○徳田球一君 私は、
日本共産党を代表いたしまして、
芦田首相並びに栗栖
安本長官の
施政方針演説に対しまして
質問をせんとするものであります。
第一に
外資導入についてであります。この
外資導入につきましては、
政府及び資本家の態度はきわめて奇怪至極のものでありまして、ただ物をとりさえすればよい、あとの條件は何も
考えておらない、まるで乞食的な態度であると言わざるを得ないのであります。何らの計画なくして物をとりさえすればよいということであ
つてはならないのであります。しかるに、これを実証しますものは、今後のこれが成功いかんを律するものは、実に現在における貿易の実態そのものであるのである。
昭和二十二年度、すなわち昨年度中の貿易の実績を見まするに、輸入中には食糧、石油、肥料、綿花等の占める割合が実に八八%でありまして、これらはすべて消費されるものであり、何ら生産設備を充実するものではないのである。さらに輸出中には纖維品が五六%を占めまして、輸入によ
つてさらにこれを加工して輸出する綿糸並びに綿製品がその中の六三%を占めているのである。これらも、すべて國内における消費を節減して、そうして実際上は空腹輸出をしておるわけであります。
しかるに奇怪至極のことには、機械並びにその部分品、鉱物、金属、石炭等、今生産復興のために最も必要なるもの、離してはいけないものが、この輸出の一六%に及んでおるのである。それゆえに、この輸出の全体を見ますれば、生産の施設を増強するということが目的ではなく、かえ
つてこつちにおいては、生産に必要なるものは外國へ安く賣
つておるという、実に言語道断な矛盾を來しておるのである。しかも輸入は輸出の二・六倍である。その結果、入超が輸出のまさに一・六倍という驚くべきものにな
つておるのである。そういたしますれば、この輸出によ
つて輸入を償うことはできませんために、終戰以來昨年末までに、入超は累積に累積を重ねまして、実に驚くべき累積をしておるのである。これが三億三千四百万ドルにな
つておるのである。百五十円に換算いたしましても、五百十億という莫大な負債を今も
つておるわけてあります。
しかるに、このうち輸入の実態をさらに詳細に調べてみますれば、
日本に輸入せられる小麦は主としてカナダ小麦でありますが、このカナダ小麦の横浜着の値段は一トン当たり百五十ドルでありまして、これを百五十円で換算いたしますると、驚くなかれ二億二千五百万円という莫大なものになるのである。しかるに
日本における小麦の値段は、食料の統制によりまして一トン七千五百四十円でありますから、輸入は三倍以上の値段になるのであります。それゆえに、これを國内の配給に使いますときは、この二倍の値段は
政府が補給してやらなければならないことになるのである。驚くべき事実である。
さらにこれを輸入石炭に見ますれば、カナダ炭は神戸着におきまして二十九ドルである。これまた
日本金に換算いたしますれば四千三百五十円、しかるに
日本における製鉄用の國内炭は、八幡製鉄所におきまして、一トンわずかに六百円として渡されておるのであります。驚くべき高價のものを輸入しておるのである。海南島から輸入しますところの鉄鉱石は、一トン十六ドルである。
日本金に換算いたしまして二千四百円である。これを内地産の鉱石にしますれば、わずかに四百円である。こういう
事態でありますが、これを
政府の計画しておりますところの石炭五十万トン、鉄鉱石七十万トンの輸入をいたすといたしますれば、驚く、なかれ三十二億七千五百万円というものが、
日本産を使いますよりもよけい高價のものを使わねばならないという驚くべきことになるのである。
さらに神戸から各工場に渡します。ときに、この運賃はすべて
政府もちでありますが、これが十二億円。さてこれを精算いたしまして、中國港渡しの薄鋼版にいたしますれば、トン当たりにして、ここまでの生産費が一万八千五百円かかります。ところがアメリカの鋼板は、上海において賣渡し値段は一万五百円でありますために、ここに八千円の高價のものになるのであります。これを二十五万トン輸出計画いたしております。これらをやりますと、二十億円損をするわけであります。從いまして、この石炭及び鉱石を輸入して、これを生産して輸出するというこの方式によりますれば、驚くなかれ、一箇年間に六十四億七千五百万円という莫大なる損出をわれわれ
