運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1948-09-25 第2回国会 衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第62号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十三年九月二十五日(土曜日)     午後四時五十六分開議  出席委員    委員長 武藤運十郎君    理事 田中 角榮君 理事 辻  寛一君    理事 梶川 靜雄君 理事 河井 榮藏君    理事 荊木 一久君 理事 小松 勇次君    理事 石田 一松君       明禮輝三郎君    渡邊 良夫君       前田 種男君    橋本 金一君       田中 健吉君    中村元治郎君       本田 英作君    宇都宮則綱君       徳田 球一君  委員外出席者         石炭國管問題に         ついて出頭した         証人         議     員 伊藤卯四郎君                 竹鶴 可文君                 俵田  明君     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件  資料提出要求に関する件  委員の派遣に関する件  委員会報告書に関する件  石炭國管問題に関する件     ―――――――――――――
  2. 武藤運十郎

    武藤委員長 これより会議を開きます。本日の理事会において決定せられました事項を御報告申し上げて、皆さんにお諮りをいたしたいと存じます。  第一、次回の委員会開会は来る十月十一日より同十六日までと定め、この六日間を石炭國管問題並びに兵器処理問題の証人調べに充てたいと存じます。なお右期間に喚問すべき証人は、來る十月六日正午理事会を開き決定をいたすことにいたしたいと存じます。  第二、東京地方裁判所に対し田中武雄氏にかかる公判調書提出を求めたいと存じます。  第三、石炭國管問題に関し、貝島太市氏は病氣のため出頭できない旨の届が提出せられておりますので、梶川、高橋、宇都宮三君に臨床尋問をお願いいたしたいと存じます。その期間委員長に御一任を願いたいと存じます。  第四、兵器処理問題につきましては、大体の基礎調査を了しましたので、この際小委員会を廃止いたしたいと存じます。佐世保事件につきましての調査報告原案提出せられましたが、これはこの要旨を最近の委員長報告に盛ることといたしたいと存じます。右一括して御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 武藤運十郎

    武藤委員長 ではさよう決します。  なお第五回分の八月分の委員長報告はお手もとに差上げてあります通りに喜議長あて提出の件、御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 武藤運十郎

    武藤委員長 ではさよう決します。  本日出頭証人伊藤卯四郎君、俵田明君竹鶴可文君、三名です。石炭國管問題について証言を求めるため御出頭願つた次第であります。証言を求める前に各証人に言御注意を申し上げます。昨年十二月二十三日公布になりました昭和二十二年法律第二百二十五号、議院における証人の  宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならぬことになつております。宣誓または証言を拒むことのできるのは一般の人については、証言証人または証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項、あるいはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するときに限られ、医師歯科医師、薬剤師、薬種商、産婆、弁護士、弁理士弁護人公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあつた者については、その職務上知つた事実であつて黙祕すべきものについて尋問を受けたときに限られております。それ以外には何人も宣誓または証言を拒むことができないことになつておるのであります。なお証人が正当の理由なくして宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることになつておるのであります。一應このことを御承知になつていただきたいと思います。では法律の定めるところによりまして証人宣誓を求めます。御起立の上お手もとに差上げてある宣誓書を朗読していただきたい。伊藤代表してお読みください。     〔証人伊藤卯四郎君各証人代表して宣誓〕     〔各証人宣誓書署名捺印
  5. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは伊藤君、俵君、竹鶴君という順序でお話を伺いますから、伊藤君以外の御両君はもうしばらくお待ちを願います。  それでは伊藤君に伺います。あなたは社会党の代議士ですね。、
  6. 伊藤卯四郎

    伊藤證人 そうです。
  7. 武藤運十郎

    武藤委員長 昨年石炭國管問題の上程せられました当時、鉱工業委員会委員長をしておられましたか。
  8. 伊藤卯四郎

    伊藤證人 そうです。
  9. 武藤運十郎

    武藤委員長 その法案が上程せられます前後に、全國の業者がこれに反対運動をしたようでありますけれども、その運動について、あなたに対して直接運動があつたかもしれませんが、そのほか運動に関してあなたの知つておられることをやや詳細に述べていただきたいと思います
  10. 伊藤卯四郎

    伊藤證人 團体代表から正式に委員長の私は反対運動を聽いたことはありません。ただ商工大臣の官邸で、法案與党三派でつくり、政府案として要綱ができた折に、経営者代表労働組合代表に、二回にわたつてそれぞれ商工大臣、当時の和田安本長官加藤労働大臣もいたようでありました。私も法案立案者とし委員長としてその席におりましたときに、大体こういう要綱炭鉱国家管理法案をつくるつもりであるから、協力してやつてもらいたいということを述べましたときに、経営者側は強い反対意思表示をしておりました。労働組合は原則的には賛成であるが、もつと進歩的なものをつくつてもらいたい。こういうことがありました。その後は私委員長に直接業者代表が、院外においても院内においても陳情はありませんでした。それは私が大体社会等としまして炭鉱国管法原案を種としてつくりましたし、最も進歩的なものを私どもが考えておつたのでありますけれども、片山内閣は御承知のように民主党國民協同党協力してできておりましたので、やはり私ども相当譲歩しなければならないという立場にありましたので、そういうことがきわめて明白であつたので、おそらく業者は私に反対意見なり陳情をしてみたところで問題にならぬであろう、こういうことから私にはおそらく反対意思表示を具体的にもつてこなかつたのだろうと思います。
  11. 武藤運十郎

    武藤委員長 正式な陳情はなかつたようでありますけれども、九州方面また北海道方面炭鉱業者と個々に、あるいは数人で面接せられたようなことはございませんか。
  12. 伊藤卯四郎

