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1948-07-20 第2回国会 参議院 司法委員会眞木事件に関する小委員会 閉会後第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十三年七月二十日(火曜日)    午前十一時二十分開会   —————————————   本日の会議に附した事件眞木事件に関する調査の件   —————————————
  2. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 裁判官の刑事事件不当処理等に関する調査の小委員会を開会いたします。齋藤正久といいますか。
  3. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) そうです。
  4. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) こちらは大塚廣男といいますか。
  5. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) そうです。
  6. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それでは証人としてお尋ねすることについて、眞実申立てをするということの宣誓をして下さい。    〔総員起立証人は次のように宣誓を行なつた〕    宣誓書  良心從つて眞実を述べ、何事もかくさず又何事も附加えないことを誓います。          証人 齋藤正久    宣誓書  良心從つて眞実を述べ、何事もかくさず又何事も附加えないことを誓います。          証人 大塚廣男
  7. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それでは大塚さんの方から先に調べますから、齋藤さんは次の室に待つていて下さい。  大塚廣男さんといいますね。
  8. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) そうです。
  9. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 年令は。
  10. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 当年二十八才であります。
  11. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 住所は。
  12. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 住所東京都荒川区高千住町二丁目九十番地。
  13. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 職業は。
  14. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 新鋭大衆党機関誌大衆新聞」の記者をやつてやりました。
  15. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 今拘置所いるのはどういう事件のためですか。
  16. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 現在東京拘置所に勾留されてやるのは、前の聽濤傷害事件、それとこの度の詐欺事件と、両方によつて拘置されてやります。
  17. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 聽濤事件というのはどういう事件ですか。
  18. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 昭和二十二年一月二十日の夜、二・一ゼネストを中止せしめるために、聽濤氏宅に赴いて傷害に及んだ事件であります。
  19. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その時に新鋭大衆党機関新聞記者をしてやつたのですか。
  20. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) そうです。
  21. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 新鋭大衆党というのは党首は。
  22. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 党首眞木康年であります。
  23. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木康年知つたのは何時からです。
  24. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) はつきり日にちは覚えておりませんが、十二月の下旬であります。
  25. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それは二十一年の……
  26. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) そうであります。
  27. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 昭和二十一年の十二月の下旬ですね。
  28. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) そうです。はつきり記憶しておりませんが、大体その頃だと思います。
  29. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その前には眞木を知らないのですか。
  30. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) その前は自分は未復員でありました。
  31. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 新鋭大衆党というのはどういうような政策なり、或いは主義綱領を持つていましたか。
  32. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 第一の主義綱領は、現在暗澹たる日本生産部面を拡張し、我々が特に唱えてやつたの日本共産党反対であります。打倒共産党を叫んでやりましたのは、当時の共産党施策方針は、彼の徳田球一氏が「アカハタ」で述べてやつたように、非常に生産方面を阻害する、であるから日本の進んで行く現状にとつて非常に害になるというので、反共主義をとつてやりました。党もそういつた趣旨に進んでおりました。
  33. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 聽濤氏に対する問題の起る前に、大衆黨でそういうことの相談をしたことはないのですか。
  34. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) あの事件は、二・一ゼネストが敢行されるということは、突発的に起つたことで、前々から分つてつたことではないのですから、相談する余地はありません。
  35. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) あなたが聽濤を訪ねて、最初聽濤方へ行つたけれども……
  36. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) いなくて会いませんでした。二度目に行つた……
  37. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その最初訪ねるときには、大衆黨で何か打合せをしたことがありましたか。
  38. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 別に打合せといつたことはした覚えがありません。
  39. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それについて党首は知つておりました、知りませんか。
  40. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 決行して初めて知つただろうと思います。
  41. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その大衆党大衆新聞ですね。あなたの記者をしておつた……。その新聞ではあなたの行動を大変称揚した記事がありますね。それは誰が書いたのですか。
  42. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 存じおりません。その頃は自分はすでに勾留されておりましたから、誰が書いたか知りません。
  43. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 党首眞木康年というのもその二・一ゼネストに対して反対考えを以て、それをどうかしてやめさせてやろうというような考えを持つてつたことはありますか。
  44. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) それは等しく誰しもが感じたことであろうと思います。新鋭大衆党に籍あるものは、すべてそれを感じておつたと思います。
  45. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 一緒行つて佐久間佐久間とあなたの打合せはどこでやつたのですか。
  46. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 現在の新鋭大衆党眞木康年住所のすぐ前に、我々がよく忙しいときに泊つたりする青年部というものがありまして、その青年部の部屋において佐久間相談いたしました。
  47. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) そういう相談に加わつたのは二人だけですか。
  48. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) そうです。
  49. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木とそういう青年團体との関係はどういうふうになつていましたか。
  50. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 眞木氏は新鋭大衆党党首である、我々はその当時青年部部員でありますから、青年部員党首といつた関係にあります。
  51. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木氏からそういう青年部生活費用とかそういうものを供給されていましたか。
  52. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 全部供給されているということはありません。我々は新聞記者としてそこに籍があり、仕事をしている関係上、多少の生活費を貰つておりますが、全部が全部青年部が貰つているということは知りません。
  53. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 当時の新聞記者は誰々ですか。
  54. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 全部はよく存じませんが、当時佐久間も私もそうであります。ほかの人は、私は何しろ入つて間もないことでありましたから、よく知らないであります。
  55. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 大衆党の会計を持つてつたのは誰ですか。
  56. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) それは知らないです。
  57. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 中川勝太という人は知つておりますか。
  58. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) それは一時保釈で出ましてから知りました。
  59. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その前は知らないのですか。
  60. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 知りません。
  61. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それから齋藤正久というのは。
  62. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 現在私と同じく証人として呼ばれている人で、この人は知つておりました。
  63. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それはいつから知つたのですか。
  64. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) それは入党しましてすぐ知りました。
  65. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 齋藤はその当時何をしておりましたか。
  66. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 当時東本願寺に大衆党の一つのやつてつた事業として、戰災者の厚生寮をやつておりました。その方を委任されておりました。
  67. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 聽濤事件の第一審の審理終つてから、保釈で出ましたか。
  68. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 第一審の審理が終らない中に出ました。
  69. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それから何時まで出てたのですか。
  70. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 保釈で第一回に出ましたのは四月二十八日の午後六時から八月八日までです。
  71. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その保釈中に眞木に会いましたか。
  72. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 会いました。出所してすぐその日に眞木氏の家に行きました、出て來ましたと、いろいろお世話になりましたということを報告に行きました。
  73. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その後の生活費のようなものは眞木から貢いで貰いましたか。
  74. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 別に貰つた覚えはありません。
  75. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 何か生活費は別として、眞木から大分永々苦労したとということで、骨折りに金を貰つたことはありませんか。
  76. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) あります。
  77. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それは幾ら貰つたですか。
  78. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 当時私と佐久間と同時に出まして、もう一人、しよつちゆう私達に面会差入れなど奔走してくれた男がありまして、その男と三名で、当時の金で一万円貰いました。
  79. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その一万円というのは、聽濤傷害事件眞木の入れ智慧によつてつたというようなことで、そういう関係があるから、眞木の方でそういう大金をあなたのところに出したのじやないのじやないですか。
  80. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) そうではないと思ひます。それは私の行つた事件を良いという人もあれば惡いという人もありますが、私はそんな氣持で眞木氏がくれたものではないと思います。当時私にそういつたことで小遣いをくれた人は、眞木康年のみなず沢山おりました。
  81. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木に対して、要求したのではありませんか。
  82. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 要求はしません。要求する権利もないと思います。
  83. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木自身からこれをやると言つて、その金を出したのですか。
  84. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) そうであります。
  85. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 二人の外に、一緒行つた人は誰でありますか。
  86. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 姓は存じておりますが、名前を知りませんが、齋田という男であります。
  87. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それは新鋭大衆党党員ですか。
  88. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) それは新鋭大衆党党員であります。私が勾留されてかう、私はその男と初めて知りました。前に家におつたそうで……
  89. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その後保釈を取消されたわけですか。
  90. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) そうです。
  91. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 佐久間一緒に……
  92. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 佐久間は現今では保釈で出ております。
  93. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 何か取消される理由があつたのですか。
  94. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 私が、非常にお恥しい話しでありますが、作欺をやつたために、再び勾留をされるようになつたわけで、決して前のことで取消されたわけではないのであります。再び勾留されてしまつたわけです。
  95. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 保釈中に作欺事件が……
  96. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) そうです。
  97. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木というは一人体あなた方からみてどういう人ですか。
  98. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 眞木康年氏は、我々に言わせれば、党首でありますから、どういうふうにというと、どういう面に解釈したら宜しいのでしようか。
  99. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 人の性質……
  100. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 眞木康年性質は、実に男らしい、剛毅果断という言葉が当てはまると思います。当時私は眞木康年氏を知つたときは、何か自分が求めておつた人物に会つたような氣がしました。
  101. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 浅草方面の街の親分といつたような人じやないですか。
  102. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 私が初めて康年氏に紹介され印象を受けたのは、第一印象はそういつた感じを受けなかつたが、それはあとになつて大体どういうようなことかということが分りましたが、受けた当時は、実に正義感の強い立派な男と思つておりました。
  103. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) ものを口で言つては分らない、最後になると暴力で人に押しつけるといつたようなやり方の人ではないですか。
  104. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) そういつた威圧的な行動は一遍も私は受けたことはありません。
  105. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) あなたに対してでなくても他の人に対しても……
  106. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 他の人に対しても、私はそういう点は見た覚えはありません。
  107. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 浅草方面繩張りというものを持つて、その繩張内でいろいろ仕事をしようという人は、眞木氏のところへ先ず敬意を表さなければ、眞木から文句を付けられるといつたようなとこは見聞きしたことはないですか。
  108. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 眞木康年の勢力、親分子分というのではなくして、そういつた繩張りを持つていないと私は思つておりますから、ですからさういつた方面はよく知らないのであります。
  109. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 近松三次という親分肌の人が浅草におつたことを知つておりますか。
  110. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) おつたことを知らなかつたのであります。
  111. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) あとで聞きましたか。
  112. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) あとで聞きました。
  113. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木はその二代目だというようなことを、常に言つてつたようなことはないのですか。
  114. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) そういうようなことを、酒の席で一遍言つたように思つておりますが、はつきり知らないのであります。
  115. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その近松三次というのはどういう人か。
  116. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 知らないが……
  117. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) あとで聞いて……
  118. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) あとで聞くには、親分肌というような人だと思いますが、詳しいことは、自分は知らないのであります。
  119. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) そういういろいろな大衆党の経費は、あなた方に一万円というようなお金をくれたりするような金はどこから出たと思つております。
  120. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 新鋭大衆党の收入並びに支出、そういつた面を全然私は知らなかつたのであります。
  121. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 新聞経営にはどれくらい金がかかると思いますか。
  122. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 大衆新聞経営をどのくらいかかるかと言つても私は全然知らんのであります。
  123. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 一ヶ月に何回発行したか。
  124. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 当時旬刑でありますから三回発行しておりました。
  125. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) そうして一回の発行部数は……
  126. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 当時の発行部数は何万部になつておりますか、実に波が多くて多く出たり少く出たりむらがありますから自分はよく知らないのであります。
  127. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 知らないし、そういう費用の出どころも分らない……
  128. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) はあ分らない。
  129. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 新聞社には何人ぐらい人が働いておつたか。
  130. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 私の知つたいるところでは五、六人しかおらなかつたと思います。印刷方面とかそういう方面は知らなかつた
  131. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 印刷は眞は氏がやるのか新聞社がやるのか。
  132. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 印刷はほかに頼むのじやないかと思うのですが、結局私が新鋭大衆党に入つてから勾留されるまでの期間が間が非常に短かかつたものですから、そういうものを察知する余裕がなかつたのでありまん。
  133. 大野幸一

