○樋貝詮三君 私は、民主自由党と申しまするよりは、むしろ非常に疑惑に鎖されておりますところの
國民に代りまして、
政府に対してお
伺いをいたしてみたいと思うのであります。明後日は月曜日で、おそらくは官報その他の措置をおとりになることであらうと思いますから、緊急に
政府に対して質問をなしまして、
從つてそれらの措置につきまして相当の御考慮を煩わしたいと考えておるような次第であります。
公職資格訴願委員会は、さきに本年の五月十日をも
つて廃止いたされたのであります。同じく同月二十二日におきましては、
政府は追放解除者といたしまして、百二十九人の氏名を決定発表いたしておるのであります。このときに、
政府は声明書を発しまして、訴願委員会の
調査を経て決定される追放解除はこれをも
つて終了した、こういうように申しておりまして、あたかも百二十九名の追放解除の決定が訴願委員会によ
つてなされたるがごとき感じを
國民に抱かしておるのでありますが、事実百二十九人の決定をいたしたものは、はたして訴願委員会でありましようか。私の傳え聞いておるところによりますと、
総理大臣に属しますところの一、二の官僚と、か
つて訴願委員会の事務局長でありましたところのその二人との合作であ
つたのであります。案に驚くべきことであると考えております。
訴願委員会は、御
承知のごとく昨年三月において設置せられ、本年の五月十日に廃止せれたのでありますが、
政府発表によりますと、事件の受理件数が千七十件であり、その中で追放解除と決定いたしましたものは、今回の分を除いて十四件でありました。この委員会は、設置以來黙々として審査を続けておりましたがそれは審査の結果をまとめて発表しようというような趣旨であつたようにうかがわれるのであります。しかるに、本年の四月にはいりまして、
政府は五月十日には委員会を廃止するのだということを突然決定いたしたのであります。これがために、急に五月十日をも
つて最終決定をなすのであるといたしまして、約二百五十名の追放解除を決定したということであり、二百五十名かのうち五十人というものは、当初から追放にすべきか否かかが懸案と、なつたものでありまして
從つて約二百名がまず解除と決して、その余の五十名は、これとのつり合よりいたしまして、まうやく滑りこみ的に持ちとんだというような、辛くも追放解除に相なりましたような次第であります。そして同委員会はその決定をいたしまして、すなわち二百五十余名の追放解除の決定をいたいしましてただちに散会をいたしたものであります。すなわち、同日において同委員会も解散いたしたようなものであります。
しかるに、その直後にな
つて、この二百五十人の追放解除、すなわち大量的の追放解除には、著しい杜撰がありことが発見せられまして、その修正をなすの必要を生ずるに至
つたのでありますが、そのときにはすでに訴願委員会は消滅いたしておつた後でありまして、
從つて、訴願委員会の議にかけてその
決議を訂正するの
機会をもたなかつたような次第であります。本來からいたしますならば、さらに訴願委員会を復活いたしまして、再議に付するのが当然のことでありまするに、
政府はこれをなさず、あるいはこれを奇貨おくべしとなしたのであるかどうか存じませんが、
総理大臣の一属僚にすぎないところの官房次長と、当時すでに事務局長ではなくな
つたのでありまするが、過去において訴願委員会の事務局長でありました者とをも
つて——その資格は私には判断できないので、いかなる資格でありまするか、これを知らないのでありまするが、この両者が事件を処理したのでありまして、委員会が決定いたしました二百五十余名のうち約過半数の、すなわち追放解除者の約半数であります百二十九名——楢橋君ほか全部百二十九名が、これら両人に取上げられまして、追放解除と相なりましたような次第と承
つているのであります。そこで私は、
政府に対してお聽きしたいことがあります。こういうような、未だ追放事件が最後の解決をいたさないときにあたりまして、用意の整わないうちに、何ゆえにまずも
つてこの委員会を廃止いたしたのであるか、これを
伺いたい。これは、
政府がこの委員会の決定——どさくさまぎれに決定された、その最後の決定をもちまして、いかなる方両にわたりましても欠点なきもの、言いかえれば、これは訂正されることはないと呑んでかか