    伊藤證人 大体私が昭和十六年、戰争が始まりますに年ほど前に、福岡県においてみずから鉱業権を持たない請負堀斤先堀をしておる極小炭鉱諸君組合をつくりまして、その後私が組合長になつておりました。ところが昭和十六年のあの大戦争の始まります直前に、政府の方針として、そういう大きいところから中小の業者の組織を統一しなければならぬということで、私が組合長をしておりました極小炭鉱北九州石炭統制機関統制を命ぜられたのであります。私がその北九州石炭統制機関極小炭鉱業者代表として、重役として戰時中参加をしておりました。そういう関係がありまして、その後も鉱業権者鉱業権をもたないものとの間に、絶えずトラブルが起つております。そういう問題を解決してやらなければならぬ点もしばしばありまして、それからその後炭鉱労働組合相当発達をしてきまして、経営者関係労働組合との関係で、絶えず問題がありますので、鉱業会の事実上実権を握つて代表をしておりました武内禮藏君龍名館において、たしか二、三回そういう問題で会つたことがありました。当時私も石炭増産協力会の会長もしておりましたので、できるだけ現場におけるそういう問題を早急解決をしてやることが、増産上非常によろしいと思つてつたので、そういう関係で二、三回会つたことがありました。たまたま炭鉱國家管理法が上程されるであろうという空気が出てまいりましたときに、そういう問題に触れて話し合つたこともあります。ところが業者側眞向から炭鉱國家管理法案反対である。そういうことは社会党がイデオロギー的に漸次し本主義の外濠を埋めていく、社会主義化する法案であるから、絶対に反対だ、こういうことを盛んに言つておりました。私も当時世会党の案を主としてつくろうとしておりましたので、いろいろ説明もしてやりますけれども、連中はそれを聽こうとせないで、とにかくそういう法律反対だと言つておりました。武内君なども、君とは従来いろいろの関係で知つておるけれども、炭鉱國管に関する限りにおいては、君とまつた意見が相反するし、この問題に関する限りは、個人的にも公にも絶対に面会、すまい、こういきまいた話もあります。私も、諸君がこの程度の法律でさえ利潤追求の点から話がわからないとすれば、もう諸君に理解を求めるために話する必要もないということで國管法議会に上程される前に、そういう衝突をしまして、別れたのでありますが、それ以後炭鉱國家管理法通過するまで、なお通過した後も会つたことはありません。なお私がこの法案を取扱つておりましたときに、新聞にも二回ばかり出たようでありますが、今度伊藤九州に來たらば、手足をたたき折つてしまう、彼を絶対に九州に入れないだろうということなども新聞にも書いてあつた脅迫状もたしか十何通ぐらい電報や脅迫黙が舞い込んできたこともありました。そういう事情ですから、連中はもう私を目の仇にしていたので私のところに来ても駄目だと思つておそらく來なかつたのだろうと思います。それから法案委員会に上程されまして、三箇月間にわたつて審議遅々として進まなかつたのであります当時鉱工業委員は三十名でありましたが、三十名のうち十八名は與党側で、十二名が野党側であつたのであります。與党十八名の委員は、当然政府から提出した管理法案賛成すべき責任があつたにもかかわらず、審議の過程を通じて、野党與党の開きが逆轉してきたのであります。野党側が十七、八名になつて與党側が十二、五名ということになつてしまつたのであります。そういう関係で、委員長としてこの法案通過さすべく審議をすることができなくなつてきてしまつたのであります。当時野党側としては引延し戦術で、法案をだれが反対したかわからないようにして、審議未了で葬つてしまおうという計画でやつていたのでありました。私も委員長として、本会議から、あるいは政府から付託されて預かりました法案を、三箇月もかかつて審議未了に終らすようなことに立ち至つては、重大な責任がありますので、この問題については民主党芦田総裁あるいは國協党三木委員長にも、所属鉱工委員全部に協力をしてくれるように責任をもつてもらわなければならぬじやないかということで、審議経過を加えて協力方を求めたのでありますけれども、それはまつたくだめでした。そういう点からついに本会議の方から、あまり遅々として進まないが、どうしているのかというような点から、御承知のように委員長中間報告を求あられたのであります。当時御承知のように、この法案をめぐつて暴力乱闘事件が続いておりましたので、委員長審議経過中間報告をするにあたつても、野党側はこれをやらせないということでありました。しかもそういう点がら、與党であつた委員野党に鞍替えして多数をもつておりましたために、委員長中間報告をやらせないという問題、あるいは委員長議事を進行させようという問題についてまつた反対でありまして、ついに委員長不信任決議をした。そういうようなこともやつております。それから委員長会議を招集しましても、過年数の諸君はその招集に應じて出席をせないで、審議権をみずから放棄する、そういう状態もあつたのであります。しかし当時過半数に達せない委員諸君と相談をいたしまして、本会議から委員長審議状況中間報告をせよということであるし、審議権を放棄して出て來ない委員に対しては、もう諮る必要はないから、当然委員長として中間報告をやれということでありまもたので、やつたのであります。ところが併せて、これに今度中間報告をやつたというので、懲罰動議を本会議提出すべく用意長委員部の方に届けておつたようであります。そういうことで、私としては不信任は出され、しかも懲罰動議は出され、そこまで追い込まれてしまつたのであります。  ところが、そういう状態になりましたので、委員会では與党委員野党に鞍替えさせ、賛成させたから、委員会は多数で否決することができるけれども、本会議において通過をさせられる。そういう状態になれば、審議未了にもつていく計画は敗れるから、せめて委員会だけでもこれは否決してしまつて、あるいは参議院にも否決影響を與えようじやないか、あるいは委員外にもそういう否決影響を與えようじやないかということから、引延し戰術を今度は逆にしまして、質問打切り、討論省略、直ちに採決しろというような空気が圧倒的になつてきたのであります。そういう点から、私としましては、そういう陰謀計画のもとにのみ多数で左右されるということは、委員会の権威の上から見ても、正しい審議の上から見ても、私ははなはだおもしろくないということを考えたのでありますけれども、当時のいろいろな院内いきさつは、遂に委員会において否決をさせて、本会議で可決をさせられるという結果になつたのでありますが、私として、当時最後の委員会採決の折に、委員長の席に着かなかつたということは、委員長不信任決議したということは違法であるということが議長からも裁定されたのであります。同時に審議権をみずから放棄して、審議に加わらずしておつて、今度私が中間報告をしたことについて懲罰動議を出しておりましたので、私は委員長不信任懲罰動議を撤回せない限り、委員会議事を円満に遂行することはできないし、そういうような圧迫的な状態で、委員長として議事を進行さすことはできないというのでありましたけれども、当時のいろいろの政情からして、委員会否決になつてもいいから開いてくれという、開くならば別箇な、だれか理事委員長の代理としてやつてくれということで、私はそういういきさつで当時その委員長の席に着かなかつたのであります。それは與党に対して私は不満があつたのであります。野党の作戦にことごとく押されてきて妥協協調をせなければならぬということは、あまりにも私はふがいないということを考えたので、私はその処置にはなはだ不満であつたので、委員長の席には着かず、採決にのみ加わつて賛成をしたのでありますけれども、野党側が多数であつたために委員会否決でありました。そうして本会議において御承知のように通過をした。これが大体委員会経過の大筋であります。
  13. 武藤運十郎

    武藤委員長 そこで当時石炭業者も非常に猛烈な反対運動をする、その反対運動資金として、トン当りいくら集めたとかいうようなわけで、相当な金がばらまかれたというような説が濃厚なんですけれども、與党から野党に替つたというようなこと、その他を中心として、さような事実について多少あなたは御存じのことはありますか。
  14. 伊藤卯四郎

    伊藤證人 これは日本でも最初に法案として取上げられました、非常に民主的な國家管理法案でありましたが、もつと進歩的なものをつくれという、相当な反対意見があ力ましたので、輿論に問う意味において公聽会を四日間にわたつ、て開いたことがありました。それは炭鉱主を主体として、日本産業金融資本家代表から二十何名くらい、労働組合代表をやはり二十何名くらいと、中立関係人等で、五十人ほどで四日間公聽会を開きましたがその折日本資本家側はあげて國管反対でありました。労働組合側はあげて賛成であるが、もつと理想的なものにしてくれという要求でありました。その折に労働組合代表からトン当り七円とつておるとか、十円集めたということが公に出されたのであります。それは当時の速記録に載つておりますが、そういうことで話をしては、そういう公の場合にそんな意見が出たこと、あるいはその後風説としては労働組合関係、その他の関係からもトン当り七円集めたとか十円集めたとか十五円集めたとか、あるいは何十万円集めて運動資金使つたというようなことは、それぞれ風説としてはずいぶん聽きましたけれども、具体的に私はそれを知り得ていないのであります。それというのはあの國管法にほとんどいじめられて没頭しておりましたためと、業者関係から非常な憎むべき敵であるというように思われておつた関係もあろうと思うのでありますが、そういう点は具体的に私は知ることができなかつたのであります。業者の中にも知つておるのもおりますけれども、そういうことで國管問題に関する限りにおいては会わない。それから私もまた会う必要もないと思つたし、会つてもまつたく問題にならないと思つておりました。そういうことで連中グループに連絡することができなかつたので、具体的にその内容にわたつて私は知ることができないでおるのであります。ただ風説のみであります。
  15. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなたのところへ何か、金を持つて來たとか何かということはございませんか。
  16. 伊藤卯四郎

