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1948-08-31 第2回国会 衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第53号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十三年八月三十一日(火曜日)     午後二時五十分開議  出席委員    委員長 武藤運十郎君    理事 鍛冶 良作君 理事 田中 角榮君    理事 辻  寛一君 理事 河井 榮藏君    理事 荊木 一久君 理事 石田 一松君    理事 中野 四郎君       石田 博英君    古島 義英君       明禮輝三郎君    足立 梅市君       橋本 金一君    野本 品吉君       田中 健吉君  委員外出席者         佐世保地区にお         ける隠退藏物資         等に関する事件         について出頭し         た証人     梅村忠一郎君                 門屋 盛一君                 山領 濱夫君                 藤井 友市君                 辻  一三君                 小野 徳一君     ————————————— 本人会議に付した事件  資料提出要求に関する件  証人出頭要求に関する件  委員派遣に関する件  佐世保地区における隠退藏物資等に関する事件     —————————————
  2. 武藤運十郎

    武藤委員長 これより会議を開きます。  本人理事会において決定をいたしました事項を御報告申し上げて、皆さんにお諮りをいたしたいと存じます。  第一石炭國管問題について來る四日午後一時大貫經次君野見山佐一君、麻生太賀吉君、この三名を当委員会喚問をいたしたいと思います。御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 武藤運十郎

    武藤委員長 ではさよう決します。  第二石炭國管問題につきまして本郷大野屋旅館築地金田中、同じく高野から、昭和二十二年六月一日より同年十一月末日までの宿泊人名簿金銭出納帳領收書控、またはこれに代るべき來客、飲食等を証する書類提出を求めたいと思います。御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 武藤運十郎

    武藤委員長 なおこれは九月四日までに提出を求めたいと思います。  第三、兵器処理問題についての残余の証人につきましては、從來の証人調べ、その他を十分に檢討いたしました上で、委員長、小委員長において來る四日までに、さらに喚問をなすべき証人の氏名を調査の上お諮りをいたしたいと存じます。御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  5. 武藤運十郎

    武藤委員長 ではさよう決定いたします。  第四、大阪における兵器処理関係調査のため委員を派遣いたしたいと思います。期間は四日間とし、派遣すべき委員河井榮藏君、明禮輝三郎君、御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  6. 武藤運十郎

    武藤委員長 ではさよう決定いたします。  本日御出頭証人梅村忠一郎さん、門屋盛一さん、山領濱夫さん、小野徳一さん、藤井友市さん、辻一三さんでございますが、本日御出頭願いましたのは佐世保地区における隠退藏物資等に関する件でございます。  証言を求める前に各証人に一言御注意を申上げます。昨年十二月二十三日公布になりました昭和二十二年法律第二百二十五号議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならぬことになつております。宣誓または証言を拒むことのできるのは、一般の人については、証言が、証人または証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項あるいはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するときに限られ、医師歯科医師、藥剤師、藥種商、産婆、弁護士、弁理士弁護人公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあつた者については、その職務上知つた事実であつて黙祕すべきものについて尋問を受けたときに限られております。右以外には何人も宣誓または証言を拒むことができないことになつておるのであります。なお証人が正当の理由なくして宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せらめることになつておるのであります。一應このことを御承知になつていただきたいと思います。それでは法律の定めるところによりまして証人宣誓を求めます。お手もとに差上げてある宣誓書を御起立の上御朗読ください。門屋さん代つてお読みください。     〔証人門屋盛一君各証人を代表して宣誓〕     〔各証人宣誓書署名捺印
  7. 武藤運十郎

    武藤委員長 それではお話を伺います。順序梅村さん、門屋さん、山領さん、藤井さん、辻さん、小野さん、こういう順序にいたしますから梅林さん以外のお方は恐縮ですが、もうしばらく先ほどの部屋でお待ちを願いたいと存じます。     〔委員長退席河井委員長代理着席
  8. 河井榮藏

    河井委員長代理 梅村さんですね。
  9. 梅村忠一郎

    梅村證人 はい。
  10. 河井榮藏

    河井委員長代理 お尋ねします。おなたは佐世保復興建設協会役員でありましたね。
  11. 梅村忠一郎

    梅村證人 ええ。
  12. 河井榮藏

    河井委員長代理 佐世保復興建設協会というのは一体どういう目的でできたんですか。簡單にお話願います。
  13. 梅村忠一郎

    梅村證人 簡單に申し上げます。これは昭和二十年十月中旬だつたかと思います。御承知通り佐世保軍港都市であつたために非常に空襲爆撃を受けまして、ほとんど灰燼に帰したのでありますが、その後佐世保市を復興するにはどうしてもわれわれ業者が一丸となつて一日も早く努力しなければならない……。
  14. 河井榮藏

    河井委員長代理 業者というのは土建業者ですか。
  15. 梅村忠一郎

    梅村證人 土建業者です。それからまた九月の二十二日か三日だと思いますが、すでに占領軍が進駐してまいりまして、いろいろ進駐軍から注文がありまして、その仕事も次々に遂行しなければならぬということで、どうしてもわれわれ組合員が結束して資材あるいは労力について一致協力しなければならぬ、そういう趣旨で設立したのであります。
  16. 河井榮藏

    河井委員長代理 なるほど、会員の数はどのくらいでしたか。それと重要な役員方々の名前をおつしやつてください。
  17. 梅村忠一郎

    梅村證人 会員の数は大体五十名だと思いますが、そのうちで役員は、門屋金子萩原永岡水口山領大平土建小野徳一、それから飯塚邦三、私。
  18. 河井榮藏

    河井委員長代理 何人になりますか。
  19. 梅村忠一郎

    梅村證人 十二人かと思いますが。まだそのほかに岩崎清七とか、福山松太郎とかあつたと思います。
  20. 河井榮藏

    河井委員長代理 門屋氏は何ですか、理事長とか会長とかいうのだつたのですか。
  21. 梅村忠一郎

    梅村證人 いや、そのときの理事長は私です。
  22. 河井榮藏

    河井委員長代理 梅村忠一郎さん、あなたですね。
  23. 梅村忠一郎

    梅村證人 そうです。
  24. 河井榮藏

    河井委員長代理 協会を維持する経費あるいは仕事をしたりする経費はどういうふうにしてやつてつたんですか。
  25. 梅村忠一郎

    梅村證人 その経費仕事請負高によりましてわずかの賦課金出しまして——別にそう大した維持費というようなものは要りませず……。
  26. 河井榮藏

    河井委員長代理 請負高についていくらの賦金を出したんですか。
  27. 梅村忠一郎

    梅村證人 千分の五くらいだと思います。
  28. 河井榮藏

    河井委員長代理 請負契約の千円の五ですか、それはみなその通り履行されて、その経費が集まつてつたわけですか。
  29. 梅村忠一郎

    梅村證人 大体集まつておりました。
  30. 河井榮藏

    河井委員長代理 それから昭和二十二年三月十四日に、この協会知事選挙関係したことがありますか。そうして何か決議でもしたことがあるんですか。
  31. 梅村忠一郎

    梅村證人 二十二年ですか、ございます。
  32. 河井榮藏

    河井委員長代理 どういう決議をしましたか、だれを選ぶとか、どういう方法で應援するとかいうような具体的なことをひとつ言つてください。
  33. 梅村忠一郎

    梅村證人 そのときに役員が寄りまして、知事選挙にはどういう方が適任であるかということをいろいろ審議したのであります。そのときにちようど当時の知事であられた杉山宗二郎氏が縣政に携わられて、もう一年以上も経過して縣下事情もよく知つておられるし、また縣下の被害もよく知つておられる、殊に先生技術屋出であるから、先生を推薦した方が復興が一日も早く完了するのではなかろうかというところの決議によりましてやつたのであります。
  34. 河井榮藏

    河井委員長代理 どういう方法運動するというんですか。
  35. 梅村忠一郎

    梅村證人 どういう方法運動するか、われわれはそういつた運動などについてあまり経驗がないので、業者のものを誘つて有権者呼びかけようじやないかということだつたんです
  36. 河井榮藏

    河井委員長代理 有権者に推薦することはもちろんでしようが、そのほかに選挙費用とかなんとかいうものは、協会支出するということはなかつたんですか。
  37. 梅村忠一郎

    梅村證人 別に選挙費を負担するというような協議はなかつたんです。われわれは選挙費用支出につきましては、別にそれがために出すというわけではなかつたのであります。いろいろの面で金がいくらということで、集まつた金使つたのであります。
  38. 河井榮藏

    河井委員長代理 それはさつき言われた千分の五の金からですか。
  39. 梅村忠一郎

    梅村證人 そうです。
  40. 河井榮藏

    河井委員長代理 それはどのくらい集まつてつたんですか、この当時知事選挙時分に皆が出し合わされた千分の五の賦課金といいますか、そういう金が総額でどれぐらい集まつたんですか。
  41. 梅村忠一郎

    梅村證人 そのときはちようど承知通り知事選挙、それからほかにいろいろ縣会市会議員選挙ということも関連しておつたのですから、そういうところにわれわれの同志からも出させる。そういつたかれこれの事情と、そのほかに占領軍協力実践会というのをそのときに結成いたしまして、それとか、そのほかにいろいろの寄附を申し込んでこられましたので、ちようどその当時佐世保には何もほかに仕事がなかつた。この時分占領軍仕事がありましたので、その仕事をわれわれがやつておる関係で、でうしてもいろいろの寄附は私らの方に申し込んでこられる。それで……。
  42. 石田一松

    石田(一)委員 もつと大きな声で言つてください。
  43. 梅村忠一郎

    梅村證人 私はあまり大きい声が出ない。これが地声であります。
  44. 河井榮藏

    河井委員長代理 もう少し大きな声でやつてください。あなたはりつぱな体格だから……。
  45. 梅村忠一郎

    梅村證人 そのときにつまり賦課金として各自に割当てまして、それで集めた。その集めた金が九十万ちよつと越したのじやないかと思います。そのうち封鎖が五十何万で、新円が四十何万だつたと思います。この封鎖の五十何万は初めて誕生しました占領軍協力実践会の会費に皆充てまして、そのあとの金でいろいろの寄附あるいは選挙費等に使いました。
  46. 河井榮藏

    河井委員長代理 それがつまり四十万円ですね。
  47. 梅村忠一郎

    梅村證人 はい、そうです。
  48. 河井榮藏

    河井委員長代理 四十何万円を寄附金あるいは知事選挙縣会市議員選挙使つたのですか。
  49. 梅村忠一郎

    梅村證人 選挙に……。
  50. 河井榮藏

    河井委員長代理 そうですか。それから二十一年の十一月二十六日に五十回の会議を開いた時分役員会を開かれて、参議院補欠選挙門屋盛一氏を推薦することに決議しましたね。五十回の会議で……。
  51. 梅村忠一郎

    梅村證人 何回かわかりませんが、そういつた会議を開きまして、門屋盛一氏を参議院補欠に推薦しようということはきめました。
  52. 河井榮藏

    河井委員長代理 どういう方法で應援しましたか。
  53. 梅村忠一郎

    梅村證人 そのときはちようど私なんかの組合日本建設工業会というものがございまして、その支部長門屋氏がやつておられました。ちようど日建工業会が今度G・H・Qから解消しろという指令があつたものでありますから、それを解消するにつきましては、いろいろそれまで使つておりました職員の手当、それから今の参議院議員運動費も多少の金が要るだろうということで、そのときに集めたのが約三十万円だと思います。
  54. 河井榮藏

    河井委員長代理 それは千分の五の賦課金以外ですね。
  55. 梅村忠一郎

    梅村證人 それはその以外であります。
  56. 河井榮藏

    河井委員長代理 この三十万円で應援されたわけですか。
  57. 梅村忠一郎

    梅村證人 この三十万円をわれわれがどう使うか、いつそ門屋氏に陣中見舞として贈つたらどうだろう。こういうことを協議いたしまして、そのうちの二十五万円を門屋氏、つまり星野組に持つてまいりまして、そのとき門屋氏は不在でありましたので、副社長阿部氏にそれを渡しました。ところが阿部氏はどういう意味で金を持つてこられたか、こういうものですから、これはわれわれ協会会員陣中見舞として差上げたいのだ、何かの足しに使つていただけんじやろうかと言いましたら、そういうものをいただくのはどうだろう。しかしただいま本人がおりませんから、お預りしておきます。こういうことでありました。それから二時間ばかり経ちますと、われわれの協会選挙事務所阿部氏が持つてこられまして、せつかく皆さんの御好意であるけれども、今社長帰つたからそう申しましたら、これはもつてのほかだ、返してこいということで持つてきました。
  58. 河井榮藏

    河井委員長代理 返されたわけですね。
  59. 梅村忠一郎

    梅村證人 返しました。そのときもせつかくですからと申しましたけれども、これし社長がたつて返してこいということで、これはそのまままた受取りました。
  60. 河井榮藏

    河井委員長代理 そのほかには應援しなかつたわけですね。
  61. 梅村忠一郎

    梅村證人 そのほかに何ら應援いたしません。
  62. 河井榮藏

    河井委員長代理 それじやその翌る年、二十二年の四月の衆議院議員選挙のとき、北村徳太郎氏を推薦して、どういう方法で應援しましたか。詳しくおつしやつていただきたい。
  63. 梅村忠一郎

    梅村證人 私は今まで商賣がらあまり政党には関係しなかつたのであります。しかし北村氏の人物は承知しておつた。そのときに別に北村氏が立候補されたからといつて、私の方から積極的に運動するということはあまりしなかつたのですけれども、私も民主党の一員でありますために、支部のいろいろの指示によつて、違反にならぬ範囲手傳つたくらいです。
  64. 河井榮藏

    河井委員長代理 陣中見舞というようなものはどうでした。
  65. 梅村忠一郎

    梅村證人 陣中見舞というものはさらにいたしません。
  66. 河井榮藏

    河井委員長代理 お出しにならなかつた
  67. 梅村忠一郎

    梅村證人 さらにいたしません。
  68. 河井榮藏

    河井委員長代理 しかし門屋氏には二十五万円お出しになつた北村氏にはなぜ出さなかつたのですか。
  69. 梅村忠一郎

    梅村證人 門屋氏は私なんかの同業者でありまして、同業者のつどいで出したのです。民主党と申しますと区域が廣いですから、民主党なんかについて別にわれわれが陣中見舞とか、そういつたことに金を醵出したことは、今まで例がありません。
  70. 河井榮藏

    河井委員長代理 そうすると北村さんには陣中見舞は出さなかつたわけですか。
  71. 梅村忠一郎

    梅村證人 出しません。
  72. 河井榮藏

    河井委員長代理 その選挙の当時あなた以外、廣く協会以外の佐世保実業家で、北村氏を應援して選挙費なんかを出したような人はありませんか。
  73. 梅村忠一郎

    梅村證人 それはわかりません。存じません。
  74. 河井榮藏

    河井委員長代理 知らぬわけですか。
  75. 梅村忠一郎

    梅村證人 はい。
  76. 河井榮藏

    河井委員長代理 北村さんの選挙のときの選挙事務長はだれでした。
  77. 梅村忠一郎

    梅村證人 北村さんのときの選挙事務長は、今日見えております辻一三氏であつたと思います。
  78. 河井榮藏

    河井委員長代理 それから選挙のときの支出責任者はたれでした。
  79. 梅村忠一郎

    梅村證人 それはわかりません。
  80. 河井榮藏

    河井委員長代理 北村徳太郎氏はあなたの協会とはどういう関係であつたのですか。
  81. 梅村忠一郎

    梅村證人 協会とは何ら関係ございません。
  82. 河井榮藏

    河井委員長代理 協会とは関係がない。
  83. 梅村忠一郎

    梅村證人 全然ありません。
  84. 河井榮藏

    河井委員長代理 しかしむろん北村氏はそういう協会があつたということは御存じでしようね。
  85. 梅村忠一郎

    梅村證人 われわれの業者なんかのつどい、組合があるということは承知しておられただろうと思います。
  86. 河井榮藏

    河井委員長代理 ただ組合としては應援したわけですか。
  87. 梅村忠一郎

    梅村證人 北村氏に対しては組合としてはしません。
  88. 河井榮藏

    河井委員長代理 組合の人は個人としてやつたわけですか。
  89. 梅村忠一郎

    梅村證人 それはわかりません。私は存じません。
  90. 河井榮藏

    河井委員長代理 あなたは應援されたわけですね。
  91. 梅村忠一郎

    梅村證人 私はつまり自分の組がありますから、そういつたものは別に私からはつきり申しませんでも、おやじが北村さんに應援しておるということは皆知つておるものですから、それで私の配下の者は、みな私の氣持をくんでやつただろう、こう考えます。それもしかし私の方の組合もたくさんおりまして、社会党もあれば自由党もありますし、それははつきりしたことはわかりません。
  92. 河井榮藏

    河井委員長代理 協会としてはやらなかつたわけですか。
  93. 梅村忠一郎

    梅村證人 はい。協会としては何ら……。
  94. 河井榮藏

    河井委員長代理 委員方々、御質問がありますれば……。
  95. 明禮輝三郎

    明禮委員 今の協会費用は千分の五ということと、今の知事選挙のときの費用は千分の五のうちのように聞いたのですが、そうじやなしに、別の方法集めたのじやなかつたのですか。その点をひとつ伺いたい。
  96. 梅村忠一郎

    梅村證人 ただいまのお問に対しまして、その当時の日建協力会の発足と、それからいろいろの方面から寄附が申込んでありますのと、今申しました縣市会議員選挙知事選挙といつたことに金が要るからといつて、そのときは特別賦課金として各組から——それもほとんど工事量によつて醵出されております。
  97. 明禮輝三郎

    明禮委員 工事量によつて醵出されたかもしれませんが、千分の五という……。
  98. 梅村忠一郎

    梅村證人 それはそのほかでございます。
  99. 明禮輝三郎

    明禮委員 そこでお伺いしたいのは、知事選挙か何かやつておりますが、知事選挙を應援するということになりましたのは、二十二年の三月十四日、その当時において推薦するということを協会できめたように聞いておりますが、その通りでありますか。
  100. 梅村忠一郎

    梅村證人 知事選挙が四月五日です。それではやはり三月のそのころでございましよう。日にちははつきり記憶いたしません。
  101. 明禮輝三郎

    明禮委員 そこで先ほどあなたがお答えになつたようですが、選挙山領という縣会議員に立つ人もあとできめたようですね。
  102. 梅村忠一郎

    梅村證人 さようでございます。山領氏を縣会に送ることをきめました。
  103. 明禮輝三郎

    明禮委員 今の金を千分の五の割合でおやりになつたかどうかしりませんが、特別賦課金ということで、選挙にそれをお集めになつたのですが、それをお集めになつて、お出しになつた方はわかりませんか。なんぼずつみんなが出したかということがわかりませんか。
  104. 梅村忠一郎

    梅村證人 それははつきり記憶いたしません。
  105. 明禮輝三郎

    明禮委員 そうすると、こういうことはわかりませんか。新円で総額なんぼ集まつて、大体この会計はあなたがそれをおやりになつたように聞いておりますが……。
  106. 梅村忠一郎

    梅村證人 いや、私じやありません。
  107. 明禮輝三郎

    明禮委員 だれですか。
  108. 梅村忠一郎

    梅村證人 それはその当時の副理事長原太市君が出納をやつております。それで先ほど申しましたようにはつきり記憶いたしませんが、封鎖で五五二万くらい、新円で四十万そこそこだつたと思います。それははつきりは記憶いたしません。
  109. 河井榮藏

    河井委員長代理 九十万円以上集まつて封鎖で五十万円、新円で四十万円ほどと言つたですよ。
  110. 明禮輝三郎

    明禮委員 調書がありますが、現金で拂い込まれたのは、三月の二十八日に萩原馨という人が五万円、同日山領濱夫という人が七万五千円、三月の二十九日に西田茂平という人が五万円、同日門屋盛一氏が七万五千円、同日福田松太郎一万円、四月一日梅村忠一郎五万円、同日金納末松一万円、四月五日水口正行十万円、同日金子正五万円、同日小野徳一五万円、四月十日飯塚邦三十二万五千円、四月十七日永岡梅右衛門二万五千円、合計六十七万円となつておりますが、いかがですか。
  111. 梅村忠一郎

    梅村證人 私はその金は取扱つておりませんから、私の出しましたのも、それをはつきり記憶いたしませんが、五万円だつたと思いまして、檢察廳取調べのときにはさよう申し上げたと思います。
  112. 明禮輝三郎

    明禮委員 これはあなたが檢察廳で述べられておる調書であります。
  113. 梅村忠一郎

    梅村證人 それはそのとき参考書類があつたのでしよう。私ははつきり覚えません。私は全然それを取扱つておりません。私の調書にないはずであります。
  114. 明禮輝三郎

    明禮委員 檢察廳で二十二年五月十日の吉永檢事取調べにおいて、今のように述べておりますが……。
  115. 梅村忠一郎

    梅村證人 それは違います。私はそんな記憶はありませんから、申上げるはずはない。私の五万円だけは申し上げたかもしれない。
  116. 明禮輝三郎

    明禮委員 調書に書いてあるが。
  117. 梅村忠一郎

    梅村證人 書いておつても私は申し上げておりません。私はそれを記憶しません。
  118. 明禮輝三郎

    明禮委員 けれども、そうすると調書がうそだということですか。
  119. 梅村忠一郎

    梅村證人 それはわかりません。調書をお取りになつたかもしれませんが、私はそんなことは記憶もなし、そんなことを私は頭に入れているはずはないですから、わからぬことをはつきり申し上げるはずはない。
  120. 明禮輝三郎

    明禮委員 そうすると檢察廳取調べ調書が違うということですね。これは何遍見てもあなたの調書に違いない。それは違うのですか。
  121. 梅村忠一郎

    梅村證人 それは違うということは申し上げませんが——そうだつたかもしれませんが、私は現金を授受いたしておりません。またそれだけはつきり——かりにたれが扱いましても、たれが受取りましても、頭にはつきりありますればそうだつたと申し上げますけれども、はつきりわかりませんから、お答えできません。
  122. 明禮輝三郎

    明禮委員 六十七万円だつたということは違うということですか。
  123. 梅村忠一郎

    梅村證人 そうです、そうはないはずだと思います。
  124. 明禮輝三郎

    明禮委員 そうすると、なんぼつたというのですか。
  125. 梅村忠一郎

    梅村證人 四十一、二万円じやなかつたかと私は思います。
  126. 明禮輝三郎

    明禮委員 旧円はどうですか。
  127. 梅村忠一郎

    梅村證人 旧円が五十二、三万じやなかつたかしらん。何でも両方で九十四、五万か九十二、三万円だつた。それもはつきりわかりませんが、その当時の書記長から聽いたので、それだけ頭に残つております。
  128. 明禮輝三郎

    明禮委員 全部では百三十七万なんぼと思いますが。
  129. 梅村忠一郎

    梅村證人 割当はそうであつたかもしれません。それはどういうふうにして割当てたか知りませんが、割当てられたものが全部そのまま出してはおらぬだろうと思います。十万と言えば五万、五万と言うなら三万ということになつておるんじやないかしらんと思つております。
  130. 明禮輝三郎

    明禮委員 よろしゆうございます。それだけ出しているということなら。そこでもう一つお尋ねしたいのは昨年の三月二十五日ころ、あなたは原とい人小野という人と三人で、杉山——このときは立候補しておつたから縣知事ではなかつたでしようが、その官舎——内務部長官舎に、勝山町においでになつたことがありますね。
  131. 梅村忠一郎

    梅村證人 参りました。
  132. 明禮輝三郎

    明禮委員 知事にお会いになりましたですね。立候補者に……。
  133. 梅村忠一郎

    梅村證人 そのときは不在でありました。
  134. 明禮輝三郎

    明禮委員 不在でしたか。そのときにあなたは何かおみやげを持つて行かれましたか。
  135. 梅村忠一郎

    梅村證人 それは私の知つております範囲を申し上げますが、ちようどそのときはすでに小野氏が理事長でありました。原太一氏が副理事長でありました。原が先ほど申し上げますように、現金なんかは皆保管收支をしておつたのであります。そのときに原氏と小野氏がちようど自動車で來まして、実は親友のところに陣中見舞に行こう、君も一緒に來てくれと私の会社に見えましたから、そうかと言つて私も一緒乘つて——いや自動車ではない、そう言つて來ましたから汽車に乘つて参りました。ところが何か杉山さんがおられましたのは、勝山学校の下の一軒家でしたか、民家だと思つておりましたが、そこへ参りまして、原君が案内を請うたところが、中から女中さんが出て來ました。で、御主人杉山氏はおられますかと言つたところ、中にはいりましたが、そのときに代つて奥さんつたと思いますが、出て見えました。奥さんですかと申しましたところが、はいと言われました。そのとき原君が佐世保から参りましたと言つて挨拶いたしましたが、せつかくですからお上りくださいと言われて、應接間まで上りました。そのときにお茶をいただきまして、杉山氏はと聽きましたら、ちようど島原の小浜の方に今運動に行つておるということで、どうも遠方のところをせつかくおいでいただいたのにという話くらいでありました。それから出ます時分に、原がカバンの中から新聞包み出しましたが、それも私はいくらつたということははつきりわからなかつたのであります。それを奥さんがこれは何でしようかと言つて奥さんはそれは金だということがわかつたのでしよう、こういうものはいただかぬと言つて非常に固辞しておられたけれども、私どもはそのまま挨拶して出てきまして、原だけがあとに残つておりました。それからしばらくして原が出てきましたが、やつと置いてきたと申しました。
  136. 明禮輝三郎

