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1948-09-20 第2回国会 衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第58号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十三年九月二十日(月曜日)     午後四時二十六分開議  出席委員    委員長 武藤運十郎君    理事 鍛冶 良作君 理事 田中 角榮君    理事 辻  寛一君 理事 河井 榮藏君    理事 荊木 一久君 理事 小松 勇次君    理事 石田 一松君 理事 中野 四郎君       高橋 英吉君    古島 義英君       明禮輝三郎君    佐竹 新市君       前田 種男君    椎熊 三郎君       橋本 金一君    野本 品吉君       田中 健吉君    中村元治郎君       本田 英作君    徳田 球一君  委員外出席者         日本海洋漁業株         式会社に関する         融資問題につい         て出頭した証人 北村徳太郎君         佐世保地区にお         ける隠退藏物資         等に関する問題         について出頭し         た証人     杉山宗次郎君 九月二十日委員吉田安君辞任につき、その補欠と して椎熊三郎君が議長の指名で委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した事件  日本海洋漁業株式会社に関する融資問題  佐世保地区における隠退藏物資等に関する問題     —————————————
  2. 武藤運十郎

    武藤委員長 これより会議を開きます。  理事会において決定いたしました事項を御報告申し上げて皆さんにお諮りいたしたいと存じます。  第一、本日喚問を予定いたしておりました証人のうち、北村徳太郎杉山宗次郎以外の証人三名は、これを明二十一日午後一時に延期をいたしたいと存じます。いかがでございましようか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 武藤運十郎

    武藤委員長 ではさように決定いたします。なおこの際お願いをいたしておきたいことは、明日は正一時定刻より会議を開きます。  第二、先般当委員会喚問いたしました証人麻生太賀吉君より証言拒絶理由を疏明する書類が提出せられました。理事会におきましてこれを愼重に檢討いたしました結果、右疏明証言拒絶理由とは認め難いということに決定いたしました。再喚問の期日は追つて決定することにいたしたいと存じます。右御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 武藤運十郎

    武藤委員長 ではさよう決します。  第三当委員会委員野本品吉君の御尊父が去る十六日御逝去せられました。当委員会として弔意の方法を講じたいと存じます。いかがいたしますか。     〔「委員長一任」と呼ぶ者あり〕
  5. 武藤運十郎

    武藤委員長 ではさよう決します。以上であります。中野四郎
  6. 中野四郎

    中野(四)委員 私はこの際本日の読賣新聞に発表されました非常に乱暴な題材によつて扱われておりまする「政治献金無心状」という問題について一身上の弁明をして、当委員会権威の上からも、その眞実を明らかにしておきたいと存ずるのであります。そこで特に発言のお許しを願つたわけであります。この説明をするに当つては、三つ四つの箇点にわけてお話を申し上げたがよいと思いまするが、第一に現在読賣新聞に発表された内容より少しお話をしていきたいと思います。この新聞を見ますると、「政治献金無心状不当財委中野代議士が送る」すなわち不当財産委員会委員摘発行つたあと金銭無心を行い、あるいは現在不当財産委員会証人として喚問を受けておる人の所へこの無心状行つたということが中心であるのであります。私はこの新聞内容を読みまして非常に驚くと同時に、憤懣にたえなかつたものがあるのでありますが、これは公式の手続をとつて新聞社に取消し訂正をせしめる用意をもつております。さらにもしこれが惡意を含んでこのような記事一端が書かれたとするならば、法律上の手続をふむ用意も私はもつております。しかしながら今はここで述ぶべきではないのでありますが、最もこの中で私が考えなければならぬことは、「昨年九月にも板橋の銀線事件として有名な練馬区土支田町東洋工機摘発に当時隠退藏物資委員会委員として乗込み調査に活躍したが、時價一億円といわれた銀線がいよいよ隠退藏として摘発されたトタンに中野氏名義の要求書がその会社に舞込み関係者を憤然とさせたことも判明した」と出ております。まつたく事実無根でありまして、このような要求書は何を意味するか存じませんが、この点は当委員会権威にかけても断じてないことであると同時に、こういう社会的に重大な関心を拂われる記事を書かれる新聞社の特に留意しなければならぬ点だと私は思つておりますので、本日読賣新聞安田編集局長にも申し入れまして、明日、文書をもつて訂正手続をとるつもりでおります。私の談話についてはこれは正しく書いてありまするが、私がなぜこういう手紙を各方面に配つたかという理由を申し述べておきたいと思います。私はこの手紙配つたのは今度が初めてではないのであります。過去牛込区会議員をやりましたときに区会議員在職中にも、あるいは市会議員選挙の前にも、私の私的な知己に対しましては、このような手紙を、同文章でありまするが、送つております。私はここでよく読んで港樣方に御披露しておくことは正しいことだと思います。  「拜啓 極暑の候益々御健勝の趣大慶に存じます。さて御承知の如く私は第一國会では隠退藏物資、第二國会では不当財産取引調査特別委員会に於て、正直者がばかを見ない政治の顯現のために微力を盡しましたが、今後も初一念の貫徹に向つて勇往精進する覚悟でございます。而してそのために、私の身辺をあくまで清浄潔白に保ち、私の政治活動に要する資金については一点の疑いを容るる余地なからしめたいと念願致します。そこで、甚だ申しにくい事ながら此の際貴下の温い御了解のもとに私の活動資金を御援助賜わり度御懇願申上げます。金額はもちろんお心まかせですが、ただ莫然といくらでもとお願いするより、一口いくらとはつきりした方が諾否共に氣軽であろうという先輩の御忠言に從い甚だ勝手ながら一口千円とし、三口……五口……多々益々有難うということに致しました。中野流のぶしつけと御海容下さい。 卒直に告白します。若し私が一陣笠議員を以て自ら甘んずるなら、こんなあつかましてお願いなぞせず、もつとていさいよくお茶を濁すすべも心得て居ります。しかしラヂオや新聞ニュース映画で私の議会活動を見聞せられる世間の私に寄せられる御期待はもつと大きいものがあるように感ぜられますし、私自身としてもさし迫つた次期選挙に三十名内外の同士議員の進出を手傳うことがではきれば、知不知の大きな御期待に添い得るような氣がします。実に、此の際、全國を遊説して同志地盤係拓に奔走することができるか否かが私の政治的運命分岐点です。しかもそうする為に必要な先立つものは金、きれいな金、公明正大な浄財です。何卒何卒一には、非力をかえりみずあくまで政治家としての清節を堅持して政界腐敗の病原に抜本塞源的なメスを加えんという大望をいだいて粉骨碎身する私の微衷を諒とせられ、二には中野もいま一押で一人前の政治家になれそうだというひいき目と、佛を作つた以上魂も入れてやろうという御宏量をもつて、このぶしつけなお願いをおきき届け下されたく、ひたすら旱天の慈雨を待望する次第でございます。頓首頓首」 二伸として「幸い御承諾願えればお手数ながら御便宜の方法で東京都新宿区牛込矢來町一〇九中野四郎宛お送り下さい若し送るのはめんどう臭いと思し召すなら御援助の口数を御一報下されば拜受のため代人を参上いたさせます。どうぞよろしく。   昭和二十三年八月 日           中野四郎再敬」として私は出しております。この手紙を私は過去におきましてもう数回出したものです。代議士に当選いたしましてからは、農民党立党やら、自分の忙しい仕事のためにこのような手紙を書いている暇がありませんでしたが、今度やや暇ができましたので、この前の原稿を基礎にいたしましてこれを書きまして、筆耕屋に頼んで石版刷りにしたものを千部ばかり配つたのであります。全國の私の私的な友人同志、こういう方々に向けて——いわゆる個人の政治資金ということは政党資金調整法においても明らかに認めておりまして、これが政党の金であるならば政党法によつて届けなければなりませんが、これはあくまでも法律の上に正しいものでありますから、私は出したのです。ただ今度の大きな一つミスを私が発見した理由は、どういう過程において起つたかと申しますと、私は今申し上げた牛込矢來町に約二十九年來住んでおります。十三歳のときから住んでおりますが、この住んでおりました家が戰災でまつたく一物も無くしてしまつたのであります。從つて当時私は町会長であつた関係上、五月二十五日の戰災当日にはいなかつたのですが、財物を一つも出すことができなくて、名簿等は全部燒失してしまいました。從つてこの人々手紙を出すことは不可能になつたのであります。そこで私は近來おつきあいをするようになつた人々名刺をば、大体こういう箱に放りこんであります。この箱に約千五、六百枚の名刺があろうと思うのであります。ただ私が今度手紙を出すときにこの名刺を一々見て、この人とこの人に出せといういわゆる万全の注意をとればこのようなことは起らなかつたと思うのでありますが、いかさま私は今申し上げたような、非常に多忙な体をもつております。皆さん方も非常にお多忙でありましようが、特に私の方は小さい党で、小使から責任者地位までも一人で兼ねるような建前において、寸酷の余裕ももつておらぬといつて支障ないと私は思うのであります。從つて一々これを選ることができませんから、家内に言いつけまして、この中で新聞社の人と、警察や官吏の人たちは、手紙を出したつてあまり金がないからくれやしない。むだになるだろうから、それはやめて、他の方に出すようにという言いつけて、たしか愛知縣でしたか、どこかの演説に出たと私は思つているのであります。それがそもそもの間違いであつたのであります。それはこの手紙の中に岡直樹あるいは東洋工機の某という人、いま一人浜崎とか浜村とかいう人の名前名刺がどうしてあつたかということを私がここで申し上げておかないと誤解が起りやすいと思います。私は岡直樹という人に会つた記憶がありません。ところが、先日私が旅行から帰つてみますと、不在中に岡という方から電話があつた。どういう方かと言つたら、綱島さんの御友人だというのです。綱島さんは前にわが党で志を同うして政治活動をしておりました現民自党の代議士である綱島正興君であります。それを私はまだよく呑みこめませんでしたから、そのままに放任しておきますと、その後旅行から帰つたときに、岡という人から私の所へ電話がありました。電話に出て、あなたはどちらの岡さんですかと言つたら、綱島正興さんの友人の岡という者です。お名前は何とおつしやるかと言つたら、岡直樹だと言う。そこで初めて私はひよつとこの不当財産委員会証人として喚問をした岡直樹という名前を思出したから、御用件は何ですかと聽いたら、お手紙を頂戴いたしました。それはどうもぶしつけなことをいたしましたと言つたところが、その件でお目にかかりたいという。私は今非常に忙がしいから、ちよつとお目にかかることはできませんが、また折をみてお目にかかることもありましよう。——その岡直樹という名前を聽いた瞬間に思出したから、言葉尻を濁して電話を切つたのです。ところが今朝この新聞が出てから岡という人が私の家へ再び電話をかけて來られて、読賣新聞に発表されておる岡社長談はまつたく虚構の事実である、私はそのようなことを申し上げたことは一つもない、しかしながらあなたにたいへん御迷惑をかけたように考えておりますから、お詑びのために電話をかけたと言われたから、私は、決してそんな意味はない、私の不注意からこういうような結果が生れたものであるから、あなたにこそ御迷惑をかけておるかしらぬが、お詑びを言われる理由はない。そこで岡さんに伺いたいと思うのは、あなたの名刺が私の家にあつたということが第一番に不思議なのだが、あなたと私とお目にかかつたことがありましたかと言うと、ありましたと言う。いつどこで会いましたかと聽いたら、昨年の十月ごろ農民党國会の控室へ綱島正興代議士が連れて來て、岡という人ともう一人專務の浜崎某という男と三人で來て名刺交換をしたと言う。なるほど聽いてみればわが党の加藤代議士もそういうことがあつたと言われておりますから、おそらく大勢の代議士のところで紹介されたと思うのであります。その名刺がこの箱の中に放りこんであつたと思うのであります。いま一つの宮田というこの東洋工機問題は、これは本日御出席かどうかしれないが、梶川君と私と昨年の何月でしたか銀線摘発のために参りましたときに初めて名刺交換をし、当時そこの社員の人と名刺交換した覚えがある。その四千円か五千円もらつた社員の人と交換した名刺がはいつている。そこへこの手紙行つたというので、その社員が憤慨しておれのような安月給の者のところへ無心状をよこすとは怪しからぬと言つたというから、あるいは遠藤という読賣新聞社の人が言われた結果かもしらぬと思うので、非常に申訳ないと思つております。こういう意味で私の手紙戰災によつて名簿が一切燒失しましたので、從つて出す相手方がないので、今まで受けておりました名刺をば愼重に吟味せず、家内に書かしたり、あるいは党の若い者、書生たちに書かしたことが、私の今度の大きなミスを起す原因であつたのであります。しかしながら私は毛頭これに対しては他意はないのであります。なぜかと申しますれば、私はこのことによつて同志のうちから現在約どのくらい來ておるか、大した金ではありませんが、ぼつぼつ來ております。この新聞が出ることによつて大分私のところに來る金が來なくなるだろうと思います。とにかく読賣さんは私の生活をかなり脅かしたのでしようが、現在來ております金高から見まして、私はこのうちで政治的追放でも受けておる人からひよつとして名刺でも行つてつて金が來ておつてはならぬと考えまして、そこで注意しておりましたら、ある私の先輩のところへやはり手紙行つておりました。先ほど理事会ちよつとお話いたしましたが、この先輩のところへ手紙行つてつて一口千円の寄附をして上げようというお手紙があつた。しかしながらこの人のお手紙を見ると同時に私は非常に驚いて、これが來ましたのが九月の十日に出された手紙でありますが、「拜呈残署の砌愈々御清勝御活動の段大慶至極に存じ候、偖去月御申越の御活動資金の件、目下竹の子生活中につき甚だ恐縮ながら一口丈け参加、本月中に御送可致候勿々拜具」ところがこの方は現在追放中であります。そこでこれは礼を正しくしてお断りをしなければならぬというので、九月十二日に電話で奥樣をお呼びしてお断りをした。もし金額が少いからといつて何か言われたと思われては心外ですから、くれぐれもそういう意味ではないということを申し傳えておきました。ところが九月十六日付でまたこの方の手紙が参つております。「前略種々御心配おかけいたし恐縮に存じ候、却て御迷惑に相成候ではと存じ小生より差控へ申候間御心配被下まじく候、切に堂々たる政治家として御大成祈り申候拝具」私はこのように來ました金については最大の吟味を拂つております。ただお互いの委員方々もそうですが、不在が多いのでありますから、この際に留守を守る者が受取つておりますならば、これはただちに返すのが当然でありますが、さいわいに今日までそういうものは一つもありません。今申し上げた政治追放の方が一人あつただけでありますから、これは正しくお断わり申し上げたことで、私は良心的に一点もやましさを感じておりません。ただあくまでもこのようなミスを犯したということについては、哀心より私はお詑びを申し上げ、不当財産委員会という権威のあるこの委員会委員である私が、かりそめにも、たとえ誤つたにしてもこういう手紙が紛れこんで行つてつたということは、私の純潔が許しませんから、政治的な責任をとらなければならないと私は考えます。本日この委員会方々にお諮りを申し上げて、私の出所進退をいかに扱うことが最も正しいか、ややもすれば不当財産委員会証人として出るところの者は、偽証をもつてこれに應じておる傾向が強いのは、さらに不当財産委員会というものの権威に関する問題でありますから、今後ますますこの権威を高からしめる上におきましても、私は自分が小さいミスであつても、このような嚴格なる態度をとるということは、いわゆる委員会高潔性から言いましても、委員会権威から言つても私は正しいことだと考えまして、皆様方にいろいろとお世話をかけました。そこで私は今日委員会でいろいろ御相談を願いました結果、この際日本國内に封建的な思想を拂拭して、民主化の促進のために確立されているところの不当財産委員会権威をさらにいやが上にも國民をして十二分に知らしめ、当委員会委員諸君もともに自覚を新たにしてこの運営に当つていくことが、この目的達成の重大な要義でありますから、私はたとえ私自分がこの手紙を書いたものではなく、もとよりこれは書生や子供たちの書いたものでありましても、ミスには違いありませんから、この点について自分がまずこの委員会委員としての地位を、一應辞意を表明することが正しいのではないか、こう考えておるのであります。なぜ私が單なるこの新聞記事によつて辞意を表現するかといえば、誤解されやすいからさらに重ねて申し上げまするが、決して一点の自分にやましいところがあつて辞意を表明するのではない。不当財産委員会委員たる者は、不当財産委員会関係調査官たる者は、いやしくも権威ある行動をし、高潔なる行動をするということが最も正しいあり方だと私は思います。先日西尾末廣君の不信任案提出のときにも私は言いました。あなたはシーザーを見習わなければいかぬ。すなわち自分の妻に不義の疑いをかけられただけで離別したという高潔の精神がなくちやならぬ。私はたとえこの一新聞が書いたことでありましても、事実私が小さいながらもミスを犯したという結果においては、この委員を一應辞意を表明することが、今後の委員会権威をさらに高からしめるゆえんであると考えておりますので、一應この機会に表明しておきたいと存ずるのであります。  さらに私は申し上げたいこともありますが、自分勝手なことはかえつて手前みそになるおそれがありますから、自分の心境からいえば、今日までここにおられる徳田君とともに、まつたく超党派的な見地に立つて、最も近き將來に政界の大きな問題として扱われるところの石炭國管問題ないしは昭和電工問題については、徹底的にと覚悟までした私が、今日この辞意を漏らすということはまことに感無量でありますけれども、こういう態度をとることこそ、不当財産委員会権威を高からしめるものであるということをさらに重ねて申し上げまして、自分の氣持をここに表現し、その事実の一端を申し上げておきたいと存ずるのであります。
  7. 高橋英吉

