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1948-05-27 第2回国会 参議院 文教委員会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十三年五月二十七日(木曜日)   —————————————  委員氏名    委員長     田中耕太郎君    理事      松野 喜内君            柏木 庫治君            岩間 正男君            梅津 錦一君            河崎 ナツ君            小泉 秀吉君            藤井 新一君            森下 政一君            小野 光洋君            左藤 義詮君            中山 壽彦君            安達 良助君            木内キヤウ君            高良 とみ君            仲子  隆君            安部  定君            岩本 月洲君            梅原 眞隆君            河野 正夫君            鈴木 憲一君            中川 以良君            堀越 儀郎君            矢野 酉雄君            羽仁 五郎君   委員の異動 昭和二十二年十二月十日(水曜日)委 員森下政一君辞任につき、その補欠と して若木勝藏君を議長において選任し た。   —————————————   本日の会議に付した事件教育勅語問題に関する件 ○六・三教育制度予算に関する件   —————————————    午前十時五十一分開会
  2. 田中耕太郎

    委員長田中耕太郎君) それでは文教委員会を開会いたします。今日会議に付する事件といたしましては、請願第八十四号、國立茨城そう合大学設立に関する請願外五件を掲げてございますが、実は紹介議員諸君との連絡が取れませんでしたので、これは次回に延期することにいたしまして、他に御協議願いたい重要問題がございますから、さよう取計いまして、如何でございましようか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 田中耕太郎

    委員長田中耕太郎君) それでは会議に付する事件は次回の委員会に延期して、御協議いたすつもりでございます重要問題についてお諮りをいたします。  これは最近世上においていろいろ問題になり始めましたところの教育勅語効力の問題でございます。これにつきましては本委員会といたしましても、五月二十日以來打合会を開きまして、これは二十日と五月二十五日、それから同二十六日、三回でございます。いろいろ愼重に御討議願つたのでございます。五月二十日の初打合会におきましていろいろ御意見出ました。これをどういうふうに考えるかということにつきまして、大体四つのプロバビリティがございました。  その一つは、教育勅語効力につきましていろいろ異議を差挟んでいる者があるとするならば、教育勅語効力は、つまり憲法との関係において問題になるものと考えられます。その憲法との関係を明らかにして憲法條章従つてその効力がないものであるということを明瞭に闡明するという立場、それからこれはもうそういう必要はないのである。現状はすでに教育勅語効力を否定しておるのであるからという立場、それから第三に、現状はそうであつても、併しこの際一層包括的な教育振興に関する決議の中で、そのことに触れるという立場、それから教育勅語は無効である。併しながら別個に教育に関するいろいろな問題があるから、それと切り離して決議をしたらいいじやないか、こういう主張がございました。これらの立場につきましては、例えば第一の立場、第二の立場、決を採つたわけではございません。或いは全然代表されていないような立場もございます。ただ併しそういう四つ可能性考えられます。どれを採択されるかということが問題でございます。これにつきましては、衆議院の方ともいろいろ協議をいたしたりする必要もございましたわけで、從つて大体打合会空氣は私自身了承いたしましたようなわけで、打合会申合せの結果は、委員長にどの立場を取るかということを一任するというようなことで、一應の結論に立ち至つたようなわけでございます。ところで、私といたしましては、衆議院の方の情勢等も、松本文教委員長といろいろ簡單に会合いたしまして、サウンドいたしておりました。又その間に各会派の方でもいろいろ御研究、御檢討になつておることと存じまして、今日はこれにつきまして、何らかの結論を得なければならないような状態でございまして、私一任を頂いておるような関係上、どの結論を採択するかということについて御報告申上げなければならないようなわけでございます。併しながらこれは非常に重要な問題でございまして、又今までの打合会には御出席頂いていないような方も、又從來の経過等も十分まだよく徹底しては御承知になつていない方もおありになりはしないかと思いますので、この問題につきまして更にお集りを願つて協議結論に到達するのに愼重愼重を期したいというわけで、今日の委員会議題にいたしましたわけでございます。初めに私から申上げますことは、それだけでございます。いろいろこれにつきまして御質問、御意見等もおありになることと思いますから、どうぞ御発言をお願いいたします。
  4. 若木勝藏

    若木勝藏君 只今委員長の御報告について御質問したいと思うのでありますが、衆議院委員長との御打合の際の具体的な事柄についてお話し願いたいと思います。
  5. 田中耕太郎

    委員長田中耕太郎君) その点につきましては、特にこちらがまだどういう案で行くかというようなことにつきましては、はつきりいたしておるわけではございませんから、打合と申しましても、ただ衆議院の方でどういうふうにこの問題を取扱い、どういうふうな傾向にあるかということを知る意味で、又こちらの方の空氣を反映させるというような意味で、意見をお伺いしたような程度でございます。で新聞等にも衆議院委員会空氣はちよつと出ておるように思いました。併しながら、あれはそつくりそのままああいうわけではないというようなことも聞きました。
  6. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 この前の前の打合会の時に、文教委員長一任ということになつたので、若しも今イとか口とか、ハとか、いろいろなこれに対するあり得べき態度というものを三つ四つか今出されましたが、委員長はこれで行きたいと思うが、これについてどういうふうな、御賛同が願えるかというのならば問題になるけれども、四つなら四つ一つの形を、これをどうしますかというと、又ここにいろいろと論議討議するというならば、委員長一任した意義は没却されてしまうのではないですか。故にむしろ委員長が、その中のこれで行きたいなら行きたいと思うがというふうに、問題を限定してお出しにならなかつたならば、一番当初に問題は又返すというふうになつてしまいはしませんか。
  7. 田中耕太郎

    委員長田中耕太郎君) 矢野君の御発言非常に御尤もです。実は今日といたしましては、お説のようにいきなり結論を申上げてよいわけでございますけれども、併し今まで非常にいろいろ御熱心に各委員が御意見を述べられて相当論議もありました。これは非常に重要な問題でありますから、記録に止めて、記録を読むものが、当委員会として今まで拱手傍観しておつたのではないということが、記録に残るようなふうにしたいという氣持でございましたし、又御一任を受けておるとすれば、結論をいきなり申してもよいわけでありますけれども、併し今日今までよりも以上に沢山お集まり下さつておるので、こういう機会にやはり従來の経過を一層詳細に御承知置きを願つた方が、この問題は後までいろいろ又議論が続き得る。当院としては解決いたしましても又いろいろ世上論議されるようなことでありますから、できるだけ事情詳細に御承知置きを願いたいというふうな意味ですから、どうぞその点は一つ……。
  8. 小泉秀吉

    小泉秀吉君 今の委員長お話ですと、先般委員長一任したことを必ずしも今日取消すという意見でなくて、一任したものを今日確認、再確認をして一任されればそれでよろしいという御意見なのか、或いはその時は一任はされたのだが、今日は重要な問題だから、速記もあるからもう一遍戻して新たに論議をして見ようというのであるか、その点一つ委員長に伺いしたいと思います。
  9. 田中耕太郎

    委員長田中耕太郎君) 私はやはり御一任は受けているというように自分では了解しております。併し重要な問題であるから、この問題につきましてはやはりいろいろ意見も交換した方が愼重を期する上においてよいのではないかと存じましたのであります。
  10. 小野光洋

    小野光洋君 今まで数次の打合会で凡そ論議は盡きておると思います。又その論議の状況が只今委員長から報告の詳細がありましたものですから、凡そお分りになつたことと思います。そこでさつき矢野委員からお話があつたように、もう委員長としての結論をここに提示せられて、これで如何かということにいたしてもよい時期ではないか思いますが、どうですか。
  11. 松野喜内

    松野喜内君 委員長一任されておるが、事重大なことであるから、更に念を入れての檢討という氣持もあられると思いますが、一体こうした教育勅語扱い方につきましては或いは本会議において自由討議でも掛けられて、全議員の間においても論議してはと、こういうことも考えられる。我々文教委員のみでなく、そうすることが一層の愼重態度を取られるのじやないか知らんという考え方もあるかと思います。併しながら一面又我々文教委員はそれぞれ各会派において文教の方面の代表的に責任を受けておる者といたしましては、それぞれ会派諸君意向も聞いて來ておるという意味から申せば、即ちこの文教委員会が更に会派意向も持ち寄つたり、念を入れたということも思う次第なんで、今日のこの席において、今日までのところ、今委員長から御報告があつた点について、尚補足的の御意見も出たら、又それを考えることも必要かと思われます。若しもう結論は盡したとあれば、それで一つ多数の意向をお求め願いたいと思います。今日まで私共委員として出ておるところによりますと、雄先程の委員長から御報告なつた点、凡そ四つの御意見でありましたが、併し一番多数の御意見は第三の点にあつたかに存ずるのであります。即ち教育勅語の取扱というもりは形式的には、すでに教育基本法によつて自然消滅となつておるものと考えられます。併し実際的にはまだ民主化の不徹底、不明朗の憾みがあることを免れませんによつて、今尚封建的の考えを温存されておる疑いある向に対しましては、教育基本法により積極的にこれが説明を加え、徹底せしめるようなふうに啓蒙運動努むべきである。こういつた考えからいたしますと、今の御報告の、第三のことがよろしいのではないか。私はそう考えますが、多くの方々の御意見の中にはそういう方が今までの傾向といたしましては多数ではなかつたかと思うのであります。一つ尚補足的の御意見があれば伺いたいと思います。
  12. 若木勝藏

