○
証人(
巣山末七君) 大分時間も経過したようでありますから、成らるべく簡單にいたします。
先ず
管内特有の問題につきまして、第一は
管内、各所における
拘禁並びに
作業状況の内容。中國
行刑管区も非常な過
剩拘禁であるということはい、くどくどしい申上げなくても皆様すでに十分御
承知のことと思います。ただ合計した
数字を申上げますと、
收容人員四千七十二人のところに昨年末の現在で、七千八百五十七人、結局三千七百八十五人の過
剩拘禁で、パーセンテージを見ると、一九二%の過剩である。これは尤も本來の
定員について申上げたのであります。
臨時定員を申上げますと、
臨時定員は五千九百九人、で
臨時定員としましても、尚千九百四十八名過剩に
なつております。この
臨時定員ということを皆様は御
承知ないかも知れませんが、本來
受刑者一人、
收容者一人について〇・七坪というので、本來の
定員を出しておるのであります。併し今日非常に
收容者が殖えましたので、それを
收容するのには切下げて、先ず〇・五坪を基準にして
臨時定員というものを出した。これは一坪の半分に一人だけ置くような極度に
收容者を監禁したところの、これは最低生活から申しますと、憲法違反の処置だと思いますが、それまでや
つて漸く
臨時定員というのを出し、尚それも超過しておる。実例を申しますと、廣島の
刑務所では独居房に三人が原則に
なつております。一坪の所に三人、〇・三坪に一人入
つておる実情であります。六人の雜居房に十七、八人入るという
状況であるのであります。中國
管区で今一番過
剩拘禁のひどいのは廣島と岡山で、都会の大きい
刑務所ほどひどい。これは
管区別に申しましても、先程の
近畿管区というようなものが深刻な過
剩拘禁の
状態であることは、御
承知でございましようが、都会ほど過
剩拘禁が激しい。これは一刻もこのままに放置することのできない人道上の大問題であるということを、深く念頭に置いて頂きたいと考えるのであります。
この過
剩拘禁を緩和するためにどういう処置を採
つておるかというと、今申します通り一人入れる時に二人、三人というふうに、所内で切詰めて監禁する外、できるだけこれを
構外に出して
構外作業をやらすということを、各所ともや
つておるわけでありますが、中國
管区管内では現在(これもやはりすべて昨年末の現在であります)千三十六名。廣島、山口、岡山、松江、岩國、この五つの
刑務所がありますが、それを総計して千三十六名を
構外作業に出しております。併しこれもこんなことでは殆んど緩和できませんので、大規模に
構外作業を発展させようと思うのでありますが、それについても後で申上げます通り、いろいろな難問題がありまして、思う通りに参らん
状態であります。
收容者の増加率はと申しますと、昨年十二月までは
管内毎月二百名乃至二百五十名ずつ増加して参
つております。この
傾向も殖える一方であるのであります。一人でも
收容者が殖えますと、足の先から頭の先まで、着る物、寢る所、万事万端のことを準備してやらなければなりませんし、又働く場所も世話してやらなければならん。並大抵の苦労ではないのであります。そういう厄介な
收容者が非常に殖えつつある。いかに刑務官がこの処置に困
つておるかということは、御想像に難くはないと思います。
作業の
状態を申上げますと、昨年の十月に近畿の
管区から四百名鳥取
刑務所に移送を受けたのであります。これは
近畿管区がはち切れそうだというので、私共の方も過剩には違いないのでありますけれども、その
程度がまだ軽徴だというので四百名無理やりに送られたのであります。で鳥取に四百名、それから松江には百名、五百名引受けたのであります。ところが移送を受けて
收容はいたしましたけれども、これを今度は働かせる場所がない、
工場がない。それで現在も約二百名の者が何もせずに遊んでおる、毎日狹い房に蟄居しておるわけであります。これもまあ人道上から申しましても、又囚情の点から申しましても、甚だ寒心すべき
状態であります。これは一日も早く
解決して
