運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1948-02-02 第2回国会 参議院 文化委員打合会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十三年二月二日(月曜日)   —————————————   本日の会議に付した事件 ○祝祭日の改正に関する件   —————————————    午後一時三十三分開会
  2. 山本勇造

    委員長山本勇造君) それではこれから委員長の打合会を開きます。祝祭日の件につきましてお諮りをいたしたいと存じます。祝祭日というのは今までは與えられた形のものでありましたが、今度は國民祝祭日というので、國民の間でも熱意がありまして、多方面の御意見なりプランも出ているようでありまして、非常に結構だと思うのであります。併しこの委員会といたしましては、その祝祭日を選ぶのに当りまして、これがいいからこれを選ぶとか、あれは止そうとかいうような單純なことはできないので、ここといたしましては、それを選ぶのには選ぶだけの基準を以て選んで行かなければならんだろうと思うのであります。今日はどういう基準によつてこれを選んで行くかということをやつて行こうと思うのでありまして、皆さんにも前回の時においてこれについていろいろお考え練つて來て頂くことになつたのでありますが、先回の特に三島委員から、前の時に私が申上げたことを一應御参考お話して置いた方がいいだろうというような御発言もありましたから、ちよつと私の試案のようなものを申上げて見たいと存じます。  祝祭日ということはどういうことか、先ず第一にこれが考えられることは、祝祭日と休日というものをはつきり区別される必要があると思います。勿論これは休日と祝祭日を一緒にする人もないと思いますけれども、とかく祝祭日には休日が伴つて参ることが多いものでありますから、祝祭日というと休む日のような考え方が可なりありますので、こういう点は今度ははつきりさせて置きまして、休日というのは日曜日なんだ、そうしてその日曜日というものは一年の中には五十二回あります。又その外に官廰の休日であるとか、休暇であるとかそういうふうなものを考えて行きますと、休む日というものは一年の中において相当にありますので、これは計算のしようでありますけれども、三百六十五日の中の働らくのは、或る人によりますと、二百九十日前後或いは二百七十日前後というふうに言つておる人があります。順調に行つておる國でありますならば別でありますけれども、日本はこういうふうに敗れた後でありまして、新らしい國家を築き上げて行かなければならんという立場におりますだけに、労働法やなんかの問題もありますけれども、この休日の問題につきましては日本を復興させて行くという上から余程考える必要があると思うのであります。  それならば、この祝祭日というのはどういうのかということが次に起つて來る問題と存じますが、祝祭日というのは、第一には祭る日、それから祝う日というふうに考えられます。祭るのと祝うのとは少し意味が違うのだという人もありますが、細かい問題は今私としてはここで避けて置きますが、とにかく祭る日、祝う日、或いは記念をする日、或いは追憶をする日というふうなことになつておりますが、これには行事伴つて來べきものではないかと思うのであります。在來こういう日には、宮中において行事が行われておりました。又官廰とかそれから学校でも行われておつたり、おらなかつたりであつたようでありますが、一般民間においてではそういうふうなものは余りなくて、大体は祝祭日が休む日と殆んど同じような形になつて來ておりはしないかと思いますが、今度この祝祭日を定めますには、そういうふうなことでいいか悪いか、休の日が相当にあるのでありますから、我が國のようなこれから新らしい國を築き上げて行こうとするのに当りまして、祝祭日を定めて行くならば、行事が伴うということが可なり大事な点ではないかと思うのであります。併し又この行事をやりますと、形式にばかり流れてしまつて、質実的にはやはり元のような休の日だけになつてしまうのかも知れませんけれども、この点は、お考えを頂きたい大事な点の一つだと思うのであります。で、とにかくこれから選ぼうとするところの祝祭日というものは、考え方といたしましては、單なる休日ではなくて、國民生活意義のある日であり、國民挙つてこの日を祭り、或いは祝う、或いは記念することによつて我々の生活を高め、或いは文化の向上を図る、そうして新憲法精神則つて新らしい國を築き上げて行くのだというような意欲に満ちた、そういう日を選び、又そういうふうに行なつて行く必要があるように思われるのであります。そこでそういう日を選ぶ基準といたしましては、この前にちよつと申上げたと思いますが、第一の基準といたしましては、國民生活感情に溶け込んでおるところの古いしきたり、風習というものを重んずることが、これはまづ必要であろうと思うのであります。併しながらそういう古いしきたりの中でも、この新憲法精神に副わないものは省かなければいかんだろうと思います。  次に第二の問題といたしましては、今までのしきたりの中にはなかつたとしても、新らしい國家を築き上げて行く上からいいまするというと、新たに今までのしきたりになかつたものでも取上げなければいけない。それは傳統なつていなくても、これから新らしい傳統を作つて行くというふうに、新らしいものを選んで行かなければならんだろうと思います。その新らしい方のものをおおまかに分析して見ますというと、外國にあつて今まで日本になかつたもの、そういうふうなものでも、直訳でなくて、日本國民生活に溶け込み、同時に又國民生活を高めて行くというふうなものが考えられます。  それから第二には、日本にもない、外國にもない、併しながら今度の場合はこういうふうなものを取上げた方がいいというそういう一つの創案になるようなものも考えられると思います。尚今のものの中に入ることではございますけれども、強いて申しますれば、特に今日の世の中でありますから、國際的なことということが考えられるだろうと思います。  以上のように、國民しきたりになつておるものと、それから新らしいものとの、この二つの点が考えられるのでありまするが、それは更に又もう一つ、今のようなものの中でも、それが國民全体に及ぶものと、それから或る團体に限られるもの、それから地方的なものと、こういうふうな三つに又区分できると思います。で、今度ここでやりますのは、法律にして出すのでありますからして、私の考えといたしましては、第一の國民全体に関係のあるもの、それを第一の基準として考えて行くべきではないかと思います。尚第二、第三のものも入れて行くか、或いはそういうものを省いて行くか、そういう点がやはり問題の一つになつて來るだろうと思います。で、どちらにいたしましても、國民の心を高めて行くようなものであり、國民がこれに親しみを感ずるものでなければなりませんから、余り強制的にならないようにする方がいいので、それには数が余り多いと、或る所では賛成するが或る所では賛成しないというようなものも起つて來るでありましようから、今度この法律で定めるときには、こういういわゆるリーガルな、法定なものと、それからあと國民が自由に、それぞれの團体なり或いは地方の府縣なりで、それぞれの所に又そういう会もあるわけでありますから、そういうふうなものは府縣なり町なり村なりの自由にして、そうして法制的に定めて行くものは、先程申しました國民全体に関心を持つようなもの、そういうものから選んで行つたらばよいのではなかろうか、こんなふうに私は考えましたので一應申上げましたが、これはほんの私の試案でございますから、これに皆さんの、お考えをお加え頂きまして、話の緒のような意味で私の意見ちよつと述べました次第でございます。
  3. 三島通陽