つたのでありましようか。もしそうでないとするならば、この委員会廃止につきましては、初めから事務官をして最終決定はやらせるというような
方針でこれを廃止いたされたのであるか。この点は特に伺
つてみたいと私は考えているような次第であります。
さらに第二といたしまして、もし委員会において決定いたしましたことが、かりに修正を要するような事情に相な
つておりましたならば、そのときにもし訴願委員会が廃止せられておりますならば、何ゆえにその訴願委員会を再び復活して裁決をいたさなか
つたのでありまするか。ただいま申し上げました
通りに、これは奇貨おくべしとなして、内閣において随意に処置せんがために、この委員会を復活しなか
つたのでありまするか。少くとも
國民は、かくのごとき深い疑惑をも
つているものと私は考えるのであります。
さらにもともと、この委員会に事件の訴願を委託することになりましたということは——事務官をして処理せしむるというようなことは、それは非常に非民主的である、また一面においては、半ば独立性をも
つているところの委員会をして処理せしむることが正当であり、少くともそういう感じを
國民に與えるから、この委員会をも
つてしたのでありまして、この場一、二の事務官をしてこれを処理せしむるということは、決して私は妥当でない、民主的でないと思うのでありまするが、(
拍手)実際におきましては、この非民主的きわまる事務官をして処理せしめたような結果でありました。
さらに、二百五十余件の追放解除の数というものは、訴願委員会にとりましては実に多量の決定でありまして、このとき委員会におきましては八百名の追放確定君があり、しかして二百五十余名のこの追放解除を認めたのでありまして、それまで千七十件の受理件数に対して、わずかに十四件のほかには追放解除をしておらない。この委員会にとりましては、実に委員会始ま
つて以來の大処分数であつたと思うのであります。
從つて委員会に対しましては、これが中心的な処置であると言わなければならないのでありますが、これを委員会とは別にいたしまして、一、二の事務官によ
つて処理せしめたということは、どうしてもうなずけないところであります。もし事務官がこれを処理してよろしいというならば、初めから訴願委員会なぞは置かないでよいものでありまして、何を苦しんで訴願委員会を認め、訴願委員会が一年以上にわた
つてこつこつと審査をし、その結論を得ようと努めておつたかであります。簡單に、專制的に、一、二の事務官によ
つてその処置をなされてよいものでありまするかどうか。しかも委員会を置き、非常にたくさんの人を煩わして、衆議によ
つてこれをきめるの態度をとりましたことは、決して一、二の者に、專断的に処置さしてよいという理由ではなか
つたのであります。
さらに、この委員会におきまして二百五十数名の決定をなしますについては、おのずから、かれこれ権衡を考えておつたということは明らかなことであります。現に五十名の者は、最後の最後の
段階までもその線に入らずに、二百名内外の者があらかじめ決定されて、そのうちには、委員会の当初より、すでに委員会がこれを解除しようと考えておつた人々も含まれておりまするし、この五十名のうちには、実に二百名とのつり合いよりいたしまして、わずかに解除と決せられたような、ごく最後の
段階において解除せられたひと人も含んでいるのでありまするが、この権衡は、委員会をほかにしては判断のできないものであり、委員会以外の個人をも
つて、いずれが権衡を失するかということは判断できない。私人としての判断は御自由でありますけれ
ども、しかしながら、最後の決定は委員会でなければできないものであると考えておりまる。しかも、なおこの最後の決定が、われわれの見るところをも
つてすれば、必ずしも公平とは考えられないのであります。百二十九人の、あの追放解除者が発表せられましたときに、少くも大多数の
國民は、実に唖然としたであろうと思うのあります。それはすなわち、この権衡上から申しましても、他を宥怒いたしましてこれを、容恕すべかちずというようなものがあるのでありまするが、それがこの中に、逆な形をも
つて現われてきているのであるから、
從つて、この結果を通覧いたしますると、共産党の
諸君の方面には割合寛大のようでありましたけれ
ども、しかしながら在野党方面にわたりましては、非常につらく当つた形跡が客観的に認められるのであります。いかなる事由であるか。
