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1948-05-18 第2回国会 参議院 司法委員会 第24号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十三年五月十八日(火曜日)    午前十時四十二分開会   —————————————   本日の会議に付した事件 ○大阪、神戸における朝鮮人騒擾事件  調査報告の件 ○日本國憲法施行の際現に効力を有す  る命令規定効力等に関する法律  の一部を改正する法律案(内閣送  付) ○行政代執行法施行に伴う関係法律  の整理に関する法律案内閣送付) ○戸籍手数料の額を定める法律案(内  閣提出、衆議院送付) ○裁判官刑事事件不当処理等の関す  る調査の件   —————————————
  2. 伊藤修

    委員長伊藤修君) これより司法委員会開会いたします。  まず先般当委員会において決定いたしまして、宮城委員及び中村委員御両氏が神戸騒擾事件調査のたる派遣せられました。それにつきまして中村委員から、調査の結果の御報告をお願いすることにいたしたいと思いますが、便宜上お述べになつたことにして、これを速記録に掲載することにいたしたいと思いますが、御異議ありませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それではそういうふうに取計らいます。    〔中村委員調査報告書は末尾に掲載〕
  4. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 当委員会予備審査に付託されましたところの「日本國憲法施行の際現に効力を有する命令規定効力等に関する法律の一部を改正する法律案」を議題に供します。まず政府委員の御説明をお伺いいたします。
  5. 佐藤達夫

    政府委員佐藤達夫君) 只今議題となりました「日本國憲法施行の際現に効力を有する命令規定効力等に関する法律の一部を改正する法律案」につきまして提案理由を御説明申上げます。  御承知通り憲法施行前に命令勅令省令等で出ておりました。その命令の中には、新らしい憲法において法律を要する要項を規定しておつたものが相当あつたのでございます。併しそれらを急速に全部法律の形に書換ますことは実際上非常に困難でありましたために、この「日本國憲法施行の際決に効力を有する」云々という法律を当時御制定を願いまして、そりによつて便宜それらの命令規定は、法律としての力を持つということにして頂いておつたわけであります。而してその一應の期限は、昨年十二月三十一日までということであつたのでありますが、これも当時又諸般の情勢によつて完全にそれまでの間に手当することができませんでしたために、前の法律改正によりまして、更にその命令効力期間を延長いたしまして、御承知の第一條の四とうい條文によりまして、命令名前をずつと列挙いたしまして、左に掲げる法令は、國会の議決により法律に改められたものとするということにして、命令名前をずつと並べまして、そうしまして、そのあとに前項に掲げる法令効力は暫定的のものとし、昭和二十三年五月二日までに必要な改廃の措置を執らなければならないということで、一應そこに列挙せられております墓地及埋葬取締規則その他の命令は、法律と同樣の力を與えられたのでありますが、ただそれらに対しての手当を五月二日までにしなければならんという一種の義務付けの條文があつたわけであります。で政府はその條文に則りまして、五月二日までに是非これらの命令に対する最終的の手当をいたすべく努力をして参つたのであります。殆んど政府内部における準備整つたのでありますけれども、諸般の止むを得ない関係におきまして、遂にこの五月二日までにこの措置を執ることのできなかつたものが若干出て参りましたので、この際この法律に一部の改正をお願いいたしまして、この五月二日というのを七月十五日までに改めて置きたい事柄はつきりいたしますと共に、この際はもう最終の締切であるということをはつきとさせますために、ここに掲げてあります命令は、七月十五日までに法律として制定され、或いは廃止されない限りは、もう十六日以後は法令としての効力を失うという、いわば背水の陣を布いた形にいたしました。で、私共の考えといたしましては、恐らくこの七月十五日までに、全部片が付くという確信を持つておる次第でございます。要しまするのに、今度の改正の要点は、五月二日までということを七月十五日までに延ばして頂く、その一点に盡きるわけでございます。
  6. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 本案に対して御質疑ありませんか。
  7. 鬼丸義齊

    鬼丸義齊君 大体この第一條の四にありまする、各案につきまする政府のこの際準備程度を御説明願えれば、大体、私共の方も見通しはつきりして來ると思います。各案に対してお願いいたします。
  8. 佐藤達夫

    政府委員佐藤達夫君) お手許に参照として、少し汚うございますが、謄写版刷りが参つておると存じますが、それを御覧になりながらお聽き取りを願います。  最初に「墓地及埋葬云々とありますのが三つありますが、この最初の三つは、墓地埋葬等に関する法律案といたしまして、すでに國会に提出いたしてありまして、御審議中であります。それからその次の警察犯処罰令、これは当委員会において格段のお力添えによりまして、軽犯罪法として過般成立いたしました。これも処置済でございます。それから有害避妊用器具取締規則、これは避妊用器具等取締法案といたしまして、これは恐らく提出になつたのではないかと思いますが、政府としてはもう万全の準備を済ませたものであります。  それから開港港則は、これは港則法という法律案にいたしまして、これも政府部内の準備は整つております。それから「家畜に應用する細菌法的予防治療品云々でありますこの規則は、実は家畜用血清類取締法案といたしまして、すでにずつと前に國会に御提案申上げておるのでありますが、これがいろいろの関係で、今度薬事法全面的改正案が又提案されることになりましたので、それとの関係において御審議を確かお願いするのを止めて頂いておるというようなことであるように記憶いたしております。要するにこの「家畜に應用する」云々も手配がついております。それから栄養士規則はすでに栄養士法として成立しております。法律として片付いております。それから食肉輸移入取締規則、これはもう当然必要がありませんので、この規則は廃止する法律にいたして、すでに御提出いたしますたか或いはその直前にあると思いますが、殆んど手順はついております。そりから医薬品等封縅及び檢査証明取締に関する件、これは薬事法関係において処理することに考えております。  以上のものの中で先程ちよつと触れました港則法、これがまだ提案には恐らくなつていないと思いますが、その他のものは殆んど提案になつておるか、又はその直前にあるという形であります。それから後に裏の方にあります共済組合令が沢山並んでおりますが、これは全部を一括いたしまして、國家公務員共済組合法案という名前法律案に一本に纏めまして、関係方面の手続を漸く終りましたので、もう不日國会提案いたすことに考えております。從いましてもう殆んど全部今月中には提案の運びになるという確信を持つております。
  9. 松井道夫

    松井道夫君 今の御説明警察犯処罰令栄養士規則、これはもう廃止する形になつておるだろうと思いますが、これをこのままこの法律に残しておいて差支えなのでありますか。
  10. 佐藤達夫

    政府委員佐藤達夫君) これは精密に申しますというと、お尋ねの通りであります。実は片が付き次第このリスとの中から、はつきり落すということが一番万全の措置であろうと思います。併し実際に今まで取り來りました我々の措置は、御承知軽犯罪法附則におきまして警察犯処罰令を廃止する、そういう措置を採りましたわれで、栄養士規則におきましても附則において栄養士規則を廃止するということで、この法律附則で廃止いたしておりますので、実害は全然ないと考えております。ただこのリストを整理すれば尚手綺麗であつたということは確かに申せるのであります。
  11. 小川友三

    小川友三君 先程政府委員の御説明では止むを得ざる事情によりこれが七月十五日までにやらなければならんというお言葉でありましたが、これはどういう関係であつたのでありますか。これは政府の手不足であつたのかということを御答弁願いたく思います。特にその中で家畜に應用する細菌学と、それから医藥品等封縅及び檢査証明取締というようなものが藥事法の方に移つておられるように申されましたが、これに対して具体的に御説明をお願い申すと同時に、これが藥事法に廻りますと、本員の考えでは、七月十五日までにできないだろうと思います。この点につきましてお見通しを御説明願いたいと思います。
  12. 佐藤達夫

    政府委員佐藤達夫君) 止むを得ない事情ということは恐らく政府側のいろいろな機会においての御説明に出て來る言葉であると思います。本当の止むを得ないということで一つ御判断を願う外はないと思います。それから藥の関係のことは、これは私は実は專門屋でございませんので、藥事法の御審議の際に十分御審議願つた方が、なまじつか私がここで軽卒な言葉を吐くよりも無難ではないかと思います。さように御了承願つたら大変結構かと思います。
  13. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 他に御質疑がなければこの程度にいたしまして次の法案に移ります。  次に行政代執行法施行に伴う関係法律整理に関する法律案、これを議題に供します。先ず政府委員の御説行をお伺いいたします。
  14. 佐藤達夫