    高橋(英)委員 昭和電工問題について少しく申し上げたいと思います。福田主計局長、重政前農林次官大野自由党幹事長という人たちが新たに昭和電工問題で逮捕されますし、またウイリアムが新聞紙上において発表されましたごとく、この問題に対する警視廳調べ振りが非常に不熱心であるというようなことも傳えられておりますし、またさらに本日の毎日新聞を見ますると、何かこの問題に対してもみ消し運動が起つて、それがために委員会殊にわれわれの民主自由党活動しないではないかという疑いすらもたれておる記事がありますので、私はこの際この問題についてあらためて委員会として最檢討して、委員会のより積極的な態度を明確にすべきではないかと思うのであります。  第一に昭和電工問題に対する委員会がとりました過去、現在の態度、それから將來に対する態度、こういうものを明確にして世間の一部にあるらしく思われます疑問を解くべきではないかと思うのであります。  この点につきましてこの際私は一言しておきたいのでありますが、殊にわが党の問題並びに私の問題であります。毎日新聞によりますと、非常なもみ消し運動が起つて、わが党のこの問題に対する態度変つたのではないかというように傳えられておりますが、決してそういう事実はありません。大体この問題を私が提案いたしました理由は、最も根拠のある材料を得たからなのであります。その根拠のある材料というのは具体的に言いますれば、警視廳もしくは檢察廳という方面から得た材料でありますが、これを具体的に言いますると、現在のところいろいろ差障りがありますから、詳しくは申し上げ難いが、しかしこういうことも一つの大きな原因であります。昭和電工問題はかねて問題になつてつたのでありますから、警視廳としても非常にこの問題に対しては関心をもつて捜査を進めたそうであります。捜査を進めた結果、相当程度材料を握つたのであるけれども、どういうものかこれに対して積極的な捜査を開始しろという命令がくだらない。それで今のところ足踏み状態になつておるのであるが、実際において不当不正が行われておることは明らかであるがゆえに、これを不当財産委員会で取上げてくれたならば、われわれも活動がしやすくなるというふうな、われわれに対する当局言葉もありました関係上、いろいろ材料出所等を研究しまして、これはもう絶対に間違いの事件であつて不当財産特別委員会で最も積極的に取上ぐべき問題であると信じまして、提剰になつた次第であります。ところが提案しましてから後に、関係当局の方でも一應われわれの委員会で取上げた結果、警視廳としても積極的にこの問題を糾明するという段階になつて、そういう命令が來たのであつて、しかもこの委員会でなまじつかないじり方をされたのでは捜査支障を來す。捜査を徹底的にやるために、どうぞ委員会としては一應靜観してくれてはどうかというような話もありましたから、元來私ども警視廳のある関係者の要望によつて提案したのでありますから、警視廳言葉を一應信じて、積極的に正式にこの委員会問題とはしなかつたのであります。しかし委員長がやがて明らかにされるのであろうと思いますが、正式にこの委員会では取上げて論議されていない。審議されていない。これはいろんな問題があつたので、御承知のように次から次へと重大問題が突発しましたため、この問題が自然に正式に委員会に取上げられなかつたのでございますけれども、しかしこの委員会にこそ現われていないけれども、委員会活動としては警視廳檢察廳と相協力して積極的に活動しておつたことは明らかな事実でありまして、この点委員長からも明確にしていただきたいと思うのであります。わが党としましてはさような事情であつたので、檢察廳警視廳捜査の成行を靜観しておつたのであります。大体もみ消し運動が行われたかどうかについては常識上判断のできる一つの資料があるのであります。すなわち新聞紙上に傳えられるところによりますと、大野幹事長金銭の受授をしたと傳えられるのは二月ごろとされておりますが、私が昭和電工問題を出したのは四月二十七日であります。もし二月ごろにもみ消し運動が行われ、しかもこれがわれわれの党に影響しておるものとすれば、四月二十七日にこういうふうに堂堂と提案すべき道理はないし、またそれから後の委員会においても他党の委員も御承知であろうと思うのですが、決してわれわれはこの問題を取上げることに反対したことはない。この問題を積極的に、徹底的に糾明することこそわれわれの責務であると信じて常に審議しておるのであつて、これに反するような行動をとつたことのないことは他の委員においても十分御了解になつておることと思うのであります。そういう点から言いまして私ども民主自由党としては絶対にもみ消し運動相談も受けておらないし、これに動かされたことはない。高橋英吉という私の名前新聞に出ておるから申しますが、私は何人よりもこれに対してもみ消してくれという相談を受けたことはただの一回もありません。かえつてこれをいかに積極的に糾明するかについての打合せはたびたび行つたということをここに申し上げておきたいのであります。  さらにもう一つ申し上げたいのは、昭和電工問題が重政とか大野幹事長の檢挙を中心として考えられますと、どうも本筋を離れたような傾向があるのではないか。附録版の方がかえつて熱心になつて、本筋の方が不熱心になつておるのではないかという疑いももたれるのであります。この点について私は委員会として警視廳檢察廳委員会もこういう派生的なもの——もちろん重大問題ではありますけれども、本筋とは異なつておる問題であると思いますので、ぜひ本筋の方に積極的にはいつてもらいたいと思うのであります。本筋にすでにはいるべき段階にあつて警視廳檢察廳の取調べの段階がどの程度になつておるか私ども詳しく知りませんけれども、九月十九日附のニツポンタイムズのI・N・S極東支局長ハワード・ハンデルマン氏の記事によつても十分現在の段階は判明すると思うのであります。ちよつと長くなりますが、これを読み上げさせていただきたいと思います。  「民自党指導者に逮捕令状  土曜日に発せられた旧自由党幹事長大野伴睦の逮捕令状は昭和電工事件調査を日本の政界の奥深く押し進めた。  既に十八人の著名な財官界人が逮捕されたが、大野氏の逮捕は調査を以前より政界の中枢部に接近せしめた。  調査の進行状況は——次の如し  昭和電工は、復金より二十八億六千七百万円借りた。この金額は政府の銀行が肥料事業に貸し得る限度の三分の二に当るが、昭和電工は日本の肥料の生産の一五%しか生産していない。少くとも一億円の処置が不明であり、調査官はそれが政治的目的に使用されたと見ている。逮捕された者の中には使途不明の金は豪遊や宴会費や別荘、待合を買うために使つたと陳述している。  調査が進むとともに脅嚇やもみ消し運動が日本人及進駐軍に対して行われている。宴会の陳述に関しては日野原の友人として知られている小林ミネ子を含んだ少なくとも二名の藝者ガールが捕えられている。  一、少なくとも一人の閣僚が含まれるだろう。  一、貴族社会の人々関係あるだろう。  一、進駐軍に関する風説も多い。  課査に当つているのは日本の警察、檢察廳と共にG・I・Dを含むCAPの幾つかの係りであり、それは進駐軍関係の風説のため動き出したのである。  今までの調査の中心人物は六月二十三日に逮捕された日野原であり、彼は今尚進駐軍の拘置所に捕われている。  日野原の弁護士の調書の中で、彼は進駐軍々人に責任を負わせたため、進駐軍の拘置所に遷されたのである。」  かような記事があるのであります。それからさらに、私どもは、捜査の途上にあつて捜査に妨害を來すからというので今まで発言していなかつたのでありますが、日野原社長の家宅捜査の結果いろいろなものが現われてきた中に、芦田総理大臣の名前も栗栖安本長官の名前も出てきたそうであります。政党名前も出てきた。すなわち私が聞いております情報によりますと、自由党、むずかしい。民主党は何とも書いてないそうです。社会党、手を入れた。こういうようなことも書いてあつたそうであります。こういう事実を私どもは熟知しておるのであります。熟知しておるけれども、しかしこれは捜査の妨害になつてはならないというので、警視廳檢察廳を信頼して私どもはこれを任しておるのでありますが、しかし、毎日新聞なんかに出ておりますように、委員会そのものが疑惑の目をもつて見られ、もしくはわれわれ民主自由党が疑惑の目をもつて見られることになりますと、これはわれわれあらためてこの問題委員会としては再檢討しなければならないのではないかと思われるのであります。その点について、ひとつ委員長の御意見を拜聽しまして、委員諸君の御協力によつてこの点に対する私の希望は達成せられることをお願いする次第であります。
  8. 武藤運十郎