    若木勝藏君 今委員長に御一任のことのお話があつたのでありますが、あの場合においては、これは参議院衆議院と別個の立場ではこういう問題はふさわしくないのであつて、その意味で向うと打合せてはどうか。ついては先程申上げたところの、報告されたところの四つのような方法がある。こういうことを前提にして一任したように私は覚えておるのであります。然るに今委員長の御報告によつて向うとの打合せが具体的の線まで出ておらないということになれば、改めて参議院としてこれをどういうふうに取扱うかということについて委員長といたしまして一任されたという立場を去つて白紙に返して頂くことの御意向がないかどうか。これを伺いたいと思います。
  13. 田中耕太郎

    委員長田中耕太郎君) 私自身一任されたという意味参議院文教委員会としてどの案を採択するかということだと承知しております。それでその案でもつて衆議院の方と交渉いたしました。そして若しそこに妥協ができない、歩み寄りができない、一致ができないというようなことでありますならば、それを持つて帰りまして、今度はそのときに白紙に返つて將來の対策を講じなければならないといとことになるのではないかと思つております。それで現段階におきましては、私自身がどの案を探るかということを一任願つた関係上、採択して申上げなければならないようなことになつておるように存じております。
  14. 梅原眞隆

    梅原眞隆君 これは今の委員長愼重を期して行かれるという氣持だけは分りますが、今までの成り行きなり、経過から申しますと、先程矢野委員が言われましたように、あなたが一任されておるという立場で今までの参議院の大体の空氣も分つておるから、その中でどれかをお選びになりまして、それに関して愼重を期せられるのであれば、あなたが一任された限度において、もう一遍皆が檢討を加える余地のあるような意味に、あなたが提示なさつたらよいんです。前の話をもう一遍引つくり返さんでも、前の話を進められまして、あなたが一任された点において、こういう案で進もうと思うが、皆の忌憚のない意見を更に一遍聞かして呉れ、こうおつしやつた方が、今のあなたの愼重を期して行かれるというような意味も取り込まれ、今までの話の経過白紙に返すとか何とかいう動揺を感ぜずにこの話が進まないかと思うのであります。ちよつと私は話を進める進行係りちよつと一案申上げたいと思います。そうなさつたらどうかと思います。
  15. 中川以良

    中川以良君 私も只今の御意見に賛意を表するものでありますが、大体今までの委員会によりまして、委員長に御一任を申上げておるのでありまするから、本日は委員長といたされては、この問題は極めて愼重に扱わなければならんために、一應今までの委員会速記を附けなかつたために、速記録に各意見を載せようというような考えであろうと私は思うのでありますが、この際は一つ、一應お任かせを申上げたのでありまするから、委員長としての御所信を御披瀝頂きまして、それに対して各意見があれば又意見を載せて頂くというようなことに取運んで頂いたらどうかと思います。それによつて意見速記に残ると思いますので、委員長の御希望も達せられるのじやないかと思います。その初めからやり直すような恰好になりますと、折角今まで私共が委員長にお任かせを申上げましたことが何にもならんと思います。やはり最初に委員長としての所信一つ御披瀝を願いたいと思います。
  16. 田中耕太郎

    委員長田中耕太郎君) それでは御一任を受けております関係上、私自身が到達いたしました結論を申上げたいと存じます。私は今までの御論議を十分承わりまして、そこに自分の判断を加えましてやはり第三案に参るのがこの際最も妥当であり、又場合によつては必要ではないかというように存じておるような次第でございます。第三案と申しまするのは先程ちよつと申上げました、つまり大体多少この第三案を御審議なさつた委員方々言葉に或いは理論とか論議には全く同じでない点があると存じますけれども、併し結局のところは教育勅語現状、我が國の教育制度において教育勅語がどういうふうに取扱われておるかということは、もうすでにはつきりしておるのである。この際それだけを取上げて教育勅語憲法との関係においてどうなるかというようなことを究明する必要がないし、それは又妥当ではない、併しながら現下の情勢において教育に関してはいろいろな重要問題があるから、その決議をすることは今日極めて必要であるということがいえる。さような論議世上に起つた機会において、この際國会教育根本理念に関する、特に教育基本法の精神を徹底させる意味において確信のあるところの意思表示をするということが極めて必要ではないかというような意味であつた考えていいかと思います。さような意味におきまして第三案を私といたしましては採択いたすのが適当ではないかと存じます。
  17. 河野正夫

    河野正夫君 先程から討議手続問題が論ぜられておるのでありますが、そうして委員長から今第三案を採択するのが適当ではないかという御提案があつたと思うのであります。私、それについての意見を申上げるのは又後の機会にいたしまして、その第三案そのものに対する意見については後程申上げたいと思いますけれども、手続上の問題で駄目を押して置く必要が一つありはしないかと思うのであります。先程から他の委員の方で今まで委員委員会委員長一任したのであると、こういうような御発言がありまするけれども、これは文教委員打合会において、而かも若木委員が言われたような意味一任したのではなかろうかと思います。そうでなければ四つ可能性のある解決方法に対して何らの決を採らずして、委員長一任して、それで何ら再び打合会と雖も、その委員に諮るところなく、委員長が独断でものを決めるということはあり得ないことであります。そんな非民主的なことはあり得ないことであります。更にこれが打合会であつて正式委員会でない限りは、それは本委員会綜合的意見ともなり得ず從つて又当参議院意見をも代表するものではあり得ないのであります。それ故にその意味で再びここに正式に速記を附けて、そこに銘々の大体の方向只今恐らく委員長自身は第三案の結論に今までの経路で以て到達するであろうというお見込の下に、ここに再び委員会を招集し、速記を附けて各自の御意見を承わりたい、こういうことにあろうかと私は思うのであります。それ故にここではもう一遍論じたことであるからというのでなくして、もう一遍堂々と各自の所信を披瀝して行けば、委員長が先程大体の意見が第三案的なものになるだろうということが正しいならば、そうなるに違いないのであります。けれども、もう一遍その点を論議を新たに、これが公明正大なガラス張りのうちにおける政治が行われ、我々は打合会以來そうやつておるのでありますけれども、それが他の人々から言つて説解を受けない、堂々とやつて行けるものだとこう思います。手続問題について一言申上げます。
  18. 田中耕太郎

    委員長田中耕太郎君) 只今河野君の手続問題についての御発言御尤もなことと存じます。この点につきまして、とにかくはつきりさせて置いて頂くことが適当と存じます。この点につきましては、さつき中川君のお話にありました速記に残すということが大きな意味もありましたが、併し更に又事柄重要性に鑑みて、できるだけ委員会で今までの論議を補足するという意味もございます。ただ事柄性質といたしましては、本來委員会で取扱うべきことではないのでありまして、この点は御了承をお願いして置きたいと思います。さような意味におきまして尚又いろいろお氣付きの点もおありになるかと思います。後日の参考にもなりますので御発言をお願いしたいと思います。
  19. 梅原眞隆

    梅原眞隆君 今の二つの説はどつちも御尤もなりとしてしまうといよいよ昏迷に入つてしまつて、つまり今河野さんの言われる意味なり、あなたが今一度筆記を取つて置きたいということは分るが、それは先程の手続の上でやり得ることでありまして、それは先つき河野さんの意見もあるが、私は多少意見が違つておりまして、打合会であるということが何もちつとも今の委員会としての権威が傷つけられたのでないのであつて速記があろうがなかろうが、それから打合会であろうが何であろうが、私はそんな本質的に違つたものだと思わない。今までやつて來たことも、ちつとも曖昧なことでもなければ、軽はずみに言うたことでもない、やはり先程から大多数の人が意見の一致しておるところで、あなたに一任せられたという立場の上におきまして、先程の方向に進んで行かれたらどうですか。
  20. 田中耕太郎

    委員長田中耕太郎君) 私がお諮りいたしましたのは、打合会委員会というものの性質上、つまり疑義が出ましたので、この点やはり記録に残して將來参考に供する意味におきまして、やはり御発言なさつた方に納得が行くようにして置いた方がよいと思いましたので、御発言があるならばお願いしたわけでありますが。
  21. 河野正夫