    明禮委員 それはしかしあなたは協会で三人で相談をして、新聞に包んで、汽車の中でもそれを持つてきたかと言うて打合せをして持つて行かれたように檢察廳調書では書いてあるのですが、あなたはそれをどうお考えになりますか。
  137. 梅村忠一郎

    梅村證人 それは絶対ありません。檢察廳でもそのことについては再三お尋ねになりましたから、私は今までの記憶を辿つて言つているわけであります。檢察廳で申し上げた通りに申し上げております。
  138. 明禮輝三郎

    明禮委員 そうすると、原太一という人が五万円持つていて新聞紙から出したのを見ておるが、実際は自分は関與していなかつたということですか。
  139. 梅村忠一郎

    梅村證人 さようであります。
  140. 明禮輝三郎

    明禮委員 それは内務部長の官舎ですね。
  141. 梅村忠一郎

    梅村證人 私はどこの官舎であるかもわかりませず、知事奥さんに会つたのが初めてでありました。縣廳の奥にありますから、あるいは官舎かと思つております。勝山学校の下の一民家でありました。
  142. 明禮輝三郎

    明禮委員 そこで奥さんに渡したというのですね。
  143. 梅村忠一郎

    梅村證人 そうです。
  144. 明禮輝三郎

    明禮委員 それでそういうことがたびたびあつたわけではありませんか。
  145. 梅村忠一郎

    梅村證人 私の方はそのほか何も関與しておりません。
  146. 明禮輝三郎

    明禮委員 関與しておりませんか。
  147. 梅村忠一郎

    梅村證人 はあ。
  148. 明禮輝三郎

    明禮委員 あなたは知事とはどういう御縁故でしようか。それをひとつ話していただきたい。
  149. 梅村忠一郎

    梅村證人 私は別に知事と縁故があるということは何もありませんが、ただ私も御承知通り土建屋でありますのと、それから知事が技術屋でありますために、知事が長崎縣に赴任されまして建設に貢献されておることをよく存じておりましたものですから、それでただ協会役員言つてきて推薦しようということにきめたわけであります。ほかに何も特殊な関係はありません。
  150. 明禮輝三郎

    明禮委員 特殊な関係はない。この杉山知事の推薦のときに、山水楼であなた方が会合を催しておりましたね。どうですか。
  151. 梅村忠一郎

    梅村證人 あなた方と申しますと……。
  152. 明禮輝三郎

    明禮委員 あなた方土建屋さんの、そういつたような協会の御連中ですね。警察の署長もはいつておるようですがね。それから知事の方も二階に來ておられて、そうしてあなた方の席へ知事が行つて三四十分の間お話をして、どうもこのたびはいろいろお世話になりましたという挨拶があつたということがあるようでありますが、この点はいかがでありますか。
  153. 梅村忠一郎

    梅村證人 山水楼にはちよちよい参りましたが、それは何かの会合のときに知事が顔出しをしたことがあるように記憶しております。
  154. 明禮輝三郎

    明禮委員 山水楼で顔を出されたことを御承知じやありませんか。
  155. 梅村忠一郎

    梅村證人 知つております。
  156. 明禮輝三郎

    明禮委員 そのときに來て、いろいろ皆様このたびはお世話になりましたという挨拶をしたということですね。
  157. 梅村忠一郎

    梅村證人 その挨拶は私はつきり覚えませんが、とにかく佐世保には山水楼しかないものですから、私なんかいつも何かと言つては会合いたしますが、そのときに確かに知事も侍られたことは記憶にあります。そのときにどういうことを言われたか、そこは私記憶いたしません。
  158. 明禮輝三郎

    明禮委員 記憶しない。
  159. 梅村忠一郎

    梅村證人 はあ。
  160. 明禮輝三郎

    明禮委員 それからあなたは今のお金を持つて、小浜の方へ演説会に行つておるというので小浜の方へお出かけになりましたね。
  161. 梅村忠一郎

    梅村證人 はい。
  162. 明禮輝三郎

    明禮委員 そうして知事の泊つておるところに一緒にその晩お泊りになつたことがありますね。
  163. 梅村忠一郎

    梅村證人 泊りました。それはせつかく何だからわれわれも島原に行つて小浜の湯にでも入つて來ようじやないかということで小浜に参りました。ちようどそのときに知事はどこか柳川屋か伊勢屋に泊つておることを聽きましたので行きましたが、米を持つていらつしやつたかと言う、米は持つて來ませんと言いますと、米を持つて來なければお泊めすることはできませんと言つて断られたから、やむを得ず向うに行きまして、それで一緒に泊りました。一緒に泊つたときにも知事は留守でありまして、帳場でいろいろ懇願してやつと食事も食べさしてもらつたくらいであります。
  164. 明禮輝三郎

    明禮委員 やつと食事ができたかしらんが、あとからお帰りになつて、どうもたいへん先日は宿屋へ行つてごちそうになつたという礼状を出されたのは違いますか。
  165. 梅村忠一郎

    梅村證人 私がですか。
  166. 明禮輝三郎

    明禮委員 そうです。
  167. 梅村忠一郎

    梅村證人 私は覚えがありません。
  168. 明禮輝三郎

    明禮委員 小野さんでしたか、そういう人があるのですがね。普通の料理ならそうごちそうなんかと言うのは御念が入り過ぎると思う。あとでごちそうがあつたようですね。
  169. 梅村忠一郎

    梅村證人 いや、ごちそうはないです。ごちそうというのはほとんど空腹をふさぐくらいでした。
  170. 明禮輝三郎

    明禮委員 東京では食つたり食わなかつたりするものですから、ついそうだとごちそうかと思いまして……。  それから当選されましたときに、あなた方はやはり知事のところに祝意を表しにおいでになりましたか。
  171. 梅村忠一郎

    梅村證人 はい、参りました。
  172. 明禮輝三郎

    明禮委員 何をお持ちになりましたか。
  173. 梅村忠一郎

    梅村證人 たいを二尾とビールを一ダースです。
  174. 明禮輝三郎

    明禮委員 そのたいはどのくらいのたいですか。二尺ぐらいのたいですか。豆みたいなたいをお持ちになりましたか。
  175. 梅村忠一郎

    梅村證人 それも原君がちようど事業の傍自分で漁をやつておるものですから、自分の方でさいわいとれたからというのでこのくらいのたいだつたと思います。
  176. 明禮輝三郎

    明禮委員 それでは一尺くらいではないですか。
  177. 梅村忠一郎

    梅村證人 このくらいのたいをたしか二尾持つて行きました。
  178. 明禮輝三郎

    明禮委員 たいしたことでないから、正直に言つてください。
  179. 梅村忠一郎

    梅村證人 ほんとうでう。私は宣誓をいたしましたから正直に申します。
  180. 明禮輝三郎

    明禮委員 あなたは檢察廳で二尺以上のたいと思しました。
  181. 梅村忠一郎

    梅村證人 いや、申しておりません。それは檢察廳で私が何かしたのがありますかね。
  182. 明禮輝三郎

    明禮委員 ありますよ。
  183. 梅村忠一郎

    梅村證人 あるならそれを見せてもらいましよう。私が署名したのが……。どうも私は檢察廳でそういうことを申したことを覚えておりません。
  184. 明禮輝三郎

    明禮委員 こういうことはございませんか。あなたが今のたいやビールをお持ちになつたときに、これは協会として持つて行かれたかしりませんが、あなた方三人かもしれませんが、あなたはそのときに新聞紙に五万円包んでやはりお持ちになつたのじやないですか。
  185. 梅村忠一郎

    梅村證人 そのときにですか。
  186. 明禮輝三郎

    明禮委員 そうです。それも否認しますか。
  187. 梅村忠一郎

    梅村證人 否認しません。そんなことはありません。何をおつしやるのですか。
  188. 明禮輝三郎

    明禮委員 いや、よろしい。書いてあるのですからね。
  189. 梅村忠一郎

    梅村證人 私は檢察廳でそんなことを申しておりません。事実ありませんから……。
  190. 明禮輝三郎

    明禮委員 申してないと言つても、書いてあれば……。それであなたのところへ藤井友市という人が二万円金を持つて行かれまして、——これは三万という話ですが、二万円持つてつて、それを選挙費用に使つてくれと言うて、杉山さんの選挙に使うために持つてつたことがございますか。
  191. 梅村忠一郎

    梅村證人 ございます。それは確かに私預りました。
  192. 明禮輝三郎

    明禮委員 そうしてだれに渡しましたか。
  193. 梅村忠一郎

    梅村證人 それはその当時の、つまり選挙事務長と申しますか、まあ世話している中川内隆氏……。
  194. 明禮輝三郎

    明禮委員 中川内隆という人ですね。
  195. 梅村忠一郎

    梅村證人 その人に二万円を渡しました。それは藤井氏であつたか、藤井氏の專務の、つまり川添氏であつたか、はつきり私記憶しませんが、多分藤井氏ではなかつたかと記憶します。
  196. 明禮輝三郎

    明禮委員 そのときの一万円を中田市長の当選祝にまわしたという話ですが、御存じありませんか。
  197. 梅村忠一郎

    梅村證人 いや、それは全然知りません。
  198. 明禮輝三郎

    明禮委員 そうすると、あなたのところに持つてつたのは二万円ですか、三万円ですか。
  199. 梅村忠一郎

    梅村證人 二万円です。
  200. 明禮輝三郎

    明禮委員 先ほどのあなたの言われたようにしても九十何万という金ですが、それは一体どういうところにお使いになつたのですか。
  201. 梅村忠一郎

    梅村證人 それは私ははつきりわかりません。
  202. 明禮輝三郎

    明禮委員 これは原さんがやつたのですか。
  203. 梅村忠一郎

    梅村證人 そようでございます。
  204. 明禮輝三郎

    明禮委員 使い先はよくわからぬ……。要するに杉山を應援する費用集めたには違いなかつたですね。
  205. 梅村忠一郎

    梅村證人 それは先ほどから再三申しますように、知事だけではなかつたのです。今の占領軍実践協力会、それから各所の給與、それで選挙選挙というのは杉山さんばかりでなく市会議員の選挙という意味で集めたのです。
  206. 明禮輝三郎

    明禮委員 そうすると、この占領軍の実践協力会というのは一体何でございますか。
  207. 梅村忠一郎

    梅村證人 それはちようどその当時の終連局長の三浦という方がおられましたが、向うの司令官あるいは憲兵隊司令官から再三呼ばれて、どうも占領軍の工事に携わる労務者が何か盗み出していかぬ、また工事について非常に怠慢だ、それを是正する何かいい方法はないか、こういう要望がありましたので、占領軍実践協力会というものを設立いたしまして、その会員でなければ占領軍工事に携わることができぬというような規約を設けたのであります。それで皆会員章がありまして、その会員の章がなければ占領軍の工事にはタツチできないことにしました。その後成績が非常に上りまして、司令官からもお賞めにあずかり、またこれを強化してくれというようなお言葉が再三あつたように思つております。
  208. 明禮輝三郎

    明禮委員 そこでそれについてお尋ねいたしますが、その占領軍実践協力会というのは今あなたの言われるようなものなんですが、ただ單にバツジをはめて、そうしてそのバツジをはめた労務者というのは占領軍に不法行為をしない、盗んだり何かするような不届な者ではないというしるしにバツジをここへつけてやつたというので、ほかにはそう事業というものはないのじやありませんか。どういうことが事業ですか。
  209. 梅村忠一郎

    梅村證人 その当時は毎日占領軍工事に出場いたします職工、人夫は五千人からおりました。その会員には一々その会の趣旨をよく言い聞かせまして、もし君らがこの会の趣旨に反するようなことがあつたならば、再び占領軍仕事には入れぬ、またわれわれ業者も使わない、こういう口約をいたしまして、それを交付したのであります。それで事業についても、時間から時間までは休憩時間よりほかに喫煙もしてはいかぬとか、あるいは怠けてもいけないということを懇々と教えまして、それを実行させたのであります。
  210. 明禮輝三郎

    明禮委員 しかし私が調べたところによると、そういう知事選挙をやるためだけに金を集めたというのでは悪いから、この占領軍実践協力会をうまく取扱おうじやないかということでできたものじやないですか。
  211. 梅村忠一郎

    梅村證人 それはその当時その衝にあたつておりました原なり、実践協力会なりの帳簿を調べたらわかると思います。そのときの封鎖の五十何万円というものは実践協力会にはいつております。それを今日まで維持して、職員には給料なりあるいはボーナスなりやつております。それを調べて見ればすぐわかります。
  212. 明禮輝三郎

    明禮委員 その占領軍実践協力会の顧問はだれですか。
  213. 梅村忠一郎

    梅村證人 顧問ではないのです。それは実践協力会の副会長あるいは総務、その下の職員に書記長というのがおりました。
  214. 明禮輝三郎

    明禮委員 顧問はなかつたですか。
  215. 梅村忠一郎

    梅村證人 顧問はあつただろうと思いますが……。
  216. 明禮輝三郎

    明禮委員 だれですか。
  217. 梅村忠一郎

    梅村證人 それは私はつきり記憶いたしません。
  218. 明禮輝三郎

    明禮委員 あまり偉い人じやないですか。
  219. 梅村忠一郎

    梅村證人 とにかくそれは私が理事長を退いたあとのことでございますから、詳しくは知りませんけれども、知つておる範囲ではお答えいたします。
  220. 明禮輝三郎

    明禮委員 その当時の顧問は私から申しましようか、忘れましたか。
  221. 梅村忠一郎

    梅村證人 記憶しません。
  222. 明禮輝三郎

    明禮委員 これは杉山宗二郎という人です。そうして佐世保時事新報に十回、西日本新聞に大体七回くらい、毎日新聞にも七回くらい、長崎の民友に七回、長崎日々新聞に七回、佐世保占領軍協力実践会発足にあたつてという廣告を出して、その中に顧問前長崎縣知事杉山宗二郎という名前を書いて、これを四月一日から五日、六日——五日でやめてはいけない、もう少し続けようというので七日くらいまでその廣告をして、その費用が約七万円から八万円かかつているということですが、いかがですか。
  223. 梅村忠一郎

    梅村證人 その当時その衝に当つておりませんから知りません。
  224. 明禮輝三郎

    明禮委員 あなたは新聞を見ないのですか。
  225. 梅村忠一郎

    梅村證人 新聞は見たかもしれません。しかし私はその当時責任者ではないからわかりません。ところで杉山とおつしやいましたが、まだほかにも顧問はおりませんですか。
  226. 明禮輝三郎

    明禮委員 顧問がわかつているなら、あなたの方からおつしやつたらいいでしよう。
  227. 梅村忠一郎

    梅村證人 私ははつきりわからぬから申し上げられない。書き物があればわかつておられると思うから、それをおつしやつたらいいでしよう。杉山さんだけですか、ほかにあるのですか。
  228. 明禮輝三郎

    明禮委員 今杉山さんだけしかここに名前はない。
  229. 梅村忠一郎

    梅村證人 杉山さんだけじやない。私は五人くらいであつたと思う。
  230. 明禮輝三郎

    明禮委員 それじやあなたは知つておるのじやないか。
  231. 梅村忠一郎

    梅村證人 はつきりわからなかつたから申し上げなかつた
  232. 明禮輝三郎

    明禮委員 それで廣告したのは間違いないですね。
  233. 梅村忠一郎

    梅村證人 廣告の新聞は見ました。
  234. 明禮輝三郎

    明禮委員 それで費用が七、八万円かかつていることはわかりませんか。
  235. 梅村忠一郎

    梅村證人 わかりません。
  236. 明禮輝三郎

    明禮委員 あなたはその時分には協会理事長じやないのですか。
  237. 梅村忠一郎

    梅村證人 そのときの理事長小野氏と言われましたけれども、小野氏はあまりそういつたことに緻密な頭をもたないものですから、原太一がほとんどやつてつた
  238. 明禮輝三郎

    明禮委員 要するにそういうようなものであつたのですね。この実践協力会というものはあまりほかに金を使つているものはないようですが……。バツジをこしらえたとかそのくらいなもので……。
  239. 梅村忠一郎

    梅村證人 バツジと申しましてもバツジだけでも二十一万円かいくらか拂つておる。それは帳簿を調べればわかるでしよう。
  240. 明禮輝三郎

    明禮委員 あとの金はどこに使つたのですか。
  241. 梅村忠一郎

    梅村證人 それはわかりません。
  242. 明禮輝三郎

    明禮委員 そこでお尋ねしたい。あなたの調書にこれもあるのですが、あなたはどう言われるか知らぬが、縣会議員の候補者で田代弘藏という人に二万円、法村吉平という人に三万円渡しておりはしませんか。
  243. 梅村忠一郎

    梅村證人 それは取次ぎまして渡しました。
  244. 明禮輝三郎

    明禮委員 何に渡した。何の金ですか。
  245. 梅村忠一郎

    梅村證人 陣中見舞として渡しました。
  246. 明禮輝三郎

    明禮委員 縣会議員選挙のですね。
  247. 梅村忠一郎

    梅村證人 はい。
  248. 明禮輝三郎

    明禮委員 そこであなたはこういうことをおつしやつておるのですが、この事実はどうですか。杉山知事に、どうしてそうふうにいろいろとあなたが骨を折つておるかということを聽かれたときに、占領軍工事促進については知事室に呼ばれて注意を受けたり、同工事の資材入手のために同知事を訪問し入手方を懇願しており、杉山と懇意である。殊に選挙期間中昨年三月十七日と三十一日にはあなたの家に泊つたりしておるような間柄である。こう言つておられますね。いかがですか。
  249. 梅村忠一郎

    梅村證人 それは杉山知事のところに今の占領軍工事の促進のために参りまして、資材の配給促進とか、そういつたことについて相談しておりますが、それは私らが進んで行つたのではないのであつて、この工事は向うから指定された期限内に竣工せしめなければならぬ。それについてはどういうことがあつて——もしこれが完遂できなかつたならば、知事も各業者も、あるいは島流しになるかもしれぬ。こういうふうな最初きつい指名がありましたので、占領軍の方でどうしてもこれを促進するためには時々そういうような会合を開いて、その行詰つた資材あるいは労務ということでは各社持寄つて善処しなければならぬというような話合いがありまして、月に二回が三回か縣廳の知事室に呼ばれてそれは私だけではない、みな占領軍工事に関係した者は呼ばれていろいろ審議懇談したわけであります。そこでそのときには、むろん杉山知事もおられるときは出てくるし、おられなかつたなら土木部長なり建築課長が出てきて、その会の指導をしておられました。それで私の寮には——ちよつと事務所みたいになつていますが、その辺に一遍見えました。
  250. 明禮輝三郎

    明禮委員 それは選挙事務所ではなかつたですか。
  251. 梅村忠一郎

    梅村證人 選挙事務所です。私の寮です。
  252. 明禮輝三郎

    明禮委員 あなたの寮を選挙事務所にして、あなたの所に泊つたりした、こういうわけですね。
  253. 梅村忠一郎

    梅村證人 二晩ではない、一晩です。十時ごろでしよう、先に來るつもりであつたが、予定を変更するというので、それではしばらくお泊りなさいというので、確かにお泊りになりました。
  254. 明禮輝三郎

    明禮委員 そういうことですか。それで特建工事ということを言つたり、占管工事ということを言つて進駐軍工事をやつておりますね。特建工事という言葉を使つておるのですが、建設というか、進駐軍の方の仕事をやるのに特建工事と言いますか、そういう言葉はありませんか。
  255. 梅村忠一郎

    梅村證人 特建工事ですか……。
  256. 明禮輝三郎

    明禮委員 それから兵舎をつくるのは占管工事とかいう言葉を使つておりませんか。
  257. 梅村忠一郎

    梅村證人 そんなことはないはずです。
  258. 明禮輝三郎

    明禮委員 とにかく特建工事——兵舎をつくつたり、つまり公の兵舎をつくり、また占領軍の家をつくるのもやつておりますね。社宅みたいな……。
  259. 梅村忠一郎

    梅村證人 はい。
  260. 明禮輝三郎

    明禮委員 そういう工事をやるのは、あなた方はやはり知事と契約するわけですね。
  261. 梅村忠一郎

    梅村證人 当時知事が契約担任者がありました。
  262. 明禮輝三郎

    明禮委員 社宅なんかをやるのは豊島所長ですか、やはり知事ですか。
  263. 梅村忠一郎

    梅村證人 やはり知事です。みな知事名義でやつております。
  264. 明禮輝三郎

    明禮委員 そうすると豊島という長崎出張所長が佐世保におりますね。
  265. 梅村忠一郎

    梅村證人 おられました。
  266. 明禮輝三郎

    明禮委員 こういう人がやはり特殊物件を取扱つておりますね。
  267. 梅村忠一郎

    梅村證人 特殊物件というのにはさらに関係ありませんから、わかりません。
  268. 明禮輝三郎

    明禮委員 資材はどうですか。こういう物の入手については、あなた方は相当知事の方に頼んだ……。
  269. 梅村忠一郎

    梅村證人 それは今のセメントとか木材とか、かわらとか、タイル、ガラス、こういうものがいろいろ隘路があつて業者だけではいくら金を使つていくら運動してもなかなかはいりません。そういうときは縣の職員を通してもらいまして、占領軍の証明を持つていくとか何とかして斡旋してもらつた
  270. 明禮輝三郎

    明禮委員 証明をもらつて拂い下げてもらうように……。
  271. 梅村忠一郎

    梅村證人 拂い下げるということはほとんどなかつた。やはり各商店から買つたり、あるいはセメントならセメント会社、タイルならタイル会社、くぎなら製鉄所というようなところから配給してもらつただろうと思います。
  272. 明禮輝三郎

    明禮委員 証明をもらつて、拂い下げると言うてぐあいが悪ければ協力して……。
  273. 梅村忠一郎

    梅村證人 斡旋ですね。
  274. 明禮輝三郎

    明禮委員 斡旋をしてもらうということですね。そういうふうに始終やつておるわけでございますね。
  275. 梅村忠一郎

    梅村證人 そうでございます。
  276. 明禮輝三郎

    明禮委員 そこで昭和二十一年、長崎縣知事佐世保復興建設協会の代表者としての門屋さんとの間に一億円のダム工事を契約したことがありますか。
  277. 梅村忠一郎

    梅村證人 ダム工事はいたしましたが、契約者がだれであつたかということは私はわかりません。
  278. 明禮輝三郎

    明禮委員 建設協会でやつたのですか。
  279. 梅村忠一郎

    梅村證人 最初建設協会でということでありましたけれども、なかなかダム工事はそんなに何人もでわけてやるわけにはいきませんから、大体星野組が主としてやつて、それにわれわれができるだけ協力しよう、こういうことであります。
  280. 明禮輝三郎

    明禮委員 たれがやつたことになりますか。
  281. 梅村忠一郎

    梅村證人 星野組がやることになりました。
  282. 明禮輝三郎

    明禮委員 星野組門屋さんですね。
  283. 梅村忠一郎

    梅村證人 阿部市之助氏だろうと思います。星野組の支社長阿部市之助というのがやつております。しかし契約のことについてはわかりません。
  284. 明禮輝三郎

    明禮委員 けれども門屋さんが社長さんでしよう。
  285. 梅村忠一郎

    梅村證人 そうです。
  286. 明禮輝三郎

    明禮委員 ダム工事一億円の契約というのはいつごろですか。
  287. 梅村忠一郎

    梅村證人 日にちも金額も私は記憶いたしません。
  288. 明禮輝三郎

    明禮委員 二十一年ではありませんか。
  289. 梅村忠一郎

    梅村證人 それはわかりません。
  290. 明禮輝三郎

    明禮委員 知事が公選になる前ではありませんか。
  291. 梅村忠一郎

    梅村證人 それははつきりわかりません。
  292. 明禮輝三郎

    明禮委員 もう一つお尋ねいたしますが、二十二年の十一月二十六日及び十二月二十二日ごろ門屋さんを推薦することになつたのですね。
  293. 梅村忠一郎

    梅村證人 そうです。
  294. 明禮輝三郎

    明禮委員 協力会できめたようですね。
  295. 梅村忠一郎

    梅村證人 そうです。
  296. 明禮輝三郎

    明禮委員 辻一三さんとか藤井友市さんとかいう連中も、十一月二十七日は皆さんらと一緒協会に集まつて相談したことになつておりますね。
  297. 梅村忠一郎

    梅村證人 私その当時のことをちよつと記憶いたしませんでしたが、その後いろいろの事情とかそのときの会合の模樣をずつと辿つてみますと、藤井さんと辻さんは確かに見えたと思います。
  298. 明禮輝三郎

    明禮委員 門屋さんの支出責任者はだれですか。辻一三氏ではありませんか。
  299. 梅村忠一郎

    梅村證人 そうでございましよう。あの人は選挙事務長つたのですから……。
  300. 明禮輝三郎

    明禮委員 それから先ほど委員長からお尋ねの金を集めたのは、二十九万円か三十万円ですね。
  301. 梅村忠一郎

    梅村證人 はい。
  302. 明禮輝三郎

    明禮委員 その集めた金のうちで、二十五万円を、あなたと小野さんと山崎さんと三人があなたの方の選挙事務所へ持つてつて阿部さんに渡したことになつておりますね。
  303. 梅村忠一郎

    梅村證人 それは星野組でございましよう。
  304. 明禮輝三郎

    明禮委員 星野組に渡した、そして阿部さんに渡した。ところが、その明日……。
  305. 梅村忠一郎

    梅村證人 明日ではございません。私どもが行つたのは十一時半ごろです。
  306. 明禮輝三郎

    明禮委員 持つてつたのは十二月二十八ですね。
  307. 梅村忠一郎

    梅村證人 日にちははつきりいたしません。
  308. 明禮輝三郎

    明禮委員 そうすると二十九日と言つておりますが、二十八日がほんとうですか。
  309. 梅村忠一郎

    梅村證人 とにかく私が持つてつたのは晝食前ですから、十一時半ごろだつたと思います。それから晝食を終つてしばらくしたら、阿部氏が持つて來られた。二時間ばかりの間です。
  310. 明禮輝三郎

