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1948-07-17 第2回国会 参議院 司法委員会眞木事件に関する小委員会 閉会後第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十三年七月十七日(土曜日)    午前十時三十二分開会   本日の会議に付した事件   ————————————— ○眞木事件に関する調査の件   —————————————
  2. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 昨年に引続いて小委員を開会いたします。桑原さんは何とおつしやるのですか。
  3. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 桑原龍象と言います。
  4. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 委員会証人としてお尋ねをすることがありますから、その尋問点をそこに挙げました。宣誓書宣誓して頂きたい。それを朗読されまして、宣誓を朗読……    〔総員起立証人は次のように宣誓を行なつた〕    宣 誓 書  良心從つて眞実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。   証人        桑原龍象
  5. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) これでよろしうございますか。それでちよつと私は耳が不自由なところがありますから、成るべく近いところがいいと思いますけれども、近いところが……
  6. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 桑原龍象とおつしやるのですね、年齢は。
  7. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 六十七才、明治十五年十二月二十日生れです。
  8. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 住所は。
  9. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 目黒区中目黒三丁目千四十二番地です。
  10. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 職業は。
  11. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 職業は今は……そうですな、この間機構の改正で名前が変りましたけれども、警視廳警察技師となつています。普通通称警察医と呼んでいますがね。
  12. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) いつから警視廳警察医ですか。
  13. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 警視廳に初めて関係したのは大正四年ですけれども、本式に入つたの大正十一年の四月八日の辞令です。大正四年四月八日、そのときは防疫医で入つたのです。
  14. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 初めて警視廳に入られたのは。
  15. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) その前入つたの臨時ですね。大正五年と六年、七年です。いろんな事件がある度に臨時傳染病のときとか防疫医とかでやつたのですね。それはまだ本当の警察医ではなかつたのですね。
  16. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 学校はどこを。
  17. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 学校は私ちつとも出ておりませんね。熊本のずつと昔の医学校と、東京にある日本医学校に籍を置きましたけれども、あれは皆私立学校で、内務省試験を受けるための準備ですから、ほんの僅かな期間ですね。それから講習会などに行つて独学したわけでございます。
  18. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 内務省試験を受けたのはいつですか。
  19. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 取つたのは前期と後期とありますがね、とにかく医者になつたの大正四年の四月だと思つております。免状は丁度五月になつておりますね。大正四年ですな。
  20. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 開業医になられのですか。
  21. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 開業しました。開業したのは大正七年ですな、七年のやつぱり六月でしたか。そうして十一年の三月一ぱいやつてました。
  22. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木康年というのを御存じですか。
  23. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) あれは今年の一月の二十日に警視廳の私の部屋診断室で初めて診ました。一月二十日に。
  24. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その前は知らない人ですね。
  25. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 知らない人です。ただ新聞で、或いは議員の候補か何かであつたのですね。眞木康年という名前は存じております。
  26. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 今年の一月二十日に診察をされたわけですね。警視廳でこの一月二十日に。
  27. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 一月二十日に刑事が連れて來て、私の部屋で診察して呉れというので診察したのですな。
  28. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) そのときの病状はどうでした。
  29. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) そのときの病状は、書類で提出したのと同じです。尤も念のためにこつちにも書いて來ましたのですけれども。
  30. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それをおつしやつて下さい。
  31. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 先ず医者としてどうですかと聞きますと、向うの愬えば、頭が痛くて、めまいがして、胸が惡くて、お尻の方から血が出る。それから眠れないと言うのです。
  32. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それからあなたが御覧になつては。
  33. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 私が診まして、年を聞きますと三十六歳という。既往症に遡つて、では失礼ですが性病をやつたことがありますかと聞きました。それから梅毒をやつたかということを聞きました。それから六〇六号を何本ぐらいやつたかと言いますと、余り沢山つていないらしい、先づ既往症はそれぐらいにして、それから血圧を計りました。そのときは百八十あつたと思います。それから脈が八十ぐらいですな。熱は無論七度以下でした。それから今度は目をつぶらせて見ますと、とにかく非常に慄えるのですね。眼瞼唇腺の蓄積といいますか、慄えるのでよ。そこで皮膚をずつとなんでやつて見ますと、皮膚紋面症眞赤になつて跡がなかなか取れない症状がある。尚左の腱反射を見ますとやや亢進しておつたのです。その他においては、それから心臓が少し不順ですけれども大したことはない。心配することは血圧だけだろうと思います。恐らく血圧の高いのは性病から來たものだと思います。性病の不徹底な治療から來たものだと思いました。そうして差当り藥をやつたわけです。
  34. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) そのとき藥をやつたのですか。
  35. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 粉藥二日分頓服二服やつのと思います。その藥は警視廳の藥を無料で私が拵えてやるのです。今藥剤師がおりませんから。
  36. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それは血圧の高いのを下げるという……
  37. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 血圧が先ず高いからそれを下げるのと、便通よたくし、胸苦しいと言いますので、それを治すためためにハセスロールと後は胃散を混ぜて、あそこでは一種しかやりません。水藥はやりませんから皆粉だけです。頓服は夜よく眠れるよるようにパルビタール、カルモチンと同じような眠り藥頓服としてやつたのです。それだけです。
  38. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) そのとき眞木の方か又は刑事から、眞木警視廳へ拘留になると、三日ばかりの間断食したということをお聞きになりませんか。
  39. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 私はそのときは、後で書類によつて見ましたけれども、病状との関係を見ましたけれども、そのときは食事をしないということはうつかりして聽ておりませんでした。ただ、警視廳に來る多くの人間が、皆三日くらい食べられないような氣がしますね。相当な人が來ておりましたが、皆食事をしないのが多いですね。伊東ハンニでも、それから関根組でも、どうも食事をしないですね。三日くら食べないのはざらにあると思いますね。今でも一人そういうのがおります。私は食べなければ食べないでいいのじやないかと言つておりますけれども、三日くらい食べないでもよいだろう、胃の工合がよくなるなんと言つております。
  40. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その食べないことと、一月二日の病状というものとの関係はないですか。
  41. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 私はないと思います。明らかにないと書きましたけれども、ないと思います。ただあの中の、留置所雰囲氣と言いますか、よそから來たら御飯は食べられますまいな。
  42. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 断食のことについて何か眞木言つてつたということをお聽きになりませんか。断食するとすれば、自分が斃れるか片山内閣を倒すかというようなことで、断食するのだというようなことを廣言しておつたということは……
  43. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 私は断食のことについては、初めから私の記録にも書いておりませんが、今度初めて知つたのですが、食事を攝らないのは、相当の人なら当り前だと思つております。警視廳へ來てから直ぐは何も食べられないらしいのです。
  44. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 血圧の高いということと、警視庁に拘略されておるということは、何か関係はありますか。拘略されておるために高くなるとか。
  45. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) それはございますまいな。多少五つとか六つくらいの差は、その人の心構えとか環境の変化によつてありますけれども、私はないと思います。恐らくその前から高かつただろうと思いますね。併しこれはいろいろなことで、まだそれについては外にも何がありましたけれども、十や二十や三十くらいはよく違うそうです。三十代で高いのはまあどつちにしても性病が原因しておると見るより仕方がないだろうと思いました。但し血液の檢査なんかいたしません。そういう何がありませんから。
  46. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その際一月の二十日に診断されたときに、診断書をお作りになりましたね。
  47. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) ええ書きました。
  48. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) これは誰から要求があつて……
  49. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 私は警視廳人間ですから、警視廳、の取調べの当局か裁判所のかで言つて來なければ書きません。よく弁護士から書いて呉れと言いますけれども、未だ曾て弁護士や個人に渡したことはありません。必ず刑事に渡して、あなたの主任にやつて呉れということを言つております。
  50. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) この診断書はそうすると警視廳の方から言われて書かれたわけですか。
  51. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) そうです。何の方から、取調べ主任の方から來た刑事が、とにかく書いて下さい。主任承知かと言つたら、承知です。それで私の書くのはすべて無料ですから、成るべく面倒なものを書かないようにしておりますけれども、どうしても何かというと診断書を要求して、そうしてそれを私の医者責任に持つて行くつもりかどうか知りませんけれども、どうもそういう傾きがあるようですね
  52. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その後診断しましたか。
  53. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) それから二十二日に又診ました。
  54. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) そのときの病状は。
  55. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) そのときは別に二日前に診たばかりですから、血圧も計りません。ただ脈と聽診器で診て、藥をやりました。それから今度越えて二十七日、五日置いて又來たのです。
  56. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 二十七日。
  57. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) ええ。
  58. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それは。
  59. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) そのとき又診断書を書いたのです。それは恐らく前のと変りはないと思いますね。血圧を計つたら二百あつたと思います。そうしてそれを書いたら、その日裁判所から電話が來たのです。
  60. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 裁判所電話はどうでした。
  61. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 電話眞木康年病状と、それからあれは堪えられるか堪えられんかというようなことを聞いたと思いますね。危險があるかないかですね。それから私の返事はどうも何とも申上げられません。血圧が二百あればいつ脳貧血を起さんとも限らない。併し二百以上あつても活動しておる人は沢山あるから、とにかく脳貧血を起すとも言えない、起さないとも言えない、恐らく神ならぬ身の誰でも脳貧血を起す起さないということは言えないと思いますね。高いから要心をしなければならんから、十分治療をしなければならん。拘禁に堪えるとか堪えんとか、そんなことは聞いておりません。ただそれだけです。ただどうですか、危險ですかどうですか。危險とも言えんし、危險でないととも言えんけれども、はつきり言えないと言つたのです。ただ血圧が高いからということを言つたのです。診断書にはそういうことを書きました。
  62. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 血圧が高いだけが……
  63. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 外にこわいことはちつともない、血圧が高いだけがこわい。外の一般の病状に対しては何もこわくない。
  64. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その二十七日に診られたというのは、やはり向うから刑事が付いて來たのですか。
  65. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 私のところへ來ますのは必ず刑事が付いて來まして、そうして向う診断書を書いて呉れというときは丁寧に診ておる。そうせんと不断血圧は計らない、それですべての診方も、私が今三人おつた医者の中にたつた一人しかおらないので、短い時間で周圍の雜然たるところで診ますから、精細な診方はできません。外のところでは皆予備室があつて、そこに患者を置いて一人ずつ診ますけれども、私のところでは人が一ぱいやつて來てどさどさしておるので、その横の方で診ますから、それといろいろな檢査材料がありませんから、面倒なものは大体警察病院に向けるようにしております。
  66. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 結局そうすると血圧が高いから拘束して置いてはいけないというわけもないが、血圧の高いところから見ると危險が発生しないとも限らない。
  67. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) そうですあれは拘束ができるかできんかということの質問はなかつたのですけれども、後で言われたときは、それはできますと言いました。
  68. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その程度ではどうしても拘束してはならんという……あなたの御覧になつた病状では、どうしても拘禁して置いてはいけないというなものはなかつた……
  69. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 二十七日の病状では拘禁して置いてはいけないということはないです。
  70. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) そこまで行つていないのですか。
  71. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 行つておりません。私はどうせ何かの事件があつて來ておるのだかから、止むを得ないという頭を持つておるのです。よく皆が釈放してくれといつたようなことを運動して弁護士が來ますけれども、取調中は仕事がないじやないか、自分の家にいるよりま惡いし病院に入るより惡いのは決まつておるけれども、それは止むを得ないじやないか、そういう考えを持つているのであります。私の自分の今のやり方としては不断咯血とか吐血があることと、急性傳染病の疑いのあることとそれから高血圧の持続以外には、ちよつと出さないでもいいと私は考えているのです。
  72. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木事件については弁護士の方から話はありましたか。
  73. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 私には眞木のときは弁護士は來ないようでした。小津なんかのときは顧問弁護士にも会いましたが、ほかのときは弁護士は來ないようです。それからその事件で後で裁判所に一遍呼ばれました。それは日を覚えませんが、檢事局に呼ばれました。
  74. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) どういうことで呼ばれたのですか。
  75. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 眞木のことをやはり間かれました。それで私の診断書に書いたと思うのです。ところが診断書ですね。私の書いたのを持つてつて聽いているのですが、そこで今お話した以外は言わなかつたです。
  76. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 二十七日、あなたが診断書を書かれたときに裁判所から電話が來たというのは裁判所の誰か分りますか。
  77. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 大抵直通電話でしたから、私は名前は聞きませんが、裁判所書記でないかと思います。とにかく向うでは、裁判所では判事とも檢事とも言わず、裁判所というのですね
  78. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) あなたとしては係の書記と思う……
  79. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 警視廳直通電話だから裁判所関係に違いないと思つて私は答えたのです。
  80. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 警視廳に拘留して置くよりはあれはどつか拘置所の方にでも移すといつたような話はなかつたのですか。
  81. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) あのときはそういうことは聞きませんでした。拘置所に移すとか何とかいうことはあのときは聞きません。
  82. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) あなたの方で警視廳におれば、いろいろ部屋関係やなんかで余り病氣にはよくないから拘置所の方に移したらようということも考えられたこともないのですか。
  83. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) それはなかつたですね。併し私は不断はそう考えております。警視廳留置所より拘置所行つた方が余程樂だと思います。この頃入浴もできるし、運動も警視廳の中はできるのですが、以前は警視廳警察留置所は惡かつたと思うのです。外は作業はさせます。病院はあります。專任の医管があつて何でもできますのですが、拘置所は……警視廳はそうでない。ただ夜間にできたら、麹町の医者が私がいないときは臨時にやりますけれども、午前八時から四時……九時から四時までというのは私ひとりだけですから、下までは見に行かないのです。成るべく連れて來いと言つております。ときどき騙されて地下室まで行きますが、ひどく惡い病状といつて……眞木じやないが、そういうことはあります。
  84. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 何かお尋ねになりますか。
  85. 大野幸一

    大野幸一君 二十七日の裁判のときにはただ病状を聞いただけで、これは警視廳に拘禁して置いては面白くないという程度のことについて話はなかつたですか。
  86. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) そのことは電話で聞かなかつたような氣がしますね。
  87. 大野幸一

    大野幸一君 あなたは永年おやりになつておりまして、裁判所から問い合せのある目的というものは、警視廳に置くのがよいか、出さなければならないという目的裁判所問い合せる。それが普通のようですが、それが一番大切だと思うのです。病氣程度は、これは保釈してもいいかどうか、保釈しなければならないか、この点について裁判所から全く何にも聞かなかつたですか。
  88. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 保釈はできませんが。ただ向うの方では危險危險じやないかと念を押したのです。私もはつきり言質は與えない、警視廳では……それは危險とも言える、危險でないとも言えると、そういうことで私の方は逃げる。断定しては私の立場としてはまずい立場があります。
  89. 大野幸一

