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1948-06-11 第2回国会 参議院 司法委員会 第40号 公式Web版

  1. 会議録情報

    公聽會   ————————————— 昭和二十三年六月十一日(金曜日)    午前十時四十一分開會   —————————————   本日の會議に付した事件刑事訴訟法を改正する法律案(内閣  送付)   —————————————
  2. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それではこれより司法委員會公聽會開會いたします。目下當委員會刑事訴訟法を改正する法律案が上程されておる關係上、御承知通りこの法案憲法施行に伴う重要な法案といたしまして國民公共福祉及び基本的人權に重要な關係をもたらすところの法案でありますから、これに對しまして國民の輿論を問い、且つ又學識經驗者の方の豐富なるところの御意見をお伺いいたしまして、本案審議參考供じたいと、かよう趣旨からいたしまして、本日の公聽會を開会いたした次第でございます。何とぞ公述人の方は忌憚ない御意見をお述べ願いまして、我々の審議參考に供して頂きたいと思います。尚公述人のお方のお時間は三十分以内ということに一つお願いいたしたい。十分長い時間にお伺いいたしたいのでありますが、時間の關係上よう一つ御了解願つて置きたいと存じます。日大講師宮城實君。
  3. 宮城實

    公述人宮城實君) 今囘の刑事訴訟法改正草案被疑者被告人の保護、その他地位の向上、人權の尊重、調査段階における不當な強制力というものの禁止、訴訟迅速化當事者訴訟形態の採用、裁判民主化等、これらについて大體の構想において贊意を表する者であります。  時間の關係上、逐條的に批判を加えるということは到底許されませんから、ただ一通りこの草案を私が讀んで感じました點を二、三申上げてみたいと思います。  先ず第一に、この條文規定の體裁として、草案は到る所に裁判所規則に定めるところによりという文句を使つておりまするが、丁度何か法律の委任によつて裁判所規則制定構を與えられたるが如き感じがするのでありますが、これは御承知通り憲法七十七條によつて、新憲法が初めて裁判所自治權認むるために、特にこの訴訟よう技術的場面におけるものについては、みずからその規則を作ることの權能憲法自身が與えたのであつて法律と對等な關係において、法律と同樣な效力を持つものであると考えるのでありますが、恰もその規則法律の分野が明確でなく、何か法律によつて裁判所規則制定權が與えられたるよう感じがするので、どうも規定の體裁上これは面白くないと思うのであります。憲法によつて直接賦與せられたものであるということを徹底して貰う必要があるじやないか。尚、規定の全體を讀んでみますると、如何にも何だかすつきりしないで、つぎはぎのような感じのする點が随分多いのであります。  併しまあそういう點は省略しまして、條文の大體の順序に從つて二三申上げて見たいと思うのでありますが、先ず二百四十七條規定せられておる檢事公訴權でありますが、これは一般訴追でなく、國家訴追として檢事がその代表として、檢事訴追權を與えておるのでありますが、又一方において不起訴權能檢事に與えておるのでありますが、この起訴、不起訴のいわゆる專斷權——クラゲモノポール、このクラゲモノポールをどの點まで國民が民主的にこれを制限するかという點に關する規定が甚だ不完全であるのじやないか。僅かに刑法百九十三條乃至百九十六條だけの職權濫用等規定についてのみ被害者が直接裁判所請求して、裁判所理由のある場合においてみずから公判に付する、決定ができるという、僅か刑法の百九十三條、百九十六條だけに限られておるということは、甚だこの公訴權提起に關する民主的なコントロールが不完全なんじやないか、もう少し檢事起訴、不起訴に關する國民の監視、國民コントロールというものが必要なんじやないか。從來檢事クラゲモノポール公訴專斷權というものが如何に論議せられ、如何に指摘せられたか、小さな犯罪ばかり檢擧して、大きな犯罪は一向に起訴しない、或いは昔政黨華やかなる時分には、反對黨の者を多く起訴するとか、そうでない者はやらないとかいうようないろいろな關係があつたので、今後における民主主義的な裁判を運用する上においては、檢事公訴提起に關して國民コントロールする場面をもつと多くして、もつと適當規定を置くことが好ましてのじやないかと、かように考えるのであります。それからこの捜査の場面において書面差押え箇條ですが、これらは憲法の二十一條第二項との關係がどうかと思いますし、身體檢査等についても、憲法三十五條の住居等それらのもの以外はできないということで、この身體檢査などは、ドイツなどでは随分やかましくて、できないようになつておるよう感じておるのでありますけれども、どうも身體檢査簡單にできるよう感じがいたします。  それから現行犯規定ですが、現行犯從來刑事訴訟法によつて決つてつた從來明治憲法二十三條によつて逮捕監禁法律規定によつて自由にできることになつてつたのでありますが、今度は憲法三十三條によつてそういうことができなくなつた。現行犯以外はできないと、こう書いてあるのですが、現行犯意味法律で決めるわけに行かなくて、憲法によつた決められてしまつておる。憲法によつて決つた現行犯というものが法律の上に援用されるのであります。ところが草案二百十三條に現行犯意味が書いてある。その書いてある意味憲法意圖する趣旨に合致すれば結構なことでありますが、若し憲法のザ・オフエンス・ビーング・コンミツテツドというものに合致しないとすれば、法律によつて規定されるということは憲法違反になるのじやないか、こういう感じがするのであります。現行犯のことについては申上げたい點が多々あるのでありますけれども、省略しておきます。  次に勾留の問題です。未決勾留の問題ですが、草案は六十條によつて、罪を犯したることを疑うに足りる相當な理由があれば直ちに勾留ができる、こうなつております。そうして勾留原因を一向問わないのです。どういう勾留理由があるかということは一向問わない。ただ犯罪の嫌疑がありさえすれば勾留ができると、こうなつておるのでありますが、勾留刑罰でないのであります。犯罪を犯したる故に勾留するのではないのであります。罪を犯したるために勾留するのではなくして、公平な司法權の運用をするために、止むを得ず國家に認めたる最大の害悪です。從つてこれを最少限度に喰い止めなければならん。ただ罪を犯したという理由によつて勾留をするという理由はない。現行法には明白に勾留原因が書いてあります。現行法に書いてある勾留原因というものは、ヨーロッパ大陸において一般に認められておる逃走證據湮滅です。勾留をするということは、要するに司法權運用のため實體的眞實を發見するということと、判決に基く確定刑執行を確保するということにあるのであります。ですから、それ以上の勾留をするという理由は少しもない筈です。だから自首して逃走もしないし、證據湮滅もしない、明々白々たる者勾留する理由はないのです。罪を犯したる故に勾留する理由はないのです。從つて勾留原因を擧げるのが相當なのじやないか。而も八十三條、八十二條によると、勾留理由を開示するということがあります。尚この罪を犯したということだけで勾留をするというのでは、これは意味をなさないのであります。一體裁判所において勾留理由を開示するということは、やはりどうも私は條文を詳細に讀まなかつたものですから、開示の原因がないように感ずるのであります。  次に勾留期間が今度はないようであります。現行法の二ケ月という期間草案には取れて、期間がないようであります。勿論保釋請求權を認めて、請求があれば保釋せねばならんようになつておりますけれども、併し八十九條の四號によると、罪證を湮滅する虞れがある場合には、これを許さない。これは永久に續く、永久に續くというと語弊がありますが、とにかく、そういう理由で、いつまでも勾留ができるということになると、今度これを最大限を六ケ月とか或いは幾らというふうに決めておくことが人權尊重の上から宜しいのではないか、かようなふうにも考えるのであります。それから次に公判審理についてでありますが、どうも公判規定はつきりしないのであります。交互訴訟形態を取りながら、やはり依然として裁判所訴訟進行させる、こういうような恰好になつているようです。證人關係人尋問被告人供述等、いずれも裁判所中心になつて尋問する、こういう建前です。勿論初めて當事者尋問するということになると、相當熟練を要するとは思いますけれども、併し裁判所中心になつて裁判所證人關係人等尋問をするということになりますといわゆるクロス・エキザミネーシヨンというものが自由に行われないことになりまして、交互訴訟というものが隨分損われるのではないか。殊に起訴状一本で裁判をすると、いかに優秀な裁判官といえども、起訴状一本で事件を審査するということは不可能です。その事件眞相を知らざる裁判官起訴状一本で尋問進行させるということは困難じやないか、從來ように記録というものがあつて刑事犯罪に關する十分なる透徹した知識があつて、初めて裁判所事件進行というものの中心になつてやれるということになるのだろうと思うのですけれども、ただ起訴状一本で起訴して審理するということになると、むずかしいのじやないかと思います。それから證據法制定がなくて、證據規定が大分ありますが、これは當然證據法というものを作つて、もつとはつきりさせて、殊に陪審法でも再興することになれば、尚必要なことになるのじやないか。現在のよう證據取捨判斷判事の自由なる判斷による……。先程來新聞紙上に投書でいろいろ論議されておりますが、要するに從來の大審院の判例によると、今日の最高裁判所においても尚さように見受けておるのでありますが、證據取捨判斷判事專權に屬するから文句言ちやいかんと、大抵一遍に文句は叩きつけて、これは上告理由にも何にもならないのです。ですから、どんな認定をされようと、どんな判斷をされようと、證據を自由に、全く、まあ勝手ではないでしようが、勝手にされたところで文句の言いどころがないのです。ですから證據法というものを制定して、もう少し證據取捨判斷判事專權に屬するを以て文句を言つちやいかんというようなやり方のできないようにした方がいいのじやないか。  次には控訴審のことですが、控訴制度が良いか悪いか。その歴史的な過程がどうなつておるか。これらの點に關するいろいろな論議は一切省略いたしますが、少くとも世界の訴訟法進行過程の大勢に逆行する。控訴審制度というものは漸次擴張せられつつある。然るにこれを縮小した。これは如何にも訴訟法進行過程に逆行するものです。裁判の迅速ということは誠に結構でありますが、しかしこれは拙速であつていかん。正確、確實なることを要求します。刑事事件における誤判正義滅亡であります。正義滅亡國家滅亡であります。草案は三百八十四條に控訴の制限をしております。陪審によらないで官僚的な裁判官のみの認定による一審を以て事實認定をするということは、これは無暴も甚だしいと思う。我々は戰時中において幾多の經驗を持つております。戰時中交通の不便、經費の關係等において一審によつて事實認定をした裁判が行われておる。その當時において誤判と思われるよう事件が統計上においても相當あつた舊訴訟法においては從來大審院、三審においても尚且つ事實認定、刑の量定、これに關する事實判斷し、審判をしたのであります。これは無くなつたとしても止むを得ないとしましても、控訴審における事實認定、刑の量定というものが何か特殊の事情がなければできない。日本刑法は御承知通り刑裁量範圍が非常に廣いのです。懲役三年以上死刑まである。刑法百九十九條の殺人については三年以上死刑まである。酌量いたしましても一年半から死刑まである。一年半で濟むか死刑になるか重大な關係がある。これを今日例えば一遍で決めてしまう。英國式に刑の裁量範圍が非常に少くできておれば、そう大したことはないかも知れませんけれども、かような非常に裁量範圍の廣い法律を持つている日本刑法の下において、一審によつて刑量定を決めてしまう。而も日本裁判官ピラミツト式で下からだんだん上になる程偉い人がいるのです。全部同じじやない。裁判官の資格、年齢、經驗等はみんなどこにおいても同様の人がやつているのじやない。下からだんだん上になつている、その下で決めてしまうということはどうも甚だ穩當でないのじやないか。從來大審院が三審としてすべての審判をした例も隨分あり、又それによつて無罪裁判をした例も私の長き經驗によれは相當あります。それを今度は一審だけでやつてしまうということは、如何にも危險なんじやないか。決して裁判の迅速は拙速を尊ぶのじやないのですから、是非これは控訴審における審判をもう少し丁寧にして貰いたい。殊にどうも刑事訴訟法三百八十六條によると、書面審理決定する、控訴事由がない時は控訴を棄却するという書面審理を許している。而も決定控訴を棄却する。これは事務的に仕事を處理する意味であろうと思いますが、裁判はアルバイトでない、裁判はエツトシヤイデイングである。仕事をするのじやない、裁判をするのですから、事務を處理して計數の上に事務を片附けるということによつて事足りるのではないのです。單に能率の擧るのみが裁判仕事ではないのですから、決定を以て、書面審理によつて公判を開かずして控訴を棄却するということは、憲法三十七條趣旨にも反するのじやないか。憲法國民に對してスピーデイな公開裁判を受けることの權利を認めている。而も書面による決定を以て、理由がない時には控訴を棄却してしまうということに至つては、これは憲法違反ではないかという感じを持つのであります。それから次には上告審ですが、上告においても、大體憲法違反ということと、判例違反ということが上告理由なつようでありますが、判例のないよう事件については……新らしい法律ような場合には判例のないのがある。或いは又前の判例を變更しようというような場合には、上告理由にならないのではないか、又法律解釋の統一はどういう點において何所で行われるのか、尚、上告審においても、四百八條によつて辯論を經ないで判決上告を棄却する。死刑でもなんでもやつてしまう。どうも亂暴じやないか、これは戰時中つたのですが、明治憲法の下においてもこれは憲法違反ではないかと私は思つていた。況んや新憲法の下においては、國民公開裁判を受ける權利を持つておるのです。公開裁判におらずして、書面審理判決の宣告をしてやればいいというなら、審理は何所でやつてもいい。廊下でやつても、事務室でやつてもいいというようなことはどうかと思う。  それから最後に略式命令ですが、これは從來略式命令というものは、應急措置法が施行せられる前に、この略式命令をどうするかということが大分論ぜられたのですが、どうも略式命令というのは憲法違反じやないか、憲法三十七條によつて公開裁判を求めることができることになつております。如何にこれは本人が承諾しても、憲法二條によつて放棄することのできない權利である、本人が承諾する時に、公開法廷でなくして、刑事裁判において裁判を宣告するということは、憲法の三十七條に違反する、殊に憲法八十二條によれば公開を禁止することのできない場合がある。それらの關係から、如何に本人が承諾しておつても、略式命令によつて法廷を開かないて書面だけで審判をするということは、憲法に違反するのでやないか。尚おかしなことには起訴状には、二百五十六條の末項によつて豫斷を生ずるような虞れのあるよう事實は却つて附けてはいかんということになつておる。起訴状一本で略式命令を出す。裁判所略式命令を出すときには、起訴状だけで、何等の證豫も何等判斷も附せず出すことになる。起訴状豫斷を生ずる虞れあるものは一切附けちやいかんということならば附けないことと思う。四百六十三條によつて略式命令が相當でないというときには普通の手續によつて審判するというのですから、普通の裁判によつて審判するので、豫斷を抱くものが附いておつちやいかんのですけれども、豫斷を抱くものが附いておつちやいかんということになると、ものによつて略式命令を出すのが、出すべき材料、判斷の基礎がないのじやないか。かようにも考えられるのであります。この點については、成るほど略式命令をやらないことには事件が堆積する。簡單なる事件について面倒な手續をやらないで、簡單にするのは敢て悪いことはないと思いますが、公判を開かないで書面審理によつて本人と馴れ合いに片づけるということはどうかと思う。やはり公開法廷においてポリス・コートとか、その他の簡易裁判手續を別に作つて、それによつてつたらどんなものであらうか、かように考える次第であります。以上極めて雜駁な、極めて簡單なことで、お分りにならんかとも思いますが、要點だけを申上げたのでありまして、これを以て私の話を終ます。
  4. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 公述人の方に對する質疑は後に一括してこれをして頂きます。次に自由法曹團代表辯護士青柳盛雄君。
  5. 青柳盛雄