    明禮委員 そのとき阿部氏が來て、その金を手もとに保管することはできないから、そちらに返すということだつたというのですが、どうですか。
  311. 梅村忠一郎

    梅村證人 先ほどから委員長のお尋ねによつてお答えいたしましたが、また申し上げなければならぬのですか。
  312. 河井榮藏

    河井委員長代理 もう一遍言つてください。
  313. 梅村忠一郎

    梅村證人 それは先ほど申しましたように、私、小野、山崎三人で、陣中見舞として持つて來たと申しましたところが、阿部氏は、それはどんなものだろうと言つて、非常に躊躇しました。しかし皆の総意だからということを強く申しましたところが、それでは今社長がいないからお預かりしようと言つて預かりました。私が行つたのは十一時過ぎでありましたが、そこに置いて私どもが帰つて來ましたところが、二時前だつたと思いますが、先ほどはせつかくこれをお持ちになりましたけれども、主人に諮りましたところが、こんなものをいただいてはいかぬ、すぐお返してこいと言われましたから、お返しに参りましたと言うて持つて來られましたので、そのまま預かつたわけです。
  314. 明禮輝三郎

    明禮委員 今お話の意味は、こちらで持つているわけにいかぬからというのですか。
  315. 梅村忠一郎

    梅村證人 持つているわけにいかぬからということは言われません。
  316. 明禮輝三郎

    明禮委員 ではもう返してしまうという意味ですか。
  317. 梅村忠一郎

    梅村證人 そうです。この金は返すとはつきり言われました。
  318. 明禮輝三郎

    明禮委員 その金は結局どういうふうに使いましたか。
  319. 梅村忠一郎

    梅村證人 つまりわれわれのことですから、いくら運動にかこつけてあつちこつち出張しました。自分で飲んだり食つたりしているうちに金が要ります。それでちよつと私からどうこうという指示もできませんから、向うの要求する各自が出し範囲で私がまたもどす意味で出したのであります。
  320. 明禮輝三郎

    明禮委員 もどす意味というのは……。
  321. 梅村忠一郎

    梅村證人 かりに小野氏が五万円、萩原氏が二万円出してあるとします。それで小野氏と萩原氏がどこそこの運動に行くから五万円くれ、こう言われればその五万円をやる。またそのほかに一万円くれと言われれば一万円やる。それから島原なんかには山領水口が行きまして、それもやはり自分で三万円、二万円出しているのですから、三万持つて行く、四万くれと言われれば、言われるがままに出しております。
  322. 明禮輝三郎

    明禮委員 あなたの調書を読んでみます。金の使い先は、「島原、大村、諌早方面担当小野班六万五千円位、崎戸方面担当萩原班五万円、北松方面担当岩崎班三万円、長崎方面担当山領班十万円位、地元(佐世保協会班二万五千円位、自動車借賃(協会用)一万円、計二十八万円位」こうあなたが述べておられますが、どうですか。
  323. 梅村忠一郎

    梅村證人 それはその通りであります。それにつけ加えて申しますが、大村、諌早、島原方面には山領水口小野氏が行つておりますが、やはり山領氏も水口氏も二万なり三万なり金を出しておられます。その範囲でありましたから、私は預つた金出しました。
  324. 明禮輝三郎

    明禮委員 それから先ほども委員長からお尋ねがあつたのですが、こういう問題は大分複雜なんですけれども、あなた方は民主党の党派ということは考えない方がよかろうという意味で、協会では知事にも應援される、例の門屋さんにも應援されておるのですが、北村さんの選挙のときには協会では何か申合せみたいなものをして應援されていると聞いているのです。これについてもう一遍伺いたい。
  325. 梅村忠一郎

    梅村證人 それは全然ございません。今まで北村さんにしましても、ほかの方が立候補されましても、協会としてはそんなことに何ら携つておりません。また北村さんが選挙費用に困つておられたということも今まで聞きませんでした。選挙費用に困つておられるというようなことは考えてもおらない。
  326. 明禮輝三郎

    明禮委員 あなた個人ではどうですか。
  327. 梅村忠一郎

    梅村證人 ありません。
  328. 明禮輝三郎

    明禮委員 先ほども、ほかの人もないというておりましたね。私の聞いておるところによると、門屋さんが五万円、梅村さんが三万円、藤井さんが二万円出して、市内の有力者も二十万円ほど出しておる。それからおしまいに門屋さんが足らないので三十万円ほど出したというのですが、これはどうですか。
  329. 梅村忠一郎

    梅村證人 それは全然ありません。
  330. 明禮輝三郎

    明禮委員 その辺でおつしやつておいた方がよくはないですか。
  331. 梅村忠一郎

    梅村證人 事実ありますれば申し上げます。いま宣誓しておりますから、あつたことは必ず申し上げます。
  332. 田中角榮

    田中(角)委員 簡單に一問か二問伺います。佐世保土建業者がつくつておられる復興協会佐世保船舶工業の解撤工事とか、鑑船の解撤引揚、工場の新設とか拡張、補修というようなものを大体どなたがやつておられますか、梅村さんもやつておられるかおられないか、やつておられるとすれば大体どのくらいやつておられるか。
  333. 梅村忠一郎

    梅村證人 船体の解体ですね。
  334. 田中角榮

    田中(角)委員 そうです。
  335. 梅村忠一郎

    梅村證人 うちの者はすべて土建屋ですから顏を出しておりません。また船舶なんかは今のように前海軍工廠の工員をそのまま引継いでおりますから、それら專門的な者がやつております。
  336. 田中角榮

    田中(角)委員 土建業者というものは全然解撤には関係しておられませんか。
  337. 梅村忠一郎

    梅村證人 全然おらない。
  338. 田中角榮

    田中(角)委員 もう一つお聽きしたいのは、終戰直前まで、戰時建設團の長崎縣支部はもちろんあなた方が会員つたと思いますが、その場合特に佐世保工廠の中で土建業者がお仕事をおやりになつてつたでしようか、おらないでしようか。
  339. 梅村忠一郎

    梅村證人 それは海軍に施設部というものがございまして、施設部からその工事の実施命令がございますれば、それによつて業者がやつてつたのでありますが、御承知通り海軍工廠は非常にややこしいので。
  340. 田中角榮

    田中(角)委員 わかりました。あなたは終戰直後からずつと業者組合の宰領をおやりになつておられたのですが、いわゆる終戰直後占領軍の覚書によつて土建業者が当時軍の工事をやつてつた工事金、昭和二十年八月十四日以降臨時軍事費をもつて支拂われたものは全面的に返すということになつているのですが、その臨時軍事費として、補助金として返さなければならぬような金額が、大体佐世保業者の中で、すなわちこの復興協会をつくつておられたメンバーなどでどのくらいあつたか、御記憶があつたら御証言願いたい。
  341. 梅村忠一郎

    梅村證人 その点は私はつきり記憶いたしませんし、そんなことを聞いておりません。
  342. 田中角榮

    田中(角)委員 それは今くどくお聽きしておるようですが、率直に申し上げますと、解撤問題に関係がない。そうすると終戰直前まであすこではかねて海軍施設協力会か軍建協力会の一員として皆さんがおやりになつたであろう。そうすると今あすこに隠退藏物資があるということはもちろんおわかりになつているのではないか。結局後釜を襲つたのが現在の佐世保船舶工業、そうすると佐世保船舶工業の事件からこうして発展してきておるのでありますから、私といたしましてはこういうような知事選挙参議院議員選挙違反というような小さな問題でない。いわゆる隠退藏物資処理という問題に絡んで、あなた方が時の知事選挙衆議院議員選挙参議院議員選挙に対して相当運動されたのではないかという疑惑をもつておるのであります。その意味でお答えをいただきたい。
  343. 梅村忠一郎

    梅村證人 ちようど終戰までこの施設協力会というものがございまして、その施設協力会は東京に本部があり、佐世保支部がございます。その支部長理事であり、その方々が工事の配分、工事金の支拂い等については一々面倒を見ておられた。それで何も私などの組合でそういうことについて斡旋もしなければ関與もしておりません。
  344. 田中角榮

    田中(角)委員 私はこれでよろしいです。
  345. 河井榮藏

    河井委員長代理 ほかにございますか——それでは梅村さん済みました。御苦労さんでした。ちよつとうしろで待つていてください。     〔河井委員長代理退席。委員長着席〕     —————————————
  346. 武藤運十郎

    武藤委員長 それでは門屋さんに伺いますが、あなたは佐世保復興建設協会という名前を御存じですか。
  347. 門屋盛一

    門屋證人 知つております。
  348. 武藤運十郎

    武藤委員長 その協会役員ですか。
  349. 門屋盛一

    門屋證人 はい……。
  350. 武藤運十郎

    武藤委員長 どういう立場……。
  351. 門屋盛一

    門屋證人 佐世保復興建設協会というのは戰時中はたくさんの大きな業者佐世保に來ておつたのであります。終戰と同時に皆引揚げてしまつた占領軍の上陸がありましていろいろと仕事がある。この上陸の翌日から仕事が始まつたのですが、とうてい一人々々の力ではいかないので、業者が特に協会をつくつてつていこうということで、われわれが発起人になつてこしらえたのであります。
  352. 武藤運十郎

    武藤委員長 会員数はどのくらいありますか。
  353. 門屋盛一

    門屋證人 設立当初は三十名余でありましたが、おいおい殖えまして、はつきり記憶がございませんが六七十名くらいになつてつたと思います。
  354. 武藤運十郎

    武藤委員長 主要な会員は……。
  355. 門屋盛一

    門屋證人 まあ役員が大体主要な会員だと思います。役員は任意組合で一年交替でやつておりました。初代は梅村忠一郎氏が理事長で、総務理事が私でありました。  それから理事が萩平馨、西田茂平
  356. 武藤運十郎

    武藤委員長 何か定款か規約みたいなものができておりましたか。
  357. 門屋盛一

    門屋證人 こしらえまして、当時はもう占領治下になりましたから、軍政部の方へ出して、見てもらつて、それではよろしいということになつておりました。役員の名前の一人々々は覚えておりませんが、幹事が金子正ともう一人だれか。それから一年で改選になつて小野徳一理事長になり、副理事長原太一が二年目からなりました。
  358. 武藤運十郎

    武藤委員長 総務理事の代りに副理事長を置いたわけですね。
  359. 門屋盛一

    門屋證人 はい。あとは二、三人理事が殖え、幹事が殖えたと思います。二年目ごろになりますと私、おいおいと忙しくなり協会に直接関係せぬようになりましたからよく覚えておりません。ただ協会の目的は、工事をやるために資材が非常に集めにくいので、資材を集めたり、労働問題等の——まだ労働組合というものができておりませんし、労働者を集めて終戰物資の拂下を受けるというようなことをまちまちにやりますと、いろいろな間違いができますので、協会が主体になつてなお占領軍工事をやるためには、占領軍工事の実施委員会——官民合同の委員会をつくつて、その委員会で扱つていく。  それから終戰後の佐世保にはほかの事業が何も起つておりませんでしたので、いろいろな公共的の寄附とか何とかいうことが土建業者の方の一人々々に來たのでありますけれども、そういうことは協会がごくわずかな手数料を出しつて、それによつてよそに対する寄附なんかは協会がまとめてやる。その寄附のおもなものについては、たとえば警察後援会などから寄附を言われた場合には、業者が別々にやると、甲の業者は一万円、乙の業者が千円出すというようなことになると問題が出ますので、全部協会がまとめて出す。引揚者の後援会に出すとか、國際親善協会とか、後に別な團体でできたところの占領軍工事に出入りする人夫の質がよくないので、それらの教養をやるために日建協力会というものをつくつて、それらの資金もほとんどわれわれの協会から出しておつたのであります。
  360. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうすると、協会の資金、維持費等はどういうことになつているのですか。
  361. 門屋盛一

    門屋證人 私土建屋でございますが、土建屋の経費というものは、今まではのほうずに使つてつたのでありますが、占領軍工事を主としてやる建前上事前査定というものを受けて、経費は何%以内にあげるという方針を政府の方で立てて、その何%の経費の中から協会というか、今まで土建業者がいろいろ出しておつた金をなるたけ少くするという意味で、千分の五くらいの賦課金に基いて、その間でやつていくという方針をとつてつたのであります。
  362. 武藤運十郎

    武藤委員長 各業者の工事金の千分の五というのですか。
  363. 門屋盛一

    門屋證人 そうです。
  364. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうするとよけい工事をしたものはよけい出すし、少ししかやらないものは少ししか出さない。つまり歩合制度みたいなものをやつておるのですか。
  365. 門屋盛一

    門屋證人 そのほかに一般歩合としましては甲種会員と乙種会員とに分けまして、甲種会員というのは事業をやつておるわれわれ、乙種会員は事業をやつておる者に雇われておるか、あるいは一緒にやつておる者、たとえば技術家やその会社のおもな人でその協会に親睦的に出て來るものの会員との二通りがあつた。それから出資金は一口五千円で——事業をやつておる人が五千円、事業をもたない人が千円。事業をもつておる人は一口五千円で合計二万円とか三万円を出したものもある。一万円くらいのものもある、五千円ぽつきりのものもあるというので、当初は十何万円くらいしかありませんでしたが、人数が殖えまして、最後には二十数万円あつたろうと思います。これは私総務理事を辞めまして平理事でおりまして、例の日建の改組とかいろんな点からみまして賦金をとつていくのはよろしくないというので、解散いたしまして、今清算にはいつております。最近のことは私知りません。
  366. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうすると、協会の金は出資金と甲乙会員からとる会費ですか。甲種会員の会費はいくらですか。
  367. 門屋盛一

    門屋證人 会費は大体百円。
  368. 武藤運十郎

    武藤委員長 年額ですか。
  369. 門屋盛一

    門屋證人 月額です。月額百円くらいであつたろうと思うのです。
  370. 武藤運十郎

    武藤委員長 その会費は甲種ですか、乙種ですか。
  371. 門屋盛一

    門屋證人 同じであります。これは親睦のおりに使うのですから。
  372. 武藤運十郎

    武藤委員長 きまつた会費というのは月額甲乙とも大体百円。
  373. 門屋盛一

    門屋證人 待つてください。今はつきり記憶しませんが、甲は百円で乙は十円か二十円くらいであつたかと思うのですが、とにかく会費はよけいとつておりません。
  374. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうすると協会の運営費というのは、主として賦課金をもつて充てるわけですね。
  375. 門屋盛一

    門屋證人 千分の五以内の賦課金でもつて充てる。
  376. 武藤運十郎

    武藤委員長 それは月々というのではなくて、工事金を受取つたときに差引くわけですか。
  377. 門屋盛一

    門屋證人 工事金を受取つたの会員から申告して、それによつて徴收するという建前になつてつたのでありますけれども、出すというのはなかなか申告が遅れたりしますので、やはり関係官廳の方の支拂高を調査してそれによつて徴收しておりました。
  378. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうすると月々ですか。
  379. 門屋盛一

    門屋證人 月々でございません。月々とはきまつていないのです。
  380. 武藤運十郎

    武藤委員長 とにかく工事の受取金がある人は、調べた結果その中からとるわけですね。
  381. 門屋盛一

    門屋證人 そうです。
  382. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうすると、月々いくらはいるということはないのですね。
  383. 門屋盛一

    門屋證人 月々はいるということはありませんで、大体この出資金というのは、その中を経費に食いこんでもよろしい、佐世保復興のためにいろいろな事業をやつておるのだからというので、金のはいつて來ないときには出資金を初めはわけてやつておりました。その中から差引いていく。
  384. 武藤運十郎

    武藤委員長 昭和二十一年度、二十二年度、あなたの関係しておられたころは、合計どのくらいの賦課金がありましたか。
  385. 門屋盛一

    門屋證人 直接扱つておりませんので記憶がございません。
  386. 武藤運十郎

    武藤委員長 帳簿はありますか。
  387. 門屋盛一

    門屋證人 今清算にまわつておると思いますから、あると思います。
  388. 武藤運十郎

    武藤委員長 そういうものを、明細に收入支出を記載した帳簿はありますね。
  389. 門屋盛一

    門屋證人 あります。初年度は大したことはなくて、一番事業の盛んでありました二十二年度は相当の金額に上つてつたと思います。
  390. 武藤運十郎

    武藤委員長 およそどのくらいですか。
  391. 門屋盛一

    門屋證人 仕事高全部を合わせますと、約三億くらいの仕事高でありましたから、やはり百五十万円内外のものではなかつたかと思います。これはほんとうに概数的のことであります。
  392. 武藤運十郎

    武藤委員長 概略的なことでありますね。
  393. 門屋盛一

    門屋證人 二十二年度のことは特に私はよくわかりかねるのでありますが、そういうふうに思われます。二十一年度は仕事が非常に少かつたのですから、ありましても、十万か二十万代のものと、出資金とでそれくらいになると思います。
  394. 武藤運十郎

    武藤委員長 そこで昭和二十二年三月十四日に、あなたの協会では同年四月五日に施行せられました長崎縣知事選挙に関して何か決議と申しますか、申し合せと申しますか、そういうようなものをおやりになつたことがありますか。
  395. 門屋盛一

    門屋證人 今度私の選挙違反を初め佐世保事件におきましていろいろの方面から聽きまして、そういうことをやつたというようにも考えられるのですが、私はそのときの理事会の当日はたしか東京におつたと思いまして、私出ておりませんから、はつきりしたことはわからないのであります。
  396. 武藤運十郎

    武藤委員長 その場にはおらなかつたわけですね。
  397. 門屋盛一

    門屋證人 はあ。
  398. 武藤運十郎

    武藤委員長 その後あなたが東京から佐世保に帰られて、そこで協会でこういう決議をしたということをお聽きになりませんでしたか。
  399. 門屋盛一

    門屋證人 決議をしたというまでのことは聽きませんが、大体今度の知事選挙については、今の知事杉山宗治郎という人は大正六年に東大の土木を出た土木屋知事であります。長崎縣が道路も悪いし、港湾も遅れており、歴代の知事がこれに熱心でないので、この際杉山氏が立候補するならば一つ應援しようじやないかというような話にきまつたということで、私もそれはよいと思うて賛成しました。
  400. 武藤運十郎

    武藤委員長 協会としては、土建関係にも理解と知識のあると思われる杉山知事は非常によいと思うから、これを協会として一致してひとつ應援をしようじやないかということにきまつたということをお聽きになつて、あなたもそれは結構だ、こういうわけで、賛成をなさつたというわけですか。
  401. 門屋盛一

    門屋證人 そうです。
  402. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうすると、知事とあなたとはいつから知合になつてどういう関係で知るにいたつたわけですか。
  403. 門屋盛一

    門屋證人 知事を一番初め見ましたのは、私が佐世保市の復興委員をしておりまして、その復興委員会杉山知事が長崎縣に赴任しまして佐世保の初巡視をやつたときに、佐世保復興状況について座談会を開いた。その座談会に出ましたのが杉山知事知つた初めであります。それ以來佐世保の、たとえば都市計画とかいろいろな問題、復興と言いましても、その港湾をどういうように活かすか、どうするかというような、われわれ土木屋の技術的なことで二、二回お話したことはあつたのであります。
  404. 武藤運十郎

    武藤委員長 それではこれは民選知事になる前に官選知事をしておつたわけですか。
  405. 門屋盛一

    門屋證人 そうです。
  406. 武藤運十郎

    武藤委員長 どのくらいの期間しておりましたか。
  407. 門屋盛一

    門屋證人 一年半あまりしておつたのじやないかと思います。それから二十一年の七月に今の占領軍の兵舎工事の命令が大体終戰連絡事務局の方にあつた、ところが終戰連絡事務局には技術屋が一人もおらないし、それだけでは非常に施行が困難であることと、この二十一年七月ころまでは全國的に終連で占領軍工事を扱つておりましたために、技術的の査定というものができていない、これがために非常に拂い過ぎる場合もあれば、また拂い足りなくて、業者の方で非常に困るというような状態もわかつておりましたので、この工事を遂行するのはなかなか容易ならぬ、物の集まりにくいときであるが、やみでもいいから買い集めて間に合わせということを終連の局長から言われておりましたけれども、そういうことはなかなか容易にできないことで、私が発議いたしまして、これは日本側として仕上げて渡さなければならない責任があるのであるから、終連だとか、内務省だとかいうようなセクシヨナリズムを去つて、終連と縣知事とが手を握つて、縣の土木部長以下建築課長、土木課長等皆應援をする、終連の方でも渉外関係は、捗外の方が扱うが、仕事の方はわからないから縣の方にお願いするというふうにやつたらどうだと言つたのですが、それが官僚氣分と言いますか、非常にまとまりにくくて、遂に私は業者を代表いたしまして、見積書を持つて中央終連の方に出まして、そのときの設営部長に、こういういき方では業者も困るし、期限も遅くなる、まして遅れては非常に損がいくことになる、これは何とか適当に技術機関に渡すべきものであるということを非常に強調しまして、言日滯在して、何回も終連の方あるいは当時の戰災復興院の方を往復しまして、これが八月から全國的にあの兵舎工事は戰災復興院の方が技術的指導を全面的にやるということになりましたので、その八月までの間に資材の入手が遅れ、いろいろな手続が遅れまして、三箇月か四箇月で仕上がるという工事が非常に遅れておつたので、これは普通のいき方ではいかぬと、縣知事も初めてそのときに——私が七月の三日に、今奮起しないとたいへんなことになるから、早くやつてくれということを言つたのですが、まだおれの方に正式の指示が來ておらないから、終連の方が責任をもつてやればいいということでありましたので、遂に中央終連の方から長崎縣知事に正式に協力を頼むという電報を終連事務局長から打つたのです。それから知事もわかつたのですが、そういうやつているうちに、工事というものは、時期を失すると非常に取返しにくい。それで予定より遅れまして、向うさんから大分叱られたのであります。それが八月二日に、われわれの手で組織しておりました官民合同の委員会に直接知事が列席するようになりまして、いろいろと資材の蒐集とか、食糧問題とかいうむずかしい問題をさばいてくれた、私もそれらの委員として知事に接した、その間に杉山氏の人となりもわかりましたので、私は知事の候補者として適当であると信じました。
  408. 武藤運十郎

    武藤委員長 わかりましたが、そうすると、三月十四日に知事候補者として應援しようということにきまつたのを、あなたは東京におられて、あとで聞いたようですけれども、その前にすでに立候補を勤められて、いろいろと相談をしたりしておつて、たまたまあなたが東京に行つてつた間に決議と申しますが、そういうものがなされたに過ぎないのであつて、その前にそのことに十分あなたは積極的に参與しておられたのではありませんか。
  409. 門屋盛一

    門屋證人 ありません。
  410. 武藤運十郎

    武藤委員長 全然取らなかつた……。
  411. 門屋盛一

    門屋證人 出ないといううわさは聞いておりました。知事はその当時——私が東京に発つまでには本田さんが一人名乘りを上げかけておりましたぐらいで、あとでいろいろの人が立つといううわさは聞きましたが、杉山さんは立たないだろうと思つていたのです。
  412. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうするといよいよ應援するということにきめて、あなたなり協会なりはどういう運動をしましたか。
  413. 門屋盛一

    門屋證人 本來なら私が理事でありますから、佐世保に常時おれば、私も相当やらなければならなかつたのですが、私は二月の終りか、三月の初めかに、日にちははつきりわかりませんが上京しまして、こちらに本社がありますので、こちらの用事を済ませておるうちに、私は大分縣の出身でありますが、大分縣の実弟の岡本忠夫というのが当時の進歩党から公認されまして、参議院に立候補したのであります。進歩党ではだめだからと言つて電報を打つたりして止めたのですが、遂にかつがれたような形で立候補をすることになりまして、東京から帰りに大分にまわつて長崎縣に着いたのは、たしか三月の二十五日過ぎだと思うのでございます。二十七日ごろになつてつたかもしれません。そのときにはすでに知事選挙戰が開始されておりまして、私はまた佐世保に長くおられずに、どうしても弟の立候補を止め切らないうちに、進歩党が民党党に変るというような空氣になつてきたものですから、私も弟の立候補を承諾して、それじやおれは佐世保の用事を済ましておいて、應援に來るということで、佐世保にわずかばかりおりまして、そのわずかの間に杉山知事の應援演説には四、五回出たと思います。それから大分縣に行きまして、弟の應援をやつておりましたので、四月の二十日まで大分縣におりました。
  414. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうすると、あなたなり、協会なり、あるいは協会に属する幾人かのメンバーから知事選挙費に用を出したということはございませんか。
  415. 門屋盛一

    門屋證人 これもその当時は知らなかつたのでありますが、大体協会の方で金を集めることをやりましたのは、二月の終りごろだと思います。私のまだ上京しない前であります。非常に各方面から寄附の申込みがつかえておつたのであります。たとえば國際親善協会とか、今の実践協力会とか、引揚者の團体とか、檢察廳関係しております例の司法保護会の費用とかいうものが、あるいは十五万円とか、三十万円とか、二十万円とかいうふうにお約束をして立替えて拂つたものもあるし、まだ拂つていないようなものもありまして、今の金の集まるときに早く集めて決済をしておかなければいけないというので、その賦課金を正式に計算するのを待つておりますと遲くなりますので、工事に金高がはつきりしないと正確な金部のものが出てきませんので、概算でもつて仕事をやつておる者に割つけまして、百万円なり百二、三十万円程度の金を集めるように、これは二月の終りご晃に理事会できまつてつたのです。それから今回事件ができまして、いろいろ新聞その他を見ますと、その金の一部が選挙に使われておるというような話も聞いたのでありますが、私はそれにはタツチしておりませんのでわかりません。
  416. 武藤運十郎