    武藤委員長 ただいま高橋英吉君より御発言のありました昭和電工問題につきましては、昭和電工を含む復金不当融資事件として、当委員会におきましてすでに小委員会を設け、鋭意基礎調査をいたしますと同時に、警視廳並びに檢察廳を激励してその経過を注視しておる次第であります。巷間昭和電工に関する当委員会活動に関しまして多少の疑惑があるようでございますので、近く小委員長より小委員会調査経過の詳細について中間報告を求めると同時に、当委員会の断固たる態度を再確認いたしたいと存じます。御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  9. 武藤運十郎

    武藤委員長 ではさよう決します。  本日御出頭になりました証人北村徳太郎君、杉山宗次郎君ですね。北村君につきましては、日本海洋漁業株式会社に関する融資問題に関して、杉山君につきましては、佐世保地区における隠退藏物資に関する件につきまして、いずれも証言を求めるために御出頭を願つた次第であります。  証言を求める前に各証人に一言申し上げます。  昨和十二月二十三日公布になりました昭和二十二年法律第二百二十五号議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人に証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならぬことになつております。宣誓または証言を拒むことのできるのは、一般の人については、証言が証人または証人の配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項あるいはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するときに限られ、医師、歯科医師、藥剤師、藥種商、産婆、弁護士、弁理士、弁護人、公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあつた者については、その職務上知つた事実であつて黙祕すべきものについて尋問を受けたときに限られております。右以外には何人も宣誓または証言を拒むことができないことになつておるのであります。なお証人が正当の理由なくして宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、且つ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは三月以上十年以下の懲役に処せられることになつておるのであります。一應このことを御承知になつていただきたいと思います。では法律の定めるところによりまして証人に宣誓を求めます、お手許に差上げてある宣誓書を朗読の上署名捺印願います。     〔証人北村徳太郎君各証人を代表して宣誓〕     〔各証人宣誓書に署名捺印〕
  10. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは北村徳太郎君から先にお話を伺いますから、杉山宗次郎君はもうしばらく別室でお待ちを願いたいと思います。  それでは伺いますが、あなたは昨年四月の総選挙に際しまして、梅村忠一郎、門屋盛一、藤井友市という諸君から何らかの形で應援を受けたことがございますか。
  11. 北村徳太郎

    ○北村證人 應援という意味はどういう意味でございましようか。
  12. 武藤運十郎

    武藤委員長 物質的な援助という趣旨で……。
  13. 北村徳太郎

    ○北村證人 それはございません。
  14. 武藤運十郎

    武藤委員長 全然ございませんか。
  15. 北村徳太郎

    ○北村證人 ございません。
  16. 武藤運十郎

    武藤委員長 何かそのほかの方法選挙運動を援助する、應援するということがございましたか。
  17. 北村徳太郎

    ○北村證人 記憶にはありませんが、自動車の故障があつたとき、数時間自動車を借りたことがあると思います。そのいずれかの諸君の中から……、それくらいのことがあつたと思いますが、ほかに記憶がありません。
  18. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは佐世保復興建設協力会と申しますか、これから選挙について援助を受けたことがございますか。
  19. 北村徳太郎

    ○北村證人 選挙について援助を受けたことはございません。
  20. 武藤運十郎

    武藤委員長 選挙以外にあなたの政治的な活動その他について、援助を受けたことはありませんか。
  21. 北村徳太郎

    ○北村證人 それはございません。
  22. 武藤運十郎

    武藤委員長 日本海洋漁業株式会社への復興金融金庫から融資について、何かあなたが援助といいますか、助言といいますか、動かされたことがありますか。
  23. 北村徳太郎

    ○北村證人 ございません。
  24. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなたは復興金融委員会委員をしておられますか。
  25. 北村徳太郎

    ○北村證人 それは復興金融委員会ができた当初、日にちは覚えませんがやつておりました。これは当時の貴族院議員並びに衆議院議員が復興の委員会になくてはならないという法規か何か出まして、その出たときにやめたと思います。
  26. 武藤運十郎

    武藤委員長 何かお聽きになることがございますか。明禮君。
  27. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 この復興金融委員会委員は二十一年の十月二十九日から二十二年の八月二十一日までやつておられたように聞いておりますが、いかがでありますわ。
  28. 北村徳太郎

    ○北村證人 その点のお答えですか。これは私どうも時についてははつきりした記憶がございません。委員会委員会の制度ができたときに当初出たのでありまして、いつまでやつたか記録か何か調べないとわかりません。それ以上ここで申し上げる材料はありません。
  29. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 これは調べればわかるのでありますが、北村さんは二十二年の三月四日から五月二十八日まで大藏政務次官をなさつていらつしやつたのでありますか。
  30. 北村徳太郎

    ○北村證人 これも私は記憶がはつきりしません。正確なことは記録を調べて申し上げた方がいいのでありますが、正確な記録によつてのお尋ねならば、多分その通りだろうと思いますが、私のはつきりした記憶はございません。
  31. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 政務次官をおやりになつてつたので、おやりになつた初めはいつかというようなことはわかりそうですが、まあこれは調べればわかります。わかつておるのですから、あまり追究いたしません。先ほど自動車の故障で自動車を借りたとおつしやいましたが、それはどの程度なんですか。ちよつと故障があつて借りたというのですか。何日か続いて借りないで選挙のときに借りたというのですか。どういうのです。
  32. 北村徳太郎

