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公述人(坂本英雄君) この改正になりました
法律案を、
現行法と先ず大局的に比較して見ますると、一番多く改正されておりまするのは、
犯罪捜査の部分でございます。これは五十八ヶ條の中三十三ヶ條が改正されておるというふうに大幅に改ま
つておるところ、次は
公判手續、これは、やはり四十六ヶ條の中三十ヶ條ばかり、これも非常に大幅に改ま
つております。それから次はこの
控訴審の部分、これは、やはり三十二ヶ條の中二十三ヶ條改ま
つておるというふうな工合で、
草案をこの大局から見ますると、
犯罪捜査、竝びに
公判手續、
控訴審、この三つの箇所に大いに檢討を加えなければならない部分があるかの
ように察しまするので、その他の部分は極く經く考察いたしまして、主に以上三ヶ所につきまして、私の研究しましたところを御
參考までに發表いたしたいと思います。
先ず第一に辯護及び補佐というところでございますが、新法
草案によりますると、辯護人選任形式の
條文がこれは取れております。舊法には、御
承知の
通り現行法に四十
二條という
條文があります。辯護人は
被告人と連署し
たる書面を
裁判所に差出さなければ辯護人として適正な資格がないということにな
つておりますが、改正法には選任形式の
條文が取れておりますが、これは、やはり入れて置かないと、工合が悪いではないかというふうに思うのでございます。
裁判所の
召喚状の送達をする場合もありまし
ようし、いろいろな現状から、實地檢證に立會する場合がありまし
よう。そういうときに辯護人の届出でが出ておりませんと、
裁判所は如何なる連絡をするのかという點につきまして、非常に工合が悪いのではないかと、か
ように思うのであります。
それから次は逐條的に申しますると四十條に相成ります。四十條には「辯護人は、公訴の
提起後は、
裁判所において、
訴訟に關する書類及び
證據物を閲覧し、且つ謄寫することができる。但し、
證據物を謄寫するについては、
裁判長の許可を受けなければならない。」か
ようにな
つております。つまり辯護人は公訴の
提起後におきまして、初めて
訴訟に關する書類及び
證據物を閲覧、謄寫できるということにな
つておりますが、辯護人は
公訴提起後に選任され得るのではない。
公訴提起前にも、苟くも
被疑者たるの身分上
犯罪が表現的現象として現われました以上は、辯護人はそこに選任される、活動する餘地がありますにも拘わらず、四十條によりますと、
訴訟に關する書類、
證據物の閲覧、謄寫というふうなものは、公訴の
提起がないと、辯護人にはそれらの活動する權限がないというふうにな
つておりますが、これは甚だ私は面白くないと思います。むしろ
公訴提起前でも、苟くも表現的
犯罪現象としまして、つまり
被疑者という身分が現われた以上は、而して
被疑者に對して辯護人が附いた以上は、辯護人は書類及び
證據物の閲覧謄寫に關する何らかの權限を與えなければ、これはその辯護人としての
被告人の
權利の
擁護ということが十分に行われない。これは現在でも
應急措置法がありまして、
被疑者につきましては、辯護人が選任できまして、活動いたしておりますが、
被疑者自體の辯護人の活動というものは、何を一體や
つておりまするかというと、何にもや
つておらない。これは警察に參りまして、
被疑者に面會するだけ、そうして悪く言いますれば御機嫌を伺うだけということで、何ら法的な
被告人の自由權の
擁護、
權利の
擁護という
ような面は法的に根據がないからできないという現状に相成
つております。改正法もやはり
現行法と同じ
形態を取
つておりますが、これは公訴の
提起前でもやはり
被疑者から辯護を依頼された以上は、つまり辯護權の行使のできる以上は、
訴訟に關する書類及び證擔の閲覧權というものを、或る制限は設けてもこれはいたし方ないと思いますが、この特定の制限の下にやはり許與することが望ましいのではないかと思うのであります。
それからずつと飛びまして、六十條でございまするが、これは先程來いろいろの
公述人の方から問題にな
つておりまするが、私もやはりこの
勾留原因を、
草案は「罪を犯したことを疑うに足りる相當な
理由」、こういう極めて抽象的なざつばくなるところに
勾留原因を求めて來たことは大いに研究する必要があろうと思います。
現行法は御
承知の
通り、
被告人に定ま
つた住所がない場合、
罪證を湮滅する虞れがある場合、逃亡し