    大野幸一君 釈放後眞木さんから貰つたほかにも世間ではあなたのことが良いとか惡いとかいう説があるわけだが、そのうちであなたに好意を以て金をくれた人があると言いましたね。
  134. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 私はよく知らないのでありますが、齋田といつて先程出ましたが、このが私と佐久間を連れて行つて挨拶行つたわけです。私が勾留されている間差入れに來たのか、そういうことを私は知りません。してくれたという話でその礼に伺つたわけですが、ただ私は挨拶方に廻つたわけであります。まあ餞別のようにくれたのではないかと思います。
  135. 大野幸一

    大野幸一君 その名前は……
  136. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 齋田がよく知つておりますが……。当時一万円ぐらい貰いました。
  137. 大野幸一

    大野幸一君 何人くらいから……
  138. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) はつきり覚えておりませんが四人か……
  139. 大野幸一

    大野幸一君 要するに齋田が連れて行つたあなた方のために餞別をくれと頼んだのですか。
  140. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 頼んだかどうか知りませんが、まさか頼むような厚かましいことはできないと思ひます。
  141. 大野幸一

    大野幸一君 眞木最初知つたときはそういう感じであつたあとになつてからどのような心持を起されたか、あなたの現在眞木という人柄についてお考えになつておられるのは最初会つたときの印象そのままですか。
  142. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) いわゆる引かれたときの眞木曾つてのように第一印象を受またようには尊敬しておりません。私自身も、尊敬していないと、高言できる程の人間ではありませんが、実に判端な人間ですが、昔眞木知つたときよりも間近に感じないのが僞らざる心境です。
  143. 大野幸一

    大野幸一君 それはどういうところに……
  144. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 結局眞木康年が我々と同じように勾留された。そういつた面を見て私の曾ての受けた印象と全然異にしている。そういうことから幻滅の悲哀を感じたわけであります。
  145. 大野幸一

    大野幸一君 あなたが聽濤氏のところに行つたときに自分新鋭大衆党党員だということを述べられたのか。
  146. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 述べました。
  147. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) そうすると新鋭大衆党党員として來たという意味で、あなた個人として俺は來たのではない。眞木康年とも何ら相談がなくて來たわけではないと特に念を押されたわけではないでしよう。
  148. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) ありません。
  149. 大野幸一

    大野幸一君 最初眞木氏との連絡がなくて独断で行つたの眞木氏の日頃の言動から眞木氏もこういうことについては恐らく賛成してくれるだろうと心の中でそういう氣分は動いていましたか。
  150. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 動いておりました。
  151. 大野幸一

    大野幸一君 そのほか言行としてときには大衆党國家のために日本生産復興のために止むを得なくて人を殺傷することも大衆党の中には恕されないこと、ではあるが怒されるという感化眞木康年からあなたは受けなかつたのですか。
  152. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 私は人を斬つていいということはありませんが眞木自身にでなくとも私自身にそういつた思想がありました。曾て私は吉田松蔭先生やり方を非常に尊敬しておりました、別に眞木にその感化を受けた覚えはありません。
  153. 大野幸一

    大野幸一君 大衆新聞記者をしている時代は眞木の方から毎月俸給として貰つたんですか。
  154. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) はあ当時二千円貰つた覚えがあるのですが……
  155. 大野幸一

    大野幸一君 月に二千円づつ……
  156. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 月といつても一月も勤めたことがないんですから……
  157. 大野幸一

    大野幸一君 その間一回二千円貰つたことがあるが別に俸給というものを決めたわけではないのですか。
  158. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 決めていなかつたのです。
  159. 松井道夫

    松井道夫君 私から訊きますが、聽濤を刺して後どうしたんです。
  160. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) どうしたとおつしやられると……
  161. 松井道夫

    松井道夫君 刺して直ぐ引揚げたんでしよう。それからどうしたのです。
  162. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 自首する前の行動ですか。
  163. 松井道夫

    松井道夫君 そう。
  164. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 自首する前の行動は、聽濤氏の宅に赴いたのは一月二十日午後六時判頃だと思いました。それから二十五分ばかり話して、決行したのは七時五分ぐらい前です。それから直ぐに京王電車だと思いますが、京王電車新宿に出まして、新宿から浅草へ出て、それは省線で上野行つて上野から地下鉄で浅草へ帰つた。それから元うちの幹部平原喜胤と申しました、今はつきり覚えておりませんが、平原という幹部がおりました。そこの家に一晩泊りまして、翌る晩は家で泊りました。そうして朝自首をするからといつて佐久間と二人伴つて眞木康年氏に伴われて警視廳に自首したのであります。
  165. 松井道夫

    松井道夫君 眞木康年の所へは何時行つたんですか。
  166. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 家へですか。
  167. 松井道夫

    松井道夫君 そう。
  168. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 家へ行きませんです。
  169. 松井道夫

    松井道夫君 何処へ行つたんですか。
  170. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 浅草新映座の直ぐこちら側に下田という料亭があります。そこへ私と佐久間が行き、眞木康年にあそこで会いまして、警視廳並びに進駐軍関係のあれが事務所の方には詰めかけておりましたので、そこを避けて眞木康年氏と会つたんです。
  171. 松井道夫

    松井道夫君 それは眞木が場所を決めてあなた方を呼んだんですか。
  172. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 結局、その間に幹部が立動きましたが、眞木康年下田で会いました。
  173. 松井道夫

    松井道夫君 それで眞木に一部始終を報告しましたか。
  174. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) しました。事件はすでに一部始終明るみに出されておつて大衆党の者がやつたということは新聞にも出ておりましたし、ラジオでも報道されましたから、眞木康年氏も知つておりました。
  175. 松井道夫

    松井道夫君 眞木はその時あなた方に何か言わなかつたですか。
  176. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 新聞記者が相当來ておりまして、わあわあ騒がれまして、意見の交換といつて、お詑を、別に眞木康年氏は頷いて、別に言葉として聽き取れなかつたのです。
  177. 松井道夫

    松井道夫君 別に印象に残つたことはありませんか。
  178. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 別に印象に残つたようなことは覚えておりません。
  179. 松井道夫

    松井道夫君 あなたの事件について弁護士は誰が立つたんですか。
  180. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 第一審においては、前大審院判事坂本英雄氏が附きました。ところがこれについてはこの春か或る事件のために持禁される身となつて、第一回には出ましたが、求刑のときの論告の弁護に來られなくて、そのときに眞木松吉さんという方が見えられました。
  181. 松井道夫

    松井道夫君 弁護士さんのお世話は誰がしてくれたか分りますか。
  182. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 大概事務所でやつてくれたんだろうと思います。
  183. 松井道夫

    松井道夫君 事務所というと……
  184. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 新鋭大衆党……今解散を命ぜられましたが、新鋭大衆党の……
  185. 松井道夫

    松井道夫君 新鋭大衆党の方でやつてくれたと思いましたか。
  186. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) は、自分でも一人頼みました。
  187. 松井道夫

    松井道夫君 あなたは一体、新聞に入る前はどういう仕事をしておられたんですか。
  188. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 私は復員して來まして、直く劇團椿座を組織しました。同志と共に新劇の勉強のために……。それは、こうした國破れて、帰つて來た我々は、日本現状に今青年は生きる方向を皆見失つておる。でありますから、より高き藝術的作品を上演できる、そういうことを勉強できる、そういうことの喜びを感じ、且つ又自分はそういう藝術的の面ばかりでなく、青年の生きる方向に暗示を與える仕事に沒頭したら、生きがいがある。生き永らえた命をその方面に突入しよう、そういうことで劇團を組織したのであります。ですから、当初は我々の心持は純眞であつたのでありますが、経営内難で、俗に座長というのが、金本位に走つて行つたんです。興行者、劇場、総てそういう方面に勤いておるのですから、無理もないのですが、自分としては最初の心は正反対なんで、自分もいつか身に泌みて不正を感じなくなることを惧れて、脱退したのであります。あの座は自分が脱退すれば解散するということは見透しが附いておりました。
  189. 松井道夫