    三島通陽君 その國祭日の何々祭とか何々節とかいう祭とか節とかいう意味は一應御研究なつたでしようか。若し調査員の方で御研究になつておられましたら調査員の方でも結構でございますが、一應御研究がありましたら伺いたいと思います。
  4. 岩村忍

    專門調査員岩村忍君) 祝祭日という言葉意味に関しましては、この前簡單に申上げましたけれども、もう一度繰返して申上げます。  祝祭日は申すまでもなく漢字でございまして、中國での元來の意味では、祝という字は巫祝の祝でありまして、巫祝というのは占いをやることなのであります。祝の示偏は御承知のように物の台でありまして、それから右の作りの兄という字は、兄に見えますけれども、これは人が膝まずいておる形でありまして、從つて吉凶を判断する、占うことから始まりまして、どちらかというと、日本でいう祝うという字は、原義からいうと遠いのであります、祭という字は上の左の方は肉でありまして、右の方は手であります。それから下は先程申しましたように祭壇でありますから、祭壇に手で以て肉を捧げて祭る、即ち大体は先祖の祭や何かに使つた字であります。こういう意味であります。それから節というのは、これは季節の変り目でありまして、その意味で節という字を使つたのであります。從つて祝とか祭とか節とかいうのは便宜上使つておりますけれども、元來の日本語でございませんので、日本語で仮りに「いわう」或いは「まつる」というように調じておりまするが、日本元來の言葉がこれに当るもので適当なものがございましたならば、そういうものを皆さんからサジエストして頂きまして、この際どういう言葉を使うかという問題もお決めになつて置いた方が、法律として出す場合に便宜でありますし、或いは在來の観念を変えて、新憲法精神に基いた新らしい國家としてのお祝の日を意味するために新らしい言葉使つた方がよいかとも考えられますが、私は今のところどういう言葉を使つてよいかということは、いろいろ考えておるのでございますけれども、なかなかむずかしい問題でございまして、考え付かないような次第でございます。  それから西洋ホリデーは、御承知通りホーリ・デーで、この前委員長が申されましたように、神聖な日という意味でございます。ですから休みという意味は元來は西洋ホリデーにはございません。ただ神聖な日であるから、その日に行事をやる、從つて休むというので、元來の意味は、ホリデーというのは決して休む日というのではございません。西洋では休む日は日曜日でございまして、勿論日曜日もホリデーと申しますが、これは後から日曜もホリデーと申しましたので、元はサンデーとホリデーとは別に使用しておりました。そういう関係から、先程委員長がおつしやいましたように、休の日というのと、それから祝祭日というのとは、別の観念として区別をしてお考えなつた方が、基準を決めるときなどに何の混乱をも起さないでよろしいのじやないかと存じます。
  5. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 尚ちよ誠と私申添えますが、祭というのと祝というのと、これは「言海」を引きますと、祭というのは神を祀ること、それから神を祀る業、こういうふうに祭の方はなつております。それから祝の方は祝うこと、壽ぎ、或いは賀、こういうことになつております。そして祝という字の前にもう一ついわいという言葉がございまして、それの方はあの齋宮という齋です。これが日本言葉としてはいわうという字で、これがいわうこと、謹みていわうこと、それが変じて祝のような意味に來たようにいわれております。そういたしまして、この最も分り易い例を取りますというと、例へば新年に元始祭というのがございます。これが行事を伴うところのお祭であります。ところが五日の日に新年宴会というのがございます。これが祝なんでございます。で、その祭がどちらも神に仕えるあれでございますけれども、つまり元始祭で神に仕えるお祭をして、それからそのあとで新年宴会をやる、これがお祝です。或いは又大嘗会のお祭をする。そのあとで大饗、あれがやはり一つ宴会でお祝になる。こういうふうな考え方であります。で、お祭があればお祝をする。又お祝があれば又お祭するというふうなのが、大体離れ難いようなものになつておりますけれども、強いて区別をいたしますと、そのような区別があります。節というのはどういうふうなものか、天長節などというのがありますから、天長節唐あたりから起つておると思いますが、日本の時にすると光仁天皇の時におやりになつたと続日本紀に出ているようです。だから節という字も古いことは古いのですが、これはそうですから神を祀るといふのとは違うわけでございますね。特別にまだ調べをいたしておりませんが、今私の頭にあるのは大体祭、或いは祝、節というのはそんなふうな……。
  6. 三島通陽