政府はこれに対して、偶然なる吻合と言うでありましようが、しかしながら、この客観的事実を單なる吻合と見るということは、はなはだ無理であろうと私は考えるのであります。さらに第三の点を
お尋ねいたしたいと思いますが、この追放解除から漏れましたところの人々を、はたして
政府はいかに取扱うつもりでありますか。この間の二十三日の新聞を拝見いたしましたところが、この追放解除から漏れた人々を、あたかも追放された人であるかのごとくに掲載せられておつた新聞も多々認めたのでありますが、おそらくこれは、
政府方面でそういうふうにお漏らしにな
つたのであろうと私は考えます。一体訴願せられた者に対しましては、これを認めて追放を解除するとか、あるいはこれを認めずに訴願を棄却するとか、二つに一つの方法、に出るほかはないと思う。しかしながら、この追放解除から漏れました人々というものは、訴願の却下をせられた人々ではないので、五月十日において訴願の委員会が廃止せられました後でありますから、却下ということがあり得ないのは当然でありまするし、さればとい
つて、訴願委員会に係属いたしておりましたところの事件が取上げられて、これに解決が與えられたものでもないのでありますから、その訴願は一体どこへいつたでありましようか。
政府が追放のごとくに申されている—多分そう考えておりましようが、はたしてこの追放のごとくに考えられている
根拠はどこにありましようか。これらの人々については、却下もなければ採用もない、委員会自体が忽然として消え去
つております。実にこれらの人人も幽霊であらうが、委員会自体も幽霊であるかのように消え去
つたのが事実であります。この人々が決して少くない。それにもかかわらず、これを追放せられた人のごとくに取扱うということは、非常に誤つたる処置であろうかと思うのであります。かくのごときは訴願委員会の意思を無視する横暴的な処置でありまして、もしこれを無視いたすならば、明後日、月曜日あたりにはあるいは官報においてこれらを追放者として掲げるような処置をなされるかもしれませんが、もしそういうことをするならば力をも
つてこれで天下にどこまでも押していけるというようなお考えをもちますならば、政治はもはや捨てた方がよろしい。東條時代に、権力あ
つて政治なき時代を現出しておりましたが、東條内閣の再來のような状態に立ち至ると思う。さらにこれをも
つて訴願がただいま申したるごとくに係属中であるとも言うことができないのでありましよう。これらの人々に対しては、いかなる処置を
政府はおとりになるか。このうちには、委員会が考えて当然に追放解除をなすべきものとしておるものがたくさん含まれておるはずであります。しかして、委員会が見ても
つて追放解除はしないのであるとしたような、最後の、
段階においてこれに加えたような人が、追放の解除を受けておる事実があるではありませんか。はたしてだれの意思が加わ
つて、こういうような結果を起したのでありますか。
政府からはつきりした御答弁が願いたいと思う。
さらに、第四の点について私は
お尋ねしたい。去る五月二十二日の
政府の声明発表におきましては、訴願委員会の追放解除はこれをも
つて終了したということを御発表にな
つておるようでありますが、これは文字
通りに受けてよろしいのでありまするか、その点を、念を押して承りたいと思う。すなわち、訴願委員会の追放解除をそれも
つて終、了するもしないもありません。すでに訴願委員会は五月十日に消えておるのでありますから訴願委員会によるところの解除というものは、二十二日にな
つていまだ存在しておるはずはないのであります。この声明をなすとなさぬとを問わずに、もはやあり得ないのでありますが、しかし、こういう声明をされておるが、訴願委員会のなすところの解除というものは以後ないという、天は高く地は低しというような、公理できま
つておるところを言うだけでありますが、まださらに追放はこれを続行するというお考えでありますか。解除はこれで終了したが、追放はそれ自体御進行になるおつもりでありますか。もし、追放をあとからから基準を定めていたすならば、
國民は実に不安にかられまして、いつまでた
つても追放の災厄より免れることはないという感じさえももつようになるではないかと思います。
日本を軍闘主義方面に追い込んだために、ポツダム宣言の第六項によりまして