    武藤委員長 その賦課金の概算でかけたというのは大体合つておるのでしようね。多少違つてつても。
  417. 門屋盛一

    門屋證人 その賦課金はその当時すぐ集まらなかつたのです。すぐ集めたところもありますが。
  418. 武藤運十郎

    武藤委員長 どうなつておりますか。
  419. 門屋盛一

    門屋證人 百二十万円か百三、四十万円の收入予定でありましたが、そのうちのどれくらいがはいつたかということは、当時の経理を與かつておりました者が今病氣で寢ております。実務をあずかつておりました原副理事長でないとわからないのです。
  420. 武藤運十郎

    武藤委員長 何ほど知事選挙にそのうちの金を使つたかわからないのですか。
  421. 門屋盛一

    門屋證人 私はこのごろ問題になつてから新聞等で見ました以上にわからないです。
  422. 武藤運十郎

    武藤委員長 しかしそのころあなたも理事つたのでしよう。
  423. 門屋盛一

    門屋證人 理事でありました。
  424. 武藤運十郎

    武藤委員長 少し知らな過ぎはしないかな。
  425. 門屋盛一

    門屋證人 実際関係方面が廣いので、佐世保に常時おりませんから、理事といいましても、私の代りに店の者が出るというようなことで、知らな過ぎるといえばそうでありますが、実際知りません。
  426. 武藤運十郎

    武藤委員長 二十三年、今年の一月に参議院議員補欠選挙がありましたね。御存じですか。
  427. 門屋盛一

    門屋證人 知つております。
  428. 武藤運十郎

    武藤委員長 この選挙には協会はどういう立場をとつたのですか。
  429. 門屋盛一

    門屋證人 協会は、大体二十二年の四月選挙に私が帰りましてから、協会がやはり應援をしてくれましたのですが、市会に私はあまり横着を言うて歩いておつたために落選したのです。それから私は参議院に立候補しますのは、いろいろの関係から非常に躊躇しておりました。あまり立後れておつたのでありますが、私は出てから一應は協会にもやはり同業者でありますから、いよいよ立候補しましたからお願いしますと挨拶はいたしました。それから私らもほとんど演説戰で飛び歩いておりましたので、実際どういうふうなことを協会がやつてくれたかはわからなかつたのでありますが、この立候補して選挙戰にはいります前に、大体私は理想選挙を自分としては標榜しておりましたので、土建業者のところには挨拶には行きましたが、土建業者選挙運動は非常にはでになつて困る。市会のときの経驗でもわかりますように、実際にこれは徳用にならない、だからよく陣中見舞とか何とかいうものを持つてくるかもしれぬが、そういうものは絶対受けてはならないし、またいろいろなことを土建協会の方に頼んで行つてはならぬということを選挙事務長にもまた私の店の者にも戒めてありました。たまたま土建業者の方から私の不在中に、私の方の常務取締をやつている阿部市之助という者のところに陣中見舞としてふろしきに包んだ相当の金らしい物を持つてきたそうでありますが、私が帰るまでもなく、すぐその場で返せば感情問題が起るので、その日のうちにお返えししたということを選挙事務長ちよつと報告を聞いたので、それはよいことをしてくれてよかつたということくらいしか土建業者との関係はなかつたように聞いております。最近私の選挙違反があがりまして、相当に土建業者の方から私の方にお金を持つてきておつた陣中見舞の金額も二十何万円とか三十万円とかいうふうに言われておりますし、またその金によつたのかどうか知りませんが、土建業者が相当にあちこち動いておつたというようなことが後に選挙違反としてあがつてからわかつたようなわけであります。
  430. 武藤運十郎

    武藤委員長 それまであなたは知らなかつたのですか。
  431. 門屋盛一

    門屋證人 知りません。
  432. 武藤運十郎

    武藤委員長 今のお話は土建業者梅村組の梅村忠一郎山領組の山領濱夫佐世保商工会議所会頭藤井友市、ほか土建業者数十名が相談の上金を集めて、約三十万円を献金したという、その金のことですね。
  433. 門屋盛一

    門屋證人 商工会議所会頭ははいつておらないのじやないかと思います。土建業者だけじやないでしようか。
  434. 武藤運十郎

  435. 門屋盛一

    門屋證人 はあ。調書を見たわけではございませんが、新聞などで想像しましても、また知合いですから聽いてみましても、藤井さんはそれにはいつておらぬように思います。
  436. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうすると、先ほどあなたの留守中に返したという金とは別の金ですか。
  437. 門屋盛一

    門屋證人 別の金かどうか、それはわからないのです。
  438. 武藤運十郎

    武藤委員長 しかしこの約三十万円の金というのは、選挙に使われてしまつたのじやないですか。
  439. 門屋盛一

    門屋證人 それも私の方ではわからない。選挙違反として今起訴されておりますのですが、そのことで私今度帰りまして、檢察廳に呼ばれて聽かれたのですけれども、どういうふうに使われたか全然私にはわからないのです。
  440. 武藤運十郎

    武藤委員長 これもまたもう少し知つてつてもいいはずだと思いますがね。
  441. 門屋盛一

    門屋證人 現在問題が起きましてやつただけで、実際私は人氣のあつたということは自分でも思つておりましたけれども、そういうことをされたということは、私は実際あの短時間の間にほとんど演説会ばかり自分で飛び歩いておりましたから、選挙の実体というものはわからないのです。
  442. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうですか、しかしめでたく当選されたわけですね。  北村徳太郎さんとはどういう関係ですか。
  443. 門屋盛一

    門屋證人 どういう関係といいますと……。
  444. 武藤運十郎

    武藤委員長 どういう関係でお知合いになり、その後どういうお附合いをしているのですか。
  445. 門屋盛一

    門屋證人 一番最初北村徳太郎さんを知りましたのは、株式会社星野組昭和十五年佐世保鎭守府管内の軍工事をやるために佐世保に支店のようなものを出しまして、それからあの銀行との取引が始まりまして、知つたのであります。それ以來私は北村さんの、クリスチヤンであつて、非常に教養の高い、一つの信念を持つておられる行き方に、言葉が当るか当らぬか知りませんが、崇拜したというような氣持で北村さんとはお附合いしております。お附合いしておりましたけれども、戰爭中は私の本業の方が軍の方から追立てられるものですから、あまり実際に同じ團体に働くとかなんとかいうことはなかつたのであります。
  446. 武藤運十郎

    武藤委員長 そうすると、北村さんが昨年四月に選挙をなさる際にあなた方が寄附をなさつたようですけれども、あなたは五万円寄附をいたしましたか。
  447. 門屋盛一

    門屋證人 そのことが六月二十五日の毎日新聞に出たというので、私見まして、人数が多いですから、私自身では寄附はしておりませんが、何かのことで店から金でも出ておらぬかといろいろ調査してみましたが、出ておりませんので、全然その記事が間違いであるということを私は毎日新聞社に抗議を申し込みまして、七月二日取消の記事になつたはずであります。
  448. 武藤運十郎

    武藤委員長 では北村さんの選挙の際にお金を出していないわけですか。
  449. 門屋盛一

    門屋證人 出しておりません。
  450. 武藤運十郎

    武藤委員長 あなたが大分骨を折られて、その返礼として当時大藏政務次官をしておつた関係で、いろいろ便宜の斡旋をしたというようなことを言う者があるんですが、そういうことはございませんか。
  451. 門屋盛一

    門屋證人 そのようなことがやはり六月二十五日の毎日新聞に出ておりましたために、私は今度佐世保へ帰りましての報告演説会でもそのことを相当やじられるし、また参議院の電氣委員として発電所の現場へ調査に行きましても、電産の中のあまり心得ていない分子が、北村にやつた三十万円はどうしたか、北村からもらつた九百円はどうしたかと、場所違いのことまで言われて非常に困つたのでありますけれども、それは間違いでありまして、星野組の方は北村さんのお世話で復金から金を借りたこともございませんし、ただ漁業部と書いてありますので、私が引揚者のためにつくつてつた漁業会社のことじやないかと思つております。それも北村さんにお世話になつて借りたのではありません。また時期もその問題のありましたときは、北村さんは政務次官でもなんでもないんです。それでその新聞記事はどういうことかと私考えてみたんですが、何も心当りがないので、私も迷惑しております。
  452. 武藤運十郎

    武藤委員長 何かお尋ねになることがございますか。
  453. 明禮輝三郎

    明禮委員 縣知事との御関係を承つたのですが、縣知事は土木部長上りの人だそうですね。
  454. 門屋盛一

    門屋證人 そうです。大阪府の土木部長から官選時代に縣知事になつて來たと思います。
  455. 明禮輝三郎

    明禮委員 大阪からですか。
  456. 門屋盛一

    門屋證人 大阪と心得ておりますが、これもお調べになればほんとうのことがわかると思います。
  457. 明禮輝三郎

    明禮委員 そういうようなわけで、あなた方としては土木部出の人だから非常に賛成して、あなた方土建業者から推薦されたものだと思いますが、これについては先ほどからお尋ねもありましたが、大体三月十四日——二月ころだというお話ですが、その時分から話があつて、あなた方が大体百四十万円ぐらい、——少し数字がはつきりしませんが、相当の金をお集めになつたわけでございますね。これはちよつと数字がはつきりしませんが、吉永檢事をこの前ここで調べたときには、吉永檢事小野徳一さんが新円五万円、門屋盛一氏が旧円と新円七万五千円ずつ、原太一さんが旧円で三万五千円、梅村忠一郎氏が五万円これは新円、萩原馨という人が新円五万円、旧円が五万円、山領濱夫氏が新円と旧円七万五千円ずつ、西田という方が新円五万円、旧円五万円、永岡梅右衞門氏が新円が二万五千円、旧円が五万円、飯塚邦三氏が旧円が十二万五千円、新円が十二万五千円。福山久太郎氏が新円で一万円、旧円で一万円。金子正氏が新円で五万円、旧円で五万円。水口正行氏が新円十万円、旧円で五万円。金納清松氏が新円で一万円、旧円で二万円。中津川武雄という人が旧円だけで二万五千円。鹿島組の齋藤弘藏という方が旧円で一万円、合計百二十四万五千円。新円が六十七万円、旧円が五十七万五千円、こうなつておる。大体檢察廳調書もここにありますが、新円と旧円とはつきりしておりませんが、こんなようなことでしようか。あなたもお出しになつておるようでありますが。
  458. 門屋盛一

    門屋證人 お答えいたします。それは先ほど申し上げました二月の末ごろと思いますが、いろいろの協会として出さなければならない寄附金が実行してないので、今金の集まる間に——これは説明を加えないとわからないのですが、占領軍工事なんかが清算されますのは非常に遅れるのです。事実申しますと、二十一年中に仕上つた工事の金でもらつてしまつたのもあれば、まだもらわないのもある。その清算ができて千分の五出すのでは非常に困るから、大体の工事の概算量によつてこれこれの程度で金を集めて、それで寄附を果そうじやないかということが二月の終りごろの理事会で決定した。この理事会には私も出ておりましたからよく覚えております。その賦課した金でありまして、それがどういうふうに集まつてきたかは私ではわからないのであります。
  459. 明禮輝三郎

    明禮委員 ただ私が伺いたいのは、あなたがここでお出しになつたということを承ればよろしいのです。
  460. 門屋盛一

    門屋證人 私の店として出しておると思います。
  461. 明禮輝三郎

    明禮委員 そうですね。協会役員会合がありますが、あなたはいろいろな会合にやはり出ておられるようですね。
  462. 門屋盛一

    門屋證人 佐世保におりますときは努めて出るようにしております。
  463. 明禮輝三郎

    明禮委員 三月二十七日に出ておられますね。
  464. 門屋盛一

    門屋證人 東京から帰つて出ておると思います。
  465. 明禮輝三郎

    明禮委員 いろいろ支部結成のことや何かで協議しておられますね。
  466. 門屋盛一

    門屋證人 支部結成ですか。
  467. 明禮輝三郎

    明禮委員 支部の問題ですね。
  468. 門屋盛一

    門屋證人 どういう事柄であるかこまかく記憶しておりませんが、支部というと日建支部かと思います。私の協会には支部はなかつたですから。
  469. 明禮輝三郎

    明禮委員 支部ということがあります。あまりそこは必要がありませんから。そこであなたと知事とどのような御関係かということをさつきから尋ねておられましたが、やはりいろいろな占領軍工事については、特建工事といつております。兵舎を建てるのにいろいろな資材が要る。あるいは金融方面のこともやるというようなことで、始終接触があつて、そこでまあお互いにお知合いの間柄ですか。
  470. 門屋盛一

    門屋證人 お答えいたします。占領軍工事はさきにお答えいたしましたように、最初終戰連絡事務局に來たのでありますが、終連だけではできないので、長崎縣知事の協力を求めまして、終連事務局の人と長崎縣知事、そのほか関係官に全部協力していただきまして、官民合同の占領軍工事実施委員会というものをつくりまして、それによつて物資を集めたり、いろいろのことをやりました。資金面は地方銀行の應援を受けまして、知事、官廳には御迷惑をかけずにやつております。
  471. 明禮輝三郎

    明禮委員 そこで知事選挙なんですが、二十一年に佐世保復興建設協会の代表として、あなたが杉山知事との間に占領軍ダム工事、請負高約一億円の契約をなすつたことがありますか。
  472. 門屋盛一

    門屋證人 二十一年じやないと思います。
  473. 明禮輝三郎

    明禮委員 二十二年ですか。
  474. 門屋盛一

    門屋證人 占領軍のダム工事は、占領軍の水が足らないというので、二十一年の十二月ごろにこれを占領費支弁でやるということで、長崎縣と中央の終戰連絡事務局、当時の戰災復興院等との協議がまとまりまして準備にかかつたのであります。契約を知事との間にやりましたのは二十二年の四月ごろになつておらんかと思いますが、これは私は書類を見ないとわかりません。
  475. 明禮輝三郎

    明禮委員 二十二年の四月ごろ知事は今の人ですか。
  476. 門屋盛一

    門屋證人 その形は……。
  477. 明禮輝三郎

    明禮委員 あなたと知事と契約をやられたのですね。
  478. 門屋盛一

    門屋證人 占領軍の工事は全部そういう形式になつておるのでありまして、実際の命令権とか何とかいうものは、後に変りました調達廳とか戰災復興院がもつておるのでありますが、契約担当官は各縣の知事になつておるのであります。
  479. 明禮輝三郎

    明禮委員 私が言うのは具体的に佐世保における占領軍ダム工事を、あなたが協会の代表者としておやりになつたのですか。
  480. 門屋盛一

    門屋證人 協会の代表者というと……。
  481. 明禮輝三郎

    明禮委員 代表者というのですか、あなたが個人ですか。
  482. 門屋盛一

    門屋證人 これは協会といいますか、佐世保復興建設協会でなしに、略して日建というのがあります。日本建設工業会の推薦によりまして、株式会社星野組がその工事を施行することになつた、契約は株式会社星野組と長崎縣知事との契約になつております。
  483. 明禮輝三郎

    明禮委員 それは大体十二月ごろでしよう。四月には知事選挙に立つておりますから、知事の権限がないわけです。その十二月から二月ごろのことじやないか。
  484. 門屋盛一

    門屋證人 調べてみなければわかりませんが、ダムの計画の始まつたのは二十一年の十二月ですから、ほんとうの契約ができて仕事ができるようになつたのは、二十二年の四月以降になつておるように私は思います。数が多いですから調べてみなければわかりません。
  485. 明禮輝三郎

    明禮委員 長崎縣の豊島という所長を御存じですか。
  486. 門屋盛一

    門屋證人 知つております。
  487. 明禮輝三郎

    明禮委員 あなたの方では資材の要求なんかは、やはり豊島氏なんかに交渉することがあるでしようね。
  488. 門屋盛一

    門屋證人 豊島さんは長崎縣の佐世保出張所長です。占領軍工事というのは長崎市にあるのではなくて佐世保市にある。佐世保市の終連事務局長が占領軍工事実施委員会委員長である。そして縣知事の代理であるところの豊島さんが副委員長をされておつたのです。
  489. 明禮輝三郎

    明禮委員 そういうようなことでいろいろな関連があるので、みんなそう言つておるようですが、土建業者の方方がいろいろお世話にもなるというので、知事に対して金を集め選挙運動をしたようですが、あなたは選挙運動をして、それからここにおります梅村さん、小野さんあたりが金を持つて陣中見舞に行つたり、魚を持つてお祝いに行つたりしておりますが、そういうことはあなたは御存じじやないですか。
  490. 門屋盛一

    門屋證人 そのとき行かれたのは、理事長、副理事長のはからいでやられたことでありますけれども、陣中見舞を持つてつたけれども知事はお留守であつてあと奥さんのところへ置いて帰つたという話を聞いております。
  491. 明禮輝三郎

    明禮委員 そこであなたは、あなたの選挙については先ほどもちよつと述べられたようですが、大体あなたは非常に徳のある人で、二十八万か三十万円みんなが出して、選挙運動を應援してくれたらしいですね。これは御承知なんでしよう。
  492. 門屋盛一

    門屋證人 今は新聞に出たのでわかつております。
  493. 明禮輝三郎

    明禮委員 あなたがそういうことを承知をしておられたように、この関係者の中では言つておるようですが、殊に二十五万円かしらん金を持つてつたら、阿部さんが、これはこつちの方へ置いておくと、ぐあいが悪いから、そつちの方へ持つてつてくれというので、持つてつたという陳述もありまして、あなたは選挙について、こういうことをやつてくれたということを大体御承知つたというように書いてあるが、その点はいかがですか。
  494. 門屋盛一

    門屋證人 どなたの陳述かしりませんが、私といたしましては、選挙を始めます折に、土建業者との間にに境界をおかなければならぬとはつきり言うてありましたので、その金を持つてつて、これで運動してくれとか何とか、そういうふうなことを言うわけがない。私に相当店でもやかましい方ですから、お調べくださればわかります。
  495. 明禮輝三郎

    明禮委員 あなたが御承知がなかつた。そこでちよつとあなたにお伺いしたい。お調べももう佐世保であつたようですが、選挙違反事件として、だれか起訴せられておる者がございますか。
  496. 門屋盛一

    門屋證人 大分起訴されております。
  497. 明禮輝三郎

    明禮委員 どういう人が起訴されておるのですか。ちよつと参考までに伺いたい。
  498. 門屋盛一

    門屋證人 ちよつと新聞で見た程度で、裁判所の書類を見たわけでございませんが、梅村さんとか、小野さんとか、山領さんとか、西田君とかいろいろの方が、たしか八人か十人くらい起訴されておるようになつております。それから最後に、これは私どもちようど佐世保におりましたときでありますが、辻一三君が選挙違反でやられた。商工会議所会頭の藤井さんがやはり起訴されておる。そういうふうなことに聞いております。
  499. 明禮輝三郎

    明禮委員 あなたの方ではどこか門司の方で毎日新聞の工事をおやりになつておりますか。
  500. 門屋盛一

    門屋證人 やつております。
  501. 明禮輝三郎

    明禮委員 いつごろからお始めになつたのですか。今まだやつておりますか。
  502. 門屋盛一

    門屋證人 二た所にわたつておるのでありますが。
  503. 明禮輝三郎

    明禮委員 門司ですか、下関ですか。
  504. 門屋盛一

    門屋證人 下関のは支局であります。門司のは車庫であります。
  505. 明禮輝三郎

    明禮委員 下関の支局と、門司の車庫ですか。
  506. 門屋盛一

    門屋證人 はあ。門司の講堂、それをやることになつております。下関の支局はでき上つておりますが、門司の方はまだ今やつております。
  507. 明禮輝三郎

    明禮委員 そこで先ほどの新聞が出たときに、非常にこの問題が沸騰いたしまして、それであなたの方では、これを取消せば、この仕事をやるし、取消さなければ、もうやめるんだということになつたというので、大分問題が起つたそうですね。
  508. 門屋盛一

    門屋證人 そういうことはございません。毎日新聞の仕事は、私の方は終戰後ただ利益追求のみではなしに、土建業を少し改良していかなければならぬという私の抱負をもつておりますので、その抱負の一端としまして木工員の養成所をもつている。その養成所の人間を使つてもらうために毎日新聞の仕事を特免にしてもらつておりまして、やめるとか何とかいうことはあり得ないことであります。それと新聞記事とは何ら関係ない。
  509. 明禮輝三郎

    明禮委員 新聞記事が出たので、そういう新聞記事を書くようなら、もうやめる、工事をやらぬということになつて、非常に困つた問題が起つたと聽きましたが、あなたの方でそうおつしやらぬと言えばそれまでのことです。
  510. 門屋盛一

    門屋證人 私はそういうことは知りません。
  511. 明禮輝三郎

    明禮委員 それから先ほどちよつと漁業会社のことを言われましたが、あなたの方で復興金融金庫から金を借りておるところはどことどこでしようか。あなたの会社が借りておられるならば、それでもよろしい。ほかの会社も関係あるものはちよつとおつしやつてください。
  512. 門屋盛一

    門屋證人 お答えいたします。株式会社星野組は一銭も借りておりません。私の関係しております日本海洋漁業というのが借りております。
  513. 明禮輝三郎

    明禮委員 海洋漁業だけですか。
  514. 門屋盛一

    門屋證人 はあ。
  515. 明禮輝三郎

    明禮委員 一体この会社は何をするところですか。
  516. 門屋盛一

    門屋證人 会社は以西底曳と言いまして、東支那海の方に底曳網で魚をとりに行く会社であります。
  517. 明禮輝三郎

    明禮委員 この会社は資本金はどのくらいですか。
  518. 門屋盛一

    門屋證人 資本金は二百万円。
  519. 明禮輝三郎

    明禮委員 この会社の社長はだれですか。
  520. 門屋盛一

    門屋證人 その会社の設立までのことを申し上げた方がいいと思いますが、よろしうございますか。
  521. 明禮輝三郎

    明禮委員 あまり時間がかからぬように簡單に……。
  522. 門屋盛一

    門屋證人 大体この会社はあるいは廣東におつた者とか、支那方面におりました引揚者で一つの漁業組合をこしらえておつたのです。それは昭和二十一年からです。三十万円の任意組合であります。それが向うにあつた漁業権を復活したわけであります。そうして復金の融資懇談会、これはむろん農林省のお指図があつたと思うのですが、融資懇談会において二十一年の四月ごろ一千万円の融資が決定しておつた。ところがその融資の條件といたしまして二百万円の会社でなければ貸すことはできないというので、この引揚者の代表者が昭和二十一年から昨年の五、六月ごろまで盛んにその出資者を求めて歩いたのですが、出資者ができかかつてはやめ、できかかつてはやめ、遂に融資懇談会を通過したところの一千万円の融資が受けられない。融資懇談会を通過しているからというので、船は川南造船所に頼んで非常に困つている。何とかして二百万円の会社をこしらえてもらいたいということで、その引揚者の代表二人が私のところでほかのことで会いまして、こういうことで困つているという、それじやおれが何とかしてやろうというので、私はその二百万円の会社をこしらえた。そうして復金の調査部長、融資部長に会いまして、その会社に融資をしてもらつたのであります。
  523. 明禮輝三郎

    明禮委員 そうすると、会社はまだできないでも、初から——融資懇談会というのは復金の中にあるのでしよう。
  524. 門屋盛一

    門屋證人 それは私は詳しく知りませんが、会社のできない先に——復金の中にはないでしよう。融資懇談会というのは今はないはずですが、当時あつたのです。
  525. 明禮輝三郎

    明禮委員 復金の中でしよう。
  526. 門屋盛一

    門屋證人 中か外か知りませんが、私は融資懇談会を通過しているということで、復金の方に聽きに行つたら、その通り間違いなかつた
  527. 明禮輝三郎

    明禮委員 それはいかがでしよう。私どもが考えると、まだ手続もできてないものに融資懇談会でこれだけにすれば貸してやろうだの言うはずがないと思うのですが、何かそれは間違いじやないですか。
  528. 門屋盛一

    門屋證人 間違いじやございません。私確かめに行つたのですから。復金の融資部長及び調査部長に確かめて、二百万円の会社になつて、経営ができればという條件があるのです。二百万円の会社をこしらえるという條件で懇談会で認めておつた
  529. 明禮輝三郎

    明禮委員 そんなことをあすこはやりますかね。
  530. 門屋盛一

    門屋證人 私はその通りで間違いなかつたので、引揚者のために一肌ぬいだわけです。
  531. 明禮輝三郎

    明禮委員 それはいつきまつてつたのでしよう。一千万円貸すということを融資懇談会できまつてつた日を一つ。
  532. 門屋盛一

    門屋證人 その日にちは私は正確な書類では押えておりませんが、私がこれにタツチしましたのは昨年の暑いときでありますから、たしか六月の終か七月ごろと思う。そのとき私は復金の調査部の次長に会いまして、引揚者の言うことが間違いでない。二百万円の会社ができないから貸すことができないのだということで……。
  533. 明禮輝三郎

