○松原一彦君(続) 第一は、首相の中道
政治に対する公約のことでございます。わが党は、御
承知の
通りに與党でございます。従
つて、現内閣の功罪のすべては、これが
責任を担うものであります。
敗戰後の大破局収拾の責を負うて、
連立内閣のむずかしい首班にお立ちに
なつた片山首相の御労苦に対しては、深く感謝するものであります。しかしながら、
政治は天下の公務であります。私心、私情をも
つてこれを曲庇し、あるいは黒白を糊塗して
國民を欺くことはできません。現内閣は、昨春の総選挙の結果が、どの一党も議員総数の三分の一以上を占めず、小党分立の形と
なつたところから、やむを得ず、民意を総合して
連立内閣をつく
つたのでありました。その條件が、四
党政策協定と同時に、
政治協定までい
つてのことであることは、世間周知の
通りであります。
從つて、その性格は、当時マ元帥の声明にもありました
通りに、「公共の必要に最もよく奉仕できる
政府をつくるために、種々異
なつた
政治的
見解を融合して、ここに一つの実際的な型を見出そうとの努力が拂われた」ことからきておるものであ
つて、
昭和二十二年六月一日、片山首相が御就任と同時に発せられました声明には、かようにあります。「私は四党政
党協定の方針を守り、極右、極左に偏せず、特に共産党に対しては明確に一線を画し、中道を歩む意向である。」と御発表にな
つております。かつ、
人格者片山首相は、「公約は必ず実行する。断じて表裏のない
政治をする。」と誓われておられるのであります。マツカーサー元帥も、また片山氏の信仰とその
人格から推して、片山氏が新しい首相として選ばれたことは、日本の内政が中道を歩んでいることを強調するものであると裏書きをせられておるのであります。
すなわち、片山首相が
内外に声明し、天下に公表せられたる
政治指導の理念は、まさに中道であ
つたのであります。
政治家の声明は、その公約を重んじ、信を
國民から失わないことであります。この
意味におきまして私は、片山首相の心境は、今日といえども決して変
つてはおられないであろうことを信ずるものでありますが、しかしながら、最近日本
社会党が、党議をも
つて一方的に、友党にも諮らず、四派
協定を
破棄せられたことにつきましては、私どもは深く考えざるを得ないのであります。もちろん、独立の政党がいかなる決議をせられようとも、他党の関するところではございません。しかしながら、
協定は相互的なあものであ
つて、決して一方的な偏務的なものであ
つてはなりません。しかも、天下周知の公約であります。これによ
つて現内閣も成立したのであります。
当時の四派
協定は、現内閣の性格を天下に公約したものでありまして、
從つて協約は、内閣の生命であることを私は固く信ずるのであります。それを一方的に
破棄せられたことは、同時に中道
政治を行わんとする公約をも
破棄せられたことになるのでありましようか、どうでありましようか。私はこの点につきまして、片山首相の固き御決意を承りたい。
私は、この難局の日本の
政治に当たる信念は、まず第一に、今日の情勢を現在のままにはつきりと認識することでなくてはならぬと信じます。日本の今日は、まさにポツダム宣言を全面的に受諾いたしまして、絶対無條件に降伏しておるのであります。しかも一方には、その結果として、連合國の完全なる占領下にあるのであります。この制約を受けておりまする日本の
政治は、新
憲法のもとにおきまして、絶対平和主義の
政治をば、民主的精神において樹立しなければならない誓約を世界にいたしておるのであります。かかる際に、民意に背き、公式的なる、観念的な單一の主義、または一党一派によ
つて、独善的なる一方的
政治が行われ得るものでありましようか。私は、
政治常識の上から、これを疑うのであります。
私は、日本の置かれたる現在の事実の上から直感いたしまして、今日の日本の
政治は何といたしましても、世界不変の眞理である人道主義の自然法的鉄則に則り、
統制に偏せず、自由に堕せず、党派を超えて
現実情應の
政策をとることでなくてはならないと信ずるものであります。(
拍手)
政治上の主義
主張は、もちろん、極端なものほど鋭く、強く、鮮明であります。私は、
政治思想に現れた
左右両極の