    公述人青柳盛雄君) 自由法曹團代表という委員長のお話ですが、別に代表として申上げるわけではない。自由法曹團に所屬しておる一辯護士の私が考えておることを申上げるわけですから、そのお積りでお聞き願いたい。私は學者でありませんので、實務をやつているだけの者でありまして、餘り學問的であるかどうかという點は、これを見る方々の御判斷にお委せするより外ないと思いますが、ただ實務家の中どもちよつとも色の變つておる實務家であるという、その點で、何事か皆樣方の御参考になれば……どういう點で毛色が變つておるか、申しますと、私共は自由法曹團という名前でやつております運動が、一般的に自由人權擁護ということを、この訴訟手續の上で實踐しておりますが、やはり自由人權擁護という問題の起り得るケースは、非常に過去において數字的な犯罪事件、階級的な政治犯事件具體的に申しますと治安維持上の違反事件共産黨事件といつたようなものであります。過去においても現在においてもありますのは、勞働運動農民運動、その他一般市民の大衆的な運動、そういつたものが刑事事件になつて來たことが非常に多いのであります。そういうものを私共は一手にと申すわけではありませんが、大半のものを手がけて來て、そうしてその實踐過程においてこの訴訟法の不備缺點というものをまざまざと痛感して參つたわけなのです。從いまして今度新らしい刑事訴訟法案が出ましたのに對して、私共がこれを見ました場合に、やはり非常にこれに對して批判的な立場をとらざるを得ない。結論的に申上げますと、この原案に對しては大幅に修正かして頂かなければならん、そういうことを感ずるわけなんであります。とかくこの政治的な犯罪は、やはり政治權力中心とする闘爭なんでありますから、純法律的といいますか、何ら政治的な意圖をそこに含まないで事件が處理されるということはないのでありまして、勢いそれは一つイデオロギー一つイデオロギー闘爭という形にもなつて參る。從つて刑事訴訟手續刑態を取る階級的な彈壓という本質をその中に持つておるわけなんであります。從いまして、この階級的な彈壓というものは、勢い自由人權に對して抑壓が強化されることになるわけでありまして、こういうものを徹底的に防止するということが、やはりこの刑事訴訟法目的ではないか、刑事訴訟法目的はいろいろあるように、この草案の第一條に書いてございますが、私共をして言わしめるならば、刑事訴訟法唯一目的は、自由人權擁護、要するに人民の持つておる基本的に人權を如何にしたならば擁護できるかということ、それだけで唯一の使命ではないかと思うのであります。その他に例えば公共福祉を維持しなければならないというようなことが書いてございますが、公共福祉というものは、自由人權と何か對立した觀念であるかどうか、これはとかく對立的にお考えになる危險性があるのじやないかと思いますが、公共福祉自由人權基本的人權というものは對立するという考え方は、これはおかしいのでありまして、やはり若しこれを對立するように考えるとすれば、公共福祉の名において、一種の全體主義的な目的を追求するということになると思うのであります。個人主義本質とするところの民主主義において、この何か對立的に、公共福祉人權というものとを考えるとするならば、それは民主主義そのものの自殺というか、否認ということになると思うのであります。從いまして俗に、あまり自由人權を保護するというと、國家治案が保てない、公共福祉が維持できないというような、二律背反的なものの考え方をするものの中には、やはり私は民主主義的なものの考え方を徹底的に追究していないという不備が現れておるのじやないか、そういうふうに考えるのであります。從いまして、この訴訟法草案の第一條からして、既に公共福祉を維持し、基本的人權の保障をなしつつ云々というような、こういう文句自體が非常に不徹底であり、憲法の十二條には、非常に公共福祉の點と基本的人權というものが、何ら牴觸していないように讀めるのでありますが、十三條に行くというと、公共福祉に反しない限りこれを制限しないというよう言葉を使つておりまして、何かそこに憲法の十三條自體が、私はこの今の草案一條趣旨と相似た二律背反的な考え方を含まれておるような疑いがあると思つて、遺憾に思つておるのでありますが、そういう趣旨で私はこの刑事訴訟法草案というものを考えて頂きたい、そう考えるのであります。これは決して一種イデオロギーを持つてそう言うのではないのでありまして、最近頻發しております勞働運動農民運動が、一般的な破廉恥罪罪名と同じよう業務妨害罪とか住宅侵入罪とか暴力行爲取締法とか傷害罪とかというような、一般破廉恥的な罪名によつて起訴されておりながら、そうしてそういう事實が認められて有罪になつた者もありますし、無罪になつた者もありますが、そういうものが結局は非常に輕い罰金とか執行猶豫になつておるという事實。こういうものから見ましても、その運動自體が單なる一般破廉恥犯罪というものとは違うということ。而もこれに對して刑事訴訟法が適用され刑罰が科させれるということ。そういうところに、やはり階級闘爭といいますか。資本家や地主と勞働者、農民との爭いごとというものが、とかく犯罪に作り上げられる可能性がある。その際にやはり自由人權というものが、非常に普通の一般的な犯罪以上に政治的な意圖がそこに加えられるために、取扱いが苛酷になるということを、私共はいろいろの事件を通じて感ずるのであります。感ずるというよりも、それをまざまざと見ておるわけなんであります。  そこで一番問題になるのは、どういうところかと申しますと、やはり何といいましても、自由の束縛という點であります。被告人或いは被疑者の自由を束縛するという點、即ちこれを他の法律言葉でいいますと、そこに書いてあります勾引とか逮捕という點でありますが、この勾引逮捕につきましては、五十八條規定に非常に簡單に今度はなつておるようであります。併し從來法律でも、再度の召喚をしても應じないような場合にはやつてもよいというふうになつておるにも拘わらず、今度は、再度の召喚というようなことは除外してしまつております。それから命令に應じないとか或いは應じない虞れがあるときにはできるとなつておりますけれども、これは勾引状を非常に濫發する危險性をそこに持つておると思うのであります。でありますから、これは、やはり從來と大體同趣旨或いはそれ以上に進んで住居不定の場合、再度の召喚にも應じないような場合、或いははつきりと逃亡した場合、こういう場合に限るべきではないかというふうに考えるわけであります。そうしませんと、勾引状が非常に濫發される。それから勾引した被告人は、二十四時間留め置くことができる。勾留のない場合には釋放できるということに五十二條でなつておりますけれども、二十四時間留めるということは、無用に長く自由を抑制することになるのでありまして、普通の場合これは十二時間程度でよろしい。即ち一晩留置場の中に留めないでも十分ことが足りると私共は考えるわけであります。でありますから、これはやはり十二時間程度に減縮すべきものであると思うのであります。それから勾引については、これは起訴された被告のことでありますが、起訴前の被疑者逮捕、この逮捕状の濫發ということは實に恐るべきものでありまして、從來は、ちよつと來いで引張れたが今度は正式の逮捕状でやるのだ。正式の逮捕状、非常に結構でありますが、單なる形式に流れて、十分に逮捕状によらずして取調べのできる被疑者を直ちに逮捕状によつて連れて來る、逮捕状の效果は、二十四時間警察に留め置き、更に四十八時間警察に留め置き、更に二十四時間檢事局に留め置く。即ちまる三日留め置くところの效力を持つたものでありますから、こういうものが濫發されるということになりますと、ちよつとした嫌疑で直ぐ引張られる。而もこれは非常に形式的に、罪を犯したことを疑うに足る相當の理由と、先程宮城氏も言われたような、極めて抽象的な勾留原因と同じ理由で以て逮捕状が出るわけなんであります。でありますから、このよう逮捕状によつて直ちに逮捕されるということは、逮捕状を濫發する虞れがありますから、これは徹底的に條件を附けなければならん。これはいろいろの例を申上げるとよく分りますが、ここは省略いたします。  それから現行犯逮捕の場合、これはもう現行犯でありますから、逮捕状によらないのは勿論でありますけれども、被疑者を非常に暴力を行使して逮捕するということが横行しておるのであります。直ちにピストルを發射して、怪我をさせる。或いは場合によつては、射殺するというようなことまで許されておるようなこと、それから餘り大した抵抗もないのにも拘わらず、警棒で頭を毆つて、血を出させるといつたようなこと、このよう人權蹂躙は、やはり現行犯逮捕を許したからといつて、決して當然に合理化されるものではないのでありますから、こういうものに對して、嚴重な制限規定を設けるべきではないか。尚、些細なことのようでありますが、逮捕をする警官が、一般民間人の協力を求める場合、普通の政治的で、或いは破廉恥でない者を泥棒とか、詐欺とか強盗とかいうような呼聲を立てて、追つかけて、彌次馬といいますか、彌次馬共にリンチを加えさせるというような、そういう事實はあつちでもこつちでもあるのであります。これは想像ではありません。でありますから、こういう虚僞の浮説といいますか、虚僞の連呼をして、一般人民の懲罰を誘致するというようなことは、これは嚴重にやはり禁止させるよう規定が必要ではないか、勾引逮捕については、このくらいにいたして置きます。  その次に勾留のことについて、これは先程、宮城さんからもおつしやいましたが、勾留原因が非常に不徹底であるという點、これはお説の通りでありまして、これはいろいろの點からやつて見ますと、起訴前の勾留、即ち檢事獨自にやる、俗に言う檢事勾留であります。檢事が身柄を引受けてから、今度の規定では、十日から更に又十日の範圍、即ち最大限二十日まで留め置くことができる。その間に檢事は、あらゆる證據の收集などに努力できるわけでありますが、この勾留原因なるものは、何も別に規定はないのであります。檢事は、勾留を必要とするときに、これを請求する。判事は必要と認められないときに限つて出さなくてもよい。これは必要と認める認めない、何ら條件がないのでありますから、判事の方では、殆んどこれは丸呑みにしてやつてしまう。でありますから、檢事の方で勾留を必要と認めるというような、こんな抽象的な形でなしに、やはりこれに條件を設けて、たとえ十日或いは二十日の間でも、無用に長く人間を拘束するという、人民を拘束するというようなことのないように、配慮が必要であると私は考えるのであります。起訴後の勾留については、先程の公述人のおつしやつたと同じでありますが、やはり住居不定とが、逃亡の虞れとかいうものに限るべきではないか。これは證據隱滅の虞れがあるときを入れるか入れないか。これは後の保釋のときと關連して重要でありますが、大體十日乃至二十日の間に檢事證據收集をいたしまして、起訴するのでありますから、その後になつて證據を集めるというようなことは、今までの例では殆んどなかつた。とにかく檢事の取調べの過程において、大體の證據は集まつてしまつておる。だからこそ起訴をするのでありまして、その後になつて證據を隱滅する虞れがあるというようなことは、これはやはり被告人が自白をしない。或いはすでに自白をしているけれども、公判廷で以て、その自白を又覆すかも知れない。だから、とにかく公判を開いて、事實審理をして、自白をしたから、それで保釋にするというのが實例になつている。これはいわゆる證據隱滅の虞れということを合理化する唯一の根據だと思います。新憲法の下においては、自白というものだけでは證據とすることはできないのであります。從いまして、この自白をただ強要するというよう意味であるだけの理由で、證據隱滅というようなことを勾留原因の中に入れるということは、これはやはり人權蹂躙だと思うのであります。で、私はやはり、これは證據隱滅の虞れがあるということは、勾留原因の中に入れるべきではなく、住居不定とか、逃げるとか、唯一の根據は、逃げること、逃げられたらどうにもならないから、逃げる虞れがないときは、勾留する必要は絶對にないと言つていいんじやないか。殊に今度は、公判開廷に至るまでは、證據というものが公判廷に出ていないから、一體どういう證據が隱滅されるか、されないか。殆んど一件記録というものは、判事の手許にないから、保護の理由にならない、從つて……保釋の方へ飛んでしまつたようでありますが、勾留原因の中へ證據隱滅というものを絶對入れるべきでないと思います。それから勾留原因に、やはり罪を犯したことを疑うに足る相當の理由ということでありますから、勾留の取消というようなことも事實上できないことになつている。現在も殆んど勾留取消ということは行われていないし、この分では恐らく今度も行われない。唯一のよりどころは保釋だけであるというふうになるわけであります。この保釋については、やはり證據隱滅というやつが一本附いて來る。八十九條の第四號ですが、この證據隱滅の虞れがあるときというやつは、これは實際重大でありまして、これで逃げられたら、保障は殆んど不可能、一審判決があるまで、即ち一審の終結に至るまでは、これは證據隠滅ということになつてしまう、檢事がどんな證據を集めて來るか分らないのに、それで、もうこれで大丈夫、出揃つたというなんらの根據がないから、これを食つつけておいて、保釋をしなければならんというように、義務的に保釋を認めているこの規定が完全に死んでしまう。私はこれを恐れているのであります。これは絶對に削除しなければならんと思います。勾留原因の開示の點が不徹底である。これはただ起訴事實だけを述べて、それでOKというものでない。やはり勾留原因として、逃亡の虞れがあるとか、そういつたことを勾留原因開示の場合には、檢事の側においてはつきり釋明し、裁判所もそれについて、説示を行うといつたようなことをなさらなければ、勾留原因開示は全くのこれは單純なことになる。大體二ヶ月内に起訴状の謄本が送達されることになつておるから、大體起訴状の謄本さえ送られれば、勾留原因開示の申立をしたところで、その起訴状において、お前を留めておるということを聞くだけのことでは意味がない。從つて留めておくという、もつと外の理由はつきりさせるようなことをしなければならん。そのためにも、先程言つた勾留原因はつきりと法律規定しておく必要が  次に、辯護人のことでありますが、この數を三人に制限するということ、主任辯護人を設けるということ、これは、他の公述人からも言われると思いますが、これは戰爭中の考え方、辯護人を制限するということ、これは戰爭中の官僚的、獨善的な考え方から來ている。要するにうるさいものであるという考え方から出ておると思います。それから國の費用で選ぶ辯護人は、これはやはり被告人に或る程度の選擇權を認めなければならん。被告人において信頼できない辯護人だつたら、これをやめてもらうというような、やはり或る程度の忌避權といいますか、外の人に變えてもらうという忌避を出す權限をやはり保障してもらわなければ、從來の官選辯護人の例で見るようなことでは、本當に形式に流れてしまう虞れがあると考えます。それから辯護人を選任する權利を、被告その他家族、親族の者に制限しておるようでありますが、これは何らそういう制限を設けるべきものでない。國民一般誰でも、勾留原因開示の申立をすることができると同樣に、辯護人選任の權利があるということにすべきである。そうすることによつて、非常に先程の、國の費用で選ぶ辯護人の不徹底な點も、これでカバーできるのじやないか。こういつた點、若しくは被告人の方で他人が附けた人に不服の場合には、勿論解任する自由があるのでありますから、一向に差支えないと私は考えるのであります。  一審の取調の方に關しまして、證據その他いろいろあると思いますが、これを省略いたしまして、刑事訴訟法草案で、最も重要な點は、控訴審を續審制度にしたという點であります。これは從來の覆審制度をどうして續審としたのか、私どもは全く理解に苦しむのでありまして、何か覆審にするについて、特殊の弊害があるかということから、まず考えてみたかつたのであります。ところが特殊の弊害は殆んど認められない。先に想像のできる弊害の方から、その理由にならないことを申上げて、それから本質的に必要である理由、それはもう從來も必要であるからこそあつたのでありますから、その方は簡單に觸れるといたしまして、悪い理由として考えられることは、證據が散逸してしまつておるから、或いは證據の客、證據力が薄弱になつておるから、というのは、もう控訴審になりますと、相當時間がたつから、そうなつておるときに一審と同じようなやり方の覆審をするということは、意味がないのじやないかということが一つの論據になると思うのでありますけれども、現在までの實績から言つて、果して事實認定その他について、控訴審の方が眞相の發見について不備であるかということを考えてみますに、決してそうではないのであります。いろいろの點で控訴審の方が、より一審よりも事案の眞相というものに透徹する可能性が強いし、判斷も妥當であるということを私共は感ずるわけなのであります。でありますから、そういう點でのやめる理由一つもない。それから覆審制度にすれば、とかく濫用でもされはしないか。控訴というものを濫用しはしないかということでありますが、これは濫用ということになれば今まででも、それでは濫用されていたかということになるわけでありますけれども、別に覆審制度のために濫用されていたということを、私どもは考えることはできないのであります。刑の執行を延期する目的で、何時までも外にいたいというだけの目的控訴する、實際有罪で、刑も大して負からないというような見通しもありながら、やるというような點、そういう點は覆審であつたために、特にそうだということは考えられないのであります。續審であつても、それは同じであります。ただ迅速に處理をするということは、これはやはり憲法の三十七條に書いてあるために、迅速にやることが被告人自由人權擁護する所以であるというようなこじつけというか、私どもから言うと、これはこじつけと解釋せざるを得ないのでありまして、迅速にやるということは、無罪になるかも知れない者を、何時までも棚ざらしに引張つておいて、不安定な状態に置くということではいけないというので、やぱり早いところ勝負をつけて、刑務所に送るという、そういうことは自由人權擁護するという觀點から見ますと、迅速な公平な裁判ということにはならない。この迅速にやるということは、私どもは憲法第三十七條に人民の權利として保障するものである限りにおいては良い、これと對立するという考え方から、早く處罰してしまう、早く片附けてしまうという、そういう觀點の迅速ではないということを考えるのでありまして、早くやるということは決して被告人の利益にはならない、自由人權擁護にはならないということを考えるのであります。これは又日本の實情から言つても、そうだと思う。  それからもう一つ考えられる反對理論は、一件記録というものが、もう一審ですつかり裁判所の手許にできてしまう。これは續審ならばそのまま持つてつても不思議はないけれども、覆審の場合に、その一件記録を持つてつたのでは、一審とは又違つた色合いのものができてしまう。一種豫斷をそこに二審の裁判官に抱かせるのではないかという點、これはちよつと一理あるように見えます。併し私の考えから申しますと、やはり民事訴訟なんかの場合、あれは續審ではありますが、やはり直接證據等の取調を行なつております。あれは一件記録が附いて行つて、民事訴訟では、又證據の取調をやつておるわけで、或る程度の豫斷が抱かれるといえば抱かれておるのでありますが、一審判決がすでにあつたということ自體がもう豫斷というような問題は解消しておるものではないか。とにかく裁判所はもう少し一審判決を審査するという點で覆審にすべきものである。續審ではいけない、覆審にすべきものである。どうして覆審にならなければならないかというと、民事訴訟では、被告人法廷に出られなければ、これは代理人、辯護人が代理人のような形で出て、代辯をする、民事訴訟などでは、これはもう覆審も續審も大した違いはないのでありますけれども、被告人が必ずその法廷に出頭して、自己の利益のために、発言する機會、或いは防禦の方法を講ずる機會が與えられなければならないという刑事訴訟の建前から言うならば、これは上告審を少しモデイフアイしたような、むしろ昔の上告審よう控訴審をやめてしまうというようなことでは、これは意味がないのでありまして、又一件は記録が附いたままでもよろしいから、現在のままの控訴審とよく似ておると言いますが、そういう形で保持されるべきものだと私は思うのであります。その反對理由は、そういう點で私は採用に値いしないと思つておるのでありまして、殊に恐るべきことは、上訴した場合に、勾留が復活するという規定なんであります。いわゆる保釋執行停止や、そういつたものの效力を消減してしまつて控訴審に行けば、再び保釋請求した場合、義務として出さなければならんという規定の適用がないという點、三百三十三條と三百三十四條でありますが、これはどんなことがあつても御修正が願いたい。これは最後のものとして、これだけは絶對に讓れないと思うのであります。これは、こんなものがあつたならば、これは上訴というものは、殆んど權利を剥奪されて、絶對にできないことになると思うのであります。これは今の軍事裁判と同じことであります。判決があつたならばその場から刑務所に行つてしまう。折角やれやれと保釋になつても、斬捨御免でそのまま連れて行かれるのじやないか、上訴しても通るか通らんか分らないと弱氣になつて、しまうで、大抵上訴しない。一審限り控訴審書面審理で總てのことがオーケー、これは非常に由々しい問題だと思うのであります。餘りにも迅速主義というか、片附け主義というか、これはもう絶對に削除して頂かなければならんと思います。それから、こういうものを、それでは何か尤もらしい理窟があるかと思つて私は考えて見たのでありますが、若し一審判決の權威を高めるために、これはもう犯罪人の烙印が捺されたのだから、確定はしないけれども、愼重審理の結果、そういうものが出たのだから、もうこういうものを出されても、外に出して置くのは風教上よろしくないとすれば、これはもう上訴權を認めた趣旨と完全な矛盾でありまして、刑事訴訟法一つの自殺だと思うのであります。やはり確定するまでは有罪ということは斷定できないという謙虚な氣持で、國家權力の謙虚な氣持で自由人權の保護をしなければならない。一應有罪になつたのだから、これは非常に危險人物でという考えから、これは犯罪の虞れある者だから、保釋になつた者が、判決を言い渡された途端に犯罪をやり出す、そんな馬鹿なことはない。逃亡の虞れがありはしないか、一審で有罪になれば、これはもう大變だ、どこかへ逃げてしまう、これを若し言うとすれば、これもナンセンスでありまして、從來一審の有罪の判決があつた者保釋中逃亡したという例が特に統計に出ているかというと、そういうことは別にない。犯罪を言い渡されたから逃げるということはない。それから證據隱滅、これも殆んど一審のときでもそうでありますから、二審になつて證據隱滅するということはこれは問題にならない。こうやつて反對の點をやつて行くと、結局はどうも保釋にして出して行くということになると、じやんじやん上訴していつまでも刑の執行ができないから、これは一つ叩きこんで止めさせてしまおうという目的でこの規定ができたとしか、私共は、非常に意地の悪い解釋ようでありますが言わざるを得ない。そういつたわけで、この控訴審が今まで必要であつた理由、即ち公正な裁判が保障されるということ、事實認定につきましても、法律の適用につきましても、或いは刑の量定につきましても、一審限りでおしまいになるということは非常に危險であります。幾ら一審で愼重な審理をしたといつても、これは控訴審でもういろいろな證據が、事實が澤山出る可能性があるのであります。これは何も裁判官が公正であるないということでなくして、一審では眞實の發見ができなかつたことが、二審でできるということが非常に多いということは、假に一審で證據がすつかり出揃つても、事實が出揃つても、その裁判官誤判があり得る可能性がある。これは陪審制度がない現在においては特にそれが強調されなければならんと思うのであります。そこでどうしても客觀的には誤判と同じことになるわけであります。そういつたものによつて證據が不十分だということ、それから主觀的な判事のいろいろな點での誤判、自由心證主義によつて單獨判事が一人でおやりになるというような、こういうような場合においては、非常に危險な點があるのであります。第三番目には、刑罰が苛酷になるということも私共は考えて見なければなりません。犯罪時期、犯罪をしたときに接着したときの判斷というものはなまなまし過ぎて、社會防衞的な見地、即ち一般豫防の見地の方が強くなつて、その個人を更生させるというような冷靜な判斷が壓迫されてしまう。ないとは言いませんが非常に薄くなる。どんどん嚴罰で苛酷な刑罰を科する危險性がある。こういう點で、一審限りということは、それは勿論先程刑の量定においても續審だつてやれるということもありますが、續審がやつても一審の事實認定、或いは證據の範圍内でやりますから、これではやはり不徹底である。それから最後の刑事政策的な觀點から言いますと、やはり求刑が三年で判決が二年、二年で執行猶豫が付かなかつたが、控訴へ行つて二年に對して執行猶豫が付いたというような少しずつ輕くなつて行く過程、これは人情の機徴に合致したものでありまして、結局本人が納得する。その罪にもうここまで審理して貰つてこれだけのことをやつて頂いたのだから、滿足して服罪するという氣持、この氣持は本人の更生の上から言つても非常に重要なことであります。又一審では強い刑を言い渡して控訴審で輕くしてやる、その間の心理的な影響力というものは非常に被告に大きなものを持つている。その間に自粛自戒すると言いますか、相當の責任觀念を養成する餘地があるのであります。一審ではまあ重くしておいてやろう、上に行けば輕くなるというようなそういうゆとりが刑事政策的な見地からも考えられてもよいのではないか。これは餘り濫用し過ぎては一審の判決が輕々しくなるのではないかと思いますが、そういう人情の點から言つてもいいのではないか。次は情勢の變化から、もう處罰しなくてもいいということが進展している最中にあると思います。免訴にすることもできましようし、刑の免除にすることもできましよう、又執行猶豫にすることもできましよう。そういう情勢の變化ということに對してのゆとりが全然なくなつてしまう。とにかく有罪にしておいて、情勢の變化によつては假釋放もしよう、或いは免除なんかもしようというような、そういつたやり方というものは、餘りにも冷酷過ぎるという點、これは刑事政策の點からいつて控訴審は絶對に覆審にしなければならん論據になる點があるわけであります。非常に長くなりましたから、これでお終いにいたします。
  6. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 次は最高裁判所裁判官島保君。
  7. 島保