    伊藤證人 私のところには金を持つて来た者は一人もありません。私の寮に初めまだ法案が出る前でありましたが、反対だと言つて来た者はありましたけれども、それは石炭國家計画通じ出すためには私企業に任しておいてはいかない、それから増産法であるから君らのためにもなるじやないか、また労働者協力を得なければ増産にはならぬのであるから、そのためには労働者の権益その他を認めることになるだろうとか、いろいろそういう話をしてやりまして、話をした者は、大体時代に逆行することはできないだろうというようなことで帰つた者が二人ほどありましたが、これらはその場ではわかつたようであるが、しかしあとからは依然として反対運動をやつておりました。それから院内でも、あの諸君がどやどや来て反対をやつておりますときも、私はばかなことをして金を使つて反対運動などやらないで、山に帰つて炭でももつと掘つてくれないか、君らが反対運動をすれば労働者側がもつと理想的なものをつくれと言つてこの運動を起してくるだろう。そうすると現場はあき家になつて労資対立状態になつて非常な減産になるじやないか。そんなばかなことを金を使つてしておらぬで山に帰れということを院内でも何人かに私は警告をしたことがありますけれども、私のところにそれ以上の話を持つて来た者はありません。
  17. 武藤運十郎

    武藤委員長 何かお尋ねのことがございますか。
  18. 梶川靜雄

    梶川委員 脅迫状等が当時十数通参つたという話でありますが、それは今手もとにお持ちになつておりますか。
  19. 伊藤卯四郎

    伊藤證人 反対電報が二百何十通くらい来ておつたが、それは全部この國管が済んだ後整理してしまいました。院内で同志に見せたのもありましたけれども、その後それは整理してしまいました。
  20. 梶川靜雄

    梶川委員 脅迫状というのは十何通は書状で来たわけですか。
  21. 伊藤卯四郎

    伊藤證人 電報が一通でほとんどはがきです。
  22. 梶川靜雄

    梶川委員 それも整理してしまわれ、たわけですか。
  23. 伊藤卯四郎

    伊藤證人 そうです。
  24. 梶川靜雄

    梶川委員 どこから來たということは記憶はないですか。
  25. 伊藤卯四郎

    伊藤證人 ほとんど一経営者であるとか、中には一労働者炭鉱労働者といつて書いたのもありますが、中には労働組合から反対だと言つて電報が来ておるので、調べてみたら、その労働組合はそんな反対電報は打つておらぬと言つていますから、これも業者関係かそのグループから打つた電報だろうと思つておりますが、佳所氏名を明らかに書いたものはありません。皆匿名の形でやつておりました。
  26. 梶川靜雄

    梶川委員 話は別ですが、配炭公團関係の方はどういう態度をとつておりましたか。
  27. 伊藤卯四郎

    伊藤證人 配炭公團関係労働組合の方は炭鉱労働関係がありますけれども、これは別に労働組合協力して具体的な運動を起してくるというようなことはなかつたようです。ただもつと理想的なものを労働組合としてつくらす必要があるのじやないかというようなことは、配炭公團労働組合にあつたようです。それから組合以外の配炭公團幹部は具体的に何もやつておらなかつたようです。
  28. 梶川靜雄

    梶川委員 別に配炭公團幹部反対という立場は表明しなかつたのですか。
  29. 伊藤卯四郎

    伊藤證人 それは私の目につく限り、また聞いた範囲においてはなかつたようでした。
  30. 梶川靜雄

    梶川委員 配炭公團の八代という人を御存じですか。
  31. 伊藤卯四郎

    伊藤證人 一知つております。
  32. 梶川靜雄

    梶川委員 その人は相当反対に奔走しておつたことはありませんか。
  33. 伊藤卯四郎

    伊藤證人 私の知る限りにおいてはをしたということは二遍も見聞きしたことはありませんでした。
  34. 中村元治郎

    中村(元)委員 証人にお尋ねすることは少し無理だと思うのですが、今あなたの口からも、與党のうちからも反対せぢれたことがあつたと言われましたが、それは事実ですか。
  35. 伊藤卯四郎

    伊藤證人 そろです。それは御承知のようにすでに民主党の中においても八名の委員中、本会議決議の場合に加わつた人は二人であります。西田君は熱を出して出席はできなかつたと聞いておりますが、西田君が病粛でなくて出席できたとしても三人であります。そうすると五名の人は除名脱党された人たちでありますから――当時御承知のようにこの法案をめぐつて民主党の中には三十名近くからの除名脱党者が出たのでありますから、與党の中に。おいてもそういう人があつたことはきわめて明白であかます。
  36. 中村元治郎

    中村(元)委員 そういたしますと、社会党内の左派のうちにも反対態度の人があつたでしよう。
  37. 伊藤卯四郎

    伊藤證人 それではついでに附け加えておきますが、社会党にも当時衛藤君どいう業者がおりまして、この人は決議の折に出席しませんでしたので、統制に徒わなかつたというかどで社会党から除名をいたしました。それから左派の方で反対というのは、当時鉱工業委員の一人でありました岡田君、これは法案が生ぬるい、もつと理想的なものでなければならぬというので反対でありましたが、これは同じ反対でも、法案絶対反対でなくて、もつと理想的なものにせなければならぬという意味反対をしておりました。しかしあと統制に従いまして、委員を辞任して、代りの委員を入れてごの採決参加をいたしました。
  38. 中村元治郎

    中村(元)委員 ところで、当時業者の方から岡田春夫氏に五十数万円という金を渡されたというようなことを聞くのですが、あなたはそういうことをお聞きになりませんか。
  39. 伊藤卯四郎

    伊藤證人 私は岡田君は理想的な点から反対しておつたのだから、そんなばかなこ乏はないだろうと今思つております。
  40. 徳田球一

    徳田委員 あなたの東京での住所はどこでしようか。
  41. 伊藤卯四郎

    伊藤證人 日鉄従業員組合の寮です。
  42. 徳田球一

    徳田委員 初谷寮というのですか。
  43. 伊藤卯四郎

    伊藤證人 そうです。
  44. 徳田球一

    徳田委員 神田淡路町ですね。
  45. 伊藤卯四郎

    伊藤證人 そうです。
  46. 徳田球一

    徳田委員 そこは龍各館のすぐ隣りだそうですぬ。
  47. 伊藤卯四郎

    伊藤證人 二丁ぐらい離れております。
  48. 徳田球一

    徳田委員 そういう関係でしよつちゆう龍各館との間に行き來があつたのですか。
  49. 伊藤卯四郎

    伊藤證人 私は衞藤君が除名される前には社会党の議員でありましたし、それから私の知つておる者もあそこによく九州から出てきて泊りますし、組合の者も何回か泊つたこともあります。そういうことで私は國管法議会に上程される前は何遍も行きました。そうしてそういう諸君とも会い、先ほど説明しましたように武内禮藏君とも、斤先業者現場における労働組合の問題で三回ばかり会いました。それ以外に労働組合関係とか何かで何回も行きました。
  50. 徳田球一

    徳田委員 國管反対のときには、何ら関係はないのですか、龍名館と……。
  51. 伊藤卯四郎

    伊藤證人 私がさつき説明したように、國管議会に上程される直前から、連中とはまつた意見が対立するものである、いくら話してもわからぬものであるということで、言わば議論わかれになりました形になつておりますので、それからとかくの誤解も生れるし、またこう見られるのもおもしろくないという気持もありましたから、それで國管が九月上程されてから、昨年九月以後行きません。
  52. 徳田球一