主張には、敬意を表します。しかしながら、日本のごとき制約のもとに、
複雜なる情勢をも
つて立
つておるこの場合におきましては、断じて一方的な尖鋭な主義や
主張が、なまのままで行われるものではございません。
私は、公式論としての二大政党を必ずしも排撃するものではございませんが、しかしながら、先刻から承
つておりまするように、
自由党の諸君の言われる自由
資本主義のこの
経済において、一方的な政党が右から立ち、左において、國有國営の主義を掲げるところの尖鋭なる
社会主義の政党がこれに対立する場合に、一体日本の
政治がいかになるのでありましようか。対立抗爭は、まつたくここに血を見るような、激しい
破棄とならざるを得ないのであります。かりに尖鋭なる革新主義の政党が一方に立てば、必ずや國有國営の制度を固めていくに相違ございません。これに反対する政党がさらに立つた場合におきましては、これはどんでん返しを打ちまして、民有民営のきわめて自由な制度に、一遍に変わらざるを得ないのであります。
一体、革命と反革命の両政党が、血を見るような対立をも
つて、革命と反革命のこの制度の改革に終始いたしました場合に、一体日本の平和なる民主主義の
政治が成り立つとお考えになるでありましようか、どうでありましようか。(
拍手)私は、
政治上の常識の上から考え、かつ日本民族のここなお半世紀以上は苦しみ抜かなければならない
現実に鑑みまして、かかる対立抗爭によ
つて平和の撹乱せられることをば心から恐るると同時に、全
國民が協同一致いたしまして、結束によ
つて建設に向かうほかに、日本の生きる途はないと信ずるものであるのであります。(
拍手)
一体、もし日本に対立するものがあつたならば、いかなるものが対立するでありましようか。私は
資本主義と
社会主義の対立では断じてないと信ずるのであります。今日吉田総裁が発表せられましたように、自由主義政党である
自由党におきましても、放逸なる自由はとらぬと言
つておられます。必要なる
統制は是認しておられるのであります。
社会主義政党といえども、断じて一方的な
統制のみに偏する
政策をと
つておられるとは信じません。もし、今後対立するものがありといたしますならば、私は、人道に基づく
社会民主主義的
國民主義の政党と、結局は革命を施行するところの共産主義の政党以外にはないと思うのであります。すなわち、ナシヨナリズムかコンミユニズムかのこの対立ならば、あり得る対立でありまするが、現在の日本民族の
かくのごとき運命を考えまするならば、私は
社会主義か
資本主義かなどというような対立をも
つて日本の
政治に臨むものであ
つてはならないと思う。
片山首相から、ただいまお答えがなか
つたのでありまするが、今日一方的な、さようなイズムで割り切れるような簡單な日本ではないのであります。左派も右派も、という言葉を私は使うことを好みませんけれども、新聞に傳えらるるところの
主張を見れば、いずれも五十歩百歩の爭いであります。何も大した問題ではないと私は思う。対立抗爭は結局破壊であり、協同結束の建設を求むることこそ、日本の運命に対するわれわれの心からの熱望でなくてはならないと信ずるものでございまするが、この
意味におきまして、はたして片山首相はいかなる御決意をおもちになるのでありましようか、伺いたいのであります。
私は、この際申し述べたい。世間往往にして、協同主義とは方便的な姑息の妥協であるかのように思わるる方があるのでありまするが、私どもは、断じてさようなものではないと信じます。協同主義とは弁証法的には第三理であります。原則といたしましては
社会の
生活原理である。友愛、互助、協力の精神に基づき、哲学的には二元の対立を使用いたしまして、不離一体の実践に立つものであります。目的といたしましては、新
憲法の精神に則り、万邦協和の平和的日本のを建設せんとするものであります。この
意味におきまして私は、この妥当なる
主張のもとに、
左右両面からの歩み寄りが常に行われてあることを固く信ずるものであります。
現に諸君見らるる
通りに、現内閣は、われわれ協同主義者と、さらに右には、
資本主義をば修正したる穏健なる民主党の諸君が手を握
つておるのである。左には、
社会党が現にわれわれと一緒に協力いたして、現内閣を構成いたしておるのであります。私は、ここにおらるるところの西尾氏から、たびたび聽いておる。