    大野幸一君 それじやお医者價値がありませんね。
  90. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) そうですが、とにかくどつちかと言えば、拘束に堪える、併しなんでしよう。ここに熱が二十九度あるとしますね。この熱は治療して見なければ下るか下らないか分りません。明日になつて見なければ分りません。そういうことを言います。まだとにかく三度しか診ていない、そんな風ですから、血圧が高いから腦溢血を起すかも知れない起きないかも知れない。二百で起す人もある。百六十で起さない人もある。私に医者價値がないとおつしやればそれまでですけれども、今までは向うの方から拘束できるかできないかと言えば言いますが……昨日もそういう例が一つありました。
  91. 大野幸一

    大野幸一君 そこで拘束して置いていいか惡いか、拘束を堪える病状か堪えない病状かという問い合せがあつたときは、眞木の場合にあなたは……
  92. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) それは拘束はできます。そういうことは言わなかつた裁判所では言いました。併しなんの方では、電話では言わない。
  93. 大野幸一

    大野幸一君 裁判所から電話が掛かつたとき、自分裁判所判事とも書記とも何にも言わないで、裁判所からという電話つたのですね。
  94. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) そうです。大抵書類には判事とかたまには書記と書いてあります。そういうのを一應取つております。昨日一つ、これは参考にお話しますが、判檢事の方で警察に堪えない。それで診断書を書けば、これは自宅療養を許していいという事件があつたのであります。で、診たところ所見がない、慢性モヒ中毒既往症、現に少しむくみのあることだけ書いて、その他所見なしと書いて簡單な診断書をやつて、それを持つてつたら、これではどうもしようがないからと言うて、又なんの方に送るようにしたら、これが少し利き過ぎてひつくり返つちやつた。それで大分葡萄糖の注射をやりました。一種のショックを受けた。本人出されると思つたら出されない。急にひつくり返つた。私は三度往診して、看護婦が四度行つて注射したが、それがちやんとして小菅に行きました。私の考えでは犯人でも弁護士でも裁判所でも、我々の方にねだるような氣がしてしようがないのです。
  95. 大野幸一

    大野幸一君 それはあなたがお医者さんであるから、お医者さんに頼るよりないが、あなたの責任において良心に從つて答えて貰いたいと思います。そのときの良心によつて答えて貰いたいと思います。
  96. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) ところが、これは拘束に堪えるとか堪えないとか書けません。今後も書けません。
  97. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 二十七日のあなたの診断書ですね。これは最後にこういうふうになつておりますね。「血圧は最高二百に達せし故突発的危險襲來を防ぐために十分深甚注意医養を要するものと認めます」こう結論しておりますね。
  98. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 突発的危險というのは腦溢血です。無論駆黴治療もやらなければならない。藥も要する。治療は要します。併し本人の興奮するのもいけない。医者治療だけではいけない。本人心構えもよくなければいけない。病氣の藥だけでは駄目だ。心を冷靜に落付けて言うべきことを言つて、そうして待つたらいいだろうと私はいつも言うのであります。
  99. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) そこで高血圧では腦溢血が突発的に発生する危險があるであろうということが書いてありますね。
  100. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) いや違う。それは何ですね、発生することもあり得るという意味で私は書いたのですね。注意を要望するためと、私の文句は大抵それに決まつております。それはほかのを御覧になつたら、世間に対しても外に対しても大体結論は同じだと思います。
  101. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 裁判所であなたに電話を掛けたのは、結局拘束して置くことのできないような病状だかどうかということを確かめるためにこう言つたのだろうと思いますのですね。あなたのそれに対するお答えは、危險が発生しないとも言えないし、又発生するとも言えないだろうというような……
  102. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 腦溢血は來るか來ないか、それは言えませんですね。それは來るか來ないかということは、恐らく私は言えないであろうと思います。現に一つ今扱つておりますけれども、例の問題には、或る專門医が診て、電氣振動などですべてを診てこれは重労働に服するならば忽ち生命を損ずるだろうと、東京の有名なお医者さんが書いたけれども、分らないですね。
  103. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 結果においてはそういう危險が発生しないことあるが、又その危險が発生したからといつて診断書の書き方が惡いというわけでもないのですからね。ただこういうふうに書かれれば危險が発生することが予想されるように見えるのですね。
  104. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) そうですか、そういうふうに御解釈になるかも知れんけれども、とにかく予想される危險の來ることもあり得る。來ることもあり得るということなんですな。來ることもあり得る。無論來ないことの方が多かろうとは思いますけれども……私自身もとにかく血圧の高かつたことはあるのですから……
  105. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 警視廳におられるのだし、実際病人を診られるのだからして、拘束して置くことがいいか惡いか、拘束することは生命危險関係があるというようなことの判断というものは、あなた方の御職務になつておるようなものですからね。裁判官の方では分らない、頼りにするのはいわゆる……
  106. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) ちよつと申上げますけれども、拘束することは惡いことは決まつてますけれども、併しそれは言えないと思うのですね。その人の何か罪状なり刑罰がそうなつてから、それは自宅におるような病院におるような……一つの例ですけれども、関根の問題が順天堂で計つたのは百七十、私が計つたのは百八十、進駐軍で計つたら百九十あつたというのです。その差はどこに持つて來るかというと、私はこう考える。順天堂私立病院であるし、本人は軽い氣持で計つた。私のところでは多少緊張して計つた。今度は進駐軍に行つたらもつと緊張しておるからそんなに差ができたのではないかと、一つですが、そういう例がありましたでのすがね。私はそういうふうに解釈しておる。尤も計る時間、機械、いろいろ違いましよう。けれどもとにかくそれくらいのことは、二十や三十は変動があることを幾らもあります。現に或る人間で百三十、百四十が、間もなく二百になつて倒れた。開業医の博士が來て二百であつた、そういう例がありましたが、間もなく百三十、百四十になつて、やつぽり脳溢血ですけれども、ちやんと生きておることもありますですが。
  107. 松井道夫

    松井道夫君 三十五、六歳になると普通は血圧はどのくらいか、幾つですか。
  108. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 本を見ますといろんなことが書いてありますけれども、誰でも言うのが、九十に年齢を加えたというのが普通ですが、百二十から百二十五ぐらいは普通ではないでしようかな。
  109. 松井道夫

    松井道夫君 痔のために出血して血圧が下ることがありますか。
  110. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) それはあるだろうと思います。鼻血が出たり、それから出血があつたり、女だと子宮出血があつたりしますと、出血した場合と同じだと思います。私は開業しておりませんけれども、極く懇意な者に頼まれて行くことがあるけれども、脳溢血の人で百八十あつた血圧が五十から八十減ると、本人の氣分がよくなつておる。女でそういう例があります。出血すれば確かに下り得ると思います。
  111. 松井道夫

    松井道夫君 この眞木康年に関する診断ですね。これに関連して弁護士さんから先程なかつたというお話ですね。家族の者或いは縁故者から請託のようなことはありませんでしたか。
  112. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 家族はあれの娘というのが診断書を僕に貰おうと來たようでしたね。娘というのが、ところが三十六歳の者の娘としては変だと思いましたけれども、後で刑事に聞きますと、あれは連れ子だと言つておりましたね。それからもう一つ医者には会つたことがあります。
  113. 松井道夫

    松井道夫君 その者からどんな話がありました。
  114. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 医者からですか。
  115. 松井道夫

    松井道夫君 医者乃至は……
  116. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 医者からは何を聞いて來たのです。私の診断はどんなふうかと聞いたから、僕はこんなふうだととにかく見せてやつた
  117. 松井道夫

    松井道夫君 その娘からは何か……
  118. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 娘は立つていて、外の女がもう一人おつたというので、娘とは殆んど話はしないのです。
  119. 松井道夫

    松井道夫君 娘から直接何かお願いを受けたことはありませんか。
  120. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 直接……ありません。
  121. 松井道夫

    松井道夫君 そのお医者さんというのは服部というお医者さんですか。
  122. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 服部甚平です。それは存じております。それは私が象潟の警察署に十年おりました。象潟警察を担当して昭和十八年の機構改正になるまで、九月一ぽい象潟警察におりました。服部甚平というのは町会長で、病院を持つておりました。町会長ですからいろいろな事件ちよちよい集まるし、私は警察医として傳染病とかいろいろ檢査をしてやつてつたので存じております。
  123. 松井道夫

    松井道夫君 そうして診断書をあなたが書かれたことについて、それに関連して何か家族の者その他からお礼とか……まあお礼のような趣旨で金品など受けられたことがありますか。
  124. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) それはなにから持つて來ましたね。服部甚平の事務長として、ちよつと名前は忘れましたけれども。
  125. 松井道夫

    松井道夫君 服部甚平の事務長として、お医者さんの事務長……
  126. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 事務長が、それはその事件ではなくて、服部甚平が逮捕された後ですよ。服部甚平が逮捕された。それから事務長が來ましてですね。うちの先生がとにかく逮捕された。それでそのときに饅頭を五つ持つて來ました。
  127. 松井道夫

    松井道夫君 饅頭を五つ。
  128. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) これらくいの饅頭を五つ置いて行きました。それから看護婦が二人いて一つずつと給仕に一つ、とにかく五人で一個ずつ食べたのであります。
  129. 松井道夫

    松井道夫君 その事務長が來たのは、どういう趣旨で來たのですか。
  130. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) その事務長は、その男は私は知らなかつたけれども、とにかく服部が拘留されたので、びつくりして來たのですな。
  131. 松井道夫

    松井道夫君 來るそのときはどういう話がありました。
  132. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) そのとき私の診断書をどういうふうに書いてあるか。こうこうと言つた
  133. 松井道夫

    松井道夫君 先程診断書というのはそのことですか。
  134. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 何で引張られたのですかと聞いたら、虚僞の診断書だと言うたのです。後で医者が診たときは血圧が低かつたそうです。私の檢事局に呼ばれたのはその後です。そのときに私は弁明しました。
  135. 松井道夫

    松井道夫君 外に今の家族乃至は眞木の縁故者から何か金品などを。
  136. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 全然ございませんですね。ただその饅頭を五つ持つて來ただけ。その時分は饅頭もなかつたし、とにかく五つそのとき確かに皆で食べました。それ一回だけですな。
  137. 鬼丸義齊

    ○鬼丸義齊君 眞木血圧の高くなつたことは拘禁によつて高くなつたのであるか。或いは既往症として、その程度の高血圧症に罹つてつたのであるか。
  138. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) ただ私は拘禁によつて高くなつたことはそれは五つや六つなることがあるんです。それは性病関係だと考えました。
  139. 鬼丸義齊

    ○鬼丸義齊君 あなたの診断によつては、当時、あなたの診断のときに俄かに、高くなつたというようなふうな感じをお持ちになつたことはないですか。
  140. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 俄かに高くなつたのですか……  初め百八十、その次が二百でありましたけれども、今まででも、二十や三十の動搖は普通にありますから、恐らくこの前から高かつたのではないかと思いますがね。
  141. 鬼丸義齊

    ○鬼丸義齊君 特に拘禁によつて血圧の昂進しているようなふうにも見なかつたのですか。
  142. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) そう、あんなところにおれば、本人の氣もいらいらするし、皆不眠症を愬えておりますから、多少十やそこらは上ると思いますけれども、とにかく三十代の人間で百八十とかそんなことは出ないと思いますね。
  143. 鬼丸義齊

    ○鬼丸義齊君 あなたが最初見た時分には百八十あつた場合があつたのですね。
  144. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 一番初め百八十、その次二百に達したから血圧が高いとき、二百に達したと、御存じの通り、無論これは最低血圧を計るということもむずかしいし、それはただ私の参考のためにやつたのです。
  145. 鬼丸義齊

    ○鬼丸義齊君 大体血圧とは、最も危險な極度の血圧というのはどのくらいのものですか。
  146. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) それは百六十で脳溢血を起して死んだ人がありますし、百八十を高血圧として書いてありますけれども、私の友人で、二百で仕事をしているのが沢山ありますけれども、これは皆頓死しております。まあ二百以上あつたら……
  147. 鬼丸義齊

    ○鬼丸義齊君 危險ですが。
  148. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) しよつちゆう計つて見て二百以上あつたら大いに警戒しなければならんですね。それは二百以上あつても活動している人もありますが……
  149. 鬼丸義齊

    ○鬼丸義齊君 二百五十の人もありますか。
  150. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) あります。
  151. 鬼丸義齊

    ○鬼丸義齊君 それ以上の人もありますか。
  152. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 私まだ体驗していませんけれども、本を見ますと、もつと高くて何ら症状ないということが書いてあります。前の井口氏も二百以上あつたのですが、どんどん仕事して、奥さんの不在中に湯に入つて亡くなつた。外の友達の警察医でも署から帰つて來て靴の紐を解くときに死んだとかいろいろありますが、それは酒を飲んだり、夜更かししたり、頭を使い過ぎたためにあつただろうと思います。私も以前百八十以上あつたことがありますけれども、それは五十代でそうだつたのですところが今は百三十幾つに下つております。
  153. 鬼丸義齊

    ○鬼丸義齊君 そうするというと、血圧の二百に達しまするというと、少くとも赤信号ですか、危いわけですな。
  154. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) それは一遍ではいけないですね。血圧は一遍や二遍で結論を下すわけには行きませんから、午前にも計り、午後にも計る、いろんな場合に計つてしよつちゆう計つて、そうだつたらなんですけれども、あの地下室から私の室まで上つて來て、本人も興奮しているので、一遍や二遍では大した参考にはならんのです。ただ私の参考にするだけのために計るだけのことで、血圧自身そう重きを置かれないと思います。
  155. 鬼丸義齊

    ○鬼丸義齊君 併しながら少くとも二百であることが危險であるとすれば、ただ一遍の血圧を計るだけでなく、数回やはり危險であるかどうかということを御覧ならなければならないんじやないですか。
  156. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) それは時間がありますればそうしなければならんと思うけれども、とにかく派の模様、すべての模様を診て、血圧が高くても、外の状態がよければ、止むを得ないと思います。私は何回と診るということはできない。一遍來て御覧になつて見れば分りますけれども、警視廳診断書なんか、巡査の公傷の診断が商賣……商賣というとなんですが、近來模様が変つたものですから、終戰以來は留置所の皆が診て呉れといつて來ます。多いときは七十四患者があるのです。留置所や巡査の診断だけで、その外に消防の体格檢査、いろいろなものものを持つて來ますから、実際人手はなく、なかなか詳しいことは、できないと思いました。重いと見たら警察病院に向けてやる。留置所の者でも警察病院に向けてやるのであります。
  157. 鬼丸義齊

    ○鬼丸義齊君 血圧が上るというのは、生理的に上ることが多いですか、精神的に上ることが多いですか、どちらかですか。
  158. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) それは生理的に上ることもありますけれども……
  159. 鬼丸義齊

