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1948-09-03 第2回国会 衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第56号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十三年九月三日(金曜日)     午後二時開議  出席委員    委員長 武藤運十郎君    理事 鍛冶 良作君 理事 田中 角榮君    理事 辻  寛一君 理事 河井 榮藏君    理事 荊木 一久君 理事 石田 一松君    理事 中野 四郎君       高橋 英吉君    古島 義英君       明禮輝三郎君    足立 梅市君       佐竹 新市君    前田 種男君       田中 健吉君    中村元治郎君       宇都宮則綱君    徳田 球一君  委員外出席者         石炭國管問題に         ついて出頭した         証人      武内 禮藏君                 衞藤  速君                 中川 とり君                 有江 伊作君                 有江 ハナ君         日本海洋漁業株         式会社に対する         融資問題につい         て出頭した証人 湊  守篤君                 根本 清介君     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件  石炭國管問題に関する件  日本海洋漁業株式会社に対する融資問題     ―――――――――――――
  2. 武藤運十郎

    武藤委員長 これより会議を開きます。  本日御出頭証人武内禮藏さん、衞藤速さん、湊守篤さん、根本清介さんであります。それからこの際お諮りをいたします。昨日欠席せられました中川旅館中川とりさんが本日御出頭になつておりますが、証人として喚問することに御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 武藤運十郎

    武藤委員長 ではさように決します。  それでは武内禮藏さん、衞藤速さん、中川とりさんにつきましては石炭國管問題について、湊守篤さん、根本清介さんにつきましては佐世保事件につきましていずれも証人としてお諮を伺うことになります。  証言を求める前に各証人に一言申し上げます。  昨年十二月二十三日公布になりました昭和二十二年法律第二百二十五号議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならぬことになつております。宣誓または証言を拒むことのできるのは、一般の人については、証言が、証人または証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族及び証人後見人または証人後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項あるいはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するときに限られ、医師歯科医師、藥剤師、藥種商、産婆、弁護士、弁理士弁議人公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職に在つた者については、その職務上知つた事実であつて黙秘すべきものについて尋問を受けたときに限られております。右以外には何人も宣誓または証言を拒むことができないことになつておるのであります。なお証人が正当の理由なくして宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることになつておるのであります。一應このことを御承知になつていただきたいと思います。では法律の定めるところによりまして証人宣誓を求めます。お手許に差上げてある宣誓書を朗読の上署名捺印願います。     〔証人衞藤速君各証人代表して宣誓〕     〔各証人宣誓書署名捺印
  4. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは武内さん、衞藤さん、中川さん、湊さん、根本さん、こういう順序でお話を伺いますから、武内さん以外の方はしばらく別室でお待ちを願います。  それでは武内さんにお伺いいたしますが、今閉鎖機関になつております日本石炭鉱業会であなたはどういう役目をしておられましたか。
  5. 武内禮藏

    武内証人 私は閉鎖機関になる前まで鉱業会に副会長をしておりました。
  6. 武藤運十郎

    武藤委員長 いつからいつまで副会長をしておいでになりましたか。
  7. 武内禮藏

    武内証人 二十一年の終戰後統制会が解体されました後に鉱業会ができまして、そして閉鎖機関に至る前の三月十日と考えますが、二十二年の三月十日まで鉱業会の副会長をいたしておりました。
  8. 武藤運十郎

    武藤委員長 要するに日本石炭鉱業会の全期間を通じてあなたは副会長をしておられたわけですね。
  9. 武内禮藏

    武内証人 二十二年の三月十日でございます。協会閉鎖が五月でございますが、その前でございますから、統制会がなくなつて鉱業会ができてから副会長になりました。そうしてずつと副会長をしておりました。今度の協会ができますまで副会長を続けております。
  10. 武藤運十郎

    武藤委員長 日本石炭鉱業会組織目的はどういうことでありますか。
  11. 武内禮藏

    武内証人 戰時中に統制会がございまして、統制会が解体されまして、大部分統制に似寄つた全体じやありませんが、一部この機関によつて石炭鉱業に関する事項あるいは諸官廳その他と関連的な考えがありまして、もつとも任意團体でございますが、その任意團体の中に統制会を撤廃した後の鉱業会は、各役所の一部の何と申しますか、あらゆる業に対する資料をとり、あるいは統計をとるというようなことをやつて統制会でなく任意團体ではありまするが、統制会終つた直後でありますので、そういう官廳関係事務事項関連性はあつたわけでございます。表面的の関連はないことになつておりますが、内実上はそういう一部の仕事をやつてつたわけであります。
  12. 武藤運十郎

    武藤委員長 要するに石炭鉱業者の共同の利益を守りかつ親睦をはかつておるというところにあるわけですね。
  13. 武内禮藏

    武内証人 そうです。
  14. 武藤運十郎

    武藤委員長 この会長は……。
  15. 武内禮藏

  16. 武藤運十郎

    武藤委員長 山川さんではないですか。
  17. 武内禮藏

    武内証人 山川さんは協会になつてから、会長貝島太市、副会長圓城寺松一君と私と二人であります。
  18. 武藤運十郎

    武藤委員長 これは全國の石炭業者会員にしておるわけですか。
  19. 武内禮藏

    武内証人 そうであります。
  20. 武藤運十郎

    武藤委員長 およそどのくらいありますか。
  21. 武内禮藏

    武内証人 強制加入でも何でもありません、任意加入でありますが、皆それぞれ申込をとつて集めておりますが、実体におきましては業を行つておるものはほとんどその会員になつておりまして、炭鉱数におきましては約四百七、八十あると考えます。ところが一人が、あるいは一つの会社が二ないし三を経営しておる経営形体がございますので、実際の会員は二百数十人と考えております。
  22. 武藤運十郎

    武藤委員長 会費とりますか。
  23. 武内禮藏

    武内証人 会費は徴收いたします。
  24. 武藤運十郎

    武藤委員長 どういう方法とりますか。
  25. 武内禮藏

    武内証人 鉱業会当時からこの協会に移りましても、炭價の千分の六というような会費賦課金として徴收いたしております。
  26. 武藤運十郎

    武藤委員長 出炭量に應じて炭價の千分の六。
  27. 武内禮藏

    武内証人 そうでございます。ちよつと委員長にお断りいたしますが、現在の協会におきましてはまだ千分の六に対しては、個々の財閥会社がございまして、手続を要するところがありますので、まだ徴收する了解ができてない所がございます。鉱業会当時は千分の六をはつきり徴收したことを申し上げておきます。
  28. 武藤運十郎

    武藤委員長 本日承りますことは、大体において特にお断りをしない限りは日本石炭鉱業会時代のことを伺うわけです。  昨年石炭國家管理法案が上程されたわけでありますけれども、その前後大分業者が、國管案反対運動をせられたようでありますけれども、そういう事実がありますか。
  29. 武内禮藏

    武内証人 あります。
  30. 武藤運十郎

    武藤委員長 これは日本石炭鉱業会として反対の態度を決定し、鉱業会として運動したわけでありますか。
  31. 武内禮藏

    武内証人 そうであります。
  32. 武藤運十郎

    武藤委員長 これに反対しようというのが正式にきまつたのはいつですか。
  33. 武内禮藏

    武内証人 御承知鉱業会定款に基きまして、あの期間内に、その当時は理事と申しておりましたが三十一数回の理事会を招集いたしております。理事鉱業会当時は三十四名が定員であつたと存じますが、すべて理事会に諮りました。そして理事会の決定した事項で事の済むものはそのまま全会員にその通りを傳えますが、総代会を開かなければ――大会の権限は総代会にあるのでありますが、必要事項につきましては総代会を招集いたしまして、全國の総代の総意に基き可否を決定いたしまして、きまりました事項によりまして実行するというようなことになつております。國管の場合の御質問に対しまして、理事会はすでに商工省要綱が提出されましたときからあらゆる要綱につきまして檢討をする機関をつくり、その都度理事会に諮つておりますが、数回の理事会をやつております。当時の総代会のすべての記録がございますが、この國管に対して、鉱業会はかかる行動をとる、あるいはこの点についてはこうだということはあらゆる檢討を加えた上で定款に基き会議を行うた結果やつておりますので、これは鉱業会議事録を提出さしてもらうようにしていただきたいと思います。
  34. 武藤運十郎

    武藤委員長 大体はつきりきまりましたのは六、七月ごろでありますか。
  35. 武内禮藏

    武内証人 七月末か八月の初めであります。理事会としてきまつたのはずつと前でありますが、全國総代会できめましたのは七月ないし八月と記憶しておりますが、はつきり記憶しておりません。
  36. 武藤運十郎

    武藤委員長 理事会及び総代会議事録を見れば日時等はつきりするわけですね。一体どういう理由反対ということになつたわけでありますか。
  37. 武内禮藏

    武内証人 この点はつきり申し上げますが、最初から私ども反対つたのではございません。最初安本案として商工省要綱というのが出たのは、よく記憶しませんが、六月中旬ごろではないかと思います。最初は新聞に報道されましたその内容を見まして、私ども主管廳である石炭廳にその詳細の内容につきましての事項を質したのでございます。その後これもはつきり日時はわかりませんが、私どもの方から経済閣僚の参集を商相官邸にお願いして、そういう会合を二回商相官邸に開いていただいたように思います。その席上におきまして、私どもと懇談的に意見交換をさしてもらいました。当時商工大臣は、これは一字句でありますが、経営権棚上げでないとおつしやり、一方におられました安本長官は、これは皆さんの解釈の方が適当である。この経営権棚上げということは六月末か七月初めのことで、各地区の同業者代表が多分八名か十名行つたと思いますが、私どもも重大なことでございますので、経済閣僚の御臨席を願い、さらに石炭廳長官並びに生産局長そのほか皆さんもこの席には二回とも列席になつたのでございますが、当時安本案として正式か非公式か知りませんが、示されましたものによりましては、敗戰後におけるあらゆる復興の基本物資である重大な使命をもつ石炭としましてはまことに憂慮すべきことで、増産ということを見出すことができ得ないというので、私どもはその條文によりよく檢討いたしまして、皆さん議会会議におきましていろいろなさる、その期間といえども修正があれば、修正という点についてはその期間は熱心に最初から最後まで研究を続けたのでございまして、反対最初から決して反対で立ち上つたものではないのであります。そういう経路で経済閣僚会合までお願いいたしまして、われわれ代表と二回の会合を続けてもらいましたが、その当時の條文から見ますれば、増産を欲するわが國の國情といたしまして、当時発表せられ、われわれが俎上にあげて意見懇談を願いましたその條文から見ますれば、まことに憂慮すべき、反対をせねばならないような條文であつたのでありまして、それが反対を表明いたします最初経過でございます。
  38. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうしますと、経営権棚上げといういわゆる社会主義的なイデオロギーに基くものならば、もちろん反対であるが、かりにそうでなくつて増産という目的でやるのであつても、その内容を見ると増産をはかることはできないという業者諸君の見解からこれに反対である、そういうことで反対になつたわけでありますか。総代会なり、理事会なりにおきまして反対をしてない人もありましたか、全員すべて反対でありましたか。
  39. 武内禮藏

    武内証人 総代会を開きます前、なお総代会を開くまでには数度の理事会も開いておりましたので、総代会の当日はこれに反対した人は総代としては一人もなかつた記憶いたします。
  40. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなた方が反対せられたにもかかわらず、國管案法案としてだんだんでき上つて國会に上程せられるという氣運になつてつたようでありますけれども、そこであなた方は組織的な反対運動をしようということを相談をしたわけでありますか。
  41. 武内禮藏

    武内証人 われわれが今日のイデオロギーだけでなくて、これでは増産ができない、そうすればどこまでも、御理解のいくまで陳情申し上げなければならぬ。これに対してそれぞれ今から陳情運動方法を行おうということになつたのでございます。
  42. 武藤運十郎

    武藤委員長 陳情運動をしたのは陳情だけでありますか。また陳情だけによつてあなた方の目的を達すると考えておられたわけですか。
  43. 武内禮藏

    武内証人 陳情以外には、私どもとしましては――國会ですべてを決定せられることでございますから、まず当時この陳情運動方法といたしまして、閣僚各位参衆両院並びに各政党の総裁、こういう方面に向つてそれぞれこういうのになつておるが、こうしなければ増産ができません。現在示されたものによつては決して増産はできませんといつたようなことで決定的に陳情を行おうということで、方法はそれ以外の申し合せはなかつたと思います。
  44. 武藤運十郎

    武藤委員長 この陳情運動を強力に推進をすることについて特別に運動本部というようなものを設けましたか。
  45. 武内禮藏

    武内証人 設けません。
  46. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうすると、日本石炭鉱業会の役員諸君によつてこれはやつていくわけでありますか。
  47. 武内禮藏

    武内証人 大体本部というものは設けてありませんが、鉱業会がありまして、常に鉱業会は必要に應じて、さつきも申しました理事会を開催いたしまして、それぞれの人から陳情を受け、その陳情による報告を受けまして、今度はどの方面陳情を申し上げるかというようなことをやつてつた。実際の本部というものはありませんが、鉱業会はどこかに出た者が帰つてくれば、その代表の人から経過を聽き、またそのほかのものについてはほかの行動もそれぞれ打合わしてやる。次ぎ次ぎに理事会を開催してやつたわけであります。
  48. 武藤運十郎

    武藤委員長 そういう運動中心鉱業会の事務所であつたわけですね。
  49. 武内禮藏

    武内証人 そうであります。
  50. 武藤運十郎

    武藤委員長 運動をするのは相当費用もかかりますけれども、そういう費用はどういうところから出しましたか。
  51. 武内禮藏

    武内証人 日本石炭鉱業会といたしましては、賦課金もございません。また支出もいたしてないことは明らかに申し上げます。当時いろいろ皆の意見を徴しまして、おのおの自分費用でやる、自分持ちだというようなことに根本からきまつてつたのでございます。
  52. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなたは鉱業会の副会長をしておられたようでありますけれども、御自分石炭事業としてはどういう事業を経営しており、そしてその事業のどういう地位におられますか。
  53. 武内禮藏

    武内証人 私は九州でございますが、九州におきましては、九州鉱業会の副会長をしております。なお常磐、北海道、山口、九州とございますが、特に九州においては單独会員と称するものと、それ以外の中小炭鉱と称するもののブロツクがございまして、私はその中小炭鉱に属します北九州石炭会計という現在までございますが、これの社長をやつておるのでございます。
  54. 武藤運十郎

  55. 武内禮藏

    武内証人 そうであります。それから福岡採炭株式会社、これは法人でございまして、当時これの社長もやつてつたのでございます。
  56. 武藤運十郎

    武藤委員長 住所はどこにあるのですか。
  57. 武内禮藏

    武内証人 私の現住所は福岡市西新町本通り二丁目百八十五番地であります。
  58. 武藤運十郎

    武藤委員長 ここが生活の本拠で、お住いであつて東京その他へおいでになるときはどこですか。
  59. 武内禮藏

    武内証人 東京に行きます場合は、石炭に関します中心石炭廳並びに物價廳であります。石炭に関するあらゆる関係官廳にどこでも伺います。
  60. 武藤運十郎

    武藤委員長 いや、東京御用でお見えになつてつたときにはどこにお泊りになりますか。
  61. 武内禮藏

    武内証人 神田区の龍名館本店、ここに十数年來ずつと宿泊しております。
  62. 武藤運十郎

    武藤委員長 昨年反対運動をせられたころには、数回にわたつて相当長い期間龍名館にお泊りになりましたね。
  63. 武内禮藏

    武内証人 泊りました。
  64. 武藤運十郎

    武藤委員長 お泊りになつたときには宿帳をつけておりますか。
  65. 武内禮藏

    武内証人 つけております。
  66. 武藤運十郎

    武藤委員長 こんなふうにしばしば長い期間上京し、龍名館にお泊りになつたことは從來つてないことですか。
  67. 武内禮藏

    武内証人 ずつと古くたどりますれば、昭和七年ごろに六、七十日滯在したことがあります。それ以外は連続的に長期にわたつたことはまつたくございません。
  68. 武藤運十郎

    武藤委員長 昨年が一番多いわけですね。
  69. 武内禮藏

    武内証人 そうであります。
  70. 武藤運十郎

    武藤委員長 これは反対運動のために上京せられた必要からお泊りになつたわけですね。
  71. 武内禮藏

    武内証人 その点につきまして、御承知反対運動当時のその後もその前も鉱業会といたしましては、またわれわれの業をやつておる者といたしましては、金融の問題あるいは炭價の問題、今お尋ね國管でない場合は常にこの石炭業界におきまして、あらゆる行詰つておることについて政府当局その他あらゆる介在機関と折衝いたしまして、これの決定事項のためにこの期間内もずつとその行動は続けてきたのであります。滯在が長くなつた中心國管でございますが、この滯在期間内におきましても、やはり平常と変りなくそのときその季節に起りましたあらゆる石炭界困難事情当局と折衝を続けてきたことが並行してあつたことを申し上げます。
  72. 武藤運十郎

    武藤委員長 石炭國管反対のために上京せられる場合は個人御用ではないようでありますけれども、その場合の宿泊料旅費飲食費等はどういう負担になりますか。
  73. 武内禮藏

    武内証人 私は九州鉱業会から普通の定款に基く旅費その他をとつております。それ以外の支出自分負担でございます。
  74. 武藤運十郎

    武藤委員長 それではさらにこまかく伺いますが、昨年の十月十八日から十日間泊つておられたようでありますけれども、その間に田籠勝加茂泰吉両君などと同宿せられたことがありますか。
  75. 武内禮藏

    武内証人 あらゆる炭鉱メンバーの人が上つてきておりまして、今お明示になりました人たち東京に参りますれば必ず龍名館にこれまで泊ります。日にちははつきり記憶しておりませんけれども、同宿していたはずとお答えいたします。
  76. 武藤運十郎

    武藤委員長 石炭國管のため行動をともにして泊られたわけですか。
  77. 武内禮藏

    武内証人 古く調べていただけばわかりますが、今御明示になつた人たちにしましても、私たちにしましても、國管があるなしにかかわらず、みな常宿は龍名館であつたことを申し上げます。
  78. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうするとたまたま時を同じゆうして同宿する場合もあつたし、行動をともにして同宿することもあつた、こういうわけですね。
  79. 武内禮藏

    武内証人 そうです。
  80. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうしますと十一月の十四日から十日間ばかり同じく坂田金次樋口一徳岡部五郎西田卓彌などの諸君と御一緒にお泊りになつたようでありますけれども、これらについても石炭國管反対のためであつたかどうかについて御記憶ありませんか。
  81. 武内禮藏

    武内証人 その人を私は知りません。さつき加茂田籠というのは私どもよく知つておりますが、今委員長の御明示になつた人はあまり私は記憶がございません。
  82. 武藤運十郎

    武藤委員長 これは業者ではありませんか。
  83. 武内禮藏

    武内証人 炭鉱メンバーでございますか、もう一回申してください。
  84. 武藤運十郎

    武藤委員長 もう一回言いましよう。坂田金次樋口一徳岡部五郎西田卓彌、こういう諸君です。
  85. 武内禮藏

    武内証人 記憶がありません。
  86. 武藤運十郎

    武藤委員長 業者ではありませんか。
  87. 武内禮藏

    武内証人 私の知つたメンバーではございません。
  88. 武藤運十郎

    武藤委員長 ここへお泊りになつて、ここで炭鉱業者諸君國管反対のための会合を開き、協議をしたようなことはございませんか。
  89. 武内禮藏

    武内証人 龍名館としてはありません。協議をすべきことはすべて鉱業会に呼び出します。明日何時に鉱業会に集まれ、こういうことをやつております。私としまして龍名館協議行つて新しいことを議するというような正式な協議をあそこで行つた記憶はございません。
  90. 武藤運十郎

    武藤委員長 衆参両議員諸君もここへ出はいりしておる人があるのですけれども、そういう諸君とここで面会をし会談をしたことはございませんか。
  91. 武内禮藏

    武内証人 たれとですか。
  92. 武藤運十郎

    武藤委員長 衞藤速君、伊藤卯四郎君、西田隆男君、淵上房太郎君、長尾達生君、前代議士で上田清次郎君あるいは鈴木周次郎君、こういう諸君とお会いになつたことはないですか。
  93. 武内禮藏

    武内証人 あります。
  94. 武藤運十郎

    武藤委員長 全部ありますか。
  95. 武内禮藏

    武内証人 ある人とない人とあります。
  96. 武藤運十郎

    武藤委員長 それをわけてください。
  97. 武内禮藏

    武内証人 衞藤速君はここにずつと同宿でございました。向うは新館におりましたが、私は旧館におりました。これは私ども北九州石炭メンバーでございます。從來からずつとよく知つております。その次に伊藤卯四郎君は私は戰爭中からの個人関係がございます。私の宿に來ましたのは約三回くらいと記憶いたします。特に申し上げますことは、一回、二回といろいろ――はつきり申し上げますと、まだ議会に提出になつていない時代でございまして、伊藤君と腹藏ない意見交換をいたしましたが、第三回目に私の意見伊藤君の意見とに一致点が見つからずしまして、國管に関する限りもう君とは話をすまい、個人関係は長い間の関係で別だが、この問題では君とは話さない、というのが私三回目と思います。その後本人も出入りしません。私も國管問題に関して伊藤君には、その晩にそういう場面がございました限り、その後面会いたしません。それから長尾達生君は、これも北九州の私どもメンバーでございまして、一番私が会つたの長尾君でございます。数回会つております。長尾君は同じ北九州位登炭鉱というものを経営いたしておりまして、その間には全般的に金融の面もありますし、あるいは新坑開発の面もあります。そういう用件も重なつておりましたが、長尾達生君には数回会いました。さらに西田隆男君につきましては、二回來ております。二回來たきりで、それ以後は來ておりません。さらに淵上氏でございますが、淵上さんは旅館にずつと見えておつたことは知つております。あるいは廊下で会い、あるいは玄関でお会いしたことはございますが、私の部屋おいでになつたことは記憶がございません。西田君、長尾君、伊藤君は、回数の多い少いはありましても、この三人は私の部屋見えておりますが、淵上氏は私の部屋見えたことはございません。但しお見えになつていることは、先申しましたように、各所で聞き、また廊下その他で会つたこともございます。
  98. 武藤運十郎

    武藤委員長 鈴木さん、上田さんはお会いになりませんね。
  99. 武内禮藏

    武内証人 上田さんは龍名館に泊つておりましたが、やはり北九州石炭メンバーでございます。これはずつと会つております。鈴木周次郎さんという人は、たまたまあの人も、今度だけでなくて、長く泊られておりまして、何も別にこの人は関係ございませんが、衆議院の鈴木さんというお方が龍名館にお泊りになつておるということで、あるいは風呂場で、あるいは廊下で会うということで、御挨拶をする程度以外には何ものもないことを申し上げます。
  100. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなたが数回会つてお話をした諸君は、やはり石炭國管反対についてでありますね。
  101. 武内禮藏

    武内証人 だれだれですか、今のお尋ねは。
  102. 武藤運十郎

    武藤委員長 今あなたのお話になつた諸君ですね。つまり廊下で見かけたというようなことは別ですよ。二回なり三回なり、あるいは数回会つて話をしましたというのは、そのお話の主題は石炭國管反対でありますかと言うのです。
  103. 武内禮藏

    武内証人 長尾君それから西田君につきましては事業関係もございます。伊藤君はその後國管問題については全然関係がございません。なおお尋ねのようにおいでになつたときは石炭國管問題に対するお話をいたしました。
  104. 武藤運十郎

    武藤委員長 西田さんとお会いになつたのは二回ですか。
  105. 武内禮藏

    武内証人 龍名館來たことは二回と私は記憶しております。
  106. 武藤運十郎

    武藤委員長 よほど長くお話になつたんですか、夜中まで……。
  107. 武内禮藏

    武内証人 第一回に西田君が來ましたときに、夜中に私は起されたことがございます。私は酒を飲みも何もいたしませんので、そんなに夜遅くまで私の部屋で話したことはございません。
  108. 武藤運十郎

    武藤委員長 大分話が長くなつたからして、遅くなつて帰りの自動車がなくつてつてつたことがあつたそうですけれども、御存じないですか。
  109. 武内禮藏

    武内証人 知つております。それは私の部屋を出てからのことだと思います。
  110. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなたと話をして部屋を出て、どこの部屋行つたんですか、そのときもお泊りではないんでしよう。
  111. 武内禮藏

    武内証人 私は泊つておりました。あの部屋はたれの部屋でございますか、衞藤速君の部屋じやなかつたかと思います。私と話したのはそんな長時間ではございません。その後はよく知りません。
  112. 武藤運十郎

    武藤委員長 大分お酒を飲んで大きな声で話をして、花札のようなものをやつてつたという話ですけれども、御存じないですか。
  113. 武内禮藏

    武内証人 知つております。宿の人が私を起しに來ました。
  114. 武藤運十郎

    武藤委員長 何だつて……。
  115. 武内禮藏

    武内証人 私に起きてくれと言うから何事かと……。
  116. 武藤運十郎

    武藤委員長 どういう話でしたか。
  117. 武内禮藏

    武内証人 何かと聽きましたところが、ちよつと下までおりてくれと言う。行きましたら、警察の人が三人か四人おいでになつておりました。それですぐさま警察の人と同行されて行かれました。私朝早く起されて初めて知りました。
  118. 武藤運十郎

    武藤委員長 特にどうしてあなたに來てくれと言うのですか。
  119. 武内禮藏

    武内証人 私だけじやございません。やはり何人も私以外の人も女中さんが起しただろうと思います。警察の方が來られたから、女中がたまげて私の所にちよつと下までおりてくださいと言つてきたんだと思います。それ以外のことはわかりません。
  120. 武藤運十郎

    武藤委員長 吉賀先生という人を知つておりますか。
  121. 武内禮藏

    武内証人 私の秘書でございます。
  122. 武藤運十郎

    武藤委員長 いつごろから秘書をしておりますか。
  123. 武内禮藏

    武内証人 はつきり覚えませんが、もう九年か十年私のところにおります。
  124. 武藤運十郎

    武藤委員長 今でもそうでございますか。
  125. 武内禮藏

    武内証人 そうでございます。
  126. 武藤運十郎

    武藤委員長 この人の言うところによると、石炭國管反対のための運動資金として、北九州、西九州とも、トン当り十円ずつの運動費を徴收したということでありますけれども、そういうことがありますか。
  127. 武内禮藏