構外作業でもやらせようと思
つて努力しておるのでありますが、丁度冬時でありますし、
職員が非常に不足しておるというようなわけで、現在ではこの二百名を代る代る働かせる、一日置きに
工場に出して働かせておるというような窮した処置を採
つておるわけであります。
尚各
刑務所の主要な
作業と申しましては、まあいずこも大体同じでありますが、廣島では印刷、竹工、山口では竹工、洋裁、岡山では金物工、
木工鳥取では特に申上げる程の
作業はや
つておりません。松江で金物工、
木工、それから大山農場、岩國少年ではメリヤス工と印刷、
木工というようなことをや
つております。中國
管区では廣島、岡山がもう殆んど
戰災で全滅したのでありまして、この
管内の
二つの大きな
刑務所がやられましたものでありますから、
作業の方面も非常に不振な
状態にあります。廣島、岡山は目下
戰災復旧に大童であ
つて、
工場の
作業の方には十分手が廻らないというような
状態であります。山口は戰時中若松造船に大勢出してお
つたのでありますがそれが皆
引揚げて参りましたので、所内で
作業をさせなければならんのですが、これも思わしい
仕事がなくてや
つておらないのであります。更に岩國少年でありますが、ここでは後で申上げますけれども、敷地が僅かに二千九百坪しかないのであります。それでまあ運動場なんというのは猫の額程しかない、そこに発育盛りの少年を入れて專ら屋内の
作業をやらせておるわけであります。これが少年
行刑上いかに不適切な場所であるか、設備であるかということはもうそのことでお分り下さることと思いますが、これも一日も早く適当な場所に移轉しなければならないというので、目下後で申上げまする通り、柳井の潜水
学校の分教場の
施設の移管を受けまして、これに岩國少年を取敢えず移して理想的な少年
行刑をやろうと今計画いたしておるわけであります。松江の大山農場、これは海抜五百メートルの高い大山の中腹にございますが、ここに約百町歩ばかり
開墾する権利を持
つておるのでございます。そのうち二十一町歩だけ今
開墾いたしております。併し
開墾してから五年は経
つておりますけれども、なかなか思う通りの收穫は得られない。第一の土質が酸性土壤で、非常に耕作に不適当な所であります。それも適当な肥料が入ればいいのでありますが、肥料が入らないというようなわけで、思う通りの成績を挙げていないのでありますが併しこれも大体昔から、
開墾地は十年間は租税を免ぜられたというようなわけなので、十年間はやはり当り前の土地にするのにはかかるというようなことらしいので、まあ氣長に努力いたしておる
状態であります。
次に最近
管内において発生した重要な事故、これについて二件程申上げますが、
一つは最近、本年の一月十日でありますが、大山農場で
作業をしておる
受刑者百三十名の中八十八名が、朝御飯を食べたきり監房に入りまして、
仕事をしない、いわゆるサボタージユをや
つたわけであります。
職員がいろいろ説得しても聞かないのみならず、暴言を吐き、更に暴行にも出でまじき不穩な形勢であ
つたために、早速松江の本所及び溝口の警察、溝口の警察から米子の警察に手配をしてくれまして警察官が約六十名、松江の本所の刑務官が二十七名、夕方から夜を徹してこの山に登りまして、一晩警戒をしたわけであります。そのうち
戒護課長の城元というなかなかできた人でありまして、これをうまく説得いたしまして、その中の主要な人物三十名だけ本所にうまく連れ帰りまして、まあ平穩無事に事なきを得たのであります。
その
原因はと申しますと、これは進駐軍の要請もありまして、監督補助、特警と申しますが、戰時中の制度で、
受刑者の中優良な者は特警又は監督補助として
職員の補助に使
つてお
つた。そういうものは怪しからん、廃止せよと言われましたので、昨年末一齊に廃止したのであります。大山農場にも約十五名の監督補助が役人に類したことをや
つてお
つたのでありますが、その中十名は年内に
仮釈放に
なつて社会に出て、五名だけ残
つた。この殘つ五名が自分だちが