    ○鬼丸義齊君 眞木の場合は、精神的の部類ですか、生理的の部類ですか。
  160. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) それは梅毒のあるために……。それから十や二十の変化は、精神的及びまだ不可解なところがあるだろうと思いますですね。
  161. 松井道夫

    松井道夫君 今の血圧の場合ですがね、何度も続けて計つて見なければ危險の部分が何とも言われないというお話でしたね。併し平生大して高くない人が何かの特殊の理由で二百を超えたというような場合にも、今の脳溢血なら脳溢血の危險はあるんじやないですか。
  162. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) それは実際危險はあり得ることもありましよう。あり得ることもあるし、その人の不断、平素……或いは警視廳に來る前に幾つあつたか、それから平素の状態を見ていないですから、たまに見ているだけですから、やはり私は診断書に書いた以外には、あれ以外には何とも言えないですね。突発的のズレはあり得るかも知れん。
  163. 松井道夫

    松井道夫君 平生低い人でもあり得るわけですか。
  164. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 低い人は率は少いのでございますから……
  165. 松井道夫

    松井道夫君 いや低血圧の人が何かの理由で二百程度になつた場合です。その場合にも……
  166. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 或いは便通が不整であつた場合でも、前の日に不眠であつた場合でも、ひどく本人が考事した場合でも、一〇や二〇の変化はあり得ると思います。
  167. 松井道夫

    松井道夫君 私は脳溢血の危險なことをお尋ねしておるのですが、平生二百以下の人でも何か特殊の理由で派が急に上つたという場合に、やはり脳溢血の危險はあるわけですか。
  168. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) はあ、あると思います。併しこれは学者でもありませんし、なかなかむずかしい問題だと思います。血圧それ自身でもいろいろな機械での計り方とその時期においては、なかなか……、私甚だどうも不得手のことで、すべて機械なんか去年まで全然壞れていて、それが漸く來たから計つておるような状態であります。
  169. 松井道夫

    松井道夫君 あれからもう一点、今の頭痛であるとかそういつたものは、これは拘禁の結果というように、あなた方考えておられるのですか、どうですか。
  170. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 私はつまり神経衰弱症だつた思つてつたですね。
  171. 松井道夫

    松井道夫君 神経衰弱と拘禁との関係はどうですか。
  172. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) それは多少あり得るだろうと思いますね。
  173. 松井道夫

    松井道夫君 多少の程度ですか。
  174. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) それは多少はあり得るだろうと思いますね。長い拘禁でなく、十日ですから……、來たのはいつ來たのか分りません。聞きもしませんが……。
  175. 松井道夫

    松井道夫君 そうすると、あなたとしては、そういつた神経衰弱の徴候、別に拘禁そのものとは関係ないものとして見ておられたのですか。
  176. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 私はむしろ神経衰弱は性病の方に関係ありと見ておりました。
  177. 松井道夫

    松井道夫君 性病の方に……
  178. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) それで、私はあの男なんかについての投書を見ておりましたけれども、診察中に見ましたら、いろいろ、とにかく体にいろいろななにがあつたのです。
  179. 松井道夫

    松井道夫君 何があつた
  180. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 彫り物や何があつたのです。それで私は、ああこれはと思つて性病のことや何か聞いたんですが、直く認めました。外の人には、いや僕はそんなことはないと言いましたけれども……
  181. 大野幸一

    大野幸一君 眞木康年を、あなたの感じたのでは、右翼團体の親分見たいに感じておりましたか。彫り物見たりして……
  182. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) 眞木は、彫り物見ましたから、これはなんだな、やはり俗にいう街のああいう者で、若いときにもつとやつたんじやないかと思いましたね。
  183. 大野幸一

    大野幸一君 あなたのところに刑事眞木を連れて來たときなんかは、連れて來たのは、好意を持つているから連れて來たんですか。そうして診断書を呉れといつたのは、好意を持つておると想像されるか、どうですか。
  184. 桑原龍象

    証人桑原龍象君) それはなんじやないですか、弁護士か何か言つて要求しておるんじやないですか。私のところに直接來るのは幾らもあります。
  185. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それでは御苦労でした。    〔証人齋藤良治君証人席に着く〕
  186. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 齋藏何と言いますか。
  187. 斎藤良治

    証人(斎藤良治君) 斎藤良治です。
  188. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 今から委員会証人としてお尋ねをしますから宣誓をして頂きます。それを朗読して署名をして下さい。    〔総員起立証人は次のように宣誓を行なつた〕    宣誓書  良心從つて眞実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。           証人 斎藤良治
  189. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 姓名は何と言います。
  190. 斎藤良治

    証人(斎藤良治君) 斎藤良治。
  191. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 年齢は。
  192. 斎藤良治

    証人(斎藤良治君) 四十三歳です。
  193. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 住居は。
  194. 斎藤良治

    証人(斎藤良治君) 足立區日の出町一丁目二千二百九十七。
  195. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 職業は。
  196. 斎藤良治

    証人(斎藤良治君) 職業警察官です。
  197. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 警察官。
  198. 斎藤良治

    証人(斎藤良治君) はい。
  199. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 今どこにお勤めですか。
  200. 斎藤良治

    証人(斎藤良治君) 警察部の監察官附です。
  201. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 警視廳の。
  202. 斎藤良治

    証人(斎藤良治君) 警視廳警察部監察官附です。
  203. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木康年というのを知つておりますか。
  204. 斎藤良治

    証人(斎藤良治君) 知らんのです。
  205. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 浅草の戰災者更生会というのは。
  206. 斎藤良治

    証人(斎藤良治君) それは自動車の拂下げの関係承知しております。
  207. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) そのときは眞木康年ではなかかつたか。
  208. 斎藤良治

    証人(斎藤良治君) それは今度言われたので初めてそういうことを知つたのですね。当時眞木康年という人が代表者であつたかどうかということは知らなかつた
  209. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 誰がそうするとその拂下げについてのことで警視廳と交渉したのです。
  210. 斎藤良治

    証人(斎藤良治君) それは当時大勢戰災者、引揚者とか各團体が押寄せて來た。何々更生会というものは知つておりますけれども、眞木という人が果してそのとき來たかどうか、その点は私知らない。從つて個人的には全然交渉もなければ面識もない。申請に來たとき眞木という人は來たかも分りません。私共の記憶には殘つていないのです。
  211. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 面会したことがなくとも眞木康年という名前は覺えておりますか。
  212. 斎藤良治

    証人(斎藤良治君) それは今度の関係で知つたというのでなく眞木康年という人がいろいろ事件で調べられたということで名前はよく存じております。
  213. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 一昨年衆議院議員の候補者になつて選挙に出たというようなことは。
  214. 斎藤良治

    証人(斎藤良治君) 一昨年のあれ…だしか出たと思いますね。
  215. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その当時のこと覺えておりますか。
  216. 斎藤良治

    証人(斎藤良治君) 一昨年のいつ頃でしたかね。
  217. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 選挙は一昨年の四月。
  218. 斎藤良治

    証人(斎藤良治君) 四月でしたか。我々にはそういうふうな関係がなかつたので、深い関心は持つていなかつた。係が違いますから。
  219. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それじや淺草の戰災者更生会に自動車を拂下げることになつた事情をお話して下さい。
  220. 斎藤良治

    証人(斎藤良治君) これはですね。丁度終戰後連合軍から返還物資というものが日本政府へ返還された。それでその都度連合軍から引取れという指令のある場合と、それから軍が放り放しにしたものをこちらで発見してスクラツプになつたようなものを集結してそれを修理するということが行われたのです。そういう自動車に対しては、必要な重点的方面へ配分するということを申上げましてね。大体何と言いますか、重要な方面、その他戰災者復興、そういうような関係へ配分しろというので、大体の枠によつて処理して來たのです。当時二十一年の書類でいろいろ檢討して見たのですけれども、六月中旬頃多分その頃と思いますけれども、戰災者更生会という名前で、代表者はその当時、後で書類を見たら眞木康平となつておりましたが、その当時眞木康年という者に面識もなければ何もないので、それに対して何と言いますか、個人関係というものは全然関係せず戰災者更生会という、そういう氏名によつて、これは戰災者とか引揚者というものを相当考慮しなくちやいけないのじやないかという考えを持つていた。その当時更生会ばかりでなく、同胞援護会、満蒙援護会とかいろいろな各種の引揚者、戰災者の團体がそういう方面から自動車を拂下げて頂いて、いわゆる戰災者の救済とか更生、或いは引揚者の更生事業そういう方面に使いたいからと申請が相当參つており、これはそういうのをその都度受けてはいろいろ配分協議の際に、そういうリストが出されて、そこに配分されたという結果になつたのです。
  221. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) そのとき配分するという自動車は幾らくらいありましたか。
  222. 斎藤良治

    証人(斎藤良治君) これはその都度あるので、これは終戰後連合会が接收して、それで後は日本政府へ返還されたのですが、実際の状況は軍隊が解散をして自動車を放り放しに行つちやつたんで、或る所では百台も、二百台もある、或る所にはスクラツプ車が二台、三台路上に放り放しにしてあつたという状態で台数はいろいろあつたのですね。
  223. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 警視廳で管理したものは幾台ぐらいあつたのです。
  224. 斎藤良治

    証人(斎藤良治君) はつきりした台数は分らんのですけれども、三千や四千あつたのじやないかと思います。これは私が扱つて、今の勤務は変つてからずつと経つので記憶にはつきり殘つていない。私は丁度昨年の七月二十四日今の監察官附勤務に変つてその方の仕事に專念しておるのでずつと記憶が古くなつて、その仕事を引継いてやつておれば記憶が殘つておりますが、次から次と変つておりますので、その点台数等の正確のところは分らんのです。
  225. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 淺草の戰災者更生会と同じような更生会というものは外にありましたか。
  226. 斎藤良治

    証人(斎藤良治君) ありました。
  227. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 更生会というのは他の方面へも配給したのですか。
  228. 斎藤良治

    証人(斎藤良治君) ええ、みんな行つております。
  229. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) どこへどういうふうにしたということは分りませんか。
  230. 斎藤良治

    証人(斎藤良治君) それはリストでやらんと分らんですね。但し申請の來た團体は殆んど漏れないと言つてもよいのだらうと思います。記憶では。
  231. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 拂下げを受けるについては有償でしようね。
  232. 斎藤良治

    証人(斎藤良治君) ええ。有償です。
  233. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木の方に持つてつたのは幾らで拂下げたのですか。
  234. 斎藤良治

    証人(斎藤良治君) あれは当時小平というところに終戰後連合軍が入りまして、中でもつていろいろな戰車とか、その他の物を爆破した。そういう関係から、そこに殘つた車を方々へ集結してその爆破したものと一緒にぶちこんで置いた、それじや惜しいからというので、そういうようなものを一台々々何とかすれば生きるじやないかというので、中には殆んどボデーだけというのもありますし、それからボデーも一人前役に立たないひん曲つたような車もあつた、中には多少よい奴もあつた。併しこれは終戰後あの当時一年近く経つた、相当古くなつてしまつた、それに対して警視廳の方で連合軍の方へお願いして、中の品物を見させて貰つてそれに対して甲、乙、丙、丁と付けて状況を調べた。向う主任が行つた調べてリストに付けたうちいろいろ配分したのですけれども、戰災者更生会の方に行つたのはトヨタの車で丁に該当するもので、これが当時マル公が三千百円だつたわけです。大体價格委員会で甲はマル公の八割、乙は六割、丙は四割、丁は二割こういう割合で計算しておるわけですね。それで三千百円ですからその二割で六百円ということになつて請求が行つておるわけです。
  235. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それを更生会に拂下げてから何か使用について條件のようなものはないのですか。
  236. 斎藤良治

    証人(斎藤良治君) 使用については、これは最初いろいろ條件を附する予定だつたのですけれども、連合軍の方から早く無登録自動車をなくせ、街にナンバーのない車がうろついてはいかんという口頭で、たしか覚書もあつたと、はつきりしませんが、あつたものですから、とにかく自動車登録をしなければならん。そこで制限を附すれば使えないものは闇から闇へ行つていつまで経つても闇の自動車が街に氾濫するという関係から、これを全部生かさせるという意味で、全部使用することを一應認めた。大体そんなふうにやつて來たのです。
  237. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 更生会が拂下げを受けてから、更生会自身が使わずにそのまま賣出すということはできますか。
  238. 斎藤良治

    証人(斎藤良治君) 今言つたように、こういう関係が出て來るのです。そういうところに拂下げたところが、一旦引取つたところがスクラツプですから、これは実際において相当に修理を要する。修理能力がないと復活できない状況なんです。素人の人にはそのとき自動車があればという考えで持つて行くわけですけれども、持つてつて復活できないということになると、その自動車を持て余すわけですね、これが普通のそこらを走つておる自動車ならそういうことはあり得ないのですが、殆んど丁というと大修理を加えなければ復活できない。そうするとそのうちで最初は取つてつても復活する能力がないということになると外に轉換するよりしようがないというようなことを大分あつちこつちから泣き込んで來た。そういうものは認めております。
  239. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) そういうことを持ち込んで來たものについては認めて他に賣渡す。
  240. 斎藤良治

    証人(斎藤良治君) 認めるということは、そういうふうになつて賣買讓渡されたものが、その後警視廳の方に車輛を使用したいという場合に止むを得ないということで認めた。讓渡するその際認めたということではない。誰々から讓り受けた、実はこういうわけだと言つて來ると、それを抑えても本人にそれを復活する能力がなければ宝の持ち腐れになりますから、そういう場合は事務的にそういう場合でもしようがないという考えでやつて來た。
  241. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 更生会の拂下げた自動車はその後どうなつたか。どういうふうに使われたかということを監督上調べたことがありますか。
  242. 斎藤良治

    証人(斎藤良治君) それは調べていないですね。これはそこだけでなく非常に沢山な数になるのです。それとそればかりでなく、今私達のやつた仕事は自動車の全般のことをやつておりましたから、重要なる各方面の自動車の関係に及んだため個々の奴を一々追及するということはやつていなかつた、但し事業許可を出して來たとき、その点について追及する。使用願が出て來ればその車がどんな理由で出て來るか分るわけです。その際爾後の監督というものが行われるということになるわけです。
  243. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木康年がその後新鋭大衆党というものを作りましたね。
  244. 斎藤良治

    証人(斎藤良治君) はい。
  245. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) そうしてその大衆党で拂下げた自動車を用いたということは知つていますか。
  246. 斎藤良治

    証人(斎藤良治君) 知りません。それでこれはその事務手続の方を申上げると、私達の方では、当時私車輛主任という車の方の主任でしたから大体の計画ですね、そういうことは私達のところでやりますけれども、個々の申請は各係がやつていて、後でこちらで以て大体それがよく行つたかどうかというのを監督上の責任で、それは判を捺しますけれども、一々その申請した人間に会つていないので、或いはその書類が出ているかも知れないけれども、記憶がないのです。出ているかも分りません。
  247. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 自動車は登録してあるのですか。
  248. 斎藤良治