    政府委員佐藤達夫君) 行政代執行法施行に伴う関係法律整理に関する法律案につきまして、提案趣旨を御説明申上げます。前回委員会におきまして御審議を頂きました行政代執行法はお蔭さまで成立いたしまして、すでに公布いたしたのでございますが、この行政代執行法前回説明しました通りに、附則において行政執行法を廃止いたしております。從いまして從前の法律の中には古い行政執行法の中の條文を引用しておるものが若干ございますので、それを放つて置きますと、適用上いろいろの疑いもできますので、この際、関係法律の中に出て來ております行寺執行法條文はつきり整理をして始末をつけて置いた方がよかろうという趣旨で、関係法律一つ一つ拾いまして手当をしたわけであります。即ち森林法その他六つばかりの法律がございますが、それを拾つて行政執行法という言葉の出ておる或いは行政執行法條文の引いておる箇條を削除し、或いは新らしい代執行法條文に変えるというような手当をしましたのが本案でございます。この内容は大きく申しますと二通りあります。一つは、例えば公共団体の管理する公共用土地物件の使用に関する法律というものがありますが、削除という形で出たのがその一つ種類でありますが、これは今までの行政執行法行政官廳だけに代執行その他の権限を認めておりまして、地方団体には認めていなかつたのであります。從いましてこれらの法律においては地方団体にも、地方団体或いは地方団体の長にも代執行の機能を與える必要があつて、特に行政執行法規定を準用して団体の方でもやれるという條文を置いておつたのでありますが、御承知のように今回の代執行法におきましては、行政官廳の外に地方団体地方団体の長も当然行政官廳と同様に代執行ができるようになりましたから、それらの法律にありまする條文は不必要になつたというわけで、削除々々と手当をしておるわけであります。それからもう一つ種類は、森林法にありますように、行政執行法第六條を、行政代執行法第六條に改めるという形になつておるのがあります。これは例の費用徴收するについて、國税滯納処分の例によつて徴收するという関係條文であります。この点は行政執行法行政代執行法も同様、費用徴收については國税滯納処分の例によるということになつておりますから、これはただ條文を謳い変えて、行政執行法の六條というのはたまたま又行政代執行法の第六條になつておりますから、それを第六條に謳い変えた、これだけの極めて簡單整理でございます。
  15. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 本案に対して御質疑ありますか。別に御質問なければこの程度にいたしまして、後日にこれは譲ります。  次に本委員会に本日付託になつておりますところの戸籍手数料の額を定める法律案、これを議題に供します。本案に対して御質疑がおありになれば……。
  16. 小川友三

    小川友三君 この手数料の件でありますが、現実に行われておる戸籍謄本を取りに行きましても、各町村役場行つてなかなか呉れない。縁談が進んでおつて、なかなか呉れないので、戸籍謄本を持つて行かないのは戸籍が汚れておるから持つて來ないのだろうと疑いを受けておる。事実上においては五十円か百円のコンミツシヨンを持つて行つて役場で書いて貰うというような状況でありますので、実現がされないような安い料金で、國民が迷惑をするということは非常に大きいと思いますが、この点につきましてもう少い上げたらどうかという考えを持つておりますが、これに対して政府委員のお考えを伺いたい。
  17. 佐藤藤佐

    政府委員佐藤藤佐君) 戸籍事務が、殊に新戸籍になりましてから非常に市町村に迷惑を掛けておりまするので、できるならば物價に対應する戸籍手数料増額いたして、市町村に対する補助の一つにいたしたいと考えておりまして、昨年從來の一円を五円に値上げする際にも、物價廳と非常なむずかしい交渉を経た上で、漸く五円を認められたような経過になつておりまするので、今回のこの法律に切換える際に、もつと増額いたしたいとは考えておつたのでありますけれども、御承知のようにこの五月に新物價体制になることを聞いておりますので、新物價体制が決まらないうちに値上げするということを提案いたしましても、なかなか物價廳の承認を得ることもむずかしかろうと考えまして、この法律案には増額規定いたさなかつたのでありますが、新物價体制が確定いたしますれば、早速この次の機会に相当大幅の増額提案いたしまして、皆様の御審議をお願いいたしたいと、かように考えておるのであります。
  18. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 他に御質疑がなければ、質疑を終局することに御異議はありませんですか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  19. 伊藤修

    委員長伊藤修君) では質疑はこれを以て終局いたしまして、直ちに討論に入ります。——討論は別になければ、これを省略することに御異議はありませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  20. 伊藤修

    委員長伊藤修君) では討論を省略いたしまして採決をいたします。本案全部に対して御賛成の方は御起立を願います。    〔総員起立
  21. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 全会一致原案通り可決すべきものと決定いたします。本案に対する委員長口頭報告については予め御了承を願つておきます。尚本案について賛成の方の御署名を願います。    〔多数意見者署名
  22. 伊藤修

    委員長伊藤修君) では午後一時より再開することにいたします。    午前十一時六分休憩   —————————————    午後一時三十八分開会
  23. 伊藤修

    委員長伊藤修君) これより裁判官刑事事件不当処理等に関する調査会を開きます。  本件に関しましては、調査の進行上、先ず最高裁判所本件に対するところの、即に調査せられた結果について、一應御報告を伺うことにいたします。
  24. 岸盛一

