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1948-08-02 第2回国会 参議院 司法委員会資格審査不実記載に関する小委員会 閉会後第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十三年八月二日(月曜日)    午前十一時十九分開会   ————————————— 昭和二十三年六月四日(金曜日)司法 委員長において、左の通り小委員を選 定した。            伊藤  修君            來馬 琢道君            遠山 丙市君            星野 芳樹君            松村眞一郎君 六月十日(木曜日)小委員長互選の結 果左通り決定した。            伊藤  修君   委員の異動 六月二十六日(土曜日)司法委員長に おいて、小委員を左の通り追加選定し た。            齋  武雄君            小川 友三君   —————————————   本日の会議に付した事件証人資格審査表不実記載に関する  調査の件   —————————————
  2. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それではこれより資格審査不実記載に関する小委員会を開会いたします。本日御多忙のところ証人の方御遠方御出頭願いまして、只今申上げました事件に関して裁判の取扱について聊か調査したいことがありますからわざわざ御出頭を願つたのでありす。御証言を願う前に宣誓書を朗読して頂く、こういうことになつておりますから各自御朗読を願いたいと思います。    〔總員起立証人は次のように宣誓を行なつた〕    宣誓書  良心從つて眞実を述べ、何事もかくさず、又何事もつけ加えないことを誓います。    証人       安田 源吾    宣誓書  良心從つて眞実を述べ、何事もかくさず、又何事もつけ加えないことを誓います。    証人       奥田 龍一    宣誓書  良心從つて眞実を述べ、何事もかくさず、又何事もつけ加えないことを誓います。    証人       前田 啓太
  3. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 証人安田源吾さんですね。お所とお職業と御年齢は……
  4. 安田源吾

    証人安田源吾君) 東京都新宿区西大久保二の二〇一です。
  5. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 職業はなんですか。
  6. 安田源吾

    証人安田源吾君) 職業会社員です。
  7. 伊藤修

    委員長伊藤修君) お年は。
  8. 安田源吾

    証人安田源吾君) 五十五才です。
  9. 伊藤修

    委員長伊藤修君) あなたの学歴はどういうものですか。
  10. 安田源吾

    証人安田源吾君) 中学を出ております。
  11. 伊藤修

    委員長伊藤修君) どこの中学をお出になりましたか。
  12. 安田源吾

    証人安田源吾君) 御岳中学です。
  13. 伊藤修

    委員長伊藤修君) あなたの經歴の大要を一つ述べて頂きたいと思いますが。
  14. 安田源吾

    証人安田源吾君) もと学校を出まして軍人になりましてから、それからちよつとそこで軍人でけ躓きまして、それから退職いたしましてから商業を少しやつて参りました。爾後二つばかりの会社の職員に変つて來まして、ずつと引続き現在のところにおります。
  15. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 兵役関係は……それは現役ですか。
  16. 安田源吾

    証人安田源吾君) 現役徴集をされました。
  17. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 終いに何におなりになつたのですか。
  18. 安田源吾

    証人安田源吾君) 終いの年ですか。
  19. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 終りの、何と言いますか、階級ですか。
  20. 安田源吾

    証人安田源吾君) 階級軍曹です。
  21. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 憲兵にいつ轉科されたのですか。
  22. 安田源吾

    証人安田源吾君) 大正四年か五年と記憶しております。……大正五年であります。
  23. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 大正五年ですか。それからいつまでおやりになつておつたですか。
  24. 安田源吾

    証人安田源吾君) 大正の五年から八年の末と記憶しております。
  25. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 大正八年……。この間の御經歴一つおつしやつて頂きたいのですが。
  26. 安田源吾

    証人安田源吾君) その間ですか。その間歩兵に入りまして、それから五年に憲兵科に轉科をいたしまして、そうして上等兵から逐次三年ばかりの間に軍曹に進みまして、薩発連に行つておりました。いわゆるアコーという所であります。そこで保安係をやつておりまして、保管中の金を人に、つまり友達に融通したのが原因で、それが遊興に供せられたというので、その男がやはり同じ憲兵科司法処分に附せられました。でやはり私はその金を……いわゆる保安係でありますから扱つております金を使わしたということが私横領になりまして、同時にそれと一晩宴席に侍つた関係上と、その上司がそこにおつたため、それから代金をその男が拂つてなかつたというので、收賄に問われまして、それで処刑を受けまして、私はそのとき歩兵科にまあ逆戻り……復役令から行きますと志願者は前兵科に戻る、それで憲兵兵役は終つたわけであります。
  27. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 憲兵になられた動機はどういうものですか。
  28. 安田源吾

    証人安田源吾君) 別になんという動機もありませんですけれども、兄弟が沢山ありまして私一番末子でございまして、どうせ家の帰つたつてしようがないし、まあ兵隊でも志願するかというので、ときの中隊長あたりが、同僚が前に志願をしておりまして勧めによつてただ單になつたに過ぎないような程度でごさいまいます。
  29. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 憲兵になられて昇進したのですか。
  30. 安田源吾

    証人安田源吾君) 軍曹まで……
  31. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 憲兵になられたときにはなんですか。どういう階級つたのですか。
  32. 安田源吾

    証人安田源吾君) 歩兵上等兵です。
  33. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それじや憲兵中に軍曹になられたのですね。
  34. 安田源吾

    証人安田源吾君) さようでございます。
  35. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 勤務の内容は保安係というとどういうのですか。
  36. 安田源吾

    証人安田源吾君) 向うへ行つたときに保安係になつたのです。
  37. 伊藤修

    委員長伊藤修君) どういうことをやるのですか。
  38. 安田源吾

    証人安田源吾君) 占領地保安係ですから、何と申しますか、例えば海岸あたりに溺水者があるとか、消防関係とか、或いはその他救済的に属するようなロシア人の保護の任務をいたしますし、そうしたことが保安係の仕事であります。
  39. 伊藤修

    委員長伊藤修君) あなたは兵役終つてからなにか政治に御関係になつたのですか。
  40. 安田源吾

    証人安田源吾君) 政治に一遍も関係したことはございません。ただこの事変の始まる前に戰時体制強化という時代に都知事から町会を、なんと言いますか、分離と言いますか、地域的にして、こうした地域からこうしたもので町会作つて一つ戰時体制強化委員という委嘱状を頂きまして、当時私の地域で五名、それによつて町会を守り立てると申しますか、作ります委員になりまして、それから役を受けたその当時、強化委員として私が庶務總代として職をやつていた。引続きずつと順次ただ町会の縁を切らずして、昨年五月三十一日まで、その他副会長をやり、理事をやり、いずれも役員をやつたつた
  41. 伊藤修

    委員長伊藤修君) すると、それはただあなたのお住いになつておる町の町会事務みたいなものですね。
  42. 安田源吾

    証人安田源吾君) さようでございます。
  43. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それは政治的になにか関係があるのですか。政治的になにか活動されたのですか。
  44. 安田源吾

    証人安田源吾君) なにもございません。
  45. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 殊に上意を下達される……
  46. 安田源吾

    証人安田源吾君) ただ焼け出された町民をお世話したに過ぎない。
  47. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 曽つて政掌政治関係されたことはないですか。
  48. 安田源吾

    証人安田源吾君) もとから全然何にもありません。
  49. 伊藤修

    委員長伊藤修君) あなたが御交際なつているお方で、政治家とか或いは実業家とか或いは官界の人とかいつたもので相当な人がありますか。
  50. 安田源吾

    証人安田源吾君) ございません。独立独歩で、立候補いたしましたときも無所属で立ちました。隣の地域から潮という友人が出ておりますが、これとも性格的に合わん素質を持つておりますし、町会も違つておるし、余り深い交際もしておりません。
  51. 伊藤修

