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證人(
高柳賢三君) 本日は
人身保護法案につきまして、御參考に資するという
意味で、
英米の
ヘイビアス・コーパスに關する
沿革、又それがどういうふうに現在運用されておるかということの一般について
證言をするということを要求されておるものと考えまして
參つたのでございます。
イギリスでは一六七九年に制定された
人身保護法、これが最も有名な
人身保護に關する
法律でありまして、これは我々中學生の頃
西洋史で習
つたことで、
西洋史の教科書に載せられてあるのであります。そうしてそれは
法律が
個人の自由を保障するためのこれは基本的であるということは
習つたのでありますが、それ以上のことは
學校では深く教えられておらないのであります。一般人は
從つてこの一六七九年の
人身保護律という
法律で以て初めて
個人の自由の法的な保障が
イギリスで以て定められたのである。こういうふうに了解しておるのでありますが、これは全然誤りで、そういうのはないので、その前からずつと
人身保護令状というものが
裁判の
慣行として行われてお
つたので、このもそういうものがあるということは聞いてはおるが、内容は恐らくは
法律家、我が國の
法律家でもどういうふうににそれが行われておるのか、そういうことは
實際分らなか
つたものと推定しても
差支ないのじやないかと思うのであります。
そこで先ず
言葉でございます。この
法案には
人身保護法とな
つております。
人身保護令状、或いは
人見保護法に用いられておる
言葉、英語ではなくて、むしろ
ラテン話でございまして、
ヘイビアス・コーパス、こういう
言葉が使われておるのであります。
ヘイビアス・コーパスという
言葉は、
身柄を
裁判所に連れて
來いという
意味でございます。ハブ、ゼ、
ボディ、ユー、ハブ、ゼ、
ボディ、ビフオア、コート、
裁判に或る人のからだを連れて
來い。こういう
命令の
言葉なんでございます。
ラテン語で書いてあるが、昔からすべて
令状というものは、
ラテン話で書いてあ
つた。その
ラテン語がこのままその
令状の名前にな
つたのでございまして、その
ラテン語の
發音は、今では
大陸式な讀み方が
イギリスでも
學校で教えられておるのであります。それによればハベアス・コルプス、こういうふうに言われなければならんのでございますが、これは
從來の
法律家の
發音、
イギリス式の
發音、
ヘイビアス・コーパスという
言葉が、
普通人の
言葉ともな
つておるのでございます。恐らくは
ラテン語として、
ヘイビアス・コーパスとい言葉程
英米人が知
つておる
ラテン語はないでろうと思われるくらいに、人口に膾灸した
言葉なのでございます。
日本では、
教育書などでは、
人身保護律というような
言葉が
從來使われてお
つたのであります。大
體人身保護律というのは、全體どういう
言葉かと
言葉の詮索になりますが、この
人身というのは、これは恐らくは、譯語がいつ頃できたかということは、私はよく調べたことはございませんが、明治の初年頃できたのじやないかと思いますが、
人身というのは、これは恐らくはコーパスという、
ボディ、身或いは
身柄、これを譯した
言葉だろうと思う。先ず
人身というのは、
日本語としては、通常は
身體ということと同じ
意味に用いられておるようであります。ところがこの
人身保護といいますが、この
人身保護令状乃至は
人身保護律によ
つて保護されておる法益というものは、
身體の安全ではないのであ
つて、動作の自由なんでございます。
人身を
人體と同義とすると、この譯は不正確だというわなければならないわけになるのであります。尤も
日本の
人身という
言葉は、例えば
人身賣買とい
つたような場合には、本當にこの體を賣るという
意味じやなくて、これはやはり自由、
個人の自由の奴隷的な拘束を
人身賣買という
言葉で現わしておりますが、又
人身攻撃というようなんで、時には、……。これは變な使い方でありますが、そういうふうな用例もありますので、
人身保護と経き慣らして來たのであります。不正確ではあるけれども、まあこの
言葉は耳に慣れておりますから、
人身保護法規、こうい
つても
差支ないのじやないかと思われるのでございます。
次にこの
人身保護令犯の
沿革のことを、どういうふうにして全體
歴史的に發表して來たのであるか。つまり
沿革について一言申上げたいと思います。この
人身護令状、
リツト、オヴ、
ヘイビアス・コーパスというのは、今で言うと、自由を保護する有力な武器というふうに考えられておるのでありますが、起源はよく分らないんですけれども、これはむしろ逆でありまして、
裁判の更宜上、
當事者或いは
審査員、後には
證人の
身柄を拘束して、そうして置いて、必要なる時期に、その出延を確保する。そういうために發せられたものでありまして、それが自由の保障というような
意味合を持つようにな
つたのは、これは
イギリス獨特の
歴史的な發展の結果なのであります。
そこで第一に、
人身保護令状というものが、いわゆる
リツト、オヴ、
ヘイビアス・コーパスというようなものが、どういうようにして使われたか、どういうような
作用を
イギリスの
法制吏において演じたかといいますと、これは十七
世紀の以前と以後と區別しなければならん。十七
世紀の前の
沿革を申しますと、これは
イギリスの
裁判吏においては、非常に重要な役割を演じたのでございます。併しその
意味は、こういうのであります。
イギリスのこの
法制というものは、
イギリスの
王樣の
裁判所というものの
裁判權が段々段段擴が
つて行つて、而もそれが最高の
司法權を握
つて行く。そういう
過程が先ず起
つた。それによ
つてイギリスの
法律というものが、
フランスなどと
違つて、統一された
法制、いわゆる