國民が負わなければならないという重大なる
事態に際会するのである。これがドルの資金として固まるわけでありますから、この負債はドル資金として
予算面には現われませんけれども、しかしながら、將來われわれはこの重圧に圧せられなければならないということになるのである。それで実際上貿易廳の損失は、二十二年度だけで百六十億以上と推定せられておるのである。
さらに奇怪至極のことには、綿布を外國渡しに賣りますときに一ヤール十三円五十銭でありますが、國内においては、これのやみ價格が二百円以上である。そのために綿糸布を輸出するのを控えまして、國内の滯貨が莫大なものである。生産した総額の半分以上に逹するであろうと推定せられておる。すべてこれは、この安いものを製造業者が引取りまして、これをやみで流す魂膽のもとに行われているのである。
それゆえに、かくのごとき貿易は、まさに
日本國民をして破滅に陷れ、その結果、外國資本家並びに
日本独占資本家の腹を肥やす以外には何ものもないということになるのである。かかる方式において、はたして今後借りるクレジツトが一体何をなすであろう。これは
日本國民をして外國資本、
日本の独占資本を富ますところの手段として以外に何らの途がないではないか。それゆえに、かくのごとき状態におきましては、外資の導入はわが党は絶対に反対せざるを得ないというのであります。
第二に、かかる外國資本に対しまして、これはただではおくものではない。殊に外國資本が直接導入されますれば、これに対してどうしても抵当を設定しなければならないのである。栗栖
國務大臣は、これに対して電力設備を抵当に入れる、あるいはすでにはい
つておると言われるのでありますが、こればかりのものではとても足りるものでない。今後これが増大いたしますれば、國鉄も逓信も海運も、それからその他の大きな設備、殊に今後は関税も、すべてこれらは抵当に入れなければならない。
しかも、こういうむちやをやりまして、入れるときには高く、賣るときには安くという状態にいきますれば、損するにきま
つておる。利子は拂えない。この結果は一体どうなるであろう。この結果は、まさに
日本の全財産が外國資本の支配に属するということになるのではないか。か
つての満州を見、か
つての上海を思い出すならば、わが
日本國民は、まさに膚にあわを生ずる一大危險を感ずるではないか。
しかるに資本家におきましては、鉱山権を渡してもいいとか、株式のうち五一%までも外國資本に渡していいというような態度をと
つておるのである。五一%外國資本に握られたちどうなる。一切が外國資本の奴隷にならざるを得ないではないか。これを認容する者は、かくのごとき資本家は、まさに賣國奴であるとい
つて少しも差支えない。こういうことは、あの南京
政府と称された汪兆銘、彼でさえ、
日本にさえも許さなかつたものである。今や
日本政府の態度及び
日本の資本家の態度は、この汪兆銘以下だといわざるを得ないではないか。
さて、さらにこれを受け入れるために、法人税を安くして、これに利潤を與えることを約束する。現在におきましても、大衆の課税は強く法人の課税はきわめて安い。その上なお安くしますれば、一体どうなる。大衆はまつたく課税に圧倒されまして、生きる途を失うことは当然ではないか。さらに行政整理、企業整備におきまして、首を切ることに興味を感ずるに至
つては、首切浅右衛門でございまして、かかる
方針によ
つて外國資本を入れようとすることは、実に罪惡そのものといわざるを得ない。さらに低賃金政策をとり、組合を御用化する政策をとり、工業生産物を高價格にし、農業生産物、水産物、手工業生産物をなるべく低價格にしようというこの政策におきましては、農民、中小商工業者は破滅し、
労働者はまつたくこじき以下に下るではないか。
かくのごときは、まつたく外國資本の利益、國内における独占資本の利益のために、
日本人民の、全
國民の九五%をまさに奴隷とするところのものである。こういう
方針を立てまして、しかも
芦田首相は、この外國資本の導入によ
つてのみわが國を再建するというに至
つては、驚くべき愚鈍ではないか。
しかるに
芦田首相は、このインフレの中に繁栄しておるといわれた。何が繁栄している。
芦田首相は、銀座において、どこにおいて、家がどんどん建
つているじやないかと言う。この家が建