    委員長伊藤修君) あなたの今お述べになりました公職以外に、何か公職にお就きになつたことがありますか。
  52. 安田源吾

    証人安田源吾君) 民生委員をやつたことがあります。
  53. 伊藤修

    委員長伊藤修君) どのくらいおやりになつたのですか。
  54. 安田源吾

    証人安田源吾君) 町会長時代方面委員という末期に、二、三ヶ月間方面委員というものをやりました。それから民生委員令が出まして、引続き民生委員をやりまして、約一年ちよつとくらいやりました。
  55. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 何かそれは理事とか何かにおなりになつたのですか。
  56. 安田源吾

    証人安田源吾君) 民生委員常務委員であります。
  57. 伊藤修

    委員長伊藤修君) その外には。
  58. 安田源吾

    証人安田源吾君) その外には城西という購買組合がありまして、これは淀橋警察官内の町会が全部会員でできたいわゆる御案内の安田町信君のところに現在あります。ありの理事を皆各町会長が受けたので、私も理事をやつたのです。これは選挙直後私辞任をいたしました。選挙を終りましてから後辞めたのであります。
  59. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 外には……
  60. 安田源吾

    証人安田源吾君) 外には何もやつておりません。ただ電氣自制会だとか或いは農園の組合支部長だとか、そういうお世話をやつております。
  61. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 今度何か公職立候補なさつたのではございませんか。
  62. 安田源吾

    証人安田源吾君) 何もございません。
  63. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 最近何か公職立候補なさつたのではないですか。
  64. 安田源吾

    証人安田源吾君) それは区会議員に昨年立候補いたしました。
  65. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それは当選なさつたのですか。
  66. 安田源吾

    証人安田源吾君) 当選いたしました。
  67. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それでどのくらい在職されたのですか。
  68. 安田源吾

    証人安田源吾君) 四月三十一日の選挙で、私が通告を受けましたのが五月の三日が四日で、その間審査が留保されてありまして、八月六日の該当の通知を受けますまでやつたことになつております。それで辞任いたしました。
  69. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 区会議員といたしましては、何か役に就かれましたですか。
  70. 安田源吾

    証人安田源吾君) 区会議員は、私一度最初何かに出たきりであとはまだ留保されているというので遠慮して行きませんでした。何か外の委員をやつているのだとという通告を受けたことはありますが、ちよつと記憶に止めてありません。
  71. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 一回お出になつただけですか。
  72. 安田源吾

    証人安田源吾君) 正式には一回しか出ておりません。
  73. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 外にもう公職の御関係はないのでですか。
  74. 安田源吾

    証人安田源吾君) ありません。
  75. 伊藤修

    委員長伊藤修君) あなたは昭和六年以降に行われました満洲事変以來日本戰爭に関して協力的言動とかがあつたということはありませんですか。
  76. 安田源吾

    証人安田源吾君) 絶対ございません。その当時翼賛会だとかいろいろのことを言つて來られましたけれども、私余りどつちかと申しますと、自分軍人でそうしたことは嫌いではないけれども、むしろ反軍的氣持を持つて、その当時の軍法会議とか何とかというものに対してはそういう氣持を持つておりました。余り軍の行動というものは、むしろ私相当な、反抗はしませんけれども、意見を持つておりますので、成るべくそういうようなことには携りたくないという氣持を持つておりまして、町会のことかんかどうせ徴用にでも取られたという氣持で私はお働きし、自己の過去の失敗もありますし、何か町民のために罪減ぼしという信念でやつて來ました。
  77. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 普通戰爭中において一般國民がしたような、國民としての協力態勢ぐらいの程度ですね。
  78. 安田源吾

    証人安田源吾君) さようでございます。
  79. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 進んで戰爭に対して指導的な役割を演じたことはございませんか。
  80. 安田源吾

    証人安田源吾君) 絶対ございません。
  81. 伊藤修

    委員長伊藤修君) そう伺つてよろしいですね。
  82. 安田源吾

    証人安田源吾君) はあ。
  83. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 何かこれまで著述とか講演とかなさつたことはありませんですか。
  84. 安田源吾

    証人安田源吾君) 一回もございません。
  85. 伊藤修

    委員長伊藤修君) そういうことで……
  86. 安田源吾

    証人安田源吾君) はあ。選挙にも演説というのは街頭で、一、二度、余り勧められて前日にしたくらいのもので、余りしたことはないです。
  87. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 区会議員にお出になつた理由はどういうわけですか。
  88. 安田源吾

    証人安田源吾君) 区会議員ですか。これは檢事局でしばしば申上げ、委員会でも私が申上げておりますが、区会議員になろう、政治家になろうということは毛頭考えておらなかつた。而も四月の殆んど最後に私がこの審査表を出したというようなこともそこから始まるのでございますが、もともと私過去を申しまますと、自分失敗の経験もあり、又お互いに土地の信用なくしては何事も成り立たんということが私の考えです。殊に財力を持たない者から言えば、一層その信用が大である。その信用はどうするかと言えば、お互いに地元の信用だ、そこで町会に携りまして町民からは迎合と申しますかお世辞的に会長さんだとか、或いはあなたもどうだとかいろいろの選挙のようなことがありますと勧められたことがございますが、そこで考えますことは、一体自分という者が何か秤にかけられるとすれば、この機会だ、町民のメンタルテストを受けるのだ、私もこの機会に出て、金もない男だけれども、どこまで努力が皆に買つて貰えるか、むしろ区会議員の趣意に副いませんけれども、そんな立場から落ちれば自己のまだ努力、又一般の信用が足らんものだと諦めればいいのだ、幸にして当選すれば自分の信頼がこの程度だということがはつきり分るというようなことが、十中の八、九まで手傳つてつたものですから、私が最後一つやつて見ようという氣持になつたわけであります。
  89. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 町内におけるというか、区内におけるところのあなたの價値一つ……
  90. 安田源吾

    証人安田源吾君) 價値を裏付けるために一つ試験的にやつて見ようというのでございます。
  91. 伊藤修

    委員長伊藤修君) そういうような考え方だつたのですね。
  92. 安田源吾

    証人安田源吾君) はあ。
  93. 伊藤修

    委員長伊藤修君) そうすると別に政治的に何か相当野心を持つているというような考えはなかつたのですか。
  94. 安田源吾

    証人安田源吾君) 絶対そういう考えはございません。
  95. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 選挙費用は勿論あなたのの……、どこからか應援されたのですか。か相当野心を持つているというよう
  96. 安田源吾

    証人安田源吾君) 應援者は一人もございません。
  97. 伊藤修

    委員長伊藤修君) あなたの自費でおやりになつたのですか。
  98. 安田源吾

    証人安田源吾君) はあ。
  99. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 資格審査表はお出しになつたのですね。
  100. 安田源吾

    証人安田源吾君) 出しました。
  101. 伊藤修

    委員長伊藤修君) その後昭和二十二年六月三日東京都の公職適否審査委員会で、軍務についての経歴を御説明になつたことはありますか。
  102. 安田源吾

    証人安田源吾君) ございます。
  103. 伊藤修

    委員長伊藤修君) その際は今申されたようなことを御説明になつたのですか。
  104. 安田源吾

    証人安田源吾君) さようでございます。そのときはそういう私の選挙に出るとか出ないとかいう今のお尋ねのようなことは出ません。
  105. 伊藤修

    委員長伊藤修君) いや先程の軍務についての経歴をお述べになりましたね。
  106. 安田源吾

    証人安田源吾君) 述べました。
  107. 伊藤修

    委員長伊藤修君) そのことをその委員会でお述べになりましたのですか。
  108. 安田源吾

    証人安田源吾君) さようでございます。
  109. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 委員会でですか。
  110. 安田源吾