たるとき、又は逃亡する虞れがある場合の三ヶ條入れております。これは、やはり
勾留ということは、極めて、
人權擁護の問題におきましては基本的な問題でございまするから、やはり抽象的な「罪を犯したことを疑うに足りる相當な
理由」という
ような薄弱なものではなくして、やはり
具體的に
勾留の
原因というものを定めなければ、
人權の
擁護というものは私は理想的に行われないと思います。尤も
罪證を湮滅する虞れのあるとき、これを
勾留の
原因に入れるか、入れないかということにつきましては、私も先程來の
公述人の諸氏と同樣、これを入れるのは反對であります。これは
被告人は自己の被告
事件については
證據を湮滅いたしましても、
刑法は
犯罪にいたしておらない。
刑法の上で
犯罪にいたしておらないものを
訴訟法において
勾留原因にするということは、これは甚だ矛盾ではないかと思う。でありますから、
罪證湮滅というものを
勾留原因にすることは削除しなければならないと思いまするが、ともかくも
勾留原因は特定せなければならないということを痛切に
感じております。
その次には、七十三條の三項というところがございます。これは
檢事が
勾引状、
勾留状を
執行する場合でございまするが、「
勾引状又は
勾留状を所持しない場合においても、急速を要するときは、前二項の
規定にかかわらず、
被告人に對し公訴
事實の要旨及び令状が發せられている旨を告げて、その
執行をすることができる。」こういうふうなことにな
つておりまするが、とかく實際の上におきましては、こういう例外の
規定が原則に働き掛けるというふうな場合が往々にしてある。立法のときには例外として認めていたのを、實際の運用になりますると、例外が原則に立ち戻
つてしまうということにつきまして、それがこの
人權の
擁護に支障を來すというふうな場合が非常に私は多いのではないかと考えられる。でありまするから、
勾引状を所持しない場合においても、急速を要するときに
執行できないということは、これは甚だ苛酷であるかも知れませんから、急速を要する場合におきましては、
勾引状又は
勾留状がなくても
裁判所が
執行することは許してもよいと思いますが、この場合におきましては、尚その後の處置を嚴格にいたしまして、若し直ちに令状の發布がない
ような場合においては、釋放をしなければならないということは當然のことでありまするが、さ
ような保障的な
條文をやはり裏書きして置くということが、
憲法の精神に副うのではないか、か
ように思うのであります。
それから、その次はこの九十
一條でございまするが、これによりますると、
勾留による拘禁が不當に長く
なつたごときは、
裁判所では
訴訟關係人の
請求又は職權で
勾留を取消し、或いは
保釋をしなければならない、こういうことにな
つておりますが、その拘禁で不當に長く
なつたかならないかということは何かを標準にして決めるのかということになりますと、これは甚だ厄介な問題であろうと思います。で、これを私は、先程植松氏から反對論がありましたが、やはり
勾留期間というものを
現行法と同樣に一應設定して置くべきものではないかと思う。植松氏の
意見によりますと、
勾留期間を二ヶ月、後一ヶ月の更新を決めて置いても、それが形式に流れて、
勾留更新を繰返されることによ
つて實益がない、その實がないから、むしろさ
ような形式的なものは改めた方がよいのではないかという
ような御
意見でございましたが、その
勾留されております者から見ればやはり何と言いますか、
期間の定めのある方が希望が持てると思う。いつ解放になるやら分らないという
ような希望のないものよりも二ヶ月なら二ヶ月、一ヶ月なら一ヶ月という、そこに
被告人に希望を持たせることが、刑事政策的に見ましても、
被告人の改過遷善を促進させるという
原因になるので、この
意味におきまして、私はやはり
勾留期間というものを一應設定して、その基準に
從つて、果して拘禁が不當に長く
なつたかどうかということを、九十
一條の尺度をそこに持
つて行く。そうでなくして、尺度を定めずして、九十
一條によ
つて不當に
勾留が長期に亙るかどうかというふうなことを
決定することは、これは甚だむずかしいことになるのではないか、か
ように考えるのであります。
それから次には百十三條でありますが、これはもうすでに
犯罪捜査のところに入
つておりますから、特に
犯罪捜査として私は全般的なお話はいたさなか
つたのでありますが、百十三條によりますと、「檢察官、
被告人又は辯護人は、差押状又は
勾留状の