    河野正夫君 ちよつと伺いますが、先程の第三案に、結局その梅原委員と私反対でありませんが、第三案を委員長一つの案として提示せられたものとして、ここで論議を進めて行つた如何でありましようか、そうすればおのずからそれに対していろいろな意見が出て來る。第一案支持の方も、第二案支持の方も第四案支持の方もあり得る。第三案で行つたらどうかと、こういうことをここへ委員長が付託せられたので、いろいろ諸般の情勢を勘考して、それから打合会なり委員会空氣を反映して、これが最後的結論になり得るところではないかと、こう委員長が本委員会に諮られたものとして、そこで論議を進めて行く、こういうふうにしたら如何でありましようか。
  22. 田中耕太郎

    委員長田中耕太郎君) その点は先程から委員長一任したのではないか、だから結論を出すという御意見が大分出ましたが、で私自身実は今までの三回の打合会も考慮に入れまして、それから又衆議院の方の意向等も或る程度分り得ましたから、それを以て、これで参りたいと言つたらどうかと申しましたのは、多少言葉の綾でございまして、私といたしましては、それを更にここで原案として提出いたしまして論議して頂くという意味ではなかつたのでありまして、御一任を受けた関係上、それに対してその御一任にお答えしたわけであります。
  23. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 本日の会合で教育勅語の措置について正式の委員会をお聞きになつたことの意味は、やはり國民がこの問題についてはつきりしたことを知つて、そうしてはつきりした結論を付けたいというふうに考えておることに答えられるという趣旨であると私は了解するのであります。でありますから今まで拝聽しておつたような議論は、國民が聽こうとする点ではなく、実は幾分二義的な点になつておると思いますので、むしろ端的に問題に入つて頂いて、國民に向つて参議院文教委員会は現在教育勅語をどういう意味において、どういうふうに処理することが妥当であると考えておるかということについて、國民はつきり分るような論議をして頂きたいというふうに、進行上希望いたします。    〔「賛成」と呼ぶ者あり〕
  24. 田中耕太郎

    委員長田中耕太郎君) その点は今まで何故打合会にして委員会にしなかつたのかという問題でございます。これは打合会で行くべき性質のもので、委員会としては取上げるのに、現在の現行法制上は打合会の方式によらざるを得なかつたようなわけであつたのであります。ただ併しながら事柄重要性に鑑みまして、從來文教委員会が何らしていないじやないか、というようなことになつては困りますから、簡單ながら過去の経緯を申上げて、そうして今まで三回も開きましたから、委員方々には御出席、御意見をお述べ下さる機会も十分であつたと存じております。從つてもうその点は論議は大体出盡したというふうに申上げてもよいのではないかと思つております。尚これはいろいろな事情からして切迫しておることであります。この問題につきまして、更に又愼重審議をして、長いこと結論に到達しないということであると、いろいろな急ぐ事情がございますので、さようなわけで、私は御一任を受けたのでもあろうと思つております。從つて先程結論を申上げましたのは、これは更にこれを檢討して、そうして論議しようというような意味ではございません。勿論愼重を期したいことは山々でありますが、今までのこの短い期間内では愼重を期して参つたというように思つておるのでございます。
  25. 中川以良

    中川以良君 打合会委員長にお委せいたしました結果、委員長として明確に御所信を頂いたのでありまするから、それに対して尚委員の中に御意見等がありまするならば、これは一つ委員長としてそれをお聽きを頂きまして、我々としましては本委員会においてはその第三案を如何にして実行に移すかという問題を更に検討を加えなければならんかと存じます。そういう点の御説明を頂いたら如何かと思います。
  26. 岩間正男

    岩間正男君 速記を止めて下さい。
  27. 田中耕太郎

    委員長田中耕太郎君) 速記を止めて。    〔速記中止
  28. 田中耕太郎

    委員長田中耕太郎君) では速記を始めて。
  29. 矢野酉雄

    矢野酉雄君 ここの委員会で、いわゆるこの内容を持つた問題を取扱うところの委員会としての権限がないのに、盛んに岩間君、羽仁君、河野君などが言つておられるようだが、打合会としてはこれを議題に供して打合せていいかも知れないけれども、この内容を持つたものが國会のどこに付託されておるか、ない筈です。それを最前委員長は頻りに言つておられるけれども、河野君、羽仁君、岩間君もそのことをお分りになつておらんように私はなにしたのですが、それはどういう意味ですか。
  30. 河野正夫

    河野正夫君 速記を止めて下さい。
  31. 田中耕太郎

    委員長田中耕太郎君) 速記を止めて。    〔速記中止
  32. 田中耕太郎

    委員長田中耕太郎君) 速記を始めて。委員会におきまして、この問題を論議することが果して可能なりや否やということについて疑問がありました。いろいろ議事部の方と研究いたしましたが、これはその問題を取上げて論議するということは、これは法制上はできない。例えば議事日程の中に書きまして、そうしてその問題についてお集りを願うということはできない。併しながら多くの委員会におきましては、いろいろな研究問題について、質問も出し、それが速記に現に留まるわけであります。さような意味で今まで打合会でやつて來た。それは間違つていない、正しいやり方をして参つたわけであります。併しこの問題の重要性に鑑み、打合会をやつてつた大体の経過とは行かずとも、とにかく熱心に本委員会委員がこの問題を論議して來たというようなことが記録に残るということを我々は欲し、この委員会もやはりさような意味で以てこの前の打合せ会でそれを主張されたのであります。外の委員方々も御異存ない。それで今日議題というわけではありませんけれども、話題と申しますか、になつたわけでありまして、それで從つて今までやつて来たことが間違つておるというわけではなしに、ただ今日の会は今までやつて來たことを全然蒸し返すという意味も全然ないのであります。というのは先程申上げましたように、実は早く結論に到達しないと、時間が切迫して、今日中にでも……。実は今日午後衆議院の方とも委員長と会見いたしまして、いろいろこちらの意向も傳えなければならないというようなわけでございます。その点は御了承願いまして、これは論議すると随分又切りのない問題だというように存じておるわけであります。
  33. 梅原眞隆

    梅原眞隆君 ちよつと速記を止めて下さい。
  34. 田中耕太郎

    委員長田中耕太郎君) 速記を止めて。    〔速記中止
  35. 田中耕太郎

    委員長田中耕太郎君) それでは速記を続けて下さい。只今梅原委員から御提案になりましたふうに議事を進めて参りたいと思いますが、つきましては先程申上げましたすでに打合せ会におきまして出ました四つ考え方、これにつきまして、今日は速記もありますことでありますから、或いは繰返すようになつても、併し速記に留まるという意味におきまして、太い意に義あることと存じますので、これにつきまして御発言をお願いしたいと思います。ところでこれにつきましては、甚だ勝手でございますけれども、多少急いでおるというような意味も御考慮になつて発言をお願いいたします。
  36. 岩間正男

    岩間正男君 私はこの教育勅語の処理の問題は、現状の認識の如何にあると思うのであります。これは私の認識でありますが、教育機構で完全に憲法の精神とするところに從つて配置されておるかどうかということを考えますというと、必らずしもそうでない面もあるのではないか。これは文部省の今までの処置の中にはつきりとした明確なそのような規定がなかつた点にも一部の原因があると思うのでありますけれども、今日まだ謄本は回収されていない。それでその処置につきましても、從來非常に教育の中心として、これをいわば仰いで参りました関係から、この取扱いが非常に実は現状においては困つているというような面があると思うのであります。そして又これは教育者の一部の意識の中に、この教育勅語が残つている面があるのではないか。つまり新らしい民主憲法によりまして、そうして、主権在民の立場から、はつきりと新らしい民主的な教育というものを今日我々が日本の混乱した教育の中に再建するところの大きな努力と責任を持つているのでありますけれども、その方向が無論総体的には推進されつつあるのでありますけれども、勅語の取扱いそのものが、さつき申しましたような不完全な立場から、教育者の意識の中にはまだ混沌としたものが残つており、これをどのように取扱つたらよいか。これが教育の指導原理の全部でないというような文部省の通牒があつたのでありますけれども、そういろ通牒の精神が非常に明瞭を欠いておるような点からしまして、まだ相当な量において教育の指導原理であるような考えを持つてつて、そのために教育者の意識の中には新らしいものと古いものとの相剋がある、そういうような現状を現象として、又潜在的事実として、私としては認める者であります。こういう点からしまして当然新らしい憲法の精神に從いまして、新らしい時代の教育はつきり確立し、そしてこれを積極的にむしろ進めて行く。そうして日本が現在世界との公約に從い、世界の平和を維持する、そして文化を進める、そういうような立場に立つてぐんぐんと教育を建設して行くというような積極面をはつきり闡明するために、過去の古い時代の、そしてこれは帝國憲法とも連関を持つており、又今次の戰爭とも必ずしも関係がないと言えないところのこの教育勅語に対しまして、はつきりこの際ここで明確な一線を画するということを、國会が、國会文教委員会がその責任に置きましてむしろ進んでこの点を明確にすることは、現状においては重要であると、こういうふうに私は考えるのでありまして、この問題を何か曖昧に、不明瞭に、そして他との連関において、何らか模糊として扱われることに対しては、私はむしろ不賛成な立場を取る者であります。この点によりまして、私は第一案を支持し参つたのでありますけれども、明瞭にこれは國会決議としましてすでに死文化しておる教育勅語ではありますけれども、現状との睨合せにおきまして、はつきりとこれを決議文として闡明されることを私は主張したいと思うのであります。
  37. 梅津錦一