    証人(斎藤良治君) それもよく知りません。
  249. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 拂下げたきりで更生会がどういうふうに使用したか、今お話したように新鋭大衆党のために眞木が利用いたかというようなことも分らんですね。
  250. 斎藤良治

    証人(斎藤良治君) 分らないです。それは沢山あるので、これは一日にえらい数になるのです。申請が五件や十件の割ならそれはもう一々克明に見られるでしようけれども、一日に多いときは六十から八十くらい申請書が來るでしよう。それでそれを短い間にどんどんどんどん判を捺して決裁して、それで大体私達の方の仕事は連合軍のいろいろな仕事を相当言い付かつているので、そういうような方面に重点を注ぐ関係から、そういう一々細かいことを追及するという余裕がないのです。大体正式なものであるかないかという書面の上で以て審査してやるので、或いはその書類が出て來たかも分りません。併し沢山の中で私の今の頭に殘つていない。それで期間がもう二年近くも経つていますから、ちよつと思い出せないですね。
  251. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 現在はその車がどうなつているか分りませんか。
  252. 斎藤良治

    証人(斎藤良治君) それも分りません。これも私はさつき申上げた通り一年もそういう係を離れているので、ただ今日出頭したのは当時の状況を知つているからというふうにこちらの方へ連絡したそうです。それで私も他の者が行つても当時の状況は書類だけでは分らんだろう、わしも当時の状況は記憶でははつきりしていないむれども、とにかく自分が取扱わなくちや、上の方へ書類を出したりなんかした責任者でありますから、そういう関係で私が今日出頭しますというふうにお答えしたので、その後昨年の七月から全然違う方の仕事へ從事しているので、そのまま引継いでいれば或いは分るかも知れないけれども、一ケ年間外の仕事をやつているので、その間相当ブランクになつたために余計記憶が出て來ないのです。それからさつき申上げたので、忙しいのでという知らん知らんということを非常にあなた達の方でというと失礼ですけれども、委員長の方で誤解されると困るのですけれども、交通課は終戰後非常に自動車の整理を連合軍並びに日本政府から要求されたのです。それはどうしてかというと、終戰前は連合軍でなく日本軍が自動車をどんどん徴発したのです。それで民間には自動車が非常に少くなつてつたのです。それで軍が自動車を徴発すると、警視廳その他各府縣の自動車の登録をしないで、軍のナンバーで以てどんどん走つたわけですね。それでそのところへ昭和二十年の三月並びに五月の戰災で、自動車がなんていうのですか、殷賑地域は殆んど自動車が燒かれたわけです。燒かれ放しになつた自動車がそこらに散在している。軍の徴発になつた自動車はそこらに放置したままにしちやつて、軍が解散になつて放置されている。非常にそういうようなことはこの日本の秩序を維持する上においてよくないということから、連合軍からもしばしば自動車の関係の整理を要求されていますし、日本政府の当時内務省ですね、及び運輸省方面からも地方廳にそういうような自動車の整理を大急ぎでやれというので、当時の軍で放つてつた自動車を処理すると同時に、今度警視廳管下にある自動車をすべて現状を調査したわけです。警視廳管下にある自動車が今何台あるか、それでその自動車が調査してから今度はナンバーの取換えをやつたわけです。全自動車に対して……そういうような仕事をやりまして、この口で一言に言うけれども、警視廳管下に戰爭前は二万三千台と確か記憶しているのですけれども、それが終戰後四万台以上東京都下にあるという車を我々の方で全部登録の切換えをやつたわけです。それから一方連合軍から自動車の持主の調査をやれと、掠奪自動車ですね、俗に……それを全部の自動車についてやれという指令を受けたのです。それから連合軍へ徴発する自動車を警視廳へ常に指令して來たわけです。そういうのの仕事を全部我々の方の所管でやつたわけです。そういうような仕事が輻輳しているので、先程から委員長殿から御質問の事後の処置がどうなつているかということを一々やる余裕がなかつたわけですね。そういうような関係から、ちよつと質問に対しての誠意ある答弁のように感ぜられないということを私達は恐れるのですけれども、併し内容はそういうふうな内容だつたのです。
  253. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その最初の配給については、更生会その他の方面からいろいろに自分の方へ配給もして貰いたいというので、運動がなかつたのですか。
  254. 斎藤良治

    証人(斎藤良治君) それは運動という程……みんな役所の方を來まして、陳情に來たのです。それで陳情攻めになつてしまつたのですね。併しそれ以外には何も受けた覚えはないです。
  255. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木康年のことをその当時分らなかつたというのだから、眞木康年という名前に相当驚かされたようなことで拂下げたといつたようなことはないのですか。
  256. 斎藤良治

    証人(斎藤良治君) ありません。当時眞木康年という人は私の記憶ではそう有名な人ではなかつたと思います。二十一年の七月時分には、その後いろいろ……これは言つていいかどうか分らんですけれども、共産党の関係で大分いろいろ新聞等に名前が出て來て、それで我々もそういう人の存在しているということを知つたので、当時戰災者更生会という時代において眞木康年という人に対した僕達の方ではそう知名な人とは思つていなかつたのです。
  257. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 外にありませんか……。それじやこれで終ります。    午前十一時五十一分休憩    —————・—————    午後二時十九分開会
  258. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 午前に引続いて開会をいたします。先ず証人の高木松吉さんを調べることにいたします。それでは宣誓をお願いいたします。    〔総員起立証人は次のように宣誓を行なつた〕    宣誓書  良心從つて眞実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。          証人 高木松吉
  259. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 委員長ちよつとお取調べの前に私の健康状態について申上げて置きたいと思うのです。実は六月の一日の日に自動車と西武電車と衝突いたしまして全身に数ヶ所の打撲傷を負いまして、その当時相当記憶力が減退いたしまして、今日も完全に記憶力を回復しておりません。そういう事実の存することを委員長予め御承認願つて取調べを願いたいと思います。
  260. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 承知いたしました。高木松吉とおつしやるんですね。
  261. 高木松吉

    証人(高木松吉君) はあ。
  262. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 年令は。
  263. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 五十一才です。
  264. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 住所は。
  265. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 東京都世田ケ谷区若林町一一九番地。
  266. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 弁護士をしておられますね。
  267. 高木松吉

    証人(高木松吉君) そうです。
  268. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 事務所はどこですか。
  269. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 現在燒けてしまつたものですから、事務所らしいものは持つておりませんが、連絡場所を丸の内の中四号館の三号という私の関係しておる会社の中においてありますが、事務所として届出はいたしておりません。
  270. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木康年の被告事件の弁護を引受けたのですね。
  271. 高木松吉

    証人(高木松吉君) いたしました。
  272. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それはいつですか。
  273. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 昨年の十二月二十七日頃に引受けて、直ちに弁護人選任の届出をしたように記憶しておりますが、それは裁判所の記録にはつきり残つておると思います。
  274. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) そのときにあなたお一人ですか。
  275. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 前に鶴田弁護士が弁護人に選任されて、鶴田氏が辞任して私が行つたようですから、私の專任されたときは一人だつたのです。
  276. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) この牧野内という人は……
  277. 高木松吉

    証人(高木松吉君) それは後から一月になつてから入つて來たように考えておりますけれども、それも恐らく裁判記録に弁護届が出ておりましようから、それによつたら明らかになると思います。私のときにはおりませんでしたから、後から入つて來たように記憶しております。
  278. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木はその以前は知つておられましたか。
  279. 高木松吉

    証人(高木松吉君) そうですね。私は約二年ぐらい前から眞木君と知り合いになつて、友人関係を結んでおりました。
  280. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) どういう関係で……
  281. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 私もこの前に選挙に立候補いたしまして、不幸落選いたしましたが、落選した候補者の仲間で自由倶樂部というものを組織したときに、眞木君も落選して、そうしてその倶樂部に入つて、來てその倶樂部で知り合いになつたのです。
  282. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 自由倶樂部というのは日本自由党とはどういう関係にありますか。
  283. 高木松吉

    証人(高木松吉君) これはどういうふうに説明申上げたらよいか知らないが、日本自由党を標傍して立候補した落選組の全部とは申しませんが、或る部分の者が集まつてつた倶樂部です。それが自由倶樂部です。
  284. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 日本自由党と関係、連鎖はあるのですか。
  285. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 無論あるということになりましようね。全部が日本自由党の公認非公認に拘わらず、その政策なり政綱なりを主張して立候補した者の、落選した者の集まりですから……
  286. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木というのはその当時は何をしておつたのです。
  287. 高木松吉

    証人(高木松吉君) その当時は何をしておつたか私は分りません。
  288. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 今は……
  289. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 現在は刑事事件を起しまして小菅の刑務所におりますから、何という仕事をしていることはありません。ただ前には新鋭大衆党ですか、という一つの政党を組織して、それの党主であつたように私共は聞いております。
  290. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その新鋭大衆党というのはどういうことを綱領としておつたのです。
  291. 高木松吉

    証人(高木松吉君) それは私は関係がありませんから分りません。ただビラや何かを市中で見まして、ときどき話することによると反共的らスローガンを掲げた政治團体でないからなと私が心の中で彼を觀察したことはあります。
  292. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木の性質はどんな風です。
  293. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 性質というものはどういう面から見るかということですが、私は眞面目なしつかとして男だと思います。
  294. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 常に持つている思想はどんなふうですか。
  295. 高木松吉

    証人(高木松吉君) そう深いことは……思想というのはむずかしゆうございますから。それからどうして思想を判断するのだか、私の觀念の中にはその判断が纏つておりません。
  296. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木組という何か土木建築の請負をやるようなことはなかつたですか。
  297. 高木松吉

    証人(高木松吉君) それは弁護人として法廷へ出た際に、眞木が被告人として過去の経歴を言うときに、何でも戰災後淺草方面において、只今委員長のお話のようなことをやつたということを是認しておりました。
  298. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その頃の眞木というのは何か街の親分といつたような肌合の者で、又多数の子分を持つているというようなことはありませんか。
  299. 高木松吉

    証人(高木松吉君) その当時私共そういう面も觀察もいたしませんし、関係もいたしませんが、法廷で彼が供述するところによると、そういう觀念は自分として排斥しておつた。こういうことを言われました。それから私が氣が付いた点においては、親分子分という言葉を一つも使つておりません。眞木先生という言葉を使つているので、いろいろな角度から見て親分子分というようなものを嫌うという、法廷で言つておるそういう觀念は私のいわゆる性質とか考えに合わないというのが本当じやないかという裏書のように見えると私は思つておりました。
  300. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) この新鋭大衆党というのは、反共の右翼團体であるといつたようなことは感ぜられませんでしたか。
  301. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 右翼團体の觀念がはつきりしませんが、反共をしたから右翼とは私共は考えません。彼の持つておる先程申上げた行動なり言辭から受けるところの觀念は、日本の破壞されたる産業を復興させるんだ、そうして民生を安定するとこういつたものですから私は右翼というようには考えておりませんでした。
  302. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 弁護士は直接眞木から受けられたのですか。
  303. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 無論法律的には直接ですが、眞木警視廳におりましたので、警視廳から妻君に、私に來て貰うようにという言傳がありました。そうして警視廳でお目に掛かつたら、実は鶴田君にお願いしたのだが、鶴田君が都合上辞任したから頼る者がない、一つお願いできないかということだつたから、それじや一つ私が骨を折つて上げますというので、警視廳で弁護届をとつて直ちに出して、それから私が法律的にやつたのであります。
  304. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 初めて警視廳で会われたときの眞木の健康状態はどうですか。
  305. 高木松吉

    証人(高木松吉君) これは私は医者でありませんから医学的に申上げるわけには行きません。ただ常識的に見ると、前に我々が会つたときの眞木とは全然異つて、全く衰弱の状態にあつたように見受けられました。
  306. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 最初に保釈願を出されたのはいつでしたか。
  307. 高木松吉

    証人(高木松吉君) それは記録にあると思いますが、弁護士届が昨年の十二月二十三日、それから最初の保釈願が二十三年の一月十日に牧野内と私と連名で出しております。その理由は彼の病氣とそれから家事上のことなどを書いて、そうして保釈願を出したように記憶しております。
  308. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その病氣は何か……
  309. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 一つは神経衰弱の昂じたものというようにも考えておりますが、私共はもとより医者じやありませんから、病氣の詳細の理由は分りません。裁判所医者を廻して、そうしてその病氣を確かめて貰つた上において保釈決定をお願いするという建前でお願いしたので、病氣の内容については保釈願に細かく書きません。
  310. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) そのときはまあ病氣と家事の整理をするという二つの理由で。
  311. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 中心は病氣の方に置いたように今記憶しております。
  312. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) そのときは主任判事にお会いでしたか。
  313. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 会いました。久永判事に会いまして、そうしてその書類を提出して、そうして、病氣がひどいということを本人言つておりましたから、裁判所の方で職権でよく調べてそれを認めることができたならば、私共素人の眼でも相当惡いように見えておるから、お許し願いたいという申立をしたのです。
  314. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) この保釈の申請を出すのは、是非保釈して貰いたいという意味の眞木の頼みによつてですか。又あなたが会つて見て、健康もすぐれないようであつたしというようなことで出されたのですか。
  315. 高木松吉

    証人(高木松吉君) それは法律的には弁護士として当然出せるけれども、私共の事件の取扱の関係として、まだ事実審理の終了しないのに直ちに保釈願を出すということは、弁護士としての今までの取扱いとして余りやらんことですから、私自身は自分から欲するのではないが、本人がこの通り病氣で困るから何とかして保釈額を出して自由に治療のできるようにして呉れないかというために、私共が行つて見て全く衰弱しておるように素人眼として見受けられるから、その結果として今のような保釈願になつたのです。
  316. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) そのときは別に医師の診断書というようなものは添えられないのですね。
  317. 高木松吉

    証人(高木松吉君) その記録を見て來ようと思つたのですが、見る機会がありませんので、あのときは警視廳におりましたから警視廳にそれ相当の医者がおると思います。その医者の診断によつて初めて裁判所が決定いるのだということを考えたのですから、或いは私の方からそのときは診断書は出さないのじやないかと、今はつきりした記憶はありませんが、出しておるか出してないのでないか、それは書類の記録を見ればはつきりしますけれども、如何にせん記録を見ておりませんから出してないか、断言しかねる記憶の状態しかございません。
  318. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) この眞木事件について表面の起訴事実というのは恐喝……
  319. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 恐喝二つで、それから挙銃等を所持しておるというのと三つの公訴事実によつて起訴されたのです。恐喝の一つは解消しまして、後の拳銃、実包の所持は追訴でやられたようです。
  320. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その事件は單純に恐喝と拳銃所持の事柄で起訴になつておるけれども、檢察の方面、或いは政府の方面で眞木の行動に対しては相当注意をしておつたというようなことについて考えられたことはありませんか。
  321. 高木松吉