仮釈放に洩れたということが非常に不満で、これが外の
受刑者を煽動してこういうような行動に出たということなのであります。その他この大山農場に限りませんが、働く場合には、食等が今一番上が二等食に
なつておりますが、二等食を食べさせられるわけでありますが、ところが
仕事をしないときには一等下げて三等食ということに法規で決ま
つておるわけでありますが、併し
從來の大山農場の
状況は、まあ場所もああいう離れた場所で、
仕事もや
つておるので、
仕事をしない日もやはり二等食を食わせてお
つたらしい。ところが場長が更りまして現場長に
なつてから、規則通り休んだときには一等下げて三等食にしたというわけでありますが、これが
受刑者一般の不平を買
つた。彼らは食うということが唯一の樂しみであり、これには非常に神経過敏なわけであります。それが非常な不平の種であり、又その他新場長に
なつてから非常に規律が嚴正に
なつてひどいというので、場長排斥というようなことから、例の五名の不平な監督補助に煽動されてこういうような不穩な行動に出たということに
なつております。併しこれは幸い大した問題も起らずに済みました。
次に岡山
刑務所の不正
事件について申上げます。それはよくどこでもある
事件でありますが、
被告の家族の者から何とかして早く出れるように世話して貰いたい、それには大抵病氣で
拘禁に堪えないという診断書をお医者さんから貰えば執行停止で出られるのであります。そこでそういうことに
一つしてくれというので看守長が医務室の看護婦を手先に使
つて僞診断書を作らして、それで執行停止で出して貰
つたそのお礼に相当な金を貰
つたという
事件であります。それからいま
一つは、岡山では有名な闇の親分がおりまして莫大な金を取
つておる者があります。これが進駐軍の
事件で入所したのであります。それを
機会に、いい鴨が入
つたと申しますか、
職員がそれに便宜な取計らいをしてその謝礼として相当な金を貰
つたというようなことがありますこれによ
つて五名の者が
拘禁されその中三人だけは一審で実刑の言渡しを受けて控訴中というような
状態であります。この二件が最近起きた重要
事項として申上げて置きたいと思います。
次に
行刑全般に対する
希望又は
意見ということであります。何としても現在の
刑務所で一番深刻に悩んでおるのは過剰
拘禁をどうして緩和するかという問題であります。それには新営の
舎房をどんどん作るということも結構なことですが、これは
予算その他の
関係でできない。これを手つ取早く間に合わせるためにはどうしても軍の
施設を百パーセント利用して應急の間に合わせる、これは誰でも当然考える措置であります。今日はまだ軍
施設で
刑務所に轉用できるものが全國には相当あるわけです。これを今物色し、それを獲得すべく、各
管区とも懸命の努力をいたしておるのでありますが、遺憾ながらそれには地元の猛烈な反対があるのでどこも未だ成功していないというような
状況であります。どうかこれを皆様のお力添えで軍の
施設を
司法省に優先的に決定されるような御努力ができないものか、法規的にでも政治的にでも御考慮願いたいと思います。それを
一つ御考慮願いたいと思ひます。尚この点については後で具体的に私悩んでおります柳井の潜水
学校のことについて詳しく申上げたいと思います。
次に
被服でありますが、
受刑者の
被服は非常に窮迫しておるのであります。御
承知でありませうが、彼らは
刑務所に入りますと、今まで着てお
つたものは全部脱いで丸裸になる。それで入
つてからは全部それに着せてやらなければならない。ところが現在の衣料不足の
状態ではとても我々の要求するだけの衣服が入
つて來ない。これはこの前の
管区長の会議の時、安本の係の人を呼んでお願いしたのでありますが、大体安本なんかの考えは、社会の人間に配給する一・八ポンドしか
刑務所に入れない。それ以上やるということは、悪いことをした人間に社会の人間以上にやるということは絶対できない。悪いことをしない人間以上にやるということは許せない、こういうことなんです。ところが、一・八ポンドでは社会の人はとても一年着る