    証人安田源吾君) はあ。
  111. 伊藤修

    委員長伊藤修君) その委員会であなたの軍務経歴をお述べになりましたかどうかということを伺つているのです。
  112. 安田源吾

    証人安田源吾君) 述べました。
  113. 伊藤修

    委員長伊藤修君) そうすると審査表に書いてないということはおかしいことじやないですか。
  114. 安田源吾

    証人安田源吾君) さようでございます。書いてないことを……
  115. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 書いてないことをお述べになつたのですか。
  116. 安田源吾

    証人安田源吾君) 書いてないことを言いました。
  117. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 審査表には書かずして口頭にはお述べになつたのですか。
  118. 安田源吾

    証人安田源吾君) そのときは書いた書かないというよりも、憲兵であるかないかというのがお尋ね重点でございます。
  119. 伊藤修

    委員長伊藤修君) そのことが書いてないのでしよう。
  120. 安田源吾

    証人安田源吾君) 書いてないのです。
  121. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 書いてないことを口頭でお述べになつたのですか。
  122. 安田源吾

    証人安田源吾君) はあ。
  123. 伊藤修

    委員長伊藤修君) そうすると審査表とあなたのお述べになつたことと違うのですね。
  124. 安田源吾

    証人安田源吾君) 向うで書いてないことを尋ねられたのです。
  125. 伊藤修

    委員長伊藤修君) そこで憲兵であつたかないかということです。
  126. 安田源吾

    証人安田源吾君) 憲兵でないということを述べたのです。
  127. 伊藤修

    委員長伊藤修君) ないとお述べになつたのですか。
  128. 安田源吾

    証人安田源吾君) それは歩兵科に轉科しているから、私の解釈が満洲事変前であり三十数年前のことだから必要ないと思つて、書かなかつた原因がそこにありますので、私は憲兵でないことを主張したのです。
  129. 伊藤修

    委員長伊藤修君) そうするとあなたのお考えは満洲事変前だから書かなくてもいいのだという……
  130. 安田源吾

    証人安田源吾君) 満洲事変前であり数十年前のことは差支ない、こういうことは初めから調べて貰つたり、町会長友達から聞いたり……それにとつさにこういうことを言われたから、殊に下士官は差支ない、こういうふうに解釈して書かなかつたのです。
  131. 伊藤修

    委員長伊藤修君) ああそうですか。書かなかつた理由はそういうことで書かなかつたのですか。
  132. 安田源吾

    証人安田源吾君) さようでございます。
  133. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 資格審査該当決定を免れようと思つてお互い運動することもありますね。
  134. 安田源吾

    証人安田源吾君) 運動ですか。
  135. 伊藤修

    委員長伊藤修君) ええ。
  136. 安田源吾

    証人安田源吾君) そういうこともあるように聞いております。
  137. 伊藤修

    委員長伊藤修君) あなたはどうなんですか。
  138. 安田源吾

    証人安田源吾君) いや、運動どころか委員会では喧嘩をして私も憤慨をし、又委員さんに相済まんけれども勝手にして頂きましようとまで言つて退席したのですから、運動どころの騒ぎじやありません。
  139. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 喧嘩ですか。
  140. 安田源吾

    証人安田源吾君) 喧嘩して帰りました。そんな結果が事件の発端になつたように考えます。
  141. 伊藤修

    委員長伊藤修君) もう一度お伺いして置きますが、お書きにならなかつたという氣持ちは今まで仰しやつたことに相違ないわけですか。
  142. 安田源吾

    証人安田源吾君) 相違ございません。要するにもう大正年代のことであり、服役令から行きまして憲兵は褫奪をされまして前兵科歩兵に逆戻りしまして、兵役は尚志願でございませんので、これは一定の停年まで義務がございます。從いまして私の考えは満洲事変以後の憲兵であるとか、軍籍にあるとか、殊に將校は無論問題でいけません。こういいふうに考えておりまして、私は必要ないという氣持で、書く氣もないから書いておりません。甚しきに至りましては歩兵軍曹と書く必要もなければ、それまで訂正しておる審査表が出ております。そういう氣持で書きませんでした。
  143. 伊藤修

    委員長伊藤修君) まあ形の上ではこういうふうにも見られますね、いわゆるポツダム宣言の履行に基くあれとして、戰爭協力者という一つの表の上に含まれておる兵役関係ですから、そういう人は好ましからざる者として公職に就くことはできんということになつておる人が、殊更に隱してそうして新らしい政治活動に潜入するというふうに形の上では見られますね。
  144. 安田源吾

    証人安田源吾君) 形の上では檢事もそこに重点を置いてそういうお尋ねを受けたのですが、それは御解釈の仕方で、私としては書かないということはすでにそこから始まつて書かないのですが、それは重大なことで今日憲兵であれば年限の如何を問わんのだ、こう仰しやられれば御尤もだということで、私は申上げたわけです。
  145. 伊藤修

    委員長伊藤修君) そうですか。
  146. 安田源吾

    証人安田源吾君) むしろ他の兵隊さんと違いまして、自然に辞めたりして恩給を頂戴して喜んで行つた軍人時代と違いまして、私はむしろその間の取扱……自己失敗失敗であるけれども、余りに軍のそのなんと言いますか、軍法会議とか処置というものに対して好い感じを持つておりませんのですから、軍人というものはむしろ自分でやつていながら余り好い氣持を持つておりません。
  147. 伊藤修

    委員長伊藤修君) この事件が起訴されましてから、別段に事件取扱に対しまして、殊更に引延ばすとかいろいろな方策を講じなさつたとかいうことはありませんか。
  148. 安田源吾

    証人安田源吾君) 延ばすどころか頗る簡單でございまして、起訴されまして、呼出しが一回ありまして、事実審理と言いますか、簡單至極で否定の権利も持ちませんし、その通りを私認めて、それが三月の十八日でしたか、あとは三月の二十五、六日に判決言渡し、こういうことで頗る短期間に簡單終つて、そのまま控訴権も放棄しておるわけであります。
  149. 伊藤修

    委員長伊藤修君) そうすると公判は一回ですか。
  150. 安田源吾

    証人安田源吾君) さようでございます。
  151. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 判決執行猶予ですか。
  152. 安田源吾

    証人安田源吾君) 執行猶予です。
  153. 伊藤修

    委員長伊藤修君) どれだけの執行猶予ですか。
  154. 安田源吾

    証人安田源吾君) 禁錮六ヶ月、二ヶ年の執行猶予です。
  155. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それであなたは控訴を放棄しておるのですか。
  156. 安田源吾

    証人安田源吾君) 控訴を放棄いたしました。
  157. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 檢事控訴か何かになつておりすか。
  158. 安田源吾

    証人安田源吾君) 何もいたしません。
  159. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 事件は終了しておるのですか。
  160. 安田源吾

    証人安田源吾君) はあ、檢事の求刑が丁度禁錮六ヶ月、但し執行猶予という判決の言渡しがあつたのです。
  161. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 現在は勿論何も公職に就いておいでにならんですね。
  162. 安田源吾

    証人安田源吾君) 何も就いておりません。民生委員も辞しております。
  163. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 公職追放令日本民主化の上においてどういうような意義を持つているかということについて、どういうお考えを持つていらつしやるのですか。
  164. 安田源吾

    証人安田源吾君) ここに書いて参りましたが、もう敗戰を受けました以上は当然止むを得んからもう先樣の仰しやる通りだ、簡單に申上げれば止むを得ないという一事に盡きると思つております。
  165. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 現在のあなたの思想上ではどうですか。それは……
  166. 安田源吾

    証人安田源吾君) もう負けたのだから仕樣がないじやないかという程度に、私はいつでも不平でもこぼすような人があれば言うくらいに考えております。
  167. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 軍國主義に対してはどういうお考えを持つておられますか。
  168. 安田源吾