    徳田委員 龍名館のその当時の内容はおわかりにならないですか。
  53. 伊藤卯四郎

    伊藤證人 だから反対運動した連中が、盛んに参謀本部に来てやつておるということを聞いておりますが、そのころはてんで行かぬから、どういう諸君がどう集まつて、どういうことをやつてつたか知りません。
  54. 徳田球一

    徳田委員 酒を七十万円も飲んだというが、そういう状態はわがりませんか。
  55. 伊藤卯四郎

    伊藤證人 それはわからぬ。
  56. 徳田球一

    徳田委員 もう一つお尋ねします。九州鉱工業委員会が全体としてかあるいは委員会のいくらかの人々が行かれまして、向うで業者との間に懇談会か何かやられたことがありますか。
  57. 伊藤卯四郎

    伊藤證人 当時鉱工委員会で、北海道と九州の炭田の増産状況について正式に院議により調査に行つたことがありました。私は國管法との問題もありまして、忙しくて行けなかつたが、双方委員諸君に行つてもらいました。当時の報告なりいろいろ話を聽きましたが、労働組合代表あるいは経営者代表というようなことで、そういう点は非常に公平な立場に立つて調査をしてきたという報告を聽いております。
  58. 徳田球一

    徳田委員 九州では大饗應をしたという話でありますが、そういうことをお聽きになりませんか。
  59. 伊藤卯四郎

    伊藤證人 私はそのことは聽いて、おりません。あるいはその後山でいろいろ調査をしたり、座談会をやつたり後で、夕飯ぐらい招ばれることはあるだろうと思うが、それ以外のことで饗應にあずかつたというような話は、現場労働組合諸君からも聽いておりません。
  60. 徳田球一

    徳田委員 あなたは行かれなかつたですか。
  61. 伊藤卯四郎

    伊藤證人 行きませんでした。
  62. 徳田球一

    徳田委員 宇部にも出張した。鉱工業委員会から派遣したことはありませんか。
  63. 伊藤卯四郎

    伊藤證人 そのときには九州は山口、九州、北海道は常磐、北海道ということになつておりますから、私今調査報告を忘れましたが、宇部にも寄つてくれておるかどうか、私よくわかりません。
  64. 石田一松

    ○石田(一)委員 先ほどあなたの証言の中に、民主党芦田総裁と国民協同党のの三木委員長協力方を申込んだけれども、ついにこれは無駄に終つた。効果が何もなかつたということですが、効果がなかつたということは何か三木委員長協力を申込んだことと関係がありますか。
  65. 伊藤卯四郎

    伊藤證人 いえ、それは私当時委員長として審議遅々として進まないし、それから與党委員野党と組んで、この審議計画通りやれないような状態に陷しいれてきたので、これでは與党多数をもつておりながら、委員会をして計画通りに審議させることはできぬじやないか、こういう状態であるから、一つ國協党三木委員長にもこの状態を見て、さらに協力してもらいたい。民主党芦田総裁にも、こういう状態ではやれぬ、與党を多数もつておりながらはなはだ不見識である、だからひとつ党内から選出されておる鉱工委員に対しては特に審議協力をするように、統制をとつてつてもらいたいということをやつたのでありますが、結果においてさつき申し上げたように、民主党委員の大多数が野党と一緒に行動されたので、結論として効果がなかつたのであります。
  66. 石田一松

    ○石田(一)委員 その責任は何も三木委員長にはないわけですね。
  67. 伊藤卯四郎

    伊藤證人 そうです。
  68. 石田一松

    ○石田(一)委員 それからもう一つ伺いますが、委員会においてに與党の員で反対の側にまわつた、こういう結果は私たちは知つておるのですが、初めのうちは何だか賛成だか反対だかよくわからない、むしろ賛成與党立場にいた人が、審議の過程において逆轉をした、こういうことでありますが、では最初は逆轉したというほどのことはなかつたかということであります。
  69. 伊藤卯四郎

    伊藤證人 最初は割切れないようなかつこうで……。賛成しでおるともはつきり言えなかつたが、ともかく何でもこの法案を出すことは不満だというような気分でした。何か割切れぬ評うな形であつたが、ひにちが経つに従つてだんだん野党と一緒になつて法案には絶対反対だということになりました。
  70. 石田一松

    ○石田(一)委員 それは審議をし始めて相当期間が経つてからですか。
  71. 伊藤卯四郎

    伊藤證人 だんだんやつおるうち、に態度野党と一緒になつてきたので、いつごろかということははつきり言えぬのです。
  72. 石田一松

    ○石田(一)委員 そうすると、最初のうちは割切れない不満があるのではないかというような態度であつたが、審議経過するに從つて、はつきり反対態度察しを示し、しまいにはますます強烈になつてきた、そういうふうに了解してよいのですか。
  73. 伊藤卯四郎

    伊藤證人 そうです。
  74. 石田一松

    ○石田(一)委員 もう一つお伺いします。ただいま中村委員からも質問がありましたが、いわゆる社会党左派、名前を具体的に言えば岡田氏ですが、岡田氏はもちろん委員会においても修正案に反対で、原案賛成であるという態度を、委員を辞任されるまでもち続けた人ですか。
  75. 伊藤卯四郎

    伊藤證人 そうです。
  76. 石田一松

    ○石田(一)委員 今もそういう問題が出ましたが、岡田氏がこの原案を固執して、あの当時の情報によると、本会議における修正案の提案されたときに、左派人たちは棄権するだろうというような風説が高かつたのですが、それが社会党内の了解工作の問題で議場で賛成をなさつた。要するに棄権するのではないかというような情報が飛びましたが、岡田氏に対して金銭問題はともかく、何らか業者が働きかけたという事実を御存じありませんか。
  77. 伊藤卯四郎

    伊藤證人 私はそれはないと思います。先ほど申し上げたように、委員会においても党の統制に従つて委員会を辞任し、本会議の最後の採決に互いても党の統制に従つて行動しておるのでありますから……。
  78. 石田一松

    ○石田(一)委員 それは岡田氏の方に、その意思がないことはわかるのですが、岡田氏に働きかけた業者があることを御記憶はないのですか。
  79. 伊藤卯四郎

    伊藤證人 それはわかりません。
  80. 石田一松

    ○石田(一)委員 それでは働きかけたというど語弊があるかも知れませんが、岡田氏と会つたというような業者があることは……。
  81. 伊藤卯四郎

    伊藤證人 それもわかりません。
  82. 石田一松

    ○石田(一)委員 ではよろしうございます。
  83. 武藤運十郎

    武藤委員長 ほかにございませんか。     〔「なし」と呼ぶ者あり〕     ―――――――――――――
  84. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは済みました。
  85. 武藤運十郎

    武藤委員長 俵田さんでずね。
  86. 俵田明

    俵田證人 はあ。
  87. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなたは昭和二十二年中には日本石炭鉱業会理事で、西部石炭鉱業会の会長でありましたか。
  88. 俵田明

    俵田證人 そうであります。
  89. 武藤運十郎

    武藤委員長 いつからいつまででしたか。
  90. 俵田明

    俵田證人 鉱業会の始まつたときから、本年の解散するまで、理事をしておりました。
  91. 武藤運十郎

    武藤委員長 今は西部石炭鉱業会の会長でもないのですか。
  92. 俵田明

    俵田證人 ただいまではやめております。何か相談役か顧問かでありましよう。今は鉱業会というものはありませんので、協会でございます。
  93. 武藤運十郎

    武藤委員長 御承知の昨年の議会に上程されました石炭國管案、これに業者はこぞつて反対をされたようですけれども、西部の方もやはり同じような歩調でありましたか。
  94. 俵田明