着物はできないのであります。併し
刑務所には一・八ポンド以外には絶対に入れない。食糧でも同じであります。社会の人は一・八ポンドでも、
從來持
つてお
つた着物もありましよう。縁故
関係で獲得される途もあります。又闇で入手されることもできるのでありますが、
刑務所では闇ができない。與えられたそれで賄う以外にない。そういう特殊な
刑務所の
状況を社会並みに考えられるということは安本の考え方が非常に非常識だ、認識不足じやないかとその時詰め寄
つたのであります。その後
刑務所を親しく見られまして、成る程困
つておる、これでは氣の毒だというので、その後幾らか御協力を仰いで非常に結構であります。昔は
部屋におるとき着る
着物と働くときの
作業衣は別々であ
つた。今日はそういう余裕はありません。外で働いて汚く
なつた
着物そのままでごろ寝をやる。そのことが衛生上風紀取締の上どれ程不都合を來しておるか御想像に難くないと思います。大体こういう生活をするのはルンペン以外にないと思います。ところが
刑務所の
受刑者はルンペンの生活をしている。新憲法に
なつて、健康で文化的な最低生活を保障されておることは
受刑者も同樣だと思います。併し現在ではこの最の生活、これは場所の面積についても、又着る衣類の点についても
國家は最低の保障をしなければならん。これは社会の人もそう言うかも知れないが、併し
刑務所においては特にひどいということを認識されたいと思います。併し
刑務所に対しては悪いことをした人間だからというので非常に社会の同情がないということは我々が
刑務所として
行刑の実際に当る者の一番悩みの種であります。それで
受刑者の衣類は十分とはいえませんが、できる限り多く配給になるように
一つ御盡力頂ければ仕合せだと思います。中國では、この冬を迎えて着る
着物がない着せる蒲團がないというので、本省にやかましく言
つたが、本省でも
割当切符を
貰つても現品が來ないと言う。若しこのまま放
つて置いたらどういう暴動が起るかも知れないと非常に心配いたしまして、中國の呉の軍政部の法律行政官が私共の係官でありますが、そこに
行つて事情を訴えたところ、それは氣の毒だ、できるだけ世話しようというので、海軍の第二復員局ですが、あすこに余剩の衣類、毛布が沢山ありました。それを全部そつくり
刑務所に廻してくれた。それで中國
管区の各
刑務所は漸く冬を過すことができたという
状態であります。軍政府は非常に
行刑に対して理解があるのでありますが日本では遺憾ながら政治家も一般大衆の人も
行刑ということには非常に御理解がない。参議院の司法
委員の皆樣方は特別に御理解を頂いており、今日も我々を呼んで実情をお聽き下す
つておるわけでありまして、非常に嬉しく思
つておるのでありますが、一般には
行刑に対して非常に冷淡であるということは、我々実際
行刑の局にある者の痛切に感じておるところであり、遺憾に堪えないところであります。
それから
職員の制服、これが又非常に欠乏しておるのであります。今度の会議でもこれを本省に強く要望したのでありますが、大体
廣告いたしますときには俸給はこれこれで制服は官給するということを書いてあります。そうすると皆そのつもりで試驗を受けに参ります。採用いたしましていよいよ看守の辞令をやりましても、着せる制服をやることができない。彼らは大抵引揚者とか困
つた人がや
つて來るのでありますが、菜つぱ服の汚ない服のまま着てや
つてまる。これが警察官の場合であ
つたら全然反対です。警察官は採用になると直ぐに新調のものを受けていかにも警察官らしい凛々しい服装になれるのでありますが、刑務官は全國これはそうでありますが、それがなかなかできない。むしろ今は
受刑者の方が
職員よりも服装がいい。昨日も笑
つたのでありますが、門衞などが
職員を
受刑者と間違えて非常に嚴しく取締
つて、後で問題に
なつたというようなこともあるのでありますが、これは今度
