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證人(元林義治君) 先程の御訊問にありました、
関係方面の方で問題にしておる
事件だからむづかしいというような話、これは私はむしろ
岡戸氏ら依頼人の方から聞いて初めて知
つたことであるのであります。私は純粹の日本の刑事問題だと最初は信じていたのであります。殊に私が土地や家屋の民事訴訟の片割とでも申しますか、その民事の相手が告訴になり、告訴からこの
事件が生れたものであ
つて、刑事問題よりもむしろ純粹な民事問題だと解釈してお
つたのであります。であるから、私はこの
事件に関しては保釈は当然であり、簡單であると考えておりました。
関係方面で干渉しておるとか支持をしておるというようなことは
自分では考えたのでも、
自分からそれを知
つたのでもなく、むしろ相手、依頼人の方から聞かされたことであります。第一その点を釈明して置きます。それからそのことを実際に確かめました。そのことは当時某檢事でありますが、何という檢事でございましたか、この
事件を扱われた檢事にも会いました。その主任檢事に対し、こんな民事
事件の後仕末について拘留するなんというのは少し行き過ぎではないかというようなことを、恐らく私がなじ
つたのでございましよう、そうしたら、いや僕もそう思うんだ、この
事件に限
つて在宅が
相当だと思う。これは間違いない、私の耳に残
つておる言葉であります。私が
事件の見通しをつけ、主任檢事がそう言われるから、ますます私は在宅が
相当であり、保釈は当然できるかと思
つてお
つたのであります。ところが、その某檢事の言葉にやはり困難なところがある。若し
自分が在宅起訴するならば、
自分というものの地位にも
関係する、恐らく
裁判所でもこれを保釈するならば、同樣な危險があるのではなかろうかというような話をいたしました。で、私は松本判事に会いましたが、そういうようなことを申しませんが、やはり同樣、これはもう保釈して然るべきではないか、私はこの
事件に対して、被告人自身を愛する心持よりも、むしろ新宿の発展の
ために
尾津氏の釈放を勧めなければならん、帝都復興の
ために、
尾津氏を一日も早く社会人としなければならんという大きい政治的の考えを持
つてお
つたのであります。
尾津氏も、あの
マーケツトの申しますか、家で、あの年の十二月に、危險だからあれはそつくり一文の金も貰わずに、
相手方に、土地の所有者に上げてしまうのだ、もう少し待
つて呉れればよか
つたのだと、いつか
面会のときに話したことがあります。ですから、私は在宅起訴、或いは拘留で起訴されれば、すぐ保釈されることが
相当であると思
つて、松本判事にそのことを申しました。そうしたら、冗談であ
つたか、あとで笑われたのですが、檢事が
相当の意見を附けて來れば保釈しますよと、こう言う。それからその当時檢事局のあれこれの噂を総合して、結局
岡戸氏も申しましたが、
尾津一人の問題でなくして、先程申された
親分の救済、これはもう私は歴史的に当然だと思
つて進めておりました。こういうような方に或る方面の力が動いておるのであります。保釈はむずかしいと言うのであります。併し私は妙に
尾津氏を愛しておりました。ああいうさつぱりした氣持でございます。で、あの過去の経歴などもその後に私は知
つたことでありまして、殆んど私は知らなか
つたのであります。これは最初の
委員長の訊問にもありましたように、私は当時
親分という考えは持
つておらなか
つた。非常に或る方面の
誤解を受けておるのではなかろうか、
尾津が社会的の
事業をしたり、私がその奔走をしておるときに、盲人が、白衣の軍人が私の檢事局や
裁判所に押寄せました。私はそれを案内した覚えがございます。非常に社会的の
事業、救済
事業、そういうことについては
相当な金額を
尾津氏は投じております。私は彼は悪人だとは思
つておりませんが、仮に間違
つたことをしたとするならば、間違
つたことをする人はやはり善にも強いという考えを持
つております。でありますから、
尾津のいいところを
関係方面にはつきりと言うならば恐らくその了解を得られるのではなかろうか、話は元へ戻りますが、私は或る方面で干渉をしておるということについては信じなか
つたのであります。むしろ日本の檢察官や
裁判所が誇大にこれは評價してあるのではなかろうか。次にそういう個個の
事件には某方面では何ら
関係せん。保釈しようが、在宅にしようが、何ら
関係せんという御了解を求めた書面を持
つて來れば、保釈の申請に対して檢事も
相当の意見を附けられるのじやないか。先程の、松本判事が言われるように、そうすれば私はして呉れるであろう、こう思
つて、そこで私はその筋の了解を得ることに努力してやろうと、こう考えたのであります。そこで誰に話したか記憶はありませんが、一体金が要るだろうかというような話をしましたが、あれこれの話はありましたが、私は大体選挙で金も掛かりましたが、官吏をしておるときの頭よりも、やはり金に対しての價値を安く、多額に金というものは要るものであるというような考えで当時お
つたときでありますから、先ずあの厖大な記録を謄写にして、その全部を英訳にする、そうするならば私は莫大なこれは金が掛かる。そうして今でもガソリン車一台使うに殆んど私は一万円近い金が要ります。代燃車のぼろ自動車一台傭
つても
相当の金が掛かる。又政令違反になるかも知れませんが、場合によ
つては御馳走もしなければならん。そうすればその経費は殆んど私は想像がつかなか
つたのです。先ず二十万円は要るのではなかろうか。当時私は借金こそあれ、金はございません。そこまで又自腹を切
つて、
尾津氏に好意を寄せなくちやならんだけの力もなか
つたものでありますから、まあ依頼人からその方を出して呉れるならば、努力して見よう、足りなくなれば又出して貰えばいいんじやないかと、こういう
関係で、二十万円程は出せるだろうかと、こういうようなことを
岡戸氏であ
つたか誰かに話をしたところが、一向その解答もないのであります。私も当時奈良縣へ帰るような非常に忙しい体でありましたから、少し性急なものでありますから、直接刑務所に行きまして、看守の
立会のときでございましたが、聞いた、どうだ、二十万円程の金を出さんか。そのときに
関係方面の了解を求める云々の言葉は看守が書くのですから、或いは差控えたかも知れませんが、運動費として、実費として二十万円程の金は出す氣はないか、こういうようなごとく聞いて要求しました。私は同氏としては
相当な資産を持
つておる人間ですから、そのくらいの金額は端た金であるから、よろしいと承諾すると
思つたところが、ちよつと澁
つたのであります。私は案外なものだなという考えを持ちました。その後であ
つたでありましよう、細君が
面会に來、その話もしたのでありましようが、結果は、私の所へそれを断わりに來ました。それも家内が、又私が奈良へ行
つた不在中に、あすこの職員が一人が
面会に來て、断わりに來たというので、それきりにな
つております。