つているのは、だれが建てたのか。これは大やみ屋が建てたのではないか。ここに
労働者がいるか。ここに引揚者がいるか。
労働者も引揚者もみんな苦しんでいるではないか。三疊に五人、六人寝ている所はたくさんある。繁栄しているのはだれだ。大やみ屋じやないか。しかもここに品物がたくさん出ておるという。なるほど出ておる。相当出ておる。これはもはや購買力がなく
なつたために、買う者がないから品物がたくさんたま
つているだげの話である。購買力があれば、これらの品物はどんどんなくなるに違いない。こういうものを見て、これが繁昌のしるし、好景氣のしるしだと言うに至
つては、まさに
芦田首相は笑うべき限りの人間であるといわざるを得ないのである。
それゆえに、わが党の
外資導入の政策は、これらの政策に反対し、第一に、民族の独立、
國家の自主権を害せないことを條件とすること、
言葉をかえて言いますれば、
政治的干渉は絶対避けるということ。第二に、経済の復興はすべて独力でやるということ。この独力でやることに対して、クレジツトは單にこれを援助するというに止まるべきこと。第三に、國営人民管理の貿易によ
つてこのクレジツトが設定せられること。決して現在の官僚並びに現在の資本家によ
つてクレジツトを得、資本を得るということには絶対反対である。これらは大やみ師、これらは経済を破壊する毒物であるから、これらに資金を與えるということは絶対反対である。しかもこれらのクレジツトは、すべて利子その他元本とも、わが國経済の範囲内においてこれを消化し得るということが條件にならなければならないと思うのである。これに対して、特に
芦田首相、来栖
國務大臣並びに水谷
商工大臣の
答弁を求めるものである。
第二に、
労働問題についてである。苫米地
國務大臣は、この前、今の
給與によりますれば、東京では、三人家族でも
つて三十二、三歳の者は、
一般の事務員が四千二百六十六円、現業は五千三百三十三円になると言われたのである。しかし、これは單に名目上の手取りにすぎない。しかも、こういう
給與の体系は非常に複雑なるために、鉄道総局に行きましたら、上の方では、だれがいくら取
つて、だれがどうか、そんなことは全然知らぬ。末端に行かない限りわからぬ。末端に
行つて調べました事実によりますれば、実にかくの
通りである。
非現業の東京商工局におきまして、事務員が税込みで、この先生の言われる標準でも
つて三千二百四円五十銭でありまして、まさに一千円近くの相違が出ておる。下の方に薄くなることを苫米地先生は知らないのである。こういう結果になる。しかも、これが手取りにおきましては、驚くながれ、二千七百五十九円五十銭にしかならない。現業におきましては、國鉄の機関士でありますが、勤続十年ないし十二年、年齢三十二歳でありまして、これが税込みでも
つて三千五百六十八円五十銭しか取
つていない。これから税を引きました手取りは三千四十四円五十銭でありまして、苫米地先生の言われるのに対しまして、二千三百円近くも違
つておるのである。これが事実である。これは何を意味するか。これは職階制の不合理を意味するものである。
当衆議院及び参議院におきましても、この職階制のために、小使さんたちが、これまで取
つていたものよりもかえ
つて少なくなるという事実にな
つておる。それゆえに、四月以後におきまして、どんどん頭から不足分を取去られるということにな
つておるそうだ。それゆえに、今やここにも
ストライキがまさに起らんとしつつあるのである。かくのごとき不合理、かくのごとき状態こそ、まさに一大爭議が起るところの
原因である。こういうむちやくちやな職階制、こういうむちやくちやな
給與法は、現在の状態においではまつたく適せないのである。これをむりやり、口を開かして押しこむような、そういう態度をとるに至
つては、まさに言語道断といわざるを得ないのである。
さて、
総理大臣が二万五千円、平
大臣が一万八千円、これだけ取るということに対しまして、苫米地
大臣は非常に憤慨せられまして、かかる事実はない、こう言われましたが、これは共同通信から発せられている、予定のものでありまして、今まさにこの爭議が終ればパツと上ろうとする、その態勢のうちにあるのである。実にこれは八倍でありまして、こういうことは、現在取
つていないというだけでは弁解にならない。ここは八倍上るのに、