コンモン・ローというものが
法制の中心をなすようにな
つたのであります。併しその
過程におきまして、第一には、
王樣の
裁判所、ロンドンにある
王樣の
裁判所というものは、
イギリスにおいて唯一の
裁判所じやなか
つたのであります。ノ
ルマン征服前の、
アングロサクソン時代から殘存しておりました、いろいろ地方的な
裁判所、それから
封建制度に
伴つて行な
つて參りましたてろいろな封建的な
裁判所、
封建裁判所、これが
王樣の
裁判所というものと併立とてお
つたのであります。ところがこれらの
地方的裁判所又は封建的の
裁判所からして、
事件を
王樣の
裁判所に取上げて、そうして
管轄權を擴げて
行つた。その
過程において、
當事者を
王樣の
裁判所に、下の
裁判所から連れて
來いと、こういう
命令を、いわゆる
ヘイビアス・コーパスの
令状というものを出した。これが
イギリスの
法制史に現われたる
人身保護令状の一番最初の形、一番最初の最も重要に
作用であります。
それから第二の形は、
イギリスの
王樣の、いわゆる
コンモン・ローの
裁判所というものが、
王樣の
裁判所でありますが、その外に段々
衡平法の
裁判所というものができた。いわゆる
イギリスの大法官の
裁判所というものができて、エクテイ、
衡平、
正義衡平によ
つて、
普通法の、
コンモン・ローの
裁判所の
缺陷を矯正して
行つた。これが
イギリスの
法制史において又顯著な現象であ
つた。その結果として、
コンモン・ローの
裁判所の外に、
衡平法の
裁判所が併立してできて
行つた。その間にいろいろな競爭があ
つた。
コンモン・ローの
裁判所において訴權がある場合にも、
衡平法の
裁判所では、その訴權を行な
つてはならんという、こういう
命令を出す。それに從わないというと、この人を牢屋に入れて
拘禁してお
つた。こういうようなことがしばしば行われたのであります。そこで
コンモン・ローの方の
裁判所ではその
拘禁された人間を自分の方に連れて
來いという
命令を出しまして、そうして、それによ
つて自分の方でそれを釋放してしまう。こういう
つまり普通法と
衡平法との
裁判の間において
普通法が
使つた戰術の一つが
リツト、
オブ、
ヘイビアス・コーパスなわけであります。ところが十七
世紀頃になりますと今度はいわゆる
衡平法裁判所でも…、
衡平法裁判所というのは民事の場合ですが、
刑事のいわゆるスター・チエンバーというものが
イギリスの
刑事の
衡平法裁判所のようなもの、そこで
樞密顧問官という者が
集つて、そうして
刑事の
裁判をや
つた。で、その場合にいわゆる
カウンシル、
樞密院から
令状を出しまして、人間を、或る
犯罪の
嫌疑者を逮捕して置く、こういうことが行われたのです。そこで、それに對して
普通法裁判所の方で
以つて令状を出しまして、そうしてそれを釋放する、こういう
慣行ができた。これは
チユードル王朝の初め頃であります。これが近代的な
意味の
個人の自由を保障するがための
令状という
意味が、そこに出て來る初めなのであります。勿論、
マグナ・カルタという十三
世紀の文章の第三十九章には「何人も正式な
法律手續によらないで
拘禁されることはない、」こういう條文があるのでありますが、それと
人身保護令状というものは、
從來は全然別なものであ
つたのであります。ところが十六
世紀の
チユードル王朝の頃に初めて
法律家の頭で
マグナ・カルタというものと
リツト、
オブ、
ヘイビアス・コーパスというものとが結び附けられて考えられるようにな
つたのであります。ところが、
チユードル王朝の
時代というものは御承知のように
開明專制期でございまして、
行政權というものが非常に強か
つた時代なのであります。
イギリスというものは
當時は小國でございまして、大國の間に伍して行くのにはこれは
外交關係というものが非常にむずかしか
つた。同時に
當時は
封建制度というものがぶつこわされて、
近代國家というものが出來上る
時代なのであります。でありますから、そういう
時代には
行政權というものが強くなるのは當然でございますが、その
行政權が非常に強か
つた時代、
王樣の權力というものが非常に強か
つた時代であります。こういう
時代でありましたから、法曹の間においては、この
令状というものと
マグナ・カルタを結び附けて自由の目的を最もよく達する
令状だという意識は強くあ
つたのでございますけれども、
實際においては
カウンシルの出す
令状に對して非常に嚴格なる態度は取らなか
つたのであります。
ところが、
スチユワルト王朝の十七
世紀になりますと、いわゆる
王朝とそれから
議會派との爭いというものが、非常に政治的な闘爭が強くな
つた、その
政治的闘爭を中心として
リツト、
オブ、
ヘイビアス・コーパスというものが
憲法的な
令状という
意味がそこに展開して來たのであります。すでに十七
世紀の初め、一六二八年に
イギリスの有名な
裁判官セルデンという人は
拘禁を受けた者に對する最高の
救濟方法であるというふうな
言葉でこの
令状を特徴付けたのでございます。そこで十七
世紀にそういう
令状の性質が
個人の自由を拘束する
意味合いがこの
令状の最も重要なる
作用であるということにな
つて參りますると、
從來の
判例法というものを振返
つて見ますると、この
令状に關する
判例法というものは全然
違つた目的のために展開して來た
法律であ
つた。と同時に
チユードル王朝の
時代というものは
王權に押されてできた
判例法でございます。であるからして民權を保護するという
政治的意味を持
つた見地からこの
令状に關する
判例法を眺めて見ますというと、極めて不都合なる法令が多々あ
つたのでございます。そこで出て
參つたのがいわゆる
國會の活動、
國會による
立法の活動であ
つたのであります。この議會の
法律で以て、それからいろいろな