執行に立ち會うことができる。但し拘禁されている
被告人は、この限りでない。差押状又は
勾留状の
執行をする者は、あらかじめ、
執行の日時及び場合を前項の
規定により立會うことができる者に通知しなければならない。但し、これらの者があらかじめ
裁判所に立ち會わない意志を明示した場合及び急速を要する場合は、この限りでない。」、この急速を要する場合というのは、ここでも私は問題になろうと思います。これは、やはり但書でありますから、通知するのが、立會う機會を與えるのが原則なのである。急速で立會いの通知を發しないという場合は例外でありまするが、およそ得てこの
實務というものは、例外が原則に立返る場合が多い。辯護人が付いておりましても、その辯護人に通知をするのが時間的に或いは距離的に工合が悪いと、但書で以て、通知をせずに、差押え或いは捜査を實行する、後から通知するという
ような場合が多い。これが私はやはりどこまでも但書は例外であるということを法文の上に強化させて、
從來行われておりまし
ような惰性を積極的に改めるということがこの際必要ではないかと思う。それには、若し急速の場合で辯護人に通知ができずに差押え又は辯護をした場合においては、辯護人にそれについて異議の申立權を認めるというふうな、何か後から辯護人にそれに對する不服申立の途を開いて置くということがあれば、
裁判も、これは面倒くさいから正確に通知してやろうというふうなことに、私は軌道に乘
つて來るのではないかと思われるのであります。
それからその次は百三十四條、これは極めて
簡單な問題でございまするが、「
召喚を受け正當な
理由がなく出頭しない者は、五千圓以下の罰金又は拘留に處する。」、こうい
つたような
條文がこの改正案には四ヶ條ございます。百三十四條と百三十
八條と百五十
一條と百六十
一條、四ヶ條にこれと同
趣旨の
形態が盛られております。併しながらこれは實體法の
規定なんです。
犯罪に關する
規定なんです。
訴訟法にか
ような實體法を入れなければならない特殊な事情があれば格別なんですが、甚だ私は體裁が悪いと思う。體裁の上の問題なんですが、むしろ、か
ような四ヶ條の實體的な法條は實體法に讓るべきなので、立派なる
刑事訴訟法を折角作り上げる際でありまするから、か
ような目觸りになるものはこの際
訴訟法から除いてしま
つた方がよろしいのではないかというふうに考えております。
それからその次は、やはり
犯罪捜査のところでございまするが、百七十九條以下の
證據保全でございます。これは改正法が初めて認めました制度で、非常に私は結構な制度であると思うのでございますが、ただ、これによりますると、「
被告人、
被疑者又は辯護人は、あらかじめ
證據を保全して置かなければ」云々ということにな
つておりまするが、一體
證據の保全ということは、
被告人たる地位、
被疑者たる地位を取得し
たる後において初めて必要であるということが原則なのでありますが、
證據の保全ということは、
被疑者たり得ない前、つまりまだ
犯罪が表現的に現われて來ない前におきましても必要であろうと思います。例えば、
具體的な例を擧げますることはどうかと思いまするが、何某の運輸次官が最近問題になるかも知れないという
ようなことも、新聞あたりで一週間も十日も前から書き立てられておるという
ような場合、まだ
被疑者たる身分を取得しておるかどうかも問題なのである。或いは新聞に書き立てなくても、
本人自體としてはさ
ような危惧を抱いておるという
ような場合があるかも知れない。さ
ような場合に、
證據保全の
手續をして置きませんと、こういう
證人をそのときに調べて貰
つて置けば他日それが
無罪の
證據になるという場合が澤山考えられ
ようと思う。ところが改正法によりますると、
被告人又は
被疑者と、こうな
つておるのでありまするから、表現的
犯罪現象以前の
犯罪につきましては、
證據保全の
手續というものが許されておらないので、これは、やはり私は民事
訴訟法の
證據保全
手續と同樣に、豫め
證據調べをして置かなければ
證據を使用するに困難な事情があると認むるときは、という
ような、幅を廣く、どうせ作るのならば
作つて置かれた方がよいのではいか、か
ように考えておるのであります。
それからその次は百九十
七條に關する問題、これは非常に重大な問題だと思います。「捜査については、その
目的を達するために必要な取調をすることができる。但し、強制の処分は、この
法律に特別の定のある場合でなければこれをすることができない。」これは現在法の二百五十四條と大體同じでありまするが、