    松井道夫君 それで新鋭大衆党に入つたわけですか。
  190. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) そういう時にありまして、曾ておりました松島という男に浅草て会いました。打倒共産党を叫んで新鋭大衆党が邁進しておるというので、私も精神の寄り所を失つておる時ですから、もう組織した椿座も解散しなければならん、そういう状態でありましたから、勢い新鋭大衆党に突入した……
  191. 松井道夫

    松井道夫君 眞木から三人で一万円貰つた時には、眞木は口に出して、どういう意味の金だというような……
  192. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) そういうことは別に言いませんでした。別に、どういう意味と申して……言わなかつたのです。
  193. 松井道夫

    松井道夫君 あなた自身はどう受取つたんです。
  194. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 私は結局、我々は仮に三ケ月も四ケ月も、社会から隔離された自由を奪われた生活をして來た。そういう意味で、御苦労であつたという意味でくれたんでないかと思つておりますが……。その間に生活費も貰つておりませんから、多分そういう面もあるんじやないかと思います。
  195. 大野幸一

    大野幸一君 あなたは一審で懲役十年でしたか。
  196. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 十年でした。
  197. 大野幸一

    大野幸一君 過去を振り返つてみて、どう思つておりますか。自分でやつたことは正しいと思つたおるか、日本のためによくなかつたと思つておるか。
  198. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 私は現在の日本敗戰国として外國から管理されている状態にあるのに、テロ行爲を行うことは非常にいけないことであつたということか深く分りましてお詑びする次第でありますが、私のとつた行動日本思想からいえば決して惡いものではないと思つております。時を得なければあの大西郷先生ですら空しく城山の露と消えて賊の汚名を被つたような状態でありますから、我々のとつた行動も敢て不祥なこととは思つておりません。
  199. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 日本が管理されていると否とに拘らず、單なる思想の対立で武器を用いるということは惡い考えておりますか。
  200. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 今日現今の状態においては惡いと思いますけれど、曾てのちよん髷時代の武士道華やかだつた時代においては、私のとつた行動は許さるべきだと思います。
  201. 大野幸一