    三島通陽君 段々お調べのところを伺いまして有難うございますが、内閣輿論調査をされましたときに、十二の日を選べというようなことを、十二の日に丸を付けてくれというようなことを言われたように聞いておりますのですが、どうして十二という日を選ばれたか、その十二という数がどうも私にはよく分らないのでございます。三大節とか、五大節とか、初めはまあ昔は三大節と言われて、その後五大節になりまして、その外にいろいろ今お述べになりました、委員長或いは專門調査員からお述べになりました祝祭日がそこに加わつておるように思われるのでありますが、十二という根拠がどこにあるのか。そうして今度は私共がこの祝祭日を決めますに当りまして、果してこの十二がいいのかどうかということを私は非常に迷うのであります。初めに数を決めてしまうということはどんなものなのだろうかという疑問を持つのでありまして、先ずこれだけはどうしても必要だというものから決めて行つて、数はそれから出て來るのじやないかという氣もするのでありますが、ここに丁度内閣の方がおられないようでありますから、專門調査員の方で何か内閣の方からお聞き及びでしたら、それを伺いたいと思いますが……。
  7. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 私から……。三島委員のお説の通りに、あれは非常に疑問なのでありまして、ああいうものを出すということを事務局を通じて私の所に話がありましたので、こういうふうなものを出すことは非常に惑わせていかん。総理廳にしても十二ときつかり決めてやる基礎があるのならばともかく、ないのなればこういうことをすることは非常に惑いを來していかん。だからしてこれは止めて貰いたいということを言つて突つ撥ねたのであります。ところが又何とかして呉れと來て又突つ撥ねまして、三度目に向うの担当の人が三人程揃つて参りましたので、又々そのことを強く主張したのでありますが、向うの人は実は別に十二でなければならんという根拠はどこにもない。十でもよろしいのだ、ただ数字を取つて行く上に、十とか十二とか、何か区切りがないと統計が取りにくいためにこうしたのだ。ただそれだけの話なんだとこういうわけで、それならば十二とも何ともしないで、どこに一番國民関心を持つておるか。そういう点もございますから数を決めないで、適当なだけ丸を附けて貰つたらどうかということを話したのですが、それでは技術的に困るのだそうです。向うの話ですとやはり十二ということが心要なんだそうです。或いは十にされても構いませんというので、私の方からすると十とか十二とかは問題でありませんので、それでは私の方は関係は持たぬ。あなたの方が技術的にやりたいというのならば止むを得ない。あなたの方だけでおやりなさい。併し呉呉も國民に注意をして貰いたいことは、十二の日を決めるのではないのだ。ただ統計を取る上に便宜上十二にしたということははつきりサジエストしろということを私は申添えました。尚その点は後から電報を打つとか申しておりましたけれども、祝祭日は多い方がいいか少い方がいいか。そうして多いとか少いとか言つても標準が立ちませんから、現在十一ありますのですが、この十一より多い方がいいか、少い方がいいか、幾日ぐらいがいいかということも問うて、そういうふうにすると、今のような問題のあれも幾らかはつきりして來るだろうからというので、その点も問の中に入れて貰うように注意して置きました。今申したような次第でございます。
  8. 金子洋文