    俵田證人 そうであります。
  95. 武藤運十郎

    武藤委員長 反対運動をしようというのに、どういう方法でやろうということを西部の方はきめましたか。
  96. 俵田明

    俵田證人 そういう具体的のことはきめませんでしたが……。
  97. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうすると、大体日本石炭鉱業会理事会または総代会できめられた方針で行動する、そういうわけでありますか。
  98. 俵田明

    俵田證人 そうであります。
  99. 武藤運十郎

    武藤委員長 政治家あるいは大臣等を訪問したり、あるいは陳情したりしましたか、あなたはまたはあなたの西部の方から。
  100. 俵田明

    俵田證人 私は東京に出てくることは出て來ましたが、衆議院にはあまり出ませんでして、一度鉱工業委員会かを傍聽に出ました。それから商工大臣の官邸で一度意見の交換会か何かあつたときに出ました。それと、総理大臣の官邸に呼ばれたのか、われわれが参つたのか、よく記憶しておりませんが、参りまして、國管問題について陳情したように存じております。
  101. 武藤運十郎

    武藤委員長 まあその程度ですか、
  102. 俵田明

    俵田證人 はあ。
  103. 武藤運十郎

    武藤委員長 石炭國管反対運動をするために金を業者から集められたようでありますけれども、西部ではどんな方法で、どんな金額が集められました
  104. 俵田明

    俵田證人 西部ではいろいろ運動するためにすく上京しなくてはならぬと申しますので、旅費が要るのだがどうしようかと協議しましたのですが、トン当りいくらという会費か寄附かをとろうかという協議になりましたけれども、やはり全部がそういうものを出すか出さないかよくわかりませんので、公衆から出すものは寄附金として出してもらおうじやないかということにいたしました。
  105. 武藤運十郎

    武藤委員長 トン当りいくらときめたわけではないのですか。
  106. 俵田明

    俵田證人 最初はトーン当りきめましたけれども、それを徴收することはぐあいが悪いのではないか。出さぬ人も出てくるのではないかというので出す人は寄附という形で出してもらおうということにいたしました。
  107. 武藤運十郎

    武藤委員長 私の方で求めた報告を総合してみますと、七月は二円、八月は五円、九月は七円とそれぞれトン当集めているようですが、そうではありませんか。
  108. 俵田明

    俵田證人 全部集まつたかどうか私は知りませんけれども、大体集まりましたでしよう。
  109. 武藤運十郎

    武藤委員長 その金額がいくらぐらいになりましたか。
  110. 俵田明

    俵田證人 大体百三十万円くらいになつたと思います。
  111. 武藤運十郎

    武藤委員長 それをどういうふうにお使いになりましたか。
  112. 俵田明

    俵田證人 それを上京者の旅費並びに國元の方の会合や印刷費、新聞廣告というようなものに使いました。
  113. 武藤運十郎

    武藤委員長 上京の費用はどんな割合ですか。
  114. 俵田明

    俵田證人 これも一日日当いくらにしようかというようなことまで協議しましたけれども、田舎でありまして、東京の相場はよくわかりませんので、実費を拂おうということにしまして、鉱業会の若い人をつけて出しました。そしてその人に大体上京者の実費を支拂わすことにいたしました。
  115. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうすると一人一日いくらというふうに、あらかじめきめたことはないのですね。
  116. 俵田明

    俵田證人 そういうことはきめませんでした。
  117. 武藤運十郎

    武藤委員長 実費というと、五百円かかることもあるし、千円かかることも、二千円かかることもあるわけでありますか。
  118. 俵田明

    俵田證人 そうであります。
  119. 武藤運十郎

    武藤委員長 それぞれ上京した者に若い者をつけたわけでありますか。
  120. 俵田明

    俵田證人 そうであります。
  121. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうするとその清算は行つて使う入用なものを若い者が拂うということになるのでありますか。
  122. 俵田明

    俵田證人 そうであります。
  123. 武藤運十郎

    武藤委員長 その明細は記帳されておりますか。
  124. 俵田明

    俵田證人 もちろん記帳されていると思います。
  125. 武藤運十郎

    武藤委員長 しかしもう国管問題は十二月一ぱいで終つたのですから、その清算なり決算報告なりをなさつたのではないのですか。
  126. 俵田明

    俵田證人 大体やつております。
  127. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうするとだれがいつ行つていくら実費がかかつて合計でいくらになる、印刷費がいくら、会合費がいくらという明細書をお出し願いたい。それからそれを記帳されておる帳面ですか傳票ですか、そういうものの資料を併せて御提出を願いたい。來月の五日ぐらいまでに御提出願えます。
  128. 俵田明

    俵田證人 承知しました。
  129. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは御面倒ですが、來月の五日までに御提出を願いたいと思います。  そこで一つ伺いたいのですが、業者反対のために金を集めて、その金を買收とか饗應に議員を中心にばら散いたという説が大分大きいのですけれども、あなたの方の関係ではそういうことはございませんか。
  130. 俵田明

    俵田證人 それはありません。
  131. 武藤運十郎

    武藤委員長 そういう話をお聞きになつておりませんか。
  132. 俵田明

    俵田證人 私は郷里の方が主でありましたから、あまり東京の方の様子はよく存じませんが、聞いたようにも記憶しておりません。
  133. 武藤運十郎

    武藤委員長 何かお尋ねねことはありますか。
  134. 田中健吉

    田中(健)委員 あなたの会社は宇部鉱業ですか。宇部鉱山ですか。
  135. 俵田明

    俵田證人 宇部鉱山です。
  136. 田中健吉

    田中(健)委員 あなたのお名前で石炭の方に復興金融金庫からどれだけ融資を受けましたか。
  137. 俵田明

    俵田證人 大分大きな金になつておりますが……。
  138. 田中健吉

    田中(健)委員 ここに一千万円以上のものの調べがありますが、あなたの方で石炭の融資を受けておられるか。それをお伺いしたい。
  139. 俵田明

    俵田證人 私の方は炭鉱が五つありまして、はつきり覚えておりませんが、千万円台ではないと思います。
  140. 田中健吉

    田中(健)委員 何億でしようか。
  141. 俵田明

    俵田證人 何十億台と思います。
  142. 田中健吉

    田中(健)委員 何十億というのはどれくらいですか。あなたは会社の首脳部ですからおわかりになると思います。
  143. 俵田明

    俵田證人 五、六億円ぐらい受けているのではないでしようか。
  144. 田中健吉

    田中(健)委員 現在はどうなつているのでしようか。
  145. 俵田明

    俵田證人 現在そうです。
  146. 田中健吉

    田中(健)委員 現在の残高は。
  147. 俵田明

    俵田證人 赤字金融というのがありますね。そういうものを皆ひつくるめて未清算になつている部分です。
  148. 田中健吉

    田中(健)委員 そういたしますると多分赤字金融ではなかろうかと思います。そこであなたの会社が石炭の国管反対運動の資金に一トンあたり七円とか十円とかお出しになつたのでしようか。
  149. 俵田明

    俵田證人 私の会社は出しません。私の方の会社は制限会社でありますから……。
  150. 田中健吉

    田中(健)委員 制限会社だけれども、何らかの形において東京の支社とか重役の関係においてお出しになつておらぬのですか。
  151. 俵田明

    俵田證人 出しておりません。
  152. 田中健吉

    田中(健)委員 それははつきり申せますか。出していないということは、会社の帳簿になつでも何らかの形において出しているかいないか。
  153. 俵田明

    俵田證人 今度の運動に出張者が出張しますときには、旅費の共同計算ですか、そういう形で幾分か出しているかもしれません。
  154. 田中健吉

    田中(健)委員 旅費の共同計算というのは、あなたの会社の方が反対運動東京に出て來られる出張費としては出ているかもしれぬ、こういう意味ですか。
  155. 俵田明