    大野幸一君 御尤もだと思いますが、今後の日本においてはどう考えますか。
  202. 大塚廣男

    証人大塚廣男君) 今申し上げたように、非常に日本の前途に、こういつた分子がおるのかと思われるようなことをしたのは非常に申訳ないと思ひます。当時の私はなんでよもいから早くあのストを中止させたい、それのみでした。
  203. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それでは訊問は終りました。    〔証人齋藤正久君着席〕
  204. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) あなたはお名前齋藤正久さんですね。
  205. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) そうです。
  206. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 年令は。
  207. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 三十八才。
  208. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 住所は。
  209. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 東京都台東区浅草千束町一丁目百二十一番地
  210. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 職業は。
  211. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 現在古物商です。
  212. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木康年という人を知つておりますね。
  213. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 知つております。
  214. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それを知ることになつた事情は。
  215. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 事情は私が現職中です。私は曾て富坂警察署の刑事係をやつておりました。それで昭和十六年の末であつたと思いますが、或る告訴事件によりまして彼の身柄を逮捕したことがございました。それがいろいろ知名の士が介在しておつたので告訴を取下げて十日ばかりでけりがついた。それが要するに知合の端緒であります。
  216. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 知名の士というのはどういう人ですか。
  217. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 結局当時の市会議員や弁護士なんかが介在しておつた。大した問題ではなかつたのです。
  218. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木弁護士か市会議員ととの間のことですか。
  219. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 眞木さん対他の人だつたのですね。大分古い話で記憶はありませんが。京橋方面の人で金銭の貸借問題でした。
  220. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その当時眞木は何をしておつたのですか。
  221. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) その当時は眞木さんは後樂園の傍の東京檢事局の前でいろいろ繊維製品の商賣をやつてつたらしかつたです。
  222. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その事件は市会議員とか弁護士というような人が中に入つて取下げになつたのですか。
  223. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) いいえ、中には入りません。いろいろ込み入つたあれがあつたらしかつたですが、結局千円か二千円くらいの貸借関係で京橋の方が私の方に告訴した。私は主任の命を受けてその事件を扱つたのですが、日を経ずして告訴の取下げになりましたので釈放になりました。
  224. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それが眞木知つた最初ですか。
  225. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) そうです。
  226. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それから更に眞木関係を生ずることになつたのはいつですか。
  227. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) それは終戰後だと思います。私が應召から解除になりまして役所を辞めてから、眞木さんが浅草千束町の現在の住所にバラツクを建てて住んでおつた。衆議院議員の立候補をするのについて、私が偶々役所を辞めて遊んでおつたのでそれでお附き合いをするようになりましたが、その間多少の個人としての行つたり來たりはしておりましたし、私も眞木という男をなんとかして、とにかくああいう前科者から眞人間に返してやりたいという、いわゆる司法警察官の立場から彼に対していろいろ個人的にしたことはありましたが、密接になつたというのは第一回の総選挙のときからです。
  228. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 総選挙に候補に立つたときにあなたは應援したのですか。
  229. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) やりました。應援もしましたし、ポスターも書きました。あの当時は非常に貧乏なものですから、それで應援するといつても私くらいで、他に知名の士は誰も來ませんし、看板もポスターも書き、又應援演説もしました。
  230. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木新鋭大衆党という政党を結成してその党首になつたというのはその後ですか。
  231. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) そうです。去年の六月の中旬頃だと思います。結成したのは。いはゆる反共戰線という名目で但しその結党後は活溌な動きは殆んどありませんでした。ただ結党したというくらいで私余り街頭に立つて演説したことはございませんです。
  232. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木に対して衆議院議員の候補者に立つたときに、政党方面或いは財閥方面から相当援助があつたというようなことを聞きませんでしたか。
  233. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) それは私聞いておりません。眞木はつねづね、自分は援助を受けようと思えば幾らでも口があるが、財閥とか、そういう連中に頭を押えられるのは嫌いだから何でも自力でやるのだと言つておりました。又当時出入りする人達の顏觸れを見ても、私は長い間刑事をやつたので一見して分るのですが、そのような人が出入りしたようには私には見受られませんでした、その当時は。
  234. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木浅草におつた頃、近松三次という親分の跡を継いで第二代の近松だというようなことで、親分肌で相当あの辺に繩張を持つて活動をしたのぢやないですか。
  235. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 繩張りなんというものはございません。繩張というのは御承知かも存じませんが、雨が降つても日が照つても收入があつて遊んでおつても暮せるというのが繩張ではないかと思ひます。彼は露店商や土木建築をやつておりましたが、他に委託してそれをやらしておつたようなもので、繩張というような形式のものは私は認めませんし、全然知りません。
  236. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 職業は結局眞木は何をしておつたのですか。
  237. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 結局職業といいましても、あの当時、選挙前後におきましては、電氣工事の連中とか、土木の連中とか、大工の連中が出入りしておつたので、或いは私は人夫供給業か、工事土木請負くらいの程度ではなかつたかと思いますが、詳しいことは存じません。
  238. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 大衆党の外に戰災者更生会という、戰災者を援護するというような意味の会がありましたね。あの会の会長も勤めましたか。
  239. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) そうですね。まあ、実質相には会長でしよう。大衆党顧問という名称を持ておつたこともございますが、私の見たところでは、実質上においては会長であり、絶対の責任者と私は思います。
  240. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その会の事務のようなものはあなたとりませんか。
  241. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 私は第一回の選挙が終りましたときに、選挙も終つたが、君は一体これからどうして女房や子供その他を食わして行くかという具体的な、話になつて、私は前に小さいときから古物商に年期奉公をしたので役所は辞めたし、戰敗國の日本から恩給を貰おうとは思わんし、とにかく年期奉公した古物商をしたいといつたのですが、取敢ず時世が落着くまで本願寺の地下の戰災者更生会に來てくれんかという話があつて、とにかく私は行くだけは行つてみようというので、相談役という肩書でしたが、但し言つてはなんですが非常に報酬が少くて、眞木さんから頂戴する報酬では僅か二百円かそこらの月の報酬では到底家族と別居生活をしても生計が立たんので、殆んど自分の暮しは、故郷に帰つて安いものを仕入れて來て東京で高く賣るというようなことでやつていました。最初は名目は戰災者更生会の相談役であります。
  242. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 相談役として更生会のためにやつたことはどういうことですか。
  243. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 事務というものは全然当時はやりませんで、結局相談役といいましても、病氣になつた者や狩込、そういうものの役所の手続とか、東京都の方の役人が見えりばその應対とか、そういうまあ形式的にものだつたのです。
  244. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 東京都からその更生会の收容者機関に対して相当な援助が金が渡りましたね。
  245. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) そうですね。あれは一昨年十月、生活保護法が制定されてから纒つた金が月に入るようになつたようですが、その以前のことは月に貰う規定であつたのか、どういう経費が來たのか知りません。
  246. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その会当は誰がやつていましたか。