法律が出て來るのでございますが、一番初めに出た
法律は一六二八年のいわゆるペテイイヨン、
オブ、ライト、この中に王は特別な
命令によ
つて理由を示さずして
拘禁を行な
つてはならん、こういう文句があるのであります。これが第一の
立法でありますが、その次は一六四〇年にスター・チエンバーその他の
特別裁判所を廢止した
立法の中で、
樞密院の
命令による
拘禁を禁止した。そして
王裁判所又は
民裁判所から
令状を出すというようなことに關する
規定が置かれておるのでございます。これらは
イギリス革命の十七
世紀の
革命前の
立法でございます。
ところが、
イギリスは例の
革命によ
つて一時
共和政體にな
つて、それから又復辟になりまして、
ジエームス二世が
フランスのルイ十四世の
王朝から
歸つて來る。この宮廷から
イギリスに
歸つて來て
イギリスを支配する。この
ジエームス二世は
カトリツクで、そうして
フランスの非常な專制政治的な空氣に接して
イギリスに
歸つて來たので、そこでこのいろいろな
方法を
使つて、そうして
人身保護令状の運用を妨げたのであります。そういうような關係から一六七九年の一番有名な
ヘイビアス・コーパス・アクトというものが出るようにな
つて來たのであります。
その經過は非常に複雜しておるのですけれども、それらの細かいことは省略いたしまして、この
法律で以て第一に、例えばいろいろな
規定が置かれてある。それは一々過去の
具體的經驗に照してでき
上つた規定なのでありまして、空疎な
立法ではないのでございます。そのうち例えば
令状の
發給を妨げるために、
イギリスの
裁判所の
管轄權の及ばない地域に被
拘禁者という者を移送することを禁止して、この禁止に反して罰せらた者に對しては恩赦を許さん、
恩赦大權を行使し得ないという非常に注意深い
規定が置かれておるので、これは
國王が政敵を海外に移送する弊を絶つ
國會の政策というものを、更に今度
恩赦制を利用してそうして囘避する。こういうことを狙
つて拵えた
規定なのであります。それから又第二には、トリーズン・フエロニ、判逆罪或いは重罪の
理由で
拘禁されておる旨が
逮捕状に示されておる場合に入
身保護令状に發せられないことにな
つておるのであるが、この場合にも次の
開廷期において
刑事訴追がなされた。然らざれば保釋を許すことを必要としておる。それから第三には、
裁判官その他
領事裁判所の判事は、
開廷期であると
休廷期であるとを問わず
令状を
發給することが必要とされる。
休廷期に
令状の
發給を拒んだ
裁判官には、
被害者の請求によ
つて五百ポンドの罰金を科することができる。そうして
被害者はこの罰金を取得し得る。そういうような
規定が置かれておる。第四には、この
令状によ
つて釋放された者は同一
犯罪について再度拘束を受けることがない。こういうふうに
規定しておるのであります。これは長い
法律でありまして、イキリスで最も重要な
立法でありますが、この
立法というものは非常に
實效的であ
つたのでありまして、
ジエームス二世が何よりも
テスト・アクトといふ
法律とこの
ヘイビアス・コーパス・アクト、この
二つの
法律を廢止しようと非常に努力した。
テスト・アクトというのは、これは
カトリツクを迫害する
法律でございまして、これは彼自身が
カトリツクであ
つたために、これを廢止しようとしたのでありますが、この
ヘイビアス・コーパス、これは人民の權利の方を主張して、
國王の權威というものに對して致命的であると彼は感じた。そこで
當時裁判官の中で
王樣の意向を迎えるような
裁判官は
保釋金というものを命ずる。
拘禁を受けた者が到底拂えないような
保釋金を命ずるということによ
つて、
實際上は動かないようなふうにや
つたのであります。その結果として後の權利章程の中に過當な
保釋金は科すべからず、こういう有名な字句が、これは古典的にな
つた規定が設けられることにな
つたのであります。
これは最も重要な
法律でありますが、併しこの一六七九年の
人身保護法というものは、これは
犯罪の
理由で
拘禁された者だけに適用があ
つたのでございますが、この
法律の制定後、
令状は
拘禁者が私人である場合、又は
犯罪の嫌疑以外の場合で官憲から
拘禁を受けた者にも適用されるに
至つたのであります。これらの非
刑事事件に對しては一六七九年の
法律の適用がなく、舊法のみが適用されることにな
つたのであります。それを一八一六年の
法律で以て、
犯罪以外の
理由で自由を剥奪された者に對しても一六七九年の
法律が適用される、こういうことにな
つたのであります。この
二つの
法律が
イギリスにおいて最も
人身保護令状關係の
立法として重要なるものなのでございます。
そこで振返
つて見ますると、
人身保護令状というものは、これは
裁判の慣習で段々出來て來た。それを十七
世紀頃から
國會が
法律で以て
裁判慣行の
缺陷を直して、
從來のいろいろな弊害が起る、それを直して
行つた。その
二つの重要な
法律がこの
ヘイビアス・コーパス・アクト、こういう名前で呼ばれておる一六七九年と一八一六年の
法律であります。こういうことにな
つておるのであります。十七
世紀の
政治革命以後というものは、
裁判所とそれから
國會というものは大體において協力して
行つたのであります。その協力によ
つていわゆる自由を保障する最も有力なこの制度というものが
イギリスにおいて展開して
行つた。こういうことに大體はな
つておるのであります。そこで一八六八年に
イギリスでは
法律が出まして、
從來は
イギリスの
裁判所から出す
令状というものは
イギリス帝國全體に及んだのでありますけれども、その頃からは
植民地にそれぞれの
人身保護法というものができまして、
イギリスの
令状はそれらの地域に及ばないという趣旨の
立法ができたのであります。
そこで
アメリカにおいてはどうかと申しますると、