刑務所を御覧下されば、東京はどうか分りませんが、横濱などは相当制服が揃
つておりますが、田舎へ行くほどこれがひどいのであります。警察の方は縣廳があらゆる物資を世話する、軍の轉用物資などを自分の手でどんどんやるものですから、ちやんと自分の方へ廻
つてしまう、海軍の服の余りなども大分あるわけでありますが、それをくれとい
つても私共へはくれないで、皆警察の方へ廻してしまう。警察は非常に潤いがいいけれでも、我々の方へはさつぱり來ない。このことは折角入
つて來た看守が、こんなことでは、嘘を
言つておる、制服を官給すると
言つて置きながら一向くれない、そうして
受刑者よりも汚ない風をしてお
つては
職員の権威に係わるというので、皆辞めてしまう。そういうふうに実に嘆かわしい
状態にあるのであります。制服地もできるならば
一つお世話できるものならばお世話して頂きたいと考えておるのであります。
要望
事項は大体そのくらいにいたしまして、次に第二の問題の、私の受持の
拘禁及び
作業施設に関する問題であります。これにつきましては先程何囘も申されました通り、非常に過
剩拘禁でありますから、全國の
刑務所の中十一ケ所が
戰災に遭
つておる。その復興も金融、
資材その他の
関係に制約されてなかなか思う通りに参りません。軍の
施設移管を求めれば、それも地元の反対によ
つてなかな入手できないという
状態で非常に困
つておる。ここで私は柳井の潜水
学校の問題について、いかに地元が反対しておるかというその実情を少しく詳しくお話申上げたいと思います。尚承われば、今度参議院の方が大挙
九州方面御巡視の際、特に今問題に
なつておる柳井の潜水
学校を視察するというお話も承わりましたので、多少時間が掛かると思いますが、
從來の経緯について簡單にお話申上げたいと思います。
第一に、先ず柳井の潜水
学校はどういう所かということをお話いたしますが、これは柳井の駅から南の方へ約二里半行きますと、平生町、曽根村、佐賀村というのがあります。その佐賀村有地内で、曽根村に接したところでありますが、そこに約三キロくらいの半島があるのです。それで半島の手前は平生町というところに
なつております。その反対側は、いわゆる瀬戸内海のほとりに
なつておるわけであります。ここに面積約十万坪の大竹の潜水
学校の柳井分教場、これは
昭和十六年ごろできたものであります。それから又その半島の先の方に嵐部隊というのがあります。これはやつぱり海軍の部隊でありまして、人間魚雷を戰時中作成してお
つたところであります。それが終戰後間もなく進駐軍が入りましてこれは英濠軍であります。そうしてそれがこの九月の末ごろから、だんだんそこを
引揚げるようになりまして、結局十月の三十一日に、日本政府にその建物及び敷地、それからそこに附属の專用の水道設備があります。これは二里半ばかりの奥から、海軍が特に拵えた設備であります。そういうものを日本政府に返還したのであります。丁度その
作業場の直ぐ近くに製塩
工場がありまして、平生柳井製塩組合というものがあります。そこに約三十名ばかり
受刑者を出業させております。その
関係で
ちよい
ちよい
行つて見ます。これは進駐軍がおるときから、若しあの建物が日本に返還に
なつたらば、
刑務所に欲しいものだということを、私は念頭に持
つてお
つたのであります。ところが当時呉の中國軍政部からしばしば
刑務所の巡視に参りまして、何か要望はないか、我々でかなえられることならば世話してやるが、困
つたことはないかと言われたので、私は、柳井の潜水
学校は近く進駐軍から日本政府に明渡されることになるらしいが、そうしたらこれを
一つ司法省に移管を受けて、ここに岩國の
少年刑務所を移してやりたいということを申したのです。この岩國
少年刑務所は敷地僅かに二千九百坪で、建物が建
つておる外、運動場もない。
少年刑務所としては最も不適当であるということは、これは多年の
司法省の悩みであり、どこかへ移轉しようという懸案に
なつてお
つたのでありますが、進駐軍の人々が見に來る度ごとに、早く移管しないか、早く閉鎖せよということを、本省に強硬に申入れてお