    公述人(島保君) 私は公聽會は初めてのものでございますから、準備をして參りませんので、纏まつた意見を申上げることはむずかしいのでありますが、氣付いた點だけを申上げて、若し又後程御質問がありましたならば御質問に應じて考えを申上げたいと存じております。  この度の刑事訴訟法法案全體といたしましては私は大體贊成であります。と申しますのは、これまでの刑事訴訟法規定に比較いたしますれば、人權を保障するという面において非常に内容が進んでおるので、こういう意味におきまして憲法趣旨によく合う法案というふうに考えられますので、贊成いたしたいと思うのであります。ただ併し法律が如何に立派にできましても、これを運用するだけの實際の人員、或いはその設備、それが十分整わない限りにおきましては、全く法律は空文に化する虞れがあるのでありまして、さよう意味におきまして非常に心配をしておるのであります。と申しますのは、今度の法案によりますると、殊に第一審の公判手續が非常に複雜と申しますか、鄭重になりまして、それがために從來公判審理から見ますれば、非常な手數を要することとなると思うのであります。從來、先程宮城さんからもお話のありましたように、警察、檢事局における一件記録というものが、すでにでき上つておりまして、それに基いて一應公判裁判所といたしましては、公判に臨む前に内容を檢討いたしまして、そうして、その記録の誤まりのありそうな點とか、更に公判において十分明かにしなければならん點とか、さような點を頭に置きまして公判に臨むことができたわけでありますが、今度の法案によりますれば、起訴状だけで公判裁判所は直ちに審理に臨むわけであります。これは勿論從來ような形のやり方は、人權保障の面から言えば面白くないのでありまして、殊に警察或いは檢事局の段階において被告が自白したそのものが、直ちに公判においてもそのまま證據になるということでは、やはり檢察の段階における強制、或いは拷問その他の任意でないところの自由というものが行われますので、さよう意味におきまして一切の捜査段階における記録が公判に廻らないということは、裁判を公正に行う面から申しますれば非常に宜いことだと思うのであります。ただ先程宮城さんのお話のありましたように、起訴状一本公判裁判所が受取つて、果していろいろの證人尋問であるとか、或いは被告の供述を求めるとか、事案の眞相を明かにする上において、十分審理が進られるかどうかということになりますと、これは私も非常に疑問に思うのであります。これはあくまで今度の改正によりますれば、いわゆる交互尋問の制度は採つておりませんけれども、併し檢察官、辯護人から進んでいろいろと證人その他の者に對して供述を求めるということが活溌に行われる得る建前になつておりますので、どうしても檢察官、辯護人の側から少くも詳細な尋問事項、さようなものを裁判所に提出して、一應裁判長がそれに基いて、證人尋問をし、或いは又被告から供述を求めるということにいたしませんければ、裁判長が審理を進める上において非常に不便があると思うのであります。草案によりますと、單に證人等を申請する側の者は、その證人の氏名、或いは住居を相手方の方に通告しなければならん、これだけのことになつておるようでありますが、更にそれに加えて詳細な尋問事項を添えて、そうして互いに相手方の側から如何なる事柄について如何なる證人等を申請するのかということを明らかにし、一面において又裁判所がその尋問事項に基いて審理を進めて行くということのできるように、どうしても改正して頂かなければならんのではなかろうかと思つておるのであります。先程いろいろ御意見がありましたように、今囘の草案におきまして上訴制度、殊に控訴審の制度が從來事實審理という建前を一應捨てまして、そうして大體これまでの上告審であつた大審院の手續の形に變えた點が面白くない、こういう御意見がありましたが、この點は私も事件は單に迅速に處理するだけのものでなく、飽くまで適正な裁判をし、而も裁判を受ける者に十分な信頼を與えるということが大切であるという觀點から見ますれば、從來通り控訴審というものはそのまま存置いたしたいと一應は思うのであります。ただ今度の改正案のように、第一審の公判手續が嚴格な直接審理手續になりまして、一切の證人公判に呼ばなければならん、そういうことになりますると、裁判所の人的な設備、それから又物的な設備において非常な多くのものをそこに要することになりますので、その上重ねて控訴審從來のままにし、又上告審從來のままにするということになりますと、現在の我が國の國情におきまして刑事裁判の實際が破綻に瀕するのではないかという點を非常に心配いたしておるのであります。今日の制度におきましても御承知ように非常に被告事件が多くなつて参りまして、監獄は超滿員の状態であります。又裁判官が随分骨折つて審理を捗らせようとしておりますが、とかくそこに遅延の現象が起つて、そうしていろいろな點からそれが問題になつておるのでありますが、これを今度の改正案で、草案にありますような鄭重な第一審の手續を行い、而も尚從前と同じよう事實審として控訴審をそこに殘すということになりましては、全くこの裁判の實際が動きのとれない状態になつてしもうのではないか。これは十分の國力がありまして、そうしてあらゆるそういう面の準備ができますれば、事實審として控訴審を殘すことはいいことは勿論なのでありますが、ただ現状から見まして、若しこの草案ような鄭重な一審手續というものが採られるということになりますと、どうしても勢い控訴審は何らかの形で、控訴上告手續はこれを制限して行くということが、どうしても必要ではなかろうかと思うのであります。そうして今度の控訴審の建前では、大體從來の大審院における上告審ような形になつておりますが、併しながら刑の量定が不當であるとき、又事實誤認があつて、それが裁判に影響があるとき、そういう場合はそれを主張して、そうして、その點を明らかにすることができる、こういう規定の建前になつておりますから、その點は從來の大審院における事實審理ということよりも、更に一層もつと頻繁に多くの事件について、苟くもそこに刑の量定に不當が感ぜられる、或いは事實誤認が感ぜられるという場合には、これらの規定を活用して、事實審理を進めて行けば、草案ような建前で控訴審を改めましても、左程事實の眞實を發見する上に困難もなかろう、又刑の適正な量定ということを全うする上においても左程缺陷はないのではないか。  要はこれらの事實誤認の規定或いは刑の量定の不當である場合の控訴、これらの十分に活用して、そうして事實審を捨てて、績審と申しますか、或いは法律審のような形にした控訴制度というものを活かして行かなければならないのではなかろうか、さように考えております。この點も今度の草案によりますと、上告の場合にも甚だしく刑の量定が不當である場合、或いは重大な事實の誤認がある場合、こういう場合には上告審が進んでこれらの事由を取り上げて、そうして原判決を破棄することができる。さような建前になつておりまするが、規定の文字から見ましても、控訴審の場合には、單に刑の量定が不當と、こうありまするが、上告審では、刑の量定が甚だしく不當、控訴審では事實誤認とあるのが、上告審の方の規定では、重大なる事實の誤認というふうに書き分けてありますので、控訴審におけるこれらの規定の運用は、從來の大審院における事實審理より更に瀕繁に活用して、そうして十分に事實審としての働きを充たして行く必要があるのではないかと考えております。これがためには、初めにも申しましたよう裁判所裁判官の人員、書記の人員、又法廷の設備、さようなものを餘程思い切つて充實いたしませんと、大變に法律は立派にでき上つたが、その實情は從來よりも更にもつと困つた状態になつてしまうという危險が多分に存するのではなかろうかと存じております。どの程度人員を増加し、設備を増したらよかろうかということにつきましては、目下最高裁判所事務局でも、いろいろと案を練つておるようであります。まだ確定案には達しておらんようでありますが、少くとも裁判官裁判所書記については數百名の人を殖やさなければ、とてもうまく行かないのではないか、法廷の數にしましても、現在の二倍、三倍ぐらいの法廷の數を設けなければうまく行かないのではなかろうかというふうに、事務の當局の方では考えておりますので、そういう豫算の裏付けが十分にできませんと、今度の改正案の規定が如何に立派であつても、所期の目的を達し難いのではないかというふうに危惧されるのであります。さようなわけで、私といたしましては、法案の個個の規定につきましては、いろいろ問題となる點がありましよう。先程宮城さん、青柳さんから仰しやつたよう勾留原因等があまりに漠とし過ぎておるじやないかというような點、私もさよう感じます。その他いろいろの點で問題になることもあろうかと思いますが、大體においては人種の保障という意味において、現行法より進んだ建前になつておりますので、私は贊成いたしたいと思うのであります。又國會におきましても、法案の御審議と同時に、そういう設備の方の豫算ということも十分御心配頂くようにお願いいたしたいと思うのであります。尚又何か個々の點につきまして御質問がありますれば、後刻意見を申し上げることといたしまして、簡單ではありますが、一應これで私の意見を終りたいと存じます。
  8. 伊藤修

    委員長伊藤修君) ではこの程度で休憩いたしまして、午後一時から開會いたします。    午後零時零分休憩    —————・—————    午後一時二十二分開會
  9. 伊藤修

    委員長伊藤修君) これより午前に引續き司法委員會公聽會開會いたします。まず東京高等檢察廳檢察官植松正君。
  10. 植松正

    公述人(植松正君) 既にいろいろ先輩方から御意見を拜聽いたしまして、私の意見と重視するような點は、大體省略することにいたします。多少先輩の御意見と違つた私の意見もございますので、その點は甚だ僭越でございますがお許しを頂きまして、又違つた意見も御參考に供しておきたいと存ずるのであります。法案全體といたしましては、既に先輩の御意見にもございましたように、人權の保障を徹底させておるという點などにおきまして、もとよりこの法案に贊意を表する者であります。ただ若干の點について、必ずしもこれでいいかということについて疑いを持つ點がございますので、この點について申上げて見たいと存じます。  改正法律案の主なる點の中、第一に起訴の方式でございますが、起訴の方式を、極めて嚴格な形にした。殊に、裁判所による罪名の變更ができないという形になつておりますが、併しながらこれにつきましては、途中で訴因及び罰條の追加、撤囘、變更もできるようになつておりますし、又訴因及び罰條の予備的、畫一的な記載をも許しておるという點のもならず、更に裁判所が訴因及び罰條の追加、變更を檢察官に命ずる場合もあるというふうになつております。こういう點から見ますると多少の相違がございますけれども、現行刑事訴訟法において、事實の同一性事實と違つた罪名によつて認定をすることが、裁判所に許されておるのと大體似たことになるのではないか、ただその訴因竝びに罰條の變更等が、豫め相手方に通知されるというような點に、多少の違う點がございますけれども、こういう點を特に嚴格にしなくても、從來通りで、公訴事實の同一性の範圍を出なければ、裁判所が自由に認定し得るという儘でいいのではないかという感じを持つのであります。  それから第二番目に、裁判官起訴状だけを見て法廷に臨むという制度、これは豫斷を抱かせないためであると言われておりますが、從來の實續から見まして、記録を先きに送致するということが、しかく豫斷を抱かせるという心配はないのではなからうかと存ずるのであります。この意味で、先きに先輩お二方から御意見がありましたように、記録をやはり裁判官が前以て見て、十分の準備をした上で尋問にかかる、審理にかかるということの方が、もつと眞實を得る所以ではないか、こういうふうに思うのであります。あらかじめ知識を持つということが豫斷になる心配があるということは、一應形式論としてはそういうことも言えるかも知れませんが、これは裁判官の技能と經驗とに信頼して、そう心配のないことであらうと思うのであります。むしろ、あらかじる記録をよく讀んで、如何なる點をどこから調べて行くのがいいかという準備をした上で法廷に臨まれるということは、極めていい制度のように思うのでありまして、この點は、現行法ような制度であつて少しも差支ないというふうに存ずるのであります。  それから證據の申出に關することでありますが、人證につきましては、氏名、住居等をあらかじめ知らせておくということになつておりますし、又物證につきましては、閲覧の機會を相手方に與える、こういう制度が本法案において採られておるのでありますが、これは成る程或る意味ではフエア・プレイであると言えるかも知れませんが、裁判官が心證を得るためには、却つてあらかじめ通知をしたりなどしないでやることに方がいいのではないか。人證につきまして氏名、住居くらいを通知するというようなことは、少しも差支ないでしようが、證據というものは、法廷にむしろ意表に出て檢出されるということによつて裁判官がその場合における當事者の態度なり證人の態度なりを見て心證を形成しやすいのであると思うのであります。あらかじめ通知をして、それによつて心の準備をして、關係人法廷へ出て來るというふうになりますと、裁判官がその態度等を見て眞意を捕捉するという點において少しく困難になるように思うのであります。こういう點はむしろ意味に出て法廷でその態度を見るというような制度が望ましいように考えられるのであります。それからその次には裁判官が白紙の状態において法廷に出て起訴状一本で取調を進めて行くというふうになりますと、裁判官自身が發問しておる場合におきましては、割に注意が集中するのでありましようが、他の檢察官なり辯護人なりが發言しておる場合に、それに應じて關係人を表示するというときには、必ずしも裁判官を常に緊張した意識状態においてこれを聞いておるということが續けられない場合もあるのではないか、そういう場合におきましては、後で公判調書なり何なりを見て記憶の缺けた點を補なうということに當然ならざるを得ないと思うのであります。結局記録を裁判官に提出するということが時間的に多少後になりますが、やはり書面になつて補なうという點は同樣の結果になるように思うのであります。殊に現在の裁判所書記の訓練の状況、能力の状況等を見ますと、速記ができないのであります。速記のできない書記を使つて裁判進行する、俄かにこれを速記の能力のある者ばかりを採用するという途は恐らくないと思うのであります。こういう點から見ますというとこの記録の整理という點に頗る困難な點がありはしないかと、こう思うのであります。  次に自白の問題でありますが、自白の偏重ということは確かに改められねばならんことでありますし、憲法が明らかにその點について明確に保障規定をおいておるのであります。併しながら強制によらない自白であるならば、これを尊重して方がいいのではないか、強制による自白は確かにいけいのでありますが、強制によらない任意の自白であるならば、それを證據にとるということを大いに、むしろ奬勵していいのではないかと思うのであります。自白ということは二つの點において私は尊重したいと思うのであります。從來人權蹂躙がこの自白強制によつてつたという點が、これは誠に遺憾でありますが、これを矯めることができるならば、自由な自白であるとすれば、それは一方におきましては心證を得るに極るていい資料である、御承知のごとく自白は證據の女王であるといわれておりますように、結局犯人の主觀的な問題、心理的な問題につきましては、自白によらなければ正確なことは把握できないのであります。犯罪の意思、例えば殺意があつたか、なかつたかというようなこと、或いは目的犯における目的がどうであつたかというような點は、傍證によつて勿論認定し得るのでありますが、その場合にはやや隔靴掻痒の感があると思うのであります。自分の任意にせられる限りこれを想當尊重するという方針で訴訟制度を作るということが、むしろ適切であるように思うのであります。殊に法廷における自白につきましては、現に最近最高裁判所判例によりましても、これが憲法のいわゆる唯一の自白ではないということになりまして、法廷における自白ならば、自由な任意の自白であるという理由によつて、これを自由のみによつて認定してもいいということが、最高裁判所裁判例にも現われております。これはアメリカの例によるところであるように存ぜられますが、かような最近行なわれた判例をも變えてまで、自白だけでは絶對に罰し得ないというような制度にすることが、果して適當であるかという點を反省したいと思う者であります。  尚小さい點について若干申上げますと、第一に有罪判決の表目だけを示すということになつておりますが、これは有能なる立派な裁判官にとつては固よりこれで結構なのでありますが、多數の裁判官を使わなければならないこの近代國家の制度の下におきましては、必ずしもすべての裁判官に有能なる人を期待することはできないと思うのであります。その意味では、表目だけでいいという制度によりますというと、得て裁判官の專恣を招く虞れがなかろうかという點を心配するのであります。次に保釋を許さない理由保釋の障害になり理由として、逃亡の虞れということが入つておりませんが、これは逃亡の虞れある場合には保釋を許さない理由になるというふうに改めて頂くことを希望する者であります、現に保釋中に逃亡する人間は相當多いのであります。殊に最近は強盗のような極めて社會の治安に有害な犯人が保釋中に逃亡するという事實が相當にあるのでありまして、これらの點は治安の上から考えますと、逃亡の虞れという點を是非加えたいと欲する者であります。  それから、この點は私は一囘法案を見ただけでありますので、或いは見落しがあるのかも知れませんが、女子の身體についての捜索につきまして、百十五條は捜索状による場合だけを規定しておりまして、公判廷において行う女子の身體の捜索には適用がないということになると思うのであります。これは百六條の半面解釋からそうなるように存ずるのであるますが、これは公判廷にも及ぼすのが相當である。實際は餘り問題がないでありませしようが、併し公判廷と申しましても、必ずしも多數の關係人が在廷するとは限りませんので、女子の身體捜索につきましては公判廷においても成年の女子を立會わしめるというよう現行法よう規定が、やはりあつた方がよいように思うのであります。  次に辯護制度の中、これは辯護士の職にある方とは恐らく見る點が違うと思うのでありますが、私と雖もいつ何時辯護士の職に就かないとも限らないのでありまして、決して現在の自分の職を理由として申すわけではないのでありますが、裁判の迅速なる進行のためには、多數の辯護士が重複した辯論をするということについては、反省を要する必要があると思うのであります。代表辯護制というものを設けたいと思うのであります。更に辯護人ということが本法案において定められておりますが、辯護そのものについては代表辯論というような形になつておりませんので、これは、こういうふうに改め、こういう點を新たに規定して頂きたいように思うのであります、  次に公判廷における發問の順序でありますが、この發問の順序の變更につきまして、三百四條三項によりますと、「檢察官、被告人又は辯護人」となつております。即ち「又は」となつておりますが、發問順序の變更については「又」ではなく、双方の意見を聞くようにした方が妥當ではないかと思うのであります。  それから先程來いろいろ御意見のあつた點について附加いたしますと、檢察官の控訴について民主的な制限が必要ではないかという御意見がありましたが、これにつきましては別に檢察官彈劾の途等も設けられておりますし、行政監督を促すというような途もあることでありますから、この程度を以て足るのではないかと私共は存じております。  それから未決拘禁につきまして、勾留期間更新であります。これにつきましては、從來期間更新は、期間が定められておつて、一定の期間が經ちますと更新を發表するというやり方でありました。この度は期間が全然定めてないよう法案が作られておりますが、これは原案に賛成であります。と申しますのは、決して被告人を濫りに長く拘禁することに賛成なのではないのでありまして、從來勾留期間を二ヶ月なり一ヶ月に限りまして更新をするというふうにしてありましたが、それではただ形式的に紙一枚に署名するというだけで更新される。それは非常に良心的な裁判官が一々その場合に反省するということもあるでありましようが、得てその點につきましては形式一點張でどんどん更新して行く傾きが見られたように思うのであります。若しそうだとするならば、強いて期間の制限を置きましても、同様な結果になるのではないかと思います。更新を許さないという制度ならこれも肯けるのであります。更新を許す以上は、むしろ原案の如く勾留期間ということを定めずに、裁判所の良心によつてこれを最少限度勾留を以て終らしむるようにすることが妥當のように思うのであります。むしろ形式的な從來規定を改めて、實質的に從うようになとつたいう點は、原案に賛成したいと思うのであります。これと似た制度といたしましては、原案では審理手續の更新につきまして、現行法が十五日以上引續いて開廷しなかつた場合に審理を更新するということになつておる規定を廢めたようでありますが、これ等も私は賛成したいと思ひます。審理更新ということは何人も訴訟手續經驗のある人には分つておりますように、實際、法の命ずるよう意味審理更新が行われたのを殆んど見たことがないのでありまして、審理更新というのは名のみであつて、ただ從來通り相違ありませんかと言うだけでおしまいになるのであります。御承知の如く十五日以上開廷せざりし場合に審理を更新するというのは、裁判官の記憶をフレツシユにするということの理由によつて從來説明されておりますが、そのためには審理を大體において元からやり直さなければ審理更新の意味はないのであります。然るに單に訴訟關係に異議ないというような形で以て審理更新の手續をやつたことにしておる。これは法律の上にただ定められておることを、最も法律を守らなければならない裁判の經過において、却つてつていないことになるので、守れない法を作るよりは、むしろ守れる法を作るがよいという意味において、これ等も審理更新について十五日の不開廷ということを問題にしなかつた原案がいいように存じます。それから控訴審を縮小したという點につきましては、先程島さんからもお話がございましたように、量刑不當が三百八十一條により、事實誤認が三百八十二條によつてこれを理由として控訴を認めておりますので、控訴を眞にする必要のあるものは大體これで賄い得るように存ぜられます。大した理由がないのに控訴して行くのではなくして、眞に量刑不當であるとか、事實誤認であるということを理由になし得るというような場合において、これを認めた方がよいのではないかと存ずるのであります。この點、原案に賛成するわけであります。それから書面審理についての問題でありますが、これも成る程口頭辯論主議を徹底させるという點から見まして、書面審理でやれるようにしたという點には御異論があると思うのでありますが、併し實質上の問題として、餘りに明白な形式的な理由で以てかけておる場合に、これを尚口頭辯論を開かなければならんというふうにまで徹底しなくてもいいのではないか。即ち原案の程度であれば大體足るのではないかと思うのであります。  次に略式命令の點でございますが、これは現行法においても問題があり異論のある點でございますが、これは本人公開裁判を受ける權利を抛棄するというのはおかしいという議論も至極御尤もでありますが、併し實際は被告人が正式裁判を受けるということが却つて幸いから、略式命令簡單に済まして貰いたい、殊に法廷に出て被告人として顔をさらしたくないというよう理由によつて略式命令でせられることを希望する場合も相當あるやに聞いております。そういう點から見ますと、自由なる抛棄であるならば抛棄も亦これを認めて宜いのではないか。必らずしも公開裁判を開かなくても宜いのではないかと思うのであります。ただ起訴状だけで、外に書類がなくても略式命令を出すということは、如何にも不都合であるというお説に對しては誠に御尤もだと思うので、この點は適當に考慮が必要ではないかと存ずるのであります。  最後に法文の問題でありますが、法文に若干飜譯的な口調が入つておりますのは、これ止むを得ないかも知れないのでありますが、この點なども多少は改めたいと思うのであります。法文というものは一國の文化にとつて一つの基準となる點もありますので、文章の末に至るまで十分に考慮をしたいと思うのであります。  文字なども例えば尋問という字が尋常小學校の尋という字を今度の法案では用いておりますが、從來ように言偏の訊という字を用いた方がむしろ字としては易しい字であります。尋常の尋を用いておりましたが、現在としては尋常小學校ではない、初等料ということを使つておるならば、尚更尋常の尋を使う場合は餘りないでありましようし、そうすると、當用漢字としては言偏の訊もあるようでありますから、そちらを用いる方が却つて易しい字だというふうに考えられるのであります。而も從來慣用されておつた字でありますから、言偏の訊という字を用いることはそのままにしたいと思うのであります。證據隱滅の隱、これなども從來のままで宜いのではないか、當用漢字の制限を嚴重に守るならば、これは當用漢字にないようでありますが、こういう字なども若干考慮すべき點があるように存じます。併しながら全體といたしまして、この構想に對しましては贊意を表する者であります。甚だ纒まらないことを而も失禮に亙るようなことも申上げたと思いますが、どうぞ御了承を願いたいと思います。
  11. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 次は早稲田大學教授江家義男君。
  12. 江家義男