    ○北村證人 それは多分自動車が故障ができて困つておる時に、お使いなさいというようなことで一時間か二時間ぐらい借りたのじやないか、こういうぼんやりした記憶があるのですが、その程度のことはあつたと思います。
  33. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 その貸した人はだれでございますか。
  34. 北村徳太郎

    ○北村證人 それははつきりわからぬのです。今お尋ねになつたうちのたれかと思います。記憶がはつきりしておりません。
  35. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 少しどうもこの不当財産委員会性の健忘症というものがあるそうですが、自動車を貸してくれた人がたれかもわからぬという程度ですか。あまり少し。……
  36. 北村徳太郎

    ○北村證人 私が交渉して借りたのではございません。事務の者がお借りしたのだということであつたので、そうかと言つてつたのであります。私の記憶はそれ以上ございません。
  37. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 昨年の三月政務次官になられる少し前には商業会議所の会頭を佐世保でなさつていらしつたのではありませんか。
  38. 北村徳太郎

    ○北村證人 やつておりました。
  39. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 あなたがおやめになるので、そのあとへ藤井友市という人をやつてもらうようにあなたがお手紙を藤井さんにお出しになつてつたことはありませんか。
  40. 北村徳太郎

    ○北村證人 これも明確な記憶はございませんが、後任はたれにしたらよいかということが非常に問題になつておると聞きまして、これは長く副会頭をやつたし、年輩でもあるし、藤井君がやられることが適当に思うということを私が話したことがあるように思います。言うてやつたかどうか私ははつきり記憶しておりません。
  41. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 信書を送るということを言つておるのですが、あなたが話をしたということと、手紙をお出しになつたということは少し違いますが、その点はお忘れでありますか。
  42. 北村徳太郎

    ○北村證人 これは会頭の辞任の手紙でありまして、それを副会頭である藤井君のところに送つた記憶があります。あるいはその時かその後、後任問題も困るから、引続いてやつてくれというような手紙を受取つたかと思うのです、それに対してそう言わずに君でもなられたらどうだろうかと思つておるのだ、この際やめさしてくれというような手紙を出した、こう思つておりますが、はつきりいたしておりません。
  43. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 それから後任の副会頭には馬郡という人を予定して、その人が大体あなたの腹案であつたように聞いておりますが、そういうことはいかがでありましようか。
  44. 北村徳太郎

    ○北村證人 今のお話の馬郡君云々というのは全然私の念頭にございません。こういう人を副会頭にしたらよいというようなことを考えたこともありません。
  45. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 そうするとこれはあなたの面識のない人ですか。
  46. 北村徳太郎

    ○北村證人 面識はあります。
  47. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 この問題について藤井さんという人の日記にこういうことが書いてあります。御参考に伺つておきたい。「私もし会頭となれば、私の後任に馬郡氏を副会頭たらしめることを嫌うという梅村氏の話は半額は認めるが、一方門屋氏が東京に北村氏を訪ねて留任を説いた結果と判断することができる。」とこう書いてありますが、こういうことがありましたでしようか。
  48. 北村徳太郎

    ○北村證人 そういうことは私実際知りません。
  49. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 「この理由は私の会頭に門屋氏が反対したもので、北村氏の私宛の手紙のあとにこのことありたりと察せらる。北村氏は北村氏の選挙において、門屋氏より受けたる五万円の陣中見舞及び東京における門屋氏の至れり盡せりの好意に対しかくあるべしと察せらる。」こう書いてありますが、この事実はいかがでありましようか。
  50. 北村徳太郎

    ○北村證人 全然そういうことは知りません。
  51. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 私どもが調べたところによりますと、昨年の総選挙にあたりまして、参議院議員の門屋盛一氏が五万円、梅村忠一郎氏が三万円、藤井氏が二万円、現藏大臣北村徳太郎氏に献金し、さらに市内各実業会の人たちが約二十万円醵出、また門屋氏は選挙費用に困つている北村氏のために約三十万円を投げ出し返礼とした云々ということがあるようでありますが、御承知はございませんか。
  52. 北村徳太郎

    ○北村證人 さようなことは知りません。
  53. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 これはあなたが全部こういう事実を否認されます以上、あえて追求することをここではよしますが、要するに総括して申しますと、昨年の総選挙のときには、あなたが約六十万円くらいの選挙費用を佐世保地区の土建業者の方々、その他の方々から應援を受けられたように聞いておりますが、この点についてはいかがでありましようか。
  54. 北村徳太郎

    ○北村證人 私は選挙にあたりまして三つのことを関係の者に申しました。第一は、いやしくも法規に触れることがあつてはならない。そういうことまでして出る意思はない。第二には、私はいかなる選挙の会合、演説会においても一票を御願いすると言つたことはない。第三には必ず貼紙に書いた時間に開会する。この三点を非常に強く主張いたしました。私の選挙は金のかからぬ選挙であります。貧乏をしておりますが、法定費用ぐらいのものは持つております。別に物的な援的を受ける必要もないし、昨年四月の選挙においても、ただいまお話になつたような金をもらつたことはございません。
  55. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 佐世保復興建設協力会というものがありまして、この建設協力会では、あとでお尋ねをする杉山知事には約百四十万円の金を集めて選挙運動をしたようでありますが、あなた方へはこの佐世保復興建設協力会なるものからは何らかの御援助はいたしておりませんでしようか。
  56. 北村徳太郎

    ○北村證人 その点は前回にも申し上げた通りでありまして、さようなことはございません。
  57. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 それでは日本海洋漁業株式会社融資問題について少しお尋ねいたしたいのであります。この融資問題については、もと外地から引揚げられました武田巖というような人々が、日本海外漁撈更生組合という名前のもとに融資の運動を復興金融金庫へいたしたのでありますが、その結果この人々がその事業にも適切でないのみならず、人物的にも適当でないという意味から、この海外漁撈更生組合に対しては金融をしないということに決定ができた事実があるのでありますが、この点は御承知ございませんでしようか。
  58. 北村徳太郎

    ○北村證人 私は今お話になることはわかりません。全然知りません。
  59. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 それでは、その後日本海外漁撈更生組合を立直しまして、これを日本海洋漁業株式会社といたしまして、そうして一千万円の融資が行われておるのでありますが、この点も御承知はございませんでしようか。
  60. 北村徳太郎

    ○北村證人 そのことに関與した記憶は全然ございません。
  61. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 ございませんか。
  62. 北村徳太郎

    ○北村證人 ございません。
  63. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 そうすると、私はここで読み上げてみますが、こういうことがあるのであります。この融資につきましては審査調書というものができておりまして、この審査調書によりますと、「すなわち当社はその前身たる日本海外漁撈更生組合の名において、二十二年三月本金庫に対し右借入申込みをなしたるものなるが、経営陣の弱体、資金計画並びに起業計画の杜撰等の事由により一應拒絶せられたり。その後同組合理事長武田巖及び理事川西睦はあくまで本事業の達成を意図し、本金庫よりの拒絶事由の排除に努力せり、川西理事はその個人的知友関係にある兒玉正勝(法政大学教授)を通じ、同人の親友にあたる犬養健に事情を訴えしところ、犬養はさらにこの問題政治的に同志たる保利茂(元代議士、元農林大臣秘書官、現当社取締役社長)に相談し、保利は本事業を引受けたり。他方從來の有力なる資金的援助者たりし永井仞九郎とは一應縁を切り、犬養健の紹介にて北村徳太郎(親和銀行頭取、現代議士、運輸大臣)及び門屋盛一(星野組、土建業社長、佐世保商工会議所副会頭)の資金的援助を得ることとなれり。しかして同年八月資本金二百万円をもつて当社を設立し、左のごとき事業計画及び資金計画を樹立し、当金庫より一千万円を融通せるものなり。」という調書がございますが、この点についてのあなたの御記憶はございませんか。
  64. 北村徳太郎

    ○北村證人 海外引揚の川西という方から訪問を受けたことがありまして、記憶は明確でありませんが、引揚者が熱心に漁業をやりたいという熱望をもつているということを何度か開かされたことはあります。そういう記憶はありますが、私はそれを斡旋するという氣持にもなれず、結構なことだが自分では何ともやりようがないというような御挨拶をしたかと思います。それでその会社の成立等には全然與かつておりませんからその点はわかりません。ただ川西君の御訪問を受けて、今まで自分たちがやつてきたこと等をお話があつて、できれば援助してほしいというお話を聞いたことはあるのであります。それは私の手ではどうもいきそうにないので、せつかくあなた方がやれるだけのことをやられたらよかろうということを言つて別れた記憶があるのであります。その程度であります。
  65. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 ところが犬養健という人からあなたを紹介して行つたのではありませんか。ここに書いてある……。
  66. 北村徳太郎

    ○北村證人 そういう記憶は全然ございません。ただ川西君が——もう一人武田といつたかはつきり覚えませんけれども、二人で訪問され、また川西君一人で訪問され、非常に熱心に執拗にこの事業を成立させたいということを言われたことは覚えがあるのでありますが、それだけでありまして、だれから紹介されたということはございません。
  67. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 それではこういうふうに伺います。門屋盛一氏とは非常に御懇意の間柄だということはこの前伺つたのでありますが、それで間違いありませんか。
  68. 北村徳太郎

    ○北村證人 その通り。
  69. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 そうすると門屋さんがこの日本海洋漁業株式会社のメンバーになつておられる、この事業があるということは御承知でしようか。
  70. 北村徳太郎

    ○北村證人 後に私が聞いた川西君のその仕事を門屋氏がその熱に動かされたかどうか知りませんが、これをまとめようと努力せられた。そして会社になつたということを聞きましたので、それはよかつた言つたことはあるように覚えております。
  71. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 ここに書いてあるところによりますと、重ねて申しますが、犬養健氏の紹介で北村徳太郎氏と門屋盛一氏が資金的援助をされることになつたので一千万円を貸したという調書でありまするから、これも私どもは全然ないことをかくのごとく調書にしたためて、これを土台にして金を出したということに私どもは承つておるのでありますが、そう見るよりほかはないのでありますが、あなたは何かお忘れになつておるのじやないでしようか。
  72. 北村徳太郎

