○
千賀康治君
制限漢字のことで、
委員外の
質問のお許しを
願つたのでございますが、これは私一人の
意見ではございません。
治安及び
地方制度委員会におきまして、
法律の中に、
制限外漢字が
かなで
表現されたり、あるいは半分
かなで半分
本字で
表現されたり、非常に
復雜多岐、
乱雜を極めた
表現が出てまいりますので、それに関していろいろ
檢討を
行つたのでありますが、結局は
制限漢字の線でということで、その
整理がつ
かないのであります。そこで
治安及び
地方制度委員会では、
決議といつても過言でない
申合せをいたしまして、私がここにその代表として
質問さしていただくのであります。
治安委員会でまず問題になりましたのは、
地方制度の今度改正さるべき
法案の中に、「じゆん化」という
言葉が、「じゆん」は
かなで「化」は
本字で出てきた。その次には「
じんかい処理場」と、
かなで「
じんかい」と書いて「
処理場」が
本字で出てまいつたり、または「
ドツク」という
かなが出てくるかと思えば、一方の
法案では「
船きよ」と「船」の字に
かなで「
きよ」と出てきて、
括弧が振
つてありましたり、まつたく
復雜を極めているのであります。そこで「
ドツク」という
かなが出てくるかと思えば、一方の
法案の方では、「船(
きよ)
」——船という字に、渠の字が
かなで出てきて、
括弧で括
つてありましたり、まつたく
復雜をきわめておるのであります。そこで
ドツクという字は、要するに今まで「
船渠」という字で
表現をされてお
つた字でありますけれ
ども、その「渠」が
制限漢字にひつかかるということで、「渠」の字が
かなに
なつたらしいのであります。かようなふうで、同じ字でもその場次第で、あるいは起案されます
各局課の
役人の
都合でこんなふうに
表現をされてきておるのであります。また「じゆん化」という字も、私はその
委員会において「じゆん」の字は
西扁に享という字であろう、これは今まで
日本の字書を見れば、酒の純粋なものであ
つて、まじりけのないものであり、またこれを人生にあてはめれば、「醇朴」の淳の字は、今度は「シ」に同じつくりになりますが、淳朴な人情を表わすものである、かように書いてあるのでございます。そこで「じゆん」の字を強いて
かなで使うというわけはどういうわけか。もしもかような
意義が表わしたいというならば、
制限漢字の中の他の
文字を
使つても、かような
意味は表わせるじやないか、あるいはこれを
風俗の「じゆん化」というふうに言わずして、
風俗の美化、向上、発展というような
言葉を使えば、
制限漢字の中でもその
表現はできるじやないか。かような
質問をいたしたのでありますが、
政府当局は、それはそうかもしれませんけれ
ども、「淳」の字は長く
法律用語として使い慣れておるから、「淳」の字を他の字をも
つて表現するということになると、どうも
感じがぴんとこないから、このまま
かなで使いましたという話であります。「
じんかい処理場」も、同じく「
塵芥」という字は
ちり、
あくたという
やまと言葉がある、そのことだと思うけれ
ども、もしもわかりやすく
かなで書きたければ、なぜ「
ちり、
あくた
処理場」と書
かないのか。また「
塵芥」という字を同
意義の字で
表現するならば、
都市老廃物処理場または
掃溜処理場、かようにすれば、
制限漢字の中にある字でこの
意義は
表現できるじやないか、かような
質問に対しても、そこまで
考えておりません。「
塵芥」という字は、もう何となしに
日本話に
なつたような氣がしておるから、この字を移動しては、「
塵芥処理場」とくつつけて
考えたときの
感じが出てこないから、そのまま
かなでやつたという話であります。この例は
治安並びに
地方制度委員会の
法案において逢着した例でありますけれ
ども、およそ各種の
関係法案についてどれくらいこうした
間拔けのものが出てくるかもしれません。もしもこの
法律が
制定されまして、われわれがそれに抵触して裁判の
処断を受けるような場合、
判決文の中に、お前は「
じんかい処理」の件に抵触して、何年の刑に処するとか、あるいは「
風俗じゆん化」に抵触してどうするとかいうような問題が出てきたときに、はたしてわれわれはその
処断に服する
氣持になるだろうか。もしもその
かなの中にほかの字を入れたとすれば、まるで正反対な
意義をここに
表現し得るのだ。この字をあてはめて、こういう正反対な
意義のことでおれ
たちはこの
処断を受けるわけはないのだというような
理屈が出てきたら、一体その
理屈に対してどういう抵抗ができるであろうか。これは結局
制限漢字という、きわめて無理な
制度が、こうしたことを生み出してくるのであるから、これは何とかせずばなるまいということになります。私の
考えでは、何でも
制限漢字に
法的根拠をもたして、これの中へつつこんでしまおうというならば、
役人はその字の中で他の字を用いて同
意義の
言葉を
表現しなければならない責任がありましよう。そうすると、これはそんなに
日本文学なり、
日本語学に堪能な
役人ばかりはいないのであります。全國何十万とある
官公職員たちがそういう問題にぶつかつたときに、一々
文部省が
