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証人(本多武雄君) これは、解散の理由となりましたことが数点あるのでございますが、第一の点は、昨年の一月でございましたか、
新鋭大衆党の党員の
佐久間、
大塚、この両名の者が、いわゆる二・一攻勢の際に、産別の議長の
聽濤を刺した
事件がございます。それでこの点がこの團体の性格を現わすものとして採り上げられたのでございますが、何故その当時これを解散させずに、その後十二月にな
つてこれを解散さしたかということが先ず第一点であります。その二月の当時も、一度解散のことが議に上
つたのでございます。当時私はまだ
調査局に在任をいたしておりませんで、前任者の時代でございますが、課長は代
つておりませんでした。その当時の全般的な國内の風潮から、これを解散させる程の
暴力行爲とは認定せられなか
つたのであります。それで、その後
新鋭大衆党はそれによ
つて一躍有名にな
つて、我々の
調査局におきましても、これをよく
注意して見なければならない團体ということにな
つたのでございまして、その後の情勢を段々見てお
つたわけであります。そうすると、その直後でございましたか、
新鋭大衆党の機関
新聞のような「
大衆新聞に」に、
聽濤を刺しました行爲を、非常に英雄的行為なるがごとくこれを賞揚するような記事が載
つてお
つたのであります。それからその後、時期ははつきりと今記憶にございませんが、
新鋭大衆党の党籍にあ
つた者……、党籍と申しましても、極めて
雜役に從
つてお
つたような者でありますが、それが自動車強盗を働いたのであります。それはたしか、その
雜役夫が自動車を途中でかつぱら
つて、その運轉手を殺して、そうしてその自動車を
新鋭大衆党の本部へ持
つて行つて、党の
幹部であ
つた平原という名前の者であ
つたと思いますが、その平原に、この自動車を賣却して貰いたいというようなことを頼んだ。ところが、それには平原は應じなか
つた。この点、
ちよつと私記憶にありませんで、タイヤだけだつとか何とかということを、今
ちよつと漠然たる記憶にあるのでありますが、そうい
つたような
事件が一つあ
つたのであります。それから
浅草で、大した
事件じやありませんけれども、
眞木及びその
子分による恐喝類似の行爲が
相当あ
つたということです。これらの点を綜合いたしまして、
新鋭大衆党なる團体は、
勅令第百一号、これは進駐軍の指令に基きまして、
昭和二十一年の二月二十三日でしたかに出ましたところの
政党結社等に関する
勅令でありますが、この
勅令の第一條の第一項の第七号、一番末項でありますが、たしか
暴力主義的性格により政策の變更云々という事項であります。それの後段に照して、これを解散せねばならないと決定いたしました。これが解散の一番大きな理由でありますが、その他にも
新鋭大衆党は、その
勅令違反行爲を若干犯しております。それは主として屆出違反に関する事項であります。その屆出違反の一つは、党員の数に関する屆出の違反であります。
新鋭大衆党は、確かその創立当初と、その後一回、合計二回屆出をしておると記憶しておるのでありますが、その両方の屆出によると、党員が百五十何名かにな
つたと思いますが、
新鋭大衆党をその後
調査する
意味で、十二月の初めでしたが、
眞木に出頭を命じたわけであります。当時の
調査局長西村直己が出頭を命じたのであります。そのときに彼が持
つて参りました党員名簿、これは正式に屆出の形にしたものではありません、ずらつと名簿式に書いたものでありますが、それによりますと、正式に屆出をしておりますものよりも、数十名多くな
つておる。この党員屆出に関する違反が一つ。それから財政に関する屆出の違反があ
つたのであります。それは
新鋭大衆党の党費の屆出、これは一万円という屆出が一回あ
つたのであります。ところが進駐軍の方で直接調べたものであるらしいのでありますが、進駐軍のG・Sの方に出ております党費の屆出には、たしか数万円の記載があ
つたと思います。大体
政党というものは、一千円以上の
政党に対する献金は、これを所属の市区町村長に屆出なければならないが、その正式な屆出がない。この財政に関する違反が一つ。それからもう一つは、
新鋭大衆党には支部があ
つたわけであります。その支部は、確か青森に一つ、それから仙台に一つ、それから三多摩。青森の分はどうも不確実であります。併し仙台の支部は結成せられたという確かな情報があ
つたように記憶しております。それから三多摩の支部も現実に存在して、一種の党活動をや
つてお
つたわけであります。この三つの支部に関する屆出がない。これらの屆出違反が
新鋭大衆党にありました。それでこの一つは、團体の性格を現わすところの、いわゆる
暴力主義的な性格、これが
勅令百一号の第一條に関するもの。それから屆出違反の点がある。その両者を合せて、これを解散するという結論に達したわけでありますが、その当時、これをどうしても解散させなければならないところのいろいろな
事情がその外にも、
ちよつとそれは申上げにくい点もあるのでありますが……