労働者は大体におきまして——事務員は、名目上でさえ、手取りにおきましてはわずかに三割前後しか上らない。
そういうことを
考えますれば、いかにこれが残酷無類のものであるか。
総理大臣といえども、小使さんといえども、生きるためには大して違いはない。どれだけ職務を盡したかということにした
つて、決してこれは比較にはならぬ。小使さんの方がいいかもしれぬ。なぜなれば、
大臣のごときは積極的に惡いことの面を結果している。それゆえに、職務上これに高給を拂うということは決して合理的ではない。
かかる結果、すべて仕事は非常に非能率になり、食えないからやみをやらざるを得ない。すべて腐敗堕落のもとは、この
給與が実に非人間的であるからである。不合理にできているからである。小やみを押えれば押えるほど、いよいよますますこれは國内の一大騒動を起す爆藥を詰めるのと同一の結果になるではないか。この爭議が起るゆえんのものは、かくのごとくである。この根本的なものを直さずして、これに対する基本的な
方針なくして、加藤君や西尾君や苫米地君が、ただ手先でも
つてこれを操
つて何とかしようた
つてだめだ。いかなる彈圧を受けようとも、いかなるものがあろうとも、人が食えなくなれば、最後に一番強くなるのである。そうな
つて初めてここに革命が勃発するのである。まさに革命のために爆藥を詰めつつあるのは
大臣諸君である、
政府それ自体であるということを、ここに立証しているのではないか。
專賣局におきましては、一日五十万本のたばこが盗まれるという。五十万本盗まれるということは
政府が認めておるところだ。こういう不当のことをするから五十万本も盗まざるを得ないのだ。いかなる監督をつけましてもこれを追い出す。事実上、監督は勤まらないといわれている。
さて、この上にさらに勤労所得税は二重課税をしている。すなわち源泉で課税して、さらに総合所得に課税するために、驚くべき惡税となりつつある。そのために、職場放棄がどんどん起りつつある。いい腕をも
つている熟練工であればあるほど、どんどん職場を放棄している。そのために生産を害せられることおびただしいものがある。
これを教員の例に見ますれば、師範学校の卒業生の就職拒否は非常にたくさんありまして、その結果北海道におきましては、正式の免状をも
つている者はわずかに三〇%という悲劇を生じている。あとは、きよう床屋をや
つていたかと思えば、あしたは先生になるという連中でありまして、とうていこれはものにならないのである。
文部省の統計によりますれば、本年師範学校の受験に應募している者——これは試験を受けたのではない、受けようとい
つてきた者、これが男子がわずかに定員の一倍半に過ぎない。すなわち半分を超過したに過ぎない。実際に試験を受ける者は、はたして定員に満つるかどうか危いのである。さらに女子におきましては、應募者が定員のたつた半分にすぎないのである。こういう状態では、今やまさに職場放棄が始まる。こういう官公職に就くことは人が好まないようになり、ばかがここにはいるようになりますれば、一体、どういう結果になるか。
かかる状態におきまして、行政整理を二五%やるに至
つては、これはまさに白痴のやることではないか。いよいよますます
労働を強化し、いよいよますます困難を増加るのに、かくのごとき所にはいる者がどこにあるか。みなどんどん逃げていく。これは現に
税務官吏のうちに起
つておるのである。
税務官吏の爭議が最も強硬である。いかなる彈圧に対しても断固闘
つているのは、実に
税務官吏が、かかる状態ではいつやめてもよろしいという大きな決心をも
つているからである。だから、いかなることをも
つてしても屈しないのである。
さらに、石炭における最近の増産が衰えているといわれておりますが、これを
労働者の
責任に嫁そうとしているけれども、そうではない。事実は、この施設の荒廃、石炭の設備の破壊から起
つてきておるのである。現在石炭採掘にあたりまして、百万トン当りの死者が、アメリカにおいてわずかに二・二三人であるのに、
日本においては三〇人という驚くべきものにな
つている。十五倍である。それゆえに、
日本の一万トン当りの死傷率は〇・五人にな
つております。三千万トンを掘るにあたりましては、一千五百人というものが死傷をしなければならなくなるのである。その不良の状態につきましては、外國人もこれを認めているところである。