    金子洋文君 私は主として今日の課題となつておる祝祭日を選ぶ基準について、私の考えを申上げたいと思います。  新らしく祝祭日を設定する趣旨は、さつき委員長のおつしやつたように、これまでの祝祭日國民が作つたものでなく、むしろ上から押し付けられたものだ。勿論これまでの祝祭日にも國民生活感情が内包しておるものもあると思いますが、とにかく旧憲法理念に基いたものであるから、新憲法理念、即ち民主主義世界観を内包したものが祝祭日とならなければならない。從つて民族的であると同時に國祭性を無視してはならないということを先ず第一に挙げる。  次は民族の歴史と傳統を重んじて、國民生活感情と深い繋がりのあるものを選ぶべきじやないか。而もそれらの祝祭日文化的意義があるものでなければならない。ただ漫然と選ぶのではなくて、文化的小義を持つものでなければならない。これは先刻、委員長もおつしやつたように、今後の日本文化的國家として再建する意味においても、非常に重要なことである。  次にはこの祝祭日國定行事であつて、大体は民間行事に関與しないことを建前としたい。併し民間行事を取入れるか、加味した國定行事を定めることも考えられるのではないか。例えば雛祭、端午の節句を併せて考え子供日等がその一例ではないか。  以上を総合して基準を定例的に要約すると、民主主義理念に立脚して、民族傳統を重んじ、悲しみであれ、喜びであれ、國民生活感情と深い繋がりを持つ文化的意義ある日を國定の祝日、祭日記念の日に設定すべきである。かように考える。以上であります。
  9. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 外に発言は……。
  10. 三木治朗

    三木治朗君 先程委員長からお話があつた趣旨に非常に同感なんでありますが、私もこの國で法律で決める祝祭日というものは、一般納得のできるものでなければならないと思います。從つて数余り多くないのが適当だと考えるのであります。それで又これをただ季節のいい時にうまく按分してそれを休の日として享樂の日とするような考え方はいけないと思うのです。或いは寒い時に固まつて続いて行われても、それが本当に意義のある皆の納得のできるものであれば、それが片寄つてもあたし方ないというような観点から、この祝祭日の選考をして行きたい、かように考えております。
  11. 徳川頼貞

    徳川頼貞君 私少し遅れて参りましたので、或いは同様の御意見があつたかと思いますが、祝祭日決定をする上から申して、例えば祝祭日というような場合も、祝祭日というよりは、むしろ國祭日というような、少くともその言葉そのものを採る採らんは別として、というような意味合考えるべきものではないかと考えるのでありまして、祝祭日というものはむしろローカルな、地方的な場合であつて、國で定める國のあれという場合には、やはり國祭日というような考え方で行かなければならないのではないかと考えるのでありますが、それは二つ見方があるのじやないかと思う。一つ見方祖先から傳つて來たところの傳統的なものを記念するということと、それから第二には將來子孫をして前進的な発展的なものとしてその日を決めて行く。こういう二つ意味合から考えられるのであります。そうして例えば水産を記念するため日を決めるというようなことは、それじやその方は山の方の人々は余りそういうことについては與味を持たない、こういうようなことになる。併しそれだから又それも必要だということもあり得ると思うのですが、そういうような啓蒙的なものよりも、國を挙げて共にそれをするということの方がもつと重要なんじやないかと思いますので、その点を申して置きます。
  12. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 徳川さんの今のお考え國祭日と言いますときに、傳統というのと國祭日というのとどういうふうになりますか。あなたのお考えは我々と全く同じで、傳統なり祖先ということをおつしやつておるのですが、國祭日としろということになると、傳統というのと國祭日というのはどういうことになりますか。
  13. 徳川頼貞

    徳川頼貞君 國祭日と申しますのは、つまり國を挙げて、國のあれとしてという意味國祭日と申しておるので、祝祭日というと何かもつとローカルなように、例えば地方的なものと、それから國全体という意味で私は國祭日というものを使いましたのです。
  14. 山本勇造

    委員長山本勇造君) この祝祭日という名称を如何なるものにするかということ、これも大事な問題ですが……。そういたしますと、段々に纒めて行きたいと思いますが、まだ外にも御意見があると思いますから、もう少し御意見を伺いまして……。こういうふうな調子ですと大変これはもう基準が早く纒り得るんじやないかと思うのですけれども、併し尚一つ意見を伺いまして……。今日は羽仁君が見えておりませんが、昨日放送討論会が放送されましたので、私聞いて見ましたが、大体そう突飛な考えもないようでした。大体こういうところに落着くんじやないかと思われますけれども、併しできるだけ先ず纒めます前に皆さんのあるだけのお考えはおつしやつて頂きたいと思うのです。
  15. 服部教一

    服部教一君 さつきから皆さんお話を承つておるといずれも御尤ものように思うのです。それでやはりああいうふうなお考えで大体盡きておると思うのです。そこでその定義を決める前に、実際問題について十なり十五なりこれまであつた祝祭日の中で残すべきものと、それから新たに加えるべきものと、これを話合したらどうですかね。
  16. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 併し基準が大体今決まつて行くかと思いますけれども、まだそれは決定をいたしてありませんから、その基準をどういうところに置くかというのが定まりましたときに、それで初めて具体的にこれは採入れるとか、採入れないとか、或いは又採つてもよし、採らんでもよしというような非常に、デリケートな問題が出て來ると思いますから、それを決定する基準がないと、いつになつても水掛論になります。先ず基準を定めることが必要でございましよう。どうです高田さんあたり違つた立場から何かございませんですか。
  17. 高田寛