    ○梅津錦一君 岩間委員考え方に賛成する者であります。実際現在の教育勅語國民に及ぼしたところの感情的な影響というものは非常に大きなものであつて、まだ潜在的なものとして國民感情の中に根強く生きておる。一例を申上げまするならば、皇室を以て家となすという考え方が、現在の家長というものが家において絶対権を握つているというようなことから考えて、親分子分というような、こうしたボス的な社会が、現在如何に司法権の手によつて拂拭しようとしても、どうしてもでき切れない実力であるというのが、こうした教育勅語の悪いところの影響である、こう考えられるのであります。こうしたことを思いますときに、終戰直後速かに打つべき手であつたのを、政府は手を打たなかつた。而も本日まで延引させたことは、政府の責任であり、國会もその責の一端を負わなければならないと、こう私は考えるのでありますが、尚教育勅語の眞理に対しては、これは全面的に否定はできない。併し、全面的に否定はできないのではありますが、この教育勅語に盛られておるところの公理と非公理とを差別することは、現在國民が解剖的にそういうことをやつておらないというのならば、過去における教育勅語一つの文献としてこれを取扱うのも、すでに危険性がある。こういう点から速かに政府は各学校に配付されておるところの教育勅語、或いは戊申の詔書というごとき詔書類も一括して、これは引揚ぐべきであると私は考えるのであります。結論としては、國民には、或いは教育者には、教育基本法というものがあることをはつきり認識させて、この教育基本法を再確認するということによつて民主化が進ませられるならば、このことを教育者に文部当局は強力に要望すると、尚國会においては、このことを支持するゆえんにおいて声明をするか、或いは一つ決議形式を立てるかして、今日この機を以て一つ教育エポツクの機会にして行きたい、こういうような意見を私は持つておるのでありますが、先程岩間君の言われるような潜在意識というものを強く考えて見たいと、こう思います。
  38. 岩本月洲

    ○岩本月洲君 打合会の時に随分論議せられた問題でありますが、特に新憲法による民主教育の基準というものが、教育基本法によつて立派に表明されておるわけでありまして、教育勅語は自然に死物になつておるわけなのでありまして、これを今更に取上げて生きものとして効力を否認するというような方式を採ることは、不適当だと考えます。今石間委員、梅津委員のおつしやつた一面は、我々も同感であります。いわゆる勅語の思想がどこかで生きてうごめいておるということは、これは否定できないでありましよう。併しながらそのよつて來たるものは、いわゆる諸官廳或いは諸学校におります勅語の謄本、そういうようなものに対する処理の方法が不徹底であつたというところに原因があるわけでありますから、これはそういう謄本の処理の問題であると考えます。で、これは当然に文部省の方で新憲法の精神に從つて、その取扱についてはすでに通告済みであつて、それが不徹底であつたと言えるのでありますが、更にそれを徹底させる方法は、これは文部省の行政面でやつて貰えばよいと思うのであります。國会としましては、この際そういうような残つた民主主義の教育に好ましからざる教育勅語の反映がある方面を徹底的にこの際拂い除けるというような意味で、別の意味でいわゆる基本法の精神を取上げて、特に教育振興の趣旨を國会の意思としてこの際表明する。これはただこの教育勅語の問題が起つたからというばかりではありません。現在の時期の上からも又教育行政の面から見ても、特に現に予算面に現われている六・三制の面からいつても、非常に文教面が低調である。取扱法が非常に不遇の立場にあるということから見ても、教育精神の振興をこの際図るということは時機を得たものと考えております。こういう時に國会教育振興趣旨を教育基本法意味を徹底さすという立場においてなされたい。その中に今梅津委員岩間委員の杞憂されるようなことは我々はその点同感な意味があるわけなんですから、そういう意味を徹底さすように織込んで強化することは、私は一番適当であると思いますので、第三案の趣旨に私は賛成する者であります。
  39. 河野正夫

    河野正夫君 この教育勅語の問題の取扱といいますか論じ方でございますけれども、これが大体混乱していると正確な取扱い方ができないのではないかと思うのであります。つまり教育勅語憲法九十八條に論じているような詔勅、あれは國家権力によつて國民乃至は国家の行政機関に対する拘束力を持つているものとして、つまり法規と考え意味における教育勅語の取扱い方教育勅語をそういうふうな法的な立場から見て行くという一つの観点があります。二にはすでに明治大正時代において行われていたような教育勅語教育の基本理念である、こういうふうな根本方針として取扱つて行く。勿論それは憲法とかその他の國法のようなものではないけれども、恰も曾て歴史にいわれているような聖徳太子の十七條の憲法というふうなものが、法律ではなくして、まあなんとなく此所におられる羽仁さんのような歴史家は詳しいかも知れませんので一種の法律であつたかも知れませんが、とにかく道徳法的なものである。そういつた意味の一種の教育根本理念、こういうふうなわけで教育勅語を論ずる観点があろうかと思う。それから第三には教育勅語というものは、一種の説かれている内容が良心の問題である。言つて見れば二宮尊徳がどう言おうと、クリストがどう言おうと或いは佛教の経典でどういうことが言われようと、それ自身は法的なものでは一ない。教育の基本理念として國家が、学校が、或る私立学校が、それを遂行するという点はないかも知れないが、各個人々々が、それが自分の社会生活を続けて行く上における一つの拠り所とする、良心の問題として取扱う場合もあろうかと思うのであります。さて私は、この教育勅語を法的に考え憲法九十八條に違反する詔勅である。こういう考え方に対しては反対する者であります。というのは今日教育勅語がそのような意味において國民生活を拘束する力を持ちつていないと私は考える。尤もこの点につきましては、内容形式いろいろな、もつと詳しい議論はあり得るのでありましようけれども、更にこういう場合も教育勅語を法的な立場考え一つの場合と思いますのは、教育勅語を國家でこれを以て教育の基本方針とせよ。しない者については処罰するとか、何とかいうことになれば、これはおのずから一つの法的な價値を持つて来るでありましよう。けれどもそういうような意味では只今において教育勅語は何らそういう効力を、効果を持つていないと思うのであります。憲法九十八條にいうところ法律、詔勅その他この新憲法に反するものはその効力を有せざるものと、こう書かれておつたものと思いますけれども、すでに教育勅語はその意味においての法律的な効力というものを持つていない。その意味において私は憲法九十八條には反していない。こういうのであります。さて併しながら教育根本理念としてあの形式とあの内容とを今日においてどこかの教育者が行なつておるとすれば、これはどういうことになるか。そうなるとこれは憲法條章はとにもかくにもどして、全体として民主主義精神と一致するかどうか。こういうことについて議論が立つて來るでありましよう。論者の或る者は、「父母ニ孝ニ」以下をあすこに示されて、人倫の道として必らずしも民主主義の精神と反するものではない。それを註釈の加え方によつて軍國主義になるけれども、又考え方を変えればデモクラティックな世界においても通用するのである。一種の自然法的な道徳理念を説かれておるのである。こういうふうに考える者もあろう。私もその議論の半ばには賛成いたします。けれどもこれを以て今日の社会に最も重要である新憲法の精神を國民生活の上に徹底せしむるところの道義生活のすべてを盡しておるか、或いはそれらに対して何らかの弊害を生むところはないかということを仔細に檢討すると、これは教育勅語は現代においては明らかに不適当であります。詳細な議論は省略いたしますけれども、現在においては不適当である。こういうことが言えようかと思うのであります。特に日本の主権在君の國体から主権在民の今日に変りましたときにおきまして曾ての主権者の命令というか、爾臣民に告ぐるの形において示されたところのものは、それがどんなに、仮に世界的な、普遍的な道義理念を持つておりましようとも、それをそのままの形において現在通用させることは不適当でありましよう。特にその中には論者によつていろいろ解釈できましようけれども、「天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」ということは、曾ては教育勅語のあらゆる道義理念というものはあすこの一点に通ずるのだというふうに、曾ての軍國主義的教育の精神文化研究所というのでしたか、文部省にあつたそこらの人々は教育勅語のすべての理念は最後は「天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」という一点に集中されるのだということを説かれた歴史的背景を持つておる。それ故にそういうものを今日において基礎理念とすることは明らかに不適当であります。又それを行なつておる者があるとするならば、これは憲法精神に違反するものと私は断定いたします。けれども今日國が、或いは將來できるであろう教育委員会教育勅語を以てそういうやうな教育の基礎理念とせよというようなことをいう筈はないのであります。先程言いましたように法律的拘束力を持つたところのものとしては、教育勅語はすでに死文であります。それ故に私はそういう法律論的な意味では、憲法九十八條云々ということは取上げる必要は毛頭ないけれども、今言つた教育根本理念として、今これを活かそうという氣持を持つておる人が中にないではないかも知らん。又教育民主化がまだ徹底していない現段階においては、地方の実際教育に当つておられる方が誤解しておるところがあるかも知れない。特に教育勅語の謄本がまだ回収されてもおらないというような実情においては、十分この点については我々としても関心を有せざるを得ない。そこでこの点については、何らかの処置を講ずる必要があると、私はこう思うのであります。併しながら單に私は教育勅語の一点に限つてこれを考えるというよりも、むしろそれらの教育勅語の弊害根本理念として教育勅語を取られるかも知れないという一つの危険性は、裏返して見れば、教育基本法による民主主義的な教育精神というものが徹底していないというところにある。それ故に先程他の委員の方も言われましたように、教育基本法の根本精神を徹底し、教育民主化を遂行するために、何らかの処置を本院のこの委員会決議として取つて、政府に向つて要求し、天下に向つて声明し、いずれでもよろしうございますが、その方法を採り、その中において特に教育の基本理念としては、教育勅語は不適当であるということを明瞭に謳う必要があろうかと思うのであります。以上。
  40. 柏木庫治

