○
穗積眞六郎君
東北班の御
報告をいたします。大体の
状況は先程
北條委員から
東北班も含めて
お話がありましたが、第一に概況につきまして又
東北班として特殊なことを申述べます。次に各縣の
状況を簡單に述べまして、最後にやはり要望事項を述べたいと存じます。
東北六縣におきましては、樺太の無
縁故者三万人の中一万一千五百名を引受ける
計画にな
つておりまして、先程
北條君は一万三千名と言われましたが、御承知のように、
東北はこの秋未曾有の大水害を各縣とも被りましたので、そのために受入れの準備ということも遅れたという傾向が
一般的であります。殊に秋田縣のように、一万千五百名としますと、一縣当り二千名になりますがとてもそうは引受けられない、八百名に止めるというなところもあるので、こういう結果にな
つたのかと存じます。
收容所は各縣とも、先程も話がありました
通り、
兵舎の跡、造船所の宿舎又は土木建築の飯場等を修繕して、
世帶当り二室、六疊、三疊というくらいの部屋又は一室に間仕切りをして、各縣共少くも二百名内外を集團として收容するというのを原則としております。岩手縣のごときは戰車隊の旧
兵舎に二千五百名全部を收容いたしております上に、同兵営の中の別棟には、すでに以前からの
引揚者千五百名を收容しているという
状況でございます。結局、或る多くの数を集團收容するというのが原則にな
つておりまするが、今度私共は
視察いたしませんでしたけれども、話に聞きますと、福島縣におきましては比較的少数のものを多数の町村に、その町村の
責任を以て割当て当初からその町村の人として更生に発足せしめるという特殊な
方法を採
つているという由でございます。
收容所の修築は、各縣共まだ完了しておりませんけれども、現在收容いたしておりまする人員、私共見ました四縣を引括めまして千八百人くらいでございまするが、それに比較いたしましては、すでに完成しておる
部分の
收容力は非常に多くな
つております。そうして少くとも
昭和二十三年の一月中には全部完了するということにな
つております。この遅れました
理由は、先程申上げましたように、数囘に亙
つて水害を被りましたために準備が手違いを生じたということがありますのと、それから各
收容所の破損が甚しかつたがために、材木、ガラス等の入手に手間どつたため遅れたというような原因があるようでございまするが、今できておりまする設備は、先ず概して
一般的に完全でございまして、寒くて困りそうだというような、
状況を余り見受けませんでした。その
施設の中に一番欠けておるのは、先程
お話のありましたように浴場でございます。これの設備の完全にできているところはまだございませんでした。それからもう
一つの特色は
炊事場でございますが、これにつきましては、共同
炊事場の設備があるところがあるのでございますけれども、併しどこに行
つて見ましても、殆んどこれを利用しない、各
世帶毎に自分の部屋の前の廊下で炊事をするという
状況でございますので非常に煙が甚しく、そういう
状況では火災等の憂いがないでもないという氣持がするのでございます。併しこの問題は、今度の
視察のみならずどこに行
つて見ましても、
日本人在來の習慣として、自分のところで各別に炊事をするという習癖が深くついておりまする。これは又研究の必要があることではないかと思
つております。各縣共、縣廳、市役所等の官公署から、一縣の更生会、同胞援護会、学生同盟が、非常によく一致して眞劍に受入れに努力して下さ
つておりまするが、こういうところに
東北の人の非常に重厚な氣質がよく現われておりまして、援護を受ける方々にとりましても精神的に非常によい影響を與えつつあるということが目に見えるような氣がするのでございます。
それから樺太の
引揚者は、北朝鮮や満洲とは異りまして、終戰後異民族の間にあ
つて非常な苦労をしたということが先ず少い、殊に農民、漁民等は樺太における生産の
関係から、戰前そのままの
業務に從事することを許されておりましたので比較的平穏な氣持ちを維持することができました。且つ帰還に当りまして相当多くの
荷物の持参を許されておりまして、多い者は二十数個も持
つて参
