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1948-02-19 第2回国会 参議院 文化委員打合会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十三年二月十九日(木曜日)    午後一時四十九分開會   —————————————   本日の會議に付した事件 ○祝祭日の改正に關する件   —————————————
  2. 山本勇造

    委員長山本勇造君) これから文化委員會の打合會を開きます。今日は委員方々の外に各專門のお方のの御列席をお願いましたところ、お忙しい中にも拘らずお出を頂きまして非常に有難うございます。前囘に引續きまして祝祭日の問題について皆さんにお諮りをいたしたいと思います。先程ちよつと御挨拶の中でさまざまなことを申上げましたが、これから個々の問題につきまして皆樣の御意見を伺いたいと存じます。  第一には皆さんのお手許にお配りしてあります總理廳官房審議室輿論調査部で集計したものがございますが、これを土臺にして皆さんの御意見伺つて行きたいと思います。(末尾に掲載)  第一にはこれによりますると、この審議室の方の世輿調査部の集計は、これはまだ途中のもので本當のものができておりませんけれども紀元節がこれですというと第一の順位になつております。ところが、これはさまざまの意味で、非常に問題になつておる日なのでございます。然るにたまたまこれが第一に出て來ておりますが、この點につきまして、それを今度の祝祭日として取上げた方がよろしいかどうか御意見を承わりたいと存じます。時間がございませんから、なるべく皆さまに簡單に、御活發に、御發言をお願いいたします。
  3. 藤岡由夫

    説明員藤岡由夫君) 一つには國の始めの記念というふうなものが少くとも一つは取上げられて然るべきかと考えます。これは紀元節というものが、今日の歴史から見ましもいろいろの意味があるが、いろいろ異論もございましよう。若し紀元節でないならば、例えば明治の或る中興の日であるとか、何か國としての創設のときを記念するような日が一日はあつた方がよいと思います。外にそういう御意見がございませんければ、何らかの形で紀元節は、殘して頂いた方がよいかと思います。簡單でありますけれども……。
  4. 山本勇造

    委員長山本勇造君) お尋ねいたしますが、やはり紀元節という名前で殘したいという意味でありますか、それとも何か外の名前に變えての意味でありますか。
  5. 藤岡由夫

    説明員藤岡由夫君) 我々から申しますと、紀元節という名前が一番親しみがございますので、ここに擧つております中では一番適當かと思います。
  6. 山川菊榮

    説明員山川菊榮君) 私は國の始まりという意味では、今後のこれからの新しい自由の國の始まりという意味で、憲法記念日があればよろしいと思います。紀元節は、いろいろな意味で古い日本紀元でございますから、これはなくした方がよいと思います。
  7. 服部靜夫

    説明員服部靜夫君) 私も現在の紀元節というものに繋がるいろいろな因縁というのをこの際拂いのけて、新しい名前はまだ別に考えておりませんけれども、新しい一つの國の基礎が始まつたという意味記念の日を一つ欲しいと思います。現在の二月十一日という日、及び紀元節という名前には執著しませんし、新しい日を考えた方がよろしいと思つております。その日なども何も過去のことに引ずられることなしに、新しい日を考えて作りさえすればそれでよいのだと思います。
  8. 長谷部言人

    説明員長谷部言人君) 私は紀元節ということについていろいろ異論もあるように存じておるのでありますが、その點を考えますると非常に我々に親しみの深いところの祭日でありますけれども、これは宮中の御儀式か何かの形で保存されまして、そうして國の祭としては別な形にしたらよくはないか、それについて私の考は、統一國家建設ということに重點を置かれる。そういう祭があるということは非常に望ましいのでありまするが、大體統一國家建設というものが、統一者によつてだけできるものでなくして、その下におるところの一般民衆氣分がこれに合一してそういう事業ができ上るのではないかと思うのであります。そういう點から考えますというと、今日の紀元二千六百年というのも、人によりましては、殊に私は考古學者でございません、人類學をいたしておるものでありますが、考古學者の間でも、神武紀元は古過ぎる、六百六十年くらい下げたのが至當ではないかなどという意見もありますけれども、私の考えとしては、日本の民は極めて古い時代から四方海に圍まれておる國の住民として、一致して外國と別な國柄を建てて行くという氣分は餘程古くからあつたのではないかと思います。そういう點から考えますと、紀元節というものは、神武天皇の御即位ということもある意味においては中輿の儀式であつた考えてもよくはないかと思います。そういう考えを引延ばして行きますと、もつて後にいたしても差支ない。但しそれは紀元というような意味でなく、國を興す。祭國というような、中興というような意味祭日があつてよくはないかと思います。  そこで私の案としては、考えて見ますというと、飛鳥時代あたり日本文化が急速に進歩をいたしたということは歴史にも書かれておることでありまして、恐らく多くの人はその史實を信じておられることと思います。その中でも目ざましいと思いますのは、日本書紀のできた時代、或いはその時分には佛教なども採り入れたりしまして非常に進んだのであります。そればかりでなく、佛教關係以外にも大きな土木事業が行われたというような形跡もあります。それらの點から考えまして、私は日本書紀ができ上つて、これが上申せられた養老四年の五月三十一日、これなどは興國の祭として甚だ適切ではないかと思うのであります。中興というような中を省きまして、興國節というようなことであつたならば、この紀元節に代るのにふさわしい祭日ではないかと存じております。
  9. 石田幹之助

    説明員石田幹之助君) 今段々お話伺つておりまして、服部さん、藤岡さんあたりから何か國として、とにかく古いにしろ新しいにしろ、國がとにかく在る意義を持つて出發したというような日を、祝日なり祭日に持ちたいという御意見がありましたが、これは私共も極めて御同感で、是非何かそういう日を一日持ちたいと思うのですが、ただ今までの紀元節というものは、在る程總理廳あたり世論調査その他の結果によりますと、一般の間にはいろいろの親しみがあつたというようなことから、えらい人氣があるようでありますけれども、どうもこれは私共の仕事の方から申しましても何も根據がないのでありまして、今から何年前にああいう建國のことがあつたということも、その年の中で換算すれば、今日の二月十一日の當るということも全然根據がないわけでありますから、これは、そういうものに拘泥してこれをそのまま存するということはこの際どうかと思うのであります。殊に最近はいろいろそれにまつわる我々として面白くない記憶も澤山あるわけで、むしろこういうふうに新たにいろいろなことを定めるという機會に際會しましては、何かそういう意味を持たしたものは持ちたいのでありますけれども、二月十一日ということは今後一應放棄した方がいいのではないかと思つております。そこで具體的な問題は、それでは何かそういう建國節とか、或いは長谷部先生の仰しやつたような中興ということも結構でありますけれども、そういう意味においてなりとも、どこへ持つて行くかということになりますと、なかなかむつかしい問題で、私も別に具體案もないわけでありますが、新らしいところならば、新憲法施行記念日というようなもの、とにかくこれから國は長くあつて、過去は何千年か知りませんが、將來はもつと長く行くわけでありますから、その意味において五月の五日というような日などを、一つその意味記念日にされることも結構じやないかと思います。又古いことのあれは分りませんけれども、建國というような、本當に日本國民が統一されて、對外的にもしつかりした獨立の國というような意識を持つた時といつたようなこともなかなか歴史の方から決定できないことでありますから、長谷部先生お話のような中興というようなことで何か適當な日をお取りになるのも結構かと思います。ただ今日本書記を上申されたというような、養老四年五月幾日というようなことにつきましては、私、別に何も考えておりません。ここで意見を申述べるような何も根據を持ちません。大化改新というようなことを申出されるお方もないとも限りませんが、これをああいうものはすべて一日にしてできたものではないのでございますけれども、近頃の研究によりますと、明治維新よりはもつとひまがかかつて徐々に行われたということでもあり、又土地制度などから見ますと、非常に新らしい主義でやつたもののようですが、結果から見ますと、非常な失敗でもあり、大化改新の詔勅の出た日も、紀元節というのも、そういう具體的な日をいつにするというようなことは、私自身考えはございません、皆様でお考え願いたいと思います。紀元節二月十一日を存置すべきかどうかということは、私はもう存置しない方がいいと思います。代るべきものを求めて然るべきものと考えておる次第であります。つまらんことを申上げましたが……。
  10. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 外にこの問題について御發言はございませんか。これは非常に大事な問題でございますからどうか……。  總理廳の調べでございますと、紀元節が第一位になつております。讀賣新聞社世論調査では、紀元節は第三番目になつております。それからして時事通信社の方ですと、紀元節は第四番目になつております。順位は多少違つておりますけれども、一般輿論からしますと、これは大變に人氣のある祭日になつておりますが、只今ここで伺いますと、專門家と申しますか、學者、有識者と申しますか、そういう方方の御意見とは大分と違つております。これが今日こういう會を開きました理由があるわけであります。ただ世論調査だけで數が多いからというので取るべきか、或いは識者の方々の御意見に從うか、この決定は後々の問題でございますけれども、こういうところに今日の會の大變な意義があると思うのであります。外に尚この問題について御意見がございましたら……。
  11. 藤岡由夫