    証人安田源吾君) どうも今軍國主義といつたつて、日本が再びどんなことをいつたつて、当分手足をもがれている。お互に負けたのだから諦めろとお勧めすることに努めた方がいいのじやないか、こう私は考えております。
  169. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 再び軍國主義になり得るようなことが期待されますか。
  170. 安田源吾

    証人安田源吾君) そんなことはありますまいと思います。
  171. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 日本としては……
  172. 安田源吾

    証人安田源吾君) おそらく軍國主義にはなれんだろうと思います。
  173. 伊藤修

    委員長伊藤修君) そうするとあなたの今後のお氣持として……
  174. 安田源吾

    証人安田源吾君) 私共の生きている時代に到底そういうことは考えるのがむしろ野暮な話だというような氣持を持つております。
  175. 伊藤修

    委員長伊藤修君) あなたが日本國民として、今後に処して行く上においての氣持としてはどうなのですか。
  176. 安田源吾

    証人安田源吾君) もう全然そんなことは考えないで行つた方がよいと思つております。
  177. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 全然そういうことは頭に置かんというのですね。
  178. 安田源吾

    証人安田源吾君) お互にもう今日では、やはり衣食住のために働き増産のために働いた方が一番よい。こうなればすでに軍國主義とか戰爭ということを放棄した以上は、もう無関心でよいのだから、ともかくお互に國民協力一致して働くに如かず、ころいうふうな私は考えを持つております。
  179. 伊藤修

    委員長伊藤修君) けれども今は止むを得んから時到らばというような考えは……
  180. 安田源吾

    証人安田源吾君) それはちよつと偉い人の仰しやられることで、私共はそんなことは夢にも……区会議員やそんなところへ出たのも、先程申したような出発点から出ているのですから、何も飽くまで齧り附ついてやるというような氣持はない。委員会に嘆願をしたりして曲りくねつておやりになる方もなきにしもあらずというようなことも聞いております。又露骨に申上げれば、委員会なるものも、議員さんは立派な人もあるかも知れませんけれども、あれは行政官や係員が委員さんの名においてやつていることで、その点で私は大いに不満を持つておる。ですから無論どうでも勝手にして呉れというような氣持から、だから辞表を出していつでも辞める氣持でいるのだからと、こう申上げて席を蹴つたくらいですから……
  181. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 或る方面ではあなたが非常な軍國主義で、どうも民主化については好ましくないにも拘わらず、僞つて新らしい政治態勢の方に進出して、何らか意図するところがあつたのじやないか。こういうような疑を受けていたわけで、それでお尋ねするわけです。
  182. 安田源吾

    証人安田源吾君) 見方によつては軍國主義と言われても、私には軍國主義ということは夢にも考えておりません。
  183. 伊藤修

    委員長伊藤修君) あなたの態度ははつきりしておいた方がいいと思いますからお尋ねしたのであります。
  184. 安田源吾

    証人安田源吾君) はつきりどころか、軍國主義ということは夢にも考えておりません。むしろ個人的に軍人ということから言えば、むしろ私は自分の子供にも軍人にはせんぞということは宣言して來ております。
  185. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 勿論思想團体とか、政治体に陰に、俗に言う地下で御関係なつていることはおありになりませんね。
  186. 安田源吾

    証人安田源吾君) 思想團体というものは私共にはありません。
  187. 伊藤修

    委員長伊藤修君) いやそういうものに御関係なつておりませんね。
  188. 安田源吾

    証人安田源吾君) ありません。いろいろな選挙をやつた当時には、衆議院の何とかかんとかいうようなところから、自由党とか何とかいう書面ぐらいは來たことがありますが、見たこともなければ返事もしないというくらいですから。
  189. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それではどうも大変お忙しいところを御迷惑でした。
  190. 安田源吾

    証人安田源吾君) 報告とございましたのでここにメモをしたのを、書面になつておりませんが書いて置きましたから。
  191. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それは参考に頂いて置きます。どうも御苦勞樣でした。    〔証人奥田龍一君着席〕
  192. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 奥田龍一さんですか。
  193. 奧田龍一

    証人(奧田龍一君) そうであります。
  194. 伊藤修

    委員長伊藤修君) お所は。
  195. 奧田龍一

    証人(奧田龍一君) 奈良縣生駒郡北倭村大字高山五千六百五十。
  196. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 御職業と齢は。
  197. 奧田龍一

    証人(奧田龍一君) 竹材会社の社長をやつております。齢は五十二才。
  198. 伊藤修

    委員長伊藤修君) あなたの学歴は。
  199. 奧田龍一

    証人(奧田龍一君) 学歴は小学校卒業。
  200. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 今日までの御経歴を大要をお述べ願いたいと思います。
  201. 奧田龍一

    証人(奧田龍一君) 経歴というても別に……職業方面ですか。
  202. 伊藤修

    委員長伊藤修君) いや一切です。
  203. 奧田龍一

    証人(奧田龍一君) 職業方面では竹材の加工をやつておりまして、小学校を出ると直ぐつまり竹製品の製造をやつておりますので、それがずつと個人経営でやつておりまして、昭和十九年から株式会社に組織変更しまして、そうして現在やつているわけでございます。
  204. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 外に何にもおやりになつておりませんか。
  205. 奧田龍一

    証人(奧田龍一君) 外には職業方面としてはそんなものでございます。
  206. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 兵役の方の関係は……
  207. 奧田龍一

    証人(奧田龍一君) 兵役関係はなかつたです。
  208. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 政治関係は……
  209. 奧田龍一

    証人(奧田龍一君) 政治関係と言つても、私の村の北倭村における村会議員と農業会の理事ぐらいのことでございます。
  210. 伊藤修

    委員長伊藤修君) そうすると今申されたように公職としては二つですか、他にしておりませんでしたか。
  211. 奧田龍一

    証人(奧田龍一君) 現在ですか。
  212. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 今日までの公職及び現在です。
  213. 奧田龍一

    証人(奧田龍一君) それ他いろいろやつておりました。翼賛会の協力会の議員、それから町村の翼賛会理事、それから商工会議議員とか、そういうようなことであります。
  214. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 産業報國会の生駒支部の理事も……
  215. 奧田龍一

    証人(奧田龍一君) やつておりました。
  216. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 竹材統製組合の理事、それから区長もおやりになつておりますね。
  217. 奧田龍一

    証人(奧田龍一君) 区長は最近四ケ月ほどやりました。
  218. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それから物賣監視員、遺家族の援護会の副会長もやつておりますね。それ以外に公職に就いておりませんか。
  219. 奧田龍一

    証人(奧田龍一君) 大体そんなものであります。
  220. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 政治関係としてはどこかの政党に属しておりますか。
  221. 奧田龍一

    証人(奧田龍一君) 政党というものには別に属しておりません。
  222. 伊藤修

    委員長伊藤修君) あなたの政治的御見解としては……
  223. 奧田龍一

    証人(奧田龍一君) 議員にでも当選すれば前の自由党あたりがいいと思つておりました。
  224. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 戰時中いろいろな公職に就いておりました際に、戰時中の当時の施策について御協力になつたでしよう。
  225. 奧田龍一

    証人(奧田龍一君) 別にそんなことはありません。
  226. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 役目で受けられた程度ですか、積極的に御活動になつたことがありますか。
  227. 奧田龍一

    証人(奧田龍一君) そんなことはありません。
  228. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 戰爭中著述とか講演とかを役員としてなされたことがありますか。
  229. 奧田龍一

    証人(奧田龍一君) それもありません。
  230. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 昭和二十二年に立候補されたのは縣会議員選挙立候補なされたのですか。
  231. 奧田龍一