制定しましたこの
制限漢字の索引をも
つてきて、はたして自分の
表現しようというものでその中にある
かないか。またどの字をも
つてきたら、それができるかということは、一人々々が
相当に
邦字に自信がなければ、な
かなかそれは決定しがたいことであります。
一般の
官公吏にしてその能力ありとは
断定ができません。これをやろうとすれば、結局その人らは
神経衰弱になるよりしようがない。
神経衰弱にならぬとすれば、結局きまらないで、いつまでた
つても
事務が進捗しないということにな
つてしまうのであります。そこで、この
制限漢字のために、
日本の全
官公廳の
能率がどんなに落ちるかということを
考えますと、実にこの問題の影響するところは、戰慄に値するような大きな問題が起
つてくるのであります。私
どもは
治安並びに
地方制度委員会といたしまして、全國の各
縣廳以下の
役所、
——予算にいたしましても、國が四千億であれば、その半分の二千億を使います各部の
関係の
役所の
吏員たちが、どんなにこれで苦しむであろうかということを
考えますと、どうしても安閑としてこのままおることはできません。そこで
考えてみますと、
文部省のその筋のお
役人達は、かような運動をすれば、
邦字は
簡單に
表現できることにな
つて、今まで何十万字とある、
——康煕辞典をずつと集計いたしましても、四十万か五十万あると思いますが、かような大きな
範囲の
漢字を二千字か、二千五百字に詰めてしまえば、それだけ
日本語の
簡易化であ
つて、
日本人の
文化に対する能力がそれだけ上るのである、この不必要な消耗をここで減らすことができるのだというようなお
氣持があると思います。同時にその
氣持ができた本はというば、
西洋のアルフアベツトが二十六
文字で、その組合せですべての
表現ができる。それで進んでおり、そして漢語から進化をしてきた
日本語は遅れておる、こういう
断定のもとにそういうことをお
考えに
なつたと思うのでございますが、私の見るところでは、
西洋の
文字といえ
ども、必ずしも二十六
文字で
表現されておるのではありません。あれは二十六の
記号でいろいろな字が組み立てられておるのでございまして、
記号が
簡單だということであれば、
日本語こそもつと
簡單であります。
漢字こそ最も
簡單でありましよう。ポツと棒とかぎと、あるいはずつと曲つたものとか実に
簡單な字画だけで数十万語の
表現ができておりますので、これくらい進んだものはないと言えるくらいでございます。また
英語といえ
ども、か
つてシエークスピアーは、その一代に二十万語くらい使いこなしておるということを言われておりますが、
英語などは決して
文字が少いのではありません。彼らといえ
ども三十万語、四十万語というような実に多数の
文字をも
つてあの
文化は、その
文字によ
つて表語され、また後世に傳えられつつあるのであります。そこでこの二千五百字にわれわれの
文字をたたき込もうということは、いかに
考えても、
日本語の
文字の
方面はそれだけ簡素化し、
能率化するということは絶対に言えないことであります。そこで私は結論として
当局に進言をいたしたいことは、もちろん今日のごとき
能率時代になりましては、
新聞に使う
活字等はある程度に
制限をして、あとは
かなで
表現をするということになれば、
相当に樂になると思いますから、
新聞の
活字等がある数字できめられるということは、私
どもも異論がないところでございますけれ
ども、
法律を
表現し、また
日本人の
生活文化を
表現するのにどうしても使わなければならない
文字に逢着するならば、どんどんと
制限漢字に改訂を加えて、その数を多くしてい
かなければ、どうしても必要な
文化をここに
表現することができないし、またあまりにも
事務の
能率が低下するということにな
つては、この
制限漢字を置く目的が逆になると思うのでございます。われわれの聞くところによりますと、私
どもが
金科玉條としております
憲法でさえも、今の
制限漢字では全部が
表現しきれぬということを聞いております。はたしてそうであるかどうか、これも
当局の御
意見を伺いたいのでありますけれ
ども、さようだとすれば、いかにこの
制限漢字をきめたきめ方が乱暴であり、独善的であり、
民族の
生活とおよそ縁の遠いものであるかということを
断定せざるを得ないのでございます。そこで
將來の問題として、私
どもは
各省あるいは各部局で
法律を
表現するに際して、どうしてもこの
文字は
制限漢字にないが、これだけは入れてくれなければ
表現に非常に不便だということを、月々また議会のたびでもよいのですが、それが集計されて要求されてきた場合には、
文部省の
制限漢字の係の方では、これに審査を加えていくという
方針にしなければ、非常に不便があり、また
國民の実に大きな反感を買いまた
官公廳の学力なり、そこに携わる人の精神的な
苦痛を実にはかり知れざる大きな谷間に引入れていくと思うのでございます。この点に関して
当局の御
意見を伺いたいと思うのであります。特に御
意見でありましても、独善的にあらずして、われわれの逢着した
苦痛を十分にいやすに足るものをもつた御
意見を伺いたいのであります。