    武内証人 あります。具体的に申し上げますが、北九州は私が北九州会社社長をしております。基準を六月の出炭に対してトン当り十円、この金額は昨年六月の上京費用としてみなの話合いの上で醵出しました金が百八十数万円と記憶しております。なお西九州といたしましては百四十五万円出しておると記憶しております。これは北九州においては六月一箇月分に対する出炭、十八万何トンに対しての十円、百八十何万円ということになるのであります。西九州の会では、金額において百四十五万円徴收しております。
  128. 武藤運十郎

    武藤委員長 北九州が約百八十万円ですか。
  129. 武内禮藏

    武内証人 百八十万円をちよつと超しておるかと思います。
  130. 武藤運十郎

    武藤委員長 十八万九千トン……。
  131. 武内禮藏

    武内証人 そうすれば百八十九万円になりましようが、はたして百八十九万円ということはわかりません。百八十万円を超しておることは事実です。
  132. 武藤運十郎

    武藤委員長 西九州の分が百四十五万円ですか。
  133. 武内禮藏

    武内証人 そうです。
  134. 武藤運十郎

    武藤委員長 これは六月分ですね。
  135. 武内禮藏

    武内証人 これつきりです。
  136. 武藤運十郎

    武藤委員長 そのほかの大手筋の諸君はどうですか。
  137. 武内禮藏

    武内証人 大手筋の中に御承知のように二つございます。東京に本社を有する三井、三菱などの五社、そのほかに九州には五社を除いて七社ございます。これをどういう方法でなさつたかということは、これだけは自分メンバーではございませんから、はつきり知りません。
  138. 武藤運十郎

    武藤委員長 どういう方法でしたかは知らないのですね。
  139. 武内禮藏

    武内証人 存じません。自分持ちでございますから、どうなさつたかは私としてはこれだけは知りません。
  140. 武藤運十郎

    武藤委員長 しかし大体似たような方法で出したのだろうとは思いませんか。
  141. 武内禮藏

    武内証人 思いません。財閥会社、特別制限会社となつておるところは、自分任意に出すことができぬ構成になつておるのでございます。はつきり委員長に私から復命しましたように、過去におきまして石炭鉱業会は千分の六の賦課金を徴收しておりました。今回さらに協会になつて石炭炭價の水準が上りました。これまで鉱業会当時は、一トン当り六円未満の賦課金でございましたが、今回の千分の六ということになりますれば、炭價水準が現在では二千三百八十八円もいたしますので、金額におきましては相当に膨脹しております。私どものような制限会社に該当せぬ、財閥会社でないものは、必要費を出すとしましても、鉱業会の月々のきまつた会費は自由に出せますが――自由ということはありませんが、きまつたものが出せますが、このほかの制限に関連しておるものは、それぞれG・H・Q方面の了解を得なければ出されないということで、現在の協会にいたしましても、今はその当時と違いまして、地区が基本になつております。九州九州でやりますが、この大手方面の賦武金が制限会社関係鉱業会できまつた賦課金がはいらぬ。はいらぬ原因はまだ許可がとれないというこうが現実にわかつておるから、これは非常に明白だつたと思います。
  142. 武藤運十郎

    武藤委員長 しかし費用はどつちみち要るだろうと思います。どつちから醵出したんだろうと思いますが、想像がつきませんか。
  143. 武内禮藏

    武内証人 つかないことは明かであります。大手筋関係は知りません。
  144. 武藤運十郎

    武藤委員長 知らない。ただいまお話北九州及び西九州のトン当り十円というのは六月分についてですね。
  145. 武内禮藏

    武内証人 そうであります。
  146. 武藤運十郎

    武藤委員長 西九州だけは金額はわかつておりますか。
  147. 武内禮藏

    武内証人 やはりそうなつておりだろうと思います。北九州は六月に限定しております。西九州もそうなつておることを私は知つております。
  148. 武藤運十郎

    武藤委員長 六月一箇月だけですか。
  149. 武内禮藏

    武内証人 そうであります。
  150. 武藤運十郎

    武藤委員長 ずつとその後何箇月か、出炭量に應じて同様な運動資金を醵出したのではないですか。
  151. 武内禮藏

    武内証人 その金は両方合せまして三百二十五万円か二十七万円かになると思いますが、それ以外の支出と必要な金は、この金融を配分しておりました方面から私は借入金をしておることを信じております。徴收金はそれ以外にないことは明かに見ております。
  152. 武藤運十郎

    武藤委員長 巷間傳えるところによりますと、初めは七円であつて、これを十円にして十五円にしたとか、あるいは大きいところは十円で小さいところは七円だとか、いろいろ説が乱れ飛んでおりますが、そういうことはないですか。
  153. 武内禮藏

    武内証人 九州の小さいブロツクの北九州、西九州では、ただいま申し上げた通りであります。このほかの地区は存じません。また今お尋ねの六月一箇月限りかということは、一箇月限りということを明かに申し上げます。巷間傳うるところでは云々とおつしやいますが、そういうことは北九州、西九州以外の他の常磐、北海道、山口の方面は私は何ものも知りません。ただいまお答えしました範囲の方面ではそれ以外徴收いたしておりません。
  154. 武藤運十郎

    武藤委員長 しかしほかの常磐、北海道方面もやはり運動には同一歩調をとつて参加されたんでしよう。
  155. 武内禮藏

    武内証人 いたしました。
  156. 武藤運十郎

    武藤委員長 その費用はどういうふうにしたか知りませんか。
  157. 武内禮藏

    武内証人 知りません。各自持ちでしましたから、今の西九州北九州にいたしましても、今申し上げましたメンバーにしますれば、人は百何十人おりますけれども東京に來ておつたものは、交替はしたものの、三十人が四十人平均くらいにしかならぬと思います。残つておる人の費用を残つた人だけにもつてもらつてはいかぬ。みんなで話合つて交替したいたものはその費用を使うという意味で徴收したのでありますから、それで九州に関する限りはただいま申し上げたようにはつきりいたしておりますが、山口、常磐、北海道に関する限りは、私は想像にもここにこうだろうと信ずるということを申し上げかねるわけであります。
  158. 武藤運十郎

    武藤委員長 山口、常磐、北海道方面のよくわかる人はずれだかあなたは知りませんか。
  159. 武内禮藏

    武内証人 常磐石炭式会社あるいは山口石炭式会社、北海道石炭式会社は、私の方の北九州石炭式会社と等しい業務を行つております。鉱業会とは違うのでありまして、これは主として配炭公園の一部の業務それ他の業務の代行をやつておるのでございますから、そういうことをお調べになるなら、鉱業会の面から見て、現在の協会長、あるいはこの地区の株式会社社長、こういう方面にお聽きになればわかると思います。
  160. 武藤運十郎

    武藤委員長 この集めた費用運動資金の出納係はだれがやつておりましたか。
  161. 武内禮藏

    武内証人 九州の中小メンバーに関することは皆さんの話合いだつたそうでありまして、木曽重義君に皆から頼んでやつてもらつたということで、木曽重義君がその配分出納をやつたわけであります。
  162. 武藤運十郎

    武藤委員長 今お話を伺つたその集めたお金は、どういう方面にお使いになりましたか。
  163. 武内禮藏

    武内証人 金銭の出納は木曽重義君がやりましたが、大体上京しておる人たちと話し合つて、みなこの自分メンバーに対する費用方法はきめたと思いますが、一人について千五百円、それ以上使つた人は、自分負担ということで、そのために自分々々でそれぞれ支拂いは独自でございます。一日千五百円見当の金を日当旅費としてというようなことで配給しておることを知つております。
  164. 武藤運十郎

    武藤委員長 それはあなたならあなたが上京されて、各方面陳情その他の運動をせられるような場合におけるあなたの日当旅費ということで一日千五百円というわけですね。
  165. 武内禮藏

    武内証人 そうであります。ただ私は違います。私は鉱業会から定款に基く九州鉱業会としてのものをとりますが、全般のメンバーのその集めた金の配分という点におきましては、今委員長のおつしやいました通り、そのメンバー東京行つて行動をやり、滯在しておつたその人に対して一切の費用は千五百円で、あとは一切自分で賄えということになつてつたのです。
  166. 武藤運十郎

    武藤委員長 だれでもそれきりということですね。
  167. 武内禮藏

    武内証人 はい、それきりでございます。
  168. 武藤運十郎

    武藤委員長 いろいろ運動するについては会合したり会食したりしただろうと思いますが、その費用はどうなんですか。
  169. 武内禮藏

    武内証人 私は会食したことは一遍もありません。それでメンバーメンバーでどこかで会食をすれば、それはもらつた費用で、それ以上要つたならば自分負担しただろうと思います。
  170. 武藤運十郎

    武藤委員長 この約三百三十万円ばかりの金は余つたのですか、足りないのですか。
  171. 武内禮藏

    武内証人 足りないのです。
  172. 武藤運十郎

    武藤委員長 足りない部分はどうしました。
  173. 武内禮藏

    武内証人 足りないのは他から借入金をしていると思います。
  174. 武藤運十郎

    武藤委員長 どこから。
  175. 武内禮藏

    武内証人 木曽君でなければはつきりわかりませんが、その辺は御了承願いたいと思いますが、計画におきまして、六百万円ないし七百万円の範囲の金額は、それを支出するに、配当に足りない金を借入金をしていることを知つております。
  176. 武藤運十郎

    武藤委員長 有吉滿、野見山佐一、原口秀雄なんという人を知つておりますか。
  177. 武内禮藏

    武内証人 知つております。
  178. 武藤運十郎

    武藤委員長 どういう関係の人ですか。
  179. 武内禮藏

    武内証人 九州の私どもメンバーで、中小炭鉱を経営している者でございます。旅館龍名館におつたはずでございます。
  180. 武藤運十郎

    武藤委員長 やはりあなた方と一緒に國管反対運動をした人ですね。
  181. 武内禮藏

    武内証人 そうでございます。
  182. 武藤運十郎

    武藤委員長 築地の川村旅館という旅館を御存じですか。
  183. 武内禮藏

    武内証人 知つております。
  184. 武藤運十郎

    武藤委員長 どういう関係で。
  185. 武内禮藏

    武内証人 貝島太市さんがおられました。会長がおりました。
  186. 武藤運十郎

    武藤委員長 会長が泊つてつたのでそこへ行かれたわけですね。何回くらい行かれましたか。
  187. 武内禮藏

    武内証人 はつきり回数はとつておりませんけれども、十数回は行つております。
  188. 武藤運十郎

    武藤委員長 どういう用件で参りましたか。
  189. 武内禮藏

    武内証人 私が行きますのは、私並びに圓城寺君も、回数の多い少いはありますが、会長でございますから、いろいろの情勢の報告その他に伺つたわけでございます。
  190. 武藤運十郎

    武藤委員長 圓城寺さんも行つたのですね。
  191. 武内禮藏

    武内証人 圓城寺さんも行つているはずと思います。それはよく私はわかりません。
  192. 武藤運十郎

    武藤委員長 一緒になつたことはない。
  193. 武内禮藏

    武内証人 ありません。私が多いことだけははつきり知つております。
  194. 武藤運十郎

    武藤委員長 有江伊作という人はどういう人ですか。
  195. 武内禮藏

    武内証人 有江伊作という人は現在は福岡で花屋という旅館をやつている人でございます。
  196. 武藤運十郎

    武藤委員長 何かあなたと関係はないですか。
  197. 武内禮藏

    武内証人 私との関係はございませんが、貝島さんとはずいぶん古くから関係があつたらしゆうございます。あの人の行動のときは、たまたま有吉がおる場合が多うございます。そういうことは知つております。有吉は私どももよく知つた仲でございます。
  198. 武藤運十郎

    武藤委員長 別に石炭國管反対運動に参加して、何らかの運動をしたわけではありませんか。
  199. 武内禮藏

    武内証人 関係はないと思います。
  200. 武藤運十郎

    武藤委員長 九月か十月ごろに理事会を開いたときに、ただの陳情運動ぐらいしておつたのではなまぬるいというので、街頭に進出して大いに運動をしなければならぬというような強硬意見を吐いた人があるそうだが、そういう人がありましたか。
  201. 武内禮藏

    武内証人 あつたよう記憶します。
  202. 武藤運十郎

    武藤委員長 それはだれですか。
  203. 武内禮藏

    武内証人 大いに宣傳をやろうというような意見を出しました者は、田中彰二と肥田理吉君です。この二人が最も強くそういうことを考えておりました。
  204. 武藤運十郎

    武藤委員長 この意見によつて、これを実行に移したわけですか。
  205. 武内禮藏

    武内証人 そうではありません。当日は総会で非常に力説がありましたが、結局総代会では、この決定は理事会に一任することになりまして、その日は総代会は閉会して、さらに引続いて理事会を招集いたしました。その結果そういうことをやらないということに鉱業会は決議いたしました。そうして総代会理事会に一任して、理事会はやらないということを決定いたしましたために、まず最も強力な主張者でありました一人の私と圓城寺君とが呼ばれました。結局理事会に一任されたことは、やらないことになつたから承知しなさいということを申し合わしたことがあります。
  206. 武藤運十郎

    武藤委員長 新鋭大衆党とかいう名前の政府の首領だと称している眞木康年という男が、大分ビラをはつたそうだけれども、あなたの方の運動とは関係がないのですか。
  207. 武内禮藏

    武内証人 眞木康年というのは私は知りません。また私の運動にそういう人が関係していることを私は知らぬのでありますから、していないと思います。
  208. 武藤運十郎

    武藤委員長 ずいぶん盛んに、目立つほどはつたようですけれども、あなたは知らないと言うのですか。
  209. 武内禮藏

    武内証人 私も知らないし、眞木康年という人がやつたかやらないかも知らぬのです。
  210. 武藤運十郎

    武藤委員長 それではビラなんかは、だれがはつたか知りませんか。
  211. 武内禮藏

    武内証人 私は手続上のことはよく知りませんけれども、その後何とかいうものを有志が結成しまして、それが反対運動のビラをはつたということをやつたことは知つております。
  212. 武藤運十郎

    武藤委員長 有志というのは業者ですか。
  213. 武内禮藏

    武内証人 いやそうじやありませんそういうことをやろうという有志であります。
  214. 武藤運十郎

    武藤委員長 どうも物ずきな者があるのですね。それは業者ではないのですか。
  215. 武内禮藏

    武内証人 田中彰二という人は業者であります。しかし鉱業会メンバーとは関係ない。
  216. 武藤運十郎

    武藤委員長 別働隊じやないですか。
  217. 武内禮藏

    武内証人 別働隊とは違います。
  218. 武藤運十郎

    武藤委員長 そういう有志がはつたわけですね。
  219. 武内禮藏

    武内証人 そうであります。それは別に手続をして結社したとか何とかいうことをあとで聽きましたけれども、私ども関係しておりませんから詳しいことはわかりません。
  220. 武藤運十郎

    武藤委員長 費用なんかはあなたの方と関係ない。
  221. 武内禮藏

    武内証人 ありません。
  222. 武藤運十郎

    武藤委員長 一昨日見え山川さんの証言によると、あなた方業者の有力なメンバーが五班にわかれて各党あるいは有名な代議士、政治家を訪問し、あるいは官廳を訪問して陳情したと言つておるのですけれども、そういうことはありましたか。
  223. 武内禮藏

    武内証人 ありました。
  224. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなたは五班のうちのどこにはいつたのですか。
  225. 武内禮藏

    武内証人 行つた先でございますか。
  226. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうです。
  227. 武内禮藏

    武内証人 私は現在の首相の民主党総裁の芦田さんに会いに外務省に一回行きました。
  228. 武藤運十郎

    武藤委員長 五班にわかれたことはわかれたのですね。
  229. 武内禮藏

    武内証人 確かに五班であつたか六班であつたか知りませんけれども……。
  230. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなたが総指揮官じやないですか。
  231. 武内禮藏

    武内証人 そうじやありません。そういうことは理事会できめますし、われわれはわれわれとしても、やはりそういう場合はだれとだれがどこへ行こうということをやるのでございます。
  232. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなたは外務省の芦田さんのところに行つたよう記憶しておるのですね。
  233. 武内禮藏

    武内証人 記憶じやない行きました。
  234. 武藤運十郎

    武藤委員長 そのほかには……。
  235. 武内禮藏

    武内証人 そのほかにはありません。その陳情の話で行くという当時は、私の受持はそういうことであつたように思います。
  236. 武藤運十郎

    武藤委員長 五班か六班にわけたおよその行先はどこですか。
  237. 武内禮藏

    武内証人 そういうことははつきり記憶しません。
  238. 武藤運十郎

    武藤委員長 大体攻撃目標はどこですか、五班か六班の……。
  239. 武内禮藏

    武内証人 大体の陳情に行く先は各政党の総裁、あるいは経済閣僚の方、こういうふうにわけたように記憶しております。
  240. 武藤運十郎

    武藤委員長 國会とか……。
  241. 武内禮藏

    武内証人 國会は私の受持は主として議会におきまして、あるいは社会党に陳情さしてもらう、あるいは民自党に陳情さしてもらう、こういうような連絡を受けまして、そういう場合は、私か山川のどつちかが交代して代表陳情をいたしまして、あとはメンバーがやるというようなことを行つたわけでございます。
  242. 武藤運十郎

    武藤委員長 社会党にも行つたですか。
  243. 武内禮藏

    武内証人 社会党は行つたと思います。百二十人ばかり連絡をとつてお集まりを願いました。そうしてその日が一番多かつたよう記憶しております。民主党は日産館のうしろのところに行きました。民自党は議会内で部屋はよくわかりませんが陳情を行いました。
  244. 武藤運十郎

    武藤委員長 吉田総裁のところに大分そろつて行つたという話がありますが、あなたも御一緒に行かれたのではないですか。
  245. 武内禮藏

    武内証人 私も行くことになつておりましたが、その日はどうしても行かれない用件ができまして、たしか八人か九人か陳情にまかり出たはずでございます。
  246. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなたは行かなかつた
  247. 武内禮藏

    武内証人 私は行きません。
  248. 武藤運十郎

    武藤委員長 そのうちの一組が犬養健さんのところに行つたことはありませんか。
  249. 武内禮藏

    武内証人 全然記憶がございません。
  250. 武藤運十郎

    武藤委員長 記憶がないのですか。行つたことはないのですか。
  251. 武内禮藏

    武内証人 行つたことはないと思います。
  252. 武藤運十郎

    武藤委員長 そういう報告はどこからもありませんか。
  253. 武内禮藏

    武内証人 ありません。
  254. 武藤運十郎

    武藤委員長 龍名館で植原悦二郎、淵上房太郎両君にお会いになつたことがありますか。坂本實君、三人おりまして……。
  255. 武内禮藏

    武内証人 ありません。
  256. 武藤運十郎

    武藤委員長 龍名館で七月の初めごろだというのですが、植原悦二郎、淵上房太郎、坂本實、この三君のおるところであなたがお会いになつて金五十万円をあなたからお渡しになつたと言う者があるのですけれども、そういうことはありませんか。
  257. 武内禮藏

    武内証人 ありません。私植原さんには陳情するまでには会つたことがございませんが、陳情に來たとき植原さんに会いました。その後植原さんは鉱業会に二回くらいおいでになつたことがございます。いろいろ調査をするといつてほかの人を連れておいでになつたことがございますが、今お尋ね人たち龍名館見えて私が金を五十万円渡したというようなことは、毛頭ないことを申し上げます。
  258. 武藤運十郎

    武藤委員長 龍名館以外で渡したこともありませんか。
  259. 武内禮藏

    武内証人 ありません。
  260. 武藤運十郎

    武藤委員長 さきのお話の調査をするというのは、何を調査するのですか。
  261. 武内禮藏

    武内証人 それは今植原さんのお話が出ましたからそういうことでおいでになつたということを申し上げたのでありますが、あの國管案要綱の出た当時は、鉱業会にはやはり三人、五人と連れて実態調査ですか、その法案を研究される資料と思いますが、何でも見せてくださいというようなことで來られ、事務局の者がお尋ねになることをすべて御説明申し上げ、またお聽きになることをお答えするというようなことは、私は各政党ともなさつた記憶しております。
  262. 武藤運十郎

    武藤委員長 何か地方に炭鉱の視察に行くんだというような話は出ませんでしたか。
  263. 武内禮藏

    武内証人 知りません。
  264. 武藤運十郎

    武藤委員長 石炭鉱業会の帳簿の交際費という費目の中に「二十二年の五月十七日初波祭において三井、貝島その他と会食、会長の懇談会で一万六千十三円、五月二十二日金田中において会長ほか議員懇談会三万一千百五十五円、五月三十一日金田中において会長、代議士懇談会四万三千五百六十五円支拂」こういう記載があるのですけれども、これにはあなたは参加しておりますか。
  265. 武内禮藏

    武内証人 五月でございますか。
  266. 武藤運十郎

    武藤委員長 はあ。
  267. 武内禮藏

    武内証人 私はいなかつたのではないかと思います。よく記憶ございません。
  268. 武藤運十郎

    武藤委員長 いや、三回ありますから、いなかつたのではないかというのでなく、いないならいない。いたらいたと言つてください。
  269. 武内禮藏

    武内証人 何月と何月ですか。
  270. 武藤運十郎

    武藤委員長 五月十七日初波祭、五月二十二日金田中、五月三十一日金田中
  271. 武内禮藏

    武内証人 私はいません。
  272. 武藤運十郎

    武藤委員長 もう一つ、六月二十三日如月で石井商工大臣、田代、西田、井上四氏懇談会一万四千五百九十円、これは……。
  273. 武内禮藏

    武内証人 おりません。
  274. 武藤運十郎

    武藤委員長 いずれもおりませんね。その三つの中には……。
  275. 武内禮藏

    武内証人 おりません。
  276. 武藤運十郎

    武藤委員長 そういう話は聞きませんか。会長かたれかからか、そういう懇談会をしたという話は聞いておるでしよう。
  277. 武内禮藏

    武内証人 記憶ございません。
  278. 武藤運十郎

    武藤委員長 鉱業会の帳面で特別経費というのがありますが、これは何ですか。
  279. 武内禮藏

    武内証人 よく知つておらなければならぬ責任のある立場に私はおりますが、特別経費は何かとお尋ねになつただけでは、私はよくわかりませんが、わからないことは、事務局をよく調べまして、はつきりお答えしたいと思いますので、それだけの時間を與えていただきたいと思います。
  280. 武藤運十郎

    武藤委員長 二十二年の七月三十一日に、特別経費として二千百八十六万八千三百九十一円という支出があるのですけれども、これは何ですか。
  281. 武内禮藏

    武内証人 それは二十二年の七月でございますか。
  282. 武藤運十郎

    武藤委員長 七月三十一日ですね。
  283. 武内禮藏

    武内証人 それはちよつと即答はいたし兼ねますが、家を買つたのではないですか。会館を買入れました。
  284. 武藤運十郎

    武藤委員長 ではちよつとこれを見てください。     〔証人に書類を見せる〕
  285. 武内禮藏

    武内証人 摘要がありませんのでこれだけは保留させていただき、後で委員長のところまでお答えさせていただきたいと思います。     〔「そんな大きな金がわからないことはない」と発言する者あり〕
  286. 武内禮藏

    武内証人 今お示しになつたところには摘要がないのです。
  287. 武藤運十郎

    武藤委員長 たれが一番よくわかりますか。
  288. 武内禮藏

    武内証人 事務局長です。
  289. 武藤運十郎

    武藤委員長 諸君、何かお聽きすることがございますか。
  290. 徳田球一

    ○徳田委員 証人お尋ね申しますが、もと貝島炭鉱の大辻鉱業所をあなたがお買いになつたことがありますか。
  291. 武内禮藏

    武内証人 讓渡を受けたことがあります。
  292. 徳田球一

    ○徳田委員 これはあなた個人がお買いになつたのですか。
  293. 武内禮藏

    武内証人 内容は貝島同族が七でありまして、私が三であります。経営の代表には私がなつております。
  294. 徳田球一

    ○徳田委員 そうすると、大辻鉱業所という株式会社か何か……。
  295. 武内禮藏

    武内証人 まだ株式会社にまでなつておりません。
  296. 徳田球一

    ○徳田委員 そうすると合資ですか。
  297. 武内禮藏

    武内証人 そうです。近く法人に段取がついたらいたしたいと思つております。
  298. 徳田球一

    ○徳田委員 そうしたら、今は合同で買つているわけですね。
  299. 武内禮藏

    武内証人 そうであります。
  300. 徳田球一

    ○徳田委員 去年の四月ですね。
  301. 武内禮藏

    武内証人 そうであります。
  302. 徳田球一

    ○徳田委員 これの賣買の値段はいくらですか。
  303. 武内禮藏

    武内証人 三千幾百万円。
  304. 徳田球一

    ○徳田委員 はつきりしたことはわからないのですか。
  305. 武内禮藏

    武内証人 いや、整理機関関係がございましたから、両方の整理機関にあの貝島の債務あるものを踏襲する、こういうことで整理機関の了解を得たわけであります。
  306. 徳田球一

    ○徳田委員 整理機関というと、これは三つの炭鉱所をもつておりますが、これを分離するための整理機関ですか。
  307. 武内禮藏

    武内証人 違います。あそこは特別経理会社か何かの関係があつたらしいのでありまして、それを分離するとすれば、その現存機関に了解を得なければ分離ができぬということになつておるらしいのであります。
  308. 徳田球一

