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証人(
前野與曾吉君) 私は長い間、
地方政治の
議員をしておりましたが、今度は一切
政治方面から身を引くつもりでおりました。それで昨年の四月に行われました
総合選挙の時にも出る
意思は全然なか
つた。最後の付き合いとして
皆さんの
選挙のお手傳いはやります。私は一線から退かして貰いますということを言いもし、又そのつりでお
つたのであります。現のどの
選挙にも出ませんでした。併しそれでは党として志気沮喪して
選挙戰に非常に不利だから、一般に公表するのは先ず待
つて貰いたい。一部の
幹部は承知しておるというわけで、
資格審査表を出して置かなければ、如何にも公表したのと同じようなことになるから
資格審査の
申請はして呉れということを非常に要求されまして、店の者は先ずその取扱いをしておりましたけれども、やはり
本人に聞かなければ出さないというので、私も
皆さんのためになるなら
申請しようという氣持にな
つて資料を提供しようと
思つて、始めてその
審査表を見たのであります。ところがなかなかむずかしくて全部は私も記憶で書き盡されない、いろいろ
参考になるものを見ても尚それでも分らないところは
管理委員会に
行つて聞いて來なければならないと
思つて、幸い長い間
市会議員をしておりまして知合が多いから、役所の方だけは私が直接
行つて聞いて
來ましようと
思つて市役所に行きまして、いろいろなことを聞きました。最も
重点は私が
曾つて昭和の初め頃
地方選挙の時に
同志と
一緒にや
つた行動が咎められて
罰金刑に処せられたことがあります。そのことは当時のやはり
政爭の一部の延長でありまして全市を騒がした大きな問題で、
自分も良心的に余りやましいことと
思つていなか
つた。現にその
事件のあ
つた年、我々
罰金を受けた被告が全部揃えて高点で
当選者にな
つた。私はそれを笑話に言
つておるほどでありました。併し愈々
審査表に書くとなれば、罪名などを書かれなければならん。そういうことを記憶しておりませんので、
市役所に行きまして、そういう
記録がある筈だからとい
つて、
選挙委員の
事務局に
行つてそれを調べて貰うことを頼んだのであります。ところがその時、私に教えて呉れた係員が一番私の
重点であ
つた前科の問題は戸籍の
担当者に調べて貰
つたけれども書いてない。
一緒にあなたと同じ
立場にあ
つた人の分もなくな
つておるから消えてしま
つて、何もなか
つたと同じ状態であるから書かないでもよろしいでしようという。私は当然書くつもりでありました。何とか外に
方法はないかということを繰返し聞いたのでありますが、どうも
記録がないから
資料を出すわけに行かん。それで困
つて一体どうしたらいいかと思案した。ところがそこには
該当事項なしとお書きなさいと勧められて、さように記載いたしました。それと今一つは何項かに
演説や
著述印刷物等の一切を書くようにというお示しがありますが、一番惱んだのは
演説でありまして、どの
程度のことを
演説というのか、何十年前の
政治生活だから、それを全部を書くということは到底それはもう思い出すこともできませんし、書き切れるものじやない。どうしたらいいだろうというときに他の例を見せて貰
つて、こんな要領で書いたらよかろう、よその人の書いたのを見せて貰
つたら案外簡單に要約して書いてあ
つたから、そういう
程度のものかということで、
演説の方は代表的なものを取纒めて書きましたが、著述印刷といふ方は、これは読んだところが、我々の常識では著述だとか印刷というものは、これは纒
つた書籍か或いは定期刋行物等に載せたものであろうと思いまして、文筆家でない私においては、これはもう初めからすでに当るものはないと思込んでおりますから、何らそこに深い思いもせずに、ないものとして届けたのでありました。私がいよいよ
選挙が終
つて私の当選と確定しますと間もなく、相手方の
選挙陣営にあ
つて應援した人から、先ず第一番に前科を書いてないことは違反だと言
つて告発されました。併しこの人は非常に奇人でありまして、
自分で長官候補にも立ち、
代議士にも、あらゆる
選挙に立候補して立つ。勿論落選し、もう
自分の顔を見て笑
つたと言
つては人を告訴する程の告訴狂の奇人です。有名な名物男なので、この人のやることはどうも常識を逸しているので、誰も眞面目で言
つている人はないと私も笑
つてお
つたのです。あの男のやることは天下周知のことで、あれは顔を見と笑
つても告発するのだ、現に私はその前にも告発されている。それは私が民主党の支部長としての責任で、あの人が
市長候補に立
つたときのポスターの上に民主党のポスターを貼
つてあ
つたというので、結局責任は支部長の責任だというので告発されたことがありますが、不
起訴になりました。宣してもその類だと
思つて余り深い関心を持
つておりませんでした。そのことがあ
つて一週間ばかりすると又次のことが始
つた。それは私が戰時中にとにかく勤労が大切だ、先ずこれはどういても日本大がこれでは敗けそうだし、それから
自分らも國民の一人として黙
つておれない気持で働きました。私は当時も言
つておりますが、余りに口先の指導者が多過ぎて実行者が少いからいけないのだ、私は黙
つて働いてお
つたのですが、私と協同に事業をや
つております、現在私の会社の專務をや
つております林謙二という人が來て、あなた幾ら畫夜働いたところで、あなた一人の労力で
戰爭は勝てるものでもないのだし、社会は動きません、大衆と共におやりなさい、それには私が案を立ててあげますと言われて一切をお委せした。私の
運動を大衆に呼び掛けて組織化そうと
思つて趣旨書を作
つて呉れたのです。併しその趣旨書には、たとえロボットでありましても私の名前が出ておりますまから、それを反対党の島影という
市会議員が持出して、そうして私の反対の
候補者であ
つた親戚の者の名前で反対党の人の
選挙事務所で告発状を書いて、記載洩れだという告発せしたのであります。当時
新聞記者に聽かれましたときに、私が答弁したことが
新聞記事に出ておりますが、あれは実際は私が書いたものではない、林という人が書いたものであるし、もともとあれは著述でもなんでもない、あれは
資格審査表に書くべきものだと
思つていないから問題になりませんでしようと言うて答えて置いたのですが、
新聞記事に出て初めて、はあ、そんなものがあ
つたかと気が付いたくらいのもので、若しあの全部のものをも一々書くのもとするならば、それはこれ又
演説と同じようにとても一々出せないし、証拠もありませんから、その後あんなものが若し必要だと困ると思いまして、分るだけのものを探
つて五、六種類取纒めて追加
申請をしましたけれども、北海道の審査
委員会ではその必要なしとして却下をされましたし、よもや
起訴になるまいと思いましたのが
起訴になり、第一審では先の前科が書かなか
つた一点は、私が全く他意がなか
つたものとして無罪の
決定があり、印刷物に対しては、これは重要なるものを書き洩らしたことが不都合になりとして
罰金五千円の申渡しがあ
つたのであります。そこで高等
裁判所に上告いたしまして審議を重ねました結果、今度はこれが
ちようど反対になりまして、印刷物の問題は、これは審査
委員会が要求するいわゆる印刷物、著述に類するものではないというようなことで無罪となり、第一審で一旦無罪となりました
罰金刑の問題は、凡そ前科はその種類の如何に拘わらず、事の大小に拘わず重要な
事項として扱
つておるのであ
つて、それを書かないことは違反だというので、
罰金五千円の申渡しがありました。只今
最高裁判所に上告しておるわけであります。