犯罪捜査につきまして、一體任意捜査を原則とするか、或いは強制捜査を原則とすべきかということは、立法論、技術論としては問題でありまし
ようけども、ともかくも本案は原則として任意捜査……強制捜査は例外の場合であるか、か
ような建前を取
つておる。私も
憲法との睨み合い上さ
ような制度がよいものと思います。が併しながら強制捜査というのは例外でありまするから、これを無暗に擴大されますると、
人權の
擁護が甚だ危殆に瀕することになります。そこで強制捜査というものは、一體
草案で認めた強制捜査というものは、
現行法で認めた強制捜査よりもその幅が廣いか狹いかということを十分に檢討してかからなければ、
人權の
擁護に全きを期することができないと思います。そこで
法案の上から「この
法律に特別の定のある場合」、この「特別の定のある場合」というのはどういう場合であるかということを拾い上げて見ましたところが、大體澤山あります。先ず百九十九條というのは、やはり
逮捕の
請求權を檢察官に認めております。
それから二百四條、これは
勾留の
請求權を認めておる。
それから二百十
八條というのは差押、捜索、檢證の
請求を認めています。
それから二百二十
七條、これは
證人訊問の
請求を認めておる。その外に
現行犯としまして二百十三條という特別な強制捜査を認めておる。
それから又二百十條で
現行法の急速
事件とやや似通
つた強制捜査を認めております。これを
現行法の
犯罪捜査に關する
強制力の使える場合と比較して見ますれば、新法が非常に幅が廣くな
つている。これは大いに檢討しなければならないのではないか、幅の廣い一面においては、又幅の狹いところもある。狹いところというのは、むしろこれは使いにくいんじやないかと思う。例えば
現行法によりますと、二百五十五條、強制處分の
條文がありまして、
檢事から
裁判所に鑑定の
請求ができるということにな
つておりまするが、
草案によりますると、鑑定の
請求……私はちよつと急いで讀んだものですから、或いはどこかにあるのか知りませんが、強制處分としまして
檢事から
裁判所へ鑑定の
請求をするということが或いは拔けておるのではないかというふうに懸念をいたすのです。ともかくも
犯罪捜査に例外的な強制捜査を
現行法よりも幅を廣くしたということにつきましては、私はこれは、重大な問題として特に研究をしなければならないところであろうと思いますが、時間もございませんから個々の問題は除くことにいたします。
それから二百二十三條でありまするが、これは檢察官が「
犯罪の捜査をするについて必要があるときは、
被疑者以外の者の出頭を求め、これを取り調べ、又はこれに鑑定、通譯若しくは翻譯を囑託することができる。」これは、けだし任意的なものであろうと思われるのですが、併し任意的であるならば、何も
條文を置く必要もない
ようにも考えられますし、それから第二項の準用
條文の中、百九十
八條第一項但書及び第三項乃当第五項としまして、第二項の準用が取れております。これは
被疑者以外の者とな
つておりまするから、準用を除いたのではないかというふうに一應は思われますが、併しながら任意出頭、任意供述ならば、或いは、やはりさ
ような法文を設けて置く方が必要ではないかというふうに私は思うのであります。
それから次は二百三十
七條、これは告訴の問題でありまするが、
現行法では第二審の
判決があるまで告訴は取り消すことができるということにな
つておりますが、改正法は「公訴の
提起があるまでこれを取り消すことができる。」ということにな
つております。これは私は甚だ告訴の取り下げを縮小し過ぎるのではないかと思う。例えば公訴の
提起のあ
つた後に示談が
被害者と成立する。而して一審、二審の
裁判中に告訴を取り下げるということになりますれば、そのままに濟むのでありますが、改正法の
ように公訴の
提起後は取り下げができないということになりますれば、示談をしましても有罪の
裁判を受けるということになりまして、徒らに
犯罪人を作るというふうなことにな
つて、刑事政策の
目的にも
裁判それ自體が副わないというふうな疑いがある
ように思うのであります。
それから二百五十六條の公訴の
提起に關する二番最後の項でございますが、「數個の訴因及び罰條は、豫備的に又擇一的にこれを記載することができる。」これは民事
訴訟法でも、やはり
訴訟は豫備的ということもあれば、擇一的ということも認められておりますので、それと睨み合せてあるわけでございますが、どうも私は擇一的訴因というふうなことは、公訴