アメリカでは獨立前からすでに
イギリスの
人身保護法というものが行われてお
つた。普通の
慣行としてすでに行われてお
つた。
連邦憲法第一條第九節第二項には、「
叛亂又は侵略に際し公安上必要とする場合を除いて
ヘイビアス・コーパス令状の特權は停止されることはない」、こういう
規定があるのであります。この
規定は
ヘイビアス・コーパスの
令状というものは當然發生せられるということが前提にな
つて、ただ「それが停止されるのは
叛亂又は侵略に際して公安上必要の場合なのである」、こういう
規定なのであります。これと同じような
規定は
アメリカの各洲に殆んど全部存在しておるのであります、尤も
イギリスと
違つてアメリカは
連邦制度でありますから、
イギリスでは見られないような連邦の
管轄と州の
管轄というものが二重にありますから、
管轄問題というものが非常にやかましいのであります。
イギリスと
アメリカとでは少し樣子が違います。違いますが、大
原則は
英米に共通な
原則にな
つておるのでございます。そこでこういう
リツト、
オブ、
ヘイビアス・コーパスの
歴史は、
イギリスの
憲法史というものと密接に結び付いて、そうして
英米人の頭にはこれは
イギリスの
憲法の成果であ
つて、自由を保護する最も有力な武器である。こういう信念、或いは誇が非常に強いのであります。
それで必ず
フランスであるとか、ドイツであるとか、
大陸諸國を皆
英米人が觀察するときには
リツト、
オブ、
ヘイビアス・コーパスがないというところに非常に
缺陷を見出しておる。例えば
イギリスのダイシーの
憲法論の中にも、
大陸の
法律の中には皆自由を保障する
規定が置いてある。置いてあるけれども、これは抽象的な
原理である。ところが
イギリスはそうじやない。抽象的な
原理じやなくして、現に
拘禁された場合には直ちに引出して來る
手續というものがある。この
手續というものを重んずる
イギリス法の傳統によ
つて、初めて自由というものは效果的に保護されるのである。幾ら抽象的な
原則を竝べてみたところで、それでは役に立たんということをベルギーの
憲法と
イギリスの
憲法と比較して論じております。併しこの
大陸系の
憲法に慣れた頭には、例えば今度の新
憲法においていろいろなところで
刑事訴訟法に書いてあるようなことが澤山書いてある。人民の
權利義務の章には、こんなことは
憲法で書く必要はないじやないか、
刑事訴訟法に書いて置けばいいじやないか、こういう頭が相當強いのでありますが、今度の
憲法は
英米式な
憲法であ
つて、
英米式な
憲法においてはこういう抽象的な
原理を竝べるだけではいけないのであ
つて、手続的な
規定のところが大切なのである。それでありますからして、今度の
憲法においては、非常に
手續的なところまで細かに書いてある。これは
英米の
考え方からいえば極めて當然なことであるが、
大陸的な
憲法思想からいえば、こんなことは皆
刑事訴訟法に移すべきだとこういう頭にどうしてもなる。ただ
日本の刑法の先生や何すは、こういうふうなことは
憲法に書く必要はないじやないかという批判が相當あ
つたわけであります。これは
大陸式な
考え方と
英米式な
考え方との衝突でありまして、今度の
憲法はそういう
英米式に訴訟的にでき上
つておる。これは過去のいろいろな
ケースによ
つて築き上げられたやつが、そのまま
憲法の中に入
つておる。その結果として、これは
ヘイビアス・コーパスの問題だけではございませんけれども、そういう性格を持
つておるのであります。
從つてこの
ヘイビアス・コーパスの
法律を拵えるというそういうことを示唆する
規定が、ちやんと
憲法の中に書かれておるという、そういうことになるのであります。
そこで、そういうふうに
英米人からいえば、これは又非常に重要な
令状なのであります。それがなくて
憲法がどこにあるかというくらいに考えておる。それでありますから、
イギリスの
歴史からいえば、いろいろな
歴史が
令状に關連して存在しておるのであります。一番有名なのは一七七二年に
アメリカのバージニアから
ジエームス・ソマセツトという奴隷が
イギリス主人に連れられてや
つて來た。そこで以て
ソマセツトは逃亡したのであります。ところが再び捕えられて船中に監禁された。そこで
ソマセツトは船長に對する
人身保護令状の
發給を請うて、そうして釋放されたので、この
ケースは
イギリスにおいて
奴隷制度というものが判例によ
つてはつきりと禁止された指導的な
判決にな
つておる。
ジエームス・ソマセツトの
事件というので、これは
イギリスの商法の父と呼ばれておるランスフイールドの
判決でございまして、これは非常に有名な
判決にな
つておる。
奴隷制度がこれで以て
ヘイビアス・コーパスで廢止された。
次は
ナポレオンの
戰爭の頃になりますと、
ナポレオンの監禁問題というのが
イギリスでは非常にやかましか
つたのであります。一八一五年にウオーターローで破れた
ナポレオンは、ベルフロンという船に
拘禁されて
イギリスに連れて來られて、
イギリスのプリマスに著いた。その時
イギリスのバーネツトという人は何とかしてこれを釋放する
方法はないだろうかとい
つて、
當時の
イギリスの
法律の大家のサー・フランシス・コメリーの所へ行
つて相談したけれども、これはなかなかむつかしいと言
つたので、大いにがつかりしたというので、これは物にならなか
つた。ヘイビアス・コーバスで
ナポレオンを引出すことはできなか
つたのでありますが、
ナポレオン監禁問題というのは、
身體の自由に關する問題であるから、それは政治的には
ナポレオンを野放しにしては困るけれども、
法律的にはこれを釋放しなければならないという、そこの間の衝突が相當激しか
つたのであります。
戰爭が終了すれば俘虜というものの身分はなくな
つてしまうわけで、
從つて釋放しなければならない。