    説明員岸盛一君) 過日の御照会によりまして、尾津事件外数件の審理状況について、最高裁判所調査に着手いたしましたが、その中、本日まで調査が間に合いましたのは、尾津事件眞木事件松島丸事件の三件でございます。本日はその三件につきまして、一應最高裁判所調査いたしました結果について御報告いたします。  尾津事件は、ちよつと内容が複雑で時間が掛りますので、比較的簡單と思われます眞木事件松島丸事件から先に御報告いたします。最高裁判所がかような調査をいたしますについても事柄裁判に関することでありまして、おのずからその限度があるのであります。殊にこの三件共、目下緊属中事件でありまして、近日中に判決が下されようとしておるものであります。從いまして裁判内容に何らかの影響を與えるような虞れを抱かしむるような報告は極力これを避けなければならないものでありまして、その点と、事件が現に緊属しておりますので、且つ裁判所審理を急いでおりますので、記録を十分に完全にこちらへ取寄せてそれをゆつくり読むという暇がありませんでしたが、併しながら問題の核心と思われる点は余すところなく調査いたしたつもりでおります。では眞木事件から御報告申上げます。  この眞木事件と申しますのは、例の超國家主義団体として指定されました新鋭大衆党党首眞木康年という者に対する恐喝等事件であります。この被告昭和二十二年十二月十二日に恐喝容疑者として逮捕されまして、同月十五日には判事拘留状が発せられ、即日拘留され、同月二十四日に恐喝罪によつて東京地方裁判所起訴されたものでありますが、更に今年の一月二十九日には銃砲等所持禁止令違反罪によつて起訴を受けております。その起訴事実の内容は、お手許に差上げましたこの眞木関係別紙第一という書面に書いてある事実であります。恐喝は二回に亘りまして合計七百円を恐喝して喝取しておる。それから追起訴の事実は拳銃一挺と実包数十発を所持しておつたという事犯であります。この事件は、起訴されまして地方裁判所の第十部に配点され、久永正勝判事がこれを担当したのであります。裁判所は第一回の公判期日を本年の一月二十四日、第二回の公判期日を二月十日、第三回の公判期日を二月二十一日、第四回の公判期日を二月二十四日と指定して、順次開廷して被告人訊問を終了したのでありますが、被告人はこの公判では公訴事実を全部否認いたしました。そこで裁判所は第五回の公判期日を三月二日に、第六回の公判期日を同月の九日に、第七回の公判期日を同月の十六日に、第八回の公判期日を同月二十六日と指定しまして、順次法廷を開いて、この五回乃至八回の四回の公判期日においては十三人の証人調を終えて、更に四月二日には被告人の家内である証人眞木キヨ、これは重い病氣で入院していたとのことでありますが、それの臨床訊問をいたしました。次に第九回の公判期日たる四月二十七日の公判廷においては検事の論告がなされたのであります、で、懲役五年の求刑がありました。第十回の公判期日である五月八日の公判廷においては、弁護人の弁論があつて同日、審理は終結になつております。かくして判決言渡期日は五月十八日と指定されました。つまり今日でありますが、これはどういう事情が延期になつております。恐らくかような調査が開始されたからではないかと想像されるのであります。この被告人弁護人としては高木松吉氏、牧野内武人氏、小田泰雄氏、坂本英雄氏の四人の弁護士がついております。  この眞木事件について被告拘留中に裁判所執行停止をした事実があるのであります。その執行停止のことが恐らく問題にされたのではないかと思われますが、その事情を申上げますと、被告人起訴されて弁護が終結されるまでの間に二回拘留執行停止を受けました。そのうちの第一回の執行停止事情は、警視廳公傷診断室の技官の桑原医師の診察によりますと、被告人は第一回の公判期日当時、高血圧症外痔核等によつて医療を必要とする健康状態にあつたということであります。裁判所被告人公判廷における態度、診断書等によりまして、その病状は悪化の傾向を示しておるものと認めたということであります。更に裁判所に提出された診断書及び弁護人申請等によりますと、この被告人の妻の眞木キヨ心臓弁膜症並びに脳神経衰弱症によつて重態であり、一時は危險状態にあるということでありました。裁判所における從來の取扱によりますと、かような場合には多少悪質な犯人であつても一時身柄釈放して善後措置を講ぜしめることがたびたびあるのであります。本件担当裁判所においても、右のような事情の下においては、眞木を一時釈放することを相当と認めて、一月二十九日に同人に対して、二月十日までの期間限つて拘留執行停止決定をいたしたとのことであります。被告人釈放期間中、妻を病院に入院させ、治療その他の必要な措置を講ずると共に、自分も妻の入院先である淺草服部病院に入院して治療を加えておりましたが、二月十日の第二公判期日、即ち二月十日は執行停止期間満了の日に当りますが、この公判期日には公判廷に出頭いたしました。併し被告人はこの日、公判審理中に正午の休憩時間に卒倒いたしましたために、裁判所公判を中止して一時帰宅されましたが、被告人弁護人から裁判所に対して診断書が提出させれて、執行停止期間延長申請がなされました。併し裁判所は同日の午後六時、主任檢事を連れて病院に行きまして、更に外の医師をして被告人病状を診察せしめた上執行停止をする期間はこれを延長する必要はないと認めて、その旨を被告人らに告知いたしております。そこで被告人は翌二月十一日の朝、東京拘置所に收容されて再び拘禁されるに至りましたが、その後数回にわたる公判拘置所から出廷して、その病氣も次第に恢復に向つておるということであります。これが第一回の執行停止の経緯であります。  次に第二回の執行停止関係でありますが、その後四月十四日になりまして弁護人被告人身柄を一時釈放して呉れという申請をいたしております。その申請につきましては、お手許に差上げました別紙二という書面を提出いてしております。つまり東京都の総務部特殊財産管理課長富田滋氏から、被告人の妻に対する個人財産調書を提出して呉れという督促状であります。その弁護人釈放申請します理由は、被告人党首となつておりました新鋭大衆党が、昭和二十二年十二月十二日に解散を命ぜられて、その結果、その党に所属している財産は一切官に接收されることになりましたが、そのために、被告人所管廳である東京都から、被告人の管理する、その党の資産並びにその收支経理関係など、すべてを報告するように命ぜられましたが、被告人は、その解散命令当日から拘禁されておるために、調査報告をすることができず、そのまま放置されておりました。ところが、四月十二日に至り、又東京都から先程申しましたような督促があり、至急これが調査を遂げて、報告しなければならないことになつたので、一時被告人身柄釈放して呉れというのが弁護人釈放申請理由でありました。そこで裁判所弁護人について、更に詳細な事情確めましたところ、弁護人は、次のような事情を申述べたということであります。その一つは、新鋭大衆党は、昭和二十一年六月、政党として結成され、その本部を被告人居宅に設けましたが、党の庶務、経理を担当しておる專屬の事務員、その他の使用人というものはなくて、一切の事務は、被告人が主宰し、処理していた。又完備した帳簿もなく、從つて党財産收支関係内容を知る者は、被告人をおいては他に誰もないということであります。次に被告人昭和二十一年七月頃から、淺草で、戰災者救護事業を経営していましたが、これについても、組織機構が整備されておらず、又被告人個人財産から、その事業のために支出したものが多くて、その経理関係は、被告人自身以外にはよく分らない。次に、被告人の妻は、同人個人資産を持つておるのでありますが、この財産は、被告人自身財産と混同されておるために、その両者の関係も明瞭にしておかなければならない。更に本年一月頃から、所管廳は、被告人の管理する財産中、この党に屬するものとして、直ちに接收したものがありますが、その中には、党とは全然関係のない物件も相当あり、他人の所有物件も混同されておるから、これを調査報告して解釈して貰わなければならない。最後に、党の解散命令後、間もなく被告人及び家族の名義の預金等が凍結しておりましたために、家族生活費に窮しておる状態であつて、急速にその内容報告して、凍結を解除して貰わなければ家族全部が路頭に迷うことになる。殊に妻子の現住する居宅は、主として妻の資金によつて建築したものであつて、党の結成側、半年以上も前に建築したもので、この家屋も党に関係するものとして接收の対象となつておるようであるから、これも直ちに報告しなければならない。こういつた事柄を主張してゐるのであります。そこで裁判所は、この申請について、檢事意見を求めて、その申請理由を檢討いたしましたところ、被告人から、東京都から命ぜられた調査事項は、相当複雜多岐に亘るものであつて被告人は、拘禁されたままその調査をすることは不可能である。且つその事柄新鋭大衆党解散に関連する事項でありまして、長くこれを放置することは許されない性質のものであると、認められたとのことであります。次に、特に解散団体の事後処理を停滞せしむることは、解散事由に鑑みて、國内問題としても、又対外問題としても避くべきところであるということであります。よつて裁判所においては、右の執行停止申請は、正当な理由があるものと認めて、四月十六日から、五月五日までの二十日間、被告人に対する勾留の執行を停止する旨を決定し、その身柄釈放いたしました。この勾留執行停止に関しては、檢事からも、許可相当の意見があつて、ただその期間は、七日ぐらいという意見が添えてありましたが、調査事項は、相当複雜多岐に亘るものであり、而も人員、帳簿、書類等も整備されていないために、被告人が、鋭意これに当るとしましても、二十日間では、果してこれが完了するかどうかは疑問であつた。併し特にその処理を促進させるために、裁判所は一應二十日と期間を定めて、執行停止決定を與えたということであります。次に執行停止期間が延長された問題でありますが、かくして被告人が、執行停止によつて釈放されたのでありますが、五月一日に至つて被告人から、具体的な調査事項の内容と、当日までの調査経過について、報告がありました。更に五月三日に、弁護人から、被告人の勾留執行停止期間を延長して貰いたいという申請がありました。その申請理由は、東京都から命ぜられた調査について、被告人は鋭意その処理に当つているが、その内容が極めて多岐に亘り、新鋭大衆党結成前からの被告人及び家族財産の收支、被告人事業であつた東洋商事株式会社の内容戰災者救護事業経理関係及びその党自体の経理関係も、詳細に報告しなければならないこと、殊に、都に対する報告は單に被告人報告書のみを以ては足らず、その報告の根拠について、証拠書類を添付するように、証拠書類のないものは、関係者の証言書、つまり証明書を取つて、添付しなければならないということになつておりましたので、被告人は、今多数の関係者に面接しまして、一々その証言書の交付を受けておる状態である。從つて数十項目に亘る調査事項中完了したものは、まだ半分にしか達していない有樣であるということであること、被告人が、今回釈放後、五月一日、総理廳内事局及び法務廳特別審査局から呼出しを受けて、関係事項につき、いろいろ聞かれて、新たに報告を命ぜられた事項もあるので、釈放満期までにすべてを完了することは到底できないと思われること、かような理由でありました。裁判所はその申請は止むを得ない正当な事由と認め、五月五日に、更に被告人に対する勾留の執行を、翌六日から、同月二十五日まで、二十日間延期することに決定して、尚弁護人に対して、右延期期間中、必ず調査を完了すべき旨、三度とは期間の延長は許さないということを告げたそうでありました。この釈放につきまして、更に参考となる事項がありますが、ちよつと速記を……。
  25. 伊藤修

    委員長伊藤修君) ちよつと速記を中止して。    〔速記中止〕
  26. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 速記を始めて。
  27. 岸盛一