  247. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 私は四月の下旬本願寺に行つて樣子を見たときには会計は一々眞木さんの家の事務員が來てやつてつたのじやないかと思います。その当時十二、三名の事務員が來ておりましたから。その後日を経ずして会計の責任者として眞木さんの現在の妻であるところの眞木キヨという人の連れ子の眞木啓子、本名稻田啓子という人が本願寺に出張して会計の事務をとつておりました。それはたしか五月中旬頃であつたと思います。
  248. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それ以外に会計をやつた人はありませんか。
  249. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) それ以外に会計をやつた人は女の方で、何と言いましたかちよつと忘れましたがね、一人おりました。その人の二人で机を並べてやつておりました。
  250. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 名前が分らなければあとで思い出して……。その更生会の会計等について眞木がそれを利用して新鋭大衆党の方の費用に使つたというようなことの事情がありませんでしたか。
  251. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) そうですね。その点については私も警視廳で再三聽かれましたが、新鋭大衆党が運動を展開しましたのは忘れもしませんが昨年の二・一ゼネスとの反対運動で、そのときまでは一回の演説会もしたことも、ポスターを貼つたことも私は記憶しておりません。その二・一ゼネスト反対運動を展開することになつた前後において彼は日本自由党の自由クラブの方とお附き合いをしておつたことは私よく承知しております。とにかく更生会の支出は月が幾らあるか、経理の面については私は全然タツチしておりませんので詳しい数字のことは分りません。更生会のトラツクを使用して演説をしたとか何とかいうことは覚えておりますが、金銭関係については全然分りません。
  252. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 更生会にはトラツクがあつたのですか。
  253. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) あります。トラツクが一台、乘用車が二台。
  254. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) そのトラツクは。
  255. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 先般接收されました。
  256. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それは更生会のものですか。
  257. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) そうです。東京都民生局からの借用品です。
  258. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 乘用車二台ともそうですか。
  259. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 一台は小型で、大型の方は戰災者更生会会長という名目で警視廳で拂下げを受けた車です。
  260. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その更生会の名目で拂下げを受けたものを大衆党の運動に使用したことがありますか。
  261. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) あります。
  262. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それで昨年の十二月の大衆党が解散を命ぜられましたね。解散後あなたはその整理に関係していませんでしたか。
  263. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 大体残務整理という形式で五月の三十日まで私はおりました。
  264. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 本年五月三十日までですね。
  265. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) そうです。
  266. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その整理の模樣はどうですか。
  267. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 整理の模樣は全然分りません、経理面については。というのは一昨年の十一月から眞木さんの実兄で通称堀切康煕というお寺の坊さんが満洲から引揚げて來てあの更生会で事務をとつておりました。それで私が相談役から続いて今度はとにかく一昨年の十一月一日を以て会長代理兼外務責任者になつた。外務というのは、要するに警視廳とか東京都、区役所等、各官廳に対する連絡事務の取扱いです。それに当りまして、眞木さんの兄さんは、経営一般の責任者になつたのです。勿論会計、用度、庶務一般です。それで会計面におきましては、一昨年の十一月から、大体眞木さんの兄さんの堀切という人が会計一切に当つてつた。勿論その指揮命令は、眞木さんがやつてつたことは事実です。それで、眞木さんが解散を命ぜられ、同日警視廳に身柄を拘引させられましてから、堀切さんという人は行衞不明になつた住所不明です。それで経理問題が分らないで、いろいろ調査がありまして、困りました。それで私が、外務の責任者とはいいながら、古いので、どうか残つてもらいたいというので、あとに残りまして、五月三十日までおりましたが、会計面においては、当然あるべきはずの帳簿やなんか殆んどないのです。勿論私は会計帳簿を一回も見たこともなければ、自分で附けたこともありませんので、具体的にこれはどうだ、これはこうだと質問或いは又調査を依頼せられましても、私にはとにかく明確なる回答はできない事情であつたのです。
  268. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 当時大衆党の財産関係と更生会の財産関係眞木個人の財産関係、そういうものがあはたの調査では、大体はつきりすることができるような事情でしたか。
  269. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) ありません。新鋭大衆党の会計面も全然私はやつておりませんし、又世間で新鋭大衆党なるものを非常に買いかぶつてつたのじやないかと私は思うのです。とにかく中を解剖して見れば非常に、私が言つちや何ですが、選挙のときでも、一日に五回、十回と演説したくらいのものでありまして、非常にお粗末な大衆党つたのです。ただあれは宣傳で以て、非常にはつたりをかけたようなわけですが、会計におきましても、ポスターを何枚印刷して幾ら拂つたものであるか、又れつきとした新鋭大衆党の事務員とか或いは又経理員とか又給仕とかいうものは一人もおりませんので、みんな集まつて、今度はこれをやろうじやないかと言うような、極端なお話かも知れませんが、大体において、しつかりした人間がついて、それを專門にやつたというあれがないのでありまして、ですからその会計が、寄附があつたものかなかつたものか、又どのくらいの金を出して何を作つたものか、それはよく私は分らないのです。大体新鋭大衆党の会計におきましては、或る程度までタツチしたのは、中川勝太という方がこれをやつておられましたから、私は会計面につきましては分りませんです。
  270. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木大衆党事務所であり眞木の住宅である家は、誰のものですか。
  271. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) あれは眞木さんの名義になつておるのじやないでしようか。
  272. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木の住宅だと思つておるのですか。
  273. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 私はそう思つております。
  274. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その建築にはどのくらいかかつたと思いますか。
  275. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 私は選擧の前にちよつと、どのくらいかかりましたと聽いたことがございました。そのときの話では、たしか四万とか五万とかと聞きましたですが。
  276. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 春日町に更生会の授産所がありましたね。
  277. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) え、あります。
  278. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それはいつ頃建てたものです。
  279. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) あれは昨年の八月頃と思います。建てたのでなくて、あれは買いました。權利を買いまして、そうして後から、裏の方を建て増しや造作なんかしたのじやないかと私は思います。
  280. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) そういう費用は。
  281. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 会計は要するに眞木さんと、先程も申しますように兄さんの堀切さんがやつておりましたので、私共は、何を幾らで買つたものか、權利を幾らで買つたものか、全然存じません。
  282. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) そこでどういうことをしておつたのですか。
  283. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 結局、東京都民生局から借用しておるミシンを二台持つて行きまして、更生会の收容者の中から洋裁とかそういうことに経驗のある者者を二三名選びまして、それからあとは未経驗の者を二三人收容者の中から連れて行きまして、外部の仕事はあまりせずして、内部の更生会の收容者たちの仕事を大体やつてつたようであります。だけれども、結局それも長続きしませんで、一ケ月か一ケ月半で以て解散になりました。解散といつても從業員が他の施設に移つたり止めたりして、それで何だか経営が困難に陷つたらしかつたです。
  284. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木がいなくなると、堀切大助の行衞をくらましたのは、どういうことからくらましたと思ひます。
  285. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 私の推察では、結局は、とにかく何か巻ぞえでも食うのはいやだというふうに思つたのじやないかと思うのですね。とにかくどうも更生会は更生会、それから会計は会計という、はつきりとカーテンというものを下ろしてありますから、舞台は分つても、樂屋の方は全然私共には分りませんでした。だから、如何なる事情の下に彼が所在不明になつたか、未だに私は想像に苦しむくらいなんであります。とにかくまじめな男だつたですから、私の考うでは堀切という人は。
  286. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その際、諸帳簿、会計に関する書類等を、眞木が焼き捨てたり、とにかく皆それを捨ててしまつたということを知りませんか。