    ○柏木庫治君 教育基本法の徹底、これを進めて参りまして、自然に教育勅語としての存在が消えておるのでありますが、一層國民から忘れられるような歩みにいたしたいと思うのであります。梅津委員が、先つき教育勅語の精神がまだ國民の心の中に活きている。こういうお話でありましたが、すでに消えた分もありましよう。又「兄弟ニ友ニ夫婦相和シ」というようなことは、その心持が國民にあるから、教育勅語の心持が活きておるのだというのでは、これは無論梅津委員もそうではないと思うのでありますが、……ないのでありまして、教育勅語の示しておることと、又他のこと、人間の生きる道として個人が悟り、又教えられたことと、一つの問題はあの中に沢山あると思うのであります。それは少しも差支ないのとでありまして、只今河野委員が言われた「爾臣民」とか「皇運ヲ扶翼スヘシ」というようなことは、すでに新憲法によりましてなくなつておることは事実のであります。私は言い盡されたことを再びここで申しますことは、これは日本人の通癖と申しますか、或る一部のごときは資本家なり政府なりが何かを言いますと、こじつけと思われるような理論をしてでも、それに反対せなければならない。こういうふうに私共に響く一派があります。又近來の傾向といたしまして、何かやろうといたしますると、実際あまりそのことの分らないような学校の生徒までがすぐ街頭に立つて、政府も決まらず、國会の人も知らない内に、早耳でどこからか聞き出して、本当のことでないのでありましても、もう街頭に立つて反対意見の署名をするというふうに、こうと言えばすぐ反対をしたがる一つの習慣といいますか、流れが今國内にあると思うのであります。ここで教育勅語一つ取上げまして、これを云々いたしますならば、今の社会の持つ通癖と申しますか、日本人の持つておる通癖の中にあります今申上げたような、もう忘れておる人間がぽつぽつ考え出しまして國会がそういうことをやつても、俺達はこうだというような、つまらない心持を唆り立てるような憂いは皆無とは考えられないのであります。從つて私は第三案であります教育基本法の徹底をうんと高調いたしまして、これが日本の教育根本理念なんだ。そこで文部省が行政処置といたしまして今まで下げておつた謄本を至急に回収する。そこでその徹底の中に一言加えまして、あれを回収したのもこの教育基本法の徹底を期する一つの現われであるというふうに、穏かに実行いたしましたならば、目的は十分に達することができて、而も教育勅語一つ処理したがために、不快に思つたり、反対に出たりするような人の心持をいら立たせない、そういうつまらないことをさせない大きな効果もあると存じますので、一つだけの問題ではなくて、第三案に向つて進まれることを提案いたします。
  41. 若木勝藏

    若木勝藏君 現在においては教育重要性というような方面から言つたら、最も切迫しておる問題を含んでおると思われる重要な機関になつておるので、そういう意味から考えましても、新憲法に則つた場合の教育の振興対策というものの全面に向つて、私は今明らかにしなければならない時であると考えるのであります。  その第一といたしまして、教育の理念については、このことにつきまして、今教育基本法を中心にいたしまして、そうして教育勅語云々という方面はあまりさわる必要もないではなかろうかというような御意見があつたようでありますが、私はそれには不賛成であります。やはりその理念を明らかにする立場においては、先程岩間委員河野委員或いは梅津委員、そういう方面から申上げたところの、この際徹底的に教育勅語に対するところの措置を明らかにしなければならないと思うので、而して教育基本法によらなければならない根拠を鮮明にする、この一点をぼやかすようなことがあつては私は今後の教育の理念というものは、如何に基本法というようなことを述べましても、曖昧をもたらすものであるというふうに考えるのであります。更に現在の教育におきましては新学制の実施、或いはこれに伴う教育予算、そういう重要な面があるのでありまして、この全般を含んだところの振興対策というふうなものを、この際國会といたしまして決議する必要がなかろうか、こう考えるのであります。
  42. 梅原眞隆