日本に追放が行われたのでありましようが、しかしながら、ある
程度で打切るとか、ある
程度で直すとかいうことをせざる限り、いつまでも不安の状態におきますれば、追放を受けた人々は、これによ
つて自暴自棄になるでありましよう。過日私が接したある追放者のごときも、実に非常に過激なことを申しておりましたが、國をあげて過激にいたしましたならば、治安の責に任じておりますところの法務総裁も、またその責任の一端を背負わなければならないようになるではないかと私は思う。実にこの追放におきましては適正でなければならない。行過ぎでもならず、足りなくても
日本改造はできないのでありまして、適正であることを要するのでありますが、これに対しまして、はたして
政府はその点に考慮を拂
つて、この声明をなされたのでありますか。これも一つ
伺いたい。
さらに、委員会外の解除というものを認めるおつもりであるか。委員会によるところの解除は、これから以後は認めないというのでありましたならば、ちようど今回のあの一、二事務官によりまして解除をしたと同様に、爾後また委員会外の解除をお認めになる御趣旨でありまするか。それならば、それでよろしい。承
つておきましよう。いけないならば、いけないでもよろしい。この間の処置はきわめて不当なるものであると私は考えるのである。いずれが正しいのであるか。この声明は、実にその文字
通りにと
つていいのであるか。私は、こういう時の経過、情勢の変轉によりましては、解除をまたさらに試みなければならない
段階に達するのではないかと思うのでありまするけれ
ども、それを含んで、そういうことを念頭において、この声明をお出しにな
つたのであるか。あるいはまた、それさえ一切空に、お考えにならないで、この声明を出されたのであるか。これを承りたい。
さらに第五といたしまして、今後はどういう御
方針で
政府はお進みになるか。すなわち、ポツダム宣言の解釈によりますれば、あれの趣旨から申しますれば、
総理大臣が責任をも
つてこれを遂行しなければならない。責任をも
つてということは、公平にこれを行わねばならぬという趣旨であると考えるのでありまするが、今後において、どういうおつもりでこれを遂行なさるか。
総理大臣が責任さえ負えばよろしい、十分だということで、氣ままにその属僚、言いかえれば意のままになる、命令のままに服從するその属僚によ
つて、これを甲とか乙とかに解決しようとお考えにる
つているのであるか。あるいはまた、これについて一定の御
方針をも
つておるのであるか。これを私は
伺いたいと思うこれら追放になりました人々に対して、たとい腹の底におきましては、追放すべからざる人が追放になり、解除すべからざる人が解除を受けましても、その解除せられた人々に対しては別に反感をもつものではないのでありまするけれ
ども、あとに残されました、追放の爼上に載せられて戰々競々として、おる人々に対してすなわちその一生を棒に振
つておりまする人々に対しては、多大の
同情をももまするし、
政府の御意図のほ
ども十分に承
つておかなければならぬのでありまするが、以上、私の質問申し上げました
事柄に対して、事実がはたしていずれであるかという事実の点も
伺いたい。これら五項目の点についても
伺いたい。こう私は感じておるのであります。
一
般國民におきましては、現にこの委員会が百二十九人を決定したものであるとだまされております。よく人をだます内閣であると私は考えておるが、(
拍手)この点におきましても、まただましたようなことにな
つては、
國民に相済まないと思う。これらの点も、現にだまされております。新聞等におきましても、委員会は最終審査をも
つて任務を終了したと
言つております。事務を監査課にこれから引継ぐということを新聞が書いておりますが、これらも明らかにだまされた証拠であります。各新聞にそういうような趣旨のことを掲げておりますが、これらは今申し上げましたように事実でない。私は事実でないことの方をむしろ望みます。しかし、ここに具体的な人々の名前もも
つておりますけれ
ども、その審査の結果が不公平であり、しかして、先ほどからあげましたこれらの事実が相当の確実さをも
つて——少くもわれわれの耳にはい
つておりますについては、單純なる風説とばかりは聞くわけにまいらぬと思うのであります。
政府の明瞭なる御答弁を願いたいと思う。(拍子)
〔
國務大臣芦田均君登壇〕