    ○北村證人 今明禮君のお読み上げになつておるものは何であるかわかりませんが……。
  73. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 復興金融金庫の審査調書であります。
  74. 北村徳太郎

    ○北村證人 それならば私わかりませんから、やはり復興金融金庫の関係者にお尋ねになつた方がはつきりするのじやないかと思います。
  75. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 そうしますとこういうことをお尋ねそます。あなたは復興金融金庫の審査部長の湊という人を御承知でありませんか。
  76. 北村徳太郎

    ○北村證人 それはあまりよくは知りませんが、私が財政及び金融委員会委員長をいたしておりましたとき復金の増資問題等でございまして、理事長と一緒によく委員会に見えておつた。そのとき名刺をもらつてつたことはございます。ですから面識はございます。
  77. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 そのときに何か湊さんとあなたとお会いになつてお話しになつたことはございませんでしようか、この問題について……。
  78. 北村徳太郎

    ○北村證人 これは私は門屋盛一氏から、復金から今の漁業関係で金を借りるときになるべく早く貸してもらいたいというようなことを向うに言つた。信用調査もしなければならぬということを言われたので、私の信用のことなら御都合で北村に聽いていただければよくわかりましようということを言つた。それでそういうことを尋ねられることもあるかも知れないからひとつ覚えておいていただきたいというお話があつたことを思い出します。それでそのことに関してやはり財政及び金融委員会の部屋であつたと思いますが、門屋という人はどういうふうな方ですかと湊君から尋ねられた。そのときに私の感想を述べたことがあるということを思い出します。
  79. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 そのときの感想をひとつお話を伺いたい。どういうようにお話をしたか。
  80. 北村徳太郎

    ○北村證人 これは門屋という人は信頼のできる人で今日まで間違つたことをちつともしない人だ。それから引揚者あるいは戰災孤兒なども相当養つたりなんかしておる人だ。約束したことの間違うというようなことの決してない人だ、自分は信頼しておる。そういうふうなことを話したのであります。
  81. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 そのときにあれは友人だからひとつよろしくお願いするということではなかつたでしようか。
  82. 北村徳太郎

    ○北村證人 そういうこまかいことは覚えておりませんが、私はお願いする立場ではない。信用上の調査を受けたときにあなたの思うように答えてくれという依頼を受けておつただけですから、それに対して答えただけであります。
  83. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 そのときにあなたと非常に深い関係であるから、門屋さんのことでもあるからひとつよろしくというようなことはあつて私どもしかるべきだと思うが、そういうことはおつしやらなかつたですか。
  84. 北村徳太郎

    ○北村證人 私の記憶ではそういうことは言つておりません。また元來そういうことを言うことを好みません。おそらく言つてないと思います。
  85. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 この日本海洋漁業株式会社融資を受けましたものは、昨年の十一月二十五日に一千万円と、本年の一月十七日でありますか、二月の二十日に承認となつておる。その頃三百万円、千三百万円を二回に融資を受けておるのでありますが、この会社が融資を受けるのにつきまして、あなたはあれはどういうふうになつておるかということを融審の方に電話をかけられまして、そうして連絡をとられた。ところがあれはもう通過いたしまして融資することになりましたということを係りの者が御返事をいたしたらどうも御苦労さまでした、ありがとうと言つてお礼を言われたということがあるようでありますが、そういうことはいかがでありますか。
  86. 北村徳太郎

    ○北村證人 そういうこまかい記憶ははつきりしておりませんが、あるいはそれくらいのことはあつたかもわかりません。制きたということを聞いて、それはまあよかつた、ありがとうくらいのことは言つたかもしれません。はつきりいたしませんが、おつしやられるとそういうことはあつたかもしれません。電話ですからわかりません。
  87. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 電話をあなたがおかけになつたのですね。
  88. 北村徳太郎

    ○北村證人 かけたという記憶ははつきりしませんが、お話があるとそんならあつたかもしれないと思うだけで、はつきりした記憶はありません。
  89. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 そこで私どもはこれを考えますと、一体融資では、あなた今大藏大臣でありますからお取扱いになつておるのでよくおわかりだと思うのですが、二十二年の三月二十八日に地方融資懇談会委員会におきまして條件附の決議ができた。たとえば復金にて十分調査の上確信を得たる場合には貸出すことというようなものができたということでありますが、この定時にはまだ日本海洋漁業というものはできていない。ところでこれを二十二年の三月に審査部において先ほど申しました審査課の浦野庸二という人が調べましたときには、これは絶対に貸すことができないものだという否決の意見をつけておるようであります。それがさらに二十二年の五月の十日にも調査をいたしておりますが、このときもやはり先ほど申しました日本海洋漁撈組合の名のもとに支査をいたしておるのであります。そうして日本海洋漁業が登記ができたのは二十二年の八月一日であります。そうしますと前に調査いたしましたことは今申しましたように日本海外漁撈更生組合につきましての調査をいたしたものである。從つてこれを今の附帶決議と申しますか、復金にて十分調査の上確信を得たる場合には貸出すという場合には、日本海洋漁業株式会社が設立されました二十二年の八月一日当時において再調査をいたしまして、貸すか貸さぬかということをやるべきものであると私は考えるのでありますが、こういうことがなくして、ただちに一千万円の貸出しをしたという手続はいかがなものでありましようか、私どもはどうしてもこれは理解がつかぬのです。
  90. 北村徳太郎

    ○北村證人 明禮委員が理解がつかぬとおつしやるのですけれでも、私も理解がつきません。これは私にお尋ねになるのは少し無理じやないかと思います。門屋氏がたとえば会社関係するようなことになつたといたしましても、私に関係のない会社の借金の経路等について、これはどう思うということは、どうもお答えしにくい。お答えすべき材料がないのであります。それをお尋ねになるのは無理じやないかと思います。
  91. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 私の質問を北村さんは少し誤つてつておられる。私の申しますのは、復金にて十分調査の上、確信を得たる場合には貸すことに附帶決議ができております。融資懇談会の決議は御承知の通りであります。そういうものができておるにかかわらず、日本海洋漁業株式会社ができ上つて、一千万円をお貸しになつている以上は、その日本海洋漁業株式会社が設立されました二十二年八月一日以後に再調査をいたしまして、そうしてこれは今までの調査と新たに調査をいたしました結果、貸すことになるとか、あるいは貸さぬことになるかということにならなければならぬ。それをそういう手続を経ずして、ただちに貸出しをしたという手続は、私どもは違法である、そういうようなことはやつてはならぬものであると思うのでありますから、大藏大臣としての所管におけるこのことをお尋ねするのです。何がわからぬ、おかしい、一向そういうことはないはずだ。
  92. 北村徳太郎

    ○北村證人 今のお尋ねは、どうもこれは復金の理事長にでもお尋ね願わないと、私からはお答えしかねるのでありますが、なぜ貸したかということについては、復金の理事長でもお喚び出しになつて十分御檢討になつたらいいと思います。私からお答えすべき筋合ではないと思います。
  93. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 どういうわけで大藏大臣ともあろうものが、私の質問に答えをしてくださらないのか。私の言うことは、なぜ貸したかというのではない、調査をしないで貸すことはいけないじやないか。なぜ調査をしないで貸しておるか、そういうような手続をして貸出しをすることは違法であつて、認められないにもかかわらず、貸出しをしておるという事実があるが、この点について大藏大臣の所見を聽くというのであります。
  94. 北村徳太郎

    ○北村證人 本日私は大藏大臣の責任においてお答えしなければならぬということは、材料等も持つてこないので、少し責任を負いかねるのです。そこでせつかくの話でありますけれども、どうもお話の筋がはつきりわかつていないのです。それからかりに大藏大臣としてそういう場合にどう思うかというお尋ねならば、その事実の眞相を今明禮委員からお話がありましたが、私は私の必要な程度において調査した上でないと、はたして違法であつたかどうか、事実がどうであつたか、眞相がどうであつたか、そういうことを極めずに軽々しくお答えすることはやりかねる次第であります。
  95. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 私は手続問題をお伺いしておるので、貸す、貸さぬについてはその審査についてどうおきめになろうが、私はそういうことを問うておるのじやありません。貸すのについては一應調査を十分にして、これならば貸すべきものだという決議をし、さらに融資懇談会にもあらためてかけるべきものであるが、まあそこまでいくべきかどうかは、私もその点についてはよくわかりませんけれども、少くともこの場合には、審査、調査というものがこういうふうにできて、みなやつておるのであります。前に調査いたしましたものは、先ほど言いますように組合でありますから、その組合で竹田という人の主管をする貸出しというのは、絶対にまかりならぬという調査が全部ついておるのであります。そうしてみれば、ここにあらためて日本海洋漁業株式会社ができ上つたならば、これができ上つたものについて、はたして今申しますように保利茂という人が社長になり、北村さんとかあるいは門屋さんとか、その他有力なるメンバーがここにはいつたのであるから、そこでこういう意味において、今までの事実とは違う條件になつておる。この点においてこれは貸してもいいとか悪いとかいう調査ができまして、そうしてこれに基いて貸出しをするとか否決をするとかいうことになるのがあたり前だと思います。それがなくして、ちようど株式会社の設立には創立総会というものを経ずして、ただちに株主総会をやりまして、そうしてすぐに登記をしたようなものだと申すのでありますが、それはあなたはおわかりにならぬはずはない。
  96. 北村徳太郎

    ○北村證人 ちよつと今のお言葉のうちで門屋さんとか北村さんとかいう有力なメンバーが加わつて云々ということでありますが、私はメンバーではございません。その点明らかにしておきます。その会社関係がございません。
  97. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 私が言うのは関係があるとかないとかいう問題ではありません。その問題についての手続については、違法があるということを私は言つておるのであります。どうですか。
  98. 北村徳太郎

    ○北村證人 違法があるということを明禮委員がおつしやるも——もし調査が必要ならば復金の理事長でも喚んで、必要な書類を提出さして——私が大藏大臣の職権で調べてお答えできません。
  99. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 そういう場合には一体どうですか、調査をやりかえなければならぬのではないかということを伺つておるのでありますが、おわかりにならないということでありますが、どうも私のお尋ねしておることとはお答えがぴんとこない。そういうふうにして貸出しをしたのだから、この手続が間違つておるということは、すでにいろいろな関係の有力者がはいつておるから、こういう手続きが行われたものであると、私はこう言うのでありますが、結局やはりそれはおわかりにならぬということでありますね。その他門屋さんの関係におきまして、復興金融金庫から金を借り出しておる。ほかの金社関係はございませんか。これも御承知ございませんでしようね。
  100. 北村徳太郎