つておりまする。ミシン等に至るまで持
つて來ておる人もあるというような
状況でございますが、そういう
状況なので、
收容所でまだ配給品の到着してない所でさえも、少数の例外の外は、何とか間に合うという
程度でございます。心も平靜に保
つておるのでこの結果援護に対しまして非常に皆感謝の念が強く、そうしてそういうふうないい環境にありまするためかもう到着しました翌日から更生に対して邁進しようとする氣力が非常に旺盛でございまして、昨日到着した者も、直ちに職を求めつつあるというような
状況を見受けたところが多いのでございます。
それから
函館の援護局から
東北の各縣に收容者を運搬するに当りまして各縣との連絡が今まで予め十分でなくそのために、通知がなくして人を送
つて來たり又通知がなくして人を送
つて來たり、又通知と人員の到着との時間が非常に短か過ぎたりするために非常に受入地でまごつきまして、その結果、
引揚者の最初の印象を悪くするというような場合が大部あつたようでございましたが、これは單に援護局の
責任というよりも、
東北地方の鉄道、通信の
状況が非常に混乱しておるということがこの大きな原因であつたように見受けられたのでございます。
次に各縣の
状況を極く簡單に
お話いたしますが、宮城縣では、收容の予定人員が二千名にな
つております。そうして收容箇所は三ケ所の予定にな
つておりまするが、その中二ケ所ができ上
つて、一ケ所はまだできておりません。現在の收容人員は四百四十名でございます。そしてその寮の中に
一つの愛子寮と申しまするのは、仙台の郊外の廣瀬村という村にございまして、元の農兵隊の宿舎を修繕してこれに充てておるのでございまするが、とにかく
一つの余り豊かでない村が、ここの收容人員は二百九十六名にな
つておりますが、これだけの人を引受けてそうしてこれが宮城縣の廣瀬村の人にな
つて生きて行こうというためには、村といたしましても、非常な考慮を要し困難を感じておる模様が見えるのでございます。殊に少しどうかと思いまするのは今度見ました帰還者の非常に多くが農民でございまするので特に農村を選んで收容しました。この廣瀬村に割当てられました人の中の可なりの大
部分が、王子製紙の
関係者であるのでございます。こういうような所も人の振当てということなどにつきましても余程
考えてやる必要があるのじやないかというような氣がいたしたのでございます。ここに入りますると、大抵多くのところ、二日から五日ぐらいの間まで炊出しをして給與しまして、その後は自分の働きで
生活して行くのでございまするが、この廣瀬村におきましては、見ました中で、一番に、どうもこの收容されておる
人たちが、自分でぐんぐんと働いて更生していこうという意氣が薄かつたように見えるのでございます。薪を採りに行くというのでも、こういう山でございまするから、それは随分いろんな問題があるにしても、自分で進んで行けば何でもないところを、とかく配給を待つといような傾向があるのでございます。すべてについて何んとなく依頼心が多いいように見受けられたのでございますがこういうことを入りました当初の方針なり、それに対する指導の仕方というものが、余程必要ではないかという氣がいたします。それからもう一ケ所の白菊寮という寮を見ましたが、これは收容人員が百四十四人ばかりでございますが、これは仙台の駅から四キロばかりの非常によい所ではありまするがこれは土建の飯場を改造したもので、
施設としては一番劣
つていたようでございます。殊に周囲の
状況から見ましても、余り良い所とは申せません。併しそれにしても、この東京あたりの收容
状況から見ますと、余程しつかりしておるように見受けたのでございます。それからもう一ケ所の騎兵隊跡の
兵舎は、これはいろいろな
関係で許可が下りません。やつと私共が参る少し前に、これが開放せられたような
状況でございます。非常に
兵舎の跡でございますからしつかりしておりまして、八百名ばかり收容できるのでございますが、やつと着手せんとするというくらいなところにあ
つたのでございます。
ここで
ちよつと申上げておきますが先程
北條さんから、でき上つた
施設が他の
引揚者の方に轉用せられざるを得なくな