  287. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) それは知りません。拘引される昨年の十二月十二日、觧散命令を食つたときは、堀切さんは会計の責任者、いはゆる中間の責任者ですね。今日はほうきを一本買う。それで二十円出す。それを出金傳票によつて堀切さんのハンコをもらつて、それを更に眞木さんに自宅へ持つて行つて眞木さんの奥さんなり娘さんなりからその金をもらう。傳票を渡して金をもらうということでありまして、その当時はもうすでに会計の一切は眞木さんの自宅でやつておりました。それは昨年の八月頃からだと思います。それまでは更生会の事務所でやつてつたのですが、たまたま運轉手かなんかの使い込みがあつた形跡がありまして、それで眞木さんの自宅でするようになりまして、それで眞木さんの自宅でするようになりました、ただ單に堀切さんは、自分が会計の責任者として、これならこれを買うという、いわゆる主任の判こを押すだけに止まつていたようです。
  288. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 更生会では、收容しておつた人員は何名くらいあつたですか。
  289. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 大体の私の記憶では、常に三百五六十名前後と思います。但し昨年の八月、更生会の設備が保健衛生上非常によくないというので、進駐軍の方から、人員過剰であるという注意を受けまして、昨年の八月に、約百名前後を減らしたのです。それでその後は二百五十名前後じやないかと私は思います。そういう收容者のあれについても、詳しい数字的なことは、私は全然責任を負つていませんので、タツチしておりませんから、記憶がございません。
  290. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その收容者から、福利金という名義で、若干ずつ金を出させたことは覚えておりますか。
  291. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) それれは取つておりました。
  292. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それはどういうふうに。
  293. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 結局は福利金ということにつきましては、眞木さんの話ではこうなんです。現在東京都から來るところの委託費では、これだけの現在の物價高において、とても食はせることはできない。カロリーも又取らなければならんのだし、これを土台として、福利金というものを取り、それを生活費の一部に充当して、あとの余つた金で以て授産設備を作るとか小さなバラツクの一つも作るというような大体考えから、あれをやつて徴收しておりました。私が一昨年の四月下旬に更生会の相談役としてあそこに入りましたその当時からも、一日に一人から一円五十銭から二円と思いますが取つておりました。但し生活不能力者からは取つておらなかつたようです。ですから、急に取り始めたのではなくして、大体前から取つてつたのですが、物價の暴騰についで値上りをして行つたことは事実であります。
  294. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 値上りして幾ら取りました。
  295. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 私は詳しいことは存じませんが、一級から五級までに区分したらしいのです。昨年の七八月頃と思いますが、一級は一人二十円、二級が十五円、三級が十円、四級が五円、五級がゼロというふうに区分したらしかつたのです。ゼロが何名あるか、二十円級が何名あるか、そういう詳しいことは、私は自分で事務をやつておりませんから分りませんが、そういう区分をしたことは事実であります。
  296. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 福利金というものがどれだけ集まつたかということは分りませんか。
  297. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 分りません。
  298. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 新橋に事務所を設けようというので、事務所の手配をしたというようなことは知つておりますか。
  299. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 知つております。
  300. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それはどういう事情ですか。
  301. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) あれは、新橋に、眞木さんの知り合いの方で吉村という人があります。その人と昔からの知り合いらしいのですが、その人とタイアツプして、あそこの辺にマーケツトでも造つて事業を起そうというような話でした。でありますが、どこへどういうものを立てたのか、私は一回も行つて見ておらんので知りませんが、社会党本部の眞裏とは言つておりました。
  302. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それに眞木のほうから幾らか金を出したということは聞きませんか。
  303. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 十四万円ですか出したと言つておりました。
  304. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 十四万円ばかり出したと……
  305. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 十四万円出したと聞きました。
  306. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それは何の事務所です。
  307. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) それは最初新鋭大衆党が、現在の眞木さんの自宅では、周囲が花柳界でもあるし、地方から上京する人々の信用上もよくないから、何とかして中央に出た方がいいだろう。勿論私もこれは勵めました。將來発展する上においてに、何でもとにかく中央に進出しなければ可能性がないというので、眞木さんは吉村さんと相談して、それに迷つたらしいです。実際に新鋭大衆党事務所を作るか、或いはマーケツト式にして造作をするかといつて非常に迷つてつたが、大体において新鋭大衆党事務所兼ミルク・ホールでも開こうというような考えらしかつたのですが、具体的の相談には私は乘ておりません。
  308. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木は東洋商事株式会社という会社の社長をしておつたのですか。
  309. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 看板はそうだつたですね。春日町におつた時代は、東洋商事株式会社という看板だけは出ていたです。
  310. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その会社の実体であるのですか。
  311. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 実体は存じません。
  312. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 浅草へ移つてからは、浅草事務所ではそういう看板はなかつたのですか。
  313. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 上げておりません。
  314. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 浅草事務所へはどういう看板がかかつておりましたか。
  315. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 結局は、燒跡整理、土木建築工事、人夫請負という見出しで、肩書きは関東二次眞木組とはめ板に書いてありました。
  316. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 関東三次……
  317. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 関東三次眞木組。
  318. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それは眞木がかけさした看板ですか。
  319. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 勿論自分の自宅にかけたわけですから……。眞木が書かせなければ、ひとりでかかるわけははないから恐らく眞木がやらしたのでしよう。それは第一回の選挙のときすでに書いてあつたのです。
  320. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木の刑事事件。今度事件になつておる事柄には、あなたは関係ありませんか。
  321. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 恐喝事件ですか。
  322. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 恐喝事件
  323. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 毛頭ございません。私は、言つちや失礼ですが、眞木さんに対してとにかく相当強硬に、年配も私の方が上ですし、やはり眞木さんは彼は前科者である。だけれども、彼は前科者であるが故に、往々にしてひがむ。併し、そういうことじやいかん。前科者であろうと、はつきりと自分が清算した以上は、とにかく正々堂々と大道闊歩できるのだし、自分が例えば衆議院に打つて出ようという氣持があつて、更生しようという氣持が自分にあるとすれば、喜んで應援してやろうじやないかというような氣持からやつたのでありまして、彼が恐喝というようなことをすることは、絶対に私は許しませんです。だからあの事件については、私は全然知りません。
  324. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) そういうような事件に現われたのはただ一つの事件ですが、その以外に、自分の勢力範囲に來て仕事をするという人には、挨拶に來なければならんかというようなことで、それが來なかつたから、それに文句を附けるといつたような行動をする人ではなかつたですか。
  325. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 眞木さんですか……。私の知つておる範囲では、寧ろ自分のほうから恵んでやるくらいだつたです。但し、あそこに私が行つた選挙の当時、どうもあまり風体の感心しない連中が多少出入りしておつたことは事実です。
  326. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) そういうように更生会なり眞木の世話をしておつたことについて、あなたは報酬をもらつておりますか。
  327. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 勿論もらつております。
  328. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それは月給ですか。一月幾らですか。
  329. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 結局は、新鋭大衆党の運動を活溌にするまでは、戰災者更生会の職員としての俸給であり、あの二・一ゼネスト反対運動を展開してから後は、戰災者更生会の職員兼新鋭大衆党の何といいますか演説やというような肩書きで、どつちの報酬であるかその限界ははつきりしておりませんが、もらつたことは事実です。
  330. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 毎月幾らとしてもらうのですか。何か事のあつた都度もらうのですか。
  331. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) いや、毎月もらいました。