    説明員岸盛一君) 尚、本件担当の久永判事は、全日本産業別労働産業会議長聽濤氏に対して、傷害を加えました被告人の大塚廣男、佐久間隆太郎の両名に対する被告事件の主任裁判官でありまして、その事件においては、被告人両名に対して傷害罪の最高刑である懲役十年の言渡しをした判事であります。從いまして、この久永判事眞木被告人に対して執行停止措置を執つたのは、只今述べましたような特別の事情に基くものであつて、これがために同判事がかような超國家主義的団体に関する事件を軽く見ているというふうに直ちに判断することはできないのではなかろうかというふうにも考えられるのであります。これが眞木事件についての報告であります。  次に松島丸事件でありますが、松島丸事件と申しますのは、この事件の発端は、最高司令部経済科学局から農林省の水産局に通知がありまして、同局係官から千葉地方檢察廳木更津支部宛に告発があつたことに始まつております。告発から現在に至るまでの経過をかいつまんで申しますと、本年の一月四日に、千葉地方檢察廳木更津支部は、農林省水産局漁業監督吏員甲藤健夫から、昭和二十二年十二月二十四日附書面を以て告発を受けました。事件受理後は、木更津支部の檢事の松角武忠檢事が捜査を開始しましたが、松角檢事は一應の捜査を終えて、本件を区檢察廳において取扱うことを相当と認め、本年の一月十九日、木更津区檢察廳檢察官に宛てて本件を移送いたしました。一月二十日に松角檢事は木更津区檢察廳檢察官事務取扱檢事の資格において、木更津簡易裁判所に対してこの事件被告人である松島嘉久藏を昭和二十一年勅令第三百十一号占領軍の占領目的等に有害な行爲に対する処罰等に関する勅令違反という罪名で、略式命令を以て公訴の提起をいたしました。この公訴事実の要旨は、被告人は厚生水産株式会社所有の第二厚生丸に、船長兼漁撈長として乘り組み、昭和二十二年十一月十日本更津港を出帆し、南方に出漁したが、日本漁船の出漁し得る区域は、連合國最高司令官の日本政府昭和二十一年六月二十二日附第五百号の指令によつて制限されて、南方の限界は北緯二十四度と定められているにも拘わらず、昭和二十二年十一月十六日午前八時、部下の乘組員等を指揮して北緯二十四度の線を超えて赤道附近まで南下し、その後、同月二十三日午前十一時まで、右側限区域外の太平洋上において鮪を獲つたということであります。松島丸というのではなくて、第二更生丸、被告人が松島というのでつい松島丸というふうに誤傳されております。この略式命令における檢事の求刑は、罰金二万円でありました。ところが一月二十四日に至りまして木更津区檢察廳檢察官事務取扱檢事の松角檢事は、木更津簡易裁判所に宛て次のような趣旨の申出をしました。即ち、「最高檢察廳より当職に対し、右事件は日本の漁場制限区域に関する対外國の懸案に関係あるを以て、略式命令にて軽々に処理するは妥当でない旨の申渡あり、当職も然く思料するので、公判審理せら度い。」こういう申出がありました。一旦略式命令の請求をして置きながら、檢事はその後公判審理して呉れと申出たわけであります。そこで一月二十六日、木更津簡易裁判所判事の辛島勇司は、「本件は、裁判所法の制限を超える刑を科するのを相当と認める」については、「本件を千葉地方裁判所木更津支部に移送する」という旨の決定をいたして、本件は直ちに木更津支部に移送されました。木更津支部の判事の古賀清三郎は、本件の第一回公判期日を一月三日と指定しましたが、二月二日に、被告人から疾病による公判期日の延期申請がなされ、その公判期日は二月十日に延期されました。二月四日に被告人からは、弁護士中松潤之助、平松勇の両名が弁護人に選任され、その旨の届出がされたわけであります。二月十日に予定通り第一回の公判が開かれて、審理は終結して、判決言渡期日は二月十二日と指定されました。公判の際の檢事の求刑は、懲役八月及び罰金二万円であります。二月十二日には、お手許に差上げましたような判決が言渡され、被告人檢事の求刑通り、懲役八月及び罰金二万円に処せられたわけであります。ところが被告人はこの判決を不服として、二月十八日に控訴の申出をしました。その後、公判調書の作成に手間取りましたが、四月三十日に至りまして、千葉地方裁判所木更津支部から同支部檢察廳に宛てて訴訟記録が送付されました。五月七日に木更津支部檢察廳は東京高等檢察廳に宛てて本件記録を送付しました。東京高等檢察廳は五月十一日に記録を受取つて、翌十二日に記録を東京高等裁判所に送付しました。東京高等裁判所は控訴審における第一回公判期日を五月二十七日と指定しました。こけが事件の発端から現在に至るまでの経過でありまして、現にこの事件は五月二十七日に東京高等裁判所公判が開かれることになつております。次のところはちよつと速記を……。
  28. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 速記中止。
  29. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 速記を始めて……。
  30. 岸盛一

