであります。今後はどうあるべきか、
労働攻勢といい、資本攻勢といい、若しも從來のごとく鬪爭的な
言葉により、行いにより続けて行かれまするならば、私は平和
日本建設後において大きなる矛盾を産み出すと
考えるのであります。
言葉自身が持つ観念、眞理、これには恐るべきものがあります。私は決して鬪爭を否定する者ではございません。けれども本当に自由なる人権、平等な生活、これを確保するために、努力するためには、敢て鬪爭ということによらずして、私は社会正義を背景としたるところの正しいところの運動、強い要求主張によ
つてこれを貫徹することができると
考えるのであります。歴史は鬪爭の歴史と言われておりますけれども、我が國にとりましては、即ち
戰爭を放棄いたしまして、
文化的な平和な國を
作つて行こうとする場合におきまして、私共は飽くまで平和な、
文化的なその歴史を新らしく
建設して行かなければならないと
考えるのであります。憲法の第十二條には、憲法が保障するところの
國民の自由並びに権利は濫用されてはならない。常に公共の福祉のために利用するの
責任を負うべきものと規定されておるのであります。この点から
考えまして、從來採られましたところの鬪爭、即ち力において、時間において、金において、多くの無駄を生じ、而も早くなさなければならないところの
生産過程を足踏みをさせるという
ような方向につきましては、多くの考慮、反省を求めなければならんと
考えるのであります。(
拍手)首相は
演説の中に、最近健全なる
労働運動の起りつつあることを喜ぶ。更に遠からず不健全分子は制裁されるであろうことを期待すると述べられております。更に
日本経済再建の成否は一にかか
つて全國の
勤労者及び農民
諸君の双肩にある。社会
秩序の混乱と再建
経済の破壞を企図するがごときことは、
諸君の採らざるところであると信ずると述べられておりますが、これだけは今後あるべき
労働行政の
方針が奈辺にあるか、はつきりしておりません。
ただ一つの
情勢と希望を述べられておるに過ぎないのであります。
更に私は
労働者のみに対する要求のみならず、一方事業界への反省、要求というものがなされなければならない。(「その
通り」と呼ぶ者あり)(
拍手)この点について、何らも触れておるものがないのであります。労資協調という
言葉が使われますが、これは申すまでもなく大正時代に使われた
言葉でありまして、頗る古い
思想であります。平清盛が鎧の上に衣を纏い、鎖帷子の上に背廣服を着、防彈チヨツキの上に作業服を纏いましても、それは本当の労資協調の姿でも何でもない。事業一家、事業は一家であるという産報的な
考え方もあるのでありますけれども、これもそうした自然の
情勢が持ち來され得なければ、口で言うお説教では何もならないのであります。確か大正年代と思うのでありますが、時の紡績業界の大御所が沢山の女工を前にいたしまして、あなた方はこの
工場の家族である。私はあなた方の親である。父と思いなさい。仲良く働いて行きまし
よう。と、こう
言つた時に、女工の一人が一歩前進いたしまして、お父さん、私にも大島の着物を買
つて下さい。と
言つたという皮肉な話があるのであります。(
拍手)
そもそも
労働問題の発生はどこにあるか。申すまでもなくそれは資本主義の機構と、封建的な観念と、これの結合によるところの私生兒であるのであります。
労働問題はこの資本主義的な機構、
考え方、働き、これがなくならなければ、どんな姿を採りまし
ようとも断じて絶滅することはできないのであります。(
拍手)(「資本家がなくならなければいけないね」と呼ぶ者あり)だからして私は
ソ連に憧れを持つものでもありませんけれども、又多くの欠点も見出しますが、今の問題の限りにおきましては、
ソ連におきましては
労働爭議はございませんと私は聞いておるのであります。
そこで産業
経済界の現状を振り返
つて見る必要があるのであります。終戰後、財閥の解体、独占禁止、
経済力集中排除、並びに各協同組合の組織、これによりまして我が國の社会状態はどういうふうにな
つて來たか。昔は社会は三角形だ。円錐を成しておるところの三角形だとい
つて、立体的に見ておりましたが、今日はそうした民主的の進行に伴いまして、これは段々押し下げられて参りまして、殆んど平面化して、又平面化して來なければならない
情勢にあるのであります。又それが我が國の進むべき
目的であります。即ちそこには社会的階級、或いは生活的階級というものも非常に幅が狭く、高さが低くな
つて來た現状であります。故にいわゆる資本家としての特権というものは認められません。搾取は行われません。不当
所得も許されません。かくのごとき実態の今日、
生産増強に対するところの産業の組織は如何にあるべきか。即ち経営者と技術者と
労働者とは、從來のごとく上下的な隷属、服從
関係でなくして、全く平等に置かれなければならない。同じ対等の権力の上に置かれねばならない。即ち平面的にこの三者が結合しなければならない。この結合によりまして初めて資本というものが活用されるので、資本は