    公述人(江家義男君) 今度の改正案を大體見ますれば、皆さん御承知通りに英米法の訴訟手續が相當に加味されておるということは否定できないと思うのでありますが、私が多少ながら英米の刑訴手續を調べた淺い經驗ではありますが、それに比較して見ますると、英米法の採入れについて、英米法の理解の足りない部分があるように思います。殊に英米法においては最も重要なものとされておることが今度の草案においては考慮されていない、こういう點に氣が付いておるのであります。その他細かい點についていろいろ意見を述べたい點もありますが、私としては先ず憲法に違反すると思われる點或いは憲法違反の疑いが非常に大きな點だけを述べたいと思います。先ず提案といたしまして、百三十七條から「被告人又は」という字を削除することを提案いたします。その理由被告人身體檢査を強要することは、新憲法の三十八條第一項に違反する疑いが非常に大きいというところにあります。この點は先に宮城さんからもその疑いがあるということを申されたのでありまするが、私は英米の憲法竝びに刑事訴訟法を研究した結果、この點に非常な疑いを持つておるのであります。ここで憲法三十八條第一項の意味を説明することは、或いは蛇足かとも思いまするけれども、まだ新憲法が出まして間もないために、日本でのこの間の詳細な説明が學者によつてなされておらないようであります。それで少しばかり、蛇足とは思いまするが、私の考えておるところを述べて見たいと思うのであります。  御存じの通り、新憲法三十八條の第一項に相當するものは合衆國憲法修正第五條であります。これには、何人も刑事事件において自己に不利益な證人となることを強要されないという規定があるわけであります。この規定解釋として、どういうことが言われておるかと言いますると、要するに一般證人、或いは被告人は、自分の證言によつて刑事訴追を受ける虞れがある場合、若しくは有罪判決を受ける虞れがある場合には、その證言を拒絶することができる、即ち證言拒絶權を持つ、こういう意味解釋されておるわけであります。そこで問題になりますのは、この供述という言葉でありますが、從來供述というのは、まあ陳述とか、口頭でしやべると言いましようか、要するに口頭又は文書によつて相手方に意思を傳達する場合だけを供述という言葉で表わしておるわけです。ところがこの供述という言葉について、實は解釋上問題があるのであります。アメリカ憲法としまして、この供述の中に身體檢査を含むかどうかということなのであります。即ち自分の身體によつて自分に不利なる利益を提供することは、不利益なる證據の自供になるのではないか、こういうことであります。この點について判例を調べましたところが、二、三の判例は、合衆國修正憲法の第五條は身體檢査強要の場合を含まないと言つておりますが、併し大部分の判例、即ち四十八洲ありますその各洲の判例は、原則的にはやはりこの供述の中に身體檢査を含むと、こういう解釋をしておるのであります。但しその身體檢査強要ということが、どの程度まで禁止されるかということについては判例上見解の相違があります。ここに二、三參考のためにどういうことが問題になつておるかということを申上げて見たいと思います。例えば被告人公判延で裁判長から帽子を被つて見ろということを命令せられた場合に、これを被らなければならんかどうか。要するに帽子を被つたままで犯罪を犯したところを見た證人がある。そこでその犯人が帽子を被つて見れば人相が大體見當が付くという場合があると思うのでありますが、こういうことについてテキサス洲の判例では、これを強要できない。併しながら又反對の説もありまして、強要し得る、即ちネバダ洲の判例は強要し得るということになつております。或いは殺人事件におきまして、殺人の現場に犯人の足跡がある。公判延における被告人の足跡と同じであるということを或る證人が證言したといたします。裁判長が果してそれが同じであるかどうかを調べるために被告人に足を出して見せることを強要し得るか、こういう問題につきましても強要し得ないという判例もあります。ジヨージア洲、或いはテネッシー洲の判例はこれを消極的に解釋しております。強要すれば憲法違反であるというのであります。併し強要し得るという判例も相當ございます。大體私の見たところでは、五、六洲の判例は、そういう場合は強要し得る、或いは我々が通常この衣服を以て蔽われている部分以外の部分を公判延で露呈することを強要し得るか、これについても強要し得るという判例と、強要し得ないという判例があります。併し次のような場合には絶對に強要し得ないという判例になつております。それは被告人に花柳病があるかどうかを調べるために身體檢査を強要し得るか、これは強要し得ない。これは強要すれば憲法違反になるのであります。かようにアメリカでは修正憲法の第五條の解釋論として、被告人身體檢査を強要することについていろいろ議論があります。原則としては今申上げたように強要し得ないということになつておる。ただその程度が判例上問題になつておるだけであります。そういう點を考慮して考えて見ますると、この改正草案被告人、又はその他の者の身體檢査を強要し得るよう規定を設けておる。特に若しも拒絶した場合には五千圓以下の過料である。その他に尚五千圓以下の罰金又は拘留を科する。而もそれでも尚且つ身體檢査を拒む様子が見えたならば、そのまま身體檢査を強要しても宜しい、強行しても宜しいというよう規定になつておるのでありまして、その點アメリカの考え方と比較いたしまして、被告人人權保護の點において缺くるところがあるのではないか。私はむしろこの草案から被告人を除きまして、被告人に對してどの程度の身體檢査を強要し得るかは、判例、或いは學説に任した方が無難であろうかと、こう考えております。まあ、そういう意味において百三十七條から被告人という字を抹消することを提案いたします。  それから尚二百二十七條、私はこの二百二十七條を削除すべきことを提案したいのであります。そうして更に二百二十八條の第二項、ここには「裁判官は、捜査に支障を生ずる虞がないと認めるときは、被告人被疑者又は辯護人を前項の尋問に立ち會わせることができる。」要するに、被告人又は辯護人に證人尋問の際に立ち會わせても、立ち會わせなくてもよいという規定になつておるわけでありますが、この規定を改正しまして、むしろ前項の證人尋問には第百五十七條規定を準用する。これは被告人證人尋問の機會を與える規定でありますが、これを準用するという規定に置き換えることを提案したいのであります。理由は、二百二十七條は結局すでに廢止されたところの豫審制度の一部復活になるということであります。而もその證人尋問をする際に、被告人證人尋問の機會を與えないでやるのでありますから、これは憲法の三十七條の第二項に違反する、こう考えられるのであります。尚この削除の問題は次の私の提案に關係がありますので、その際にもう少し詳しく申上げます。  次には三百二十一條、私はこの三百二十一條の第一項竝びに第二項、これは全面的にこれを改める必要があると考えております。その理由を極く簡單に申上げれば、第一にこの三百二十一條の第一項の一號、二號を御覽になりますと分りまするが、證人裁判官、或いは檢察官の前で證言をしまして、その證言後に、その證人が死亡、或いは、その他の理由によつて公判廷に出頭できない場合、その場合には、その前に調べた證人の證言と書證、ここでは供述録書になりますが、この供述録書を公判廷において證據として提出できる、こういうことになつておるのであります。このままの規定ですと、私の考えでは、やはりこれは憲法違反であると考えるのであります。即ち憲法三十七條の第二項の「刑事被告人は、すべての證人に對して審問する機會を充分に與へられ、」この規定に違反することになります。この點について、やはりアメリカの憲法竝びに刑事訴訟法を多少調べて見たのでありますが、御存じの通り三十七條の第二項に相當する規定は、合衆國憲法修正第六條にあるわけであります。それによりますと、すべての刑事訴追において被告人は自己に不利益なる證人と對質する權利を有する、アメリカの憲法では自己に不利益なる證人となつております。日本憲法では「すべての證人となつております。むしろ日本憲法の方が廣くなつておるわけでありますが、さてこのアメリカの憲法解釋といたしまして、この三百二十一條に擧げてあるような事情の場合、即ち前に證人が證言をして、その後に死亡して公判廷に出廷できなかつたという場合に、果して前の證言の録書を公判廷において證據となし得るやと言いますると、この場合には、その前の證人の證言の際に、被告人に反對訊問の機會を與えたものに限り證據となすことができる、若し前に反對訊問の機會を與えておりませんと、これは憲法違反、即ち修正憲法第六條違反として取扱われることになつておるのであります。勿論、日本憲法とアメリカの憲法は違うのでありますから、すべてアメリカ流に解釋しなければならんということは私は申上げませんけれども、少くとも新憲法制定するに當つて、アメリカの憲法が重大な立法資料になつたことは否定できないのであります。從つて日本憲法解釋するについては、アメリカの憲法解釋を十分參照しなければならんとこう考えております。それでアメリカの憲法解釋竝びに種々の判例から行きますると、この草案にありますよう規定の仕方では憲法違反になるのであります。少なくとも、ここにはこういう文句の挿入が必要になるわけであります。例えば被告人以外の者が作成した……これはちよつと工合がわるいのですが、その者の供述を録した書面で、供述者の署名又は押印あるものは、供述の際、被告人にそういう審問の機會を與えた者に限り、これを證據とすることができる。こういうよう規定の挿入が必要になろうと、こう思うのであります。  それから尚、草案では、檢察官の面前における供述を録した書面も、裁判官の面前におけるのと少し條件は違つておりますが、略略同じ條件で公判廷において證據とすることができる。こういうことになつておりますが、この點大いに疑問であります。というのは、この刑事訴訟法草案で言いますと、檢察官は證人審問權を持つておらないわけであります。ただ取調べる權利はありますが、やはり強制處分としての審問權は持つておらないわけであります。その審問權を持つておらない檢察官が取調べたり、證人の記録をそのまま公判廷に持つて來證據となすということは、これはアメリカの制度から行けば恐らくできない相談であろうかと思うのであります。特に檢察官は證人審問權を持たないのでありますから、被告人に對して證人審問の機會を與えるということもないわけであります。從つて證人審問の機会を與えないものを、更に公判廷においてそのまま證據とするということは、憲法違反になる疑いが十分にあるのであります。尚この點の説明につききしては、この草案におきましては證據を大體二つに分けておるように私は思います。それは三百二十一條から二十七條までの證據に關する規定、これは私のちよつと見たところでは英國のサブスタンテイヴ・エヴイデンス、言い換えますと、犯罪事實の存否を爭うための證據、主たる證據とでも申しましようか、それに關する規定であります。これに對して三百二十八條は、その條文にもありますように、被告人證人その他の者の供述の證明力を爭うための證據、こういうふうに二つに分れておるわけであります。三百二十八條の場合にはその證據能力については殆んど制限がありません。即ち英米でいいますイムピーデイング・エヴイデンス或はサステイニング・エヴイデンスに相當するわけであります。この場合には制限がありませんが、やはり主たる證據とする場合には、英米法においては非常に嚴格なる制限があるのであります。繰返して申上げますが、被告人に反對訊問の機會を與えてないものは證據とすることはできない、ただ、これをイムピーデイング・エヴイ・デンスとすることができるだけであります。その點十分この委員會において御考慮を願いたいと、こう考えております。  尚それをどう改正すべきかというようなことについて、規定の設け方について、私の考えもありまするが、時間の關係上それは省略いたしておきます。  それから少し細かい問題に入りまするが、この草案で見ますると、裁判所被告人召喚したり或いは拘引したりした時に、勿論その被告人裁判所に參りました時に、取調を一應なすわけでありますが、その際に、やはり被告人に對して憲法上の權利を告知する規定を設けておらないのであります。言い換えますと、辯護人を選任し得ること、或いは供述は任意であるというようなことの告知の規定がございません。ただ被告人を留置する、勾留する場合には、その告知をしなければならんようになつておるのであります。なぜ勾留する時以後においてのみそういう義務を認めたのかという點について疑問があるのであります。即ち憲法三十七條の第三項「刑事被告人はいかなる場合にも、資格を有する辯護人を依頼することができる。被告人自らこれを依頼することができないときは、國でこれを附する。」というこの憲法上の權利、それから先つき申上げました三十八條第一項、この憲法上の權利は、憲法の精神から行きますれば、いわゆる被告人たる被疑者たるを問わず有する權利と思われるのであります。英米においては、これは明かにそういうことになつておるのであります。ところで、この刑事訴訟法草案から見まして、一體被疑者という身分はいつから取得するのか、規定の上ではなかなかうまく發見できません。例えば犯罪を犯したという疑いがあつて警察に引致された、まあ逮捕された場合は別としまして、引張つて行かれたというような場合、それが直ぐ被疑者という身分を取得し、從つて憲法上の權利を取得するのか、或いは檢察官の前で審問を受ける時に始めてその權利を取得するのか、私はまだどうもそこがはつきり分らないのでありますが、ただ一應こういうことを私は考えております。即ち起訴前に、公訴の提起前におきましては、被告人逮捕して檢察官が一應これを取調をする場合、この場合には既に被疑者たる身分を取得するものと考えます。從つて憲法上の權利をこの被疑者に告知しなければならんと、こう考えております。又公訴提起後においては、當然これは被告人でありまするから、その如何なる段階におけるとを問わず、被告人としての憲法上の權利を持つものではなかろうか、從つてその憲法上の權利を告知しなければならんものではなかろうかと、こう考えるのであります。その参考としましては、やはり英米のものでありますが、御存じの通り英米におきましては、日本裁判官即ち勾留状を發したり逮捕状を發する權限をもつておる裁判官に相當します者は、豫備審問官であります。この豫備審問官が逮捕状を發する權限を持つております。又逮捕状でなく召喚状を發する權限も持つておりますが、いはゆる被疑者召喚状を受け、或は逮捕状によつてこの審問官の前にまで引致された場合には、その時から憲法上の被疑者としての權利を取得する、從つて豫備審問官は憲法上の權利被告人に告知しなければいけない。こういうことになつておるわけです。こういうところを比較いたしまして、私はこの刑事訴訟法規定にまでまだそういう點においての不備があるように考えられるのであります、まだ細かい點については申上げるところもございますけれども、時間も切迫しておるようでありますから、これだけにしまして、後は御質問があつたときにお答えいたします。
  13. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 次に明治大學教授坂本英雄君。
  14. 坂本英雄