    説明員藤岡由夫君) 私は紀元節という日に囚われるわけじやございませんが、輿論においてこういう日が非常に人氣があるということは、今日國民が非常に自信を失つておるそのときに、やはり我々も日本國という立派な國を持つておるのだ、そういう自覺を持ちたい。何か掴みたい氣持一般國民にあるのではないかと思うのです。そういうものが一つ紀元節という形になつて現われたのではないかと思いますので、私は何か國として記念する日が欲しいと申しましたのはそういう意味なのであります。ただ紀元節というものについてはいろいろ異論もございますことで、殊に先程のお話のいろいろ關係方面というようなことも考えます上において、こういう日を選ぶことは悪いかも知れませんけれども、餘り理窟をつけた日を考えますということは、これは國民の何とはなしのこの氣持の現われというものが丁度ここに行つておるのに、少しそぐわないような氣もいたします。そこで紀元節を私は是非というのではございませんけれども、何かそういう國民としての自覺というものを持ちたいという、その輿論の現われというものはどこかで酌んで頂きたいと思うのであります。
  12. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 藤岡さんにちよつとお尋ねいたしますが、それは例えば山川さんが仰しやつたように、憲法公布記念日とか、或いは施行記念日とかいうふうな、そういう新らしいものでなくて……。
  13. 藤岡由夫

    説明員藤岡由夫君) それも結構でございますけれども、新らしいものは何しろ今我々が目に見ておるところでございまして、そうでなく、我々はやはり昔の日本、こういう立派な國におつたのだという自覺を持ちたいという氣持が、やはり一般國民にあるだろうと思います。それがこの輿論に現われて來るのじやないか、新らしい日は勿論新らしい日としかお選び下さることは結構でありますけれども、やはり我々の過去の自信というようなものを持ちたいという氣持國民にあるのじやないかと考えております。
  14. 長谷部言人

    説明員長谷部言人君) ちよつと追加します。これはちよつと別なことに考えられますけれども、こういうことについて今まで多くの人がそういうことを申しておりまするし、恐らく又多くの人がそれを信じておるかも知れませんけれども、日本人は中頃大陸の方から移住したものであるという考え方、これが可なり有力であります。私の先生などもやはりそう考えておられます。併し私は今日までいろいろ自分も調べ、人の調べましたものなどを見まして、こういう考え方は甚だ疑わしいと思つております。日本人は非常に古くからこの島に住んで、そうして外とは交通が不便でありますけれども、尚且つ時々交通は續けておる。そうして段々と進歩をして來たことは、これは疑を容れないのでありまするが、併しそういうことに囚われて、日本人大陸の方から移住して來た、而もそれが比較的新らしい時期にあつたというような考え方は、これは大いに一つ檢討して、果してそれが正しいかどうかよく考えて欲しいと思うのであります。私自身は非常に古くから何千年、神武紀元よりももつともつと古い時から日本人が大体今のような擴がりに住んでおつて、そうしてそれが續いて段々この文化進歩した。石器時代からいわゆる彌生式時代古墳時代というようなものを通りまして、その間に體の方も段々變つて參つた。この體が變つて來るということは、これは人類進化ということは、決して自然に默つて懐手をして進化するのでなくして、人が働いて、そうして働いて得たところの知識によつて又新らしい仕事を興し、そうして外の獸類とは全く違つたところの人類というものを築き上げた、それが即ち人類進化であると思うのであります。そういうような考えからいたしましても、亦人種というような問題でありますが、多くの人は、人種というものは昔に非常に純粹なものがあつて、それが段々外と混血して不純になつて來たというような考え方が廣く行われておるのでありまするけれども、これは前のヨーロツパの大戰の頃からして段々考え方變つて參りました。人類というものは最初はそう純粹というような形でなく、丁度家畜が今日いろいろの品種が出て來ると同じように、いろいろのものがまじつたような状態であつたものが、長い間にいろいろの淘汰の現象によりまして、そうして人種というものができて來た。そういう又考え方、その二つを併せまして、日本人は非常に古くから住んでおつて、それがよそと隔離されておる間に、段々その日本人の中でもいろいろ違うタイプが地方的に分れて來たりしまして、一見しますると如何にも混血したと考えられたりするのでありまするけれども、よくよくそれを調べて見ますると、日本人獨得のところを立派に持つておりまして、決してその混血の結果と言えないのであります。そういう點から考えまするというと非常に古いのでありまして、紀元節の二千六百年というのは或いは新らしいかも知れないと思うのであります。併しこれには非常に不確かなところがありまするからこれは止めまして、併しまるきり止めてしまうということは甚だ殘念でありまするから、僭越でありまするけれども、宮中の御儀式にでも、何か二月十一日というようなことも、ことによつた理窟もないかも知れませんけれども、從來の國民の多くの者がこの日を記念しておつたのでありますから、何らかの形で一方には存續して頂いて、そうして別に新らたに私の申す中興とか、興國とかいうような意味祭日を作つて頂いたならば、國民の大多數の氣持も通るのじやないかと思うのであります。
  15. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 和達さん如何でしようか、或いは專門外かも知れませんが、別に國民の一人としてどうか。
  16. 和達清夫

    説明員和達清夫君) 歴史の方を餘り存じない私ですから、論ずる資格はないと思いますが、單に感情論でありますけれども、やはり藤岡さん、長谷部先生の言われるような、何か世論調査にも多い、又私もその一人として感情論かも知れませんが、餘り新らしいところに、例えば憲法が出たというのでは何か感情的にそぐわないものがあるように思います。歴史の方の方が適當な日を若し選ぶことができますならばそのようにした方がいいと思います。
  17. 山本勇造

    委員長山本勇造君) それでは谷川さん、突然で何かも知れませんが、今紀元節、これは名稱はどうといたしましても、それを存續するかどうかという問題をやつておりますが、あなたの御意見は……。
  18. 谷川徹三

    説明員谷川徹三君) 遲れましてまだ皆さんの御意見伺つておりませんが、私自身としては存續いたしたいという意見でございます。今まで紀元節というものを、まあ嚴密にどういう意味で想定したかということも私は實ははつきりと存じませんけれども、若しこれを歴史上の事實として想定したとするならば、これは今日の歴史研究はそれを支持することはできない。私は神話というものの意味を信じております。問題は神話歴史とすることはいけない。或いは又歴史神話とすることはいけないと思いますが、神話神話として見る限り、神話意味というものは、今日でも依然私は存在すると思います。紀元節というものを二月十一日にどうしてしたかということについては、これはいろいろ計算があつたようでありますが、そういうこととを離れて、神話が今日持つておる意味の上から、それからもう一つ申せば、私は國家という觀念について、今日一部の人達の持つておると思われます見解を異にしております。國家というものの將來がどういうふうになるかということは、これは又一つの問題でありますが、現在國家として日本が存在しておる以上、どこまでも國家としての立場に立つて、私共はこういう祝祭日というものを決めなくちやならないのであります。神武天皇即位というもの、これは今日では私は神話であると思いますが、併しその神話はやはりどこまでも我々の國家の生命と結びついておる神話である。その神話というものを歴史とは別な意味で認める限り、その立場からこういう名稱を使うかどうということは、又次の問題になりますれども、とにかくこの日を私は存置したい、そう思つております。
  19. 山本勇造

    委員長山本勇造君) お尋ねいたしますが、それは何ですか、二月十一日を變えない方がいいという御意見でございますか。
  20. 谷川徹三

    説明員谷川徹三君) 二月十一日の計算法については、いろいろ歴史家の方で問題があると思いますが、併し若し新らしく何らかの形で神話の日附を、新らしい計算でもう少し合理的に變えることができれば、それはその場合には私はもう一度考えて見たいと思いますが、今のところではやはり二月十一日というものを、そういう新しい計算方法ができて來ません限り、二月十一日を紀元節として私は殘したいと思います。
  21. 山本勇造