事實の特定性というものとの
關係が非常に厄介ではないかと思うのでありまして、或いは擇一的訴因のために公訴
事實が不特定に陷るということは、結局
被告人に不利益になることなんです。それが公訴
事實に入
つておるか、入
つておらないか分らんけれども、入
つておるらしいということになりますと、
被告人がそれがために
審判を受けなければならないという
ようなことになりますので、この豫備的の方は多少は私はその點は非難を免れるものと思いまするが、擇一的訴因というのは、公訴
事實の特定性を曖昧にする危險があるということを考えておるのであります。
それから二百六十
二條の職權濫用罪について告訴をした場合に、
檢事がその告訴を取り上げなか
つた。二百六十
二條で
檢事に職權濫用の
事實があるので告訴した、ところが檢察官がそれを取上げなか
つたというふうな場合におきましては、その告訴又は告發した者は
裁判所のその
事件の
審判を
請求することができるという
ように、これは非常に形の變
つた立法でございます。いわゆる私人訴追主義の
一つの形であろうと思うのでありますが、これはむしろ
檢事が不
起訴にした場合におきましては、監督檢察廳に対する監督權の行使でむしろ事足りるので、殊更に私人訴追主義を
刑事訴訟法中に設ける必要があるかどうか、一個の私は問題ではないかと思う。が、併しながら一面告訴人又は告發人を濃厚に
擁護し
ようという建前から見ますれば、或いは一新機軸として取上げても面白い制度であるかも知れんと思う。か
ような場合に假りにこの制度を採るにいたしましても、問題になりますのは二百六十
八條第二項の場合だろうと思います。この二百六十
八條第二項によりますると、
檢事に職權濫用の
事實がありとして一私人が
裁判所の
審判の
請求をした、
裁判所がその
事件を受理したという場合には、
辯護士を檢察官の代りにするということなんです。
辯護士が檢察官の代りの
仕事をすることになります。そこで、その二百六十
八條第二項は、前項の指定を受けた
辯護士は、つまり檢察官の職務を行う
辯護士は、
事件について公訴を維持するために
裁判の確定に至るまで檢察官の職務を行う。但し、檢察
事務官及び司法警察職員に對する捜査の指揮又は
命令は、檢察官に囑託してこれをしなければならない。そこが私は問題であると思うのであります。成る程
辯護士がその
事件を據當するにつきましては檢察官の職務を行うことになる。これは必要なことなんであります。が併しながら檢察
事務官及び司法警察職員に對して捜査の指揮又は
命令、これも極めて必要なことなんであります。これなくしては職權濫用罪の公訴を完全に維持することはできないと思います。ところがこの場合におきましては、
檢査事務官及び司法警察職員に對する捜査の指揮又は
命令は直接にはできない、檢察官に囑託してこれをしなければならない。これは甚だ變ではないかと思います。檢察官と一體不可分の
關係なんです。その檢察官というのは告訴を受けた檢察官と一體不可分の
關係に立つ檢察者、その檢察官に囑託して捜査の指揮又は
命令をさせるというふうなことでは、到底公平に
辯護士が檢察官の職務を行うことは
事實上不可能でありまするから、か
ような場合におきましては、捜査の指揮
命令は單純にこれが行える
ように、檢察官に囑託して、これを行うという
ような制度は、これは改めなければならんと思います。それから、端折
つて申上げますが、二百七十
一條の「公訴の
提起があ
つた日から三箇月以内に
起訴状の謄本が送達されないときは、公訴の
提起は、さかのぼ
つてその效力を失う。」これはその三ケ月以内に
起訴状の謄本の送達ということは、私は甚だ時期を逸して
人權の
擁護に缺くるところがあると思う。公訴の
提起があるためには、すでに檢察官におきましては各種の
證據類から、公訴状の内容は直ちに形成し得る立場にある。その檢察官が三ケ月以内というふうな餘裕を
起訴状の謄本の送達までに置くということは、これは甚だ個人の
權利を危殆に瀕せしめる結果になりはしないかと思うのであります。
勾留されておる者は一日、十日でも非常に苦痛だと思います。にも拘わらず三ヶ月というふうな長い
期間、これは葢し大きな疑獄
事件あたりを豫想して、十日や二十日では
起訴状の謄本ができないということもあらうという
意味で、最大限の三ヶ月というのをここに入れたのだと思われますが、併しながら、それがたまにある
事件のために、普通の
事件が犠牲になる形があるのではないかと思うのであります。むしろ