    ○徳田委員 そうすると大辻鉱業所と元会社の経理関係の整理のためですね。
  309. 武内禮藏

    武内証人 そうであります。
  310. 徳田球一

    ○徳田委員 三千万円以上ということでありますが、その何百万円の端数はわかりませんか。
  311. 武内禮藏

    武内証人 三千五百万円を超しております。
  312. 徳田球一

    ○徳田委員 これを現金でお拂いになりましたか。
  313. 武内禮藏

    武内証人 それは私ども拂う義務を踏襲しております。
  314. 徳田球一

    ○徳田委員 現金は一つもお拂いになつておりませんか。
  315. 武内禮藏

    武内証人 これは引継ぐ当時、五百万円の現金を入れました。これは三割で五百万円です。
  316. 徳田球一

    ○徳田委員 そうすると、あとの七割はまだ貝島の方から何も出しておらぬのですか。
  317. 武内禮藏

    武内証人 契約の内容といたしましては、つまり讓渡が済んだときに、新しい讓渡を受けるものが五百万円出すということになりました。ところがその五百万円は向うさんとしてはできないものでありますから、とりあえず讓渡に対する金額の五百万円だけを私福岡銀行から借受けまして、みんなの分を代表いたしまして五百万円を入れております。
  318. 徳田球一

    ○徳田委員 そうすると、あとの三千万円は、向うの会社が赤字であれば、それを肩代りするとか何とかするということになるわけですか。
  319. 武内禮藏

    武内証人 それは私どもに拂う義務ができておりますから、私の方から拂い込まなければならぬことになります。
  320. 徳田球一

    ○徳田委員 そうすると向うの債務を肩代りしたわけですね。
  321. 武内禮藏

    武内証人 そうであります。
  322. 徳田球一

    ○徳田委員 この問題につきまして、お尋ねするのは、これの時價を大体どのくらいに見積られますか。
  323. 武内禮藏

    武内証人 大辻炭鉱の被害陥落は約一億を超しております。この後継者の引受ける被害であります。これは一億では上りません。これに現在まで國から融資を受けておりますし、それから事業拡充資金、これが八月末で約一億円を超しておると思います。それで現在の借金の現存約一億円、当然後継者が引受ける被害が、役所でも御調査がありましたが、約一億円を超すわけでありまして、今時價がいくらかということでありましたが、結局一億円の現存の借入金、それがこつちの負担になつております。見方でございますから、ちよつとただちにお答えいたしかねます。大体今申しますように、一億の陥落と、現在一億円の拡充資金が終戰後今日までかかつている。これで二億超すわけであります。それに加うるに、今の各銀行の借りておりますものが自分の拂いになつている。こういうことに現状ではなつております。
  324. 徳田球一

    ○徳田委員 そうすると、こういう融資や何かの負債を全部あなたの方で肩代りすることになると、三千五百万円の賣買契約では肩代りはできないじやないですか。
  325. 武内禮藏

    武内証人 それは私どもの契約でございまして、今の陥落を受持つことも、今の一億借りた金を受持つということも、契約の内容でございます。
  326. 徳田球一

    ○徳田委員 そうすると総額は二億三千五百万円ということになりますか。
  327. 武内禮藏

    武内証人 そうであります。
  328. 徳田球一

    ○徳田委員 それはそうといたしまして、とにかく時價としてはどのくらいになりますか。
  329. 武内禮藏

    武内証人 それは先生方にもよく御評價を願わなければならぬと思います。それは陥落の賣買、殊にあの山はせつかくお尋ねですから申し上げますと、昭和二十二年に坑口まで水が來たのでございます。それでまた九百尺まであつたのを、四百二十尺までしか排水を終つておりません。あと五百尺浸水しております。それだから山の賣買であなたの御質問にお答えしようとすれば、なかなか打算的には今から五百尺の排水がありますし、これは見方、立て方で非常に違いがあると思います。
  330. 徳田球一

    ○徳田委員 これは炭鉱の労働組合の評價では大体三億円ぐらいに見積つているようですが、少し高過ぎますか。
  331. 武内禮藏

    武内証人 高いか安いか、今御説明しますように、今の直接の負担が一億、一億以上の陥落、これはよく役所もお調べになつております。それに今の三千五百万円、そして今四百二十尺までしか浸水したのが上つていないというのでございますから、実際問題はずいぶんあとに残された加重が大きいと思います。
  332. 徳田球一

    ○徳田委員 この問題に関して昨年の四月ごろ、石炭廳の渡邊生産局長をお訪ねになつたことがありますか。
  333. 武内禮藏

    武内証人 ありますが、どういう事項でございましようか。私は御承知のようにこちらに來ますれば、必ず石炭廳には伺いますから……。
  334. 徳田球一

    ○徳田委員 この大辻炭鉱の賣買について、渡邊生産局長お話になつたかということをお尋ねしている。
  335. 武内禮藏

    武内証人 それは形式話でなくて、私は、大辻が今水に浸つているが、あの排水は共同排水して木曽とわれわれは一緒にやつたのだが、これを自分は引受けようと思う、そういう意味の話をしたことはあります。
  336. 徳田球一

    ○徳田委員 これの評價や今後の融資関係、これを復活するためのいろいろの條件について、あらかじめ渡邊局長と懇談せられたことはないのですか。
  337. 武内禮藏

    武内証人 ありません。
  338. 徳田球一

    ○徳田委員 全然ないですか。
  339. 武内禮藏

    武内証人 ありません。
  340. 徳田球一

    ○徳田委員 それではさらに話を進めて、小澤專七郎代議士を御存じですか。
  341. 武内禮藏

    武内証人 私は会つたこともありません。
  342. 徳田球一

    ○徳田委員 御面識も何もないのですか。
  343. 武内禮藏

    武内証人 ありません。
  344. 徳田球一

    ○徳田委員 それから宇都宮さんという重役があなたの会社におりますか。
  345. 武内禮藏

    武内証人 私の方にはおりません。
  346. 徳田球一

    ○徳田委員 この分離問題に関して、労働組合と大分あなたの方とやり合われたようであります。この分離反対問題がありまして、非常に大きい紛爭が起つたようでありますが、このときに調停がなされたようでありますね。
  347. 武内禮藏

    武内証人 その通りであります。
  348. 徳田球一

    ○徳田委員 この調停の條件はもうすでに完了せられておりますか。
  349. 武内禮藏

    武内証人 私は今不幸にして過去におきましてああいう問題の起つたことを國家にも社会にも遺憾と考えておりますことをまずここに表明いたします。ところがこの問題は貝島会社が相談すべきこと、なすべきことをなさなかつたためにああいう行違いをつくつたわけでございまして、私は讓渡がなつて初めてその後を後継するものでございますために、その間長い間私は社会國家、殊に直接の勤労のお方にはまことにお氣の毒だという感じをもつているだけ、この問題について私どもが貝島氏との約束通りなつて初めて私が勤労者の人と会つて話す問題でございまして、全然第三者におりましたから……、あなたがさつきお尋ねになる小澤さん、宇都宮さんとかいう人は、もとの貝島対の関係にお方と考えます。私は当事者が違うのでございます。
  350. 徳田球一

    ○徳田委員 その調停事項はもうすでにお済みになつて実行なさいましたか。
  351. 武内禮藏

    武内証人 済んだこともあれば目下協定中になつていることもあろうと思います。この点について私は前会社の前從業員のお方と調停になつた事項をそのまま尊重して実行することを貝島氏との讓渡契約にうたつております。もとの会社が分離しても現在の労働組合と御交渉の残つているものは交渉されている。こういうことになるのでございまして、從前の会社が勤労者の皆さんと調停なさつた線を私は踏襲申し上げる、こういうことになつたのでございます。
  352. 徳田球一

    ○徳田委員 この紛爭の問題におきまして、松尾三藏君という人を御存じでありますか。
  353. 武内禮藏

    武内証人 知つておりますが、それは死にました。
  354. 徳田球一

    ○徳田委員 樋口さんという人はどうですか。
  355. 武内禮藏

    武内証人 知りません。
  356. 徳田球一

    ○徳田委員 これは大辻炭鉱にいる人でありますが、御存じありませんか。
  357. 武内禮藏

    武内証人 まだ私引受けまして日にちがございませんから、よく知りません。
  358. 徳田球一

    ○徳田委員 これで一應打切りますが、この問題についてはもう少し時日が経ちましてから、もう一遍お尋ねしたいと思います。
  359. 中野四郎

    ○中野(四)委員 私は特にこの反対運動当時のことについて少し伺いたい。この前山川さんがここへ見えての御証言と、あなたの証言と一致している点があるのは、炭鉱國管に対する反対運動をするときにあたつて大衆に理解せしめたいというのが代表者会に出て一應否決になつたことは先ほどおつしやいました。いわゆる総代会です。その後理事会が開かれて、そのときに向うでは田中彰一と言つたのですが、あなたは田中彰治と言つた――田中彰治君と、肥田理吉君の二人が強硬な発案者であるという点が一致しているのであります。そこで私はこれを重点に伺いたいのですが、肥田理吉君と田中彰治君、あなた御承知でございますか。
  360. 武内禮藏

    武内証人 田中彰治君は九州でございまして、私どもメンバーでございます。肥田さんという方は大阪の鉱業会のお方と思います。
  361. 徳田球一

    ○徳田委員 お会いになつたことはありますか。
  362. 武内禮藏

    武内証人 あります。
  363. 中野四郎

    ○中野(四)委員 これは肥田琢司君の弟でなかなか昔から知られた相当な辣腕家であることは世間周知の事実です。特に私が問いたいのは、肥田君は專門家として炭鉱業者でないのでありますが、どういう炭鉱を持つておりますか。しかもこのメンバーにはいつて理事会で一應否決されようとしたのを強硬にこれを実行に移さしめるだけの力があつたか、その点を伺いたいが、どういう会社をやつてつて反対運動当時の肥田君の発言力はどういう程度のものであつたかということを伺いたい。
  364. 武内禮藏

    武内証人 私は先生から指摘されました肥田という人の今日までの性格を実はよく知りません。大阪の代表として出て見えまして、たださつき委員長の質問に対しまして、その会場で誰々がそういうことを強硬に主張されたかというお尋ねでございましたから、主として田中彰治君と肥田理吉さんが強硬に主張されましたということをお答え申し上げたわけであります。
  365. 中野四郎

    ○中野(四)委員 そうすると反対運動には実地においてあなたが先ほど御証言になつた程度の金以外に、たとえば運動をしますビラにしましても、ないしは立看板にしましても、当時開かれました演説会あるいは人夫という金もなかなか莫大なものだと考えるが、特に新聞関係あるいは新聞記者または俗称浪人と称する方面に相当金がいつておるように私は知つておるのでありますが、その金銭を肥田君を通じてお渡しになつたことはありませんか。
  366. 武内禮藏

    武内証人 ないことを明らかに私はお答え申し上げます。
  367. 中野四郎

    ○中野(四)委員 それではこれらに相当使つておるということはおわかりになるのでありますから、どこから出ておるというふうな御想像がつくと思いますが、どうでしよう。
  368. 武内禮藏

    武内証人 それには私どもメンバーの中から誰かが寄附したものがあるだろうと考えておりますが、その他のことは全然あの別働隊の運動をいたしましたために先生のお尋ねに明瞭に答えることが私できないのであります。
  369. 中野四郎

    ○中野(四)委員 武内さんが直接おやりにならぬかもしれませんが、とにかく九月、十月という石炭國管の非常に反対運動が熾烈になりましたときにあたつて、われわれが國会の表に出ましても、ビラ立看板は猛烈なものである。また院内においてもあらゆる方面において耳にしたものであります。從つて私はあなたが直接渡さぬという御証言なればこれは私はとにかく了承いたしますが、この金が誰から寄附されておるかということを考えなければならぬのであります。すなわち肥田理吉君の過去の経歴から見ると、自分で金を出してこの運動に熱中しようというほどの人ではないと私は思う。決して肥田君を侮辱するわけではないですよ。それから肥田君が自分がすべての犠牲を拂つてあの反対運動に対する莫大な費用を全部賄わなければならぬ理由もちよつと私には明確を欠いておる。そこで自然に疑問が湧いてくるので伺いたいと思う。誰が出したか、大体私の想像から申し上げると、卒直に言えばあなたが渡さぬとしましても、先ほど委員長の質問にあつたように、大衆党の眞木という人ないしはいろいろな方面の有志の方々が反対運動に心からお手傳いしたとしても、その実費はおのおのが出費してやるということはあり得ません。從來の私らの観念から言えば、おそらくどこかに出所があるわけだ。頼むからには、あるいは頼まれればそこに了解し得る過程がなくてはならぬと思う。ここで肥田君、田中君が中心になつてつたとすれば、どこからこういう金が出てきたかということを、御想像で結構だが、あなたが最も反対運動の顯著な方であるだけに聽いておきたいと思う。
  370. 武内禮藏

    武内証人 ごもつともな御意見でございまして、あなたの常識的にお考えになることはよくわかります。肥田という人の性格なり、どういう素質の人かということは知りませんが、田中彰治というのはかなり余裕がつくのでございます。九州でやつておりまして、せつかく合理的に合点がいかんと仰しやることにお答えするのに私がまつたく不誠意的なお答えをするわけではありませんが、まつたく、あなたの御意見の通り常識的にお考えはできますけれども、私はここで社会に対してああいう別働隊をやりました内容については実はタツチしておりませんので、よく御事情はわかりますけれども、私、お答えすることは明確を欠くのでございます。
  371. 中野四郎

    ○中野(四)委員 そうしますとあなたの常識からしましても、私の常識からしてもこれは共通するのですが、どつかから金が出ておつたということは想像できるわけなんですね。
  372. 武内禮藏

    武内証人 なけらねばやれないのですが、反対連盟とか何とか会を結社したと言いますが、そういうことをいたしましても、鉱業会といたしましてさつき報告しましたように、われわれのメンバー九州だけでも二百人おります。全國では四百人もおります。この中の個人々々の行動はまつたく制約できないのでありましてはなはだ遺憾でありますが、私明確にここに御納得のいくようなお答えができないわけであります。
  373. 中野四郎

    ○中野(四)委員 賢明なあなたのことだからおそらく九月、十月というような反対運動の熾烈をきわめた時分には相当使つたということだけはおわかりになると思うが、どのくらい使つたと思召しですか。
  374. 武内禮藏

    武内証人 ビラ貼りですか。
  375. 中野四郎

    ○中野(四)委員 ビラばかりではない。これは代議士諸君だけではなく、大衆に理解せしめなければならぬという点について総代会なり理事会なりの大半がその必要はないであろうという意見の中で、肥田君と田中君が特にこの点を強調したという点については相当費用の用意もなくてはならない。そういう院外運動と申しますか、大衆に理解を求めるためにどのくらい使つたと御想像になりますか。当時のビラ、立看板あるいはそれに使つた人件費、もちろんそれに附随する消費のいろんな面もありましようが、およそどのくらいと思召しますか。概略で結構です。決してそれを盾にとるようなことはいたしません。
  376. 武内禮藏

    武内証人 少くとも四十万や五十万の金は要つたのではないかと予想はいたしますが、内容に実際はタツチしておりませんから、それ以上のお答えはいたしかねます。
  377. 中野四郎

    ○中野(四)委員 四十万、五十万とはあなたはずいぶん内輪に踏んでの話ですが……。
  378. 武内禮藏

    武内証人 わかりませんけれども先生が想像して言えと仰しやるから想像を申し上げたのです。
  379. 中野四郎

    ○中野(四)委員 私の想像からしますと、從來あれだけの看板を立てれば――今看板を立てるのにどんなに安いと言つても一本二百円以下で立てることはできない。東京中に立てたあの立看板、立看板には番号が打つてありますが、あれだけの立看板、それにビラの印刷費を計算すると四十万や五十万の端した金ではない、相当莫大な金がばら撒かれておつたことは、從來われわれが社会運動をして立看板をやりました経驗からもすぐ割り出せるのです。從つてそこに相当の大きな疑惑が生じますが、あなたが直接干與しないというのであればこれ以上聽けないでしようが、御想像を聽くだけで結構です。それからそれはだれから出たかということも大体想像はつくと思うのです。たとえば協会から金は出てないということは山川君が明確に言つております。それからあなたの方の北九州あるいは西九州の方は大体百八十万円余、あるいは百四十万円余出ておるようですが、これはあなたの証言によれば一日一人について千五百円以上の負担自分々々で拂えというように、收支の帳面はおそらくあるだろうと思いますから、そういう帳面に記載してある收支、あの中からそういう金が出ておると思いますか、それとは全然別個の金から出ていたと考えられますか。
  380. 武内禮藏

    武内証人 これは別個のものから出ていると思います。これはあなたの御質問に即答しますのでそう考えます。
  381. 中野四郎

    ○中野(四)委員 そこで一つ、伺いますが、肥田君は大阪の炭鉱業者として参加しているわけですが、田中君はどこですか。
  382. 武内禮藏

  383. 中野四郎

    ○中野(四)委員 そうすると、このブロツク、ブロツクが反対運動を構成しておつたようですが、どのブロツクから金が出ていると思召しめしですか。たとえば西九州とか、北九州とか、あるいは大阪の方とかどころに焦点がなければならぬと思いますが……。
  384. 武内禮藏

    武内証人 ごもつともな御質問でございますが、私はちつとこれにはお答えをしきれません。どこから出ているかとおつしやいますと……。
  385. 中野四郎

    ○中野(四)委員 どの方面からでも結構です。
  386. 武内禮藏

    武内証人 私が知つているのは一つ知つております。野見山佐一というのが十万円出しておるということだけは聞いております。それが何だかお取調を受けることになつているということは知つたわけであります。せつかくの御尋ねでございますけれども、それ以外のことははつきりお答えができないのであります。
  387. 中野四郎

    ○中野(四)委員 これは武内さんに特に伺つておきたい。当時反対運動中心になられたのは何といつても貝島会長武内さんということは世間周知の事実なんです。從つて先ほど武藤委員長から、あなたが総指揮官になつてつたかというような話が出たわけですが、少くとも私らが國会におりまして皆さん方の陳情を受けました際も、ないしは客観的にすべての行動を眺めておりまして、私は少くともあなたが当時相当事実上にタツチしており業界では詳しい方だと思つている。そこでこういう肥田君、田中君を通じて一般の院外運動が出たではないかと想像するのですが、これは今後肥田君に來てもらわなければわかりませんが、あなたはどう思いますか。肥田君、田中君が別働隊の中心、交渉の中心になつたようにお考えになりませんか。そうでないとほかになければなりませんが。
  388. 武内禮藏

    武内証人 むろんその人たちも加わつておりましようが、まだそれと一緒にやつた人がおるではないでしようか。
  389. 中野四郎

    ○中野(四)委員 だれでしようか。その名前を伺つておいて、証人に出てもらわなければならぬ。
  390. 武内禮藏

    武内証人 それは田中彰治君をお喚びになつてお尋ねになれば……。
  391. 中野四郎

    ○中野(四)委員 もとより田中君を喚びますが、あなたの知つている程度を……。
  392. 武内禮藏

    武内証人 内田というのを聽けばわかると思います。
  393. 中野四郎

    ○中野(四)委員 これは何をやつている人ですか。炭鉱業者ですか。
  394. 武内禮藏

    武内証人 東京の人です。
  395. 中野四郎

    ○中野(四)委員 何をやつた人ですか。
  396. 武内禮藏

    武内証人 それまでは知りません。ただ姓だけを知つているのです。内田が違つているかもしれませんが、たれかおつたことは聞き及びます。
  397. 中野四郎

    ○中野(四)委員 院外大衆に反対運動をやりますときは相当いろいろな手が伸びるもので、金もなまやさしい金では済まぬのです。それはそれとして伺つておきます。  次にもう一つ伺いたいのは、先ほど各党から代議士が鉱業会の方に、現地に調査に行つたということがありますが、そういうことがありましようか。事実炭鉱國管にすることが正しいか正しくないか、増産を阻むかあるいは増産目的を達せしむることができるかというので、現地調査に行つた。それはお聞きになつてはおりませんか。
  398. 武内禮藏

    武内証人 ちようど私どもの友人であります。これは衆議院ではありませんが、参議院の橋上保君、これは私どもメンバーでございまして、参議院に出ておりますが、たしか七月ではないかと思います。はつきりしませんが、山口縣を一緒に御一行の案内をしておつて倒れてきようまで寢ております。そういう事実があるから先生のお尋ねの点はどういう人たちおいでになつたかはわかりませんが、橋上君が山口縣を回るとき倒れて今日まで寢ております。福岡でございますが、このことを考えれば……。
  399. 中野四郎

    ○中野(四)委員 こういう場合に、視察に行くのですから、もし正式にしましても非公式にしましても、十二分に現地の実情を聽いてもらうという建前から、本來なら鉱業会なりあるいは業界を通じて現地に通知をして、適当に十二分に視察を願えるような準備をするのが、常識から言えば普通ですね。ところが、そういう過程を踏まずに行つたか行かないか知りませんが、私はそういうふうにあなたの方を一應通じてか、ないしは通ぜぬまでも、現地の方に調査にいつたという代議士さんとか、参議院議員さんのお名前は橋上さん以外には御存じありませんか。
  400. 武内禮藏

    武内証人 知りません。
  401. 中野四郎

    ○中野(四)委員 あるいは協会の方でどこどこの党の方が数名行つたとか、何名行つて調べて來たというようなことはお聽きになつておりませんか。
  402. 武内禮藏

    武内証人 橋上君は山口で倒れられましたが、私は事実そういうことがあつたかどうか存じませんから、あなたの質問に対してお答えできません。
  403. 中野四郎

    ○中野(四)委員 なぜこういう質問をするかと言いますと、私の方にもそれぞれの証拠がありまして、代護士諸君が現地の調査に行くというて調査費をとつておると聽いておるわけです。從つて調査費をとつておいて事実現地に調査に行かなければ詐欺ですから、これも聽いておかなければなりません。大分金はとつておるようですから、事実調査に行つたかどうか聽いておきたいと思つてつたのですが、もしこういうことを聽こうと思えば、どういうお方にお出でを願つて聽いたらよろしいでしようか。
  404. 武内禮藏

    武内証人 私に時日をかしていただければ、あなたの御質問にお答えができる範囲のことは、鉱業会に阿部というのが庶務課長をしておりますから、阿部君を事務局にでも呼んでいたきだまして、よく各地区を調査してみよ、そして至急に先生のところまでお知らせするように事務局を通じてやることを私はきよう連絡しておきたいと思います。阿部という庶務課長がおります。
  405. 中野四郎

    ○中野(四)委員 わかりました。それから第三点で伺つておきたい。これは先ほど委員長から質問をした点で私よく聽きとれなかつたのですが、西田代議士が第一回にあなたのところを訪ねたときには、あなたを夜中に起されたというお話でしたが、これは日にちはいつで、しかもその用件は何だつたでしようか。あなたのところに西田君が夜突如遅く訪ねてきて、夜間遅くまで打合せをして、しかる後にどういうことであつたか、遊び事にごたごたしておつた。そんなことは済んだことですからよいですが、どういう要件で、いつあなたのところを訪ねたか、この用件を聽きもらしておりますから……。
  406. 武内禮藏

    武内証人 それは初めて皆さんの前で明らかにいたしますが、西田君は私どもメンバーであります。筑前炭坑を経営しておりまして、お互い一つところのものが皆來て龍名館には大部分常宿をしておる。お前は一遍ぐらいは皆のところに來て顔を見せろ、何も言う必要はない、顔ぐらい見せることは徳義上あたり前じやないか。私は西田君が立候補するときに今まで選挙なんかせぬのに、去年私西田を應援いたしまして、責任者になりましたが、お前は近所の人が皆來ておるのに一遍ぐらい顔を出してもよいじやないかというようなことを西田君に注意したのでございます。國管の話をしようというのではない、郷里の人が皆來ておるから、顔を出すくらいのことは仁儀じやないかと西田君に注意をしまして、初めてその日に來たのが、時期はよくわかりませんが、大分後でございます。今あなたのお尋ねのように、どういう話で來たかとおつしやられましても、今私が申し上げるようなことに間違いがございません。
  407. 中野四郎

    ○中野(四)委員 それに関して、決してあなたのお話にあげ足をとるわけではありませんが、西田君の選挙運動に陣中見舞をやつておりますか。
  408. 武内禮藏

    武内証人 やつておりません。
  409. 中野四郎

    ○中野(四)委員 どういうような形で應援をなすつたでしようか。選挙事務長になられましたか。
  410. 武内禮藏

    武内証人 そうです。選挙責任者でございます。初めていたしました。
  411. 中野四郎

    ○中野(四)委員 もう一点だけ伺つておきたい。先ほどの田中君と肥田君の問題にもどりますが、反対運動の金が相当出ておるということです。相当使つたということは事実ですから、伺わぬでもわかつておるのですが、当時の状況でたれがどういうふうにこの方面の金を使つたかということは、たれに聽いたらよくわかるでしようか。
  412. 武内禮藏

    武内証人 田中です。
  413. 中野四郎

    ○中野(四)委員 田中彰治君、これの住所はわかつておりますか、委員長
  414. 武藤運十郎

    武藤委員長 わかつておりません。
  415. 中野四郎

    ○中野(四)委員 どちらへお手紙を出したらよろしゆうございますか。
  416. 武内禮藏

    武内証人 福岡縣嘉穗郡飯塚町ですか……。
  417. 中野四郎

    ○中野(四)委員 これは東京の世田谷にいつもおりはしませんか。
  418. 武内禮藏

    武内証人 よく知りません。
  419. 中野四郎

    ○中野(四)委員 一緒に泊つたことはないでしよう。
  420. 武内禮藏

    武内証人 ありません。
  421. 中野四郎

    ○中野(四)委員 東京によく泊ることがあるはずですが、御存じないですか。
  422. 武内禮藏

    武内証人 知りません。
  423. 中野四郎

    ○中野(四)委員 肥田君はやはり東京に住宅があります。肥田君の兄さんが赤坂におりましたから、東京の肥田君の住所は鉱業会の方へ聽けばわかりますか。
  424. 武内禮藏

    武内証人 わかります。
  425. 中野四郎

    ○中野(四)委員 私はそれだけ伺つておけば結構です。
  426. 佐竹新市

    ○佐竹(新)委員 証人お尋ねしますが、証人は参議院議員の大屋晋三氏を御承知ですか。
  427. 武内禮藏

    武内証人 名前は聞いたことがございますが、よく……。
  428. 佐竹新市

    ○佐竹(新)委員 大屋晋三氏は鉱工業の委員長をしておりましたね。
  429. 武内禮藏

    武内証人 参議院に陳情行つたことがあります。
  430. 佐竹新市

    ○佐竹(新)委員 この大屋氏と証人は会つたことはないですか。
  431. 武内禮藏

    武内証人 陳情に行ぎましたときは、多分お目にかかつたのではないかと思います。名刺交換を受けているかもしれませんけれども、私は膝を交えてお話したことはありません。
  432. 佐竹新市