    委員長山本勇造君) もう一つお尋ねいたしますが、あなたの御意見は、二月十一日を固執されるか、それとも、例えば長谷部さんは別の日を……別の日というのは、別の事實に基いた別の日というお考え、これは長谷部さんばかりでなく、藤岡さんの御意見もそのように聞き取れたのでありますが、そういう御意見もありますが、そういう他の日でなく、やはりこの日というふうにお考えでございますか、或いは何か日本が古い昔から續いておる國だという意味で、どれか昔のそういう日を欲しいという意味でございましようか、どつちでございましようか。
  22. 谷川徹三

    説明員谷川徹三君) 新らしい歴史的な事實から、そういう適當な日が決めらるれば、私はその場合には尚一考いたしますけれども、そういうわけです。それで私はどういう日をどういう根據によつてお決めになるかということを一應伺いたいと思います。若しそういう日が合理的に決められない限り、依然として私は、二月十一日を固執します。
  23. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 岡本さん、あなたの御意見伺つてなかつたように思いますが、非常に大きい問題でございますから、ここは少し時間を取りますけれども、あなたの御意見を承わりたいと思います。
  24. 岡本禮一

    説明員岡本禮一君) 私が今日ここへお伺いしたのは大體子供のことで來ておりますから、子供立場から考えて見ると、子供というものはあこがれと誇を持つておるのは、これは皆さん承知通りであります。そうしますと先程の山川さんのお話憲法祭も結構でありますが、併し國が現存して來たという長い史實は無視できないと思います。子供としまして、おれの國はこれだけ古いのだというあこがれを、誇りを無視するということは、私は到底忍び得ないのであります。子供は御承知通り、悉く夢の世界であります。この夢を正しく導くか、正しく導かないかは、そのときの教育によるでありましようけれども、今までのような侵略萬能子供を教育して來たということでなく、これから平和で子供を導いて行くにいたしましても、先程申しましたように、建國史實というのは、國の存在というものが長くあつたとしますれば、日、名稱には拘わりませんけれども、建國意味を殘した記念日というのは殘して頂きたいと思います。そうすればこれからの子供は、やはり先程申しましたように、おれの國は、やはりこれだけ古いのだ、併しこういう事情の下に、憲法祭はできるようになつたのだということになつて來るのでないかと思います。
  25. 山本勇造

    委員長山本勇造君) ちよつと速記を止めて下さい。    〔速記中止
  26. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 速記を始めて……。第二に移ります。第二は明治節、この十一月三日という日につきましては、これは問題が殆んどございませんので、この日を明治節とするか、この總理廳のにあるのですと、明治天皇祭、或いは偉人祭というようなのが出ております。更に又日本國憲法公布記念日というふうなのも出ております。或いは憲法節というような名前を言つておる方もございます。この日は必らず取上げられると思いますし、御異論のある方もないと思いますが、名前をどうするかというのが問題であります。この點に關しまして……。
  27. 石田幹之助

    説明員石田幹之助君) この明治節という名前を是非殘して頂きたいと思います。僕らはそう思うけれども…。ちつとも悪くないと思うのですけれども……。
  28. 山川菊榮

    説明員山川菊榮君) 私は日本の過去には餘りこだわることはいけないと思うのです。明治という名前は、我々明治時代に生れた者はとにかくですけれども、やはり五月にはメーデーが多分取上げられるでしようから、こちらを憲法記念日とする、今まで伺つたお話では餘り古いものにあこがれまして、新しい未來の建設に對する情熱が少な過ぎると思うのです。お年を取つた方が多いから、無理もございませんけれども、如何に血を流さない革命にしても、日本としては非常に大きな國家的な意義のある今度の改革なんでございますから、それを記念する意味で、明治の維新よりももつと大きな革新をやらなければならないので、憲法記念日というふうにしたがいいんだろうと思います。
  29. 藤岡由夫

    説明員藤岡由夫君) 名前の問題は、一般的にはお伺いいたしたいのですけれども、先程の一般問題ですね、どういうふうな名前を附けるかということは、今お伺いいたしたいと存じますけれども、要するにいろいろあつてよろしいかと思いますけれども、極く輕い意味で、例えばお節句というような意味で、明治節が非常に我々にいいというのは、この時期が我々に非常にいいということ、そうして我々は明治時代に生れておりますし、秋の頃の天長節というのは、秋の菊花祭というのがよく使われたようでありまして、そういう輕い意味菊花祭というのも、一案としてお考え願いたいと思います。
  30. 長谷部言人

    説明員長谷部言人君) 私は、今お話に出て來ないのを不思議に思うのですが、明治維新というものは、非常に意味の深いことじやないかと思つております。これは異常な例ではないかと思つております。そういう意味からいきまして、明治節という名前は最も適當だと思います。
  31. 山本勇造

    委員長山本勇造君) それでは名稱の問題は暫くこのくらいにいたしまして、先程祝祭日には行事乃至は催し物を伴つた方がいい。或いは食物の問題なども絡み合せた方がいいということをちよつと申上げておきましたが、例えば明治節みたいなとこには、どういうふうな行事がありましたらよろしいものか、御案がございましたら一つお話を願いたいと思います。
  32. 和達清夫

    説明員和達清夫君) 一般問題で誠に恐れ入りますが、若しも氣候ということが問題になりまするならば、私書いて來た圖がありますからそこに貼らして頂きます。これを一つ御參考に……。    (末尾に掲載)
  33. 山本勇造

    委員長山本勇造君) これは、明治節ばかりでなしに、他のそうするとなんですね、春分とか、秋分とかも、これに全部出てくるわけですね。
  34. 和達清夫

    説明員和達清夫君) これは随分小さいですが、一年中のつまり稻の刈取りの日にちだとかそういう……。
  35. 山本勇造

    委員長山本勇造君) そこでこの行事乃至は催し物などを伴つた方がいいのじやないかと思うのでございますけれども、これについてのお考え明治節と共にお話を願えば有難いて思います。在來は、明治節には體育祭が行われておつたようであります。これは體育協會かなんかが主催になつております。或る種の所からこの日に文化祭をやつてくれというような御希望もちよつと聞いております。なんか明治節のようなときにそういう催し物がありますと、祝日だから家で寢ころんでいるというのでなくて、國民が皆外に出て行つて樂しむということができます。これは單に東京で、神宮外苑でやるということだけでなしに、それぞれの町なり村なりでそれをやるというふうになりますと、非常にこの日が今までよりも一層明るい日になつてくるのじやないかと思つておりますが、そういう點いかがでございますか……。岡本さんなんか子供さんの方がなんでございましようが、又こういうようなものについてもお考えがつきませんですか。
  36. 岡本禮一