生産のために絶対欠くべからざる要素でありますが、その資本に使われるということでなくして、今申しました形態によりまして今度は資本が活用されなければならない。私は資本や或いは利子というものを否定もいたしません。その形態はどういうふうになるか。今日では経営協議会とか
生産協議会とか申しておりますが、私はこれを打
つて一丸としたるところの事業協議会というものによ
つてこの産業が運営されて行かなければならない。これが即ち産業の
生産協同体と私は申すのであります。即ち経営者も、技術者も、
労働者も平面結合でありまして、悉く給與によ
つて生活をするという全部が
勤労者なのです。全部が
勤労者である。そこに涙と血が通
つて來る。本当にこの
工場は俺たちのものだ。この
会社は俺たちのものだという実体的の本当の感じが出て來るのであります。無論
労働者におきましても或いは
労働組合におきましても、その
会社ならば株を持つことができる。出資することができる。ここに何らの資本家としての横暴は認められなくな
つて來るのであります。そこにこそ基本的人権の尊重が
実現いたしまするし、生活権の平等が保障されるのであります。併しながら多くの人は、資本主義と自由
経済とを混同される傾きがあると私は思うのであります。申すまでもなく資本主義は
生産経営の
一つの仕組なので、自由
経済といい、統制
経済といい、それは
一つの
経済政策なんであります。だから如何なる形態におきましても、或る部分に対しまして、或る範囲において、自由
経済がこれは必要であるというならば、それはできる。統制
経済ならざるべからずとすればそれができるのであります。
かく観じて來ますると、私は今日もはや資本主義というものは成立をしない。崩壞してしまつた。その段階に到達しておるということを
考えるのであります。(
拍手)(「そのことだけは正しいな」と呼ぶ者あり)故に私はこれに答うるに産業協同主義を唱えるのでありまして、労資観念は即ち止揚さるべきものだ。今日尚資本家だとか、或いは金持だとかいつた
ような、目に見えないところの幽霊に襲われておるということは愚の骨頂だと私は
考えるのであります。(「まだ残
つておるよ」と呼ぶ者あり)残
つておるのは段々これは清算して行かなければならない。(
笑声)この方向にこの
労働問題並びに産業形態の方向というものを持
つて行かれるお
考えがありますかどうかということを、第一に
お尋ねするのであります。
次は、今の認識と見通しが誤まりないといたしまするならば、私は現
内閣が採
つておられまするところの三党の
政策協定というものも更に
考え直される必要があるのではなかろうか。余りに
一つの部面にこびり附いておる。丁度冬の蠅が日向の障子に頭をぶつけてぶんぶんや
つておる
ようなもの、一歩退いて大観いたしまして、いわゆる大悟徹底しなければならない。結んで固いところの厚氷が解けて流れる春の水と申しますか、淙々として洋々たる大海に落ち込んで行く。そこまで従來の
考え方が高められて行かなければならない。即ち政権というものに対して拘わりを持たないで、本当に
日本を立派なものに仕上げて行くのだというこの一念に、高い理想に到達いたしましたときに、いや何党、何派といつた
ような小さい拘わりについて、なすべきことを阻害するという
ようなことは大いに反省しなければならないと私は
考えるのであります。即ち
企業の再建整備、或いは
金融の再建整備にいたしましても、今日の軍事公債の利拂い問題なども、この高い見地から眺めて見まするならば、私は易々として解決することができると思う。この高い、大いなる理想、それに向
つて総理のお
考えはどうでありますかということを第二に
お尋ねいたします。
第三には、税制問題でありまして、租税は、必要な額が、必要な時に、いつでも、最も見易く、確実に、漏れなく收納されなければならない。それがためには
國民をして國家の
財政を知らしめるとか、或いは
課税額が公平適正でなければならない。納税方法は簡素に、その費用は軽減されなければならないといつた
ような、いろいろな條件がありまするが、これに対しまして首相の
演説の中におきましては、徴税機構の拡充強化と税務運営方法の刷新とを図り、
税務官吏の待遇を改善し、綱紀を粛正する。
インフレ所得者に対する第三者の通報制を活用するといつた
ようなことを述べられておるのでありますが、それだけの
考えでは、まだ昔ながらに税は上から引き締めて取られるものだという感じを
國民に與えるのであります。即ち税金は我ら
國民が納得して納めるべきものだといつたところの、そういうふうな心持になり得ない。私は税制につきまして極く大綱を申述べます。それは
一つは
國民税と私は仮に言
つておりますが、その内容は米の消費税であります。主食配給統制が行われまする期間だけはこの
國民税というものを
考えたらどうか。即ちこれは米だけに、米の配給量だけに課する税金なんであります。藷だとか、麦だとか、それは別物なのであります。又それは
國民ひとしく頭に落ちかかるところの均一消費税となるのでありまするから、余り多くを求めてはいけない。けれども、一方
國民の生活権の平等が保障されるという、この見地から言いまして、或る程度の人頭均一
課税というものは私は認めてよいのじやないか。
政府は供米割当を合理化して完全な供出を求める。できたところのものはいろいろな方法によ