    ○佐竹(新)委員 あなたはこの運動中心になられたということですが、あなたの方で参議院方面に向つて運動せられた人は主としてどなたですか。
  433. 武内禮藏

    武内証人 私も参議院の委員会に行きました。
  434. 佐竹新市

    ○佐竹(新)委員 参議院に行かれたら、参議院の鉱工業委員会の委員長は大屋晋三氏じやないですか。
  435. 武内禮藏

    武内証人 いや、稲垣氏です。
  436. 佐竹新市

    ○佐竹(新)委員 大屋氏は鉱工業委員ですか。
  437. 武内禮藏

    武内証人 稲垣さんがおられますから、あなたのお尋ねの大屋さんもおられたじやないかと思います。
  438. 佐竹新市

    ○佐竹(新)委員 何か委員長か委員をしておられたその人と、いわゆる個人的に会われたことはないですか。
  439. 武内禮藏

    武内証人 ありません。
  440. 佐竹新市

    ○佐竹(新)委員 主としてあなたが参議院に行かれたですか。
  441. 武内禮藏

    武内証人 いや、主としてではありません。
  442. 佐竹新市

    ○佐竹(新)委員 ほかの人はどういう人が行かれましたか。
  443. 武内禮藏

    武内証人 幾通りもございますから、大分代る代る行つたんじやないかと思います。
  444. 佐竹新市

    ○佐竹(新)委員 もう一点お尋ねしますが、ただいま中野委員から問われた肥田理吉氏は、私も廣島縣で個人的にも知つておりますが、この大屋氏と肥田氏とは非常に懇意の関係にあることをあなたは御存じないですか。
  445. 武内禮藏

    武内証人 よく知りません。
  446. 徳田球一

    ○徳田委員 もう一点お尋ねしますが、あなたは非常に有名な代議士の平野力三君を知つておりますか。
  447. 武内禮藏

    武内証人 名前は知つております。
  448. 徳田球一

    ○徳田委員 この石炭國管問題に関してお附合いをしたり、話をしたことはありませんか。
  449. 武内禮藏

    武内証人 ありません。
  450. 徳田球一

    ○徳田委員 久保山雄三さんという方を御存じですか。
  451. 武内禮藏

    武内証人 知つております。
  452. 徳田球一

    ○徳田委員 「日本石炭鉱業大観」とかいう本を出しているじやないですか。これは鉱業や何かと関係がありますか。
  453. 武内禮藏

    武内証人 今直接の関係はありません。いろいろ出版物を出すときに、本を買うてくれというような申込みによつて買う場合もあれば買わぬ場合もあるという関係に現在あると思います。
  454. 徳田球一

    ○徳田委員 炭鉱業者の特別のお抱えの宣傳家というふうな関係にあるわけですか。
  455. 武内禮藏

    武内証人 それは行いによりまして……。久保山雄三君はほかは知りませんが、すでに十数年前くらいの九州炭鉱業者はよく知つております。新しい炭鉱業者は知りませんが、古くやつておる人は久保山雄三君は知つております。それ以上のことは私は知りません。
  456. 徳田球一

    ○徳田委員 何か特別の宣傳活動や何かに関係はないのですか。
  457. 武内禮藏

    武内証人 ありません。
  458. 徳田球一

    ○徳田委員 今度の石炭國管に関して特別大衆宣傳や何かとの関係は全然ありませんか。
  459. 武内禮藏

    武内証人 ありません。
  460. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 閉鎖機関になつたのは二十二年ではなくて二十三年の間違いではないかと思いますが。
  461. 武内禮藏

    武内証人 二十三年でございます。御訂正願います。
  462. 石田一松

    ○石田(一)委員 ちよつとお尋ねします。先ほど中野委員からもお尋ねしましたが、要するに大衆運動を行うということでポスターをはるとか何とかいうことは総代会理事会に一任されたので、引続き理事会を開いてこれは否決した。そうすることの理事会は速記録か何かをとつて理事会を開きますか。それともただ單に議事結というメモの程度でございますか。
  463. 武内禮藏

    武内証人 署名はしますが速記録はとつておりません。
  464. 石田一松

    ○石田(一)委員 それではちよつとお尋ねしますが、その理事会の席上で、これをもし鉱業会でやることになると、後日鉱業会がその責任を負うことは迷惑をするので、鉱業会としては一應お断りしましたが、これは個人としておやりになるならばわれわれがいかんともすることはできぬというような発言があつたはずですが、そういう発言があつたのではないのですか。
  465. 武内禮藏

    武内証人 そういうことは理事会が一任を受けたが、理事会としては結局やらないということになつたから、爾後の総代会における決議としてやります、こういうことでやつたのであります。
  466. 石田一松

    ○石田(一)委員 山川氏の証言の中に、理事会ではこれを取上げないということを決定したが、決定以外に個人個人業者が勝手になされることまで理事会の責任にはならぬからという意味の言葉があつた、だから理事会でそうした発言がなされたのではありませんか私は聽いておる。
  467. 武内禮藏

    武内証人 会の行動個人的の制約ができぬということはわかつております。先生がお尋ねになるようにそういう含みがあつてそういうことを言わなかつたということですか。
  468. 石田一松

    ○石田(一)委員 そうです。
  469. 武内禮藏

    武内証人 記憶いたしません。
  470. 石田一松

    ○石田(一)委員 もう一つお聽きいたしたい。神田の龍名館西田君があなたをお尋ねしての帰途、桐の五号とかいう部屋で花札をやつていた。そこへ警官が踏みこんでいつてあなたは起された。警察に同行なされましたか。
  471. 武内禮藏

    武内証人 行きません。
  472. 石田一松

    ○石田(一)委員 賭博といつてもただ花札をもつて、遊んでいただけで、何ら財物などは賭けていたものではないということになつてきのう旅館主からの証明もあつたのですが、私たちの聞くところによりますと、炭鉱業者はそういう場合があつても現物は賭けないということですね。要するに炭鉱業者は、少くとも九州方面における人は口と口との男の口約束で五十万という約束をしてやれば、後日でも相手から催促されればそのときの約束のものは必ず支拂う。あるいはまたそうした賭博のために特殊な切符が用意してある。その切符を渡しておいて後日その切符に責任を負わないような者は相当猛烈な制裁が加えられる。こういう長い業者間の習慣というか何かある。だからこの場合特に炭鉱業者の大元締というか先輩にそういうことがあるかどうかということを聽いておきたいと思います。
  473. 武内禮藏

    武内証人 私はばくちをちつともやらぬので、そういうような慣習があるかと先生はお尋ねになりますが、これは專門家以外には知りません。
  474. 石田一松

    ○石田(一)委員 いや、それは一般炭鉱業者仲間では普通に……。
  475. 武内禮藏

    武内証人 私卒直に申しますが、炭鉱業者が五十人おりまして一人か二人しかやりません。百人おつたら五人か六人しかやらぬだろうと思います。特殊な人はそういうことはございますが、今の人でやる人はそうおりません。私がやりませんから知りません。
  476. 石田一松

    ○石田(一)委員 最近の話で、賭博で自分のもつておる炭鉱を賭けてとられたという人はありませんか。
  477. 武内禮藏

    武内証人 それはないでしよう。炭鉱をとられれば讓渡しますから、私が一番よくわかります。(「そんなことは関係ない」と呼ぶ者あり)
  478. 石田一松

    ○石田(一)委員 ある委員から関係がないという話ですが、非常に賭博が関係しておると思う。議員に金を與えるときにただ與えていない。議員と業者が賭博をしておる。もし最後にわかつたときには、賭博で金をとられたという形式で議員に金がばらまかれておる。こういう感じがしておる。そこで私は賭博に関して特に習慣があるのではないかと思う。御存じならばここで証言してもらいたい。
  479. 武内禮藏

    武内証人 私は知りません。私が行きましたときは警官がおられまして、私はついていきませんが、すぐさま警官が同行されまして、警察でよくお調べになつておると思います。御質問にお答えしてないと思いますが、そのままお答えいたします。
  480. 中野四郎

    ○中野(四)委員 ちよつと聽き漏らしておりましたが、北九州の方や西九州の方が六月の出炭量についてトンいくらということで集められた金が三百二十五万円、それで足りなくて結局六百万円または七百万円の借入金をしておることは知つておるというお話でしたが、この金はどういう方面に使われたのでしようか。たとえば一日一人千五百円で初め予定した金が三百二十五万円かあるいは四百万円もあればいいと思つたものが、不足したので結局こういうふうになつたと思うが、その金がどこに使われたかということは明確になつておりませんが……。
  481. 武内禮藏

    武内証人 それはさつき委員長に答えました。木曽重義君がその金の出納、割振りをやつております。
  482. 中野四郎

    ○中野(四)委員 從つて木曽重義君がお見えになれば全部わかるということですか。
  483. 武内禮藏

    武内証人 そうです。
  484. 中野四郎

    ○中野(四)委員 先ほど伺つたのはおもに院外運動の問題ですが、反対あるいは反対であるなしにかかわらず、新聞記者あるいは新聞社ないしは代議士外の方々に金をやられた事実がありますか。
  485. 武内禮藏

    武内証人 私直接はないと思います。ところがそれは木曽君がいずれ明確に内容の説明をいたしますから、そのときにあるいはそういうものがあるかもわからぬと思いますけれども自分は出納いたしませんから。
  486. 中野四郎

    ○中野(四)委員 報告は聽いておりませんか。
  487. 武内禮藏

    武内証人 内容の報告は、雜費とか主要なことは木曽君が帰つて代表を集めましてみなの人に報告はやりました。そういううちに包含されておれば、お聽きくださいますればはつきりすると思います。
  488. 中野四郎

    ○中野(四)委員 あなたは大体責任者として報告は聽いておりませんか。
  489. 武内禮藏

    武内証人 報告は聽いております。
  490. 中野四郎

    ○中野(四)委員 わかつておることがあれば、ここで述べていただきたい。
  491. 武内禮藏

    武内証人 その範囲が、雜費というものの中に内訳がございますので、明確でありませんから、お尋ねの点は木曽君にお尋ねになればわかると思います。
  492. 中野四郎

    ○中野(四)委員 あるいはおいでつてもう一遍聽かなければならぬ点が出てまいりましようから、この程度でやめておきます。
  493. 武藤運十郎

    武藤委員長 宇都宮君。
  494. 宇都宮則綱

    ○宇都宮委員 築地の清川という待合か旅館を御承知になつておりますか。
  495. 武内禮藏

    武内証人 知りません。
  496. 宇都宮則綱

    ○宇都宮委員 それではこの國管問題のときに新党問題も持ち上つてつたが、新党という名前において運動費か何かお出しになつたことはないですか。
  497. 武内禮藏

    武内証人 ありません。
  498. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 石炭國管問題については各政党に業者の方でたいへんな運動をせられたということを私どもは見聞しているのですが、大体当時の自由党は最初から反対を声明しておる関係上、業者運動は主として國管案を骨抜きにするということから、とにかく賛成する方面に向けられたと聞いておりますが、そういう事実はありませんか。自由党は最初から反対しているんだから運動する必要はない。國管案に賛成しておる方面へ主として力を入れて運動せられたというように聞いておりますが、そういうことはありませんか。
  499. 武内禮藏

    武内証人 私どもは、先ほどから委員長に答えましたように、あの示されたものでは現下の増産法とは言われないということで御陳情申し上げて、國会において減産にならないようにしてもらわなければならないということのために行きましたから、與党のお方であろうと、野党のお方であろうと、皆さんに私ども陳情をいたしたのであります。
  500. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 それはそうでしようけれども運動方法として、むだな運動をする必要はないので、なるべく有効適切な運動をすべきですから、あなた方の目的を達成するのに最も障害となる方面に対して主力を注ぐというような、そういう行き方はなかつたですか。
  501. 武内禮藏

    武内証人 私の方としましてはどこに集中するとかいうことはございません。
  502. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 この石炭國管問題で一億円とかなんとかたいへんな金が政界にばらまかれたというふうにうわさが飛んでおりますが、そういう事実はどうですか、考え方によると火のない所に煙は立たぬということがありますが、そういううわさが立つ原因などについて、お心当りはございませんか。
  503. 武内禮藏

    武内証人 私どもの伺つたところではトン十円とすれば、あるいは一年に何千万円とか何億円とかとれるというお話のあることも耳に直接はいりますけれども、われわれの徴收した金ははつきりわかつております。皆さんに先ほどお答えした通り、それぞれ運動員を限定しまして、費用はつきり與えておりますから。それ以上に個人個人がどういうふうに使つたか、それは別でございます。
  504. 武藤運十郎

    武藤委員長 他に御質問はございませんか。――それでは済みました。御苦労さまです。     ―――――――――――――
  505. 武藤運十郎

    武藤委員長 それじや衞藤さんに伺います。昨年いわゆる國管案が上程される前後に、業者國管案反対ということをやつたようですが、その当時の実情を詳しく述べてください。
  506. 衞藤速

    衞藤証人 その当時の実情と申しますと……。業者の立場からですか。
  507. 武藤運十郎

    武藤委員長 まず業者から……。
  508. 衞藤速

    衞藤証人 業者の立からの説明としますならば、私は当時鉱業会に席はありましたが、その会合には一回も出ていないので、その内容は何らわかりません。
  509. 武藤運十郎

    武藤委員長 業者の方の運動については、その内容は全然御存じないわけですか。
  510. 衞藤速

    衞藤証人 全然関係しておりません。おそらく存京中といえども鉱業会の事務所にすら一回も顏を出したことはありません。
  511. 武藤運十郎

    武藤委員長 議員として反対運動をされましたか。
  512. 衞藤速

    衞藤証人 私はその当時業者の立場からでなくして、あの反対はもちろん業者の立場も伴つておりますが、鉱工業委員としての立場から反対しました。
  513. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなたは鉱工業委員の一人として、あなた個人として、あなたの立場からあなた一人で反対したというだけでありますか。
  514. 衞藤速

    衞藤証人 そうです。
  515. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは業者と当時接触してそういう話をしたり、あるいは連絡等に当つたりしたようなことはございませんか。
  516. 衞藤速

    衞藤証人 業者とは私が龍名館に止宿しておる関係上、あそこに泊られた方何人かから龍名館でよろしく頼むという言葉を受けましたが、國管案反対については何ら協議したことはありません。
  517. 武藤運十郎

    武藤委員長 武内禮藏とか木曽重義とかいう諸君とお会いになつたことはございますか。
  518. 衞藤速

    衞藤証人 あります。武内氏はもちろん私の方の会社の方でありますし、木曽君は重役でありますし、ほかの方にも会うには会いましたが、それでこうこういう話をしたということはございません。なおまた私は当時社会党に籍を置いておつた関係上、業者も私の行動には多少不審な目をもつて見ておつた。その関係上いろいろな反対運動内容については、私には何ら相談がなかつた
  519. 武藤運十郎

    武藤委員長 深津玉一郎君、西田隆男君、淵上房太郎君、長尾達生君などと國管のことでお会いになつたことはありますか。
  520. 衞藤速

    衞藤証人 國管のことでは私はお会いしたことはありません。院内では会いましたが、長尾氏とは御承知の通りの立場で、あまり何したことはないのです。
  521. 武藤運十郎

    武藤委員長 九州方面で、昨年六月にトン当り十円ずつ集めて運動費として使つたということは御存じですか。
  522. 衞藤速

    衞藤証人 そのことについては、私ははつきりわからないことですが、うちの係員の者が鉱業会会員だし、私は代議士当選以來炭鉱の会には全然出ていないので、その内容についてもよく知りません。
  523. 武藤運十郎

    武藤委員長 集めたということは御存じですか。
  524. 衞藤速

    衞藤証人 それは私はどの程度の金が出ておるか。毎月会費としては大体二円か三円ずつの会費をとつてつた。それ以外の金はどういうようにとつてつたか私にはわかりません。
  525. 武藤運十郎

    武藤委員長 武内禮藏さんとか上田清次郎さんとかいう人の手を経て、あなたの方へ國管反対のための費用のようなものがいつたことはありませんか。
  526. 衞藤速

    衞藤証人 ありません。
  527. 武藤運十郎

    武藤委員長 國管反対のために費用を受けとつたことも、費用を出したこともありませんか。
  528. 衞藤速

    衞藤証人 ありません。
  529. 武藤運十郎

    武藤委員長 國管反対についてあなたは何か関與されたことはありませんか。
  530. 衞藤速

    衞藤証人 関與したような覚えはございません。ただ自分は委員の立場から反対したのでありまして、と同時に自分業者であるがゆえに反対したのでありまして、何もほかの方面との連繋はなかつた。今申し上げるように、私にいろいろ相談をすれば、結局その内容が漏れるのではないかというような当時の鉱業会の氣分があつた。それでほとんど私には相談がなかつた
  531. 武藤運十郎

    武藤委員長 國管案に対しては、あなたは委員会及び本会議においてどういう態度をとりましたか。
  532. 衞藤速

    衞藤証人 委員会においては大体採決のときは棄権しました。
  533. 武藤運十郎

    武藤委員長 本会議では……。
  534. 衞藤速

    衞藤証人 本会議でも棄権をしました。
  535. 武藤運十郎

    武藤委員長 棄権せられました理由を伺えますか。
  536. 衞藤速

    衞藤証人 それは案自体には反対でありました。当時社会党の提案であるがゆえに、私はこの法案自体には反対ですが、社会党の立場を保つために、私は反対決議を決心して棄権しました。
  537. 武藤運十郎

    武藤委員長 何かお尋ねになることはございますか。
  538. 中野四郎

    ○中野(四)委員 九州鉱業会の方の互助会にはあなたは御関係がありますか。
  539. 衞藤速

    衞藤証人 互助会の会員ではありまするが、ただいま申し上げましたように、私はその会の会合にはまつたく出席していないのです。うちの社員をもつて出席さしておる。その内容についてはわかりません。
  540. 中野四郎

    ○中野(四)委員 互助会以外に西九州の方から反対運動の金が少し集まつたと聞いておりますが、これはトンあたりいくらという正規のもの以外に、有志の者が出したように聞いておりますが、その点御存じありませんか。
  541. 衞藤速

    衞藤証人 西九州との縁は私どもの方は非常に遠いので、そういう関連性のあることはまつた承知しておりません。
  542. 中野四郎

    ○中野(四)委員 当時反対運動が一般大衆に理解を願えるようにということで、猛烈にいわゆる院外運動が起つたことは御承知の通りですが、その金の出所が明白でない。もとよりあなたが御存知かどうか存じませんけれども、大体どこから出たかということについて、御存じでありましたら述べていただきたい。
  543. 衞藤速

    衞藤証人 そのことについてはただいま申しました通り、私は社会党に席を置いておつた関係上、鉱業会の方々は私に対しては多少疑倶の点をもつておりましたので、秘密というものは全然私にはあかしておりません。まつた承知しておりません。
  544. 中野四郎

    ○中野(四)委員 あなたが業者として考えて、相当な金が使われただろう。つまり國会方面でなく、ああいうビラをはつたり立看板をやつたりして大勢の人夫を使つておりますが、こういう金はいくらくらい出たとあなたの長い間の経驗で想像されますか、あるいはどのグループがそれをおもに相当しておつたという点について、あなたの知つておられる程度、感じられておる程度を述べていただけば結構です。
  545. 衞藤速

    衞藤証人 そのことについては、金の限度等については私は相談を受けていないのでわからぬ。どの方面でそういう院外運動をやられたか、それも私にはわかりません。
  546. 中野四郎

    ○中野(四)委員 ちよつと衞藤君には聽きづらいのであるけれども、ここではかみしもを着て伺わなければならぬのは、当時社会党の中でも俗に平野派と言われておる人々が、相当この國管反対方面におつて理解が深かつたと聽いておる。從つて衞藤さんの方には相当猛運動があつたのではないか。いわんや業者であるから十二分にこの運動過程において御存じだろう。今欠席の理由を伺いましたが、どうもピンとこない。私は今のようなことを聽いたのですが、それは先ほどの武内君の証言もあり、山川君の証言がありまして、大阪の肥田理吉君が大分中心になつたようです。また田中彰治君というものも大分中心になつてやられたようですが、この金額は私は何十万というわずかのものじやないと思います。今のビラの印刷代にしましても、あるいは立看板、あるいはそういうような運動に從事した人夫賃等を考えましても、相当の金額になつておる。もつとも今の時代とすれば、百万や二百万は微々たるものでありますけれども、こういうものはこういうもので衝いて行きませんと、調査の目的が達成できませんのでお伺いするのです。
  547. 衞藤速

    衞藤証人 そういう方面からは、たびたび申しますように、私は何ら相談を受けていないので、その内容については全然わかりません。
  548. 徳田球一

    ○徳田委員 ちよつとお伺いしますが、炭鉱業者で、主としてこの炭鉱國管反対したのは中小企業家のように思いますが、それはどうでしようか。あなたもその一人であると思いますが。
  549. 衞藤速

    衞藤証人 その点は私自体が中小鉱業者である。私はそれによつて反対したのであります。他の人はどういう方向で反対したかわかりません。私個人はそうであります。
  550. 徳田球一

    ○徳田委員 中小鉱業者反対する理由はどこにあつたのですか。
  551. 衞藤速

    衞藤証人 中小鉱業者反対理由は、私の反対の立場と違つておりましようが、私の反対はあの法案によつて石炭増産されないということにおいて反対したのであります。
  552. 徳田球一

    ○徳田委員 そうではなくして、むしろこれは大企業家の方に有利であつて、そうして國家からの融資その他は大企業家の方にとられて、中小企業家の方は融資その他を受けるのにも非常に不利の立場に立つ、その他労働者に対する配給物やいろいろの点に対しても、非常に不利な立場に立つ、それゆえにどうしてもこれは反対せざるを得ないということが根拠ではないのですか。
  553. 衞藤速

    衞藤証人 大体そういう点も多少は加味していましようが、私の場合はただいま申し上げましたように、議員の責任においてそういう立場から反対をしたのであります。同時に自分が鉱業権者であるがゆえに反対したのであります。ほかの人たちとそういう方面の話合いや連繋等はまつたくなかつたのであります。
  554. 徳田球一

    ○徳田委員 私は中小企業家が反対せられる理由は相当にあると思います。これは独占資本家が炭鉱を独占しようという一つの陰謀もありますから、それは相当に反対する理由があると思いますが、それを正面にとらえて運動すると非常に有利だつたと思います。しかるにそこにかなり不明朗なものがあつたのではないかと思います。それで反対運動は主として中小企業家の方がなされて、その方面から金が出ていて、大企業家の方は非常に冷淡であつたように思いますが、それはどうですか。
  555. 衞藤速

    衞藤証人 さつき申し上げましたように、金の出た出ないということはまつたく私はわからないのでありまして、ちよつとそのことについてはお答えができないのであります。金が出たか出ないかわからぬという理由は、今申し上げますように、何ら鉱業会におきまして私には相談もしないし、鉱業会会員として何ら関與したことはありません。東京に來ましても、鉱業会会議に一回も行つたことはございませんし、また鉱業会館にはまだ一回も行つたことはないのでありまして、非常に縁が遠くなつておるのであります。
  556. 徳田球一

    ○徳田委員 このことに関しては何らこまかい事情は……。
  557. 衞藤速

    衞藤証人 その内容はまつたくわからないのであります。
  558. 徳田球一

    ○徳田委員 わからないのですか。それならよろしゆうございます。
  559. 武藤運十郎

    武藤委員長 ほかにございませんか――それでは済みました、御苦労さまです。     ―――――――――――――
  560. 武藤運十郎

    武藤委員長 中川さんですか、あなたは旅館をしておられるのですね。
  561. 中川とり

    中川証人 はい、さようでございます。
  562. 武藤運十郎

    武藤委員長 岡部得三さんという人は常宿にしておるのですか。
  563. 中川とり

    中川証人 はい、お泊りになつておられます。
  564. 武藤運十郎

    武藤委員長 どういう関係でお泊りになるようになつたのですか。
  565. 中川とり

    中川証人 以前に三喜旅館というのをやつておりましたが、そのときからずつと泊つていらつしやいました。
  566. 武藤運十郎

    武藤委員長 昨年の七月ごろから十一月ごろまでの間に代議士、参議院議員でお泊りになつた方はありませんか。
  567. 中川とり

    中川証人 代議士でお泊りになつた方は、ときどき岡部さんの所にお泊りになつた方は、椎熊さんとか、坪川さんとかで、そのほかに代議士でお泊りになつた方はありません。
  568. 武藤運十郎

    武藤委員長 椎川三郎さんですね。
  569. 中川とり

    中川証人 名前は知らないのですが……。椎熊さんとか、坪川さん、それに橘さんという人もいらしたようでございます。ほかには別に代議士の方はいらつしやらないと思います。
  570. 武藤運十郎

    武藤委員長 この三人の人はときどきお泊りになつたのですね。
  571. 中川とり

    中川証人 ときどきでございます。岡部さんを訪ねていらして、夜遅くなつて泊りになることがありました。一箇月に一度か二度くらいじやないのですか。よく覚えておりませんが。
  572. 武藤運十郎

    武藤委員長 岡部さんを訪ねてきて話をして遅くなつて泊る、大概そういうわけでございますか。
  573. 中川とり

    中川証人 はい。
  574. 武藤運十郎

    武藤委員長 何の話にきたかおわかりになりませんか。
  575. 中川とり

    中川証人 私はお座敷にあまり出ませんものですから……。
  576. 武藤運十郎

    武藤委員長 入交太藏という人は泊りましたか。
  577. 中川とり

    中川証人 はあ、泊りました。
  578. 武藤運十郎

    武藤委員長 これも岡部さんの関係で泊つたのですか。
  579. 中川とり

    中川証人 そうではございません。私が以前に田町で料理屋をしておりましたときによく來られた方であります。今度旅館を始めたと申し上げたから、それを聞いてお泊りになつたのでございます。
  580. 武藤運十郎