    説明員岸盛一君) 次にこの事件の記録の送付に約二ヶ月余りを費しております。本件につきましては、二月十二日に判決が言渡され、二月十八日に被告人から控訴の申立がなされましたが、その後記録が木更津支部から支部の檢察廳に送付されたのは四月三十日でありました。從つてその間に二ヶ月半の日時を経過しておりまして、これは公判調書の作成が遅延したものと申す外はありません。この点は誠に遺憾とするところであります。併しこれには次のような事情の存することも斟酌されて然るべきものと考えられます。即ち、木更津支部及び同簡易裁判所の民事及び刑事事件審理の実情は、この表に示した通りであります。田舎の裁判所としては相当の事件を負担しておるわけであります。然るに同支部及び簡易裁判所事務官の定員六名の中二名は缺員であつて、実員は四名しかおりません。而もその中、一名は裁判所の会計、庶務の事務に從事しておるのみか、司法事務官をも兼務して、戸籍、供託の事務に從事しておりますため、公判の立会はこれをやらず、又外の一人は女性の事務官でありまして、公判の立会には熟練していないために、而もこの女性の事務官は三月末日に辞職しておりますが、結局のところ木更津支部及び簡易裁判所の民事及び刑事事件の重要なものは、残る二名の裁判所事務官が担当することになつたのであります。この二人の事務官の中の一人が本件の主任書記である石橋平八郎という人であります。而も本年一月一日から家事審判所が開設されて、その趣旨國民に普及されるに從つて、審判所の事件は激増して、申立人は家事審判所の前に列をなして順番を待ち、この事務負担のため、裁判所事務官の負担は過重となり、自宅まで記録を持ち帰つて、深更まで調書の作成に追われるのが常であつたということであります。尚、刑事事件の調書の作成は、身柄拘束事件を先にし、身柄不拘束事件を後にする場合が多いのでありますが、本件身柄不拘束であつたために、調書の作成を他の事件よりも後廻しにしたという事情があるのでありまして、今から考えればその点は遺憾であつたという外はないのであります。要しまするに、この事件の主任である石橋裁判所事務官が公判調書の作成を遅延したことは、誠に遺憾でありますが、又一方只今述べましたような事務の負担関係ということも併せて考えて頂きたいと思うわけであります。これが松島丸事件であります。  次に尾津事件について申上げます。この事件被告人である尾津喜之と助という者は、香具師飯島一家の流れを汲む関東尾津組の組長でありまして、その縄張りは新宿一円を中心として四谷、牛込、世田ヶ谷、中野、及び杉並一帯に及ぶと言われておつたものでありますが、同人昭和二十二年七月三日、強要罪、暴力行爲等処罰に関する法律違反罪によつて東京地方裁判所起訴されるに至りました。その起訴事実はお手許に差上げました書面に認ためてある通りであります。この事件は同裁判所刑事第四部において審理されることとなり、裁判長松本勝夫判事、陪席判事は一松弘、伊東秀郎、この三人によつて構成される会議裁判所審理を開始しました。第一回の公判期日は七月十五日に開かれ、爾後十三回の公判を経て、九月の十二日、第十四回公判期日において弁論が終結されて、余すところは判決言渡のみとなつたのであります。その間に尾津の弁護士からは、前後七回に亘つて保釈又は執行停止申請がなされたが、裁判所申請理由調査し、且つ被告人健康状態については東京拘置所医師から意見を徴した上、第一回乃至第六回の申請は悉く却下した。そうして最後の第七回の保釈申請は弁論終結前たる九月五日になされましたが、主任檢事はこれに「執行停止相当」の意見を附して、東京拘置所医師も又「保釈を相当とする」旨の状況診断書を提出いたしました。そこで裁判所諸般事情を考慮し、弁論終結の翌日たる九月十二日に至り、被告人の住居を東京大学附属病院に制限して、執行停止の決定をいたしました。然るに九月十七日に至り、裁判所檢事より調査書類を添附した執行停止取消の請求を受けました。裁判所はその書類によつて尾津が住居の制限に反した事実のあることを確認して、即日執行停止取消の決定をいたしました。  最高司令部においては、尾津事件及びこれに類する事件は日本における民主主義の達成を阻むものとして深い関心を示しておつたのでありますが、九月十二日の執行停止決定による尾津の身柄釈放を重視して、最高裁判所にこの調査を求められたのであります。最高裁判所においてもこれを重視して、九月十二日になされた執行停止決定裁判官に対する政治的乃至暴力的圧迫若しくは賄賂その他不正の利益によつてなされた不当の裁判ではないかどうかについて調査することにいたしました。この調査につきましては、かような事件調査をいたしました最初事柄でもあり、非常に愼重を期しまして、又一方、裁判に関することでありますので、愼重に愼重を重ねて調査いたしましたが当時の報告書によつて、その経過を申上げますと、この尾津事件裁判所法の第二十六條によつて本來は一人の判事審理される事件として、初め東京地方裁判所刑事部の第四部の單独部ある松本勝夫判事に割当られたのであります。併し本件は事実の認定が非常にむずかしい点があり、且つ社会的の関心の大きな事件でありますので、事実認定の愼重を期するために、この第四部の会議体は裁判所法第二十六條第二項第一号によりまして会議制で審理するという決定をいたしました。然るに当時第四部の会議体は他に複雑な事件審理中でありまして、而もその部に属する判事は四名である。この少数の判事では複雑な事件尾津事件とを並行して審理することは到底不可能でありました。そこで急速に審理を開始するためには、他の刑事部の判事を割いて第四部に加え、四部の判事を増加しなければならないのであります。而して七月十二日に東京地方裁判所刑事部の代表者会議が開かれて、その全員一致の決議によつて、刑事部第三部の構成員である判事一松弘、判事補の伊東秀郎の両名が第三部から第四部に加つたのであります。即ち尾津事件審理のために判事松本勝夫を裁判長として、判事一松弘及び判事補伊東秀郎を陪席判事とする会議制裁判所が成立したのであります。このように一松判事及び伊東判事補の両名は代表者会議の人員配置上の考慮から出た決議によつて刑事部第四部に加えられ、尾津事件を担当することになつたのであります。  この事件審理の経過はどうかと申しますと、尾津は六月二十七日に勾留されて、七月三日に起訴されましたが、その公判審理の経過は第一回の公判は七月十五日に開かれ、この日は檢事から公訴事実の陳述があり、次いで被告人訊問が開始されました。第二回の公判は七月三十一日から開かれて、この日は前回から引き続きの被告人訊問が終了し、更に証拠書類の証拠調がありました。第三回の公判期日は八月七日に開かれ、この日は四人の証人訊問がなされました。第四回の公判期日は八月八日に開かれ、この日にも四人の証人訊問がなされました。第五回の公判期日は八月九日に開かれ、この日は証人の庄司新三郎という者に対する訊問がなされました。第六回の公判期日は八月十一日で、この日には尾津は拘置所から出頭せず、証人訊問も延期されました。尾津は第四回目の公判の頃から憔悴の色を見せておりましたが、第六回目の公判期日には頭痛、心臓衰弱等のために出頭不能となつたのであります。尾津は裁判所に対してしばしば眩暈を訴えていたので、第二回の公判期日から着席のまま訊問に答えることが許可されました。併し彼は起立して答えていました。第七回の公判期日は八月十六日に開かれ、この日は証人二名が訊問されました。第八回の公判期日は八月十八日で、この日は証人一名、第九回は八月十九日で証人四名、第十回が八月二十日で、その日は証人三名、第十一回は八月二十一日で、この日は証人五名が訊問され、これで全部証人二十四名の訊問が終了いたしました。次に八月二十五日に第十二回の公判期日が開かれて、この日は檢事の論告が行われ、尾津に対しては暴力行爲等処罰に関する法律の違反罪として、同法律規定する最高の刑の懲役三年が求刑されました。第十三回の公判期日は九月九日に開かれ、この日は弁護人の弁論がありました。第十四回が九月十一日に開かれて、この日は弁護人の弁論と尾津の最終陳述があつて、ここに審理は終結して、判決の言渡は九月二十三日と指定されたのであります。かような経過のところに先程申しましたように最高司令部の方から重大な関心を寄せておるという旨の話があつたわけであります。この尾津につきましても執行停止が問題になるのでありますが、尾津には十一名の弁護人と、一名の特別弁護人とが選任されておりました。拘置所の書類等によりますと、いろいろ外部から弁護をしてやるということを申出た人もあつたようでありますが、弁護人等は尾津が起訴されてから審理が終結するまでの間に、繰返して七回に亘り、裁判所に対して保釈又は執行停止申請をいたしました。この七回の申請の内、第一回及至第六回の申請の経過は、七月四日に森山外二名の弁護人から保釈の申請がありました。七月七日に上條外二名の弁護人からやはり保釈の申請がありました。このときは尾津の診断書を添附してなされました。第三回の保釈申請は、元林特別弁護人から七月二十一日付の保釈申請書を以てなされました。第四回の保釈申請は、上田外四名の弁護人から七月二十九日附の保釈申請書を以てなされました。右の四回の保釈申請を通じて、その理由とするところの大要は、尾津は勾留前から慢性胃炎を患らつており、勾留後は更に衰弱を加えて來た。尾津組マーケツトの敷地の不法占拠並びにその明渡に関する民事垣停事件の急速な解決を図るためには、尾津本人が保釈され、速かに調停期日に出頭する必要がある。尾津組マーケツトに近接して、東京都電の新宿車庫がありますが、尾津が東京都からこの車庫の拂下げを受けることとなれば、現在の尾津マーケットをすべてこの車庫に移することもできて、民事の方で爭いになつておる敷地問題は一挙に解決する。而も尾津が保釈を許され、みずから東京都に出頭して交渉すれば、新宿車庫は必ず尾津に拂下げられるように、前々から話が熟しておるというのが弁護人申請理由がありました。そこで裁判所申請理由に対して、それが理由があるかどうかを調査しましたが、その結果によりますと、尾津の慢性胃炎による病症については、七月七日附保釈申請書添附の診断書からしても、更に尾津の公判延における態度からも、弁護人の主張する程に悪化しておるとは認められない。尾津マーケツトの敷地に絡む民事調停事件については、民津自身が出頭しても、即時に解決する見込はなく、更に出頭を欲するときには看守附で出頭することも許されておるということが明らかとなつた。新宿車庫の拂下問題については、その眞相は東京都の交通局長及び建設局長の眞意を訊さなければ分らない。そこで裁判官は両局長と会見して、その意向を訊ねたところ、東京都としては直ちに尾津に拂下げをする予定もなく、又仮に拂下げを決定しても、その実現には相当の日時を要するということであつたのであります。そこで裁判所はこの申請を悉く却下いたしました。かように裁判所はこの申請理由について、その眞相を調査しながら保釈の請求を却下し続けて來ましたが、八月に入ると弁護人は更に保釈と執行停止申請を続けた。即ち八月十一日、この日は第六回の公判期日で、尾津が病氣のために出頭不能になつた日でありますが、この日、清原外二名の弁護人は上申書を提出した。そうして裁判所において、尾津が拘禁されておる東京拘置所医師から、尾津の病況報告を徴じて、病状を檢討されたいということを弁護人から上申がありました。そこで裁判所は、東京拘置所医師に対して、尾津の病況書を提出すべき旨を依嘱した。これによつて八月十四日に、同拘置所の主任保健技師たる野崎陽之輔医師から診断書が提出されました。裁判所はその診断所を受取つて、直ちに会議を開いて、尾津の病状確めるために一松判事と伊東判事補とこの両名が東京拘置所行つて医師に面接することを決定し、翌十五日に一松判事と伊東判事補とは拘置所にわざわざ行きまして、医師に会つて尾津に対する医者の判断が正確であるかどうかを確めたのであります。この上申書に引続いて八月十九日に至り、第五回目の保釈申請書が森山外三名の弁護人から提出されました。その理由は、尾津は昨年脳溢血を患つたばかりでなく、胃潰瘍の兆があり、近年稀な暑氣のために拘禁を継続するときは不幸な結果を招來するかも知れないということでありました。併し裁判所は、八月二十一日にこの申請を却下しております。その後間もなく八月二十五日になつて、第六回目の申請として、勾留の執行停止申請書が守屋弁護人外五名の弁護人から提出されました。その理由は、前の場合とほぼ同樣であります。その日に野崎医師からは又裁判所に病況書が提出されております。併し裁判所は、第六回目の申請をも却下しました。かように裁判所は第一回乃至第六回の六回に亘る弁護人申請を却下しました。併しその頃法廷における被告人の動作は次第に緩慢になり、顔色も悪く、他面弁護人側からは脳溢血再発の虞れがあることを強調され、ここにおいて裁判所は尾津の病症と野崎医師が果して公正な立場を失つていないかどうかを確めるために、再び野崎医師に面接してその意見を徴することに決定しました。かくて八月二十九日に、三名の判事はその医者に会つて、その医者が特に尾津から何らかの運動を受けておるかどうかというような点を確め、そういう事実のないことをも確めると共に、又尾津は差当り釈放すべき病状でもないというふうに裁判所は認めたそうであります。  次いで第七回目の保釈の申請執行停止の決定の問題に移るわけでありますが、公判審理は、八月二十一日にすべての証拠調を終つて、二十五日には檢事の論告も終了して、審理の終結も近ずきましたが、九月一日に上條外一人の弁護人から上申請が提出されて、再び尾津の病況書の取寄せ方の申請がありました。次いで九月五日附で森山外二名の弁護人から保釈申請書が提出されました。その理由は、尾津は疲労困憊の極に達し、全身的衰弱を來たし、病症極めて憂慮すべきものがあるというのであります。翌九月六日に裁判所は、主任の高木檢事意見を求めましたが、これは保釈の申請があつた場合裁判所檢事意見を聽いた上でその許否を決定するという刑事訴訟法の規定に從つたわけであります。高木檢事は、六回までの弁護人申請に対してはすべて保釈不相当の意見を附けておりましたが、今回の申請に対しては、野崎医師から病状を聞いた後に、病状悪化の徴があるから執行停止による釈放を相当とするという意見を高木檢事が附けました。同日更に九月五日附の野崎医師の病況書が裁判所に送られました。その病名は、胃カタル、拘禁性神経症並びに全身の軽度衰弱となつております。併し裁判所はまだ直ぐには勾留を解かずに、九月九日には第十三回の公判期日が開かれ、次いて、九月十一日の第十四回公判期日には尾津の最終陳述を終了して、ここに公判審理は終結しました。裁判所はこの両公判期日において親しく尾津を観察して、九月十一日午後に至り、尾津の釈保の許否につき再び会議をすることになりました。そこで会議が開かれ、会議の結果、次の二つの條件を調査して、若しこれが確定されれば、保釈の方法にはよらずに、執行停止によつて尾津の住居を一定の病院に制限して身柄釈放しようという結論に達したということです。その條件というのは、野崎医師に尾津の病状が依然として悪化の傾向を示しておるかどうかを更に確める、次に東京大学の附属病院が尾津の入院を承諾するかどうかを確める、この二つであります。一方弁護人の方は、予め執行停止の場合に備えて、すでに新宿区内の或る病院二ヶ所を申請して來ております。併し裁判所はみずからその申請病院を選ばずに、東大病院を選んだのであります。その理由は、東大病院が國立病院であつて、日本で最も公正で権威ある病院である、東大病院であるならば、医師その他の職員が尾津側から買収される危險が少く、又他の病院よりも公正な診断を得ることができよう、それから尾津の行動が不自由となり万一住居の制限に違反したときは明らかに判明するだろう、東大病院が尾津の地元の新宿から相当の距離のある所にあるといつたような事情で、そういう理由から東大病院を選んだということです。この会議の結果、この調査裁判長松本判事と一松判事の二人が担当することになつておりましたが、翌十二日調査に出かける直前に、松本判事は、この事件とは全然関係のない別な事柄裁判長として裁判所長に対して提出する書類を直ぐ作成しなければならないという事情が起りましたために、一松判事が一人拘置所に行きまして、野崎医師に会いまして、尾津の病状を訊ねましたところ、野崎医師は、「拘禁の継続については十分な考慮を必要とする」という趣旨意見を述べたのであります。一松判事はそれから更に東大病院に行きまして、尾津の入院に対する同病院の承諾を得まして、同病院では、尾津の入院後約十日間で第一回の診断を終えるという予定であつたそうであります。一松判事は直ちにその結果をもたらして帰廳し、同判事を加えて三人の裁判官は更に会議の上勾留執行停止の決定をいたし、上條外一人の弁護士をわざわざ判事室に喚んで、この決定を告知し、且つ尾津の入院中の注意を墾々と告げたのであります。弁護人裁判所に対して、執行停止後の全責任は自分達で負うということを誓いました。かようにして檢事は勾留執行停止決定の執定を指揮して、この指揮を受けて東京拘置所の係官は尾津を出したのであります。  ところがその後九月十七日に、裁判所檢事から、警視廳調査書類を添附した執行停止取消の請求を受けました。ちよつと速記を止めて頂きたいと思います。
  31. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 速記を止めて。    〔速記中止〕
  32. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 速記を始めて。
  33. 岸盛一

