○
國務大臣(
森戸辰男君)
只今岩間委員から、
学生ストについて御
質問があり、かような
事態がどうして起
つたか、
文部省はいろいろな点で
十分策を盡さなか
つたのではないか、又今後についてどういうふうな策を取るつもりであるか、こういうふうな御
質問であ
つたと思うのであります。尚多少
お話について、
はつきりしない点があるのでありますが、
只今の
お話では、
趣意から言いますると、
授業料値上
反対が
ストの
目標であると、こういうようなふうに
お話の
趣意は承わ
つたのであります。実は昨日各
学校に人を派して、一体どういう
目標で
ストをや
つているのかということを、実は調べさして見たのでありますけれども、
授業料値上ということはどうも表面には出ていないようであります。これから数日前に、全
國國立大学高專代表会議という名の下で、私共の下に
要求書が出されているのであります。これを読みまして、これは二十二項程
要求が掲げられているのであります。値上がどこにあるかというので、いろいろ尋ねて見たのでありますが、第二の「イ」に
授業料値上
撤回、
入学金その他の値上
撤回、
地方教育税反対という「イ」の
項目の更に小さな
部分に挙げられているのであります。この
事態は私は非常に注意すべきではないかと思
つているのであります。長い間、
文部省ではこの問題に対する
交渉を受けまして、私共親切にその
学生の
要求を聞いたのであります。併し私共よく
日本の事情を話し、三倍値上ということは望ましいことではないけれども、併し今日の
事態から止むを得ないものではないかということを懇々説明をいたしたのであります。社会におきましても、一般的にそういう
判断はむしろ常識とな
つて参
つたと思うのであります。そこで
学生運動は、それを取
つては問題にならんということから、
目標の轉換が行われたと私は
判断するのであります。そこで
只今言われましたように、
教育復興ということを
目標として、中に二十二
項目が挙げられているのでありまして、先程申しましたように、
授業料値上ということは尋ねないと、どこにあるか分らんような
要求でありました。でその中のものをいろいろ見ますと、
学生生活には
関係があるけれども、
日本の
文教行政、
政治全体の問題であると私は
考える。例えば第一には、六・三
制完全実施ということがあります。それから又中には当
委員会の直接に御
関係にな
つておりまする
地方教育委員会法案絶対
反対ということも掲けられているのであります。かような
問題等が掲げられているのは、私は全般的な
政治問題でありまして、
教育行政全般に関する問題であ
つて、直接
学生の
身分に
関係するものではないのであります。こういう問題はむしろ
政治問題として扱われるべきものではないかというふうに
考えているのであります。そして私の
ところに來た
学生達も、一体これは君
達学生の
生活と直接に
関係がないじやないかと言
つたら、いやこれは
政治問題です。
政治問題として取扱
つているのである。こういうようなことである。それじや併し
文部大臣の
ところへ來て話をするのはおかしいじやないか。私
文部大臣として扱うものは、
学生の
生活に関し、
学生の
身分として適当な
運動であれば、私共は幾らでも承わるのであります。こういうような話をしたのでありますが、いつの間にか
目標が
授業料の現状の維持ということから
教育復興という、これは誰でも
賛成であります。誰でも
賛成である
ところの
目標を掲げて、ただそれについて、実行の
方法についていろいろな疑問がある次第でありまして、これらの個々の問題については、私共
賛成できないものもあるのでありまするけれども、例えば六・三
制完全実施というものは、何人もこれは
反対ではありません。そういう
目標が掲げられているのであるが、併しこの問題が貫徹されなければ、一体
学生が
ストをや
つて貫徹するということは適当な
方法であるかどうかということについては、私はおのずから別であると思います。
岩間君と雖も、私は
学生が六・三
制完全実施ということを第一に掲げて、これが通らなければ
ストをやるということは、確かに御
賛成にならぬと私は思います。
教育委員会法絶対
反対、これが通らなければ
ストをやるというときには、
岩間君或いはその属されておる
教職員組合の方々はどうなされますが、そういうような次第であります。でありますから、こういうような問題が、
学生の
生活に
関係があるからというので希望を述べ、
関心を示すということは、これはいいことであります。我々も喜んで聞きますけれども、併しこれを言うことを聞かなければ
ストをやるとか、何とかいうことは、
学生として行き過ぎではないだろうかと私は
考えております。そういう形でこの問題が現われておると思うのであります。
文部省は