    明禮委員 調査部の次長はたれですか。
  534. 門屋盛一

    門屋證人 名前は忘れました。
  535. 明禮輝三郎

    明禮委員 調査部の次長、それから会つたのばたれですか。
  536. 門屋盛一

    門屋證人 融資部長。
  537. 明禮輝三郎

    明禮委員 それはたれですか。
  538. 門屋盛一

    門屋證人 融資部長は——私融資部長の所へ行つたときに約二時間はど待たされたので、大分やかましく言つたのですが……。
  539. 明禮輝三郎

    明禮委員 これはあなたの言われるようなことではなく、今の初めはそうやつてつたが、結局はねられてしまつて、仕方がないから犬養さんの所へ行つて話をし、犬養さんから北村さんに話をして、北村さんの努力によつて、一千万円の会社をつくり直して、それでいけばという大体の話が初めて北村さんの方からあつて、二百万円の会社にこれをつくり直して、今の厚生團体みたようなものではいかぬというので、それであとからこの八方のお骨折りによつてできたのではございませんか。
  540. 門屋盛一

    門屋證人 違います。
  541. 明禮輝三郎

    明禮委員 それでは北村さんは関係しておりませんか。
  542. 門屋盛一

    門屋證人 北村さんの関係した一節は、北村さんの名前がそこへ出ますのは、引揚者代表者の竹田嚴というのと、川西というのに会いまして謄写版刷りの書類を見て方々つてまわつたけれどもできないで困つておるし何とか名前を言いましたが、いろいろの業者のところです。ある人は二百万円出してやると言つて、それで話が復金の方へ通つて、復金もその人ならいいからと言つてできるときになつたら出資がまた断わられてどうすることもできぬというので、海外引揚者を私は何とかして有効に使つて、食糧増産に寄與した方がいいと思つて、やろうという氣で復金に行つて聽いたら、二百万円の会社さへできればいいという調査部の話であつた。ところが調査部でもその融資懇談会を通過した折の空氣と、最初私がタツチしましたときの空氣とはよほど違つてつて、それだけなら貸さない方がいいという空氣も見えた。これは私一人ではいかぬから、融資部長に会つてくれというので、融資部長に会つたのです。ところが、二時間近く待たさせた、それで私は……。
  543. 明禮輝三郎

    明禮委員 北村さんのところを話してください。
  544. 門屋盛一

    門屋證人 それから話さないとわからないのであります。  そこで融資部長のところで、私が今度こういうわけで二百万円の会社をつくるから、つくつたら貸してもらえるかと言つたら、それは貸すことになつているが、しかし今まで海外引揚者で、いろいろ人間をもつてきたけれども、信用できる人間もあるが、信用できない人間もあるから、まず門屋さん、あなたがいくらいばつても、あなたの信用調査をやらなければ、イエスかノーか言えないということで、それでは信用調査をやつていただきたい、しかし終戰後日本の興信所というものもできていないから、非常にひまが要るだろう、ひまが要ると船價を拂つたりなんかするのに困る。僕も今なら金を出せるが、またずつと後になると、土方の持つている金はなくなるから早くしてください。早くと言つてもわからぬ。それでは私の信用だけできまるのならば、北村徳太郎さんとは、昭和十五年以來あの銀行で取引しているから、私のことは北村徳太郎さんが御存じだ。北村徳太郎さんについてお調べください、これだけのことなんです。そのときにもう一つ、それでは北村さんはあなたの保証人にでもなりますかと言うので、待つてくれ、北村さんが保証人にならなければできないというように門屋に信用がなかつたら、私はこの事業から手を引くとはつきり申しました。
  545. 明禮輝三郎

    明禮委員 わかりました。それはわかりますが、北村さんにそのときに頼んでやるようになつたのですか、ただ北村さんにあなたのことを聽くだけのことだつたら、北村さんに聽いてもよいし、調査すればいいでしよう。北村さんがこの金を貸してやつてくれんか、これは実際こういうようなわけだから、この会社には門屋という者を入れて、保利茂という人を社長にするから、入れてくれんかと言つたんじやないですか。
  546. 門屋盛一

    門屋證人 それは北村さんが復金とどういう話をなさつたか知りませんが、私は北村さんに復金に行つてくださいとも何とも頼んでおりません。
  547. 明禮輝三郎

    明禮委員 それでは金を貸すことについて、骨を折つてくれと頼んだことはありませんか。
  548. 門屋盛一

    門屋證人 ありません。
  549. 明禮輝三郎

    明禮委員 絶対に北村さんに、融資のことの援助を頼んだことはありませんね。
  550. 門屋盛一

    門屋證人 ございません。     〔委員長退席河井委員長代理着席
  551. 明禮輝三郎

    明禮委員 そうしてこの会社は一千万円の融資を受けたのであるが、何も担保がなかつたから、遂にあなたが保証人になつた。常務川西睦、事務の竹田巖並びにあなたの方の顧問であつて、軍人であつたところの柳堀精作という人を一枚常務に入れて、その人に保証されておる事実がありますが、いかがですか。
  552. 門屋盛一

    門屋證人 それは今の会社ができて、私は事業会社が忙しいので、その会社を統轄することができませんから、それで私が懇意にしておつたところに保利さん——これは佐賀縣の水産会長をやつております。保利さんにあなたは経驗があるから見てくれ、引揚者ばかりではしようがないからというので、保利さんに頼んで社長になつてもらい、今の竹田專務と、ほかの者が二人常務になりまして、会社の重役としてそれらの人が保証し、私は最初復金に行つて啖呵を切り過ぎたので、平取締りでありますけれどもやはり保証をしております。
  553. 明禮輝三郎

    明禮委員 あなたの代りにはいつているのですね、柳堀精作という人は……。
  554. 門屋盛一

    門屋證人 はいつております。
  555. 明禮輝三郎

    明禮委員 そうするとこれはやはりあなたの実力範囲内の会社というのですか。あとから保利さんを頼んだりなんかしたのですから結局は……。
  556. 門屋盛一

    門屋證人 頼みました。
  557. 明禮輝三郎

    明禮委員 そこであなたの方では二十三年の三月、当時一千万円の復金借入れの申込みをしたことがありますか。
  558. 門屋盛一

    門屋證人 一千万円ではない、船價の値上りによつて三百万円借入れました。
  559. 明禮輝三郎

    明禮委員 申入れは一千万円であつたが、融資は三百万円しか受けなかつたというのが事実ではありませんか。
  560. 門屋盛一

    門屋證人 融資を願つたのは、かつをまぐろの船と一緒に願つたのですが、かつをまぐろの船は出ないというので、その分は切り捨てまして、船價の値上りよる三百万円が認められたのであります。
  561. 明禮輝三郎

    明禮委員 私のお尋ねするのは、申入れは一千万円だつたが、実際は三百万円しか借りなかつたのか、三百万円申し入れておいて、三百万円借りたということか、どつかということです。
  562. 門屋盛一

    門屋證人 申入れの折は、いろいろ農林省のわく等の関係がありまして、実は実務にはタツチしておりませんけれども、かつを、まぐろを含めて相当申入れをいたしたと思います。
  563. 明禮輝三郎

    明禮委員 だから一千万円の申入れをしたのですか。
  564. 門屋盛一

    門屋證人 一千万円であつたか、一千二百万円であつたか、とにかく申し入れたもののうち、船價の値上りだけが認められたという記憶がございます。
  565. 明禮輝三郎

    明禮委員 そこでその当時運輸大臣であつた北村さんに、これをぜひ貸してやつてくれという運動をあなたは頼んだことはありませんか。
  566. 門屋盛一

    門屋證人 全然ございません。
  567. 明禮輝三郎

    明禮委員 北村さんがぜひ貸してやつてくれと言われたから、貸したというようなことはありませんね。
  568. 門屋盛一

    門屋證人 私は知りません。
  569. 明禮輝三郎

    明禮委員 それだけ伺つておけばよろしい。  親和銀行から会社に金を出しておりますか。
  570. 門屋盛一

    門屋證人 現在どれだけどうなつているか、私の星野君もこの國会に出てから実際の統轄ができかねている状態でありますから、漁業会社がいくら借りておるかということはつきりわかりませんが、常に三百万円や四百万円は借りているだろうと思います。
  571. 明禮輝三郎

    明禮委員 常に三百万円か四百万円……。
  572. 門屋盛一

    門屋證人 またそれは借りなければやつていけません。
  573. 明禮輝三郎

    明禮委員 これはだれが保証人になつておりますか。
  574. 門屋盛一

    門屋證人 むろんわれわれが保証人になつていると思います。
  575. 明禮輝三郎

    明禮委員 思いますと言つて、あなたはよくわかりませんか。
  576. 門屋盛一

    門屋證人 一々手形を自分で見て出さない場合もありますから。
  577. 明禮輝三郎

    明禮委員 あなたの方ではこの会社に金を出しておりますか。
  578. 門屋盛一

    門屋證人 出しております。
  579. 明禮輝三郎

    明禮委員 どのくらい出しておりますか。
  580. 門屋盛一

    門屋證人 ときによつて運轉資金のことですから変ることがありますが、やはり三、四百万円融通していると思います。
  581. 明禮輝三郎

    明禮委員 三、四百万円出している……。
  582. 門屋盛一

    門屋證人 はい。
  583. 明禮輝三郎

    明禮委員 それはだれが保証しておるのですか。
  584. 門屋盛一

    門屋證人 それはお互いの同系会社でありますから、別に保証とか何とかいうことはなしに、信用貸しになつております。ただ親和銀行の分に対しては、一々保証にはなつておらなくても、二番抵当は設定しておると思います。
  585. 明禮輝三郎

    明禮委員 あなたの方の三百万円か四百万円出してあるのには保証はありませんね。
  586. 門屋盛一

    門屋證人 今調査しておりませんから、はつきりお答えできませんが、固くと言えば、一應聽き合わしてお答えいたします。
  587. 明禮輝三郎

    明禮委員 あなたの方が貸してあるのだから……。
  588. 門屋盛一

    門屋證人 多分あまりややこしいことはないと思います。
  589. 明禮輝三郎

    明禮委員 それだから保証はしていないということですね。
  590. 門屋盛一

    門屋證人 そうです。
  591. 明禮輝三郎

    明禮委員 わかりました。そこでもう一つお伺いしたいのは、北村さんとあなたの方はいろいろの関係があるのですが、いかがでしようか、北村さんとの関係は先ほどちよつと述べられましたが、人格を尊重するとか、尊敬するとかいうことは結構なことですし、それもいいでしようが、やはりそのほかにいろいろな関係で、あなたが参議院議員にお立ちになるときには、北村さんが推薦されたようですね。
  592. 門屋盛一

    門屋證人 そうです。
  593. 明禮輝三郎

    明禮委員 北村さんが立候補されるときには、あなた方がやはり推薦したのでしよう。
  594. 門屋盛一

    門屋證人 北村さんの立候補は二度でございますが、最初二十一年の二月に初めて出られますときは、私が簡單な話で、今度こういう時勢になつたのだから、あなたがお出になつた方がいいと思うがどうでしようかと言つたところが、自分は出ないと言う。二十一年の二月の選挙では、私は友人の關谷紋藏というのが社会党から出まして、私も常に社会党とは非常に同じ考え方が多かつたので、二十二年二月には關谷紋藏を呼び、そうしてその運動がかなり盛んに進んだときに、北村さんが遂にほかから推させまして出てこられた。それから去年の四月の選挙には、私は北村さんを当選さすために、弟の参議院選挙が大分縣で済んで、もう一日、二日大分縣で應援してやつたら当選したかもしれませんが、北村さんを当選させたいばかりに、よもや落選するとは思わなかつたが、それでもと思うて私はかけつけまして、應援演説を二十五日一ぱいしましたが、推薦者にはなつておりません。
  595. 明禮輝三郎

    明禮委員 それで北村さんの選挙時分には、佐世保復興建設協会というものが、やはり知事選挙とか、あるいは参議院議員のあなたの補欠選挙と同じような意味において應援をしたのだと言われておりますが、この事実はいかがでありますか。
  596. 門屋盛一

    門屋證人 私はそういうことはないと信じます。
  597. 明禮輝三郎

    明禮委員 そうですか。それではあなたは個人的にどういうことを應援されましたか。
  598. 門屋盛一

    門屋證人 選挙でございますか。選挙は演説会の應援だけです。
  599. 明禮輝三郎

    明禮委員 軍資金の應援はなさいませんか。
  600. 門屋盛一

    門屋證人 大体北村さんの選挙にはあまり軍資金の應援は要らないと思いまして、軍資金の應援はする氣もありませんし、出しておりません。
  601. 明禮輝三郎

    明禮委員 あんまり要らないかもしれませんが、ちつとは要りますなあ。
  602. 門屋盛一

    門屋證人 しかしそのくらいのことは本人個人でもおありになるでしようから……。
  603. 明禮輝三郎

    明禮委員 どうですか。証人以外のお知合いの中でも出しておる人はありませんか。
  604. 門屋盛一

    門屋證人 北村さんの選挙費用として出した人は佐世保市にはないと思います。ただ四月選挙にはいろいろの人が立候補しておりますから、それで知事に持つてつたとか、だれに持つてつたとかいうのは、北村さんの近くの新聞記事において見ると誤り傳えられておるのではないかと思います。どう考えても私自身も、またわれわれの知つておる人でも、北村さんは金を持つてつて喜ぶ人ではないのですから、持つてつておらぬと思います。
  605. 明禮輝三郎

    明禮委員 いや、お尋ねするのは、喜んでも、喜ばないでも、お金の顔を見ればあんまり悪い氣持はしないものだと思うが、とにかくあの知事集めた金を持つてつたということにはなりますね。
  606. 門屋盛一

    門屋證人 そういうことはありますまい。大体その協会北村さんは常に連絡はないのですから……。
  607. 明禮輝三郎

    明禮委員 それではもう一つ掘下げてお尋ねしますが、藤井友市という人がありますね。あなた御存知ですね。
  608. 門屋盛一

    門屋證人 承知しております。
  609. 明禮輝三郎

    明禮委員 藤井友市という人の日記をひとつ読んでみますから……。この日記によつてあなたはどういうふうにお考えになりますか。
  610. 門屋盛一

    門屋證人 その日記は……。
  611. 明禮輝三郎

    明禮委員 ちよつと待つてください。私の方で読みますから……。六月十六日に日記です。「会議役員会北村会頭はかねて辞意を発表せられ、私にも親書を送りて後任会頭は貴台にお願いすると明言しながら、本日の役員会において辞任をとりやめ、留任せられた。この裏面は後任副会頭に馬郡氏を予定することを嫌い、当分北村会頭の留任を願いたいということを会の直前に梅村氏より私に話あり、そのまた出所を疑うべきも、これは研究せず、引続き私は副会頭として全力を盡すことを上品の策と決意した。私もし会頭となれば私の後任に馬郡氏を副会頭たらしめることを嫌うという梅村氏の話は半額は認めるが、一方門屋氏が東京に北村氏を訪ねて留任を説いた結果と判断することができる。この理由は私の会頭に門屋氏が反対したもので、北村氏の私あての手紙のあとにこのことありたりと察せらる。北村氏は北村氏の選挙において門屋氏より受けたる五万円の陣中見舞及び東京における門屋氏の至れり盡せりの厚意に対し、かくあるべしと察せらる。」いかがですか、この点について……。
  612. 門屋盛一

    門屋證人 その日記のことは聞いたのですが、前段の商工会議所会頭問題のときには、藤井さんのお考えとは少し違いまして、今のように北村さんが大臣をずつとやられれば、むしろそのときに会頭を取替えておいた方がよかつたかもしれないのですが、政務次官もやめられ、大臣もしておられないので、佐世保は軍によつて数十年生きてきた町で、軍のなくなつた佐世保の建設に対しては、佐世保の商工会議所の会頭はよほどの経済界の大物がおらない限り復興できない。藤井さんは非常に着実ないい人ですけれども、その意味において会頭としては適任でないと私は考えましたので、私北村さんのところに來て、今あなたの辞任問題が出ると、あとの会頭問題とか、いろいろ辞任問題がうるさい。今しばらく辞任を思い止つてもらいたいということは、そのためにわざわざ上京したのではないのですが、私は上京したついでに申し上げたことがあります。  それから五万円云々のことは、全然私にも覚えはありませんし、それは藤井さんにお聽きくださらないと、どういう氣持で藤井さんがお書きになつておるか私には判断がつきません。
  613. 明禮輝三郎

    明禮委員 五万円問題は藤井さんに聽くことにいたしますが、あなたにもよく聽いておきます。こういうふうに書いてあるので、これがただ單に普通にありふれた、出会い任せに門屋氏が北村氏に五万円贈つたというようなことを書いたのとは違つて、こういういろいろな含みが内容の記事の中にあることでありますから、私どもがこれを正常にまじめに取扱つてみるときは、少くともこれは行つておるものだと思う。のみならずあなたの今までの御交際あるいは尊敬ぶり、また今までの佐世保土建業者たちの選挙に対する熱心の活動というものは、十分にここに反映しておるものだと私は思う。こういう意味において、あなた方の良心に從つたほんとうの陳述をここで求める次第であります。
  614. 門屋盛一

    門屋證人 よく心得ております。北村さんに対しては、どう考えて見ましても私は選挙のときにお金を差上げたことはございません。
  615. 明禮輝三郎

    明禮委員 それではもう一つお尋ねしておきますが、ここに「門屋氏の至れり盡せり厚意に対しかくあるべし。」ということは何のことでありますか。
  616. 門屋盛一

    門屋證人 それは私は北村さんを崇拜しておりますから、今日私を知つておる人は御存じと思いますが、私はあの忙しいお方を助けまして、あの人のからだの足らないところは、選挙区の用事であろうと何であろうとも、私は手足となつて飛び歩くだけの覚悟でおります。私この忙しい中から参議院議員に出ておるのも、北村さんを助けたいために出てきております。
  617. 明禮輝三郎

    明禮委員 北村さんに推薦されたのですね。
  618. 門屋盛一

    門屋證人 そうです。推薦されたのです。今の忙しい中をお受けするのは日本のためになるだろう。それではひとつ北村さんのために手足となつて大いに働こうというので働いておりますが、金銭上のことは全然ありません。
  619. 明禮輝三郎

    明禮委員 それだけ北村さんのために熱をあげておられるということなら、少しはありそうなものですね。  それでは「至れり盡せり」ということはこういうことでしよう。いろいろなことがあるかもしれませんが、今林町で一緒にお住いですね。
  620. 門屋盛一

    門屋證人 今大臣は官邸の方におります。
  621. 明禮輝三郎

    明禮委員 今北村さんの名札が上つておるでしよう。
  622. 門屋盛一

    門屋證人 あれは北村さんが運輸大臣になつたときに引越して行かれたのですが、一旦おかけになつた北村さんの名札がないとあと困ると思つたので、あれは私の方が名札屋に頼んでかけてあるのです。
  623. 明禮輝三郎

    明禮委員 そうだが、二階の方へ來て寢泊りをするようになつていることを述べておる。
  624. 門屋盛一

    門屋證人 それは官邸に移られるまで二階におられました。
  625. 明禮輝三郎

    明禮委員 大藏大臣のですね。
  626. 門屋盛一

    門屋證人 運輸大臣です。
  627. 明禮輝三郎

    明禮委員 それまでは一緒について……。
  628. 門屋盛一

    門屋證人 私は東京に始終おりませんから、私のおるときには一緒におりました。
  629. 河井榮藏

    河井委員長代理 よろしいですか。ほかにありませんか。
  630. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 大したことじやありませんがさつきあなたが社会党に対しては考えは一致しておるとおつしやつたが、今日はどうですか。
  631. 門屋盛一

    門屋證人 委員長、私が國会議員でないといいのですが、社会党に対してどうとかこうとかということを、今ここで言うことはこらえてもらいたいのですが……。
  632. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 それなら具体的に、思想上社会主義がいいと考えておられますか。そう私は先ほど承つたが……。
  633. 門屋盛一

    門屋證人 私は昭和二十一年二月選挙の折には、社会党の政策を打立てていかなければならぬというので、佐世保支部の顧問を引受けまして、関谷紋藏というのに相当金の方も体の方も應援して闘つたのですが、強敵北村さんが出たため負けた。それからなぜ私が今民主党から……。
  634. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 いや、それを聽いておるのではない。あなたが社会党と思想上一致しておるかということです。
  635. 門屋盛一

    門屋證人 そこです。終戰後のいき方については社会党と一致しておる。それは……。
  636. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 それでよろしい。そこで私の聽かんとするのは、それにもかかわらず北村さんが出たらあなたは應援するつもりになつたと言うのが、不思議だから、それを私は聽いている。
  637. 門屋盛一

    門屋證人 北村さんは銀行の頭取であつて、非常に資本主義の人のようでありますけれども、私らが北村さんを知つている範囲においては、相当社会主義的政策を行える人です。そこで私は北村さんならいいと思つた
  638. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 それは驚いた。現在もそう思つていますか。
  639. 河井榮藏

    河井委員長代理 それは意見の相違だから……。
  640. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 北村氏は社会主義政策を行える人とは思わないが……。
  641. 門屋盛一

    門屋證人 それは鍛冶さん、ひとつ他のところでお願いします。
  642. 明禮輝三郎

    明禮委員 先ほどちよつとお尋ねしたところが、はつきりしなかつたから伺つておきたいのであります。日本海洋漁業株式会社の融資の申込みは、いつ申し込んでおられるのでしようか。これはきまつたのは十一月五日になつておるようですが、いつ申し込まれたのですか。
  643. 門屋盛一

    門屋證人 金の來たのは寒くなつてから、申込みは暑いときと思います。それはあとで書面でも出した方がいいと思うのですが……。日にちははつきりわかります。
  644. 明禮輝三郎

    明禮委員 ぢや書面で出してください。
  645. 河井榮藏

    河井委員長代理 では済みました。御苦労さまでした。     —————————————
  646. 河井榮藏

    河井委員長代理 山領浜夫さんですね。
  647. 山領濱夫

    山領證人 はい、山領浜夫です。
  648. 河井榮藏

    河井委員長代理 お尋ねしますが、あなたは佐世保復興建設協会役員でありますか。
  649. 山領濱夫

    山領證人 はい、復興協会理事をしております。
  650. 河井榮藏

    河井委員長代理 この協会はどういう目的でできたのですか。
  651. 山領濱夫

    山領證人 佐世保復興協会というのは、終戰後佐世保復興を一日も早くなそうというようなことと、業者の親睦を目的として大体設立したわけであります。
  652. 河井榮藏

    河井委員長代理 会員はどのくらいですか。
  653. 山領濱夫

    山領證人 会員佐世保において、土建業者のおもなものはほとんどはいつておられます。
  654. 山領濱夫

    山領證人 初めは梅村さんでございました。その後小野さんに迭りまして……。
  655. 河井榮藏

    河井委員長代理 協会経費はどういうふうにして支出していますか。
  656. 山領濱夫

    山領證人 協会経費は工事の物品を納めまして、それによつてつております。
  657. 河井榮藏

    河井委員長代理 千分の五ですか。
  658. 山領濱夫

    山領證人 はつきり覚えておりませんが、千分の三か五だろうと思います。
  659. 河井榮藏

    河井委員長代理 門屋さんや梅村さんは千分の五だと言つておられますが……。
  660. 山領濱夫

    山領證人 あの当時占領軍工事は——民間工事がいろいろありまして、それに千分の三か千分の五となつておりましたから……。
  661. 河井榮藏

    河井委員長代理 それは千分の五ではないですか。
  662. 山領濱夫

    山領證人 先ほど申したように占領軍工事は民間工事によつてその率がきまつてつたのであります。それは千分の三と千分の五とあつてはつきり覚えておりませんが……。
  663. 河井榮藏

    河井委員長代理 それではよろしいです。  二十二年三月十四日に知事選挙がありましたときに、協会はだれを應援しましたか。
  664. 山領濱夫

    山領證人 知事選挙のときでございますね。
  665. 河井榮藏

    河井委員長代理 二十二年三月十四日に決議をしておるでしよう。知事選挙のときに決議をしておりますね。どういう決議をしておりますか、だれを應援するというようなことを……。
  666. 山領濱夫

    山領證人 三月十四日は……。
  667. 河井榮藏

    河井委員長代理 それでは知事選挙のときに杉山宗二郎という人を推薦することにしましたか。
  668. 山領濱夫

    山領證人 はい。
  669. 河井榮藏

    河井委員長代理 どういう運動をしましたか。
  670. 山領濱夫

    山領證人 知事選挙のときには、やはり業者から自動車を出しまして、棄権防止もともにやりました。
  671. 河井榮藏

    河井委員長代理 それから二十一年十一月二十六日に業界の第五十五回をやりましたね。それから二十二年の十二月二十二日に役員会を開いておる。そのときに参議院議員補欠選挙門屋さんを推すということにきめましたか。
  672. 山領濱夫

    山領證人 はい。
  673. 河井榮藏

    河井委員長代理 どういう方法でそれを運動するようにしましたか。
  674. 山領濱夫

    山領證人 門屋さんのときには門屋さんは非常に腹もあるし、頭もあるし、日本再建のためにはいいだろうというようなことで門屋さんを推したのであります。
  675. 河井榮藏

    河井委員長代理 陣中見舞として金を送つたようなことがありますか。
  676. 山領濱夫

    山領證人 門屋さんは日本のためになるお方だから出し合おうというようなことで金を集めまして、それを理事長、副理事長の方が持つて行かれましたところが、門屋さんの方ではもつてのほかだというようなことで、あすこの取締役の阿部さんがお返しになりました。
  677. 河井榮藏