    高田寛君 大体今まで皆さん方の御意見でもう盡きておるように思いますが、先程來のお話で、國を挙げて祝うというようなことに重きを置くべきであつて、これから新らじく啓蒙するというようなことは余り考えない方がいいという御意見も出ましたが、この点になるとやはり今後啓蒙する啓蒙運動という方面からもやはり祝祭日というのを考えていいんじやないかと、私はそういう考えを持つておるのですが、まあ從來の日本の國で一般國民考えていたところに捉われずに、今後民主的の國家として日本の國を再建して行く。これについて大いに國民を啓蒙する、こういう見地からの祝祭日というものもやはり中に一つ二つ織込んで行つた方がよい、その点を、私は先程皆さん方お話以外に感じておる点を一つ申上げたいのです。
  18. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 皆さんの御発言願つた方がよいと思うのですが、大隈さん如何ですか。
  19. 大隈信幸

    大隈信幸君 私も今高田さんの言われた点をさつきから考えていたのですけれども、單に過去の視察日と申しますか、そういうものを記念するといつたよう意味だけでなく、やはり祝祭日積極性を持つといいますか、積極的な意味を持たして、それによつて新らしい日本の進んで行く途というものをそこから歩まして行くといつたよう考え方相当取入れて頂いた方がよいんじやないか、そういうふうに感じております。
  20. 山本勇造

    委員長山本勇造君) それから若木さん一つ……。
  21. 若木勝藏

    若木勝藏君 大体私の考えておつたようなことは委員長試案大隈さんその他皆さんのところで言い盡されておると思うのでありまして、特段にくつ附けるようなこともありませんですが、その底に流れるものとして、とにかく國民全体が本当に喜んで祝うとか或いは記念するとかいうふうなところに強い意味を持つて貰いたい。というのは在來の祝祭日で以て本当に國民が誰も彼も喜んで祝うというような形を示したのは或いは新年くらい、新年の祝賀くらいのものでなかつたろうか。あとのものは学校で式をやり、國民一般は休むものだというような恰好を呈しておつたように思うのであります。その点そういうふうなことでなしに、選ばれたところのものは、殆んど國民全体の喜びであり、祝であり或いは行事化するものであるというふうな形にして行きたいものである。そういうふうに特にお願いいたしたいと思います。
  22. 山本勇造

    委員長山本勇造君) それでは一つ來馬委員。
  23. 來馬琢道

    ○來馬琢道君 祝祭日のことでちよつと私疑問にしておることがありますので、ちよつと申上げたいと思います。一つ憲法の上において國家が或る宗教に特別なる便宜を與えるというようなことがあつてはならんというような精神がある。それで今後この祝祭日を決めるについてその問題をよく考えなくちやならんということを言つておる人がおります。私の今言はんとするところは、國際親善の日というものが十二月二十五日のクリスマスと註釈を加えて掲げてあります。これは只今までは大正天皇祭であつたのでありますが、それがかような名で以てここに採入れられようとしておる樣子が見えます。同時に四月八日の花祭、お釈迦樣の生れた日という註釈を附けましてここに掲げられてあります。即ち有力なる候補の中に入つておると思うのであります。これはここにもあります通り灌佛会でありますとか、佛生会と言つたり或いは花祭と言つたりして、昔から卯月八日という言葉日本の國の行事になつてつたものでありますが、明治の晩年になりましてから、ベルリンで日本の留学生が行いましたときに花祭という文字を使つたことが始まりで、遂に花祭という言葉がこの四月八日の灌佛会を代表するようなことになりましたのであります。私の考えでは、世界的の大宗教が二つ日本に來ておる。それは即ちクリスト教及び佛教である。こう考えれば國際親善の日という言葉を用いて、十二月二十五日を休日にするよりも、むしろクリスマスにする方がよい。同時に四月八日の灌佛会というところを、これを釈迦祭という名前を附けて、当然世界的の大宗教家の誕生の日であるということにいたしまして、日本に昔からあつた行事をもつとずつと碎けた、そうして民衆に適したものにしたいと考える。そう二つができれば結構であるが、若しもクリスマスの方を國際親善の日という言葉を以て將來残して置こうとするのならば、或いは灌佛会のことも花祭という名を以て、事実花が咲く時分であり、花見の時分でありますから、それによつて昔からあつた行事を現代に活かして行くということがよかろうとも思う。外の春分とか、秋分、新年とかいうことにつきましては、諸君の御意見もありましようが、私の立場から申しまして、大胆に我が國が、クリスマスと花祭或いは釈迦祭という日を祝祭日として採用して貰うことは、大変に道義の國としての立場を明らかにするために必要でもあり、且つ亦有益でもあり、それが國民性の上に多大の貢献をするものと信じまして、私はそのことを皆樣方に申上げまして、憲法とこういう祝祭日との関係についての御意見が伺えれば伺いたいと思うのであります。
  24. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 今の宗教の日を採上げるかどうかということは、私が先程申しました、どういうふうに基準を立てるか、國民全体のものとして立てる場合と、それから又一つ團体の建前で取る場合と、地方的な建前で取る場合と、三通り大きく分けてあるように思うのですが、宗教問題は日本の場合だと團体の面に入りはせんかと思うのでありますが、これは標準基準を定めた後で一つその問題は論じて行つた方がいいだろうと思う。最初はどういう基準の下に何を採つて行くかというようにしないと、これは採るか採らないかといつて、いつまでもやつていると水掛論になりますから、先ず最初に基準を定めようということでやつておるのでありますから、基準の問題から入つた方がよろしいだろうと思うのであります。
  25. 來馬琢道