    説明員岸盛一君) その書類によりますと、尾津が執行停止決定趣旨に反して住居の制限に違反した事実のあることが証明されました。而もその書類には上條弁護士が尾津と自動車に同乗して外出していたという旨の報告が記載されておりました。この上條弁護士は再三裁判所に対して、執行停止の際は勿論のこと、あらゆる上申の機会に尾津の監督について固く誓約を重ねていたその人であります。裁判所はこの報告に基いて刑事訴訟法の定めるところに從い、直ちに執行停止取消しを行いました。尚これは調査した結果によりますと、入院後に尾津の診察に当つた東京大学医学部の佐々教授は、尾津の病症として拘禁性神経症を最も重視しい、この治療に力を注いでおりました。そしてこの治療のためには、尾津の精神状態本件より他に轉換せしむるのが治療の最良の療法であると考えて、この医学的な立場から尾津の外出を特に制止する措置を執らなかつたということであります。  かような裁判所措置に対して疑惑を持たれたのでありますが、先ずその第一の疑惑は裁判所が一松大臣、つまり先程から言つております一松弘刑事の義父が、一松当時の厚生大臣でありましたので、裁判所が一松大臣を通じと何らかの政治的圧迫を受けたのではないかという点であります。即ち一松厚生大臣は民主党出身の閣僚でありますが、一松刑事は同大臣の末娘の婿に当つております。併しながら尾津は自由党に属している、政治運動もしたことがありますために、尾津事件については一松大臣を通じて何らかの政治的な圧迫が裁判官に加えられたのではないかという疑惑が考慮されたのであります。併しこの点について調べましたところによりますと、一松大臣及び一松判事は從前から尾津及びその関係人とは一面識もない問柄で、この両者の間には公判の開始から終了に至るまで公的にも私的にも何らの特殊関係の存在は認められませんでした。又尾津が関係しておりました集会又は商事会社に常盤会又は常盤商会というものがあるといわれ、これと一松大臣とが特別な関係を有しているのではないかという疑がありましたが、これについては最高裁判所東京地方檢察廳及び警視廳に依頼して、数日に亘り捜査をして貰つたのでありますが、又一松大臣及び尾津日人についても調査しましたが、かかる集会等の存在事態すら認めることができませんでした。尚この一松大臣を通じて政治的干渉が裁判所に加えられたかどうかという点については、最高裁判所長官が昨年の十月一日首相官邸において、特に一松大臣に面接しましたところが、一松大臣は長官に対して「自分は尾津嘉之助という人物は全く知らない。同人が経営し関與する一切の事業関係したこともない、常盤商会なるものはその名前すら承知しない関係のないことは勿論である。自分の女婿の一松判事に対して尾津被告事件に関し、非常に影響を及ぼすべき何らの言行をなしたことはない」。と明言いましました。又松本裁判長や伊東判事補についても、尾津及びその関係者との間に、何らの関係も認められませんでした。かような点から裁判所が政治的な圧迫を受けたということは到底考えられないのであります。  第二の疑惑は裁判所が尾津の関係者から何らかの圧迫を受けたのではないかという点であります。そこで先ず尾津の公判状況について調査しますと、公判延の傍廳人としては尾津の縁故者や使用人や子分がその半数以上を占めておりましたが、併しすべての者は極めて温順であつて裁判官檢事も尾津側の暴力その他の勢威による圧迫を蒙る虞れのあつた事情は全く認められなかつて。更に法廷のみならず、裁判官檢事の私的な日常生活についても同樣でありまして、尾津関係の縁故者、子分その他の関係者が裁判官の帰途を待ち受けて面会を求めたり、私宅を訪問して陳情を試みたりしたという事実は全然なかつたのであります。尤も尾津の公判において、ただ一回八月九日の第五回の公判期日に小さな波瀾が起つたのであります。即ち証人庄司新三郎が、被告人に不利益な証言をしている際に、これを憤つた尾津が大声を発して椅子より立ち上がろうとして一時騒然となつたことがあります。この時、法廷には尾津の縁故者や使用人を子分が約半数以上を占めておりましたが、彼らは尾津の右の言動を見て驚き、傍聽席にあつた妻は尾津の袖を捉え、泣きながら「靜かに、靜かに」と哀願し、子分等は顔色を変えて親分たる尾津の鎭靜に努めたということであります。そしてこの騒ぎは結局裁判長の制止によつて鎭まつたが、午後の開廷劈頭に裁判長は今後かかる言動に出でたるときは、退廷を命ずる旨を諭告して、尾津は裁判長に対して陳謝したということであります。即ちかような場合でも尾津は裁判所に対しては極めて柔順でありました。そしてあらゆる調査の結果によりましても、裁判所が尾津の威勢により圧迫を加えられたという事実は認められないのであります。  第三の疑惑は、尾津側から裁判所に対して賄賂等の不正の利益が提供されたのではないかという点であります。併し調査の結果によりましてもかような事実は認められなかつたのであります。尤も昭和二十一年中より東京民事地方裁判所に係属していた本件告訴人等と尾津との間に民事事件がありまして、この民事事件について小原唯雄という人が、この民事事件について関心を持つていたC・I・S係官と告訴人との間に介在していたということがあります。又本件被告事件については尾津の特別弁護人元林義治が保釈のため必要なりと称して、尾津に対して金員の要求をして容れられなかつたという事実もあります。從つてこの小原唯雄又は元林義治の種々の言動が或いは裁判所に対して何らかの疑惑を惹起せしめる原因を與えた虞れなしとしないが、併しながら裁判所としてはこの両名の言動については全然知らず、且つ全く無関係でありました。又元林弁護士は尾津に対しては自分は裁判長と親密であり、曾つて裁判長を部下として使つたことがあるということを述べたということでありますが、松本裁判長は元林弁護士の判事時代に、同僚として單なる顔見知り程度であつたに止り、親密関係もなく、且つその下僚として職務を執つたこともなかつたのであります。この点は先程この調査のことが新聞に出ました際に、或る有力な新聞に尾津の保釈について六十万円か八十万円かが動いておるというような記事が載つておりましたので、特に申上げて置きます。尚、尾津事件に先立ち東京地方裁判所に係属していた他の殺人等の事件について、関係方面との間に被告人執行停止の拒否を中心として小さな紛爭を生じたことがありました。尾津事件担当の裁判官はかような事例に鑑みて、渉外係判事を通じて尾津事件について深い関心を有するCIS係官に対して二三回に亘つて保釈の申請があつたことを報告し、且つ係官の意見を問うたことがありましたが、かような態度が係官に誤解されて、裁判官が情実又は圧力に屈服して尾津の釈放を望んでおるという印象を與えたとすれば、それは遺憾なことであります。  第四の疑惑は、裁判所が尾津に執行停止決定を與えるに際して、同人に対して特別に有利な取扱をなしたかどうかという点であります。先ず第一に現在行われておる保釈及び執行停止の一般的の運用状況と、尾津に対する執行停止とを比較して、そこに偏頗な取扱があるかどうかという点について調査しましたが、その結果は次の通りであります。即ち保釈及び勾留執行停止の運用については、これに関する現行刑事訴訟法の改正案の方向と、(これは現在のことではなく無論当時のことについて言うのでありますが、)過剩拘禁についての対策が多大の影響を及ぼしております。この当時の改正案なんかは、一昨年の九月から十一月まで約十回に亘つて開かれた刑事訴訟法の改正に関する最高司令部側と司法省側との会談に基いて起章されたのでありますが、この会談においては、最高司令部側の意見として「拘束を受けている被告人に対しては、死刑又は無期刑に処せらるべき罪を犯した場合を除き、常に保釈を受ける権利を與うべき」という旨が強調され、又一昨年の十月七日司法省に対して勾引及び勾留に関する刑事手続要綱という書面が司令部側から公布されました。そうして数回の議論が重ねられた後、その指示に副つた改正案が作成されたのであります。この保釈についての最高司令部の指示に基く改正案の趨勢は、直ちに全國の裁判官にも傳わつたのであります。更に当時裁判所においては過剩拘禁の対策についても檢討されていたために、現行刑事訴訟法の下においても保釈及び執行停止は極めて活発に適用されるようになつたのであります。尚過剩拘禁については、昨年の八月十五日に最高司令部から司法省及び裁判所に対して嚴重なる注意があり、その対策を命ぜられ、この状態が今後も悪化するときは、裁判官及び檢察官の責任を問うとまで言明されたのであります。かような状況の下における保釈及び執行停止の運用の実情については詳しい統計もありますが、その点は省略いたしまして、とにかく保釈及び執行停止の行われておる比率は、以前に比べると比較にならない程高率に上つておるというわけであります。然るに飜つて尾津事件についてみれば、尾津が起訴された罪は、暴力行等爲処罰に関する法律違反罪であり、その法定刑の最高は懲役三年であります。而して九月十一日を以て審理は終了して余すところ僅かに判決の言渡しだけとなつてのでありますから、尾津の勾留を継続する理由一つである証拠湮滅の虞れというものは殆んど消滅したと裁判所が判断したことは、あながち不当でないのみならず、診断書により尾津の病状は悪化の傾向を示しておることを認めた、かような事情と、只今申しました保釈、勾留執行停止の一般的運用状況とを併せ考えれば、裁判所が特に執行停止決定を與えたからとて、彼にのみ特別の利益を與えたものということはむずかしくはなかろうかと思われます。  次に尾津の病状について、裁判所が不当に重く判断して、執行停止決定をしたのではないかという点について調べましたところが、東京大学医学部の佐々教授、及び特に最高裁判所から依頼しました医師の菊池甚一氏は、それぞれ尾津を診断した結果、診断を下しておりますが、その診断の内容は、具体的な内容については差異がありますが、その要綱については、一樣に尾津が病人であつて、拘禁を継続するときは、更に病状を悪化せしめということを認めております。而して裁判官東京拘置所に赴き、野崎医師に面接して調査したことは前述の通りでありまして、これに佐々教授等の診断の結果を併せ考えれば、裁判所が尾津に特別の便宜を図る目的から、尾津を病人として取扱つた事情は窮われないのであります。  次に第三に、尾津を東京拘置所から釈放した際に、特に便宜な取扱いをしたかどうかという点であります。刑事訴訟法によりますと、勾留中の被告人については、接見禁止決定がなされていない限り、親族たちは被告人と自由に面会することが許されておるのであります。被告人執行停止決定を受けたときには、その決定についての檢事執行指揮があれば、身柄は直ちに親族等に引渡されておりました。これはすべての事件についても例外なく行われていたのでありますが、尾津事件についても同樣でありました。即ち尾津が東京拘置所から釈放されて東京病院に入院するに至るまで、その間の戒護はなされなかつたのですが、これは一般の取扱例によつたものであり、これを以て裁判所及び檢事が、尾津に対して特に便宜な取扱いをしたとは認められないのであります。  以上のような調査の経過に徴しますると、尾津事件担当の三人の裁判官が、ともかく愼重に審理に当つていたことは明かであります。尤も野崎医師の診断した尾津の病状は、執行停止の後になされた他の二名の医師診断書と、その要綱においては合致いたしておりましたけれども、裁判所としては、本事件の特質に鑑みて執行停止決定をなすに先立つて、野崎医師のみに頼らずに、更に一二名の経驗の深い医師意見をも求むべきであつたとか、或いは住居制限に違反するような被告人釈放したことは不明であつたとかいうような、いろいろの批評は起り得るでありましよう。併しながら前述の詳細な調査によりましても、裁判官が政治的な圧迫、若しくは暴力的な勢威、又は賄賂その他不正の利益に屈服して、不当な審理をしたという事実は全く認められないのであります。又仮に先程申しましたような批評が起るとしましても、この程度では、裁判官としての責任を追及さるべきではないと考えたのであります。  以上が昨年の九月に司令部からの関係調査いたしまして、この通り調査報告書を飜訳して、司令部に提出いたしたのであります。  ところが、今度はその後の尾津事件の経過になりますが、尾津事件は、只今申しましたように松本判事、一松判事、伊東判事補を以て構成する東京地方を裁判所刑事第四部でその審理に当り、昭和二十二年九月十二日の第十四回公判期日に弁論を終結して、判決の言渡しの期日は同月二十三日と、指定されたのですが、檢事からは更に九月二十一日附を以て余罪の取調をするから判決の言渡しを延期して貰いたいという申出があつて公判期日は追つて指定するというふうに延期されたのであります。然るにその後、追公判の請求がなされなかつたままに昨年の十二月に入りました。こうする中に構成員の一人である伊東判事補は同年十二月十日に山形地方裁判所に轉補されることになり、又松本裁判長はその頃、東京地方裁判所長に対して、尾津事件についての自分の信念は何ら前とは変更はない。尾津の勾留執行停止に関する新聞の報道等のために、自分らが引続き本件審理に当るときは、如何に公正な信念を以て事件を処理したとしても、國民はその裁判に、それが外部からの圧迫により影響されたものではないか、裁判の公正に対し疑念を狭む虞れなしとしない。從つてむしろこの際、尾津事件の担当裁判官を全部変更することが裁判の威信を保ち、國民裁判に対する信頼を強める上において妥当であると思うという趣旨の申出がありました。このために同月十三日の正午から東京地方裁判所刑事部代表者会議が開かれて、その会議でこの問題が審議された。その結果、全員一致の決議によつて從前尾津事件を担当した松本裁判長、一松判事、伊東判事補は今後事件審理に関與しないこと。同事件は刑事第四部所属の他の裁判官がこれを担当することというふうに決定になりました。そうして当時その部では判事白河六郎、判事関重夫、判事補伊藤敬壽が会議部を構成して執務していにので、右白河六郎が裁判長、関重夫が判事、伊藤敬壽が判事補として尾津事件を担当することになりました。尚、昭和二十三年四月十日の公判期日以降は伊藤判事補がその後辞めましたので、判事補の榎本精一が交替して、現在榎本判事補が構成に加つております。  次に尾津事件の追起訴後における経過でありますが、尾津喜之助に対しては、昭和二十二年の十二月十三日、十五日、二十日になりまして漸く檢察廳から物價統制令違反が一件、恐喝二件の追公判請求がありました。その事件内容はお配りしてある書面に認ためてある通りであります。これによつて明かなような物價統制令違反事件の……。尚同時に尾津以外の尾津関係人に対する起訴がこういう罪名で起訴されて來ておるのであります。この書面を御覽下さいますとお分りのように、物價統制令違反事件の公訴事実の大部分は尾津の使用人である眞對民治、山内龍之助、金子力らがやつたところの物價統制令違反行爲に基いて、その営業主としての責任を問われたものである。これは尾津事件が半田産業株式会社の社長山田朝之助から加工醤油を統制額を超えて買入れたという事実であり、又恐喝事件起訴事実は、尾津が岡戸竹治、眞對民治、真原由次郎、金子力、佐野光俊、大槻源吾、楠木義人らと共謀してやつたという事実であります。從つてこの尾津の追公判請求事件審理するには以上のような関係人を取調べる必要があることは勿論でありますが、これらの者に対しては昭和二十二年十一月八日から昭和二十三年六月までに公判請求がなされております。公判請求による公訴事実の内容等は別紙のお手許に差上げました書面通り書いてあります。尚その中で楠木義人に対しては、その事実の外に昭和二十二年五月二日附を以て傷害事件について略式命令の請求があり、それが東京地方裁判所の刑事第一部に係属中であつたのを、昭和二十三年三月二十日に至つて第四部が一部から更に事件を受理しております。この公判審理の結果は、昭和二十三年の二月五日に岡戸竹治、眞對民治、山内龍之助、金子力、佐野光俊、大槻源吾等に対する事件最初として開始されたのであります。その事件名、被告人名、担当弁護人はこれに認ためとある通りであります。  それから尾津事件審理の経過、これもそれに書いてある通りであります。これは非常に複雜になりますから、この表を御覽頂きたいと思います。この表によつて分りまするように、四月上旬までは尾津以外の被告人訊問及び証人訊問が行われ、四月十日には尾津喜之助の被告人訊問を行なつて、同月十五日は尾津とその他の被告人とを併合して審理を進め、五月六日尾津に対する事実並びに証拠の取調を終了して、他の被告人等と分離した一連の事件でありますから、全部について審理を並行してやつておるわけであります。その都度変化に應じて併合し、分離し、その間、又証人が不出頭のために事件の期日が延びたというような事情がここに書いてある通りであります。  次回は六月五日には檢察官の尾津に対する論告があるという予定になつております。又尾津以外の被告人に対しては五月十八日に証人訊問を行うということになつております。これが追公判請求があつた後から現在までの尾津事件審理の経過であります。  白河裁判長の第四部の尾津事件審理の経過はこの通りでありますが、その部は今年の一月から四月までの受理件数は三百四十七件、被告人の数にして四百八十三名、そのうち尾津事件以外に受理した件数が二百四十八件、人員にして二百九十八名、こういうことになつております。  以上で尾津事件の経過の報告を終えますが、尚、先程詳しく昨年の調査の結果に基いて申しましたことは、これは本來の調査の範囲或いは逸脱しておる嫌いなしとしないのでありますが、これは先程申上げましたような特殊な事情からそのような点にまで立至つて調査をして報告したものであるということを特に御銘記願いたいと思います。
  34. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 只今の御報告に対して御質疑はありますか。
  35. 鬼丸義齊