    梅原眞隆君 この私の大体の意見の落着くところは、先程岩本委員の言われたことなり、又その他の方がおつしやつたような第三案に落ち着くのでありますが、これを運んで行く道筋を明晰にして置きたいということを考える。今ここの話題の中心になつておるのは教育勅語の取扱でありますが、教育勅語を今日まで日本がいい加減に放つて置いたという怠慢性を私は認めない。これは教育基本法を制定した時に意識的にこれは処理したものである、こう私は認める。國家は今までこの重要な教育勅語というものをごまかしておるというような印象を與えるに過ぎない。この教育基本法を制定したという重要な問題の一つは、教育勅語ということの処理であつたということは、現に委員長がその当時の当局であつて、それは私以上に知つておられるのであります。日本はこの問題に関しましては、法的にはつきりと処理をしておる。もうこれ以上加算する必要はないと考える。今更取上げるのは間違いである、こう言う人がある。但し法的には処理されたが、先程から各位がおつしやつたように、日本の國民の民主教育が徹底せず、又新憲法に対する理解が不十分であるために、つまり日本の國家が執つて來たその法的な処理を、一般官僚なり國民の生活なり又教育者の中にも徹底しておらないという実情があるということは、先程から指摘された通りで私は十分に考える。だから法的にこれを処理してあるから、今これに触れないでいいというような私は意見は持たない。そこで残つて來ておる過去の傳統的な因習観念を整理するということ、そういうことはこの際に必要である。必要であるから、それを進めるのには、やはり先程からの結論としては、基本法の精神を徹底して、それを示すと同時に、過去において國家が示したように、この教育勅語は今も尚教育の指導原理として引用するのでないということを明らかに示して、そうしてそれの謄本というものの取扱もこれは大胆に、そうして誤解が起らないように、文部省で処理せしめるというようなことが私は適当であると思う。非常に似ておるのでありますが、私はただ過去において教育勅語を取扱うことが如何にも微温的であつた、不徹底であつたとか、ごまかしであつたという印象を與えたくないのである。日本國家ではつきり処理した、その処理をしたという氣持が民衆の傳統的な感情の中に徹底しておらない点があるから、それを示しておるのであるという点におきまして、私は結果としては第三案に賛成を表するのであります。
  43. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 この教育勅語の現在の処理の間に、教育勅語が犯して來た誤りを又犯すということがあつては絶対にならないと思うのでありますから、    〔「そうだ、そうだ」と呼ぶ者あり〕 今までお述べになつた御意見の中にそういうふうな点で、或いは國民がこれを誤解するのではないかと思われるので、その点についてはつきり考えたいと思うのですが、教育勅語を処理する場合に、國家がこれを廃止したとか、或いは自然になくなつたとか、或いは十分に鄭重になくしたとか、或いはその法律第何條によつて廃止したいということは、却て国民にとつて重要なことではないと思うのであります。そうじやなくて、國民に先ず第一に教育勅語というのは如何に有害であつたかということをはつきり示すことが必要なんでありまして、何かの事情で今まではあつたけれども、最近はなくなつたというような受身的な氣持國民考えてはならない。或いは命令によつてこれが廃止になつたというように考えることは、私はならないと思うのです。自然になくなつたとか、或いは何か最近の情勢で、いわゆる諸般の情勢という言葉は、実に怪しげな言葉ですが、諸般の情勢でこれがなくなつたというふうにこれがなつて國民が止めるようになれば、非常に有害であると思う。そうでなくて、教育勅語というものは、今まで非常に悪い影響があつたのだということを、国民が先ずはつきり認めることである。だから國民自分でこういう有害なものは是非止めたいというように考えるべきである。又將來においても、そういう間違いは繰返したくないというように、國民考えるようになることと思う。その点で第一に教育勅語如何に間違つて有害であつたかということは、道徳の問題を君主が命令したということにあるわけであります。これは極く最近の、去る五月二十六日の朝日新聞の「天声人語」の中にもそういうことが述べられておりますが、この教育勅語が作られた時に、その制定に関係した井上毅法制局長官が、教育勅語の公布に反対していたことは注目してよい。井上が山縣首相に送つた手紙には、今日の立憲政体の主義に從えば、君主は臣民の心の自由に干渉すべきでない。哲学上の問題は君主の命令によりて定まるべきものに非ず。從つて徳育に関することを勅語として発令することに反対し、山縣の反省を求めておる。という点を書いておりますが、この点に重大な問題があつたわけなのであつて、ですからこの内容が先つきからおつしやつてつた議論の中にもありましたが、教育勅語に述べられておる内容には、内容的には反対する必要がないものもあるというようなお考えもありましたが、そういう点に問題があるのでなくて、たとえ完全なる眞理を述べておろうとも、それが君主の命令によつて強制されたという所に大きな間違いがあるのである。だから内容に一点の瑕瑾がなくても、完全な眞理であつても、専制君主の命令で國民に強制したというところに間違いがある。從つてやがては全く違つたことが、専制君主の命令によつて命ぜられて、國民が率いてこれに従わざるを得ないで今日の不幸を招いたというところに、重大な原因があつたということを明らかにして、國民は自発的にこれを痛切な批判を以てこれを廃止する。そうして將來再びこういう間違いを繰返さないということが要請されておるのではないかと考えます。で、この点を是非國会としても明らかにして頂きたいというのが私の希望であります。  尚先つきからの御発言の中に、柏木委員の御発言の中に、若干私の了解し得ない点があつたのですが、政府のやることだから何でも反対するというような、そういう党派があるとは私は考えませんが、只今申上げましたような意味で、専制君主の命令として道徳上のことをやるということに反対しなければならないという理由は、やはりあると思うのであります。これは國民なり党なりを責める前に、政府自身が眞に民主主義的な基礎の上に立つて、自己の行動をしておるかどうかということを判断しなければならん問題であつて、先ず国民なり或る政党なりを責めるべき問題ではないと思うのであります。  それからもう一つ、おつしやつた言葉の中に、今日学生諸君が、政府なり國会なりでまだ決つてない問題について騒いでおるというお説がありましたが、これは併し過去の國民には割りにそういうことがなくて、何でも政府で決つたものにそのまま從うという悪習があつたのです。最近國民が非常に目覚めて、自由民権当時に立ち還つてそうして憲法の問題その他重要な問題については、政府、國会がこれを論議する前に、國民自らこれを論議するという習慣を取られつつあることは、國会としてはむしろ敬意を表すべきものであつて、軽々しく批判すべきものではない。國民は黙つている。政府が、國会が、決めてやるからというようなことの御趣旨ではないというふうに了解をいたしますのですが、こういう点についてもやはりこの教育勅語が廃止されなければならない。それが断乎として廃止されなければならないということは、その道徳上の問題が専制君主の命令によつて左右される。或いは道徳上のみならず、國民があらゆる生活に関して、専制君主の命令によつて左右されていた過去の間違いというものを、この際はつきり痛烈に批判してそれを止めるということにあるわけですから、先つきからの御提案の中の御趣旨を御採用になる場合でも、これの廃止されることの文句の中に何らか似たようなことを将來にする、つまり國民に向つてそういう意味の民主的でない指図をするということは、私は余り望ましくないと思われる。むしろ過去の間違いをはつきりさせるという点に重点を置くべきであつて、それで今度は過去にこういうふうな間違があつたから、將來こうせよということを特にいう必要はない。そういう面においてはできるだけこの道徳の問題、教育の問題というものは、國民の自発的な意志によつて尊重されるということを我々としては期待すべきであつて、その点行過ぎた指図をされない方が正しいのではないか。どうか道徳の問題、教育の問題を法律や命令の下に置いたという過去の過ちを繰返されたくないと思うのであります。それには過去においては教育を政治の下に置いてそれで教育を尊重するといつてつたのでありますが、正に反対であつてこれを教育の問題を低くしたことはないのであります。教育や思想の問題というものは、政治の下に置くべきではない。政治の下に置かない方がそれを眞実に尊重するゆえんであるという点を明かにされたいと希望いたします。
  44. 梅原眞隆

    梅原眞隆君 私は今の羽仁さんの意見に接触して一つ申上げて置きたいと思います。今羽仁さんの出された井上法制局長官が教育勅語の発布に関して一つ私見を発表しておるということの、この問題に関する價値批判は私はここに保留して置きます。で、つまり羽仁委員はこれを非常に善用されましたが、私は結論を言うと甚だ認識不足の考え方である。これは併し今時間がないから私は古い法制局長官の議論を論駁したり、これを取上げて新聞社の意見をなにしておるということではない。ただ一つここに注意すべきことは羽仁委員言葉はそうじやなかろうけれども、誤解すると、教育勅語というものは過去において有害であつた。有害な教育勅語を今後繰返してはならない。こういう言葉は、これは誤解を伴う。昨日私は申上げたが君主國家における教育勅語が民主國家の教育の上に適当でないということは言い得るであろう。併し今過去の君主國家における教育勅語が有害であつたと断定するというようなことは、個人がそういう意見羽仁君が個人としてそういう意見をお持ちになることは、私はちつとも干渉しないけれども、今君主國家における教育勅語が有害であつたということを軽率に決めたくない。ただ君主國家の法律基本法がこれを否定したということは民主教育の上には、つまり國家の教育方針というものが適当でないという点において除去することは私は賛成するが、過去に有害であつたというような断定の下に除去することは甚だ行過ぎである。個人的な意見に偏し過ぎておるということを、私は羽仁君の意見に接触して強く主張しておるのであります。
  45. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 只今梅原委員の御意見についてでありますが、君主国家の時には君主的なことをやつてよかつたのだということは、或る意味において今日の國際裁判というふうなものを成立させない論拠に通ずるものがあるじやないかと思つて大変心配するのであります。決してこれは一個の私見というふうなものでなく、過去の教育勅語が、如何に有害であつたかということは朝日新聞にも書いてあります。「先生が目八分に捧げ何度も敬礼して校長に渡すと後ずさりして退る。校長先生はチリメンのふくさを開き何度もおしいただいて全員頭を下げるのをまつていとも莊重な音吐で読み始める。奉読が終ると一せいにハナジルをすすりあげる音がする。これが神がかり的な教育勅語の奉読風景であつた。」ということは悲しいかな事実でありまして、このため國民が或ることを正しいことであるか、間違つたことであるか、そういうことをなすべきことであるか、なすべからざることであるかということを、自分で判断するという習慣を失うことは非常に有害であつたということを、國民は今日反省しておると思うのであります。その点を私は申上げたのであります。
  46. 梅原眞隆

    梅原眞隆君 今の羽仁さんの意見教育勅語を取扱うことがちつと神懸り的である、こういうことは穏当でないというのであれば別でありますが、私が注意したのは、教育勅語の取扱い方が神懸り的であつたというようなことを警戒せよという話には触れたのではない。教育勅語が有害であつた、こういう結論をいうには愼重な研究を要する。不適当であるということならば賛成するが、教育勅語が過去において有害であつたという断定の下に処理されることは違う、羽仁君が答えられるのには、これを取扱うことが鄭重に失しておる、宗教的にも近いというようなことに向つて、甚だ書き方が茶化したような書き方をしております。こういうようなことに関して私問題に触れておるのでない、これに関して羽仁さんがそういう取扱いをしないようにとおつしやることは同感であつて、これはすでに文部大臣であつた田中さんの時代にもそういう取扱を止めろということを言つておるのであります。これは別に問題ではない、ただ私の言うのは、教育勅語は有害なり、過去において有害であつたという断定の下に言われることは國会として、研究を要する、こういうことを言いたいのであります。
  47. 河野正夫