    証人(高木松吉君) それはどういう御質問でしようか。警察及び政府というのは。
  322. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その当時眞木の首領しておる新鋭大衆党が解散になつておるということも御承知ですね。
  323. 高木松吉

    証人(高木松吉君) それですか、それは政府の彈圧であるということを被告がし切りに主張しておりました。私共にも語つておりました。その語ることを総合して理論的に判断すると、成る程なと肯ける点があつたように考えます。
  324. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 大衆党が解散されたときの、それと同時に内務当局談というので、新鋭大衆党を解散したのはこういう関係であるというようなことについてのことを新聞に記載されたのは御覧になりましたか。
  325. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 見ましたが今記憶しておりません。
  326. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 一月十日の保釈願は採用にはならなかつたのですかね。
  327. 高木松吉

    証人(高木松吉君) なりません。これはですね、二月二十八日頃で……記録ではつきりいたしますが、二月二十八日頃却下されたのではないかとうすら覚えに覚えております。それは裁判所の記録に明瞭だと思います。
  328. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その後更に保釈と言うか、執行の停止というようなことを願つたようですね。
  329. 高木松吉

    証人(高木松吉君) はあ、一月の二十四日が眞木の第一回の公判でした。その公判に出まして、そのときに我々が全く衰弱しておるということを、素人眼ではありますけれども、医学的ではありませんが、眼に映つた。尚裁判所にもそれが素人眼で……裁判所医者でありませんから素人的だろうと推察するのです。衆目眼が衰弱しておる事実を知つたわけですね。それで我々は何とかこの一月十日に出した保釈額を許可して頂きたいということを主任判事にお願いしたところが、保釈はできにくいけれども、それだけ惡いものなら事実を調べた上において執行停止をするより外に自分考えは動かない。こういう久永刑事のお話だつた。それで一月二十九日に、二月十日までの間執行停止をするという御決定を頂戴して、一月二十九日に被告眞木自宅に帰ることのできる身となつたわけです。
  330. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) そのときは執行停止と裁判所の方でそう言うたので、あなたの方からは願い書のようなものは出さないのですか。
  331. 高木松吉

    証人(高木松吉君) これも先程申上げたように記憶力を失つていますから、はつきりと言えない。できれば記録を以てはつきりした權威のあることを申上げたいと申うのですが、どうも今記憶に残つておるところは、保釈願を私の方から出して裁判所の方から保釈停止を頂戴しておるように思うので、私の方から執行停止の願いを出したようには記憶ありませんけれども、何程にも先程申上げたように私の体の工合で記憶が減退いたしておりますから、これらのことは一切裁判記録にはつきりとしておるので、それを見た上でないと確答を申上げるところまでに今の記憶はございません。
  332. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その頃眞木の家内又は家族の者から、あなたの方へ、眞木病氣であるし、それから眞木の妻も病氣をしておる……
  333. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 今あれしました。眞木氏も病氣でそうだつたが、妻も惡かつた病氣つた。今記憶を喚び起しました。
  334. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木の妻の病氣は、あなたは直接に御覧になつたのですか。
  335. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 私は先に言つたように、眞木君とは友人関係ですから、一度行きましたら全く憔悴して、元來被告人の妻というものは憔悴するものですけれども、憔悴の度が甚だしくして、寝ておりました。話もよく分りませんし、全くこれは困つた状態だなということを思つたことを今記憶の中にうすら覚えにありますがね、相当病氣で惡かつたように思います。
  336. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) そのときに眞木の家内に診断書を欲しいというようなことを、あなたから話されたことがありますか。
  337. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 無論裁判所にさようなことをお願いするのですから、診断書なしでは、我々法律家として申上げるわけには行かないので、專門の医者の、医者としての診断書が必要であるということを考えておりますから、私の方から申上げて、その診断書裁判所に持つてつたのではないかと思います。
  338. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その診断書を貰うについて、家内の掛かつておる服部という医者にあなたとお会いになつたことはありませんか。
  339. 高木松吉

    証人(高木松吉君) ありませんな。会うことは会いましたが、家内の診断書を取るために医者に行つてつたということはありません。いずれ後でお調べになれば、会つたときのお話をする機会はありましようが、今委員会のお問いになるように、家内のに断書を取るために服部医者に私が特に会つたということはございません。
  340. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その診断時を持つて主任判事にお会にいなつて、あなたから眞木の妻の病状をお話になりました。
  341. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 病状は素人眼ではありますけれども、行つて見ております。それから診断書は、私はそのときは服部氏にお目に掛つてつたのではございませんで、家族の者から届けられたように現在の記憶を持つておりますが、服部医師とお目に掛かつたのは、眞木氏を警視廳から執行停止で連れて行きまして、そうして家に帰つたのです。そのときに送つて行きました。そのとき体が惡くて出たのですから、眞木氏は直ちに服部医師の診断を受けたように思うのです。その診断を受けたときに、その服部氏とお目に掛かつたのではないかと、私は誰の紹介も受けませんから、服部医師であるということを、後で病院では、はあ、この人が服部医師だなということをはつきり私が認識したわけで、最初のうちは服部医師ということは、私に紹介する者がなかつたのですから分らなかつた。後でその人が服部医師であるということが分つた次第です。
  342. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 一月二十八日に主任判事に会われたときに、眞木の家から寄こした診断書は、判事の方に出されたようですね。
  343. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 記録に綴ぢてありましようから……日にちや何かは分りませんが、若し記録にそれがあるとすれば、私の手を通じて出しております。
  344. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) そのときに眞木の妻の病状について、主任判事にお話しになるのは、医師がこういうことを言つておる。診断書以外に口頭でお話しになつたことはありませんか。
  345. 高木松吉

    証人(高木松吉君) それは言いませんね。私は医学的知識はありませんから、医者の言葉を聞いても覚えておりませんし、のみならず單に診断書というものは、それ自体において信用し得るものと思うから、別にその診断書を敷衍したり、それを強化して説明したりするようなことは私いたしませんから、この診断書病氣通りで、私の見る眼では、大変衰弱しておるようだし、家事のこともできないようだから、氣の毒だから、できるならば保釈して下さいませんかということを私は申上げたように思うのです。今……
  346. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その際若し眞木の拘禁中に家で万一のことでもあるということを慮るような意味のお話をなされないですか。
  347. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 今記憶してはおりませんが、無論人の人命に関することですから、簡單ではなく自分の診断病状の樣子と、それから持つてつた診断書と合せて説明したろうと思うのです。理論的に自分の行動を記憶にはつきりしませんけれども、判断して見て、その内容がどの程度まで、理論的には、僕はそういう性格だから当然言つたに違いないと思うが、この内容を記憶しておりませんから、どの程度の言葉のやり取りを主任判事としたかということは現在記憶いたしません。
  348. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 今考えると、その当時のことですね、あなたが執行停止を願うというときに、あなたの感じとしては、これは眞木の不在中に万一のことでもありはしないかというようなことを考えておられて、判事とお会いになつたかどうか。
  349. 高木松吉

    証人(高木松吉君) そうですね、先程も申上げたように、はつきりした記憶はありませかけれども、どの程度までのそういう意味のことを言つたか分りませんが、相当のお話を申上げたに違いないと思います。自分責任としてですよ……
  350. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 診断書以外に医者がこういうようなことを言つておるということは……
  351. 高木松吉

    証人(高木松吉君) それは申しません。
  352. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 話さない……
  353. 高木松吉

    証人(高木松吉君) それはもう医者がこういうことを言つておるということは前後を通じて一回も判事に申上げたことはありません。私共は診断書というものが医者の学理的なものであつて、專門的なものだと信じておりますから、その権威を認めて私の立場から間違つたことを言うことは却つて面白くないという考え方から、そういうことを申上げる理由はないように思います。
  354. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その結果二月の十日まで執行を停止することになりましたね……
  355. 高木松吉

    証人(高木松吉君) なりました。
  356. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) なつて眞木自宅へ歸つてからあなたはいつ眞木にお会いになりましたか。
  357. 高木松吉

    証人(高木松吉君) その日警視廳に迎いに行きまして、衰弱しておるものですから、それを自動車に乘せて、そうして眞木の家へ連れて行きました。
  358. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その後は二月十日に公判があつたようですが……
  359. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 十日前に一回目は覺えておりませんが見舞に行つたように覺えております。病氣なんですから……。それはもう記憶はうすらいでおります。ただ二月二日に法律的な出來事があります、というのは眞木病院に入院するということになると、執行停止中の住所指定をされたところから変更されたことになります。それで太田弁護士と私の名前で四月二日附で住所変更のお願を久永判事にいたしましたところ、その許可を得まして、病院に入院した事実のあることは承知しております。
  360. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その病院に入院するということは、医者の方から入院を勧められたのですか、又は病氣が重いからというので入院をすることになつたのですか。
  361. 高木松吉

    証人(高木松吉君) それは分りませんが、恐らくは眞木氏の考えで、家も狹いし、いろいろ煩わしいこともあるし、それで自分から入院するような考えになつたんじやないかと私は推測いたします。というのは嚴重に判事から私共に言われたことがあるのです。あれは身体が惡いから執行停止を出すんだ、証拠湮滅や不信の行爲あつてはならんぞ、それに対しては弁護士としての君は責任を持つて呉れなければ困る。病氣の経過についても、例えば適当な時期に裁判所に報告をして貰いたいというような嚴命があたので、他人との接見を私禁じてやつたのです。どうしてかというと、いろいろな人と会うと証拠湮滅の危險危險というが疑われる危險がある。それで私は会つてはいかんということを言つてやりましたから、そうすれば人が來てがみがみやつたり、うるさくもあるし、病氣で絶対面会謝絶ということになれば、病院に行つて人と会わんでも濟むということも手傳い、自分病氣からも眞木氏自身の慾心によつて、私は入院したのではないかと想像いたします。
  362. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木の入院は家内と一緒に入院したということは……
  363. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 病室が少かつたので二人入る部屋ですか、三人入る部屋ですかありまして、そこへ家内と二人で入院しておりました。
  364. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その当時の家内の病氣はどうでしたか……
  365. 高木松吉

    証人(高木松吉君) これは素人眼ですが、私は相当惡いと思いました。学理的に專門的な知識はありませんから、その度合を医学的に説明ができないが相当弱つてつて、惡いように見受けられました。
  366. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 二月十日の公判の樣子はどうでしたか。
  367. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 朝出て來まして、公判に立ちまして、それで二月でしたから相当寒かつた。私共も寒い、本人も身体が衰弱しておるし病氣でもあり寒いものですから、午前の公判中から果してこの公判に午後まで堪え得るかどうかあぶないものだというので、我々弁護人は心配しておつた。それで午前中の調べが終つて晝ということになつて晝からのを始めるというときに私共は弁護士会館から來たら便所の中に入つて倒れておつた。皆で騒いでおつたからそこへ私共行きまして見たら、余程ひどい震えが來まして氣丈な男ですが便所のところに倒れてしまつておるのです。それでそれを皆で起して廊下へ連れて來ました。そのときも廊下で余程ひどかつたようです。それでも負け嫌いな氣性だから公判を開くということを言うのですが、段々ひどくなりまして、到底公判を開いて尋問に答えるだけの状態ではない。それで判事にそのことを私共弁護人として話しましたところが、判事の方も病氣で惡いということを知つておりまして、それは困つたなというような氣持でそれじや今日の公判はこの程度で中止して次回に延ばそうということで、早く医者に連れて行つて診て貰つたらよいだろうというような久永判事の親切なお言葉だつたものですから、私はその近くで医者に掛けたいと思つたけれども、委員長も御承知のように弁護士会館はどこも狹くて寢せる所もありません。私は第一控室で上の方は全部調停や何かに使われていて連れて行くことができなかつた。それで裁判所の廊下のところに横にして置いた。そして自動車を見付けて來て、一つには我々の責任問題が起ると思つたので家族の者に早く引渡したいという氣持も手傳つて自動車を見付けた來た。その間相当の時間がありました。そして浅草の病院まで送りました。その間に廊下で櫻井檢事もこの樣子を見ておつたし、弁護士会と弁護士会との間でその自動車を待つておるときにも櫻井檢事でしたか今はつきり記憶しておりませんが、誰か檢事さんが通り掛かつたことを記憶しております。衆目殆んど全く堪えられない病氣であるというように素人眼から見える程ひどい状態になつておりました。それを自動車に乘せて、眞木弁護士と二人で送つて、私は抱いていたのです。浅草の服部病院の別院ですか、産院まで行くうちに一言も言わずにぐうぐう言つてつたので気持が惡いくらいです。そうして向うに行つて直ぐベツドに寝かして、至急にこういうわけだと言つて妻君にも家族にも話して、服部さんの診断をお願いしたわけであります。
  368. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 裁判所で休んでおるときに、今倒れたというのですが、そのときに鼻血が出たとか何か……
  369. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 鼻血が出てどの程度出たか、その方よりは本人を中心にしてしまつたから、後よく確かめて見なかつたのですが、水掃便所の所に血出ておりました。後で聞いたら、どこから出たか鼻血だと言つておりました。鼻血が出ておつて、どのくらいの量だか分らないが、私の記憶の中に殘つておるのは相当の量のように思うけれども、それははつきり申上げられません。記憶がうすらいでおりますから……
  370. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 服部病院に行つてから、直ぐ服部医者が來て診たわけですね。
  371. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 私共は医者が來るまで待つておりまして、そうして医者が來まして、ところが服部氏が……そのとき初めて服部氏という人を認識したのですが、前には会つてはおりましたが、服部氏が怒りまして……それまで牧野内氏とは一度も会つたことはありませんし、牧野内氏は名刺を出して、私も附添の弁護士ですと言いましたら、私共二人に対して、あなた方二人とも少くとも法律家じやありませんか、これだけの病人をこんな遠いところまで連れて來るということはどういうわけだ、裁判所で起きた問題だから、人命に関する以上、裁判所の中ではつきりしたものを握つて連れて來なければならん。あそこで、医者があるのに、どうしてそこで医者に診て貰わない。尚病院つてあるのに、こんな遠いところまで連れて來るということはないじやないか。成る程そう言われれば、医学的に見ると振動を與えたことが惡いのです。併しあやまるわけに行きませんのでじつと……内心は服部医者に対して我々は親切にやつて來たものを、こうお目玉を食つたということは面白くない、そういうつもりでおりました。そのうちに服部医者が診察をする、私がそのうちに氣が緩んだせいか、下痢をしておりましたので、便所に行つて、便所から歸つて來たときには大体において服部医者の診察は終つてつたように記憶いたします。
  372. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) そのとき服部医者血圧を計つたようなことはありますか。
  373. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 血圧を計つたかどうかということは私は見ません。どうしてかというと、先程申述べたように下痢をしておりまして、便所に行つてつたし、先ず第一に私の氣性として、人から自分のしたことに惡い考えでしたものでないものを、あの服部医師からどなられて不愉快に思つたし、全く腹の工合が惡いので便所に行つてつたから、その便所に行つておる間にやたつかやらないか、私のおるときには血圧を計つた樣子はない。注射をするときまで見て、私は便所に入りました。
  374. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その際いつ頃歸られたのです。
  375. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 時間はまだ裁判所が引けませんでしたから…、そこで我々としてはこれだけの重病人を直ちに十日の十二時から拘置所に連れて行くということはよくない。そこで本人は殆んど昏睡状態でしたから、我々としては牧野内氏と相談いたしまして、これは何とか裁判所にお願いして、そうして執行停止の延期をして貰うということで二人で話をいたしました。その結果としてそれを裁判所にお願いするにはどうしても診断書が要りますから、そこで診断書を二通、二通取るというのは檢事局にも廻したいというので二通なんです。二通頂載したと思います。頂載の仕方は私共直接頼んだのでなく、細君か誰かが頼んで子供が後から行つて病院から離れておりますから後から持つて來ました。その持つて來たのを牧野内氏と私が持つておりました。直ちに判事と会うべく私と牧野内氏が行きました。もう判事が歸つたという書記の話でありました。それでできるだけ弁護士として方法を作らなければならないと、櫻井主任檢事に会うべく行つたら、櫻井主任檢事もいない。渉外部長の大沢檢事とのころに行きました。大沢檢事に会いましたところ、あなた方法律家として法律的手続をとつて來なければどう判断することもできないじやないか、惡いことは分つていても、こういう話であつたのであります。それから牧野内氏と二人で執行停止の延期申請をいたしまして、その延期申請に今の診断書を附けて、そうして書記課に出して、書記課では松本書記という書記で、その書記は代理判事にもこういう至急を要することだから意見を求めて、そうして檢事局に送りましよう、こういう話でありました。その話で大沢檢事に会つたときに、実は今日眞木が法廷で倒れたから、それで櫻井檢事眞木の家に行つている。判事も行つている。裁判所の方から医者を連れて行つて、そうして診察をしてやろうというので行つているということが分りましたから、その書類を出して、直ちに病院に私と牧野内とは行つた。その行つた理由というのは、そこへ行けば久永判事と櫻井檢事と会えるという便法もありましたし、成るべくなら執行停止にしてやりたいという氣持がありましたので、折返えして淺草の病院まで行きました。行きまして自動車で降りますと、久永判事がそこの道路に立つておりました。それからあと二名、淺草の警察の者かと思うのです。それから判事に挨拶して、こういうわけで判事さん追い駆けて來た。櫻井さんも來ているそうだが、櫻井さんは交番の方におります。実は今医者を連れて診察しようと今医者を迎えに行きました。裁判所で診て貰えばこれにこしたことはありません。是非診て貰いたいというので。我々も判事と待つておりました。判事と一緒に待つておりましたら医者が來ました。その医者は何んというのか私は分りませんが、その医者に予め判事は別室において診察をする理由を告げまして、そうして診察をさせました。その診察した結果、又我々が立会で報告したけれども、我々素人眼として見るのとは違うような報告があつたようであつたので、どうも我々素人というものは医学的な知識がないので大袈裟に考えてしまうなという氣持を心の中で思つて判事の前に恐縮して、その日は引下つて來たのであります。その執行停止は停止にならずじまいになつてしまいました。
  376. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) そうして停止にならないから翌日眞木東京拘置所の方へ……
  377. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 参りました。
  378. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その通りですね。
  379. 高木松吉