    説明員岡本禮一君) もうちよつと申させて貰いたいと思います。これは委員の方に三島先生がおられるので、私が申上げるのはどうかと思いますが、三島先生のやつておられるボーイ・スカウトの中にジヤンボリーという言葉がありますが、そのジヤンボリーの語原は、アメリカ・インデアンの言葉であります。古い英語の字引でも、このジヤンボリーという言葉は出て來ないのであります。アメリカ・インデアンのその言葉が今殆んど世界語になつているというのは、この言葉の持つ意味は、各國の言葉に言い現わし得ないのであります。というのは、アメリカ・インデアンに一つの種族があつて、その種族に各頭目があつて、それぞれの領地を支配している。それが三年目なり四年目なりを期して、一度その酋長の許え寄るのだそうであります。その寄つたときの會合がいわゆるジヤンボリーでありまして、これが會議の主體になつておるようでありますが、會議で三年間なり、四年間なりの年間報告をする。そして次の三年なり四年にする主な行事を決めて、その一方においてこの集合のときに、今日本でいえばスポーツ大會、明治神宮の體育祭のようないろいろの競技がその頭目下の人々によつて競技が行われるそうであります。そうかと思うと一方において展覽會があつて、三年間に各頭目の部族々々で作つた物を持つ寄つてきて、それが自然展覽會になる。例えば農作物のような物もありましようし、狩獵した物もあるし、種子その他の蒐集品、コレクシヨンを持つてきて展覽會をする。從つてそれが動物園、植物園、博物館、昆虫館もそこからそれぞれの所にできる。いわゆる衣食住の總ての物を持つてきて列べ立てて、それが自然の植物園になり、動物園になるという恰好なんです。一方においては演藝會が行われる。從つて藝能の各種のコンクールが行われて、非常に幅の廣い動きを見せておる集りなんだそうであります。これはベーデン・パウエルという人が各國を行脚したときにアメリカ・インデアンの中からこういうものを拾い出したので、パウエルは御承知のようにボーイ・スカウトの創始者でありますから、それをその教育運動の中に取入れて、ロンドンのオリンピヤでこのジヤンボリーをやつたときに、世界各國五十何ケ國も會議に出席し、それぞれの國の物を持つてつて今のような各種の催し物ができた。それと同じように、先程山本先生の仰しやるように、今の祝祭日というものが宮中の御儀式のように、國民全部が休んで、唯家で寢ころぶ日、休養の日ということになつているのは大變面白くないことであります。全部の祝祭日にそれを季節的にいつてできないと思いますから、例えば春とか、秋とかというような、雨氣の少ないようなときの祝祭日にはこういうような催し物を附隨させて行きたい。今までも明治節などを見ますと、例えば琴の演奏會とか、長唱の會とか、いろいろな奉祝行事がありますが、ああいうものをもつと幅廣く國民全般に行き亙つて動かされるようなものにしたものを作つて頂きたい。こういうふうに考えております。
  37. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 他にどなたか御意見如何ですか。これでどういう行事をするか、或いは催し物をやるかというようなことは、委員會で決めることは行き過ぎじやないかと唯私は思つております。こういうことは望ましいと思つているだけです。そこで、でき得るならば、これは別に一つの民間の委員會のようなものが設けられて、祝祭日ができたら、どの日にはどういうことをやるのかということを民間の委員會でお決め願つて、そうしてそういうようなものが指導的立場に立つて、できるならば國家の力に話をして豫算もどれだけ取つて上げるというふうにでもしたらどうかと、これは全く私の試案でございますが、そんなふうに考えています。そうでなく我々の方で決めて、何の日に何の行事をやるとか、何の催し物をやれとかというのは、いけないと思うのであります。そこで、この民間の委員會案みたなものは如何でございましよう。    〔「結構です」と呼ぶ者あり〕
  38. 長谷部言人

    説明員長谷部言人君) ちよつと伺いたいと思います。催し物をするということは祝日としては非常に重要だと思うのであります。それと同時に儀式をやるということも、その方がむしろ大事である。その催し物をするということになりまするというと、まだ問題になつておりませんが、後の祭日でありますが、これも同樣なことが伴う。その後、どれだけの祭日をするかということも、置くかということも大體のお話伺つてしたらば如何でございましよう。
  39. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 實は今の問題をここに出しましたのは、段々時間がなくなつて來ておるものですから、後のこれは相當大事な問題だと思いましたので、丁度明治節に今體育祭をやつているようでしたから、實はここに私の考えで先に出しましたのでございますけれども大体問題がありますので、豫定の時間までに行けるかどうか非常に心配しておるのでありますが……。
  40. 長谷部言人

    説明員長谷部言人君) 大體伺つたらどうかと思います。大體の……。
  41. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 私の方としてはどの日を取るということは、これはもう皆様のお話を承わりまして、或いは又世間の輿論を伺いまして定めるのでございますから、ここで今我々がどの日を取るということは申上げられません。
  42. 長谷部言人

    説明員長谷部言人君) 併し一般的の構想ですね、ここでは甚だ差し出て失體でございますけれども、私自身考えておるのは、別にどの日に因縁をつけて祭日を設けるということをしなければならんとか、その必要は大してないのじやないかと思いますね。それで一年中にどういう工合に休みが必要であるかというような点を考えてもいいかと思うのであります。そうして幾日くらいの祭日を置いたらいいか、そういつたようなことのお考えを伺えば後の話もしやすくなる、先刻ちよつとあなたがここでお話になりました例へば時の記念日というような日、これは非常に結構なことと思います。そういうようなこともどこかへ當てはまつて行くことになるのじやないかと思うのであります。
  43. 山本勇造

    委員長山本勇造君) それじや大分時間が經つておりますから、先に、ここに擧げてありますものにつきまして、行事とか催し物とかというようなものは暫く後にいたしまして、一つ一つ祝祭日についてもう少しやつて參りましよう。そうしますと自ら出て來るのじやございませんでしようか。私の方にも全く案がないわけでもございませんけれども、私の方で幾日くらい採るとか、或いはこの日を當てたいというようなことになると、どうもいけないだろうと思うのです。むしろ皆さんからお聽きして、その上で定めたい立場におるのでありますから……。
  44. 長谷部言人

    説明員長谷部言人君) 例えば春分、秋分であります。夏至、冬至とかというようなことも、春分、秋分と對照的に考えられるかと思うのであります。もつと何と言いますか、一般的に簡單に纒めてできないものでありましようか。一々に拘泥していたらばきりがない。
  45. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 總理廳土臺にいたしまして、これは割に數が多く出ておりますから、これでやつて行くのが落ちがなくやつて行けやせんかと思いますので、これを土臺にいたして行きます。順にやつて行きますが、天長節の問題は、これは一人も御異議もないと思いますから略させて頂きます。これも名前の問題がございますけれども……。  その次の春分の問題に入りますとこれは、例えば長谷部さんからお話がありましたように、秋分というものと結びつけて考えられます。今まではこれが春季皇靈祭、秋季皇靈祭となつておりますが、これに如何なものでございましよう。それと同時に、長谷部さんから出ましたように冬至、夏至というような問題がございますが、これは一つ和達さんからお話が頂ければ有難いと思つております。
  46. 和達清夫

    説明員和達清夫君) 春分、秋分を何も祝祭日に出す出さないは別問題といたしまして、先程神田清君からの手紙をちよつと拜見しましたが、よく讀みませんでしたが、私も同感でありまして、春分、秋分というものを天文學的の日にするか。一定の日を決めるかというのが問題かと思いまして、私もやはりこれを天文學的に決めるのは實用上不便だと思います。やはり一定の日にされることに贊成します。その外この日をどうということは又後で……。
  47. 長谷部言人

    説明員長谷部言人君) 私はそれにちよつと違つて考を持つております。例えば春、秋の祭というのは、もう少しゆつたりと考えて、或る一日に決めないで、歴ができまするときに、一つ先きにそういう規則ができれば、明年の祭は幾日にやる。こういうことを年年替えてもいいのじやないかと思う。一日や二日、或いは三日、四日のズレがありましても、その方がいろいろの仕事をするのに都合がよくはないかと思う。きちんと幾日と決めないで、春の祭、秋の祭というような名稱でもいいと思います。
  48. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 和達さんに伺いますが、秋分、春分の日、これは天候の關係は如何なんでございましようか。
  49. 和達清夫

    説明員和達清夫君) 天候というと……。
  50. 山本勇造

    委員長山本勇造君) つまり雨天が多いか、晴天が多いかという意味です。
  51. 和達清夫

    ○説明(和達清夫君) 秋なんどはよいと思います。長雨に引つかかればあれですが、まあ日本の國では、春分、秋分頃は割合にいい頃だと思います。春は少し寒いところに行きますと非常に寒い。
  52. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 今日は農林省の方は見えておりますか。
  53. 鵜川益男

    説明員(鵜川益男君) 私農林省から……。
  54. 山本勇造

    委員長山本勇造君) これは農繁期の關係は如何なんですか。秋分、春分は……。
  55. 鵜川益男

    説明員(鵜川益男君) 農作業の基準としては、即ち春分、秋分といわず一つ決めて置いて頂くと非常に目安になると思う。そうして農繁關係から申しますと、農作業の繁閑の點から申しますと、段々に忙がしくなる。春の方でございますと、まあ彼岸過ぎての麥の作業が忙がしくなる。秋の方になると、あの邊に新百十日がありまして、毎年あの邊で風水害がよくございますが、一應藷の取り入を始める。そう農繁期じやございませんが、やはり春分、秋分とかいうものが決つていた方が農作業の目安が……。
  56. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 目安は分りますが、この頃はお祭をしておられる時期かどうか、それともお祭をした方が却つて仕事のはかが行くということがありますか。
  57. 鵜川益男