    俵田證人 さようでございます。
  156. 田中健吉

    田中(健)委員 そうしますと、その反対運動の出張費というものは普通の旅費ですか、それとも何か特別な旅費ですか。
  157. 俵田明

    俵田證人 何ですか。
  158. 田中健吉

    田中(健)委員 反対運動のために社員なり、重役の方が東京に出て来られるでしよう。それが普通の出張旅費であるか、何か特別な旅費であるか、経理がどうなつているか。これは制限会社の関係等、少し大事な点ですから……。
  159. 俵田明

    俵田證人 どういうふうに決算しているか、私はまだ詳しいことは存じませんが、私のところは社員は來ませんで、鉱業所長が出ております。
  160. 田中健吉

    田中(健)委員 それは何という方ですか。
  161. 俵田明

    俵田證人 それは幾人もおりますが……。
  162. 田中健吉

    田中(健)委員 それは今わかりませんか、來た方々の名前は……。
  163. 俵田明

    俵田證人 わかります。だれだれが來たかということははつきりわかりませんが、大体鉱業所長の名前は出ておりますから……。
  164. 田中健吉

    田中(健)委員 俵田さんはよくおわかりにならないようだから、何月何日にだれが来て、どれだけ國管反対のための旅費を使つたかということをあとで御報告願えますか。
  165. 俵田明

    俵田證人 承知しました。ただ御承知の通り、宇部地区ではちようどそのときに國管反対問題もありましたが、それ以上に業者が関心をもつてつたことは炭價問題で、これがむしろ宇部の方では國管問題というよりは炭價問題に重大関心をもつてつたわけなんです。それで実は國管案の反対はつけたりで、ひとつ適正な損のいかないような炭價を盛つてもらわなければならなぬというその運動に来ておりまして、来た費用とか、来た人間はわかりますから、後で御報告申し上げます。
  166. 田中健吉

    田中(健)委員 何だか俵田さんに逃げられそうになつてきましたが、炭價改訂運動に来たんですが、それとも國管反対運動に来たんですか。両方を兼ねてきたのですか。
  167. 俵田明

    俵田證人 それははつきりこれだけが國管反対運動だ、これだけが炭價問題だというふうには区別がつきかねるのでございますけれども……。
  168. 田中健吉

    田中(健)委員 そうしますと、なおその内容を詳細に知るためには、その行動の日程表というようなものを検討しなければならぬ。つまり同月何日は反対運動をやつた、何月何日は炭價の改訂運動をやつた、こういうふうに区別しなければ旅費の計算内容がはつきりしないと思いますが、今それをここでやつてもこまかくなりますから、それらの点をなるべく詳細に御報告願いたい。これもやはり来月の五日ごろまでにお願いできれば仕合せだと思います。
  169. 俵田明

    俵田證人 承知しました。
  170. 田中健吉

    田中(健)委員 それだけでございます。
  171. 石田一松

    ○石田(一)委員 ちよつとお尋ねしますが、あなたは庄代議士というのを御存じですか。
  172. 俵田明

    俵田證人 知つております。
  173. 石田一松

    ○石田(一)委員 それはあなたの選挙区の出身者ですか。
  174. 俵田明

    俵田證人 私の方の選挙区でございます……。
  175. 石田一松

    ○石田(一)委員 そうするとこの人は業者ではない……。
  176. 俵田明

    俵田證人 炭鉱は持つておりましたが……。
  177. 石田一松

    ○石田(一)委員 以前は持つていた……。
  178. 俵田明

    俵田證人 今でも持つておりますか、鉱業権者じやないでしよう。仕事は自分の親戚の者にやらせているようでありますが……。
  179. 石田一松

    ○石田(一)委員 櫻山炭鉱の小野田さんというのをご存じですか。
  180. 俵田明

    俵田證人 櫻山炭鉱といえば野島でしよう。
  181. 石田一松

    ○石田(一)委員 いや小野田です。
  182. 俵田明

    俵田證人 小野田炭鉱ですか。
  183. 石田一松

    ○石田(一)委員 いや、小野国という入です。
  184. 俵田明

    俵田證人 小野田という人は知りません。それは鉱主ではないでしよう。
  185. 石田一松

    ○石田(一)委員 それでは篠崎という人は……。
  186. 俵田明

    俵田證人 それは知つております。
  187. 石田一松

    ○石田(一)委員 これは沖宇部炭鉱とかというのですか。
  188. 俵田明

    俵田證人 そうであります。
  189. 石田一松

    ○石田(一)委員 山口縣の方では庄代議士が今度の石炭國管反対か何かの問題で非常に働いたというので、次の選挙は炭鉱業者から三百万円の選挙費用を約束されているというようなうわさがもつぱらだというのですが、そんなうわさは声聽きになつておりませんか。
  190. 俵田明

    俵田證人 聽きません。
  191. 石田一松

    ○石田(一)委員 全然お聽きになりませんか。そういううわさはお聽きになりませんか。
  192. 俵田明

    俵田證人 それは全然聽きません。
  193. 石田一松

    ○石田(一)委員 あなたは東京にいらつしやつたことがありますか。
  194. 俵田明

    俵田證人 それはあります。
  195. 石田一松

    ○石田(一)委員 そのときの宿は赤坂の中川旅館ですか。
  196. 俵田明

    俵田證人 いや、私は私の事務所がありまして、事務所の二階に寝起きしております。
  197. 俵田明

    俵田證人 私の方の選挙区でございます……。
  198. 石田一松

    ○石田(一)委員 それではあなたは坂本實という方をご存じですか。
  199. 俵田明

    俵田證人 はい。
  200. 石田一松

    ○石田(一)委員 この方ももとは石炭鉱業に関係のある方ですか。
  201. 俵田明

    俵田證人 関係はないのじやありませんか。
  202. 石田一松

    ○石田(一)委員 もと貝島炭鉱か何かに勤めておつたが、相当の地位にあつた人じやないですか。
  203. 俵田明

    俵田證人 先生は今下関で何かやつているようです。以前のことは知りませんが……。
  204. 石田一松

    ○石田(一)委員 この方についてもそういううわさはお聽きになりませんか。
  205. 俵田明

    俵田證人 それは全然聽きません。
  206. 石田一松

    ○石田(一)委員 あなたは東京にいらるしやつたことがありますか。
  207. 俵田明

    俵田證人 それはあります。
  208. 石田一松

    ○石田(一)委員 そのときの宿は赤坂の中川旅館ですか。
  209. 俵田明

    俵田證人 いや、私は私の事務所がありまして、事務所の二階に寝起きしております。
  210. 石田一松

    ○石田(一)委員 赤坂の中川旅館には、西部炭鉱業者が泊まつていたのではありませんか。
  211. 俵田明

    俵田證人 そんなことはありますまい。
  212. 石田一松

    ○石田(一)委員 どこに泊まつておりましたか。
  213. 俵田明

    俵田證人 ばらばらでありました。築地にケツキンといような宿屋がありまして、そこに泊まつたのは記憶しております。
  214. 石田一松

    ○石田(一)委員 その外の記憶はありませんか。
  215. 俵田明

    俵田證人 それから本郷のどこかに泊まつておりました。神田でしたか……。
  216. 石田一松

    ○石田(一)委員 龍名館ですか。
  217. 俵田明

    俵田證人 龍名館ではありません。何とかいう宿屋でした。
  218. 石田一松

    ○石田(一)委員 中川旅館というのは御記憶がありますか。
  219. 俵田明

    俵田證人 ありませんね。
  220. 石田一松

    ○石田(一)委員 岡部得三という人をご存じですか。
  221. 俵田明

    俵田證人 知りません。名前は知つておりますけれども……。
  222. 石田一松

    ○石田(一)委員 名前は新聞などで知つているが、会つたことはないというのですね。
  223. 俵田明

    俵田證人 そうです。
  224. 石田一松

    ○石田(一)委員 それでは、今度書類を提出なさいます際に東京に来た人が泊つたという宿も調べてつけてもらえれば非常に便宜だと思います。もしそのとき、中に一人や二人、中川旅館に泊つたという方があるかもしれませんから、どうかよろしくお願いいたします。
  225. 武藤運十郎