  332. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 幾らずつもらいました。
  333. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 一番最初は二百円であります。一昨年の四月下旬、戰災者の更生会の職員になつて二百円、それからその年(昭和二十一年)の十月頃まで二百円が三月ばかり続きまして、あと五百円に上りまして、十一月から今度千円に上りました。昨年の四月頃から二千円に上りまして、昨年の觧散当時、私は月三千円もらつておりました。
  334. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) そういうのは皆眞木からもらうのですか。
  335. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) そうです。
  336. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木事件が起つてから、弁護士を頼むとか、公判などには傍聴に行つたようなことがありますか。
  337. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 一回も行きません。
  338. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 弁護士を頼むことも世話したことがない……
  339. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) え、ありません。彼は、私が行かないでも、先程申しますように、自由クラブの連中の中には弁護士の肩書を持つた人もおり、いろいろ知つておる人もありますから、私が何もそういうことを斡旋しないでも彼自身でできますから、傍聴には一回も参りません。
  340. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それから警視廳なり東京拘置所におる間に、面会には行きましたか。
  341. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 面会には行きました。一回警視廳に拘置内には一回も行きません。それは警視廳におつた当時、十二月の俸給を職員に出さなければならんので、どういうふうにしたらよいのかという相談には行きましたが、それ一回きりです。
  342. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その面会したときに、眞木の健康はどんなものでしたか。
  343. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 健康ですか。健康は、髯を生やしておりましたし、何だか痔が惡いと盛んに言つておりましたけれど、食欲の点におきましても、普通のように私は見受けられました。但し顔は相当青くなつておりました。
  344. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木の留守宅へは行きますたか。
  345. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 留守宅には私眞木さんか勾引されてからたびたび行きました。
  346. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) そのとき眞木の妻に会いましたね。
  347. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 会いました。
  348. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) この人は身体はどんなものでしたか。
  349. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 身体が大分どうも何んですかね、心臓が動悸して困ると言つて居りましたが勿論心配したのですから、多少の健康の変化は当り前だと思いますが。
  350. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 惡いというので休るようなことがありましたか。
  351. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 休んでおりました。
  352. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木眞木の妻君も常には健康はどんな人ですか。
  353. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) あの眞木さんは非常に健康は良いと思います。だけれども奥さんの方は、さ程に良いとはまあ言われない方ですね。あの方は非常に痩せておりますしね。
  354. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木は反共の思想を持つておるのだか右翼の人との往復はなかつたのですか。
  355. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) そうですが、極端に右翼と言いますと一つの例を取りますと黒龍会の連中とかいうことになりますが全然そういうことはありません。
  356. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 世間でいう右翼の團体の人との交通なんかにもないんですか。
  357. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 私の知つている範囲内ではありません。
  358. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それから昨年のあの石淡の管理問題、いわゆる國管問問題について反対運動をしたというようなことは知つていますか。
  359. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 反対運動はしませんでしよう。
  360. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) しない。何かしないまでもビラを貼らしたとか貼つたとかいうようなことはありませんか。
  361. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 石炭國管の反対のビラは覚えておりませんな。あれは確か貼らなかつたと思いますのですがね。
  362. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 昨年の一月から二月に掛けて二・一ゼネストの問題のとき、その頃大衆党なり眞木行動はどんなことがありましたか。
  363. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 結局はまあトラツクに乘つて一緒にビラを貼つたり、それから街頭において二・一ゼネスト反対運動の演説をやつたり、最後には運輸省の闘爭本部に乘り込んだというだけです。
  364. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) そういう費用はどこかう出たのですか。
  365. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 費用としてつも知名の氏がトラツクに乘つて演説したわけではないし、ポスターを貼るにしてもあの当時ポスター一枚どのくらいしたか知りませんが、千枚ぐらい貼つたら一万枚貼つたようにあの人は言う人ですから恐らく私は口で言う程の費用は使つていないと思うのですが、だけれども金額においてはどのくらい使つたかといえば、ガソリンは買つたものかどうか知りませんし、ビラ貼人夫でも十円か十五円で以で使つてつたのだから、厖大な費用はかかつておらないのじやないかと私は思うのです。
  366. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 大衆党が先に立つて反共運動をやり、昨年の四月の二十四日には宮城前に多数を集めたことはありませんか。
  367. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) あります。
  368. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その当時の模樣は……
  369. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) あれはですね、即ち五月一日のメーデーですね、あのメーデー当日東京都内の反共團体の者ととにかく一体となつてそれでメーデー、いわゆる労働祭というものを、今日の労働祭は即ち政治色を非常に帶びている。いわゆる政治運動の一端をなしているような労働祭である、かような労働際ではいかんと……。純然たる労働者の労働祭でなければいかんというような建前からあの五月一のメーデーの当日宮城前で大会をやろうということになつたが、ところがあれは期日が変更になつて四月二十九日に決定したが、当時集まつたのは結局東京都内或いは近縣の反共政治團体の人たちが僅かに集まつた程度であります。
  370. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 集まつた人たちは少なかつたのですか。
  371. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 私の記憶では。集まつた人は、日連宗の信者である群馬縣高崎にある救國立正、この人たちも來ましたし、赤化防止の峯本正典という人のやつておる、足立がどこにありますが、そういう人たち、それから菊旗会とかいう者、大体その團体とか思想團体の方が、二、三名ぐらいずつ集つておるくらいなもんです。
  372. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 大衆は集まらなかつたのですか。
  373. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 大衆は私の見たところ、二、三千名くらいでないかと思います。
  374. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それらの費用はどうでした。
  375. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) あの費用はいくらも……あれはうちのトラックで、うちの椅子、テーブルを積んでいつて、僅かに薪代を七千円か八千円拂つたくらいのもんで、スピーカーも党員の誰かが無償で借りて來たものだと思います。電線を吊つたのも出入りのラヂオ屋さんがやつたんで、実際の費用は掛つていないでないかと思いますが、大会の費用の点においては新鋭大衆党の中心としていた中川勝太さんに訊にて頂けば分るのではないかと思いますが……
  376. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木大衆党なり更生会なり家の財産の整理のために、一時拘禁を執行停止されて、家へ帰りましたね。
  377. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) はい。
  378. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 帰つて凡そ四十日家におつて財産の整理をしたが、その整理の仕方、整理のやり方によつては、こんなに日所を要しなくても整理ができたのではありませんか。
  379. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) それは私は全然合つておりませんから、知りません。どのようなことを整理のためにさせたか、又どのような理由のために執行停止になつて出たか……というのは、私はなるべく眞さ木んと合うことを避けざるを得ない立場にありましたので、私は殆んど会つておらんのでして……
  380. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 避ければならんという理由はどういうのですか。
  381. 齋藤正久