    説明員(鵜川益男君) 一應それほど忙しくない。だから或る程度お寺へでも參つて或いはちよつとしたことは、いろいろな物を作つてなにするという程度のところじやないかと思います。
  58. 藤岡由夫

    説明員藤岡由夫君) この秋分、春分につきまして、又冬至、夏至のお話もございますが、こういう天文學的、科學的な意味のことは、これは別に祝祭日ということと一緒に考えないでいいのじやないかと考えます。それで春分、秋分をそういう天文學的の日を選ぶということは言わないで、無論その日は科學的意味のあることは無論國民に知らせなければいけませんが、お祭にする必要がないというのが私の考であります。そうして又、これは春季皇靈祭、秋季皇靈祭、そういうような國の祝祭日にすることは、今後は無論よくないかと思います。私はやはり、只今の國民の生活とぴつたり合うということが、非常に大事なことで、今の農村との關係というようなことも大變大切なことだと思うのでありますが、それと氣候の關係。それから祝祭日の毎月の分配ということも多少考えたらいいのじやないかと思います。後で若し桃の節句というものが春に選ばれる、そういたしますと、又春のお祭としては四月の初めあたりが一陽來復の花祭、そういたしますと、三月というのは餘り祝祭日として意味がないような氣がいたすのです。秋の方は丁度到る處お祭の時期でございまして、大體その頃が丁度忙しくない方に相當しておるが、これは私全然專門外のことで存じませんけれども、祝祭日として取上げるならば、むしろ秋のお祭という方が主であつて、春のお祭の方は、桃の節句とか、花祭とかそういうような日が若し選ばれるならばお祭としては省略してもいいのじやないか、そういう氣がいたします。
  59. 山本勇造

    委員長山本勇造君) その次に參りまして、四方拜、歳旦祭等澤山ございますが、新年のお祭の問題、これは如何でございますか。これは殆んど誰も異議がないのだろうと思いますが、一番の問題は名稱をどういうふうにするか、これは私は一番問題になるのだと思いますが、長谷部さんこの元日の何かよい名前はございませんでしようか。
  60. 長谷部言人

    説明員長谷部言人君) 元旦祭として結構だろうと思います。
  61. 服部靜夫

    説明員服部靜夫君) 私は祭というような名前をつけないで、例えば新年とか元日とか元旦とかいう方がいいと思います。
  62. 山本勇造

    委員長山本勇造君) それではここでちよつと今のような問題が出ましたので觸れたいと思うのですが、この間或る雜誌を見ておりましたら、津田左右吉さんが祝祭日のことについてちよつとお書きになつております。その中で祝祭日というけれども、祭というのは止めて祝だけにしたらどうかといふ御意見があつたように記憶いたしております。服部さんの御意見もそういう意味でございますか。
  63. 服部靜夫

    説明員服部靜夫君) いや、それは先生の御意見がどういうのかよく存じませんけれども、祭ということを一體どういう形式でやるかというと、祭というのは今までの大體我々の理解する點では、神道に關係があると思うのでありますが、神道そのものは別になんともないと思いますが、結局國家神道との繋がりというものが非常に緊密であつたように思うのでありまして、そういう意味でそういうものから一応切離した意味での祝祭日ということは、私はやつた方がいいのじやないかと思いますが、そういう意味で祭という字を省いた方が宜しいと思います。
  64. 山本勇造

    委員長山本勇造君) そうしますと、祭という日本語になりましてもいけなくて、結局祭という字も祀という字も、どちらも神に關係がある、そういうのは避けたい、こういう意味ですか。
  65. 服部靜夫

    説明員服部靜夫君) そうでございます。
  66. 山本勇造

    委員長山本勇造君) その次が桃の節句、雛祭というのがあり、同時に端午の節句というのがございまして、兩方ともこれは子供のあれでございますが、この七と八との問題、これは如何でございますか、山川さん。
  67. 山川菊榮

    説明員山川菊榮君) これは習慣的にやつておることで、各自の自由で家庭でやればよいことで、國家的な祝日とする必要はないだろうと思います。
  68. 和達清夫

    説明員和達清夫君) 御參考までに……、桃の開花は新暦で申しますと、大體が三月下旬、詳しく申しますと、仙臺四月二十一日、熊谷四月四日、大阪三月二十三日、熊本三月二十二日であります。
  69. 岡本禮一

    説明員岡本禮一君) この桃の節句とか端午の節句というのは、男の日、女の日とせずに、こういうものを打つて一丸にして子供の日とか、子供デーというものを設けて欲しいと思います。先程山川さんから家庭ですればいいじやないかというお話でしたが、どうも子供のことだというと第二次的にされるのは非常に殘念に思います。口を開けば子供は次代を擔う大切なものだということをよく仰しやるけれども、又愛護すべきものだ、教育すべきものだと言つて、それぞれの施設は國家でも民間でもおやりになつておりますが、子供を國を擧げて祝福してくれるという日は未だないのであります。子供がそれ程大切であるならば、子供を祝福する、そういう意味で是非子供の日というような意味で、この二つを合せたものを、別々にやれば尚結構ですが、そんな贅澤なことは望めないと思います。國の祝祭日として、單なる節句というような民間の年中行事でなしに、國を擧げてこれを祝福してやるというような日を作つてやることは、今日の國會状態の非常に悪くなつております嵐の中に放置されておる子供を、大人の人達がこういう中であつても尚これ程子供を思つてつておるのだという人の親、子の親という氣持で、ここに子供の日という大きな精神的な贈物を贈つてやることは、子供將來のために、本當に國家を擔う子供たちを勇氣づけることになりますので、是非子供の日、兒童デーというような名前の下に桃の節句、端午の節句というようなものを決めて頂きたいと思います。それでこれは行事關係になりますからここでは省きますが、單に今のような祭日の形式を取らないで、大きな意義のある行事をこれに附隨させて頂きたいと思います。行事のことについては、山本先生のお手許に絶えず提出してございます通り、いろいろなことを我々も考えておりますが、そうでなしにもつと廣くお調になりますならば、より以上の行事がこれに附隨するだろうと思います。そうして子供の日というものを中心に約一週間ぐらい子供を祝福する催を、申落しましたが、今年は兒童福祉法が實施されたのでありますから、それを意義づける上において、それを國民の末端まで徹底される上においても、兒童福祉週間というようなものを、子供の日を中心にお催しになるならば非常に有意義だと考えております。
  70. 山川菊榮

    説明員山川菊榮君) 先程私が申しましたのは、普通の端午の節句、雛祭という意味でございますから、そういうことは民間の行事にして置けばいいだろうというので申上げましたのですが、只今の御説明は大變結構です。七五三というようなことはなくして、只今のお説のような新しい子供の日を設定することには異議ございません。大變贊成です。
  71. 中川薫治

    説明員(中川薫治君) 今お話が出ましたので、厚生省の兒童局で從來民間の有志の方が、子供の日の問題についていろいろやつておることを御紹介申上げたいと思います。十數年以前から民間有志の間で、五月五日を兒童愛護デーということをやつて頂いております。それが最近二三年前から週間運動になりまして、五月五日を中心に一週間の週間運動として、兒童福祉週間、兒童愛護週間としてずつとやつております。今年は兒童福祉法の施行の最初の年でありますから、五月五日という日を男、女という關係でなく、子供の日と定めたらどうかという希望を持つておるのであります。週間運動のことでありますが、この五月の第二日曜日が御案内の通り國際的にマザーズ・デー、母の日ということになつております。今年は五月九日がその日に當りますが、五月五日にお決めになりますと、五月五日がその週間の始まりで、同じ週間内にマザーズ・デーも入るので、子供の日と母の日を中心にして週間運動をやる意味からも、五月五日を期して子供の日と定めて母の日と共に兒童福祉關係の次代を擔う國民全部が心がけなければならんというこの日を中心にされたらよいという希望を持つておりますが、いろいろ民間の方々にこういうことの御計畫があるので、そういう點も御紹介しておきまして、御審議の參考にしたいと思います。
  72. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 子供の日を設けるということについて外に御意見はありませんか。
  73. 長谷部言人