ナポレオンを
フランスと
イギリス側の
戰爭が終了したからといつと當然釋放するのでは、これは政治的に危い。何とかしてこれを永久に幽閉する
方法はないだろうか。こういう問題が
當時の
イギリスにおいては非常に重要な問題として、
法律家の間に議論されたのであります。中には、
國際法の問題でありますが、
當時の
法律家の中には、
イギリスは
フランスと
戰爭しておるのじやない。コルシカの簒奪者であるところのボナパルトと
戰爭しておるのである。その
戰爭は永久に續くのである。
フランスとの平和こよ
つてその
戰爭は終了しないのだというような議論を、相當無理な議論でありますが、第一流の
法律家が展開しておるのであります。そういうような關係で、
ナポレオンのこの監禁問題などということが、いわゆる自由、人權ということと結び附いて討議されたその状態は、やはりアングロサクソンらしい自由民權に對する熱というものが、如何に強か
つたかということが分るのであります。
アメリカでもこれはもう極めて普通でありますが、最近山下大將の
事件が、フイリツピンで
裁判がありました。そうすると
アメリカの辯護士は、
アメリカの最高
裁判所に對してヘイビアス・コーバスの
發給、その他のものもありますけれども、これを求めるという形式で、軍事
裁判所の
裁判というものが正當に行われなか
つたという點を爭おうとしておる。死刑になる前に、監禁されておる者を釋放しろと、こういうわけであります。
アメリカにおいては、極めて普通のテクニツクである。今度の東京の
裁判におきましても、被告の或いは木戸であるとか、平沼であるとか、そういう人間はどういうことで起訴されておるかというば、いわゆる平和に對する罪、侵略
戰爭を開始した。或いはこれを實行した。或いは計畫した。そういうことによ
つて國際法上の
犯罪であるという
理由で起訴されておる。キーナン檢事は、それらの平和に對する罪というものは、これは不戰條約、いや、もつと前からずつと
國際法上認められておる
犯罪である。
從つていわゆる事後法の問題というものは起らない。事後法ならば、罰しちやいかんという大
原則が
憲法の法則としてあるのでありますが、それには引掛からない。これは昔から、行爲の
當時から平和に對する罪を犯しておる。こういう理論を展開した。ところが、その理論は、辯護士側の見地からいえば、非常におかしな理論であ
つて、その點を爭
つておる。その中に、これは私がや
つた辯論でありますが、「ここに具體的な例を擧げて例證しよう。假に本
裁判の被告人に一人が米國に送られ、米國大統領が單獨又は他國と共同して創設した軍事
裁判所によ
つて共同謀議乃至侵略
戰爭の罪を問われたとしよう。そして禁錮刑の言渡を受け、連邦
裁判所判事に對して
ヘイビアス・コーパス令状を求めたとしよう。この場合首席檢察官は、被告人は
連邦憲法第一節第九條の事後法禁止の
規定に反して
拘禁せられているとの
理由で釋放を受ける權利はないと眞面目に主張されるのであるか。」、こういうことを申したのでありますが、これはつまり、
ヘイビアス・コーパスを引合いに出して、
アメリカの
裁判所で、木戸なら木戸、或いは平沼が向うの軍事
裁判所に掛か
つた場合に、求められないかどうか。この点は恐らく
アメリカ法としては求められるという解答しかないだろうと思う。
從つてキーナン檢事は眞面目にそう考えておられるのかどうかと詰寄
つた。これは辯護士側の方の議論であります。そういうようなときに、つまり
人身保護令状というものは、
英米の
法律の頭でいえば、始終出て來るのであります。そういうふうに、
英米人にと
つては、
人身保護令状というものは非常に人口に膾炙した最も有名なる制度であり、そうしてこれを維持することが、これを完成して行くことが、本當に自由というものを保障する所以である。こういうふうに感じておるのであります。それだけが大體
沿革であります。
過去はそういうふうにな
つておるのであるが、然らば現在の状況についてはどうか。この點について極めて簡單にお話いたしますると、先ず
手續がどういうふうにして一體行われるのか。これはこの
法案の中にも大體書いてありますが、先ず第一に申請者という、これは本人、
拘禁を受けておる者がなし得るほか、友人等、その他關係者側から大概できることにな
つております。そうしてこの申請について重要な點は、申請があ
つたら殆んどすべてこれを許さなければならん。ここにコツがあるのであります。これが非常に必要な點であります。申請したやつを何とかかんとか言
つて斷わるということは、これはいけない。申請されたら出してやる。そこでまあ
法律の表面では、疏明をさせるのです。疏明しなければならんということに理窟はな
つておるのですけれども、
裁判所はそれをよく調べるなんということはしない。一見してこれは駄目だということでない限りは出してやる。これは最も重要な點であります。
英米では普通アフイダウイツト・宣言供述書という。
日本にはないのでありますが、アフイダウイツトを出せば、すぐ出して呉れます。ナンセンスが書いてない限り直ぐ出して呉れます。これが非常に大事な點であります。第二の點は、どういう
裁判所に對してこれを申請するかという點であります。申請を受理する
裁判所の問題。これは
日本でいうば地方
裁判所に當る
裁判所、これに對してなすのが通常であります。
英米法の
言葉で申しますると、一般
管轄權を持つ
裁判所、それの第一審の所に持
つて行つて出す。
イギリスで申しますると、
イギリスはこの地方
裁判所というやつはロンドンに全部集中しておるわけです。高等法院というものがありますが、これは丁度第一審の一般
管轄權を持つ
裁判所にな
つておる。その下にいわゆるカウンテイー・コートというものがある。これは一般
管轄權でなく、制限
管轄權を持
つた裁判所であります。これは出すことはできないのですけれども、ハイ・コートならば出せる。