    ○來馬琢道君 そうしますと、只今申した言葉の中で、祭という言葉をどういうふうに解釈するか、今までの祭ということは宮中において天皇が御親祭遊ばしたときのことを祭と申しておるのでありまして、それに節を加えたのでありますが、これから先は、例えばメーデーのことを労働祭というような工合にして、そういういわゆる意味を持つた祭という言葉を使うことになるのですか。そこもお考えを願いたいと思うのであります。
  26. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 今祭と祝のことについて、在來通り節とか或いは宮中で使われておることの方を私は申したのでありますが、併し新らしく祭という言葉を、どういうふうに使うかということは、やはりここで規定して行かなければ無理でございませう。
  27. 來馬琢道

    ○來馬琢道君 そうですね。
  28. 山本勇造

    委員長山本勇造君) それでは服部さん御発言でございますか。
  29. 服部教一

    服部教一君 さつき日本に大きな影響のある佛教の御釈迦樣のことを一つ入れるということは私はよかろうと思つておりますし、それから何かクリストの偉大なる世界的の感化のあるクリスマスということもよかろうと思う。と共に東洋において殊に日本と中國において孔子の影響というものは非常に大きなものでありますから、又將來日本と中華民國との親善という上からいうても必要でありますし、この中華民國の祝祭日を見ますというと、やはり孔子節というものが載せられておるのであります。私はやはり孔子というものの……、名前はどうなるか、孔子節としますかどうしますか、これは別といたしまして、孔子を入れるということはよかろうと思うのです。この佛教とクリスマスとそれから孔子とこの三つをやはり祝祭日の中に入れて置きたい、こう思うのであります。
  30. 山本勇造

    委員長山本勇造君) だからここにどれを採つてどれを採らんという問題は、順々にやつて行かんと話がごちやごちやになつて來ますから、先ずその基準を決めて、その基準に從つて選んで行くと混雜がないと思います。今ここで論じておる問題は、どういう基準の下に我々はここで法律で定めるところの祝祭日を選んで行くかという問題をやつておるのですから、その問題を言つて頂きたいのです。
  31. 服部教一

    服部教一君 基準といえばさつきから段々皆さんの中からお話が出ましたように、大体皆さんお話で盡きておると思うのですが、私といたしましてはやはり國全体が祝祭するということにしまして、その内容はさつきから段段とお話がありましたように、將來の日本民族の復興する上において必要なるもの、それから昔からの日本祝祭日として重んじておつたようなもの、それから又これから啓蒙運動をやつて重んぜさすようにしなければならんものというように考えておるのですが、やはり國全体がやるというようなことにしたいと思うのです。まあ細かくいえばいろいろなことがありますけれども、大体そういう方向によつてつたらどうですか。
  32. 岩本月洲

    ○岩本月洲君 私途中から参りましたが、委員長のお言葉でお察しがつくのでありますが、とにかくすでに皆さんの御意見基準をどこに置くかというようなことは御論議ができたと思いますが……。
  33. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 皆さん今日は基準の問題についてお考えを願うように前回であれしましたから、今日は漏れなく御出席の方にはどなたにも御発言を願い、その後でこれとこれと決めて行つて、それを基に具体的に選んで行くというふうにしたいと思つております。
  34. 岩本月洲

    ○岩本月洲君 もう皆さんの御意見とほぼ一致するのだろうと思いますが、私はやはり國家的に定めるものとしましては、天皇制を中心とするいわゆる皇室中心に考える、例えば天長節のようなもの、或いは一つ國家として記念すべき憲法発布というようなこと、それからもう一つ民間におけるいわゆる季節的に定めて考えるべきもの、そういうところにほぼ基準を置いてはどうかと思つております。例えば委節の上からいえば新年とか或いは春分とか秋分とかいうような問題を取上げて來る、そういうようなところに基準を置いてはどうかと考えております。
  35. 山本勇造