    説明員長谷部言人君) 大体一月一日と今の紀元節に代るもの、明治節、天長節、この四つの日、一年を通じて四囘ぐらい祭日を作つたらどうかと思います。そうしてそれの部分は多少ズレますが、春夏秋冬に分けたらどうか。そういたしますと今までいろいろお話の出ておるようなものを五月とするとやや遲過ぎると思う。むしろ四月あたり、丁度春分から少しあとになつて天候の都合などからいろいろの行事も段々それに近くなつておると思います。春の祭という言葉はわるいかも知れないが、これは差支ないと思いますけれども……、というようなので、そういうようなものをそこに統一したらどうか、そうしてその中心の日を決めまして、前後一週間ぐらいにいろいろの行事をする。できるだけそこに集めてやるというようなことが結構じやないかと思います。これはあとの方の季節に對しても同樣です。大概は日というものがそう意味がないようでありますから、一つ一つ祭に……。
  74. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 今のように全體に通じたお説を伺うと、こちらは大變に便利です。  次にお盆はいかがですか、中元は…。御意見がなければ次に移ります。  新穀祭、十一月二十三日、これは神嘗祭の十月十七日と一緒にして考えてよろしいのだろうと思いますが、この日は如何ですか。
  75. 鵜川益男

    説明員(鵜川益男君) 私の方で、實は内閣を通じまして一應農林省として省議をやつておりましたときの大體の空氣を申上げて御參考にいたしたいと思います。農林省としてはいろいろ局によつて意見も出ておりますから、とにかく全國民祭日と申しますか、祝祭日として適當な日として大體少くとも新穀に對する感謝の日をぜひお願いいたしたい。日としましてはむしろ十一月二十三日の從來の新嘗祭が、大體その邊が一番適當ではなかろうか。それから神嘗祭という名前は如何か、やはり收穫を感謝する意味がいいので、從來は新穀感謝祭という名前でずつと戰時中もやつて參り、昨年も一應民間の運營の形でありましたが、東京でもやつております。地方によりましてはそういつた際に農民祭、秋田縣でありますが、というような形で非常に行事としてもやつておられるようでありますが、大體全國民がやはり食糧の關係について感謝をする。特に農民としましては永年汗水をたらしてきました米の出來秋に感謝の日を持つて一日を樂しむということを考えます時に、やはり十一月の下旬のこの邊の日が適當であるし、設定をしたらどうか、こんなような御意見でありました。
  76. 山本勇造

    委員長山本勇造君) その次に憲法記念日、五月三日にこれはなつておりますが、憲法の問題は五月三日は憲法實施の日でございます。それから十一月三日が公布の日になつております。どちらの日を採るかということは、これは一つの問題になると思いますが、この憲法記念日の問題は如何でございますか、長谷部さんにちよつとお尋ねいたしますが、先程八つほどお擧げになりましたが、この憲法の日というのはどちらに設けるかは暫く措くとして、これは大事なものにお採りになるのでしようか、お採りにならないのでしようか。
  77. 長谷部言人

    説明員長谷部言人君) 私は別に觸れないつもりであります。
  78. 山川菊榮

    説明員山川菊榮君) メーデーが五月……。
  79. 山本勇造

    委員長山本勇造君) ちよつと待つて下さい。メーデーもあとで段々お諮りするつもりですが……。
  80. 山川菊榮

    説明員山川菊榮君) 五月はメーデーがあつて、どうしてもやると思いますが……、そうしたら憲法記念日が五月では都合がわるくないかと思います。記念日はぜひ……。
  81. 山本勇造

    委員長山本勇造君) これは先程申しました明治節と關連し、今の山川さんの御發言のメーデーが同じ五月なので關連を持ちます。それでは二つ三つおきましてメーデーがございますが、これを問題に出して見ましよう。メーデーの日は如何でございますか、關聯しますから、すぐ裏の頁を見て頂きます。メーデーについても皆さんのお考を承わりたいですが、どなたかメーデーについて御發言ございませんか。
  82. 山川菊榮

    説明員山川菊榮君) 日本でも大分長く勤勞大衆の日となつておりますし、これから生産復興のためにもこの日を勤勞者の日として一日をみんなで團結の氣勢を擧げたり、いろいろな行事をしたりして、新しく又復興の意氣を擧げるのにぜひ祝日として取上げた方がよくはないかと思います。勤勞者の役割というものを十分に意識して、新しく出發するように、一つ設けた方がよいと思います。
  83. 長谷部言人

    説明員長谷部言人君) 勞働祭というような性質のものは國の祭日として決めなくても、やることではないかと思います。先刻お話の、子供の樂しむ日というようなものは、これは子供ばかりでなく、親まで一緒になつて樂しむ日であると考えます。幾分そういう點で、全體の國民祭日としては、この勞働祭のようなものは如何かと思います。
  84. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 他にどなたか御發言ございませんでしようか。先程の原則から申しますと、先ず第一に取上げるのは、國民が擧つて祝う日とか或いは、記念するとかいう日を先ず第一に選びたいという建前になつておるのでありますが、その方からいうと、このメーデーというものは、勞働する人人の方の日になるので、いわば部分になる點が問題なのであります。しかし部分を絶對入れちやいかんというのじやございませんから、これは皆さんのお考によりまして、そういう日を入れた方がよろしければ、これは取上げなければならんと思います。この點如何でございましようか。
  85. 藤岡由夫

    説明員藤岡由夫君) 先程の原則の第二に、外國の仕來りというような意味と關連するものは入れたいというお考えがございまして、これが外國なぞの共通の祝日というような意味で取上げられるならば、そういう意味もあると思います。そういう點について、私一向存じないのでございますから、もしも外國で、この日がどういうふうに取上げられておるかということを伺うことができますと、結構であります。
  86. 山本勇造

    委員長山本勇造君) それは岩村專門調査員に話してもらうことにいたします。
  87. 岩村忍

    ○專門調査員(岩村忍君) あのメーデーは、御承知のように起源は、西洋の意味で言いますと、メーデーはあれは昔からのヨーロツパの丁度春の祭でありまして、メーデー・ポールというものを立てまして、そして春の祭で、そこへ若い男女が集まりまして、色のついたテープを提げまして、それを以て、メーデー・ポールの廻りをぐるぐる廻りまして、踊り廻つたのでありますが、たまたま第二インターナシヨナルの勞働祭と結びついて、それで現行のメーデーのようなものになりましたので、外國では、御承知のように、勞働日としてのメーデーをやらない所もございますし、そういう非常なデモンストレーシヨンというような意味でやらないかも知れません。それからアメリカなどでは、都會では、そういう勞働祭としてはやりましても、地方におきましては、勞働祭としてのメーデーでなく、古くからの仕來りのメーデーとして、春の祭としてやつております。
  88. 山本勇造

    委員長山本勇造君) この憲法實施日の方は如何でございますか、若し明治節というのを採りますと、憲法の日がなくなつてしまうかも知れないおそれがあるわけですが、そういう點、如何なものでしようか。
  89. 和達清夫

    説明員和達清夫君) 新穀感謝というのが、國民全體の新穀に對する感謝でもありますが、これが若し農民の稔りの日というようなものもありますならば、勤勞者の祭も意味があると思います。
  90. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 新穀感謝の日は、農林省は、どういう解繹でありますか。
  91. 鵜川益男

    説明員(鵜川益男君) 昨年あたりは、アメリカ的なスプリング・デーというような意味でやりましたが、昨年やりましたのでは、國家的に食糧に感謝するという意味で、配給を受けている消費者もそれで參加した。併しもともとは、やはり農民が中心のことと考えております。
  92. 山本勇造

    委員長山本勇造君) これはもともと日本では、神に感謝をする日じやないかと思います。併し神ということは、いろいろ問題がありますので、天地に感謝する日だというような解繹をしている人もあります。そういうふうになると、農民だけというように、小さく考えちやいけないのではないかという考えを持つている人もございましようし……。
  93. 和達清夫

    説明員和達清夫君) 併し新穀、特に自然に、それと重ねて、勞働から生ずるいろいろの我々の幸福ということを考えれば、餘りそれは差支えないと思います。
  94. 山本勇造

    委員長山本勇造君) だだ新聞感謝日というような日に決まりますか、どういうふうになるか、そこらはまだ未定でございますが……。
  95. 藤岡由夫

    説明員藤岡由夫君) 憲法憲念に關しましては、明治節の日を、とにかく先程復興という御意見もあり、明治の維新という日の意味もあり、丁度又その日を期して憲法を公布されたという意味もありまして、やはり兩方の意味を兼ねて、十一月にお採り下さつたら如何かというような氣がいたします。  それから五月は、メーデーを、やはり國際的の意味もいろいろありますし、これを勤勞者というと、非常に狭うございますが、勤勞を記念する勤勞者ということでなく、そういう意味で、やはり國民全體の日としてお取上げ下さる意味は十分あるんじやないかと思います。
  96. 山本勇造

