○
高津委員 私は
朝鮮人学校教育問題に関する
質問をいたすのでありますが、まだ鈴木國務大臣の出席がありませんので、ただちにその出席を督促していただきたいと思います。
第一に、五月三日に文部当局と
朝鮮人連盟との間に
朝鮮人学校問題について仮調印が行われたことは、とに
かく一應の
解決でこれを喜ぶ点において私は人後に落ちるものではないということをこの際特に明らかにしておきます。第二に、しかしながら在留
朝鮮人の
教育問題の処理の経過を見るに、その間
朝鮮人の
日本に対する反感を必要以上に——必要ということはないのでありますが、非常に挑発したという事実をわれわれは認めるのであります。文部省の
態度ないしは措置にも私は遺憾の点があ
つたと思います。
その実例を申しますと、これはしかしながら
朝鮮人連盟に行
つて私が調べたものであ
つて、権威をも
つて調べたのでありませんけれども、向うの言い分であります。たとえば三月二十日に文部大臣に衆議院の文部省
政府委員室で
朝鮮人連盟の
文教部の責任者である元容徳君と
東京都の李殷直君ほか五人の人間が会見する場合に、秘書官が取次に出て、忙しいから二十分だけと言うたそうであります。私は大臣というものは忙しいということをよく存じておりますけれども、その二十分間をいろいろ話をしようと思
つて行
つたところが、大臣は
学校教育法の
説明をくだくだしくやり出して、そしてちよつとそれはそうじやないとい
つているうちに、もう二十分だとい
つて何の收穫もなく引上げざるを得ない立場に
なつた。私から
考えれば
朝鮮の人に会う場合には殊に氣をつけてもらいたいと思うのであります。
またもう一点は、三月十九日に
日高局長にも会
つていろいろ
説明をいつものように繰返さざるを得なか
つたのであるが、第一、私たちが——私たちというのは
朝鮮人であります。私たちが教科書をつく
つて、それを司令部のC・I・Eのニユーゼント氏の檢閲許可を受けて、その教科書を使
つているという事実さえ
日高氏は知らなか
つた。第二、
日本内に
朝鮮人の
学校がそんなにたくさん、五百も六百もあるというこれらの事実をも
日高氏は知
つていなか
つた。第三、
朝鮮人がどういう
教育を今まで受けてきてお
つたかという事実をも知
つていなか
つた。七割も文盲であり、言いかえるならば学齢兒童の就学率が約三〇%であることも御存じでなか
つた。第四、
日本人が
朝鮮で統治をしておる場合に、
日本人は自分で別個の
学校をつく
つてや
つてお
つたという事実をも知らなか
つた。第五、
日本の教科書が完全に行き渡
つていないから、それで在留
朝鮮人は別個に
学校をつく
つて教えるよりしかたがないのだという事実を指摘した場合に、教科書は行き渡
つているはずだと
日高氏が言はれ、文部省の若い役人の言葉では、そうでもありません
朝鮮側の指摘するような点もありますと肯定したというのであります。そこで
朝鮮の人が。これらの実情を知らないで、どうして一月二十四日のあの指令が出せたのであるか。こういう問いを出すと
日高氏はこれは司令部からの話があり、司令部と相談してこういう指令を出したらよからうということで出したのだ、こういう
答弁でありましたから、
朝鮮側としても唖然として、局長がそのように実情認識が不足しておられるくらいだから、G・H・Qはもつと
事情がわか
つていないだらう。從
つて今私たちの信相を報告したことをG・H・Qに行
つて話して、この指令をもう少し修正してほしいというような話をしておるのであります。
また、これは文部省についてただそれだけしか今私は実例を挙げませんけれども、兵庫縣の実例を申しますと、これはやはり文部省にも関係がありますが、私の筆記を短いからちよつと読み上げてみます。「兵庫縣の場合、
日本の
学校を兵庫縣では私たち
朝鮮人が神戸市において三つ借りておる。借りるときは昨春神戸市長と交渉して、正式に約束して借りたのである。その期日が昭和二十三年の三月三十一日であるため、
学校を返却せよ、
学校を公共團体以外のものに対して貸したら