    証人(奧田龍一君) そうです。
  232. 伊藤修

    委員長伊藤修君) その以前に資格審査を御提出になつたわけですね。
  233. 奧田龍一

    証人(奧田龍一君) そうです。
  234. 伊藤修

    委員長伊藤修君) どういうことですか、資格審査のとき何か違つておつたということは。
  235. 奧田龍一

    証人(奧田龍一君) それは私昭和十六年に大政翼賛会北大和……どの町村にも支部というものができまして、そのときに北大和支部の理事をやつておつたのです。丁度そのときに北大和で五名の理事がありまして、その内一人の理事をやつておつたのですけれども、その資格審査申請のときに大体期間も分らなかつたものですから、別に自分としましてもそれは追放に該当する重要な事項でもないというふうに解釈しておりましたので、書きませんでしたんです。それが今問題になつておるわけなんですが。
  236. 伊藤修

    委員長伊藤修君) あなたのお考えとしては、お書きにならなかつたことは何か外の目的があつたのじやなくして、重要事項でないと思つたから書かなかつたと。
  237. 奧田龍一

    証人(奧田龍一君) はあ。
  238. 伊藤修

    委員長伊藤修君) こう仰しやつたのですね。
  239. 奧田龍一

    証人(奧田龍一君) そうでございます。そのときに縣廳で説明会がありまして、町村の支部長、及び在郷軍人会長、冀賛壯年團長は追放に該当すると、そういうことをやつておられた方は必らず記入をせなければいかんという説明を聞かして頂きまして、別にその他の者はまあ追放に該当せんのだから別に惡意を持つて書かなかつたわけではないのですけれども、まあ重要な事項でないからそうして四五年も前のことですからやつておつた時日も分らんし、いつからいつまでやつたということも分らなかつたものですから書かなかつたわけです。
  240. 伊藤修

    委員長伊藤修君) こうも考えられますですがね。要するにあの資格審査というのは御承知の通り戰時中の協力者を排除するという意味であつた戰時体制に対する協力に関係した役職員の人はすべて追放すると、こういう趣旨で出ておるのですがね。それを殊更にお隠しになつて、そうして新らしい政治体制にあなたが乘り出して、あなたの前に持つておいでになつた考え政治体制の上に表現するというふうにも考えられますがね。
  241. 奧田龍一

    証人(奧田龍一君) はあ。それはまあそういうふうに解釈して頂きましたらそうなりますか知れませんけれども、私としては別にそうした追放に該当するというような事項もなく、輕微の事項であると思つてその他も書かなかつたわけです。その他やつておつたこともまあ重要な……自分が重要であると思うことだけを書きましたのです。
  242. 伊藤修

    委員長伊藤修君) これはまあ資格審査表の目的が戰時体制の協力者を探し出すということにあつたわけですから、それに関係するものはいずれも重要と考えられるのです。例えば一例として前科を隠したとかいうのは、それは事実を違えておつたということだけであつて、資格審査表の本來の目的には関係のないことと思われますが、政治的な関係、戰時体制の冀賛的な行動については、あの審査表の目的自体から考えても重要に考えられますが……あなたとしてはそれは重要事項でないと思うとこう仰しやるわけですね。
  243. 奧田龍一

    証人(奧田龍一君) そういうふうに考えておりましたものですから……
  244. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 殊更に隠して政治に乘出して、あなたの元持つてお出でになるお考えを、その政治の上に実現しようとかいうようなお考えはなかつたわけですね。
  245. 奧田龍一

    証人(奧田龍一君) はあ、そういうようなことは毛頭ありませんでございました。
  246. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 現在公職はどうなさつておるのですか。
  247. 奧田龍一

    証人(奧田龍一君) 現在もそうした政治方面のことは一切辞めておりまして、事業方面の、まあ物価監視員とか、或いは商工会議所の議員とか、そういうことはやつておりますが、政治方面のことにはもう一切関係しておりません。
  248. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 現在どういうようなお考えをお持ですか。本件に対しましては…
  249. 奧田龍一

    証人(奧田龍一君) 現在のこの問題ですか。
  250. 伊藤修

    委員長伊藤修君) いや、あなたの御心境ですね。
  251. 奧田龍一

    証人(奧田龍一君) 私の心境はとにかく府縣会議員立候補して次点でまあ落選したわけなんです。でそういうことでもう今後政治方面というようなことも考えておりませんです。まあ事業で一生懸命にやりたいというふうに考えておるのです。
  252. 伊藤修

    委員長伊藤修君) すると、特に政治的な野心をお持ちになつて、まああなたのお考えが保守的と考えられていますね。或いは軍國主義的と考えられても、全体主義と考えられても、そういうようなお考え政治の上に具現して行こうという積極的なお氣持でないわけですね。
  253. 奧田龍一

    証人(奧田龍一君) そうです。まあ若し政治にでも出るのであれば、先程も申上げましたように、保守の立場からでもやつて見ようかと思うくらいのことで、それを殊更にどうでもやつてみようというような考えも持つておりませんです。
  254. 伊藤修

    委員長伊藤修君) あなたは追放が御決定になつたのですか。
  255. 奧田龍一

    証人(奧田龍一君) 第一審で……
  256. 伊藤修

    委員長伊藤修君) いや、事件でなしに、追放の資格審査の方はそのままになつているのですか。縣の委員の方は……
  257. 奧田龍一

    証人(奧田龍一君) はあ、別にその後なにも伺いませんが……
  258. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 別に尋ねにもお出でにならんのですね。
  259. 奧田龍一

    証人(奧田龍一君) ええ、それがもう裁判が第一審で罰金五百円、それから一切の公職から追放ということになつたわけです。それで奈良の裁判所で第二審と言いますのか、原審通りで、二回目の公判に、但し二年間の執行猶予ということになつたわけであります、奈良の裁判所で……。それでその時に控訴手続をして置きまして、來る八月十七日に大阪の方で又裁判があるわけであります。それはどのようになるか分りませんけれども……
  260. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 他にお尋ねはありませんか。それではどうも遠方のところ有難うございました。
  261. 奧田龍一

    証人(奧田龍一君) いろいろどうも御厄介をおかけしまして相済みませんでございます。まあ私先程から申しましたような心境でおりますが、ただ町村の冀賛会の理事をしておつたということによつて罰金五百円、一切の公職から追放ということになつておるわけであります。それは私が記入しなかつたことはいいとは申しません、惡いということは分つておりまますが、輕微な事項だから書かなかつた、私の心境はそうなんですが、それでそうした罪を受けるということは、非常に私といたしましては心苦しい感じをいたします。どうか参議院のこうした審査をして頂きましていろいろお手数をかけましたことは、誠に恐縮に存じております。どうぞよろしくお願いいたします。
  262. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 御遠方のところ恐入りました。
  263. 奧田龍一

    証人(奧田龍一君) それから書いて持つて來いというので書いて参りました。
  264. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それは参考に頂いて置きます。あなたのお氣持が十分反映するように、頂いて置いた方がいいでしよう。
  265. 奧田龍一

    証人(奧田龍一君) 何分よろしくお願いいたします。    〔証人前田啓太君着席〕
  266. 伊藤修

    委員長伊藤修君) どうもお待たせいたしました。お名前は何と言いますか。
  267. 前田啓太

    証人(前田啓太君) 前田啓太であります。
  268. 伊藤修

    委員長伊藤修君) おところと御職業と年齢は。
  269. 前田啓太

    証人(前田啓太君) 大分縣下毛郡和田村大字田尻六百六十五番地、農業であります。
  270. 伊藤修

    委員長伊藤修君) お齢は。
  271. 前田啓太

    証人(前田啓太君) 四十三歳でございます。
  272. 伊藤修

    委員長伊藤修君) あなたの学歴は。
  273. 前田啓太

    証人(前田啓太君) 学歴は九州歯科医学專門学校の三年の中途退学であります。
  274. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 今までの御経歴の大要を大掴みのものをお聞かせ願いたい。
  275. 前田啓太