    武藤委員長 ほかにございませんか――それでは最後にちよつと伺つておきますが、さつきの集めた金を支出する場合の総括的な会計担任者というようなものがあつたのでしようね。
  226. 俵田明

    俵田證人 事務局の方に……。
  227. 武藤運十郎

    武藤委員長 どなたですか。
  228. 俵田明

    俵田證人 事務局には國崎という人がおりました。
  229. 武藤運十郎

    武藤委員長 局長は國崎さんという人ですが、收入支出されたのは……。
  230. 俵田明

    俵田證人 それはたれかおるはずです。
  231. 武藤運十郎

    武藤委員長 今おわかりになりませんか。
  232. 俵田明

    俵田證人 はあ。
  233. 武藤運十郎

    武藤委員長 それではそのこともお調べになつて、一人でやつてつたなら一人、二人でやつてつたなら二人。
  234. 俵田明

    俵田證人 それは多分迭つておりましよう。ついて来た者が会計をしますから……。
  235. 武藤運十郎

    武藤委員長 ついて來た者はそのときだけの会計でしよう。全体を見ている者があるわけです。
  236. 俵田明

    俵田證人 承知しました。
  237. 武藤運十郎

    武藤委員長 ついて来た人ももちろんお話を願いたいと思いますが、それ以外に最後に総括的に收入支出した人です。
  238. 俵田明

    俵田證人 承知しました。
  239. 武藤運十郎

    武藤委員長 それからもう一つ、西部の方では九州業者、北海道の業者と一緒になつて運動をしたということはないのですか。
  240. 俵田明

    俵田證人 全然ありません。
  241. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは済みました。御苦労さまでした。     ―――――――――――――
  242. 武藤運十郎

    武藤委員長 竹鶴さんですね。
  243. 竹鶴可文

    竹鶴證人 はい。
  244. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなたは日本石炭鉱業会理事をしておられて、また北海道石炭鉱業会の会長であつたようでありますね。
  245. 竹鶴可文

    竹鶴證人 そうであります。
  246. 武藤運十郎

    武藤委員長 いつからいつまででございますか。
  247. 竹鶴可文

    竹鶴證人 私が北海道の鉱業会長になりましたのは、昨年の五月二日に総会で選任されました、それから日本鉱業会理事はその後こちらでやつたのですが、日にちはよく記憶しておりません。
  248. 武藤運十郎

    武藤委員長 その後ですね。
  249. 竹鶴可文

    竹鶴證人 そうです。それから鉱業会が閉鎖になりましたのは多分六月の二十五日かと思うのですが、それで鉱業会長は自然消滅ということになりました。
  250. 武藤運十郎

    武藤委員長 現在は……。
  251. 竹鶴可文

    竹鶴證人 現在は関係はありません。
  252. 武藤運十郎

    武藤委員長 協会の方には……。
  253. 竹鶴可文

    竹鶴證人 協会の方には関係ありません。
  254. 武藤運十郎

    武藤委員長 当時御承知の通りいわゆる石炭國家管理法案というのが上程されましたけれども、その前後に反対運動があつたようですが、あなたの方の地区でもやはり歩調を合わせて反対運動をしたわけですか。
  255. 竹鶴可文

    竹鶴證人 そうです。
  256. 武藤運十郎

    武藤委員長 その運動の方法は北海道できめたのですか。日本石炭鉱業会できまつたところに従つてつたわけですか。
  257. 竹鶴可文

    竹鶴證人 北海道は北海道として独自の反対運動をしたわけです。
  258. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうすると、どんなふうな方法をやつたのですか。、
  259. 竹鶴可文

    竹鶴證人 私ども、は地元で機会あるごとに炭鉱というものの実態はこういうものであるから、國営になることは増産のゆえんでないことを強調してきたわけです。それゆえにパンフレットを北海道でつくりましたし新聞にも声明書を出した。それから各党の人が北海道に遊説に來られた機会をつかまえて、私ども國管になることは増産のゆえんでないということを陳情というか、力説してきたわけです。
  260. 武藤運十郎

    武藤委員長 東京の方へ参りまして、各々面に陳情または懇談したことはありませんか。
  261. 竹鶴可文

    竹鶴證人 私ども北海道からはずつと遅く、私來たのが八月十日ころにこちらへ参りまして、二週間くらいおりましたが、そのときに鉱業会の方の理事をやつているものですから、そういう人の驥尾に附して、運動といいますか、――運動というよりもむしろ増産にならないということを、あのときに西尾さん、芦田さん、ああいう方々にお話したことがあるのです。それ以外には別に私自身遅く来たものですから、ないです。
  262. 武藤運十郎

    武藤委員長 九州とか、山口とかいう方面と一緒になつて行動したこともないですか。
  263. 竹鶴可文

    竹鶴證人 ないですね。それは鉱業会としては一緒になつてつたわけですけれども、私個人としては一緒にしたことはありません。
  264. 武藤運十郎

    武藤委員長 相当大人数北海道方面からも上京してこられて滞在したわけですか。
  265. 竹鶴可文

    竹鶴證人 私は八月十日ころに出てきましたが、八月一日ころですか、北海道から、十人ばかり委員が出てきたわけです。
  266. 武藤運十郎

    ○武藤委員 運動についていろいろ必要な費用はどういうふうにして調達したのでありますか。
  267. 竹鶴可文

    竹鶴證人 必要の費用といつても、それぞれ各社から出てきていました。三井、三菱、炭鉱汽船というようなところからの上京の委員は皆それぞれの会社で旅費は負担しております。
  268. 武藤運十郎

    武藤委員長 自弁したわけですね。
  269. 竹鶴可文

    竹鶴證人 ええ。
  270. 武藤運十郎

    武藤委員長 トン当りいくらというふうに、あるいは別の方法で金を集めて、それを運動費に充てたというようなことはないですか。
  271. 竹鶴可文

    竹鶴證人 そういうことはないです。一文もそれは出しておらぬです。
  272. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうすると、上京その他によつて運動した費用は、旅館でも汽車賃でも、食事代でも、乖り物、自動車その他すべて自弁ということでやつたんですか。
  273. 竹鶴可文

    竹鶴證人 そうであります。鉱業会の職員として出てきているものは、やはり自動車なんかの費用は鉱業会の事務局の費用でいくらか負担しておつたわけです。
  274. 武藤運十郎

    武藤委員長 北海道石炭鉱業会の……。
  275. 竹鶴可文

    竹鶴證人 鉱業会のです。
  276. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは費用はこのためには全然集められなかつたわけですね。
  277. 竹鶴可文