    鬼丸義齊君 私はこの三件を一括して一二伺いたいと思いまするのは、大体におきまして調査の要点は保釈並びに勾留停止の事情に集中されておるようでありまするが、我が國の刑事訴訟法においては被告人の勾留、並びに保釈及びその執行停止についてはそれぞれの規定がありますので、刑事訴訟法の規定に規いて裁判所は公正なる扱いをすれば以て足れりとするのではないかと思います。すでに被告人の勾留は……証拠湮滅か或いは住所不定が乃至は逃走等の限られたる、限定されたる範囲の事情ない限りにおいては、その濫りな拘束ということは法規上許されないことである。故に裁判所がその処分をするについては、この刑事訴訟法の規定によつてのみ扱いをするならば、それで以て何ら差支ない筈だと思います。殊に執行停止に対する調査或いは又保釈の取消、保釈理由調査とかということに対して、非常な私は規定外の方面にむしろ重点を置いておるような感がしてならないのであります。若しその筋においていろいろと疑問を抱かれるならば、裁判所は定められたる規定に基いて一切の手続をなすのでありますから、その規定によつて行動したことに対する了解が十分にでき得ましたならば、それ以上に立入つて弁解やそれぞれの申訳をしなければならん理由はいささかもないのである。であるから、仮に病氣とか或いはその他の理由があるなしに拘わりませず、すでに裁判所におきましてはこれだけの限られたる條件を備えない限りにおいては、当然裁判所としては法律被告人身柄というものは釈放すべきものである。でありまするからこの証拠淫滅とか或いは逃走の虞れなし、こういう点に対してのみ調査をするならば、それは即ち適当なる処置なりや否やということを決することではないかと思います。成程この取扱について、若しも多少なり疑惑を挾むようなことがありといたしましたならば、それは又おのずから別でありますけれども、元來裁判上の身柄に対しまする処置については、すべて裁判所法律に則つてやるならば、それ以上のことの責任は一切ないはずだと思います。その点に対しまして、裁判所としてはいささかも私は心を使う必要はないんじやないか、かように思いますが、調査の主点をなぜこの保釈に対する問題、或いは執行停止に対する問題、これに限られておるかということが私には理解ができないのであります。もう少し法律の範囲を……すべて法律に示されておる條件を備えておるのであるから、それによつて裁判所の方は処置したのだといつたならば、それで十分じやないかと思いますが、その点を一つ調査を願えたかどうかを伺います。
  36. 岸盛一

