○
証人(
江口泰助君)
只今から私が
証言いたしますことは、私
個人の考でございません。数ケ月前から巷間にちらほら聞いた、この
委員会の構想に対しまして、我々
教職員組合が自主的なその
修正案を作り、これを全
國大会に二回掛けまして、全國四十五万の
教員の総意として
修正案が纒ま
つたのであります。この
参衆両院で今
審議しておられますことにつきましては、我々の同志四十五万の諸君が、非常な期待と熱望を持
つてこの
法案の
審議を注視しておるのであります。時間がございませんから、簡單にその重要な点だけを申上げますが、お手許にプリントをお配りしてありますので、尚触れることができない点につきましては、後日御
審議の時に御質疑下さればと思います。
先ず逐條、第三條から入りまして、
教育委員会は、
都道府
縣並びに市、それに
東京都の特別区を含む、それから
人口一万の
町村、
特別教育区に
設置することにな
つておりますが、私達は
現場に働く
教員といたしまして、結論としては、
委員会は
都道府縣と
五大都市にだけ限定して、
日本の現
段階においては
設定すベきである。それで今後私が
証言いたしますことにつきましては、それ以下の市、それから
人口一万以上の
町村、それから
特別教育区、これだけの
委員会につきましては、私
削除したものという
考えで触れません。私達は徹底的にこの
削除をせねばならないということを主張しておるわけであります。先ずその
理由はいろいろありますけれども、主な点から申上げて見ますと、この第五條に「
教育委員会に要する
経費は、
当該地方公共團体の負担とする。」とありますが、この点に関連して
考えて見ました場合、この
教育委員会に要する
費用という言葉も非常に曖昧であります。これがただ
事務局の
職員の
給與だけが、或いはその
建物の
経費も入るのか、或いは又
委員の
実費弁償も入るだろうと思います。それから尚これを拡大して行きますというと、
学校管理とか、
学校営繕の
費用も入るのじやなかろうかというような疑念も持たされる。そういう点から
考えて見ましても、
経費が相当な額に上るということが予想せられるわけなんでありますが、今六・三制さえ非常に難澁しておるところに、一万のところまで一氣に細分した
委員会を設けるということは、正に
日本の
地方財政状態の破綻に拍車を掛けるものであるということを、私達は本当に
現場にいて、六・三制の三の
新制中学校の建設、
運営問題で、血の滲む思いをしている
現場の
教員は、これで又苦しめられるかと思うと、どうしてもその叫びとして、一方というようなところまで下すということには賛同できないわけであります。
それからその次に、我々の最も関心を有するところの
人事の件なんでありますが、一縣に
一つしか
教員養成の
学校がないのに、
人事の
権限を持つところの
委員会を、
地方によ
つては百も或いは百五十も
委員会ができるというようなことになるとすれば、全くこの
人事は硬化してしま
つて、新らしく師範を卒業した者の配当にさえ、非常な難澁を來すというようなことになる虞れがあると思われます。次にもう
一つの点につきましては、これは
現場の
教員として
從來の
体驗から最も苦んでおる点でありますが、
日本の
民主化が未だ未熟の
状態にある今の
段階におきまして、一万以上のところは、例えば二年後に延ばされたとしましても、二年や三年で、いわゆるこの模範としたところのアメリカの
委員会の
制度を直ちに採入れて、
日本に当嵌めるということになりますというと、まだ各
個人が本当に民主的に目醒めていない時に、その
委員の
構成というもの、又は
委員の
活動、
委員の
考え方というものが、果して
教育を進展せしめて、民主的に
教育を
運営して行くような
構成ができるかどうかということは、私
達現場に立
つて、村や市や町をあちらこちらと十何年、二十何年移り歩いて、本当に村の
教育行政、或いは村の
学務委員等に苦しめられたものとしては、これには当分のところ、とにかく一應縣だけに止めておいて、市以下のところに下げることは妥当でないということ、これはやはり
現場の
教員の僞りのないところの声であります。併しながら私達はこの基本的に目途とする点については、あながち反対するわけじやないわけであります。それで一應のところをとにかく道
府縣とし、それから
五大都市だけに止めておいて、漸次
民主化の習熟の度合に應じて、これをもつと分権さして行くということにつきましては、我我はこれを拒否するものではないわけであります。尚
五大都市の当該
府縣からの独立につきましては、
只今前者から御説明になりましたが、全くその
通りでございまして、