つたわけであります。本省からはどこか適当な場所があ
つたら、これを早く移さないか、それには軍
施設にいいところはないか、という指令を私は受けてもおりましたので、結局柳井に岩國
少年刑務所を持
つて行くことにしたのでありますが、又
少年刑務所を作るのにはいい場所なんです。半島ではあるし、それから景色はいいし、そこには、若し
農耕地にすれば五町歩くらいの耕転地もできることになります。建物としては、兵舎が五百坪、二階造りで上と下で千坪。兵舎が三個並んでおります。兵舎も進駐軍が入
つておりますので立派に
なつております。
学校の教場もあるし、いろいろの設備が揃
つてお
つて、
少年刑務所を移すには最も適当な場所であるから、これに
少年刑務所を移そう、そうしてその上、岩國の
刑務所には成年
刑務所として成年
受刑者を入れて、過
剩拘禁を緩和する。こういう
理由で、強硬にそれを要求したわけであります。ところが地元の方ではどうかというと、地元はその
施設を政府から拂下げて、産業開発を図りたい。何をやるかというと水産加工業会社を作る。それから下關の水産講習所の研究所をそこに誘致するということ。それからあそこ非常に引揚者の多い所で、山口縣でも特に多い所らしいのですが、その引揚者の失業救済に資するということ。いま
一つは地元にはあれを優先して取る権利があるとい
つて、それはあれができるときには、約四十戸ばかりあ
つたのを、海軍から要請があ
つて強硬に移轉を命ぜられた。又あそこにああいう設備ができるについては、附近の人は勤労奉仕その他で莫大な労務を提供している。そういう
関係で、それが開放に
なつて日本政府に返る場合には、地元はあれを拂下げて貰う先取特権があるということを申すのであります。それで私としては、地元民がそういう要求をされるのも尤もだ、私も若し地元の人間であ
つたならば、あなた方と同じような氣持で一生懸命に地元に拂下げるように努力をしたであろう。併し私は
行刑管区長として、
刑務所の立場から是非あれは必要なのだ。幸い國有でもあるし、
國家緊急の目的に使うのに何の遠慮があるかというので、私は
行刑管区長としてできるだけこれを
刑務所に取るべく努力する。君らは君らでやれ、飽くまでフアイン・プレーでやろうじやないか、これをいずれにやるのが適切であるかということは財務局、大藏大臣が結局決定することである。決定で我々が負けたら仕方がない、又あなた方が負けてもこれは止むを得んじやないか、併しお互いにそれは相当
理由のあることですからやろうというのでや
つて來たわけです。
向うとしては
刑務所を作るのがいやだというのです。ものもあろうにあの玄関先に溝溜みたいな便所みたいなものを持
つて來られては堪らん。それが産業方面の
仕事なら格別、
刑務所が來ることは地元民が恐れもし氣に入らないというのが根底の
理由なんです。それで若し強いて
刑務所がや
つて來るならば、地元が極力反対する或いは燒いてしまうかも知れん、又
刑務所の役人、殊に私は憎まれているのですが、殺されるかも知れない、團体の威力を借りてそういう暴行脅迫です。私のところに青年團がそう
言つて威かして來た、地元民が自旗を立ててデモ行進をや
つた。又大藏大臣が地元の出身であるために、先月の十九日來られたときに盛んに白旗を立ててや
つたらしいのです。若しこれを強行すれば一大不祥事が起るような險悪な情勢を呈しております。私の方では大体中國軍政部が非常に支持してくれる。そうして進駐軍がおるときから、空いたらこちらに渡すようにということを交渉してくれて、九月の末に
引揚げるということが分
つたのですが、併しその後進駐軍はそこに療養所を作るということを計画されたのです。それで療養所を作るのは何とか思い止ま
つて貰えないだろうかということで呉の軍政部に
行つて、果して療養所を作る必要があるかどうかということをあそこの係官の人が調べにも行き、現地と交渉の結果、それでは療養所を作らないということに
なつた。軍政部の内部
関係では、ここに