    証人(高木松吉君) その通りです。
  380. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その後の眞木の健康状態はどうですか。
  381. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 記憶しておりませんが、健康が拘置所へ行つてからは警視廳よりもよくなつたように思つておりますがね。そういう話を聞いたことがあります。ただ時期がどうだか、警視廳にいたときよりはよくなつたらしいですね。
  382. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 一月二十四日の第一回の公判のときの樣子を今ちよつと伺いたいのですが、つきのお話だと幾らかの衰弱しておつたというのですが、公判ではその日の審理は受けたわけですね。
  383. 高木松吉

    証人(高木松吉君) さあこれはね……
  384. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 最初の公判の審理ですね。
  385. 高木松吉

    証人(高木松吉君) ええ、受けたと思います記録を見て來ればよかつたのですが、見て來ませんでした。何も延ばす理由がありませんから受けたと思いますね。途中まで受けて事実審理を二回か三回に亘つてつたように記憶しておりますから……今はつきり記憶いたしません。
  386. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その法廷における眞木の態度はどんなものですか。
  387. 高木松吉

    証人(高木松吉君) どういうふうに言い現わしたらいいか。
  388. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) どんなものというのは裁判官を威嚇するような態度……
  389. 高木松吉

    証人(高木松吉君) それは絶対にありません。裁判所に対しての眞木被告の態度は、それは裁判所を威赫するというような態度は全然ありませんでした。
  390. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 当時傍聴人は來ておりまたか。
  391. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 余り來ておりませんでした。ああいう問題だから傍聴人が沢山來るんじやないかと思つていたんですけれども、地方の十二号法廷だから沢山入るけれども、あそこでは初めて私も先程言われた親分、子分という関係も少いんだなということを裏付けしたもので、傍聴人は極く少かつたのです。新聞記者さえ見えていなかつたのじやないかと思うぐらいだつたのです。
  392. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 傍聴に來ているものは眞木関係者らしいですか。
  393. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 関係者と言つても家族くらいで、外に関係者二人か三人見えたくらいのもので、余り來ておりませんでした、眞木の法廷における態度というものは、それは被告として通常人の態度以上に出ないです。ただちよつと彼の性格から証人尋問のときに、警視廳証人に対しては、その違うところを違うと言つて追及するときは眞木君の性格として、は少し幾らかその普通の被告よりか声が高いというような場合のところはあつたようですが、裁判所に対し檢事に対しての眞木の態度は普通の被告よりかも、却つて紳士的であり、被告らしさを表現したように私は思う。
  394. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木警察廳に拘留されたときに三日間断食した、この断食した理由というのは、自分が死ぬか、今の政府を倒すかといつたような意味で政府に反抗するようなことをお聞きになつたことはありませんか。
  395. 高木松吉

    証人(高木松吉君) それは断食したというようなことは、誰かから聞いたが、今委員長のお話のような具体的な問題を聞いことはありません。
  396. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 又眞木がそんな構想をあなたが面会されたときに、漏したこともないですか。
  397. 高木松吉

    証人(高木松吉君) ありませんね、聞きませんね。私の記憶に残つていないのかも分りませんが、今の記憶を辿つては、聞きません。
  398. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 次にはこの眞木が第一回執行停止が終つて拘禁中に他の理由で執行停止を願つたことがありようですね。
  399. 高木松吉

    証人(高木松吉君) それは委員長のお問いですが、順を追うて説明した方が、いいと思いますので、保釈願を四月二日に私と牧野内と坂本弁護士から申請してあります。それから記録にありますが、日にちは今少し違つているかも知れませんけれども、尚続けざまにそうして置きまして、保釈は判事の方でこの事件として適当じやないというわけで執行停止なら裁判所の都合ていつでも取消もきくし裁判所の方の、言わば保釈よりかも執行停止の方が、裁判所の……何と言いましようか、これは表現の方法ですが、執行停止だと自由に取消がきくというような意味のことを言つておりました。そして執行停止ならは裁判所考えないことはないけれども、保釈というようなことは、この事件、今の状態では適当じやないから保釈の方は今許すわけに行きませんと……保釈申請の理由のような事情、その他の事情があるならば、その執行停止の形式でやつて來ればそれは考えないじやないということでしたから四月の十三日と記憶しておりますが、執行停止の申請を私と坂本博士とそれから牧野内氏等で出したと記憶しております。その間裁判所の方もいろいろ調べて、そしてその理由ありと御認定になつたと思います。そこで四月十六日から五月五日まで二十日間の執行停止を、二回目の執行停止をして頂いたのです。その理由や詳細のことは裁判所の記憶に全部を添附して私の方から出して置きました。現在は細かいことは記憶しておりませんが、書類をお取り寄せになつて御檢討頂けばその事実に相違ございません。
  400. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その要点だけをここに簡單にお話……。
  401. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 現在の記憶の中に残つている要点は、この新鋭大衆党が解散せられて、解散せられた新鋭大衆党の財産の沒収、それに絡つて眞木個人の財産とそれとの区別を明瞭にすること、それから戰災者更生会とかいうものも眞木氏が関係しておつた、それとの財産関係を明瞭にするようにというようなことでそれは眞木家から資料を全部取りまして、東京都の特殊財産管理管から出た命令とか、あらゆる方面から出た命令の写しも添附しままて一切の書類を記録にしまして、それで裁判所に提出してその結果として四月十六日に只今申上げたような二十日の執行停止をして頂いたのであります。
  402. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 今の眞木康年が拘禁されておつてはそういうことを調査ができないので、執行停止を貰いたいというのですが大体その整理をするには幾日くらい掛かるかというような眞木の予定した日はなかつたのですか。
  403. 高木松吉

    証人(高木松吉君) さあ、一月くらいということを言つていましたけれども、そのときに眞木氏と刑務所で会つたのですが、その後どうだつたか、今時期ははつきり頭の中に残つておりませんが、東京都の役人が半年も掛かつて八ケ月掛かつてできない仕事を俺にやれとというのだ、それを一月や二月ではできない、併しできるだけやらないと自分の財産に直接影響するし、將來自分が若し方が一有罪になつたときに家族の者が路頭に迷うようなことがあつて困るから自分の財産と、そういうものとははつきりと立て分けをして置かなければならんのだ。そこに先程言つたように、東京都の人間が六ケ月とか、七ケ月とか八ケ月とか、はつきり記憶しておりませんが長い期間やつておる方でさえできないものを、私にこの短期間でやれということはできんから、成るべく長く執行停止をして呉れないかということを、第二回のときか、第一回のときかはつきりと時間の問題は覚えておりませんが、そういう話を聞いたことがあとに残つております。
  404. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 整理するときはどうしても眞木が行かなければできないことなんがすか。
  405. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 私は内容を全部知りませんから断言はできませんが、眞木の家族の妻やその他の者の言うこと、及び眞木の言を以てすれば、眞木がいなければ絶対にできない。こういうことだつたのです。どうしてできないのだと、いうとなかなかむずかしいです。これはもう言つていいか惡いか、もういつそ言つた方がいいのですが、世の中のことは全部闇と公定とがあります。そこでその問題はあちらさんの御指示にあるものは、あちらさんに納得をさせなければいかんのだが、向うに納得をさせるのは、全部証拠書類を附けて持つて來いその証拠書類というのは金の渡したところは受取りそれからいろいろなものが物的証拠によつて明らかにして置かなれれば、あちらさんが納得しないから、そうせいと言われた。そうすると例えば自動車の修繕費とかなんとかいうものは闇にも何があるから、向うの方の側では全部帳簿や何かなくしておるのに、そこに行つて書類を貰つて來るのだから、自分が直接行かなければ貰えないし、それから自分の腹でやつておることを自分でやるのだから自分がでて來なければ外の者にはできないというようなことを言つておるように聞いた記憶が頭の中に残つております。
  406. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 最初は二十日だけ執行停止を許可になつておる。
  407. 高木松吉

    証人(高木松吉君) そこでちよつと申上げますが最初の二十日のとき今記憶が段々よみがえつて來たのです。二十日間では短いということを申上げたのですが、そうすると一應二十日で以てやらせるように、あなた方も馬力を掛けてやつて、やらしたらどうだと特別な久永判事のお言葉があつたように、私今記憶をよみがえしておりますが、二回目の言葉と繋がりますので、今頭にそういうことが浮んで來たのです。
  408. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) で、二回目は。
  409. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 二回目は全くその仕事を始めたのだが、いろいろな書類を集めて始めたらしいのですが、仕事が途中までしか行かなかつたのです。それでそれが又眞木氏から話があつたので、それでその事情を訴えまして、そうして執行停止の延期をお願いした。そのときにだね、今度はこの前の二十日のときはですね、あなた方の注文に対してですね、それを容れなかつたのだが、今度の二十日はもう二度と延ばさないぞ、今度二十日をやつて、そうして整理ができなければもうしようがない。あとはもう裁判所としてですね。いわゆる眞木の財産を保護するという意味じやないが、東京都からもいろいろなことを言つて來られて、その整理ができないということは、法的意味においても面白くないと思うから今度二十日は延期してやるが、後は絶対延期いたしませんということを久永判事に言われて成る程そこから逆に考えると前の二十日のときには、場合によつては將來延期してやつてもよろしいというような意味のことを言われたような記憶を喚び起したのです。
  410. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その頃眞木東京都の方へ出て、丁度執行停止の延期を願いたいという意味で、東京都の方に行つて裁判所の方へ東京都の方でも、眞木がいなくなれば整理ができなくて困るからして、眞木の執行の停止を延期して貰いたいというような書面を裁判所の方へ出して貰いたいというようなことを頼みに行つたというようなことは……
  411. 高木松吉

    証人(高木松吉君) それは最初の執行停止の打切りのときじやないでしようか。そのときにですね、もう駄目だと、駄目だが東京都という公の方で、どうしても困るということになれば、公文書を持つて來れば考えないではない。恐らくあのときに一週間か十日あれば、最後のときにはもう書類の処理ができ得る可能の状態に行つたのではないかと思います。私はそこは関係しないから分りません。それでやはり一週間か十日延ばして貰つて、完全に自分責任を果して行きたいという本人の希望であつたので、私はいろいろ判事さんの厄介になつたが、本人の肚を決めて、明日から小菅に行きますと、家に連れて行つたときに、久永判事が公の意味がある場合においては、それは延期せんでもないというような意味のことを五月二十五日の日に話された。それに基いて眞木氏が東京都へ行つて、そういう書類を取つてつて來て久永判事に会つた。ところがこの程度書類では、それを容認するわけに行かんからというので、結局五月二十五日の執行停止の三番目の延期の眞木氏からの願いは退けられて、その後彼は小菅の拘置所に入つたことになつております。
  412. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 前後四十日ですね。執行停止になつたのは。
  413. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 四十日、前は病氣で十三日それから後は今のような計算関係を明瞭にするために四十日、これいずれも執行停止。
  414. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その四十日間において、眞木は眞面目にこの調査に從つたものでしようか。
  415. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 全く眞面目にしておりました。というのはですね私共稀に見る人格者の判事と久永判事を二十五年間の弁護士生活では考えられた。それでこういう眞面目な性格の判事ですから、一日々々の仕事の度合いとか、それから又その前から言えば、誰に面会し、どういうことをするという予めの仕事の内容を裁判所に報告し、それから計算関係のできて來たものに対しては、その報告をして殆んど彼の行動は裁判所に一日々々が映るようになつてつた。だから私共それによつて見るのに、彼はその仕事のためにどれくらい熱心に毎日やられておつたかということは、私共から見て、全く熱心にやられたものだと判断が付くと思います。
  416. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) あなた眞木の個人の資産状態とか、新鋭大衆党の財産更生会の財産、厚生会の財産というようなことについて、お聞きになつたことはありませんか。
  417. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 分りません。その点はちつとも関係したこともありませんし話題に上ぼせたこともありませんから分りません。
  418. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木個人は相当裕福に暮しておつたものですか。
  419. 高木松吉