憲法違反だといふので、
朝鮮人学校を公共團体として認めないのである。二月ごろから幾十日もの間何回も交渉した。こつちの要求である新しく
学校を建てるまでの借用期限延長ということを初めは拒んだが、四月上句の
朝鮮人大会の代表が行
つて円満に交渉したところ、神戸市長も、それでは
学校を早く建てられたし、いろいろ援助もしようと言
つて、延期を承諾した。そして
憲法違反云々を表面ふりかざしつつ、実は市長は六・三制で教室不足でこちらも困
つておるという実情を訴えた。では私たちの方も急いで建てましようということに
なつた。しかるにそれと同時に市でなく縣廳から、
学校教育法に從えとの指令が出た。二つの話がダブついて、それによ
つて四月十四日にわれわれが借りておる三つ
学校に対し閉鎖令が出た。市長が貸してくれるのにこの閉鎖令が縣から出たのに驚いて、知事に何回も交渉に行
つた。しかし知事はいつも逃げてばかりいて、ちつとも会わない。学務課長がいろいろ心配して、知事邸に行き、何日の何時に会うといふ約束はしてくれたが、そのたびごとにすつぽかされた。で代表七十三人がどうしても会うまで縣廳にがんばると言
つた。すると退去命令を出した。それに應ぜず。
日本の武裝警官が來て檢束した。そのとき七十三人全部檢束された。そのうち女と小さい子供とがはい
つていた。その子供だけはすぐ釈放してくれた。女の一人は妊娠中だ
つたが、檢束騒ぎのため踏まれ、けられ、その結果流産するに至
つた。これは四月十九日のことだが、二つの警察に收容された。新聞に大きく事件が起
つたのはこの事件でなく、四月下旬のでき事であります。」私の筆記はこれだけでやめます。
もう
一つだけ読ましてもらいましよう。「四月二十六日を期して神戸で人民大会をやることに
なつた。警察に集会届を出したら、知事やら縣の警察部長や神戸市長、神戸助役、裁判所の檢事正等首脳部十七名が、二十四日午前九時半ごろ知事室に集
つてこの対策を練
つていた。それまで何回面会に行くも、断わられたり逃げられたりしているので、その情報が傳わると、
朝鮮人が続続集まり、あとは新聞に出ているような結果と
なつた。そのとき、みんな戸を閉め、かぎをかけて会
つてくれない当局者がみんなそろ
つているんだから今会
つてくれればよいではないか、と言
つたけれども会
つてくれない。從
つて、そのとき簡單に会
つて、誠意ある
態度を示してくれたら問題はなか
つたと思う。戸を閉めて入れさせないもんだからガラスを壊したり戸を破
つたりすることに
なつた。それも新聞の報道するがごとき大げさなものではなか
つた。皆わあわあ言
つてるうちに、ああいうことに
なつたと思う。從
つて、
計画的だとか、共産党が煽動したとかいう事実はま
つたくなか
つた。だからそれは口実だと
朝鮮人側では見ている。」これで読みますまい。
今毎日新聞にチャーチルが第二次世界大戰回顧録を書いているのを私は非常に注意深く読んでおりますが、あの大きな大きな第二次世界大戰、あのくらい実は簡單に起らないで濟ませ得る戰爭はなか
つたんだ。簡單なのであ
つたが、そのときの政治家の処理が悪か
つたからああいう戰爭が遂に起るに至
つたということをチャーチルが書いておりますが、私はむしろ
朝鮮の人々に対する
日本側の
態度が、ここにあが
つた実例だけではないのでありますが、もう少し親切であり、前も
つて朝鮮に帰ることを選ばないで
日本に残留することを選ぶ人間は、当然に治外法権などのあるはずもなく
日本の
法律に從わなければならない。こういう指令が出ておるのだから、
日本の
法律に——
学校教育法にあるいは
教育行政法に合わなければ、すぐに閉鎖だとい
つて押しつける前にそのことを
政府としても新聞紙を通じラジオを通じ十分徹底させておいて、それから
朝鮮に対して何回ものあらかじめ警告を発し、徐々にやるのであるならばよいのでありますが、急にああいうようにも
つてい
つたために、今
朝鮮人の
日本人に対する反感は非常に高ま
つております。
この間衆議院の本