社会党は断じて階級政党ではない。
國民政党である。階級のみの政党であ
つてはならない。
國民全体の利害の上に立つ政党であるということをば、たびたび公開の席において聽いております。
從つて、今日單純なる階級政党などは、私は存在しないと信じておる。こういう
意味におきまして、今の政界の傾向は、決して分離的な、遠心的なものではなくして、
國民の希望に應じ、
要求に應じて、ことごとくまん中に歩み寄
つておるものである。ここに、われわれが挙國一致の内閣を要望し、今まさに戰爭裁判は終局に入り、講和
会議は目の前に迫り、しかもインフレの危險は刻々に迫
つておる、この時代を切り拔けるために、一方的な主義
主張の爭いによ
つてこの内閣をば破壊し、あらゆる解散を促進して、そうして
政治の上に空白を生ずるような危險なことをおかしてはならないというとを、私は固く諸君に訴えて、善処を求むるものであるのであります。(
拍手)
第二におきましては、私は現下の
産業経済の各方面に向
つて、首相並びに
経済閣僚の御
所見を伺いたい。私は、日本の今日の破局、
國民生活のこの窮乏は、まことに悲しいことの限りでございますけれども、必ずしも物の
欠乏のみからはまい
つておらないと思うものであります。もちろん、積極的なる
生産の増強、これが今日の至上命令であ
つて、物の
増産なくしてインフレは克服できませんし、
國民の独立の
生活もまた打立てることはできないのでございますが、しかしながら、これに先立つものは、まず日本
國民が、精神的なる希望によ
つて、勇氣を振い起して、將來を築こうとする努力がなくてはならないと信ずるものであります。
今日の失われたるものの最も大きなものは何であるかと申せば、必ずしも國土が四割減つたことではない。また産業が三割以上に回復できないということのみではない。一番大きな失われたるものは、全
國民が希望を失つたことであるのであります。絶望
状態に陷
つておることであるのであります。これこそ、日本の復活を妨げるところの最も大きな原因であります。
國民が希望を失
つておる。希望を失つた
國民は、まつたく刹那的な、動物的な本能によ
つて右往左往せざるを得ないのであります。ここに、すべてのものの困窮をますます深くするところの原因がある。
統制をすれば、これを逃げようとすることばかりにかか
つてくる。自由放任になれば、まつたく力の強い者、財力のある者がこれを独占しようとする。いずれにいたしましても、積極的なる起ち上がりが見られ得ないのであります。
この
意味から申しまして、私は、どうしてもここに五箇年
計画に対する
政府の最終局の、大きな見透しを高く掲げてほしいということを
要求するものであります。もちろん、今日御発表になりました五箇年
計画第一年次のその目標は、私は諒といたします。また、この
計画によ
つて行
つていかれることが、インフレを克服し、日本の
産業経済を回復する公式的なものであることにおいては、異存はございません。しかしながら、こればかりでは、決して日本
國民は心から動くものではないのであります。それには、
政府がこれに対するところの順次的な方法を備え、さらに到達するところの順序を、その目標に向
つて的確なるものを示さなくてはなりません。
今日まで
政府の言われたことについては、残念ながら私どもも責を負わなければなりませんが、世間に信を失するものが、あまりに多過ぎるのであります。昨年も、安本長官は、十一月黒字説を出しておる。しかも、何らその実はあがらなか
つたのであります。
かくのごとくにして、
政府の発表に何の信がありましようか。
政治家が信を
國民に求めようとするならば、言つた言葉には必ず
責任がなくてはならぬ、安本長官が、十一月黒字のできなかつた今日、恬として恥じず、今にその席におられるがごときは、私はいかにも不可解千万と思うのであります。(
拍手)
責任のあるところに
責任をとりさえすれば、
國民はここに
信用をいたすのであります。
國民の心を健全にし、健全なる希望と、これが実現への勇氣をもたしめるために、どうしても
責任を負うて、
政府は五箇年
計画の目標を示されたい。それには何をおいても、今日本の國が最も