    公述人(坂本英雄君) この改正になりました法律案を、現行法と先ず大局的に比較して見ますると、一番多く改正されておりまするのは、犯罪捜査の部分でございます。これは五十八ヶ條の中三十三ヶ條が改正されておるというふうに大幅に改まつておるところ、次は公判手續、これは、やはり四十六ヶ條の中三十ヶ條ばかり、これも非常に大幅に改まつております。それから次はこの控訴審の部分、これは、やはり三十二ヶ條の中二十三ヶ條改まつておるというふうな工合で、草案をこの大局から見ますると、犯罪捜査、竝びに公判手續控訴審、この三つの箇所に大いに檢討を加えなければならない部分があるかのように察しまするので、その他の部分は極く經く考察いたしまして、主に以上三ヶ所につきまして、私の研究しましたところを御參考までに發表いたしたいと思います。  先ず第一に辯護及び補佐というところでございますが、新法草案によりますると、辯護人選任形式の條文がこれは取れております。舊法には、御承知通り現行法に四十二條という條文があります。辯護人は被告人と連署したる書面裁判所に差出さなければ辯護人として適正な資格がないということになつておりますが、改正法には選任形式の條文が取れておりますが、これは、やはり入れて置かないと、工合が悪いではないかというふうに思うのでございます。裁判所召喚状の送達をする場合もありましようし、いろいろな現状から、實地檢證に立會する場合がありましよう。そういうときに辯護人の届出でが出ておりませんと、裁判所は如何なる連絡をするのかという點につきまして、非常に工合が悪いのではないかと、かように思うのであります。  それから次は逐條的に申しますると四十條に相成ります。四十條には「辯護人は、公訴の提起後は、裁判所において、訴訟に關する書類及び證據物を閲覧し、且つ謄寫することができる。但し、證據物を謄寫するについては、裁判長の許可を受けなければならない。」かようになつております。つまり辯護人は公訴の提起後におきまして、初めて訴訟に關する書類及び證據物を閲覧、謄寫できるということになつておりますが、辯護人は公訴提起後に選任され得るのではない。公訴提起前にも、苟くも被疑者たるの身分上犯罪が表現的現象として現われました以上は、辯護人はそこに選任される、活動する餘地がありますにも拘わらず、四十條によりますと、訴訟に關する書類、證據物の閲覧、謄寫というふうなものは、公訴の提起がないと、辯護人にはそれらの活動する權限がないというふうになつておりますが、これは甚だ私は面白くないと思います。むしろ公訴提起前でも、苟くも表現的犯罪現象としまして、つまり被疑者という身分が現われた以上は、而して被疑者に對して辯護人が附いた以上は、辯護人は書類及び證據物の閲覧謄寫に關する何らかの權限を與えなければ、これはその辯護人としての被告人權利擁護ということが十分に行われない。これは現在でも應急措置法がありまして、被疑者につきましては、辯護人が選任できまして、活動いたしておりますが、被疑者自體の辯護人の活動というものは、何を一體やつておりまするかというと、何にもやつておらない。これは警察に參りまして、被疑者に面會するだけ、そうして悪く言いますれば御機嫌を伺うだけということで、何ら法的な被告人の自由權の擁護權利擁護というような面は法的に根據がないからできないという現状に相成つております。改正法もやはり現行法と同じ形態を取つておりますが、これは公訴の提起前でもやはり被疑者から辯護を依頼された以上は、つまり辯護權の行使のできる以上は、訴訟に關する書類及び證擔の閲覧權というものを、或る制限は設けてもこれはいたし方ないと思いますが、この特定の制限の下にやはり許與することが望ましいのではないかと思うのであります。  それからずつと飛びまして、六十條でございまするが、これは先程來いろいろの公述人の方から問題になつておりまするが、私もやはりこの勾留原因を、草案は「罪を犯したことを疑うに足りる相當な理由」、こういう極めて抽象的なざつばくなるところに勾留原因を求めて來たことは大いに研究する必要があろうと思います。現行法は御承知通り被告人に定まつた住所がない場合、罪證を湮滅する虞れがある場合、逃亡したるとき、又は逃亡する虞れがある場合の三ヶ條入れております。これは、やはり勾留ということは、極めて、人權擁護の問題におきましては基本的な問題でございまするから、やはり抽象的な「罪を犯したことを疑うに足りる相當な理由」というような薄弱なものではなくして、やはり具體的勾留原因というものを定めなければ、人權擁護というものは私は理想的に行われないと思います。尤も罪證を湮滅する虞れのあるとき、これを勾留原因に入れるか、入れないかということにつきましては、私も先程來の公述人の諸氏と同樣、これを入れるのは反對であります。これは被告人は自己の被告事件については證據を湮滅いたしましても、刑法犯罪にいたしておらない。刑法の上で犯罪にいたしておらないものを訴訟法において勾留原因にするということは、これは甚だ矛盾ではないかと思う。でありますから、罪證湮滅というものを勾留原因にすることは削除しなければならないと思いまするが、ともかくも勾留原因は特定せなければならないということを痛切に感じております。  その次には、七十三條の三項というところがございます。これは檢事勾引状勾留状を執行する場合でございまするが、「勾引状又は勾留状を所持しない場合においても、急速を要するときは、前二項の規定にかかわらず、被告人に對し公訴事實の要旨及び令状が發せられている旨を告げて、その執行をすることができる。」こういうふうなことになつておりまするが、とかく實際の上におきましては、こういう例外の規定が原則に働き掛けるというふうな場合が往々にしてある。立法のときには例外として認めていたのを、實際の運用になりますると、例外が原則に立ち戻つてしまうということにつきまして、それがこの人權擁護に支障を來すというふうな場合が非常に私は多いのではないかと考えられる。でありまするから、勾引状を所持しない場合においても、急速を要するときに執行できないということは、これは甚だ苛酷であるかも知れませんから、急速を要する場合におきましては、勾引状又は勾留状がなくても裁判所執行することは許してもよいと思いますが、この場合におきましては、尚その後の處置を嚴格にいたしまして、若し直ちに令状の發布がないような場合においては、釋放をしなければならないということは當然のことでありまするが、さような保障的な條文をやはり裏書きして置くということが、憲法の精神に副うのではないか、かように思うのであります。  それから、その次はこの九十一條でございまするが、これによりますると、勾留による拘禁が不當に長くなつたごときは、裁判所では訴訟關係人請求又は職權で勾留を取消し、或いは保釋をしなければならない、こういうことになつておりますが、その拘禁で不當に長くなつたかならないかということは何かを標準にして決めるのかということになりますと、これは甚だ厄介な問題であろうと思います。で、これを私は、先程植松氏から反對論がありましたが、やはり勾留期間というものを現行法と同樣に一應設定して置くべきものではないかと思う。植松氏の意見によりますと、勾留期間を二ヶ月、後一ヶ月の更新を決めて置いても、それが形式に流れて、勾留更新を繰返されることによつて實益がない、その實がないから、むしろさような形式的なものは改めた方がよいのではないかというような御意見でございましたが、その勾留されております者から見ればやはり何と言いますか、期間の定めのある方が希望が持てると思う。いつ解放になるやら分らないというような希望のないものよりも二ヶ月なら二ヶ月、一ヶ月なら一ヶ月という、そこに被告人に希望を持たせることが、刑事政策的に見ましても、被告人の改過遷善を促進させるという原因になるので、この意味におきまして、私はやはり勾留期間というものを一應設定して、その基準に從つて、果して拘禁が不當に長くなつたかどうかということを、九十一條の尺度をそこに持つて行く。そうでなくして、尺度を定めずして、九十一條によつて不當に勾留が長期に亙るかどうかというふうなことを決定することは、これは甚だむずかしいことになるのではないか、かように考えるのであります。  それから次には百十三條でありますが、これはもうすでに犯罪捜査のところに入つておりますから、特に犯罪捜査として私は全般的なお話はいたさなかつたのでありますが、百十三條によりますと、「檢察官、被告人又は辯護人は、差押状又は勾留状の執行に立ち會うことができる。但し拘禁されている被告人は、この限りでない。差押状又は勾留状の執行をする者は、あらかじめ、執行の日時及び場合を前項の規定により立會うことができる者に通知しなければならない。但し、これらの者があらかじめ裁判所に立ち會わない意志を明示した場合及び急速を要する場合は、この限りでない。」、この急速を要する場合というのは、ここでも私は問題になろうと思います。これは、やはり但書でありますから、通知するのが、立會う機會を與えるのが原則なのである。急速で立會いの通知を發しないという場合は例外でありまするが、およそ得てこの實務というものは、例外が原則に立返る場合が多い。辯護人が付いておりましても、その辯護人に通知をするのが時間的に或いは距離的に工合が悪いと、但書で以て、通知をせずに、差押え或いは捜査を實行する、後から通知するというような場合が多い。これが私はやはりどこまでも但書は例外であるということを法文の上に強化させて、從來行われておりましような惰性を積極的に改めるということがこの際必要ではないかと思う。それには、若し急速の場合で辯護人に通知ができずに差押え又は辯護をした場合においては、辯護人にそれについて異議の申立權を認めるというふうな、何か後から辯護人にそれに對する不服申立の途を開いて置くということがあれば、裁判も、これは面倒くさいから正確に通知してやろうというふうなことに、私は軌道に乘つて來るのではないかと思われるのであります。  それからその次は百三十四條、これは極めて簡單な問題でございまするが、「召喚を受け正當な理由がなく出頭しない者は、五千圓以下の罰金又は拘留に處する。」、こういつたよう條文がこの改正案には四ヶ條ございます。百三十四條と百三十八條と百五十一條と百六十一條、四ヶ條にこれと同趣旨形態が盛られております。併しながらこれは實體法の規定なんです。犯罪に關する規定なんです。訴訟法にかような實體法を入れなければならない特殊な事情があれば格別なんですが、甚だ私は體裁が悪いと思う。體裁の上の問題なんですが、むしろ、かような四ヶ條の實體的な法條は實體法に讓るべきなので、立派なる刑事訴訟法を折角作り上げる際でありまするから、かような目觸りになるものはこの際訴訟法から除いてしまつた方がよろしいのではないかというふうに考えております。  それからその次は、やはり犯罪捜査のところでございまするが、百七十九條以下の證據保全でございます。これは改正法が初めて認めました制度で、非常に私は結構な制度であると思うのでございますが、ただ、これによりますると、「被告人被疑者又は辯護人は、あらかじめ證據を保全して置かなければ」云々ということになつておりまするが、一體證據の保全ということは、被告人たる地位、被疑者たる地位を取得したる後において初めて必要であるということが原則なのでありますが、證據の保全ということは、被疑者たり得ない前、つまりまだ犯罪が表現的に現われて來ない前におきましても必要であろうと思います。例えば、具體的な例を擧げますることはどうかと思いまするが、何某の運輸次官が最近問題になるかも知れないというようなことも、新聞あたりで一週間も十日も前から書き立てられておるというような場合、まだ被疑者たる身分を取得しておるかどうかも問題なのである。或いは新聞に書き立てなくても、本人自體としてはさような危惧を抱いておるというような場合があるかも知れない。さような場合に、證據保全の手續をして置きませんと、こういう證人をそのときに調べて貰つて置けば他日それが無罪證據になるという場合が澤山考えられようと思う。ところが改正法によりますると、被告人又は被疑者と、こうなつておるのでありまするから、表現的犯罪現象以前の犯罪につきましては、證據保全の手續というものが許されておらないので、これは、やはり私は民事訴訟法證據保全手續と同樣に、豫め證據調べをして置かなければ證據を使用するに困難な事情があると認むるときは、というような、幅を廣く、どうせ作るのならば作つて置かれた方がよいのではいか、かように考えておるのであります。  それからその次は百九十七條に關する問題、これは非常に重大な問題だと思います。「捜査については、その目的を達するために必要な取調をすることができる。但し、強制の処分は、この法律に特別の定のある場合でなければこれをすることができない。」これは現在法の二百五十四條と大體同じでありまするが、犯罪捜査につきまして、一體任意捜査を原則とするか、或いは強制捜査を原則とすべきかということは、立法論、技術論としては問題でありましようけども、ともかくも本案は原則として任意捜査……強制捜査は例外の場合であるか、かような建前を取つておる。私も憲法との睨み合い上さような制度がよいものと思います。が併しながら強制捜査というのは例外でありまするから、これを無暗に擴大されますると、人權擁護が甚だ危殆に瀕することになります。そこで強制捜査というものは、一體草案で認めた強制捜査というものは、現行法で認めた強制捜査よりもその幅が廣いか狹いかということを十分に檢討してかからなければ、人權擁護に全きを期することができないと思います。そこで法案の上から「この法律に特別の定のある場合」、この「特別の定のある場合」というのはどういう場合であるかということを拾い上げて見ましたところが、大體澤山あります。先ず百九十九條というのは、やはり逮捕請求權を檢察官に認めております。  それから二百四條、これは勾留請求權を認めておる。  それから二百十八條というのは差押、捜索、檢證の請求を認めています。  それから二百二十七條、これは證人訊問の請求を認めておる。その外に現行犯としまして二百十三條という特別な強制捜査を認めておる。  それから又二百十條で現行法の急速事件とやや似通つた強制捜査を認めております。これを現行法犯罪捜査に關する強制力の使える場合と比較して見ますれば、新法が非常に幅が廣くなつている。これは大いに檢討しなければならないのではないか、幅の廣い一面においては、又幅の狹いところもある。狹いところというのは、むしろこれは使いにくいんじやないかと思う。例えば現行法によりますと、二百五十五條、強制處分の條文がありまして、檢事から裁判所に鑑定の請求ができるということになつておりまするが、草案によりますると、鑑定の請求……私はちよつと急いで讀んだものですから、或いはどこかにあるのか知りませんが、強制處分としまして檢事から裁判所へ鑑定の請求をするということが或いは拔けておるのではないかというふうに懸念をいたすのです。ともかくも犯罪捜査に例外的な強制捜査を現行法よりも幅を廣くしたということにつきましては、私はこれは、重大な問題として特に研究をしなければならないところであろうと思いますが、時間もございませんから個々の問題は除くことにいたします。  それから二百二十三條でありまするが、これは檢察官が「犯罪の捜査をするについて必要があるときは、被疑者以外の者の出頭を求め、これを取り調べ、又はこれに鑑定、通譯若しくは翻譯を囑託することができる。」これは、けだし任意的なものであろうと思われるのですが、併し任意的であるならば、何も條文を置く必要もないようにも考えられますし、それから第二項の準用條文の中、百九十八條第一項但書及び第三項乃当第五項としまして、第二項の準用が取れております。これは被疑者以外の者となつておりまするから、準用を除いたのではないかというふうに一應は思われますが、併しながら任意出頭、任意供述ならば、或いは、やはりさような法文を設けて置く方が必要ではないかというふうに私は思うのであります。  それから次は二百三十七條、これは告訴の問題でありまするが、現行法では第二審の判決があるまで告訴は取り消すことができるということになつておりますが、改正法は「公訴の提起があるまでこれを取り消すことができる。」ということになつております。これは私は甚だ告訴の取り下げを縮小し過ぎるのではないかと思う。例えば公訴の提起のあつた後に示談が被害者と成立する。而して一審、二審の裁判中に告訴を取り下げるということになりますれば、そのままに濟むのでありますが、改正法のように公訴の提起後は取り下げができないということになりますれば、示談をしましても有罪の裁判を受けるということになりまして、徒らに犯罪人を作るというふうなことになつて、刑事政策の目的にも裁判それ自體が副わないというふうな疑いがあるように思うのであります。  それから二百五十六條の公訴の提起に關する二番最後の項でございますが、「數個の訴因及び罰條は、豫備的に又擇一的にこれを記載することができる。」これは民事訴訟法でも、やはり訴訟は豫備的ということもあれば、擇一的ということも認められておりますので、それと睨み合せてあるわけでございますが、どうも私は擇一的訴因というふうなことは、公訴事實の特定性というものとの關係が非常に厄介ではないかと思うのでありまして、或いは擇一的訴因のために公訴事實が不特定に陷るということは、結局被告人に不利益になることなんです。それが公訴事實に入つておるか、入つておらないか分らんけれども、入つておるらしいということになりますと、被告人がそれがために審判を受けなければならないというようなことになりますので、この豫備的の方は多少は私はその點は非難を免れるものと思いまするが、擇一的訴因というのは、公訴事實の特定性を曖昧にする危險があるということを考えておるのであります。  それから二百六十二條の職權濫用罪について告訴をした場合に、檢事がその告訴を取り上げなかつた。二百六十二條檢事に職權濫用の事實があるので告訴した、ところが檢察官がそれを取上げなかつたというふうな場合におきましては、その告訴又は告發した者は裁判所のその事件審判請求することができるというように、これは非常に形の變つた立法でございます。いわゆる私人訴追主義の一つの形であろうと思うのでありますが、これはむしろ檢事が不起訴にした場合におきましては、監督檢察廳に対する監督權の行使でむしろ事足りるので、殊更に私人訴追主義を刑事訴訟法中に設ける必要があるかどうか、一個の私は問題ではないかと思う。が、併しながら一面告訴人又は告發人を濃厚に擁護ようという建前から見ますれば、或いは一新機軸として取上げても面白い制度であるかも知れんと思う。かような場合に假りにこの制度を採るにいたしましても、問題になりますのは二百六十八條第二項の場合だろうと思います。この二百六十八條第二項によりますると、檢事に職權濫用の事實がありとして一私人が裁判所審判請求をした、裁判所がその事件を受理したという場合には、辯護士を檢察官の代りにするということなんです。辯護士が檢察官の代りの仕事をすることになります。そこで、その二百六十八條第二項は、前項の指定を受けた辯護士は、つまり檢察官の職務を行う辯護士は、事件について公訴を維持するために裁判の確定に至るまで檢察官の職務を行う。但し、檢察事務官及び司法警察職員に對する捜査の指揮又は命令は、檢察官に囑託してこれをしなければならない。そこが私は問題であると思うのであります。成る程辯護士がその事件を據當するにつきましては檢察官の職務を行うことになる。これは必要なことなんであります。が併しながら檢察事務官及び司法警察職員に對して捜査の指揮又は命令、これも極めて必要なことなんであります。これなくしては職權濫用罪の公訴を完全に維持することはできないと思います。ところがこの場合におきましては、檢査事務官及び司法警察職員に對する捜査の指揮又は命令は直接にはできない、檢察官に囑託してこれをしなければならない。これは甚だ變ではないかと思います。檢察官と一體不可分の關係なんです。その檢察官というのは告訴を受けた檢察官と一體不可分の關係に立つ檢察者、その檢察官に囑託して捜査の指揮又は命令をさせるというふうなことでは、到底公平に辯護士が檢察官の職務を行うことは事實上不可能でありまするから、かような場合におきましては、捜査の指揮命令は單純にこれが行えるように、檢察官に囑託して、これを行うというような制度は、これは改めなければならんと思います。それから、端折つて申上げますが、二百七十一條の「公訴の提起があつた日から三箇月以内に起訴状の謄本が送達されないときは、公訴の提起は、さかのぼつてその效力を失う。」これはその三ケ月以内に起訴状の謄本の送達ということは、私は甚だ時期を逸して人權擁護に缺くるところがあると思う。公訴の提起があるためには、すでに檢察官におきましては各種の證據類から、公訴状の内容は直ちに形成し得る立場にある。その檢察官が三ケ月以内というふうな餘裕を起訴状の謄本の送達までに置くということは、これは甚だ個人の權利を危殆に瀕せしめる結果になりはしないかと思うのであります。勾留されておる者は一日、十日でも非常に苦痛だと思います。にも拘わらず三ヶ月というふうな長い期間、これは葢し大きな疑獄事件あたりを豫想して、十日や二十日では起訴状の謄本ができないということもあらうという意味で、最大限の三ヶ月というのをここに入れたのだと思われますが、併しながら、それがたまにある事件のために、普通の事件が犠牲になる形があるのではないかと思うのであります。むしろ起訴状の送達期間ということは十日なら十日というふうに制限しまして、但し特殊の事件については三ヶ月以内というふうに、原則と例外というものを書き分けたならば、そこに人權擁護というものが現われて來るだろうと思います。このままに放つて置きましては、徒らに被疑者の自由權或いは被疑者人權、こういうものが著しく毀損されるという危險が伏在しておるように思われるのであります。それからもう一つ重大なことは二百九十九條、これは公判の部分でございまして、先程島さんからもお話がございました通り、改正法は拷問、尋問制度を取つたのでもないのですが、まあ併しながら、現行法の獨法式な制度を踏襲したのでもない。その中間を歩いておる制度、これは甚だ立法の上から見るとずるい書き方であらうと思う、現行法の制度は工合が悪いからと言つて拷問、尋問制度に移るかと言えば、そうでもない。我が國獨特の制度というふうなところを狙つたのでありましようが、その中間を歩いておる。つまり公訴を提起するには起訴状が一本あればよろしい、あとは公判廷の證人だのその他の證據の維持によつて有罪無罪を決するというようなことになつております。併し私はこれは理想論から言いますれば、やはり拷問、尋問制度を全面的に許容すべきものであつて、かような變態的な制度を維持すべきではないかと思います。これは我が國の過去の立法から見ましても、陪審制度なんというのはそれなのである。我が國の陪審制度は我が國の獨特の制度で、再陪審を許すということになつておりますが、あのために却つて陪審制度は非常に不評判を買つたというふうな苦い經驗もある。改めるなら根本的に改め、改めないならば現行法を維持する。いずれか一遂に出るのが最もいいと思います。中間の制度というものは今まで經驗がないのですから、公認されておらない制度なんですから、從つて實績がないのです。そういうものによつて刑事裁判がうまく行なわれることはない。殊に二百九十九條によりますと「檢察官、被告人又は辯護人が證人、鑑定人、通譯又は飜譯人の尋問請求するについては、あらかじめ、相手方に對し、その氏名及び住居を知る機會を與えなければならない。」つまり公判廷において調ベる證人だの鑑定人、通譯人の氏名、住所を相手方に通知しろ、こういうことになつております。この問題につきまして辯護人の方でも公判廷で調ベて貰いたい證人がありますれば、どういう證人を調べるかということは、豫め當つて置かなければならないと思います。檢察官の方では勿論自己の公訴を維持するためにこういう證人が必要だと言えば、さよう證人を豫め準備をして、その氏名、住所を相手方に通知するでしよう。この場合に檢事が準備せしまして、公訴を維持するに必要に證人を調べて材料を取るということは、これは、やりやすいのだありますが、辯護人がその事件證人を豫め調べて、事件の準備をするということは、甚だ厄介なことなのです。ところが公判廷におきましてその證人檢事の御機嫌に反したことを申しますと、檢事は辯護人が豫めその證人と打合せをして僞證でもしたのではないかというふうな疑いを掛けられやすいことに、これは甚だ動いて來る危險があると思う。これは併しながら辯護人も、豫め公判廷において調べる證人について豫備知識がない者を、公判廷に呼ぶわけに行かないのですから、その證人事實についてどういう認識があるのかというのを豫め知らなければならないことになる。檢事が聞くのはこれは何も辯護人の方からいろいろ苦情を言うわけに行きませんが、辯護人の方が準備をする場合には、檢察官から赤い眼や或いは青い眼をして睨まれるという危險が多量に私は存在いたすと思います。でありまするから、私はここに一箇條を設けまして、やはり前項の證人關係に通譯、飜譯人の氏名住所を知るために、被告人及び檢察官は、豫め前項の證人と捜査に關する何と言いまするか、準備と言ひまするか、そういうことのできるといつたふうな、何か法的な根據というものをここに置きませんと、私は甚だ辯護人の行使というものが危殆に瀕しはせんかということを非常に恐れておるのであります。  それから三百十五條です。これは申すまでもなく大した問題ではございませんが、更新手續でございます。先程植松氏から期間の經過による更新手續は、やはり形式に流れるから必要ないというような御議論でございましたが、やはりその期間の經過による更新手續というものも、口頭辯論主義を採用する以上はやはり保持すべきである。若し期間の經過による更新手續が必要なければ、開廷後裁判官の更新手續も必要でない。これは裁判官は變りましてこれは形式的な更新しかしてないのですから、やはり同様な論議になる。開廷後裁判官の更迭を更新手續原因と認めながら、期間の經過を更新手續原因として認めないのが、これはその理論上甚だ意味をなさないというふうなことに私はなるのではないかと思います。  それから三百二十一條、先程江家さすからお話ありました。これは私は全面的に江家氏の御議論等を支持いたします。これは私も前から同意見であります。檢察官の面前において録取した供述録取書は、公判廷においてその内容が違つた場合において、檢察官の録取書を無制限に證據に供すると、無制限と言いましても、前の供述を信用すべき特殊の状況の存するときと、こうあるのですが、こういう條件に拘わらず、證據力を認めるというふうなことは甚だ人權擁護に缺くるところがある。やはり被告人に對して證人として訊問權を留保するということが必要であろうと思います。それから、もう時間がございませんから省略いたしまするが、控訴審控訴の制度につきましていろいろ論議がございましたが、なるほど改正法はこの第一審主議というものを非常に重要視しまして、裁判所は白紙の状態において被告人に臨む、而して公判廷において收集されました證據によりまして有罪無罪決定する、それがために各種の複雜錯綜なる手續規定しておるのでございますから、更に同一手續控訴審において覆審としてやれということは、甚だ私は無理であると思います。が併しながら控訴審というのは、控訴審事件が行く場合は、既に第一審の書類が作られているわけなんです、證人訊問その他の證據書類が記録に綴つてある。それが控訴審に行くのであるから、控訴審審理する場合は、第一審が白紙でその事件審理する場合とは、趣きが違つているわけなのであります。でありますから、第二審の審理に際しまして、第一審と同様なもろもろの公判廷におきまする證據でなければ證據に供することができないというような制度を採りましても、これは事實上行われない。記録が存在いたしまして、裁判官豫斷を抱けば抱き得る状況なのであります。そういうような制度は行われない。そういう關係から上訴審というものが覆審制というものを除外したというふうに私は考えるのでありますが、併しながらやはり先程青柳氏が申されましたように、覆審制には我々が頼りにすることの強いものがある。これは裁判官の素質といい、裁判官の學識經驗といい、何か知らん控訴審には私共が頼る力の強いものがある。でありますから、私は控訴審におきましては矢張り覆審制度を採用するのがいいと思います。が併しながら、その覆審制度は一審と同樣な制度でなく、この覆審制は現行刑事訴訟法が採用している形態の覆審制度、何も證據を一々公判廷で調べなくてもよい。裁判所が必要があれば證據を採用して調べる、或いは職種を以て調べる、現行法の採用している訴訟手續による覆審制、これを控訴審において採用したならば、この複雜な人事の問題とか手續の問題とかいうふうなことは心配なく行われるのではないかと思うのであります。  それから最後に裁判の訂正というところがございますが、裁判の訂正、四百十五條ですか、「上告裁判所は、その判決の内容に誤のあることを發見したときは、檢察官、被告人又は辯護人の申立により、判決でこれを訂正することができる。」やはり裁判の訂正という條文は甚だ幅が廣過ぎまして、こういうことになりますれば、再審でも非常上告の申立をしないででも、判決で訂正することができるような結果になる。これがやはり民事訴訟法と同じよう判決後における違算であるとか書損であるとか、その他これに類する明白な誤謬、これについては改正ができるというふうに、これははつきりさすべきだと思います。そうでないと、凡そ判決の誤りのある、すべて再審の原因がある場合、非常上告原因がある場合、或いは申立によつて訂正ができるのじやないかという議論が殘る。これはむしろ私はそういう意味ではなく、やはり形式的な誤謬を訂正するというふうなところが狙いであり、民事訴訟法と同樣のところが狙いだろうと思いますが故に、その點を明白になすべきだと私は思います。  時間の關係上甚だ端折つて申上げました。お聽き苦しいところがあつたと思いますが、御了承を願います。
  15. 伊藤修