起訴状の送達
期間ということは十日なら十日というふうに制限しまして、但し特殊の
事件については三ヶ月以内というふうに、原則と例外というものを書き分けたならば、そこに
人權の
擁護というものが現われて來るだろうと思います。このままに放
つて置きましては、徒らに
被疑者の自由權或いは
被疑者の
人權、こういうものが著しく毀損されるという危險が伏在しておる
ように思われるのであります。それからもう
一つ重大なことは二百九十九條、これは
公判の部分でございまして、先程島さんからもお話がございました
通り、改正法は拷問、
尋問制度を取
つたのでもないのですが、まあ併しながら、
現行法の獨法式な制度を踏襲したのでもない。その中間を歩いておる制度、これは甚だ立法の上から見るとずるい書き方であらうと思う、
現行法の制度は工合が悪いからと言
つて拷問、
尋問制度に移るかと言えば、そうでもない。我が國獨特の制度というふうなところを狙
つたのでありまし
ようが、その中間を歩いておる。つまり公訴を
提起するには
起訴状が一本あればよろしい、あとは
公判廷の
證人だのその他の
證據の維持によ
つて有罪
無罪を決するという
ようなことにな
つております。併し私はこれは理想論から言いますれば、やはり拷問、
尋問制度を全面的に許容すべきものであ
つて、か
ような變態的な制度を維持すべきではないかと思います。これは我が國の過去の立法から見ましても、
陪審制度なんというのはそれなのである。我が國の
陪審制度は我が國の獨特の制度で、再
陪審を許すということにな
つておりますが、あのために却
つて陪審制度は非常に不評判を買
つたというふうな苦い
經驗もある。改めるなら根本的に改め、改めないならば
現行法を維持する。いずれか一遂に出るのが最もいいと思います。中間の制度というものは今まで
經驗がないのですから、公認されておらない制度なんですから、
從つて實績がないのです。そういうものによ
つて刑事裁判がうまく行なわれることはない。殊に二百九十九條によりますと「檢察官、
被告人又は辯護人が
證人、鑑定人、通譯又は飜譯人の
尋問を
請求するについては、あらかじめ、相手方に對し、その氏名及び住居を知る機會を與えなければならない。」つまり
公判廷において調ベる
證人だの鑑定人、通譯人の氏名、住所を相手方に通知しろ、こういうことにな
つております。この問題につきまして辯護人の方でも
公判廷で調ベて貰いたい
證人がありますれば、どういう
證人を調べるかということは、豫め當
つて置かなければならないと思います。檢察官の方では勿論自己の公訴を維持するためにこういう
證人が必要だと言えば、さ
ような
證人を豫め準備をして、その氏名、住所を相手方に通知するでし
よう。この場合に
檢事が準備せしまして、公訴を維持するに必要に
證人を調べて材料を取るということは、これは、やりやすいのだありますが、辯護人がその
事件の
證人を豫め調べて、
事件の準備をするということは、甚だ厄介なことなのです。ところが
公判廷におきましてその
證人が
檢事の御機嫌に反したことを申しますと、
檢事は辯護人が豫めその
證人と打合せをして僞證でもしたのではないかというふうな疑いを掛けられやすいことに、これは甚だ動いて來る危險があると思う。これは併しながら辯護人も、豫め
公判廷において調べる
證人について豫備知識がない者を、
公判廷に呼ぶわけに行かないのですから、その
證人は
事實についてどういう認識があるのかというのを豫め知らなければならないことになる。
檢事が聞くのはこれは何も辯護人の方からいろいろ苦情を言うわけに行きませんが、辯護人の方が準備をする場合には、檢察官から赤い眼や或いは青い眼をして睨まれるという危險が多量に私は存在いたすと思います。でありまするから、私はここに一箇條を設けまして、やはり前項の
證人關係に通譯、飜譯人の氏名住所を知るために、
被告人及び檢察官は、豫め前項の
證人と捜査に關する何と言いまするか、準備と言ひまするか、そういうことのできるとい
つたふうな、何か法的な根據というものをここに置きませんと、私は甚だ辯護人の行使というものが危殆に瀕しはせんかということを非常に恐れておるのであります。
それから三百十五條です。これは申すまでもなく大した問題ではございませんが、更新
手續でございます。先程植松氏から
期間の經過による更新
手續は、やはり形式に流れるから必要ないという
ような御議論でございましたが、やはりその
期間の經過による更新