    武藤委員長 それから前隈さんとか飯田さんとかいう人は……。
  581. 中川とり

    中川証人 この方は岡部さんの方の方じやないのですが、顔もわからないくらいですし、お目にかかつたことはありません。
  582. 武藤運十郎

    武藤委員長 何か若松かどこかから岡部さんを訪ねてきた人ですね。
  583. 中川とり

    中川証人 はい。若松かどこかから岡部さんを訪ねていらつしやつた方じやございませんか。岡部さんの会社関係の方じやございませんか。
  584. 武藤運十郎

    武藤委員長 西尾守、綾部健太郎、内田新、福井暉二、堀井茂、長尾正夫、吉岡白之、こういう諸君を御存じですか。
  585. 中川とり

    中川証人 綾部さんが一番存じ上げております。綾部さんは、以前料理屋をしておりました時分によくいらした方で、それはよく知つておりますが、そのほかの方は私はほとんど存じておりません。
  586. 武藤運十郎

    武藤委員長 泊つたことがあるかないか知らないのですね。
  587. 中川とり

    中川証人 はい。
  588. 武藤運十郎

    武藤委員長 泊つた人は、宿帳についておる通りですね。
  589. 中川とり

    中川証人 その通りでございます。
  590. 武藤運十郎

    武藤委員長 西尾守という人を知つていますか、新聞社の人とかいう……。
  591. 中川とり

    中川証人 それはやはり福岡縣の方ではないかと思います。よく存じあげませんが、西尾さんという人がよく泊まつたことは知つております。
  592. 武藤運十郎

    武藤委員長 きのう見えたあなたの店の人は、これが西日本新聞の記者だというようなことを言つてつたのですが、新聞社の方では、それは自分の方の新聞社の記者ではないと言つておるようでありますが、あなたはわかりませんか。
  593. 中川とり

    中川証人 わかりません。
  594. 武藤運十郎

    武藤委員長 石炭國家管理反対というような運動があつたことを、あなたは知つておりますか。
  595. 中川とり

    中川証人 よく存じません。
  596. 武藤運十郎

    武藤委員長 何か御質問はありますか。
  597. 佐竹新市

    ○佐竹(新)委員 お尋いたしますが、あなたのところに帝人の社長の大屋普三さんは出入りされますか。
  598. 中川とり

    中川証人 はあ。
  599. 佐竹新市

    ○佐竹(新)委員 大屋普三さんとあなたとはどういう御関係ですか。
  600. 中川とり

    中川証人 どういう関係と申しますと――ただのお客さんでございます。
  601. 佐竹新市

    ○佐竹(新)委員 大屋普三さんはあなたのところへ再々泊まられたことはありますか。
  602. 中川とり

    中川証人 再々ではございませんが、宿帳についているときは泊まられました。
  603. 佐竹新市

    ○佐竹(新)委員 宿帳にはついておりますか。
  604. 中川とり

    中川証人 ついていると思いますが、私は知りません。
  605. 佐竹新市

    ○佐竹(新)委員 相当あなたのところに泊まつておりますが、あなたは大屋晋三さんの東京の自宅はどこにあるか知つておりますか。
  606. 中川とり

    中川証人 存じあげません。何か帝人の寮か何かあるのではございませんか。そこへいらつしやるのに遅くなつたからと言つて、いらつしやつたことはあると思います。
  607. 佐竹新市

    ○佐竹(新)委員 よくお泊りになりますね。
  608. 中川とり

    中川証人 よくではございません。
  609. 佐竹新市

    ○佐竹(新)委員 あなたのところに國管の最中に、だれか代議士ならびに參議院議員の人が集まつて、大屋さんもその席に列席されて飲まれたという事実はありますか。
  610. 中川とり

    中川証人 そういうことはございません。
  611. 佐竹新市

    ○佐竹(新)委員 あなたが旅館をやられる前に、三喜ですか、どこですか、あそこへも出入りされましたか。
  612. 中川とり

    中川証人 そのことは存じあげません。
  613. 徳田球一

    ○徳田委員 あなたのところで武内禮藏さんという人は知つておりますか。
  614. 中川とり

    中川証人 存じあげません。
  615. 徳田球一

    ○徳田委員 全然知りませんか。
  616. 中川とり

    中川証人 はい。
  617. 徳田球一

    ○徳田委員 岡部さんなどがたくさん集まつて宴会をなされたようなことはありませんか。
  618. 中川とり

    中川証人 私どまでは大勢集まつて御宴会をされるような室はございません。それで宴会をされるようなことは絶対にございません。岡部さんのお泊りになつた部屋は、六疊と二疊の部屋でございまして、八疊より大きな部屋は一つもないのでございます。以前料理屋をしておりましたときは、五十人でも六十人でもできる部屋がありましたが、戰災で燒けてしまいましたから今はできません。
  619. 徳田球一

    ○徳田委員 宴会は小さくもできますが、その勘定ですね。一晩お泊りになるとどれくらいですか。
  620. 中川とり

    中川証人 九十円でございます。
  621. 徳田球一

    ○徳田委員 これは公定ですか。
  622. 中川とり

    中川証人 公定でございます。
  623. 徳田球一

    ○徳田委員 公定以外には何もないのですか。
  624. 中川とり

    中川証人 いえ岡部さんはときどき心づけとしてくださいまして、大したものではございませんけれども五百円のときもございますし千円のときもございますが、そういうときは私の方もちよつとお料理をよくすることはあります。
  625. 徳田球一

    ○徳田委員 公定九十円くらいで合いますか。
  626. 中川とり

    中川証人 合うようなものしか差上げてないのでございます。
  627. 徳田球一

    ○徳田委員 心づけは別に皆がくれるわけではないでしようが、一日どれくらいになつておりますか。
  628. 中川とり

    中川証人 一日どれくらいときまつておるものではございません。その方のお心持でくださるので、千円くださるときもございますし、またないときもございます。
  629. 徳田球一

    ○徳田委員 それを平均して見積つてみないと、やはり商賣にならないのじやないでしようか。
  630. 中川とり

    中川証人 商賣になるとかならぬとか、そういうことでやつておるのではございません。
  631. 徳田球一

    ○徳田委員 さつぱりわからないですか。見当はつかないですか。
  632. 中川とり

    中川証人 はあ、つきません。
  633. 武藤運十郎

    武藤委員長 ほかにございませんか。――じや済みました。御苦労さまでした。     ―――――――――――――
  634. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 北村徳太郎氏の喚問の問題ですが、これは明日もし出ていただかなければ結局二十日か二十一日まで延びることになるのですが、ひとつこちらにおられるのでしたら、明日一番先に出てやつていただくようにぜひお取計らい願いたいと思います。また國会の権威のためにもほかの演説会というようなことならば、ぜひ繰合わして出ていただくのがほんとうだと思います。そういうようにお諮り願うよう動議を提出します。
  635. 荊木一久

    ○荊木委員 こんなことで一々爭うわけではないけれども、あちらの予定も立つてつて今晩出ることになつておる。三日間に業者とも合わなければならぬし、しかも知事は二十日に來るのですし。北村さんを明日喚ばなければならぬ理由は一つもない。そういうことには賛成できぬ。
  636. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは読んでみましよう。   出頭延期願         証人 北村徳太郎右者に対し昭和二十三年九月四日貴委委会に証人として出頭すべき旨電信有之候処九月四日、五日、六日の三日間は名古屋地方に出張確定致し居り変更は困難に候間右喚問期日は別に御指定賜り度此段及申請候也  昭和二十三年九月三日        右           北村徳太郎 マル印   不当財産取引調査特別委員会     委員長 武藤運十郎殿  こういうお届けなのですが、明禮君了承しましたか。
  637. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 二十日過ぎにしましよう。
  638. 武藤運十郎

    武藤委員長 この際お諮りいたします。本日の証人有江伊作さんと一緒に宿泊人の事情に通じている者として奥さんの有江ハナさんがお見えになつておりますが、この方も証人として証言を求めることに決定いたすに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  639. 武藤運十郎

    武藤委員長 それではさよう決定いたします。     ―――――――――――――
  640. 武藤運十郎

    武藤委員長 有江伊作と有江ハナさんですか。
  641. 有江伊作

    有江(伊)証人 はい。
  642. 有江ハナ

    有江(ハナ)証人 はい。
  643. 武藤運十郎

    武藤委員長 花屋旅館の営業名義人はあなたですか。
  644. 有江ハナ

    有江(ハナ)証人 さようでございます。
  645. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは有江伊作さんはあなたの御主人ですね。
  646. 有江ハナ

    有江(ハナ)証人 さようでございます。
  647. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは御両名一緒に証人としてお話を伺いますから、これから伺いますことについて主として名義人のあなたから、なお御主人の方がよくわかつている問題については御主人からというようなぐあいに承りますから、どうかそのつもりで……。  石炭國管問題についてお話を伺うのですが、お話を伺う前に御注意申し上げておきます。  昨年十二月二十三日公布になりました、昭和二十二年法律第二百二十五号議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならぬことになつております。宣誓または証言を拒むことのできるのは、一般の人については、証言証人または証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族及び証人後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項あるいはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するときに限られ、医師歯科医師、藥剤師、藥種商、産婆、弁護士、弁理士、弁護人、公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあつた者については、その職務上知つた事実であつて黙祕すべきものについて尋問を受けたときに限られております。右以外には何人も宣誓または証言を拒むことができないことになつておるのであります。なお証人が正当の理由なくして宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、且つ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることになつておるのであります。一應このことを御承知になつていただきたいと思います。では法律の定めるところによりまして証人宣誓を求めます。お手許に差上げてある宣誓書を朗読の上署名捺印願います。     〔証人有江ハナ君各証人代表して宣誓
  648. 武藤運十郎

    武藤委員長 御署名御捺印ください。     〔各証人宣誓書署名捺印
  649. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは伺いますが、貝島太市という人を御存じですか。
  650. 有江伊作

    有江(伊)証人 知つております。
  651. 武藤運十郎

    武藤委員長 どういう関係で御存じですか。
  652. 有江伊作

    有江(伊)証人 私の兄が、今死にましたけれども、貝島さんとは非常に縁故がありまして、死んだあとでも多少世話になりましたり世話をして……。
  653. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなたが世話になつており、またお世話をしているというのですね。
  654. 有江伊作

    有江(伊)証人 はい。お互いにそういう間柄です。
  655. 武藤運十郎

    武藤委員長 貝島さんが泊るときには帳面につけないのですか。
  656. 有江伊作

    有江(伊)証人 私の方では、ちようど商賣を始めたのが一昨年の二月十一日であります。貝島さんは長府の家がとられまして、そして私の方に病氣でおいでになりましたので、一部屋貸しておいたわけであります。
  657. 武藤運十郎

    武藤委員長 ときどき泊るのですね。
  658. 有江伊作

    有江(伊)証人 ええ、ときどき……。
  659. 武藤運十郎

    武藤委員長 昨年の夏から秋にかけて、石炭國管反対というわけで、大分業者運動したようでありますけれども、あなたの宿へ集まつて相談をしたり、飲食をしたりしたことはありませんか。
  660. 有江伊作

    有江(伊)証人 昨年の何月ですか。
  661. 武藤運十郎

    武藤委員長 七月から十一月ごろまでの間です。
  662. 有江伊作

    有江(伊)証人 私は七月ごろは病氣で入院しておりまして、あまり家におりませんでしたから……。
  663. 武藤運十郎

    武藤委員長 じや奧さんの方はよく知つておりますか。
  664. 有江ハナ

    有江(ハナ)証人 はあ。
  665. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは有江ハナさん、お答えください。去年の七月から十一月ごろの間に、石炭國管反対というのでいろいろ業者運動をしたりなんかしたようですが、そのころあなたのところへ泊つて相談をしたり、飲食をしたりしたことはございませんか。
  666. 有江ハナ

    有江(ハナ)証人 そういうことはあまりございませんようです。貝島さんはちよいちよい私のところへお泊りになつたのでございますけれども、大抵御病氣でございまして、お出入りの方も、おいでになつてもあまりお会いしませんし、家のお使いの方でも、御氣分の悪いときはお会いになりませんでした。そういうことであまりお人はお見えになりませんでした。私どもに泊られます間、御氣分のよいときは御親戚まわりなんかなさいまして、また御氣分が悪うございますと、お休みになつており、お食事なんかもやはりお家からお届けになるようなありさまでありました。そういうこみ入つたお話のあるのは伺いませんようでした。
  667. 武藤運十郎

    武藤委員長 大分からだの調子が悪いのですか。病氣は何ですか。
  668. 有江ハナ

    有江(ハナ)証人 お休みになれません。おられます間は、お医者さまの治療を受けておりました。夜分なんかはちつともお休みができません。晝はそういうふうでございますから、たいていお休みでございました。
  669. 武藤運十郎

    武藤委員長 長府という所におるのですか。
  670. 有江ハナ

    有江(ハナ)証人 さようでございます。
  671. 武藤運十郎

    武藤委員長 長府というのはどこですか。
  672. 有江ハナ

    有江(ハナ)証人 下関の長府町です。
  673. 武藤運十郎

    武藤委員長 最近お会いになつたことはありませんか。
  674. 有江ハナ

    有江(ハナ)証人 昨年の十月ごろからちつともお目にかかつたことはございません。
  675. 武藤運十郎

    武藤委員長 昨年の七月に築地の川村旅館に貝島さんが泊つたけれども、その前の六月十四日から七月十一日まで約一月ばかり、有江伊作さん、あなたはこつちへきて泊つておられましたね。
  676. 有江伊作

    有江(伊)証人 はい。
  677. 武藤運十郎

    武藤委員長 どういう御用件ですか。
  678. 有江伊作

    有江(伊)証人 それは本人が病氣でありまして、ずつと眠られんから大学でレントゲンにかかるという……そして注射をしましたが、それがあばけまして、それに手術をしますのに私がお供についてまいりました。
  679. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなたがついて來られるのは、あまり適当でないみたいだけれども、そうでないですか。
  680. 有江伊作

    有江(伊)証人 いいえ、私がついてまいりました。
  681. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなたが看護婦の代りをしたのですか。
  682. 有江伊作

    有江(伊)証人 はい。
  683. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなたが先に來ておつたのですか。
  684. 有江伊作

    有江(伊)証人 東京へ一緒に参りました。
  685. 武藤運十郎

    武藤委員長 一緒に來ましたか。あなたが早く來られたのではないですか。
  686. 有江伊作

    有江(伊)証人 いいえ、早く参りません。
  687. 武藤運十郎

    武藤委員長 一緒に來て川村旅館に泊つたのですね。
  688. 有江伊作

    有江(伊)証人 はい、それは宿帳がありますから。
  689. 武藤運十郎

    武藤委員長 石炭炭鉱調査に衆議院、參議院の議員諸君行つたときにあなたの所に泊りましたね。
  690. 有江伊作

    有江(伊)証人 はい、それは調査團です。
  691. 武藤運十郎

    武藤委員長 調査に來た調査團が泊つたのですね。
  692. 有江ハナ

    有江(ハナ)証人 さようでございます。
  693. 武藤運十郎

    武藤委員長 特殊関係者と書いてあるのはどういうわけですか。
  694. 有江伊作

    有江(伊)証人 特殊は、まず兄貴の御主人できておりましたから、私も御主人関係みたような立場でありますので、特殊に部屋もお貸ししまして、病院でもついて行くというくらいの関係があるわけです。
  695. 武藤運十郎

    武藤委員長 そういう特別親しい人ですか。
  696. 有江伊作

    有江(伊)証人 ええ。
  697. 武藤運十郎

    武藤委員長 特殊関係の中に、前檢事というのがありますが、これはだれですか。
  698. 有江ハナ

    有江(ハナ)証人 いろいろ主人の知合いの方がございますから……。
  699. 武藤運十郎

    武藤委員長 特殊関係で檢事が泊つたのですか。
  700. 有江伊作

    有江(伊)証人 それは江口という人がございまして、鹿兒島で弁護士をしております。
  701. 武藤運十郎

    武藤委員長 それなら弁護士と書けばいいじやないですか。
  702. 有江ハナ

    有江(ハナ)証人 檢事さん、檢事さんとうちでは申しておりましたから、それでうちの者がそういうふうに書いたかも知れません。ちよいちよい鹿兒島から出てこられて、うちにお泊りになります。それは私どもの子供が東京の学校に參つておりますときに、たいへんお世話になつた方でございます。その関係で古くからお心やすくしておりますものですから、その方のことじやないかと思います。もう福岡おいでになりますたびにうちにお休みになります。
  703. 武藤運十郎

    武藤委員長 一松厚生大臣のことではないのですね。
  704. 有江ハナ

    有江(ハナ)証人 違います。
  705. 武藤運十郎

    武藤委員長 九月六日に一松厚生大臣がお泊りになつたようですね。
  706. 有江ハナ

    有江(ハナ)証人 さようでございましよう。大臣の方は福岡おいでになりますと、たいてい私どもにお泊りになります。縣廳から言うておみえになります。
  707. 武藤運十郎

    武藤委員長 何かお尋ねになることがございますか。     〔「なし」と呼ぶ者あり〕
  708. 武藤運十郎

    武藤委員長 それから宿帳ですが、あなたの所から來たものは寫しのようでありますが、本物はあるのですか。
  709. 有江ハナ

    有江(ハナ)証人 さようでございます。あちらで毎日要りますので、そのままを寫してまいつていると思います。
  710. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは済みました。遠いところを御苦労さまでした。     ―――――――――――――
  711. 武藤運十郎

    武藤委員長 湊さんですね。
  712. 湊守篤

    ○湊証人 さようでございます。
  713. 武藤運十郎

    武藤委員長 復金では何をしておられるのですか。
  714. 湊守篤

    ○湊証人 ただいま石炭金融部長をやつております。
  715. 武藤運十郎

    武藤委員長 昭和二十二年三月ごろ融資部長をしておられましたか。
  716. 湊守篤

    ○湊証人 しておりました。
  717. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは少し話を伺います。明禮輝三郎君。
  718. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 復興金融金庫の昭和二十二年の三月ごろ、あなた方が取扱われました融資手続、どういうふうにして融資をしておつたか、その手続の概略を説明していただきます。
  719. 湊守篤

    ○湊証人 まず融資の申込を融資を受けたい人が復興金融金庫の融資部に意思表示をしてまいります。そこで金庫の融資部といたしましては、その案件が金庫の融資対象になるかならないかということを一應考えまして、融資対象に全然ならないと考えられるものは、その場で事情を御説明してお断りいたします。また対象になることが非常に明らかなもの、それからなるかならないかという境目のものにつきましては、一應申込をしていただきます。その際申込の書類をお渡しし、添付書類といたしまして、いろいろ会社内容なり、事業の計画なり、資金の使途なりを書いたかなり詳しいものを一緒に添えて出していただきます。当時同じようなものを二通出していただきまして、そのうち一通を日本銀行の資金調整局復興金融課に回付いたしております。そのことは現在は変つておりますが、その当時東京地方融資懇談会というものがありまして、復金の融資は日本経済復興を促進することのために非常に必要であり、しかもなお普通の金融機関からは融資できないものに限るということでありましたので、そういう対象になるかならないかということを審議する、併せて市中金融樣関が出せる場合には市中金融機関の方へ斡旋するというような職能をもつた懇談会が存在しておりまして、この懇談会は日銀の本店におきましては資金調整局長が懇談会の議長をやつておりまして、日銀の資金調整局が事務局でありましたためにこの懇談会に付議するために申込書並びに添付書類を日銀に回付したわけであります。そこで日銀はその申込書を受取りますと、その内容につきましてかなり綿密に精査をいたしまして、申込みをされた方に來てもらつたり、場合によれば工場まで出掛けたこともございました。そういう精査をして日銀としてはその申込みが金庫の融資対象として取上げることが適当かどうかというある程度の結論を出して、地方融資懇談会にかけているわけでございます。その地方融資懇談会は御承知と思いますが、官廳方面及び金融機関関係で成立つておりまして、そこで審議をいたしまして、そこを通過いたしますとその件は金庫に戻つてくるわけであります。そこで拒否されますと、それきり金庫には帰つてまいりませんで、その案件は復金が取上げないことになるわけであります。金庫に戻つてまいりました上で金庫といたしましてはその件を通常の場合審査部と回付いたします。審査部は懇談会を通過いました案件につき復金といたしまして金融の立場から金融的にこれが成立つかどうかということにつき相当突込んだ審査をいたします。この審査はほとんど大抵の場合工場の物査をやりまして、技術者を連れて行きましたり、各方面に問合わせをいたしまして、かなり綿密をきわめる。この審査の報告ができますと、その審査報告書は融資部に持つて行き、そこで融資部は審査報告書の結論に基きまして融資を考えるわけであります。この場合大体審査部の意見に從う場合が多いのでありますが、審査部の意見につきいろいろ疑問があります場合には、審査といろいろ打合せをいたしまして融資の可否を決定し、さらに融資條件その他融資手続上のことを決定するわけであります。そこで融資部としての案ができますと、これを役員会にかけます。そのかける形は会議という形で役員にまわしまして、役員の決裁を経て初めて融資が実行される、こういう手続になるわけでございます。
  720. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 審査部が調査をいたします調査の内容は大体どういうふうになるのでありますか。たとえば会社のようなものでしたらば、会社定款はもちろんのこと、登記薄謄本、その他工場、あるいは船ならば船についての輪郭すべてを提供してやるのですか。事実を出張して審査するのですか。その審査の方法はどういうようなことをやつているのですか。
  721. 湊守篤

    ○湊証人 それは一々の場合によつて非常に違いがございますが、先ほどちよつと申し上げたように、原則として復金としましては、今まで各生産事業の場合にはその工場に参りまして工場の実動状況などをつぶさに点檢することになつております。船の場合は、多くの場合造船所に発注いたしておりまして、造船所で船がどういうふうに建造されておるかということを復金として確かめるというやり方は從來あまりとつておりません。と申しますのは、船の特に漁船の建造につきましては、農林省水産局が非常に嚴重な監督をしておるわけであります。と申しますのは、有近終戰後にできます漁船につきましてはすべて農林省の許可が要ることになつております。この許可は司令部の許可の裏づけを得てやつておる許可でありまして、終戰直後漁船を三十三万七千トン建造するという計画を立て、これによりまして司令部から――あとでその話が出ると思いますが、第一次、第二次、第三次というふうに漁船建造の許可があり、その許可の範囲内で個々の船主に漁船建造を許可します。許可した後は農林省としてその漁船の建造状況につきましては相当重大な責任があり、その責任からして農林省としては漁船の建造状態を常に嚴重に監督しておるわけです。そこで金庫としてはその辺のことについては金庫がさらにその上農林省を信用しないで金庫として独自の調査をするということまではいたしません。一應農林省の責任なり監督上の立場を信頼して、農林省の方に一々應絡して建造状態を確かめて審査の結論にするという方法をとつてまいつております。
  722. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 そこでいろいろ問題を出して説明をしていただきます。あなたの方の金庫で昨年の十一月頃日本海洋漁業株式会社に融資したことがあるはずでありますが、これをなすに至つた事情並びに調査せられました会社内容結果について御説明を願います。
  723. 湊守篤

    ○湊証人 今日証人といたしましてもう一人審査部次長の根本君が出頭いたしておりますので、審査の方の関係につきましては根本君が私よりもよく存じておりますので、できますれば一緒にここの席に呼んでいただいて補完しながらお話を申し上げた方がいいのじやないかと思いますか、いかがでございますか。
  724. 武藤運十郎

    武藤委員長 どうですか、その方が……。
  725. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 いろいろありますから、一緒に尋ねるところは後で尋ねます。
  726. 湊守篤