    証人(高木松吉君) さあ。私はこの事件つて初めて眞木氏の家を訪ねたのであつて、その前の生活状態を見たこともありません。どういう生活だが、そうしてどんなふうなものか。ただ聞くところによると、細君の前の主人との分れるときに前の主人の子供を三人連れて來ておる。そうして眞木と結婚している。その三人を連れて來るに、分れたとき相当の財産を貰つて來てその財産で生活をしておつたんだということを眞木の細君や家族の者から聞いたことがありますが、それ以上眞木の財産はどんなものであるか、家族の財産がどんなものであるかということは私は知りません。
  420. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木事件全体の裁判所における進行振りはどうですか。
  421. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 前後合せて十一回の公判を開いております。これは非公式でございますけれども、久永判事のお話を聞くと二百数十件の事件を擔任されておる。然るに一度も裁判所の都合で延ばしたことはなく、そうしてこれだけの審理を続行されたという裁判官の努力に対しては、私は敬意を表するただ判決のときになつて、一回か二回裁判所の方から延ばしたことはあるようですか、進行振りも審理方法も全く稀に見る立派な裁判官の裁判なりと私は信じております。
  422. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 弁護人の方から証人の申請をされたのがありますか。
  423. 高木松吉

    証人(高木松吉君) ございます。これは記録を見ませんとそれまで持つて参りませんが、相当の数の証人を喚問して頂くように申請いたしました。その中から取捨いたしまして今記憶はございませんけれども、相当数の証人を新らしい訴訟法に則りましてお調べ願つたんです。
  424. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その証人申請というのは最初からこれこれの者は証人に申請するというので申請をされたのですか。公判は第一回の公判にこの証人申請をして、その次に又……
  425. 高木松吉

    証人(高木松吉君) そうでありません。事実審理を全部了えましてそうして、それから証拠の提示を行いまして、それから弁護士に対してですね、他に証拠提出するものはないかということから証人の申請に行きました。その証人の申請は我々が法廷においていわゆる眞木その他の供述を聞き、それから記録を……警察の記録から檢事局の記録を一切見まして、どうしても眞実を発見するのにはこれだけの証人を喚問して貰わなければならんという信念が湧いて参りましたのでその信念に基いて、記録に記載の通りの証人を御喚問願うように裁判所にお願いしました。
  426. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 証人は誰は何日誰は何日というように、一日に全部喚び出したわけではないのですね。
  427. 高木松吉

    証人(高木松吉君) それはですね、どういう方法だつたか今記憶いたしませんが、初め誰々を呼び、それが済んでから誰々を喚び出すというのではないかと思います。これははつきりとは致しかねます。記録を見て必要ならば後で申上げたいと思います。記録にはつきり載つておるもので、私記憶違いを申上げてはいけませんから。
  428. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 前に戻りますが、警視廳桑原というお医者さんがありますね。
  429. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 今日初めて桑原さんという人を知つたのです。
  430. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) あなたは……
  431. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 今まで全然知りません。警視廳医者がいるということは、記録を見たときに警視廳から貰つた診断書桑原医師というものが書いてあつた、それだけのことで……
  432. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それで診断書は誰が貰つたんですか。
  433. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 無論私共が頂載したのではなく、裁判所が貰われまして、裁判所へ南警部がこの問題で私が久永判事に会つているときにその診断書を持つて來たところだと言つて、私のいる前で久永判事診断書を提出したことがありました。そのとき南警部はいわゆる眞木病状というのでなく、診断書に書いてある專門語の説明をいたしておるのを側から聞いておつたのでありますから、その点から見ると久永判事が直説警視廳に、いわゆる警視廳医者診断書を取寄せられたのではないかと思います。
  434. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 他にお尋ねがありますか。
  435. 大野幸一

    大野幸一君 自由倶樂部というのはいつ頃設立されたのですか。
  436. 高木松吉

    証人(高木松吉君) これは只今記憶はありませんが、若し必要であつたら調べて後で……
  437. 大野幸一

    大野幸一君 総選挙後落選して後ですね。
  438. 高木松吉

    証人(高木松吉君) そうです。
  439. 大野幸一

    大野幸一君 倶樂部員というのは日本自由党から公認若しくは非公認で立候補された両方ともの人を含んでおるのですか。
  440. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 全部ではありませんけれども、大体その人達が集まつていろいろの政治上の研究をしようじやないかという意味で最初集まつたのです。
  441. 大野幸一

    大野幸一君 その倶樂部の所在地はどこです。丸の内の元の日本自由党の本部の……
  442. 高木松吉

    証人(高木松吉君) そうそうあそこです。
  443. 大野幸一

    大野幸一君 そこで日本自由党の幹部の人もその倶樂部員のうちにあつたんですか。
  444. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 今細かい記憶はありませんけれども。
  445. 大野幸一

    大野幸一君 日本自由党の幹部の人がこの倶樂部に顔を出されたことがあるのですか。
  446. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 幹部の人達というと幹事長とか総務とか。
  447. 大野幸一

    大野幸一君 そうです。
  448. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 何か一、二度あつたような記憶がしますね。
  449. 大野幸一

    大野幸一君 幹部の人が講演したり挨拶したということは。
  450. 高木松吉

    証人(高木松吉君) どういうことですか。
  451. 大野幸一

    大野幸一君 講演をするとか、時局の講話をするとか、発会式の挨拶をするというようなことはあるんですか。
  452. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 党の会合に挨拶の言葉を貰つたことはありますが、その外特に講演を願う程でない。我々の研究の外の学者とか何とかから教えて貰うということが主だつたから、域いは私の関係しないときにあつたか分りません。全部を申上げるわけに行きませんが、私の関係したところでは、そういうことはなかつたようです。ただ会合で、発会式とか、役員を改選するとかいうときに、挨拶の言葉を頂載したということは記憶しております。
  453. 大野幸一

    大野幸一君 それは幹部はどういう人ですか。
  454. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 記憶しておりませんなあ。
  455. 大野幸一

    大野幸一君 本人は審理に自分が自由党に関係があるがごとく、新鋭大衆党は自由党の外廓政党のようなことを言い触らしておつたようなことはありませんか。
  456. 高木松吉

    証人(高木松吉君) それは絶対にありませんね。私はこれを言い切ることができることは、公判において裁判所はあらゆる方面からその問題を追及しました。そのとき記録にも残つておりますが、ただ一言自由党のですね、非公認で立候補をいたしましたというだけの言葉しか残つていないように思うのです。これは一つ二つあるようですが、今の大野さんのお話になつたようなことは絶対にございません。
  457. 松井道夫

    松井道夫君 今の自由倶樂部といいましたか、自由倶樂部ですね。
  458. 高木松吉

    証人(高木松吉君) はい。
  459. 松井道夫

    松井道夫君 それは本部でもそれを認めておる公然の團体でございますか。自由党としては……
  460. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 法律論になりますが、要するに集まりであつたことは間違いはありません。その集まりを認めておつたことは間違いはありません。
  461. 松井道夫

    松井道夫君 本部としては認めておつたわけですね。
  462. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 但し、我々法律家として團体という言葉をお使いになると、法律の條章がいろいろありまして、それを当嵌めることについては私二個の判斷で結論を付けるわけに参りません。若し政治團体であれば、届出というようなことがありますけれども、そういうことをした事実はございません。
  463. 松井道夫

    松井道夫君 届出をした事実が……
  464. 高木松吉

    証人(高木松吉君) ありません。要するに社会党でも、民主党でもありますが、代議士諸君が、心の合う者が集まつて親睦の会を作るとか、又政治の研究をするというようなのと同じような意味で作られておるもので、法律的にはその届出を必要としないのじやないか。私の考えではこの範囲内において届出してありません。集まりではあるが、法律的にどうなるかということは私の判断では只今分りません。
  465. 松井道夫

    松井道夫君 それからその後、これは問題は違いますが、服部医師が診断店の不実記載で起訴されていたということがあるようですが、御承知ですか。
  466. 高木松吉

    証人(高木松吉君) ええ。それは眞木の妻から聞いて、直接は聞いておりません。
  467. 松井道夫

    松井道夫君 この事件とは関係ないのですか。
  468. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 関係ありません。
  469. 松井道夫

    松井道夫君 それから今の眞木の妻の関係ですが、あなたとしては或いは生命危險もあるのかといつたような印象を持つておられたのですか。生命の問題とは考えておられなかつたのですか。
  470. 高木松吉

    証人(高木松吉君) それですね。理論的に突込まれると困るが、私の主観ですね。素人目で生命危險があるのじやないかと判断しておりました。
  471. 松井道夫

    松井道夫君 しておつた……
  472. 高木松吉

    証人(高木松吉君) ええ。しておつた。ところが医学的の考えはつきり……私共眞木の問題でも素人目では相当重くても、医者の診察は科学的になりまして、案外軽いというようなことを最近この眞木の問題で私は知るようになりました。  それから二月十日の法廷の眞木の様子を素人目で見たならば、全くの重態のような状態でした。それを医者の目から見るというと、左程でないというようなことを言われて見ると、我々の見る目というものは科学的でない。從つて眞実なりと主張することは、我々の目で見たことを眞実なりと主張することは、これは遠慮しなければならん。こういうことを考えております。
  473. 松井道夫

    松井道夫君 結構です。
  474. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それからもう一つ眞木は常に政治家の方面などに対して、交際があるということをお聞きになりませんか。
  475. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 政治家方面の交際ですか。
  476. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) ええ。
  477. 高木松吉

    証人(高木松吉君) これは私今にして……これも主観ですが、私の観念ですが、眞木の問題がこんなに大きく取上げられておるのは一体何かと不思議に思つておるのです。私の目によつて認識した範囲、私のタツチした範囲において、眞木氏はそんないわゆる大きな政治家でもなければ、そういう経歴、そういうこともしていない。ただ反共運動で社会的に知られただけのことで、果してあの人間が眞にどれだけの政治的力量があり、手腕があり、政治的見識を持ち、明哲した観念を持つておるということについては聊か心の中で疑わざるを得ないくらいの人です。從つて私は彼と交際して、彼が特に偉い政治家と附合いがあつたというようなことは見ておりません。恐らくないのじやないかと私の見た目からは考えております。
  478. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 本人自分はこういうところに後援者があるんだといつたようなことで、実際ないことでも、いわゆるほらを吹くと言つておりますが、そういうことはありませんか。
  479. 高木松吉

    証人(高木松吉君) 併し、これは失礼ですが、我々の前に來てほらを吹く程の貫録もありませんし、又性格的にほらを吹く性質もない。私はそういうほらを聞いたこともありません。外の方へ行つたら言わないか、それは保証の限りではありませんが、私の前ではさようなことを聞いたことはありません。
  480. 松井道夫

    松井道夫君 公判の審理の上で証拠その他、或いは記録の中で眞木というものが土木業に関係しておつて、相当の街の親分、而も余り権威のある親分のやり方でなく、いろいろ暴力團的の行爲をしたんではないかというように疑われるような資料が出て來はしませんでしたか。
  481. 高木松吉

    証人(高木松吉君) これは少し長くなるかもしれませんが、よく説明しなければ、事公判に関する限り我々は玄人ですから……警察、それかせ檢察当局というものは比較的人の暗黒面を見て行くわけですね、だからそういう側にはちよちよいと今あなたのおつしやるような部分が記録の上に現われておつた点がありました。極く少部分です。普通の事件にもありそうなくらいの少部分のものであります。特にこれは特殊のものとして取上げる程は出ておりませんが、併し我々が眞実を発見する面から本人の供述及証人を追及して行つたところによると、終戰後彼のとつた態度の中にはさようなことを判断する材料になるようなことは私共見当らない、こう考えております。
  482. 松井道夫