    ○北村證人 門屋氏の関係において私は記憶がございません。
  101. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 あなたはこの日本海洋漁業株式会社の株をお持ちになつておりませんでしようね。
  102. 北村徳太郎

    ○北村證人 持つておりません。
  103. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 親和銀行がどのくらい融資をしておりますか、その点をお伺いしたいのですが。
  104. 北村徳太郎

    ○北村證人 私はかつて親和銀行の頭取をしておりまして、今はやめておりますから、一々の取引についてどれほど貸しておるかわかりません。
  105. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 ちよつと先ほどの問答で疑問の点があるのですが、先ほど日本海洋漁業が復金から融資を受けておるという事実は知らぬとおつしやつたのですが、それは間違いございませんか。
  106. 北村徳太郎

    ○北村證人 復金から融資を受ける申込みをしたときに、門屋という人物についてもしかあなたに聽かれるようなことがあるかもしれぬということを言われましたから、そういう質問があつたときには答えようと心構えをしておりましたので、金額いくらであるとか、内容的のことは私は知りませんが、復金との間に融資関係が起りつつあるということは承知しておりました。それはさつき申し上げた通りであります。
  107. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 それはおわかりになつてつたかもしれませぬが、ただそれだけのことを知つてつただけで、その後の関係はなかつた、こういうお答えでありますか。
  108. 北村徳太郎

    ○北村證人 さようであります。
  109. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 その関係がなかつたということと、電話をかけたかもしれぬということとは、どうしても相容れないように思いますが、その点はどつちがほんとうですか。
  110. 北村徳太郎

    ○北村證人 それは門屋氏とも私は友人でございますし、今電話をかけたのではないかというお尋ねがあつたから、はつきりした記憶がない、一々どこに電話をかけたといたしますれば、もうできそうなものだろうと思つているので一應ついでがあつたら尋ねてみてくれぬかというような依頼を受けたかもしれません。はつきりいたしませんが、そういう意味でなかつたかというお答えをしたのであつて、この程度でありまして、それ以上のことはわかりません。
  111. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 私はそこを聞きたいのです。全然関與せられぬというが、全然関與せぬ者が電話をかけられるはずはないのだから、そうしたら関與したかもしれないと、こう受取つてしかるべきものでないかと思います。全然関與せぬと言つて、あるいは電話をかけたかもしれないとおつしやるから疑問になるのです。その点はいかがです。
  112. 北村徳太郎

    ○北村證人 その点は何か船の代金を拂おうとかなんとか、詳しいことは覚えませんが、そういうことがありますので、もうやつてくれそうなものだと思つてつて、もしついでがあつたらもうできているかどうかを聞いてもらつたら都合がいいのではないかというような話があつたのではないか、これは今お話が出たからそういうことがあるかもしれないという程度でありまして、從つて融資成立等に関係したわけでございませんけれども、まああなたの懇意な人もいるのだから——というのはさつき申した湊君が財政金融委員会によく顔を出しているから、ついでがあつた電話をしていただくと都合がいいというような話があつたかもしれない、その程度で、ちよつと一年前にどこへ電話をかけたかと言われても記憶がないのでありまして、そうおつしやるから、もしありとすればこの程度であろう、こういう意味のことであります。
  113. 武藤運十郎

    武藤委員長 ほかにありませんか——それでは済みました。御苦労さまでした。     —————————————
  114. 武藤運十郎

    武藤委員長 お待たせいたしました。杉山さんに伺いますが、あなたは今の地位になられる前には、どこでどういう職を持つておられましたか。
  115. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 ずつと前から申し上げるのですか。
  116. 武藤運十郎

    武藤委員長 その直前ぐらいでよろしゆうございます。
  117. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 直前は、二十年かと思いましたか、一月二十八日の日附か何かに、大阪府の土木部長から長崎縣知事に任命されまして、長崎に赴任いたしました。
  118. 武藤運十郎

    武藤委員長 大阪府の土木部長から長崎縣の知事に任ぜられて來られたわけですね。
  119. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 そうでございます。
  120. 武藤運十郎

    武藤委員長 御出生地はどこですか。
  121. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 愛知縣名古屋市です。
  122. 武藤運十郎

    武藤委員長 佐世保復興建設協会というものを御存じですか。
  123. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 私はそういうものをはつきりおぼえておりません。
  124. 武藤運十郎

    武藤委員長 それに似たような名前のものも御存じありませんか。
  125. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 私が知つておりますのは、占領軍の人夫を供給しております者が、人夫が非常に窃盗がはげしいので、それを日本人の間で自主的に自制し合うようにしたいというので、その当時の終連事務局長の肝入りで、何という協会でしたか、つくりまして、ぜひ知事も後援してくれ、こういう話を受けておりますので、それは私は知つております。
  126. 武藤運十郎

    武藤委員長 それは何という名前ですか。
  127. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 何といいましたか、そういうことを聽かれるとは思いませんでしたから、調べてこなかつたのであります。
  128. 武藤運十郎

    武藤委員長 それから知事選挙がございまして、四月に知事選挙をなさいましたね。
  129. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 そうであります。
  130. 武藤運十郎

    武藤委員長 その当時の支出責任者と申しますか、その方はどなたですか。それからまたあなたに主として應援をした有力なる、なかんずく財政的な應援をした者はだれだれですか。
  131. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 私には財政的の應援というものはほとんどしてもらつたことはないのであります。私は実は選挙は初めてでありまして、その辺あまり詳しく知つておりませんが、事務長といいますか、支出責任者といいますか、その方は田中七之助というのです。
  132. 武藤運十郎

    武藤委員長 この人が主として選挙事務を総括的に見ておられたわけでありますか。
  133. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 そうであります。
  134. 武藤運十郎

    武藤委員長 これはどういう関係の人ですか。
  135. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 私は家庭と申しますと一人よりない息子でありますが、その当時病氣をやつておりまして、去年の一月に発病しまして、そういうような関係上私は大分勧められたのでありますが——勧められたというのは、結局当時社会党、國民協同党、民主党という順序で勧められ、また長崎の地区労といつておりますが、その地区の労働組合、職員組合、教職組合の方々から勧められたのでありますが、私はそうい家庭の問題もあつて出る考えがなかつたのであります。殊に供米をしなければならぬ事態になつておりまして、三月の上旬まで供米運動に歩いておつたのであります。そうして三月の十日前後と思いましたが、帰りましたところまたそういう方々から非常に勧められたのでありますが、実は選挙がどういうものかわかりませんので、だれかやつてくれる者を頼まなければならない。こういうようなことから、出るとすればそういう方がおつてくれなければ困る、こういうことでいろいろ考えてみたのでありますが、大体私が出ると決心したのは十日前後でありますが、それで私も選挙違反にひつかかるというようなことになりますと非常に困るということから、官吏上りの人をお願いしたい、こういうことで物色したのでありますが、私が心に描いておつた方はパージになつておられてできないということで、それなら警察関係の人が一番取締りがいいのじやないかというようなことからいろいろ考えてみまして、田中七之助さんが推薦選挙の前だと思いますが、このころに情報課長か何かやつておられて、取締りについての経驗があるというので、むりにお願いいたしまして、その方を十日過ぎくらいに御承諾を得たので、三月の十一日と思つておりますが、辞表を出しまして、これはとても間に合わぬというので、縣廳の人事課の者が持つて行きまして間に合わせまして、三月の十四日に解職に出たというようなことになつておるのでして、別に私はそういう用意をほとんどしてなかつたのであります。
  136. 武藤運十郎

    武藤委員長 情報課長というのはどこの情報課長ですか。
  137. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 長崎縣の情報課長だと思います。これはちよつと間違つておるかもしれませんが、とにかく警察の課長をやつて推薦選挙の前に取締りをやつた方だという話を聞いて、その方にお願いをしたということになつております。
  138. 武藤運十郎

    武藤委員長 門屋盛一、梅村忠一郎、小野徳一、山領濱夫、原太一などという諸君を御存じですか。またどういうふうなおつき合いですか。
  139. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 これは長崎に知事としてまいりまして、いろいろ佐世保方面に進駐軍の工事があつて、これは最初政府の方針といたしまして外務省が担当しておつたのでありますが、なかなか工事が捗らぬ、どうかして縣が協力してくれということになりまして、その当時の終連の事務局長さんがそういう事業をやつておられる方々をお呼びになつて、督促されるのに立会うことになつたのでありまするが、何分忙しいので、それでは縣廳に來てやつてもらいたいというようなことから、縣廳に來ていただいてやつてもらつた。そうして、初め十日目くらいに打合せ会をやつたらいいじやないかというようなことから、初め十日目くらいに打合せ会をやつておりましたから、それでその方々を知つたというのが順序であります。
  140. 武藤運十郎