つて全部配給のルートに乘せると、先程も農林大臣の御答弁がありましたが、若しそれならば、この消費税を課することにおいて、多く米を
國民に與えれば與える程國家の
收入は多くなるのであります。若し仮に不正な人があ
つて闇流しをするというならば、それは統制違反に問われると同時に納税違反に問われるということになるのであります。仮に私は米一升に対しまして五円とこれを見る。闇買をしないで済むならば、これだけは私共は
國民が我慢をしてもよいのじやないか。六千万石の産米に対しまして三百億円の歳入が予想されるのであります。
第二は
勤労所得税であります。これは裁定生活費というものを合理的に見まして、これを
勤労所得から差引いてしまう。或いは
課税の免税点を引上げるとか何とかいろいろなことを
考えておりますが、お互いは最低生活をするためにはそれが保障されなければならんとすれば、それに要するところの費用は
勤労者の
所得から差引くということは当然なんです。その上に対して累進的な
課税を行
つて行く。これは
收入は確実である。前に申しました
國民税は食糧配給公團をしてやらせればこれ亦
收入は確保できるのであります。
その次は一般
所得税でありまして、これには
國民の総
所得を
考えまして、それによ
つて一つの基準を付けて等級別をするのであります。例えば三十等なら三十等といつた
ような標準等級を求めまして、それによ
つて地方々々において、職域若しくは地域の特殊の協同組合、これを基本体といたしまして、ここにおいてその標準に合わして
國民に相談し合わせるわけであります。組合に相談し合わせる。そうすると凡そ分るので、あすこはこういう
收入がある、あすこの家庭事情はこうだ、あすこは闇をして随分金が入
つて來ておる、十目の見るところ、十指の指さすところ自然と分るのであります。ここにおいて多数の人の申合わせによりまして、つまり民主的な共同
責任制を持たせるのであります。今日は單独申告制がありますが、これは單独申告制でありますからうまく行かない。これに社会的の
責任制を持たせる。又協同組合によ
つてお互の
國民生活の基本が形付けられて行くということは、これから先我々の行くべき途なのであります。ここにおきまして私はこれも今の
ような沢山の
税務官吏、職員を使
つて何十億という金を使
つてやらないでも易々としてできるのではないか、その他推定の困難な
所得に対しては、これは税務署にやらせる。或いは財産税なぞは、これは税務署にやらしたらよろしい。その上私は教育税というものを
目的税として設定する。六・三制問題もいろいろありますが、これだけのものはこれは教育費にするのだという
一つの
目的税といたしまするというと、父兄の人、
國民は喜んで私は出す。先に公債だとかいろいろな話がありましたが、私はこの方法を採
つて行くならば、又六・三制の実施、その他教育振興の上におきまして計画的な仕事ができて行くのではないか、而してその標準は綜合の
所得額に比例して行けばそれでよろしいのであります。
政府は税制改正の具対案を近く出すと言われますが、今申しました
ようなこれは
一つの愚考に過ぎません。一々の税目について御答弁を私は願うとは思いません。こういうふうな形式、こういう氣持ちでやつたならば、税がうまく公平に適正に取れるのではありませんかというので
申上げるので、この点に対しましての御答弁が願いたいのであります。
最後は、これは一口の御答弁で済むことであります。新年度予算の案はいつ提出されるかということなんであります。
政府の持
つておりまする
政策、信念、決意というものは、この出さるべきところの予算案に具現して來るのであります。この予算案によ
つて我々は檢討することができる。無論その
実行にもよりまするけれども、
國民はこの予算案によ
つて、この
政府信ずべきか信ずべからざるかを判断する材料となる。而もこの
政府が本当に独自の立場から新らしいところの予算を編成されるのであります。現在三本マストの
片山丸は、この難局の運航におきまして泥舟として崩壞するか、或いは難航は続けながらも
一つの鉄船として押切るかということは、ここに
一つの標準が見出されるのであります。当り前ならば
施政演説と共にこの予算が出されなきやならない。これにはいろいろな
関係もありまし
よう。
相当の時日も要しまし
ようが、さてこれを編成する
人たち、定時退廳とか何とかそんなことを言
つている時代では私はないと思うのであります。
國民の公僕として夜を日に継いで、徹夜してでもですね、この案は早く仕上げなければならない。早く仕上げる程
國民の信を得る。遅くなる程
國民から飽かれるということになる重大なるこの予算案であります。公務員が本当に尊敬せられて、公僕として本当に尊敬し、信頼し得られる、道義昂揚とありますが、問題もありますが、かくのごとき仕事に本当に身命を打ち込んで急速に適正なる案を出すということが、即ち道義昂揚の範を示すの一端ともなるわけなんであります。この重大な意義を持ちまする予算案を、一体二月の何日頃までにはつきり御提出になりまするか、それを御伺いいたします。以上。(
拍手)
〔
國務大臣片山哲君
登壇〕