    委員長伊藤修君) この際十分間休憩いたしたいと思います。    午後二時五十八分休憩    —————・—————    午後三時十九分開會
  16. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それでは休憩前に引續きまして、司法委員會公聽會を開きます。日本辯護士連合會代表辯護士鈴木勇君。
  17. 鈴木勇

    公述人(鈴木勇君) 私は後で申し述べまするこの數種の提案、殊に最初と二度目に申上げますること、即ちそれは我々の滿足する證據法制定がせられるということ、竝びに控訴審において新證人を調べる、成るべく新らしい證人を調べて決定なり判決なりの資料にすると、こういう二つの點が若しも容れられないようなことでありますならば、本案には遺憾ながら贊成することができないということをここに申上げて置きます。以下申上げますることは全部私が或る最後の重要なる協議會に出まして、その時、私といたしましては、かくかくなことにして頂かなければ困るということを申上げて、大體の御了承を得た點ばかりであると考えております。  第一に申上げまするのは、第三百十八條に但書を加えまして、「但し、最高裁判所の定むる規則に反することを得ず、」それを入れて頂きたいと思います。この三百十八條は讀み方によりまして、この證據力は裁判所に委すというようなことになつておりますが、この「證據力」という言葉は二つの意味があるのでありまして、一つ證據の重さを決める、つまりウエートを決めることも證據力という場合がございます。もう一つは、證據として何を使用すべきか、アドミシリピー、受け入れるか受け入れないかということを決定するということは證據力でございますから、若しもその場合でありましたならば、これだけでは甚だ不完全だと思います。從つて最高裁判所が定める約束になつておりますルールにおきまして、ずつと詳しい、もつと詳密なる證據方法を定めなければ、とてもこの案は危險であると考えます。何故そういうことを申上げますかということを、以下三點ばかり理由を申上げます。  從來の我が國のやり方におきましては、いわゆる反對訊問の精神であるとか、或いは運用というようなことが全く理解せられておりません。或るひどい人は、證人の訊問ということすらも、英米法の建前と日本證人の訊問という觀念とは可なり違つておるというのであります。で、今度この改正案では、書證の説明力につきましては若干の規定が入りました。ところが訊問の仕方であるとか、或いは反對訊問の限度であるとか、主訊問と反對訊問とはどこが違うかというようなことについては、一切これは細則に委されている筈であります。それ故、私はその協議會において適切な證據法最高裁判所において立案されることを條件として、只今申上げました通り贊成したわけであります。  それから第二に、この本案に規定せられました條文の運用解釋に當つても、若し適切な證據法が定められないと憲法違反となる條項もございます。例えば先程誰かお觸れになりましたが、三百二十一條の如きは最もその問題になる場合であります。本條の規定しておるところは、御承知通り英米法でいわゆるデポジシヨンに當る規定であります。アフヒデイビトと區別しました意味のデポジシヨンに當るわけであります。御承知通りデポジシヨンということはアフヒデイビトと違いまして、被告人が反對訊問をする機會のない時に作られた書き物であります。でございまするから。憲法の第三十七條第二項、先程おつしやつた通りでありますが、あのいわゆる審問權を制限することになりまするから、憲法違反の疑いが起る。これは現にアメリカにおきましても三十七條の第二項と同樣の規定がございまして、その結果或る種のデポジシヨンは憲法違反であるという判例はつきり作られております。それから尚三百二十一條は、我我が協議いたしました時は、一、二、三號というような區別がついておりますが、そういう區別は一切なくて一本のものとして協議せられたのでございます。従いまして第三號にありまする條件に如何なる場合のものも全部かかつてつたわけであります。その條件と申しますのは、三號の末尾の方に「その供述が特に信用すべき」異例の情況の下になされ、これは「特別の情況」と釋されておりますが、異例情況の下になされ、「且つ、その供述が犯罪事實の存否の證明に缺くことのできないもの」に限られております。これは元來憲法三十七條第二項の例外になるわけでございまするから、特別に證據力を例外として與えるのであります。でありまするから、最も信用すべき異例の情況の下に作られたばかりでなく、「犯罪事實の存否の證明に缺くことのできない」最少限度の場合、即ち犯罪の絶對に眞實性が保證せられるに十分であるばかりでなく、そのことが「犯罪事實の存否の證明に缺くことのできない」最少限度の場合に限られることは誠に當然だと思います。さもない時には、被告人憲法上の權利が故なく蹂躙せられるという結果になつて參るからであります。從つて例えば英國の判例法を巧みに成文法化しました印度の證據法第三十二條第一項第一號のカニン・パラグラフなどで例を擧げておりますが、例えばこういう場合はいいというんです。犯罪被害者みずからが、例えば殺された者みずからがその死因について、自分は誰々にここを突かれたというその死因について、將に死のうとする時に、いわゆるダイイング・デクラレーシヨン、死に際しての説明、宣言、それによつてというようなものは、もうここに言う犯罪の證明になくてならんものであるし、且つそれを作つた動機が信用すべき状態の下にできたものであるとして、それはデポジシヨンとして、證據として採つていいということであります。併し同じようなことでありますが、或る甲の者が乙の者のことを記載するわけですね。つまりここに書いてある通りに讀みますと。若しAという者が或る犯人によつて突つ殺されて死んだのであるという事實を、Bが死に臨んで供述した場合には、そのBの供述は、それ自身の、自分自身の死因についてではなく、他人であるところのAが誰々によつて突つ殺されたということを言つたわけでございますから、その場合には自分自身のことでなく、他人のことを證言するのであります。この場合は使えないということになつております。何故かと申しますると、そのAという者が死なんとする時に供述した男は、自分のことでなく、他人のことでございますから、若しもその男が生きておれば、被告人はその人を十分に反對尋問の篩にかけて、そうしてその檢問したことが本當であるかどうかが確められるわけであります。併るに、ここにただ、その人が死んだというだけで自分の反對尋問權というものを漠然と奪われてしますということは、これはもう非常な被告人に不利益なことになります。況んや一方において憲法尋問權ということを保護しておる以上は、そういうものをこの場合デポジシヨンとして使つちやいけない、こういうふうにはつきり印度の證據法には書いております。それはどこから來たかというと、英國の多年の判例の集積の結果がそこに現われたのでございます。これでお聞きになつても分るように、これだけで事を濟ませたら實に危險なことになります。そういう詳細な證據法制定があつて、初めて我々はこの制度の下に安心して委託することができまするが、證據法なく慢然とやられた場合には、これは飛んでもない危險なことになるということだけは申上げることができるのであります。  それから尚もう一つ重要な實例を申上げますと、昨年十二月頃に最高裁判所からこういう意味判決をせられました。憲法第三十八條第二項三項に關する判例でありまするが、最高裁判所考え方によりますると、公判廷でした被告人の自白は、それのみを證據として有罪無罪を斷じてもよいという趣旨でございますが、併し私の見るところでは、これは證據法の原則と一致したものではありません。元來御承知通り、自白の最良の證據であると同時に最悪の證據でもあります。もう一度申上げておきます。自白というものは、最良の證據であると同時に又最悪の證據でもあります。從つて自白が、若し犯人の精神的な反省、完全な良心の下になされた自白でありまするならば、それは最良の證據でありますが、併し歴史は不幸にして我々に自白というものにはいろいろな良心以外の力が加わるということをはつきり示しております。そこで自白の任意性、ボランタリー、そうして眞實性、ジエニウインと申しておりますが、この二つを保證し得る場合以外には、自白というものは容易に信用ができない。これは今まで多く論ぜられているところを見ますと、何時でも任意性、ボランタリーということばかり注意せられておるのでありますが、これは大きな間違いであつて、ボランタリーであるから、それはジエニウイン、眞實だということは言えないと思います。幾ら任意になされた自白であつても、嘘の場合がありますから、そこで證據のは何等もジエニウインにして且つボランタリーであるという二つの要求しております。そこで證據法としましては、機械的にこれを試驗するリトマス試驗紙のようなものを證據法が作るのであります。その證據法が作りましたリトマス試驗紙が、憲法第三十八條二項に現われておりまする強制であるとか、拷問であるとか、それ以下數項目を擧げておりますが、そのようになつて現われておるのであります。併しリトマス試驗紙は、憲法三十八條第二項が言うだけのものだけではありません。尚ほかに試驗紙は澤山するのであります。その例を申上げますると、英米證據法においては、もう判例が一致したところでございますが、このインデウスメントというものを一番初めに置いております。一種の誘引、誘惑と申しますか、何か知らんが誘いかけるものがあるということ、それからもう一つは、一種の約束及び約束の提供というようなことが入れられております。その場合にも證據法では限界がありまして、精神的なものであればよろしいが、俗世間的な意味の約束であればそれは證據の神聖を破るものだと、こういうふうにはつきり原則ができております。これはインドの證據法にも條文化されております。それ故に我々の經驗では、憲法第三十八條二項の試驗紙の試驗さえ通れば、その自白は任意性と眞實性とが十分に保證せられたものとは言えないという結論になるのであります。從つて公判廷の自白には、憲法に擧つた試驗紙だけの檢査では合格證を。まだ貼つてはいけないわけであります。そこで、どうしても只今申しましたインデウスメント、或いは或る種のプロミスのようなものからも試驗して見なければなりませんから、最高裁判所の言われるように、公判廷でやつた自白だ、それはもう信じでもよろしいというような結論は、私は出て來ないと思います。何故そういう結論が出て來るかというと、いろいろな證據法の研究が足りない。従つて私が恐れるのは、この際本當に世界の判例、多くの判例の結果、結晶となつておる十分なる我々の滿足の行く證據法というものとこの刑事訴訟法の實施ということとは、私は不可分のものだと思うのであります。それから尚一つ例を申上げます。これは三百二十一條第一項第一號及び二號の後段であります。この後段には双方とも「又は」以下の供述を證據として使うにはいろいろの條件があるのであります。それを一つこの國會ではつきりして置いて頂かんと、これも誠に非常に危險なものであります。それで、この「又は」以下の供述と申しまするのは、これを讀んで見ますると、これは證人がまだ生きておる時分のものであります。ただ證人が作つた、例えば檢察廳で陳述した時には、被告人は反對尋問の機會がなかつたものであります。從つてそういう書類を證據に使うということは、やはり證據法上いろいろの約束があるのであります。一例を申上げますると、この條文にも出ておつたかと思いますが、證人の證言が途中で以て前に取つた聽取書と違うことを言い出した。その場合には檢察官はどちらを信用すべきかということを試す必要があります。その時にはその前の聽取書を證人に見せて、そうして證人の矛盾を摘發しなければならんということになつておるのであります。而もその時に英米の證據法では、欺し討ち的にただいいかげんのことを言わしてはいけない。或いは冷やかしのようなことではいけない。それは豫め作つて置いた檢察官の聽取書を證人に見せまして、よく讀ませまして、今お前さんが言つたことと、前にお前さんの言つたこととは違うじやないか。それは何故であるか説明して欲しい。そうしてコントラステイツクして説明させるのであります。もう一つの場合には、よくありますのは、書物に證人が或ることを書いておつたとか、或いは檢察廳が言つたことでもよろしうございますが、別に證人を矛盾させる場合でなくして、ただ證人の信憑力を引下げればいいという目的の場合には、證人の過去に書いた、これを以ていたしましても、それは證人に見せなくてもよろしいということになつておるのであります。若しそれを見せれば、證人はそのことに氣付きますから、例えば記憶力の確かさを確かめようという時に、證人が前に書いたものを見せては記憶力の檢討にはなりませんから、その場合には見せなくてもよろしい。而も裁判所の信用のためにこれをあとで對照して、そうやつて證人の記憶力というものは如何に不確實な記憶の下になされたかということは、現にこの書類を引用した時に、お前はこれを否認した、このことからも分るじやないかということで、それは、いわゆるアイデンテイフイケーシヨンのために、ただ識別のためにやるということが許されております。ところが三百二十一條からは證據法上のむづかしいことは出て参りません。それを今までやつておられました裁判官にこのことを全部任すというようなことは、これは非常に私は無理な注文ではないかと思います。全くやり方の違つたことを、今までは立派におやりになつても、全く違つた法制の下において、そういうことまで一々やれということは、これは細かいルールが最高裁判所で立案せられてからでなければ實現はできんと思います。であるから、この點は我々の納得の行くよう證據が作られるということが、先ず前提になるということを私はここで申上げて置きます。  それから第二番目に申上げたいことは、三百九十七條を次のように改めて頂きたい。それは「第三百七十七條乃至第三百八十三條に規定する事由」、その下を「又は控訴裁判所で取調べたる證人の證言によつて發見した眞實の事業に基き、前段の事由ありと認めた場合には、判決で原判決を破棄しなければならない。」こういうふうにして頂きたいと思います。これはこの最後の或る協議會で、最も有力なる委員から發案せられたものであります。念のためにそれを讀んでみます。その委員のこれは發案でございます。控訴審において覆審することは全く金銭の浪費で、最も社會的にも望ましいことではない。裁判所も檢察廳もすでに働き過ぎている。そこへ今度のごとき時間のかかる訴訟手續を實施すれば、彼らは仕事に堪え難い重荷を背負うことになる。覆審は常に下級裁判所に任すべきである。被告人權利適當に保護されておらない現代の審理手續の制度の下に、第二審の裁判所の覆審によつて被告の安全を保持しようということに多くの人が關心を有することはよくわかる。これが私どもが反對したことを意味しているのであります。そこで實際上の理由として、新制度の下における被告人に對しては、より一層強い保護を與えられること、及び控訴裁判所は下級裁判所によつてなされた事實認定の正確さに對する疑いを明白ならしめ、及びこれを調査するために常に証人を召喚することを議會及び一般民衆に對し再保證する必要がある。これはノートでございます。注意書であります。ここまで有力な委員は申しております。これに対しては、この趣旨は本法案に盛り込まれておるのだという考え方があると思います。又私も解釋上はそう解釋し得ると思います。併し提案者の右のような親切な心遣いが、法案では相變らずドイツ式でドイツ式よりも、もつと日本の方が抽象的で分りにくいのです。その點から考えまして、右のような大切なことは、英米式には、重複を嫌わず、この場合には更にエキザンブルを附けております、例まで示すような親切な條文がありますが故に、實際理論上は私の提案と同じことになるのでありまして、これは有力な提案者がそこまで心遣いしておりますから、是非共只今申上げた一句を入れて載くことを提案いたします。  それから第三番目といたしまして、三百八十條、四百六條、四百十一條の一號に關係のある部分であります。これは、この三つの條文中にある法令という文句に關することであります。これは法令という文字を使いますと、どうかすると形式的な意味法律命令ということに誤解され易いから、是非とも經驗法則まで含むものまで入れて載きたいということを申上げましたところが、某委員は、理論上これは當然にそうなると答えられました。併しその後、今度の法案を見ますと、私の心配はやはり杞憂でなく、多くの同僚が非常にこれを心配しております。でございますから、この法令という文句は、文句はどうでも宜しうございますが、我々の言う經驗法則まで含むという意味解釋して載きたいのでございます。そういうことを私が強く申しますのは、その最後の協議會におきまする有力な提案者の原文というものは、コンストラクシヨン・オブ・ロー、これの解釋はそんな簡單意味ではないのであります。それはどういう意味かと申しますと、私が意味を取つて申しますと、こういう長いことになります。憲法法律命令、法令、あらゆる文章、あらゆる合意(アグリーメント)及び精神的、物質的經驗法則一切を含むもので、而もその一切のものを一つの構造體として、一つのボディとして解釋、類推、適用するということがコンストラクシヨンの意味であります。日本にはこういう便利な言葉がありませんから、立法者において適當なもので表現して載きたいと思います。それから尚この提案者はローという言葉を使つております。これは日本においては法とでも言うより外ないと思います。これはいわゆる天賦人權人權まで含めたローでありますから、その點から行きまして、提案者の心遣いがこの點にあると思いますから、最非とも直して載きます。  それから四百十一條正義という言葉が使つてあります。これは上告審で、正義違反でどうにもならんで、原判決を破棄するという制度でございます。この正義という言葉は、私は協議會の席上、正義という言葉は成るべくこういう場合に使わない方がいいということを提案したのであります。果せるかなその後調べて見ますと、やはりアメリカでも、最高裁判所の提案でサーテオ、レアライト、どうにもならない時に、最高裁判所が、下級裁判所は勿論のこと、行政當局の違法處分に對して、一應は合法的の處分ですが、而もその影響するところが深刻であり、或いは事が極めて重大であるとき、その取り消しを命ずることができる。これはアメリカの最高裁判所のそれを模倣したという説明でございました。この御提案の趣旨は實に結構な趣旨であります。ところがどんな法律でも正義目的としない法律なんというものはございません。これを繰返して使つても、ぴんと來ない。私いろいろ調べて見ますのに、こういう字を使つております。クエツシヨン・オブ・グラビテイ・アンド・インポータンス即ち事重大にしてその影響するところは深刻なり、こう譯すればいいと思います。實例を申上げますと、例えば中國人排斥の法案決定したところが、カリホルニヤ州法によれば、それは違法ではない、又憲法上から言つても一應違法じやない、併し中國人を排斥してしまうということは如何にも事重大であり、影響が深刻である。こういう場合に最高裁判所は、今のサーテオ、レアライトを活用することができる。こういう趣旨で、向うの理想をはつきりさせる意味におきまして、事重大にして影響深刻なりと認めた場合云々することができる。こういうふうにこの條文をお變えになつたら、裁判所の御趣旨と一致すると考えております。  その次は三十一條二項でございます。これは簡單なことでございます。辯護士以外の辯護人を選任する場合でございます。これはやはり相變らず裁判所の許可を得てということになつております。併し私共がその重要なる協議會で協議いたしましたとき、これはやはり重要な提案者の提案でございますが、そのときにはアラウアブルという言葉を使つているのであります。これは英語で、それを私は日本語ではつきり當篏るようにいたしますと、こういう意味になると思います。次にその意味をここに附け加えて頂きたい。つまり裁判所は前項の許可を與えることに際しては、辯護人を辯護士の中から選任することができない事情、若しくは困難な事情、又は利益でない事情の存在を考慮しなければなりません。これが實際はアラウアブルという英語の意味の中にこの三つが入つているのであります。これはくどくど言うようででありますが、この三つが提案者の趣旨でありますから、これもお入れになるようにして頂きたい。と申しますのは、これは事實かどうか存じませんけれども、それこそ傳聞によりますと、近頃辯護士でない辯護人が簡易裁判所あたりに可なり出入するようなことを同僚から聞きました。そういうようなことが今後殖えますことは甚だ好ましからざることでありますから、今までは裁判所が決めるというようなことで、何でも裁判所へお委せきりでございますが、我々としましては、この際、國會に對して、裁判所にも、こういう基準が與えられておつた方がやりよかろうと思います。全く辯護士がないとき若しくは田舍なんかで辯護士の數が少くて甚だ困難だとか、先の先の町から辯護士を頼んでこなければできないというようなときは、一應辯護士でない辯護人を付けることも被告人には利益かも知れないと思います。中には專門的な事件で、新聞なら新聞、取引所なら取引所というような、ああいう專門的な事柄でとても辯護士だけでは工合が悪い、專門家が居なれれは困る。つまり私が言つた利益等のある場合にはいいわけなんであります。そういう場合に限つて頂きたいと思うのであります。それから百五十八條について、この場合は、これは法廷以外で證人尋問する場合であります。ちよつと意味が、この條文では分りません。裁判所が職種で呼ばれて證人を調べられる場合のことであるか、或いは我々に辯護土乃至は檢察廳から申請せられた證人、こういう場合があると思います。若しも訴訟當事者が申請しました證人公判廷外で調べる場合が含まつておるといたしますならば、三百四條の第三項を準用しておいて頂きたい。つまりそれは證人尋問裁判所が先へやるか、或いは申請した當事者が先にやるかという、あの問題であります。あれは公判廷でやる場合と、公判廷外で證人尋問してやる場合と區別する必要は毫末もないと思います。實は三項というのは私が提案して入つたのでございます。公判廷外でやる場合と何ら區別する必要はないと思いますから、この場合、當事者、殊に辯護人がそういう主張をした場合は、勿論辯護人の請求した證人について尋問を行うという建前にして、同一歩調にして頂きたい、こういうお願いであります。それから最後には書記制度のことにちよつと觸れておきたいと思います。實は今度の制度というものは幾らか立派できておりましても、書記制度が完備しなかつたら、これは絶望であります。よく行く筈がありません。記録が一々正確に取れてこそ初めて我々のやるオブジエクシヨン及びリジエクト、却下したのがよいか悪いかということは、すべて調書のみを頼りにしてやつておりまして、特に控訴審の場合における決定でどんどんされるというような場合には、調書がよくできておりませんければ、何も被告には保護の途がございません。從つて、もう我々には第一審限りとなることと竝行しまして、調書のみが唯一の頼りになるのであります。然るに書記制度が今のままであるとするならば、これは先ず絶望と言わざるを得ないのであります。ここで書記さんに速記を練習して頂くとか、或いは最近私の友人が持つておりますが、簡單なレコーダーができまして、どんどん證人が言うことも、ここにおいて置けば、そこでレコードが要らなくなれば消して、又二度目に用いるということに……現に私の友人のアメリカ人が持つております。そんなものでも當分間に合せるか、何とかあらゆる方法を使つて一審の訴訟手續は細大洩らさず調書に載るということを前提として私共は贊成したわけでありますから、今の控訴審における證人尋問の形式、これを明らかに入れるということ、それから我々の滿足できる證據法制定せられるということ、及び書記制度が完備するということが實現せられなければ、遺憾ながらこの法案には辯護士會連合會といたしましては反對の外ありませんし、私個人としても、今までやつて参りましたお約束と全部違いますから、ここに、はつきり反對を申上げて置くよりいたし方ないと思います。
  18. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 次に中央大學教授草野豹一郎君。
  19. 草野豹一郎