    委員長山本勇造君) アメリカでは、レーバー・デーというのが九月あります。これは働く者全部の日で、併し働く日でなく、働く者が休む日で、骨體の日になる。ところが今のメーデーは、もつと意味が強くなつております。それらの問題とも關連して考えて行かなければならんのではないかと思つておるのでありますが……。
  97. 藤岡由夫

    説明員藤岡由夫君) 非常にむつかしい、デリケートな關係のあることであるかも知れませんが……。
  98. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 五月は氣候が好いので、大分いろいろなものが出てくるが、子供の日を、先程厚生省がいうように、四月でなく、五月にしたいということでありますと、子供の日、或いはこの憲法實施の日、それからメーデーというように、大分祝祭日が困りますが、石田さん、この點どうですか。
  99. 石田幹之助

    説明員石田幹之助君) どうも別に考えはありませんが、どうも憲法の實施記念日として、やはり五月三日を殘したいと思います。十一月の方は、明治節意味で、さつき明治というものについて、非常にこれを重視する説と、それは忘れてもいいのではないかというようなことも出ましたが、善悪共に批判し、記念するという意味で、それで時候も好いということも關連して、十一月三日をそういうふうにして、そうすると憲法も殘したい。場合によつては、二日ぐらいがあつてもいいが、今の子供デーはあつていいと思いますが、そうすると三日なり五日なり出ましようが、餘り重なつてもどうかと思いますが、それくらいは殘したいと思います。
  100. 長谷部言人

    説明員長谷部言人君) 私はいろいろの元の祭日を殘すということは、餘り贊成しないのです。春季祭日、夏季祭日、秋季、冬季祭日、こういう名稱でいろいろの仕事をその前後にやる。そこで纏めてやる。そういう全く飛び離れた考えを持つているのです。今までのことに餘り拘泥せずに、できればその日を變えてもそのことにやる。小さいいろいろのデモンストレーシヨンというようなものは、このうちに入らないのであります。
  101. 山本勇造

    委員長山本勇造君) ちよつとむずかしいところで……。それから八月十五日は平和記念日という、ということにこれはなつておるのですが、或いはその他、更生祭なんかというのが出ておりますが、この八月十五日は如何でございますか。山川さんの御意見は……。
  102. 山川菊榮

    説明員山川菊榮君) 私別に必要ないのじやないかと思いますが……。
  103. 藤岡由夫

    説明員藤岡由夫君) これは先程お盆のときにも、なにかお盆というのは餘り意味がないように考えますが、お盆というものは田舎ではむしろ一月遅れのお盆というものの方が農民の休む日というようなこの八月十五日を特に行事とか、お祭りをするとかいう意味じやございませんが、お盆と關連いたしまして、何か安息日とか、或いは反省する日とかいうような、そういう意味で、輕い意味でもよろしうございますから、そこに少し意味が附けられたらというような氣がいたします。
  104. 山本勇造

    委員長山本勇造君) これを見ますと十三番目ですね。讀賣の方は四番目にこの八月十五日がなつております。それから或る人の意見でありますけれども、やつぱり終戰記念日として時事通信の方にも入つております。この日は國民が反省するのに最もよい日だ。それからして、又戰爭で亡くなつた人を追憶するにもいい日だ。それからこの日によつて反省すると共に、新しい日本を築き上げて行こうという上からも大事な日だ。又先程あなたが仰つしやつたように、お盆と言つて都會では七月十五日にやりますけれども、地方では大低一月遅れる。しかもこのときはやはり行事をやるのにいい日だというようなところから、この日をぜひ入れるべきだという意見も可なり來ておるのであります。
  105. 藤岡由夫

    説明員藤岡由夫君) 贊成であります。
  106. 和達清夫

    説明員和達清夫君) 國家的に反省日とかいろいろな問題でしたら、憲法記念日でもなんでもいいのですが、私個人としては反省日にしたいと思います。
  107. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 谷川さんどうでしよう、八月十五日は……。
  108. 谷川徹三

    説明員谷川徹三君) 私の氣持では、やはり國家としての反省が必要なんで、むしろ敗戰記念日という露骨な名前を附けたいのです。唯そういう名前が許されるかどうか。私は併しそういうはつきり日本が完全に負けた日ということを今後何十年かは反省する必要があると思います。これは私の個人的意見ですが、個人的意見としては敗戰記念日とします。
  109. 山本勇造

    委員長山本勇造君) ここには終戰記念日として採られておりまして、相當な表數を取つております。三番目になつておりますね、時事通信の方は……。
  110. 谷川徹三

    説明員谷川徹三君) これは終戰とか平和とかいうような生ねるい言い方でなく、負けたのだからはつきり敗戰記念日としたい。
  111. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 或いは新日本の日というような、日本が新しく生き變わるという……。
  112. 谷川徹三

    説明員谷川徹三君) どうしてもいいのですが、私の氣持はどこまでも敗戰記念日です。
  113. 山本勇造

    委員長山本勇造君) その次に參りましてクリスマスですが、これは如何です。
  114. 谷川徹三

    説明員谷川徹三君) 私はこれは必要ないと思います。
  115. 藤岡由夫

    説明員藤岡由夫君) 私はクリスマスは贊成なんです。これは少し個人的か知れませんが、何か文化人を記念する。非常に世界に大きな文化の足跡を殘した人の日を記念する。そういう日が欲しいような氣がするのです。私は特に隣りにおります物理學舎の學生など、實際にニユートン祭というのを必ず物理の學生が催すのです。これがたまたま十一月二十五日で物理學者のニユートンを記念する、これの起源はイギリスの大學の中で起つたそうで、明治の初めから日本の數學とか理科、化學の方で行われております。何かそういう文化人を記念するという日を非常に欲しいように思つておりましたのですが、クリスマスというのは非常に大きな、又國際的にクリスマスいうのは非常に意味があるのですから、やはり宗教ということに囚われず、作つて頂きたいような氣がいたします。
  116. 山本勇造

    委員長山本勇造君) これは憲法の方に宗教の自由を認めておりますので、國家としてこれを取上げるということは相當そこに問題があります。これを取上げるには日本とすれば佛教の問題をどうしても取上げねばいけません。實は私のところに來ております投書の中でキリスト教の方の何か會長をなさつておる方から、これは取上げない方が本當だという意見も來ております。尚專門委員が或る向うの宗教家と話をしたら、その人なども取上げないのが本當じやないかといふ意見つたということです。この點はやはり考える必要があるのじやないかと思います。
  117. 藤岡由夫

    説明員藤岡由夫君) 御尤もでございます。私のは宗教というものから離れて、文化人という意味と、それと一般にお祭りで街がこのときはおのずからお祭り氣分になりますから、そういう意味では取上げなくともひとりでにお休みになりましよう。
  118. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 但し民間でクリスチヤンの方や子供のある家庭でクリスマスをやるのは隨意なんです。國で決めるというより民間で隨意におやりになる方がいい。例えば今まで雛祭りということは國の祝祭日になつておりませんが、どこでもやつてつたのですね。それぞれの人が御自由に民間でやることは自由にした方がよいと思います。今これを國でやるとがつちり決めてしまうと、問題じやないかと思います。先程ちよつと觸れて置きましたように、餘りどれもこれも決めますことはどうかと思つております。
  119. 藤岡由夫

    説明員藤岡由夫君) 御尤もであります。
  120. 山本勇造

    委員長山本勇造君) そういう意味で先程のメーデーの問題も、これは皆さんの御考えはどちらですか、それを承わりたいと思います。社會黨とか、或いはそういう黨派を離れましても、勞働關係の方の方は非常に御熱心と思いますけれども、國民全體として考えはどういうふうにすべきか、國で取上げて行くべきか、今まで通り民間で自由にやるべきか、どちらにすべきかですね。それからその次に、出て來ておりますのは文化祭であるとか、體育祭であるとか、行事に類するものが大分入つて來ておりますが、これはこういうふうにしないで、今のどれかのお祝い日と結びつけて行つたならば、兩方がうまく尊重されて行くのではないかと考えられます。こういう點は如何でしようか。特に文化祭であるとか、或いは體育祭であるとか、その他の藝術祭とか、何とか澤山ございますが、そういうふうなものをやはり設ける必要ございましようか。
  121. 谷川徹三