    竹鶴證人 そうです。
  278. 武藤運十郎

    武藤委員長 これは安國(やすくに)鉱業所というのですか、安國(あんこく)鉱業所というのですか。
  279. 竹鶴可文

    竹鶴證人 安国(やすくに)鉱業所というのはありません。
  280. 武藤運十郎

    武藤委員長 安國鉱業所というのはないのですか。札幌市南五條西九丁目というので、安國炭鉱札幌事務所竹内六造というのがあります。これは御存、じありませんか。
  281. 竹鶴可文

    竹鶴證人 私は知りません。
  282. 武藤運十郎

    武藤委員長 ここでパンフレット代を三百円拂つたという報告が來ておるのですが、パンフレットを買つてもらつたのですか。
  283. 竹鶴可文

    竹鶴證人 私全然知りません。パンフレットは鉱業会の名で出しまして、当時参議院の方と衆議院の方へそれを配布したはずであります。
  284. 武藤運十郎

    武藤委員長 各鉱業主にも買つてもらつたというわけでもないのですか。
  285. 竹鶴可文

    竹鶴證人 買つてもらつたということはありません。
  286. 武藤運十郎

    武藤委員長 とにかくこの石炭國管反対運動のためには、いかなる金も特別にとつたことはないわけですね。
  287. 竹鶴可文

    竹鶴證人 ないです。
  288. 武藤運十郎

    武藤委員長 特に会費とか分担金というような月々とつておるものをそのため増額したこともないのですか。
  289. 竹鶴可文

    竹鶴證人 ありません。
  290. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうするとう鉱業会なり個人の業者から相当な金額を政治家なりどこなりへ送つたこともないわけですか。
  291. 竹鶴可文

    竹鶴證人 もちろんありません。
  292. 武藤運十郎

    武藤委員長 何かお尋ねすることがありますか。
  293. 中村元治郎

    中村(元)委員 あなたは北海道からこちらにおいでになりまして、個人の場合は別問題ですが、鉱業会としてあなた方の理事のうち、会合なんかの場所へ行かれたことはありませんか。
  294. 竹鶴可文

    竹鶴證人 日本石炭鉱業会理事でございますか。――何か炭鉱の事情がなかなか議員の方にはよく認識ができておらぬので、いろいろ炭鉱の事情を聽きたいというので、鉱業会で座談会があつた。そのとき私ちようど出ておりました。
  295. 中村元治郎

    中村(元)委員 鉱業会の事務所なんかで……。
  296. 竹鶴可文

    竹鶴證人 はあ。
  297. 中村元治郎

    中村(元)委員 その他旅館とか待合というような所に出かけられたことはありませんか。
  298. 竹鶴可文

    竹鶴證人 日本鉱業会理事としては、私は二週間ばかりしか東京にいなかつたので、私が東京におる間はそういうことは一切ありませんでした。
  299. 石田一松

    ○石田(一)委員 國管反対運動のために金を集めたことは全然ない。各会社でこれは分担してやつた。大手筋の会社はいわゆる制限会社だということですから、これは何か特別な支出とか手当とか給與になつておるはずですが、ほかの会社のことは御存じないかもしれないが、あなたの会社ではどういう手続でおやりになりましたか。
  300. 竹鶴可文

    竹鶴證人 私は会社にも関係していなかつたのですが、しかしあの当時なかなか向うも忙しいものですから、わざわざそれがために出てくることは困難なので、ちようど社用で東京に来ておる人を國管の方の運動委員に指名いたしまして、社用で來ておる委員がやつた。またそのために上京してからかたがたいろいろな本社の連絡したというようなことで、それ専門に來たわけでもないのです。
  301. 石田一松

    ○石田(一)委員 八月一日に十人ほど来たとおつしやいまじたが、ではこれも社用でいらつしやつたことになつておるのですか。
  302. 竹鶴可文

    竹鶴證人 その当時来ておる人を委員に指名して、来ていなかつた会社からはやはり別に人が出て来たということになります。
  303. 石田一松

    ○石田(一)委員 そうすると八月十日の十人というのは、來ていなかつたから新たに北海道から上京させた人ですか。
  304. 竹鶴可文

    竹鶴證人 八月一日に來た中で、はつきり記憶しておりませんが、そのうちで半分くらいは上京しておつた連中委員に指名したわけであります。
  305. 石田一松

    ○石田(一)委員 そうすると先ほどの八月一日に十人ばかり来たというのは、中の半分はこちらに來ていた者ですか。
  306. 竹鶴可文

    竹鶴證人 大体そういうことです。
  307. 石田一松

    ○石田(一)委員 それで一人当り社用としての、要するに本人のもらう月給と全部を含めて一日当りどれくらいの経費がほぼかかつておるのですか。
  308. 竹鶴可文

    竹鶴證人 それはもう出張旅費だけもらつて来ておるだろうと思うのです。会社の出張で耐用も兼ねて來ておるのですから、それは会社によつて違うでしようが、大体旅費規程がありまして、その旅費規程で金をもらつておる。
  309. 石田一松

    ○石田(一)委員 ほぼどんなものですか。
  310. 竹鶴可文

    竹鶴證人 ほぼどんなことになつておりますか、会社の内規によつて違うでしよう。
  311. 石田一松

    ○石田(一)委員 北海道のどこでもいいのですが、ほぼどれくらい……。
  312. 竹鶴可文

    竹鶴證人 汽車賃は実費を出しておるし、四、五百円くらいじやないですか、日当、宿泊料……。
  313. 石田一松

    ○石田(一)委員 この範囲内で、自分のもらつておる月給と、要するに旅費の手当で國管運動もし、会社の用もなすつたのですか、
  314. 竹鶴可文

    竹鶴證人 会社の用もやりました。
  315. 石田一松

    ○石田(一)委員 そうすると一日千五百円以上になるというようなことはありませんか。一人の人の月給とか出張手当を加えて一日千五百円、その人が一日千円とすると一箇月三万円の月給をとつておるわけです。
  316. 竹鶴可文

    竹鶴證人 千五百円は拂つていないでしようね。
  317. 石田一松

    ○石田(一)委員 そうすると北海道の人たちはその程度で、社用と運動とを兼ねて行つて、それであまり不平は言わなかつたのですか。これじや手当が足りない、もう少しよけいくれとかいうことを言わなかつたですか。
  318. 竹鶴可文

    竹鶴證人 そんなことは聽かなかつた。平生でも旅費が足りないということでよく文句を言つてきておりますから……。
  319. 武藤運十郎

    武藤委員長 ほかにございませんか。――それでは最後に伺いますが、夕別炭鉱というのはございますか。
  320. 竹鶴可文

    竹鶴證人 ええ。
  321. 武藤運十郎

    武藤委員長 炭鉱鉄道株式会社というのですか。
  322. 竹鶴可文

    竹鶴證人 炭鉱と鉄道と一緒にやつておるので鉄道株式会社。
  323. 武藤運十郎

    武藤委員長 ここから出た者に團体交渉資金分担金というのがあるのですが、これは何ですか、おわかりになりませんか。
  324. 竹鶴可文

    竹鶴證人 ちよつとわからぬですが、それは東京で使つたのですか。
  325. 武藤運十郎

    武藤委員長 いや、向うの会社から出しておる金です。日本石炭連盟というところへそういうものを出すわけじやないですか。
  326. 竹鶴可文

    竹鶴證人 日本石炭連盟へは会費を拂つておるのです。
  327. 武藤運十郎

    武藤委員長 いや、分担金のことはおわかりになりませんか。
  328. 竹鶴可文

    竹鶴證人 わからないですね。
  329. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは済みました。御苦労さまでした。  それしでは本日はこれにて散会します。     午後六時二十九分散会