    公述人(草野豹一郎君) すでに先順位の方々でいろいろな點について御説明がありましたから、私から更に蛇足を加えることもないように思われますが、一、二まだ言及なさつていない點もありまするし、又言及された點におきましても、更に補足をして置きたいものがありますから、若干時間を頂戴いたしたいと思います。  私はこの案は參議院から御送付を受けた後に初めて承知した。それ以前においてはこの刑事訴訟法改正について如何なる草案も眼に觸れたことがないのでございます。それで御送付を受けてからこれを通覧いたしました。そこで最初に先ず氣付きましたのがこの五十三條の規定であります。「何人も、被告事件の終結後訴訟記録を閲覧することができる。但し、訴訟記録の保存又は裁判所若しくは檢察廳の事務に支障のあるときは、この限りでない。」これは第一項、「辯論の公開を禁止した事件訴訟記録又は一般の閲覧に適しないものとしてその閲覧が禁止された訴訟記録は、前項の規定にかかわらず、訴訟關係人又は閲覧につき正當な理由があつて特に訴訟記録の保管者の許可を受けた者でなければ、これを閲覧することができない。」これは第二項でございます。「日本憲法第八十二條第二項但書に掲げる事件については、閲覧を禁止することはできない。」これは第三項。「訴訟記録の閲覧については、別に法律で手數料を定めることができる。」これが第四項でありますが、この五十三條の規定についてはは私は非常に疑つたのであります。新憲法基本的人權を尊重しなければならないということが、今日の憲法の旗印になつておる。この名譽を非常に尊重しなければならないということは本草案におきましても第百三十一條に「身體檢査については、これを受ける者の性別、健康状態その他の事情を考慮した上、特にその方法に注意し、その者の名譽を害しないように注意をしなければならない。」かように百三十一條において人の名譽を尊重しなければならないことが明らかに記されております。  又百九十六條を見ますると、檢察官、檢察事務官及び司法警察職員竝びに辯護人その他職務上捜査に關係のある者は、被疑者その他の者の名譽を害しないように注意し、且つ捜査の妨げとならないように注意しなければならない。」これが百九十六條、かように本草案を見ましても、どこまでも人の名譽は尊重しなければならないということが、かように記されておる。又これを現行刑法について申しますならば、或いは釋迦に説法の嫌いがありますけれども、刑法の上におきましても、例えば名譽毀損の「公然事實を摘示シ人ノ名譽ヲ毀損シタル者ハ」云々、これが名譽毀損罪の二百三十條にありますし、又祕密漏泄につきましては、故なく封緘したる信書を開披し、若しくは醫師、辯護士等がその業務上取扱つて知り得た祕密は紊りに漏してはならないと、これは百三十條以下に確か規定してあつたと思います。かように人の名譽なり祕密というものは、ちやんと法律の上において保護せられておる。顧みますると大正十年であります。時の政府は、確かこれは高橋是清翁が總理であつたと思いますが、時の政友會政府が臨時法制審議會に諮問第四號として刑法改正の可否如何ということを問うた。その三項目の一つにも、現行刑法規定は人身名譽の保護を完全にするため改正の必要あるを認む。これについて臨時法制審議會は如何に考えるか、こういう諮問があつた程であります。これに對し臨時法制審議會は、その決議事項四十項目の一つといたしまして、名譽毀損罪はこれを重きものと輕きものとに區別し、その重きものはこれを非親告罪となすこと。但し被害者の意思に反しては訴追することを得ざる規定を設けること。  次に名譽毀損罪の刑はこれを重くし、生命身體に關する刑と均衝を得しめること。かようなわけで答申しました結果、刑法改正假案の第四百六條から四百十四條には名譽の保護について十分な規定を設けておつたことであります。  これは先ず昔のことといたしましても、さて終戰後におきまして憲法の改正に連れまして刑法の一部の改正が企てられ、昨年の十月二十六日でありますか、一部の改正が公布せられ、十一月十五日でありましたか施行されておることは皆樣御承知通りであります。この一部を改正する法律案の要綱におきましても、その第十三項として名譽毀損罪及び侮辱罪の刑を相當引上げること、出版物により名譽毀損を犯した場合の刑を加重する規定を設けること、尚印刷物、張り札、又はラジオによる場合も考慮すること、こういうことが丁度一昨年の七月でありましたか八月の交、丁度今日のように非常に暑い時分に、この司法委員會におきまして議決せられたことも皆樣御記憶に新なるところと思います。  而してこの改正要綱に基きまして、今度の刑法が如何に改正せられたかと申しますると、二百三十條の刑は、一年以下の懲役若しくは禁錮、又は五百圓以下の罰金とあつたのが、三年以下の懲役若しくは禁錮、又は千圓以下の罰金と改められたのであります。この名譽毀損というものは、場合によりますると、人のいわゆる一生の致命傷ともなるもので、先ず無形の人殺しと、こう言われるくらいであります。ところが、それが現行法、今までの現行法においては、如何なる人の名譽を毀損しましても、僅かに懲役一年、これを身體の傷害の罪に比較いたしますと、身體傷害の罪は刑法二百四條におきまして懲役十年になつておる。殺人においては勿論言うまでもなく死刑、無期、三年以上の懲役になつておる、餘りに名譽を輕んずること甚だし、こういうことで今日かような改正が不十分ながら行われたことと存ずるのであります。而してかように一面名譽毀損罪のごときものが非常に刑を重くしなければならない、こういう論議のある半面におきまして、又この度の刑法一部の改正におきまして時效という外に、尚、刑の消滅というものが確か規定されております。即ち一昨年の法制審議會の刑法の一部を改正する法律案要綱、この第四項として、刑の執行を終り、又は刑の執行の免除を得た者が罰金以上の刑に處せられたことなく十年を經過したときは、刑の言渡しはその效力を失うものとするという、かような要綱の一項目が決議せられたのでありますが、これは曾ての刑法假案の第百十九條に、「刑ノ執行ヲ終リ又ハ刑ノ執行ノ免除ヲ得タル者禁錮以下ノ刑ニ處セラレタルコトナク十年ヲ經過シタルトキハ刑ノ言渡シハ其ノ效力ヲ失フ」、こうあつたものをそのまま採用したものと考えられるのであります。而してかくのごとき刑の消滅ということが特に設けられたのは、彼のいわゆる恩赦令、恩赦法によるところの復權という手續によらないで、むしろ當然に或る期間經過したならば、刑の效力は失うものとしよう。こういうよう法律においても、なるべく犯人が、犯した罪は、法律の上においてすつかり忘れてしまおう。こういういわゆる法律の涙として、一々復權というよう手續を執るのは煩わしい、但し煩わしいのみでなく、復權をするに當つては、果して復權せらるべき者が生存しておるか否かを調べなければならん。そうすると折角今まで隱されておつた犯罪をあばき返すようなことになる。成るほど家のお婆さんは産婆をやつてつたとき墮胎罪で罰せられておるな、こういうようなことが、復權を申し立てることによつて現われて來る。波靜かにちやんと世の中に處して來たのに、復權という、有難いことには違いありませんけれども、それがために舊悪を一々洗われるということになる、これはやはり復權という正當な目的のためにやるのでありますから、それは更に大なる效果をもたらすのだから……、そういう意味において國家の慶弔の際に一一人を煩わして、而も迷惑になるようなことをやるよりも、相當の年月を經過したときには、そのままに葬つてやらう、こういう涙の考え、又慈悲の考えから出て來たのじやなかろうかと思う。ところが私は驚いたのは、この公判記録を利害關係も何もない者に閲覽を許す、恰かも土地臺帳のごとき觀がある。それは不動産の土地登記簿などは、それは金錢の貸借をするについて、果してこれが信用ある資産になるものかならないものか調べる必要があるのだから、それは登記簿のごときは皆公衆の閲覽に供する。選擧簿のごとき又然り。選擧人名簿、果してこれが有權者であるか否かということが、分るか分らんか必要があるからして、かような場合には許しておる。この訴訟記録、用の濟んだ訴訟記録を、何が必要があつて登記簿なり選擧人名簿と同じような公衆の閲覽に供するか、私は分らん。これは一つ當局の方にお伺いしたいと思う。恐らくはそれはかよう理由に基いたものでありましよう。これは要するに裁判の公正を保障する意味において、私はみんな裁判は決して闇から闇に、いわゆるブラツク・マーケツトでないということを示そうという底意から出ておると思いますけれども、今日の裁判というものが、しかく信用のないものでありましようか。いかにも檢事の取調べ程度までにおきましては、或いは又司法警察官などには、強制、拷問、強迫というようなことを從來しばしば耳にいたしたことがありますけれども、幸いなるかな今度の刑事訴訟法改正によつて、このようなことは跡を絶つだろう、と思うのであります。のみならず、公判における審理が果して公正であるか否かということが疑われるよう裁判では、これはもう公開しない方がよいです。そうして、もう既に濟んだ事柄を、更にその記録を見る者は見て宜しい。何のことでありましよう。それは、ここにもあります通り訴訟關係人又は閲覽について正當の理由のある者はこれは差支ないけれども、成るべく古疵はあばかぬようにして、道徳的の再生というものを促そう。この刑事政策の方針に全くこれは逆行するのであります。かようなものは私は五十三條を削除するより外に途がないと、こう申上げたいのです。これはもう是非削除して頂かなければ、人權を損うこと、これより大なるものはない。こう斷言して憚らないのであります。これで先ず五十三條の削除の所以は大體お分りであろうと思います。それからもう一つは、先程これは坂本君からお話がありました四百十五條、私の最も注意を惹きましたのが今の五十三條の四百十五條です。これは坂本君の御趣旨誠に結構であります。私は更に徹底的に四百十五條から十八條削除説をこの場合に提案したいと思います。削除するのです。これはどういう必要から出たか。私は前の五十三條についても同じでありますが、まずこの立法に携わつた方に對して外國の立法例のあるかないかということを伺いたい。又そういう學説もありや否や伺いたいと思う。この四百十五條について私は淺學菲才、その立法例あることを知らない。かような立法例のあることは、いかにも現行の民事訴訟法を御覽になつても、百九十四條に更正決定というものがあります。これは先程坂本君の言われます通り、ここに民事訴訟法の明文にもあります通り、「判決ニ違算、書損其ノ他之ニ類スル明白ナル誤謬アルトキハ裁判所ハ何時ニテモ申立ニ因リ又ハ職權ヲ以テ更正決定ヲ爲スコトヲ得」、又以下二項、三項がありますけれども、要旨はこれに盡きておる、それは人間でありますから判決に誤字、脱字、書き損い、又は計算を間違つたということもありましよう。かような場合に更正決定をするのは、過ちを知つた改むるに憚ることなかれ、こういう意味において私は嘉すべきでありましよう。又そうでなければならん。裁判所が虚心坦懷、訴訟關係人の申し出を聞くということを示す上においても結構なことに違いありませんけれども、かような更正決定にあらずして、ここにあるような「上告裁判所は、その判決の内容に誤のあることを發見したときは、檢察官、被告人又は辯護人の申立により、判決でこれを訂正することができる。前項の申立は、判決があつた日から十日以内にこれをしなければならない。上告裁判所は、適當と認めるときは、第一項に規定する者の申立により、前項の期間を延長することができる。」ますます出てますます怪、私は殆んどこれを解するに苦しむ。何のために、かよう期間の延長まで置いておるか。奈邊にその目的があるか、私は解し得ない。今申します通り、いわゆる今日の現行民事訴訟法などで規定しておりまする更正決定ならば、何も上告審判決に限る必要はない。一審の判決についても然り、第二審の判決についても然り、第三審の判決についても然りと言わざるを得ない。訴訟法の專門家に聞くと、これはドイツ流に考えるならば更正決定というものは、彼の言葉で言えば、ワルト・ベルヒテイング、言葉を訂する、こういうことに過ぎない。内容を改めるというようなことは更にないのだということを去る專門家に私は聞きました。そうしてこのことは、假りに民事訴訟法の百九十四條の規定がなくても、さよう意味の更正決定ならば理の當然として、これは明文を俟たずしてできることだと、こういうふうにも言われておるくらいであります。この内容に誤まりのあるということはどういうものであるか。先程も鈴木君からお話がありました正義に反すると認めるときは、これを變えることができる。こういうことになると、その内容を變えるのは今の四百十一條ような場合も入るのではなかろうかと思われる。そうなりますと、いわゆる事實の又やり直しということも考え得られるのじやあるまいか。そうして又普通の更正決定ならば裁判所みずからもできなければならんのに、どうもこの四百十五條から四百十八條を通覽いたしますと、裁判所みずから職權を以てこれをやる場合がないかのように考えられます。私はこれは私の誤讀かも知れませんが、そういうふうに見られる。それならばますます私の疑惑を深からしめるものでありまして、どうもこの點は如何にしても私は了解ができないのであります。誠に不躾けのようなお話でありますけれども、彼の資格審査につきましては、新聞紙の傳うるところによれば、Aという人が資格がなかつたというと、又その人が後になつてあることになる。あると思つていると又なくなつている。何と言いますか、雲散霧消するならば、それでいいけれども、又それが復活して來る。かようなことが刑事訴訟法に行われることが喜ばしいことでしようか。ところが、いわゆる追放であるとか何とかは餘り利害關係がない。ただ公に顔が出せないというようなことはありますけれども、その裏において又いろいろな請託があつたとか何とかいう問題を釀していることは皆さん御承知通り。こういう禍根を貽すようなことを何の必要があつて設ける必要がありましよう刑事裁判というものは、何と言つても民事裁判とはその性質を異にすることは言うまでもない。出たり引つ込んだり、十日の期間を延長する何の必要がありましよう。私はかよう意味におきまして、この四百十五條乃至四百十八條規定というものは削除して然るべきものということをここに言明する次第であります。以上が私が特に考えた點であります。それから皆樣方のおつしやつたことで共鳴禁ずる能わざるものがあることは勿論でありまするが、尚今の問題で、私は強いてこれを何としてもやはり更正決定でない意味において、或る程度の、何と言いますが、訂正ということを許すというならば、これは法令に違反するということにしますか。先程ちよつと坂本君からもお話もありましたが、これはこういう誤字、脱字の場合は勿論できます。それからもう一つは再審の事由がそこに現われて來た場合、それから非常上告の事由が現われた場合、かような場合に一々確定まで待つて、それから非常上告の、再審の申立をするというのは迂愚の骨頂。ですから、そういう再審の事由が初めて現われたとか、非常上告の事情が現われた場合には、裁判所被告人なり辯護人の申立によつてこれを訂正する。或いはこれは檢察官の申立によつても再審、或いは非常上告の事由がある場合にはこれを許す。この限度においては私は讓歩するに吝かでありませんけれども、これは私は忖度する意味において、然らざる意味において、こういう四百十五條、十八條を置くということは全く無用のことであるということを申上げます。 もう一つは、これは坂本君も言われたことでありますが、親告罪の告訴の時期、これも私は相當被告を保護するという意味からでありましようが、人權を尊重する上から、やはり考えなければならんことと思う。現行法におきましては、私は條文を譜んじておりませんけれども、親告罪の「告訴ハ第二審ノ判決アル迄之ヲ取消スコトヲ得」、これは二百六十七條であつたかと思いまするが、さよう規定があります。でありまするから、この親告罪の告訴の取消というものは第二審の判決あるまでにできる、ところが現行法で一番尚その規定で不都合を感じた場合がある。どんな場合か、これは上告審において事實審理の開始された後において、あの親告罪のところの告訴の取下げが第二審の判決あるまでとありますから、上告審において事實審理を開始した被害者は、もうすでに、感情も收まつてもう訴追も考えてもいない。こういう場合は、お前、第二審の判決のあるまで打切られておるのだから、たとえ今事實審理をやつてつても、まだ遲くはないとは行かない、どうしてもこれから遲くはないとは參りません。そこで非常に私どもは、これは姦通罪でありましたけれども、姦通罪などについてはその感を深くした。もう被害者の方で、よろしい、告訴の取下げをいたしたいと言つても、どうもしようがない。もうすでに時期遲し、こういうような場合もありました。今日はこの姦通罪が最近の國會の御努力によつて、なくなつてしまいましたけれども、他の名譽毀損罪の如き、やはり親告罪もあります。又強姦罪の如き親告罪もあります。その親告罪について、如何にもお上に迷惑な手續を煩わして、そうしてお上を裁判所なり檢事局を弄んで、公器を弄ぶということになるのではないか、だから、そういうことは禁ずる。檢事の公訴さえ第一審の判決あるまでに限られておる。それに準じて考えるならば、公訴の提起あるまではよろしい。そういうふうな不眞面目な告訴を提起するものがあるか、これも理窟は正にその通り、けれども國家はやはり最後の一人まで罪人を作らんというのが趣旨である。もう遲いから貴樣は、被害者の感情も融和して告訴を取下げると言つておるのを處罰するということは果して今日の憲法基本的人權を尊重する所以でありましようか、國家は、誠に結構、結構と言つて呉れるのがいわゆる民主國家ではありますまいか。私はかよう意味において事は誠に些細なようでありますけれども、告訴の取下げについては、やはり第二審の判決のあるまで、覆審であろうが、續審であろうが、とにかく公訴審は事實審ということになつておりますから、それまでの間に取下げる、又進んで、極く例外の場合はありましようけれども、上告審において取調べをやり直しまして事實審理でもするというようなことがあつた場合に、或いは差戻しをしようというような場合においては、その際にも告訴の取下げをしてやるのが私は國家の務めではなかろうか、かよう意味において告訴の取下期限をただ理窟一片で公訴の提起のあるまで、こういうことは私は如何なものかと、こう考えます。これらはすでに前順位の方がお説きになつたことでありますけれども、ただ私が少し足りなかつたということを補足する意味において申上げます。尚、もう一つは、私は勾引勾留についていろいろ實體的な御意見を承わりまして、啓發されるところも頗る多いことを發見いたしましたが、今一つこれは誠に些細なことのようでありますけれども、勾引勾留状に、この度は記名押印、記名捺印がなかつたものでありますから、その判がないものと見えて、記名押印になつております。記名押印、判を押さず。ナツ印と言う人もおればナ印と言う人もある。私が大審院に入つたときにどつちが本當か、或る老功な判事はナ印と言う、或る判事はナツ印と言う、どつちが本當かなというように我々は苦しんだのでありますから、今度は押入れの押すという字、印を押す。ここにはありませんけれども、苟くも身體の拘束をなす勾引状勾留状、逮捕状の記名捺印をゴム判で押すということは、餘り人權を輕んずる所以ではなかろうかと思います。やはり煩さくても墨を磨つて筆で書く。消えないように、インキだとインキ消で消える。筆墨で以て書くというだけの愼重な態度を持つて然るべきではなかろうか、私は丁度三十分を以て私の意見を述べた次第であります。
  20. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 次に大阪辯護士代表辯護士毛利與一君。
  21. 毛利與一