アメリカで申しますれば、連邦では、連邦地方
裁判所というのがフエデラル・デイストリクト・コート、そこへ持
つて行つて出す。それから各洲についても同じであります。各洲でも、やはり
日本でいえば地方
裁判所に當る所に持
つて行つて出す。そうしてこれはどこの國でもそういうふうにな
つておるようであります。そこで注意しなければならないのは、
裁判所又は判事というふうに書いてある。
裁判所でもよいし、判事でもよい、
裁判所が開いておらんようなときには、判事の部屋に行
つて判事に出すことができる。だからこれは休暇中でも出していいという
意味なんであります。
裁判所の開いておらんときでも何でも出せる。この點も非常に大切な點なんです。それから又
イギリスでは
裁判官、判事のところへ行
つて申請を斷わられた。そうしたら今度は次の違
つた判事のところへ行
つて又申請する。それもいけないとい
つたら又外へ行
つて判事の數が盡きるまでできる。そうして今度はそれでも全部いけなければ下訴する。上の方の
裁判所へ行
つて求めることができる。こういう申請はどこまでも澤山許さなければいけない。こういうプリンシプルで、これは
日本では非常に注意しなければならん點だと思います。それから更に申請を拒んでしまえばそれでお終いですから、申請を不當に拒んだ判事には五百ポンドの罰金を科する。これは
イギリスの有名なあの十七
世紀の
ヘイビアス・コーパス・アクトの中にある
規定であります。併しこの
規定は
實際には運用されたことは
イギリスにも
アメリカにもないようであります。ないが、とにかく
規定が嚴然とあるのであります。それから
イギリスではこれが單に罰金を科せられるだけでなくて、
被害者は五百ポンドを自分で貰える。そうするといわゆる。ピーナル・アクシヨンというので、それを不起訴にすることはできない。そういうようないろいろ
方法によ
つて申請されたものを、拒めないような制度ができておるのです。これは
ヘイビアス・コーパスに關する
立法に關しては最も重要な點であります。而もそれらのいろいろな規則というものは全部
具體的經驗から編み出されて來ておる。架空な案じやない。
實際經驗の結果として現れたものです。これが
イギリスでも
アメリカでも大體において同じ
原則がずつと行われておる。
それから第三の點は、
令状の
發給、
令状を出すことです。これは
裁判所又は
裁判官から
拘禁者に對して、
身柄を
拘禁しておる人間に對して、一定期日
拘禁しておるかという
理由せ示せ、こういう
命令が普通の型であります。尤も
英國の現行法では假
命令の制度というのが採用されまして、これは一定の期日に出頭して、そうして
命令發給の
理由のないことを示すべし。こういう假
命令が出る。この場合には假
命令を確定
命令にするときは、更に期日を定めて本人を連行させて、そうしてその期日に釋放する。こういう三重の
手續に分けておる。これは一々ロンドンまで
拘禁した人を連れて來て、又返すという
手續を省略するために、こういう假
命令の制度、ルール・ナイサイという制度が
イギリスで採用されるようにな
つたのであります。これは
アメリカには、ないようであります。
アメリカでは普通のものと型が現在でも行われておるのであります。ここで注意しなければならん點は、人間の自由を
拘禁しておるには何ら
理由があることを立證しなければならん。これは
裁判ではない。
拘禁しておる者になぜ
拘禁しておるかということを釋明させる。そこに審理手続のコツがある。兩方の云い分を聽いて普通の
裁判みたいにやるのではない。
拘禁しておるには何か
理由がなければならんというわけで、そこに審理の方のコツがある。これも大切な點である。それからそういう
令状が假に出ても、それに從わない場合には、
イギリス式な
裁判所侮辱罪に
從つて罰金或いは禁錮、重い罪金が一六七九年の
法律で科せられることにな
つております。これは先に云
つたピーナル・アクシヨンという
手續で
被害者がこれを囘復できるということにな
つておる。
それから第四は、審理
手續でありますが、
拘禁者が出頭すると直ちに調査を開始する。
アメリカの連邦
裁判所では五日間にこれを調査しろ。こういうことにな
つておる。そこでは
證人の喚問、證據の提出が許されるわけです。それから
アメリカの少數の洲では重大な事實が問題である場合には陪審を招集して、これを調べるということが許されるのでありますが、大多數の洲では
裁判だけで事實審理をする。陪審に掛けるということは、この
手續自體の迅速性を著しく害するので、いけないということに
アメリカの經驗者は皆云
つておる。又
ヘイビアス・コーパスに對する非難もそこに集中されておる。それから又陪審がなくても、審査に通常の
刑事手續に似たような審査をやることはこれはいかん。こういう點も一般に認められておる。そういうような各洲の中には相当いろいろに弊害がありますが、連邦にはそういう非難はない。非常に迅速にうまく行
つております。
それから次は
判決でありますが、審理の結果、
裁判所又は判事がその
拘禁は不法であると認定すれば、被
拘禁者を直ちに釋放する。又合法的であると認めれば被
拘禁者に差戻す。これが
判決の普通の型であります。
英國では先程申しましたように假
命令の制度が採用されておりますから、これが確定
命令になる。それから更に期日を指定して被
拘禁者の
身柄の提出を命じて、それを釋放する。こういう
手續にな
つております。新式な
手續にな
つておる。それからその
ヘイビアス・コーパスの
手續中に
刑事訴訟法の違反があ
つたということが明らかにな
つても、この
手續では處罰するとか、或いは
手續違反を更正するということはやらない。それは全然別の
手續として取扱う。
それから最後は上訴でありますが、上訴について、釋放の
判決に對しては普通は釋放を許さないのが