    河井委員長代理 それは二十五万円だつたですか。
  678. 山領濱夫

    山領證人 総計は私はよく覚えておりません。
  679. 河井榮藏

    河井委員長代理 三十万円ほど集めて、そのうちの二十五万円ほど持つて行かれた……。
  680. 山領濱夫

    山領證人 その額を持つて行かれたのは、私行つておりませんから知りません。
  681. 河井榮藏

    河井委員長代理 二十二年四月の衆議院議員の選挙北村徳太郎さんを推薦されましたね。
  682. 山領濱夫

    山領證人 北村徳太郎さんは業者では推薦いたしておりません。
  683. 河井榮藏

    河井委員長代理 協会では推薦いたしませんでしたか。
  684. 山領濱夫

    山領證人 協会では別にやつておりません。
  685. 河井榮藏

    河井委員長代理 陣中見舞というのは出しましたか。
  686. 山領濱夫

    山領證人 北村さんの陣中見舞は私全然知りません。
  687. 河井榮藏

    河井委員長代理 知らないというのは、出したかもしらないが自分は知らないという意味ですか。
  688. 山領濱夫

    山領證人 北村さんには全然出しておりません。
  689. 河井榮藏

    河井委員長代理 この協会役員なりメンバーのほかに、佐世保実業家の人々が、北村さんの選挙の應援に金を出したということはありませんか。
  690. 山領濱夫

    山領證人 そんなことは知りません。
  691. 河井榮藏

    河井委員長代理 北村さんの選挙のときの事務長はだれでしたか。
  692. 山領濱夫

    山領證人 辻一三氏だつたと思います。
  693. 河井榮藏

    河井委員長代理 支出の責任者はだれですか。
  694. 山領濱夫

    山領證人 私よく知りませんが、多分事務長ではないかと私想像いたしております。
  695. 河井榮藏

    河井委員長代理 事務長というと辻さんですか。
  696. 山領濱夫

    山領證人 はつきり知りませんが、そうではないかと想像しております。
  697. 河井榮藏

    河井委員長代理 協会役員はどういうことをされておりますか。あなたは役員ですね。
  698. 山領濱夫

    山領證人 そうでございます。
  699. 河井榮藏

    河井委員長代理 あまり詳しく知らないようですが……。
  700. 山領濱夫

    山領證人 協会のことは、ただ大きな問題なんかあるときは参列いたしておりましたけれども、大体みな任せておりましたから……。
  701. 河井榮藏

    河井委員長代理 役員は十二名ぐらいあつたのですね。
  702. 山領濱夫

    山領證人 そのくらいだと思います。
  703. 河井榮藏

    河井委員長代理 委員の諸君、何かお尋ねがありますか。
  704. 明禮輝三郎

    明禮委員 証人知事選挙についてどのくらい関係されておりますか。
  705. 山領濱夫

    山領證人 知事選挙につきましては、私はちようど縣会議員に立候補いたしておりまして、その方で忙がしくて、ただ單に自動車を出す時分ちよつと関知しただけだと思つております。
  706. 明禮輝三郎

    明禮委員 あなたは何々班という中にはいつて活動されたのではなかつたのですか。
  707. 山領濱夫

    山領證人 知事のときにはありません。
  708. 明禮輝三郎

    明禮委員 門屋さんのときにはあつたのですか。
  709. 山領濱夫

    山領證人 門屋さんのときは名前だけは遊説部長になつております。しかし私は演説が下手ですから、土建業者の遊説部長という名前だけで何もやつておりません。
  710. 明禮輝三郎

    明禮委員 知事のときには大体新円と旧円で百三十七万円か百四十万円集めたということですね。
  711. 山領濱夫

    山領證人 知事のときに金を醵出したことは、ちようど私は出張しておりまして、帰つた後には縣会の方に立候補いたしておりましたので、その方面が多忙でよく関知しておりませんでした。今度門屋さんのことでお取調べを受けまして、私の方からも金を出しておつたことを知つたわけでございます。
  712. 明禮輝三郎

    明禮委員 山領さんは知事選挙には七万五千円ずつ新円と旧円で出したのですね。
  713. 山領濱夫

    山領證人 さようでございます。
  714. 明禮輝三郎

    明禮委員 それから門屋さんのときにはなんぼ出しましたか。
  715. 山領濱夫

    山領證人 門屋さんのときは三万円出しました。
  716. 明禮輝三郎

    明禮委員 北村さんのときにはいくら出しましたか。
  717. 山領濱夫

    山領證人 北村さんのときには何にも出しておりません。
  718. 明禮輝三郎

    明禮委員 それで何をやりましたか。
  719. 山領濱夫

    山領證人 北村さんのときには何もやつておりません。私は関係がありませんから……。
  720. 明禮輝三郎

    明禮委員 何もやらぬというもの少し薄情のようなことはないのですか。
  721. 山領濱夫

    山領證人 薄情と言われる筋合が私にはわかりませんが、北村さんはなるほど佐世保から出た代議士で立派なお方でありますけれども、私が縣会に出るときには、大体私の方の会社は社会党の立場におりまして、北村さんの方には何もやつておりません。
  722. 明禮輝三郎

    明禮委員 あなたは社会党ですか。
  723. 山領濱夫

    山領證人 籍はまだおいてありません。無所属であります。
  724. 明禮輝三郎

    明禮委員 今縣会におられますね。
  725. 山領濱夫

    山領證人 さようでございます。
  726. 明禮輝三郎

    明禮委員 北村さんが選挙をやられるときに、ほかの人が大分應援しておられるということを、あなたは御承知ありませんか。
  727. 山領濱夫

    山領證人 北村さんは佐世保でおえらい方だから、民主党の方で應援されていることは私聞いております。しかしどんなことをやつておられるか、私直接関係しておりませんから、存じておりません。
  728. 明禮輝三郎

    明禮委員 こういうことをひとつ聽いておきましよう。参議院議員門屋氏が五万円、梅村氏が三万円、藤井氏が二万円というふうに応援して、市内の実業界の人も二十万円出し、終りに門屋さんから選挙費用として三十万円ほど投げ出した、こういうことを景氣よく書いてあるのがあるのですが、あなたはこういう事実は御承知ありませんか。
  729. 山領濱夫

    山領證人 それは私も新聞で見ましたけれども、私全然関知しておりませんから……。
  730. 明禮輝三郎

    明禮委員 あなたは請負業をやつていらつしやるのですね。
  731. 山領濱夫

    山領證人 さようでございます。
  732. 明禮輝三郎

    明禮委員 知事のところへあなたは行かれませんでしたか。
  733. 山領濱夫

    山領證人 私行つておりません。
  734. 明禮輝三郎

    明禮委員 知事のところへ五万円ずつ新聞紙に包んで行つたり、たいを持つてつた相談にあなたは乘つていないのですか。
  735. 山領濱夫

    山領證人 私は全然乘つておりません。あの当時は理事長、副理事長に全部一任ということになりまして、副理事長の原さんが総参謀で何でもやつておられたそうであります。
  736. 明禮輝三郎

    明禮委員 あなた方が占領軍の工事をなさるときには、工事の請負面からいろいろなことがありますね。そういう面については相当知事にお願いするような立場でしようね。
  737. 山領濱夫

    山領證人 あれは初め終戰連絡の方でやつておられまして、その後知事が契約担当官になつた。あの工事を日本人の名誉にかけても期限内に完遂しようというようなことで、あとから知事が契約担当官になつたものでありますから、労力とか資材の点は御相談申し上げました。
  738. 明禮輝三郎

    明禮委員 私がお尋ねすることはたくさんありますが、時間を省くために、しばらくそこでお待ちを願つてあと一緒にお尋ねいたします。
  739. 河井榮藏

    河井委員長代理 ほかの方御質問ありませんか。
  740. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 辻という人は協力会の何をやつておる人ですか。
  741. 山領濱夫

    山領證人 辻一三さんは協力会には関係ありません。
  742. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 建設協会には……。
  743. 山領濱夫

    山領證人 関係ありません。
  744. 河井榮藏

    河井委員長代理 ほかにありませんか。——それでは済みましたが、しばらく待つてつてください。     —————————————
  745. 河井榮藏

    河井委員長代理 藤井友市さんですね。
  746. 藤井友市

    藤井證人 さようでございます。
  747. 河井榮藏

    河井委員長代理 あなたは佐世保復興建設協会役員ではないですね。
  748. 藤井友市

    藤井證人 違います。同業者でありません。
  749. 河井榮藏

    河井委員長代理 そうしますと、昭和二十二年四月五日の長崎縣の知事選挙にあなたは関係しましたか。
  750. 河井榮藏

  751. 藤井友市

    藤井證人 そうでした。
  752. 河井榮藏

    河井委員長代理 そうしたら應応できぬわけですね。
  753. 藤井友市

    藤井證人 それは選挙運動ではありません。
  754. 河井榮藏

    河井委員長代理 関係というのは管理委員会委員として関係したというのですか。
  755. 藤井友市

    藤井證人 そうではありません。杉山候補が立たれたとき杉山候補を推薦しようという役員会の席上に参つてつたわけであります。選挙運動というわけではありません。
  756. 河井榮藏

    河井委員長代理 あなたは杉山氏を推薦することに協力されたわけですね。
  757. 藤井友市

    藤井證人 さようでございます。
  758. 河井榮藏

    河井委員長代理 ことしの一月参議院議員補欠選挙門屋盛一君を推薦されましたか。
  759. 藤井友市

    藤井證人 さようでございます。
  760. 河井榮藏

    河井委員長代理 そのときの選挙事務長はだれでしたか。
  761. 藤井友市

    藤井證人 選挙事務長は長埼でやつておられたと思いますが、佐世保は事務長ではないと思います。
  762. 河井榮藏

    河井委員長代理 辻一三さんは関係していなかつたですか。
  763. 藤井友市

    藤井證人 もちろん幹部として席には列したと思います。
  764. 河井榮藏

    河井委員長代理 事務長でありませんでしたか。
  765. 藤井友市

    藤井證人 門屋参議院議員の場合は事務長でありました。
  766. 河井榮藏

    河井委員長代理 支出責任者はだれでしたか。
  767. 藤井友市

    藤井證人 それも辻一三氏であつたと思います。
  768. 河井榮藏

    河井委員長代理 門屋氏の選挙のときに選挙費用事件があつたわけですね。
  769. 藤井友市

    藤井證人 はあ。
  770. 河井榮藏

    河井委員長代理 そのときあなたはそれに連座されましたか。檢察廳の調べなんか受けましたか。
  771. 藤井友市

    藤井證人 調べを受けました。
  772. 河井榮藏

    河井委員長代理 その内容をちよつとお話ください。どういうことで違反になつて、どういうふうに調べられたかちよつと簡單に。
  773. 藤井友市

    藤井證人 私は選挙管理委員でありながら選挙運動をした。こういうお調べを受けたのでございます。しかしながら私は選挙管理委員であるからその運動には参加しておりません。但し門屋盛一氏を候補者に推薦するという候補者の選定会に参加しました。それで発言もいたしております。しかし本人が届出をいたしまして、その後選挙管理委員であるから私はその運動に参加することを差控えました。
  774. 河井榮藏

    河井委員長代理 そうすると檢察廳の調べで、あなたの言訳はそれで通つたわけですか。
  775. 藤井友市

    藤井證人 それは多少の食い違いがある。
  776. 河井榮藏

    河井委員長代理 結果はどういうようになつたのですか。
  777. 藤井友市

    藤井證人 私はさような運動はしておらぬつもりでしたけれども、運動をしておると檢事が見なされた、ただそれだけの違いであります。
  778. 河井榮藏

    河井委員長代理 その違つた結果でどういうぐあいになつたのですか、起訴されたのですか。
  779. 藤井友市

    藤井證人 さようでございます。
  780. 河井榮藏

    河井委員長代理 起訴されて刑期はどんなになつておりますか。
  781. 藤井友市

    藤井證人 まだ進行中であります。
  782. 河井榮藏

    河井委員長代理 單にそれだけの点ですか。
  783. 藤井友市

    藤井證人 さようでございます。
  784. 河井榮藏

    河井委員長代理 金銭のことには関係はないですか。
  785. 藤井友市

    藤井證人 まつたくございません。
  786. 河井榮藏

    河井委員長代理 その当時の選挙について届出費用、公認額はいくらでしたか。
  787. 藤井友市

    藤井證人 私は存じません。事務費にも関係ありません。
  788. 河井榮藏

    河井委員長代理 管理委員会委員関係ないからそういうことは知らぬというのですね。
  789. 藤井友市

    藤井證人 はい。
  790. 明禮輝三郎

    明禮委員 藤井友市さんは知事選挙には三万円出されましたね。
  791. 藤井友市

    藤井證人 知事選挙には二万円出しました。
  792. 明禮輝三郎

    明禮委員 三万円のうちあと一万円は。
  793. 藤井友市

    藤井證人 市長の選挙の時です。
  794. 明禮輝三郎

    明禮委員 あなたは民主党支部長という役目もあるのでございますか。
  795. 藤井友市

    藤井證人 その当時はそうでございます。
  796. 明禮輝三郎

    明禮委員 大体知事選挙には新円と旧円でどのくらい金が集つたでしようかね。
  797. 藤井友市

    藤井證人 さようなことは私関係しておりません。
  798. 明禮輝三郎

    明禮委員 金が出ておりましたことを話にも聞いておりませんか。
  799. 藤井友市

    藤井證人 さようでございます。存じません。私が自分で出しただけを存じておるだけであります。
  800. 明禮輝三郎

    明禮委員 藤井さんともあろう人が少し……あなたは商工会議所の会長であつたはずですね。知事選挙には大よそこのくらい集めて、建設協会がやつたじやないか、あなたはまた民主党支部長という立場の人でしよう。
  801. 藤井友市

    藤井證人 民主党支部長でございましても、土建業者の方がやられたので、私は土建業者でございませんから、その仲間にはいつていませんから存じません。
  802. 明禮輝三郎

    明禮委員 うわさも知らぬですか。
  803. 藤井友市

    藤井證人 うわさも全然知りません。
  804. 明禮輝三郎

    明禮委員 門屋さんのことはどうですか。門屋さんの選挙運動したようですね。
  805. 藤井友市

    藤井證人 どんなことでございますか。
  806. 明禮輝三郎

    明禮委員 どんなふうかあなたに聽いておる。
  807. 藤井友市

    藤井證人 運動したかとおつしやるのですか——運動しておりません。
  808. 明禮輝三郎

    明禮委員 檢事が運動というので、自分は運動でないというのですか。
  809. 藤井友市

    藤井證人 さようです。檢事は何だか運動らしいことを一口言うたということを取上げておられるようです。それだけの違いであります。
  810. 明禮輝三郎

    明禮委員 二十二年十二月二十七日に佐世保復興建設協会で、辻一三という人と一緒に行つて門屋さんはりつぱな人だから落選させぬようにしつかり應援してやつてくれ、おれもやるというようなことを言つたのではありませんか。
  811. 藤井友市

    藤井證人 さようなことを申しておりません。
  812. 明禮輝三郎

    明禮委員 言わないなら、十二月十九日には梅村組の寮に行かれて、当番幹事が集つておるその席上で、出馬した門屋氏の事務長として辻一三氏を選ぶことをあなたが言われたということがあるようです。
  813. 藤井友市

    藤井證人 それは民主党の幹部の者が多数集まられて、そうして幹部同士の協議でそういうことにしようじやないかという話があつた。席に私はおつたのですが、そのことは存じておりません。
  814. 明禮輝三郎

    明禮委員 席におつたが、自分から言うたのじやない……。
  815. 藤井友市

    藤井證人 さようでございます。
  816. 明禮輝三郎

    明禮委員 しかしあなたは、檢察廳では自分が言うたように述べておるじやありませんか。
  817. 藤井友市

    藤井證人 述べておるとおつしやいますが、お調べください。
  818. 明禮輝三郎

    明禮委員 しかし檢察廳の書面が來ておりますからね。それを読んでみますとそういうふうに読めますが、これは檢察廳の書き違いですか。
  819. 藤井友市

    藤井證人 そういう人を選定することについて私が推薦し、一般の賛成を求めるような立場で話したのじやありません。幹部の者がみな集つて、こういうことにしたらどうだろうかというお話があつてきまつたのであります。
  820. 明禮輝三郎

    明禮委員 門屋氏の選挙では、これも大体三十万円ほど金が集まつたというのですが、それもあなたは御存じではないんですか。
  821. 藤井友市

    藤井證人 私存じません。
  822. 明禮輝三郎

    明禮委員 その三十万円のうち二十五万円を門屋さんの家の阿部さんというところへ梅村さんや小野さんその他が持つてつたことがありますか。これはあなたも知りませんか。
  823. 藤井友市

    藤井證人 私の関するところではございません。
  824. 明禮輝三郎

    明禮委員 北村さんの去年の四月の総選挙では、あなたはどういう立場でしたか。何もやりませんでしたか。
  825. 藤井友市

    藤井證人 北村さんの総選挙のときは何も立場をもちませんでした。ただ同志であるという立場だけであります。
  826. 明禮輝三郎

    明禮委員 同志だという立場はあつた……。
  827. 藤井友市

    藤井證人 はい。
  828. 明禮輝三郎

    明禮委員 いつ支部長をお辞めになりましたか。
  829. 藤井友市

    藤井證人 支部長になりましたのは、一昨年の十月ではなかつたかと思います。
  830. 明禮輝三郎

    明禮委員 そうすると去年の選挙時分には、あなたは支部長ではなかつたんですか。
  831. 藤井友市

    藤井證人 参議院選挙のときが支部長であつたように思いますが、四月の選挙のときは支部長じやなかつたと思います。よく記憶しませんが、そういうふうに覚えております。
  832. 明禮輝三郎

    明禮委員 しかし北村さんの選挙については大分應援者があつたようですが、あなたはその点お知りないんですか。
  833. 藤井友市

    藤井證人 北村さんの選挙に應援をする者がたくさんあつたでしようが、——應援の方法はどんな方法をお尋ねになりますか。
  834. 明禮輝三郎

    明禮委員 いろいろな方法ですがあなたのお知りのところをかいつまんで二言、三言おつしやつていただきたい。
  835. 藤井友市

    藤井證人 手取り早く申し上げますと、北村さんに投票をせしむるために働いた方はたくさんあると思います。この数はたくさんあると思います。しかしながらその以外の、たとえば金銭その他をもつて應援をするというようなことは私存じておりません。
  836. 明禮輝三郎

    明禮委員 こういうことがあるんですが、門屋さんが北村さんに五万円、梅村さんが三万円、藤井さん、あなたが二万円、これを献金というか、選挙のときにお出しになつたのじやないのですか。
  837. 藤井友市

    藤井證人 出しておりません。
  838. 明禮輝三郎

    明禮委員 そうすると單なるうわさだということになりますね。
  839. 藤井友市

    藤井證人 うわさも知りません。私は出しておりませんから、また他人のうわさも知りません。
  840. 明禮輝三郎

    明禮委員 それをお知りにならなければしかたがありませんから、あなたが檢察廳選挙違反問題であげられたときの六月十六日のあなたの日記ですが、これを読んでみますから、聽いてひとつ意見を述べてください。「会議役員会北村会頭は、かねて辞意を発表せられ、私にも親書を送りて後任会頭は貴台にお願いすると明言しながら、本日の役員会において、辞任を取止め留任せられた」ということが書いてありますが、これはありましたか。
  841. 藤井友市

    藤井證人 さようでございます。
  842. 明禮輝三郎

    明禮委員 そうですか。「この裏面は後任副会頭に馬郡という人を予定することを嫌い、当分北村会頭の留任を願いたいということを会の直前に梅村氏より私に話があつた」ということが書いてありますが、この点はどうですか。
  843. 藤井友市

    藤井證人 さようです。
  844. 明禮輝三郎

    明禮委員 そうすると、またその次に「この出所を疑うべくもこれは研究せず引続き私は副会頭として全力を盡すことにする。」こう書いてありますね。
  845. 藤井友市

    藤井證人 さようです。
  846. 明禮輝三郎

    明禮委員 「私、もし会頭になれば私の後任に馬郡氏を副会頭たらしめることを嫌うという梅村氏の話は半額は認められるが、一方門屋氏が東京に北村氏を尋ねて留任を説いた結果であると判断する。」こういうふうに書いております。これもそうですね。
  847. 藤井友市

    藤井證人 そうです。
  848. 明禮輝三郎

    明禮委員 それからその次に「そういうふうに判断できる理由は私の会頭に門屋氏が反対したものである。」こう書いてありますが、そうですね。
  849. 藤井友市

    藤井證人 さようです。
  850. 明禮輝三郎

    明禮委員 「北村氏の私宛の手紙の綾にこのことありたりと察せられる。」何か手紙が來ておつたのですね。そして「北村氏は北村氏の選挙において門屋氏より受けたる五万円の陣中見舞及び東京における門屋氏の至れり盡せりの行為に対しかくあるべしと察せられる。」こう書いてあります。
  851. 藤井友市

    藤井證人 書きました。
  852. 明禮輝三郎

    明禮委員 この通りですね。
  853. 藤井友市

    藤井證人 その通りです。書いた事実を認めます。
  854. 明禮輝三郎

    明禮委員 じやあこの通りですね。
  855. 藤井友市

    藤井證人 書いたことは私が書いたに違いありません。そのことを認めます。
  856. 明禮輝三郎

    明禮委員 この通りですね。
  857. 藤井友市

    藤井證人 どんなことですか、この通りということは。書いたことは認めます。今朗読されたことは私が書いた。そのことはその通りです。
  858. 明禮輝三郎

    明禮委員 その通りならそれでよろしいでしよう。この通りだ。
  859. 藤井友市

    藤井證人 書いたことはこの通りだが、事実とは違うかも知れない。それは私の臆測です。
  860. 明禮輝三郎

    明禮委員 臆測というのはどういうことです。
  861. 藤井友市

    藤井證人 聞いたことや、うわさ等から想像したことを書いたのです。
  862. 明禮輝三郎

    明禮委員 それはだれから聞いたのです。
  863. 藤井友市

    藤井證人 それは多数おられる中から聞いた。はつきりどなたから聞いたということをここに明言いたし兼ねます。
  864. 明禮輝三郎

    明禮委員 あなたに尋ねますが、あなたはそう言いますけれども、あなたは吉永檢事取調べの際にこの問題に触れられたときに、どうかこのことだけは手で拜むから聽かないでください、この五万円の問題を私が打明けたとしたら、私は佐世保に住むことができなくなると涙をこぼして頼んだと言いますが。
  865. 藤井友市

    藤井證人 別段に涙は出しませんでしたが、しかしながらそれは発表してくださいますなということを私はお願いしたことは事実であります。なぜならば私はそういう事実を発表されては困るわけではないのです。私が日記を書くのは私の自由であつて、私が見たこと聞いたこと、私の揣摩臆測であつても、私が日誌を書くことは私の自由であると考えております。從つてこれを他人に見せたりあるいは他人を害することがあるということを考えておりませんでした。それで私が感情のままで書いたのを発表されてはまことに相手方に相済まんから、そういうことを発表してくださいますな、事実であれば発表されても仕方がないけれども、事実でないものを、私が勝手に考えて、自分が勝手に書いたものを発表されたのでは、私は申訳がないからそれを発表してくださいますなという懇願をしたので、事実そういうものを暴露されては困るから、それを懇願したのではないのでありますから、それはお聽き違いのないようにお願いいたします。
  866. 明禮輝三郎

    明禮委員 それではあなたにさらにお聽きいたしますが、日記というものはどういうことを書くことが日記ですか。
  867. 藤井友市

    藤井證人 日記を書くということは日記を書く人の勝手であろうと思います。私の書いておる日記は、こういうような席を設けて、こういうような朗読や質問を受けるようなことを予期しておりましたならば、またよくおわかりになるように、あるいはもつとこまかく書くはずであつたかもしれません。しかしながら日記は他人に見せるべきものではない、他人を害するものでもない、自分の想像したこと、揣摩臆測であろうとも、すべて自分で感じたことを勝手に書いてよろしいと思つております。事実そういうことがあつたことを見て書いたものではなくて、想像で書いたので、こういうことであつたからこういうことであつたろうと、想像を私が書いたのでありまして、決して事実ではありません、事実ということを私は申し上げません。私は他人のうわさ、他人の言うたようなこと、耳にはいつたことを、なるほどそういう実情があるからこうではなかつたろうかということを書いたので、私のそのときの感情の高ぶつたところを書いたのを他人に公開してもらつては困るから、それは出してもらつては困る、涙までは出さぬけれども、お願いいたしました。
  868. 明禮輝三郎

    明禮委員 どこからか聞いたことを書いたとおつしやいましたね。
  869. 藤井友市

    藤井證人 そうです。
  870. 明禮輝三郎

    明禮委員 どこからか聞いたということの記憶がありませんか。
  871. 藤井友市

    藤井證人 われわれの同志の集まりは多数集まりますから、どなたがそういうことをおつしやつたかということを、今思い出して、人の名前を出してここで申し上げるというほど自信がございません。それでああいう席でたくさん集まりましたから、いろいろな話がありますので、そういうような話をつなぎ合わせてそういう考えを私はもつたのであります。それを書いたのであります。
  872. 明禮輝三郎

    明禮委員 しかしながらあなたのここにおける陳述というものは初めから虚偽を言うておる。大体今度の場合には証人選挙にずいぶん携わつてつて、あちらこちらと奔走してまわつておる。知事選挙でも、門屋選挙でもそうである。しかるにその選挙関係であるところの問題を知らぬと言いながら、さらにこの問題についてこれを揣摩臆測で書いたということを述べておるけれども、前段の事実はすべてこれを認めておるのに、ただこの五万円の点についてのみ認めない。これはどこまでも追究する。私はこの点については偽証であるということを確信するがゆえに、私どもはかような陳述については今後私どものとるべき態度をとる、それだけ明言します。
  873. 河井榮藏