    公述人(毛利與一君) 私が自分の考えを述べさせて頂く前に、先ず大阪辯護士會の理事者から、お前、東京へ行つたら是非これだけのことを、この一つだけは是非これを委員會にお傳えして、そうして格別に一つ御考慮を願つて呉れということを特に頼まれておることが一つありますので、そのことを冒頭に一つ申上げて置きたいと思います。これは實は餘り愉快なことでない。甚だ不愉快なことであります、こういう事實を、こういう所で申上げるということも、餘り申上げたくないことなのでありますが、これが遺憾ながら現實の事實でありますので、お聞き取り頂きたい。それは關東の方にはそういう事實がないかも存じませんが、現在刑事訴訟法應急措置法第六條によりまして、引致された被疑者について警察官なんかが辯護人選任の機會を與える。お前、辯護人を選任したかつたら辯護人を選任しなければならんぞと、こういうことになつておりますが、ところが關西地方には、これは確たる證擔を辯護士會の方で調査し、握つた上の話ですが、警察官などで、或いは看守などで、被告人被疑者に自分の知つておる辯護士を紹介するのです。自分の知つておる辯護人を紹介して、そうしてその辯護士が貰うお禮の分前に項かつておる。これは甚だ現在生活の非常に苦しいときでありまして、そのいろいろなことはお察しはできますけれども、どうもこれは餘り念の入り過ぎたことである。若しかくの如きことが、これはもう少數、はつきりした事實がありますが、さよう事實は申上げることは省略いたしますが、若しかようなことが改正法のやはり辯護人を選任する機會を與えるという規定の場合に、そういうことが又引續いて今後行われるようなことがありましたら、折角辯護人を附けて人權擁護ようというのに、警察官や檢事はそういう必要はないと思いますが、警察官や看守なんかから選任を受けた辯護人、甚だ値打のない辯護人、そういう辯護人によつては、これはもう辯護人を附けて人權を尊重しようという趣旨は、全然没却されてしまうわけなのです。さようなわけでございまして、改正法案の三百三條或いは三百四條、ここに一番問題がございますわけなのですが、つまり警察官や檢事が辯護人選任の機會を與えるという規定がありますが、その場合に辯護人を選任の機會を與えるのはよろしいが、推薦の機會を闘い取つて行くというようなことは、これは止めにして欲して。由來、關西の人間は、官憲に對して非常に卑屈な態度を取る人がありまして、警察官なんかが、この辯護人がいいということを言うて呉れると、警察官があの辯護人がいいと言うから、あの人に頼んで置けば多分事件を有利に取り扱つて呉れるだろうという推測でそうおもねつて、折角自分が誰か外に辯護人を頼みたいと意中の人があつても、警察官の推薦に從うということがございますので、二百三條と二百四條は、七十八條規定を準用して頂きまして、それは被告人の意中の辯護士がないときには、辯護士會へ通知をして、辯護士會で辯護人を選任するような機會を與えて欲しい。この準用を是非お願ひいたしたいのであります。それから、まあ、これもそういう大阪辯護士會の理事者が頼んでおりましたことなんですが、私はそこまではどうかと思いますが、そういう警察官とか何とかいうような人は、如何なる理由があつても辯護人を推薦してはならんという規定を、どこかに置いて欲しいと、こういうのですが、これはいろいろな規定の體裁上もありますから、そこはいろいろお考え下さつて結構でありますが、希望としては、そういう規定を入れて欲しい。誠に不體裁な規定でありますが、遺憾ながら不體裁な現實がある以上は、不體裁な規定を置くことも止むを得ない。如何に法典の文化的權威を尊重いたしましても、現實にさよう事實が頻々として起るようなことでは、訓示規定でありますが、そういう訓示規定を入れて欲しいという希望がございますので、私が特に依頼を受けて參りましたので、この機會にお願いして置きます。訓示規定としては、そういう辯証人の選任が無效であるとか何とかいうことまでやれ。それで、そのために、そういう弊害を阻止できるようなことがあれば、尚この上とも非常に結構であります。まあ、そういう訓示規定でも我慢するから入れて欲しい、こういう希望であります。裁判所が辯護人を選任する機會を與えるということの條文が、七十四條四七十七條、それから只今申しました二百三條、二百四條、それから、二百七十二條、私共が見ましたところでは、この五つばかり條文がございます。そのいづれの條文の場合にも、そういう官憲側の方で特定辯護人を推薦するということをしないようにという趣旨規定が入れて欲しい、こういう希望なんでございます。これは是非一つ東京へ行つたら、これだけは通るように特に努力して呉れということでありましたので切に申上げて置きます。  私が頼まれて來た意見は、それで終りでございますが、その他いろいろの御意見を拜聽いたしまして、大變私共啓發されましたわけでありますが、今まで特に餘り問題になつておらなかつたようでございますが、この八十九條の三號です。被告人が當習として、長期三年以上の犯罪を犯したる者であるときには、保釋はこれで絶對許さないという規定なのであります。ところが、この常習というようなことが、これがどうも甚だ曖昧なことで、これはまあ從前は常習賭博というようなことで、常習が問題になつたのでありますが、常習ということはこれはなかなか分らんことなんです。何を以て常習として半斷するか、常習ということを判斷する根據が分らない。そうして尚大變疑問に思われますことは、裁判官は公制以前には起訴状一本しか受取つておらん。そうすると被告人が同じような罪を一二囘……一囘ならば或いは問題はないかも知れませんが、二・三囘同じような罪を犯しておるということであれば、これを常習として犯したということの懸念は一應あるわけであります。そういたしますと幾ら裁判官保釋を頼んで見ても、私の方は公判を一度開いて見なければ分らん、公判まで保釋できないということになるわけであります。而も長期三年以上ということですと、相當澤山の犯罪はこの中に入つてしまうわけであります。證擔湮滅の虞があるとか、逃亡の虞があるというようなことが從來いろいろ問題になりましたが、今度は常習ということが問題になり、行き當つてしまうと思うのであります。こういう規定がありますと、とにかく公判までは分らん。どうして常習であるとどうかを決めるか、とにかく被告人の顔も一應見て、審理もして見なければ、常習かどうか分りませんので、これは非常に保釋に對して重大な脅威であると思います。尚これに加えまして、午前中青柳氏からお話のありました一審で有罪の判決を言い渡したら、保釋は取消される、こういうことと思い併せて見ますと、而もそれが長期三年以上というような非常に多くの犯罪に共通の事象でありまする以上は、これは餘程保釋制度における重大なる脅威になると思いますので、この規定はどうかこれはお削り頂きたいと思います。  それから三十三條、三十四條でございますが、これは午前中にも出ましたが、辯護人の主任を置くということであります。主任辯護人という制度を設けることであります。特に主任辯護人というようなものを設けると、同じことを重複してしやべつたり、いろいろなことがなくて、誠に便利な規定ようでございますが、併しこれは實は辯護士としては非常にやりにくいことなんであります。殊に公判が非常に鄭重に審理されるというようなことになりますと、主任辯護士というものも、他の事件もありますれば、いろいろな差支もございまして、終始法廷におるというわけにはいかん檢事の方ではどういうことか知りません、檢事の方はお變りになつても多分差支えないのかも知れません。檢事が變つていかんということは、私は見落しておるかも分りませんが、檢事公判中に變つていかんという規定は見當りません。主任辯護士はいつも出ておらなければならん。苟くも一旦主任辯護士なつた以上は、變るというようなことはできないような見えるのです。これは實際の實情に即して、主任辯護人制度は、辯護權の相當重要な制限になると思うのであります。尤もいわゆる今日まで稱しておりました辯論ということだけは、これは誰でもさせる、主任辯護士に非ざる者であつてもするということになつておりますが、これは今度の訴訟法が實際施行されてやつて見なければ分りませんが、若し英米法の實際にやつておりますようなことに非常に近付くものといたしましたら、いわゆる各辯護士がやつていいと改正法案に言うております辯論なんというものは、今までのような重要なものでなくなるかも分りません。それまでにおける辯護士證據とか、辯護士の異議の申立とか、相手方に對する訊問とかいうようなものが、辯護士活動の主なる部分を占めるのであるかも分らん、そういたしますと、ただ最後に喋らして貰うだけ、あとは一切主任辯護士の助手のように附いておらなければならんということは、これは非常に辯護士として窮屈なことであり、被告人權利を十分尊重する所以のものでないと思う。或いはこれは午前中にお話がありましたように、戰爭時代における辯護士の數の制限の遺物かも分りません。或いはそうでないのかも分りませんが、これは辯護士の實情に即しないもので、主任辯護士制度はお取止めを頂きたいと存じます。誠に小さいことを申しますが、三百五十八條によりますると、上訴期間というものは二週間になつておりますが、控訴期間二週間、この二週間の日は裁判の言渡を受けた日から勘定するということになつております。まあ二週間になりましたのは、只今の七日が倍になりましたわけで、非常に控訴提起期間が延びましたわけでございますが、只今のは改正案の五十五條の趣旨と同じように、裁判の言渡のあつた日と勘定しない。翌日から勘定するということになつている。折角控訴期間を二週間も與えようとする寛大な立法が、なぜ今度裁判の言渡のあつた日から、五十五條というものがあつて普通は翌日から計算するのに拘わらず、特にこの場合だけ、その日から計算するというような、一週間餘分にやろうという寛大な立法が半日くらい惜しむようなことをして……まあこれは感じの問題でありますが、すべて、そういう期間等は被告人に有利に解釋するという趣旨から行きますと、これは或いは私の誤解かも存じませんが、これはやはり五十五條通りでよい。特に何もその日から半日を惜んで、その日から二週間でなければいかんという細かいことを言う必要はないのじやないか。これは是非と申上げる程のこともございませんが、お考え頂きたい。  それから私は最後にこの點だけ一點申上げて、特にこれを強調して申上げまして、もう私は重復することは申上げまいと思うのでありますが、それは控訴制度です。これはもう度々午前中以來皆さんから申上げられた、若しこの進歩的立法が、控訴について、こういう制限した控訴審の制度をお執りになるなら、これは鈴木さんからも仰しやつたことでありますが、あらゆる進歩的規定とバランスして見て、率直に申上げますと、これは現行法及び應急措置法、この二つの法律が一體となつていまするところの現行制度の方がよいのじやないか。この控訴制度を執るなら、如何に進歩的規定がありましても、控訴制度をこれだけにしてしまうということになりますと、差引勘定これは現行法の方がよいというようなことになろうと思います。私は別にそう會を開いて皆の意見を聽いたわけではございませんが、同僚のいろいろの人の意見を徴して見ましても、これはいかん控訴審をあれだけ貶してはいかんということはどうも誰の直感にも頭に來るようであります。その理由と言いますものは、特にもう繰返して申上げませんが、とにかく第一審の裁判の時には、何と言いましても犯罪を憎むということに對する世論の興奮というものがございます。でありますから、一審というものは、やはりその興奮というものを反映しておる。眞に冷靜な裁判ができるのは控訴審裁判である。私は役人でありませんから統計のことは存じませんが、日本の實際の裁判控訴審において輕くなつておるというものは、人から聽いたので間違いかも知れませんが、七割ぐらいは控訴審の場合は一審に比べて輕くなつておる。これは責任あることじやございませんが、さようなことでありますと、この控訴審上告審ようなことにしてしまうようなことは、これは非常に控訴審というものがやりにくいことになるのであります。控訴審によつて事件が動くということは殆んど期待できない、或いはこういう御意見もございました。併し刑の量定が不當である。事實の誤認があるという時には、事實審理をする途は開いてやる、これは運用によつて何とかなる問題である。こういうような御意見もございました。併し一審をこれだけ鄭重にされました以上は、控訴審において再び鄭重なようなことをすることは、現在の裁判の實情では、やつて行けんということが、この控訴審をこういうふうに簡易化したということの理由でありますならば、刑の量定が不當である、事實が誤認であるというよう規定を非常に尊重して、これを活かして使いまして、運用によつて控訴審というものの事實審的作用を發揮しようというようなことは、實際においてなかなか望めないことだ、これは立法の時の内容説明としてそういうことがなされるだけで、實際の運用になつたら、そういうことはやれない、而も刑の量定不當というと、裁判が重過ぎるのでありますから、輕くして下さいということと、不當ということは、これは違うわけである。少しぐらい重くても不當とは言えない、よほど違つて來なければ不當とは言えないことでありますから、不當でなければいかんと言われたら、從來控訴審によつて、罪が重いから輕くして下さいという控訴審というものは意味がなくなることになる。而も刑の量定不當ということは、記録上分つておらなければいかん、記録に現われてなければいかんというのですから、それは控訴審被告人の顏も見ないで裁判ようということの今の裁判でありますと、何でも書面上、分つておらなければならん、事實の誤認であつても記録上分つてなければいかん、新な證據とか何とかいうものは、これは一切認められない。曾て陪審裁判というものがあり、日本陪審裁判が、陪審裁判請求しても請求しなくても自由な場合がございました。その時、被告人は、初め陪審裁判請求しましたけれども、後にはもう請求しないことになつた。その理由は、やはり陪審裁判を一遍受けると、もう控訴ができない、控訴できないということが、陪審裁判の廢つた理由なんです。今度はこの改正案は陪審裁判それ自體を認めることで、舊法でやつて頂きたいということは言われないわけで、嫌でも應でも改正案の控訴手續によつてつて貰わなくてはならない。辭退の仕樣がない。私は一審で如何に丁重な手續をしても、人間の努力というものには限りがあるものでありますから、裁判というのも、實は人間がするのが無理なようなことを人間がするのでありますから、如何に勉強しましても、如何に努力しましたところが、そういうものを一審限りで、事實審として正しかつたものだというふうに大體考えてしまうということは、人間の少し行過ぎであろう。とになく事實において再檢討の餘地を與えるという所に人間の敬虔なる態度があるだろうと思います。私共は一向この案がどういうふうにしてできましたか内情も存じませんし、又裁判所の實際のことも存じませんので、そんなお前の言つておることは、裁判所の實情上困るというかも知れませんが、實情が困るから人權擁護に遺憾があつてもいいというわけには參りませんので、どういうことになるか存じませんが、どうか私共の主張もお汲み取り頂きまして、この控訴審に對する制度というものは是非御檢討願いたい。人間は、やはり批判しようと思いましたら、一旦そこに何かできておらなければ批判できない。眞に批判したものがあつて初めて……適正なる批判の對象というものは、一審の判決ができて初めて、それに對して批判ということができるわけです。何もないのに幾ら勉強しても、勉強して十全のことをすることは、一つでき上つたものに對して批判する方が適正なるものができると思います。さよう趣旨におきまして、私は誠にこれは少數、何と申しますか、みんな私共の大阪、關西或いは西日本における諸君の意見を全部徴したわけではございませんけれども、この控訴制度というものには、みんなが、皆と申上げられませんが、非常に疑いを持つております。どうかこの控訴制度ということは、これは、この案の根本問題である。これに比しましたら、先程から申上げたことは、言わば大した重要ではないわけであります。控訴制度について御檢討賜わりたい。そして坂本氏のおつしやつたように、無論書面審理は付いておる。一番から書面審理は付いて參りますし、控訴でも書面を讀んで審理をする、上告ように、こうこうこれだけの理由がなければできないと、ああいうことじや困る。現在の意味における覆審の控訴制度というものの改正案をお考えを頂きたいと思います。
  22. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 公述人に對する質疑がおありのことと存じますが、時間も大變要しましたことでありますから、質疑はこれを省略したいと存じます。御異議ありませんでしようか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  23. 伊藤修

    委員長伊藤修君) では質疑は省略いたします。公述人の方には公私御多忙のところ、暑い折柄、貴重なる御意見を拜聽さして頂きまして、我々審議の上において重要なる示唆を受けました。本案に對して皆樣の御意見を十分取入れることと存じます。この點に對しましては厚く感謝を申上げる次第であります。ではこれを以つて散會いたします。    午前四時五十二分散會  出席者は左の通り。    委員長     伊藤  修君    理事            岡部  常君    委員            大野 幸一君            中村 正雄君            遠山 丙市君            水久保甚作君            鬼丸 義齊君            來馬 琢道君            松井 道夫君            宮城タマヨ君            星野 芳樹君            小川 友三君   公述人    辯  護  士 青柳 盛雄君    東京高等檢察廳    檢事      植松  正君    中央大學教授  草野豹一郎君    早稲田大學教授 江家 義男君    明治大學教授  坂本 英雄君    最高裁判所判事 島   保君    辯  護  士 鈴木  勇君    日本大學講師  宮城  實君    辯  護  士 毛利 與一君