原則であります。それから拘束者を差戻す方の
判決に對しては上訴が許される。これも大切な點であります。つまり
手續き上訴者に對して公平であ
つてはならない。つまり
拘禁を受けた人間に對して利益を與えるような、非常にフエイバラブルであるような
手續でなければならない。ここがコツなんです。それから
英國では高等法院から控訴院に行
つて、それからハウス、
オブ、ローズ、即ち貴族院、三審で行くことにな
つております。それから
アメリカでは、連邦
裁判所では、連邦地方
裁判所から巡囘控訴院、二審でありますが、それから最高
裁判所、三審にずつと行くわけです。最高
裁判所は、これは直接に
令状を出すことができることにはな
つておりますが、
實際に出すのは外國の外交使節に對する
事件、それから洲が
當時者とな
つたような
事件、これに限られております。最高
裁判所が直接に出すということは極めて稀である。控訴
裁判所としてみの働く。それが大體ヘイビアス・コーバスなるものの
手續の極く概略であります。英も米も大して違いはないのであります。
それから、然らば次は全體どういう働きをしておるか、つまり權能であります。機能は第一點としては、直ちに釋放するという點であります。それから將來の
拘禁を防止するという點、ここに一番の機能がある。そこで
身體の自由というものを保護する。それ以外の
方法としては三つある。一つは正當防衛、それから第二は民事の損害賠償、第三は
刑事の
刑事訴追、この三つの
方法がある。第一の正當防衛というのは、これは官吏に對しても行い得るわけであります。併しながらこれはなかなか要件がむつかしいので、自由の保護に必要な力の防止でなければならん。避けんとする危險に對して、それが相當な力の防備であることを必要とする。こういうことにな
つておるので、これを立證するのはむつかしい。同時に公務員に對する正當防衛というのは、更に危險なのであ
つて、うつかりすると公務員の職務執行を妨害したという
犯罪が附け加わ
つて來ますから、これはなかなかうつかりできない。これは自力救濟の問題ですが、次は民事の不法行爲についての損害賠償、これは大概は不法監禁に基く賠償であります。フオールス・インプリズンメントと英語では言
つております。もう一つは悪意の訴追、マリシヤス・プロセキユーシヨンであります。それで賠償を求めるというのが普通であります。これは
英米では國家に對する賠償責任、國家に對しては不法行爲に基いては賠償ができないという
原則がありますが、但し
個人の官吏に對してはできる。
日本の新
憲法では、國家或いは自治團體が官吏の不法行爲に對して賠償しなければならんという
規定が置かれましたけれども、これは
大陸式な法理で、衆議院の修正で以てできた
規定で、
大陸法的な頭で書いた條文であります。でありますから、これは
英米にはないのでありますが、
個人たる官吏を訴えることはできる。
日本でもうまく行
つていないようでありますけれども、とにかくできる。それから
刑事訴追、これはまあ
日本ではうまく行かないですけれども、
英米では相當にうまく行
つております。けれどもこれらはすべて自由が奪われた後の祭なんです。すべて後の祭です。それでは自由の保護には十分でない。
拘禁されたやつを直ぐ引出す。或いは將來
拘禁が繼續するのをチエツクする。こういうのがいわゆる
ヘイビアス・コーパスの狙いであります。
然らばこの
令状が利用される場合というのはどういう場合なのかと申しますると、第一は
刑事訴訟の關係であります。いわゆる勾引、勾留に關する場合、
犯罪の捜査に關して不法不當なる
拘禁を受ける。これが一番多いのです。それ以外の場合としては、いわゆる
刑事訴追以外の場合、これは官廳に對するものと私人に對するものと
二つの種類があります。官廳に對するものとしては、
裁判所に對するものと、それから行政官廳に對するものとある。先ず
裁判所に對するものは、例えば
裁判所屈辱罪で以て
拘禁されておる。それを引出すために使う。或いは昔ならば民事の債務者
拘禁所というものがあ
つて、借金を拂わないとそこへ入れられる。そういうようなときの問題にこれを使
つたわけであります。それから行政官廳に對するもの、これは最近においては最も重要なる分野でありますが、例えは檢疫規則とか、或いは
犯罪人引渡しとか、或いは國外への追放、それから
アメリカで以て一番始終あるのは、移民關係の繋爭であります。これは
アメリカでは例えば
日本人がサンフランシスコへ行
つて、移民官がそこで以て調べる。そうして入國を拒絶される。こういう場合です。こういう場合に、
ヘイビアス・コーパスを以て
裁判所に訴える途がある。この點については、米國市民權を持
つておる者でも、外國の者でも、平等の地位に置かれておる。米國領土内におれば……。それからまだ入國しておらないでも、やはり訴權がある。こういうことにな
つております。そこで初期には、移民官には事實認定權はない。こういう主張で以て、この
令状が求められたのでありますけれども、この點は事業認定を最終的になし得るという
判決が一八九二年にありました。これは
日本人が原告にな
つた。西村某對北米合衆國。コングレスは事實認定權を與えて、これを最終的のものとすることができるということにな
つておる。現在では
法律問題だけのときならばできるということにな
つておる。その
法律問題の中には、米國
憲法の中のデュー・プロセスという問題、いわゆる「正當なる
手續なくして」というこの
憲法の問題、これも含まれておる。
從つて例えば、公正なる審理が行われないで、勝手に事實認定をや
つてしま
つた場合には、ヘイビヤス・コーパスで行ける。これは
英米人というものは行政官廳がやたらに認定をするということ、審理しないで、相手を呼び出さないで、言い分を聽かないで、勝手に認定をしてしま