つておる場合が多いという
お話でございましたが、
東北は先程
お話しましたように、準備が水害のために非常に遅れましたので、でき上りが遅いため完成した設備を他の方に廻すようことは殆んどないようでございます。唯先程
お話した廣瀬村の一部に六十何名という人が入つでいただけで私共の見ました四縣の中では外にそういう無
縁故者以外の人が入
つているという
状況ではございません。
次に岩手縣でございますが、二千名の割当人員に対しまして二千五百名を引受けております。そうして市内の観武原と申しますか、そこの元の戰車隊の
兵舎の跡に一括して收容する
計画でございます。既にその第一期第二期の改造が終
つて千三百名以上の設備を備えておりますが、目下收容人員は百四十八
世帶、七百十四名にな
つております。第三期
工事もずんずん進むことにな
つております。
收容所はここの知事の命名にな
つて、岩鷲寮と命名されておりますが、この改造が非常に
工事が親切でございます。これは
木内先生が見て非常に感心しておられるのでありますが、便所の末に至るまで非常に注意が行届いて結局小さな子供でも落ちないような設備までしてあるというふうでございます。随分破損の甚だしかつた
兵舎も見違えるばかりによくな
つております。この一事からもこの縣の官民の一致の努力の一端を窺い得るような
状況でございます。受入の
状況は縣の
報告通りであるが、ここで特色とでも申しますのは、ここに收容されております
引揚者は勿論市内の工場等に就職している者も多いのでございますが、この岩鷲寮と隣合つたやはり同じ兵営の中に元から
引揚者の收容
施設として青山寮というのができておりまして、ここに三百五十
世帶、千五百人くらいの人を收容しているのでございますが、その
構内に岩手縣の
引揚者更生聯盟の経営しておりまする藁工品の産業組合がございまして、これに青山寮の人も岩鷲寮の人も通いまして、藁製品を作
つているのでございますが、なかなか働きまするといい收入になるのでございます。丁度我々が見ましたのは日曜日でございましたが、それにも拘わらず最近に樺太から帰
つて参りました女の人、殊に女の子供の
人たちが午後の遅くでありましたが一生懸命に作業をしているというような
状況でございます。その外に青山寮の方では同胞援護会で山羊を飼わせるというようなこともや
つておられるようでございます。一体岩手縣は
引揚者の中に非常によい指導者がおられますために縣内に十六の産業組合が
引揚者のためにできております。市場とか工場を経営して更生に努めているようでございますが、この縣が一番に官民の一致した努力の跡が見えます。更生に対して希望が非常に持ち得るような氣がしたのでございます。
青森縣は先程
北條委員の
お話のように、まだ一ケ所も完成した
收容所がございませんので、
從つて一名の收容者もございません。ここは十ケ所ばかりの
收容所を予定しておりまして、大湊が一番沢山收容することにな
つておりますが、これは水害その他のために
施設が非常に遅れているのでございまするが、殊に
青森縣は先程から
お話のように内地における
一般の
引揚者の最初の引受け所でありまするので、縣としてもその方の用もしなければならない。こういうところで遅れた点もあると思いますが、これも一月一ぱいにはすべてが完成するということにな
つております。
青森の市内の造船所の建物の改築を見て参りましたが、まず六、七分
通りできてきるようでございます。それから先程
北條君からも
お話がございましたが、
青森におきましては、
北海道から渡りまする人々を先ず一括して
引揚げなければなりませんので、この頃のような運輸の
状況でありますと、
青森で非常な寒風に曝されて一晩も過さなければいけないような場合が非常にありますので、無料宿泊所ということについては非常に必要が多いのでございます。これは先程
北條君からも
お話がございましたが、この点につきましては、そういうことのために
青森には特に経費を多く割当てたんだという厚生省の
お話もございましたが、
青森縣においては却
つてこれに対してもつと多くの國庫補助を望むというような要望があつたような次第でございます。