学生の
生活について知らない、或いは調べておらんと言われますが、そうでなく、私
文部大臣になりまして、私
自身学生には
関心を持にておりますから、特に
学生の
生活についてはいろいろ
調査もさせております。
生活の困る
状況もよく存じております。これに対して何とかしなければならんということを、
文部当局としても強く
要求しておるのであります。併しその
方法が、
授業料の値上を抑えるということで
解決されるのは、実は私は
考えておらんのであります。殊に
大学、高專の
官立学校の
授業料値上
反対というものは、
学生、学徒の中で何%かであり、
私立学校の中の半分である。そしてこれは綜合
大学においては、大体一人につき五万円程
國費を使
つております。これは或る点から言えば、受ける者の特権と言いますと語弊がありますが、特惠的な
地位にあるので、これは或る
程度これを支弁してもいいのではなかろうか、むしろ支弁するのが公正の原則に合うのではないか、而も三倍というと大きいのでありますが、月五十円を百五十円にするということは非常に不公平でないと私は思う。三倍と言えば大きいのでありますが、併し長い間、
戰前からずつと
授業料は上らなか
つたのでありまして、今度初めて上げたのであります。これは
昭和十四年から十八年ぐらいでありますか、これに比べると十五倍であります。併し
物價は六十五倍、今度は百倍になろうとしております。
鉄道運賃は二十五倍であります。それを今二倍半、三倍にすると五十士、六十倍になります。だから僅か十五倍に
なつたから非常に不当に高く
なつたとは、私は公平に
考えて言えないのではないかと思います。尚これを
私立学校、又所によりましては、公立の
新制高等学校に比べましても非常に高くはない、
却つて安いのであります。それで若しこれを上げなければ、
学生の
生活の問題は
解決するかというと、私はそうではないと思います。と言いますのは、
戰前におきまして、
学生生活の中で
授業料の占める
地位は、全体の約五分の一くらいでありました。最近の
学生の
生活費は二千五百円から三千円と言われるが、中西君はこの間一ヶ月五千円と言われた。そうすると約二十分の一くらいではないのじやないか、
学生生活に占める
授業料の
部分というものは極めて少い。そのことはどういうことであるかというと、仮に
授業料を全廃しても、
学生生活の問題は、これは
解決しないのであります。そこに私はもつと深い
ところの問題があるのではないかと存じておりますが、併しこれを私共は見送ろうといたしているのではないのであります。
制度といたしましては、これは特惠的なもので
義務教育ではないのであります。
義務教育の問題が、本
委員会でもいろいろお骨折を願
つておるように、足らないのであります。だけれども、これは特惠的な
地位にあるから、この問題については或る
程度辛抱はして貰わなければならんという私共は
考えを持
つて、或る
程度の負担は、これはどうしても止むを得ないことではあるけれども、併しこれは
制度としての問題で、特に困
つている人については、私は特殊の
方法を講じなければならない。
制度といたしましては、金持ちの子供も入
つておる
ところの
大学において、
授業料の
値上げをしないということではなく、困
つている
学生に対して、如何なる
措置をすべきかということが私は適切な
政策であると思うのであります。そこで私共は、ここでもいろいろ御批判になりまして、もつとこれは十分にしなければならんという、常に御注意にありました
日本育英会の問題、これらの拡充ということを大いに
努力しなければならんと思
つております。その他
学生の
生活の授護ということにも大いに
努力をいたしたいと思
つているのであります。その他
アルバイトの問題につきましても、今晩も官邸で各方面の人々に來て頂いて、
学生の
夏休暇に対して、どうして
アルバイトをや
つて行くべきであるか、又
アルバイトの種類が、
学生の
品格を崩さないようなのは、どういうものを選ぶべきかということについて、御相談も申したいと思
つているのであります。そういう点に十分に
関心を持
つて行きたいと思うのであります。併しこれは私はただ
学生だけの問題としてのみ
解決されるものではなく、
日本全体の
経済生活との関連にあるのでありまして、この点では
学生も先生も或る
程度辛抱をしながら、この敗惨
日本の
教育を護
つて行かれる覚悟がなければならんと思
つているのであります。そういう
考えから、私共はこの問題につきましては、殊に
教育復興ということを掲げていることについては、
学生は
授業を止めることではなくして、忍んで、もうこの
授業を完成するという
ところに、
教育復興の
熱意が
学生に現われるべきではないかと思うのであります。私は何か
学生のこの