    河井委員長代理 それでよろしいですか——中野さん。
  874. 中野四郎

    ○中野(四)委員 三点伺いたい。あなたは最初の選挙管理委員会へいらつしやつた、もとより選挙管理委員会というものは近來できたものでして、規定等について曉通しておられるかどうか知りませんが、選挙管理委員会の規定というものがありまして、選挙に対して特定人の推薦はできぬということが前提でありますが、当時御承知であつたのですか、どうですか。
  875. 藤井友市

    藤井證人 選挙管理委員選挙運動をしてはならないということですね。それは承知いたしておりました。
  876. 中野四郎

    ○中野(四)委員 そうすると、今事件が進行中でありますから、とかくのことを言いませんが、選挙に対して特定の人を推薦することができぬということが前提ですから、この点を聽いておきたい。  それからあと二点聽いておきたい。先ほど明禮君の質問の中で、日記の内容については自分が人から聽いたこと、ないしは考えたことをば書いたのであつて、それは書く人間の自由である。こういうところで出されるならば、そういうような心構えをもつて書かれたろう。これはごもつともなことだと思う。そこでたれから聞いたかということをここで述べていただかなければならないと思うのですが、多数の人の中から聞いたというだけでは通らないのであります。ここの委員会で最初委員長から話があつたと思いますが、ここには証人に対する宣誓があります。從つて刑訴、民訴の中にも明らかになつておりますように、いろいろな言葉が違う場合には偽証罪が成立するということもお考えにならなければならないのであります。たれから聞いたかということを、あなたは迷惑で断わるということになりますと、疎明をしなければならぬわけです。これは私はこういうことがあつて証言はできないということを疏明をなさらなければならないのですが、疎明をすることになりますと、相当煩瑣な問題になることは、新聞あるいはラヂオ等でお聽きでしようが、國会における証人のいろいろな偽証問題がここでよく起つてくるのであります。從つてあなたは今明禮君の質問の、たれから聞いたかという点を明確になさる必要があると思う。これはすべて事件を処理する上において、國会は人さまを罪にするところでなく、そのあり方について調査をするところですから、あなたがたれから聞いたかを言わなければならない、その聞いた人間を再び証人としておいで願うか願わぬかはわかりませんが、おいでを願うとすれば、それはどういう理由でこういうふうになつたか、何の根拠で藤井さんに知らしめたかというふうに尋ねていかないと、この調査の目的は達成せぬわけであります。疎明をすることを拒絶なさいますか、もしくはたれから聞いたかということをここで述べられますか。この点について藤井さんのお言葉を承つておきたいと思います。
  877. 藤井友市

    藤井證人 本席でそのお言葉に対してはなはだ申訳ありませんが、そういうことを私が多数寄つた中で話をした者があつたから書いたには違いないのであります。しかし私は今どういう方が言うたであろうということをここで申上げることは——たれたれであつたろうかということを思出すのは私もはなはだ当惑をいたします。というのは、かりにこういう人ではなかろうかと申し上げましても、もし違いましたら、相手に非常に迷惑をかけることでもあり、それは私相手の人に対してたいへん相済まぬことになるので、あの人がこう言うたということを、もう少し考えさしていただかぬと、即答を申し上げることは私としてはなはだ困ると存じます。それでこの席でお答え申しかねます。
  878. 中野四郎

    ○中野(四)委員 私はある意味においては、この調査の目的を達成するために特に申し上げるのでありますが、偽証になるかならぬか。今明禮君は偽証だと断定されますけれども、私は偽証という罪が相当重いもので、結果においてははなはだ芳しいものでないと思うのであります。特に御承知通り、偽証には罰金刑がありませんので、即体刑というような問題もありますから、十分御考慮になつて、しかも本事案をば調査するにあたつて一番中心になる問題であります。もちろんあなたもいろいろな方面から当時の情報はお聽きでしよう。しかしながらその主幹をなしたものがたれから聞いたということが明確になりませんと、結局今言うたような偽証だ、偽証でないというような結論になるので、私はこういうことは芳しいことでないと思いますから、この目的をスムースに達成していくには、あなたから、これはたれから聞いた、こういう話を根拠にして私はこの日記をつけた、こういうふうになれば話は自然進んでくるわけで、忌まわしい、いやなことで騒がぬでも済むわけであります。  それから今のお話の、この場では困る、たいへん迷惑をかける、こういうお話でありました。決しておどおどなさらずに、迷惑はもとよりかかるかもしれないけれども、要は北村さんの選挙門屋さんの選挙等を通じてこのような皆さん方に迷惑もかかつているのでありますから、ひいてはその根底を衝かざる限りにおいては、これはどこまでも延びていく問題であります。從つてあなたが拒絶をされるというならば、どういう理由でただちに返事をすることは困るとおつしやるのか、そのような疎明をしていただかなければならぬ。これはよくお考えになつて、御発言なさることがいいと私は思うのであります。悪い意味で申し上げるのではないのです。お目にかかつたことはないか、卒直に言つて本事案の調査の目的を達成する上において、十分お考えになつて、そうして拒絶するなら疎明をなさるなりあるいはここでおつしやるなり、どちらかをなさらなければならぬことだけはお考え願わなければならぬ。私はこの点をあなたにもう一度伺います。
  879. 河井榮藏

    河井委員長代理 どうですか藤井さん。あなた今思い出すように努力をされたら思い出されるのですか。それならまだこれから二人ばかりの証人を調べますから一時間ぐらい余裕があります。そのあとで……。またあなたにわざわざ來ていただくのはごめんどうでしようから、そうしますか。
  880. 藤井友市

    藤井證人 こういうお話を承つても、そういうことを準備したり考えて來ておりませんので……。
  881. 河井榮藏

    河井委員長代理 あまり準備がない方がかえつていいのですよ。あなたがここで聽かれて、思い出されたことを言われた方がかえつていいのです。ですから今中野委員から言われたように余裕を上げますから、これから一時間ぐらいの間に、そこでお待ちになつて思い出すように努力されたらいかがですか。
  882. 藤井友市

    藤井證人 承知いたしました。
  883. 河井榮藏

    河井委員長代理 それではお待ちください。  明禮君。今の点は五万円の点ですか。
  884. 明禮輝三郎

    明禮委員 そうです。
  885. 河井榮藏

    河井委員長代理 五万円の点だけですね。
  886. 明禮輝三郎

    明禮委員 そうです。それから至れり盡せりというのはどういうことか、これも何か意味のあることだろうが、どういう意味かこれも一つ。この二つの点です。
  887. 河井榮藏

    河井委員長代理 その二つの点についてお考えください。     —————————————
  888. 河井榮藏

    河井委員長代理 辻一三さんですね。
  889. 辻一三

    ○辻證人 そうでございます。
  890. 河井榮藏

    河井委員長代理 あなたは土建業者ではございませんね。
  891. 辻一三

    ○辻證人 土建業者ではございません。
  892. 河井榮藏

    河井委員長代理 佐世保復興建築協会会員ではありませんね。
  893. 辻一三

    ○辻證人 ございません。
  894. 河井榮藏

    河井委員長代理 昭和二十二年の四月五日に行われました長崎縣知事選挙につきまして、あなたは関係されましたか。
  895. 辻一三

    ○辻證人 民主党員として選考会に一、二回臨んだことはございますが、運動には積極的に参加いたしておりません。
  896. 河井榮藏

    河井委員長代理 あなたは選挙管理委員会委員つたのですか。
  897. 辻一三

    ○辻證人 違います。
  898. 河井榮藏

    河井委員長代理 それからことしの一月の参議院議員補欠選挙門屋盛一君を御推薦なさつたですか。
  899. 辻一三

    ○辻證人 推薦いたしました。
  900. 河井榮藏

    河井委員長代理 それで運動なさつたのですか。
  901. 辻一三

    ○辻證人 運動はいたしました。
  902. 河井榮藏

    河井委員長代理 どういう運動をいたしましたか。
  903. 辻一三

    ○辻證人 言うところの選挙事務長で、法的には支出責任者です。
  904. 河井榮藏

  905. 辻一三

    ○辻證人 そうでございます。
  906. 河井榮藏

    河井委員長代理 あなたは門屋氏の選挙違反事件に何か御関係なさつたことがあるのですか。違反事件に連坐されたことはないのですか。
  907. 辻一三

    ○辻證人 目下選挙違反の容疑があるとして起訴を受けております。
  908. 河井榮藏

    河井委員長代理 その内容を話してくださいませんか。どういう点が……。
  909. 辻一三

    ○辻證人 虚偽の報告をしたということです。
  910. 河井榮藏

    河井委員長代理 それは費用ですか。
  911. 辻一三

    ○辻證人 さようでございます。
  912. 河井榮藏

    河井委員長代理 届出の費用費用の公認額との違い。
  913. 辻一三

    ○辻證人 さようでございます。
  914. 河井榮藏

    河井委員長代理 判決はまだきまらないのですね。
  915. 辻一三

    ○辻證人 そうです。
  916. 河井榮藏

    河井委員長代理 あなたは北村さんの選挙には、衆議院選挙には関係ないですね。
  917. 辻一三

    ○辻證人 衆議院の選挙のときには、選挙事務長であつて支出責任者であります。
  918. 河井榮藏

    河井委員長代理 そうでしたね。北村さんの選挙のときにもあなたは事務長で支出責任者であつたのですね。これについては選挙違反の問題は起きなかつたのですね。
  919. 辻一三

    ○辻證人 ございません。
  920. 河井榮藏

    河井委員長代理 そうですか。どうですか、何かお尋ねがありますか。
  921. 明禮輝三郎

    明禮委員 門屋さんの選挙事務長として、支出責任者として関係されて、たしか事件になつておるようですが、どんなようなことになつておりますか。費用の点について檢察廳においていかなる陳述をされておるか、いわば費用が超過したというようなことになつておるだろうから、それを簡單に説明してください。
  922. 辻一三

    ○辻證人 そういたしますると、お尋ねいたしますが、起訴の内容を申し上げるのですか。
  923. 明禮輝三郎

    明禮委員 そうです。
  924. 辻一三

    ○辻證人 檢事が有罪として起訴いたしましたことは、復興協会において第三者運動をしておるが、これに費用がかかつた、その費用については選挙事務長であり、支出責任者である私が知らないということはなかつたつまり私が黙認をしておつた。かような意味において、当然その費用は法定額に加算せられなければならないのを、あえて加算しなかつたというのが虚偽の報告ということに相なつておるのであります。以上。
  925. 明禮輝三郎

    明禮委員 そうですか、それで届出が五万三千三百五十八円ということであつて、そこで今何か問題になつているのは、放送された前田旅館の室代とか放送費用というものが問題になつているのでしようが、ほかにも問題がありましようか。
  926. 辻一三

    ○辻證人 これは選挙費用の故意でない脱漏でありまして、その他の費用超過と申しますのは、今申し上げました土建協会において第三者運動をしたときの費用を指しておられるものと思います。
  927. 明禮輝三郎

    明禮委員 そのほかに久保猛雄という人に六千円、小柳富太郎前代議士に四千円、指方邦太という人に二千円というような金が出ておることは事実でありますか。
  928. 辻一三

    ○辻證人 私はその内容はよく存じません。但しこれはすでに計算済みに相なつておりまして、届出の費用の中にはいつておるものでありまして、これだけ別個に渡したという意味の金ではございません。
  929. 明禮輝三郎

    明禮委員 それからもう一つ。星野組の総務部長の鈴木榮二という人が、女事務員に二百五十円ずつ、男事務員にはそれ以上というふうに金を出したということはありません。
  930. 辻一三

    ○辻證人 私の関知しておる範囲におきましてはございません。
  931. 明禮輝三郎

    明禮委員 それでは一括して伺いますが、そうすると今の佐世保復興建設協会で第三者運動をしたというのが超過になつておるだけであつて、ほかには超過というものはないわけでありますね。
  932. 辻一三

    ○辻證人 脱漏のもので疑義のあるものは、今御指示のありました前田旅館その他一件がございます。
  933. 明禮輝三郎

    明禮委員 その他一件は何でございましようか。
  934. 辻一三

    ○辻證人 これはある小さな新聞社にラウドスピーカーによる宣傳をせしめました費用でございます。金額はたしか五百円だと記憶いたしております。
  935. 明禮輝三郎

    明禮委員 わかりました。それからもう一つお伺いしますが、北村さんの事務長だとおつしやいましたね。
  936. 辻一三

    ○辻證人 そうです。
  937. 明禮輝三郎

    明禮委員 そこで北村さんの方の支出については問題がありませんでしようが、この金が集まりました集まり先のあなたの手もとに來ました金の出先についてお知りのことがありましたら——どこから來たのだということがわかりましたら、ひとつ説明していただきたい。
  938. 辻一三

    ○辻證人 北村徳太郎氏の選挙におきましては、所要金額はすべて北村徳太郎氏の手から私に手渡されております。それは記憶がございませんが、選挙管理委員会に報告いたしました通りであります。
  939. 明禮輝三郎

    明禮委員 実はあなたにこれをお尋ねするのはあるいは無理かもしれませんが、北村さんの選挙時分に相当佐世保地区で應援された方があつて、しかも相当に金を出しておるという人があるようでありますが、この点についてあなたが探知したこと、あるいはよそから聞かされたこと、またあなたはお出しになつているかいないか、またほかの人が出したということを聞いたか聞かぬかという点について簡單に述べていただきます。
  940. 辻一三

    ○辻證人 さようなことは私の記憶範囲においては、ないようでございます。
  941. 河井榮藏

    河井委員長代理 それじや、御苦労さんでした。     —————————————
  942. 河井榮藏

    河井委員長代理 小野徳一さんですね。
  943. 小野徳一

    小野證人 そうです。
  944. 河井榮藏

    河井委員長代理 それじやお尋ねします。あなたは佐世保復興建設協会役員ですか。
  945. 小野徳一

    小野證人 そうです。
  946. 河井榮藏

    河井委員長代理 あなたも土建業者ですね。
  947. 小野徳一

    小野證人 そうです。
  948. 河井榮藏

    河井委員長代理 この建設協会というのはどういう目的でありますか、簡單におつしやつてください。どういう趣旨で設立されたのか。
  949. 小野徳一

    小野證人 業者間の親睦をはかる趣旨で大体できたのであります。
  950. 河井榮藏

    河井委員長代理 会員の数はどのくらいでしたか。
  951. 小野徳一

    小野證人 会員は約百名くらいおつたと思います。
  952. 河井榮藏

    河井委員長代理 そうですか。五十名くらいだと言う人もあるのですが、そうじやなかつたですか。百名近くですか。
  953. 小野徳一

    小野證人 はあ、百名くらいおつたように私は思います。
  954. 河井榮藏

    河井委員長代理 役員は何名ですか。
  955. 小野徳一

    小野證人 役員理事長以下十名ばかりだと思います。
  956. 河井榮藏

    河井委員長代理 十二人くらいじやないですかな。まあそれはよろしいとして、あなたはどういう役をしておられるのですか。
  957. 小野徳一

    小野證人 以前は梅村忠一郎氏が理事長でございまして、後に私が理事長に推薦されました。
  958. 河井榮藏

    河井委員長代理 あなたが理事長ですか。
  959. 小野徳一

    小野證人 はい。
  960. 河井榮藏

    河井委員長代理 この協会経費はどういうふうにして支出されていますか、どういう所から集められて。
  961. 小野徳一

    小野證人 費用と申しますのは、業者の力によつて一定はしておりませんでした。
  962. 河井榮藏

    河井委員長代理 力によつて應分に寄附するという意味ですか。
  963. 小野徳一

    小野證人 まあ寄附という意味になつてつたのであります。
  964. 河井榮藏

    河井委員長代理 おかしいな。だいぶ違うですがね。請負金額の千分の五を出すということになつておるわけじやないですか。
  965. 小野徳一

    小野證人 賦金というのがあります。
  966. 河井榮藏

    河井委員長代理 賦金はそうでしようが、重要な点は長埼縣知事杉山宗次郎をこの協会で推薦しましたね。それはどういうわけで杉山氏を推薦することになつたんですか。
  967. 小野徳一

    小野證人 私の意見としましては、私は初め杉山宗次郎氏は知つておりませんでした。それで友達から聽かされまして、土木部長から知事になつてこられたということを耳にしておりましたが、その後知事が一時やめられまして、杉山宗次郎氏になつておられるときに会いました際に、男らしい人物だということを私は直感しました。それで土木部長で知事になつてこられるくらいの人ならば、長崎の道路は御承知かもしれませんが、ほとんど肉はついていないのでありまして骨ばかりになつております。こういうお方が來られれば、道路もよくできるだろうという私の見解で應援をいたしました。
  968. 河井榮藏

    河井委員長代理 どういう應援運動をしましたか。
  969. 小野徳一

    小野證人 別に混み入つた運動ではありません。ただメガホンで杉山という人はいい人だという見解でやつたのでございます。
  970. 河井榮藏

    河井委員長代理 この協会から選挙運動費出したというようなことはないですか。
  971. 小野徳一

    小野證人 運動費と申しますのは、大体賦課金やら何やらで集まつた金から五万円という金を陣中慰問として差上げております。
  972. 河井榮藏

    河井委員長代理 五万円を杉山氏に……。
  973. 小野徳一

    小野證人 いえ、奧さんに渡してあります。
  974. 河井榮藏

    河井委員長代理 五万円を杉山宗次郎氏の奧さんに……。
  975. 小野徳一

    小野證人 はい。
  976. 河井榮藏

    河井委員長代理 渡した。そうして奧さんは受取つたですか。
  977. 小野徳一

    小野證人 それは私と梅村氏と原太一氏の三名が行きまして、差上げたときは奧さんとしましては、主人もるすだからいただくわけにいかないと言つて、非常にお断わりされましたが、それを私は押しこんでやつたということです。
  978. 河井榮藏

    河井委員長代理 受取つたわけですか、結局。
  979. 小野徳一

    小野證人 一時お預りになりました。
  980. 河井榮藏

    河井委員長代理 それはいつですか。
  981. 小野徳一

    小野證人 日にちはよく覚えておりません。
  982. 河井榮藏

    河井委員長代理 四月でしよう。もつと前、三月ですか。
  983. 小野徳一

    小野證人 杉山さんが選挙の演説で、まだあちこち歩かれておつたと思います。おるすだつたんです。
  984. 河井榮藏

    河井委員長代理 選挙中ですか、日時は覚えておりませんか。
  985. 小野徳一

    小野證人 はい、覚えておりません。
  986. 河井榮藏

    河井委員長代理 それはあなたと梅村氏とだれとでしたか。
  987. 小野徳一

    小野證人 原副理事長です。
  988. 河井榮藏

    河井委員長代理 その五万円は杉山氏の選挙費の一部に使われたわけですね。
  989. 小野徳一

    小野證人 何にお使いなされたか先は知りません。
  990. 河井榮藏

    河井委員長代理 それから二十一年の十二月二十六日に協会の第五十五回の役員会で、参議院議員補欠選挙門屋盛一氏を推すということを決議したことがありますか。
  991. 小野徳一

    小野證人 門屋氏はわれわれ土建界の——むしろ私の友達でもありましたし、立たれるということについてはこれはお断りすることはできない。應援しなくてはいけないということは考えました。
  992. 河井榮藏

    河井委員長代理 そうして應援するがために金を集めましたか。
  993. 小野徳一

    小野證人 その金を集める私の発足は、日建支部解散という費用のもとにつくるということで私は出発しましたけれども、門屋氏があちこち演説して歩かれるについては、默つて見ておるわけにはいかぬ。あちこち歩くには足代が要るものですから、お互いに出した金を持つて行きました。
  994. 河井榮藏

    河井委員長代理 そのときに三十万円ぐらい集まつたのですか。
  995. 小野徳一

    小野證人 二十五万ばかりの金です。
  996. 河井榮藏

    河井委員長代理 二十五万円は陣中見舞として門屋氏のところに持つてつたのですか。
  997. 小野徳一

    小野證人 持つて行きました。阿部氏がちようどおられまして、門屋氏はお留守でございました。阿部氏もそれは取ることはできぬというお言葉でございまして、それをたつて私と梅村氏と山崎という書記がおりまして、三人でお預けしてきました。そうしてその翌る日でありますか、門屋氏が聞かれて、そんなものを取つてはいけないということで、阿部氏が協会にもどされたということを聞きました。
  998. 河井榮藏

    河井委員長代理 二十五万円返されたわけですね。結局陣中見舞としては門屋氏は受取られなかつたわけですね。
  999. 小野徳一

    小野證人 そうでございます。
  1000. 河井榮藏

    河井委員長代理 それから二十二年四月の衆議院議員選挙のときに北村徳太郎さんを推薦しましたね。
  1001. 小野徳一

    小野證人 私は推薦しません。
  1002. 河井榮藏

    河井委員長代理 協会で推薦しなかつたのですか。
  1003. 小野徳一

    小野證人 私はしておりません。
  1004. 河井榮藏

    河井委員長代理 あなたがしてないということになると、結局協会で應援してないわけですね。あなたは協会長をしておられるから。
  1005. 小野徳一

    小野證人 個人としてやつた人がおるかもしれませんが、協会としてはやつておりません。
  1006. 河井榮藏

  1007. 小野徳一

    小野證人 私は出しておりません。
  1008. 河井榮藏

    河井委員長代理 出してない。協会としてはやつてないのですね。
  1009. 小野徳一

    小野證人 はい。
  1010. 河井榮藏

    河井委員長代理 北村さんの選挙の当時に、あなた以外に佐世保実業家選挙費用出したというような人はありませんか。
  1011. 小野徳一

    小野證人 聞きません。
  1012. 河井榮藏

    河井委員長代理 お知りにならないですか。
  1013. 小野徳一

    小野證人 知りません。
  1014. 河井榮藏

    河井委員長代理 だれか出したようなことは聞いたことはないですか。
  1015. 小野徳一

    小野證人 存じません。
  1016. 河井榮藏

    河井委員長代理 衆議院議員選挙当時の北村氏の選挙事務長はだれでしたか。
  1017. 小野徳一

    小野證人 それも知らないのであります。
  1018. 河井榮藏

    河井委員長代理 辻一三氏じやなかつたですか。
  1019. 小野徳一

    小野證人 私はそのときは、辻文雄といつて社会党の佐世保支部長がおります。北村さんとは別にそのときに仲が悪いことはございませんが、辻文雄という人間が非常に親しくしておりました。
  1020. 河井榮藏

    河井委員長代理 あなたは北村徳太郎氏とはあまり昵懇ではないのですか。
  1021. 小野徳一

    小野證人 昵懇ではありません。
  1022. 河井榮藏

    河井委員長代理 今までにあまり心やすくありませんか。
  1023. 小野徳一

    小野證人 ありません。
  1024. 河井榮藏

    河井委員長代理 しかしながら北村徳太郎氏はこういう協会があるということは、むろん知つてつたでしようね。
  1025. 小野徳一

    小野證人 御存じであるかないか知りません。
  1026. 河井榮藏

    河井委員長代理 佐世保で有力な協会のことですから、むろん御存じだつたでしようね。——よろしゆうございます。どうです、何かお尋ねがありますか。
  1027. 明禮輝三郎

    明禮委員 門屋氏のことからちよつと伺いますが、門屋さんの選挙について一番初めに問題になつて協会決議されたのは二十二年の十一月二十六日でしたか。
  1028. 小野徳一

    小野證人 その日にちは記憶しておりません。
  1029. 明禮輝三郎

    明禮委員 まあそのころですね。
  1030. 小野徳一

    小野證人 はい。
  1031. 明禮輝三郎

    明禮委員 これはみんなから証言を求めておりますから、あまり詳しくお尋ねするのはよしますが、二十五万円を持つてつたことがありますね。
  1032. 小野徳一

    小野證人 あります。
  1033. 明禮輝三郎

    明禮委員 それは返してきましたね。
  1034. 小野徳一

    小野證人 返されました。
  1035. 明禮輝三郎

    明禮委員 阿部さんが返してきたのはどういう意味でしたか。
  1036. 小野徳一

    小野證人 受取つてはいけないという社長の御意見であつたということで、返されたということを耳にしました。
  1037. 明禮輝三郎

    明禮委員 あなたの調書によりますと、十二月二十九日に阿部氏がこの金は同人の手もとに保管することができないから、元に返しておくことにしたいといつてつてきたと言つておりましたが、そういうわけではありませんか。
  1038. 小野徳一