    証人齋藤正久君) 結局、われは、進駐軍の方から私も再三調べを受けましたので、成るべく眞木さんに会わん方が宜いだろうと私は言われておるのです。進駐軍の、肩書は存じませんが、直接調べに來ました方が、齋藤さん、あんた会わん方が宜いでしようと言われておる関係で、会えば又、私と眞木のを知つておりますから、齋藤が又参謀で詰らんことをやりやせんかと思われても残念でもあるし、世間から見られざるを得ませんし、誠にどうも冷いようですが、私は会はなかつたのです。その方が本人の爲にも宜いし、又自分の爲に宜いと思いまして……
  382. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 大分長い間御苦労でした。これで用済みです。休憩して午後二時から開会いたします。    午後零時四十分休憩    —————・—————    午後三時開会
  383. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 午前に引続いて小委員会を再開いたします。本日の証人として予定していました中川勝太は、住所が相違していたため出頭の通知が、送達できなかつたらしく、本日出頭しました証人齋藤正久のいうところによれば、昨夜同人が近所に住む中川を訪ねて、参議院から証人として出頭を命ぜられていることを話したが、中川のところへは何の通知もないというので、先程委員部のものが出頭通知を持つて中川のところへ行きましたところ、同人は今朝茨城方面に出張して、明後日でなければ歸らないとのことです。それで、不出頭の証人佐久間は、本日出頭の証人大塚と同じ関係ですから、これを取調べないこととし、証人中川は次回に喚問することにいたしたいと思いますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  384. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それでは、そのようにいたしまして、次回の小委員会は八月二十五日午前十時から開会いたします。次いで今まで当小委員会調査しました資料に基いて一應の調査の結果について御協議願います。尚この資料の眼目は速記録に残すことにいたします。では本日の小委員会を散会します。    午後三時十二分散会  出席者は左の通り。    委員長     鈴木 安孝君    委員            大野 幸一君            鬼丸 義齊君            松井 道夫君   証人    前大衆党員   齋藤 正久君    新鋭大衆党党員    大衆新聞記者  大塚 廣男君