さて、こういう状態の中でも、共産党がこの生産不良に対して
責任があるかのごどく言うけれども、事実は逆だ。たとえば九州における高松炭鉱は、わが党の一大細胞が公然と存する所である。堂々と闘
つている所であるが、ここの増産は、まさに成績優等である。九州一である。これは共産党が生産に対して眞に
労働者的に精進していることを立証しているものとい
つてよろしい。
生産の惡化につきましては、これが
原因ではなくして、実際は施設の荒廃が
原因である。ここに読みあげてみますれば、
昭和十六年におきましては、十一万九千百九十九トンの鋼材を使
つておる。しかるに二十年におきましては、わずかに二万百九十五トンしか使
つていない。しかも、レールの質が非常に惡化したために、非常に設備が惡くな
つておる。能率が下
つておるのである。しかも、この二十年以後におきましては、これよりもなお下
つてはいても、よくはな
つておらぬ。セメントにおきましては、十六年に十万二千三百トンであ
つたのが、二十年にはわずかに一万七千九百五十トン、非常に下
つておる。坑木におきましては、十六年に千百七十八万石使
つてお
つたのが、二十年にはわずかに五百五十万石しか使
つておらぬ。
かくのごとき状態において、生産が減退するのは当然である。にもかかわらず、これをわが共産党の活動に帰せようというに至
つては、まさに笑うべき限りではないか、しかも、
労働者の怠慢に帰せようというに至
つては、
ストライキに
責任を負わそうというに至
つては、まさに
政府が根本的にこの
事態を把握し得ない無能の至りではないのか。さもなければ、資本家の利益のために
労働者を彈圧することを職業としている者だけがこういうことを言い得るのである。
事実、石炭國管におきましては、九州の貝島炭鉱は、これはどうしても國管をしなければならないのに、この三つの炭鉱を分離することに策動している、よからぬ性質の者があります。
労働者がこれに対抗し、かかる分裂を拒否しておりますのに、水谷
商工大臣その他は、この陳情に対してちつとも働いておらぬ。非常に怠慢である。これを傍観しつつある。そうして実際この組合の分裂策動をし、事実これを分けることに対しまして、これが小さい山になりますれば、一トン当り三百円炭價が上る。この三百円の炭價を望んでこうや
つていることはよくわかるのに、これに対して何らの手を打たないばかりか、ここにおける組合に対する暴行並びに脅迫に対しまして、
政府は何らの保護を加えておらぬ状態である。
さて、こういう状態におきまして組合を彈圧していること、これがまた、さらに最近激しさを加えておるのである。
第一に、集会及びデモの届出でありますが、これは届出制度であるにかかわらず、警視廳におきましては、内規でも
つてこれを許可制度にしておる。これは憲法違反である。これは
人権蹂躪である。
さらに第二に、生産管理に対しまして、鈴木
國務大臣は生産管理は違法であると言われておる。この違法論の根拠は、資本家的財産、これに対する古い法律家の
考えを基礎にしているからである。この財産第一主義は、財産不可侵論的なものがある。現在のごとき資本家が、この財産を全
國民、全民族の利益のために使わず、やみとインフレと
國民を害するために使うにおいては、これに対する
労働者の生産を管理するということは、決してこれは不当ではない。そうしない限り
日本の経済は破壊するからである。すなわち
國家全体の秩序において、生産管理こそまさに最もいい
方法であるといわざるを得ないのである。資本家の擁護のために生産を無視して、そしてこれを擁護するにいた
つては、まさに驚くべきことであるといわざるを得ない。
東京
地方檢察廳におきましても、この生産管理に対して、たびたび妨害をしている。現に印刷の愛光堂のごとき、また
日本タイプのごとき、大和製鋼のごとき、資本家が押し込んできたり、暴行をしたりしていても、これに対しては何らの制裁を加えないのに、
労働者に対しては、生産管理を違法とし、時と場合によ
つてはこれを窃盗とし、強盗とするという
事態が起
つているのである。一体どこに鈴木君の公平論があろうか。平等論があろうか。社会のために、生産復興のために、この観点からものを見るべきである。單なる石のごとき法律論でも
つてものを見るべきではない。