    武藤委員長 何か御質問ございませんか。明禮輝三郎君。
  141. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 昨年の四月五日に行われました長崎の知事選挙におきまして、佐世保復興建設協会というものが、大体百四十万円、百三十七万円とも言われております金を集めまして、あなたの選挙の應援をいたしたのでありますが、その点につきまして先ほど委員長から尋ねられました門屋盛一氏、梅村忠一郎氏、小野徳一、山領濱夫、原太一というような人々が斡旋の労をとつたのでありますが、その点についてお伺いいたします。
  142. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 先ほど委員長の御質問にお答え申し上げましたように、私は実は出る氣がなかつたのでありまして、御承知のように大きな政党が四つありまする中の一つだけに出まして推すということになつたので、私といたしましては実際のことを申し上げると全部の方に推してもらわなければいやだ、殊に息子も病中でありまするし、決心がついてなかつたのであります。ところが三月ごろになりましてやや小康を得、それから社会党、民主党あたりの方々の仰せられるのには、その当時自由党と言うておつたと私は思いまするが、自由党の方は一應そういうことにきまつたから私を推すことはできないが、しかし幸運にして当選をしても決してそれでどうなるというものじやない。消極的の應援とでも申しますか、そういうことを言うておられるから、全党一致ではないが、まあいいではないかというようなことから、子供も少しよくなりつつありましたので、三月の初旬に決心をいたしまして出て十四日に辞令をちようだいいたしまして、さあどこへ引越すかということで行先からあわてなければならぬというようなことになりまして、当時戰爭時代に疎開になるべく目されておつた家に一時総務部長がはいつておりましたのですが、戰時法律の解消のためにもとの主に返さなければならぬ、それで持主が非常に早く返せということを言つてつたのでありますが、差当つてそれをお願いするよりしようがないというので、期限つきでお借りをいたしまして、それに二十日頃に越したが何らの準備もない。
  143. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 質問に答えてください。
  144. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 それで三月二十二、三日ころから遊説に歩いたというなことで、どういうようなことが梅村さんのおつしやる方面でやられておつたか、私はちつとも知りません。
  145. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 それでは時間がかかりますから短刀直入にはいつていきます。いまの佐世保復興建設協会があなたの選挙のために應援することにきまつたのが二十二年三月の十四日にきまつたようである。あなたは選挙運動のことばかり言われましたが、お引越になつたのは総務部長の立山町の官舎であることには違いないと思います。そうして金を集めましたのはどういう人から集めたかというと、小野徳一氏から五万円、門屋盛一氏から十五万円、原太一氏から七万五千円、梅村忠一郎氏から十万円、萩原氏から十万円、山領氏から十五万円、太平から十万円、永岡氏から十万円、飯塚氏から十五万円、福山氏から二万円、金子氏から五万円、水口氏から十万円、金納氏から十万円、藤島氏から十万円、鹿島氏から三万円清水氏から三万円、合計四十万五千円を集めまして、あなたの選挙を應援をしたということであります。非常に急いでおられまするので、どうぞ私のお尋ねしたところを御答弁を願います。
  146. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 それに私は全然関與もいたしておりませんし、どういうことをおやりになつておるか、そこまでは私は存じ上げておりません。
  147. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 そうしますと、あなたが今読上げました人々の中で、あなたは土木部長をしておられて長崎へ來られましてもこの方面の人は十分にお知合いの仲であろうと思うのですが、今吉福だと言われ、金は醵金したと言われましたが、これは割当で出したのでありますが、こういう人はあなた方はお知合いではありませんか。
  148. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 そういたしますと、もう少しくわしく申し上げぬとわかりませんが、私は土木技術者ではありまするが、戰災復興院にはいりまして、それから東京府に長くおりまして、石川縣、茨城縣、長野縣、兵庫縣、大阪府とおりまして、長崎には参つておりませんから、こちらに來るまでは全然そういう方々は知合いはありません。
  149. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 長崎に來られてからで結構ですが、あなたが長崎に縣知事として赴任されまして、復興院をおやめになる前からおつき合いになつておる点でお知合いはありませんか。
  150. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 それは先ほど申し上げました連合軍の兵舎建築につきまして縣が應援しなければならぬ立場になりました。そして終連のやつておりました建築工事が非常に遅いので、どうかして應援してくれ、こういうことで、いつからか私もはつきりしておりませんが、八月ごろからではないかと思います。旬日会議をやろうということで旬日会議をやりまして、十一月の終りごろまでにようやく兵舎建築をこしらえ上げることができたのであります。そのときに顔見知になつた、こういうだけであります。
  151. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 それはいつごろですか。何年ですか。
  152. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 二十一年の八月です。
  153. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 では次に参ります。あなたがいよいよ立候補されることになりまして、今の佐世保復興建設協会があなたを一致して推すことにきまつた。そして三月の二十四、五日ごろ原太一、小野徳一、梅村忠一郎という三人の方々が先ほどの立山町の内務部長の官舎へあなたの陣中見舞に参つたことがあるのですが、あなたはそのときにお留守であつた。そこで奥さんに五万円の金を新聞紙の包んで陣中見舞としてお渡しをしてきたということを皆述べておりますが、この点いかがでありますか。
  154. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 明禮さんにお答え申し上げます。それは立山町ではない引地町という所でありますが、そこは戰爭中に疎開をやりまして、あまり家がりつぱであるというので残しておいたのが残りまして、内務部長ではなく総務部長と言つてつた。その家が燒けて一時そこにはいつていたのでありますが、それが戰時法律の廃止によりまして返さなければならぬというのでせきこんでおりまして、返す時期になつてつたのを、私がそういう突然のときになつたのでそこをお借りした、こういうので内務部長官舎に私が移つたのではないということは、ひとつ御了承願いたいと思います。  それから梅村さん並びに小野さん、原さんの問題ですが、これは今仰せられたように、私は非常に忙しく陸地の続く所だけを遊説しておつたので実際留守だつた。その後当選やら、また出勤やらに忙しくてその問題を私は知らなかつた。今度佐金事件が起きまして新聞面に檢察廳方面の取調べの方々が出まして初めて私は知つたのでありました。私の家内にその話を聽いたところが、これはたしか梅村とか——その当時は顔は知りませんが、梅村とかいう佐世保の人だからこれは確かだ。それが紙包みを持つてこられた。これを非常に固辞したが、どうしても置いて行かれた。それでその問題も私に報告すべきところを、まことに申訳ない話だが、忙しくて直くは報告ができなかつた。その後に報告したと思うが、どうも私が記憶がないというなら報告しなかつたのかもしれません。私は禍凶吉福以外はそういうものは受取らぬことになつておりましたので、一体それが禍凶吉福に相当するかどうか。選挙をおやりになつた方々に私は尋ねてみて、その範囲内であるかどうか、こういうことで私は処置をしたいと思つたのでありますが、不幸にして新聞面でいかにも私が中心人物のように言われておりますし、今やるのはまずいということでありますと、これは吉凶禍福の範囲を越しているというような経驗者からのお話がありますれば、これはお返ししなければならぬものだと思いますが、その点まだ処置をしておりません。
  155. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 わかりました。お認めくだされば、その次を尋ねます。  さらにこの三人の人は、あなたがお留守でありますから、あなたを訪ねまして、島原の小浜という所へ陣中見舞に出かけた。そして伊勢屋という所にあなたがお泊りになつてつて、そこへ訪ねて行つた事実があるのですが、その点はいかがでありますか。並びにその伊勢屋でありますか、柳川屋でありますか、そのどちらかにあなたがお泊りになつて選挙演説をなすつておる宿屋で三人が一緒に寝て話したということがあるのでありますが、その点はいかがですか。
  156. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 それは私はつきり記憶しております。應援といいますか、何といいますか、訪ねて來てくれましたが、伊勢屋か何か特に記憶をもつておりませんが、とにかく女学生が一杯で、どこへ行つても寝る所がない、寝せてくれぬかという話があつたので、私と一緒に行きました應援の弁士というと失礼ですが、應援の方から話がありまして、追返すというのも困るが、皆一緒に寝ようかという話から、休めされすればいいというならいいじやないかというように、私も至極簡單に考えていたものですから、一緒に寝たというだけで、何も話はありません。
  157. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 一緒に寝たというだけで、話しても話さぬでも結構ですが、そのときに相当ごちそうが出たと言つておりますが、これは余談といたします。さらに進んで、あなたが当選されましたときは、四月の五日ですね。七日ころに、あなたのお宅へさらにこの人々が二尺ほどある大きなたいを二尾と、ビールを二ダース持つてお祝いに行つたそうでありますが、この点はあなたが直接そのときにお会いになつたと思いますが、いかがですか。
  158. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 そんな大きなたいだつたか、ちよつと疑問であります。選挙というものは私はほんとうに初めてでありましたが、当選を祝するというわけで、いろいろな方々がお祝いに來てくだすつたことは事実でありまして、そのたいは確かでありますが、二尺というようなでつかいたいであつたかどうか、私疑問に思つております。ビールは、これも何ダースでありましたか、ちよつと記憶しておりません。お会いしたことは事実であります。
  159. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 結構です。そのときに——これは梅村忠一郎が一人でやつたことでありますが、そのたいやビールを差上げたときに、裏の方へまわつて奥さんにまた新聞紙に五万円を包んだものをこつそり渡してきたということになつておりますが、その点はいかがでしようか。
  160. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 それは私の家内に聽いてみましたが、そんなことは絶対ありません。そういう記憶はもつていないそうであります。大体吉凶禍福と言つても、鯛の大きさにかかわらず、それとビールをちようだいしておきながら、それに金がついておるということも私は考えませんし、家内もそういうことはないと言つております。
  161. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 それはお認めにならぬ。ちやんと檢察廳で梅村忠一郎氏が述べておるのですが、これはよろしい。あなたがおつしやらなければ、また言うところがありましよう。そこでもう一つお伺いしたいのは、二十二年の四月初旬に梅村忠一郎氏の事務所に藤井友市という人が二万円金を持つて來まして、選挙費に使つてくれと言つて届けたという事実でありますが、これは中川内隆という人がもらつてあなたの選挙のために使つた檢察廳では証言しておりますが、この事実はいかがですか。
  162. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 そういう金の出入は先ほど委員長さんに申し上げたように、田中七之助さんがおやりになつておるので、私はそういうことを全然知つておりません。
  163. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 もう一つ、三月の四日ごろ、山水樓であなたの選挙立候補についての歓迎会と言いますか、打合会が行われまして、その席には藤井友市、辻一三、中川内隆、小野徳一、原太一、草津敏雄、梅村忠一郎という七、八名の人が集つていろいろあなたとお打合せをしたということがありますが、いかがでありますか。
  164. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 三月幾日でございますか。
  165. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 十五日です。
  166. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 三月十五日ごろには私はそういう方面行つておりませんから、その記憶はありません。
  167. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 三月の十七日と思いますが、二十名ばかり山水樓へ集まりまして、選挙費用は原という人が相談の上出す、梅村という人と一緒にこれをやるということにきめまして、いろいろ打合せしたその席上に、またあなたがお出でになつて、宮原一夫という人と一緒にその席で、皆さんにどうもいろいろいお世話になりましてありがとうございます、どうぞよろしくお願いいたします、ということを二十分以上ここで挨拶された事実がありますが、いかがでありますか。
