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來馬琢道君
祝祭日の件につきまして、私共が非常に
只今の案に対して遺憾に思う、というのは少し語弊があるかも知れないが、物足らないように感じておりますのは、
日本の國における
偉人を
記念する日とか、或いは
日本における
文化の
代表者を思う日というような日が
一つもないことであります。この点について
文部当局にもお
考えを願
つて置きたいと思う。又御
意見を伺いたいと思いますのは、私共は今まで
神武天皇、近代においては明治
天皇というようなお方を、
日本の
歴史上における
代表者のように
考えていたのであります。然るところにこれに対しては、いろいろな
議論が出て來まして、今日ではそういう方々のことを
記念すべき日を置くことができなくなりました。そこで
日本の
歴史上においても、確かな日というのは、
聖徳太子厩戸の王子の亡くなられた日であります。これは大和の法隆寺の
釈迦像の
光背に銘、この
釈迦像は、いろいろな
歴史家及び
建築家の間に
議論がありますけれども、一回の罹災しなか
つたのであります。即ち
鑄造以來そのまま今日まで傳わ
つて來たものであります。この
光背の銘文は最古の
金石文であると言われております。私共は四月の十一日という日を
太陽暦に推歩いたしまして、この四月十一日の
文化節ということにいたして、
聖徳太子の功績を思い、又この
聖徳太子の
時代において、
文化が完全に建設せられたということを偲ばなければならんと思います。特にこの点については、元
貴族院議員、
帝國学士院の会員でありました
姉崎文学博士の非常なる熱心な薦めもありまして、いろいろ主張したのでありますが、今回はそれが採用されないで
終つたのであります。その一番大きな原因といたしましては、資料がまだ確かでないということでありました、即ち
太陽暦に推歩する計算の仕方が不十分であるとか、その他二、三の欠点があ
つたという
意味におきまして、今回は採用されなか
つたように思うのです。こういうことについては、
從來文部省においては相当御
研究にな
つてお
つたと思うのでありますが、これから更に
研究をいたしまして、我々はそういう日を段々
國民の間に鼓吹して、且つこれが実現するようにいたしたいと
考えております。元は
太子講と申しまして、
大変民間においては職人などの間に相当盛大なお祭があ
つたのでありますが、そういうことを
当局において今後お
考えにな
つて、
二宮尊徳の
肖像が紙幣に現われ、
板垣退助翁の姿が同樣に用いられるというようなことになる、
前島男爵でしたかの
肖像が
郵便切手に載るというようにな
つておりますごとく、
文化の
代表者を、こういう場合に我が國が推薦することが、できるようにする御準備があるかどうか。ここにこの
委員会の將に終らんとするときに臨みまして、
当局の御
意見を
伺つて、この
会議の
議事録に残して置きたいと存じます。
簡單な御答弁でよろしうございますから、御
意見の御
発表を
お願いいたします。