要求いたしておりまする食糧の自給ということが第一でなければならぬと思います。第二は、電力の大拡充であります。石炭は掘れば必ず盡きるものであり、困難は倍加するものでありますが、しかしながら、水力は無限のものであります。
日本
國民が独立せんがためには、まず食糧の独立から始めなければなりません。食糧の独立なくして、何の独立の民族があり得ましようか。英國が今日
経済崩壊の危機に達しておると傳えられるのも、一に食糧輸入にのみ全力を注いで、原料資材を輸入し、再
生産の
機会をつくることのできない窮迫に陷
つておるからだと傳えられておるのであります。日本
國民がこの狭い島國に立ちながら、將來民族としての独立をはか
つていこうとするならば、確かにむりには相違ありません。八反百姓この狹い土地において食糧の独立というようなことは、まことにむづかしいことには相違ありませんけれども、これを克服しなければ、民族の將來に私は希望がもてないと思う。
かくのごとき
意味におきまして、
増産こそ、特に食糧の自給こそ、日本
國民に課せられたる、現在においては至上命令だと思うのであります。これを達成することは、困難ではあるけれども、必ずしも不可能ではないと思うのであります。
現に首相は、新年度におきまして、主食の一割の増收をば希望しておられるのであります。一割は、第一年度においてもできるとするならば、ここに、あらゆる方面から今日の科学的な研究を求めて、整地を行い、肥料を増加し、農業
技術並びに
経営方面に改良を加え、適切なる指導を與えるならば、私は日本の農産の上に二割の増收のできないことは断じてないと思う。
私は、先般來地方をまわ
つて、精農、篤農と言われるような方々に幾多お目にかかりまして、いろいろ示唆を受けたのでありますが、こういう人々には、凛たる愛國の熱意が燃えておる。現に、信州における黒澤翁のごときは、一反六石取りを発表し、この指導を受けたる美濃地方の、現にわれわれの知
つておる
農家の方々の中には、本年四石五斗以上を実收したる人も、確かにたくさんあるのであります。もちろん、これはむつかしいことには違いありません。一反二石取りすらも難しい今日に、二割増收の困難はございますけれども、五箇年後においては必ず食糧自給を実現するという希望に燃え、これに対する勇氣と努力とが添い、
政府が信をも
つてこれを後援いたしまするならば、私は、断じて行い得ないような、さような、日本人ではないと思うのです。日本民族は優秀な民族であることを、われわれは今日まで自覚してまい
つたのでありますが、不幸にして一大停頓をみたのでありますけれども、一回の敗戰ぐらいで腰を折るような民族でないことを信じます。どうか私は、
政府が炭鉱國官問題にも示されたような——石炭
増産が今日の一大
要求であることにはもちろん相違ないと思いますが、五箇年
計画におきましては、どうかしてこの最高の目標、第一の目標を食糧自給の線に掲げて進まれんことを特に希望するものであります。
しかしながら、申すまでもなく農業
生産は、天候等に支配せられまして、すこぶる障害が多いのであります。もちろん、一氣呵成に行われようとは思いませんけれども、しかしながら、これに対する指導よろしきを得ると同時に、
國民の意氣がそうならば、できるに相違ありませんが、しかし、
政府が昨年公約せられました、あの災害地方における復旧のごときを、公約のままに捨てておくような
態度では、私は、これはとうてい
計画は行われないと思うのであります。
現に、先刻も御
質問がありましたが、この農業
生産地における復旧のごときは、何をおいても急がなければならないところの重大要件であります。昨年來の水害によ
つて非常に大きな災害をこうむりつつも、関東・東北地方の農民諸君は、まさに百パーセントの
供出を果たそうといたしておるのであります。民は、一方において誠意を盡くして努力をいたし、ひたすら
政府の公約を持
つておる。かかる際に、
政府が万難を排してこの
生産地方の復旧に力を注ぐ事実を示されまするならば、私は先刻から申します
通りに、日本の正直なる農民諸君は、死力を盡して食糧自給の目的に向
つて進むことを、決して疑わないのでございます。
そもそも、今日まで日本の國が、これほど大きなハンデイキヤツプをつけながら、どうにかこうにか食