    証人(前田啓太君) 職業歴ですか。
  276. 伊藤修

    委員長伊藤修君) そうです。或いは公職関係昭和三年に例の共産黨事件関係しまして、三・一五事件では起訴猶予になりましたが、四・一六事件で懲役五年になりまして未決通算二百五十日で、昭和九年の六月二十六日かに鹿兒島刑務所を出まして、郷里の和田村に帰りまして農業をやつたのであります。それから昭和十二年から和田村役場の書記になりまして、昭和十六年十一月から村の産業組合の專務理事になりまして、それから昭和十八年の十一月から和田村農業会の初代の会長になりました。そして終戰の年でありますから昭和二十年ですか、二十年の三月に召集になりまして、都城の聯隊に入隊しまして、同年の十月に復員して、郷里に帰りまして、それから再び和田村農業会の專務理事になりまして、その翌年二十一年に和田村農地委員会会長になりまして、その間、昭和二十一年の初めから……二十年の終りからでありますが、共産黨の運動をやりまして、二十一年の二月頃から大分縣委員会の党の責任者をやつておりまして、ずつと今日までに至つております。
  277. 伊藤修

    委員長伊藤修君) あなたは政党は共産党ですね。
  278. 前田啓太

    証人(前田啓太君) はあ。
  279. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 政治に関與するに至つた動機と言いますか理由というものはどんなものですか。
  280. 前田啓太

    証人(前田啓太君) 大体郷里の中津中学に在学中は私は思想的なことは何にも知りませんでしたが、あちらの福岡の九州歯科医專に入学しましてから共産主義に共鳴しまして、そうして昭和三年の一月に今の共産党の書記長の徳田氏が、福岡縣の第四区からか衆議院議員立候補したことがあります。その時に徳田氏の選挙運動をやつてから政治の興味を覺えまして、ずつと共産党の運動をやつたのであります。
  281. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 戰爭中は勿論戰時体制には御協力になつていないわけですね。
  282. 前田啓太

    証人(前田啓太君) 戰時中私も出獄します当時、非轉向のままで出ましたし、村の農業会長、それから役場の農業会の方の役員をやつておりましたので、その仕事の範囲内では協力したという形になつております。
  283. 伊藤修

    委員長伊藤修君) その程度のことですね。
  284. 前田啓太

    証人(前田啓太君) はあ。
  285. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 講演とか著述とか、おありになりますか。
  286. 前田啓太

    証人(前田啓太君) ありません。
  287. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 著述は何にもないのですか。
  288. 前田啓太

    証人(前田啓太君) ありません。
  289. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 今度、去年ですか、立候補なさいました理由は。
  290. 前田啓太

    証人(前田啓太君) それは縣の党会議で以て、党の決議によつて立候補せよということで出たのです。
  291. 伊藤修

    委員長伊藤修君) あなたのお考えとして何か特別な理由がおありにならんですか。
  292. 前田啓太

    証人(前田啓太君) まあ自分としましても、共産党の政治活動をやるという決心をしておりますので、党機関の決議で以てやつたわけです。
  293. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 党機関の決議もあるけれども、あなた自身としては共産党の主義、政綱の具現を図るために、みずから進んで政治活動に入つた、こういうふうに伺つてよろしいわけですね。
  294. 前田啓太

    証人(前田啓太君) はい。
  295. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 選挙費用はどちらから……
  296. 前田啓太

    証人(前田啓太君) 選挙費用はこれは大体事務所の方に殆んど委せきりですからはつきり……
  297. 伊藤修

    委員長伊藤修君) いや細かいことでなく、選挙費用の出所ですね。
  298. 前田啓太

    証人(前田啓太君) 出所ですか、これは私も幾らか出しましたけれども、大部分が一般の党員からの基金であります。
  299. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 党の基金ですか、党の寄付ですか。
  300. 前田啓太

    証人(前田啓太君) 党員の基金だつたと思いますが……
  301. 伊藤修

    委員長伊藤修君) そうすると党の方で賄つたのですか。縣連の方で……
  302. 前田啓太

    証人(前田啓太君) はあ、縣の委員会の方で賄つたのです。
  303. 伊藤修

    委員長伊藤修君) あなたの資格審査の問題が起りましたね、その当時立候補なさるためにそれはどういうあれですか、概略をちよつとおつしやつて頂きませんか。
  304. 前田啓太

    証人(前田啓太君) これは実は私も意外としておつたのでありますが、大体昭和……これは当時年月日が私の記憶、それから関係書類が非常に分からなかつたために、翼賛壮年團の関係の役場の綴りが全部燒けてなかつたのです。それが分らない関係上、いつとも日時がはつきりしなかつたのでありますがその後裁判がありました結果、はつきり分つたのでありますが、大体昭和十八年の三月二十五日、これは私は壮年團の役員に全然なつておりませんが、和田村の壮年團の役員会がありまして、その当時の團長の四辻さんという人が、どうしても家庭の事情で罷めなければならない、後任團長に是非私になつてくれという満場一致の役員の決議がありました。それで私は丁度農業会の方に、役場から約三百メートル離れておるのでありますが、そこで事務を執つておると、役場の小使がやつて來て是非來てくれというので、役員会に行つて見た。そうすると、私に是非壮年團長に、満場一致で推薦するからなつてくれということでありましたが、私はその当時、思想犯の保謹観察所の方からも亦縣の特高課の方からも、絶対に翼賛政治運動関係には関係してくれるなと言う、農業会の方はいいが、政治の方面にはやつてくれるな、これは私前に、その当時の村長でありました宮久村長が村長になるときに、実は村会議員の間で私を村長に推薦していたのでありますが、そういう関係で私は縣の方の特高課、或いは保護観察所の方に意見を伺いましたときに、村長になつちやいかん、壮年團長というものにもなつて呉れるな、君はなつてはならんことになつておるのだから、こういうことを私聞いておりますので、その事情を話しまして、どうしても私はそんな村長とか、從つて又翼賛会の支部長とか、或いは壮年團長にはなるなという特高課並びに保護観察所の方からの話であるから自分はなれない、それでまあ折角のことであるがお断りすると言つて、私その当時断つたのであります。それを私は立候補をするときに、資格申請書を出しますときに、その事情をありのまま壮年團の事項に書いたわけです。それが丁度役員会のあつた日にち、いつやつたかということをいろいろ調べて見ましたが、はつきり分らないので、私は昭和十七年の九月頃、つまり眞夏でもなかつたし、そうかといつて冬でもなかつたから、とにかく春か秋かどちらかで、年度がはつきりしません関係上、いろいろ考えて見ましたところが、大体昭和十七年九月、秋じやなかつたろうかというので、私自分の記憶を辿つてそうだと信じまして、実は昭和十七年の九月、和田村翼賛壮年團の役員会で、満場一致で以て第二回の壮年團長に推薦されたが、治安維持法の違反の前科者であるという理由で以てその推薦を拒絶して、自分は就任しなかつたということを書いたのです。ところがその後、縣の資格審査委員会の方に大分投書が行つたという話を聞きました。それで縣の資格審査委員会から内々に呼ばれまして、いろいろ事情を聽かれたのでありますが、私は何でもありのまま話したのです。そうして縣の資格審査委員会の方で、町村壮年團長の任命権を持つておりました縣團長或は縣團の役員の方をいろいろ調べて見たところが、事実私の言う通りであるというので、一應資格審査の方はパスしたわけです。ところがその後、檢事局にいろいろ又投書する者がありまして、私もその後又檢事局の方ま松も喚ばれました。それで中津の檢事局に四月四日に喚ばれましたので、私その関係の事情を詳しく話して、いずれ縣團の方のこういう関係を調べて頂けば、縣の資格審査委員会でも了解して頂いたのだから分るだろうと思うから、それを一つ調査して呉れということを、私は檢事にお願いしておつたのでありますが、その後大分で、五月の選挙が済みましてから……その前も一遍私呼出されたこともありますが、十四日の日でしたか、はつきり日にちを私記憶しませんが、突如私を身柄拘束しまして、そうしてああいうふうにして起訴したのであります。私は身柄拘束されるときにも、あの縣團関係の問題を調べて頂けば、資格審査委員会でも分つたのだから、是非やつて呉れということを言いましたけれども、檢事はそんなことを調べる方法はないというので、そのまま私を無理やりに拘引したのであります。それで裁判の結果は、ああして私の主張が通りまして無罪になつたようなわけです。
  305. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 檢事は何か相当の証拠を捉まえて拉致したのですか。
  306. 前田啓太