    松井道夫君 それで結構です。
  483. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それじや長い間御苦労でした。    〔証人牧野内武人証人席に着く。〕
  484. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 牧野内何と……
  485. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) 武人と申します。
  486. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それじや証人としてこの委員会お尋ねいたしますから宣誓をして下さい。    〔総員起立証人は次のように宣誓を行なつた〕    宣 誓 書  良心に從つて、眞実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。         証人 牧野内武人
  487. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) お年は幾つですか。
  488. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) 五十歳です。
  489. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 住所は。
  490. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) 東京都港區芝西久保巴町一番地です。
  491. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 今弁護士職業としていらつしやいますね。
  492. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) ええ。弁護士です。
  493. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 弁護士はいつから。
  494. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) 登録が昭和四年の十二月だと記憶しております……。
  495. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その後ずつと……
  496. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) それからずつと続いてやつております。
  497. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木康年の被告事件の弁護を引受けられておりますね。
  498. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) はあ。やりましたです。
  499. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それはいつ。
  500. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) 受任の日でございますか。受任の日はたしか一月七日になつておりはしませんかと思いますが、弁護届を出したのはその前十二月からその前の、去年の十二月の十七、八日頃から、何と言いますか、拘留されておりました時分から、警視廳へ參りまして、一・二回会つたことがございます。受任は本年の一月七日になつているかも知れません。
  501. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木とはいつから御承知になつておりますか。
  502. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) 知つたのですか。
  503. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) ええ。
  504. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) それはこの事件を受ける前には個人的には殆んど知つていないと言つていいくらいなのです。受けた順序を申しますと、新橋に吉村郷という人がありまして、その人と私と一年間ぐらい大分懇意になりまして、よく知つた仲でありまして、それと吉村郷と眞木康年と知り合いの仲だつたらしいのです。吉村氏の事務所で吉村氏に紹介されまして、この事件を受ける前には一回か或いは二回ぐらい顔を合した程度だと思います。話をしたこともございません。ただこれが眞木であると、これが弁護士の牧野内であるということを吉村氏に紹介された程度と思います。
  505. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その頃眞木というのはどういうことをしている人だ。どんな人だということは、吉村氏からお聞きになりましたか。
  506. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) その前はよく知らなかつたです。新鋭大衆党というものもよく知らなかつたわけです。その受任するときに吉村氏から是非やつて呉れということで頼まれて受けたのでございますけれども、それは私はちよつと聞きましたところが、私と大分考えが違うようだし、方向も違うようですから、受けてうまく行くかどうか分りませんし、というので一遍断つたのでございます。そうしたところが吉村氏の言うのには、この眞木君もまだ若いんだから少し僕らから見て考え方が若いところがあるというようなことを話しまして、仮に具体的に申上げますれば、去年の倒閣運動をやつたその場合に、僕は反共運動はいいだらうが倒閣運動は意味をなさんから止めろ、こういうことを前から言うておつたのだというようなことを言つておりました。それで、そのときにもう一人中村高一氏をよく知つている、だから頼むから僕も中村という人は非常に懇意な仲でありますから直ぐやつて呉れないか、こういうことで重ねて頼まれまして、中村君がやるならば一諸にやつてもいいというようなことから、非常に懇意の仲でありますものですから、あなたから頼まれれば、あんまり断るわけにもいかんなというわけで受任したようなわけであります。
  507. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 事件を引受けることになつてから眞木に面会されたのはいつですか。
  508. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) 面会したのは先程申しました通り去年の十二月十七・八日が事件を受けてからの最初の面会じやないかと思います。それは警視廳に拘留されているときに合いましたのです。
  509. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) そのとき眞木はどんなことを言つておりましたか。
  510. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) そのときに一体その倒閣運動をやつておるし、君の考え方はどういう考え方なんだ、こういうことを私は聞いたことがあります。いや、わしは共産党は眞向から反対、反共なんだ。反共だけれども、それじやどういうところに政治的思想を置いているのかということを聞くと、事件の内容については余り聞きませんでしたけれども、聞きましたところが、僕の考えとしては、社会党の右翼の行き方と変りがないのだ、こういうようなことを言つておりましたのです。それからもう一つは現在における日本の生産が落ちている場合においての現在の生産を高めて行かなければならん。そういう線で僕は政治を考えているのだというようなことを言つてつたと思いますのです。はつきりは覚えておりませんけれども。
  511. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 初め面会されたときに眞木の健康状態について、どういうふうに見られましたか。
  512. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) そのときに痔が惡いと言つておりました。それは警視廳のお医者さんにも見て貰つたが痔が惡い、もう一つ血圧が非常に高いと言つておりました、百八十ぐらいあるということを言つておりました。早く調べが済んだならば保釈する手続をして貰いたい、こういうことを言つておりましたですな。
  513. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) そのときは今日見えた高木弁護士の方にはすでに眞木の方で頼んだ後ですね。
  514. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) たしか高木弁護士を頼んであるという話を私行つてから聞きました。頼んだ後に私が參つたと思います。
  515. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 保釈を願うというようなことについて、高木弁護士とあなたとの間で御相談になつたことはありませんか。
  516. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) それはその後に吉村氏のところで高木弁護士に合いまして、一應保釈を一日も早くして貰わんと我々の後の新鋭大衆党の財産の関係やなんかについて困るから、本人は体も余りよくないようだから、早く保釈して貰えというような細君の依頼もありまして、保釈の手続を取ろうじやないかということになつて、今年の一月十日、たしか十日だつたと思います。一應保釈の手続をいたしたと思います。
  517. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) そのときの保釈の理由というのは眞木の……
  518. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) 病氣と家事の都合という理由であつたと思います。
  519. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木病氣については、警視廳桑原という医官ですか、技師ですか、その方に様子を聞いたことはありませんか。
  520. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) 私がですか。
  521. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) ええ。
  522. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) いいえその人に会つたことはありません。診断書を書いて貰うように、係の人を通じて話したことはありますけれども、直接その人に会つたことはありませんです。
  523. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それで、その保釈願はどうなつたのですか。
  524. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) その保釈願ですか、そのままずつと裁判所で出さなくて、保釈に対する決定をしなくて、結局一月の二十九日にですが、その当時新鋭大衆党の財産関係がもう非常に早く、調べて早く出せという都の方からのやかましい催促があつたと思います。それで刑事と交渉いたしましたところが、保釈にはできんが、短い期間で執行停止の取扱いでもしようかということになつて、たしか一月の二十九日の日附で執行停止になつたと思います。一月の二十九日から二月の十日までの期間ということで執行停止になつたと思います。
  525. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それは新鋭大衆党の問題が主ですか。
  526. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) それとですね、本人病氣が相当惡かつたことと思います。もう一つは細君が卒倒いたしまして、心臓か何かで卒倒いたしまして、入院したのでございます。そういうことや何かで執行停止になつた考えております。
  527. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 細君の入院したのは、執行停止になつてから後ですか。
  528. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) 入院したというのはですか。入院したのはどうか……その点ははつきり存じませんが、病氣であつたことは聞いております。
  529. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それは誰から……
  530. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) それはですね、高木弁護士がよく連絡を取つておりまして、高木弁護士からたしか聞いたのではないかと思います。
  531. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木の家族との連絡は主に高木弁護士がやられたのですね。
  532. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) 高木弁護士がよく連絡を取つておられまして……
  533. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 第一回のときの執行停止の理由は、眞木病氣と、家内の病氣が大分惡いと、そういうことで願つておられるようですが、その際主任判事にあなたはお会いになりましたか。
  534. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) 判事でございおすか。
  535. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) ええ。
  536. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) 判事には高木弁護士とよく一緒に会いました、何回か会いましたのです。
  537. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 家内の病状等はあなたもお話になりましたか。又高木弁護士の方から……
  538. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) まあ主としては病氣になつてから家内に会つたことはありませんものですから、主として高木弁護士が連絡を取りまして、診断書なども高木弁護士がたしか出しておると思います。
  539. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その診断書を出して、眞木の家内が大分惡い、眞木病氣よりも眞木の家内が病氣で惡いから、眞木が不在中に死ぬようなことがあつては困るから眞木を出して貰いたいというようなことをお話しになつたのじやなかつたのですか。
  540. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) そういうように判事に話しまして、執行停止というよりか保釈にして貰いたいということであつたのですが、又執行停止でもいいからということで判事に頼んだことがあります。
  541. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その病状は直接にあなたが御覧になつたのではないが、高木弁護士の方からそういつたことを申出られたわけなんですね。
  542. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) ええ。高木弁護士がよく連絡を取つておられたようです。
  543. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その前、一月二十四日に公判があつたようですが、その公判にはあなたも立会われたわけですね。
  544. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) 立会いました。
  545. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) そのときの眞木の態度はどんなものです。
  546. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) 態度と申しますると。
  547. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) まあ被告人として法廷において裁判官なり、檢事なりに大威張りで威圧を加えるといつたような態度を取つたのですか。
  548. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) そういうことはなかつたように記憶しておりますが、普通の被告人と余り変らなかつたように記憶しております。
  549. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 当時傍聽人は來られましたか。
  550. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) 傍聽人はあんまりありませんでしたですな。傍聽人は余りないように記憶しております。
  551. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 次は二月十日に公判がありますね。
  552. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) ええ。
  553. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 二月十日の公判前に眞木にお会いになつたことはありますか。
  554. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) 十日前でございますか。
  555. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 執行停止になつて出てから。
  556. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) ええと。病院に一遍行つたような記憶がありますが。はつきりいたしませんが……
  557. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その病院には眞木の家内と眞木と両人が同じ室に入院しておりましたですね。
  558. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) そんなふうに記憶しております。
  559. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その当時の病氣はどうでした。眞木の体の状態は。
  560. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) 顔を見ると、蒼い顔をして寢ておりましたですな。衰えてはおりましたですな。
  561. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 十日の公判には、裁判官の尋問等について、それを受けるについての、眞木の健康状態はどんなものでしたか。
  562. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) 十日の日には非常に眞木本人の話を聞きますと、お医者さんが今日行つてもうまく勤まるかどうかというようなことを言つて、延ばせるものなら延ばしたらいいじやないかということをお医者さんが言つてつたと、こういう話は、公判の始まる前に本人から聞いております。その後晝休みが濟んだ後と思いますが、午後の公判を開こうとする直前に、便所か何かに入つて倒れたことがあります。それでそのとき倒れたことは私知りませんが、便所から出て來たときの様子を見ますと、非常に慄えまして、素人が見ても普通の状態ではないので、非常に体が惡いような状態であつたのです。それで高木弁護士と、まだ外に二人弁護士が附いておりましたのですが、皆で、とても公判はできそうもないからということで、判事に交渉いたしまして、判事もそれを見たものですから、それは大変だということで、まあ手当をするようにして、今日はこの程度で延ばしたらよかろう。延ばしましようというようなことになりまして、一刻も早く、どんなことになるか分らんから、一刻も早く病院にこれは送り届けた方がいいと思いまして、たしか私と高木弁護士つたと思います。外に家から二人くらい來た者があつたと思いますが、病院に送り届けたことがあります。
  563. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 送り届けてその際……
  564. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) その後の様子になりますと、私らはそういう状態で、非常に惡いと、これは大変だと思いまして、早速たしか服部という病院つたと思いますが、院長を呼んで來て貰わなければならんということで急ぎまして院長に來て貰つたのです。そこで院長曰く「そういう状態でなぜ俺のところへ急いで連れて來ないで、近所のお医者に早く見て貰わなかつたのか、そして連れて來なかつたか。」顔を合せると突然そういうことを言われたことを記憶しております。服部という医者も私が会つたのはそのときが始めてでございます。
  565. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) そのとき血圧を計つたようですか。
  566. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) 私ちよつと初め便所へ行きましたのですが、計つたのじやないかと思います。
  567. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 血圧が幾らあるというようなことは……
  568. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) それは私実際聞いたことは記憶がありません。
  569. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その後あなた方がそこにおられる中に高木さんと二人でこういうわけだから、翌日になれば執行停止の時間が過ぎるのだから、更に停止を延期して貰うというようなことを御相談になつたのですか。
  570. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) これは相当病状が大変だと思いましたものですから診断書を書いて貰いまして……。医者はそのときは病院を離れて自宅だか病院だか知りませんけれども、診察した本人部屋にはおりませんでした。で診断書を書いて貰いましてそれを眞木の家の者が取りに行きましてそれを裁判所へ、たしかその晩だと思いましたが、その日が執行停止の最終の日だつたものですからもう一遍執行停止の継続を判事に頼もうと思いまして、診断書を持つて裁判所へたしか行つたと思います。それで櫻井檢事にもこういうわけだからといつて執行停止の継続の申請をしたのです。それでまあ同意と申しまするか、執行停止になるように便宜を図つて貰いたいということを話したように記憶しております。
  571. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その診断書を持つて行かれたところが櫻井檢事も久永判事もおられないで……
  572. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) そうですそうです。そうそう、久永判事もいなくて櫻井檢事もいないで、そうそうそのときはいなかつたわけです。あれは小沢という檢事でしたか会いましたところがたしか眞木のところへこつちから櫻井檢事医者を連れて行つた筈だという話がありましたものですから、それじや直ぐ明日のこともあるから早く措置をしなければならんから行つて見ようじやないかということで、高木弁護士と又引返して入院しておる浅草へ帰つたと記憶いたしております。
  573. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) そうして判事にもお会いになりましたか。
  574. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) 浅草では檢事はおりませんで判事だけに会いました。そしてどこかの医者檢事が連れて來るのを待つているのだということで一緒に待つてつたことを記憶しております。
  575. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) そして今度の医者の診断はどうでしたか。
  576. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) 暫く経ちますと医者が來まして……。どこの医者だか私知りませんが來まして診断をした、その結果はよくは分りませんけれども、まあ非常に榮養失調のような症状ではあるが、余り血圧が高くないようなことを言つておられたと記憶しております。他のところはえらく惡くはないように記憶しておりまするが、つまり余り大したことはないような話をしておつたように記憶しております。
  577. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その医者の診斷の結果執行停止を継続する必要はないということで翌日期間が満了で眞木東京拘置所に行つたのですね。
  578. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) ええ。翌日拘置所に行つたことになつております。
  579. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 第二回の又執行停止があつたようですが、それはあなた方の方から弁護人の方から事情を具して願われたのですか。
  580. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) はあ、そうでございます。
  581. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その理由はどういうわけですか。
  582. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) この理由はですね、たしか新鋭大衆党の方の財産調べが非常に東京都の方から早く出して貰いたいというような請求があつて、ところが本人がいなければ家の者には分らんということでありまして、当局の方でも本人が出ることを希望しておつたと思いますが、そういうことで判事に頼んだと記憶しております。
  583. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木はその整理をするため、新鋭大衆党なり、戰災者更生会、眞木個人の財産というものの区分けをつけたり、整理をするには何日くらい要するというようなことを言つてつたんですか。
  584. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) それはですね、殆んど人任せにしてあつて、その人がいなくなつておる。更生会の方であつたかも知れませんが、私その更生会とか、新鋭大衆党の方の関係はさつぱり知りませんものですからただ聞いただけでありますのですが、事務をとつてつた者がいなくなつたのでさつぱり分らないのだ。簡單に……その人を探して呼び合わして聞かなくちや整理ができないのだ。だからとても十日や十五日ではできそうもないというようなことを言つてつたと記憶しておりますが……。
  585. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) それで二十日間執行停止がありましたね。
  586. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) それで二十日間執行停止になつたと思います。
  587. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その後更に又整理ができないという理由で二十日延期して貰つた……
  588. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) そうです。
  589. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) その間眞木はその整理を眞面目にやつたでしようか。
  590. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) やつてつたと思います。そのことについては私関係しませんものですから行動についてはさつぱり知りませんです。その間の行動についてはですね。
  591. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) この事件の裁判の審理の状態等について、どういうお考えがありますか。
  592. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) 実に裁判所の審理といたしますれば審理の方法については叮嚀に審理をしたと私は記憶しております。細かい点まで実によく審理をしたのじやないかと思います。
  593. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 眞木病氣、それから財産の整理の関係のために執行停止のあつたような関係から事件の審理が遲延したというふうに考えられませんか。
  594. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) はて……。
  595. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 今のような執行停止を二回も三回もやりまして、そういうことからこの事件の審理が遲くなつたというようなことの感じはございませんか。
  596. 牧野内武人

    証人(牧野内武人君) それはちつとも私は感じておりません。審理の方は執行停止の方の関係如何に拘わらず、できるだけ進めておつたように、特にこの事件は期日を早くやつてつたように記憶しております。
  597. 鈴木安孝

    委員長鈴木安孝君) 大変お待たせいたしまして長い間御苦労でした。これで終ります。  本日はこれで閉じまして、明後日午前十日から開会いたします。    午後三時二十二分散会  出席者は左の通り。    委員長     鈴木 安孝君    委員            鬼丸 義齊君            大野 幸一君            松井 道夫君   証人    医     師 桑原 龍象君    警     部 斎藤 良治君    弁  護  士 高木 松吉君    弁  護  士 牧野内武人君