    ○湊証人 私としましてはその点やや明細とまではいかないかと存じますが、殊に問題が昨年のことでありまして大分記憶も薄れてまいりましたので詳しいことは多少違いがあるかと思いますが、大体私の覚えておりますことを申し上げます。そもそもこの日本海洋漁業という会社は昨年の八月新しくできた会社であります。その前身がございまして、これは日本海外漁撈統制組合という名前の申合せ組合があつた。この申合せ組合は戰爭中に廣東で造船や漁撈に從事しておりました武田巖という人が廣東から引揚げてまいりまして、この人はもともと廣島縣でしたか、岡山縣でしたか、漁師の家庭に育つて家代々漁師をやつております。戰爭中廣東に行きまして同じように漁船の関係の仕事をしておつた。この人が終戰後引揚げてまいりまして、郷里の自分の友人なり、廣東におりましたときの自分の配下、またそれのいろいろの関係で南方諸地域に働いておりました漁師の連中、そういう連中をかたらいまして、金を出し合つて今申し上げたような組合をつくつて漁業をやろうじやないか、こういう計画をしたわけであります。そこでただいま申しました日本海外漁撈更生組合というものが一應できたのであります。但しこれは民法上の組合であつて法人格はないのであります。この日本海外漁撈更生組合の名において当初復金に申込をしたわけであります。この申込をしたのは、昨年のこれまた記憶がさだかでないのですが、二月か三月ごろではないかと思います。これは後ほど書類を調べればわかります。その当時農林省の方に復金といたしましては連絡をいたしまして、先ほど御説明いたしました順序を追つて申しますと、まずわれわれの方の申込を受ける担当者の所に來てお話があつたと思います。担当者はこの申込を受付けるかどうかについて農林省と連絡することになつておりますから、おそらくそのときも連絡をしたと思います。農林省としては非常にこれを支持された。農林省が支持されたというのは、そのうちにいろいろ事情が出てまいりますが、当時農林省としては代船建造について非常に強い要望をもつておられた。これは戰爭中徴用されて滅失して、しかも保險金を取上げられたという氣の毒な小漁業家に対して代船をなるべく有利に建造させてやりたい、これは國の政策でもあつたのだと思いますが、そういう立場に立つて代船建造について非常に強い御後援をしておられた。その中でも海外引揚漁民に対しては特段の配慮が加えられておつた記憶しております。そういう関係で武田という人物は海外においても非常に長い漁撈の経驗者であり、外務省からたしか武田氏の人格に対する証明のようなものが出ておりましたが、あちらで相当立派な仕事をして來た人であります。そういう経驗者でもあり、また人格的にも十分裏付ができるということで、農林省としては海外漁撈更生組合の仕事をぜひ武田氏にやらしたい。從つて漁船の許可も與えるから、復金からの融資の問題もぜひ取上げてもらいたい、こういうお話であつたと思います。そこで金庫としてはその申込を受理して日本銀行に先ほど申した順序を追つてまわしたのであります。そして日本銀行の懇談会がいつごろであつたか、これも私ひにちをはつきり記憶しておりませんが、多分三月かそこらではなかつたかと思いますが、日本銀行はその書類に基いていろいろ審査の懇談会をやつた。     〔委員長退席、鍛冶委員長代理着席〕  その懇談会には私も出ましたが、今申したような事情であつたので計画それ自体については大して異議がなかつた記憶しております。ただしかし自己資金の点につきまして申合せ組合のことでありますし、武田氏は引揚者で自己資金がない。若干友人知己間で自己資金を集めるということの確実性について疑問がある。そこで法人格でない組合でなしに、何とか自己資金をつくつて――当時二百万円という自己資金をつくる計画になつてつたのですが、少くとも二百万円程度の株式会社にすることが望ましい、そういう附帶條件のようなものがついて懇談会は通過いたしまして金庫にもどつてまいつたのであります。そこで金庫といたしましては、そういう方向に沿つてこの申込関係の審査をした。この審査には担当者が当つたのでありますが、それを責任をもつてなしたのが本日参つております根本次長であります。ところがこの審査の結論はかなり悪かつたのであります。結論が悪かつた点につきましてはいろいろありますが、要約しておもな点を申しますと、第一に経営者の武田という人は何分にも海外生活が長くてどれほどの仕事をした人であるかという実情がわからない。これは外務省の裏書をそのまま信用すればいいとも言えるのでありますが、当時外務省の事情といたしましては海外引揚者に対しては何でも非常にいい報告を書くということは人情上当然だと思うのですが、そういう傾向もあつたものですから、金庫としては何とかしてこの武田という人の海外における足跡を詳しく調査したいと思つたのでありますが、その点われわれの審査の調査では十分なことができませんでした。一方この武田さんが金庫に申込みまして主として自己資金調達の面においていろいろ金庫に報告されることと、また農林省に行つて言われることと、また金庫の報告でもそのときによつていろいろ食い違いが出て來たりして、審査の担当者としては武田氏に対してあまり信頼が置けないような感じをもつた、そのことが一つ。もう一つは資金関係でありますが、先ほど申し上げましたように、海外引揚者のグループでありまして、たれもまとまつた資金を持つていない。たまたま武田さんと武田さんの同郷の友人であつて現在取締役をやつております川西という人がおります。この二人が結局この企画の中心になつているのでありますが、この川西さんの友人関係で前に鐘紡の重役をやつておられ、現在はたしか上毛撚糸という会社社長をしておりますが、永井得三さんという方の弟さん、これが川西さんの友人であります。この永井某という人を資本家として引張りこんでこの永井さんという人が二百万円程度の金を出すということをすでに約束しておられた。從つて式会社にするとすればこの永井さんの出す二百万円というものを対象として会社が設立されるものである、こういうふうにわれわれは見ておつたのであります。なおそのほかにも若干武田さんとしては当てにしておつたものがあつたようでありますが、それらの資金はいずれも金庫からの借入が成立すれば出そうというような話であつたようであります。なおこの更生組合の出資金を一應二百万円というふうに立てておつたのでありますが、これは何分にも零細な漁民から集めるということであつて、これの確実性は金庫としても十分信頼できないという氣持であつた。ところがだんだん調査が進んでおりますうちに、組合内部に若干の紛糾がありまして、この永井という人が組合から離れるというふうなことになつてしまつた。この離れるに至つた原因につきましても、審査部としては何かそこにこの武田氏個人の人格の問題があるではないかというようなことまで考えておつたようであります。その点は明らかでありませんが、とにかく永井さんという人が本件から手を引くということになつてしまつた。そこで審査の結論を出さなければならない時期になりまして、審査部といたしましては、まず武田氏の人物に対してはつきりしたことがわからないし、今言つたような経緯からして何とも経営者として信頼感が薄いということが一つと、もう一つは資金的にまつたく基礎がぐらついてしまつた。資金の基礎になりました今言つた永井という金主が逃げてしまつたというふうなことになりましたので、これは話が少し戻りますが、金庫といたしましては、こういう漁船金融に限りませんで、一般に金庫から金融を受けたいという向に対してはなるべく自己資金を出していただき、いろいろ方法を盡して自己資金をかき集めて、どうしても集まらないものについて金融を考えるという方針をとつておりますので、本件につきましても三百万は――少くもこれは千万円の申込であつたのです。二百万は少くとも自己資金を集めてもらわなければならぬ、二百万ではとても足りない。金庫のそのときの審査によりますと、どうしてもあの計画通りやるとすれば出漁するまでに千五百万の金が要る。ところで申込は一千万円、自己資金三百万円ということになるとどうしても二百万円足りなくなる、この三百万円をいかにして調達するかということについても確たる見透しがつかない。そこで資金計画の根本がすつかりぐらつきましたし、先の見透しも金庫としてはどうしても向うのおつしやるように信頼することができないというような結論を審査部としては出しまして、これは当然融資すべきでないというようなことで結んでおる調書を私は読んだ。そこで私ども融資を担当しております者としては、一度武田さんに來てもらつてその辺のことをいろいろ聽きました。武田さんとしては金庫の融資ができれば地方の後援者もあつて、その辺から金が出るというようなことをいろいろ言つておられましたけれども、とにかくまず根本のスタートに使わなければならない自己資金がゼロだということに一應なりますので、私どもとしてはこれに対する融資をするということはできない。これは書類を今根本君があちらに持つておりますので、あとで見まして日にちのことは申し上げますが、五月ごろだつたと思います。はつきりお断りすることに融資部としてはきめまして、さつき申し上げた重役会議を開いて重役の血判をとつたわけであります。これが五月ごろだつたと思います。それからしばらくして、この日どりは書類も何もありませんので、まつた記憶によるものでありますが、そのまま私どもは問題は終つたと思つておりましたところ、六月の終りでしたか、七月の初めごろでしたか、多分その辺だつた記憶いたしますが、突然保利茂さんと門屋盛一さんとお二人で金庫にお見えになりました。そのときの事情はあとで根本君からもお聽きいただきたいと思いますが、最初根本君のところへ行つた。これがどうして根本君のところに最初行つたかということが私もはつきり記憶がありませんが、融資部の方にまいりまして審査の方にまわされたのかもしれません。根本君のところに來て、根本君にいろいろお話があつたようであります。それに対して根本君は今までの経緯をいろいろお話して、かなり消極的な、從つて拒否的なお話を申し上げたようであります。ところが門屋さんという人は非常に氣性の激しい人でありまして、大分激しく言い合をした。その結果興奮して融資部の方のまわつて來られた。――ただいま申しましたはつきり拒絶を決定いたしましたのは、二十二年の六月四日でございます。六月四日に今申し上げたような理由によつてはつきり拒絶したところ、六月の末か、七月の初めころに今言つたような結果になつたのであります。そこで融資部に來られてそのとき私は席におりませんでして、次長の小野田君というのがお会いしました。最初から非常に興奮しておられたと言つておりましたが、どうも小野田君としても――小野田君はあとで御説明するようなふうにこの問題が変つてくるとは思わないで、一應何か非常によくあることなんですが、因緑でもつけに來たのじやないかといつたような感じがしたそうであります。これはちよつとうるさいから部長に会わせろ、そう思つたようであります。そこで私どもの席からちよつと離れたところにお待ちを願つた。ところが、そのときに私は何をしておつたか二人とも思い出せないのでありますが、一時間くらいして帰つてまいりました。急な用で私の方は課長や次長も集めて相談をして、その話が済んでから保利さんと門屋さんのところにまかり出た次第であります。そうしましたから、開口一番こつぴどく怒られまして、復金は非常に官僚的だ。いろいろな相談に來ている者に対するこの態度なり、仕打ちなりは何だと言つて、非常な御叱責がありまして、私もその間の事情を何も知らないものですから、非常に当惑したのでありますが、いろいろ聽いてみますと、そういつたような事情でありまして、とにかく非常にお待たせいたしたことについては平身低頭お詑びしたわけであります。そこで保利さんと門屋さんからいろいろその後の話を聽いて、私もちよつと意外であつたのでありますが、いろいろな関係で、保利さんと門屋さんがこの事業関係することになつた。それは保利さんは佐賀縣の水産業会の会長か何かやつておられましたし、門屋さんは佐世保の引揚同胞援護協会の、これも会長か副会長かをやつておられた。そういう関係で本件については非常に同情しておられまして、復金がそういうことで本件を断わつたことが第一きわめて不親切だということで最初はお叱りがありました。次いで、しかし復金の言われる点も、自分たちから考えても一應もつともだと思う。要するに、自己資金の中心人物であつた人が離れたということであれば、復金としてもいろいろ心配されるのももつともだ。そこで今度は自分たちがひとつ乗出すつもりだ。自分たちが乗出せば本件は考えてくれるかという卒直な御質問であつた。そこで私も保利さんも知りませんし、門屋さんもむろん初めてのことだし、非常に丁寧に申し上げたのでありますが、どうも今のお話だけでは私の方でどうこと御返事は申し上げかねます。とにかくお調べしてみましよう。こう申し上げました。そうしましたら、この前のときも何箇月かかつた、今度もまたそんなに何箇月もかかるのですかというお話つた。しかし私は計画それ自体についてはすでに調べは済んでいる、あと問題は経営者と資金の問題だ。資金の問題について、はなはだ失礼ながらあなた方お二人とも私は初めてお目にかかるので、今までお調べをしてないから、どういう信用と資産その他をお持ちになつておるかということがわからない。そういう点をいろいろ調べてみませんと、何とも御返事は申し上げかねます。こういうふうに申したのであります。それに対しまして門屋さんは、自分の信用のことなら北村徳太郎さんに聽いてもらいたい。北村徳太郎さんが、自分は親和銀行と十数年取引をしているが、親和銀行に対して一遍たりとも信用を傷つけるようなことをしたことはないことを知つているから、從つて自分がどういう信用に値いする人間であるかは北村さんに聽いてもらいたい。それから自分の資産とか、自分の仕事についても、北村さんは佐世保の商工会議所の当時会頭をやつておられ、自分が副会頭をやつておるという関係もあつて自分のことは北村さんは非常によく知つている、だから、北村さんに聽いてもらいたい、そういうお話であつた。そこで私も北村さんには、私前に復興金融委員会の委員をしておられた当時から、衆議院の財政金融委員会の委員長をしておられて、お仕事のことでよくお目にかかる機会があつたから、それじや北村さんにも聽きましようと言つて、そのときは一應お帰り願つたのであります。それからそのときすでにもう本件で取上げております漁船の建造は、さつきちよつと申し上げました司令部に許可関係の第四次の許可の中にはいつてつた。ところが、この第四次の許可が下りるべく予定されておりながら、そのときすでに許可しないという方針になつてつた。これは私今もつてそういう方針になつた眞意がよく呑みこめていないのでありますが、さつき申し上げました三十三万七千トンの建造計画によりまして司令部が逐次許可をした。從つて農林省としても、三十三万七千トンに達するまではどんどん許可が得られるものと思つておられたわけであります。從つて第四次船につきまして許可申請を出したままで、これは当然許可が下りるものとして、日銀の資金調整はどんどん許可を下した。それでこの案件を受取つたときに、第四次船の正式の許可は下りていないけれども、許可が下りることは確定的なものであると私は思つてつたのであります。ところがこの問題がもやもやしておるころ――これはちよつと記憶はつきりいたしませんが、六月の初めごろだつたのではないかと思いますが、第四次船はいよいよ許可にならぬらしいというふうな問題が起つた。そこで本件につきましても今申し上げたような経営者の変更があり、門屋さん、保利さんが言われる通り、かりに資金的に安定が得られたとしても、この建造許可それ自体が問題だということがその当時あつた。その話は門屋さんや保利さんにお会いしたときはまだはつきりしていなかつたと思うのでありますが、そのことは触れておりません。解れた記憶は私はないのであります。その後すぐそういう問題になつてきたものですから、私はそのときの感じとしてはなかなか激しい人がこられたけれども、結局あの四次船にひつかかつてあれはだめだな、こういう氣持でおつた。ところが今度第四船はその後意外な進展を見ました。と申しますのは農林省としては責任問題である。許可が下りるものとして資金調整の許可をどんどん出して、漁業許可をどんどん下した。さいわいにして復金からは時期的に遲れてきたために、四次船の実際の融資は出ておりませんから復金としてはいいのですか、農林省としてはいまさらのつぴきならないような状態になつた。そこで第四次船の許可はないけれども、一次、二次、三次船で許可が下りて、未だ何らかの事情で建造してないところに四次船の許可をあてはめていくというやり方をとられた。しかしこれがなかなか難航を続けまして、結局本件についてそれがきまつたのは十月ごろになつたわけでありますが、そういう事情がありましたために、私どもとしてはこれは当分うつちやらかしておく、そのうちに自然消滅してしまうのではないかという氣持でおつたわけであります。その後農林省がそういうふうに第四次船の復活をやるようになりまして、そのときのいろいろな集まりでどこをどういうふうに復活するかという打合せをしておるときに、この海外漁撈更生組合、もう一つ言い忘れましたが、そのときに会社設立の問題が出た。そこで門屋さんはそのときにこういう話をなさいました。資金的には自分は相当の資力がある、だから永井さんみたいにたつた二百万ということは自分は考えていない。もし必要ならば五百万でも千万でも出そうという腹である。從つて会社もすぐつくります。それから川南造船所に今注文しておる船がだんだん進んでおるのに支拂が非常に澁滯して、川南からこれをほかに賣るという話があるけれども、その方も自分がすぐに金を出して食い止めます。そういうふうなお話があつたのであります。そこで八月の最初つたと思いますが、門屋さんは言われた通り会社をつくつてしまつた。それから川南の方にも支拂をされたようであります。そういう事情があつたためだと思うのですが、農林省としてはこれを何とかして一次、二次、三次のどれかにはめこみたいということを非常に強く考慮しておられた。そこで私どもとしては農林省があそこまで強く考慮しておられ、実際調べてみると一次、二次、三次船で建造してないものはかなりありましたから、これは四次船のはめこみがある程度できるなという見透しをもつた。もしそれだできるということになりますと、本件の融資の可否についてまた考えなければならないなというように思つたのであります。そこでこれは時間的な点がはつきり記憶がありませんが、すぐあとだつたと思う、門屋さんに会つた。とにかく一應門屋さんという人物と保利さんという人物が何と言つても問題の中心になるわけであります。いろいろあともどりして恐縮ですが、門屋さんの話のときに経営者の点が問題になつた。武田さんの手腕、力量あるいは人物といつたものについて金庫がいろいろ疑問をもつておるということに関連して、門屋さんと保利さんはもう遂に武田も行き詰まつた、だから自分たちに一切をお願いするということを述べて、自分たちが武田氏の足りないところは十分補つて武田氏を押えていく、こういうお話であつたのであります。そういうことになりますれば、一應われわれが心配していた経営の点につきましても、前とよほど樣子が変つてくるわけであります。変つてきた情勢について根本的に問題になりますことは、保利さん、門屋さんが一体どういう人物であるかということになるわけであります。そこで私はそのことがあつてからすぐ後だつたと思いますが、福岡の支店に電話をかけまして、門屋盛一さん、星野組というものはどういうものかということを聽いた記憶があります。そのとき向うでたれが返事をしたかはつきり記憶しておりませんが、支店としては直接取引がありませんので、はつきりしたことはわからない。     〔鍛冶委員長代理退席、委員長着席〕  しかし終戰前後を通じて非常にのした土建業者で、九州の土建業者としてはかなり重きをなしておるようだ。資産の点についても相当のものがあるというふうに聞いておる。こういう返事であつた。それからその後偶然に九州の長崎のある炭鉱関係しております私の十年來の友人が上京しておりました。これが佐世保の親和銀行にもしよつちゆう取引がある。そこでこの人に門屋さんのことについて聽いたわけです。この私の友人も今支店が申しましたと同じような、あるいはそれ以上もつとつつこんで資産などの点についてはかなり持つておるという話があつた。そこで私はこの門屋さんなる方はなかなか感情家で非常に激しい氣性の方だけれども、一應資力はあり、われわれが一番氣にする悪評というものは大して聞かないというふうな漠然とした感じを受け取つた。次に保利さんの問題につきましては、保利さんはかつて新聞におられ、祕書官生活などもつておられた人で、現在復興金融金庫の総務部長をやつております鹿喰總一氏が前から眤懇であつた。そのことを後に知りましたが、そこで鹿喰君に保利さんのお人柄のことについて聽きました。鹿喰君は保利さんをある意味では非常に褒め、とにかく悪評は聞かない。事業経営の点については若干会社関係しておられましたが、これは未知数じやないかというお話であつた。一應私としてはその程度で、できればもう少し調べなければならぬと思つてつたのでありますが、今申し上げた四次船の関係がありますためにそのままうつちやつてつた。私は最初に門屋さんが北村さんの話をもち出されて、とにかく北村さんに聽いてくれ、保利さんのことも北村さんに聽いてくれと言われたように記憶いたしました。そこで私は北村さんに機会があつたらこの話を聽いてみようと思つてつたのでありますが、今申し上げたようにそもそものこの建造許可の問題がペイデイングになつておりましたので、早急に北村さんに聽かなければならないというふうなことではなかつたように思います。その後八月の末ごろ、衆議院で財政金融委員会が復金の増資問題について開かれた際に、委員会が済みましてから私ども理事長やわれわれがあそこでいろいろな雜談をやりました。そのあとで立ち話で、私北村さんにこの問題をちよつとお話申し上げた。門屋さんと保利さんがそのときにおられ、北村さんもむろん知つておられて、そのことについて私北村さんの御意見を卒直に伺つたのです。北村さんはそれに対しまして、自分はたしか十数年門屋氏とはつき合つておる、親和銀行の取引関係もある。門屋氏が言つておられる通り、親和銀行に迷惑をかけたことは一遍もない。それから氣性は非常に激しい点はあると思うけれども、信頼できる人物である、自分は彼を非常に信頼しておるということをはつきりおつしやいました。それから保利さんについてもあの人はいい人だ、とにかく信頼できる人だということで、保利さんについてはあまり詳しいお話を聞かなかつたよう記憶いたしております。そういうふうに北村さんに伺つて、まあ私としましては一應この人物の裏書を得たというふうな感じになつたわけであります。そのままで今申し上げたように、三次二次船のはめこみが実現いたしませんで、それから二箇月くらい経過いたしまして、いよいよこれは何次船にはめこんだのか私ども記憶はつきりいたしませんがとにかくこの許可を一遍下ろして、それが建造になつていないところへこの許可をこれへ振向けて、この漁船の建造許可が正式に下りましたのが十月の末ころだつたと思います。そこで金庫としましては農林省も、先ほど申上げたような経緯から非常な努力をされてはめこみをされたわけでありますが、そこで農業省の方からおそらく先にお話があつたように思います。こういうふうに許可が出たんだから、ぜひあの問題を考えてもらいたい。そこへこれはずつと金庫との交渉は先ちよつとお話申し上げました川西さんという重役の方がやつておられたのです。この川西さんが私どもの事務当局へ來られて、いよいよ正式許可があつたので、この問題を考えてもらいたいということでありました。事務担当者がこの問題を私ども部長席に持つてきて、いよいよあれが許可になつたのですがどうしようかという相談があつたのです。そこで私どもとしては、一應船の建造の状況がその後どうなつておるか、それから資金関係はどうなつたか、門屋さんという人は非常に資力があるように聞いておるし、北村さんからも裏書があつたのでありますが、どういうふうに船に金を注込んであるかということを一應調べてみいくれと言つたのであります。そこで私どもの担当者は農林省にすぐ連絡して川南工業の建造状況、それから資金の状況などいろいろ伺つたと思います。その辺のことは実はきよう此処へ参りますまでに、どういう話をしてどういうことを農林省から返事があつたというこまかいことまで復習する時間がありませんので、農林省へも何処へもまだ連絡しておりませんが、私の記憶、係の者の記憶は、農林省に連絡した結果、船はまだ四次船としてペンデイングになつてつたにも拘わらず、これは非常に確実性が高いということで相当建造を進めており、金もすでにその当時――この金額もはつきり記憶いたしておりませんが、すでにその当時で五百万円くらいと言つたと思いますが、船にもうすでに住込んでおる。從つて門屋氏がわれわれの所でかなり世俗な言葉で言えば大口をたたいたということも一應実績からすればうそでなかつた。またそのことは私が福岡の支店なり、私の友人なり、北村さんなりにいろいろ伺つた門屋氏の性格なりその資産、信用の程度などを一應裏付けたものだ、こういうふうに私どもとしては考えたわけであります。そこで当初われわれがこの件について否定的になつた理由の二つ、すなわち経営者の問題と資金の問題の二つが一應これで解決したことになるわけであります。経営の問題につきましては一抹の不安を感じないわけでは必ずしもなかつた。と申しますのは、武田という人はもともとこの計画の立案者であり、中心人物であるが、今度こういうふうになりましたことのために、武田さんは事務に下つたわけであります。当然社長たるべき人が金がなかつたために専務に下つたということで不満が出てきやしないかということが一つの心配。もう一つの心配は保利さん、門屋さんが武田さんをほんとうに押えて、良い仕事をやつていくように仕向けることができるかどうかという点について若干懸念がないわけではなかつた。しかし保利さん、門屋さんに私ども三度ばかりお目にかかりましたし、それから川西という人は、これはかなり若い人でありますが、非常にしつかりした人で、この人とは非常にたびたび会つていろいろ話をしたのでありますが、非常に信念も持つており、この人は相当やる人だというように私ども思いました。こういう人たちがほんとうに一生懸命やろう、殊にこれは海外引揚者が構成員の大部分を占めており、漁撈技術の点からいたしますれば、たとえば南方でやつた人々はあるいはこの以西底曳の仕事はすぐには熟練しないかも知れないけれども、とにかく相当多年漁撈に経驗のある人が中心になつてつているから、これならばやり得るのではないか。  話が長くなりますので端折つたのでありますが、收支その他について当初いろいろ疑問があつた。たまたまこの問題をきめます前にマル公の改訂がありまして、この新会社になつてから計画の一部変更をやりました。それはかつおまぐろの計画を切つたのであります。かつおまぐろを切つたということは、結局水産業に関係しておられるお方は御承知かと思いますが、事業に安定性をもたせるということであります。かつおまぐろはわれわれとしては最初から――こういう会社がかつおまぐろを取上げることについては賛成していなかつた。そのかつおまぐろを向うが自発的に切つた。こういうふうないろいろな関係から、收支の点につきましても当時としては年間二百万円前後だつたと思いますが、その償却全利益が出る。こういう見透しを立て在るに至つたことからいたしまして、それまで問題であつた点は大体において解決を見た。そこでわれわれ金庫としてはこの融資を考えても差支えない、考えてよろしいという結論に達しました。この点について審査部の方に前からずつと否定的の結論が出たまま、融資の方でいろいろ折衝しておりましたが、その折衝の過程において審査部の担当者には何度も相談をし、また一緒に話も聽いたことがあるのであります。最後に審査部の部長、次長に相談して、こういうことでやろうと思うがどうだ。よかろう。というふうに、審査と融資の間に意見の一致を見て、これは融資をすることにきめたわけであります。そのきめました日取は十一月の五日でございます。十一月五日に決裁になりまして、本件融資はおそらくその直後に実行した。こういう段取になつております。
  727. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 大分長い説明を聽きましたが、一体あなた方は、日本海洋漁業株式会社と海外漁撈更生組合というものが一遍に一緒になつてしまつたように私は思うんですが、ここの関係は一体どうなんですか、あなたは今人物の点がどうとか言つて説明をされたけれども、海洋漁業株式会社の経営者のほんとうの仕事をする人はやはり武田ではないんですか、一体だれがこの仕事をやると思つたんですか、仕事に加わつたのは、なるほど保利という社長、門屋という人が金を出すかもしれませんが、仕事をやるのはやりは元の武田である。しかもこの武田という人の問題は、あなたはたいへんいいようにさつきつておりますしたけれども、あなたの方の調査によると「すこぶる辣腕にして、やり口巧妙、事業慾旺盛、実行力もまた相当買つてしかるべきも、一見策士の観あり、親分肌にして放漫なところも見受けられ、漁師には人氣あるもののごとし」と書いてある。「しかれどもやや策を弄し過ぎ、淡白とは言いがたく、人柄としてあまり好ましき方にありず。」こういうふうにあなた方の方では調べてある。そうしてそのあとでたくさんいろいろのことを書いて、「信憑しがたく融資の適性に乏しき者と思料す。」と書いている。この審査の結論がかくのごとく出ている人をもつて、直ちに会社の方へひつぱつてきて、この懇談会においての結論もそうであります。一番おしまいに書いてあるところを読んでみると、調査せり。結局未知数にして、本件申込の計画実行に関し全面的信頼をおきがたしと書いてある。それから会社組織に改むべく計画中なるも、経営者のメンバーとしては、漁業には全然無経驗なる池田何がしという人がはいつたのではいけない。当初資金計画はきわめて杜撰にして信頼しがたきものなりしため、最も確実なるものを要求せる結果、左の通り改訂せり。改訂のいろいろなものを要求して出した結果、以上勘案するに本件借入れ申込みは拒絶するを適当と思料す。こう書いてあるのが懇談会の意見です。この懇談会の意見がただちに日本海岸漁業株式会社に関するいかなる手続きになつてくるか、そのところの説明を願いたい。そしてこの漁業者の仕事の本質はやはり武田ということには違いないが、一体だれが実際には仕事をやるか。
  728. 湊守篤