五大都市の
民主化の速度、教養、識見の
程度、それから経済能力等から
考えて、
五大都市は直ちに
都道府縣同様、
委員会を
設置して何ら差支のあるものではないということも、これも
五大都市に住む
現場の
教員達の一致した声なんであります。以上第三條につきましてはそれだけでございます。
次に、第六條につきまして申上げて見たいと思います。第六條は
都道府縣の
委員は七名、それから
地方委員会の
委員は五名とな
つておりますが、結論としまして私達は
地方委員は認めておりませんから、
都道府縣の
委員は最低九名、最高十五名くらいまでに押えてお
つて、その縣の
人口の概数に比例すべきであるということを主張しておるわけなんであります。例えば島根縣等は
人口五十万人しかおりませんが、
東京都などはその十倍になんなんとする
人口がおるわけなんでありますけれども、その他に
教育業務につきましても、いわゆるそれより厖大な
権限を持
つた教育業務につきましても、小さな
府縣に比べ、大きな
府縣は必然的に業務の範囲が殖えるということは、而も複雜であるということは頷ける論理なんであります。それで私はこの
委員会が本当に力を出して、
執行機関として役目を果すためには、
委員会が直接業務を扱わねばなりません。ただ名
目的に
從來の学務
委員的な存在で、名目ばかりで○K、○Kと
言つて、
教育長の案を鵜呑みにして行くような
委員会であ
つては駄目なんです。本当にこの
委員会を実のあるものにするためには、やはり業務
内容に亘
つて、それから業務の全般に亘
つて、
委員全部が配当されなければならんと私達は
考える。その点から
考えて見ますときに、
五大都市を含むような
都道府縣から、五千から或いは六千というような十分の一しかないところの
府縣まで、同じ七名の
委員の数で押えるということは、どうしても頷けないわけなんです。尚この人数を少くするということは、どうしてもやはり一方に
委員が偏する虞れがあります。それと共に或いはいわゆるこれが本当に目途としておるところの、何も直接國民に対して、いわゆる國民に直結して、何者にも不当な支配、如何なる不当な支配にも支配されないというような基本的な
精神が、人数の少いことによ
つて私は犯され易いということは、指摘できると思います。以上の点で私は最低九人から最高十五人までを概数に比例すべきである。こういうふうに申上げたのであります。次、第六條の三項の中に、
委員の中の一人は
当該地方公共團体の
議会の
議員の中からとありますが、私達は
現場の
教員の
考え方からしてこれは不要である、第三項は
削除すべきであるということを主張いたしたいのであります。それは三つの
理由がありますから簡單に申上げます。
一つは
地方議会の
議員たるが故に特権的なる意識を持
つて、
教育委員にそのまま横辷りするということは、これは賛成できない。第二番目には、
予算関係との釣合云々ということがありますが、
事務的折衝云々ということがありますが、私は
教育予算は、本当に
教育委員が自主的に判断して打ち建てるべきであると
考えます。そのためには
地方の一般
予算に詳しい者が入
つて來ることは、
地方議会の御用
機関にな
つて、
予算編成が
地方議会の言うままの
予算が編成されるということになり、
教育委員の
予算編成の
権限は、無力無
意味な存在となる虞れがある。もう
一つは、これは語弊があるかも知れませんが、いわゆる政党政治が華やかにな
つて來ますと、必ず政党に所属しておる
議員であることは間違いありません、
地方議会の
議員が、そういう人がここに入
つて來るということにおいて、ますます
教育委員会の中に政党色、党派的な、政党政派的な爭いを持つ込んで來るということは、私
達現場の
教員としては頷けないのであります。以上の点から、私は
地方議会の
議員一名を入れるということは反対で、第三條
削除を要求するものであります。
それから次の第九條、現職の
教員の立候補を禁止することにつきましても、これは我々は非常な、最も我々が、全條の中で反対する点であります。我々は憲法の認められたところの人権の自由を、
教員であるが故に、何故この
委員会で拘束されなければならないか、立候補を禁止されねばならないか、我々は一歩下
つて、他の
國家公務員同樣兼職を禁止されるということについては、我々頷ずく点がありますが、
教員なるが故に立候補さえ禁止されるということは、実に我々にと
つては屈辱だと
考えております。これは我々の
考え方によ
つては、サービス廳であらねばならんところの文部省が立案するときに、何とサービス廳の
考え方が、我々
現場教員を
考えて下さ
つたのだろうということを