    証人(前田啓太君) それは私には全然分らないのですが、あとで私一遍記録を謄写で貰つて見て見ますと、殆んどその当時の村長である宮久三治、私が農業会長で、向うが村長でありました宮川三治という村長の一派のいうことを、そのまま信用して全部やつたのじやないか、それで私の言うこととか、或いはそういうふうな縣團関係のことは全然調査せずしてやつていたというふうに私は考えられるのですが、事実又檢事としましても、町村壮年團長の任命権を握つていた縣團長並びにその役員を全然一人も調べずして、ただ町村團と、それから縣團関係の役員を一部調べて、そうしてそれで以て起訴するというのは、私非常にその当時も、それは余りのことじやないかと思いましたけれども、有無を言わせずして引張つてしまつたものですから、どうせ私裁判して頂けば分ると思いましたものですから……そういうふうな事情であつたのです。
  307. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それは何か町村関係の人は、あなたに対して相当の敵意を持つているわけですか。
  308. 前田啓太

    証人(前田啓太君) それが大体村の事情をお話しなくちや分らないのですけれども、その当時私はまだ戰時中農業会長をしていました時には、実は私の親父とそれから親族のものが皆政友会で、大体村は政友会、民政党と分れておつた戰爭中は村長も政友会に属し、役場、農業会は政友会の手で握つていたのであります。併し大体において私はそういうふうに共産主義の思想を持つておつたが、この宮久三治というのは共産主義反対の地主派のこちこちで、戰爭後になりましてから殆んど私を中心にする農民組合関係と、それから宮久三治が地主組合を……大分縣に土地協議会というものがありまして、あれは解散を命ぜられましたが、宮久三治を中心にした地主組合と、共産党を中心にする農民組合とがあつて、村内も二つに対立して、昔の政友会、民政党とが殆んど解散してしまつて、新らしくそういうふうな対立があつて、丁度折から村長選挙を廻つて農民組合側と、地主組合側との対立抗爭というようなことになつておつたのであります。私が農民組合の中心であり、宮久三治が大体地主組合の中心となつて、私も候補者を推薦しますし、向うも候補者を推薦して、そうして村長の選挙をやつたのであります。私の推薦しました村長が約千票余りとりますし、向うが五百票あまり、半分もなくて向うが落選したのであります。それから村長選挙の後、村会議員選挙でもつて非常に感情的に対立したようでした。私は丁度農地委員会会長もしておりまして、農地改革が、殆んどあの第二次の農地改革の方針通りびしびしやつたものですから、それに対して地主から反感があつて、もう少し何とか手加減をして呉れんかということがあつて、この二つが絡んで、あの頃は農民組合対地主組合、從つて私対前村長の宮久三治というものの対立が村内にあつたわけであります。それで地主組合の連中がいろいろ縣の資格審査委員会に投書した。これはその後聞くところによりますと、この宮久三治一派のものであり、それから檢察廳の方に投書したのも、このものでということを私はうすうす聞いておりました。恐らくそうだろうと私も考えているのであります。そういうふうなわけで、いわば村内のそうした対立を、檢事局が一方的に地主の方の言うことだけを取上げまして、そうして私に言わせると、本件をでつち上げたという氣持を持つているのであります。これは縣團を調査して頂けば、縣の資格審査委員会でも分りましたのですから、分つて頂けるものと私は信じていたのであります。これをしないで、そうしてやつたということは意外に感じたのでありす。
  309. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 村長選挙はあなたの方の共産党が勝つたわけですね。
  310. 前田啓太

    証人(前田啓太君) はあそうです。
  311. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 村会は。
  312. 前田啓太

    証人(前田啓太君) 村会も大体勝ちました。
  313. 伊藤修

    委員長伊藤修君) そうすると結局現在では保守勢力とあなたの勢力とは、あなたの方が優位にあるわけですね。
  314. 前田啓太

    証人(前田啓太君) そうです。
  315. 伊藤修

    委員長伊藤修君) そういう関係上、そういう今のような卑劣な手段をとつて來たのですね。
  316. 前田啓太

    証人(前田啓太君) はあ私はそう考えております。
  317. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 檢事は一方の前村長の側の意見だけを証拠調をして、あなたの方の申立は全然容れなかつたのですか。
  318. 前田啓太

    証人(前田啓太君) 全然しません。例えば壯年團長云々という問題は、御承知の通り縣團長が任命権を持つておるのでありますから、どうしても縣團長、縣團の役員を調べるのが先決問題です。それを私を拘引するときにも、私はそれを調査したかと言うと、やりようがないから調査しないという。ところが当時の縣團長も、縣團の役員も、皆大分市及び近傍におるのですから、いつでも調べられるのではないかと思います。それを一人も調べてない。それからおまけに公文書僞造問題を引張り出しました。あの問題にしましても、一方的に村長の言うことだけを基礎にしてでつち上げたのではないかと思います。
  319. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 公文書僞造というのを、その間に引張り出したのですね。
  320. 前田啓太

    証人(前田啓太君) それは勅令第七号違反で拘引した。あのときは私は何も知らなかつた。起訴になつて初めて告訴状の中に公文書僞造というのがあつて私もびつくりした。あれは途中で附加えたのではないかと思います。
  321. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それは一つ事件が倒れるといかんから、つつかい棒にやる、昔のやり方でしよう。どのくらいの拘留期間でしたか。
  322. 前田啓太

    証人(前田啓太君) 拘留期間は五月十四日から証人調の全部済むまで、十月二十四日まで七十二、三日ぐらいと思います。
  323. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 檢事は何んという檢事ですか。
  324. 前田啓太

    証人(前田啓太君) たしか大分地方裁判所の安田道直とか申しました。
  325. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 保釈は許されなかつたのですか。
  326. 前田啓太

    証人(前田啓太君) 保釈は絶対許されなかつた。私はこちらから証拠を出すから、それを調べて呉れれば分ると、幾ら言つてもそれをせず、有無を言わさず、とにかく入つておつて呉れというのでした。
  327. 伊藤修

    委員長伊藤修君) あなたの主張した証人というものは公判で調べられましたか。
  328. 前田啓太

    証人(前田啓太君) それは裁判所で調べて頂きました。
  329. 伊藤修

    委員長伊藤修君) その結果、無罪になつたわけですか。
  330. 前田啓太

    証人(前田啓太君) はい、そうです。
  331. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 無罪になつた公文書僞造の方の概念をちよつとお話して下さい。
  332. 前田啓太