事態はまさに革命を勃発せんとするこの
事態に際して、かくのごとき古き法律論は何ら役に立たないものであると思う。(「法律は絶対だ」と呼ぶ者あり)法律はすべて相対的なものである。(笑声)法律は絶対的なものじやない。
さて、岩手縣における教員
事件でありまするが、この
事件のごときは、まつたくつくり話である。つくり話をも
つてこの教員を彈圧しつつある。また現在全財に対する彈圧のごとく、彼らが憲法に保障せられている賜暇権、これをも
つてや
つているのに、これを違法として彈圧するに至
つては、まつたくこれはいよいよますます全財の爭議を惡化するものと言わざるを得ない。(「とんでもないことを言うな」と呼ぶ者あり)現に惡化しつつあるではないか。全財のごときは、現在においては、やめた
つてもちつとも苦しくはない。田舎における不当課税のために、今や
税務官吏は生きておる途さえない。全人民の反対のもとに、まつたくあわれな生活をしているのである。それゆえにこそ、彼らは奮然として爭議を起しているのである。眞因はそこにあることを知らなければならない。
かくのごとき政策が、はたして
労働組合の健全なる発逹を企図しておるということが言えるであろうか。まつたく
労働組合をして、いよいよ自己を守るために一大闘爭をしなければならないところに追いこみつつあるではないか。
しかるに、かかる
労働者の窮乏に対して、医藥品の暴騰は驚くべきものである。昨年中に三度上
つて、二十倍にな
つておるのである。そのために、今や医者自体の営業が成り立たなくな
つて、八〇%ば医者が仕事をやめなければならないという状態である。なぜならば、いくら患者はあ
つても、患者が藥を飲む購買力がないからである。こういう点は、医藥品製造者たる独占資本家のしわざである。この独占資本家の手先が、まさに厚生省の内部にいるからである。こういう状態では、まつたくこれは
労働者を破滅に陷れることになるのである。
さらに失業及び住宅の問題につきましても、何ら
政府は適当のことをや
つておらぬ。だからして、いよいよますますこれば
労働者の闘爭を惡化させる以外に何ものもないのである。このことに関しまして、
加藤労働大臣、鈴木
國務大臣、水谷
商工大臣、竹田
厚生大臣の明快なる御回答を願うものである。
次は農業問題である。土地の取上げ、その他農業改革の遅滯、これは驚くべきものでありますが、いまやこれは論じなくても、すでに周知の事実であるから略することにいたすのである。
当面重大なる問題とな
つておるのは、供出割当の実際が実に驚くべき不当なものである。すなわち収穫量の統計は、大体でこぼこはありまするが、平均しまして五等級くらいにわかれておる。一等級が二石六斗ないし七斗くらいとしてある。しかるに、実収は四石五斗くらいあるのである。すなわち半分に乏いものに実収を見ておる。しかるに、最低級の五等は二石四斗くらいである。これは實収は一石五斗くらいしかないのである。そのくらい下の方は実収を多く見、上の方は実収を少く見て課しておるのである。そういう結果、貧農は裸供出になり、富豪農は供出後に大きなやみ米を保有しておるという驚くべき事実にな
つておるのである。
事実、岡山縣の例でありまするが、こういうことがある。平井部落におきましては、ここは市の農業会長の出身部落であるために、きわめて肥沃地であるのに反当り二石六斗八升である。しかるに、この反対に宇野部落におきましては、五寸掘れば砂利が出る。ここが反当り一石六斗一升にな
つておる。こういう驚くべき事実があるために、ますます貧農が苦しむのである。
事実これは、さらに村の顔役及び有力者におきましては割当が少く、貧農におきましては非常に驚くべき高いものにな
つておるが事実現われておるのである。これは栃木縣の富田村であります。村議で食糧調整委員で三反も
つておる者が、わずかに一反五畝も
つておると
報告して、供出を免除されておる。しかるに、貧農の四反をも
つている者は、早害があ
つてわずかに七俵しかとらないのに、割当が驚くなかれ十六俵とな
つておるのである。こういう驚くべき事実があるのである。
さらに富農に至
つては、隠し田をたくさんも
つておる。これは鹿児島縣の入來村のわが共産党細胞が摘発した事実であるが、これは五百七十町歩のうち、四十七町歩の隠し田を摘発しておるのである。しかして、この摘発は未完了であ