考えて、我々
教員は実に涙を呑んで怒らざるを得ないのであります。この第九條の現職
教員の立候補を禁止するということは、とにかくこれは全部
削除することを要求するものであります。若しも私達は、
都道府縣議会の
議員を一名入れるということが、いわゆる一般行政、或いは一般
予算との釣合で一名入れるということが皆適当なりとするならば、私達は
現場の
教員、或いは公法上認められたところの
教員組合との関係において、いわゆる
議員同樣、特権的に一名
教員組合の、いわゆる
現場の
教育代表として、何故この中に一名認めないかということを、私は
はつきりここで申上げたいと思うものであります。
次第十
一條に行きますが、時間がありませんそうですから簡單に申上げます。これも
彦由さんの方から御説明がありましたが、これはいろいろな
理由で、生活不安の現
段階において果して
地方教育委員に出て來る者は、本当に立派な人が出て來るだろうかということを眞に
考えて頂きたい。現実の問題として
一つ考えて頂きたい。
從來の学務
委員が本当に
教育振興のためには無力でありながら、或る一面にはその権力を利用して、その特権を利用して、
教員が如何に血の涙を呑んだかということは、我々
現場の
教員としては忘れることができない。この点につきましては、成るべくすべて
費用は
実費弁償ということでなく、歳費を出して幾分なりとも生活の保障をするような途を講じて頂きたい。これは外にも
理由がありますが、省略させて頂きます。
次に第四十三條の
教育長及び
事務局でありますが、私はここの中にアメリカの大統領の國会の関係見たいなものが入
つて來ておるように感じられるのであります。いわゆる
教育委員会というものがあ
つて、そこの下に
事務局があ
つて、
事務局の長が
教育長というようなことが普通我々の常識なんです。ところがそうではなくて、
教育委員会があ
つて、その横に
教育長というものがもう
一つあ
つて、実際は
教育長の手足となる
事務局と、
教育委員会の
事務局があるようにな
つております。つまり
教育委員会の
事務局のみと思
つておりましたのが、そうではなくて、いわゆる
教育長の
事務局があ
つて、それが
議会の
政府ではなくて、大統領の
政府であるというようなアメリカの政治形態に似たようなものが出ておる。私はこの点は不要だと思います。ところがこれは文部当局の御説明によりますと、いわゆる素人と玄人のミツクスによ
つてバランスをと
つて教育を進展させるということになりますが、これは
教育長が玄人であり、
委員会が素人で、この二つのミツクスで
教育を進展させるというならば、
現場の
教員を三名、素人を
地方から三名、そうしてそこに素人と玄人の混ぜ合せで、その下に
事務局を設けて
事務局の長を置けば、結構その
目的は達せられると私は思うのであります。それで私は
教育長をそういう
委員会を対立しておるようなものにし、そうして
事務局を
教育長の下請
機関みたいにすることは、私は賛成できない。
それから第五十五条の
予算関係がありますが、これはとにかく我々が
從來から主張しておるように、全額國庫負担の建前で行わなければ、私は
教育委員会が本当に画期的な
法律でありながら、ただ旧体制に結びついて、縁がつなが
つていて、どうしても拔け切れないのは、ここだと思
つておる。この
予算の点にはすつきりしないものがある。
彦由さんが指摘されたように、やはりここに腐れ縁がつなが
つていて、やはりここが
委員会活動の命取りになる虞れがあると私は信じております。
一番
最後に、附則の八十
一條であります。この附則の八十
一條につきましては、これはいわゆる暫定
措置を
規定しております。今の
地方教育部課の
職員並びに部課長は、來年の三月三十一日までは当然
法律で保障されて、
教育委員会の
事務局構成メンバーになりますが、これこそ私はいわゆる官僚が官僚を守
つてやろうとするような、官僚温存の氣持が現われておるような氣がする。何故かと言いますと、これは
委員会が成立した以上、これをどうするこうするということは、これは
委員会の
権限に任せればいいのであ
つて、來年の三月三十一日まで保障するというその裏には、何かそこに次の機会に
一つの特殊的な位置を與えるような、約束のような感じがするわけであります。これは
削除して、そうして
委員会の
自主性に任せて、
委員会が來年の三月でなくて、五月でも、七月でも、來年
一つぱい掛か
つても、私は
委員会の自主的な判断によ
つて事務局構成はや
つて然るべきだと思います。こういうことは不必要だと思います。
以上長くなりましたが、簡單な積りでや
つたのでありますが、私の
証言はこれで終ります。