    河野正夫君 私は先程申上げた通り議論はともかくも、結論は第三案に近いものになるわけであります。只今までの御発言で、何と申しますか、教育勅語に付随したいろいろの取扱い方なり、それに附随して特に教育勅語によつて羽仁君と雖も教育勅語が出たから日本が軍國主義になつたとはおつしやつていない、それは羽仁君の立場から言えば顛倒で、むしろ日本の四民社会の現状教育勅語にも表現された、こうお考えになつておると思います。とにかくいろいろな歴史的な理由もあり、教育勅語にもろもろのものが付随して、好い影響もあつたかも知れないけれども、悪い影響も多々あつたということは認めざるを得ないけれども、今我々は過去の教育勅語の功罪を論じておるのでない、今教育勅語の問題を考えておるのであります。ところがそこについて羽仁君が非常に参考にすべき傾聽に値する論議をされたと思います。我々は如何に主権在君の時代と雖も、道徳を法律により上からの命令によつて受取るという態度教育者として採るべからざる態度である。先つき私は教育勅語について良心の問題と言いましたが、教育勅語が述べたからそれで云々というのでない。教育勅語に述べられておる事柄と自己の良心の問題として、自分の徳義的精神として持つておる者については、これは國家の関知すべからざることであるということを言いたかつたのであります。だから個人の考えでは絶対にああいうふうに信じ、或いは履行しなければならん、ということを言つておるのではありません。要するに外からの命令で、他律的に道徳の問題が論ぜられるべきものではないということについては、羽仁君は眞理を衝いておると思うのであります。ところがそれが今度は教育基本法に、こうあるが故に……、私は第三点を強調したい。賛成すると言いましたが、教育基本法の民主主義精神を徹底するのだということを、我々が何らかの意味において、声明とか勧告を行うので、そういう場合に、教育基本法に書いてあるから今後はこうするのだということになれば、やはり教育理念が他律的に動くということになるのであります。だからこの点も教育基本法の精神は、これは当然憲法にもあり、あらゆる際に説かれているように、人類多年の経験によつて獲得した眞理である。その眞理であるということを納得させて行つて、そこに新らしい教育というものを打ち立てるように、教育者に要請し、教育行政当局にも要請し天下の國民にもそういう意味で、過去の教育勅語が不適当であるということを要請する。こういうような方向に行きたいと思うのであります。やはり一片の声明によつて、それで國民に命令し、或い文部省に命令し、教育者に命令し得ると考えることは、過去と同じ誤を犯すという羽仁君の意見に、私はつまり良心の自由というか、教育道義の自主性というか、自律性という意味から、大いに賛成するゆえんであります。
  48. 梅津錦一

    ○梅津錦一君 今梅原委員羽仁委員と大分見解の相違があつて教育勅語の功罪論が切りが付かないと思うのですが、これは幾ら言つても、この功罪論は切りが付かないと、私は考えるのであります。ただここに明治二十三年以後の日本國民國民的感情が、どう流れて來たか、或いは明治二十三年以前の國民的感情がどうなつてつたか。明治初年から明治二十三年までに至るところの國民的感情、或いは社会の状態、日本國民の生活様式が、どうであつたか、それ以後における生活様式がどう変化して來たか、学校においても、或いは社会においても、私はそれは歴史家の深く関心を持つべき事項であると思うのです。これが明らかにされれば、教育勅語の適当であるか、不適当であるか、或いは功罪という問題にまでも発展して行くか。私は一日も早くこのことを歴史家の手によつて研究して貰いたい。そうしてあらゆる新事象を一つ一つ取上げて、相対比して國民の前にこれを披瀝することにより、一層日本の民主化を発展させて行きたい、こう思いますので、この教育勅語の功罪問題は、明治二十三年というこの線を中心に、歴史的な時間の繋がりを検討して貰いたい、こう思います。
  49. 小野光洋

    小野光洋君 大分議論も盡されたようでありますが、私は簡單に私の趣旨を申上げます。ポツダム宣言を受諾して、新憲法が成立し、又その線に添うて教育基本法ができ、実際問題としては、教育勅語の法的な処理というものは終つておるのではないかと思うのであります。ただ残された問題は、國民の良識の中にどれだけ教育勅語が生きておるかというだけの問題であつて將來に亘つて國家の権威を以て、或いは君主の権威を以て教育勅語というものが國民に臨んだり、或いはこれを拘束したりするというような状況には行つていないと思う。それを現在國会教育勅語の問題を取上げて、特に教育勅語についてその処理を論議するということは、立法府としては行過ぎではないか、無用なことではないかと私は思います。併しただ新憲法の精神、普遍の原理である民主的な精神が、十分國民の各階層に徹底しておらない。又教育の上においても、極めてこれが不徹底な状況にある。從つて教育勅語の問題は別問題といたしまして、この民主主義精神の徹底を図るために、國会が適当な意思表示をするということは極めて必要だと思います。そういう意味ならば必要ですが、特に教育勅語に絡む必要はない。若しそういう方法を採るとするならば、過去の文献に対して一々國会意思表示をしなければならん。これが適当であるか不適当であるとか、過去の文献の中には、現在の民主主義の上から考えて見て不適当な文献は沢山あります。これを一々取上げなければならんということになつたら、極めて煩瑣で処置がないと思うのです。かような意味におきまして、特に教育勅語を取上げて國会意思表示をするということは、必要はないと思うのであります。これは決して教育勅語の精神を温存しようとか何とかいうような意味ではありません。今更取上げる必要はないようなものではないか、それ程重要なものじやないじやないか、こういう意味であります。文部省におきましても、亦國会の新憲法の審議その他におきましても、教育勅語の精神が如何に取扱われたかということは、今更國会や國家がこれに意思表示を加える必要のないような状況になつておると私は信じておる。國民もさように信じておると思うのであります。ただ残された問題は、さような行政的な処置は執られておつても、曾て奉安殿の取除きをいたしましたように、物的にはまだそういうものが存在しておるとするならば、文部省はこれの撤回を命ずる、回収を命ずるということは必要かも知れません。併し教育勅語の精神の問題は、國民の良識の問題にまで國が立ち入るという問題ではないと思うのであります。そういう意味で、私は第三案の取扱につきましても、民主主義精神の徹底を期するところの、その意思表示をするということは大賛成でありますが、特に教育勅語に絡まなければならんという必要は認めない、こういう立場であります。
  50. 松野喜内

    松野喜内君 段々御意見が出まして、論議もほぼ盡きておると思いまするから、この辺で一つまとめて頂いたらどうでしようか。どの案を採るかということを、決を採つて頂くことを希望いたします。
  51. 田中耕太郎

    委員長田中耕太郎君) 松野委員から御提案になりましたが……。
  52. 岩間正男

    岩間正男君 河野君の先程述べられました意見の大部分について、私も賛成する点が多いのでありまするが、そのうちで、ただ一点について問題を持つのは、教育勅語憲法違反であるかどうかというような解釈の問題であります。これにつきましては、河野君は、現在教育勅語は何ら法的な拘束力を持つものでないから、從つて形式的にはもうこれは実効を持つていない、從つて憲法に違反するものではないというような論議を進められたように記憶するのでありまするが、なる程そのような形式的な考え方からいいますというと、そういう論が成り立つように思います。併し私は実情論に立つて、現実に立つてこの問題を考えますときに、果してそうであるかどうか。無論今までのこれは法律でありません、從つて何らそれを拘束するものでないという論も、亦河野君の意見のようでありましたけれども、併しむしろ教育勅語は法律以上のものであつた。拘束力におきましては、或る意味では、もう法律以上に、我々の精神生活まで非常に大きな拘束力を持ち、更に実際問題としましても、例えば教職に從つておりますところの教員諸君が、これによつてどんな大きな道徳上の拘束をされたか。更に実際の効力からいいましても、取扱が非常に不完全であつたとか、或いは火災の際に謄本を持ち出さなかつたとか、そういうことのために職を罷めさせられた、生活権を奪われた、こういうような実情も存在したのであります。無論これは現在におきましてはその実効はすでに失われておるのでありますけれども、そのようなさつき申しましたようにいろいろなものがまだ一つの権威として潜在的に残つておる。この点に問題があるのでありまして、從つてこの憲法の私は九十八條の條項をそのまま解釈するならば、当然この條項に従いまして、法律、命令、詔勅その他國務に関する云々の規定がありますけれども、やはり現在の認識からいたしまして現状論としまして生きておる面があるから、これが憲法に違反する面があるのじやないか、こういうことを申述べたいと思うのであります。併しこの議論につきましては、これは相当、もつと論戦を展開しなくちやならん点でありまして、時間がございませんので、簡單にその点を私として申述べて置きたいと思います。
  53. 柏木庫治