少年刑務所を作るべく
司法省に移管するという條件の下に日本政府に引渡すということの現地軍司令官からの報告を受けておる。軍政部は内政に干渉しないという建前を取
つているために、返すのは無條件で返す。そこで地元は、無條件で返すのならば、何も
刑務所にやる必要はない、財務局が適当に決定すべきだということで、初めはそういう考えでおられた。ところが軍政部はそれは無條件で返す、返すけれどもそれは日本政府がどんなにこれを処分してもいいというものではないのだ。これはやはり公正妥当に有効適切に処置さるべきものであ
つて、日本政府がそういう適当な処置を取るかどうかということを進駐軍が、常に監視しておる。それが占領政策なのだ。それで自分たちの見るところではあすこは
少年刑務所の設備として処置するのが
國家的に最も有効適切と思うからそういう処置を取るようにアドバイスすると
言つて支持して呉れ、それで廣島財務局では
司法省に一時
使用を許すということを許可したものでありますが、大臣が帰られてからそれを取消して、中央の問題にして中央で
解決されることに
なつておるのであります。地元は次々に猛烈な運動をし、軍政部にも運動に行き、大臣も自分の地元である
関係でなかなか決せられないというような困
つた状態にある。若しこれ栗栖大藏大臣が山口縣出身でなか
つたならば、とうに地元で
解決する問題であります。ここに見えておる宮城先生も山口縣出身のために、軍政部の方に地元の運動をされたというお話を聞いたのでありますが、宮城先生は
行刑に特に御理解のある方だから、そんなことはないと思うのですが、そこがやはり私情というものか、地方的の
関係で、公の場合というものが混同される見解があると思
つて非常に歎わしく思
つております。併しこれは早晩軍政部の力で、そのために一時的に返還を受けたのでありますから、軍政部はこれを
刑務所にやるべく決定するだろうと思います。そうすることがこの切迫した情勢の緩和のために、又理想的の
少年刑務所を建てるために是非やらなければならと思います。ここばかりでなく、地元が反対しておるために、
刑務所で欲しくて堪らないのだが、今以て実現されていない所が全國各所にあります。例えば鈴ケ森の海軍工廠、これは地元が反対してうまく行かない。富士の裾野の瀧ノ原兵舎、これも二ケ所とも地元が反対して取れない。最近は和歌山縣海草郡加太町の沖の元要塞のあ
つた友ケ島というちつぽけな島ですが、これを
貰つて療養
刑務所を作る計画を持
つておるが、地元には大した利害
関係がないのですが、地元が猛烈な反対をして、和歌山縣の役人や村長などが反対のために一生懸命や
つておるという話であります。こういう社会の人の
行刑に対する無関心ということは私は誠に歎わしく思う。我田引水の一方的の見解かも知れないが、もう少し
行刑というものに理解を持
つて協力して頂けないものだろうか。まるで
刑務所というものは國民に
関係がない、始末に困るものだ。我々に全然責任がないのだというような、私は
行刑というものに無関心な態度でおられることが、民主主義時代には最も矛盾した態度ではないかと考えます。この点は
一つ政府議会方面で十分に國民を指導して頂く。こういう問題が
國家的に正しく
解決されるように御盡力をお願いしたいと思うのであります。
それから先程の
施設の問題でありまするが、これも詳しく申上げようと思
つたのでありますが、時間がありませんから簡單に申上げますが、大体
刑務所は
一つの事業、企業と申しますか、一大事業をや
つており、又やる可能性があるのであります。それで所内には
工場が欲しいわけであります。併しながらその
工場も、先に申上げました通り
戰災等で大分いためられて、それができなくて困
つておる。それから器具機械、更に困りますのは優秀な技術者を入れることができないということであります。例えば岡山にいたしましても、これは戰時中は日本刀を作
つた有名な
刑務所であります。
鍛冶工の設備は相当完備したものがあるのであります。眞先にこれを復興して盛んにやろう。私は岡山