    証人(前田啓太君) 公文書僞造の問題は、二十一年の十月二十日だつたかと思います。共産党の縣委員が七、八名集りまして、その席で、今度公職追放が拡張されて、市町村の壯年團長をやつたものは全部追放になる。ところがこれはいろいろな方面から情報がありまして、そこで前田君、君のことを県の警察部で村の駐在所、中津の警察を通して壯年團長をやつておつたという報告が來たらしい、それは事実かどうかということを言われた。実はこうこうだと、今申上げたような経路を述べたところ、それじやその点は非常に重要な問題だ。私に党の責任者であるので、影響するところが非常に大きいというので、調査会でその眞相を質そうというので、結局調査委員が任命されまして、縣團関係は誰、地元の郡團関係は誰か調べるということが決りまして、実は私もその調査員と一緒に村り帰りまして、十月の二十七、八日頃だつたでしようか、そうして村に帰つて、実は駐在所経由にそういう報告が縣の警察部に行つておるということを聞きましたので、実は駐在所に寄つたのであります。ところが丁度結核で寢ていたのでありますが、実はお巡りさん……それは私は直接書類を調べたわけじやありませんが、今の宮久村長が、それは間違いなく前田君が壯年團長をしておる。その内申書もあれば、任命されたという縣團からの承諾書もある。それはここにある。僕が持つておる。それは間違いありませんですから、そう報告して呉れんか、こういうふうに村長が言われるから、まさか一村の村長が、こういう重大なことで書類がないのに、そんなことは言わんでしようから、私はまあ実はその書類を手に取つて見たのじやないが、村長の言を信用して実はああいうふうな報告を出した、こういうお話だつたものですから、それで駐在所を私が引張つて行つて、村長にその日会つたわけであります。そうしてその書類があるかないかということを確めた。ところが翼賛壯年團関係の書類は農業会の方に置いてあつて、農業会が戰災で全部焼けたときに焼けてない。併し翼賛関係の書類が、それにそういう一件書類が村長が全部扱つていたというので、その関係の書類があるからというので調べましたところが、それが全然ないのであります。で私を内申しという書類もないし、勿論縣から何して來たという書類もないし、反対に書類の面から見ますと、現状から見れば連綿として残つた証拠がありますので、駐在所も非常に面食いまして、これは大変なことになつたから、とにかく縣の警察部にまで報告が行つておるのだつたら、それは村長と私が連名で以て、何とか取消しますから、何とか勘弁して呉れという話だつたのです。併しこれはまあ党関係にもそういうふうなことであつたということを、私は調査委員会ができておるので、党の調査委員会にもそれを出さなければならないし、縣の警察関係は、あなた方がそうして取消して頂けばそれでいいから、それで党の調査委員会に、その旨を一件願末の証明書を実は書いて呉れということを私は言うて來たわけです。それで村長、そのときに承諾したのですが、その翌々日でしたか、十月三十一日頃、丁度村長が村の風水害で堤防が切れて憂慮しておつたときで、いろいろ人を介して、ああこうやつて結局……これは非常に長くなりますけれども、村長がそういいうふうな証明書と言うと何だが、証明願をして呉れということだつた。大体私が壯年團長に推薦されたが、これは拒絶した。これはその席上にその村長もいたのでありますから、その点と、それから私が内申されていないということと、それから最後に、私が壯年團長の実務なんか全然やつていないという、大体三項の証明願を承諾しまして、そうして助役はそれに証明書に奥書して、村長の判を押して私実は貰つたわけであります。そうして私貰つて、これを縣委員会に出した。ところが、それを村長のその後の檢察廳における聞取書の中を見ますというと、私が壯年團長に任命されたという証明書はあつて、それ以外の証明書は恐らく本人が僞造したのだ、本人は役場に出入りなんかあるししていた関係上、僞造していたと言いますが、そういうふうな方針で、ずつと初めから聞取書を見ると、そんなふうになつておるので私びつくりしたのですが、そんなふうな次第で、つまりその証明書を立派に村長が承諾し、助役が証明書に作つて貰つて、そうしてちやんと庶務の受付の判まで貰つてあるのを、村長が知らない、これで公文書僞造だということにあとから附加えられたわけであります。
  333. 伊藤修

    委員長伊藤修君) するとそういう趣旨の三項目の証明書を貰つて、それが僞造だというのですね。
  334. 前田啓太

    証人(前田啓太君) 私が勝手に作つた、こういうのです。
  335. 伊藤修

    委員長伊藤修君) その根拠は全然村長が知らない、こう言うのですね。
  336. 前田啓太

    証人(前田啓太君) いや、私が壯年團長に任命されたという証明ならやつたと言うけれども、向うが拒絶したという証明書はやつていない、こう言うのです。
  337. 伊藤修

    委員長伊藤修君) だから今の三頁目の証明書を、助役が立会で庶務の受付の判で出した証明書を、そういう内容のものは知つているけれども、それと反対のものはやつたけれども、それはやつてない、結局出した覺えがない、だから勝手にあなたが作つたものだ、それに引掛つておつたのですね。
  338. 前田啓太

    証人(前田啓太君) そうです。
  339. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それでは、あなたのお話を聞いておると非常に無理な事件ですね。
  340. 前田啓太

    証人(前田啓太君) これは縣の資格審査委員会でも、縣内関係を調べて頂いたらよく分るのです。それなのに檢事局がそういうところまで行くのは実に不可解です。
  341. 伊藤修

    委員長伊藤修君) つまり昔の彈圧的な訴訟のやり方ですね。
  342. 前田啓太

    証人(前田啓太君) 私はそう考えております。
  343. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それで公判はどのくらいやつたのですか。
  344. 前田啓太

    証人(前田啓太君) 前後確か、覺えておりませんが、十回くらい、証人が三十人くらいやつた
  345. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 裁判官はよくあなたの主張を採上げたのですね。
  346. 前田啓太

    証人(前田啓太君) それは一番最初に縣團関係の役員を調べましたときに、ずつと分つてしまつたのです。これは檢事局が無理したということで、又その場で檢事が慌て出して随分滑稽な場面まで演じたのです。
  347. 伊藤修

    委員長伊藤修君) で檢事の方は、自分の方の控訴を維持するために、檢事の方から証人を出したのですか。
  348. 前田啓太

    証人(前田啓太君) それは大分出しましたよ。
  349. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 檢事の方から……
  350. 前田啓太

    証人(前田啓太君) はあ、例えば縣團に、治安維持法違反関係者は翼賛会関係関係さしちやなうんという秘密命令が來ていたというのを、そういう秘密命令が來ていなかつたという証人を出せ出せと言つていたけれども、誰が來ても出ていなかつたということを断言する者はいないし、私は知りませんと皆逃げてしまう。
  351. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それは次席檢事ですか。
  352. 前田啓太

    証人(前田啓太君) はあ、次席檢事です。
  353. 伊藤修

    委員長伊藤修君) で現在その事件をおやりになりままして、公職はずつとおやりになつておるのですね。今何をおやりになつております。
  354. 前田啓太

    証人(前田啓太君) 私は村では農業会の專務理事……これから解散になりますが、それから村の農地委員会長と、それだけであります。
  355. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 知事選挙の結果はいけなかつたわけですね。
  356. 前田啓太

    証人(前田啓太君) 知事選挙は途中でもつて社会党との提携ができまして、私が引いて安田氏一本でやつたのです。それで私は途中が引きました。
  357. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それから何か外の選挙にお出になりましたか。
  358. 前田啓太

    証人(前田啓太君) 衆議院議員に一回立候補しました。
  359. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それはいけなかつたのですね。
  360. 前田啓太

    証人(前田啓太君) 落選しました。
  361. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それは相当なところまで行つたのですか。
  362. 前田啓太

    証人(前田啓太君) 一万点が少し切れるくらいだつたのであります。
  363. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 勿論今後と雖ども、あなたの從來の思想的お考えを、政治の上に具現して行くということにお働きになるわけですね。
  364. 前田啓太

    証人(前田啓太君) はあ。
  365. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 何かお尋ねはありませんか。  それじやどうも御遠方のところ恐入りました。どうもあなたの事件が、ちよつと不思議な事件ですから、一應調査することにしました。どうも有難うございました。  では本日はこれを以て散会いたします。明日午前十時から開くことにいたします。    午後零時五十一分散会  出席者は左の通り。    委員長     伊藤  修君    委員            來馬 琢道君            星野 芳樹君            松村眞一郎君   証人            安田 源吾君            奧田 龍一君            前田 啓太