○伊藤(恭)
委員 われわれは
文部省の
立場とか、あるいは
業者の
立場とか、そういうことは超然として、ほんとうの國民のためを
考えてみるとき、たとえば小
学校だけの
発行数でもおそらく二、三億部になるでしよう。新制中学、新制高等
学校、あらゆるものを入れるときには莫大な部数になります。そこでこの
價格の負担というものは全國民の父兄、学童、学徒が負う。そういうことを
考えたとき、もちろん
國定教科書と
檢定教科書とは、先刻も
お話があつたように、
國定教科書は
編纂費も要らない、
檢定教科書は
編纂費も要るし、その
業者の
立場も当然
考えてやらなければなりません。しかしながらこの際にもし
編纂費の要らぬところの
國定教科書であるならば、おそらくそういうことも見込んで適正な
價格にしなければならぬことは当然であります。でありますから、われわれといたしましては、一般國民の負担ということを
考えますときに、やはり最も適正な
價格を
決定することが当然であると
考えます。もちろん
業者はあらゆる
方面に努力をせられて、そうしてまた收支の償うようにしなければならぬことは当然でありますが、そういうことを
考えますときにこの修正
意見の中に、第
一條の「適正な
價格を維持して」ということを削除するということがありますけれ
ども、私は第
一條に適正なる
價格を維持するということは当然入れるべきであると
考えます。もしそれを常識にはずれておるような
文部省の
考えであれば、もちろん打倒しなければなりません。でありますけれ
ども、最も適正に
算定するということであつたならば、これは当然入れて差支えない。もしそれを放任しておいてならば、これこそほんとうの自由競爭でありまして、しかもその自由競爭というものは、やはりいろいろの利潤を多く見込んでの
算定ということになりますと、國民の負担というものは莫大になるということを
考えますときに、われわれは本質的に
考えて、適正なる
價格は当然必要でありまして、これを無制限に放任すべきでないと
考えます。もつとも経済的にも、特にインフレ進行の、現在におきまして、六箇月以後の
價格と
算定するときのことも勘案して、
業者も十分に立
つていけるようにしなければなりませんが、同時にまたこれを放任しないで適当な
一つのわくも必要であると
考えます。第十
一條の「
教科書の定價は、
文部大臣の
認可を経なければならない。」ということは、これは
文部大臣であろうとだれであろうと、かりに國会の文教
委員会であろうと何であろうと、とにかくこれを全然放任することはできないという
意味でありまして、私は第
一條の適正な
價格というものは当然入れるべきであり、第十
一條の「
文部大臣の
認可を経なければならない。」ということも、その
内容のいかんによ
つては変更してもかまいませんが、これも入れても差支えないと思います。