  168. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 三月幾日でありますか。
  169. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 三月十七日ごろ山水樓でやつたのですが、お忘れじやないでしよう。
  170. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 私は佐世保方面に参りますれば山水樓に泊りますが、そのころに行つた記憶はもつておりません。
  171. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 こういうことがありはしませんか。あなたが藝能会の人々、藝者というのですか、それを下の部屋へ、それから協会の連中は二階におつて、飲めや歌えの大騒ぎか、たいへんお目出たかつたのですな、立候補されて。それに行かれて、上と下に席ができておつて、下の席からあなたが上にあがつて、何とぞよろしくお願い申し上げますという挨拶をされた事実がありますが、これはいかがですか。
  172. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 私出張いたしますと、断りかねまして歓迎会は所々でやつていただきますので、これはどうしても断らなければならぬと思いますが、なかなかうまくいかぬ。こういうのが事実でありまして、そういう場合にそういうことがあつたかどうかは、私ちよつと記憶をもつておりません。そして私の性格としまして、そんなどんちやん騒ぎなどという年ごろでもありませんから、そういうことはないと思います。
  173. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 ない。ほかの人は皆述べておるのですよ。
  174. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 どんちやん騒ぎなど……
  175. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 どんちやんか、ちんちやんかわからぬが、どつちにしてもそういうことがあつたのですね。人を待たせておいて。
  176. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 それは歓迎会でそういう者をよく呼びますから、そういう際にあつたかはしりませんが、それがいつ幾日だというようなことは私は記憶をもつておりません。
  177. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 証人に申し上げますが、いずれにいたしましても大勢の人がこれは見ておるのですから、あなたが上にあがつて挨拶をされたということは大勢の人が述べておるのですから、念のためにもう一遍よくお確かめをしておきますが、そういう事実があつたらば、大抵のところでその辺はおつしやつたら……。
  178. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 私は先ほど申し上げましたように、十日前後になつてようやく決心いたしまして、それから引越はやらなければならぬわ、選挙公報に書く文章はつくらなければならぬわ、ビラの案はつくらなければならぬわというので、そんな決心してから出かけたということはほとんど記憶をもつておりませんから、よろしくお願い申し上げるというようなことは私は言わないと思うのでございますが……。
  179. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 そうすると、こういうことはありはしませんか。先ほどあなたは忘れたと言われましたが、覚えておられないのでしようから、ここで申し上げますが、あなたの地区に占領軍協会実践会というのがある。これが先ほどあなたが忘れたと言われる本尊であります。この占領軍協力実践会というものが、あなたを顧問として、占領軍協力実践会顧問長崎縣知事杉山宗次郎という名前のもとに佐世保時事、西日本、毎日、長崎民友、長崎日日その他の新聞に一週間ずつと継続して、四月五日の選挙の前後——五日の選挙の日に切つたのではまずいから、もう二日ほどやろうというので、七日ほど続けて新聞に廣告したそうでありますが、この事実はあなた御承知ありませんか。
  180. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 私は先ほど申し上げましたように、この実践協力会でございますか、それは大分前から計画された問題でありまして、それに應援してくれという主税局長からの話で、いいことであれば私ども應援するよりしようがないのでありまして、いつの間に顧問という名前をつけたかは知りませんが、おそらくそういう名前であつたかもしれません。しかし新聞廣告をしたかせぬかということは、私はそれに実際タツチしておりませんから、自分はよく知りません。そうしてもう大体四月ごろは私の一番忙がしかつたころでして、ちよつとそういうものは出るか出ないか調べてもおりませんし、それをおつしやいましても、私として、はつきり見たというだけの自信をもつておりません。
  181. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 これ一つや二つの新聞ではない。私はきよう不幸にしてもつておりませんが、とても大きな廣告でありまして、しかも佐世保時事、西日本、毎日、長崎民友、長崎日日と少くとも五つあります、あそこの新聞としてこれだけあなたは毎日選挙対策として新聞をごらんにならぬはずはない。それでこういうような廣告が出ていることも、あなたは忙がしくて目につかなかつたというのですか。
  182. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 大体そう廣告には目を通さぬものですから、ほんとうに私はそういうものが出ていたか出ていないか、自信をもつてお答えを申し上げるだけの記憶をもつておりません。
  183. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 そうですか。あなたは梅村忠一郎さんのお宅に行つて、あそこで一晩か二晩選挙中にお泊りになつたことがあるはずですが、それはどうですか。
  184. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 これはなかなか選挙費用もかかりますし、どつか安い宿がないかということで捜しました際に、自分のところへ來て泊らぬかという話で、一晩御厄介になりました。
  185. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 それからこういうことがありますね。占領軍関係のダム工事を二十一年の秋、長崎縣知事であるあなたと、佐世保復興建設協会の代表者である門屋盛一氏との間に締結した事実がある。その請負價格は一億円であります。この事実はどうか。
  186. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 それはまた長くなるとおつしやられると、ちよつと困りますが、これは何年でしたか私もはつきりしておりませんが、非常に佐世保に水がなくなりまして市民は困つたというような問題が起きて、占領軍の軍政部から一つのメモランダム式のものが出まして、それをもとにして政府に進達したことがあります。そうして政府にいろいろ佐世保の市役所と縣が共同で迫つたのでありまして、三月の初めごろかと思いますが、準備工事はやつてよろしいというようなことになりまして、それではだれがするかというようなことで、その当時日本建設協会と言いましたか、よく知りませんが、私どもの方では日建々々と言つておりますが、土木部長が日建に紹介をしまして、推薦を受けまして——私は一時退いたので、その推薦を受けたという事実はあまりよく知りませんでしたが、その間に千五百万でしたか、三千五百万でしたか、これもはつきりしておりませんが、当時の知事であつた高橋さんがその工事を締結いたしまして、全体計画ができたからそれを変更して契約をするというようなことになりまして、中央政府である建設院の認可を得まして、私の時代にそれも現役として契約をやつたという経過になつております。
  187. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 とにかく契約をやつたことはあるのですね。
  188. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 あります。
  189. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 この百四十万と言われる金のうちで梅村、原という人が相談の上、縣会議員の立候補である田代弘藏という人に二万円、法村吉平という人に三万円お渡ししたそうでありますが、それは事実でありましようか。そうして田代弘藏は今はどういう地位の人ですか。また法村吉平という人はどういう地位の人かその点を……。
  190. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 それは私のらち外のものでありますので、全然知りません。田代弘藏君は多年にわたつて懸政をよく知つております関係上、私が勤め人上りだからということで、だれか民間から出したいというところで、これは縣会の承認を得まして、田代君を副知事にいたしまして、現在副知事でおります。法村さんは縣会議員に当選されまして、現在縣会議員の現職にあられます。
  191. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 議長ではありませんか。
  192. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 議長ではありません。
  193. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 大体百四十万円のうち、そういうようなところへ使つたり、あなたのところへもつてつたような金の残りは、各地区々々によりまして運動者をきめて、各地区に五万円、十万円ともたしてあなたの選挙運動をやらしたということになつておりますが、あなたはその事実は御承知ありませんか。
  194. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 私はそういうことは知つておりません。
  195. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 梅村という人の言つておること、あるいは小野という人の言つておることによると結局こういうことになる。占領軍工事促進について知事室に呼ばれていろいろ注意を受けたり、同工事の資材入手のため同知事を訪問して入手方を懇願しており、杉山氏と懇意であり、殊に選挙期間中昨年三月十七日と三十一日には梅村宅にも宿泊したというような間柄であるからお世話になるので金を持つて行つた、とあなたの方に金を持つて行つたと述べておるのですが、こういうように資材入手のためにあなたの方へいろいろと懇願をしてきておる事実がありましようか。
  196. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 それは先ほども申し上げましたように、私がただ個人的に懇願を受けたのではないのでありまして、兵舎建築の促進をはかるために終連の局長さんがその当時工事の責任者でありましたので、縣が應援をしてくれろというようなことから、私の部屋あるいは別の廣い部屋に関係課長を全部集めまして、足らないものをどういうふうにしてわくをもらうとか、あるいはわくをもらいましても実物がはいりませんから、どういうように他縣に木材なりガラスなりを送つてもらうよう應援をしてもらうかということの会議を開きまして、逐次これを應援をしてあげた。こういうことだけでありまして、個人的に私が毛頭やつておりませんからそういうことはありません。
  197. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 もう一点だけ……これで終ります。第四十四回の復興建設協会の議事録によりますと、二十二年の五月四日——当選四日後に佐世保復興建設協会に佐世保地区の諸工事は全面的に指名するということをあなたの方が承諾されて、協会の方へ通達されておる事実があります。佐世保地区の工事は全面的に協会に指名することになりますが、これはどういう意味でありますか。
  198. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 そんな通達をやるのにはどうしても公文書でいかなければなりませんが、これは土木部長の委任事項でそんな大きな公文書は出せないはずでありますから、そういうようなものは私はいつていないと思うのであります。ただ地区々々の請負をなるべく地元の請負人にやらしてくれということを請願とか書類で出してくるところもありますが、——大体は口頭でもつてくるものですが、そういう際に土木部長といたしましては、なるべくそうするということを言うのが常だと私は思うのであります。それをまた念を押しに私のところへ総代がやつてきたか知りませんが、それがやつてきたときには、そう言つては惡いですがお体裁でなるべくそういたしましようというくらいのことは言つたかと思うのですが、書類でいくというようなことは私はないと思います。
  199. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 書類でないかも知れません。ここに書いてあるところによると、今月二日、三日理事長、副理事長門屋、梅村両理事長崎縣廳に出頭し、土木部長より今後佐世保地区(大村以北)の諸工事は佐世保復興建設協会に全面的に指名する旨確約あつたということを報告しております。この事実です。こういう人が行つて土木部長とあなたにお目にかかつて、そういうことを指名することになつたということの報告書があります。
  200. 杉山宗次郎

    ○杉山證人 今申し上げたように地元の工事は地元の者にやらしてもらいたいということは人情でありますので、おそらく佐世保方面の仕事は自分らにやらしてもらいたいと言つてきただろうと私は想像いたします。その場合拒むべき性質のものでないので、なるべくそうしようくらいのことは土木部長も言つたのではないかと私は想像いたしますが、これはよくわかりません。そのときに確約でなしに確認の意味で私のところへ陳情に來たかもしれませんが、この際にまあ体裁よくなるべくそういたしましようぐらいのことは言つたかもしれません。
  201. 武藤運十郎

    武藤委員長 よろしうございますか——ほかにございませんか。——では済みました。御苦労さまでした。  本日はこれにて散会いたします。     午後六時三十九分散会