    説明員岸盛一君) その点は勿論お説の通りでありまして、私共全くその観点から考えておるのでございます。ちよつと速記を止めて下さい。
  37. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 速記中止。    〔速記中止〕
  38. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 速記を始めて。
  39. 松井道夫

    松井道夫君 事件内容はさつぱり分りませんが、私個人としては知つておりませんので、お聞きするわけですが、その尾津の事件は、尾津が犯罪事実を否認いたしておるのかどうかという点、それから執行停止執行停止のどういう箇條によつて執行停止をされたものかどうか、その二点をお伺いいたします。
  40. 岸盛一

    説明員岸盛一君) 尾津は公判になつてから事実を否認いたしております。それは公判調書を読みまして……それから執行停止條文は刑事訴訟法の第百十八條第一項、「裁判所檢事意見ヲ聽キ決定ヲ以テ勾留セラレタル被告人ヲ親族其ノ他ノ者ニ責付シ又ハ被告人ノ住居ヲ制限シテ勾留ノ執行ヲ停止スルコトヲ得」、第百十八條の第一項の規定であります。
  41. 松井道夫

    松井道夫君 それはどういう場合にできるかということはないのですか。
  42. 岸盛一

    説明員岸盛一君) そういうことはありません。
  43. 松井道夫

    松井道夫君 別にないのですか。
  44. 岸盛一

    説明員岸盛一君) そうです。
  45. 松井道夫

    松井道夫君 それで保釈でなくて執行停止にした理由はどういうことですか。
  46. 岸盛一

    説明員岸盛一君) それは執行停止は住居の制限がありますから、尾津を全然野放しにせずに、病院に入れて置くということから執行停止にしたと思うのです。保釈と執行停止の取扱いは少嚴格にやつておるような実際の取扱いです。
  47. 松井道夫

    松井道夫君 その点直接お取調べになつたことがなければ、それで……。
  48. 岸盛一

    説明員岸盛一君) そういうことは判事に、これはどういうわけでこういう内容のことをやつたかということは聽いておりませんし、又聽くべきことでもないと思うのです。
  49. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 速記を止めて。    〔速記中止〕
  50. 伊藤修

    委員長伊藤修君) 速記を始めて。それでは、報告に対する御質疑はこの程度にして、又必要があれば尚重ねてお願いすることにいたします。それでは大体に対しまして先ず第一に、尾津を取調べることにいたしたいと思いますが、その取扱いの方法及び日時は、委員長に御一任を願うことに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  51. 伊藤修

    委員長伊藤修君) それではさように決定いたします。明日は午後一時から委員会を開くことにいたします。本日はこれを以て散会いたします。    午後三時二十七分散会  出席者は左の通り。    委員長     伊藤  修君    理事      岡部  常君    委員            大野 幸一君            齋  武雄君            中村 正雄君           大野木秀次郎君            奧 主一郎君            水久保甚作君            鬼丸 義齊君            宇都宮 登君            松井 道夫君            松村眞一郎君            宮城タマヨ君            星野 芳樹君            小川 友三君   政府委員    法 制 長 官 佐藤 達夫君    法務行政長官  佐藤 藤佐君   説明員    判     事    (最高裁判所刑    事部長)    岸  盛一君