つて、おそらく隠し田は七十町歩と言われておるのである。それゆえに、これらの富農が事実上やみに流し得るものが一千石以上であると推定せられておるのである。にもかかわらず、貧農は隠し田もなく、保有米も食いこみ、そうして米を出しておるのである。だからして、ここに飯米闘爭が起る。現在の税の驚くべき過重によ
つて、耕作権を放棄しつつある者がたくさんあるに至
つたのである。せつかく
政府から買取つた土地を、もう要らないから返してやる、
税務署に買
つてくれということを言
つておる者さえ起るに至
つたのである。ここに至
つて、はたして農地改革とは何ものだ。自作農創定ではなく、まつたく自殺する農民の創出である。驚くべき事実ではないか。
しかるに、水害地に対する不当割当は実に驚くべきものがある。これは千葉縣の東葛飾郡湖北村の例であるが、実収皆無の面積が五十八町歩あるのに対して、割当免除面積はわずかに二十五町歩である。半分以下しか認めておらない。このために葬式米までも賣り、種子も賣り、牛馬も賣るという驚くべき状態にな
つておるのである。しかるに、これらの供出に対して恐喝をし、これを出さなければ、ある筋から何とかかんとかいうような、そういうおどかし文句をたくさん並べて供出させている、驚くべき不当干渉がある。
事実、このことに関しましては、当
議場においてわれわれの同志野坂參三が、山形縣村山知事の不当
事件につきまして、
首相並びに農相に聽きましたときに——G・H・Qの命令云々でも
つておとしているが、これはどうだと言つたときに、そういうことは絶対ない、
日本政府の
責任においてや
つている、こう言
つたのに、村山知事はこう言
つておる。これは片山前
首相並びに前
農林大臣波多野君は知らないが、そんなばかなことはない。事実あるんだ。知らないからだと言
つて、傲然として頑張
つている。わが共産党はこれに対して、これは脅迫罪である、不当な供出干渉であると提訴しているのに対して、傲然と構えている次第である。
政府はこれをいかに
処置するか。
次に、耕作の強制作付でありますが、現在の強制作付の
方法をも
つてすれば、富農のみを富まして、貧農をいよいよますます貧農化することは明らかだ。すべて肥料その他も富農に行き、そのために富農は、自己の供出以外の生産に対して二、三倍の高い値段で買われることになる。かかる結果は、いよいよますます貧農をして耕作を放棄せしめ、富農を肥やすことになるのである。かくして、はたして農業生産を拡充すると言い得るであろうか。さらに、供出と配給のリンク問題でありますが、これは漁民においてもそうだ。供出をしたらば、そのあとに報奬物をやると言う。何だそれは。そうすると供出する前はどうする。供出する前は、皆やみで買
つて供出しなければならぬじやないか。漁民だ
つてそうだ。やみで油を買い、いろいろ買
つて漁獲物をとらなければならぬじやないか。そうしても
つて、供出するときには公定値だ。何だ。そんばかなことができるか。そうして、この報奬がまた三分の一以下しかくれない。事実これは、漁民に対しましては一大問題に
なつたではないか。こういうやり方で、はたして供出が正当と言えるか。かかる配給が正当と言えるか。絶対に言えない。かくごときは、まさに農民殺しであり、漁民殺しであると言わざるを得ない。
政府の政策それ自体、が、まさにこれは殺人行為と言わざるを得ないではないか。かくのごとくして、食糧政策がはたして正鵠を得たりと言い得るか。今後食糧を増産して、はたしてこれがわが人民の生活を安定し得ると言われるかどうか。
こういうやり方をも
つて公定價格をきあるもんだから、米だ
つて、魚だ
つて、何
つて、すべてこの公定價格は不当になり、
從つてやみをやらざるを得ない窮状に農民も漁民も陷れられるのである。その上にこの不在課税が來ましたときに、農民は耕作を放棄し、漁民は出漁を放棄するに至
つている。かくして、いかにして生活の安定を保障することができるか。特に永江
農林大臣の明快なる御回答を要求するものである。
第四に、税金問題についてである。このことについては、この前少々
質問しましたが、さらに今度は徹底的にやらなければならぬ。本年一月十八日に、東京財務局長から各
税務署長にあてて次のごとき通牒が発せられている。これは前の方は言いませんが、主要な部分はこうだ。目標以上に……。