つたという、これに對する反感がとても強く、どうしても本人の言い分というものを十分に聽いた上で判斷しなければいけない。本人を呼び出さないで勝手に認定してしまう。これは
日本の官廳では始終あるのですが、これは最もひどいデュー・プロセスに反する處置であ
つて、そのときには移民官の認定、フエイヤ・トライヤルがなければ、これは
ヘイビアス・コーパスで
裁判所まで持
つて行ける
法律問題の中に入
つておるのであります。この行政官廳との關係から、最近の
アメリカでは最も重要なるいろいろな姿で現れておりますが、それは一つの最も顯著なる例であります。
それから更に私人の場合には、これはまあ西洋でよくあることは、相續關係などで以て、或る人を氣狂いにしてしま
つて精神病院に入れて置く。精神病院に賄賂を
使つて、そこに入れて置くなどということがよくあるのですが、そういう場合に、精神病院長に對して
令状を發して、本人を
裁判所に引出して、精神病でも何でもないものならば、すぐ釋放してしまう。こういう
手續がある。もう一つは、夫婦間の子供の取合いです。これに
ヘイビアス・コーパスが利用される。これは併し本當の、へイビアス・コーパスの趣旨とはちよつと違うのであります。例えばこのよつと違うのであります。例えばこの場合には、上訴權について平等に取扱い、
判決が差戻しの
判決があ
つても、釋放の
判決であ
つても、兩方から上訴ができる。政府に對する場合は、政府の方にはできない。この場合にはできる。本質が違うから、そういう區別がそこに出て來るわけであります。
それが大體の状況でありますが、この頭で今度の
人身保護法というものを、ちよつと拜見してみますると…、これは意見でして、
證言ではないかも知れませんが、ちよつと最後に附け加えて申して置きますと、これは或いは速記に取られない方がいいかと思いますが、ごく忌憚なく申しますと、こういうふうに感じたのです。これは併し、
小林さんには又
小林さんの御意見があるから、その方は又十分に伺うことにいたしまして、私が、
英米法をや
つておる人間としてこの
法律を讀むを、どういうふうに目に映るかということを、御參考までに申添えて置いた方が將來のためにいいんじやないかと考えまして、ざつくばらんに感想を申上げます。
第一點は、
憲法上のこれは權利だという點に捉われて、最高
裁判所の目が光り過ぎてお
つて、如何にも物々しい感じがするのです。勿論
日本國
憲法というものは、最終的には、最高
裁判所というものに解釋權がある。併し
憲法というものは、私法一般の日常茶飯事にならなければだめなので、最高
裁判所だけが
憲法裁判所だなどと考えておる間はいけないと思うのであります。その點から、最高
裁判所の顔がこの條文の方々に出て來る。そこのところは、もう一遍再考する必要はないだろうか。こういう點が第一點であります。
それから第二點は、申請から審理までの
手續が、どうも面倒過ぎやしないか。申請
手續から審理
手續までの
手續が面倒過ぎやしないか。
英米の經驗によれば、申請拒否ということは、これは會状の目的を全部否定してしまうことになる。これは
英米では、例えば一應申請者の言
つたことは
眞實と推定する、こういう
規定がある。一見明らかなときだけ拒否する。それから申請の拒否を受けた者は別の判事のところに行
つて又申請する。全部斷られた場合には更に上の
裁判所に行
つて求めることができる。不當に申請を拒否した判事には罰則を科する。こういう非常に申請を成るべく通してやるようなふうに
法律ができておる。それが今度のやつを見ますると、成るべくこれを拒む方に都合のいいようなふうに
規定ができておる。これは大いに考え直す必要がなくはないか、これが第二點であります。
それから第三點は、これは附随的な點でありますが、辯護士であります。審理
手續に辯護士を付けるのはこれはもう結構なことであります。必ず付けてやる方がいいと思います。ただ申請のときに辯護士を付ける。この場合だけ辯護士強制を認めるという
理由があるかどうか。この點は一つ考え直す必要がないんだろうか。
アメリカでもそういう特別
規定はないようです。
イギリスにはあるということを伺いましたけれども、この點は更に再調査を必要としないか。それから申請のところにこんな辯護士強制の
規定というところでやる必要がないのではないかということが第三點であります。
それから第四點。審理
手續につきましては、
英米には他人の自由を拘束しておる人間に、何故人の自由を拘束しておるのかということを立證させる。こういう色彩が強い。だが、この
法案では何だか普通の
裁判のような感じがする。もう少し
拘禁しておる人に立證責任があるのだぞという色彩を出したらどうか。この點もお考えに値しやしないか、これが第四點であります。
第五點は、上訴についてであります。上訴制度について
拘禁者からも上訴を許すというふうにちよつと讀めるのであります。併しこの點は、若しもそうならばいわゆるここで以て公平な平等の扱いが、結局は不公平なことになるということは
英米人は最もよく理解しておるから、上訴について不平等に取扱
つておる。不平等な
規定が平等になる所以である。子供の取合いのような
ケースは平等に取扱うといふ例外の
規定が置いてある。併し政府を相手に私人が自由のために奮鬪するときには政府の方に相當の歩があるのですから、そのときには餘程規則を認める
令状を求める方にフエイバラブルしてやらなければ釣合いが取れない。これは
英米人が最もよく知
つておる。その點はこの
ヘイビアス・コーパスの
立法としてはどういうものだろうか。これが第五點。
結論として、どうも全體を見まして、實に
拘禁者に都合のよい
ヘイビアス・コーパス・アクトである。
拘禁した者に都合がよい。被
拘禁者の方には餘り役立たない。こういう感じを得るが、その點はどうか。これだけの點を最後の私見として
英米法から見た新
立法に對する感想という
意味で附加えて、この私の話を終りたいと思います。