会議において野坂參三君が
質問した場合に、各党各派から猛烈なやじが飛んだ。それを傍聽席にお
つた朝鮮の人が聽いて、
日本人は
朝鮮に來てずいぶん乱暴なことをしておいて、搾取しいじめ通したものであるが、今衆議院の議場に現わけたところを見ると、みんな
朝鮮の血をすするおおかみのように見えたと、私に語るときも涙でその
朝鮮人は語
つたのであります。参議院において細川嘉六君がまた
朝鮮の問題について
質問を取り上げたときにも、同じやうな光景であ
つたと聞くのであります。私は
日本人が
朝鮮に対して反感をも
つておるということはよくわかります。だがわれわれは大衆と同じような感情や同じようなレベルにあ
つてはならないと
考えております。われわれ
日本人大衆が
朝鮮に対して現在反感をも
つておるのは、終戰後に
朝鮮の人があまりにも戰勝
國民のような顔をして威張
つて、いろいろ乱暴なことがあ
つたから、それに対する反感でありますけれども、われわれから
考えればああいう反感が起きるのは起きるべき
事情ががあ
つたと思うのであります。
すなわち第一には、
日本が
朝鮮を統合しておる場合に、向うから言えば異國の神であるところの天照大神を向うへも
つてい
つて、その神社に対していやがる
朝鮮人をむりにもひつぱ
つてきて拍手をさせねば
承知しなか
つたといふことがあ
つたのであります。また
朝鮮人の
日本人との間に
法律上の係爭事件があれば、原告が
日本人であれば、そして被告が
朝鮮人であれば、その係爭は大抵は原告の
日本人の勝ちになる第三には、
朝鮮人は御
承知のように古くから白い着物を着る習慣でありますが、この白衣の習慣を改めさせるために、お祭などの場合には、バケツに墨汁を用意してい
つて、水鉄砲でその白い着物を汚して、そういう習慣を改めさせて
日本流にするというようなことさえも強行しております。また第四に、
朝鮮人は非常に祖先を尊敬するのであり、從
つて冠婚葬祭などは想像以上にはでに嚴粛にやるのでありますが、はでにやるくらいでありますから自分の先祖を尊重し、その姓名を尊重することはわれわれの想像以上であります。それなのに金だとか李だとか朴だとかいう姓をみんな
日本流に改めさせる。改めない者があれば、反日派であると言
つて、それを圧迫するというようなひどいことをさえも、
日本人は
朝鮮においてや
つてきたのであります。あるいはまた
朝鮮を最初に
日本が合併した場合には、ずいぶん乱暴なことをして、
朝鮮人の所有に属する田畑や山林や鉱山の権利なども非合法に取上げておるという事実も、われわれ
日本人がよく知
つておるところであります。それからまたおよそ民族にと
つて大事なものは國語でありますが、
朝鮮においてはいわゆる
朝鮮語の新聞を禁じて、総督府だけが自分に都合のいいことばかりを出す
朝鮮語の新聞を
一つも
つて、あとは全部
日本語の新聞で、押し通してお
つたというような事実をも、われわれは反省してみる必要があると思うのであります。
であるから
朝鮮の人が鬱積した憤懣を、この終戰によ
つて威張
つてお
つた日本人が負けたのだという瞬間に、爆発させるということはあり得べきことであ
つて、われわれがそれを反省することなくして、
朝鮮の人々が終戰後に汽車の中で、あるいはまた生活に困る関係もあり、もちろん中には悪い人もありましよう、そういう人々がいろいろな
法律違反の悪いことをや
つたり、やみをする人があるのが目にあまり、経済知識のない民衆に、今たくさんばら撤かれている新円は、
朝鮮の人や支那の人が半分をも
つておるそうだとか三分の一をも
つておるそうだとか、そんなことはあり得べからざることであるが、そういうような流説と相ま
つて日本人の
朝鮮人に対する反感が非常に高ま
つておるのであります。だがわれわれはそのような流計に巻きこまれて、大衆と同じような感覚て
朝鮮人に対する問題を処理することは非常な誤りであります。私はこの際
政府は
日本國民全部を代表して
行政の措置をと
つておるのであるから、