刑務所長をしてお
つた時代でありますが、骨を折
つたのであります。何しろ
刑務所は
受刑者の心得のあるる者を指導者に立てて、無
経驗な者を使
つてやるということであります。
庖丁などを作
つておりましたけれども、さつぱり立派なものができない、能率も挙らない。それで私は本当に立派な技術者を雇い込んで、その指導の下にやろうと思
つたのでありますが、それではとても経費の問題で、俸給等で採用ができない。全く
刑務所を遊ばして置くわけには行かない。
受刑者を遊ばして置くわけに行かないから、手の掛かるような暇つぶしの作事というようなことに
なつておることは、これは経済的にい
つても甚だ遺憾であります。
作業指導の面からい
つても誠に残念なことであるのであります。
それから次には
構外作業でありまするが、これは大いに
將來刑務
作業としては考えなければならん。土方式の伐採とかというような簡單な
仕事は
刑務所に一番適しておるのであります。これは誰でも直ぐ使えてやれる
仕事であります。そのために大いに
構外作業を発展さしたいと思うのであります。土方なんという
仕事であります。ところがこれに対してはいろいろな隘路があるのであります。先ず第一には最近厚生省あたりで失業対策ということに矛盾するというのであります。
刑務所の
受刑者が外にどんどん出ていろいろ働くというと失業者の就職に妨害になるということでそれを阻まれる。これなんかも非常に考え方が間違
つておると思うのであります。
刑務所の
受刑者は失業者なんであります。
刑務所に入
つた時は職がなく
なつてしま
つて失業者に
なつております。
國家はこれに対して一定の職業を與えなければならん義務がある。失業対策の第一に
受刑者の
作業は採上げらるべきものだと、こう考えるのであります、而もその数において全國からい
つて八万しかいないのであります。失業者が五、六百万或いは千万になるかも知れませんが、その九牛の一毛に過ぎないのであります。そういうことをかれこれ
言つて刑務所の
構外作業を阻むという政府の考え方は、いかにも狹量であり又無理解であると考えるのであります。こういう
仕事は優先的に
刑務所にできるように何か法的な処置ができないものであろうかと考えるのであります。
その他いろいろ申上げたいことが沢山ありますが、要するに
刑務所に対して社会一般又有識階級も非常に認識がないということが、あらゆる面に、
作業その他処遇の面において非常に困
つておるということを申上げて置きたいと思うのであります。それについて私が思い出すのは二十一年前、ロンドンの國際監獄会議にイギリスの内務大臣のヂヨインソン・ヒツクスが言
つた言葉であります。「
國家の任務は犯罪者を
刑務所に送
つたときに終るものではなく、そのときから始るのだ」という言葉であります。世間の人は
刑務所に入
つたら人生のおしまいだ、この中へ入
つたらどう
なつてもよいのだという。
刑務所に入
つたときはもう終りだという考えを、社会の人も政治家も或いは持
つているのじやないか。そうじやない、その時から始まるのだ。投獄から更生するのだということを深く頭に置いて頂きたいと思うのであります。又クレナーという人が言
つた言葉でありますが、「
刑務所に対して、若し社会が怠慢であり、無関心であり、又役人が不注意であ
つたならば、
刑務所は文字通り醜悪、蛮行、疾病、又自暴自棄に満ち満ちた
希望のない見捨てられた人間墮落の水溜りになるだろう」ということを言われたのであります。我々はこれから文化的な平和
國家を建設するのであります。外敵に備える必要はありません。備える資格はありません。
國内的に犯罪を撲滅する対策を図ることが、我々がこれから力を入れ又そうすることが日本を文化
國家にする最初の
仕事じやないかと痛切に考える次第であります。どうかこれから
刑務所に対して世間の盲を開いて、法規的にも思想的にも、先ず新日本の建設は
行刑の改善からというモツトーで
一つ進めて頂くように念願するのであります。甚だ長く
なつて恐縮であります。