    ○柏木庫治君 私は教育勅語如何に悪かつたかというようなことは決してそうは考えないのであります。羽仁君が新聞を出されて、「朝日」にもこう書いてあり、井上もこう言つておるということでありましたが、「朝日」が書き、井上が書いたから羽仁君が出したのではなくてこれは羽仁自身を語つておるのであります。と思いますのは、然らば今より十年前、二十年前の朝日新聞を調べて見ましたならば、あの教育勅語が同民精神を通して良かつたという礼讃は沢山私はあると思います。そんならば朝日新聞にこう書いてあるからこれがいいと羽仁君が言うかと私は聞いて見たいのであります。だから結局新聞の問題ではないということが一つ、もう一つは例えば三つか四つというと大変例がおかしいのですが、親が子供に仮に六つの時分に風邪を引いた。そうすると俺が飲みたくない嫌な藥を飲ました、だからこれは親が悪いんだ、若しこう申しますならば、この議論如何に当つていないかということも明らかだと思うのであります。これは歴史の流れでありまして、終戰のあの詔勅でありますが、若し百の東條、千の鈴木が戰爭を止めいと言つても止めなかつたろうと思うのであります。これは若しあの詔書が出なかつたならば、三十年中國の山奥、フィリッピンで戰爭が続くだろうと世界の識者は述べたのでありますが、歴史上の一つの流れでありまして、あれがために良かつたこともありましよう。又あの中に今から考えたら間違つたこともありましよう。併し我々がもうすでに今日はみずからの責任においてみずからを治め、國の政治に参與するだけに心持が成人した今日から考えて見れば、それはいけないことであります。でありますから單に今日からの問題でありまして、その功罪の問題に向つては私は内容に触れることの一切を止めまして、とにかく教育勅語は過去の文献であつて、現在は基本法で行くということをはつきりさして行くことによつて我々の心持の成人した姿もその中にあると思うのであります。おしめの御厄介になつてつて、大きくなつてから要らないものになつたからというてそれを悪く言うことは、やはり私は成人した心持の現れでないと思うのであります。
  54. 羽仁五郎

    羽仁五郎君 ちよつと簡單に……。今言われましたことの中で、おしめの問題と教育勅語の問題とは大分違うと思うのであります。さつき梅津委員からも歴史家に対する期待を述べられたのですが、これに対しても敬意を表しますが、御承知のように教育勅語はどういう歴史的事情の下に制定されたかといえば、明治二十年代に自由民権運動が盛んになり、日本が國際的精神が高まつたその時に、憲法及び議会を制定するについて國民が民主主義的に進み過ぎはしないか、國際主義的に進み過ぎはしないかということに対する危惧の念から教育勅語が発布されたということは歴史上明らかなことであります。であるから教育勅語発布の根本精神には國際精神に対する否定、民主主義精神に対する否定、この二つが教育勅語制定の根本的な動機となつてつたのであります。且つ終戰の際にあの詔勅が出なかつたら何十年か戰爭が続くであろうというそのことが実に恐ろしいのであります。詔勅があれば何十年でも戰爭がある。詔勅が出なければ何十年でも戰爭が止まない、そのことが実に恐ろしいのであつて、この全体が有害であり、実に恐ろしいものであつた從つて過去のものだから、過去の文献として今は今だというような氣持、諸般の情勢によつてつたのだというような氣持國民の中に続くことが、私は非常に恐ろしいことだと思う。やはり我々國民全体が過去のそういう詔勅であればどんな残虐なことでもやる、どういう不合理なことでもやるというような氣持教育勅語においてさつき岩間君も言われたように、代表的にされておりましたので、旧憲法と並んで教育勅語に対するそういう批判を明らかにすることが國民の幸福のためであるというふうに確信いたします。
  55. 田中耕太郎

    委員長田中耕太郎君) 大分御議論も出て盡きたようであります。先程松野委員から結論に到達するようにしたらどうかという動議が出ましたが、そうすることに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  56. 田中耕太郎

    委員長田中耕太郎君) それではどういうやり方で結論に到達いたしますか、私の理解いたしましたところでは、大体大きく分類すると二つに分れると思うのであります。一つ岩間委員の述べられました意見、つまり教育勅語憲法第九十八條の問題である、これはいろいろ論議すれば切りがないのでありますが、結局そうであります。だからこれを切離して行き、國会として声明すべきだということであります。二つ、梅津委員の御意見は、基本法を再確認することによつて民主化するというようなことをお述べになりました。併し又趣旨においては羽仁委員岩間委員の言われたところと共通のものが多分にあるというふうに私は了解いたしました。その他岩本委員、柏木委員若木委員梅原委員河野委員結論においては第三案を支持されたように了解いたしました。中川委員松野委員その他は名前は一々申しません。そこでこの際決を採りますか、それとも大体の空氣で以て確定いたしますか、その点を御教示願います。
  57. 柏木庫治

    ○柏木庫治君 決を採るんですね。
  58. 田中耕太郎

    委員長田中耕太郎君) 先程二つと申上げましたが、梅津委員のお説は、教育基本法の精神を徹底させる、一層包括的な処置を採ることには必ずしも不賛成ではないというふうにお考えならば第三案に帰着するわけですが、その点は、それで結構ですか。
  59. 岩間正男

    岩間正男君 私の先程の提案、つまり若し決議のようなものを出すんでしたら、どこに主点を置くかということになると思うんです。無論私の第一案というものを進めるにいたしましても、最後の結論として新らしい民主教育方向を確定するというようなことを結論として出されると思います。併しその決議文の主体がどこにあるかというところに、私のは掛かつておるわけであります。第三案によりますと、教育の今後の方向について基本方針を示すことを主体にして、そしてその中に、今の勅語に関する問題を取扱うというふうに、まあ私は了解したのでありますが、そういう点からいいましてこれは主從の問題になりまするけれども、その点の扱い方についてですね。私の第一案の精神が、はつきり闡明されますならば、私は、必ずしも第一案というものを、いつまでも固執するものではございません。
  60. 田中耕太郎

    委員長田中耕太郎君) 岩間委員の御発言というのは、教育勅語は、すでに死文化したものであるということを、はつきりさせるというような御趣旨でございますか。
  61. 岩間正男

    岩間正男君 そうです。
  62. 田中耕太郎

    委員長田中耕太郎君) この点は、第三案を支持された諸君においても、全然同感だと思います。それで、つまり法律問題については、論議があるにしても、潜在意識として、まだやはり國民の中に、教育勅語万能の思想があるんだと、あり得ると……、教育勅語が、尚やはり現在の教育の指針になつてつて、外のこういう教育に関する古典だとか、或いは宗教、道徳の体系というようなものは、それ以下のものであるかのように考える思想が若しあるとすれば、それを拂拭しなければならないということは、委員の方は、全部の方が、一致しておると思います。さような意味で、岩間委員が言われましたるところとも共通点がある。大は小を兼ねるというようなことにも私はなるんじやないかという意味に、承つておると、そういう氣がしたのであります。    〔「委員長に委したらどうかね」と呼ぶ者あり〕
  63. 梅津錦一

    ○梅津錦一君 大抵皆が意見が一致して大体第三案で、大体私は落着いていると思います。ただ今問題は、教育勅語を取扱うのに、ただ申訳のように取扱うか。本格的に取扱うか。良心的に扱うか。私は良心的に扱われたら、岩間君にしても、羽仁君にしても、言われることは筋が立つておるから、できるならば、みんなの御賛成を得てつまり良心的に教育勅語を取扱うというくらいにしてみんなの意見を割らずに、一致するようにしたらどうです。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  64. 田中耕太郎

    委員長田中耕太郎君) それでは、大体……大体ではありません。結論に到達したと存じます。それで、第三案の中に、第一案の趣旨を盛るということにつきまして、御異議がないと思います。ただ法律的の問題につきましては、これは非常に疑義がいろいろあることでございますから、その点は触れないで、つまり民衆の意識の中に、まだ教育勅語が残つている。從來の形において残つているという事実があつたら、拂拭するということで、さような意味を強調すること、〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕それから手続の問題でありますが、これは、今日午後衆議院の方に、こちらの意向を十分傳えまして、こういうことは、衆議院の方が、或いは済んでおるかも知れませんが、又協議をいたしまして、お諮りしたいと思います。
  65. 岩本月洲

    ○岩本月洲君 問題が問題でありますから、成るべく衆議院と同調できるようにお計りを願います。
  66. 田中耕太郎

    委員長田中耕太郎君) さようにいたします。それから尚、この委員会は、実は午後まで続けたいという……、すでに午後でありますが、休憩いたしまして、六・三の問題につきまして、いろいろまだ御論議なり、或いはこの前の合同委員会の趣旨を、我々は遂行貫徹しなければならないというようなこともありますので、さようなわけで続けたいと思います。それで、一時ぐらいにいたしますか、二時にいたしましようか。〔「二時に」と呼ぶ者あり〕それじや二時ということに、やはりこの部屋で。それでは休憩いたします。    午後零時五十五分休憩    —————・—————    午後二時三十七分開会
  67. 田中耕太郎

    委員長田中耕太郎君) 午前に引続き委員会を開きます。六・三教育制度予算について御協議を願いたい思います。速記を止めて……。    午後二時三十八分速記中止    —————・—————    午後三時二十九分速記開始
  68. 田中耕太郎

    委員長田中耕太郎君) 速記を始めて……それでは本日はこれにて散会いたします。    午後三時三十分散会  出席者は左の通り。    委員長     田中耕太郎君    理事            松野 喜内君            柏木 庫治君            岩間 正男君    委員            梅津 錦一君            小泉 秀吉君            藤井 新一君            若木 勝藏君            小野 光洋君            中山 壽彦君            木内キヤウ君            岩本 月洲君            梅原 眞隆君            河野 正夫君            鈴木 憲一君            中川 以良君            矢野 酉雄君            羽仁 五郎