日本人の中の低い感情を代表しないで、高い聰明に指導せられたような取扱いをして、今後も何らか
朝鮮の人々がこの事件によ
つて抱いた感情を融和するような方策をとられるように私は切に希望するものであります。
ここにもう
一つ資料がありますが、非常に短いから失礼ながら読ませていただきます。衆議院司法
委員会は大阪、神戸に現地調査
委員を派遣し、同
委員会にてその調査報告を整理中でありますが、その一部明らかに
なつた部分、特に
文教委員会に関係あると思う点だけを読み上げるのであります。
一、現地兵庫縣軍政部
教育課長は「
学校明渡しにつき強行命令は出さなか
つた」と
朝鮮人側に言明せるため、縣当局が苦境に追いこまれた
事情があ
つた。
二、終戰後の混飢に乗じて
朝鮮人が半ば占処に似た行為をも
つて学校建設物を入手していたものを、当局は黙認的に貨與していた。しかるにこのたびの閉鎖命令である。これはすなわち貨與から明渡しまでの処理は司
法関係、閉鎖処理は
行政関係、この二点が根本的な問題をなしており、今後の第三國人に対する処理方法に
一つの示唆を含んでいると思われる。大阪において問題を起した十九校のうち六校が明渡しに應じたというのも、それは他に代りの建造物があ
つたからで、明渡し命令に服したわけではなか
つた。読むのはそれだけですが、
朝鮮の人人は、われわれは税金を拂
つておるのだから
教育費を補助せよという要求を出しておるのであります。またわれわれは納税者であるのだから、
終戰前と同じように選挙権をもたせるべきではないか、こういうことも申しております。現在
日本の農地
委員会の
委員の選挙の場合には、
朝鮮人にもやはり選挙権が與えられておるのであります。千葉縣の人から聽いたところによれば、税金はどんどん取立て、
朝鮮人もそれに應じてどんどん支拂
つておるというのであります。今後この問題を契機として
朝鮮の人も
日本内地に残留しておる間は
日本の
法律に服さなければならないということが非常に徹底することになるでありましようから、今後
朝鮮の人々の
態度においても、いろいろ変
つた点が現われようと思うのであります。從いまして
日本政府は、今申したように、共産党が背後におるから、共産党が煽動するからああいう事件が起
つてしようがないのだ、そういう
意味でいよいよ強く当ることによ
つて、実際の結果は今言う参議院、衆議院の傍聽によ
つて朝鮮の人が受取
つた印象と同じように、
日本政府頼むに足らず、ほかの
政府頼むに足らず、共産党こそは眞に自分らのためにはか
つてくれる唯一の政党であるというように、動機はそうじやありますまいが、共産党をできる限り應援をして、共産党を太めておるのが、
日本当局の現在のやり方ではあるまいが、問題は今度の事件だけではないので大事なことは
朝鮮の人人が
日本語を——随分
朝鮮におる人々も
日本におる人々も学んでおるのであるから、その語学というものが東洋の
文化を高める上に、
朝鮮の民族がそれによ
つて文化を吸收する上にどのように役立つかもしれないというような点もあるし、また六十万という大きな人数が
日本におるのでありますから、関係は非常に深いので、この六十万がたとい
朝鮮に引揚げましようとも、また内地にお
つて産業に從事するにいたしましても、あるいは勉強を続けるにいたしましても、この
朝鮮の人々と
日本との間に深い溝が今のようにできておるという実情は非常に嘆かわしいことでありまして、これをどういうようにしたら緩和することができるか。私は
教育の部面を担当しておられる文部大臣が、文部省としてどういうような
考えをも
つておられるか、それらの点を承りたいのであります。
鈴木國務大臣がお見えにな
つておらぬ点は非常に遺憾でありますが、これはまた別の機会にお答えを聽くことといたしまして、以上申しました私の
考え、またその私の話の中に現われた——はつきり
一つ、
一つと算えて
質問をいたしませんでしたが、あつちこつちに現われた
質問に対し御所見を伺いたいと思うものであります。これをも
つて私の
質問を終ります。