    ○湊証人 先ほど私が武田さんを悪く言わなかつたようお話がございましたが、これはお聽き違いだろうと思います。私はその点についてかなり正確に、今お読みになつたような言辞はありませんでしたけれども、武田さんについての疑問はいろいろ披瀝してございます。懇談会で融資を拒絶するを可とすべしという結論にはなつておりません。と申しますのは、そうすれば復金へはもう回付いたしません。懇談会はただ会社組織をつくらせることが條件で、本件は計画としてはよろしい。復金が融資の対象として考えることはよろしいということで復金へ回付されたわけであります。從つて懇談会には、本件は復金の融資対象とすべきものではないという結論は出ておりません。それは何かのお間違いであろうと思います。
  729. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 それはあなたの方から書面をよこしておられる。私の方はあなたの方から出した書面によつてつておるので、そうでないというならば、そうでない資料を見せてください。こういう意味です。復金にて十分調査の上確信を得たる場合において貸し出しのこと……。
  730. 湊守篤

    ○湊証人 それは懇談会の意見です。
  731. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 そうするとつまり懇談会というものは、こういつたことをきめる場合が多いのですか。十分調査の上確信を得たる場合に貸出しのことというのは、これは今の日本海外漁撈更生組合のことを言うのですね。
  732. 湊守篤

    ○湊証人 そうです。
  733. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 だからこれから今度は日本海洋漁業に変つた。全然変つた人です。会社も別です。それについての懇談会の意見はどうですか。
  734. 湊守篤

    ○湊証人 これは懇談会におきまして十分調査をして貸し出せというのは、一般的にどれでもそうですが、特に本件についてそういう條件みたいなものがついたというのは、こういうことです。結局組合というものは單なる申合せ組合で、これは武田氏の個人経営と全然同じだ。しかも資金計画について、これは日銀でもいろいろ調べられたと思うのでありますが、当時の日銀の懇談会の関係の記鉄があれば、それを見ていただけばわかると思います。とにかく経営の主体が非常に資力的に弱体である。從つてこれをどうしても会社組織にでもさせて、自己資金というものが確定することが望ましい。そうなつてから金庫としては融資の問題を考えるべきであるということを、あのとき日銀の委員だつたと思いますが、非常に主張されたと思います。そのことのために、そういう條件みたいなものがついたわけです。そこで今懇談会は、簡單に申しますと、会社組織にして資金関係の安定をみてから本件について金庫として十分考えても差支えない。こういうことだと思うのであります。そこで会社組織をいたしますと、その名前をどうするか。日本海洋漁業といつたような名前――もしここに門屋さんとか保利さんとかいう者が出て來なかつた場合を想像いたしますと、武田さんが社長になつて日本海洋漁業という会社ができてくるのかもしれません。そうなつてくると、再び日本海洋漁業というものができたということで懇談会にかけるということは、從來の懇談会の規則からいたしましても、慣例からいたしましてもやつていないわけであります。とにかく懇談会はこの組合を何とか資金的に安定した会社形体にもつていくということを希望しておつたわけで、ただ武田さんが中心になつて船を建造して、海外から引揚げてきた漁業関係の人々を糾合して魚をとるという計画については、懇談会としては意議がなかつた。資金的安定が得られたら、これに金融的の援助をしてもよいという意見がある。そこで懇談会の意見に從つてわれわれがいろいろ調べたわけです。そこでさつきもいろいろ御説明いたしましたように、資金的の安定点が見出せない。それが八月以降になつて門屋氏以下がおはいりになり、会社も設立された。それから五百万からの資金の投入もあつた会社としては十分資金的の安定が得られる。そこで本件はそのままでも問題なしに金庫としては融資ができるわけです。さつき私がちよつと申し上げたように、経営者の点については一抹の不安がなかつたわけではないということを特に私は申し上げたわけであります。この点については武田さんの人物について、人事担当者の意見でございますが、この審査報告というものは元來どなたさまへもお見せするものではない。こういう場合に限りまして持つてくるわけでありますが、これはどの報告をごらんになりましても、ちよつとお見せするとわれわれの顔が赤くなるような、相当露骨なことが書いてあります。個人の人身攻撃なんかをどんどんやります。これはこういつた審査報告とすれば当然やらなければならぬことでありまして、それをやらしてもらわなければわれわれとしては適当な融資ができないということになるわけであります。
  735. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 それはわかりましたが、一体これは十分調査の上確信を得たる場合に貸出のことといつて、金額のことも何も書いてない。
  736. 湊守篤

    ○湊証人 これは違います。金額は千万円で通つておるわけです。
  737. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 それはどこに書いてあるわけですか。
  738. 湊守篤

    ○湊証人 それは懇談会から復金に対して正式の通知がございます。
  739. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 それを見せてくださいませんか。そういうものが出ていない。証拠を出してくださいといつたのですが、出ていないのです。
  740. 湊守篤

    ○湊証人 それは失礼いたしました。
  741. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 十分調査の上と、これだけ一行書いてあるのではわかりません。これは会社組織にしたらというようなことは書いてあつても、こういうものがもう一遍会社組織になつて出たら、懇談会にかけるべきものじやありませんか。私はそれはやり直すべきものだと思いますが、どうですか。
  742. 湊守篤

    ○湊証人 それはやつた方がベターだろうと私も思います。
  743. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 それをやらなければならぬ。懇談会の記事に書いてないので……。
  744. 湊守篤

    ○湊証人 そういうことでないと思います。これは会社組織にすることが條件であつて、武田氏が社長でなければならぬということは條件ではない。今会社組織にしなければならぬという條件をつけた意味は、資金的の安定であるわけです。
  745. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 会社組織にしろということまでしか注文していないわけです。
  746. 湊守篤

    ○湊証人 そのときの懇談会は私ははつきり記憶しておりますが……。
  747. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 根本さんは持つてきていないですか。
  748. 湊守篤

    ○湊証人 懇談会の議事録等は日本銀行にございます。議事録は持つてきておりません。
  749. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 写しか何か……。
  750. 湊守篤

    ○湊証人 懇談会の議事録というものは、日銀で書きました議案があるだけで、個々の論議については何にも議事をとつていないのです。
  751. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 こういうようにして融資部、経理部、審査部と書いて、理事長、副理事長とあります。
  752. 湊守篤

    ○湊証人 それは重役の決裁をとるための会議案です。
  753. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 会議案ですか、それで今一番問題になるものでどうもおかしいと思うのは、前のは海外漁撈更生組合、あとから來るものは日本海洋漁業というもので、全然違つたものだから、こういう大きな金を、しかも政府の金を貸し出すのだから、そういう場合にはあらためて懇談会にかけて、研究して、さらにこれを貸出すか出さんかということは意見をまとめてからやるべきものだと思うが、その点はどうですか。
  754. 湊守篤

    ○湊証人 その点については当時の懇談会というものの性質から考えてみなければならないのでありますが、当時の懇談会というものは、懇談会規則にもありました通り、こういう案件が、日本の経済復興を促進するものであるかどうか、促進させるために必要なものであるかどうかということと、それが一般市中金融機関ではどうしても貸せないかどうか、その案件についてそういう見透しを論議する会であつたわけであります。ですから懇談会としては、そこで金額を決定したり、條件をつけたり――條件というのは期限とか、償還方法とか、利息とか、そういう條件をつけたり、あるいは経営者の問題なんかに立入つて、いろいろ個人的な論議をしたりすることは当時しなかつたのであります。從つて今御質問の問題につきましては、一應金庫に任されておつたとわれわれは解釈しておるのであります。
  755. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 その具体的なものは……。
  756. 湊守篤

    ○湊証人 その後懇談会の規則が変りまして、現在では復興金融金庫の幹事会が懇談会の仕事をしておりますが、今日では非常にその情勢が違うのであります。今日ではそういう問題が起りますと、最後に役員会までかけたものを幹事会へ持出して、そこで十分檢対した上で融資をする、そういうやり方をとつております。それが昨年八月の議会でたしか問題になつて、懇談会というものの不当性について御指摘があつて、そうなつたわけであります。
  757. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 それはそのくらいにして次に進みましよう。  そこで一千万円第一回に貸したのですね。ところが私どもの方には一千万円貸すときの審査調書がないのですが、これはどういうわけですか。
  758. 湊守篤

    ○湊証人 それは最初の拒絶したときの調書がお手もとにあるのがそうだと思います。
  759. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 拒絶したのは、今の海外漁撈の更生会ですか。
  760. 湊守篤

    ○湊証人 そうです。
  761. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 だからこの間にあなたの方で審査をしなければいかぬでしよう。
  762. 湊守篤

    ○湊証人 いえ、その審査は事業の計画、あるいは造船建造関係資金の動きとか、收支の予想とかというものがそれでつくられておるわけです。その後若干の変更がありましたけれども、その調書に代るべきものとしては、昨日お手もとにお届けいたしました会議案がございます。さつきちよつとごらんになりました重役決裁ですが、その会議案はかなり詳しく、ほとんど調書に近いようなその後の経過が記載されておると思います。
  763. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 会議案できめたことは審査はしないでやつたということですか。
  764. 湊守篤

    ○湊証人 そうです。特にそのときにあらためて審査部で審査をしないというと違いますが、審査部の人が審査をしないで出して、融資部の人が審査という言葉を使つていいかと思いますが、その後の状況の変化についていろいろ調査をして、その会議案にまとめたような結論を融資部で出したのであります。
  765. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 審査部の審査をしたものがあるのじやないですか、あなたはそんなことを言うけれども……。
  766. 湊守篤

    ○湊証人 どうも非常に疑つておられるように聽いておるのでありますが、私がもしここでそれを隠しましたら、さつき委員長から言われたように私は偽証罪に問われるのであります。私はあるかないかを当然知つていなければならないのであります。絶対にありません。もし疑問に思われるようでしたら、ほかに同樣のケースがいくつかございます。審査を一應断つたわけじやありませんが、審査部は非常に忙しいので、これは復金の内情をよく御存じの方は御承知と思いますが、できるだけ審査の手を経ないで融資のやれるものは融資をやるやり方をとつております。
  767. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 いくら忙しくても私ども法律の観点からいけば、海外漁撈と会社というものは全然組立も何も違つて來ておる。それをあなたは会社の謄本も出させないでやつたのですか。会社は設立登記は済みましたでしよう。
  768. 湊守篤

    ○湊証人 いや登記の謄本は來ておるのですが、謄本はお手もとに差上げてありませんか。
  769. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 來ていないのです。そういうものは一つもないです。
  770. 湊守篤

    ○湊証人 ここに二十二年八月五日に東京地方事務局日本橋出張所でとつた謄本がございます。
  771. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 出ておるのですか。
  772. 湊守篤

    ○湊証人 出ております。
  773. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 とにかく私どもは、あなたのこの事件だけじやない、今後もあることだが、審査がそういう場合には断然新たに行わるべきものと私は確信する。その程度で次に進んで行きましよう。  そこで融資の方法ですが、この会社は資本金は二百万円ですね。
  774. 湊守篤

    ○湊証人 そうです。
  775. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 設立登記はいつ済んでおりますか。
  776. 湊守篤

    ○湊証人 八月一日でございます。
  777. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 資本金は二百万円ですが、この会社にはほかには資産は何もありませんか。
  778. 湊守篤

    ○湊証人 できたばかりの二百万円に見合う資産といたしましては、船に対する手附金、前渡金のようなものが大部分であろうと思います。
  779. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 どのくらいの手附金があるのですか。
  780. 湊守篤

    ○湊証人 そういう資料を持つてきておりませんが、その当時は先ほどちよつと申し上げましたように門屋氏が相当金を出しておるわけであります。五百万円出したと申し上げたのはずつと後のことでございますが、この当時すでに川南造船に未拂になつてつたものを門屋氏が川南造船に拂つておられますから、――拂つておられますという経過は、農林省の事務当局と連絡して聽いたわけでありますが、從つて会社設立直後貸借対照表を出さしてどうこうということは、このときはしてないかもしれないと思います。
  781. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 あなたの方から資料が出ておるのを拜見しますと、造船契約は二十二年十一月一日にできておるのですね。
  782. 湊守篤

    ○湊証人 これは第四次船の関係で正式の契約はできなかつたのであります。
  783. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 それはどうか知らぬが、十一月一日ですね。それであなたの方の調書には船ができてすでに運轉しておるようなことが書いてある。この調書を読んでみましよう。これは非常に大事なことですから。  「且つ事業の行きも一應の見透しがついたので本金庫においても再びこれを考慮せんとするものである。即ち其の後先ず株式会社組織への変更に努力し去る八月一日附を以て設立登記完了現衆議院議員北村徳太郎の肝入りに依り元農業大臣秘書官保利茂を社長に推し武田嚴は一歩退いて専務取締役に就任從來の有力なる資金的援助者だつた永井仭九郎とは一應縁を切り新たに門屋盛一(星野組社長佐世保商工会議所副会議)を取締役に迎えいれることに成功」、こういうことが書いてありまして、それから「事業計画もその後一部変更し、從來未経驗のかつお、まぐろ漁業は一時これを中止、最もあたりはずれのない以西底曳網二組のみをもつて進むことになつたので、その漁獲については大体間違いはないものと思われ、かつ魚價もその後公定價格の改定あり、その收支も一應何とかやつていけるものと考えられる」それからここのおしまいに「どうにか切りまわしていけるものと思われる」とこう書いてありまして、次に「すなわち不足金八千万円は縁故借入金によらんとするものであるが、現に当社は九月末現在すでに七千五百万円を門屋及び地元銀行より借入れて造船所の支拂の一部を了し、一部の仕込みを行つて諸船の準備を進めている状態にある。建造船舶も一組二隻はすでに試海轉を了し」と書いてある。試運轉を了されましたか。次に「代金支拂とともにただちに引取りの上出漁し得る態勢にあり、二組も十一月中には操業に入れる見込みである」こう書いてある。私はこの点は何かの間違いではないかと思いますかどうですか。
  784. 湊守篤

    ○湊証人 私は間違いではないと思います。ただしかし私自身それから私の部下もこの建造計画を見に参つておりませんから、この点についてここで確言することはできかねますが、この建造状態は先ほどから何度も御説明いたしましたように、農林省の水産局の方に一々問合せをいたしまして、水産局に各造船所の竣工状態をレポートするような仕組になつておりますから、竣工がおよそどこまで進んだ、金はどれだけ拂われたというようなことは、農林省の水産局では全部わかつております。それを見てわれわれはこう判断したわけであります。
  785. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 けれどもこのときには造船計画からいくとおそらくこしらえるのに手付を打つたに違いない。ですからこのときにはこういうふうに書かなければ通らぬからこういうふうに書いたのだと私は思つている。そのときにその見透しをしないであなた方がやつたとしたなら、これが違つてつたとしたならば、その責任はあなた方にあると思うがどうですか。
  786. 湊守篤

    ○湊証人 もしそのお話の通りでありましたならば、われわれは全責任を負います。
  787. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 融資には手形融資と証書融資とありますね。
  788. 湊守篤

    ○湊証人 ございます。
  789. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 こういう場合には、一体手形融資をやりますか。
  790. 湊守篤

    ○湊証人 これは漁業財團を担保として融資すべき融資金であります。ところが漁業財團は船ができ上つて一切の登記が完了しなければ設立することができません。そこで漁業財團の抵当権の設立ができるまで一時的に前貸という形で出すのであります。復金の融資は多くのものがそういう形になつております。從來のようにちやんとした工場財團をもつているところの人が復金に來たときには、抵当権を設定して金が貸せるわけでありますが、貸した金は船をつくる、あるいは工場をつくる場合には、工場なり船なりが完成した上で保存登記もやり、財團も組織して、その上で抵当権を設定することになるが、現在では非常にその点が変つておりまして、当時は手形なしに暫定的に融資したわけです。
  791. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 こういう場合に担保はどうするんですか。
  792. 湊守篤

    ○湊証人 その間は無担保です。
  793. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 そういうことでみなやるのですか。
  794. 湊守篤

    ○湊証人 そうです。
  795. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 あなたの方の復金でやる融資は、ほとんど無担保状態で貸すとというのですか。
  796. 湊守篤

    ○湊証人 最初はそうです。
  797. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 もし間違つたときには、やはり責任を負う、こういうわけですか。
  798. 湊守篤

    ○湊証人 もしあなたの言うように、担保を受けてからでなければ貸せないということになつたら、今日復金がやつております融資のおそらく九〇%以上は不可能になると思います。
  799. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 しかし無担保でやるだけに、今復金の金の貸し方は非常にだらしがないと言われて問題になつているのは、そういうところから來ているのではないかと思います。あなた方のやつていることは非常に危險性があると……。
  800. 湊守篤

    ○湊証人 私どももまつたくそう思つております。それはよく存じております。
  801. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 あなた方もそう思つてつておりますか。
  802. 湊守篤

    ○湊証人 そう思つてつております。これは本來の金融機関ではないのでありますから……。
  803. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 それはあなたが悪いわけではない、制度が悪いのです。ですから普通の金融機関金融……。
  804. 湊守篤

    ○湊証人 そういつた完成しなければ担保がとれない、一時無担保状態におかれるというような危險がある金融だから普通の金融機関は貸さない。しかし日本の経済を再建しなければならない、どうしても日本を復興しなければならないというので復金がやつているのだから、それは覚悟してやつているのです。
  805. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 怪し氣なものをもつてつて、当てはまるところをこしらえて運動すれば、そこへはまる場合があるのですね。(笑声)それでこの金を貸すときだれが保証人になつたのですか。
  806. 湊守篤

    ○湊証人 一番最初の一千万円の融資については、保利さん、武内さん、門屋さん、川西さん、この四人が保証人であります。
  807. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 柳堀という人は……。
  808. 湊守篤

    ○湊証人 その人は二回目の貸増し、今年の三月にやつたときにはいつておられるのではないのでしようか。
  809. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 第二回目に融資したときは三百万円、あれはなんぼ申込みをしたのですか。
  810. 湊守篤

    ○湊証人 私は昨年の十二月十五日でしたか、辞令をもらつて石炭金融部の方に轉籍になつて、三月の融資には関係しておりませんが、知つている範囲でお答え申し上げてよろしければ申し上げましよう。
  811. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 それで結構です。
  812. 湊守篤

    ○湊証人 三月の融資は、申込はやはり千万円だつたように聞いております。
  813. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 そしてなんぼ貸したのですか。
  814. 湊守篤

    ○湊証人 三百万円です。
  815. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 審査調書を見ると四百万円となつておりますが……。
  816. 湊守篤

    ○湊証人 いいえ、審査は二百万円でしよう。
  817. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 ああ二百万円……。その二百万円になつているのに、何か懇談会のようなことをやつて、結局三百万円になつたのですか。
  818. 湊守篤

    ○湊証人 そうです。
  819. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 ああいうのはどういうわけですか。
  820. 湊守篤

    ○湊証人 これは根本君お聽きになるといいと思いますが、審査担当者は苛烈な調書を書くわけです。これは担当者の熟練の度合によつて、私なんかも経驗があるのですが、始めてから一年ぐらいのときはめちやくちやに悪口を書きたくなる、最初のうちはぼんやりして、何でも向うさまのおつしやる通り書いて、一年くらいになるとめちやくちやに悪口を書く。それからもう一年ぐらいになるとやつと一人前になる。今金庫にはめちやくちやに悪く書きたがるような時期に來ている人が非常に多い。そういう点も融資としては、書いた人の人柄なりその経險の程度なりいろいろ見て、調書というものをわれわれの方で選り分けていかなければならない。そこでこれは融資の審査の部長とか次長とか、比較的熟練している者とときどき連絡いたしまして、こういう結論になつておるけれども、私の方ではこう思うがどうだ、というような相談をいたしまして、一應融資審査の妥結点に到達した上で、議案をつくつて幹事会に出す、こういうやり方をしておるわけであります。ですから調書そのままをお読みになりますと、かなり激しいことが書いてあります。
  821. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 私はそれがほんとうだろうと思います。審査部の二百万円というものがほんとうの見方だが、あなた方が政治的に動いて三百万円が四百万円になつてくるのではないですか。
  822. 湊守篤

    ○湊証人 審査部の結論よりも少く貸した場合もあります。これは審査の結論も絶対のものではないわけです。殊に金庫は御承知と思いますが、非常に人手が足りないので、大学を出たいきなりの人をこういう仕事に使つております。これはなかなか熟練するには日数がかかるのですが、そういうことは言つておられませんから、若い人をこういう仕事に使つている。そうすると、審査の報告書にもずいぶんいろいろな間違いがあるわけです。これを融資の方で相手方にもきてもらい、折衝した結果、どうも審査の見方は多少感情的だとか、あるいはかなり一方的である。いろいろ問合せをいたしますときにも、いいことを言う方面と悪いことを言う方面とあるのですが、悪いことばかり書いておる場合があれば、われれれの方から注意をして、それを適当に処理していくというようにやつております。
  823. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 もう一つ、この審査調書ですね、あとの方の審査調書によると、こういうことを書いてあります。 「すなわち当社はその前身たる日本海外漁撈更生組合の名において、二十二年三月本金庫に対し右借入申込をなしたるものなるが、経営陣の弱体、資金計画並びに企業計画の杜撰等の事由により一應拒絶せられたり。その後同組合理事長武田嚴及び理事川西睦はあくまで本年業の達成を意図し、本金庫よりの拒絶事由排除に努力せり。川西理事はその個人的知友関係にある兒玉正勝(法政大学教授)を通じ、同人の親友にあたる犬養健に事情を訴えしところ、犬養はさらにこと問題を政治的同志たる保利茂(元代議士、元農林大臣秘書官、現当社取締役社長)に、これを相談し、保利は本事業を引受けたり。他方從來の有力なる資金的援助者たりし永井仭九郎とは一應縁を切り、犬養健の紹介にて北村徳太郎(親和銀行頭取、現代議士運輸大臣)及び門屋盛一(星野組社長、佐世保商工会議所副会頭)の資金的援助を得ることとなれり。しかして同年八月資本金二百万円をもつて当社を設立し、左のごとき事業計画及び資金計画を樹立し、当金庫より一千万円を融通せるものなり。」こういうことが書いてある。こういう事実があつたのですか。
  824. 湊守篤

    ○湊証人 このことは私もこの通りはつきり聽いたわけではありませんが、大体こういうふうに当時伺つておりました。これは川西さんから伺つたのです。川西さんから、どういう関係で門屋さんが保利さんと関係がついたかということについて私が伺いましたときに、こういうふうな経驗のお話を川西さんがされたように記憶いたしております。この調書を書いた人はだれからこの話を聞いたか、当時融資の課長をやつておりました者から聞いたのか、直接聞いたのか、その返はつまびらかでありませんが、とにかくこういうことは川西さんがずつと金庫の関係をやつておられましたから、川西さんが言われたと思います。
  825. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 それで門屋盛一氏はここへ大分金を出しておるのですか。
  826. 湊守篤

    ○湊証人 出しております。最近までにはつきりした分だけで八百五十万円くらい――門屋氏自身は千万円出しておると言つておられますが、それは若干の運轉資金や多少の立替だろうと思います。
  827. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 それはどういう理由で知つているのですか。
  828. 湊守篤

    ○湊証人 私この審査をやりましたときに調べたり、今日根本君に聽いてここに参りますときに審査報告書も読んだのでありますが、この審査報告書のどこかに出ていると思います。
  829. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 それは審査報告書のどこかに書いてあるかも知れませんが、実際は審査という場合には現地に行つて調べるのじやないのですか。ただ人の言うことを聽いてそれでやるのですか。審査というものはどういうことをやるのか、実際は農林省がこうだと言つたからそうであり、あの人がこうだと言つたからそうするのですか、審査は現地に行くのじやないのですか。
  830. 湊守篤

    ○湊証人 それは疑わしいと思うものは、われわれ檢察当局行つて前科を洗つたこともあります。それは疑わしいと思つた場合です。一應信頼できると思えば、たとえば預金通帳の数字などを調べて、檢事局のおやりになるような方法でトレースするということは、金庫としてできないと思います。
  831. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 できないといつて、できるだけのことをしたのですか。
  832. 湊守篤

    ○湊証人 怪しいと思うときは、とことんまで調べる。実はずいぶん摩擦を起して、私も脅迫みたいなものを食つたことがあります。その点は金庫ではずいぶん一生懸命にやつていると思います。本件のごとき、八百万円を門屋さんが出したか出さないか、少くとも農林省のリポートによれば、川南造船に対する支拂が八百万円來ているということがわかれば、今ここに門屋さん以外に金を出す人はないと私ども思うわけです。
  833. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 この日本海外漁撈更生組合の審査をしたのは、だれですか。
  834. 湊守篤

    ○湊証人 その審査担当者は浦野君という人です。
  835. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 それからあとは……。
  836. 湊守篤

    ○湊証人 あとは坂田君です。
  837. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 坂田何という人ですか。
  838. 湊守篤

    ○湊証人 名前はよく存じません。
  839. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 あなたの金庫の人じやないですか。
  840. 湊守篤

    ○湊証人 金庫の人ですが、名前までは知つておりません。浦野君は知つております。浦野庸二といいます。
  841. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 そこで実際は資本を出している保利さんも門屋さんも北村さんも懇意で、大体これは門屋さんの事業のようになつてしまつているのですが、あなた方の方の見方は……。
  842. 湊守篤

    ○湊証人 私どもの見方は、門屋さんは單なる金主だと思います。
  843. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 ここに柳堀という人が顧問の中にはいつているが……。
  844. 湊守篤

    ○湊証人 ええ。これは門屋系統と見られております。星野組の顧問に一度就かれたわけです。門屋さんとの関係は私は詳しく存じませんが、星野組の顧問をしばらくしておられたので、門屋さんを代表して重役にはいつているとわれわれとしては見ております。
  845. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 そこでこの調書ですが、北村徳太郎氏の肝入りによりというのは、どういうのですか。
  846. 湊守篤

    ○湊証人 これもこれを書いた担当者が川口さんから伺つて、それをそのまま卒直に書いたわけです。
  847. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 これは担当者はだれですか。
  848. 湊守篤

    ○湊証人 担当者は戸沢という人です。
  849. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 去る八月一日附をもつて設立登記完了、現衆議院議員北村徳太郎の肝入りにより元農林大臣祕書官保利茂を社長に就任……これは保利さんを社長に推したのは北村氏だというふうに見るのですか。
  850. 湊守篤