    委員長山本勇造君) もう一度おつしやつて頂きますが、第一は天皇、それから第二は國家、第三は季節ですか。
  36. 岩本月洲

    ○岩本月洲君 そうです。
  37. 三好始

    ○三好始君 私ちよつと他の方へ行つておりまして、皆樣がどういうことを申されたか、よく分らないのですが、大体私が考えておりますのは、結局祝祭日決定する場合には國史であるとか、特に國民生活の歴史の上からいつて記念すべき意義のあるものを選ぶということをやはり第一番に考えなければいけないのじやなかろうか。世界共通というようなものも一應は考えてもよいのですが、結局は國民生活の永い歴史の中に自然に考えられて來た歴史的な、記念すべき事実なり或いは習慣、こういつたものの中から選ばなければいけないのじやなかろうか、この程度のことを考えております。
  38. 三島通陽

    三島通陽君 私は大体さつき金子委員のおつしやつた意見に賛成でありまして、それに大体その他皆さんのおつしやつたことを重ね写眞をとられたならば、大体の基準ができるものと思つておりますので、大変どの御意見も結構で、私はもう別に意見はありませんが、金子委員のおつしやつたことにもう少し私の氣持は補足して置きたいのは、端午の節句とそれから雛祭とを一緒にして、子供の日見たようなものも必要じやないかとおつしやつたのですが、私もそういうことを考えておりますので、何かやはり祝祭日の中にバンク・ホリデイとしてこれからの日本を背負つて立つべき次のジエネレーシヨンの人たちを啓蒙する運動というか、それのために一日國全体が考えてやる日というようなものがあつてもよいのじやないか。そうしてその日を中心に社会運動として子供のことを皆が考えて行く。例えば子供の図書館を造つてやるとか、子供の遊園地を作つてやるというところまで行く。そうしてその日は父親も母親も樂しく暮す日として、例えば映画館などは普通の映画を止めて、その日は子供の映画をやつて、皆が子供と共に教育的な子供の映画を見る文教の日というようなものがほしいと思います。これは金子委員の仰せられた言葉でもう盡きておるのでございますけれども、私はただこれをもう少し補足して置きたい。あと皆さんのおつしやつたことを、大体委員長におかれましてそれで重ね写眞をとられたならば基準はつきりするのじやないかと考えております。
  39. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 今三島委員が言われましたように大体私が一應のことを申上げましたし、金子委員がおつしやいましたことは、つずめますと、民主主義理念に立脚して民族傳統を重んじ、國民生活感情と深い繋がりを持つ文化的意義のある日を國定祝祭日にしたい、こういうことであります。金子委員の言われたところは、國民全体に繋がりのあるもの、文化的意義のあるもの、又國の行事を伴うもの、大体において私が最初に述べたのと殆んど同じ意味になつて來ると思いますし、外の方々の御意見も、大体それと実際重ね写眞になると思います。そこで、一つ一つ決めて行きますと、決まるかと思いますので、お諮りをいたして行きたいと思いますが、第一の問題は、休日とそれから祝祭日に当る日とは又別なのだ、休日は休み日であり、これは國民意義のある日なのですから、そのような日ということについて、これは御異議ございませんでしようか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  40. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 第一の問題としましては、國民生活感情に融け込んでおるところの古いしきたりを重んずるということ、但しそれは新憲法精神に副わないものは無論除かなければなりませんけれども、その点を重視するということ、それは徳川さんの御意見の中にも、皆さんの御意見の中にもありましたように、これは御異議がないところだと思います。    〔「異議なし」と呼ふ者あり〕
  41. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 第二には、今までのそういう傳統の中にはないけれども、新らしい國家を築き上げて行くという上で、それが今までの日本になくても、外國のものでも、或いは外國になくても、新らしいこれからの國民生活に必要であるという日は定めて行きたい。古いしきたりのものと、もう一つは新らしい今までの傳統にないもの、それよ傳統に作り上げて行くという、こういう二通りのものがあると思いますが、この二通りで大体のことは、國際的とか樣々な問題がありますけれども、それは新らしい方にすべてが入り得ると思います。ですからこの二つ基準にするということ、これも御異議ないと思いますが、如何でございましようか。    〔「異議なし」と呼ふ者あり〕
  42. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 第三に、そういう二つのものがありますけれども、その中で、或るものは國民全体に繋がりを持つもの、或るものは非常に大事なものではあるけれども可なり團体的なものであつて、全部ではないというものもあり得るのですが、そういう團体的なもの、それから地方的なもの、それからもう一つは、先程岩本さんがおつしやられましたが、季節的なものということも考えなければならないと思います。そういうふうなものがございますが、これはどういうふうにして行きますか。先ず第一に國民全体に通ずるもの、これはどなたも御異議がないところだと思います。それから季節的なもの、勿論採るものと採らんものとあると思いますけれども、これも殆んど異議がないと思いますが……。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  43. 山本勇造