    小野證人 門屋氏がそんなものは受取るべきものではないと言われたということを耳にしております。
  1039. 明禮輝三郎

    明禮委員 結局あなた方はこれを應援されて、前田旅館かどこかで、駅の前で大分メガホンで放送されたそうですね。
  1040. 小野徳一

    小野證人 はい。
  1041. 明禮輝三郎

    明禮委員 そこで前田旅館に宿賃や部屋の借賃を拂つておるようですね。
  1042. 小野徳一

    小野證人 はい。
  1043. 明禮輝三郎

    明禮委員 五千四、五百円のものですか。
  1044. 小野徳一

    小野證人 それも私は係じやございませんので、だれがやつておりましたかよく記憶しておりません。
  1045. 明禮輝三郎

    明禮委員 よく知らない。やはりこの二十四、五万円というのは、結局あなたの調書によつてもあちこち選挙運動をしたのに使つたわけですね。
  1046. 小野徳一

    小野證人 運動と言いますか、お互いが歩きまして、飲み食いに要るものですから、その方の支拂や何かで使つたわけです。
  1047. 明禮輝三郎

    明禮委員 そこで知事選挙について伺いますが、これは三月の十四日ごろが一番初めですか。
  1048. 小野徳一

    小野證人 日にちはともかく、私は忘れつぽい方でありまして、やつたことは覚えておりますが、日にちは確実に覚えていないのであります。
  1049. 明禮輝三郎

    明禮委員 そうですか、あなた方は三人で先ほど知事のところに行かれたと言いましたね。
  1050. 小野徳一

    小野證人 はい。
  1051. 明禮輝三郎

    明禮委員 一体あれは知事のところに陣中見舞をする。そうして当選したら、その祝いとして魚を持つて行かれましたね。
  1052. 小野徳一

    小野證人 はい。
  1053. 明禮輝三郎

    明禮委員 ビールと魚を持つてあなたと梅村さんと原太一さんが……。
  1054. 小野徳一

    小野證人 そうです。
  1055. 明禮輝三郎

    明禮委員 この三人が行つて、それから小浜という所に行つて知事一緒に泊つておりますね。
  1056. 小野徳一

    小野證人 それは当選の前ではございませんか。
  1057. 明禮輝三郎

    明禮委員 小浜に行つたのは当選前ですね。
  1058. 小野徳一

    小野證人 そういう関係であちらこちらへ行きました。
  1059. 明禮輝三郎

    明禮委員 知事との間は前から密接な、懇親であつたわけですか。
  1060. 小野徳一

    小野證人 懇親ではございません。大体その陣中見舞という言出しは、知事が今度立たれるについては陣中見舞をしなければいけまいという原太一君の意見でございまして、そうだねといつてから一週間ばかりの後であつたと思います。
  1061. 明禮輝三郎

    明禮委員 それはどいういわけですか。陣中見舞をしなければならぬというあなたの方のお氣持を、ここでひとつ言つてくださいませんか。
  1062. 小野徳一

    小野證人 氣持はさつき委員長に申しました通り、大体土木屋で、大阪の土木部長から知事になつてこられた。あなたも長崎へ行かれたか知りませんが、長崎縣の道路というものは実に日本でも一番悪いといつてもはばからない道路であります。われわれは土建屋でございまして、道路ということにつきまして非常に頭を悩ましております。こういう方が來て知事になられれば、道路も肉がついてよくできるでろうという氣持で、別に何も考えておりません。ただ道路がよくできやしないかということで一生懸命になつて應援したのであります。
  1063. 明禮輝三郎

    明禮委員 あなたの調書を拝見すると門屋さんが協会の代表になつて、一昨年か知事との間に一億円のダムの工事を請負つておりますね。これは事実ですね。
  1064. 小野徳一

    小野證人 事実であります。
  1065. 明禮輝三郎

    明禮委員 それから選挙時分ですが、山水楼に來て、これは三月の初めのようですが、山水楼の二階に知事一行がおつて、あなた方が一階におられた。挨拶がありましたね。
  1066. 小野徳一

    小野證人 選挙前でございます。
  1067. 明禮輝三郎

    明禮委員 よろしく頼むと言つて……。
  1068. 小野徳一

    小野證人 よろしく頼むとは言いません。そのとき私は知事と初めてでございまして、友人が杉山宗次郎さん——知事じやございません。杉山宗次郎さんが來るからということを聞かされまして、いずれ知事になつたならば、会う必要があろうから、会つておく方がよかろうというただ個人の考えで一階にお招きしました。
  1069. 明禮輝三郎

    明禮委員 下でみんなおつた、ところで、あなたのすぐ近くへ席をとつてから、一杯飲んで話をしたらしいですが。
  1070. 小野徳一

    小野證人 そのときは知事は相当酩酊されておつたと思います。
  1071. 明禮輝三郎

    明禮委員 そこでどういう挨拶がありましたか。
  1072. 小野徳一

    小野證人 別に知事から挨拶は聞きません。それで知事さんと、どなたか知りませんが、話をされる態度を見ておりました。この人は男らしい人だということを私は直感しました、私も稼業柄、男らしい男というものは、非常に好きなのでありまして、なかなかこの人ははつきりした男だということをそのとき感じ、男が男にほれたという氣持だつたろうと思います。
  1073. 明禮輝三郎

    明禮委員 けれどもそのときに、よろしく頼むという挨拶があつたわけじやないのですか。
  1074. 小野徳一

    小野證人 頼むということは聞かなかつたのです。
  1075. 明禮輝三郎

    明禮委員 どういう挨拶がありましたか。
  1076. 小野徳一

    小野證人 挨拶も、そのときは私も大体お酒はやらぬのでございますけれども、友達が誘うにつれて飲んでおつて、挨拶されたとかされぬとかいうことは一向に記憶しておりません。
  1077. 明禮輝三郎

    明禮委員 あなたの調書を見ますと、挨拶したように書いてあるのですが。
  1078. 小野徳一

    小野證人 聞いておりません。
  1079. 明禮輝三郎

    明禮委員 挨拶したと書いてあるようですがね。
  1080. 小野徳一

    小野證人 はあ。
  1081. 明禮輝三郎

    明禮委員 それで結局あなた方はそうやつて金を集めて、選挙運動に努力もするし、いろいろしたが、陣中見舞あるいは当選祝とか、それは一体どういう意味があるのでしようか。あなた方は始終世話になるということをあなたは言われたが、どういう意味ですか。
  1082. 小野徳一

    小野證人 今日まで別に世話になつておりません。
  1083. 明禮輝三郎

    明禮委員 こういうことをあなたは言われています。ちよつて読んでみます。「現職知事時代に私ども土建業者が、直接間接に占領軍工事その他においてお世話になる。また將來知事に当選した暁、知山知事なつかいになることは明らかでありますから選挙運動資金やら、陣中見舞資金をおくつた次第であります。」これはどうですか。
  1084. 小野徳一

    小野證人 私の調書でございますか。
  1085. 明禮輝三郎

    明禮委員 はあ。
  1086. 小野徳一

    小野證人 そういうことは覚えておりません。そういうことを言うたことは記憶しておりませんが、私の見解は、先ほどあなたに申し上げた通り、ただ男らしい人だという簡單な考えから應援したのであります。そういうことをあつちで調べられたときも返事したような記憶もありません。聽かれた覚えもありません。
  1087. 明禮輝三郎

    明禮委員 そうですか。しかしそう述べてあるのだけれども、ここであまりかやかくそういうことを爭つてもしようがないから、そう言つた覚えがないというのですか。
  1088. 小野徳一

    小野證人 そうでございます。
  1089. 明禮輝三郎

    明禮委員 あちらで占領軍の工事をやる。特建工事というか、占領軍の工事をやりますね。その仕事をやる場合には知事と契約するのでしよう。
  1090. 小野徳一

    小野證人 はあ。
  1091. 明禮輝三郎

    明禮委員 そういう工場に工事の請負とか、あるいは資材の入手については、相当知事が骨折るのではないですか。
  1092. 小野徳一

    小野證人 私はその後特建も何も、一銭方もまだごやつかいになつた覚えもありませんし、したこともありませんから、別に知事がどういう行動をとつておるのか一向存じません。
  1093. 明禮輝三郎

    明禮委員 そうですか。あなたは特建工事をやらないのですか。
  1094. 小野徳一

    小野證人 やつておりません。一銭方も今日までやつた覚えはありません。
  1095. 明禮輝三郎

    明禮委員 北村さんとの関係は先ほど言われたように、あなたはあまり懇意でもないし、いろいろな金を出したこともないし、また人の出したのも聞いたことはありませんか。
  1096. 小野徳一

    小野證人 そうです。ありません。
  1097. 明禮輝三郎

    明禮委員 協会がこういうふうにして、土建業者はみんな知事初め門屋さんの選挙費用出しておりますね。
  1098. 小野徳一

    小野證人 出しておりますか。
  1099. 明禮輝三郎

    明禮委員 佐世保復興建設協会知事選挙にも大体百三十何万円集めてやり、それから門屋さんのも二十九万五千円とか三十万円とかいう程度集めているですね。そうしてこの復興協会で應援しているわけですね。それだから北村さんのもこの協会で應援したことがありはしないかということです。
  1100. 小野徳一

    小野證人 あなたのお問いでしよう。
  1101. 明禮輝三郎

    明禮委員 ええ。
  1102. 小野徳一

    小野證人 私は知りません。
  1103. 明禮輝三郎

    明禮委員 あなたは理事長になつておられる。
  1104. 小野徳一

    小野證人 なつておりました。理事長になつておりましたけれども、私の理事長はどつちかというと、私は無学の方でございまして、人の上に立つてあまりものを言つたりなんかすることはごく下手な方でございまして、ただ理事長という名前は、佐世保業者——やはり業者というものにいろいろの意見の衝突があるのでございます。それを押えるのに私のような年寄が行けば、ここらでやめなさいとか何とかいうことでよく聽いていただいておつたので、実は私が理事長になつてつたようでございます。
  1105. 明禮輝三郎

    明禮委員 この協会の記録は大体保存されているものでしようね。
  1106. 小野徳一

    小野證人 佐世保でございます。
  1107. 明禮輝三郎

  1108. 小野徳一

    小野證人 それはあると思いますよ。
  1109. 明禮輝三郎

    明禮委員 二十二年の十二月二十七日の役員会の議事録なるものは後から別紙を破棄して添付してないと書いてあるが、破棄したものがあるのですか。
  1110. 小野徳一

    小野證人 帳面のことは実際お恥しい次第ですけれども、私はほとんど副理事長原太市それから事務員に全部責任をもたして任しておつたので覚えませんのでございます。
  1111. 明禮輝三郎

    明禮委員 これは佐世保復興建設協会方々にお尋ねしたいのですが、こういう議事があります。これはほかの方も御承知だろうと思すのですが、二十二年の五月四日の午後二時の役員会で、「縣における工事指名について」と書いて、「本月二日、三日理事長、副理事長門屋梅右衛門、両理事長崎縣廳に出頭し、土木部長より今後佐世保地区(大村以北)の諸工事は佐世保復興建設協会を全面的に指名する旨確約され、なお知事においてもこれを承認さられたる旨現副理事長より説明報告あり」と書いてある。二十二年五月だから当選後ですな。
  1112. 小野徳一

    小野證人 記憶しません。
  1113. 明禮輝三郎

    明禮委員 ちよつとほかの協会役員の方いますか。こういう第四十四回役員会決議はこの通りでありますか。
  1114. 門屋盛一

    門屋證人 その理事会には私おりました。これはこういうわけなんです。大体縣の土木工事の指名というものは、土木出張所の区域によつて、指名していくのが慣習であつた。それがたまたま土木出張所の管内の佐世保復興協会の全協会員がほとんど佐世保の出張所の会員になつておる。それを無視いたしまして、東京あたりの大きな業者の名前の大きいだけにほれてぽつとやらした。しかもあるいは道路の舗装をやるのに、例のアスフアルトの手持が五百トンある、三百トンあると言うことにほれて、名前は言いませんけれどもある大きな業者が一つの工事を請負つて。ところがあると思つたアスフアルトが何がの関係で持つてこれない。それから労務者も地元にもたない。それがために特建工事が非常に遅れて迷惑だ。今後そういうことのないように地元にあるところの工事、すなわち大村以西の佐世保の地元附近のものは、まず復興協会に全般的に相談してやる。それでどうしてもわれわれの手におえないから他の業者に頼んでくれというときには頼んだらいい。地元の復興協会を何だか選挙でもやるようにこのごろ新聞では見えておるのですが、われわれは一つの理想をもつてかかつておるので、これはお調べになつてもわかりますが、佐世保地区の工事費はよその地区よりもずつと安く仕上つております。この協会を利用してもらいたいというので土木部長も知事もそれはいいことだから今後そうしようということを理事長が行つた約束した、こういうことの報告があつたのであります。
  1115. 明禮輝三郎

    明禮委員 こういうことがあつたわけですか。
  1116. 小野徳一

    小野證人 ありました。     —————————————
  1117. 河井榮藏

    河井委員長代理 ほかに何かありませんか。それでは藤井さんだけちよつとお残り願いまして、あと方々はどうぞお引取りください。長い間ご迷惑をかけました。  先ほど明禮委員から質問がありましたが、あなたの日記の中に書いてある五万円の金はだれが出したかということにつきまして、いろいろ先ほど中野委員からも言われましたように偽証の問題なんかありまして重大でありますから率直にありのままをおつしやつてください。
  1118. 藤井友市

    藤井證人 偽証と申しますと。
  1119. 河井榮藏

    河井委員長代理 うそを言つたら偽証になります。それから知つておることを默秘して言わなかつたら偽証ということになりますし、自分が都合が悪いからというので証言を拒んだらやはり証言拒否という罪もあるわけであります。
  1120. 田中角榮

    田中(角)委員 ちよつと御答弁になる前に私からお聽きしたいのですが、私はあなたが先ほど申し述べられたように、いわゆる日記は自分の書くものであつて、自分が思つたこと、感じたこと、聽いたこと、そういうものの信憑性を確かめないで当時の状況を書くということは納得がいきます。あなたがその日誌は公表されないことを原則にして書いたのであるから、私としては責任をもてないということもわかるのでありますが、今まで明禮委員やらその他の質問からみますと、その五万円を北村さんに出されたというときに、あなたも二万円か三万円を出しておるんじやないかという問題と、もう一人小野さんでしたか、どなたか二万円出しておる。合計十万円行つておるということを否認されたあとで、もう一つあなたが、日誌に書いてある前段の証言に対しては全部お認めになつてつて、最後に金の面だけに対しては信憑性はあなた方が考えておられるほどのものではないということを言つておられる客観情勢から見まして、あなたがそれほど書くのであつたなら、当時ただ感情的な立場からだけ書いたのであるとは受取れない。そういう意味でもし御証言ができるならば御証言をしていただきたい。それからあなたがだれからお聽きしたということがはつきりわからない場合もあるでしよう。しかし相当檢察廳で調べられたときには、だれにもその分に対しては発表しないでもらいたい、追究しないでもらいたいと強く願つておられたというような、いろいろな客観情勢を総合すると、私たちは今あなたの口から何とかしてお聽きできるんじやないかと考えておりますので、補足して私から御質問申し上げたいのであります。
  1121. 荊木一久

    ○荊木委員 私も大体今の田中君と同じようなことですが、腹立ちまぎれに書かれたということは私も認めます。何となしにあなたを後任会長に推薦しなかつたから腹立ちまぎれに書かれたということはわかります。しかし五万円の五という数字がどこから耳にはいつたか。腹立ちまぎれでは五という数字は出てこない。だれかからお聽きになつたならば、これは包むことも隠すこともいらぬわけですから、まあ知らないことをだれから聽いたかむりに言わなければ偽証になるという意味ではございませんが、五万円、三万円という数字が出たとすれば、どこかにあの男じやなかつたかという御記憶はありませんか。あつたらそれだけは包まずにおつしやつていただきたい。全然記憶がなければいかんともしようがありませんが、もう一ぺん何とか頭を整理していただきたい。
  1122. 藤井友市

    藤井證人 たいへん皆様に御迷惑をかけて相済みませんが、会議所の役員のことについてこういう成行きになつたことは、こういう理由があるんだというところに結びつけましたが、それも自分な感情を書いたもので、仰せの通り五万円がどこからか出たということは、私もこの問題をこの前吉永檢事がここで朗読されたと聽きまして、五万円という数字はどこから出たかということをその当時から考えたわけであります。しかしながらその次に、及び至れり盡せりの行為ということを書いてございます。至れり盡せりの行為ということもただいまお尋ねになりましたが、これも私といたしましては、至れり盡せりとはどういうことをされておることが至れり盡せりであつたかということの事実を知らぬのであります。そういうふうに門屋さんは北村さんに対してはかねて好意をもつておられるということを同志の中で話のあつたことを私がその当時耳にはさんで、それと同時に五万円とつなぎ合わせたのでありますが、何とか五万円と言うた人を見出してお答えいたしますとはなはだ解決が早いのでありますが、それを今申し上げんとしてもどうしてもただいま急に記憶を喫び起せませんで、これははなはだ私は当惑をいたしております。仰せのごとく五万円という数字はどこから出たか、言われてみるとだれかが言つたんじやないか、だれが言うたのであろうかと今も考えてみますけれども、人の名前を指して申し上ぐるほど私に記憶がないのはまことに申訳ございません。この点は日記を書いたものの、その当時多少感情の昂奮を含んで書いたものでありまして、こういうことになろうとは予想もいたしませんでしたから、書き散らかしておいたというような状態であります。これについて糺弾糺問をしていただきましても、私ただちにそういう重大なことを人の氏名を申し上げるほど記憶がないのを残念と思います。
  1123. 田中角榮

    田中(角)委員 あなたがこの問題に対してちよつと関連したことをお聽きしたいのですが、これをお書きになるときには、結局相当感情的に、北村さんとは言わずとも、門屋氏に対しては忿懣の情をおもちになつてつたから、こういうことをお書きになつたのだろうと思いますが、あなたは今この数字の信憑性に対しては、どういうふうなお氣持でおられますか。これが正しいのか、現在においてはいろいろ風説も聞いたし……。その前にちよつとお聽きしたいことは、先ほどの北村氏と門屋氏とのいわゆる友情関係はあなたはお考えになつてよく御存じのはずでありまするが、そういう意味から言うと、門屋氏がつくられた日本海洋漁業株式会社に対して、会社ができておらないのに復金ですでに委員会において千万円貸せる、こういうことを言われておつた。私たちの常識から考えると、復金で借りることは、非常にむずかしい。これを出してからあらゆる角度から審査されて、それから復金の委員会にかかるのですが、これに対してよつて立つべき根拠もなく、書類もないのに、こういうものがすでに決定されておつたということになると、私たちはときに大藏政務次官であつた北村氏が相当手をまわして、すでに事前に交渉をやつてつたのじやないかという疑惑もあるわけです。そうしますと、結局門屋氏は、北村氏にはこの間種に対しては全然頼まぬと言つておりますが、われわれ第三者として客観的に考えると、そういうことはちよつと腑におちない。そういう問題が、あとから二百万円の会社をつくつて、それで千万円出してもらつた、その問題に対してそれを返さないうちにまた三百万円出してもらつたというような問題と、しかも次から昭和銀行からも金が出ておるし、星野組からも無担保で、無手形で三百万円の金を日本海洋漁業株式会社に出しておつたということを今われわれが聽いて、第三者的な感覚で考えても、この日本海洋漁業というものは、門屋氏も認めておられたように、大体門屋氏の自分の個人会社である。そういうことは地元におられるあなた方はよく知つておられるわけですね。そういうような客観情勢を総合して、あなたはきつと「至れり盡せり」というふうに書かれたのは、具体的事実がなくとも門屋氏と北村氏の間は相当親密である、こまやかであるということを認定されておるわけです。それはあなたも否めないから、そういうことをお書きになつた。そういういろいろな情勢を総合しまして、先ほど申し上げたところの海洋漁業、そういうものの事情は、あなたはよく御存じであつたと思う。そうしてまた現在そういうように総合的に考えた上で判断されて自分が日誌に書かれたことが、ただ感情的なものであつて、現在信憑性に対しては全然自信がもてないのだが、いやしくも当時私が書いたのだから、世の中に公表されるとは思わなかつたけれども、書いたものだけに、少くともある半面から顧みて、日誌というものはだれにも見せない、祕誌に書けるものだから、日誌というものは物的証拠として信憑性が一番強いという半面の理屈が成り立つわけです。そういう意味からあなたが今五万円問題に対して信憑性をお認めになるかどうか。いや、それはただの風説であると言れるか。もちろん私が公表しないで書いたのだから眞実であるかどうかという御答弁で結構ですから、ひとつ伺いたいと思います。
  1124. 藤井友市

    藤井證人 その当時門屋さんと私とはあまり以前からの交際ではないのであります。今度参議院に出られるとき初めてあの人に接近したのです。しかしながら商工会議所の関係でたびたびあそこで一緒になりましたから、その人物等につきましては、ほぼ私承知いたしたわけであります。北村さんとしてはこうした偉い人物となるべく近くしておられる、これはいいコンビだろうということは想像ができておつたわけであります。  それで今のお話の五万円をやつたかどうかということについての私の当時の観察ですが、それは北村さんもあれだけ会頭のことについては口を切つておられたのだが、それがやはりそういかないのは、その間柄はだれかが言うておつたように、たいへん北村さんに対しては好意を篤うしておられるということだから、そうであろうという方に私は考えました。その考えましたことは違いありません。考えたから書いたのでありますけれども、しかし五万円という金を門屋氏がいつ、どこで、だれの手を経て、あるいは直接にやつたなどというようなことは私は一つも存じません。ただそういう話があつたから、自分の問題に引合わせてああいうことを書いただけでありまして、まことに恐れ入ります。
  1125. 田中角榮

    田中(角)委員 もう一つだけ伺つておきます。この問題に対して私にきつと最後のピリオドになると思います。あなたは土建業者でないから一つお聽きしたいのですが、この問題が起きてきたのは、いわゆる佐世保隠退藏物資問題から起きておる。それがこういう人間的問題に発展して横道にそれておるが、私たちが実際お聽きしたいのは、旧海軍工廠問題に対しても、現在も非常に大きな隠退藏物資があり、過去においても非常に大きな放出物資として流れた。しかもその隠退藏物資の利権をめぐつていろいろな選挙違反がなされ、いろいろな事犯がなされておるのではないでしようか。しかも現在われわれが聞くところによると、知事選挙違反で非常に大きな問題を起しておるし、問屋氏の問題もほとんど選挙違反で起訴されておる。しかも市長選挙とか、市会議員選挙とか、その他いろいろな問題を総合してみるときに、非常に大きな問題の根源が佐世保旧海軍工廠物資にあるのではないかと私は考えております。そうしますと当時あなたが商工会議所の会頭をしておられた関係から考えて、この佐世保軍港の旧軍需物資が流れたという事実はお認めになるだろうと思うのでありますが、現在こうして——前にもそうですが、今日喚問されたような方々、すなわち土建業者等は当然終戰直後実践協力会の会員として、復建協力会の会員としてあの旧軍港の中で仕事をしておつたわけです。それから後すぐ進駐軍の工事、特建工事に突入されたところから考えて、また佐世保軍港の品物を土建業者が拂下げたことがあるとかないとかいう問題に対しては御存じかどうか、一言だけお答え願えれば結構であります。これは商工会議所の会頭として、あなたが当時の佐世保事情をよく知つておられるという観点に立つて、この一言だけひとつお聽きしておきたいと思います。
  1126. 藤井友市

    藤井證人 佐世保隠退藏物資につきまして、檢察廳が嚴密なる調査を始めした。私どもはその当時事態の内容をよく知りませんでした。ただ私どもの知りましたのは、檢察廳が嚴しく取調べましたその結果を新聞に毎日発表しましたところを見て、そうであつたかと氣づきましたわけであります。私もいろいろ会社をもつておりまして、その方の嫌疑でもあつたかと存じますが、私を嚴しく御調査になりました。私はそういう方面にいささかの証拠もなければ事実もなかつたのであります。そのくらいでありますから、そういうことを働いた方々の中に私は関係しておりません。少しも触れておりませんでしたから、どういう方がどういうことをなされたかということは、私としては想像もつかずにおりました。いたずらにそういう事実があつたということを発表されたとき、その事ごとに私は驚いたようなわけであります。土建業者がいろいろな方面に醵金をした、その金の出どころはそうした隠退藏物資のあるいは横流しとかいうような不当な利益があつたために、それからそういう方面に醵金されたのではないかという今のお尋ねでありますが、それは私はこう考えておりました。土建業者の中にはそういう横流しをしたり、あるいは隠匿をしたり海軍との直接の御関係ははなはだ薄かつたのではないか、檢察廳調査されまして発表されたところによりましても、その事実がはなはだ薄く、土建業者以外に多かつたということから、土建業者はその方にははなはだ関係が薄かつたのではないかと考えております。土建業者がそうした醵金をした金はどこから出るか、こういうお尋ねであろうと思いますが、私の観察は、土建業者佐世保に進駐軍が進駐しました当時、占領軍の宿舎その他緊急大工事が起つたのであります。どんなに費用を投じてもこれを期日内に完成しなければならぬという、非常なむりな注文もあつたのであります。佐世保土建業者はこのために非常に苦心もされましたが、佐世保が終戰後いくらか殷賑をきわめたというのは、土木事業のためであつたのであります。土木事業が大方片づきましたら、佐世保は非常にさみしくなつたということでありますから、進駐軍の宿舎、兵舎その他の土木事業に対する佐世保の土木業者仕事はまことに大きいものであつたと思います。その方からあるいは多少利益を得られたものを割つて醵金せられたものである。私はこう考えます。
  1127. 明禮輝三郎

    明禮委員 こういうことを一つお尋ねしておきます。あなたは知事選挙に二万円出されましたね。あの出された理由をひとつ述べてください。どういうわけで出したか……。
  1128. 藤井友市

    藤井證人 これは私個人が出したのではございません。佐世保貨物自動車という会社が出したのでございます。それは先刻ちようど小野さんがお述べになりました理由とよく似ております。自動車事業というのは路面の悪いところの業者は非常な損害経費を要するのであります。あるいは道路負担金、あるいは莫大な修繕費を負担しなければならぬ。長埼縣の路面が非常に悪かつたので、道路改良についてわれわれ初めとして知事には訴えてきておつたのでありますが、土木專門の知事が出られましたので、この人にぜひ当選していただいて、そういう方面を改良していただきたい。ただそれだけであります。
  1129. 河井榮藏

    河井委員長代理 よろしいですか。——どうも御苦労さまでした。  あすは十一時に理事会を開き、午後一時に委員会を開きます。きようはこれで散会します。     午後七時三十五分散会