それから秋田縣は先程
お話しましたように百四
世帶八百名を收容することにな
つておりますが、これはやはり市内の海岸寄りの造船工場を改築しまして、これが十一月末に完成してすでに百四十四
世帶六百九十五人を收容しております。この設備も先ず良くできておりまして、そうして帰還者は最近到着しても昨日入つたというような人が大分多くありましたにも拘わらず、極めて皆元氣で、ここで何とか早く働く途はありませんかということを口を揃えて要望しておるような
状況でございます。
要望の事項といたしましては、
施設費の國庫補助の増額につきまして、今囘の國庫補助は建物の整備、主として改造に対してばかり與えられているけれども、引受けの
世帶が予定より増加したるために改造費が不足であるから増額して欲しいというようなことを大分各縣から要望しておりました。尚改造費以外にも
輸送、炊出し、運搬等の経費が非常に沢山要るので、國庫補助の増額を希望するという件がありました。それから收容の建物につきましては、先程
北條委員からも
お話がありましたように、これは
兵舎などが多いために、主として大藏省の管理建物であるのでございますが、この管理建物に対しまして、これを引受ける場合は勿論、先程
北條委員の
お話の
通りでございますすが、今の
状態においても、大藏省としましては、貸付料の納入ということに対して、非常に嚴格であ
つて、そうしてこれが眞面目にや
つて参りまして、そうして、一
世帶から二円ずつ取つたといたしましても、結局火災保険料にも当らないくらいの收入しか得られない。こういうような目的のために使う場合にはせめてこれを無料にするか賃借料の國庫補助を要望するとかそれかも尚改造した建物の維持管理費というものは、全部國庫補助にして貰いたいたいような要望がございました。それから地方分與税につきましてこの分與税に関する指令は、内務省から既に各縣に届いておるにも拘わらず縣の民生部とか社会課ではこれを知らないというような
状況が多か
つたのでございますが、この分與税も今年だけでなく、後年度においても継続するようにして欲しい要望の縣が多か
つたのでございます。それから、中にはこういうふうに世話をするのには、どうしても縣並びに町村に專任に担当する職員が必要であるから、その場合の國庫の補助を増やして貰いたいというような要望もございました。
こういうふうで、大体におきまして
東北六縣におきましては、
施設が遅れておりまするができました
施設は概して先ずよくできております。勿論先程の
お話のように疊等の欠点はありまするが、とにかくよくできております上に、やります氣持が非常に親切であるという点には非常に感心したのでございます。ただ問題はこういうふうにしますと、多くの集團を受取りまして、これをその縣の人として更生さして行くということにな
つておりまするので、一應の受入についてはこういうふうによくや
つておりまするが、さてこれからの
將來のことを
考えて見ます場合に、
只今の
引揚者に対しまする
政府の方針そのままで、この
人たちを本当にその土地の人として全き更生をやらしで行くということはその
人たちとしても非常に困難なるのみならず、受取りました縣、町村においても、非常にやりにくい点が多いと思うのでございます。こういう僅かの
施設を見ましたときにも、我々の胸につくづく感じまするのは、
引揚者に対しまする
政府の方針、結局戰争の犠牲に対する
負担の公平ということを初めに何とか解決して参りませんと
一般の
引揚者は勿論、こういう人々を更生する上につきましても、非常な
欠陷が多いということが
一つ、それから先程
北條君が言われましたように、こういう纒つた
人たちを引受けながら、殊に農民が多いのでございますから、これをどういうふうにしてや
つて行くか。土地その他の問題につきましても非常に困難が多いような氣がするのでございます。勿論
北海道で以て、もつと引受けて貰うということも
考えられますが
日本がこういうふうに小さくなりましたからには、こういう点につきましても、もつと深い研究が必要ではないかということをつくづく感ずる次第であります。これを以て終わります。