    説明員谷川徹三君) 國の祝祭日としては私はそういうものを設ける必要はないように思います。
  122. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 併しそれを行事なり、何かの祝祭日のときに、それを合せて行うことはどうですか。
  123. 谷川徹三

    説明員谷川徹三君) それは贊成です。
  124. 山本勇造

    委員長山本勇造君) それからその次に出てきておる子供の日の問題、母の日の問題、母の日は、山川さんはお書きにもなつておりますが、これは如何ですか。
  125. 山川菊榮

    説明員山川菊榮君) 今勞働組合の婦人團體が請願運動を起す用意をしておるのですが、婦人の日と、母の日と一緒にして最初に日本婦人に参政權を行使をいたしました四月十日を記念してそうしていろいろの運動を記念にして、外の母の日でも、婦人の日でも同時にそういうものを二つ合せて一昨年の四月十日に、婦人参政權というものを行使いたしまして、選擧のときに婦人解放だけを大變賑やかにやれて、あとすつかり忘れられてしもうので、一年に二囘ぐらいそういう日を設けて、男も女も一緒に本當にそれを實現するためにそれを努力したい、これはぜひ設けて頂きたいと思います。
  126. 山本勇造

    委員長山本勇造君) これはいかがでございましようか。
  127. 谷川徹三

    説明員谷川徹三君) 私は子供の日、母の日という名前で以てこの二つは贊成です。婦人の日というのは私は贊成しませんが、母の日というのは贊成します。
  128. 山本勇造

    委員長山本勇造君) それはどういう理由ですか。
  129. 谷川徹三

    説明員谷川徹三君) 婦人に參政權を與えられたということに大きな意義がありますが、そういうことを國家的に祝祭日とする必要はないと思います。併し子供というものは未來の日本を背負つて立つものであり、未來の希望であるという意味で、私は子供の日というようなものを特に設けたいと思います。同じように人間の姿の中で最も美しい姿は、私は母の姿だと思います。その意味で、又こういう祝祭日というものは勿論大人たちに取つて意味があるのでありますけれども、私共のことを振り返つて見ると、特にこの祝祭日は、子供にとつて深い印象を與えると思います。そういう子供に深い印象を與えるものとして、母の日というものを作るところに大いに意味がある。私はこういう祝祭日というようものは餘りに理窟に囚われちやいけない。理窟は分らないけれども、何か美しい感じを與えるものと思います。それから理窟では否定的でも、私共民族の歴史、國の歴史というものと何か結びついたものとか、そういうものを私は祝祭日としてすべきものだと思う。そういう意味で母の日というものを私はぜひ入れて頂きたいと思います。
  130. 山川菊榮

    説明員山川菊榮君) 母は勿論大きな貢献をしておりますけれども、母でない婦人も(笑聲)國家の生産に非常に貢献しております。母も随分虐げられておりますが、婦人一般が決して平等の人權を認められておりませんので、いろいろ問題が毎日山積しておりますから、そういう問題について、特に母を讃美すると言わないでも、自分々々の母親は皆讃美しておりますから、一般の婦人を本當にもつと實質的に解放する意味で、そのために記念日を作つて、實質的に解放することに協力して頂きたいと思うのでございます。これは理窟と感情と一致しておりますし、歴史的に意味のあるものというお話でございますけれども、日本が大變古い國だというお話でございますけれども、何萬年ぐらいか知りませんけれども、とにかく歴史つてこの方、初めて投票を許された日でございますから、これは特に歴史的にも意味のあることだと思うのです。
  131. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 御婦人以外の方の御意見伺つてみたいですね。婦人デー或いは母の日というのは如何でございますか。
  132. 岡本禮一

    説明員岡本禮一君) 山本先生意味が違うんじやないですか、母の日と婦人の日は。ママーズ・デーは感謝の日ということになつておるのじやないですか、婦人というとその點は離れておる。
  133. 山川菊榮

    説明員山川菊榮君) 私もそう思います。併し婦人の中に母が入つてもよろしいのですが、母だけ取立てて申しますと、女の中で母の日だけが美しいというのは、矢張り軍國主義時代の澤山子供を産むのを讃美する、(笑聲)それでなければ非常にセンチメンタルなものが多いように思います。婦人が人間として解放されて、本當に母としての機能も十分果すことができるのでございますし、婦人解放の中に母の日を込めるということを婦人團體は主張しておりますが、それでよろしくないかと思います。
  134. 長谷部言人

    説明員長谷部言人君) 私はいろいろの日を言い立てて、これを祭日にするということは贊成致さない。これは限りのない話で、たびたび繰返して申すようでありますけれども、年に四囘ぐらい、月にすれば四月、六月、八月、十月ぐらいとか、それをそこにお話のように、できるだけ集めて、その話後でやるというので十分ではないか、大體その日がぜひ共それでなければならんというのではない、仕事が主なんでありますから、そのくらいの融通は十分取り得るじやないかと思います。
  135. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 山川さん、ある人が婦人の日はいいけれども、特に婦人の日というのは、憲法で男女同權が認められておるのに、特に婦人を區別するように見える、という説が出て居るんですが、如何ですか。
  136. 山川菊榮

    説明員山川菊榮君) 特に言わなければ、平等は形式だけでございますからね。職場でもどこでも犠牲になつておる。四月頃からのお花見でもそうでございます。皆醉つ拂いの男が犠牲にしましてね、(笑聲)あらゆる場合そういう事實を眼の前にあるのを忘れておりますから、こういう機會に反省して頂きたい。どこで認められたかというと、憲法で認められておるだけですから……。
  137. 金子洋文

    ○金子洋文君 婦人の日とすると男があまり参加しないですね。
  138. 山川菊榮

    説明員山川菊榮君) そこを參加して頂くようにする。
  139. 金子洋文

    ○金子洋文君 そこがむずかしい所で、やはりセンチメントが相当勝つてもいいじやないかと、それで母の日の中に婦人デーを、解放した行事をというと、却つて効果が百パーセントになる、その意味で私は母の日にしたいのですがね。
  140. 山川菊榮

    説明員山川菊榮君) ついこの間まで男女同權ということをみな嫌いましたが、それだけは耳なれたのでありますが、まだいろいろの點で平等ということを嫌がるのですから、やはりその點を強く言う必要があると思うのです。
  141. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 四時で速記は終りになりますから、速記がなくなりますので、もう一つだけお話しして置きたいのでありますが、時の記念日がこれによりますと三十六番目で、順位が大分下つておるのですが、これは如何なものでありましようか。これは和達さんあなたの方のお立場から如何でございましようか。別に取上げることはありませんか。
  142. 和達清夫

    説明員和達清夫君) 私個人としては別にありません。
  143. 長谷部言人

    説明員長谷部言人君) 勿論行事としては取上げて結構だと思います。
  144. 藤岡由夫

    説明員藤岡由夫君) 私も全く長谷部さんと同じ意見で、行事として取上げて、祝祭日としては取上げる必要はないのではないかと思います。記念日とかいうことで外國で何か行われておるようなことがありましようか。
  145. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 時の記念日ですか、それはありますか。
  146. 岩村忍

    ○專門調査員(岩村忍君) これは私調べたことはありませんが、歐米諸國いろいろな國にいた經驗で申しますと、日本の方がむしろ時の記念日を非常に盛んにやつておるので、向うの人は時間に對して非常にパンクチユアルですから、それが必要なわけです。(笑聲)
  147. 山本勇造

    委員長山本勇造君) まだいろいろお尋ねいたしたいことがありますけれども、速記の方の時間がまいりましたから、速記はこのぐらいでやめまして、若し皆さんに時間がおありでしたら、もう少しお話を願いたいと存じます。そこではこれで打合會は閉じることにいたします。    午後三時五十三分散會  出席者は左の通り    委員長     山本 勇造君    理事            金子 洋文君            久松 定武君    委員            三木 治朗君            團  伊能君            徳川 頼貞君            松野 喜内君            大隈 信幸君            藤森 眞治君            服部 教一君            三島 通陽君            三好  始君   專門調査員            岩村  忍君   説明員            山川 菊榮君            長谷部言人君            石田幹之助君            岡本 禮一君            藤岡 由夫君            和達 清夫君            服部 靜夫君            谷川 徹三君    農林事務官   鵜川 益男君    厚生事務官   中川 薫治君