手續というものも、口頭辯論主義を採用する以上はやはり保持すべきである。若し
期間の經過による更新
手續が必要なければ、開廷後
裁判官の更新
手續も必要でない。これは
裁判官は變りましてこれは形式的な更新しかしてないのですから、やはり同様な論議になる。開廷後
裁判官の更迭を更新
手續の
原因と認めながら、
期間の經過を更新
手續の
原因として認めないのが、これはその理論上甚だ
意味をなさないというふうなことに私はなるのではないかと思います。
それから三百二十
一條、先程江家さすからお話ありました。これは私は全面的に江家氏の御議論等を支持いたします。これは私も前から同
意見であります。檢察官の面前において録取した供述録取書は、
公判廷においてその内容が違
つた場合において、檢察官の録取書を無制限に
證據に供すると、無制限と言いましても、前の供述を信用すべき特殊の状況の存するときと、こうあるのですが、こういう條件に拘わらず、
證據力を認めるというふうなことは甚だ
人權擁護に缺くるところがある。やはり
被告人に對して
證人として訊問權を留保するということが必要であろうと思います。それから、もう時間がございませんから省略いたしまするが、
控訴審、
控訴の制度につきましていろいろ論議がございましたが、なるほど改正法はこの第一審主議というものを非常に重要視しまして、
裁判所は白紙の状態において
被告人に臨む、而して
公判廷において收集されました
證據によりまして有罪
無罪を
決定する、それがために各種の複雜錯綜なる
手續を
規定しておるのでございますから、更に同一
手續を
控訴審において覆審としてやれということは、甚だ私は無理であると思います。が併しながら
控訴審というのは、
控訴審に
事件が行く場合は、既に第一審の書類が作られているわけなんです、
證人訊問その他の
證據書類が記録に綴
つてある。それが
控訴審に行くのであるから、
控訴審が
審理する場合は、第一審が白紙でその
事件を
審理する場合とは、趣きが違
つているわけなのであります。でありますから、第二審の
審理に際しまして、第一審と同様なもろもろの
公判廷におきまする
證據でなければ
證據に供することができないという
ような制度を採りましても、これは
事實上行われない。記録が存在いたしまして、
裁判官は
豫斷を抱けば抱き得る状況なのであります。そういう
ような制度は行われない。そういう
關係から上訴審というものが覆審制というものを除外したというふうに私は考えるのでありますが、併しながらやはり先程青柳氏が申されました
ように、覆審制には我々が頼りにすることの強いものがある。これは
裁判官の素質といい、
裁判官の學識
經驗といい、何か知らん
控訴審には私共が頼る力の強いものがある。でありますから、私は
控訴審におきましては矢張り覆審制度を採用するのがいいと思います。が併しながら、その覆審制度は一審と同樣な制度でなく、この覆審制は現行
刑事訴訟法が採用している
形態の覆審制度、何も
證據を一々
公判廷で調べなくてもよい。
裁判所が必要があれば
證據を採用して調べる、或いは職種を以て調べる、
現行法の採用している
訴訟手續による覆審制、これを
控訴審において採用したならば、この複雜な人事の問題とか
手續の問題とかいうふうなことは心配なく行われるのではないかと思うのであります。
それから最後に
裁判の訂正というところがございますが、
裁判の訂正、四百十五條ですか、「
上告裁判所は、その
判決の内容に誤のあることを發見したときは、檢察官、
被告人又は辯護人の申立により、
判決でこれを訂正することができる。」やはり
裁判の訂正という
條文は甚だ幅が廣過ぎまして、こういうことになりますれば、再審でも非常
上告の申立をしないででも、
判決で訂正することができる
ような結果になる。これがやはり民事
訴訟法と同じ
ように
判決後における違算であるとか書損であるとか、その他これに類する明白な誤謬、これについては改正ができるというふうに、これは
はつきりさすべきだと思います。そうでないと、凡そ
判決の誤りのある、すべて再審の
原因がある場合、非常
上告の
原因がある場合、或いは申立によ
つて訂正ができるのじやないかという議論が殘る。これはむしろ私はそういう
意味ではなく、やはり形式的な誤謬を訂正するというふうなところが狙いであり、民事
訴訟法と同樣のところが狙いだろうと思いますが故に、その點を明白になすべきだと私は思います。
時間の
關係上甚だ端折
つて申上げました。お聽き苦しいところがあ
つたと思いますが、御了承を願います。