つてまいつたゆえんは、もちろん二割
内外の外國からの輸入によるのではございますけれども、実は日本の農村は、戰災を受けておらぬのであります。人的な損害、若干の農機具等の物的な損害はございますけれども、最も健全性を保
つておるのは、日本の農村であるのであります。
そこで私は、特に首相に向
つて、さらに農林大臣に向
つて希望を申し上げたい。健全なる農村の存在こそ、私は國の基礎を最も堅くするものだと思う。農村は、
社会的には第一次的の存在であります。これが完成せられた後に、都市の存在が起
つてくる。平和なる文化農村を指向します日本の將來は、何と申しても、この農村を理想的な文化農村に仕上げることを最も重大なる使命としなければならないと信ずるものであります。この点につきまして、
政府の御
所見いかがでありましようか。私は、農村の人々こそ最も保守的であると思います。しかしながら、保守的であるだけに、きわめて堅実なのであります。進歩は遅いが、しかしながら、崩れもまた遅いのであります。こういう
意味から申しましても、私どもは日本の農村に大きな望みをかけ、かつこれをやみの巣といたしたくない、惡農呼ばわりをせらるるところの対象といたしたくないのであります
日本の農村が、今後いかにあらねばならぬかは、これはそれぞれの理想によ
つて違うことはもちろんでありましようけれども、平和なる理想的文化農村は、どうあ
つても近き將來において実現を見なければならない絶対條件であるのでありますから、でき得る限りにおきまして、各府縣に一つでも二つでも、その理想的な文化農村の設定を実行し、この朗らかなる、明るい文化農村を範として、全國農民諸君が、あるいは青年の人たちが、この範二なら
つて將來に明るい希望をもつような目標を示されんことを、私は切望いたすものであります。
平和なる文化的理想農村とは、一体どういう條件をもつものでありましようか。結局、八反何畝しかないところの過小農である日本の
農家は、單一農業でないことはもちろんであります。そこには、あるいは酪農もとり入れなければなりますまい。あるいは有畜農業、あるいはいろいろな多角形な
生産方法をとり入れなければなりますまい。さらに
生活の面に起きましては、おびただしいところの動物性蛋白質を初め、脂肪等の滋養源をも豊かに與えるものがなくてはならぬのであります。かようにいたしまして、一方には自給豊かなる文化農村を建設するとともに、一方には、今日刻々起りつつありますところの日本の土地の高低、落差のある事実を利用いたしまして、水力電氣を豊富にとり、日本の農村が一方には電氣によ
つて炊爨のできることも
計画いたしたい。一方には、動力を利用いたしますところの農村工業をも実現いたしたいのであります。かようにいたしますならば、私は日本の農村人諸君が、必ずやこの光明と希望のもとに、愉快なる
生活を営み得ると信ずるのであります。
その中心は、か
つて文部省がしきりに宣傳いたしましたところの、あの公民館の創設であります。公民館こそは、全國一万一千の市町村の文化センターであつたはずであります。今日、この運動がいささか停頓いたしておりますことは、まことに残念にたえませんけれども、中道を志すところの國、世界における中道の國として最も有名なのは、御
承知の
通りスエーデンであり、デンマークであります。スエーデン、デンマークは、ともに農業の國であり、しかも、平和なる文化農村を現に実現いたしておるのであります。そのねらいこそ、今日立法の上に成立いたしました、あの農業協同
組合法であります。日本の全農村が、この新しい農業協同
組合の精神によりまして、階級闘爭の苦悶から起ち上
つて、無血革命によ
つて現れました土地の均分化、富の均分化の上に立ちまして、協力一体とな
つて、この理想を追うて進みますならば、私は、日本の將來は世界のどこに対しても恥ずかしくないところの平和なる文化
國家となることを、断じて疑わないのであります。(
拍手)この大希望なくして、何でこの苦しさが切り抜けていかれましようか。私は、この大希望を掲げて、苦しい日本の現在の運命を切り抜けていきたいと強く志望いたすものであります。
さらに私は、第三の点、教育対策につきまして、首相並びに文相の御意向を伺いたい。
〔「定足数を欠くじやないか」と呼び、その他
発言する者あり〕