    委員長山本勇造君) それから第三には團体的なもの。宗教の問題もそこに入るのだろうと思います。佛教徒は日本には非常に多いのであるけれども、その外キリスト教徒もあり、服部さんのお話のような孔子教のようなもの、これは宗教と言えるかどうか知りませんけれども、こういうようなものもあります。或いは又労働運動の問題です。勞働祭を設けるかというような問題もここに入つて來るだろうと思いますけれども、團体的なものというのはなかなかむつかしいことで、今日俄かに、團体的のものは全然入れるとか入れないとかいうことは決定しにくかろうと思いますが、これは併し何といつて國民全体のものの方からいえば、第二の問題として考えられていいのではないかと思います。それから第三に地方的なもの、これはどうも大部分はそれぞれ地方で民間的にやつてつた方がいいと思いますが、地方的のものとしては、何か採り得る大きなものがございますかね。そういうようなものがあるとして、これは第二、第三として考えて頂くというふうな基準の下で、これから選んで頂くようにしたらよろしいだろうと思いますが、如何でございましようか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  44. 來馬琢道

    ○來馬琢道君 私は議事進行について一言したいと思います。服部さんの述べられました孔子祭の問題は一例でありますが、そういう意見が出ることは、私共も予想しておつたことでありますが、すでに宗教團体法が成立するときに、帝國議会において、この宗教團体法案には、神道、佛教、キリスト教と三つあるが、世界的大宗教たるマホメツト教はどうするかという質問が出ました。当時の荒木文部大臣が、その他の宗教という中に入つておりますということを議会で明言することによつて、その問題は解決したということを記憶いたしております。我が國に興りました新興宗教の中でも、天理教のごときは、つい先頃までは神道天理教といつていたのでありますけれども、今日では神道でなくなつて、天理教という一つの宗教になつております。ああいう教祖をどうするかという問題が起つて來ると思いますから、こういう問題につきましては、文部省から出た試案の中にもありますように、その日に近い日曜日等におきましてその日を定めるというようなことで、何とか考慮をすることにして、祝祭日の方にはそれは入れないというようにお考えつたならば、ああいう新らしい問題が起るごとにまごつくことがないと思います。これは私の意見としてちよつと申上げて置きます。
  45. 山本勇造

    委員長山本勇造君) そういう問題は後で議することにいたしまして、尚基準として大事な点は、祝祭日相当大幅に採るか、それから今のような建前から行くと、どうしても少くなるかと思いますが、國家國民全体のやる問題でありますから、祝祭日余り多いのは如何かと思われますが、この点についてのお考えも、速記も僅かしか時間がございませんから、この点も速記に残して置きたいと思うのでありますが、祝祭日を多く採るか少く採るかという問題については、如何でありましようか。
  46. 來馬琢道

    ○來馬琢道君 私は、一ケ年に十乃至十二で止めたらいいと思います。
  47. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 数が幾つということは、段々具体的な問題になると思いますが、余り多くなく行かないと、先程私も申しました休日との関係で、日本がこれからどんどんやつて行かなければならんというときに、余り休の日が多くなることは問題ですから、そういう点からも、余り多くならんということをここで決めて置きたいと思いますが、御異議ございませんか。
  48. 若木勝藏

    若木勝藏君 その問題については、初めから、そういうふうに多い少いというようなことでなく、先程の建前からいろいろ檢討して、その後に決まつて來る問題でなかろうかと思います。
  49. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 勿論それはそうです。けれども、一方で労働力が失われて行くことは残念ですから、休日が非常に多くなることは、大体の建前としては、余り多くならないような建前を採つておいた方がいいんじやないかと思うのです。今度具体的にどれをどうするというときには、いろいろあるでしよう。十とか十二とかいうことは、ただ決められませんけれども、一つ考え方としては、國で決めるものは少くして頂くということを、頭に入れて置いていいんじやないでしようか。
  50. 金子洋文

    金子洋文君 この間から諸外國の例る取つて見ましても、大体十から二十くらいが選ばれておる。数を決めることは、先程の建前、基準からいつて決めるべきでありますが、大体十から二十くらいの見当において決まつていいんではないかと思うのです。だから三十だ四十だという民間行事も入れて決めるというようなことは、これはむしろ不賛成であります。
  51. 山本勇造

    委員長山本勇造君) それはその程度にしておきまして、もう一つ大事な点は、これは先程三島委員からもお触れになつたと思いますが、仮りに子供の日というのが採用されるかされんかこれからの問題でありますが、そういうふうな場合には、ただ子供の日だというだけでなくて、行事を伴うさまざまの催しが行われて、そうしてその思想がずつと繋がつて行き拡がつて行くと共に、本当にみんなが湧き上つて來るようになつて行かなければならないのでございます。  速記の都合もありますので、これにて打合会を閉じまして、あとは懇談をいたしたいと思います。    午後二時四十分散会  出席者は左の通り。    委員長     山本 勇造君    理事      金子 洋文君    委員            三木 治朗君            若木 勝藏君            團  伊能君            徳川 頼貞君            大隈 信幸君            岩本 月洲君            來馬 琢道君            高田  寛君            服部 教一君            三島 通陽君            三好  始君   專門調査員            岩村  忍君