運動が、外からの働きがあるかどうか知らんが、少くとも外のいろいろな
政治運動が模倣したような恰好が出て來ている。
学生の十分な思慮を持ち、
反省を持ち、又
学生の
品格というもの、本分というものを知
つたところの行動としては、やや逸脱したものがあるのではないかということを心配をいたしておるのであります。幸いに私は、
日本の
学生が全部これに参加しているとは
考えません。
東京におきましても、
日本の全國で申しますれば、
官公私立の
大学、
高等專門学校六百ございますが、
只今参加を発表されておるのは七十五校であります。約十分の一と申しましようか。それから昨日
同盟休校を実施したのは、
関東地方の
官立六十一校中十九校であります。三分の一、
私立百六十二校の中六校、
合計二百二十三校のうち二十五校であります。ですから約十分の一強の数であります。そのうち
東京都内におきましては、
官立三十四校中九校がこれに参加し、
私立百三十六校中六校が参加し、
合計百七十校中十五校、一割弱と推定される
状況でありますので、
日本の
学校が挙げてこれに参加しようという
状況ではございません。更に注意すべき点は、
東京におきましても、東大では全部がこれに参加しておるのではないのでありまして、
東京大学の中、三
学部が参加し、それに
附属医專がありますが、三
学部、
あとの五
学部はこれには
反対をしております。尚
文理科大学、
工大等の
学校は参加いたしておりません。
商大がただ参加しているのが注意すべきであります。尚一高も参加いたしておりません。
師範学校も
男子部は参加いたしておりません。こういう点から見ますと、
京都等でもそういう
状況等が見えますけれども、
学生の中で
判断力のある
ところの層においては割合に
共鳴者が少い。そうしてそうでない若い層に可なり多い。そうして
東京の例を取
つて見ますると、
男子の
師範は参加しておりませんけれども、女子の方が参加いたしております。これも私は多少それに似た
関係であるのではないかと推測しております。つまり外面的な力に感化され易いような面に、この
運動が余計に
影響力を持たれている。
反省と自制のある
ところには、その
影響力が少いというのが、今後は分りませんが、今日の
状況であるのであります。尚これについて外の勢力がどうかという
お話もありましたが、これは確かなことは私は分りませんが、併しこの問題を
政治問題であると言
つて取上げて、私共の
ところに題える場合には、
政治的な色彩の強い人もしばしばございました。又
学校の方では、上の
学校からいろいろ勧誘に來られる人の中には、又特殊な
政治的な色彩を持
つた人も相当にあるということが傳えられているのであります。これは報告でありますから、事実はどうか私は知りません。大体かような
状況でありまして、
文部省といたしましては、先程も申しましたように、
学生の今日の窮状については十分同情を持
つており、
調査もいたし、最善のことをいたしたい。これは又当
委員会等の國会の力に俟つ
ところが多いのでありますから、私共は繰返しお願いをいたしておるわけであります。
尚
教育復興につきましても同様であります。私共はできるだけ最善を盡したいと思
つておるのでありますが、何分皆さん御承知のような
日本の現状でありまして、私不敏なせいもありますけれども、誠に思うに任せぬ
ところがあるのであります。こういう
事態の下に、
学生が
同盟休校によ
つてその目的を達しようということについては、私共はこれは穩当でない。又かような方途でその目的を達することは、
学生として私は、大いに考慮しなければならんものであると実は存じておるのでございます。これは私が
学生に同情せず、
学生に冷酷であるということでなく、眞実に
学生に同情し、
日本の学徒が健全に
日本を背負う者になることを期待するからでございます。かような
事態におきまして、私共
文部省は行政面に立つ者でありますから、直接この問題には触れませんけれども、併し
教育の機関としての、各
大学において、十分この問題を
教育問題として取上げるようにと、私は勧めているのであります。尚
学校局長の
お話がありましたが、これはどういうことであ
つたか私存じませんけれども、この問題はむしろこういうことを言われたのであります。この問題は
教育の問題である。
学校当局は
教育問題として取上げて貰うように、ただ
政治的な妥協とか何とかいうことではない。
日本の
教育をどうして立てるかという問題の
ところに重点を置きながら、この問題を
解決して貰いたいということを要請したことと私は存じておるのでありまして、その限りにおいて私はそのことに
賛成であります。大体こういうことが
学生ストに対して
文部省が
考えております
ところであり、取り來
つたところであり、又その基礎になる
考えは以上のごとくであります。