    ○湊証人 そうです。
  851. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 この金融についてあなたは北村さんから、これを貸してやつてくれと言つて頼まれたことがあるはずですが……。
  852. 湊守篤

    ○湊証人 頼まれたことはございません。先ほど私ここで御説明申しましたように、衆議院の財政金融委員会で、北村さんに私からこの件についてどう思われるかということを伺いました。そうすると北村さんは非常に強い門屋さんの人物保証のようなことをされましたが、だからぜひこれを貸してやつてくれとはやつしやらなかつた。これは私として一年前のことでそのときの話のやりとりのこまかいことまでは覚えておりませんが、頼むというようなことは言われた記憶はございません。
  853. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 電話で話をされたことはありませんか。
  854. 湊守篤

    ○湊証人 いろいろの問題で北村さんからお電話をいただいたことはありますが、本件についてはございません。
  855. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 電話で頼まれたことはございませんか。
  856. 湊守篤

    ○湊証人 ありません。
  857. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 この金を貸した時分、あなたの下の方にいる人はなんという人がいるのですか。
  858. 湊守篤

    ○湊証人 下の方には次長に島原健一、現在公團金融部長をやつております。岡一雄、現在祕書課長をやつております。次長が二人でございまして……。
  859. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 事務にいる人は……。
  860. 湊守篤

    ○湊証人 本件の担当者は先ほど申し上げました戸澤でございます。今迭つております。
  861. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 戸澤という人の代りを今たれがやつておりますか。
  862. 湊守篤

    ○湊証人 今は渡邊がやつております。融資第三部。
  863. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 もう一遍念を押しますが、この問題は大体海外引揚業者であるからということだけれども、一應この問題は断わつてしまつたものをあとでこういうふうに木に竹を接いだような仕事がしてあるのだが、こういうような問題は――実は門屋さんと北村さんと非常に懇意なのです。それでこの問題は北村さんが非常に骨を折られたということを実は聞いているのですが、あなたがこれを隠すのでなければよろしいですが、念を押しておきます。後日のこともあるから言うなら今のうちに言うた方がいい。あなたがその請託を容れた容れぬは別ですよ。話があつたかないかということを正直にあなたが言うて下されば非常に参考になります。実はこういう話があつた、それでこういうように私どもは考え通りにやつたのだというならいいが、全然あなたがそういうことがないということなら私は今後できるだけそれを調べなければならぬ。調査した資料を全部出してもらいます。そうした手続の資料をあした全部出してください。私どもはどんな方法で金をどれだけ出したということについての資料を集められた農林省の方にあるやつも全部出していただきます。これは何もこの問題だけでない。今ここでは私はその係りでありませんけれども、あなたの方の係りをやる人が大分できておられるわけであなたの方とは御縁故が深くなるわけである。あなた方がどうというのではない。あなた方の制度を私どもは考えるだけで、あなた方個人をどうという問題はおそらく起らぬと思う。制度としてはたしていいかどうか。昭和電工のような問題が起りつつあるのは私はこういうところからくるのだと思う。國家の金だから都会よく言うてくれば無担保で貸すやり方はあんまりなさらぬ方がいいだろうと思います。最後にあなたにこのことを念を押して伺いたいのは、ないならない、実はこういう電話で話があつたなりあるということを最後にそれだけを伺つておきます。
  864. 湊守篤

    ○湊証人 電話でもございませんし、金庫で私が北村さんからこの件について依頼を受けたこともございません。ただ先ほど申し上げた衆議院で北村さんにお会いして、このことについて数分間お話し申し上げたことがあるということだけであります。
  865. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 それからこの事案についてこの期限が順々に延びて適当に延ばしていきおりますが、あれはどういうことなんですか。今年の一月が期限ですね。
  866. 湊守篤

    ○湊証人 さつき申しましたように、漁業財團が設定されるまでは短期の手形で前貸しをしております。從つて期限は短期にどんどん変ります。
  867. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 そういうことは書いてない。この船ができるまで一時するというのじやない。金融の状況によつてこれを変更することがある。
  868. 湊守篤

    ○湊証人 それはレートです。利息の但書として今後一般の金融情勢に應じて変更するものとする。それは私の方のレートには全部つける條件です。
  869. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 そんなことはない――これはそういう意味ですか。期間として昭和二十三年一月二十五日、四箇月手形期間と書いてありますね。
  870. 湊守篤

    ○湊証人 そうです。
  871. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 そうでしたら初めから造船ができて担保をつけるまでということに大体の期間を定めて、そういうことをつけておけばよろしい。
  872. 湊守篤

    ○湊証人 四箇月あればできるだろうとその当時思つたわけです。
  873. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 それで船はできたわけですか。
  874. 湊守篤

    ○湊証人 大体できたわけです。現在では漁業財團を組織して抵当権設立を済ましております。
  875. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 毎月報告はしておりますか。
  876. 湊守篤

    ○湊証人 会社からの決算その他の報告ですか。
  877. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 毎月報告すると書いてありますね。
  878. 湊守篤

    ○湊証人 これは私今担当しておりませんので最近の状態についてはお答えできません。
  879. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 担保をつけたことは間違いないですね。
  880. 湊守篤

    ○湊証人 それは証書がございます。登記簿謄本なんかもございますので、私も知つておるわけです。
  881. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 ちよつと聽きたいのは、先ほどのお話で組合に対して融資を断わつたのは六月四日だとおつしやいましたが、それから門屋氏たちがあなたの方へ見えたのはいつ頃ですか。
  882. 湊守篤

    ○湊証人 それがどうも、あまりはつきりした日にちの記憶がないのですが、六月の末から七月初めにかけてのように思います。
  883. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 相当距離があつたですか。
  884. 湊守篤

    ○湊証人 ちよつと距離があつたよう記憶しております。
  885. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そこでその当時は会社になつてもまだいろいろ先ほど聞いたような條件が揃わなければ金を貸すわけにいかなかつた状態だつたろうと思いますが、それはどうですか。
  886. 湊守篤

    ○湊証人 その当時四次船の問題だけが問題であつたわけですが、四次船の問題について、この点私記憶はつきりしないのですが、四次船がその当時もうすでに不許可がはつきりきまつてつたかどうか、その前にお目にかかつたか、その後にお目にかかつたか、そのとき四次船の話を出した記憶がないから、そのときとしては四次船の問題ははつきり暗礁に乘り上げるということがきまつてなかつたように思います。
  887. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 船の問題はそれもあるが、先ほど言われたように経営者がどうであるとか、人がどうであるとかいつて、十月頃になつてつてすべてが解決したんでしよう。從つて六月末もしくは七月の初めだとまだ海のものとも山のものともつかなかつたと解釈していいじやないかと思うが、経営者の問題であるとか……。
  888. 湊守篤

    ○湊証人 ただ海のものとも山のものともつかぬと言うとそういうふうになるのですが、四次船の一次二次三次への切替というのは徐々にやつてつたわけですね。從つてこの船が浮び上がるかどうかということは不確定であつたわけであります。しかし大勢としては農林省の非常な努力があり、司令部の方の了解があつて、とにかく空きがあつたらどつかへはめこむということは認められておつたのですが、まあ可能性は半々か、若干多くあつたということであつたかと思います。
  889. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 いずれにしてもすべての條件はそろつていたことは間違いありませんね。
  890. 湊守篤

    ○湊証人 そうです。
  891. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 ところが門屋さんがここへ参られまして言われるのに、調査次長の方針は二百万円の会社になりさへすればいいのだ、ほかの條件はないのだと確かなことを言われるので、そこであなたに会つて、ずいぶん待たされて、次長に会つたら二百万円のほかには何もいらない、それさへできれば何も條件はいらないのだと言われたのですが、今のあなたのおつしやるのと大変違うように思うのですが……。
  892. 湊守篤

    ○湊証人 根本さんがどういうふうに言いましたか、私自身としては一年前のことであり、あのときの言葉のやりとりは全部憶えてはおりませんが、いろいろ話をしたと思います。武田という人のことについてもそのときに触れておると思います。そのときの話であつたか、あとで聞いたか、その聞いた時期はよくわからないのですが、武田氏がもしあまり信頼できないというなら、漁撈長という資格にまで下げるということが考えられた。しかしさつさ申したように二百万円の会社にすればすぐ金が出せるという、そういう簡單な状態ではなかつたのです。
  893. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 そういうことは言われないのですね。
  894. 湊守篤

    ○湊証人 それはとても言われません。
  895. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 ところが門屋氏が次長に会つたら二百万円の会社であればいいのだ、何も要りはしない。從つてだれの力も借りる必要はなかつた。そこでわれわれはそんなにうまいわけにはいくまいというので、私は念のため融資部長に会つたわけです。融資部長もその通りだと言われる。
  896. 湊守篤

    ○湊証人 そんな簡單なケースではなかつたと思います。
  897. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 もちろんそうだと思います。
  898. 湊守篤

    ○湊証人 根本君がどういうように言いましたか、しかし私は門屋さんが非常に憤慨されて來られたところから見ても、本件について最初からもし今いろいろ疑われておりますように北村さんに御関係があつたのでしたら、最初から北村さんがわれわれの方に何らかそういう電話をかけるなり、名刺を持たせるということでもあれば、あんなに門屋さんが怒られるようなことは起つていなかつただろうと思います。とにかく最初門屋さんは非常に問題を簡單に考えておられた。われわれがそれに対して非常にむづかしい話をするもので大変怒られたものだと思うのです。
  899. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 とにかくそのときは面倒なように話をしたと承つてよろしうございますね。
  900. 湊守篤

    ○湊証人 それはどこまで話したかはつきりいたしません。今お話したように單純なお話でお別れしたとは記憶いたしておりません。
  901. 田中角榮

    田中(角)委員 一問だけ。第二回の三百万円の融資については昭和二十一年一月二十九日に資金調整法の許可がとつてありますが、前の一千万円のときの日銀の資金調整法によるところの認可は何月何日附でありますか。それだけお答え願いたいと思います。
  902. 湊守篤

    ○湊証人 その関係の資料を持つて來ておりませんので正確にお答えいたし兼ねますが、資金調整が通れば懇談会も自動的に通ると考えておりますので、懇談会のあつた日と資金調整が通つた日と同じであつたと思います。
  903. 田中角榮

    田中(角)委員 結構です。そうしますと融資懇談会からくるときに一緒に日銀から許可になつた筈ですから、そのときには第四次のG・H・Qの許可があるという見透しでもつて日銀は許可したわけですね。
  904. 荊木一久

    ○荊木委員 ちよつと伺いたい。何か本件は借すべからざるものを借した。それが北村徳太郎の紹介であつたともつぱら言われておるのですが、このごろは北村さんは官途に就いていたわけではありませんね。
  905. 湊守篤

    ○湊証人 その当時北村さんは衆議院の財政金融委員会の委員長をしておられました。
  906. 荊木一久

    ○荊木委員 それで伺いたい。よくあることであると思うのですが、たとえば代議士あるいは政府の要路者があなた方のところへ融資をするようにと名刺を持たしてきたり、電話をかけたり、紹介をしたら金を貸しますか。
  907. 湊守篤

    ○湊証人 この点は声を大きくして申し上げたいのですが、今までのいろいろな御質問に対しましての私の卒直の氣持は実にいやな氣がいたしておるのであります。私どもはその点につきましては、ほんとうにここで眞裸になつて見せたいという氣持でおります。これは復金の中にはいりこんでおられる人たち、あるいは復金というものをよく研究している人たちにお聽きくださるとわかると思いますが、私どもはそういうことについては職を賭して頑張つてきた実例もあります。そういう実例を申し上げることはいろいろな方に不測の御迷惑のかかることであるますので差控えますが、私どもはその点については非常な確信をもつております。また今の金庫の組織はいろいろ非難もありますけれども、かなりいろいろな角度から監視するというような建前になつております。たとえば例の幹事会とか委員会とかいうものはいろいろ悪い面もあると思いますけれども、われわれの仕事に対しては相当監督的な立場にあります。それから金庫の中の若い人たち、これはいろいろな階層からいろいろな形で集まつておりますが、現在相当しつかりした組合もあり、われわれの仕事が曲るということについては非常に強い監視の眼をもつて見ております。また私融資部長といたしましてどうぞ早くそういうものをつくつてもらいたい、俺一人がそういういろいろな問題にぶつかることは私としては非常に苦しい、だから組合がしつかりしていれば私自身としてもいろいろな場合に組合におんぶすることもできるといつたようなこともあるのでありまして、私どもとしてはその点については非常な確信をもつておるのです。
  908. 荊木一久

    ○荊木委員 私の聽きましたのは逆なんです。たとえば政府の要路者なり代議士なり、相当有力な人が口をきいた場合でも貸さぬことがありますか。
  909. 湊守篤

    ○湊証人 卒直に申し上げます。私どもとしては非常に控え目になります。殊に昨年の夏ごろから復金の問題がいろいろ問題にされるようになりましてからの私ども担当者の氣持は非常に消極的であります。このことはしばしばいろいろな方面で論議されていると思いますが、ならざるを得ないと思います。殊に政治的な匂いが多少でもあれば、われわれとしては何とか逃げようという氣持になるのは偽らざるところであります。
  910. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 今あなたは何ですか。
  911. 湊守篤

    ○湊証人 石炭金融部長であります。
  912. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 大分あそこは更送が多いようですが、どういうわけですか。
  913. 湊守篤

    ○湊証人 これは機構改革をやりましたためにああいうようなことになつたわけであります。融資部が非常に厖大になりましたことと、議会方面から非常な御要望があつて、金庫の貸金の監理が今までうまく行つていない、そのために独立した金融部門監理部をつくるというようなことから相当全面的な人事異動をやらなければならなかつたわけであります。
  914. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 調書というものは相当尊重するのでございますか。あなたのさつきつたのは、いい加減にやらして二百万円と言つても三百万円にしたり、四百万円にするので、もう尊重しなかつたというのですか。
  915. 湊守篤

    ○湊証人 これは非常に尊重いたします。先ほど私が申し上げましたことがそういうふうにお耳にはいりましたら、私の申し上げ方が足らなかつたのであります。
  916. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 そう尊重しますと、ここに出してもらつた調書はどういうわけでこんなに消して出しましたのかね、三個所も四個所も消してある。
  917. 湊守篤

    ○湊証人 消したり継いだりはいだり、たくさんごらんいただきますればいくらでもその例はございます。
  918. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 調書ですからそんなわけにはいかぬでしよう。
  919. 湊守篤

    ○湊証人 そういつた鉛筆書で汚い調書を書くということ自体お叱りを受けてもよいだろうと思います。私は興業銀行の出身でございまして、多年そういう審査の仕事をやつてまいりました。私どもは必ずそういう原稿を書きまして、それをペンで清書して出したものです。それでなければいけなかつた
  920. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 それを今あなた方はどうしてやらないのですか。
  921. 湊守篤

    ○湊証人 やつている余裕がないのです。
  922. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 そうして書いたものでも、出すときにはわざわざぐあいの悪いところは消ゴムで消して出さなければいかぬですか。
  923. 湊守篤

    ○湊証人 こちらへ出すときにですか。
  924. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 そうです。
  925. 湊守篤

    ○湊証人 決して私はこちらへ出すときに消したとは思つておりません。
  926. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 しかしこれはひどいじやないですか。見るだけ見ておいてください。三箇所ぐらい大きなのがあります。
  927. 武藤運十郎

    武藤委員長 明禮君よろしゆうございますか。
  928. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 いいです。
  929. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは済みました。御苦労さまでした。     ―――――――――――――
  930. 武藤運十郎

    武藤委員長 根本さんですね。
  931. 根本清介

    根本証人 さようであります。
  932. 武藤運十郎

    武藤委員長 今も調査部次長ですか。
  933. 根本清介

    根本証人 いや審査部の次長です。
  934. 武藤運十郎

    武藤委員長 二十二年の三月ごろもですか。
  935. 根本清介

    根本証人 さようでございます。
  936. 武藤運十郎

    武藤委員長 大分時間も経ちましたから、簡單に伺います。それに湊さんから大分いろいろのことを伺いましたので、あなたの方でも簡明にお答えください。あなたの方で融資をするときの調査といいますか、審査といいますか、どんな程度でやるのですか。
  937. 根本清介

    根本証人 審査の方針といたしましては、事業目的が日本経済の復興に役立つか、あるいは國民生活の安定に役立つか、そういう事業内容が復金の融資の対象として適切であるかどうかということをまず第一に檢討いたします。  次は企業の実態が復金の融資対象として適切であるかどうか。たとえば経営者側のメンバーがどうか、あるいは会社の経理状態がどうか、そういうような会社事業の実態につきまして十分檢討いたします。  第三番目の手続といたしましては、復金の融資対象となるものは日本経済の復興に必要な資金であり、國民生活の安定に緊要なものであると同時に、そういう事業であるにかかわらず一般の金融機関金融ができないものを融資の対象といたします関係上、どうしても償還の見透しの非常にむずかしいようなものです。しかしながら復金はあくまでも金融機関でありますので、還つてくるということを前提といたします関係上、償還能力があるかどうかという点、この三つの点を十分に檢討いたしまして、融資部の方で融資の可否を判定する材料を提供するような仕組になつております。
  938. 武藤運十郎

    武藤委員長 昭和二十二年の三月ころ日本海洋漁業株式会社に融資をしたことがあるようでありますが、その際はただいまあなたがお述べになつたような方針に基いて調査をして融資をしたものでありますか。
  939. 根本清介

    根本証人 ただいまのお話ですと、二十二年の三月ころということでありますが、申込みは三月ころございました。それで大体今申し上げましたような方針に則りまして、調査をいたしましたけれども、あまりおもしろくないというような結論が出ましたので、日本銀行における東京中央融資懇談会にその問題が上程されましたときに、その内容を申し上げまして、この案件はあまりおもしろくないということを説明いたしましたところが、農林省の方からこの事業につきましては、相当支援がありましたので、もう一度復興金融金庫の方で調査をした上で、納得のいつたところで融資をしてもらいたいという條件がつきまして、一應三月の末だと思いましたけれども、融資懇談会で通過いたしたのであります。そこで私の方でさらに詳細に檢討いたしましたところが、やはり結論があまり変らない、融資対象としておもしろくないということになりましたので、そういうことをまとめて五月の十日ごろと思いましたが、融資部の方に調書を回付いたしました。
  940. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうすると調べてみたけれども結果がよくない、またやつてみたけれどもなおよくない、そういうわけですね。しかし二十二年の十一月と二十三年三月の二回にわたつて千三百万円の融資をしておりますが、これはどういうことでそうなつたのですか。
  941. 根本清介

    根本証人 それはただいま申し上げたように、審査部というところは融資部で融資をする際に融資の可否を決定する資料を提供するところなのです。そこで日本海洋漁業、その前身である日本海外漁撈更生組合からの申込に対しては、経営の中心になる理事長の武田巖、この人の内容につきまして十分檢討をいたしましたところ、あまりいい結果が出てこない。それから組合の幹部の間のまとまりもあまりよくない、資金計画があまりはつきりしてない。いろいろな点で難点がある組合なものですから、その点を指摘いたしまして融資部の方に回付いたしたのであります。しかしその後日本海外漁撈更生組合の方ではあくまでこの事業を遂行したい。難点のあるところは排除いたしますからやつてもらいたいという非常に強硬なしかも熱烈な希望が出てまいりました。そこで融資部といたしましては、一應その申出を考慮に入れまして、納得のいつたところで融資をするというところがありますから、その申出を容れまして、十一月ごろ一千万円の融資をしたのであります。
  942. 武藤運十郎

    武藤委員長 初め一千万円ですね。
  943. 根本清介

    根本証人 それから今年の三月ごろと思いましたが、船價の値上りに伴いまして、これは各社ともそういう申出があつたのでありまするが、この会社からもそういう申出があつて三千万円の融資をいたしたと思います。
  944. 武藤運十郎

    武藤委員長 融資をするについて北村徳太郎さんのお口添えでもあつたので特にそうしたというわけではないのですか。
  945. 根本清介

    根本証人 それはございません。
  946. 武藤運十郎

    武藤委員長 電話でも口頭でもそういうことはないですか。
  947. 根本清介

    根本証人 私はお目にかかつたこともございませんし、電話でお受けしたこともございません。
  948. 武藤運十郎

    武藤委員長 その後この融資はどうなつておりますか。
  949. 根本清介

    根本証人 一千三百万円の融資をいたしましたが、最初の以西底曳二組の建造資金でございます。一組の方は今年の初めから出漁しております。もつとも第一回の出漁のときに一部船体に故障がありまして引返してきたようでありますが、その後はずつと出ておると考えております。第二組の方は三月の下旬ごろから出ておると思いますけれども、なかなか手がまわりませんから、その後の状況については十分な調査を私の方でしておりません。
  950. 武藤運十郎

    武藤委員長 何かお尋ねのことございますか。
  951. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 私が疑問になるところは、海外漁撈更生組合と日本海洋漁業株式会社とは別の人格者であります。それを木に竹を接いだように、先ほど湊さんからも聽いたのですが、海外漁撈更生組合の方で断わつてしまつた場合には、あとでまた日本海洋漁業に金を貸すときにさらに融資懇談会に別にかけなければならぬのではないかというような説明を聽いたのですが、あなたは知つておられるからああいうことを言つてもわかるでしよう。何だか條件附のようなことで、書類が出ておりませんからわからぬけれども、復金にて十分調査の上確信を得た場合貸出しのことというようなことではいかぬのではないかと思いますが、いかがですか。
  952. 根本清介

    根本証人 それは最初日本海外漁撈更生組合から申出がありまして、その問題が三月の第二回目の金融のときと思いましたけれども、日本銀行の融資懇談会に上程されましたときに、この海外漁撈更生組合は当時は名称ははつきりしていなかつたと思いますけれども、資本金二百万円の株式会社に改組する準備中である、從つて当然日本海外漁撈更生組合は近き將來において日本海洋漁業株式会社――資本金二百万円の株式会社に振りかわるものであるということがはつきりしておるのであります。從つて日本海外漁撈更生組合と日本海洋漁業株式会社との間は木に竹を接いだというようなお話でありますが、そういうことは全然ございませんので、これは形の変つた同一のものであると私ども考える。
  953. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 そのときにその会社はできていないでしよう。
  954. 根本清介

    根本証人 もちろんそれは手続中でございます。
  955. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 たれが社長になるものか、また二百万円入れてもどういうふうになるかわからぬのだから、一應日本海洋漁業というものができたらそのときに初めてこれを審査してやつていくものでなければいかぬと思う。
  956. 根本清介

    根本証人 しかし船の建造計画、経営者の大部分の顔触れ、そういうものが実質的に全然同じなものです。そうでない場合は今お話のようにあらためてやることも考えられますけれども、そうすると融資申込によりまして非常に長い期間をかけて審査をするようになり、御迷惑であります。私どもの分といたしましては、実体が同じであればそう形式にこだわらずになるべく早く審査を済まして融資決定をしたいという趣旨ですから、一心同体のものであればあらためて調査する必要はない、そういう観点のもとに処理を進めておるわけです。
  957. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 そうするとたとえばああいうものの審査調書をつくる必要がないという御意見ですか。
  958. 根本清介

    根本証人 それは海外漁撈更生組合の名において調書が十分練られた、しかもこの組合は当然近き將來において資本金二百万円の株式会社に改組されるものであることがはつきり書いてあるのであります。それ以外のことが変りがなければあらためて調書をつくる必要はない……。
  959. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 けれども、どういう人が迭つてどういうふうになつたのか、その二百万円というものは実は拂い込んだものかどうか、あるいは社長の信用はどうかというようなことをやはり審査しなければいかぬのではないですか。
  960. 根本清介

    根本証人 それはもちろん審査をする必要はあります。しかし融資部の方でそういうことを申込者の方から伺いまして判定がつけば、特に私の方で審査をする必要はないと思つております。
  961. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 結局その当時門屋さんと北村さんは非常に懇意だから、そういう口添えがあつたからあなた方は適当に便宜上やつたということじやないですか、実際は。
  962. 根本清介

    根本証人 いや私は門屋さんと保利さんにはお目にかかりましたけれども、北村さんにお目にかかつたことはございません。それでどこまでもやつていく、船も相当できてきている、それから武田巖前理事長も一應会社の專務まで格下げして、漁撈長程度に扱つていく、資金の面については門屋さんが全面的にこれを支援する、こういうふうな申出がありましたものですから、融資部の方からもそういう相談がありまして、特にこの際調書をつくつて云云するとまた時間がかかる、そういう見透しがつけば融資してもいいであろう、そういう話合いのもとに融資を決定したと思つております。
  963. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 ここに、北村徳太郎氏の肝入りにより、と書いてあるのはどういう意味ですか。
  964. 根本清介

    根本証人 それはあの人は長崎縣の第一人者でありますし、親和銀行の頭取もしておりますあの辺の名士でございます。今度の漁業の根拠地が大体長崎が中心になる。そういう場合はやはりその辺の名士の方が附いておられることは非常に会社のためになるというようなことから、融資部の方で何か北村さんの話を伺つたようにも聞いておりますから……。
  965. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 ここに書いてある書類はだれがつくつたのですか。
  966. 根本清介

    根本証人 それは融資部の方でつくりました。
  967. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 そうすると湊さんですね。
  968. 根本清介

    根本証人 さようです。
  969. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 この調査の中に犬養さんが骨折つたというようなことが書いてあつて、犬養さんの紹介で北村さんが出てきておりますね。こういうことは事実なんでしようね。
  970. 根本清介

    根本証人 それは私どもの担当者がいろいろその間の事情を会社の人を通じて伺つてるわけであります。それを大体まとめておるわけでありますから……。
  971. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 これをこしらえた人はだれですか。
  972. 根本清介

    根本証人 坂田という者であります。
  973. 明禮輝三郎

    ○明禮委員 名前はわかりませんか。
  974. 根本清介

    根本証人 坂田淺太郎であります。
  975. 武藤運十郎

    武藤委員長 それじや済みました。御苦労さまです。  本日はこれにて散会いたします。     午後七時三十五分散会